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3年 野中涼風 RES
1.『薬屋のひとりごと』(アニメ)(2025)監督:長沼範裕
【あらすじ】
大陸の中央に位置するとある大国。その国の帝の妃たちが住む後宮に一人の娘がいた。名前は、猫猫(マオマオ)。花街で薬師をやっていたが、現在は後宮で下働き中である。ある日、帝の御子たちが皆短命であることを知る。今現在いる二人の御子もともに病で次第に弱っている話を聞いた猫猫は、興味本位でその原因を調べ始める。呪いなどあるわけないと言わんばかりに。美形の宦官・壬氏(ジンシ)は、猫猫を帝の寵妃の毒見役にする。人間には興味がないが、毒と薬の執着は異常、そんな花街育ちの薬師が巻き込まれる噂や事件。壬氏からどんどん面倒事を押し付けられながらも、仕事をこなしていく猫猫。稀代の毒好き娘が今日も後宮内を駆け回る。

【考察】
東宮が亡くなったシーンで雨と雷の演出があり、悲壮感を助長していた。舞台となっている時代は医学が発達していなかったため、悪影響を及ぼすと知らなかった無知による死が発生していたことを残念に思った。

2.『華麗なるギャツビー』(映画)(1974)監督:ジャック・クレイトン
【あらすじ】
F・スコット・フィッツジェラルドの名作小説をロバート・レッドフォード主演で映画化。「ゴッドファーザー」シリーズのフランシス・フォード・コッポラが脚本を手がけ、「年上の女」のジャック・クレイトンが監督を務めた。1920年代のアメリカ。ニューヨーク郊外のロングアイランドの豪邸で暮らす大富豪ギャツビーは、毎夜のように盛大なパーティを催していた。隣人ニックはパーティに招待され、謎に包まれたギャツビーの過去を徐々に知るようになる。ダコタの農家に生まれたギャツビーは、第1次世界大戦中にデイジーという女性と出会い恋に落ちる。しかしギャツビーがフランス戦線へ送られた後、デイジーはシカゴの富豪と結婚。帰国したギャツビーはその事実を知り苦しむが、再び彼女の愛を取り戻すことを決意し、5年の歳月をかけて大富豪へとのし上がっていく。

【考察】
最初のシーンで映った食べかけのサンドイッチはギャッツビーの父親が食べたものだと最後にわかる。このことから、ギャッツビーの屋敷はそのまま据え置かれているということが考えられる。シカゴの富豪と結婚したデイジーはすべてをメイドに任せ、娘に関心がないことが伝わった。

3.『ブリジャートン家』(ドラマ)(2020)監督:ションダ・ライムズ
【あらすじ】
ダフネは明るくまっすぐな性格で、シャーロット王妃から社交界最高の栄誉“今季のダイヤモンド”として認められた美貌の持ち主。両親のような幸せな結婚を夢見て社交界デビューを果たすも、ブリジャートン家の名に恥じない結婚相手を探すことに息苦しさを感じ、恋愛を純粋に楽しめない。そんな時、長男アンソニーの友人である、ヘイスティング公爵ことサイモン・バセットと出会う。「生涯独身を貫く」という彼の固い意思を知りながらも、サイモンと思惑が一致したことから偽装交際を始めることになるが……。

【考察】
19世紀の舞踏会でビリーアイリッシュの音楽が演奏されており、今昔とクラシックとポップ音楽の融合が面白かった。主人公は裕福な暮らしをしている一方で、新聞を発行している印刷所がある地域は貧困層が住んでおり、二極化していた。ブリジャートン家の次男が男性と性行為をする描写があり、多様性が描かれていた。ブリジャートン家の向かいに住むペネロペの母親は娘の幸せよりも自分の幸せしか考えておらず、自分勝手だった。『ブリジャートン家』では世間が新聞に翻弄されることになるが、それが現代のSNSのようだった。

4.『クイーン・シャーロット〜ブリジャートン家外伝〜』(ドラマ)(2023)監督:トム・ヴェリカ
【あらすじ】
歴史上の人物シャーロット王妃の半生に基づくリミテッドシリーズ。「ブリジャートン家」の前日譚でもある本シリーズは、名声と権力を手にしていく若きシャーロット王妃の台頭と恋愛を中心に、ヴァイオレット・ブリジャートンやレディ・ダンベリーにもスポットを当てて描かれる。ジョージ三世と結婚した若きシャーロットはどのように深い愛を育んでいったのか、また上流社会が形成されるきっかけとなった社会的変化がどのように生まれ、「ブリジャートン家」のキャラクターたちに引き継がれていったのかが語られる。

【考察】
この作品では、今まで傲慢だと思っていたシャーロット王妃の本当の姿が描かれていて、偏見を取り除くことができた。ジョージ三世の視点とシャーロット王妃の視点では印象が異なったので、相手に隠し事をせずに伝えることが大事だと思った。

5.『ちょっと思い出しただけ』(映画)(2022)監督:松井大悟
【あらすじ】
2021年7月26日、この日34回目の誕生日を迎えた佐伯照生(池松壮亮)は、朝起きていつものようにサボテンに水をあげ、ラジオから流れる音楽に合わせて体を動かす。ステージ照明の仕事をしている彼は、誕生日の今日もダンサーに照明を当てている。一方、タクシー運転手の葉(伊藤沙莉)は、ミュージシャンの男を乗せてコロナ禍の東京の夜の街を走っていた。目的地へ向かう途中でトイレに行きたいという男を降ろし、自身もタクシーを降りると、どこからか聴こえてくる足音に吸い込まれるように歩いて行く葉。すると彼女の視線の先にはステージで踊る照生の姿があった。時は遡り、2020年7月26日。照生は部屋でリモート会議をし、葉は飛沫シートを付けたタクシーをマスク姿で運転している。照生は誕生日の夜に誰もいない部屋で静かに眠りにつく。また一年遡り、誕生日を迎えた照生は、昼間は散髪屋で伸びた髪を切り、夜はライブハウスでの仕事を終えたあとに行きつけのバーで常連のフミオ(成田凌)とダンス仲間の泉美(河合優実)と飲んでいた。同じ頃、居酒屋で合コンをしていた葉は、煙草を吸いに店の外に出たところで見知らぬ男から声をかけられ、話の流れでLINEを交換することに。葉のアイコンを見た男が「あれ、猫飼ってるんですか?」と尋ねると、葉は「いや…今は飼ってないけど」と返し、続けて「向こうが引き取ったから」と切ない表情でポツリと呟く。彼女がLINEのアイコンにしていた猫は、いまも照生が飼っているモンジャだった…。時は更に1年、また1年と遡り、照生と葉の恋の始まりや、出会いの瞬間が丁寧に描かれていく。不器用な2人の二度と戻らない愛しい日々を“ちょっと思い出しただけ”。

【考察】
葉と見た映画を照生は別れた後も見ていて、未練が感じられた。序盤で登場人物は全員マスクをつけており、検温する描写もありコロナ時代の作品であることが容易に想像できた。この映画は年月が重要になっているが、壁のパタパタ時計で時間を表現していたのがお洒落だった。作品の中でクリープハイプが演奏したり、お笑い芸人やYouTuberが登場するなど、キャストが豪華だった。車内で別れ話をするとき、最初はあだ名で照生のことを呼んでいたが、別れるときは「お客さん」と呼んでいて、距離を置いたのがわかった。バーのマスターとその恋人はどちらも男性で、同性愛にも触れられている作品だった。

6.『明け方の若者たち』(映画)(2021)監督:松本花奈
【あらすじ】
東京・明大前で開かれた学生最後の退屈な飲み会。そこで出会った<彼女>に、一瞬で恋をした。下北沢のスズナリで観た舞台、高円寺で一人暮らしを始めた日、 フジロックに対抗するために旅をした7月の終わり・・・。世界が<彼女>で満たされる一方で、社会人になった<僕>は、 〝こんなハズじゃなかった人生″に打ちのめされていく。息の詰まる会社、夢見た未来とは異なる現実。夜明けまで飲み明かした時間と親友と彼女だけが、救いだったあの頃。でも僕は最初からわかっていた。いつか、この時間に終わりがくることを・・・。

【考察】
明大前駅や下北沢、高円寺、新宿など馴染みのある駅がたくさん登場して親近感が湧いた。就活生のときにやる気まんまんで入社したが、配属先が自分のやりたかった仕事とは違い、主人公はギャップを感じていた。これから本格的に就活をする私にとっては他人事ではないと思った。彼女が結婚していたことを視聴者は親友の言葉で知ることになる。結婚していることが明らかになった後、知る前には切り取られていた僕と彼女のやり取りが明かされることになる。

7.『時計じかけのオレンジ』(映画)(1972)監督:スタンリー・キューブリック
【あらすじ】
喧騒、強盗、歌、タップダンス、暴力。山高帽の反逆児アレックス(マルコム・マクダウェル)は、今日も変わらず最高の時間を楽しんでいた ― 他人の犠牲の上にのみ成り立つ最高の時間を。モラルを持たない残忍な男が洗脳によって模範市民に作りかえられ、再び元の姿に戻っていく。

【考察】
アレックスが裏切られて入ることになった刑務所は、入所するときにアレックスの作法を厳しく注意しており、更正できそうな気がした。数人の受刑者が異なる色の腕章を付けており、色の意味が気になった。日本の敬礼は掌を相手に見せないというイメージがあるが、この作品では挙手に近いような敬礼の仕方だった。国や時代によっても違うのかもしれない。刑務所の実験によってアレックスの性格は良い方向へ変わったが、過去は変えられないため、アレックスに傷つけられた人は現在のアレックスも嫌っていた。

8.『ソウルメイト』(映画)(2024)監督:ミン・ヨングン
【あらすじ】
公募展で大賞に選ばれた一作。それは「作者・ハウン」による高校生のミソがモチーフの絵画だ。ミソとハウンは、小学生からの大親友。絵を描くのが好きな2人は、性格も価値観も育ってきた環境も違うが、大切な存在だった。しかし、ジヌとの出会いが2人の運命を大きく変えていく。想い合いながらもすれ違い、疎遠になっていた16年目のある日、ハウンはミソに“ある秘密”を残して忽然と姿を消してしまう。思いもよらない壮絶な半生が紐解かれるとき、涙なしでは観られない“2人だけの秘密”が明らかになる。

【考察】
ハウンが書いていたブログサイトの名前はミソが考えた名前になっていた。ミソの生き方を見ていたら、仕事が無くなっても恋人がいなくなっても人生なんとかなることがわかって、前向きな気持ちになれた。ハウンのすべてのことを知っているミソは、ジヌには作り話をして視聴者にだけ真実が明かされる構成になっていた。

9.『LONG TIME NO SEE』(映画)(2017)カン・ウ
【あらすじ】
凄腕の殺し屋ジスは、Black Roseとしてネットで小説を書いていた。彼が描く小説の大ファンであるギテは、続きが気になって仕方がない。彼はWild dogsというペンネームでBlack Rose宛てに熱いメッセージを送っていた。ある日、ギテのアルバイト先の飲食店に、ジスが偶然やってくる。会計の時、ふとした拍子に手と手がふれ、見つめあう2人。その日を境に、2人は何度か偶然の出会いを繰り返すようになる。小説家とそのファンということ以外、何も明かせずにいた2人だったが、あることがきっかけで、お互いが知り合いだったことに気づく。それを機に彼らの距離は一気に縮まる。まるで運命だったかのように恋に落ち、体を重ね愛し合う。この幸せを逃したくないと思うジスだったが、自分が殺し屋だということはギテに明かせずにいて…。実は、ギテにもジスには絶対に言えない“秘密”があり…。

【考察】
ギテの姉は同性愛に理解があり、同性愛が描かれている作品で最初から周りの人に受け入れられている作品は珍しいと思った。ギテも殺し屋だということが途中で明かされるがよくよく考えてみれば、ギテの体は傷だらけだった。

10.『キングダム 大将軍の帰還』(映画)(2024)監督:佐藤信介
【あらすじ】
秦と趙の全てを懸けた<馬陽の戦い>で、敵将を討った信(山﨑賢人)と仲間たちの前に突如として現れた、その存在が隠されていた趙国の総大将・龐煖(吉川晃司)。自らを<武神>と名乗る龐煖の圧倒的な力の前に、次々と命を落としていく飛信隊の仲間たち。致命傷を負った信を背負って、飛信隊は決死の脱出劇を試みる。「俺たちで、信を守り抜くんだ――。」一方で戦局を見守っていた王騎(大沢たかお)は、趙軍の裏に潜むもう一人の化け物の存在を感じ取っていたが、劣勢を覆すべく最強の大将軍として再び戦地に舞い戻った。王騎と龐煖の過去の因縁とは?遠くから戦いを静観する軍師・李牧(小栗旬)の正体とは??今、因縁が絡み合う馬陽の地で忘れられない戦いが始まる――。

【考察】
信を支えてくれた仲間が「今は楽しい話がしたい」と言って眠りについたのがフラグでしっかり回収されていたのが悲しかった。軍師である李牧の策略によって秦軍はピンチを迎える。軍師によって勝敗が決まると言っても言い過ぎではない。山の民が違和感を教えに来てくれたから、過去の作品のように一緒に戦ってくれると勝手に期待したが、山の民が来ることはなかった。王騎将軍の最期が武器を信に託して死ぬという武人らしい最期でかっこよかった。
2025/09/30(火) 02:41 No.2113 EDIT DEL
4年 山中拓実 RES
11. 『青空の見える丘』(feng)
<あらすじ>主人公・秀樹は、幼馴染の明穂と美夏と同じ学園で再会し、旧友たちとの学園生活を送ることになる。新たに出会う仲間たちや日常の小さな事件を通して、彼は友情と恋愛、そして自らの進むべき道を見つけていく。夏の青空に包まれた青春が、心の奥に眠る想いを静かに揺さぶる。
<考察>ルートクリア後に開放される「SIDE EPISODE」が、メインシナリオでは描き切れなかったキャラクター同士の関係性を丁寧に補完している。プレイヤーが複数の視点から物語を味わうことで、単なる恋愛ADVを超えた群像劇的な魅力が生まれている。作品全体に漂う軽やかな青春感と、どこか切なさを含んだ対話が、学園ものとしての普遍性を保ちながらも、登場人物たちの成長物語を鮮やかに浮かび上がらせている。

12.『ずっといっしょ』(東芝EMI)
<あらすじ>始業式の前日、4月3日が主人公にとって運命の日となった。親戚の住む丸井町に三年ぶりに戻ってきたが、今回は家族ではなく単身での引っ越しだった。新しい生活は部活やアルバイト、家事に追われる多忙な日々で、演劇部の仲間や喫茶店の同僚、そして美樹や若林薫といった友人たちとの交流を通じて物語が展開していく。
<考察>本作は1998年という恋愛アドベンチャーゲームが飽和していた時期に発売され、当時のシステム設計の課題を今に伝える作品である。例えば苗字と名前を別々に入力する際、説明不足なUIがプレイヤーに不安や戸惑いを与えるなど、現代のユーザーエクスペリエンスとは対照的な古さが見て取れる。しかしその不親切さこそが当時の技術的制約や作り手の想定を如実に示し、現在の作品がいかにプレイヤーに寄り添った設計を重視しているかを理解する手がかりとなる。美少女ゲームが乱立する中でありながら、丁寧な日常描写や堅実な物語性によって埋もれず評価された点も注目に値する。

13.『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO(異世界編・ハッピーエンド)』(élf)
<あらすじ>数多の世界線を巡り、仲間やヒロインたちと心を通わせてきた主人公は、ついに失踪した父親の痕跡を掴む。書斎の鍵と地下の振り子時計に隠された最後の宝玉を入手し、社の穴に仕掛けられた暗号を解読すると、辺りは光に包まれ、目覚めた先は見知らぬ異世界の森だった。そこで出会った金髪の少女セーレスと心を通わせ、短い幸福ののちに父の真実とこの世界の秘密に迫っていく。無数の可能性を旅した果てにたどり着く、長大な物語の到達点がここに描かれる。
<考察>PC-9800シリーズを前提に制作された本作は、当時としては珍しいアスペクト比の使い分けを見せている。性描写のCGでは16:10の全画面表示が採用されながら、その他の小型CGには16:9に近い比率が存在しており、ワイド画面化以前から比率の試行錯誤が行われていたことが確認できる。これは単なる技術的要請にとどまらず、美少女ゲームが表現領域を広げていく過程を物語る重要な証左と言える。また複雑な世界線と異世界編を統合した構造は、後年の物語ゲームに多大な影響を与えた点でも歴史的意義が大きい。

14.『ハミダシクリエイティブ』(まどそふと)
<あらすじ>主人公は親の遺産と人気声優である妹・妃愛の収入に頼りきった生活を送っていたが、くじ引きで生徒会長に選ばれてしまう。主人公は兄として、同じ学校の先輩として妃愛の出席日数の問題を抱えるなか、教師からの取引として生徒会長の職を全うすることとなる。
 生徒会運営を通し、役員たちに助けてもらいつつ、次第に自らの立場と向き合っていく。
<考察>立ち絵の演出について。体感的に本作は比較的CGが少ない。CGは見ることができた達成感を味わうことができる。またある程度の通過点として、プレイヤーはストーリーを進められている実感がわく。しかし本作にはその代わりに、立ち絵の変化が多い。決して立ち絵自体の種類が多いわけではないが動きや切り替えが多く、一つの台詞内でも複数の命令が実行されるなど丁寧なつくりになっている。
 無作為に例示すると、常盤華乃の「私のことたこ焼き馬鹿だと思ってるでしょ。まあ好きだけど……それでも、女の子を口説くときは花くらい持ってきなさいよ」で紹介する。
 華乃の表情は当初、視線をプレイヤーに向け、薄く口を開けている。その後「まあ好きだけど」と実際自分がたこ焼き好きであることを認めるときには眉を下げ、視線を逸らしている。また口も閉じている。「それでも」からの簡単に主人公を諭すときには目を瞑っている。
 このようにキャラクターの台詞から感じ取れる心情にシンクロさせて表情変化を行っている。これはスクリプターが細かく命令を組んでいるのだろう。他の作品ではあまり行われないために、これらには注目が為されないのが現状であるが、見ていて違和感を感じない非常に良い仕事である。
そのために視覚的な変化はCGに劣るものの、断続的に行われる。
 しかし動作に対してCGが用意されていないことに寂しさを感じるのも本当である。

15.『屋上の百合霊さん フルコーラス』(Liar-soft)
<あらすじ>教室の喧騒を避けて屋上を訪れた遠見結奈は、黒と白のセーラー服を纏った幽霊の少女サチと恵に出会う。それぞれ80年前、30年前にこの学校で命を落とした2人は、恋を成就できぬまま死んだために成仏できず、結奈に成就を手伝ってほしいと頼み込む。渋々協力を始めた結奈は、百合霊たちに導かれながら学園に潜む少女たちの秘めた恋心を見守り、時に背中を押していく。三人の「ユリトピア計画」を通じ、恋と死と青春が静かに交差していく幻想的な物語である。
<考察>本作のアスペクト比。本作はブランドのライアーソフト自体が16:9に移行するのが遅く、4:3になっている。しかし私は本作にこのスタンダードの比率が実にあっていると感じた。現在主流の美少女ゲームでは一人の主人公が複数人のヒロインから攻略対象を選択する。そのため共通パートでは横の繋がりが必然的に生まれるため掛け合いなどを自然に表現できるワイド画面が良いだろう。しかし本作は少女同士の恋を成就させることが主人公・結奈の役目であり、作品のテーマとなっている。そのため常にフォーカスされるのは「2人」の関係であり、自然に配置できるのがせいぜい2人のスタンダード画面では余すところなく全体を使用できるためぴったりだろう。

16.『劇場版カードキャプターさくら 封印されたカード』
<あらすじ>さくらたち友枝小学校6年2組は、なでしこ祭でお芝居をすることになり、夏休みも稽古で大忙し。そんなある日、さくらは香港に帰ったはずの李小狼と町中でバッタリ!小狼に告白されて、まだちゃんと返事をしていなかったさくらは今度こそ気持ちを伝えようと決心するのだが、失敗ばかり。でも、大親友の知世が誘ってくれた遊園地でついに告白できると思ったその時、不思議な気配が……。それはすべて封印したはずのクロウカードの気配だった!そして、さくらの魔力が次々と消えていく!! 最強のクロウカードを前に、カードキャプターさくら最後のバトルが始まる!!

<考察>本映画に登場する最後にして、最強にクロウカード。これは「無のカード」と呼ばれるものであり、シリーズ内でも強力なものとして知られる。設定として本カードを封印するためには「一番大切な思い」を引き換えにする必要がある。小狼に想いを伝えることが本作の大筋のため、わかりやすい。

17.『さくら色の雲*スカアレットの恋』(きゃべつそふと)
<あらすじ>現代(2020年)に生きる青年・風見司は、桜の木の下から大正時代(約100年前)の帝都東京へタイムスリップしてしまう。帝都で探偵事務所に身を寄せ、英国人所長や仲間たちと共にさまざまな事件を解決しながら、自身の帰還と未来への選択に向き合っていく。100年を超える時空を越えた出会いと恋、そして運命の分岐が物語の核となる。
<考察>序盤に映った未来の景色には東京スカイツリーと酷似した建築物が建っていた。司はそれを「東京スカイタワー」と呼んでいた。
 しかし最終場面、未来に戻った際に所長のひ孫であるマリィに「東京スカイツリー」であると訂正される。ここには日本のオタク文化の特徴が利用された仕掛けが見られる。アニメーション作品などで、実在の名称を出さずにそれを一部改変したものを使用することはよくある例である。 本作のようなパソコンをプラットフォームとした年齢制限のあるノベルゲームのプレイヤーの多くは「オタク」と呼ばれる層と重なることが多いことから、上記の例を常識とし、やり玉にあげるべきではないと判断できた者が多いだろう。そのため、当初プレイヤーは自然と東京スカイタワーは東京スカイツリーの名称が改変されたものだろうと認識できたのである。

18.『世界構成原理に関する一考察』(今川由利香)
<あらすじ>物理学博士の今川由利香は、有馬広大・龍蔵寺幸三とともに境町の磁場やリフレクター・デバイスを研究し、その成果をまとめた論文を発表する。結果として彼女の研究は学会を覆すことになる。
<考察>本論文は『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO 完全ガイド』に収録されたフィクションだが、実在の学術論文さながらに28ページもの分量で構成されている。アインシュタインやフロイトといった実在の学者を引用しつつ、仏教的要素や数式を織り交ぜ、並列世界の存在を証明するかのように語られる。
作者の剣乃ゆきひろの科学的素養が反映され、単なるゲーム内要素にとどまらずADVジャンルの可能性を大きく広げた。YU-NOが後世に与えた影響は計り知れず、本稿はその一端を担う重要なフィクション論文である。

19.『ライムライト・レモネードジャム』(ゆずソフト)
<あらすじ>音楽、仲間、そして恋。
彼女と出逢った日から世界は輝く――
ベースは上手いが、特定のバンドに所属することのなかった沖浪雪鷹。
目標がない、けれど他にやりたいこともない。
漫然と音楽活動を続ける中で見かけた路上ライブが、代り映えしなかった沖浪雪鷹の日常を一変させる。素人同然のギターで、たった一人で弾き語りに挑戦する少女・陽見恵凪。
彼女の路上ライブを見かけた瞬間から沖浪雪鷹の日常が、再びキラメキ始める。

<考察>ゆずソフトの最新作、前評判がすこぶる悪かったことが特筆事項である。これまで当ブランドはファンタジーを軸に置いたシナリオ構成をしていたが、本作は等身大のキャラクターとして制作されている。また舞台も現実に寄ったものであり、ファンタジーの要素もない。また「バンド」を主軸に置いたことで『ぼっち・ざ・ろっく!』や『BanG Dream!』といった作品の流行に「乗っかった」ように見られたのだ。
 本音として、私としてもそのイメージは拭えない。しかし、作品としての評価が下がるわけではない。最も注目したのは「音楽をノベルゲームでどう演出するのか」である。アニメーションや実写映画ならば当然、動きがある。しかし静止画を基調として構成する本媒体では難しいことは想像できるだろう。
 ここに、ゆずソフトが得意とする音声の妙がある。教室では生徒たちの「ガヤ」の声が流れるなど、本作にもその能力は活かされている。ヒロイン・恵凪が路上ライブをするシーンでは、たった一人で立ち、ギターを弾きつつ歌うのであるが、そこで音楽と彼女の歌声が挿入される。その後プレイヤーがテキストを読み進めると、恵凪の音楽はBGMとして流れ続けるのだ。その間、主人公の独白ばかりが表示されることもあり、音楽への没入が可能である。
 他の場面でも、人づきあいの苦手な恵凪が周りの生徒たちに囲まれているとき、その近くを去ろうとした主人公に対して「置いていくな、置いていくな」と呪詛のような音声が流れ続ける。この演出はギャグとして挿入され、プレイヤーを楽しませる。

20.『瑠璃の宝石』
<あらすじ>宝石や鉱物が大好きな女子高生・谷川瑠璃は、雑貨店で見かけた水晶に魅了され、自分でも鉱物を見つけたいと山へ向かう。そこで鉱物学を学ぶ大学院生・荒砥凪と出会い、彼に導かれながら採集や観察の世界へ足を踏み入れていく。
水晶やガーネット、黄鉄鉱などを探し、川や山を巡るフィールドワークを重ねながら、鉱物の魅力と自然の奥深さを知っていく。
<考察>本作は、鉱物採集という一見触れにくいテーマを基盤としつつも「宝石の輝きに惹かれる主人公の心」を大切に描いている。主人公の動機は単純な憧れに過ぎないが、経験を通じて探究心や学問への関心に変わっていく過程が物語の核を成している。自然や鉱物の描写は非常に細かく、美しい風景と結晶の輝きが視覚的な魅力を際立たせている。また“瑠璃”という名と宝石が重なり、価値や発見の意味を象徴的に示している。
2025/09/29(月) 16:15 No.2112 EDIT DEL
4年 山中拓実 RES
1.『月蝕』(TYPE-MOON)
<あらすじ>
 志貴の貧血はおさまることがなかった。体の不安定さは、胸のキズだけが原因ではなかったようである。寝ていると「君。そんな所で倒れてると危ないわよ」――――と。 
そんな、懐かしい、声がした。
「久しぶり。大きくなったわね、志貴」
「はい。先生もお変わりなく」
「――――志貴。君、自分が長くないって気付いてる?」
「――――ありがとう。先生に会えて、良かった」
月蝕の時はそう遠くない。
<考察>
 月姫本編のクリアー後に解放される、志貴のために描かれた物語。ここでは志貴はもう長くは生きられないことが明かされている。このシナリオで登場する先生は、本作の冒頭で登場したきりアルクェイドのシナリオで一度触れられた限りで、本当に忘れられてしまったかのようになっていた。
 しかし先生の言いつけを最後まで守り続けた志貴は再会を果たす。これは、同じく言いつけに沿ったプレイによってゲームを攻略したプレイヤーとしても再会の意味合いがあり、本作が本当の結末を迎えたことを実感させられた。ここで最も志貴とプレイヤーの境界は薄れ、同一化していると感じた。
 「月蝕」とは。私なりの考察であるが、通常この現象は「月食」と表記されるだろう。「蝕む」の字を選び取った理由があるはずである。まず「月」についてであるが「月姫」がアルクウェイドであるからして一見、彼女のことと考えられる。しかしそれは早計だ。
 私はこれを、志貴のことを指していると考える。志貴は七夜という、遠野家の影の存在、暗殺者の一族の生き残りである。そのため表向きな遠野を太陽として捉えたとき、七夜は月となる。また志貴の死が近いことをこの物語は提示している。であるからして「蝕」の字が当てはまるのは志貴である。

2.『閑話月姫』(TYPE-MOON)
<あらすじ>
 わたし「瀬尾アキラ」が男の人に声を掛けられ、それがきっかけで遠野志貴と出会ったのは今から三日前のことである。わたしは簡単そうで、複雑な「未来視」ができる。
 ぶらぶらと町を歩ていると、誰のモノとも知れない凄惨な現場を見てしまった。わたしはその時叫んでしまった。男は、まさに鬼気迫るといった感じで叫ぶ少女を見て、これも何かの縁だと感じた。そこで彼女と話すことにした。
 男は「遠野志貴」と名乗り、話しているうちにアキラは志貴ならばこの未来を変えることができるかもしれないと考えるようになった。ただ、アキラは同時に不安も覚えていた。視た男はどことなく志貴に似ていたのだ。
 次々と起こる事件、志貴を名乗る男の正体は。
<考察>
 本作においてもシナリオの叙述トリックは健在である。「幻視同盟」では3日目まで行動を共にしていた「遠野志貴」が偽物だった。プレイヤーは本作が『月姫』本編の後日談であるため、年上の顔をしていてもあまり不思議には思わない。しかし判明してから立ち返ってみると、色々と不整合が見えてくる。一か月前に起きたホテルでの事件にしては志貴の顔は大人びすぎている。しかしこれは、本編ではほとんど志貴の顔が描かれなかったこともあり、わかりづらい。
 没入の対象。本シナリオは少女であるアキラが一人称となり、プレイヤーは彼女に没入することになる。そのため、志貴に没入することができない。この要素も偽物であることを見抜けない理由だろう。
 アキラが持つ「未来視」の能力は非常に巧妙に設定されている。彼女の能力は単に未来が視えるわけではなく、すでに確定している「過去」から未来を演算している「予測」なのだ。そのため、大きな変化が加わらなければそのまま未来が発生する。
 しかしある意味ではその起こり得る未来を変えることもできる。そのためにアキラに行動させる要因にもなり、希望にもなる。

4.『Aster』(RUSK)
<あらすじ>
 父に憧れ、料理人の夢を追う榊 宏(サカキ ヒロ)は幼馴染の双子、沙耶と沙希と腐れ縁と言える仲が続いていた。花火が中止になったり、プールに遊びに行ったり、天文観測をする中で、宏は沙耶と恋人となる。次の観測まで一か月と迫る最中、沙希が出場する試合の観戦に沙耶は訪れていた。
 大会が終わり、3人で打ち上げをしようというところで沙耶と連絡が取れなくなった。待ち合わせ場所にも来ることはなかった。時刻は18時を回り、ようやく着信。沙希からだった。「ごめんね」と涙ながらに謝る彼女。「……沙耶は……死んじゃった……」
 物語は、始まったばかりである。
<考察>
 本作は実行ファイル起動時に、コンフィグ画面が出現する。その後、「開始」のボタン押下によりそのままゲームが開始される。本作の特徴に「選択肢がない」「起動時にオープニングが再生されず、簡素な画像表示のみ」「初回プレイ時には起動後にスタート画面がなく、代替品としてコンフィグが出現する」などがある。そのためにいわゆる一本道の本作に上記の特徴が重なることで、区切りをつけていないことが読み取れた。それによりプレイヤーは自然と作品世界に没入することができるだろう。そして沙耶√が終わりを告げたとき、OPが挿入される。ここからが本作の本質なのだと示されている。

 本作の大きな特徴として「4人の主人公」と「5人のヒロイン」が登場する。その中には事故の被害者である沙耶、加害者、さらには遺族までもが含まれている。本作は美少女ゲームの特徴である「没入」や「感情移入」を巧みに利用し、プレイヤーに深みを見せることで苦痛を与えている。しかしそれがプレイヤーを感嘆させることもその通りなのである。
 だが、これは非常に危うい特徴とも言えるだろう。一人称視点のノベルゲームは、上記のように他人の人生をまるで自分のものであるかのように追体験することができる。するとどうなるだろうか。本作のような限りなく苦痛でしかない物語をも同様に体験し、咀嚼するのである。

 本作はネット上で『君が望む永遠』と酷似しているといわれる。しかしこの情報はどうやら、本作の体験版が配信された際にいわれたものらしい。比較したい。ヒロインについて。遙と比較して本作のヒロインたちは少女性を色濃く持っている。顔立ち、等身、服装、言動、そのすべてにおいてである。確かに遙は作品内では妹の茜に次ぐ幼さを持っていた。しかし事故の前には茜はまだ無邪気な妹分であり、ヒロインとしては描かれていなかったので、遙が最も幼く映っている。彼女よりも幼い本作のヒロインたちの不幸は、悲しみを増大させるだろう。ただ『君が望む永遠』から感じられた等身大の好いている女性ヒロインへの悲しみとは、本作の感じさせるあどけなさを持っている少女への悲しみはベクトルが違うといえると考えた。更に前者は遙とこれから親密になっていける未来を期待しているが、本作はずっと続いていってほしい日常が重要視されている。これら本作の持つ力はKeyの作品が示してきた感情に類似している。

 本作とKeyの作品群との比較について。両者は比較されることが多い。それは本作のパッケージに「奇跡のないこの世界で、少女たちは優しい希望と出会う…。」と記されているように、奇跡をテーマにしていたKeyとは対称的といえるからである。上記にある少女性が、少しファンタジックな様子を見せるが、希望がないことでリアルさが一気に介入してくる。

5.『終末の過ごし方 -The world is drawing to an W/end-』(アボガドパワーズ)
<あらすじ>
 ――1週間後に人類滅亡を控えた人々の、非日常という名の日常の物語。その状況の中で、諦めたように学校へ通い続ける主人公達。果たしてその先に何があるのか。
「いいじゃない、どうせ死ぬんだから☆」
 諦める者、最後までもがく者、自暴自棄になる者、カミングアウトする者、終末の群像劇。
「―終末さぁ…空いてる?」
 ―良い終末を
<考察>
 本作はいわゆる終末を題材とした『少女終末旅行』や『風の谷のナウシカ』、『人類は衰退しました』のようなポストアポカリプスではない。これらは終末を迎えた後、生き残った者たちを描くことことが多いが、本作は終末が訪れるのを待つばかりである。それは半ばあきらめたかのように自嘲的にすごしているようにも思える。そのために留希は自分が医者を目指した不純な動機を一介の生徒である多弘に打ち明けられる。そしてポストアポカリプスな物語には自然と存在している「選民」がない。本作ではどこまでも普通な人物たちである。これによって、非日常がプレイヤーにとっては日常になっていると考えた。本作のホームページにも「――1週間後に人類滅亡を控えた人々の、非日常という名の日常の物語。」とある。
 本作の特徴は「MMX命令」に対応していることである。このテクノロジは画像や音声といったものの処理を高速化するための技術であり、インテルが1997年に初めて発表した。詳細としては演算を通常は一つずつ行うところを、一度に複数行う技術である。本作では前に表示された画像をフェードアウトしていると同時に次の画像をフェードインさせるクロスフェード処理に使用されている。またサウンドのクロスフェード処理にも使用されている。これらにより双方でシーン間のつながりが滑らかになっている。さらに本作のCGはパステル調になっており、終末までの悲壮感、虚無感を表現していると感じた。

本作の機能説明ページ
https://web.archive.org/web/20170904081632/http://www.scarecrow.co.jp/abp/shuu/mmx.html
 本作の地の文には「スクロールダウンして」など、視点移動が語られる。そうすると何かしらのアクションが起こるのだが、プレイヤーの視点であるウィンドウも同期するように変化する。視点を重要視していることがわかる。
 賛否両論あるだろうが、本作はなぜ終末が訪れるに至ったのか、結果としてどうなったのかには深く触れることはない。それは本作がそれぞれの登場人物の心情を重きに置いているためであり、世界における事象は「終末」さえあればよくなっているためであろう。

6. 『月陽炎』(すたじおみりす)
<あらすじ>
 大正時代を舞台に、神職見習いとして修行に訪れた青年・悠志郎は、遠縁の神社で銀髪の少女・柚鈴やその姉・鈴香と出会う。静謐な空気に包まれた神社で、彼は二人が抱える家族の秘密や心の痛みに触れ、やがて自らの生き方を見つめ直していく。過去と現在が交錯する中で、悠志郎は祈りと選択を通じ、彼女たちとともに運命に向き合うことになる。
<考察>
 シナリオライター宮蔵と原画家仁村有志のタッグが後のALcot設立へとつながる重要な作品であり、商業美少女ゲーム史においても転換点となった。制作会社ALcotは2025年発売予定の『Clover Memory’s』をもって解散が予定されているが、代表宮蔵の年齢と後継者不足という属人性の限界がその背景にある。解散後も版権を会社が保持する方針は、作品の保存・再販を可能にする前向きな判断であり、衰退しつつある美少女ゲーム業界において重要なモデルケースとなるだろう。大正浪漫的な世界観と儚い人間模様が、後続ブランドの物語性に大きな影響を与えている。
7. 『スケッチブック~full color's~』(ハルフィルムメーカー)
<あらすじ>
 引っ込み思案の高校生・梶原空は、周りに流されながら美術部へ入部してしまった。部員たちは顧問含め皆一癖ありながらも温かい。パペットづくりが趣味の麻生夏海、空と夏海をまとめる倹約化の鳥飼葉月。仲間たちと空は「美術」を通じた交流を深めていく。

<考察>
 物語は大きな事件を起こさず、日常の中に潜む感情の揺れや人間関係の微妙な距離感を丁寧に描き出している。特に妹のみなもは年齢ゆえの未熟さが言葉や行動に表れ、他キャラクターとの対比でその無垢さが際立つ。作画の安定性と淡い色彩設計が穏やかな空気を支え、静かに心に残る余韻を作り出している。日常系作品としての完成度が高く、観る者に柔らかい余白を与えてくれる点が魅力である。
8. 『天色*アイルノーツ』(ゆずソフト)
<あらすじ>
 かつて教師だった主人公は新たな生活を求め、空に浮かぶ島ライゼルク市国の女学院に赴任する。獣人やエルフといった異種族が共存する島で、彼は個性的な生徒たちと交流を深めていく。その後主人公は、葛藤や悩みを抱えた少女たちと交流し、未来を選び取る。浮遊都市という幻想的な舞台で、現実と異世界の境界は曖昧になっていく。
<考察>
 世界観の広がりに比してプロローグが短く、プレイヤーが島の特異性を十分に味わう前に物語が進行してしまう点は惜しまれる。しかし、画面比率「4:3モード」を自然に実装したUI技術や、キャラクターの感情表現を誇張する演出が、プレイヤーの没入感を効果的に高めている。例えばお菓子を食べただけで涙するような反応は、単なる萌え要素を超え、非日常の世界における心の動きを強調する仕掛けとして機能している。ゆずソフトらしい軽やかさと技術的挑戦が融合した作品である。
9. 『ウィズアニバーサリー』(CROSSNET)
<あらすじ>
 イザヴェイル王国南部にそびえ立ち、古くから著名な魔法使いを輩出してきたアルヴィース魔法魔術学院。この名門に通う怠惰な青年、デュオは同級生のシャル、先輩のローラ、下級生のアリス、グラニテ、ソフィアらと共に騒がしくも楽しい毎日を送っていた。学院で催される魔女の祝祭「ウィズ アニバーサリィー」の開催日が近づくに連れ、デュオは妙に彼女たちのことが気になり出す。

<考察>
 特徴的なのはイベントCGを拡大・スクロールできる「FVPシステム」であり、視覚的操作を楽しさに変換する試みが光る。従来のノベルゲームはテキストを読むだけの受動的体験に留まりがちだが、この作品はユーザーの手の動きそのものを物語鑑賞の一部に取り込んでいる。単なる技術的遊びではなく、キャラクターの表情や空間を自ら切り取る感覚を提供することで、プレイヤーと世界の距離を縮める効果がある。静的なメディアに動的な体験を持ち込んだ意欲的な実験として位置付けられる。
10. 『喫茶ステラと死神の蝶』(ゆずソフト)
<あらすじ>
 大学生の高峰昇晴は事故で命を落とすが、時間が巻き戻り再び生を得る。死神の少女たちと出会った彼は、魂を導く喫茶店「ステラ」で働きながら、人の死と再生に向き合っていく。蝶が舞う街で、死と隣り合わせの温かい日常が、彼の人生に新たな意味を与えていく。
<考察>
 選択肢の提示が物語情報に巧みに組み込まれており、プレイヤーは違和感なくヒロインの好感度やストーリー分岐に影響を与えられる。死生観という重いテーマを扱いながらも、喫茶店という日常的空間が舞台であることで、哲学的な問いが柔らかく包み込まれている。魂の残滓を象徴する蝶や、再生を思わせるカフェの営みが、死を単なる終わりではなく連続する日常の一部として描き出す。ゆずソフト特有の軽快な会話劇と深い主題が見事に共存する作品である。
2025/09/29(月) 15:23 No.2111 EDIT DEL
4年 佐藤希実 RES
1、『ウィキッド ふたりの魔女』(映画)(2025年)監督:ジョン・M・チュウ

【あらすじ】
誰よりも優しく聡明でありながら家族や周囲から疎まれ孤独なエルファバと、誰よりも愛され特別であることを望むみんなの人気者グリンダは、シズ大学で出会う。見た目も性格も、そして魔法の才能もまるで異なるふたりは反発し合うが、互いの本当の姿を知っていくにつれかけがえのない友情を築いていく。
ある日、誰もが憧れる偉大なオズの魔法使いに特別な力を見出されたエルファバは、オズに隠され続けていた“ある秘密”を知る。

【考察】
 まず、視覚からシズ大学に通う生徒たちの衣装が特徴的だと感じた。生物学的な性別にとらわれず、男性であろうが女性であろうがスカートやズボンを自由に着用し、また、スカートとズボンが合体したようなデザインの制服もあった。本作では現代社会のジェンダーレスの価値観を反映させた衣装作りがされていた。
本作は女性同士の絆を描いたシスターフッド作品の一つだと考えられるが、終盤で、ふたりは別々の道を選択する点はとても意外に感じた。グリンダはやはり自分のポピュラーな部分を捨てきれないため、エルファバとともに逃げるという選択はしない。エルファバはグリンダについてきてほしいけれど強要はしないし、グリンダの気持ちもわかっているという感じがする。この困難を一緒に乗り越えようではなく、あなたの幸せを願っているという形にすることはシスターフッド作品であまり類を見ないのではないかと感じた。その点も踏まえ、本作では何よりも個を大切にする姿勢が一貫して描かれていると考えられる。


2、『ロミオとジュリエット』(映画)(1968年)監督:フランコ・ゼフィレッリ

【あらすじ】
シェイクスピアの傑作戯曲。15世紀中頃、イタリア北部の町ベローナ。2大名門として知られるモンタギュー家とキャピュレット家が血で血を洗う抗争をする最中、モンタギュー家の子息ロミオとキャピュレット家の息女ジュリエットは舞踏会で出会い、恋に落ちる。2人はお互いの素性を知り落胆しつつも、燃え上がった心を抑えきれず結婚式を挙げようとする。

【考察】
ロミオが最初ジュリエットではないロザラインという女性に想いを寄せていたというところに驚いた。ロザラインからジュリエットへと想いが移り変わる瞬間を舞踏会の場面のカメラワークで巧みに表現していた。
ロミオとジュリエットの恋は、お互いに愛が深まり、結婚を切望するまでがあまりにも性急な様子で描かれる。彼らの若さは愛の純粋さを表すとともに軽薄さすら表しており、彼らの後の運命の伏線になっていると考えられる。


3、『プライドと偏見』(映画)(2006年)監督:ジョー・ライト

【あらすじ】
18世紀、女性に相続権がない時代のイギリス。貧しくはないけれど、大金持ちでもないベネット家では、隣に越してきた金持ち・ビングリーの噂でもちきりだった。読書好きの次女エリザベスは、ダンスパーティーでビングリーの親友・ダーシーの高慢な態度に腹をたてる。またダーシーも彼女の聡明さと金持ちへの偏見に苛立ちを覚えるが、少しずつお互いへの偏見はなくなり距離は縮まっていく。

【考察】
 本作の中にはあらゆる偏見が散りばめられている。ダーシーは社交場での振る舞いが上品さに欠けるベネット家全体に偏見を持っているため、ビングリーとジェインの婚約を阻止した。エリザベスはウィッカムの言葉を信じ、ダーシーが悪者だという偏見の目で見続ける。
貴族の家柄で大金持ちの男性が、人に対して鋭い観察眼を持ち、時にシニカルで堂々とした振る舞いをするヒロインを一目置き、ヒロイン一家の一大事には、悟られないように助けに入り、解決に導き、後にすべての事実に気づいたヒロインと婚約するという展開はまさに少女漫画に見られるシンデレラ・ストーリーの代表のような物語であると感じた。また、家柄が良い男性も高慢さはもっているが、愛する女性の前ではその高慢さも消え失せるという特徴すら付随する。
エリザベスの女性像は18世紀の女性としては先進的であり、嫌な男性とは結婚しない、立場が上の人間に対しても堂々と意見を言うなど強い女性として描かれている。


4、『パラサイト半地下の家族』(映画)(2019年)監督:ポン・ジュノ

【あらすじ】
全員失業中で、その日暮らしの生活を送る貧しいキム一家。長男ギウは、ひょんなことからIT企業のCEOである超裕福なパク氏の家へ、家庭教師の面接を受けに行くことになる。そして、兄に続き、家族全員がこの豪邸に足を踏み入れる。この相反する2つの家族の出会いは、悲喜劇へとつながっていく。

【考察】
半地下で暮らしている貧困層のキム一家が、富裕層のパク一家で家庭教師や、家政婦、ドライバーなどの職を得て、パク一家に違和感を持たせずに働く様子からキム一家の持つ高いスキルがうかがえる。富裕層の中で通用する高いスキルを持っていても貧困から中々抜け出すことができない韓国の格差社会がよく分かる。パク一家の地下室でひっそりと暮らすグンセのように何もスキルを持たない貧困層の人は地下の奥深くに住み、スキルを持った貧困層のキム一家は半地下に、富裕層のパク一家は二階建ての大豪邸に住んでいるという明確に構図で階層が描かれている作品であると考えられる。


5、『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来(映画)(2025年)原作:吾峠呼世晴 監督:外崎春雄

【あらすじ】
鬼となった妹・禰󠄀豆子を人間に戻すため鬼狩りの組織鬼殺隊に入った竈門炭治郎。その後、来たる鬼との決戦に備えて、挑んだ柱稽古の最中、鬼殺隊の本部である産屋敷邸に現れた鬼舞辻󠄀無惨。お館様の危機に駆けつけた《柱》たちと炭治郎であったが、無惨の策略によって謎の空間へと落とされてしまう。

【考察】
本作で焦点が当てられた鬼である猗窩座の描き方と人気について。
猗窩座は劇場版前作の無限列車編で物語終盤において突如現れ、煉獄杏寿郎を死に追いやった圧倒的な敵、炭治郎が憎むべき相手として描かれていたのにも関わらず、猗窩座というキャラクターは視聴者から大きな人気を獲得している。猗窩座は他の鬼とは異なり、女を喰わない、炭治郎、義勇との戦いにおいて自害を選ぶといった特徴があり、また人間時代においても父親想いでどれだけ罰を与えられても薬を買うため、盗みを繰り返すという少年期を過ごし、父と同じく体が弱かった恋雪にも献身的に看病していた。そして彼が暴力を振るうときは誰のためが理由であるなど心根が優しい人物として描かれていた。また鬼になった理由も自ら望んだのではなく、鬼舞辻無惨にいきなり鬼にされた。術式も婚約者であった恋雪の髪飾りがモチーフになっているなど様々な場面で彼がどれほど恋雪を大切に思っていたかが伝わる描かれ方をしている。また、人を殺す場面は多々あれど、同じく上弦の鬼の童磨などとは異なり、絶対にしているであろう人を喰う場面は描かれない。
これらの描かれ方から、猗窩座は他の鬼とは異なり、視聴者の都合の良い場面のみが抜粋されて描かれていると考えられる。加えて、煉獄杏寿郎の死を作った猗窩座に対し、主人公である竈門炭治郎は一切哀れみの気持ちなどは抱かない。鬼の過去は視聴者にのみ語られるため、当然のことではあるが、竈門炭治郎は視聴者から感情移入されるタイプの主人公としては描かれていないことがよく分かる。


6、『西の魔女が死んだ』(映画)(2008年)監督:長崎俊一

【あらすじ】
学校へ行くことが苦痛になってしまった中学生のマイは、母に勧められて祖母の家に身を寄せることに。母とマイが"西の魔女"と呼ぶイギリス人の祖母は、大自然に囲まれた一軒家で穏やかな生活を送っている。祖母との田舎暮らしは閉ざされたマイの心を少しずつ解きほぐしていく。

【考察】
人が自然とともに暮らす様子がとても美しく描かれている。特にジャム作りの場面は我々視聴者にノスタルジックな気持ちを想起させる。
学校に馴染めず、不登校になってしまったマイが祖母の家で過ごしているときには近所に住むゲンジさんを目の敵にする。また、ゲンジさんに対するマイの言動に対し、祖母もマイの頬を叩くという激しい対応をしてしまう。どれほど優しさや落ち着きを持ち、人の痛みがわかる経験をしてきた人であっても心の隅には激しく暗い感情、衝動を抱えているという点が描かれており、ファンタジックでノスタルジックな本作の中にも現実感があった。


7、『FALL/フォール』(映画)(2022年)監督:スコット・マン

【あらすじ】
山でのフリークライミング中に夫を落下事故で亡くしたベッキーは、1年が経った現在も悲しみから立ち直れずにいた。親友ハンターはそんな彼女を元気づけようと新たなクライミング計画を立て、現在は使用されていない超高層テレビ塔に登ることに。2人は老朽化して不安定になった梯子を登り、地上600メートルの頂上へ到達することに成功。しかし梯子が突然崩れ落ち、2人は鉄塔の先端に取り残されてしまう。

【考察】
映画の半分以上を鉄塔の小さな足場の上で過ごすため、画面上の要素が大きく変化することはないのにもかかわらず、見ていて飽きなかったのが驚きだった。終盤には、死を生へと変える象徴とされるハゲワシを主人公が喰らうことで周囲の人々の死からの脱却が行われたと考えられる。


8、『ウォーリー』(映画)(2008年)監督:アンドリュー・スタントン

【あらすじ】
人間が見捨てた29世紀の地球。そこに、700年間、たったひとりでゴミ処理をするロボットのウォーリーがいた。夢は、いつか誰かと手をつなぐこと。ある日、ウォーリーの前に、真っ白に輝くロボットイヴが現れる。ウォーリーは、彼女の気を引くため、次々と自分の宝物を見せる。しかし、長靴に入った植物を見せた瞬間、イヴは体内にそれを取り込み、宇宙船に回収されてしまう。イヴを救うため、ウォーリーは未知なる宇宙へ旅立つ。

【考察】
荒廃した世界の中で無機質なはずのロボットたちが生命をつなごうとするという物語構造が面白いと感じた。作品内で最も人間らしく描かれたのはウォーリーであったと感じる。顔という顔がなく、口も鼻もない、目はレンズで表現しているのにもかかわらず、ここまで表情が読み取れることに驚いた。
また、人間の描写が最初は実写であるのに、終盤の船に乗る人々はアニメーションで描かれている点に疑問を持った。本作で描かれている荒廃した世界を自分たちの現実とリンクさせることが狙いなのかなと予想ができつつも、統一されていないことには違和感がある。


9、『私ときどきレッサーパンダ』(映画)(2022年)監督:ドミー・シー

【あらすじ】
いつもマジメで頑張り屋のメイは、ある出来事をきっかけに本当の自分を見失い、感情がコントロールできなくなってしまう。悩み込んだまま眠りについたメイが翌朝に目を覚ますとなんと、レッサーパンダになってしまった!一体どうすれば、メイは元の人間の姿に戻ることができるのか?この突然の変身にはメイも知らない驚きの秘密が隠されていた。そして、様々な人との関係を通してメイが見つけた、本当の自分とは?

【考察】
本作は制作チームの主要なリーダーが女性のみで構成されているという特徴を持つ。
母娘関係を綿密に描いており、物語の中でも重要な要素を占めている。中国の親を敬うという孝の価値観と個としての自分の両立が最大のテーマである。
メイの描き方に関しては、勉強している最中に気がそれて全く意識してないはずの男の子のイラストを夢中になって描いてしまったり、母親が暴走するのを黙って肯定するだけになってしまったり、鏡の自分と喋ったり、不安定な少女がとてもリアルに表現されていた。
親の理想とは異なる自分をさらけ出し、認めさせるということはとても困難なことだが、娘は母も子ども時代を経て大人になっていること、母は娘を自分とは異なる一人の人間であることを意識しなければならないのだということを丁寧に描いている。母娘問題に1つの答えを出した作品だと考えられる。


10、『ドクタードリトル』(映画)(1998年)監督:ベティ・トーマス

【あらすじ】
子供時代のドリトル先生は動物と話ができるフシギな能力を持っていたが、結局誰にも信じてもらえず、いつしか動物に対して心を閉ざしてしまっていた。ところが30年後のある日、ひょんなことからその能力が復活し、噂を聞きつけた悩める動物たちがどんどん押し寄せてきて大パニックになる。

【考察】
動物の口がパクパク動いて喋る不自然さと動物本来の動きのつなぎ方が自然で驚いた。動物たちの細かな表情はCGなのかわからないが、90年代の映画でここまでの動物たちを登場させたことは先進的な取り組みであったと感じる。


11、『アリス・イン・ワンダーランド ~時間の旅~』(映画)(2016年)監督:ジェームズ・ボビン

【あらすじ】
ワンダーランドで、救世主として戦ったあの冒険から3年。 アリスは、亡き父の後を継ぎ船長として活躍していた。だが、航海から戻った彼女に船長解任の現実が差し迫る。アリスは自分の元から愛する父や仕事を奪う時間の流れに敵意を抱く。そんな時、目の前に青い蝶が現れ、鏡の中へと彼女を導く。鏡を通りぬけるとそこは、あのワンダーランドだった。

【考察】
前作ではティム・バートンが監督をし、彩度が低い色で統一された画面や特徴的な音楽で構成されていたが、本作ではジェームズ・ボビンがメガホンを取り、全体的に前作のダークな感じは消え、彩度が高く、きらびやかな印象をもたせる画面構成となった。
前作で完全なる悪役として描かれた赤の女王の過去が明かされ、彼女への見方が変化する作品である。本作に明確な悪役は登場せず、アリスが一方的に時間(タイム)を忌み嫌うのだが、時間との和解というのは若者にとっての壮大なテーマだと感じた。時間を遡る際に小さな船に乗って大海原を渡っていくという表現はアリス自身のアイデンティティを表すようでもあるし、人間にとって最も身近で未知である海を時間の広がりと表現するのは秀逸であると感じる。


12、『bao』(短編アニメーション)(2018年)監督:ドミー・シー

【あらすじ】
カナダ、トロントの中国人コミュニティで暮らす一家は、ひとり息子が成長して家を離れ、母親はどこか寂しい思いを抱えながら過ごしていた。そんなある日、彼女が作った中華まんに命が宿る。母親は、中華まんを息子のように愛情を込めて育てるのだが母の想いとは裏腹に中華まんは変化していく。

【考察】
家で1人過ごす日々を送っていた主人公の前に命の宿った中華まんが現れるという斬新なストーリーであるが、中華まんの第一声が産声であることや主人公が中華まんを子どものように大切に育てていく様子から、中華まんが彼女の息子を表しているのだとわかる。見た目が中華まんであるため、中華まんが少しずつグレていく様子はコミカルに捉えることもできる。親子関係の重さを中華まんというコメディ要素が軽くしてくれると感じる。
『私ときどきレッサーパンダ』とは異なり、母視点で親子関係を描写した本作はこの問題を考えるための新たな視点を与える作品だと考えられる。


13、『Action Stage「エリオスライジングヒーローズ」―THE NORTH―』(舞台)(2025年)演出:吉谷晃太朗 脚本:米山和仁

【あらすじ】
HELIOS第13期研修チームが始動してからしばらく。セクターランキングで不動の1位を誇っていたノースセクターだったが、思いもよらない苦境に陥ってしまう。バラバラなチームの状況を反映するかのように、街が治安悪化を引き起こし、トラブルが続発してしまう。

【考察】
アクションステージという名の通り、戦隊ヒーローショーのようなアクションメインの舞台でとても見応えがある。原作のゲームではキャラクターたちか固有の技のようなものを持っている。舞台ではその固有の技を舞台装置にエフェクト映像を投影し、音とともに演者の動きと合わせることで、技を発動させており、舞台を2.5次元化させることに成功していたと感じた。ゲームではキャラクターたちの戦闘シーンはあまり見ることができないため、実際に動き、戦うキャラクターたちがそこにいることや原作をなぞるだけでない物語のオリジナリティなどが観客の心をつかむのだと考えられる。


14、『リロ&スティッチ』(映画)(2025年)監督:ディーン・フライシャー・キャンプ

【あらすじ】
両親を亡くした少女リロと姉のナニ。ひとりでリロを育てようと奮闘するナニだったが、若すぎる彼女は失敗ばかり。離れ離れになってしまいそうな姉妹の前に現れたのは、家族の愛を知らない、暴れん坊のエイリアン、スティッチ。予測不可能な彼の行動は、平和な島に大混乱を巻き起こすが、その奇跡の出会いはやがて、希望を失いかけた姉妹を変えていく。

【考察】
スティッチのCGはあまり違和感なく、アニメーション版よりも犬っぽさが増したように感じた。だからこそ、スティッチを犬とするリロに対しても「まあそう思えなくもないかも?」となぜか絆されそうになる。
アニメ版との大きな変化として、終盤、スティッチが生死をさまよう展開やナニがリロとは離れ、大学に行く選択をするという展開がある。リロはスティッチが溺れているのを助けようとするが、スティッチは自らリロの手を離し、1人で沈んでいく。そのため生死をさまようことになるのだが、アニメ版の似た場面では、スティッチがリロの足を掴んで何が何でも息をしようともがいていた。この変化はコンプラ的な影響もあると考えられるが、スティッチの心の成長が何よりわかるシーンになっている。ナニの大学へ行くという選択はリロが後押しするという形をとっている展開であることからも、何があっても一緒なのがオハナという言葉に新たな解釈が生まれ、どこにいても何をしていてもオハナだという家族の多様な形が提示されていると捉えることができる。


15、『テルマ&ルイーズ』(映画)(1991年)監督:リドリー・スコット

【あらすじ】
平凡な主婦のテルマとウェイトレスのルイーズは週末のドライブ旅行に出発。その途中、立ち寄った店の駐車場でテルマが男に襲われそうになり、助けに入ったルイーズが護身用の拳銃で男を射殺。さらに次から次へとトラブルが重なり、警察に指名手配された2人は、車でメキシコを目指し逃避行を続けるうちに、自分らしい生き方に目覚めていく。

【考察】
本作はシスターフッド作品として名高い評価を得ている。性的被害に対する正当防衛も信じてもらえないと逃げる2人の女性だが、物語の中でルイーズも性的被害にあったことがわかる場面がある。ルイーズを襲った相手はなんの罪にも問われなかったからこそ、ルイーズはテルマを襲った男を撃ち殺したのではないかと予想ができる。そんな女性の正義を信じようとする男性の刑事が描かれている点が本作の驚くべき点である。寄り添おうとするも彼は2人にとって見知らぬ男性であるため、信頼には値しない。
ラストの彼女たちが2人きりで他の誰にも言えない秘密を抱え、車で飛ぶ場面はそうする他ない彼女たちのプライドや正義が詰まっていたと感じる。


16、『ワンパンマン』第1期(漫画/アニメ)原作:ONE 漫画:村田雄介/監督:夏目真悟

【あらすじ】
趣味でヒーローを始めた男、サイタマ。
彼は3年間の特訓により無敵のパワーを手に入れた。だが、あまりに強くなりすぎてしまったゆえに、どんな強敵が相手でもワンパンチで決着がついてしまう。
「圧倒的な力ってのは、つまらないもんだ」
そんな平熱系最強ヒーローの前に、今日も新たな敵が現れる。今日こそ本気が出せるのか!?

【考察】
作品内の世界で主人公のサイタマは、本物の強者以外には全く注目されていないどころか嫌われてすらいるという点が新しく斬新である。特にアニメ「第7話 至高の弟子」ではいくつかの都市が全壊するほどの大きさの隕石を粉々に砕き、死者ゼロという結果を出した。しかし、人々の反応は生き残った喜びではなく、今までの生活が壊れたことに対する鬱憤のみであった。市民は命を救ってくれたサイタマへ「ヒーローをやめろ」と冷淡な言葉を吐き、ネットの掲示板にもサイタマへの誹謗中傷の言葉が溢れていた。
最近の「なろう系」とジャンル分けされる作品群では圧倒的強者であるだけで周りからチヤホヤされるという構図が溢れているが、本作では強者であり、多くの人を救っている誰よりもヒーローであるサイタマは、救っているはずの相手からは正当な評価を得られない。「第8話 深海の王」では、市民がサイタマの圧倒的な強さを目撃し、他のヒーローの実力を疑い始めた際、サイタマは自ら悪役になるような言葉を放ち、他のヒーローのメンツを保とうとする。市民からのサイタマの評価は落ちるばかりで悪口が書かれた手紙まで届く始末だった。また、力を持たないが市民から応援され好かれる無免ライダーとサイタマの対比構造はよくできている。
以上のことから本作では多くの聴衆は真実を知らず、受け止めないということがよく表現される。


17、『モロッコ、彼女たちの朝』(映画)

【あらすじ】
カサブランカのメディナ(旧市街)で、女手ひとつでパン屋を営むアブラと、その扉をノックした未婚の妊婦サミア。孤独を抱えていたふたりだったが、丁寧に捏ね紡ぐパン作りが心を繋ぎ、やがて互いの人生に光をもたらしてゆく。

【考察】
終始画面がとても美しく、サミアがパン生地をこねるシーンはまるで絵画であった。
未婚の女性が妊娠することはタブーとされるイスラーム社会で、妊婦に優しくしてくれる人々もいれば、冷たい人もいる。あまりに現実を切り取ったような物語で、自分もそんな様々な人々とともにカサブランカの街を過ごす一員になったようであった。
ラスト赤ん坊を抱え、出ていくサミアの場面は赤ん坊のアダムを女手一つで育てる決心をしたのだろうと考える。
妊娠、出産という女性のライフイベントを通してサミアとアブラの絆が深まる様子はまさにシスターフッドである。


18、『クルエラ』(映画)(2021年)監督:クレイグ・ギレスピー

【あらすじ】
パンクムーブメントが吹き荒れる70年代のロンドン。親を亡くした少女エステラは、反骨精神と独創的な才能を活かし、ファッション・デザイナーになることを決意。ロンドンで最も有名な百貨店に潜り込む。そんなある日、エステラは伝説的なカリスマ・デザイナーのバロネスと出会い、ファッショナブルで破壊的かつ復讐心に満ちた“クルエラ”の姿へ染まっていく。なぜ少女は悪名高きヴィランに変貌したのか。

【考察】
本作はファッション映画でもあり、『プラダを着た悪魔』に似た作品だと感じた。大きく異なるのはエステラとバロネスが実は親子で似たヴィランの性質を抱えているという点である。生まれたときから産みの母に捨てられ、育ての母も産みの母に殺された、ただの可哀想な少女にはせず、もともとヴィランの素質は持っていたという設定にすることで、彼女がクルエラになった理由や破壊的な言動に納得感が出ると感じる。


19、『アーネスト式プロポーズ』(映画)(2002年)監督:オリヴァー・パーカー

【あらすじ】
19世紀イギリス。田舎町で真面目な紳士として暮らすジャックは退屈な日々を紛らわすため、架空の弟アーネストを名乗ってロンドンの社交界で遊んでいた。そんな時、彼は大貴族の令嬢グウェンドレンと恋に落ち、結婚を決める。しかしグウェンドレンが彼のプロポーズを受け入れたのはアーネストという名前の男性と結婚する運命を信じているからだった。それを知ったジャックは、彼女に本名を明かすことができなくなってしまう。

【考察】
セシリーとグウェンドレンが初めて会い、仲良くなれそうと握手を交わして同じテーブルに座った後に、同じアーネストと婚約をしているかもしれないと勘違いし手のひらを返したようにグウェンドレンは「最初からあなたは信用ならないと思ってた」と言うなど2人の争いはまさに喜劇の中の女性たちとして描かれている。その後にふたりの男性がアーネストという偽名を使っていたことがバレてしまい、女性たちは騙された仲間同士で徒党を組むという流れはとても自然で面白い。


20、『勝手にふるえてろ』(映画)(2017年)監督:大九明子 原作:綿矢りさ

【あらすじ】
OLのヨシカは同期の「ニ」からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがるが、「ニ」との関係にいまいち乗り切れず、中学時代から同級生の「イチ」への思いもいまだに引きずり続けていた。一方的な脳内の片思いとリアルな恋愛の同時進行に、恋愛ド素人のヨシカは「私には彼氏が2人いる」と彼女なりに頭を悩ませていた。そんな中で「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」という奇妙な動機から、ありえない嘘をついて同窓会を計画。やがてヨシカとイチの再会の日が訪れる。

【考察】
街の人々にここぞとばかりに話しかけるヨシカを見て、どう見たってこれはヨシカの脳内でだけの出来事だと思っていたため、本当はくるみ以外とは喋ったこともないという真実が明かされてもあまり驚かなかったが、中学生のイチとの思い出すらヨシカとイチとでは大きく異なっていて、しまいにはイチはヨシカの名前すら覚えていなかったという真実には思わず心が苦しくなった。人によって出来事に対する認識の違いがあることに気づいたヨシカだからこそ、共通の趣味があり、気が合いそうで何しろ10年も想い続けたイチではなく、ナルシスト気味だが、飾らない自分を好きだというニを選んだのだと考えられる。
2025/09/28(日) 22:32 No.2110 EDIT DEL
4年 有田真優美 RES
4年春休み課題 続き

21,デスノート(アニメ版)(2006) 監督:荒木哲郎

あらすじ
名前を書かれた人間が死ぬ死神のノートを拾った天才的な高校生・夜神月(ライト)が、犯罪のない理想の世界を作るため「キラ」として凶悪犯を抹殺していく物語です。月は正体不明の名探偵Lに追われることになり、二人の天才による予測不能な頭脳戦が繰り広げられます。

思っていたよりキラが厨二病チックでLも言っていたようにとても幼稚な人間性が垣間見えていた。特にやられたら即やり返すというパターンがキラには多く、その対策の速さ、完璧さが逆にLに怪しまれていた。また、最後に僕の勝ちだと言ってしまうあたりも負けず嫌いですべて自分の意のままの状況に心底心酔していた。この作品はキラとLの頭脳戦が見どころなのはもちろん、その中でもLとキラの考え方の違いやそれによる戦略の違いなどが見え、そこから人間性が見えてくるところがとても高度なエンタメ作品だなと思う。また、表情の歪み方など気持ち悪いまでにリアルな感じが同じ監督なこともあり、「進撃の巨人」の作画を思い出した。また、ノートに書くシーンやどんでん返しのシーン、誰かが死ぬシーンなどで盛大な音楽と何度もその瞬間をリピートして強調する感じがやりすぎなまでに派手だが、それがキャラクターの表情の強さと良い塩梅で組み合わさっており、音楽は漫画にはないアニメならではの強みだと感じた。また、その演出によって視聴者も盛り上がり、キラとLの対立構造もどちらを応援するかと注目しやすく、エンタメとして非常に盛り上がる演出だなと思った。

22,ワンピースファンレター(2024)監督:石谷恵 、森佳祐

あらすじ
エースを失った頂上戦争から2年後のシャボンディ諸島で、ナミに憧れる少女が小さな冒険に出る物語。海賊を「追い求めない」一般人の視点から麦わらの一味の再集結が描かれる群像劇。

大海賊時代に巻き込まれた側の人々の物語。
アニメでは壁にめり込んだり、ポップに描かれているがこれは戦争であり、残酷なものだということを海兵というモブの立場から強く認識させられる。足から血が出るシーンなどは特に実の能力を持たないものたちがいかにちっぽけな存在かわかる。その中でも麦わらは何か違うと思われているという事実も普段一般人には目が向けられないため分かりづらいが、麦わらの一味の世間の評価がわかる話でもある。
また、大多数の人間、特に若者はSNSによって昔よりももっと広い世界を若いうちから知ることができてしまうため、自分は主役にはなれないという劣等感を抱えやすいと思う。そんな中で生きている今の人々により刺さる話であると思う。
2025/09/03(水) 15:13 No.2109 EDIT DEL
4年 有田真優美 RES
1,パラサイト 半地下の家族(2019)監督:ポン・ジュノ

あらすじ
キム一家は家族全員が失業中で、その日暮らしの貧しい生活を送っていた。そんなある日、長男ギウがIT企業のCEOであるパク氏の豪邸へ家庭教師の面接を受けに行くことに。そして妹ギジョンも、兄に続いて豪邸に足を踏み入れる。正反対の2つの家族の出会いは、想像を超える悲喜劇へと猛スピードで加速していく。


匂いは身体に染み付いたもので、洗っても取れないその人特有のものであるからこそ、何かが違う、臭い匂いと言われることの残酷さ、それによる富裕層と貧困層の格差がキーになっていた。他にも、ラストシーンまで富裕層は水害が起きてることも知らず、最後の最後まで経済格差の残酷さが苦しい作品だった。映像描写としても、地下に階段から転落する母親は拭えない格差、地下と地上の差という視覚的な表現が見事だった。格差の表現として地下と地上はかなり直接的だが、インパクトだけではなくしっかりと背景が作り込まれていた。

2,怪物(2024) 監督:是枝裕和

あらすじ
大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子供たち。それは、よくある子供同士のケンカに見えた。しかし、彼らの食い違う主張は次第に社会やメディアを巻き込み、大事になっていく。そしてある嵐の朝、子供たちは忽然と姿を消した。


誰が怪物かと考えさせられる物語である。それぞれがそれぞれの考え方があり、生きてきた生活の中で積み上げられた価値観があり、人間はとても多面的だなと思った。母と先生など勧善懲悪や正義と悪が対立を描くことも多い物語という世界の中でしっかりとそれを表現していた。どちらもそれぞれ良い部分悪い部分があり、母の普通に育って欲しいという思いも息子にとってはプレッシャーとなっているところが、必ずしも人を傷つけるものは故意的な感情だけとは限らないところが人間の複雑さをリアルに描いている。
また、ラストシーンでは二人が生まれ変わった、新しい世界へ旅立った、あるいは土砂崩れによって亡くなったなど様々な解釈ができる。こうした結末を観客に委ねることで観客に今現在の問題であるジェンダーなどについてしっかりと考えさせる誘導をしていた。

3,チ。地球の運動について(2025) 監督:清水健一

あらすじ
15世紀のヨーロッパ某国。飛び級で大学への進学を認められた神童・ラファウ。彼は周囲の期待に応え、当時最も重要とされていた神学を専攻すると宣言。が、以前から熱心に打ち込んでいる天文への情熱は捨てられずにいた。ある日、彼はフベルトという謎めいた学者と出会う。異端思想に基づく禁忌に触れたため拷問を受け、投獄されていたというフベルト。彼が研究していたのは、宇宙に関する衝撃的な「ある仮説」だった。



最後の?が浮かぶシーンは個人的にNHKの「マリー&ガリー」を彷彿とさせた。これまでかなり複雑な話をしていたが、結局のところ子どもでもわかるようなシンプルな「なんでだろう」という疑問や好奇心が人を突き動かすのだなというメッセージを感じ、人を魅了する作品の根本はどれも普遍的なメッセージが込められていると考えた。
この作品は常に名も無きキャラクター達が次々と主人公を引き継いでいたが、最後にアルベルト・ブルゼフスキにバトンが引き継がれたことで一気に現実にあったかもしれない、彼らがいたかもしれないというありえた物語に変化したと思う。最終回までは史実を織り交ぜつつも完全なフィクションだったが、逆に現実の人間をほとんど出さなかったことで、史実にはない人々の葛藤の物語として今と繋がる可能性も秘めていて最後の最後までロマンを感じさせる終わり方であった。
また、「君たちは歴史の登場人物じゃない」というセリフは、逆を言えば歴史を形作る当事者であるという意味にもなるのではと思う。

4,天使にラブソングを(1992)監督:エミール・アルドリーノ

あらすじ
とある殺人現場を目撃したために、組織に命を狙われるようになったクラブ歌手のデロリスは、裁判の日まで修道院で匿われることになる。やがて聖歌隊の指揮者を任された彼女は、曲調などをアレンジし始め、保守的な修道院長と対立していく。

ゴスペルの音楽もとても良く、実際にゴスペル黒人の教会でも歌われるもので、この作品のように教会の神聖な感じにもでも合うと思った。世俗的ではあるが、下品すぎず、聞いていて明るく、気分が良くなる音楽であり、教会とグロリアという交わらないものが交わった時の化学反応のようなものを感じた。歌唱シーン以外でもBGMのような感じで流れており、そこもストーリーに合っていて良かった。
さらにこの作品は登場人物達に強さがある。グロリアもシスターも環境に順応していく大変さとすごさがある。変わることの怖さもあるが、新鮮なことはやはり楽しいと思わせてくれる作品だと思う。作中でも司教が新鮮で楽しいというような台詞を言っておりメッセージのひとつなのだろうと思った。
また、コメディ部分がジョークという感じで、悪役もベタだが分かりやすく滑稽さに爽快感を感じる。とてもエンタメにふりきった作品であり、教会だってこういう形があってもいいじゃないかという堅苦しいイメージのある教会に対する、そして教会に縁のない人々へのメッセージだと思った。さらにタイトルの「天使にラブソングを」の「天使」はただイエス・キリストというだけではなく、デロリスや尼たちのことかなと思った。形式的な聖歌ではなく主のことを想ったラブソングをデロリスが運んでくれた、生み出してくれた、ということだと考えた。

5.ドールハウス(2025)監督:矢口史靖

あらすじ
最愛の娘を亡くし悲しみに暮れる女性はある日、骨董市で娘によく似た人形を見つける。彼女はその人形を娘のようにかわいがることで少しずつ元気を取り戻していくが、その人形はやがて家族を恐怖に陥れていく。

洗濯機のシーンなど妄想か現実か霊の仕業か分からない目まぐるしくかつ混沌とした映像シーンは観客をハラハラさせ、女の子の叫ぶシーンや暗闇の中のカメラなどエンタメとして驚かせようという演出が多かった。
特にカメラのシーンはホラーゲーム的な雰囲気もあり、恐怖と同時に没入感が強かったと思う。また、ストーリー自体も王道でありながら、上記のような演出と音楽などでじわじわと常に不穏な雰囲気を崩さずにいた。また、めいが死んだ洗濯機と壺の中に入るシーンは重なっており、そこからアヤちゃんを抑え、めいは佳恵を助けたように見えた。しかし、アヤちゃんは実の母に殺された実家には帰りたくなかったため、家に舞い戻り、一度自分の領域に入り込んだ二人を取り込むことに成功したのかなと考えた。

6,タコピーの原罪(2025)監督:飯野慎也

あらすじ
これはぼくときみの最高にハッピーな物語。
ハッピーを広めるため地球に降り立ったハッピー星人のタコピーは人間の女の子しずかと出会う。ピンチを救ってもらったタコピーはしずかの笑顔を取り戻すため不思議な力を持つハッピー道具で奔走する。しかし、しずかはおうちとがっこうでなにか事情を抱えているようで...。

タコピーの純粋さと現実の対比がより現実を残酷なものにしており、善意が刃になることもあるということを突きつけられる作品だった。また、子ども向けのアニメ作品が良いこととして疑わず描いてきたものを真正面から壊すような現実的な大人向けの作品だと思った。特に最終回のしずかの「誰に言えばよかった?」やタコピーの「君たちが大人になれるように」というセリフはしずか達ではなくその周りの大人たち、ひいては視聴者である大人たちに向けたメッセージであり、子どもたちを守っていく義務や責任が親のみならず大人にはあると思った。さらに子どもの社会問題でいうと2025年夏クールドラマで「明日はもっと、いい日になる」という児童相談所を舞台とした作品もあり、社会的にもまさに現代の問題なのだと思った。

7,ひとりでしにたい(ドラマ)(2025)演出:石井永二、小林直希、熊坂出

あらすじ
30代後半の独身女性、山口鳴海が、憧れの伯母の孤独死をきっかけに婚活から終活へと関心を移していく。そして鳴海は、結婚よりも、より良く生き、より良く死ぬための準備、つまり終活について模索していく。


100年時代で独身が増える現代によく合うテーマだと思う。また、ギャグマンガが原作なだけあり、就活や死ぬという重いテーマと反して主人公の妄想や脳内モノローグが常にあり、分かりやすく終活などについて学ぶこともできる。鳴海は現代によくいるオタ活が生きがいのとても現代の人々に共感できるキャラクターとなっている。それだけではなく自分ファーストで人の気持ちを汲みきれない部分などは人との繋がりという部分でいつの時代もどの年代にも共感できる悩みだと思う。
特に独身女性は周りに舐められる、介護問題、嫁姑問題などとてもリアルな部分の悩みで、鳴海自身も擁護できない間違いを犯すこともあり、そういったところも含めて人間らしく身近に感じられる存在になっていると思う。

8,35年目のラブレター(2025)監督:塚本連平

あらすじ
過酷な幼少時代を過ごしてきたゆえに、読み書きができないまま大人になってしまった主人公・西畑保。保を支え続けたしっかり者の妻・皎子 きょうこ 。仲良く寄り添うように生きてきた2人。定年退職を機に、保はあることを決意する。最愛の妻にこれまでの感謝を込めた“ラブレター”を書く。
60歳を超えた保の長い奮闘の日々が始まった。これは実在する西畑夫妻の、本当にあったお話。

ラブレターを書いたあとの変化や起きたことも描かれており、その手紙というターニングポイントだけでない部分も丁寧に描かれているからこそ、得られるものやその先の未来が感じられていくつになっても何かを始めるのに遅いなんてことは無いというメッセージがより響くものになっていた。また、4人が交わり、手紙を読むシーンはベンチという大切な場所をひとつ作ることで、そこで長く連れ添った月日を感じられるようになっていた。
さらに、手紙の文字だからこその良さがあると思うため、ガタガタの字やタイプライターの字がとても温かみを感じるものであり、しっかりと映像に映されることで視聴者の心を揺さぶる演出になっていた。

9,ヴァイオレットエヴァーガーデン(2018)監督:石立太一

あらすじ
感情を持たない一人の少女がいた。彼女の名は、ヴァイオレット・エヴァーガーデン。
戦火の中で、大切な人から告げられた言葉の意味を探している。戦争が終わり、彼女が出会った仕事は誰かの想いを言葉にして届けること。
戦争で生き延びた、たった一人の兄弟への手紙、都会で働き始めた娘から故郷の両親への手紙、飾らないありのままの恋心をつづった手紙、去りゆく者から残される者への最期の手紙、手紙に込められたいくつもの想いは、ヴァイオレットの心に愛を刻んでいく。これは、感情を持たない一人の少女が愛を知るまでの物語。

手紙を誰かに書く、その過程をここまで丁寧に描いた作品はなかなかないこともあり、
手紙を書くことで伝えられる思いがあると視聴者は気付かされる部分があると思う。何より、SNSが発達した今だからこそ、手紙の趣を知らない若者にこそ刺さる作品かもしれないと感じた。
心を知っていくということは視聴者からすれば、忘れていた感情を取り戻す、共感を覚えるなど、そうしたところで自身の人生とリンクさせ、SNSとは違う、手紙でなら伝えられる感情というものをこの作品を通して感じると思う。
ルクリアの生きているだけで嬉しいという言葉や婚約外交の恋文、自分が死んだ後の娘への手紙など、手紙にも様々な形があるが、どれも共通して手紙という少し手間のかかるものだからこそ丁寧で愛のある言葉が使われているように思う。こうしたなかなか言えない言葉を文字ではあるが、直接伝えることのできる手段であると感じた。人同士の話だからこそここまで話を展開できる上に、一話完結的なところもあるため観やすくもなっていると思った。

10,劇場版ポケットモンスター君に決めた!(2017)監督:湯山邦彦

あらすじ
マサラタウンに住む少年サトシは、ポケモントレーナーの資格を得ることができる10歳の誕生日を楽しみにしていた。しかし、オーキド研究所でポケモンをもらえる当日の朝に大寝坊した彼は、残っていた人間に懐かないピカチュウを受け取ることになる。それからも、ことあるごとに衝突するサトシとピカチュウ。しかし次第に友情を深めていった彼らは、伝説のポケモン・ホウオウに出会うためテンセイ山を目指す。

この節目であえて過去キャラクターの生命を司るポケモン・ホウオウを扱った意味のひとつに「生きるということ」「未来は虹色に輝いている」といったアニメを観る子どもたちへのメッセージ性も含まれていると感じた。
ホウオウとガオガエンといった今だから見ることのできるポケモン達の邂逅がポケモンの歴史を感じさせる。
バタフリーのお別れなど過去のエピソードも交えつつ、オリジナルストーリーとしてとても見応えがあり、過去のファンも新しいファンも楽しめる内容であったと思う。また、ポケモンゲットだぜというシーンなどアニメでは効果線などポップな演出で描かれている部分が、サラッと描かれており、より幅広い年代に向けているように思う。
さらに、レントラーやホウオウ、サトシが倒れたシーンなど生と死、命というものを真正面から描いている。この作品の届けたいメッセージもここにあると思う。仲間、友だちの大切さを子どもだけでなく大人も感じる作品だった。
ピカチュウが喋るシーンは衝撃的で、異空間だからこそ成立する演出であるのはもちろん、20作目の節目にずっとそばにいたピカチュウのずっと明かされることのなかった本心が描かれた。本来であれば、あくまでポケモンは動物のように区別してあまり言葉を喋って欲しくないという気持ちもあるが、その考えを覆すほど大谷育江さんの演技が絶妙で、ポケモンが喋るという異例の演出が成立したのはその演技力の部分が大いにあると感じた。実際、大谷育江さんの好演によりピカチュウのキャラの幅が大きく広がり、ポケモンのキャラクターがより愛されるようになる一助であったのは確かだと思う。そのため声優が作品の一部さらに言えばストーリーにも影響を与えることがあるのだなと感じた。

11,スーパーマリオブラザーズ(2023)監督:アーロン・ホーヴァス、マイケル・ジェレニック

あらすじ
ニューヨーク・ブルックリンで配管工を営む双子の兄弟マリオとルイージは、水道管の修理をしていたところ、謎のパイプを通って、不思議な世界へ迷い込んでしまう。その道中、ルイージと離ればなれになってしまったマリオ。彼が辿り着いたのは「キノコ王国」だった。キノコ王国の住人であるキノピオの助けを借り、強い意思をもつ「キノコ王国」の統治者・ピーチ姫から訓練を受けたマリオは、やがて自らの力を発揮していく。一方、ルイージが辿り着いたのは、カメ族の大魔王・クッパが支配している「闇の国」。マリオは、囚われの身となったルイージを救出すべく、壮大な冒険へと身を投じていく。

マリオカートなど初期のマリオブラザーズだけではなく様々なマリオゲームの要素を取り入れた、歴史を感じる作品になっている。また、マリオたちはゲームでは擬音語のようなものしか喋らないため、最初は言葉を発していることや感情があること自体違和感を感じるが、定番のキャラやマリオが動いているという感動、土管の移動などの視覚的驚きや感動な方が印象が強かった。
この作品での原作との一番の相違点として、現実世界を登場させている。これによりマリオという有名なキャラクターにも共感しやすいようにしているのではないかと思う。
ゲームと違い、映画や物語では自分を重ねた方がより入り込みやすく、感動する部分があると思う。もちろんマリオとルイージの兄弟愛という根幹になる部分も描かれストーリーとしてゲームファンもそうでない人も満足するものだったのではないかと思う。
加えて、ピーチの強さはゲームでもそうだが、精神的にも強いところは近年のジェンダー観などから芯のある女性の方が好感をもてるということだろうと思った。

12,劇場版ポケットモンスター みんなの物語 (2018)監督:矢嶋哲生

あらすじ
人とポケモンが風とともに暮らす街「フウラシティ」では、1年に1度開催される「風祭り」のために、世界各地から様々な人やポケモンが集まっている。伝説のポケモン・ルギアは、人とポケモンの絆を確かめると街に「恵みの風」を送るという約束を、昔から街の人たちと交わしていた。それぞれの想いを持って風祭りに参加している、ラルゴ、リサ、トリト、カガチ、ヒスイ。そして、ポケモンマスターを目指す旅の途中でフウラシティを訪れた、サトシと相棒のピカチュウ。
人とポケモンの絆を軸にして、みんなの物語が大きく動き出す。



人とポケモンの関係性と人と自然の関係性が描かれていた。今回はみんなの物語ということもあり、物語の主軸はサトシではなくリサであり、他にも様々なキャラクターがしっかりと内面描写までされていたことで観客が誰かしらに共感できるようなキャラクター達が揃っている。また、悩みを持つキャラクターに対してサトシの真っ直ぐな姿に心打たれ変わっていくほかのキャラクターという構図もより観客目線に近いストーリーになっていると思う。本作に登場する彼らはポケモンの世界で悩みながらもポケモン達に救われ、勇気をもらい生きており、それはペットや家族に癒しを貰う現実の人々にも重なると思った。また、風がない、有毒ガス、山火事といった自然災害にも着目しており、ポケモンも生き物で、自然を破壊する人間に対する不信感も当然あり、自然と共存していくということの重要さを描いているのは子どもだけではなく大人にも刺さるテーマだと思う。

13,Flow(2025)監督:ギンツ・ジルバロディス

あらすじ
人間がいなくなったポスト・アポカリプスの世界で、森で暮らす1匹のダークグレーの猫が洪水と水位上昇に流され、旅に出る物語。猫は旅の中で犬(ラブラドール・レトリバー)、カピバラ、猿(ワオキツネザル)、鳥(ヘビクイワシ)、謎のクジラなど様々な動物と出会いながら流されていく。

終始台詞は一切なく、人間も出てこない。動物たちは擬人化もせずただの動物のままでいる。アポカリプスの世界で何が起こってこうなったかははっきりとは分からず、猫の行く末を見守りながら観客は彼らが何を考えているのか「考える」必要性が出てくる。また、猫が主人公というところもペットとしても飼われる猫を使うことで、観客は心配してより注意深く観るのではないかと思った。
また洪水のシーンは津波を想起させるようなもので本能的な恐怖を煽られるシーンだった。他にも敵に襲われるシーンなどカメラワークが水から顔を出したカット、水の中の魚の動く音などドキュメンタリーのカメラのようなリアリティがありこちらも実際にその場にいるような感覚になる映像になっていた。そうした音や音楽は台詞のない今作ではとても重要になると思う。また考察として、アポカリプスということもあり彼らが乗る舟はノアの箱舟をイメージしているのではないかと思った。また、ラストでクジラが打ち上げられていたが、あれは水に沈んだ世界でも生きられるもの、陸がなければ生きられないものたちの違いや分かれ道のようなものを感じた。舟では様々な動物が増えていくがそこに肉食も草食もなく、終末世界で生き物関係無く手を取り合う姿から台詞がなくともストーリーを想像できて良かった。

14,正三角関係(2024) 作・演出:野田秀樹

あらすじ
舞台は、日本のとある時代。物語はある花火師一家の三兄弟を軸に展開する。
三兄弟は、長男が花火師。次男が物理学者。三男は聖職者である。
この長男と父親が、一人の“女”を巡る三角関係を織り成し、“父親殺し”へと発展する。


NODA・MAPは抽象的で複雑な作品が多いが、その中では伝えたいことやテーマが分かりやすい方だと感じた。また、古典と日本の文化、現代の社会問題や近年の歴史を混ぜ合わせたことで、観客も没入しやすいと同時に古典作品の普遍性も感じた。さらに、花火と原爆のシーンは戦争の恐怖と花火師なのに花火をあげられない悲痛さを感じた。それを台詞ではなく戦争を想起させる映像などでも表現しており、直接的ではないからこそ観客に考えさせる余白を作っていて、NODA・MAPは難しさもあるがそこをよく分からなかったではなく、考えることで見えてくる過去の歴史に対する解釈もあるのではないかと思った。
NODA・MAPでは他作品でも見たことがあるが、ガムテープを伸ばしてそこに受話器を貼り付けたりボクシングのりんぐにしたりと使い方が面白かった。舞台の面白いところは一瞬で世界が目まぐるしく変化することをこうした独特な表現でリアルタイムで表現できることだと思った。
布の使い方も毎回のごとく綺麗で、布の自然な落ち方と半透明な姿で灰だと認識できるようになっている。他にもグルーシェニカの早着替えなど視覚的に派手な演出も多く、生の迫力が観客席にも伝わると思う。

15,劇場版モノノ怪 唐傘(2024)監督:中村健治

あらすじ
夜ごとに蓄積されていく女たちの情念が、この世ならざる怪異を引き起こすまでに膨れ上がった大奥。謎多き男・薬売りは、「モノノ怪」を追って大奥の中心まで進んでいく。

グラフィックは元の2007版を引き継ぎつつも、色味はよりビビットでオシャレな雰囲気も醸し出していた。また、音楽もポップチューンで現代の女性がリンクしやすい雰囲気が作られていた。内容自体は女性たちの情念渦巻く世界であった。
人の顔がお面になることで比喩的にモブ的なその他大勢の女達に対してアサやカメが異常であると突きつけている感じがした。華やかな絵柄に対して、愛や地位、憎悪などとても人間らしい醜い情念が描かれており、そこのギャップもまた大奥という一見華やかにも見える世界と重なると思う。また、情念がモノノ怪となり可視化される世界だからこそ、北川などより彼女らの表には出さない秘めた思いが台詞にはなくとも伝わるようになっている。

16,モノノ怪 (2007)監督:中村健治

あらすじ
人の情念た怨念が取り憑いたアヤカシは人に害を成すモノノ怪となる。それを斬るために、退魔の剣を携えて各地を旅をする男・薬売り。薬売りはモノノ怪を斬るために、それの「形」「真(まこと)」「理(ことわり)」を知るために関係者から事情を探っていく。モノノ怪を成した人の心とはなにか。

薬売りという謎の人物の魅力的なキャラクター造形はもちろん、その周りの人々の問題が妊婦や赤子などとても性的に生々しい話もあり、人間の業というものに焦点を当てた作品となっている。
特にグラフィックが独特で、和紙に描いたようなベースの背景、アイキャッチのような形で挟まるキャッチーな文字、場面転換など斬新なアニメーション表現になっていた。また、電車のシーンなどモノノ怪というだけあって何が起きているのか分からない恐怖を煽る感じはホラーとはまた違うが不気味な世界観が上手く作られていた。

17,おそ松さん ~魂のたこ焼きパーティーと伝説のお泊り会~(2023)監督:山口ひかる

あらすじ
十四松の「たこ焼きパーティをしよう」という一言から、たこ焼きパーティが開かれることになった松野家。いつものメンバーが全員集合するが、そこには数々の困難が待ち受けていた。さらに、幼なじみのチビ太らに加え、トト子ら女子メンバーも参加したお泊り会も開かれることに。モテない6つ子に千載一遇の大チャンスが訪れたと思われたが……。

映画のためただふざけるだけではなく、ふざけてばかりの彼らの本心や今までシリーズを積み上げてきたからこその絆を感じられる話だった。特にトト子ちゃんという一番純粋で単細胞な女の子が普段とは違ったことをすることで周りもかき乱され、いつもの安定した日常が崩れることでシリアスな展開になっていて、トト子ちゃんのシリアスな姿は視聴者も気になる変化で良いストーリーだと思った。

18,宇宙よりも遠い場所(2018) 監督:いしづかあつこ

あらすじ
群馬県内の高校に通う主人公(玉木マリ)が、行方不明となった母親を見つけようと南極を目指す同じ高校の同級生(小淵沢報瀬)らと知り合い、南極に向かう「女子高生南極青春グラフィティ」。

「絶交無効」のところのカットは動きのあるカットでキャラの表情を近く見せるところなども実写のような躍動感もあった。
南極の解像度も高く、ちゃんと説明してくれるところは作品のディテールを気にする昨今の視聴者にも納得のいく出来だと思った。
また、それだけではなくそれぞれの人間性がよく描かれていて、意外だなという人柄が見える部分がリアリティを深めていた。
きまりは意外と手先器用だ、しらせは大胆な所とそうじゃないところの差が激しい等、二面性があるのが人間であり、共感度が高い。しかし、物語となるとキャラクターが迷子になる可能性もある。だが、人間模様を丁寧に描いているからこそそういったこともなく真摯に人間模様が描かれていた。他にも、友達の意味など言語化できない難しさについても語られており、可愛い絵柄とのギャップが大きい。
もちろん可愛らしい日常シーンもちゃんとあり、友達や友情も描かれていてロードムービー的な感じで青春ストーリーとしてある種ドキュメントのような感覚さえした。

19,教皇選挙(2024) 監督:エドワード・ベルガー

あらすじ
キリスト教最大の教派であるカトリック教会の最高指導者にしてバチカン市国の元首でもあるローマ教皇が亡くなった。悲しみに暮れる暇もないまま、ローレンス枢機卿は新教皇を決めるための教皇選挙を執り仕切ることに。世界中の強力な候補者たちが集い、システィーナ礼拝堂の中で極秘の投票が始まる。選挙をめぐる陰謀や差別、スキャンダルが渦巻くなか、ローレンスはある秘密を知る。

コンクラーベというもの自体初めて知ったが、思っていたより火花を散らしており、キリスト教という宗教の大きさを改めて知った。その分人間の欲望もよく現れており、神を信仰している点では人間の道徳のような部分も大きい気がするため、ある種教皇は大統領などよりも負荷のかかる立場であると映画を観て感じた。また、インターセックスが教皇になるという描写は突飛でありながらも、女性登用に務めたサンフランシスコ教皇の功績もあり、現実の教会と照らし合わせても現実的なものであり、今の教会は変わらなければならない、というメッセージのようなものだと感じた。こうしたメッセージが映画になるほどそれだけ男女平等は当然の世の中になったのだと思う。
映像的には、赤色を全体的に象徴的に使っており、赤と白の衣装などはとても印象的だった。また、白傘のシーンやラストの白い女性、亀、歓声だけで上がった煙の色がわかる場面など、セリフではない映像描写での表現がとにかく綺麗で、意味づけの考察のしがいもあり映画としてのキリスト教や教皇選挙の表現が良かった。
また、リアルとリンクして教皇選挙が行われたことや現実では教皇の政治的な権力の強さから、教皇が変わることの重要性など、宗教の前提やその周りの問題などを知った上で見るとさらに作品そのものの理解も深まると思った。

20,映画ドラえもんのび太の絵世界物語(2025) 監督:寺本幸代

あらすじ
国民的アニメ「ドラえもん」の長編映画44作目で、「映画ドラえもん」シリーズ45周年記念作品。絵の中の世界に飛び込んだドラえもんとのび太たちが、幻の宝石を巡って時空を超えた冒険を繰り広げる。
数十億円の価値がある絵画が発見されたというニュースを横目に、夏休みの宿題である絵に取り組んでいるのび太。そんな彼の前に、突然絵の切れ端が落ちてくる。ひみつ道具「はいりこみライト」を使い、その絵の中に入って探検をしていると、不思議な少女クレアと出会う。彼女の頼みを受けて「アートリア公国」を目指すドラえもんとのび太たちだったが、そこはニュースで話題になっていた絵画に描かれた、中世ヨーロッパの世界だった。その世界には「アートリアブルー」という幻の宝石がどこかに眠っているという。幻の宝石を探すことになったドラえもんとのび太たちだったが、やがてアートリア公国に伝わる世界滅亡の伝説がよみがえってしまい、大ピンチに陥る。


中世ヨーロッパの絵の具の作り方や食事の仕方など時代考証がちゃんとしていてリアリティがあって、アートリア公国という独自の世界観にも入り込みやすかった。
また、良い絵とは。というメッセージ性が絵を描く身としてはよく分かってグッときた。加えて、大好きという気持ちが伝わってくる絵、一生懸命な気持ちが伝わること、という点は表現において大切なことであり、ラストの父やキャスターの言葉などからもそれが重要なメッセージのひとつだとわかる。絵に限らず、誰かが努力したものにはそれだけで価値がある、笑うものではないという普遍的で子どもへのメッセージとしても良いと思う。
水戻しふりかけで最終的に敵を倒すというシナリオも綺麗な伏線回収になっており、絵の世界の絵柄もちゃんと筆感が伝わって細部までこだわっている作品だと感じた。特に、オープニングの絵の世界も作品によって絵柄が違い、アニメだからこそ絵世界を描く意味のようなものを感じて、ミュシャやムンクの絵がドラえもんたちとコラボして動いている部分も美術の歴史を伝えるという意味でも子どもたちの学びにもなる部分だと感じた。
マンガの絵ももちろんあって、45周年で新しい形で原点回帰したような感じもあり、絵によってのび太からドラえもんへの改めて大好きだという愛を伝えた形は綺麗だなと思った。
2025/09/03(水) 14:30 No.2108 EDIT DEL