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4年 清水
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春期休暇課題11~20
11.『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』(映画)
監督:畑博之 制作P.A.WORKS 公開日2025年1月17日
CDショップで聴いたことのないミクの歌を耳にした星乃一歌。彼女はモニターに、見たことのない初音ミクを見つけ、思わず声を出す。その声に驚いたミクは、一歌と目が合ったものの、ほどなくして消えてしまう。後日、路上ライブを終えた一歌のスマホに、以前見かけたミクが姿を現す。寂しそうに俯くミクに話を聞くと、“想いの持ち主”に歌を届けたいが、その歌が届かないという。ライブで多くの人に歌を届ける一歌を見て、彼女のことを知れば自分も歌を届けることができるのではとミクは考えやって来たのだった。ミクの願いに「私でよければ」と一歌は微笑み答える。
アプリゲーム「プロジェクトセカイカラフルステージ!feat.初音ミク」をオリジナルストーリーで映画にした作品。アプリに登場するすべてのユニットが登場する。「セカイ」についての説明は特段何もなかったが、それぞれのユニットが「セカイ」に飛び込む姿は描写されており、それぞれの「セカイ」を象徴する初音ミクも登場するため何も知らない人でも、「セカイ」がどういうものなのか、“想いの持ち主”とは何を示すのかがわかるようになっていると感じた。
“想いの持ち主”に歌を届けることができないミクは、黒い服装、黒い耳飾りと暗い感じが強く他の「セカイ」のミクと比較してどこか未完成といった印象を受けやすい。彼女の「セカイ」も扉は錆びつき、空は真っ暗で砂が積もり荒廃しているように描かれている。このような描写は彼女の「セカイ」が閉じた状態であり、“想いの持ち主”も負の感情に浸食されていることを視覚的に表現していると考えられる。宙に浮く扉から砂が出る場面や、ミクが黒い鎖に巻き付かれているような描写もこれに該当すると考えられる。
本作の重要な要素である各ユニットの歌は映画館という環境もあってどれも素晴らしかった。そのうえで各ユニットの「セカイ」と違わない印象の曲調であり、全く知らない私でもこのユニットはこんな感じの歌を歌うのかとイメージが付きやすかった。
12.『ソードアート・オンライン アインクラッド』(ライトノベル)
※1~2巻、8巻の短編エピソードを含む
作者:川原礫 イラスト:abec
2022年、人類は完全な仮想空間を実現した。それを元に発売された一本のゲームソフト。≪ソードアート・オンライン≫、通称SAO。世界初となるVRMMORPGの世界をプレイヤーたちは存分に楽しんでいた。ログアウト不能であることが発覚するまでは。製作者の茅場昌彦からは第100層までクリアすればログアウトできること、SAO内でHPを全損すれば現実世界でも死ぬという事実が告げられる。いち早くこの真実を受け入れたプレイヤー・キリトはソロプレイヤーとして攻略を開始する。
原点にして頂点の物語。アニメとは違い、最後の二週間から物語がスタートしている。これは元々アインクラッド編自体を長めに書こうという姿勢ではなかったことが影響していると考えられる。キリトとアスナの関係性が熟しきっている頃合いであり、いがみ合う二人が描写されないことが少し残念だった。この頃にはキリトの安全マージンをとってのソロ攻略が確立されている。その一方で紆余曲折を経て血盟騎士団に入団となったときには「ソロ攻略も限界が来ていたから…」という発言があり、どこかのタイミングでパーティー攻略に切り替えた可能性が高いと考えられる。彼がギルドに所属しないことにこだわる理由は、一年ちょっと前のトラウマと自身の出生が深く関わっていると思われる。目の前で人が消える恐怖や自身が見ている人は本物なのかという問いを拭い去れないことで距離を置いていたが、アスナがキリトを守る側と宣言したことで彼の懸念は少し和らいだのではないかと考えられる。
ゲームをしていると私たちも「死ぬ」という単語を口にするが、SAOでの「死ぬ」は重みが違いすぎると感じる。二年という長い時間ゲームに囚われているがそこには不透明なタイムリミットも存在しており、アスナの発言からはタイムリミットを迎えることは戦って死ぬことよりも辛いことと捉えていると考えられる。ほかにも、キリトとアスナがこの世界に慣れてしまった結果、現実世界のことを思い出さない日があることも語られている。死に関する発言や現実世界という単語から、ゲームの世界だと頭では理解しているが、VR世界への慣れや現実の死を迎える引き金がゲームでの死であることが、現実とゲームの境界線を曖昧にしているとも感じた。
13.『ソードアート・オンライン フェアリィダンス』(ライトノベル) ※3~4巻
作者:川原礫 イラスト:abec
SAOから生還を果たしたキリト。しかし、SAOにて結婚し恋仲となったアスナは未だ目覚めずにいた。見舞いに行った病室でキリトはレクトスタッフの須郷伸之と明日奈の間で縁談が持ち上がっていることを知ってしまう。失意に沈むキリトだったが従妹からの励ましによってなんとか立ち直る。その後、エギルから一枚の画像が送られてくる。そこに写っていたのは鳥籠のなかで座るアスナらしき人影だった。アスナを救うためキリトは≪アルヴヘイム・オンライン≫に挑む。
キリトのヒーロー性や、直葉との関係の修復がテーマとしてあるように感じた。キリトはSAOから多くの人を救った英雄ではあるものの、現実世界ではゲーム好きの高校生であり特別強いわけではない。そのことはキリトも自覚的であり、アスナを救う過程でもその事実に打ちのめされ心が折れそうになっている。しかし、そんなキリトをアスナは「私にとって君はいつでもヒーロー」だと語る。この点からはキリトは強いプレイヤーではあるがどんな敵も倒す万能さは持っておらず、他人と共闘し、救い、変えるヒーローであることを示していると考える。
従妹との関係性はキリトが自身の生い立ちを知ったことで拗れていったが、その修復は現実とVRの両方で行われる。キリトに対する想いを現実世界で話した後、VR世界での戦闘によって本来の関係を取り戻すという形式だが、これはVR世界での人格が現実世界の延長にあることが大きく影響していると考えられる。行っているのは現実世界では語れないことをネットで発散するのと同じことであり、長い期間話し合えなかった二人が本音で語るのに最適な方法であったと思われる。桐ヶ谷和人/キリトとして、桐ヶ谷直葉/リーファとして、接し話す姿はVRでの人格が現実の延長であること、現実では見せない抑圧された部分の解放の証明であり、SAOというシリーズの根幹にも関わる重要な要素だと考えられる。
14.『ソードアート・オンライン ファントムバレット』(ライトノベル) ※5~6巻
作者:川原礫 イラスト:abec
SAO事件から約一年。キリトは総務省仮想課の菊岡から奇妙な依頼を受ける。それは、銃と鋼鉄のVRMMO≪ガンゲイル・オンライン≫にて発生した死銃事件の捜査であった。死銃に撃たれたものは現実世界でも死に至る。仮想世界が現実世界に物理的に及ぼす影響に疑念を抱くキリトだったが、≪GGO≫へとログインする。手掛かりを掴むべく不慣れなゲーム内を彷徨うキリト。彼に手を差し伸べたのはスナイパーの少女・シノンだった。彼女の力を借りたキリトは死銃と接触するために全ガンナーの頂点を決める大会バレット・オブ・バレッツに参加する。
過去を受け入れてどう乗り越えていくかに大きな焦点が当たっていると感じた。キリトとシノンの二人に共通するのは人を殺した過去があること。二人ともその幻影に苦しめられていることまで共通している。そんな二人が《GGO》で渦巻く事件を調査する中で過去と向き合い、成長していく様子が丁寧に描写されている。
シノンは過去の出来事によるPTSDを克服するために《GGO》にログインしているが、ゲーム以外の使用方法があることを示すのは次のエピソードへの準備であったのではないかと考える。
個人的に死銃の腕に刻まれたエンブレムを目にした瞬間、震えるキリトが好きなのだが、その姿からはトラウマに怯える普通の高校生のように見える。ここから彼にとってはゲーム内での人殺しが軽くない事実であり、SAO時代が良くも悪くも善良なプレイヤーであったことの証左であると考えられる。
この章の核である事件を追う中で過去の出来事に向き合う二人は自分の行動を悔いているというより、その選択が正しかったのかという部分に悩まされている。個人的には殺す以外の選択肢が存在したのではないか、そんな自分がのうのうと生きていてもいいのだろうかという問いこそが向き合うということであり、考え続けることなのだと思う。終盤ではできなかったことを悔いる方向に考えがちではあるが、それによって救われた人や命があるという事実が描写されており、向き合う中で広く視野を持って自分に対話していくことが重要なのだと感じた。
15.『ソードアート・オンライン マザーズロザリオ』(ライトノベル)※7巻
作者:川原礫 イラスト:abec
ある日、アスナはリズベットから奇妙な噂を聞く。新マップ《浮遊城アインクラッド》、その第24層主街区北部で自身の持つ《オリジナル・ソードスキル》を賭けた決闘を行っているプレイヤーがいるというのだ。あのキリトすら打ち負かした《絶剣》と呼ばれるプレイヤーにアスナも挑むも、紙一重の差で敗北してしまう。しかし、《絶剣》は決闘が終わるやいなや、アスナを自身のギルドに誘い始めた。キリトに勝利し《絶剣》と呼ばれるほどの剣技。そこにはある秘密が隠されていた。
主人公キリトではなく、ヒロインのアスナを軸に彼女の精神的な成長とユウキの生き様を描いたエピソード。これまでのアスナは芯が強く、キリトを支える存在として描かれてきていた。その一方で他人と衝突しそうになると自分の意見を言わずに相手を立てようとする克己心が強すぎる面が垣間見えていた。これはアスナの家庭環境に依存する問題として書かれている。アスナの母親は教育熱心であり、自身が考えるアスナのための最良のレールの上を走らせてきた。アスナ自身も幼いころからそれに従ってきたため、母親に意見することがない歪な親子関係であった。そしてアスナがSAOに囚われた2年間で従属的な親子関係の歪さはさらに加速したと考えられる。アスナは母親に対して思うことはあるが、言っても聞き入れてくれないという考えから反抗的な態度をとるようになり、母親はゲームに浸る娘が自身の考えるレールに戻ってきてくれないことに恐怖し、VRを遠ざけようとする。
そんな本音を互いに言わない関係を変えたのが《絶剣》である。VR世界で多くの時間を過ごした彼女は自分のやりたいようにやるが信条であり、アスナの周りを立てるとは対照的なスタンスである。そんな彼女がアスナに放った「ぶつからなきゃ伝わらないことだってあるよ。例えば、自分がどれくらい真剣なのか、とかね」はSAO屈指の名言であり、アスナを大きく変える起爆剤とも言える。VR世界で多くの時間を過ごし、自分を貫いてきた彼女だからこそ重みをもつ言葉だと考えられる。
アスナが母親と語り合うために22層の森の家を選んだのは、現実で言えないことがオンライン上であれば口に出してしまえることや人格そのものは現実の延長であることが関係していると考えられる。アスナにとってもう一つのリアルであり、知ってもらいたいというのもあるだろうが、現実で抑圧している想い、考えは別の場所だと曝け出せることが多い。現実だろうが、ゲームだろうが目の前にいる人物は同一であり、現実の延長でもあるため、そこに区切りがあるようで実はなかったりする。SAOから続く現実とネット上での人格の線引きはここでも書かれていると個人的には感じた。
本エピソードで語られたユウキの生き様はアスナ以外の多くの人にも影響を与えたと思われる。とある事情からダイブしている時間が長いユウキは自分のやりたいことをやるという信条を全うしており、VRから去るとなった時には多くの人が駆けつける。これは現実に戻っても同じであり、彼女のもとには多くのプレイヤーが駆けつけていた。己を貫くその生き様が多くの人を惹きつけ、現実で問題を抱える人に勇気を与えることができたと考えられる。それと同時にゲームと現実での関係性は続いていることも描かれていると感じる。
16.『ソードアート・オンライン アリシゼーション』(ライトノベル)※9~18巻
作者:川原礫 イラスト:abec
《ルーリッドの村》で育った少年・キリトは、幼馴染のユージオとともに巨大な黒樹・ギガスシダーを倒すという天職を背負っていた。今日も巨木を倒すべく斧を振るっていると、幼馴染のアリスが手作りのパイを差し入れにやってくる。昼食のさなか、3人はおとぎ話にでてきた《果ての山脈》の洞窟へと遠出することを決める。世界の掟である禁忌目録に違反しないか不安がるユージオに、キリトとアリスは大丈夫だと口々に言う。そして出発の日を迎え、果ての山脈に行く3人。そこで彼らが目にしたのは信じがたい光景だった。
これまでのエピソードで話に出ることがあったものの、そこまで触れられることがなかったAIについて真正面から語られた。特に現在の我々の生活で存在しているトップダウン型のAIではなく人の思考回路、魂を模して完成したボトムアップ型のAIについての問題提起がされている。特に人と大差ないAIをどのようにとらえるのかというのがアリシゼーション全体では問われているのではないかと考える。UW内ではキリト以外のすべての人々がAIであり、しかしその知性や会話の円滑さは人間と遜色ないレベルである。これについてキリトは「AIであるのかもしれないが、その世界で生きる人々のようにしか思えない」といった印象を抱いている。しかし、UWを創った開発者たちは軍事転用可能なAIという考え方であり、この点からAIを人とみなすのか、それとも人工物と考えるのかという問題が表れている。感情があるという部分が厄介であり、揺らぎのある声やAIとは思えない感情表現を見てしまうと人工物という割り切りが困難になっていくことが原因の一つだと考える。個人的には彼らは人を攻撃しないようにできていない時点で既存のAIと差別化が図られており、埋め込まれた規範を意思によって凌駕している為、人間に近いと考える。
アリシゼーションのAIについて他作品と比較して異なる点として人の手によって創られた存在であることの自覚がまるでないことが挙げられる。彼らは自分が人間であると思い込んでおり、現実世界があることも全く知らないのである。AIという自覚があれば、人との交流の図り方やできることにそれらしさが垣間見えるはずである。それが全くないことによってAIなのか人なのかという境界線はより曖昧になっていると考えられる。
アリシゼーションUW大戦編に突入すると、先述した問題に加えてAIに人権はあるのかという問題が出てくる。ボトムアップ型人工知能は先に書いたように知性、感情共に人間と遜色ないためその扱いが極めて難しい。解決するためにはAIにとっての生死は何か、どこまでの人権や義務を与えるべきなのかを考える必要があると思われる。我々を人間であると定義づけできる要素とAIがAIであると定義づけできる要素を比較していかなければ、その分野に精通している者でも扱いや権利の範囲がわからなくなっていくだろう。AIが人権を持つことはその存在意義にも大きな影響を与え、今以上の有用性が認められることにもなる。無機物と思うか、対等な存在として扱うのか。これからの技術発展における問題が詰め込まれたエピソードだと感じた。
17.『デモンズクレスト』(ライトノベル)
作者:川原礫 イラスト:堀口悠紀子
世界初の全感覚没入型VRMMO-RPG《アクチュアル・マジック(AM)》のテストプレイが開始された。雪花小学校6年1組の芦原佑馬は新たなテクノロジーが作り出すVR世界に驚き、クラスメイトとともにダンジョンボスを攻略し、ログアウトするはずだった。しかし、ダンジョンボスを倒した後、奇妙な赤い光がアバターを包み込み、佑馬は意識を失ってしまう。《AM》から強制ログアウトした佑馬が目にしたのは、《AM》と《現実》が融合した《MR(複合現実)》だった。
現実世界がゲームに浸食された世界が舞台。技術が進化し、デバイスが体の内部に埋め込まれ、それが当たり前となっている。その割にはフルダイブマシンが体全体を覆うコクーン型であるなど遅れている分野はとことん遅れている印象を受ける。
ゲームが現実世界を侵食したということもあり、現実世界にゲーム内でのモンスターが登場する。手順を踏めば、ゲーム内でのステータス及びスキルを反映させることができるが、外見的変化がないことによって主人公たちが存在しているのが現実ということを意識させられる。実際に戦ったときに流血や身体的苦痛を伴う描写があることも同じ効果を発揮している。
SAOシリーズとは違いデスゲーム的要素を含みながらも現実からゲームの世界にログインすることも可能となっている。ゲーム内で得た物資やアイテムは現実世界に戻っても使用可能となっており、その逆も可能である。現実とゲームの双方向の攻略が必要と思われるが、一枚岩ではないクラスメイト達をどうまとめていくのか、攻略の
プランなど主人公のリーダー性が試される描写が散見されており、精神的成長と見つめ直しが主人公に課された要素だと考えられる。
タイトルにある「デモン」とは作中で仄めかされているクラスメイト達に宿った悪魔のことを示していると考えられる。この悪魔たちが《MR(複合現実)》になった途端、宿った経緯は不明であるものの、攻略において重要なかぎを握っていると思われる。
18.『ユア・フォルマ』(ライトノベル)
作者:菊石まれほ イラスト:野崎つばた
脳の縫い糸―通称〈ユア・フォルマ〉。ウイルス性脳炎の流行から人々を救った医療技術は、日常に不可欠な情報端末へと進化を遂げた。縫い糸は全てを記録する。視覚、聴覚、そして感情までも。そんな記録にダイブし、重大事件解決の糸口を探るのが、電索官・エチカの仕事だ。電索能力が釣り合わない同僚の脳を焼き切っては病院送りばかりにしていたエチカにあてがわれた新しい相棒ハロルドは、ヒト型ロボット〈アミクス〉だった。過去のトラウマからアミクスを嫌うエチカと構わず距離を詰めるハロルド。稀代の凹凸バディは世界を襲う電子犯罪に挑む。
脳に埋め込まれた情報端末を駆使して生活することが当たり前になった世界。アミクスも生活に密接するようになるが、それを悪用した犯罪も増えていることが書かれている。アミクスの多くは個人の生活を支えるか、仕事をするかのどちらかに大別される。作中では、アミクスをめぐって「機会派」と「友人派」という単語が登場する。この単語からアミクスをどう扱うが人によって異なると考えられる。彼らには敬愛規律が刻み込まれており、人を攻撃しないようになっている。笑いこそするが感情そのものはあくまでプログラムと説明されている。そこだけ切り取れば機械と考えることもできるが、仕事を一緒にする、生活を共にするとなると状況は変わってくるため、置かれた環境、育った環境に左右されると考えられる。しかし、ハロルドは捜査能力を評価されても、実力は評価されていない面がある。その描写からは機械派の人が多く差別意識も強いということが窺える。
エチカのアミクス嫌いは彼女の家庭環境に起因した問題として詳細に語られている。父が自分を見てくれず、お手伝いのアミクスばかり見ていることが原因だった。愛してほしかった人に愛してもらえなかったという過去を持っている人物なのである。これは彼女の人間関係の構築にも影響を及ぼしており、愛してもらうことに飢えているが、与えられないことを知っているために一匹狼のような態度で他人と近づきすぎないようにしていると考えられる。
19.『Vivy prototype』(ライトノベル)
作者;長月達平・梅原英司 口絵・挿絵:FLAT STUDIO 装画:loundraw
科学の発展と共に、人類の生活に欠かせない存在となったAI。『歌姫』と呼ばれるヴィヴィもまた、国内最大級のテーマパーク『ニーアランド』で歌い続けるAIであり、その歌声で人々を魅了し、連日の熱狂を生み出していた。そんな彼女のもとに突如として現れたのは、マツモトと名乗る未知のAIだった。マツモトは自分が100年後の未来からやってきたと語り、人類とAIが繰り広げる最終戦争を阻止するため、『シンギュラリティ計画』への協力をヴィヴィに要請する。
AIの発展と人間との関係性、一個体としてどのように扱うのかが問われた作品であると感じた。ヴィヴィは自身がAIであることや人々にふりまく笑顔、感情を伴っているかのような反応が学習して作られたものであることを自覚している。そのため歌姫という人物的扱いよりも、備品という機械的扱いはふさわしいと思っている節があると読み取れる。しかし、彼女が見せる反応はあまりにも人間的すぎるために人としての扱いが定着していると思われる。この点は未来から来たAIであるマツモトとの大きな差でもある。シンギュラリティ計画達成のために、感情による回り道や無駄な思考をせず合理的な判断のみで動かそうとするマツモトに対して、ヴィヴィは接客がメインとなる仕事柄ゆえか感情というものに敏感であると感じる。規格こそ異なるがAIとしての原則は同じであるため、AIが人間の感情、想いに共感し尽力するかなどは環境が大きく左右すると考えられる。それを好ましく思う人もいるが、作中で言及されたように、人はAIが人らしい反応を見せることを嫌うこともあるためどちらが良いかは難しい問題と感じた。
また、彼女たちが従う三原則が計画の成功に関わっている。人に危害を加えてはならないと紹介されているが、『人類』という大きな枠組みで考えると優先順位が下がるとされている。しかし、この『人類』もAIそれぞれがどこまでを人類と考えているかによって倫理規定に大きな変化をもたらすと考えられる。多くの人を人類と捉えれば、それを害そうとする一個人を攻撃できるが、ただ一人を人類と認識しているAIにとってはその他大勢は攻撃対象になりうるということである。そのように考えるとAIを開発する中で人への奉仕にどこまでの自由度、解釈を持たせるべきなのかも問われていると思った。
20.『ほうかごがかり』(ライトノベル)
作者:甲田学人 イラストpotg
小学六年の二森啓はある日、教室の黒板に突如として自分の名前が謎の係名と共に書き込まれているのを目撃する。その日の深夜十二時、自室。学校のチャイムが爆発的に鳴り響き、開いた襖の向こうには暗闇に囲まれた異次元の学校―『ほうかご』が広がっていた。
学校中の教室に棲む、『無名不思議』と呼ばれる名前のない異常存在。ほうかごに呼び出された六人の少年少女は、それぞれが担当する化け物を観察しその正体を記録するために集められたのだった。絵が得意な啓は屋上に潜む怪異『まっかっかさん』を捉えるべく筆を手にする。
ホラー的要素を含んだ作品。何の関係性もなく集められた少年少女のかかり活動が描かれる。担当する化け物たちは学校の怪談になる前の状態のものと作中では説明されている。それらが成長していくことによって怪談へと変貌していき小学生たちを襲うようになることを止めるのがほうかごがかりの役目とされている。集められた少年少女は学校内で関係性があるわけではないが、各々の観察の過程から自分でもわかっていない本心を隠しているという共通項があると考えられる。主人公の啓が観察した『まっかっかさん』は見つめると死に誘う抗いがたい力を持っているが、これは刑が無意識に考えていた自分はいなかった方がよかったのではないかという思いと一致している。おそらく少年少女の心の傷に近いものを克服することが、観察を完成に導くための重要な要素と思われる。
本作では暗い、黒い、赤いといった色に関連した表現が極めて多い。特に血に関する描写は赤だけでも様々な表現が使われており、想像したくない光景がありありと浮かんでくる。改行や行間によって、光景に対する登場人物たちの感情がより伝わってくるため、読んだ後は身の毛もよだつ思いだった。ただこのように色に関する表現が多いのは啓が絵を描くことが好きな少年であり、造形が深いことや彼の視点を通しての物語体験となるため、作者が意図的にしている可能性もあるのではないかと考えた。
11.『劇場版プロジェクトセカイ 壊れたセカイと歌えないミク』(映画)
監督:畑博之 制作P.A.WORKS 公開日2025年1月17日
CDショップで聴いたことのないミクの歌を耳にした星乃一歌。彼女はモニターに、見たことのない初音ミクを見つけ、思わず声を出す。その声に驚いたミクは、一歌と目が合ったものの、ほどなくして消えてしまう。後日、路上ライブを終えた一歌のスマホに、以前見かけたミクが姿を現す。寂しそうに俯くミクに話を聞くと、“想いの持ち主”に歌を届けたいが、その歌が届かないという。ライブで多くの人に歌を届ける一歌を見て、彼女のことを知れば自分も歌を届けることができるのではとミクは考えやって来たのだった。ミクの願いに「私でよければ」と一歌は微笑み答える。
アプリゲーム「プロジェクトセカイカラフルステージ!feat.初音ミク」をオリジナルストーリーで映画にした作品。アプリに登場するすべてのユニットが登場する。「セカイ」についての説明は特段何もなかったが、それぞれのユニットが「セカイ」に飛び込む姿は描写されており、それぞれの「セカイ」を象徴する初音ミクも登場するため何も知らない人でも、「セカイ」がどういうものなのか、“想いの持ち主”とは何を示すのかがわかるようになっていると感じた。
“想いの持ち主”に歌を届けることができないミクは、黒い服装、黒い耳飾りと暗い感じが強く他の「セカイ」のミクと比較してどこか未完成といった印象を受けやすい。彼女の「セカイ」も扉は錆びつき、空は真っ暗で砂が積もり荒廃しているように描かれている。このような描写は彼女の「セカイ」が閉じた状態であり、“想いの持ち主”も負の感情に浸食されていることを視覚的に表現していると考えられる。宙に浮く扉から砂が出る場面や、ミクが黒い鎖に巻き付かれているような描写もこれに該当すると考えられる。
本作の重要な要素である各ユニットの歌は映画館という環境もあってどれも素晴らしかった。そのうえで各ユニットの「セカイ」と違わない印象の曲調であり、全く知らない私でもこのユニットはこんな感じの歌を歌うのかとイメージが付きやすかった。
12.『ソードアート・オンライン アインクラッド』(ライトノベル)
※1~2巻、8巻の短編エピソードを含む
作者:川原礫 イラスト:abec
2022年、人類は完全な仮想空間を実現した。それを元に発売された一本のゲームソフト。≪ソードアート・オンライン≫、通称SAO。世界初となるVRMMORPGの世界をプレイヤーたちは存分に楽しんでいた。ログアウト不能であることが発覚するまでは。製作者の茅場昌彦からは第100層までクリアすればログアウトできること、SAO内でHPを全損すれば現実世界でも死ぬという事実が告げられる。いち早くこの真実を受け入れたプレイヤー・キリトはソロプレイヤーとして攻略を開始する。
原点にして頂点の物語。アニメとは違い、最後の二週間から物語がスタートしている。これは元々アインクラッド編自体を長めに書こうという姿勢ではなかったことが影響していると考えられる。キリトとアスナの関係性が熟しきっている頃合いであり、いがみ合う二人が描写されないことが少し残念だった。この頃にはキリトの安全マージンをとってのソロ攻略が確立されている。その一方で紆余曲折を経て血盟騎士団に入団となったときには「ソロ攻略も限界が来ていたから…」という発言があり、どこかのタイミングでパーティー攻略に切り替えた可能性が高いと考えられる。彼がギルドに所属しないことにこだわる理由は、一年ちょっと前のトラウマと自身の出生が深く関わっていると思われる。目の前で人が消える恐怖や自身が見ている人は本物なのかという問いを拭い去れないことで距離を置いていたが、アスナがキリトを守る側と宣言したことで彼の懸念は少し和らいだのではないかと考えられる。
ゲームをしていると私たちも「死ぬ」という単語を口にするが、SAOでの「死ぬ」は重みが違いすぎると感じる。二年という長い時間ゲームに囚われているがそこには不透明なタイムリミットも存在しており、アスナの発言からはタイムリミットを迎えることは戦って死ぬことよりも辛いことと捉えていると考えられる。ほかにも、キリトとアスナがこの世界に慣れてしまった結果、現実世界のことを思い出さない日があることも語られている。死に関する発言や現実世界という単語から、ゲームの世界だと頭では理解しているが、VR世界への慣れや現実の死を迎える引き金がゲームでの死であることが、現実とゲームの境界線を曖昧にしているとも感じた。
13.『ソードアート・オンライン フェアリィダンス』(ライトノベル) ※3~4巻
作者:川原礫 イラスト:abec
SAOから生還を果たしたキリト。しかし、SAOにて結婚し恋仲となったアスナは未だ目覚めずにいた。見舞いに行った病室でキリトはレクトスタッフの須郷伸之と明日奈の間で縁談が持ち上がっていることを知ってしまう。失意に沈むキリトだったが従妹からの励ましによってなんとか立ち直る。その後、エギルから一枚の画像が送られてくる。そこに写っていたのは鳥籠のなかで座るアスナらしき人影だった。アスナを救うためキリトは≪アルヴヘイム・オンライン≫に挑む。
キリトのヒーロー性や、直葉との関係の修復がテーマとしてあるように感じた。キリトはSAOから多くの人を救った英雄ではあるものの、現実世界ではゲーム好きの高校生であり特別強いわけではない。そのことはキリトも自覚的であり、アスナを救う過程でもその事実に打ちのめされ心が折れそうになっている。しかし、そんなキリトをアスナは「私にとって君はいつでもヒーロー」だと語る。この点からはキリトは強いプレイヤーではあるがどんな敵も倒す万能さは持っておらず、他人と共闘し、救い、変えるヒーローであることを示していると考える。
従妹との関係性はキリトが自身の生い立ちを知ったことで拗れていったが、その修復は現実とVRの両方で行われる。キリトに対する想いを現実世界で話した後、VR世界での戦闘によって本来の関係を取り戻すという形式だが、これはVR世界での人格が現実世界の延長にあることが大きく影響していると考えられる。行っているのは現実世界では語れないことをネットで発散するのと同じことであり、長い期間話し合えなかった二人が本音で語るのに最適な方法であったと思われる。桐ヶ谷和人/キリトとして、桐ヶ谷直葉/リーファとして、接し話す姿はVRでの人格が現実の延長であること、現実では見せない抑圧された部分の解放の証明であり、SAOというシリーズの根幹にも関わる重要な要素だと考えられる。
14.『ソードアート・オンライン ファントムバレット』(ライトノベル) ※5~6巻
作者:川原礫 イラスト:abec
SAO事件から約一年。キリトは総務省仮想課の菊岡から奇妙な依頼を受ける。それは、銃と鋼鉄のVRMMO≪ガンゲイル・オンライン≫にて発生した死銃事件の捜査であった。死銃に撃たれたものは現実世界でも死に至る。仮想世界が現実世界に物理的に及ぼす影響に疑念を抱くキリトだったが、≪GGO≫へとログインする。手掛かりを掴むべく不慣れなゲーム内を彷徨うキリト。彼に手を差し伸べたのはスナイパーの少女・シノンだった。彼女の力を借りたキリトは死銃と接触するために全ガンナーの頂点を決める大会バレット・オブ・バレッツに参加する。
過去を受け入れてどう乗り越えていくかに大きな焦点が当たっていると感じた。キリトとシノンの二人に共通するのは人を殺した過去があること。二人ともその幻影に苦しめられていることまで共通している。そんな二人が《GGO》で渦巻く事件を調査する中で過去と向き合い、成長していく様子が丁寧に描写されている。
シノンは過去の出来事によるPTSDを克服するために《GGO》にログインしているが、ゲーム以外の使用方法があることを示すのは次のエピソードへの準備であったのではないかと考える。
個人的に死銃の腕に刻まれたエンブレムを目にした瞬間、震えるキリトが好きなのだが、その姿からはトラウマに怯える普通の高校生のように見える。ここから彼にとってはゲーム内での人殺しが軽くない事実であり、SAO時代が良くも悪くも善良なプレイヤーであったことの証左であると考えられる。
この章の核である事件を追う中で過去の出来事に向き合う二人は自分の行動を悔いているというより、その選択が正しかったのかという部分に悩まされている。個人的には殺す以外の選択肢が存在したのではないか、そんな自分がのうのうと生きていてもいいのだろうかという問いこそが向き合うということであり、考え続けることなのだと思う。終盤ではできなかったことを悔いる方向に考えがちではあるが、それによって救われた人や命があるという事実が描写されており、向き合う中で広く視野を持って自分に対話していくことが重要なのだと感じた。
15.『ソードアート・オンライン マザーズロザリオ』(ライトノベル)※7巻
作者:川原礫 イラスト:abec
ある日、アスナはリズベットから奇妙な噂を聞く。新マップ《浮遊城アインクラッド》、その第24層主街区北部で自身の持つ《オリジナル・ソードスキル》を賭けた決闘を行っているプレイヤーがいるというのだ。あのキリトすら打ち負かした《絶剣》と呼ばれるプレイヤーにアスナも挑むも、紙一重の差で敗北してしまう。しかし、《絶剣》は決闘が終わるやいなや、アスナを自身のギルドに誘い始めた。キリトに勝利し《絶剣》と呼ばれるほどの剣技。そこにはある秘密が隠されていた。
主人公キリトではなく、ヒロインのアスナを軸に彼女の精神的な成長とユウキの生き様を描いたエピソード。これまでのアスナは芯が強く、キリトを支える存在として描かれてきていた。その一方で他人と衝突しそうになると自分の意見を言わずに相手を立てようとする克己心が強すぎる面が垣間見えていた。これはアスナの家庭環境に依存する問題として書かれている。アスナの母親は教育熱心であり、自身が考えるアスナのための最良のレールの上を走らせてきた。アスナ自身も幼いころからそれに従ってきたため、母親に意見することがない歪な親子関係であった。そしてアスナがSAOに囚われた2年間で従属的な親子関係の歪さはさらに加速したと考えられる。アスナは母親に対して思うことはあるが、言っても聞き入れてくれないという考えから反抗的な態度をとるようになり、母親はゲームに浸る娘が自身の考えるレールに戻ってきてくれないことに恐怖し、VRを遠ざけようとする。
そんな本音を互いに言わない関係を変えたのが《絶剣》である。VR世界で多くの時間を過ごした彼女は自分のやりたいようにやるが信条であり、アスナの周りを立てるとは対照的なスタンスである。そんな彼女がアスナに放った「ぶつからなきゃ伝わらないことだってあるよ。例えば、自分がどれくらい真剣なのか、とかね」はSAO屈指の名言であり、アスナを大きく変える起爆剤とも言える。VR世界で多くの時間を過ごし、自分を貫いてきた彼女だからこそ重みをもつ言葉だと考えられる。
アスナが母親と語り合うために22層の森の家を選んだのは、現実で言えないことがオンライン上であれば口に出してしまえることや人格そのものは現実の延長であることが関係していると考えられる。アスナにとってもう一つのリアルであり、知ってもらいたいというのもあるだろうが、現実で抑圧している想い、考えは別の場所だと曝け出せることが多い。現実だろうが、ゲームだろうが目の前にいる人物は同一であり、現実の延長でもあるため、そこに区切りがあるようで実はなかったりする。SAOから続く現実とネット上での人格の線引きはここでも書かれていると個人的には感じた。
本エピソードで語られたユウキの生き様はアスナ以外の多くの人にも影響を与えたと思われる。とある事情からダイブしている時間が長いユウキは自分のやりたいことをやるという信条を全うしており、VRから去るとなった時には多くの人が駆けつける。これは現実に戻っても同じであり、彼女のもとには多くのプレイヤーが駆けつけていた。己を貫くその生き様が多くの人を惹きつけ、現実で問題を抱える人に勇気を与えることができたと考えられる。それと同時にゲームと現実での関係性は続いていることも描かれていると感じる。
16.『ソードアート・オンライン アリシゼーション』(ライトノベル)※9~18巻
作者:川原礫 イラスト:abec
《ルーリッドの村》で育った少年・キリトは、幼馴染のユージオとともに巨大な黒樹・ギガスシダーを倒すという天職を背負っていた。今日も巨木を倒すべく斧を振るっていると、幼馴染のアリスが手作りのパイを差し入れにやってくる。昼食のさなか、3人はおとぎ話にでてきた《果ての山脈》の洞窟へと遠出することを決める。世界の掟である禁忌目録に違反しないか不安がるユージオに、キリトとアリスは大丈夫だと口々に言う。そして出発の日を迎え、果ての山脈に行く3人。そこで彼らが目にしたのは信じがたい光景だった。
これまでのエピソードで話に出ることがあったものの、そこまで触れられることがなかったAIについて真正面から語られた。特に現在の我々の生活で存在しているトップダウン型のAIではなく人の思考回路、魂を模して完成したボトムアップ型のAIについての問題提起がされている。特に人と大差ないAIをどのようにとらえるのかというのがアリシゼーション全体では問われているのではないかと考える。UW内ではキリト以外のすべての人々がAIであり、しかしその知性や会話の円滑さは人間と遜色ないレベルである。これについてキリトは「AIであるのかもしれないが、その世界で生きる人々のようにしか思えない」といった印象を抱いている。しかし、UWを創った開発者たちは軍事転用可能なAIという考え方であり、この点からAIを人とみなすのか、それとも人工物と考えるのかという問題が表れている。感情があるという部分が厄介であり、揺らぎのある声やAIとは思えない感情表現を見てしまうと人工物という割り切りが困難になっていくことが原因の一つだと考える。個人的には彼らは人を攻撃しないようにできていない時点で既存のAIと差別化が図られており、埋め込まれた規範を意思によって凌駕している為、人間に近いと考える。
アリシゼーションのAIについて他作品と比較して異なる点として人の手によって創られた存在であることの自覚がまるでないことが挙げられる。彼らは自分が人間であると思い込んでおり、現実世界があることも全く知らないのである。AIという自覚があれば、人との交流の図り方やできることにそれらしさが垣間見えるはずである。それが全くないことによってAIなのか人なのかという境界線はより曖昧になっていると考えられる。
アリシゼーションUW大戦編に突入すると、先述した問題に加えてAIに人権はあるのかという問題が出てくる。ボトムアップ型人工知能は先に書いたように知性、感情共に人間と遜色ないためその扱いが極めて難しい。解決するためにはAIにとっての生死は何か、どこまでの人権や義務を与えるべきなのかを考える必要があると思われる。我々を人間であると定義づけできる要素とAIがAIであると定義づけできる要素を比較していかなければ、その分野に精通している者でも扱いや権利の範囲がわからなくなっていくだろう。AIが人権を持つことはその存在意義にも大きな影響を与え、今以上の有用性が認められることにもなる。無機物と思うか、対等な存在として扱うのか。これからの技術発展における問題が詰め込まれたエピソードだと感じた。
17.『デモンズクレスト』(ライトノベル)
作者:川原礫 イラスト:堀口悠紀子
世界初の全感覚没入型VRMMO-RPG《アクチュアル・マジック(AM)》のテストプレイが開始された。雪花小学校6年1組の芦原佑馬は新たなテクノロジーが作り出すVR世界に驚き、クラスメイトとともにダンジョンボスを攻略し、ログアウトするはずだった。しかし、ダンジョンボスを倒した後、奇妙な赤い光がアバターを包み込み、佑馬は意識を失ってしまう。《AM》から強制ログアウトした佑馬が目にしたのは、《AM》と《現実》が融合した《MR(複合現実)》だった。
現実世界がゲームに浸食された世界が舞台。技術が進化し、デバイスが体の内部に埋め込まれ、それが当たり前となっている。その割にはフルダイブマシンが体全体を覆うコクーン型であるなど遅れている分野はとことん遅れている印象を受ける。
ゲームが現実世界を侵食したということもあり、現実世界にゲーム内でのモンスターが登場する。手順を踏めば、ゲーム内でのステータス及びスキルを反映させることができるが、外見的変化がないことによって主人公たちが存在しているのが現実ということを意識させられる。実際に戦ったときに流血や身体的苦痛を伴う描写があることも同じ効果を発揮している。
SAOシリーズとは違いデスゲーム的要素を含みながらも現実からゲームの世界にログインすることも可能となっている。ゲーム内で得た物資やアイテムは現実世界に戻っても使用可能となっており、その逆も可能である。現実とゲームの双方向の攻略が必要と思われるが、一枚岩ではないクラスメイト達をどうまとめていくのか、攻略の
プランなど主人公のリーダー性が試される描写が散見されており、精神的成長と見つめ直しが主人公に課された要素だと考えられる。
タイトルにある「デモン」とは作中で仄めかされているクラスメイト達に宿った悪魔のことを示していると考えられる。この悪魔たちが《MR(複合現実)》になった途端、宿った経緯は不明であるものの、攻略において重要なかぎを握っていると思われる。
18.『ユア・フォルマ』(ライトノベル)
作者:菊石まれほ イラスト:野崎つばた
脳の縫い糸―通称〈ユア・フォルマ〉。ウイルス性脳炎の流行から人々を救った医療技術は、日常に不可欠な情報端末へと進化を遂げた。縫い糸は全てを記録する。視覚、聴覚、そして感情までも。そんな記録にダイブし、重大事件解決の糸口を探るのが、電索官・エチカの仕事だ。電索能力が釣り合わない同僚の脳を焼き切っては病院送りばかりにしていたエチカにあてがわれた新しい相棒ハロルドは、ヒト型ロボット〈アミクス〉だった。過去のトラウマからアミクスを嫌うエチカと構わず距離を詰めるハロルド。稀代の凹凸バディは世界を襲う電子犯罪に挑む。
脳に埋め込まれた情報端末を駆使して生活することが当たり前になった世界。アミクスも生活に密接するようになるが、それを悪用した犯罪も増えていることが書かれている。アミクスの多くは個人の生活を支えるか、仕事をするかのどちらかに大別される。作中では、アミクスをめぐって「機会派」と「友人派」という単語が登場する。この単語からアミクスをどう扱うが人によって異なると考えられる。彼らには敬愛規律が刻み込まれており、人を攻撃しないようになっている。笑いこそするが感情そのものはあくまでプログラムと説明されている。そこだけ切り取れば機械と考えることもできるが、仕事を一緒にする、生活を共にするとなると状況は変わってくるため、置かれた環境、育った環境に左右されると考えられる。しかし、ハロルドは捜査能力を評価されても、実力は評価されていない面がある。その描写からは機械派の人が多く差別意識も強いということが窺える。
エチカのアミクス嫌いは彼女の家庭環境に起因した問題として詳細に語られている。父が自分を見てくれず、お手伝いのアミクスばかり見ていることが原因だった。愛してほしかった人に愛してもらえなかったという過去を持っている人物なのである。これは彼女の人間関係の構築にも影響を及ぼしており、愛してもらうことに飢えているが、与えられないことを知っているために一匹狼のような態度で他人と近づきすぎないようにしていると考えられる。
19.『Vivy prototype』(ライトノベル)
作者;長月達平・梅原英司 口絵・挿絵:FLAT STUDIO 装画:loundraw
科学の発展と共に、人類の生活に欠かせない存在となったAI。『歌姫』と呼ばれるヴィヴィもまた、国内最大級のテーマパーク『ニーアランド』で歌い続けるAIであり、その歌声で人々を魅了し、連日の熱狂を生み出していた。そんな彼女のもとに突如として現れたのは、マツモトと名乗る未知のAIだった。マツモトは自分が100年後の未来からやってきたと語り、人類とAIが繰り広げる最終戦争を阻止するため、『シンギュラリティ計画』への協力をヴィヴィに要請する。
AIの発展と人間との関係性、一個体としてどのように扱うのかが問われた作品であると感じた。ヴィヴィは自身がAIであることや人々にふりまく笑顔、感情を伴っているかのような反応が学習して作られたものであることを自覚している。そのため歌姫という人物的扱いよりも、備品という機械的扱いはふさわしいと思っている節があると読み取れる。しかし、彼女が見せる反応はあまりにも人間的すぎるために人としての扱いが定着していると思われる。この点は未来から来たAIであるマツモトとの大きな差でもある。シンギュラリティ計画達成のために、感情による回り道や無駄な思考をせず合理的な判断のみで動かそうとするマツモトに対して、ヴィヴィは接客がメインとなる仕事柄ゆえか感情というものに敏感であると感じる。規格こそ異なるがAIとしての原則は同じであるため、AIが人間の感情、想いに共感し尽力するかなどは環境が大きく左右すると考えられる。それを好ましく思う人もいるが、作中で言及されたように、人はAIが人らしい反応を見せることを嫌うこともあるためどちらが良いかは難しい問題と感じた。
また、彼女たちが従う三原則が計画の成功に関わっている。人に危害を加えてはならないと紹介されているが、『人類』という大きな枠組みで考えると優先順位が下がるとされている。しかし、この『人類』もAIそれぞれがどこまでを人類と考えているかによって倫理規定に大きな変化をもたらすと考えられる。多くの人を人類と捉えれば、それを害そうとする一個人を攻撃できるが、ただ一人を人類と認識しているAIにとってはその他大勢は攻撃対象になりうるということである。そのように考えるとAIを開発する中で人への奉仕にどこまでの自由度、解釈を持たせるべきなのかも問われていると思った。
20.『ほうかごがかり』(ライトノベル)
作者:甲田学人 イラストpotg
小学六年の二森啓はある日、教室の黒板に突如として自分の名前が謎の係名と共に書き込まれているのを目撃する。その日の深夜十二時、自室。学校のチャイムが爆発的に鳴り響き、開いた襖の向こうには暗闇に囲まれた異次元の学校―『ほうかご』が広がっていた。
学校中の教室に棲む、『無名不思議』と呼ばれる名前のない異常存在。ほうかごに呼び出された六人の少年少女は、それぞれが担当する化け物を観察しその正体を記録するために集められたのだった。絵が得意な啓は屋上に潜む怪異『まっかっかさん』を捉えるべく筆を手にする。
ホラー的要素を含んだ作品。何の関係性もなく集められた少年少女のかかり活動が描かれる。担当する化け物たちは学校の怪談になる前の状態のものと作中では説明されている。それらが成長していくことによって怪談へと変貌していき小学生たちを襲うようになることを止めるのがほうかごがかりの役目とされている。集められた少年少女は学校内で関係性があるわけではないが、各々の観察の過程から自分でもわかっていない本心を隠しているという共通項があると考えられる。主人公の啓が観察した『まっかっかさん』は見つめると死に誘う抗いがたい力を持っているが、これは刑が無意識に考えていた自分はいなかった方がよかったのではないかという思いと一致している。おそらく少年少女の心の傷に近いものを克服することが、観察を完成に導くための重要な要素と思われる。
本作では暗い、黒い、赤いといった色に関連した表現が極めて多い。特に血に関する描写は赤だけでも様々な表現が使われており、想像したくない光景がありありと浮かんでくる。改行や行間によって、光景に対する登場人物たちの感情がより伝わってくるため、読んだ後は身の毛もよだつ思いだった。ただこのように色に関する表現が多いのは啓が絵を描くことが好きな少年であり、造形が深いことや彼の視点を通しての物語体験となるため、作者が意図的にしている可能性もあるのではないかと考えた。
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