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特別聴講生 キムイェファン MAIL RES
夏休みの課題 11~20

11.小説<ノルウェイの森>
 わたなべは親友きずき、恋人なおことともにいつも三人が仲良かった。しかし急にきずきは一人で死んでしまい、残されたわたなべはなおこと近くなる。そうしたある日、なおこが消えて、数年後なおこから手紙を受け取って、彼女と再会することになる。
 心の中の何かを喪失した登場人物たちが記憶に残る作品だった。結婚なおこは、わたなべが好きで彼を愛したのではなく、自分を記憶してくれる人ならその人が誰でも関係なかったんだろうな、と考えた。自殺、性的関係だという刺激的なキーワードがこの作品でどのような方法で使われるか考えながら、今後、創作する作品でよく活用してみなければと考えた。

12.ドラマ<オンネチュロル>
 主人公と仲間たちが不自然な理由で死に至った死骸の無念の原因を究明していくミステリー医学ドラマ
 比較的よく知られていない法医学について詳しく知ることができて良かった。台詞の中で法医学はきつい、汚い、危険に、臭い、給料やすい、気持ち悪い、嫌いじゃないという意味の7K職業だという台詞が記憶に残った。ドラマの素材そのものは重いが、話は適度に真剣かつ専門的でありながら、面白くて空気換気がよいと考えた。特に本当に有名なOSTもとても良かった。

13.小説<悪意>
 ベストセラー作家日高が自分の作業室で殺害されたまま発見される。死体を発見した人は日高の妻と、日高の中学の旧友であり作家である野々口。そして、この事件はガガ刑事が受け持つことになる。ガガ刑事は野々口の事件日誌を見て野々口のトリックを発見し、彼を逮捕する。そしてか日高を殺した動機を捜査し始める。
 小説の形を一番旨く活用した推理小説だ。記録されたことを事実だと信じたい心は、もしかしたら人間の内面に深く位置した欲望かもしれない。読者は記録されたとおり、記録した人の意図通りに翻弄される。全部読んだら、東野圭吾に裏切られたという気がする小説だ。

14.ドラマ<宇宙を駆けるヨタカ>
 かわいい顔と活発な性格で学校で人気が多いあゆみ、ある日、あゆみはデートを行く途中、発信未詳の電話を受けることになる。電話をかけたのは同じクラスだったブスなぜんこ、後ろを見てっていうぜんこの話で後ろを見たあゆみは気を失って、病院で目覚める。そして自分とぜんこの魂が変わったという事実を悟ることになる。
 タイトルが面白そうに見えて鑑賞するようになった。外貌至上主義を批判するドラマで、顔ではなく、性格を変えることにより、コンプレックスを克服できるというメッセージが込められていた。俳優の演技もいいし演出も良くて楽しく鑑賞することができた。

15.ドラマ<この恋あたためますか>
 主人公のキキは年が多いという理由で地下アイドルで解雇された後、コンビニバイトを始める。貴鬼の唯一の楽しみはコンビニ新作デザートを食べてレビューをSNSにアップロードすること。キキが働いていたコンビニココエブリーの経営を引き受けることになった代表取締役のあさばはコンビニ改革に向けてデザート事業を強化しようとしている。その時、あさばは、業界で注目されていたSNSアカウント'キキカジリ'のうわさを聞くようになる。そしてアカウント主人であるキキをスカウトすることになる。
 社会人になった主人公の成長物語にロマンスを添えた作品だった。職場生活はやってみたことないが、アイデアと意欲があふれるキキかわいくて、応援するようになった。内容とは別に、コンビニデザート開発と事業に対する内容が専門的なので、作品を見た後、コンビニでデザートを買って食べる度に感謝する心を持つようになった。

16.小説<巡礼者の歌>
 主人公は2年前の自分の家に入ってきた見知らぬ男を咽頭で刺して精神病院に入院する。誰もなかった状況で家に入ってきた見知らぬ男と合わせ、本能的とした行動だったが、誰も彼女の行動を理解してくれない。彼女は無罪で釈放されるが周りの人は主人公を責め、彼女の夫も彼女の浮気を疑っている。彼女は下着だけ着ていて、男子は凶器を持っていなかったから、
 この作品は1983年に発表された韓国の短編小説です。内容を見ると、時代的に本当に先立って行った小説だと感じた。作品を読みながら性的暴力被害者を非難する視線は40年が過ぎた今も大きく変わっていないと考えた。主人公に家は自分の人生を変えるほど悲惨な事件が起きた場所だが、彼女が慕う子供たちと夫の跡がある場所でもあります。そんな主人公に家は相変わらずその場にいてくれた空間だ。小説で空間をどのように活用すればいいのか勉強になった作品だった。

17.ドラマ<ロングバケーション>
 予備新婦みなみは結婚式の当日に新郎が現れず、彼が生きていたマンションを訪ねる。しかし、予備新郎はすまないという手紙だけを残したまま消え,彼のルームメートだったセナと気まずい初の挨拶を交わす。しかし、元々住んでいた家を整理して新婚の家の保証金を全部予備新郎に手渡してしまったみなみは生活する場所がなく、再びセナを訪れ、二人は一緒に暮らすようになる。
 かなり古いドラマだが、やはり名作は理由があるという考えた。今も有名な俳優たちがたくさん出て懐かしい気持ちになった。失敗、夢と現実の乖離感、愛、別れのように当時の若者たちの共感をたくさん起こしてもっと人気が高かったのではないかという考えをした。

18.映画<バック・トゥ・ザ・フューチャー>
 主人公マーティは、ロックンロール・、スケートボード、自動車を好きな平凡な高校生だ。ある日、マーティは、普段仲良く過ごした発明家・ブラウン博士の発明品タイムマシンを乗って過去、現在、未来に時間旅行に出かけることになる。
 バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズは個人的に生きてみて今まで当シリーズ作品の中で数えるほどに好きで、完成度が高いと考えている作品だ。シリーズが3本まであるんだが、全部面白くて、内容の流れもうまくつながってみんなに推薦したい。特に、未来へ行く方で表現された2015年の姿がその時代の人々の想像力を感じることができて面白かった。

19. 映画<マイナリティリポート>
2054年、世の中は犯罪が起きる時間と場所を予測するフリークライムシステム体制の下に戻る。 そんなある日、犯罪予防情報局に勤めていた主人公ジョンが新しい殺人事件の被疑者として名指しされる。 そのようにジョンは一瞬犯罪者として追われる状況になり、彼はフリークライムに誤りがあったことを明らかにするために孤軍奮闘し始める。
未来社会には犯罪をどのように予防し処罰するかについて想像してみる映画だった。 アクションで有名な俳優トム·クルーズのアクション演技を見る楽しみもあった。 SF映画が好きで見るようになったが、面白いストーリーと反転が記憶に残った。

20. 映画<時計じかけのオレンジ>
主人公アレックスはホームレスへの暴行、喧嘩、車の窃盗など、友達と集まって問題を起こしている。 いつものようにある邸宅に侵入して犯罪を犯して警察に捕まったアレックスは、殺人罪で14年の刑を受けることになる。 そして監獄でルドビコ更生プログラムに志願し、プログラムが始まると同時に多様な療法の教化実験対象者になる。
内容がかなり残忍で衝撃的で見づらい場面もあった。 しかし、映画が観客に投げかける質問が良いと思った。 「人間は果たして教化できるのか? できないのか?」人間の自由意志に対する哲学的な考えをするようになった。 特に映画の最後の主人公の台詞が記憶に残った。
2023/10/10(火) 07:19 No.2010 EDIT DEL
3年 木村 RES
夏休みゼミ課題51〜80

51:『君たちはどう生きるか』監督:宮崎駿
あらすじ:太平洋戦争が始まってから3年後に、眞人は実母・ヒサコを火災で失う[6]。軍需工場の経営者である父親の勝一はヒサコの妹、夏子と再婚し、眞人は母方の実家へ工場とともに疎開する。疎開先の屋敷のそばには覗き屋の青サギが住む塔がある洋館が建っていた。この塔を不思議に思った眞人は土砂で半ば埋もれている入り口から入ろうとするが、屋敷に仕える[7]ばあやたちに制止される。その晩、眞人は夏子から塔は、大伯父によって建てられ、その後大伯父は塔の中で忽然と姿を消したこと、近くの川の増水時に塔の地下に巨大な迷路があることから夏子の父親(眞人の祖父)によって入り口が埋め立てられたことを告げられる。

宮崎駿らしさと難解さがあり、一回見ただけでは理解しきれない部分が多いと感じた。今までの宮崎の作品よりも、人の内面を映像化するという部分に焦点が強く当てられており、それによりファンタジックな世界観が強くなっている。抽象的な言葉や表現が多く、見る人によって印象がかなり変わる作品だと言えるが、この映画を見てどう感じるかということがタイトルの『君たちはどう生きるか』とも繋がっているのではないかと考えられる。

52:『超人的シェアハウスストーリー カリスマ 2nd season』
あらすじ:ここはカリスマハウス。今日もカリスマな彼らは己の中のカリスマ性を見つめている。が、彼らはまだ『真のカリスマ』に辿り着けていないと言える。故にこうしてカリスマ同士で身を寄せ合い、日々カリスマ性を育み、更なる高みを目指す言わば仮住まいの状態。世間には嘲笑する者もいるだろう。が、カリスマな彼らにはノーダメージ。むしろそういった逆境を糧にさらなるカリスマ性を生成し、見事な『カリスマチャージ』を蓄積させていく。チャージの先にあるものとは…!?
彼らのカリスマ性によるエネルギーが公的機関に見つかり、逃亡生活を送ることとなった。果たして、逃亡の先には何があるのか。

1st seasonが1話完結の短いギャグ回が多かったのに対し、2nd seasonは話が連続しており、一話の時間も長くなっている。アニメなどのファンは、ストーリー性とギャグ性のある作品を好む傾向にあるので、1st seasonではギャグ性をピックアップしていたが、2ndではストーリー性を重視したのではないかと考えられる。この作品は全体的にオタクが好きな要素を狙い撃ちすることに特化しており、特定の人にしか伝わらないパロディや、何も考えなくても楽しめる面白さ、キャラクター性を練っていると思われる。

53:『白昼夢』著者:古屋兎丸
概要:古屋兎丸展「SCHWEIGEN-沈黙-」/「白昼夢-WACHTRAUM-」に合わせて制作された画集。『ライチ☆光クラブ』本編にはなかった描写を中心とした作品で構成されており、まさに夢を見ているような作品である。

白と灰色を基調とした淡い色で構成されており、白昼夢というタイトルの通りぼんやりと霞がかった夢を見ているように見える。原作で見ることがなかった描写が多く、原作で描かれなかった部分を切り抜いているのか、本当に有り得ないものを描いているのか曖昧な部分があり、「こうだったらよかったのに」という感情を呼び起こしている。また、原作がシリアスで暗い部分が多かったのに対し、日常の他愛ない一コマを切り取った作品が多く、もしかしたらこんな生活をしていたんだろうかと想像させる作品となっている。

54:『芽むしり仔撃ち』著者:大江健三郎
あらすじ:太平洋戦争の末期、感化院の少年たちは山奥の村に集団疎開する。その村で少年たちは強制労働を課されるが、疫病が発生したため村人たちは他の村に避難し、唯一の出入り口であったトロッコは封鎖され、少年たちは村に閉じ込められてしまった。見棄てられたという事実、目に見えぬ疫病に対する不安、突然顕われた自由に対して途方に暮れた時を越えて、子供たちは、自然の中で生を得て祭を催すにいたる。
少年たちは閉ざされた村の中で自由を謳歌するが、やがて村人たちが戻って来て、少年たちは座敷牢に閉じ込められる。村長は村での少年たちの狼藉行為を教官に通知しない替わりに、村人たちはいつも通りの生活を送っていて疫病も流行していなかったことにしろという取引を強要してくる。少年たちは当初は反発したが、やがて次々と村長に屈服してゆく。そして最後まで村長に抵抗する意志を捨てなかった「僕」は村から追放される。

大江健三郎の作品の特徴である「閉じ込める」という行為が随所に表れた作品である。それは単純な閉所への閉じ込めであったり、村の中への閉じ込めであったりと多岐にわたっている。同時に、反骨精神と屈服というテーマも示されており、大きな勢力に屈する仲間達と、最後まで抵抗した主人公が追放されるという対比は、皮肉なようでいて、抵抗によって自由を得たということの表れでもあると考えられる。

55:『飼育』著者:大江健三郎
あらすじ:戦時中にアメリカの飛行機が撃墜され、森の奥の谷間の村に黒人兵が落下傘で降りてくる。捕らえた黒人兵をどう処置するのか、県の指令がくるまでの間、語り手の少年・僕の家の地下倉で黒人兵を「飼育」することになる。最初は「獲物」であった黒人兵と僕の関係は日毎に人間的な触れ合いになっていく。ある日、県の指令で黒人兵の移送が決まると、黒人兵は僕を捕らえて盾にして抵抗するが、父や村人が詰め寄り、父は鉈をふるって僕の手ごと黒人兵の頭を切りつけて殺害する。怪我で包帯をまいた僕の手を指して友達は言う。「お前のぐしゃぐしゃになった掌 、ひどく臭うなあ 」。僕は答える。「あれは僕の臭いじゃない 」 「黒んぼの臭いだ 」。そう答えた僕は、天啓のように自分はもう子供でないことを悟る。

家畜として扱われていた黒人兵と親密な関係を築き、それを破壊するという流れが鮮やかである。本物の友達のように関わっていたのに、自分の処遇が決まった瞬間主人公を人質にする黒人兵の姿には、大きな勢力への反抗と、それによって別のものを失うことの対比を示している。この作品にも「閉じ込める」描写が多く存在し、地下倉に黒人兵が立てこもった瞬間、地下倉への閉じ込めと、立てこもりによって村全体が閉じ込められたかのような、二重の閉じ込めが発生している。

56:『THE FIRST SLAM DUNK』監督:井上雄彦
あらすじ:神奈川県予選を2位で突破し、広島県開催のバスケットボール・インターハイへの出場を決めた神奈川県代表・湘北高校は1回戦で大阪府代表の豊玉高校を下し、2回戦で秋田県代表・山王工業と対戦する。山王は高校バスケット界の絶対王者と呼ばれ、特に現3年生の入部以来「2年半に渡る無敗記録」と「インターハイ3連覇」という凄まじい記録を残していた。チームは高校バスケ界最強のセンター河田、高校ナンバーワンプレイヤーと名高い沢北などタレント揃い。下馬評では王者山王と無名の湘北という構図が完成していた。

原作漫画完結から実に26年半を経ての映画であるが、電子機器の登場が少なかったり、試合メインにするなど現代にも馴染むようなアレンジが施されている。試合の部分が大半を占めており、本当にバスケの試合を見に来たかのような臨場感が演出されている。ゴールが入る瞬間にBGMが止まる、ブザーの直前から無音になるなど、音声によって緊迫感の演出がされている部分が多数あった。手描きと3Dモデルの両方が用いられており、表情を見せたい部分や動きが少ない部分は手描き、試合など激しく動く部分は3Dモデルといった使い分けがされていて、人間的な感情と動きの表現の工夫がされていると考えられる。

57:『MUNDANE HURT』著者:木原音瀬
あらすじ:高校の体育祭で西崎は堅物だと思っていた長野の走りに視線を奪われた。
遊びで長野を落とそうとするがセオリー通りにいかない長野に西崎は次第に本気になる。
何とか落としたが今度は鬱陶しくなりすぐに振ってしまった。
卒業後、何でも手にいれてきた西崎の人生は一変する。
孤独になり薬にも手を出した西崎は極道に命を狙われる。
助かるには弁護士になった長野からあるデータを手に入れなければならず……!
立場が変わった二人の愛の行方は…。

人間性の描写に力を入れており、長野と西崎の対比が美しい作品となっている。高校生の時は貧乏だが誠実な長野、裕福だがクズの西崎というような対比だったが、成長後は弁護士の長野と無職の西崎といったように、立場が逆転するような描かれ方がなされている。人間性においては変化することがなく、堅いが真面目な長野と、人間性に難がある西崎のまま成長しており、「クズはどこまでいってもクズ」を体現している。また、作中で西崎が救われることがなく、クズのまま長野に見放されていくラストシーンを迎える所は、都合のいいハッピーエンドを肯定しない著者の考え方が表れていると思われる。

58:『B.S.S.M』著者:井戸ぎほう

「お前と同じで 俺もラリってんの」

そんなのが 恋だなんて 思ってもみなかったーーーー
ちょっぴりやんちゃでアブナイことが大好きな、けいま。
口数少なく、大人っぽく、いつも何を考えているのかわからない、なお。
同じクラスの二人は友達同士…のハズなのに、
なぜか◯◯◯をこすり合ったり、なめ合ったりする間柄。
ある日、けいまの"友達"と二人で会った後に、
なおから「お前なんか一人ぼっちになればいい」と告げられたのは…?

思春期特有の甘酸っぱさと危なっかしさが共存しており、著者の青春に対する考え方が表れている作品である。危ないことに興味があり、少し頭が足りないけいまの、知らない人や怪しい人にすぐついて行ってしまう安易さが、単にありえないものでなく、こういう人いるな……と思えるようなリアリティがあった。また、周りの大人達も、優しそうだが家に薬漬けの女を飼っているような怖さがあり、触れてはいけない部分を描くのが上手いと感じた。著者は無口な人とよく喋る人の組み合わせが好きなので、タイプが違う2人の独特の距離感の描き方が絶妙だと感じた。

59:『やさしくおしえて』著者:井戸ぎほう
あらすじ:大学生の光は「自分のことを好きって言う子」がタイプという自己中な性格。
ある日、弟の聖が年下の男の子(恋人未満)とデートする様子を見て変化が起きる…。

この作者の方は明るくて自分勝手なキャラと根暗で真面目なキャラの対比を好む傾向にあり、光と聖にはそれが表れている。また、ちゃらんぽらんなイメージの光ではなく、真面目な弟の方が小さな男の子に恋愛感情を抱く所に、倫理観や常識のイメージを覆させていると思う。「やっちゃダメなこと」を綺麗な絵に包んで語っているような作品である。

60:『卍』著者:谷崎潤一郎
あらすじ:日本画の趣味を持つ園子は、夫・孝太郎にすすめられて女子技芸学校に通う。そこで、他教室の徳光光子にひそかな好意を寄せるようになる。園子は無意識のうちで楊柳観音の絵を徳光光子に似せ、それがきっかけで彼女と面識を持つ。そうして楊柳観音の絵を皮切りに、学校では「2人が同性愛の関係にあるのではないか」という噂が広まった。
当初は根も葉も無い噂に過ぎなかったが、会うたびに2人の親密度は増していき同性愛関係を結び、遂に園子の夫に知られて夫婦喧嘩に至る。そうした中、光子の妊娠が判明する。光子と婚約していた綿貫栄次郎が園子の前に現れ、光子との関係を強化するために誓約書を作る。かくして、その誓約書が新聞社に知られてしまい、園子と光子との関係は白日の下に晒されてしまうのだった。

全編が関西弁の話し言葉で綴られており、告白録のような形になっている。そのため、書き言葉なら省略される所や、とりとめのないことも書かれており、読みづらい印象も与えるが、本当に話しているかのようなリアリティも感じられる。バイの女性と関係を持つ夫婦という、当時なら倒錯的な作品が、現代ならありえそうになっているというのが予言じみたものを感じる。3人で心中しようとしたが、主人公だけ生き残ってしまうというのが、当時の同性愛者に対する視線の強さを物語っており、幸せにも不幸にもなれない姿を描いている。

61:『藤野谷麻依の不知の病』著者:屋乃啓人
あらすじ:本を読むのが大好きな麻依は、一緒に住む惣甫に本を読むのを止められている。理不尽だと憤る麻依だったが、実は本を読む度に記憶をなくし、若返る奇病にかかっていた。

記憶をなくす、若返るといった現象はフィクションの中で多く語られてきたが、本を読む度にそれが起こるというのが新鮮な発想である。ただ、物語の冒頭でそれが語られてしまっているので、後に起こることが予測されてしまうのが勿体ないと感じた。若返りを扱う作品には、若返るのが止まるもしくは老いるか、若返り続けて赤ちゃんに戻るという2つのルートがあり、この作品がそれを逸脱しなかったのがありきたりの域を抜けていないと感じた。

62:『語る人形とレゾンデートル』シナリオライター:日日日
あらすじ:パリを訪れたみかから卒業後の意向を聞き、憤りを感じる宗。そこへ宗の祖父が亡くなったという知らせが入り、帰国する二人だったが……

アイドルユニット:Valkyrieのクライマックスイベントのストーリーであるが、あんさんぶるスターズ!!における現時点のValkyrieの最終到達地点ということを感じられた。当初から人形をモチーフにすることが多く、人形として扱われていたみかが、逆に人形を演じる人間になれたことは、ユニット及び2人の成長だと考えられる。祖父の不倫の有無について調べた際、本当に会っている女性はいたのだが、祖父は女性として、女友達に会いに行っていた…というのは、固定観念に囚われない愛の形を示していると考えられる。女性の方からの愛の形も同じであったかという問いが残るのが物語に深みを持たせていると思う。

63:『タコピーの原罪』著者:タイザン5
あらすじ:地球にハッピーを伝える為に降り立ったハッピー星人タコピーは、笑わない少女しずかちゃんと出会う。どうやらその背景には学校のお友達とおうちの事情が関係しているようで…。

いじめられている子どもと、それを救う人外という形式は様々な作品で描かれているけれど、タコピーは常識が欠けている部分があり、いまいちしずかちゃんを助けられていない所が他の作品にあまりない点である。家庭の事情に振り回される子どもたちの姿を描くのが上手く、実際にこういった家庭で育った人は見ているのが辛くなるほどだと思う。また、ループものであり、人を殺したポイントでループを繰り返す点はほかの多くの作品でも見られる点である。ストーリー以外にも、伏線の仕込みがかなり多く、気づかなくても楽しめるが気づくとゾワゾワするような描写が多数なされており、近年の考察を伴う鑑賞の傾向に対策しているのではないかと考えられる。

64:『独創◆先行くマキナの回廊』シナリオライター:木野誠太郎
あらすじ:作品の構想に悩みアイディアの源を求めるみかは、『SSVRS』に新設された『テストワールド』に案内され、次第にのめり込んでいく。

VRの世界でアイディアを求め、作品を作る点が、社会の今と未来を示しているようで興味深かった。デジタルアートに億の値がつくという事例が現実に存在するのかは存じ上げないが、今の時代では考えられなくもないので、今はまだなくとも将来を暗示しているのではないかと考えられる。Valkyrieは、余り電子機器との関わりがなく、インターネットなども忌避している類があるのだが、みかとしてはそうでもなく、仕組みは分かっていなくともVRの世界を楽しめるという所が現代の若者らしさを表現していると思われる。最後に仮想通貨をばらまくシーンは、架空の通貨の価値の薄さ、存在としての希薄さを示していると思われ、ネットに依存するこの時代に問いを投げかけていると考えられる。

65:『ENSEMBLE STARS DREAM LIVE 7th Tour Allied World』
概要:ゲーム『あんさんぶるスターズ』のARライブ。幕張メッセにて開催。

ARライブなので、モニターに映される映像を見ているだけではあるのだが、それぞれのキャラクターのモーションは全てモーションキャプチャで人の動きをトレスしており、一人一人違うものとなっている。また、MCやカテコなど、日替わりの部分もあるので、「その日しか味わえない」というライブの楽しさを抽出しているのではないかと思う。ゲーム内MVではフル尺の曲のパフォーマンスはないが、フル尺で見ることができるので、今まで知らなかった振りや、フォーメーションなど、全員が新鮮な気持ちで楽しめるようになっている。会場が平面的で、ひとつのモニターを全員で見る形になるので、ステージから遠ければ遠いほど見づらくなるのが今後の改善点だと感じた。

66:『コペルニクスの呼吸』著者:中村明日美子
あらすじ:仮面の下に美しき素顔を隠したピエロ・トリノス。孤高のジャグラー・レオ。少年買いの外交官・オオナギ。トリノスに惹かれてゆく青年・ミシェル……70年代パリのサーカスを舞台に、そこに集う人々の生き様を官能的タッチで描き出す、エロティック・ストーリー。

サーカスというテーマには人を惹きつけるものがあり、その理由として『非日常』であることが挙げられる。このサーカス団では、終演後に娼婦や男娼としてキャストが客をとらされており、その商売が成り立つのはやはりステージに立つ美しい存在と関係をもてる『非日常』感なのではないかと感じた。絵柄が非常に耽美で、アート作品を見ているような気分にさせられるところが、作中の「サーカスもバレエや舞台と同じアートである」という言葉を体現している。トリノスやミナが娼婦や妾となっている時、倒錯的なプレイをさせられている描写がされているのは、この二人の共通点を示しているが、一方で、自己愛を示す為のプレイをさせられているミナに対して、拘束され、罰を与えられているトリノスとでは本質が違い、自意識の違いが表れているのではないかと思った。

67:『空の怪物アグイー』著者:大江健三郎
あらすじ:10年前、僕は大学に入ったばかりで、アルバイトを探していたところ、伝手を頼ってとある銀行家に面接に行った。銀行家は「息子の『D』(少しばかり有名で雑誌にも載ったことのある音楽家)に「怪物」が憑いていて仕事を投げ出して家にばかり居る。今息子が何処かに出かけたいという時には付いて行って欲しいのだ」と語る。Dは、「あれ」は昼間晴れた日に空から降りて来る、あれはいつもは空に浮遊しているものだと語る。そしてDは、僕にあれが降りてきている間、僕は不思議そうにせずに自然にしている様に注文した。D附きの看護士に問い詰めると、その怪物はカンガルー程の大きさの赤ん坊で、「アグイー」という名前だと聞く。その後僕は、Dに頼まれた通りDの元妻を訪ねた時、その赤子が脳ヘルニアと誤診され、殺してしまったのだと言う。解剖に回した後、頭の大きな瘤はヘルニアではなく、畸形腫だと判明したのだった。Dと僕は様々な場所を訪れた。僕は何時の間にかこの仕事に愛着を覚えていた。

自分の子どもを殺してしまったことで、子どもの幻覚を見るようになってしまったDと、アルバイトの主人公の奇妙な関係が描き出されている。いないものに向かって話しかけたり隣を空けたりするDの姿は奇妙だが、それ以外ではほぼ穏やかで、イマジナリーフレンドと共存するというのはこういうことなのかもしれないと感じられた。自分で子どもを殺す選択をしたのに、その子の幻覚を見ることに対して、甘ったれているとか、優しい父親だとか、登場人物から多面的な意見が見られたのは、大江が、自分の子どもをもし殺していたらという問に自分で答えた結果だとも言える。障害を持つ子どもについて、生きるのと死ぬのとどっちが幸せかと問うのは野暮だが、もし自分の子どもが死んだら自分の子どもを幽霊に見てしまうのだろうかと感じさせるような日常感と生々しさがある。

68:『先生のおとりよせ』著者:中村明日美子・榎田ユウリ
あらすじ:官能小説家・榎村遥華のもとにリフレッシュ出版から創刊される雑誌でのコラボ企画が持ち込まれた。作画は巨乳美少女漫画家として名を馳せている中田みるくであるという。クールで神経質、ドSで不愛想と言われる榎村であるが、実は無類の巨乳好きであり、理想的なおっぱいを描く中田作品の大ファンであるため浮足立った。一方の中田も、退廃的で耽美な榎村作品の大ファンであり、新連載コラボ企画もダメ元で担当編集者に持ち掛けたものだった。本来なら相思相愛であるはずだが、榎村は中田を女性作家と思い込んでいたため、初対面の場で目の前に現れた大柄の男に罵詈雑言を浴びせてしまう。中田は榎村に開口一番「おっさん」呼ばわりされ、口の悪さにショックを隠し切れない。コラボ企画も暗礁に乗り上げるかと思われた時、両者の好みを具現化したような編集長・九堂今日子が姿を見せたため、一転して二つ返事で引き受けることになった。
反りの合わないふたりであるが、共通点があった。それは「おとりよせ」である。作家という職業柄、仕事場兼自宅での作業が多いため、外出せずともあらゆるグルメを入手することが可能なおとりよせは楽しみのひとつである。奇遇にも同じマンションの隣人であったことが発覚した榎村と中田は互いに取り寄せたグルメを持ち寄り、舌鼓を打つ「おとりよせライフ」を満喫する。

漫画と小説によって構成された作品であり、実際に著者2人共の親交が深いことから、キャラクター設定も小説家と漫画家になっており、実際に2人がおとりよせの食品を楽しんでいる所を投影していると考えられる。著者の2人共BL作家であるが、この作品は男性二人が主人公ではあるもののBL要素がなく、ただ単に仕事仲間、食通仲間として過ごす姿には、より多くの人が楽しめるように考えられた点だと思われる。性格もルックスも全く違う2人の組み合わせは様々な作品に見られるが、この作品も例外ではなく、全く違う人同士の距離が近づくなっていくことで、近づく距離の振れ幅が大きいように感じられ、より愛着を持って作品をみることができるからではないかと考えられる。

69:『おやすみプンプン』著者:浅田いにお
あらすじ:小学5年生のプンプンは、転校生の田中愛子に一目惚れする。その日の帰り道、プンプンと愛子は宿題で出された将来の夢について話す。アイドルかモデルになると語る愛子に圧倒されたプンプンは、プンプンパパがくれた天体望遠鏡で空を眺めながら将来は宇宙の研究者になろうと誓う。翌朝、リビングではプンプンママが倒れており傍でプンプンパパは自分が暴行を加えたのにも拘らず、「強盗が入った」と必死に言い聞かせた。その後は叔父の雄一がプンプンママに代わってプンプンの世話をするようになる。翌日に登校したプンプンはクラスメイトの前で将来の夢の作文を発表しようとしたが、クラスメイトから馬鹿にされるのではないかという不安が募って不意に教室を飛び出してしまう。体育倉庫に隠れていたプンプンは愛子に見つかって「夢くらい何見たっていい」と諭され、それと同時に愛子へ自分の想いを告げた。愛子は笑顔を浮かべながらプンプンにキスをする。その後の授業中にプンプンは、愛子は自分の運命の人なのではないかと感じた。

性行為のシーンや、心情描写など、人を嫌な気持ちにさせる描写が非常に巧みである。主人公が至って普通の冴えない少年であることから、読者が感情移入しやすいのと同時に、共感性羞恥や、自己嫌悪を誘発するような描写が多数ある。主人公のプンプンやその家族だけがデフォルメされたキャラクターに見えるのは、プンプンから見た世界ではそう見えており、親族は小さい頃見た姿のままイメージが止まっているのではないかと思われる。キャラクターが感情表現を性欲に任せる部分が多く、これは作者が恋愛や意思疎通は性欲に勝てないと思っている部分の現れなのではないかと思う。

70:『仮にAくんとしよう』作者:クロチカ
あらすじ:雪で帰るに帰れなくなった少年たちが、
夜の学校で怪談大会をするはなし。
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ひとりひとりが怪談を語ります。
一話につき平均10分程度。

雪の中の学校で怪談を語るホラーノベルゲームなのだが、文体が常に話し言葉で、本当に言葉で怪談を語られているような臨場感がある。また、それぞれの語り手が自分の語った話を恐れている所が、本当の話であることを裏付けているようで恐怖を増幅させている。全員が主要な登場人物を「仮にAくんとしよう」と定義している所が、妙な非現実感と一体感を生み出しており、曖昧さで不安を煽っているように感じる。言葉として定義することで事物は存在しうるという楽節があるが、それと同じで、本当でも嘘でも、全部違う人を指していても、それを「Aくん」と定義することでなかったものが存在してしまうというのは、実生活に有り得てしまう怖さがあった。

71:『プレイする怖い話 雨』制作:Unflame,Inc
概要:選択で結末が変わるマルチエンドのホラーノベルゲーム。『さよなら夢の国』『ソウマの夢』『そして雨が止んで』『もうひとりいる』『カエリミチ』『金魚すくい』の6つのシナリオがある。

選択で物語が分岐し、ひとつのシナリオでも全く違う結末に向かう所がホラーノベルとゲームの良い所を抽出しているように感じた。また、ひとつのシナリオに同じ怪異が登場するのではなく、エンドごとに違う怪異や違う怖さを与えてくるのがマルチエンドならではであり、ホラーノベルではできないことを体現していると考えられる。また、金魚を食べるなど、突拍子もない行動による恐怖も表現されており、常識の通じなさの表現が巧みだと感じた。

72:『Araneid』著者:梨

あらすじ:A、B、C、Dの4人はある家に肝試しに行った。二手に分かれて探検する4人は、各々が怪奇現象に遭遇する。

Web上の記事であり、縦4列の文章をスクロールして読み進める形になっており、スマホ上のWebの形式を利用した恐怖体験を与えている。また、最初は4行だが、二手に別れると2行になったり、同じ場所に辿り着いた時は1行になるなど、状況を文字通り文章の形でも表現している部分が斬新である。「4本の糸を使った阿弥陀籤の話」と著者は評しているが、全員違うことを考えて肝試しに参加しても、結末は全員同じであることから、選択した瞬間から結果が決まってしまうという阿弥陀籤の仕組みと、何を選んでも怖い目に遭うことには変わりがないという怪談の怖さのふたつが表現されていると感じた。

73:『こちら葛飾区亀有公園前派出所』著者:秋本治
概要:東京都葛飾区の亀有公園前派出所に勤務する両津勘吉(りょうつ かんきち)を主人公に、その同僚や周辺の人物が繰り広げるギャグ漫画。劇画に近い比較的リアルな絵柄(特に連載開始当初)を用いたギャグ漫画としては先駆的な作品である。基本的に一話完結だが、複数話に跨ぐことも時々ある。

1話完結型で、話が変わるごとに設定がリセットされることもあり、どこからでも読みやすいシステムになっている。1話ごとの情報量が多く、それはしばしば現実とリンクしている場合があり、時事漫画としても役割も果たしている。また、40年という長い連載を経て、後から読み返した時に、描かれた当初の時事が知れることから、歴史書的な側面も存在する。ある程度形式が完成されており、流れやオチが決まっているので、事例やキャラクターを変えることで様々な話を成立させることができている。丁寧な考証とは裏腹に、天国からの使いが来るなど、非現実的なギャグも用いており、現実と非現実の境界を混ぜるのが巧みである。

74:『おはよう楽園くん(仮)』著者:中村明日美子
概要:「楽園」の人気イメージキャラクター・三白眼メガネ男子の楽園くん(仮)待望のコミックス化。描きおろしに加え、これまでのカラーイラストも完全収録。真ん中分け美少年の密着24時間、なコミックです。

ほぼ楽園くんしか登場しないが、一人称視点で楽園くんと生活している形式なのが、乙女ゲームを疑似体験しているような雰囲気を味わえる。また、自分(読者)の性別がギリギリまで指定されていないので、異性愛としても同姓愛としても楽しめる作品になっている。1話が3ページ程度なので、日常会話を切り取ったような印象がある。恋愛感情の有無が明記されていないので、友愛とも恋愛とも取れるようにされている。セリフが多くないため、より何気なさが強調されていると感じる。

75:『あの日、制服で。』著者:中村明日美子
あらすじ:卒業式で告白されて5年。
飲み会で再会したアイツの薬指には指輪があった。
「てかお前、俺のこと好きとか言ってなかったっけ」
俺の言葉にアイツの表情は揺らぎ……。
心が震えるほどの感動と痛み、青春の輝きと影を描いた、
十代の恋にまつわる6編のオムニバス。

6種類の十代の恋が収められているが、その全てに性的な要素が含まれている部分が、若さと短絡さの象徴だと感じられる。また、幸せに終わらない話が多いのは、若さゆえの気の迷いを表現したいのではないかと考えられる。先生に恋してしまったり、同級生と関係を持ってしまったりする部分も、そこが示されていると思われる。また、犯罪紛いの描写が多数見られるのも、危うさを理解していない若さを表現していると考えられる。

76:『幕末Rock』監督:川崎逸朗
あらすじ:幕府直属の最高愛獲(トップアイドル)・新選組による“天歌”(ヘブンズソング)で支配された幕末の世が舞台。幕府の行動に疑問と憤りを感じる志士(ロッカー)たちは、“Rock”の力で革命を起こす。

幕末時代にロックがあったという突飛な設定だが、服が破けるなど、さらに突飛な描写で上書きすることで突っ走り続けていると感じる。歴史の流れには全く沿っていないが、それが逆に現実の歴史とは全く違う世界線として作品を成立させている。実際に歌うカットを入れることで臨場感が増しており、楽器を演奏するシーンでモーションキャプチャを使うことでリアリティを成立させようとしている。また、歌のシーンでテロップを出すことで、音楽番組を見ているような表現がなされている。

77:『暗殺教室』著者:松井優征
あらすじ:ある日突然、進学校「椚ヶ丘中学校」の成績・素行不良者を集めた3年E組の元に防衛省の人間と、異形な姿をした謎の生物がやって来た。マッハ20で空を飛び、月の7割を破壊して常時三日月の状態にしてしまった危険な生物は「来年3月までに自分を殺せなければ地球を破壊する」ことを宣言したうえ、「椚ヶ丘中学校3年E組」の担任教師となることを希望した。
意味の分からない要望に政府は戸惑いつつも、3年E組の生徒に「謎の生物の暗殺」を依頼。生徒たちは最初こそ戸惑うが、「成功報酬:100億円」のために殺る気を出す[注 1]。その生物=殺せんせー(ころせんせー)の存在とその目的を把握しているのは日本をはじめ各国の首脳陣といったほんの一部の人間のみで、「殺せんせーの存在や殺せんせーの暗殺に携わっていることを、家族を含めた第三者へ絶対に口外してはならない。口外した場合は“記憶消去処置”を施される」「殺せんせーは、3年E組の生徒に絶対に危害を加えてはいけない。ただし、その家族友人は対象外」などの様々な決まりの下に生徒たちは殺せんせーを様々な手段で暗殺しようと試みるが、毎回殺せんせーの素早さと予測不能の行動で阻止され、逆に殺せんせーによる手入れを受けることになってしまう。
しかし、いざ授業が始まってみると暗殺者と標的という異常な状況ながら、多くの生徒たちは殺せんせーの指導と手入れによってこの暗殺教室を楽しみ、今までの「学校中から差別された底辺学級」としてではない前向きな学校生活を送るようになっていく。その一方、生徒の他にも殺せんせーを暗殺するため、世界中から暗殺者が送り込まれてくるのだった。

落ちこぼれたちが大きな障害を前に成長するというのは物語によくある形式だが、障害に成長させられるというのはなかなか少なく、新鮮なものとなっている。また、怪物を倒せない理由として、力の強さや、防御の固さではなく、速さを挙げる点が、力ずくでないスマートさがあると感じられる。一人一人のことを考えた親身な指導の描写が多彩であり、誰もが憧れる先生の姿を怪物の上に見ることが出来る。暗殺とタイトルについているが、標的が全くの人外であることによって、グロテスクさが薄れており、フィクションとして暗殺を楽しむことができる。また、キャラクター同士の関係の掘り下げ、恋愛要素など、学園モノとしても楽しめるような描写が多数含まれている。

78:『よるとあさの歌』著者:はらだ
あらすじ:女にモテたくて仲間とバンドを始めた朝一。そんな朝一がボーカルを担当している弱小バンドにサポメンで入ってきたヨル。ライブの後のちょっとした「お遊び」の時に起こった一度のアヤマチ。それをきっかけに、ヨルは朝一への想いを明らかにしていく。

ライブハウスの粗雑さ、アマチュアバンドのゆるさなどのリアリティが随所に表れている。キラキラした世界ではなく、その裏側や、夢のない部分の描写が多く、夢ではなく現実を見せたいという意図が感じられる。また、真面目にバンドをやる気があまりない朝一が、ヨルの歌声に惹かれてしまう部分は皮肉的だが、モテるためにバンドを選ぶ自意識の底の表れとも取れる。不誠実な面のある朝一と、本当に音楽が好きで、一途なヨルの対比もなされている。

79:『トーマの心臓』著者:萩尾望都
あらすじ:ある雪の日、シュロッターベッツ高等中学(ギムナジウム)の生徒であるトーマ・ヴェルナーが陸橋から転落死する。
クラス委員のユリスモール・バイハン(ユーリ)は成績優秀で品行方正、常に冷静な少年で、同級のオスカー・ライザーと二人で舎監室に暮らし、寮生の管理監督の役目も受け持っている。
そのユーリのもとにトーマからの手紙が届く。「ユリスモールヘ さいごに」で始まる短い遺書によって、事故死とされていたトーマの死が自殺であること、トーマが死を選んだ理由が自分自身にあることを知ったユーリはショックを受ける。

ギムナジウムは、BLにおける花物語の寄宿学校と同じ役割を持ち、理想上のBLの舞台としてよく用いられる。この作品はそのはしりであり、心の繋がりとしてボーイズラブを成立させている。耽美な絵柄を用い、理想としての少年たちの姿を描き上げている。自分の善性によってトーマを殺してしまうユーリが、少しいい加減なエーリクに絆されていくのは、妥協という大人になる術を覚えていくことの表れである。また、誰の愛も信じられないユーリが、愛を疑わないエーリクに影響されていく姿は、理屈を純粋さで溶かしていくという部分で昨今の作品に影響を与えていると考えられる。

80:『あんさんぶるスターズ!追憶セレクション エレメント』製作:HappyElements・カカリアスタジオ
あらすじ:あんさんぶるスターズ!軸の1年前、夢ノ咲学院は堕落していた。それを変えるべく、生徒会長となる天祥院英智は実力者の5人を「五奇人」と名付け、自らユニット「fine」を組み、五奇人を倒していくことで学院の団結を図る。

全て3Dアニメで描かれるが、モデルが通常のゲーム内MVで用いられるものと異なり、アニメ専用のモデルが作成されている。通常のモデルと違いアウトラインがあることに加え、通常のモデルによるアニメはモーションキャプチャに基づいた物理演算によって瞬間的に生成されているが、追憶セレクション用のアニメーションでは、物理演算で生成されたアニメーションをさらに調整し、髪や、息を飲んだ時の表情などの細かい所の動きをさらにリアルに描写できるようにしている。ゲーム内のストーリーとは異なる点が少しずつあり、アニメーション単体で楽しめるようになっている。倒されてボロボロになりつつも、一生の友情を築くことができた五奇人と、五奇人を倒す為だけに情もなくfineに参加させられた日和と凪砂、本当の友達だと思っていたのに英知には利用されているとしか思われていなかったつむぎなど、目的を達成した後にバラバラになるfineの対比が皮肉的である。
2023/10/10(火) 04:48 No.2009 EDIT DEL
青山凜香 RES
一、『流浪の月』
この作品は他人から見れば少し変な、しかし本人たちは大変満足していた家庭が離れ離れになり、更紗 (さらさ)という10歳の女の子が、引き取られた伯母のどこか居心地の悪い家に帰ることを嫌がり、雨の公園で孤独に時間を持て余していた。そこに現れた大学生の文 (ふみ)は、少女の事情を察して彼女に家に来るか?と尋ねる。文の家でようやく心安らかな時を過ごし、初めて自分の居場所を手にした更紗。しかし2人が動物園へと出かけた時、文が誘拐犯として逮捕され、2人の束の間の幸せは終わりを告げる。15年後、恋人と同棲生活を送っていた更紗は、カフェを営む文と偶然の再会を果たす。という愛のかたちについて考えさせられる作品です。
私はこの作品を読み、他人から見たら歪で変な愛でも本人たちにとって満足である愛は存在するのだと学びました。型にはめて、これは型と違うからおかしいと声を上げるのではなく、愛の多様性を考えていくべきであると考えました。

二、 『私のIDはカンナム美人』

子供の頃から容姿のことでいじめられてきたミレ。好きな子に告白をしたことでさらにいじめが加速し、絶望する日々の中ある人に出会い、大学進学と同時に整形を決意。今までとは全く別人の美しい顔に生まれ変わる。
そして、新しい人生を歩きはじめたミレだったが、中学校の同級生・ギョンソクと再会し同じ学科に。彼は裕福な家庭に育った生粋の天然イケメン。ミレは自分の過去を知るギョンソクに、同級生であることや整形したことを秘密にしてほしいと口止めするが、実は中学生時代、家庭のことで笑えなくなっていた彼にとってミレは自分を笑わせた唯一の女の子で特別な存在だった。
物語は、美しくなっても自信がもてずに他人の目が気になるミレと、ありのままのミレを受け入れる完璧イケメン・ギョンソクの恋の行方を軸に、大学生たちの成長を描く胸キュン青春ストーリー。
私はこの作品を読み、愛は外見だけでは無くちょっとしたきっかけて育まれていくのだなと考えました。ギョンソクは見目麗しい子達が周りにいる中、自分を笑わせてくれたありのままのミレに恋しています。見ている人、運命の相手は顔にこだわらずとも自分のことを愛しているのだなと考えました。

三、『ガールクラッシュ』

勉強も部活もそつなくこなし、アイドルとしての才能もスタイル抜群の百瀬天花。なんでも上手にこなせるけど、恋だけはうまくいかない。そんなとき、KPOPが大好きな佐藤恵梨杏に出会い、そのひたむきな姿に天花もまた負けていられないと必死に食らいつく。少女たちの青春が詰まったKPOPスポ根漫画です。
優れた容姿、なんでもこなせてしまう器用さを持つ天花が人知れず努力し、自分を磨きあげる姿に元気が貰える作品です。
自分からは遠い存在のように思える天花が悩み、挫折するところが人間味を感じさせ、最初からのギャップで応援したくなるように出来ていると考えました。

四、『学園ベビーシッターズ』

突然の飛行機事故によって両親を亡くした鹿島竜一と虎太郎の兄弟は、同じ飛行機事故で息子夫婦を亡くした森ノ宮学園の理事長、森ノ宮羊子に引き取られることになる。 しかし、その条件は竜一が教師たちの子どものために作られた保育ルームでベビーシッターをすることだった。ひょんなことから始まったベビーシッター生活だったが、子供たちに癒されつつも楽しい毎日を送ることとなる。
私はこの作品を読んで、可愛らしい絵柄で赤ん坊特有のむちむちとした体の描き方が非常に上手く現れている作品でした。ただ可愛いだけでなく、虎太郎と竜一の絆が家族に対する特大の愛を感じさせられる作品だと思いました。

五、『12歳。』

大人でもない、子供でもない、微妙なお年ごろの小学生6年生・花日。担任の先生のキスを、クラスの男の子と偶然目撃したり、自分はまだなのに友達に先に生理が来て悩んだり。花日の友達の結衣は、イジワルしてくる男の子が気になるように。12歳の少女のピュアな悩みと初恋を描いた作品です。
私はこの作品を読んで、キスが不良のすることのように思えるシーンなど小学生ならではのうぶさや新鮮な感覚、そして初めて芽生える恋の模様がリアルに描かれた作品であると考えました。

六、『わたしに××しなさい!』

ケータイ小説家ユピナという裏の顔を持つ女子中学生氷室雪菜。人付き合いが苦手な雪菜が、「ラブ」のある小説を書くため不器用ながらも恋愛を体験するためと奮闘する姿を描く。
私はこの作品を読んで雪菜と時雨の不器用ながらもケータイ小説を媒介としながら愛を伝える二人の恋模様が巧みに表現された作品であると考えました。

七 『氷の城壁』

人と接するのが苦手で、他人との間を壁で隔ててしまう氷川小雪。高校では誰ともつるまずに1人で過ごしていたけど、なぜかぐいぐい距離を詰めてくる雨宮ミナトと出会う。孤高の女子・小雪、学校の人気者・美姫、距離ナシ男子・ミナト、のんびり優しいバスケ部員・陽太。どこかちょっとこじれた4人の、もどかしい青春混線ストーリー。
この作品を読んで男女四人を中心とした友情と恋愛、関係性の変化が痛いほど伝わってくるくらい丁寧に描かれている作品であると考えました。主人公だけでなく主人公の親友や周囲の人々にもスポットが当たり、それぞれの悩みがしっかりひとつひとつ描写されており、誰しも共感できる一面があるのではないかと思います。

八 『ある日、お姫様になってしまった件について』

孤児院出身で貧しい暮らしを送る主人公が目を覚ますと、かつて読んだロマンス小説「かわいいお姫様」の世界が広がっていました。
主人公は小説の内容と一致する世界で、オベリア帝国・皇帝の一人娘「アタナシア」に転生していた。
しかし小説のアタナシアは、実の父・皇帝クロードに見捨てられ、18歳で殺されてしまう悲運のキャラクター。
アタナシアに転生した主人公は、このままでは自分も小説のアタナシアのように殺されると考え宮殿から逃げ出そうと画策する。
最初はクロードに殺されないよう必死にもがく主人公の姿を応援したくなりますが、物語が進んでいくにつれアタナシアを愛しく思い、クロードなりに育てていく様子が愛をよく知らないクロードがアタナシアと触れて愛を知っていく過程が見られる作品であると考えました。

九 『なまいきざかり。』

バスケ部マネージャーの由希(ゆき)は、キャプテンの木戸(きど)に失恋し、部室で泣いているところを、後輩の翔(しょう)に目撃されてしまう。由紀の涙をきっかけに、クールな彼女の普段とのギャップに惹かれ、猛アプローチを開始する翔。強引な翔に振り回されるうちに、次第に由紀にも恋愛感情が芽生えてくる。学生時代の甘酸っぱい記憶を思い出させる、バスケを題材にした青春胸キュンストーリー。
素直になれない由紀と積極的な翔の恋模様が丁寧に描写されており、ひたすら面白くどこかくすぐったい恋を表す作品であると思いました。

十 『オオカミ少女と黒王子』

恋愛経験ゼロのエリカは、派手な女子グループについていくために虚構の彼氏像を作り上げては自慢話をしている見栄っ張りな女子高生。街で見かけたイケメンを盗撮し自分の彼氏だと見せびらかせていたのだが、なんとその男子は同じ学校に通う恭也だと判明。恭也に全てを打ち明け彼氏のふりをしてもらう承諾を得たのだが、その瞬間恭也はドSキャラに変貌し、交換条件として自分の犬になれと命じるのだった。
嘘を貫き通すために始まった交際関係ではあるが、だんだんと心が惹かれていく恋模様ががよく表されている作品だと考えた。

十一 『L♡DK』

この作品は、主人公の親友の萌が告白するシーンから始まります。その告白した相手は学校でも王子様として呼ばれていた久我山柊聖。しかし、王子と呼ばれるそのイケメンは萌の事を冷たくあしらい萌はフラれてしまいます。頭にきた葵は柊聖に文句を言いますが、あまり反省しているようには見えない柊聖でした。そんな中隣に引っ越してきたのがまさかの久我山柊聖。気まずい思いをしていた主人公ですが、ある時久我山柊聖の部屋から激しい物音が聞こえ、様子を見に行くと空腹で倒れていた。そうして世話を焼いているうちに学校で見せる姿と違ったギャップに気になり始める葵というラブストーリーです。
第一印象最悪から始まるこの作品ですが、人の意外な一面を覗くことでまた違った印象を抱く人間の多面性が伺える作品だと考えました。

十二 『PとJK』

高校1年生、所謂JKの本谷歌子は、親友の三門に誘われ22歳と年齢を偽って社会人との合コンに参加。23歳の佐賀野功太と出会う。合コンの帰り道に歌子と二人きりで話し、お互いに好印象で恋がはじまるかと思いきや、歌子が年齢を偽っていたことがバレてしまう。高校生だと知った功太は途端に態度が変わり、その場を去っていった。その後、再会するが、実は功太は警察官だったことが判明。再会しても冷たい態度のままの功太に歌子は傷つき、三門に心を慰めてもらった。三門と遊んでいて帰りが遅くなった歌子は変質者に襲われそうになる。そんな時、仕事中の功太が駆けつけ、変質者を押さえつけ歌子を助けた。功太に完全に恋に落ちてしまった歌子は、積極的にアタックし続け、思い切って告白するが再び断られてしまう。功太の仕事柄、未成年との交際には問題が生じるためだ。「だから結婚しよう」と、プロポーズされ結婚することに。身分の差に結婚してからも悩まされるが、それでもお互いの気持ちを信じ続けるラブストーリー。
この作品を読んで、現代的な身分差恋愛であると考えました。警察官という絶対に法を犯してはならない立場で女子高生との恋愛というスリリングな体験は想像がつきやすく、見る人をハラハラドキドキさせるのだと思いました。

十三 『メイちゃんの執事』

うどん屋を営む田舎の実家で穏やかに暮らしていた中学2年生の東雲メイが両親の事故死をきっかけに自身が実は大富豪「本郷家」の後継者であると知る。そして、一夜にしてお嬢様となったメイは、淑女教育を受けるためにメイ専属執事の柴田理人と共に、全寮制で究極のお嬢様学校である聖ルチア女学園へ入学する。これまでの生活環境とは全てが一変したメイが、苦悩しながらも、自身の立場や運命にひたむきに向き合い、困難を乗り越えて成長していく姿や、執事との恋愛模様を描くラブコメディ作品です。
学校では無理に明るく振る舞うメイに気付き、理人はメイに献身的に尽くす。人間は共感することで仲を深める生き物であると考えられる。誰しも悩みに寄り添ってくれる人に惹かれ、恋に落ちてしまうのだなと思いました。

十四 『となりの怪物くん』

主人公の水谷雫は、幼少期からトップの成績を取ることしか興味が無く、周囲から「ドライアイス」とあだ名をつけられるような勉強の虫だった。
雫は高校へ入学して間もなく、担任から席が隣同士だからとの理由で依頼されてプリントを届けたことがきっかけで、入学式当日に流血事件を起こし、停学処分解除後も不登校を続ける問題生徒である吉田春と知り合うことになる。
本当の友達がいないハルの思い込みや勘違いも手伝い、非常に気に入られ、迷惑しながらも雫はハルの世話を焼くようになり、やがてハルは登校を始めて2人の感情に変化が訪れる。
実は頭脳明晰だが、暴力的で奇行が目立つために友人を求めながらも孤立してきたハルと、成績こそ全てと優秀な自分を維持するために他人との関わりを排除してきた雫、不器用な2人が出会ったことにより、取り巻く人間関係もそれまでとは大きく変わっていく。
この作品を読んで一見正反対のように見える人が仲良くなれるのはお互いの欠点を補って凸凹を埋め合える関係が築かれるからなのだと考えました。何もかもが一緒なことだけが友達では無いのだと思いました。

十五 『オタクに恋は難しい』

この作品には2組のカップルが登場します。まず1組目のカップルは主人公の桃瀬成海が物語となる会社に転職したことから始まる。一見綺麗で仕事も出来るOLの桃瀬が上司の小柳花子に会社を案内してもらっている最中に幼馴染である二藤宏嵩と廊下ですれ違う。この時桃瀬がオタクなのを隠していることを知らない宏嵩はコミケと呼ばれる同人即売会の話題を出す。
オタクのこと隠していきたい桃瀬は口封じをしなければいけないと考え、二人は飲みに行くことになったのだ。そこで桃瀬が前の彼氏に自分がオタクであることがバレて振られたことを知る。その結果昔から桃瀬の事が好きだった宏嵩は自ら勇気を振り絞り告白し、付き合うことなった。
しかし、お互い恋人としての距離感を測りかね、妙にギクシャクしてしまう。しかし、周りの助けを得ながらオタクカップルとして幸せな日々を送る。
もう1組のカップルが小柳と樺倉である。この二人は高校の先輩後輩関係で、職場では上司と部下の関係である。この二人もオタクであるが、会社の同僚にはそのことを隠している。しかし桃瀬と宏嵩は二人が口論しているのを見てしまいオタクであることを知り、仲良くなっていく。
小柳と樺倉は犬猿の仲であると会社の中では認識されていたので、桃瀬も二人は仲が悪いと思っていた。桃瀬たちが喧嘩をしている時に、小柳と樺倉が仲裁しようとしたが、途中で小柳と樺倉口論となった。そのまま喧嘩が続くように見えたが、樺倉が小柳の事を下の名前で呼んだことにより、喧嘩は終わった。そして桃瀬は二人が付き合っていることを認識する。
どちらも難しい距離感の中何かのオタク同士カップルとなり、仲良く幸せな日々を送るところを見ることが出来る。
この作品を読んで、互いに意見の食い違いで喧嘩することやすれ違うことがあれど同じ趣味を持った仲間であるため、喧嘩も長引かず仲良いままでいられるのは強みであるなと考えました。同じ作品が好きな人は少なからず同じ趣向を持っており共感しやすい。共感は人間が仲良くなる第1歩の手段として有効であるため、同じ作品のオタクというのは強いなと思いました。

十六 『私がモテてどうすんだ』

自分の恋よりもイケメン同士が恋する妄想に夢中な花依は、大好きなアニメキャラが死んだショックで1週間も寝込んでしまったら…なんと激ヤセして、超絶美少女に!そんな花依を好きになってしまう同じ学校のイケメンたち――六見先輩、五十嵐くん、七島くん、四ノ宮くん。恋愛興味ナシなのにモテまくる花依だが、ついつい彼らをBL目線で見て妄想してしまい…。「イケメン同士のカップリングが好きなのに、私がモテてどうすんだ~!」悩む花依が出す、想定外の答えは何か。
この作品は、非常にテンポが良くコメディとして良いリズムだと思いました。しかし、「性格の良いぽっちゃりより、性格の良い美人が好きだ」など外見至上主義らしい発言が多々見られる作品だなと考えました。

十七『アオハライド』

主人公双葉が中学時代の初恋の人『田中くん』と再会したことをきっかけに、止まっていた初恋が再び動き出す。2人の甘酸っぱい恋模様とそれを取り巻く周囲の青春恋愛友情物語である。タイトルの『アオハライド』は、アオハル(青春)+ライド(ride)=「青春に一生懸命に乗っていく」という意味を込めた作者がつくった造語である。
恋、友情、家族をめぐって笑って、泣いて、怒って、二度と戻れない高校生の忘れられない青春を描く。
馬渕洸は少女マンガにありがちな、ギャグっぽい俺様系キャラクターではない。「俺だって男だ。何しちゃうか分かんない」と双葉を襲う素振りを見せつつも、基本的に最後まで及ばない。敢えて冗談っぽく言うことで、自分の気持ちが双葉にバレないように、自分の気持ちを抑えつけようとする。『アオハライド』は発行部数800万超の大ヒット作品ですが、この男性読者の鼻につかないスタイルの馬渕洸がそれなりに男ウケも良かったためではないかと考えられます。

十八、『約束のネバーランド』

孤児院「グレイス=フィールドハウス(GFハウス)」では、年長者のエマ・ノーマン・レイの3人を中心に、ママ・イザベラと共に子供たちは幸せな生活を送っていました。ある日エマとノーマンは、GFハウスは孤児院ではなく「農園」で、ここで育てられた子供たちが鬼に「出荷」されていることを知ります。
毎日行われていたテストも、脳を発達させてより美味しい状態にするためのものだったのです。そして次は最年長の3人のうち誰かが出荷されることを、エマとノーマンは知ってしまいます。実は敵だったママや自分たちを食べようとする鬼から逃れようと試行錯誤します。
それぞれの信念に従って行動する彼らと行く手を阻みながらも自分の過去に思いを馳せ結局さりげなく彼らの手助けをするママ。実はレイの母親であったこともあり、人とは情の捨てきれない生き物だなと考えました。

十九 『ハイキュー!!』

主人公は日向翔陽。彼は小柄な体格ながら、類まれなる運動神経と跳躍力を持っていた。
そして自分と同じように、小柄な体格でありながら、烏野高校のバレー部のエースであった『小さな巨人』に憧れを抱いていた。
その気持ちに押される形でバレーを始めた彼だったが、中学時代のバレー部には、彼以外の部員がいなかった。
どうにか、他の運動部員などの力を借りて公式試合に参加できたのは、中学3年生、つまりそれが彼にとって中学での最初で最後の公式試合だった。その公式戦で日向の前に立ちはだかったのが、本作のもう一人の主人公である影山飛雄である。影山は『コート上の王様』と呼ばれるほどの、天才的になセッターであった。しかし彼は、その傲慢な性格ゆえ、チームの輪を乱す原因ともなっていた。
だが日向のチームは、そんな輪の乱れた飛山たちのチームに惨敗を喫してしまう。
影山へのリベンジを胸に、日向は憧れの烏野高校に進学し、バレー部へと入部を果たす。
しかしそこにいたのは、事もあろうに影山の姿だった。
はじめは喧嘩し合っていた日向と影山は、しかし相手が、自分の才能を活かしてくれるのに欠かすことができない存在だと言うことに気が付く。
そしてふたりの連係プレーを武器に、個性豊かなメンバーが揃った烏野高校バレー部は全国制覇を目指していく。
この作品は主人公だけでなくサブのキャラクターにもしっかりと焦点を当てて、そのキャラの過去や信念、考え、それを踏まえた上での行動に納得がいくようにとても丁寧に描写されており、ヘイトが向きがちなライバルキャラにも愛着が湧いてしまうように出来ています。どのキャラクターにも愛があって、大切にしているからこそ読者にもその熱が伝染するのだろうと考えました。

二十 『チェンソーマン』

物語の主人公は、死んだ父親の借金を背負わされ、デビルハンターとして暮らす少年・デンジ。ひとりぼっちになった彼は怪我を負った悪魔と出会い、「お前を助けるから俺を助けろ」と契約を持ちかけます。こうして、犬のような見た目のチェンソーの悪魔・ポチタとタッグを組み、悪魔を倒してヤクザに借金を返す生活が始まりました。しかしある日、悪魔が出たと呼ばれた先で、デンジとポチタはヤクザたちの罠に嵌り殺されてしまいます。今度はポチタの方から「自分の心臓と引き換えに、デンジの夢を見せてくれ」と契約を持ちかけました。ポチタと融合し、自分たちを襲うゾンビの悪魔を殲滅したデンジ。
一足遅れて、公安のデビルハンターが訪れ、ここで殺されるか、自分に飼われるか選ぶよう告げます。餌はどんなものかと聞くデンジに彼女が提示したのは、デンジが夢見ていた朝食。こうして彼は、新たな生活への第一歩を踏み出すのでした。
この作品は今まで活躍していたキャラクターでも本当に呆気なく殺されていくので、驚くような展開が多かったです。それがこの世界の冷たさ、残酷さを際立たせているのだなと考えました。

二十一 『ブルーロック』

「最強のエゴイスト」という名にふさわしいストライカーを1名誕生させるため始まった「ブルーロック(青い監獄)」プロジェクト。そこに集められた300人の高校生が生き残りをかけてサッカーでバトルを繰り広げていく。脱落=選手生命の終わりを意味しており、今までなかったデスゲームの要素が加わった新しいスポーツ漫画となっており、ハラハラした展開から目が離せません。
デスゲーム要素によって引き出される選手の懸命な姿や引き出される感情が凄まじく、こちらも熱を感じてしまうほどでした。この熱さが読者の興味をひいているのだと考えました。

二十二 『光が死んだ夏』

ある集落で暮らす少年、よしきと光。同い年の2人はずっと一緒に育ってきた。しかしある日、よしきが光だと思っていたものは別のナニカにすり替わっていたことに確信を持ってしまう。それでも、一緒にいたい。
友人の姿をしたナニカとの、いつも通りの日々が始まる。時を同じくして、集落では様々な事件が起こっていく。
全体的にホラーテイストで不気味な印象を持ちましたが、得体の知れない何かであるはずなのに、よしきのことが好きでどうしようもない気持ちに感情移入してしまい危ない2人の行方が知りたくなってしまう作品だと思いました。

二十三『凪のお暇』

とにかく空気を読んでしまう人のお話。会社で経理を担当する大島凪は、場の空気を読みすぎていつも損な役回りばかり。頼まれると断れない凪の元には誰にでもできる仕事が集中し、会社では雑用担当の位置を確立してしまう。いくら仕事をこなせど評価されないばかりでなく、同僚の女子からは完全になめられ、それとない嫌味攻撃にあう毎日。そんな凪だが、同じ会社の営業部のエース・我聞慎二と密かに付き合っていた。皆の憧れである彼と付き合っているという事実が、凪の精神的な拠り所となっていたが、凪はある日営業部の一室で彼が同僚に「今の彼女とはアッチがいいから付き合っているだけ」と発言しているのを聞いてしまい、その場で過呼吸になってしまう。結局、会社を辞め、人間関係も今住んでいる場所も全て断捨離し、片田舎に引っ越すことにした凪。元手100万の残高で人生をリセットする、「空気読みすぎ系女子」のリアリティ溢れるコメディマンガです。
この作品は、現代に蔓延っている何となくモヤモヤした気持ちを上手く言語化されており自分に当てはめて読みやすいなと思いました。感情移入が非常にしやすいため読んでいて辛くなる場面もありましたが、少し現実に疲れた人がこの感情を抱いてるのは自分だけではないと思えるような作品だと考えました。

二十四『呪術廻戦』

運動神経が常人離れしている高校生・虎杖悠仁は、育ての親である祖父の「お前は強いから人を助けろ」という遺言を重く受け止めていました。そこに伏黒恵という青年が現れ、凶悪な呪いの王両面宿儺の指を返せと虎杖に言います。しかし、虎杖はその呪物をオカルト好きな先輩に渡してしまっていました。伏黒は呪物の回収をしに学校に向かいますが、呪物の呪いはすでに解け、学校は宿儺の指に群がる呪いだらけになってしまっています。
苦戦を強いられる伏黒。そこに駆けつけた虎杖は伏黒に「呪いを倒せるのは呪いだけ」という事実を聞き、宿儺の指を飲み込み自らが呪いとなることで、危機を脱することに成功しました。最強の呪い・宿儺になってしまった虎杖には2つの選択肢があると語る最強の呪術師五条悟。それは「今すぐ死ぬ」か「20本ある宿儺の指を全て飲み込んでから死ぬ」かです。虎杖は祖父の遺言を胸に、最強の呪いと共に死ぬと覚悟を決めました。
この作品も『チェンソーマン』と同じで呆気なく人が死んでいってしまうので読み進めるのが怖くなるほど衝撃的な展開が多いなと感じました。
また多くの人が亡くなっていくにも関わらず、飽きさせずに毎回毎回読者の印象に残るシーンとなるのはキャラクターをしっかりと深堀しているためなのだろうと考えました。

二十五『ちはやふる』

姉が日本一のモデルになることが夢である小学6年生の綾瀬千早は、転校生・綿谷新に「自分 のことでないと夢にしてはいけない」と諭される。そんな新の夢は、競技かるたで名人に なること。普段は大人しい新が真剣に札を払うその姿に衝撃を受けた千早は、幼なじみの真島太一も巻き込んでかるたの魅力に引きこまれていく。聴力に優れた千早の才能に、そしてかる たを一緒にできる友達ができたことに新は喜ぶが、卒業後はみな別の道を歩むのだった。それから4年後。高校生になった千早は、福井に戻った新がかるたから離れてしまったことを 知るが、それでも、かるたを続けていれば再会できると信じ、太一と2人、 瑞沢高校かるた部を設立する。
この作品はかるたで和歌という日本の文化に関わっているためか非常に言葉の使い方が巧みだと思いました。特に色の表現方法が美しくて、画面に花が咲くような作品だと考えました。

二十六『不滅のあなたへ』

何者かによって“球”がこの地上に投げ入れられた。その球体は、情報を収集するために機能し、姿をあらゆるものに変化させられる。死さえも超越するその謎の存在はある日、少年と出会い、そして別れる。光、匂い、音、暖かさ、痛み、喜び、哀しみ……刺激に満ちたこの世界を彷徨う永遠の旅が始まった。これは自分を獲得していく物語。
主人公は得体の知れない何か、という斬新な設定から始まる壮大な世界観を持った作品で、関わっていく人々の死などを経てやるせない気持ちを知る主人公など考えさせられるような作品だと思いました。

二十七『聲の形』

小学生の石田将也のクラスに転入してきた西宮硝子は実は、先天性の聴覚障害をもっていて、うまく言葉を聞き取ることや会話することができない。仲良くしようとする周囲の一方で、硝子を虐めてしまった将也。学級会が開かれる事態にまで発展し、責められた石田は逆にクラスからいじめの対象となってしまい、西宮も転校をしてしまい、二人は疎遠になってしまう。そして、時は流れて高校生となった将也。一度は自殺を考えて、過去の清算の為に硝子と再会するのだが、それを機に再び西宮との親交が深まり、次第に周囲の人間関係にも変化が生まれていく
いじめという問題から人と人の繋がり、接し方、どうすればより良い関係を築けるのかそういった問題について考えさせられる作品だと思いました。

二十八『暁のヨナ』

架空の国・高華王国を舞台に、父王を謀殺され都落ちしたヒロインの皇女が、自らに秘められた運命に導かれ旅をする貴種流離譚。 当初はナイト的立場の護衛に守られるだけだったか弱いヒロインが神託に従い四人の従者を探し求め、苦難を乗り越えるうちに心身ともに逞しく成長していく様が描かれている。
世間知らずだったヨナが旅をしていくうちにたくましく成長し、「私は何も知らないけど 阿呆のままいたくない」と己の弱さと向き合いながら泥臭く努力する姿に勇気づけられる作品だと思いました。

二十九『ヴァイオレットエヴァーガーデン』

4年間にわたる壮絶な大陸戦争で、かつて「武器」と称されるほど圧倒的な強さを持っていた少女兵ヴァイオレット・エヴァーガーデン。戦場で両腕を失い義手を付けることになったヴァイオレットは、戦争終結後、"自動手記人形"としてC.H郵便社で働くことに。常に彼女の心に中にあるのは、かつての上官・ギルベルト少佐。ヴァイオレットに言葉を教え、「武器」ではなくひとりの少女として扱ってくれた誰よりも大切な存在。ギルベルトが戦場で最後につぶやいた「愛してる」という言葉の意味がわからなかったヴァイオレットは、代筆の仕事を通してその言葉の意味を模索していく。
この作品は愛に対して、適当に恋愛をさせてハッピーエンドというわけではなく、毎話さまざまなかたちの愛を手紙を通じて知っていくという手法をとっており、非常に巧みで感動的な作品だと考えました。

三十『鋼の錬金術師』

エドワード・エルリックとアルフォンス・エルリックの兄弟は、幼いころに亡くなった母トリシャ・エルリックにもう一度会いたい一心で、錬金術において禁忌とされる「人体錬成」を行う。錬成は失敗し、エドワードは左足を、アルフォンスは全身を失ってしまう。エドワードは自分の右腕を代償にアルフォンスの魂を錬成し、鎧に魂を定着させ何とか一命を取り留める。身体と左足右腕を失った絶望の中、二人は失ったものを取り戻すため「賢者の石」を探す旅に出る。
兄弟は絶望と希望の狭間の中、それでも前に進んでいく。
この作品は登場するキャラクターほぼ全てにしっかりとした設定と伏線、魅了が盛り込まれていて、妙な後付けもなくストーリーの作り込みが非常に巧みであると考えました。
2023/10/10(火) 04:27 No.2008 EDIT DEL
二年佐藤希実 RES
1、『マイ・インターン』監督:ナンシー・マイヤーズ
 華やかなファッション業界で成功し、結婚してプライベートも充実、現代女性の理想の人生を送るジュールズ。彼女の部下にシニア・インターンのベンが雇われる。最初はベンを目ざといと感じるジュールズだが、いつしか彼の的確な助言に頼るようになる。40歳年上の彼が持つ豊かな人生経験が彼女のどんな悩みにもアドバイスをくれ、ジュールズの考え方も次第に変化していく。

本作ではベンを通して、若者の理想の職場の年長者、老人が描かれる。誰に対しても好意的で、気が遣えて、自分の知識をひけらかすこともなく、高圧的でないというベンは、若者の上司にしたい人物ナンバーワンの典型例のように描かれていた。興味深かったのは、その誰からも好かれる年長者は主人公の社長であるジュールズとはうまく行かない場面が序盤には多く描かれていた点にある。これは、経験豊富で好かれる年長者の存在が女性の立場をいとも簡単に揺らがしてしまうこととも直結しているように思える。実際に物語内ではベンとジュールズが出会って以降、ジュールズは新たなCEOを迎えるかの選択に悩み続けるのである。このCEOについては人物像が物語内では語られない。よってジュールズの立場を揺るがすCEOは間接的にベンの存在を写し出す効果があると考えられる。

2、『エスター ファーストキル』監督:ウィリアム・ブレント・ベル
前作『エスター』に続くシリーズ第二弾で、『エスター』の物語の前日譚である。父、母、兄、妹からなるオルブライト家の一人娘のエスターは4年もの間行方不明となっていた。ある日、エスターが見つかったという警察の知らせを受け、家族は4年ぶりに再会を果たす。

 この作品を作るにあたっての難しさはやはり前作の衝撃を下回ってはいけないという点にある。前作では不気味な少女が、実際の年齢が30歳であったという衝撃の事実がこの作品の不気味さを引き立て、ホラー作品としての不可欠な要素の一つとであった。しかしこの続編では、その事実は観客にとっては周知のものであり、この作品をホラーたらしめる要素が一体どこにあるのかが重要視される。結果として、この作品では、行方不明であった本物のエスターはすでに兄の手によって殺されており、母も共犯してエスターの死を隠蔽していたという主人公エスター(本名はリーナ)とは関わらない部分で、すでにこの家族は不気味であったことが明かされる。よってこの作品はエスターの狂気ホラーというよりも善良な人間の奥に潜んでいるかもしれない凶悪性を強調して描いたものだと言える。そして、この作品で注目したいのは何も知らない父親である。家庭に干渉しない、真に迎え入れられない父親像はホラー映画のみならず、現実世界でも存在が認められるものである。

3、『SHE SAID/シーセッド その名を暴け』監督:マリア・シュラーダー
 この作品は、ハリウッドの権力者である有名プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインがおよそ20年にもわたってはたらいてきた女性への性加害や暴力を暴いた二人の女性記者の回顧録をもとにした映画である。

日本でも現在、ジャーニーズの性加害問題がジャニー喜多川元社長の死後明るみになり、社名の変更や被害者への救済が行われているが、このような性加害が日本だけではなくハリウッドにもあったのだと観客に周知させる役割も担う作品だと感じる。
役者が事実を演じることで、新聞やニュースで間接的に事件を知るよりも事件に対して臨場感を得ながら性加害問題について考えることができる。ドキュメンタリー映画や本作がある意義はそこにあると考える。

4、『ときめきメモリアルGirls Side 4th Heart』(ゲーム)発売元:コナミデジタルエンタテインメント

本作はときめきメモリアルシリーズの特徴であったキャラクターのパラメーターによって攻略キャラたちの言動が変化する比較的自由度が高いシュミレーションゲームという形ではなく、ほとんどノベルゲームの仕様であったといえる。そのために、もらっていないプレゼントをもらったことにされていたり、してもいないデートをあたかもしたようになってしまったりといった会話の整合性が合わない場面が何度か出てくることになる。この部分に関しては、制作時のフラグ管理システムが未熟であったとしかいえない。また、メインの攻略キャラ枠である風真玲太に関しては、ストーリー内で最初から主人公に好意があるように描かれるが、システム上では彼の好意は他のキャラと同じに設定されている。このことはストーリーとシステムを乖離させる要素の一つとなっている。このようにストーリーとシステムが乖離した状態に置かれるプレイヤーはこの物語では蚊帳の外であり、決まったストーリー、もしくはイベントをこなし、エンディングを迎えるしかないという乙女ゲームでは必須とも言えるような没入感が極めて薄い作品になっている。しかし、この没入感の薄さは、乙女ゲームの入り口にもなり得る。少女漫画を読むような気持ちで乙女ゲームをプレイするというノベルゲームとシミュレーションゲームの両方を楽しめるものとなっていると捉らえることができる。

5、『バチェラー・ジャパン シーズン5』
 アメリカの恋愛リアリティ番組『The Bachelor』の日本版としてAmazon プライムビデオで放送される恋愛リアリティ番組以下;恋リア)である。
高校生が2泊3日で恋を見つける『今日、好きになりました。』や出演者の中に1人だけ恋をしない人物がいる『オオカミくん(オオカミちゃん)には騙されない』、シェアハウスに同居する男女6人の恋模様を映した『テラスハウス』など昨今、恋リアは幅広い年齢から支持される番組となっている。また、『推しの子』でも主人公の1人である星野アクアが恋リアに出演する、恋愛リアリティショー編が描かれた。
恋リアが支持される理由として現実と理想の間の恋愛が描かれていることが挙げられると考える。『バチェラー』シリーズで考えると、海外での豪華なデートやサプライズ、デート略奪など、理想的なシチュエーションと非現実的なハプニングがある一方で、出演する人物たちは役を演じるのではなく自然体に振る舞う現実の人物として演出される。平然と悪口を言ったり、愚痴を吐いたり、途中で帰ったり、感情的になったりする普通の人たちであるのだ。特に今回のシーズン5ではバチェラーが以前のシーズンのバチェラーとは違い、完璧な男性とは言えない方であった。同じ約束を2人の女性とし、片方の女性との約束を破る、顔に出やすく、誰に好意を持っているのかとてもわかりやすいなど、異例のバチェラーであった。しかし、矛盾しているように思えるが、バチェラーが最後に選んだ女性が最も意外であったのである。このような出演者が素人ならではの人間味のある突飛な選択と非現実的な環境、この2つの融合が、観客の求めるハプニングを生み出し、出演者の感情をより引き出してくれる要素になる、これが恋リアである『バチェラー』の魅力であると考える。


6、『マチルダ』(映画)監督:ダニー・デヴィート
インチキを絵に描いたような中古車ディーラー夫婦は、けたはずれの天才少女マチルダを授かる。しかし、マチルダは望まれて生まれた子ではなく、家庭ではぞんざいな扱いを受け、少女は大きくなっても学校に行かせてもらえない。それでも彼女はめげずに自分のことは自分でするなどしっかりと芯の通った子に育つ。しかし、やっと通えるようになった小学校では、不条理きわまる学校生活が待っていた。そんな中、彼女は怒りのパワーが超能力に変換されることに気づき始める。

 この作品では子供にとって理想的な大人であるミス・ハニーや図書館の司書のフェルプス夫人と理想的とは言えない、子供を嫌って虐待するため恐れられるトランチブル校長先生、マチルダに関心を持たないマチルダの両親、というように両極端な大人たちが描かれる。大人が子供にとってどうあるべきかというのがこの映画のテーマであると感じた。ここで描かれているのは『コクリコ坂から』で理想的な大人として宮崎吾朗が描いた徳丸理事長のように、作者のロアルド・ダールが子供たちに望む大人像のように思えた。
そして、主人公のマチルダが持つ天才という特徴の描き方に関しても非常に面白いと感じた。大概の物語では天才という特徴を持つキャラクターは高い自尊心から周囲の人間に対して傲慢に振る舞う姿が描かれる。しかし、マチルダは自分の賢さを周囲には感じさせることなく、いつでも謙虚な姿勢で描かれている。子供であるならなおさら自分の賢さをひけらかしそうであるが、マチルダはそのような典型的な天才の子供としては描かれなかった。ここに原作の『マチルダは小さな大天才』が児童文学としてもつ協調性という教訓がそのまま映画でも描かれているのだと感じた。

7、『マチルダ・ザ・ミュージカル』監督:マシュー・ウォーチャス
 ミュージカルの要素によってマチルダのアイデンティティである天才さが損なわれていると感じた。『マチルダ』ではマチルダが童話や小説以外にも新聞、法律書なども読むシーンや自分で近所の図書館を調べて通ったり、家の前にいる私服警官に気づいたり、両親の気付かないうちに養子縁組の手続きを済ませていたり、マチルダは勉学のみではない人生を生きる上での総合的な賢さを備えていることがわかるが、本作ではマチルダが、少し数学ができる想像力に長けた文学少女になってしまっていた。『マチルダ』では冷静でありながらも子供らしい表情を見せ、わかりやすい反抗はしていなく、マチルダがやったとは思われないように理不尽な大人を成敗していたが、本作ではマチルダが正面から大人たちに反抗をしていて、より感情的な人物という印象を受けた。そして、『マチルダ』と大きく変化したのはミス・ハニーの黒人設定である。ポリコレの影響を受けたものだと感じるが、これにより、トランチブル校長先生とミス・ハニーの親戚関係も説明ができない部分が生じるため、制作陣のキャラクター設定や、物語設定に対する考えがよくわからないと感じた。その他にも『マチルダ』ではトランチブル校長先生が心霊現象や迷信が怖いことを知ったマチルダが校長先生を成敗する時にそれをヒントにするのであるが、本作ではトランチブル校長先生がそのような心霊現象や迷信が怖いことが語られずに、心霊現象をマチルダが超能力で引き起こして成敗するため、物語としての整合性がうまくいっていないように思えた。

8、『ゆびさきと恋々』作者:森下suu
生まれつきの聴覚障害を持つ主人公の雪と海外を飛び回り色々な世界を見てきた逸臣のラブストーリーが描かれた少女漫画である。

日本語対応手話を動きのない漫画で表すことに挑戦した作品で、雪は手話以外にも筆談やスマホのメッセージ、口話で会話をしている。この漫画の特徴は雪が口話で相手の言葉を理解することを表現するために、雪が理解している会話は吹き出しの文字が少し薄く印字され、それ以外の聞こえていない会話に関しては一般的な濃さで印字されている点にある。これにより、雪が理解っている会話の内容だけを読んでいくと、大人数での会話はほとんどわからない、相手がマスクをしているときにはもちろん意思疎通ができない、自分に馴染みのない言葉は口話で理解することは難しいというような聴覚障害者の苦労を読者が間接的に実感することができる。また、雪が子音を間違えて理解したりするシーン(読者には間違えたことは後々分かる)は自然に少女漫画的シチュエーションに持ち込まれ、彼女の「間違い」が少女漫画として効果的に利用されている。

9、『月がきれい』(アニメ)監督:岸誠二
埼玉県川越市を舞台に、中3で初めて同じクラスになり、出会った水野茜と安曇小太郎が織りなす思春期の恋とそれを取り巻く人間ドラマ。

 登場人物たちのキャラクター性が濃くないのがこの物語の面白さである。主人公の小太郎と茜はどちらもおとなしい性格であり、付き合ってからもそのことは周囲に秘密にして、誰も来ない図書室で待ち合わせて喋るという一見、アニメ映えしないこの現実感が視聴者を世界観に没入させると感じた。また、茜のクラスの友達の心咲、節子、美羽の会話は、友だちになりきれないが、一緒にいるしかない女子たちの現実でも繰り広げられる会話で、小太郎が嬉しくなると自室の電気の紐を的にしてボクシングの真似をするシーンなどは口に出せない思春期ならではの行動のように思える。これらのように登場人物たちが学生時代の自分たちと似たような行動をとることが、本作の高い共感力の理由だと考える。

10、『ジョーカー』監督:トッド・フィリップス
 大都会の片隅で、体の弱い母と2人でつつましく暮らしている心優しいアーサー・フレック。彼はコメディアンとしての成功を夢みながらも、母親との生活の為、ピエロのメイクで大道芸人をして日銭を稼ぐ毎日を送っていた。しかし、町は彼には優しくなく、彼は日に日に追い詰められていく。

 主人公のアーサーが現代社会の闇に対抗できずに精神的に追い詰められていき、ジョーカーとなるまでの過程を終始、暗い描写で描ききっている。本作は原作と関連性はなく、完全に独立したジョーカーの物語となっている。アーサーの視点はアーサーが妄想癖のような病気を持っていたことにより不安定で、視聴者も騙されるなど、何が真実であるのかの見分けが難しい作品であるように感じた。アーサーは社会の中で非常に希薄な存在として描かれ、彼が引き起こした物事の詳細が語られないことが多い点からこの物語はすべて虚構なのではと考える。

11、『水曜日が消えた』監督:吉野耕平
幼い頃の交通事故がきっかけで、曜日ごとに人格が入れ替わるようになった青年。彼の中にある性格や個性が異なる7つの人格は、互いを曜日で呼び合っていた。そんな中、突然「水曜日」が姿を消し、一番地味な人格の「火曜日」が代わりに1日を過ごすことになる。その日を境に7人で過ごしてきた一週間に変化が起こり始める。

 1人の人間に人格が7つも存在し、曜日ごとにその人格が現れるという設定がとても興味深いと感じた。主に火曜日視点で描かれる物語である。火曜日は水曜日も生活ができるようになったとき、楽しむ一方で水曜日には大切な人がいたという事実に気づくのだが、最終的に月曜日1人になったときにも火曜日同様、月曜日も他の曜日にも大切な人や思ってくれる人がそれぞれいた事に気づき、結局は7人に状態に戻ることになるという話から、どんな性格でも根本的に感じる部分は変わらないということを感じた。この物語は主人公が小さい頃の事故で解離性同一性障害を持っているということを前提に話が進むが、近代詩の父と称されるボードレールが『悪の華』で近代人の精神的煩悶、孤独感などを表現したように、心のゆらぎや人格の多面性は誰にでもあることで、必ずしも自分が一貫性をもつ必要はないことを教えてくれる作品だと考える

12、『愛がなんだ』監督:今泉力哉
28歳のOLテルコは、一目惚れした男マモルを愛しすぎるあまり、すべてマモル最優先の日常を送っていた。そのせいで仕事にも支障をきたし、会社もクビ寸前に追い込まれる。しかしそれほど尽くしているのに、マモルにとっては彼女の存在は恋人ですらなかった。それでも彼女の思いは変わらず、マモルを最優先にして生き続ける。

 登場人物の殆どが自分の恋愛になると自分を客観視できなくなるというような男女間や同性間で起こる様々な不一致が淡々と描かれていた。本作ではそれぞれの不安定な愛を登場人物たちが追っていくストーリーであった。登場人物たちは一方通行の恋をし、自分の中の愛を自分たちで試すようになっていく。(呼ばれたらすぐに行く、相手の恋を応援するなど)なにが愛なのか、二人で持てなかった一人の愛はどうあるべきなのか、どうすべきなのか、自分にも置き換えて悩み考えたが、やはり愛が何かはわからない。テルコは最終的にマモルも覚えていないような呟いただけの本気ではない夢を自分が叶え、「マモちゃんの家族になりたい、ていうかマモちゃんになりたい」という願いに一歩踏み出すのである。この一般的には恐怖とも捉えられる行動すら、本作ではテルコにとっては確実な愛として描かれる。幸せと愛は必ずしもイコールにはならないのだと思う。

13、『素晴らしきかな、人生!』監督:デヴィッド・フランケル
ニューヨークで広告代理店を経営する男は、最愛の娘を亡くして失意に沈む。心配する同僚たちは彼の心を開くべく、3人の舞台俳優に彼の前で「愛」「死」「時間」という抽象概念を即興で芝居してもらう計画を立てる。年代も性別も異なる奇妙な3人に当惑しながらも、彼は徐々に変化を見せ始める。

 娘を亡くし、仕事も手につかず、何にもやる気が出ない主人公の前に「愛」、「死」、「時間」という抽象的な言葉が人になって現れたという設定が洋画らしいと感じた。本作で驚いたのは特典映像で監督が強調していたこの映画は寓話であり、クリスマス映画であるということだ。本作はクリスマス映画として日本でも有名な『ホーム・アローン』のように楽しくなれる、笑えるような話ではない。クリスマス映画の家族で見る楽しい映画という固定観念が覆された作品であった。この作品では終盤に「幸せのオマケ」というフレーズが繰り返される。私はこの「幸せのオマケ」がこの作品であり、映画であり、寓話であると考える。

14、『リトル・マーメイド』(映画)監督:ロブ・マーシャル
 この作品はポリコレの影響を強く受けた作品としてかなり厳しく評価されている。私はアリエルの人種が変わったことに違和感を覚えなかったわけではないため、アニメ版の人種と同じく、実写版も白人がよかったという世間の声も理解できないわけでは無い。特に日本人は人種としての見方というよりも、アニメと実写の間の変化(キャラクターに限らず、ストーリーも)に対してより敏感なため、批判が多いのだと思う。しかし、この作品はこのような社会問題の犠牲になった作品としてのみ考えるには非常にもったいないと考える。
私はアニメ版の『リトル・マーメイド』の声を失ったアリエルを見て、彼女の大げさすぎる表情からこのような女の子が現実にいたらかなり不自然だという印象をもった。このような表現が彼女を架空の生き物である人魚たらしめているのかもしれないが、やはり、実写版にするときには声を失った現実の人間があれほど顔を動かし、表情豊かであったら違和感しか生まれないように思う。よってハリーベイリーがおとなしい印象をアリエルに付与したことは彼女を現実世界で違和感のないもの、人間世界で淘汰されることのない存在にし、加えて新たな魅力を足したというとても良い表現のように思った。そして、最終的局面でアースラを倒すのがエリックではなく、アリエルとなっていたシーンについてもアニメ版からの改変のため、批判が多かった場面である。しかし、私はアニメ版では逆になぜ自らの恋を叶えるという理由で人魚の世界だけでなく、人間の世界までを巻き込む事件を引き起こした元凶となった不利な取引をして、自分で決着をつけずに、エリックに助けてもらうという形になったのか、この話で子どもたちに、観客に何を伝えたいのかが明確に理解ができなかった。女性が未来を自分で切り開くというメッセージを持たせたいのであれば、自分に責任がついてまわることをしっかりと表現した実写版のほうが伝わりやすいように思う。

15、『歪んだ窓』著者:山川方夫
 精神の病を患った妹の様子を見てもらおうと妹には医者だと隠して姉が連れてきた医者の男性と姉の関係を何も知らない妹が疑っていた。姉を守るためにフレンチナイフを持って待つ妹の元へ向かう医者と姉。

 ものの見方が状況、思い込みによって強く変化してしまうことを的確に表現していた。妹の視点、姉たちの視点、どちらか一方のみでは私達は判断が出来ずに、この物語で行われた事実を正確には知ることが出来ない。このことは作者の手によって情報が握られていることを示す。つまり現実社会においてのテレビや新聞のメディアやSNSの位置と関連付けられる。

16、『プラダを着た悪魔』監督:デヴィッド・フランケル
 ジャーナリストを目指してニューヨークにやってきたアンディ。オシャレに興味のない彼女だが、世界中の女性が憧れるファッション誌の編集部の仕事を手にしてしまう。そして、彼女のボス、世界中の女性の憧れである一流雑誌の編集長ミランダは、理不尽な要求と、膨大な仕事を突きつける悪魔のような女性だった。彼女のもとでの仕事をこなすため、オシャレには興味がなかったアンディが変化していく。

主人公のアンドレアと鬼のような上司のミランダを天使と悪魔のように描くが、(アンドレアは天使のような人間ではないが、ミランダの悪魔性が強いためにアンドレアは相対的に天使のようにみえる)この一見、対照的なこの二人は同じ面が多いことが語られる。着々と出世するアンドレアは仕事と恋人や友達(同僚)を天秤にかけなくてはいけない場面が増えてくる、そこでの決断がアンドレアを悪魔に変化させる。仕事とプライベートとの対立がアンドレアとミランダの双方にあることを知ることで、ミランダの悪魔性は本質的なものではなく、女性が仕事でトップに立つために必要な要素だと理解ができる(それでもアンドレアは過度に脚色されたキャラクターだと感じるが)。他者からは悪魔のように感じる非道な決断をしたアンドレアだが、ミランダのように悪魔性を強く持つことは出来ないためにファッション業界を担うようなトップにはなれないと観客は感じる。この感覚は未だに社会で人一倍強くいなくてはいけない女性の立場を表すと感じた。

17、『秘密』著者:平林初之輔
 行方不明になったはずの昔の恋人、浅田雪子から手紙が届き、男は久しぶりに会うことになる。妻、深尾みな子に内緒でホテルに向かう男は道中、妻を電車内で見つける。自分の手紙のことを知っているのだと憎悪を感じたが、彼女の様子がどうもおかしい。しかし、彼女も自分と同じホテルに入ったことから、彼女への疑いは確信に変わる。そしてホテルで再開した恋人には妻と同姓同名、家まで同じの女を紹介される。
 
男の、昔の恋人に会いに行くという行動への罪悪感や焦りの感情が妻を電車内やホテルの入口で見かけた時に一気に妻へ向かう憎悪という感情に変化するのがリアルで面白かった。男の妻は実は深尾みな子ではなく、本物の深尾みな子の家の店で雇われていた従業員の娘で、その従業員は殺人を犯し、刑務所に入れられていたが、地震により一旦解放され、戻ることなく脱獄囚となっていて、地震で深尾家が亡くなったことを聞き、深尾みな子の戸籍をそのまま娘の戸籍として届け出た。そして、本物の深尾みな子が生きていたことを聞き、夫を騙してしまった罪悪感から本物の深尾みな子への申し訳無さから妻は自死を選ぶ。そんな妻を疑ってしまった男も薬品を飲んで自死を試みるという妻や男を誰も責めるような人がいない中での究極のバッドエンドであったが、このような戸籍の問題は、ない話ではないように感じた。秘密を抱える夫婦の片方がその秘密を知ってしまった時、その秘密はお互いを死へ導くものであるのがいたたまれなく感じた。
 
18、『黒猫(THE BLACK CAT)』著者:エドガー・アラン・ポー 訳:佐々木直次郎
 優しい性格で動物を愛し、愛猫家でもあった男が酒によって黒猫のプルートォを虐待するようになり、ついには殺してしまう。その夜に火事が起こり、家は全焼するが、一部の壁には巨大な猫の形の痕が残っていた。そして、猫を殺したことを後悔するようになり、酒場でプルートォによく似た猫を見つけ、家で飼うようになる。記憶がないまま虐待を続け、また手に掛けようとしたときに今度は妻を殺してしまうのだった。
 
 猫に対する憎悪の気持ちが湧いてきた際の文章表現に今その場で行われているかのような臨場感があった。愛猫家であるエドガーが本作を書いたということが信じられないほどに、虐待をするまでの感情の不安定さがリアルに描かれていた。

19、『アリスとテレスのまぼろし工場』監督:岡田麿里
中学生の菊入正宗は、製鉄所の事故で、抜け出すことの出来ない町で日々を送っていた。ある日、同級生の佐上睦実に導かれて訪れた製鉄所で、狼のような少女と出会う。変化を禁じて時が止まったような町で、少年少女の間に芽生えた恋が世界の均衡を崩していく。

 思春期に感じる閉塞感を表現した世界観であると感じた。まぼろしの町で20年以上中学生のままで変化をせずに(心情の変化はもちろん起こる)過ごしているため、主人公の正宗や睦実は、もうすでに思春期ではないのだと思うが、前に進みたくても進めない、出たくても出られないこのまぼろしの町の状況はまさに思春期の心情の特徴と重なる。
そして、この作品の主人公正宗の矛盾に注目したい。正宗は睦実を嫌いだと言いながらも好きという感情を持つ矛盾を持つ。この好きと嫌いという感情の同居が正宗だけではなく、睦実にも五実にもある。この感情こそがキャラクターたちを、現実味を帯びた人間たらしめる要素であった。特に、最後の五実と睦実の別れのシーンでは、正宗に好意を持つ五実に対して、睦実は「正宗の心は私がもらう」と言い放つ。現実では大人になった自分と正宗の子供である五実に対して、嫉妬心のような感情を見せるのである。しかし、その後、現実では五実を待っている人たちがいると彼女を想う言葉をかける。それに対し五実も大嫌いとは言いつつも一緒にいたいという感情をあらわにする。誰かを好きなことさえ変化が怖くて言えない思春期の少年少女の抱える変化への悩み、矛盾した複雑な感情など、若者の心に焦点を当てた作品だと感じた。
 
20、『インサイド・ヘッド』監督:ピート・ドクター
普段は少女の頭の中の司令室で、彼女の幸せのために尽くすヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、カナシミという5人の感情たち。ところが引っ越しで環境が変わり、少女の気持ちが不安定になってしまう。司令室から吸い出されてしまったヨロコビとカナシミは、司令室に戻るため、思い出の詰まった彼女の頭の中を冒険する。

 人間の頭の中の感情たちが主人公という設定が斬新だと感じた。「イカリ」と「ムカムカ」は5つの感情の中で最も近しく、「ムカムカ」は「イカリ」の前段階のようにも思える。「ムカムカ」が存在する理由については精神的負担への回避の役割であると考えた。「イカリ」の感情は感情を対象物に向けるいわば感情の行動であるため、心にとても負荷がかかる感情であるが、その状態を極力回避するのが「ムカムカ」であると思った。そして本作の関連記事で興味深かったのは、日本人版を作成したら「恥ずかしい」という感情が5つの中に入るということだった。たしかに私も「恥ずかしい」の感情は日常の中にかなり優先的にあるように思う。しかし、言ってしまえば、主要な感情5つは人によって変わるため、『インサイド・ヘッド』の5つの感情もアメリカ人のステレオタイプの表象と言える。

21、『メタモルフォーゼの縁側』(映画)監督:狩山俊輔
 冴えない高校生活を送る17歳のうららは、アルバイト先の本屋で、BL漫画を堂々と買っていく老婦人・雪と出会う。夫に先立たれ、孤独な毎日を送る雪は、BLの意味も知らぬまま、きれいな表紙に惹かれて思わず手に取っただけだった。ところが、思いがけずBLに魅了された雪は再び本屋へ向かい、BLに詳しいうららと意気投合する。

 若者が読むBLに老婦人が熱中してしまうという展開が今までになく、面白かった。2人はBLを通じて友人となったが、この話は老人と若者が出る物語でよくある、若者が悩みを相談してアドバイスをもらう話ではないということだ。2人が話すのはほとんどBLについてであり、うららが抱える思春期の悩みはほとんど表に出されないし、雪への気遣いすら、雪へ気づかれないように行うのである。この2人の関係性はBLによってのみ繋がっているという一貫性がある作品であった。

22、『岬のマヨイガ』監督:川面真也
父からの精神的虐待に耐えかねて家を出た17歳のユイと、両親を事故で亡くしたショックで声を失った8歳のひより。2人は岩手県の狐崎で東日本大震災で被災し、避難所で不思議なおばあちゃん、キワさんと出会って岬に建つ古民家「マヨイガ」で暮らす。そこは“訪れた人をもてなす”という、岩手県に伝わる伝説の家であり、マヨイガとキワさんの温もりに触れ、2人の傷ついた心は次第に解きほぐされていく。そんなある日、「ふしぎっと」と呼ばれる優しい妖怪たちがキワさんを訪ねてマヨイガにやって来る。

被災と「ふしぎっと」と呼ばれる妖怪がでてくるというファンタジーの組み合わせにより、地震への気鬱とした気持ちを抱える被災地の人々への心の救いの映画になり得ると感じた。田舎のゆったりとした様子や豊かな自然がもつ包容力が被災地でありながら、明るい構成で描かれる。これらのことから本作はメディアミックスに成功した作品とも感じる。岩手を震災の町ではなく、落ち着ける土地であると描き、アニメの舞台となった聖地とすることで、岩手に訪れたいと思わせる、聖地巡礼の欲求を喚起させる効果が生まれると感じた。
そして、突然町を脅かす怪異「アガメ」との戦闘に展開が移動する。このように今まで現実観をもって、丁寧に描かれていたところから、バトルシーンかのごとく、現実とは大きく離れた強大すぎる「アガメ」との戦いが設定された。この違和感ともいえるシーンがある意味は、ユイとひよりの精神が前に進んだという明確な一歩が描きたかったからであると考える。ここにはユイとひよりが「なんでわたしばっかり」というような気持ちをずっと感じていたように街中の人々も暗澹たる気持ちを心にためていて、それを吸収しきったのが「アガメ」である。同じ気持ちを抱えていたから、街の人はユイとひよりに寄り添うことができたのである。そんな居場所をくれた街の人達全員に恩返しをするという意味合いもあると感じた。

23、『えんとつ町のプペル』監督:廣田裕介 原作:西野亮廣 
厚い煙に覆われ、空を見ることが忘れられた、えんとつ町で星の存在を信じ、実際に見ることを夢見る少年ルビッチとゴミから生まれたゴミ人間のハロウィン・プペルが星を目指し、町を飛び出す。

 絵本では語られなかった、えんとつ町の成り立ちに資本主義が関わっていたのが意外であった。絵本と映画では異なる点が多くあり、二人の関係性や星をルビッチがみるのか、街の人に見せるのかという点が異なっていた。まず、二人の関係性であるが、絵本では友人関係であったルビッチとプペルであるが、映画では二人は仮の友達という印象であった。友だちになった理由もお母さんを心配させないためであり、ルビッチはプペルを呼び捨てで呼び、気さくに話すが、プペルはルビッチをさん付けで呼んだり、敬語であったりして対等な友達には見えない。この変化に関しては、友達という関係性よりも、親子関係性の印象を強める意図であると考える。そして星に関しては、絵本では星をルビッチとプペルだけが見に行くが、映画では星の存在を町の人々に証明するために星を見に行く。この星の存在の証明も父の遺志の表明であると考える。本作は絵本では友情、映画では親子という2通りの絆を描いていた。

24、『フランケンウィニー』 監督:ティム・バートン
 ある日不幸な事故で、最高の相棒だった愛犬スパーキーを失ってしまった少年ヴィクター。その死を受け入れられず、ヴィクターは科学のカエルの実験で着想を得た“禁断の実験”でスパーキーを生き返らせてしまう。ヴィクターの実験を知った同級生たちが、次々にペットを蘇らせるが、失敗し、怪物が生まれてしまい、街は大騒ぎになる。

 死んだ生物を電気ショックのような実験で生き返らせるという点から倫理観がないといえる作品であるが、私は倫理観を理解するヴィクターの成長を描いた教育的作品だと思った。そして、スパーキーのみが怪物とならなかったことはヴィクターの純粋な心が関係していると感じた。スパーキーが生き返るという結末もスパーキーの死を理解し、受け入れることを選んだヴィクターの心から本当の願いを超自然的な力が叶えてくれるという童話的要素を持っていた。

25、『不滅のあなたへ』(アニメ)監督:むらた雅彦 作者:大今良時
フシは最初、地上に投げ込まれた“球”だった。持っていたのは「刺激を受けた物の姿へ変化できる能⼒」と「死んでも再⽣できる能⼒」。球から⽯、オオカミ、そして少年へと姿を変化させていくが、赤子のように何も知らぬままさまよう。やがて出会う人々に⽣きる術を教えられ温かい感情を知り、人間を模して成⻑していくフシ。宿命の敵・ノッカーとの壮絶な闘い、⼤切な人との別れの痛みに耐えながら自分の⽣き方を選びとり、⼒強く⽣きるフシの永遠の旅を描く。
フシは強い刺激(身体的、精神的痛みを含む)を受けるとそのものの形を写しとり、変身することができ、その能力を用いてノッカーという敵と戦う。フシがオオカミの姿で最初に出会った人間である少年(フシはこの少年の姿で主に描かれる)の最期の言葉である「僕のことずっと覚えていて」という言葉は彼の願いであり、この物語の根幹でもある。敵であるノッカーはフシのコピーした姿を奪い、奪われるとフシはその人物に関しての情報を思い出すことができなくなる。コピーした人物たちはフシの精神的刺激によって得たものであり、すでに死んでいる。そのために彼らが生きていた証を残すためにフシは戦う。本作で語られるのは死が生物としての死ではなく、忘れられたときであるということだ。フシと出会った人々が自然とフシの中で永遠に生きることを意識し、それを望み、死を厭わない姿が描かれるのが、生を渇望し医療を発展させてきた人間へのアンチテーゼであると考える。

26、『きりぎりす』著者:太宰治
 画家の妻の一人称で綴られる夫の変化への思い。妻は売れない画家の世話をしたり、切り詰めた生活の中でやりくりすることへやりがいを感じていた。しかし夫は妻のために売れよう努力をする。その結果絵は売れて、お金持ちになったのだが、それに伴い妻には不満が溜まっていた。

 始まりから、主人公の「私」が下手にでて意見を述べているように見えて、実は真っ向から夫が悪いという「私」の譲れない意思を感じる文章であった。この短い建前と長い本音で主人公が持つ人間臭い自己愛をリアリティをもって書いていた。

27、『夜の奇蹟』著者:牧野信一
 池部が冗談っぽく滝尾をモノマニアだと言うシーンが伏線となり、滝尾の顔色が悪いのも蔵に籠りっぱなしなのも勉強に対してモノマニアなのではなく、蔵にある亡くなった姉の人形に執着していたというのが意外な展開で驚いた。その滝尾の姿に雪江は心を奪われ、姉の人形にすり替わり、滝尾を待つという場面は、生気のない滝尾しか知らなかった雪江が、滝尾の生の部分を見たことで、滝尾に男性として興味を持ったということだと感じた。滝尾に人形のように扱われても構わないと言わんばかりに亡くなった姉の人形をバラバラにする最後は雪江が姉の人形やそれを作らせた母という家族を捨てることで新たな愛を獲得しようとするエゴイスティックなものであると考えた。

28、『デキる猫は今日も憂鬱』(アニメ)監督:工藤進、横峯克昌
仕事はできるが生活能力が壊滅的な会社員・福澤幸来は、ある日凍死寸前の仔猫を拾う。
諭吉と名付けたその猫はいつの間にか猫にあるまじき大きさに成長し、ダメなご主人様に代わって料理、洗濯、掃除、買い出し、ご近所付き合いなどあらゆることを完璧にこなす“デキる猫”になっていた。

 日常アニメでもあり、料理アニメでもあり、動物アニメ的でもある、癒やし要素を集めた作品であった。作画が特徴的で、人物は2Dで描かれ、人物以外のビルや車などは3DCGで描かれているが、全く違和感を感じせない。3Dを用いたアニメは批判が伴うことがあるが、日常系のアニメとは相性が良いことを感じた。

29、『愛してるって言っておくね』 原作:If Anything Happens I Love You 監督:ウィル・マコーマック、マイケル・ゴヴィア
いつものように学校へ送り出した娘が銃乱射事件の犠牲になり、受け入れがたい喪失感と深い悲しみに沈む夫婦。ひょんなことから娘の部屋のレコードが動き出し、それまですれ違っていた夫婦の心の旅が始まる。アカデミー賞を獲得した短編映画。

人影がその人の後悔や喪失感など内なる様々な心情を、形状を変化させながら表す役割をもっていた。最後はルビンの壺のように、亡くなってしまった娘が両親の影の間の真ん中部分に光となって現れ、両親を繋ぎとめることが出来たことを示していた。物語の根本とは関係がないが、挿入歌でking princessの「1950」が流れた。この曲は差別が酷かった1950年代の同性愛者の人たちの恋を歌っている。娘が亡くなった後の部屋においてあるレコードプレイヤーが、サッカーボールがあたった拍子に動きだし、この曲が流れる。この娘の部屋が夫婦に対して残したものは娘の心(娘は意図してはいないが、遺言のようなもの)であると思うため、この曲は娘が同性愛者であったことを示唆するものだと思ったが、娘の10歳の誕生日パーティーで男の子と思われる子と娘が恋をしているのがわかるシーンがある。それを踏まえると、なぜ両親を繋ぎ止めるきっかけの部屋でこの挿入歌が流れたのかが疑問になる。この疑問点に関しては考察しきれなかった。

30、『魔法少女育成計画』(アニメ)監督:橋本祐之
大人気ソーシャルゲーム『魔法少女育成計画』は、数万人に一人の割合で本物の魔法少女を作り出す奇跡のゲームだった。幸運にも魔法の力を得て、充実した日々を送る少女たち。しかしある日、運営から「増えすぎた魔法少女を半分に減らす」という一方的な通告が届き、十六人の魔法少女による命をかけた戦いが幕を開けた。

魔法少女が世界を脅かす悪とは戦わず(本作では主人公が立ち向かう悪は明確には描かれない)、魔法少女同士で戦うというこのアニメは魔法少女が単なる要素の一つとして見られたアニメであると感じた。何歳からでも、どんな人でも魔法少女になれるという特有の要素と常時魔法少女ではなく、なるためには変身する必要性がある要素により、現実では学生の少年少女、妊婦、子供といった社会的な立場が弱い存在が魔法少女として戦闘、人助けをする場合が多い。本作もそのような魔法少女設定、キャラクター設定が成されている。それらの典型の設定と戦いの融合により、命をかけた戦いの無慈悲さが強調されていた。


2023/10/10(火) 01:43 No.2007 EDIT DEL
三年 吉江 RES
夏休み課題

1:『【推しの子】』(アニメ)
原作:赤坂アカ×横槍メンゴ 監督:平牧大輔 制作:動画工房
「この芸能界せかいにおいて嘘は武器だ」。地方都市で働く産婦人科医・ゴロー。
ある日"推し"のアイドル「B小町」のアイが彼の前に現れた。彼女はある禁断の秘密を抱えており…。そんな二人の"最悪"の出会いから、運命が動き出していく。
この作品は、原作のストーリーの良さに加えて、初回を90分に拡大したり、公式がYouTubeやTwitterなどのSNSを上手く活用したことで話題になっていると思う。放送前、アニメ制作を最近「不調」や「ヤバい(悪い意味)」と言われている動画工房が担当することについてネット掲示板などでは批判的な意見も多く見られたが、制作側の熱意が伝わったのか、結果的には「動画工房が制作してくれてよかった」という肯定的な意見が多く見られるようになった。

2:『青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない』(劇場版アニメ)
原作:鴨志田 一 原作イラスト:溝口ケージ 監督:増井壮一 制作:CloverWorks
長年おうち大好きだった妹の花楓は、誰にも明かしたことのない胸の内を咲太に打ち明ける。「お兄ちゃんが行ってる高校に行きたい」。それは花楓にとって大きな決意。極めて難しい選択と知りながらも、咲太は優しく花楓の背中を押すことを決める。『かえで』から『花楓』へ託された想い。二人で踏み出す未来への物語。
アニメ『青春ブタ野郎シリーズ』のおよそ4年振りとなる作品だが、上映2日目である6月24日現在、前作と比較すると花楓の「高校受験」を中心とした日常が淡々と進んでおり、シリーズの特徴である「思春期症候群」がほとんど見られないため、ネット上では「前作に比べてインパクトに欠ける」、「え、もう終わりって感じだった」という意見が見られるが、「花楓がかえでに囚われなくなった」、「花楓の成長が見られた」、「EDが神」という肯定的な意見が圧倒的に多く見られた。自分は元々「日常系」の作品が好きなのでかなりハマったが、数年音沙汰ないまま待機し続けたファンからして、インパクトに欠けるという意見も頷けるが、個人的には好みだった。

3:『キルミーベイベー』(漫画)
作者:カヅホ 出版:芳文社 連載:まんがタイムきららキャラット
女子高生の殺し屋「ソーニャ」とソーニャにゴキブリのような生命力でつきまとう同級生である「やすな」、神出鬼没な忍者の「あぎり」の日常を描いたほのぼのとした学園バイオレンスコメディーである。
アニメ版は諸事情や売上面などから「キルミーベイベーは死んだんだ」と言われているが、漫画は売上面も悪くなく、絵柄も見やすい。内容としてはホラー要素が強い回もたまにあるが、基本的には3人の緩くてシュールな絡みが描かれている。

4『リズと青い鳥』(劇場版アニメ)
原作:武田綾乃 監督:山田尚子 制作:京都アニメーション
「希美」と過ごす毎日が幸せな「みぞれ」と、一度退部をしたが再び戻ってきた「希美」。中学時代、ひとりぼっちだったみぞれに希美が声を掛けたときから、みぞれにとって希美は世界そのものだった。みぞれは、いつかまた希美が自分の前から消えてしまうのではないか、という不安を拭えずにいた。
本作は『響け!ユーフォニアム』シリーズのスピンオフであり、希美とみぞれの二人を中心に描かれている。また、監督が山田尚子であるため、絵柄が劇画風になっており、最初はやや抵抗感があったという人も少なくなかったが、個人的には「リズと青い鳥」という絵本をモチーフとしている独特な世界観にあっていると感じた。また、競技を始めるのは遅かったが、実は天性の才能をもっており周囲の友人たちを追い抜いてしまうという、部活動の人間関係の崩壊にありがちなことが描かれていてジメジメとしたまま話が進んでいくのも良いと思った。

5:『響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』
原作:武田綾乃 監督:石原立也 制作:京都アニメーション
昨年度の全日本吹奏楽コンクールに出場を果たした北宇治高校吹奏楽部。
2年生の黄前久美子は3年生の加部友恵と、4月から新しく入った1年生の指導にあたることになる。全国大会出場校ともあって、多くの1年生が入部するが、低音パートへやって来たのは曲者揃いの4名だった。
今回から「後輩」という新たな立ち位置のキャラクターが多く登場し、また傍から見れば絶望的な後輩たちの人間関係を何とかいい方向に持っていくシーンが印象的だった。一番のお気に入りのキャラクターである川島緑輝が後輩を「面白い動物たち」という風に発言しているシーンをはじめてみた時は腹を抱えて笑った。また、約2時間で作中ではおよそ1年間が進んでいくため、かなりスピード感があり、見ている側の感情の起伏もより激しかったのではないかと思う。

6『響け!ユーフォニアム アンサンブルコンテスト』
原作:武田綾乃 監督:石原立也 制作:京都アニメーション キャラクターデザイン:池田晶子
新部長・久美子を待っていたのは、アンサンブルコンテスト、通称“アンコン”に出場する代表チームを決める校内予選だった。無事に予選を迎えられるように頑張る久美子だが、なにせ大人数の吹奏楽部であり、問題は尽きない。様々な相談に乗りながら、部長として忙しい日々を送っていた。部員たちがチームを決めていくなか、肝心な久美子自身はというと、所属するチームすら決まっていなかった。
本作からは「部長」として活躍する黄前久美子が描かれており、日々のミーティングで緊張したり面倒くさがったりという人間味が感じられるシーンが多かった。また、鎧塚みぞれの「窓を開けるのが上手でよかった」という台詞は自分が原作を読んでいないからか最初は理解することが出来なかったが、二回目に見た時には「窓」は「(心の)窓」を表していると勝手に結論付けた。また、前作に比べて部活の雰囲気が良くなっていることから久美子の努力も伺えた。

7:『僕の心のやばいやつ』(漫画)
作者:桜井のりお 出版:秋田書店 連載:週刊少年チャンピオン
市川京太郎は殺人にまつわる猟奇本を愛読する、重度の中二病男子。
同じクラスの美少女・山田杏奈をチラチラと見ては、ヤバめな妄想を繰り返していた。
そんなある日、山田が市川の聖域・図書室にやってくる。一人だと思い込み、大口でおにぎりを頬張ったり、機嫌よく鼻歌を歌ったりと、思うままに振る舞う山田。予測不能な行動を繰り出す姿に、市川は徐々に目が離せなくなっていき……。
狂った(フリをする)市川に対してホンモノの狂人である山田をぶつけるという、何とも言えない構図から始まるラブコメであり、前半ではシンプルにイカれた山田を見て一瞬中二病が収まりまともな思考を見せる市川が面白く、後半部分ではしっかりとラブコメをしていて面白かった。

8:『生徒会にも穴はある!』(漫画)
作者:むちまろ 出版:講談社 連載:週刊少年マガジン
私立藤成学園高等部1年生の 水之江梅 は、文系科目が超得意だが理系科目は壊滅的。 先生からの勧めで 生徒会 に入ることになったが、その生徒会には 尾鳥たん を始め、少し変わったメンバーが居て・・・。
正直あまり他人(特に女子)に進めるのが気が引ける作品である。具体的には下ネタが多いというか、基本的に下ネタで作品が進んでいくこと。しかし、一応はラブコメ要素があったり、またギャグ要素も非常に多いので読んでいて楽しい作品である。

9:『好きな子がめがねを忘れた』(アニメ)
原作:藤近小梅 総監督:工藤進 監督:横峯克昌 制作
クラス替えから3日。中学生の小村楓は、となりの席のめがねをかけた女の子、三重あいに惹かれている。ある日、めがねを忘れてしまい何も見えない三重さんを小村くんは必死にフォローするが、その距離間が近すぎて…?
本作は名前の通り、よくうっかりしてめがねを忘れてしまう三重さんと、そのフォローに回る小村くんの二人を中心にゆったりと進んでいくラブコメである。メガネユーザーとして現実的に考えれば、眼鏡を忘れることはほとんどないし、忘れても特に誰もフォローなどしてくれないというか、フォローのしようがない部分であるのでこんなこと有り得ないというのは分かっているが、だからこそ眼鏡ユーザーに刺さる、夢を見させる作品であるのかと思う。

10:『好きな子がめがねを忘れた』(漫画)
作者:藤近小梅 出版:スクウェア・エニックス 連載:月間ガンガンJOKER
前記の原作である漫画版だが、アニメ版では背景などの書き込み量がかなり多い作品となっているのに対し、こちらは非常にシンプルで見やすくなっているので、個人的にはアニメよりも見ていて疲れないなと感じた。

11:『ゾン100〜ゾンビになるまでにしたい100のこと〜』
原作:麻生羽呂 監督:石田雄介 制作:SHAFT Animation Studio
上司からのいびりと終わらない残業。 心身をすり減らしながらただひたすらに働き続ける会社員は、ある日突然始まったゾンビの増殖をきっかけに、生きる喜びを取り戻すことになり…。
これから社会人になることも相まって、ブラック企業×ゾンビという異色の組み合わせに心惹かれて見始めた。主人公たちが絶望的な状況の中でも目標を決めて前向きに生きていく姿が印象的だった。がっこうぐらし!などとは異なって、不安な要素や鬱要素があまりない、あっても一話内で解消されることが多いので見ていて楽しいと感じる作品だった。

12:『エロマンガ先生』(アニメ)
原作:伏見つかさ 監督:竹下良平 制作:A-1 Pictures
一年前に妹になった彼女は、全く部屋から出てこない。そんなある日、衝撃の事実が正宗を襲う。彼の小説のイラストを描いてくれているイラストレーター『エロマンガ先生』、その正体が、なんと妹の紗霧だったのだ!一つ屋根の下でずっと引きこもっている可愛い妹が、いかがわしいPNで、えっちなイラストを描いていたなんて!?『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』をしのぐ魅力的なキャラクターが多数登場!ライトノベル作家の兄と、イラストレーターの妹が織り成す、業界ドタバタコメディ!
本作は作品名だけ見るとかなりいかがわしい作品ではないかと思われるが、中身は真っ当である。本作のOPはClarisが担当しているが、映像も含めて中毒の高いものとなっている。またこの作品の全体の作画自体から受ける印象は正直普通であるのだが、ヒロインの紗霧に関しては終始可愛く描かれていたと思う。

13:『葬送のフリーレン』(アニメ)
原作:山田鐘人 アベツカサ 監督 斎藤圭一郎 制作:マッドハウス
魔王を倒し王都へ凱旋した勇者ヒンメル一行。各々が冒険した10年を振り返りながらこれからの人生に想いを馳せる中、エルフのフリーレンは感慨にふけることもなく、また魔法探求へと旅立っていく。50年後、皆との約束のためフリーレンは再び王都へ。その再会をきっかけに、彼女は新たな旅へと向かうことに。
史上初となる、金曜ロードショーから始まるアニメ作品ということで以前から大々的に宣伝されていたので視聴したが、ここ最近のアニメの中で一番面白いと感じた。長命であることでも知られるエルフと比較的短命な人間を描いた作品は過去にもあったが、この作品はシリアスな部分とギャグ要素のバランスがとても良いのでとにかく見ていて面白い。また金曜ロードショーで放送するという試みに加えて声優の豪華さ、音楽を担当するのは『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のエバン・コール氏、監督は『ぼっち・ざ・ろっく』の斎藤圭一郎であるなどこの作品への熱意が凄まじいことが伺える。

14:『葬送のフリーレン』(漫画)
作者:山田鐘人 アベツカサ 出版:小学館 連載:「週刊少年サンデー」
アニメの続きを待っていられなかったので翌朝に本屋さんに駆け込んで今出版されている11巻全てを購入した。アニメの作画が良かったが、漫画の作画の方も凄く読みやすく、また世界観に忠実な絵であると感じた。主人公=最強級であるが主人公≠最強格ではないことや、戦闘も実力差があっても機転次第でどうにかなる、そもそも戦闘よりも人間との関わりに焦点を当てているので、読んでいて頭が疲れないのでサクサクと読めるのが良い所であると思う。正直言って、もっと早く読み始めれば良かったなと後悔するくらいに自分好みの作品だった。

15:『ご注文はうさぎですか?』(アニメ一期)
原作:Koi 監督:橋本裕之 制作:WHITE FOX
この春から高校に通うべく新しい街にやってきたココア。道に迷って偶然喫茶ラビットハウスに入るが、実はそこが彼女が住み込むことになっていた喫茶店だった。ちっちゃくてクールなチノ。軍人気質なリゼ、おっとり和風な千夜、気品あふれる庶民派シャロと全方位的なかわいさの登場人物に、チノの同級生マヤ&メグ、常連客の青山ブルーマウンテン先生も加わって、ラビットハウスは今日もすべてがかわいい!
最初に断っておくとチノは「うるさいですね…」とは作中で一度も言っていない。それはさておき、本作の魅力は公式にもあるように「すべてがかわいい!」ことである。萌えアニメ、きららアニメの代表格とも言える「ごちうさ」。OPからEDまですべてに萌え要素が詰まっており、OPの歌詞も「こころぴょんぴょん」というフレーズから始まっていて、またきららジャンプが無くともきらららしいOPとなっている。特にチノは小柄ながらもクールな性格な中学生という分かりやすい萌えキャラとなっている。しかし、アニメ三期では若干声が変わった(声優は水瀬いのりさん続投だが)という意見もネット上では見られるが、可愛さは健在であるので個人的には問題ない。

16:『あそこではたらくムスブさん』
作者:モリタイシ 出版:小学館 連載:「月刊少年サンデー」
あらすじ 湘南ゴム工業株式会社で、営業担当として働く砂上吾郎くん。 彼が密かに想いを寄せるのは、総合開発部のムスブさん。 そして、可憐な理系女子・ムスブさんが日夜研究しているのは・・・。
概要だけ見ると「かなり下ネタが多そう」、「卑猥なのでは?」という作品であるが、いざ読んでみるとそんなことは一切なく、むしろそういったことに直接向き合いつつも下ネタにはしないという素晴らしい作品である。

17:『ワールドトリガー』(漫画)
原作:葦原大介 出版:集英社 連載:週刊少年ジャンプ
未知なる力を持つ「近界民」の襲撃に対抗すべく設立された界境防衛機関“ボーダー”。 その末端に所属する三雲修は、偶然知り合った「近界民」空閑遊真)と幼馴染である雨取 千佳と共に三雲隊を結成、「近界」への遠征部隊加入を目指すべくボーダー内部のランク戦を勝ち抜こうと奮闘していた。
本作は知名度と作品の面白さが釣り合っていない、特に以前は釣り合っていなかったというほど面白い作品である。バトル漫画だが、主人公が弱いというジャンプらしからぬ部分と、弱さを努力と頭脳と仲間との絆でカバーするといジャンプらしさを持った作品である。また、「作者は本当にこの世界に住んでいたのでは?」と錯覚させるほど細かい部分まで考えられており、読み手に戦闘力の極端なインフレや矛盾点を感じさせない見事な作品である。

18:『とらドラ!』(アニメ)
原作:竹宮ゆゆこ 監督:長井龍雪 制作:J.C.STAFF
生まれつき鋭い目つきが災いして、まわりには不良だと勘違いされている不憫な高校2年生の高須竜児は、高校2年に進級した春、新しいクラスで一人の少女と出会う。彼女は、超ミニマムな身長の美少女でありながら、ワガママで短期、暴れ始めたら誰にも手が付けられない通称“手乗りタイガー”と呼ばれる逢坂大河であった。
放送から比較的年月の経った作品であるにも関わらずラブコメアニメのランキングでは上位常連の作品である。その理由はいくつかあるだろうが、個人的に一番大きいのは「テンポの良さ」であると思う。一度見始めたらとにかく止まらないほどサクサクと見れるので、取り敢えず見てみると人気の高さにも納得すると思う。

19:『ペンと手錠と事実婚』(漫画)
原作:椹木伸一 作画:ガス山タンク 出版:白泉社 連載:「ヤングアニマル」
中年刑事、切鮫鋭二は、とある事件で声を出さない不思議な女子高生、梔子鶫に出会う。事件の真相をド下手な絵で次々に明らかにしていく鶫に驚く切鮫だったが、突然、鶫から求婚される。
感想としては『掟上今日子』と『アリバイ崩し承ります』を足して割ったような作品。個人的には面白いと感じたが、この手の漫画は唐突に連載終了することが途轍もなく多いので、綺麗な終わり方を望む。

20:『からかい上手の高木さん』(漫画)
作者:山本崇一郎 出版:小学館 連載:「月刊少年サンデー」
「今日こそは必ず高木さんをからかって恥ずかしがらせてやる!」。とある中学校、隣の席になった女の子・高木さんに何かとからかわれる男の子・西片。高木さんをからかい返そうと日々奮闘するが…?そんな高木さんと西片の、全力“からかい”青春バトルがスタート!
概要だけ見るとこっちが照れるような作品だが、中身もそのままラブコメ。この作品の変わっている部分としてはスピンオフで「二人の結婚生活」が描かれている事であると思う。つまり過程はどうあれ、スピンオフが夢オチでさえなければこの二人は100%くっつくのだ。NTRなどが苦手な自分でも安心して読むことが出来る作品となっている。

21:『からかい上手の高木さん』(アニメ)
原作:山本崇一郎 監督:赤城博昭 制作:シンエイ動画
アニメも人気が出たため、1~3期+劇場版とかなり続いている。アニメ化にあたって舞台となったのは香川県小豆島となっているので、ファンによる聖地巡礼が流行っているらしい。また、声優にも恵まれている。

22:『怪物事変』(アニメ)
原作:藍本松 監督:藤本雅也 制作:亜細亜堂
古来よりこの世の影に潜み、人に見つからぬよう、人と関わり合って生きる“怪物”という存在。彼らの多くは人間の世界に適応し、社会に交じり生活していた。しかし現代では、人と必要以上に深く関わろうとするケースが多数報告されるようになっていた。探偵事務所を営む隠神は、そんな“怪物”たちが起こす怪事件のうちの一つを追い、片田舎のとある村を訪れる。そしてそこで夏羽という少年に出会う。
主人公が子供であり、登場人物も曲者揃いかつ作品全体を通じて独特な世界観となっているが、比較的見る人を選ばない万人受けしやすい作品であると思う。

23:『けいおん! highschool』
作者:カキフライ 出版:芳文社 連載:「まんがタイムきらら」
唯たちが卒業して、ただ一人軽音部に残り、部長となった中野梓は、梓を助けるために入部した平沢憂と鈴木純、新しく入った1年生の斉藤菫と奥田直のメンバーで、新バンド・わかばガールズ(命名は山中さわ子先生)を結成、活動をスタートした。
『けいおん!』の梓たち在校生組の後日譚。あずにゃん、憂ちゃん推しの自分には需要しかない作品。憂ちゃんが天才児かつ魅力的であることを再確認できる作品となっている。

24:『けいおん! college』
作者:カキフライ 出版:芳文社 連載:「まんがタイムきらら」
4人揃ってN女子大学へと入学した唯たちは、入学式で知り合った和田晶、林幸、吉田菖の3人と一緒に軽音部に入部することになった。「放課後ティータイム」は、すでにバンドを組んで活動していた晶たち3人の「恩那組」とライバル関係になり、互いに切磋琢磨(?)していくこととなる。こうして、唯たちの新たなる大学生活が始まった。
『けいおん!』の唯たち四人の後日譚。正直蛇足という意見も多いが、唯ちゃんが大学で一人暮らしをするにあたって、生活面などに不安を感じているファンはこの一冊を読むことで解消されるだろう。

25:『動物のお医者さん』(漫画)
作者:佐々木倫子 出版:白泉社文庫
高校3年の冬、西根公輝(愛称・ハムテル)が帰宅途中、地下鉄への近道としてH大学獣医学部解剖学教室の横を通り過ぎた時、足元にいた般若のような顔をした子犬に気づいた。子犬はアフリカの原住民のような奇妙な扮装をした教授が捕獲し、連れ去ろうとしていた。ハムテルは思わず教授に「その仔犬、実験に使うのでは」と声をかけた。教授は、ハムテルに矢継ぎ早に質問を投げかけながら、ハムテルが仔犬ににふさわしい飼い主なのかどうか見極めていた。
本作は獣医を目指す主人公の成長譚である。専門的な用語もかなり多いが、知り合いの獣医さん(出身大学も主人公と同じ)曰く「結構現実的」であるので読んでいて勉強になるとのこと。獣医志望でなくとも、動物が好きであれば楽しむことが出来る作品となっている。

26:『かってにシロクマ』(漫画)
作者:相原コージ 出版:双葉社 連載:「漫画アクション」
グズでのろまでちょっと間抜けなシロクマの『シロ』は、母ちゃんとすべてに抜け目のない弟・大ちゃんとの三人家族。 厳しい自然界で生き抜くために母ちゃんは、二人の息子にいろいろと教えるのだが……。
本作はアニマルギャグ漫画であり、特に勉強になる要素やハマる要素もないのだが、何故か定期的に読んでしまう作品となっている。特に意味深な最終回に関しては色々考察されているなど、不思議とクセになる部分が多い作品である。

27:『らんま1/2』(漫画)
作者:高橋留美子 出版:小学館 連載:「週刊少年サンデー」
早乙女乱馬は、幼少の頃より無差別格闘流の修行に励む高校生。ある時、修行のため中国へ渡ったが、父・早乙女玄馬と共に悲劇的伝説が伝わる泉が多く湧く修行場「呪泉郷」で稽古中に、父の玄馬は熊猫溺泉に、乱馬は娘溺泉に落ち、それぞれ水をかぶるとパンダと女の子になり、お湯をかぶると元の姿に戻るという変身体質を背負ってしまった。
今でこそ「トランスジェンダー」を扱った作品だとか言われているが、そんな小難しいことやポリコレなど気にせずに読んだ方が圧倒的に面白い。作品としての完成度が極めて高く、子供から大人までとても楽しめる作品となっている。

28:『星屑テレパス』(漫画)
作者:大熊らすこ 出版:芳文社 連載:「まんがタイムきらら」
人とのコミュニケーションが苦手な女子高生の小ノ星海果は自称宇宙人の明内ユウと出会い、なんと宇宙を目指す約束をする。そして副学級委員長の宝木遥乃や不登校気味の雷門瞬たちとの出会いの中でロケットを作ることになり─。
本屋で立ち読みした時は「ハルヒっぽい・・・?」と思ったが、いざ読んでみるとちゃんと「きらららしい」と思わせる作品だった。アニメ化が決定しているのでそちらも楽しみである。

29:『ウチは別れて暮らしてる』(漫画)
作者:カワハラ恋 出版:講談社 連載:「モーニング」
離婚した妻と数年ぶりに再会した。「コイツはもう他人」以前より魅力を増した元妻・千歳を前に、自分にそう言い聞かせる武文だったが、うっかり一緒に飲みに行っちゃって、今夜はもうちょっと一緒にいたいなァとか思っちゃったところに、とんでもない事実が発覚する。
『未熟なふたりでございますが』の作者であるカワハラ恋が描いているということで読んでみた。離婚から始まるラブコメというのは中々珍しいと思ったが、それ以外は真っ当な王道ラブコメであるので抵抗感なく読み進めることが出来た。

30:『終末なにしてますか? 忙しいですか? 救ってもらっていいですか?』(アニメ)
原作:枯野瑛 監督:和田純一 制作:サテライト ・ C2C
地上を正体不明の怪物である〈獣〉たちに蹂躙され、人間を含む多くの種族が滅ぼされた後の世界。かろうじて生き残った種族は地上を離れ、浮遊大陸群と呼ばれる空飛ぶ群島の上に暮らしていた。500年後の空の上で目覚めたヴィレム・クメシュは、守りたかったものを守れず、それどころか自分一人だけが生き残ってしまった絶望から世捨て人のような生活を送っていたが、思いもよらず始めた兵器管理の仕事の中で、ある少女たちと出会う。
作品名だけ見ると「何だろう・・・?」という印象だが、中身はまさかの感動もの。戦って死ぬために存在する妖精兵器である少女と、時代に取り残された主人公の二人の恋模様などが描かれる。鬱要素や胸糞悪い部分もあるがそれを含めて良作である。
2023/10/10(火) 01:31 No.2006 EDIT DEL
キム・ヨンジュン MAIL RES
21.物語シリーズ
『友達を作れば人間強度が落ちる』と主張し落第生で問題児である本作品の主人公・阿良々木暦は吸血鬼である。高校3年生の春休み、伝説の吸血鬼であり怪異の王・キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードとであい吸血鬼となった。それ以来、色んな怪異と遭遇することになり、その影響は周囲にも及ぼすことになる。はたして阿良々木暦は人間に戻り高校を無事卒業することが出来るだろうか。
本作品は怪異とという不思議な存在と出会った一人高校生が様々な怪異と遭遇して起きる出来事を描いた作品である。毎回、新しい怪異が登場するため話数によって違う話の展開となって面白さをましていた。この作品は小説を原作として作られた作品である。小説の発売順でアニメを制作したが、原作の方は作中の時間帯の順序がバラバラに混ぜっている。そのため伏線を回収しながら見る面白さもある。制作会社独特の演出方法のおかげで怪異という奇怪な現象をより強調しながら作品の魅力を上げていると私は思う。

22.デス・パレード
ある二人は見知らぬ場所で目を覚ます。ここまで来るまでの記憶は曖昧でなぜ自分たちがこの場所で目を覚ましたのか分からなかった。そんな二人の前に白髪の謎の男が現れる。その男はここは「クイーンデキム」というbarで自分をバーテンダー「デキム」と紹介した。そしてこれから二人はゲームをしてもらうと誘う。しかし、そのゲームはデスゲームであり、ゲームが進むほど二人は曖昧であった記憶がどんどん思い出すことができた。実はこの二人はすでに死んでいてこのゲームの結果を「裁定者」であるバーテンダー「デキム」が裁定して地獄行きか否かを裁定してもらうことになる。ゲームの中で人間の本性が明らかになり自分の罪を見つめることになる。
本作品は人間世界とあの世の間に存在する裁定所「クイーンデキム」に訪れた死者の二人が生前の罪を見直し裁定してもらいこれからの行き先を裁定してもらう話である。しかし、その方法が二人のデスゲームで行うため公正とはとても言えないのがこの作品の魅力であると思う。罪と公正、この二つから生まれる矛盾を視聴者たちも一緒に考えることによって作品に夢中になれる要素として作用しているところがこの作品の魅力の一つであると私は思う。

23.恋は雨上がりのように
女子高生の中で陸上短距離有望株であった本作品の主人公・橘あきらは練習中の事故によってアキレス腱断裂という負傷を負い長い間走ることが出来なくなった。かなりのショックを受け途方に暮れていた橘は春雨は降っていたある日、偶然訪ねたファミリーレストランでそこの店長・近藤正己と出会う。雨やどりのため訪ねた橘に近藤はサービスとして温かいコーヒーと親切を与える。その優しさに心を奪われた橘がコーヒーを飲みほした頃、すでに外は晴れていた。その後、橘はそのファミリーレストランでアルバイトを始め28歳の年上の近藤への愛を少しずつ育んでいく。
本作品は夢を失い落ち込んでいた女子高生がある雨の日に訪ねたファミリーレストランでそこの28歳年上の店長に恋をしてしまい、その切ない話を描いている作品である。私が初めてこの作品を見たときには大人と高校生の恋物語というところで少し拒否感があった。しかし、実際見てみると普通の恋愛物語ではなく女子高生が店長への片想いの物語であり、店長の方はその姿を見るたびに自分の若いころを追憶し中年の歳にあらたな感情を学ぶ、感情線を細かく描写した物語であった。作画も綺麗でストーリも充実しているためまるで自分が恋をしているような感覚になる作品であった。

24.たまこまーけっと、たまこラブストーリー
うさぎ山商店街にある餅屋の娘・北白川たまこは、お餅と、生まれ育った商店街のことが大好きな高校1年生である。商店街が特に忙しくなる年末に突然、高飛車な一匹の鳥がやってくる。人の言葉を話すその鳥は、ひょんなことからたまこの言えに居候することになる。穏やかな日常を送っていたうさぎ山商店街の人たちはある日訪れた騒がしく不思議な鳥と一緒に騒がしい一年を送ることになる。
本作品は京都アニメーションが制作した日常系アニメーションである。なんの特別なことは起きなさそうな平和で普通な商店街に正体不明の人の言葉を話す不思議な鳥が訪れたことによってたまこの日常はいつもとは違いいろんな出来事が起こるようになる。その鳥は自分の国の王子の結婚相手を探すためにやって来たという。ありふれた日常の物語が人の言葉を話す鳥の存在によって普通ではなくなり飽きずに見やすい作品である。そして、この作品は続編があり、たまこと幼馴染である大路もち蔵とのラブストーリーを描いた作品がある。二人の家は彼女らが生まれる前からライバルの餅屋であり、そんな家柄の中で生まれた二人はいつも一緒であった。いつも一緒であったため感じることが出来なかった感情へと徐々に素直になり最後は付き合うことに成功する。このようにギャグ、日常、ラブコメ要素が混じり合った面白い作品であると私は思う。

25.月刊少女野崎くん
どこにもいる普通な女子高生「佐倉千代」16歳、彼女はある男子生徒に恋をしていた。その男子生徒は背が高くて印象はやや怖い「野崎梅太郎」16歳である。ある日、佐倉は勇気を振り絞って告白するのだが、緊張をしたせいかうまく思いを伝えることができず、なぜかサイン色紙を渡されてしまう。さらに言葉の撮り間違えから野崎の家に誘われた佐倉は、突然マンガの原稿を渡されマンガのアシスタントをさせられる。実は野崎は月刊マンガ雑誌で連載中の人気少女漫画家であった。日ごろから野崎のマンガを楽しく読んでいたが、そのマンガの作家が野崎であったことに驚きを隠せなかった。その後も野崎のマンガの手伝いをしながら佐倉は自分の気持ちを何とかして伝えようとする。
本作品は定番と言っても過言ではないラブコメジャンルの作品である。この作品の魅力と言えば勘違いから始まった二人の協力関係から生まれる出来事を面白く描いているところである。また、主人公の二人以外にも様々な魅力的なキャラクターのシナジー効果もあるためより作品を魅力的にしていると思う。

26.よふかしのうた
ある理由で毎晩眠れない日々が続いているコウは、ある夜こっそりと一人で外出をする。深夜、皆が眠りについている時間帯、いつも見ていた景色が一変しまるで別の世界に来たような感覚を味わっていたコウは吸血鬼の美少女である七草ナズナと出会う。コウは自由で楽しそうなナズナの姿を見て自分も吸血鬼になりたいと頼むが、それには吸血鬼に恋をする必要があった。しかし、コウは恋というものをしならい。恋を知らない不眠症の少年コウははたして自由奔放で意外と純粋な一面を持つ吸血鬼ナズナに恋をして吸血鬼になれるだろうか
本作品は夜でしか活動しないという特殊な条件の中で物語が展開していくため幻想的な雰囲気をだしているのか魅力である。学校にも行かず夜には眠れないコウの視点で夜でしか感じることができない不思議な気分、空気などを美しい背景作画で表しているため見る目も楽しかった。

27.声の形
小学校6年生である石田将也は退屈なことを一番嫌いな活気あふれる性格の男の子である。毎日友達と一緒に退屈さをなくすためにクラスメイトに意地悪くするなどの日常を送っていた。ある日、将也のクラスに西宮硝子という女の子が転校してきた。硝子は先天性の聴覚障害をもっていて、うまく言葉を聞き取ることや会話することが出来なかった。自己紹介の時にはノートに文字を書いてクラスメイトたちに仲良くなりたいという意思を伝えた。しかし、そんな硝子を変な子扱いし好奇心と退屈さをなくすため彼女を虐める将也。そのせいで学級会が開かれる事態にまで事が大きくなり、その場で責められた将也は逆にクラスメイトからの虐めの対象となり、硝子は転校をしてしまう。時はながれ高校生となった二人は偶然再会し、過去の清算のために将也は硝子と親交を深まろうとする。
本作品は小学生や小さい子供の間でよく起きる虐めという現象の被害者と被疑者の二人の再生物語である。将也は小学生の頃の事件以来クラスからはぐらかされ高校生のころ一度自殺を試みる。しかし、いざ自殺をしようとしたら過去の過ちを公開することになり硝子に罪滅ぼしのために親交を深める。そうすることによって次第に周りの人間関係も変わり将也は内面的な成長を遂げる物語である。本作品の魅力は聴覚障害者の苦しみや苦労をうまく表現したということである。それによって周りの反応や現状を上手く描いて見ている側を作品の中に引き込ませるのが一番の魅力である。

28.あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。
5年前までにはいつも仲が良かった6人の幼馴染たちは超平和バスターズという自分たちのグループ作りいつも冒険やくだらない遊びなどをして楽しく過ごしていた。しかし、ある日、グループの一人である本間芽衣子が事故によって死んでしまい他の5人は次第に距離が遠くなり超平和バスターズはバラバラになってしまう。グループのリーダー格であった宿海仁太はその事件で挫折をし登校を拒否し引きこもりになってしまう。ある日、仁太の前に死んだはずの芽衣子が現れる。幽霊として仁太の前に現れた芽衣子は仁太の目にしか見えない。仁太は芽衣子を成仏させるために芽衣子の願い事を手伝うことになる。その願い事は超平和バスターズが再び仲良くなり昔のように戻ること。そのために仁太の人生は少しずつ変わっていく。
本作品は死んだはずの友達が幽霊として現れ成仏させるために今までの自分を変化していきながら昔の関係を戻そうとする物語である。この作品の一番の魅力はやはり「感動」である。トラウマを抱えていたのは仁太一人だけではなかった他の4人も各々思うところがあり、そのせいで彼らの時間は5年前のあの頃に止まっていた。しかし、幽霊として現れた友達の願いを叶い成仏させようと努力し昔のあの頃に戻ろうとするストーリーが実に感動的であった。涙を流したいと思っている人にはぜひおすすめする作品である。

29.D.P
いつもバイトをしながらお金を稼いでいる本作品の主人公・アン・シュノ。彼は家庭暴力を振る舞う父親とは仲が悪く母親とは気まずい関係である。ある日、突然アン・ジュノは軍隊へ入隊することになる。厳しい基礎訓練を終え配置された部隊は憲兵団。しかし、そこは上官は暴力を振る舞いそれが当たり前のようになっている憲兵とは思えない場所であった。ある日、上官の目についてしまい部隊内で脱走した脱走兵を捕まる軍人「D.P(Deserter Pursuit)」として任務をすることになる。脱走兵には色んな事情があり、虐めを耐えられず脱走をしたり、家の家族が心配で脱走するなど理由も様々である。しかし、アン・ジュノはそのような彼らを捕まらなければならない立場である。色んな脱走兵を追い続けながら彼は今まで知らなかった自分の感情と内面的な成長をしていく。
本作品は韓国の昔の軍隊の実態を批判しつつ今現状もなおよくなったとは言えない韓国軍隊の実情を表している作品である。主人公のアン・ジュノはそのような軍隊の中での生活耐えられず脱走を試みる兵士を捕まる兵士という設定であるため色んな事件をど真ん中から見れるところがこの作品の魅力の一つである。私は兵役の義務を終えているためすでに経験済みではあるが、私が勤務していた部隊は作中のように酷くはなかった。しかし、今現在も脱走兵が完全になくなったのではないため、その理由ももう一度考え直す必要があると私たちに伝えているような作品であった。

30.とらドラ
生まれつきの鋭い目つきが災いして、まわりには不良だと勘違いされている本作品の主人公・高須竜児は、高校2年に進級した春、新しいクラスで1人の少女に出会う。 彼女は、超ミニマムな身長の美少女でありながら、ワガママで短気・暴れ始めたら誰にも手が付けられない通称“手乗りタイガー”と呼ばれる逢坂大河であった。ある日、竜児はタイガーから自分が好きな人であり竜児の親友である北村祐作に告白するための協力を頼むことになる。逆に竜児の方からはタイガーの親友である櫛枝美乃梨に告白するための協力を頼むことになる。こうして学校で不良と呼ばれる二人は互いの恋の手伝いのために一時的な同盟関係を結びながら学校生活は始まる。
本作品はラブコメアニメーションの教科書と呼ばれるほどラブコメアニメーションとしての要素がしっかりと入れ込まれている。そのため、ありふれた作品のように感じるかもしれないが独特な人間関係の構図や心理描写、事件を基に作品の魅力を増していると思う。10年も過ぎている作品でありながらアニメーションファンたちの中で何度も言及されるほど作品の完成度はラブコメアニメーションの中でも高い方であると私は思う。
2023/10/10(火) 01:19 No.2005 EDIT DEL