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2年 北郷
夏休み課題
⑯「夢を叶えるゾウ 0 ガネーシャと夢を食べるバク」(小説) 水野敬也 文響社 2022年
上司のパワハラに苦悩する男の前に、象の頭を持ち、なぜか関西弁で話す神様・ガネーシャが現れる。
平凡な会社員を「宇宙一の偉人に育てる」と宣言したガネーシャ。しかし、彼には「夢」がなかった。 新キャラ・バクとガネーシャの父・シヴァ神も登場する、「夢とは何か?」「夢は本当に必要なのか?」を解き明かす、夢ゾウシリーズの原点となる作品。
本作の内容は、上司からのパワハラや“本物の夢”探しなど、自分の人生を深く考えさせられるものである。一方、関西弁を話す神様、ガネーシャや毒舌なバクによって繰り広げられる、ユーモアの溢れる会話や、非日常的な設定が明るい雰囲気を取り持っている。
作中でガネーシャは、平凡な会社員の男に“本当の夢”を見つけさせるため、課題を与えていく。
それは過去の偉人たちが実際に行っていた習慣に基づいており、1つ達成すると次の課題が与えられる、という仕組みである。
ガネーシャの男に対する働きかけは、課題を提示するだけであり、男に贔屓をしたり、特別な力を使って男を偉人にさせるというものではない。むしろ自由奔放な行動によって男を窮地に追い込んでしまう。
このことから、神は良くも悪くも平等に機会を与える存在として描かれており、“本物の夢”は神から与えられた試練を自分の力で乗り越えていかなければならないという自己啓発的な要素が含まれていると考える。
また、ガネーシャは「“本物の夢”は、自分と同じ痛みを持つ他者を救うことで、自分を救うこと(P.437)」と言及している。
本作の前半では、上司からのパワハラに苦悩する男が描かれているが、後半は、父・シヴァ神からの圧力に苦悩するガネーシャが描かれている。
神として特別な存在としてではなく、人間と対等な存在として描かれることで、自然に男と悩みの共有ができ、友人のような関係性を築いていく。
これらのことから、“本物の夢”を見つけるためには、本来の自分を受け入れてくれる他者の存在が必要不可欠であること、そして、その他者の存在としてガネーシャが描かれていると考える。
⑰「かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜」(アニメ) 監督:河合勇人 原作者;赤坂アカ 2019年
家柄も人柄も良く、将来を期待された秀才が集う周知院学園の生徒会会長・白銀御行と、副会長・四宮かぐやの頭脳戦ラブコメ。
互いに惹かれているが、プライドが高く、素直になれない2人は、面倒くさいことに“如何に相手に告白させるか”ばかりを考えるようになってしまった。
プライドが高い者同士の恋愛心理戦で、恋愛関係における駆け引きが、お互いの頭脳とプライドによって高度なものへと昇華している。またナレーションによって駆け引きの臨場感が増している。
しかしこれは2人が恋愛に対して奥手なだけであり、お互いの言動ひとつひとつに過剰な理論を唱える様子が、視聴者の共感を呼びつつ、その必死さに面白さを感じるのではないかと考える。
また本作では、心理戦の場面における背景やエフェクト、効果音が多様であり、アニメ特有の視覚・聴覚的表現を最大限に活用している。
例えば、エピソード2における四宮かぐやの心理描写では、浮かれた気分から現実に引き戻される様子を、エレベーターが急降下する描写で表現し、気持ちの上下を視覚的に描き出している。
さらに、漫画で用いられる効果線やオノマトペの描写も多く取り入れることで絵に動きが与えられている。
これらによって登場人物たちの心理描写がより効果的に表現され、説明や理論が羅列する単調な場面にユーモアを与えていると考える。
⑱『【推しの子】』 シーズン1(アニメ) 監督:平牧大輔 2023年
「この芸能界せかいにおいて嘘は武器だ」
地方都市で働く産婦人科医・ゴロー。ある日"推し"のアイドル「B小町」のアイが彼の前に現れた。しかし、彼女はある禁断の秘密を抱えており…。そんな二人の"最悪"の出会いから、運命が動き出していく。
天才アイドル・アイは死んだ。遺された双子の妹・ルビーは母に憧れ芸能界へ進み、兄・アクアはアイ殺害の協力者であろう実の父親への復讐を誓う。
『アイの隠し子であること』『前世の記憶を持つこと』という2つの大きな秘密を抱えた兄妹の物語。
芸能界の闇が描かれている作品。
キラキラとした憧れのアイドルと、その裏に隠された芸能業界特有の闇、心の葛藤が圧倒的作画によって描き出されている。
アイの子どもであるルビーとアクアは、アイが持つ二面性の分化であると考える。
アイはキラキラとした憧れのアイドル像を、「嘘」によって作り上げていた。
これに関して、ルビーの明るい性格と、アイに憧れてアイドルになる夢を必死に追いかける姿は、アイが持つ夢や光の部分を象徴していると考える。
一方、アクアはルビーとは対照的に物静かな性格をしており、アイを殺害した黒幕に復讐するため、持ち前のルックスと才能で芸能界に潜り込み、役者として活動する。
このことから、役者として何かを演じるという点と、役者活動の裏側にはアイを殺害した黒幕への復讐心を募らせている点から、アイの闇や「嘘」の部分を象徴していると考える。
この他にも、両目に星が描かれているアイに対して、アクアとルビーはそれぞれ片方の目にしか星が描かれていない点や、アイの瞳の色が紫に対して、アクアは青、ルビーは赤色の目をしていることから、この双子はアイが持つ二面性を象徴していると考えられる。
アニメや漫画で描かれる双子は、容姿は酷似しているものの、性格は正反対に描かれることが1つの典型として挙げられる。「【推しの子】」では、その典型を人間の二面性に投影していると考える。
⑲『ハイキュー!!』(漫画) 古舘春一 2012〜2020年
ふとしたきっかけでバレーボールに魅せられた少年、日向翔陽。部員がいない逆風にも負けず、やっとの思いで出場した中学最初で最後の公式戦で、日向のチームは「コート上の王様」と異名を取る天才プレイヤー、影山飛雄に惨敗してしまう。
リベンジを誓い烏野高校バレー部の門を叩いた日向だが、そこにはかつてのライバル、影山の姿があった。
ボールを落としてはいけない、持ってもいけない、3度のボレーで攻撃へと“繋ぐ”スポーツ、バレーボール。
繋いだ先に見える景色を目指して、少年たちはコートを駆ける。
本作品のコマの役割に着目して、考察する。
本作では漫画のコマの構成によって、試合の臨場感や緊張感を描いていると考える。
例えば、主人公の日向翔陽が中学の公式戦で、仲間からトスをもらい、スパイクを決める場面がある。
そこでは、最初トスをあげる仲間のアップが映り、次に主人公とボールの高さを表す引きのカットが描かれる。そして、ライバル、シューズの描写の後、次のページで主人公のスパイクのフォームが大きく描かれる。
ライバルからシューズのコマ、そしてスパイクシーンのコマが描かれることで、視点の変化による開放感を得ると共に、時間が生まれ、試合の臨場感や躍動感を生み出しているといえる。
このことから、本作品は、コマの構成と形が相互に作用することで場面に迫力をもたらし、読者の心理的効果を高める役割を果たしているといえる。
⑳『ふたりはプリキュア』(アニメ)監督:西尾大介 2004年
スポーツ万能、勉強嫌いで無鉄砲だけど人一倍正義感が強くクラスでも人気者の美墨なぎさ、成績優秀で常にトップだが、実は天然ボケの雪城ほのか、2人は同じベローネ学院女子中等部の2年生。なぎさとほのかはそれぞれ不思議な生き物メップルとミップルに出会う。彼らは邪悪なドツクゾーンがメップルたちの故郷・光の園を襲撃し、地球に逃れてきたのだった。そして、メップルとミップルによってなぎさとほのかは変身する能力を与えられ、戦うことに。
趣味も性格も違うふたりは力を合わせてドツクゾーンから送り込まれてくる邪悪な敵に立ち向かう。
女の子を主人公とする「ヒロインもの」ではなく、「ヒーローもの」として、少女たちの活躍を描いた作品。
従来の女児向けアニメと異なる点は、魔法やアイテムを使わずに拳で敵に立ち向かう点である。
それまでアクションものは「仮面ライダー」など男の子向けのコンテンツであった。そのため、女の子向けのコンテンツを打ち出し、女の子も男の子と同じように闘える姿が描かれることで、男女の平等や女性の自立が促されていると考える。
また、本作品では友情が大きなキーポイントとなっていると考える。
美墨なぎさと雪城ほのかは、正反対の性格であり、プリキュアや学校生活を送る中で何度も衝突する。
友情を美化せず、ありのままを描くことで友情の本質を考えさせられる内容になっていると考える。
㉑『ラ・ラ・ランド』監督:デイミアン・チャゼル 2016年
夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミオは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかりだった。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブといい、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて2人は恋に落ち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが資金作りのために入ったバンドが成功したことから、2人の心はすれ違い始める。
本作で印象に残った場面は、ラストで大女優になったミアがセブの店に偶然訪れ、セブのピアノに聴き入る場面である。
セブがピアノを弾き終わると、ミアとセブはすれ違いざまに熱い抱擁を交わし、2人だけの世界へ入っていく。
そこでは、冒頭の渋滞した道路で皆が踊るシーンや、夕方のロサンゼルスで街が見渡せる丘で2人が踊るシーン、2人で映画を見るシーンなど、前半の場面を再度用いた演出が登場する。
さらにセブとミオが結婚し、子どもが生まれるまでの過程が描かれる。
このとき、背景や小道具はデフォルメ化され、舞台におけるミュージカルの要素を感じさせつつ、非現実的な世界が表現されている。
しかし、それが終わると場面はセブがピアノを演奏し終わる場面に切り替わる。
よって、2人が愛し合うこの場面は全てミオの妄想であったことが分かる。
敢えて背景や小道具をデフォルメ化しているのはミオの妄想の世界であることを表現するためであると考える。
これがミオのもうひとつの夢であったと仮定すると、本作では努力で掴み取れる夢、努力では叶えられない夢を描いていると考える。
㉒『リボンの騎士』(漫画) 手塚治虫 1963〜1966年
男の子と女の子ふたつの心を持ったサファイヤ姫が、リボンの騎士として活躍するファンタジー。
サファイヤは、天使チンクのいたずらのせいで、男の子の心と女の子の心を、両方持って生まれた。さらに彼女は、国王のあとつぎとなるために生まれたときから王子として育てられる運命をせおっていたのである。
ところが、自分の息子を王位につけたいと考えている家臣のジュラルミン大公は、サファイヤが女であることを証明しようとして、さまざまな悪だくみをくわだてるのであった。(公式HPより)
登場人物らが見せる豊かな表情や、大袈裟でコミカルな動きは、ディズニーの作風を彷彿させる。さらに、天使が登場したり、王宮の様子が描かれるなど、ファンタジーの要素が強く、作品のメルヘンチックな雰囲気もディズニーと近しいものを感じる。
男の心と女の心の両方を持って生まれたサファイアは、1日の半分を王女として、またその半分を王子として過ごさなければならない。そのためサファイアは、プライベートでは優しく気品のある“王女”として振る舞う一方で、人前では敵に対して勇敢に立ち向かう“王子”としての姿を見せる。
女の子でも男の子のように振る舞ってもよい。強さは男の子のものだけではない。
本作品が掲載されたのは戦後の女性らの社会進出や地位向上への動きが高まっていた時期であり、当時の子どもたちにとって強い影響を与えたと考える。
㉓『チャーリーとチョコレート工場』(映画) 監督:ティム・バートン 原作:ロアルド・ダール
失業中の父、母、そして2組の寝たきり祖父母に囲まれ貧しいながらも幸せに暮らしている少年チャーリー。彼の家のそばには、ここ15年間誰一人出入りしたことがないという、謎に包まれた不思議なチョコレート工場があった。ある日、工場の経営者ウィリー・ウォンカ氏は、全商品のうち5枚だけに入っているゴールデン・チケットを引き当てた者にだけ、特別に工場の見学を許可する、と驚くべき声明を発表した。そして一年に一枚しかチョコを買えないチャーリーも、奇跡的に幸運のチケットを手にし、晴れて工場へと招かれる。
本作品では個性豊かな子どもたちが登場する。
チャーリーの他にゴールデンチケットを手に入れたのは、食いしん坊の男の子・オーガスタス、わがままで欲張りな女の子・ベルーカ、野心家の女の子・バイオレット、テレビゲーム中毒の男の子・マイクの4人である。
これらの子どもたちには、それぞれ現代っ子の問題点を表現していると考える。
両親から甘やかされ自由に育てられた4人の問題児は、物や親に依存しないチャーリーと、子供時代に親から厳しく躾られていたウォンカとの対比の構図があると考える。
そしてチョコレート工場の見学では、子どもたちと付き添いの親たちが次々に脱落してしまう。
オーガスタスは食い意地をはり、チョコレートの川に溺れてしまう。
バイオレットは忠告を聞かず、野心のままに欠陥のある新作のガムを噛んでしまう。そのため、体がブルーベリーのように青くなり大きく膨らんでしまう。
ベルーカは、クルミの殻剥き担当のリスを欲しがって捕まえようとしたが、逆にリスに襲われてしまい、ダストシュートに放り込まれてしまう。
マイクは、物をテレビの中に移動できるテレポーテーション機械を前にして、「物が送れるなら人間も送れる」という自らの仮説を正しいと思い込み、自分自身をテレビにテレポーテーションしてしまう。しかしテレポーテーションは一方通行であったためマイクはテレビの中に閉じ込まれてしまう。
このようにして身勝手な行動によって子供たちが脱落する際に、チョコレート工場の唯一の従業員であるウンパ・ルンパたちがその子どもと親を皮肉る歌をうたう。
そこでは、子どもたちの行く末と問題児に育てた親の責任が問われる。
「この親にしてこの子あり」で、親子間の干渉具合が子どもの成長に大きく関わることを示唆していると考える。
㉔『オズの魔法使い』(映画) 監督:ビクター・フレミング 原作:L・フランク・ボーム 1939年
カンザスの田舎に住む少女ドロシーは竜巻に巻き込まれオズの国へ。途中で知り合ったカカシ、ブリキのロボット、ライオンとそれぞれ「知識」「心」「勇気」を探してオズの魔法使いに会いに旅をする。
カンザスの場面では画面がセピア色だが、オズの国で画面がカラーになる。これは色褪せた現実と、非現実の世界を色で表現していると考える。
また、序盤でドロシーが歌う「虹の彼方に」は曲にアレンジが加わり、映画の様々な場面でリピートされる。
これによって観客たちは曲に対する愛着を抱き、作品全体の統一感を出していると考える。
映像の中で登場人物にも聞こえる音楽は「物語世界の音楽」と呼ばれ、BGMなど視聴者側にしか聞こえない音楽は「非物語世界の音楽」と呼ばれる。(「映画・アニメ・ゲームにおけるBGMの役割と種類―劇伴・ゲーム音楽による演出効果について―」https://acua-piece.com/post/163710482885/music-for-film-anime-game/ 2023年8月23日アクセス)
ドロシーの持ち歌である「虹の彼方に」を「非物語世界の音楽」にも起用することで、二重の意味を持ち、ドロシーの心情と世界観がリンクする効果があると考える。
㉕『ハムレット』(映画) 監督:ローレンス・オリヴィエ 原作者:ウィリアム・シェイクスピア 1948年
城に現われ父王の亡霊から、その死因が叔父の計略によるものであるという事実を告げられたデンマークの王子ハムレットは、固い復讐を誓う。道徳的で内向的な彼は、日夜狂気を装い懐疑の憂悶に悩みつつ、ついに復讐を遂げるが自らも毒刃に倒れてしまう。
ハムレットの恋人、オリーフィアはハムレットの狂気に触発され、自らも気を狂わせてしまう。花飾りを木に登り、小川に落ちて溺れて亡くなる。落ちたあと歌いながら流されている。
オリーフィアの兄・レアティーズは妹の知性が欠けたのはハムレットが原因であるとして、新王と手を組み、ハムレットの殺害を企てる。
レアティーズは、決闘を開いてハムレットの喉を乾かせ、毒入りの酒を飲ませる魂胆であった。しかし、それを王妃が飲んでしまい、さらに剣の先には毒が塗られていたため、剣先に触れたレアティーズと新王も亡くなってしまう。
誰にも救いの手は現れず、狂気にまみれた悲劇である。
個々が抱える憎しみが連鎖し、悲劇が生まれる。復讐心が生むのは悲劇であることが読み取れる。
また、『ハムレット』が書かれた1601年頃は中世から近代への移り変わりの時代で、キリスト教が支配する社会から、個人の意思が重視される社会になる転換期であった。
各登場人物の思惑が複雑に絡み合う様子は、自らの意思や理性に沿って行動する近代人を表現していると考える。 しかし、それは惜しくも全員の死という結末を迎えてしまう。
このことから、本作品は個々の意思が尊重される社会の混沌を暗示していると考える。
㉖『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』(映画) 監督:河合勇人 2019年
『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』の実写版映画。
実写映画であるが、衝撃を表すときに効果線が使われていたり、閃きの電球などがエフェクトとして取り入れられているなど、漫画的表現が使われている。効果音、文字の表記も出てくる。
また、頭脳戦のパートにおける引きと寄りの細かい画面切り替えは、畳み掛けるような駆け引きを表現していると考える。
しかし、アニメ版と比較すると頭脳戦のパートは短く、駆け引きの内容も専門用語などは取り除かれ、レベルが落とされているように感じた。
アニメでは、専門用語が出たあとにナレーションの解説が入るため、そこをカットすることで映画全体のテンポを落とさないようにしていると考える。
また、原作を知らない観客にも分かりやすいよう、「プライドの高い高校生男女2人による恋愛頭脳戦」という物語の大枠を取る事に重点を置き、全体的に大衆向けに脚色されていると考える。
㉗『スキップとローファー』(アニメ) 監督:出合小都美 原作者:高松美咲 2023年
田舎から上京してきた高偏差値の女の子・岩倉美津未と、優しくてイケメンの男の子・志摩聡介。個性豊かで人間味のあるクラスメイトたち。クラスメイトとのリアルな距離感が描かれており、主人公の成長ではなく、周りの人々が主人公の影響で成長していく様子が重点的に描かれている。
起伏の少ない日常系アニメでは登場人物らの対話によって人間関係が構築されていく。そのため、日常系アニメにおいては登場人物らの人間性の差別化が重要であり、登場人物らの個性が強く描かれる傾向があるのではないかと考える。
また、作画は顔の影が少なく、色もベタ塗りのような感じである。線も薄茶色で温かみがあり、ほのぼのとした日常の雰囲気が表現されていると考える。
㉘『ホーンテッドマンション』(映画) 監督:ジャスティン・シミエン 2023年
医師でシングルマザーのギャビーは、ニューオーリンズの奥地に建つ不気味な洋館「ホーンテッドマンション」を破格の条件で手に入れ、9歳の息子のトラヴィスとともに引っ越してくる。しかし、一見すると豪華なこの新たなマイホームで、2人は想像を絶する怪奇現象に何度も遭遇する。そんな親子を救うため、超常現象専門家のベンを筆頭に、神父のケント、霊媒師のハリエット、歴史学者のブルースという個性的でクセの強いエキスパートたちが集結し、館の謎を解き明かしていく。
本作の演出と、内容についてそれぞれ考察する。
まず、映画の演出について考察する。
監督のジャスティン・シミエンはディズニーランドの元キャストであり、そのこだわりが本作に強く出ている。
例えば、幽霊たちが食堂で踊るシーンでは、幽霊たちを上から見下ろすようなカメラアングルになっている。このようにアトラクションの再現が時折挟み込まれていて、アトラクションに乗っているような躍動感を味わうことができる。
また、登場する亡霊はエジプトのミイラや中国のキョンシーをモチーフにしたものもあり、多国籍を表現している。
本作においてミュージカル要素はないが、効果音にヴァイオリン、ビオラ、ピアノなどの楽器が使われており、音楽の要素を感じ取ることができる。
次に、内容の考察をする。
ホーンテッドマンションの怪奇現象はハットボックス・ゴーストという1人の霊によるものであった。
ハットボックス・ゴーストは1000人目の死者を出して、ホーンテッドマンションにかけられた呪いを完全なものにしようとする。その標的となるのが、深い悲しみを持つ人間である。ハットボックス・ゴーストは、大切な人を亡くした悲しみにつけ込んで、人を死の世界へ誘おうとする。
そこでベンとトラヴィスが標的となったが、2人はそれを仲間の存在によって乗り越える。
死の悲しみを乗り越えた先に、その人の生があること。そのためには、寄り添ってくれる仲間が必要であること。また、自分の弱みを打ち明ける勇気と、過去と向き合う勇気を描いていると考える。
㉙『アルジャーノンに花束を』新版 (小説) ダニエル・キイス 訳:小尾美佐 2015年
32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に大学の先生が頭をよくしてくれるという、夢のような話が舞い込んできた。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく。
天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して人の心の真実について知っていく。
本作はチャーリイによる日記形式となっている。そのため、チャーリイの知能指数の状態よって文体が変化する。
例えば、冒頭部分の文字は全て平仮名で書かれており稚拙な文章であるが、知能が上がるにつれて漢字が多くなる。 また内容も、冒頭部分はチャーリイが見たものがそのまま描写された感想文のようなものに対し、知能が高まるにつれ自身や周囲の人々の行動に隠された内面の分析が描写される。
これによって、知能の差によって見える世界が異なることやチャーリイが感じる孤独感など、チャーリイ自身の心情が感覚的に読者へと共有されると考える。
また、チャーリイは知能が上がることで自身のコンプレックスを解消できると考えていたが、良いことだらけでは無かった。
知能が高いほど生きやすくなるのではなく、社会で生きていくには、協調性や他者に対する思いやりの心など、その人自身の人間性が重要であることを示唆していると考える。
㉚『The Mask』(映画)監督:チャック・ラッセル1994年
銀行員のスタンリー・イプキスは引っ込み思案な性格をしている。しかし、「マスク」を被れば陽気に動き回り、ヒーローにもなれてしまう。謎の仮面で気になる美女・ティナを口説いたり、悪者をこらしめたり、普段のスタンリーにはできないことができるようになる。
「マスク」をしなければスタンリーはステキな人になれないのか、が問われている作品である。
本作で印象に残ったのは、スタンリーがマスクを被ったあとのカートゥーンのような動きである。
例えば、驚いた時には眼球が飛び出て、長い舌を突き出す演出や、胸からハート型の心臓が飛び出してドキドキする演出など、アメリカのカートゥーンを彷彿させる。
スタンリーが家でくつろぎながらカートゥーンを観ている場面から、それがマスクを被ったあとの言動に影響していると考える。
このように、スタンリーはマスクを被るとおちゃらけた性格に変貌するが、悪事を働く者たちを懲らしめるなど、ヒーローとしての活躍も見せる。
それはこの仮面が、神話のロキを型どったものであることに由来していると考える。
ロキは、北欧神話の世界でトリックスターの役割を果たしている神であり、悪ふざけや陰謀、挑発などを好んで人を騙す性格をしているが、神や人間を助ける面も持つ。
このようなロキが持つ二面性と、人間が持つ二面性が重ねられていると考える。
仮面は自分の欲望を隠し、表ヅラを良く見せるために被るものであると考える。
しかし、本作ではマスクが本心をさらけ出すものとして機能することで、表面に出ている人間性だけでなく、心の奥にある人間性も理解し、愛し、愛されることが重要であることを物語っていると考える。
夏休み課題
⑯「夢を叶えるゾウ 0 ガネーシャと夢を食べるバク」(小説) 水野敬也 文響社 2022年
上司のパワハラに苦悩する男の前に、象の頭を持ち、なぜか関西弁で話す神様・ガネーシャが現れる。
平凡な会社員を「宇宙一の偉人に育てる」と宣言したガネーシャ。しかし、彼には「夢」がなかった。 新キャラ・バクとガネーシャの父・シヴァ神も登場する、「夢とは何か?」「夢は本当に必要なのか?」を解き明かす、夢ゾウシリーズの原点となる作品。
本作の内容は、上司からのパワハラや“本物の夢”探しなど、自分の人生を深く考えさせられるものである。一方、関西弁を話す神様、ガネーシャや毒舌なバクによって繰り広げられる、ユーモアの溢れる会話や、非日常的な設定が明るい雰囲気を取り持っている。
作中でガネーシャは、平凡な会社員の男に“本当の夢”を見つけさせるため、課題を与えていく。
それは過去の偉人たちが実際に行っていた習慣に基づいており、1つ達成すると次の課題が与えられる、という仕組みである。
ガネーシャの男に対する働きかけは、課題を提示するだけであり、男に贔屓をしたり、特別な力を使って男を偉人にさせるというものではない。むしろ自由奔放な行動によって男を窮地に追い込んでしまう。
このことから、神は良くも悪くも平等に機会を与える存在として描かれており、“本物の夢”は神から与えられた試練を自分の力で乗り越えていかなければならないという自己啓発的な要素が含まれていると考える。
また、ガネーシャは「“本物の夢”は、自分と同じ痛みを持つ他者を救うことで、自分を救うこと(P.437)」と言及している。
本作の前半では、上司からのパワハラに苦悩する男が描かれているが、後半は、父・シヴァ神からの圧力に苦悩するガネーシャが描かれている。
神として特別な存在としてではなく、人間と対等な存在として描かれることで、自然に男と悩みの共有ができ、友人のような関係性を築いていく。
これらのことから、“本物の夢”を見つけるためには、本来の自分を受け入れてくれる他者の存在が必要不可欠であること、そして、その他者の存在としてガネーシャが描かれていると考える。
⑰「かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜」(アニメ) 監督:河合勇人 原作者;赤坂アカ 2019年
家柄も人柄も良く、将来を期待された秀才が集う周知院学園の生徒会会長・白銀御行と、副会長・四宮かぐやの頭脳戦ラブコメ。
互いに惹かれているが、プライドが高く、素直になれない2人は、面倒くさいことに“如何に相手に告白させるか”ばかりを考えるようになってしまった。
プライドが高い者同士の恋愛心理戦で、恋愛関係における駆け引きが、お互いの頭脳とプライドによって高度なものへと昇華している。またナレーションによって駆け引きの臨場感が増している。
しかしこれは2人が恋愛に対して奥手なだけであり、お互いの言動ひとつひとつに過剰な理論を唱える様子が、視聴者の共感を呼びつつ、その必死さに面白さを感じるのではないかと考える。
また本作では、心理戦の場面における背景やエフェクト、効果音が多様であり、アニメ特有の視覚・聴覚的表現を最大限に活用している。
例えば、エピソード2における四宮かぐやの心理描写では、浮かれた気分から現実に引き戻される様子を、エレベーターが急降下する描写で表現し、気持ちの上下を視覚的に描き出している。
さらに、漫画で用いられる効果線やオノマトペの描写も多く取り入れることで絵に動きが与えられている。
これらによって登場人物たちの心理描写がより効果的に表現され、説明や理論が羅列する単調な場面にユーモアを与えていると考える。
⑱『【推しの子】』 シーズン1(アニメ) 監督:平牧大輔 2023年
「この芸能界せかいにおいて嘘は武器だ」
地方都市で働く産婦人科医・ゴロー。ある日"推し"のアイドル「B小町」のアイが彼の前に現れた。しかし、彼女はある禁断の秘密を抱えており…。そんな二人の"最悪"の出会いから、運命が動き出していく。
天才アイドル・アイは死んだ。遺された双子の妹・ルビーは母に憧れ芸能界へ進み、兄・アクアはアイ殺害の協力者であろう実の父親への復讐を誓う。
『アイの隠し子であること』『前世の記憶を持つこと』という2つの大きな秘密を抱えた兄妹の物語。
芸能界の闇が描かれている作品。
キラキラとした憧れのアイドルと、その裏に隠された芸能業界特有の闇、心の葛藤が圧倒的作画によって描き出されている。
アイの子どもであるルビーとアクアは、アイが持つ二面性の分化であると考える。
アイはキラキラとした憧れのアイドル像を、「嘘」によって作り上げていた。
これに関して、ルビーの明るい性格と、アイに憧れてアイドルになる夢を必死に追いかける姿は、アイが持つ夢や光の部分を象徴していると考える。
一方、アクアはルビーとは対照的に物静かな性格をしており、アイを殺害した黒幕に復讐するため、持ち前のルックスと才能で芸能界に潜り込み、役者として活動する。
このことから、役者として何かを演じるという点と、役者活動の裏側にはアイを殺害した黒幕への復讐心を募らせている点から、アイの闇や「嘘」の部分を象徴していると考える。
この他にも、両目に星が描かれているアイに対して、アクアとルビーはそれぞれ片方の目にしか星が描かれていない点や、アイの瞳の色が紫に対して、アクアは青、ルビーは赤色の目をしていることから、この双子はアイが持つ二面性を象徴していると考えられる。
アニメや漫画で描かれる双子は、容姿は酷似しているものの、性格は正反対に描かれることが1つの典型として挙げられる。「【推しの子】」では、その典型を人間の二面性に投影していると考える。
⑲『ハイキュー!!』(漫画) 古舘春一 2012〜2020年
ふとしたきっかけでバレーボールに魅せられた少年、日向翔陽。部員がいない逆風にも負けず、やっとの思いで出場した中学最初で最後の公式戦で、日向のチームは「コート上の王様」と異名を取る天才プレイヤー、影山飛雄に惨敗してしまう。
リベンジを誓い烏野高校バレー部の門を叩いた日向だが、そこにはかつてのライバル、影山の姿があった。
ボールを落としてはいけない、持ってもいけない、3度のボレーで攻撃へと“繋ぐ”スポーツ、バレーボール。
繋いだ先に見える景色を目指して、少年たちはコートを駆ける。
本作品のコマの役割に着目して、考察する。
本作では漫画のコマの構成によって、試合の臨場感や緊張感を描いていると考える。
例えば、主人公の日向翔陽が中学の公式戦で、仲間からトスをもらい、スパイクを決める場面がある。
そこでは、最初トスをあげる仲間のアップが映り、次に主人公とボールの高さを表す引きのカットが描かれる。そして、ライバル、シューズの描写の後、次のページで主人公のスパイクのフォームが大きく描かれる。
ライバルからシューズのコマ、そしてスパイクシーンのコマが描かれることで、視点の変化による開放感を得ると共に、時間が生まれ、試合の臨場感や躍動感を生み出しているといえる。
このことから、本作品は、コマの構成と形が相互に作用することで場面に迫力をもたらし、読者の心理的効果を高める役割を果たしているといえる。
⑳『ふたりはプリキュア』(アニメ)監督:西尾大介 2004年
スポーツ万能、勉強嫌いで無鉄砲だけど人一倍正義感が強くクラスでも人気者の美墨なぎさ、成績優秀で常にトップだが、実は天然ボケの雪城ほのか、2人は同じベローネ学院女子中等部の2年生。なぎさとほのかはそれぞれ不思議な生き物メップルとミップルに出会う。彼らは邪悪なドツクゾーンがメップルたちの故郷・光の園を襲撃し、地球に逃れてきたのだった。そして、メップルとミップルによってなぎさとほのかは変身する能力を与えられ、戦うことに。
趣味も性格も違うふたりは力を合わせてドツクゾーンから送り込まれてくる邪悪な敵に立ち向かう。
女の子を主人公とする「ヒロインもの」ではなく、「ヒーローもの」として、少女たちの活躍を描いた作品。
従来の女児向けアニメと異なる点は、魔法やアイテムを使わずに拳で敵に立ち向かう点である。
それまでアクションものは「仮面ライダー」など男の子向けのコンテンツであった。そのため、女の子向けのコンテンツを打ち出し、女の子も男の子と同じように闘える姿が描かれることで、男女の平等や女性の自立が促されていると考える。
また、本作品では友情が大きなキーポイントとなっていると考える。
美墨なぎさと雪城ほのかは、正反対の性格であり、プリキュアや学校生活を送る中で何度も衝突する。
友情を美化せず、ありのままを描くことで友情の本質を考えさせられる内容になっていると考える。
㉑『ラ・ラ・ランド』監督:デイミアン・チャゼル 2016年
夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミオは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかりだった。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブといい、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて2人は恋に落ち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが資金作りのために入ったバンドが成功したことから、2人の心はすれ違い始める。
本作で印象に残った場面は、ラストで大女優になったミアがセブの店に偶然訪れ、セブのピアノに聴き入る場面である。
セブがピアノを弾き終わると、ミアとセブはすれ違いざまに熱い抱擁を交わし、2人だけの世界へ入っていく。
そこでは、冒頭の渋滞した道路で皆が踊るシーンや、夕方のロサンゼルスで街が見渡せる丘で2人が踊るシーン、2人で映画を見るシーンなど、前半の場面を再度用いた演出が登場する。
さらにセブとミオが結婚し、子どもが生まれるまでの過程が描かれる。
このとき、背景や小道具はデフォルメ化され、舞台におけるミュージカルの要素を感じさせつつ、非現実的な世界が表現されている。
しかし、それが終わると場面はセブがピアノを演奏し終わる場面に切り替わる。
よって、2人が愛し合うこの場面は全てミオの妄想であったことが分かる。
敢えて背景や小道具をデフォルメ化しているのはミオの妄想の世界であることを表現するためであると考える。
これがミオのもうひとつの夢であったと仮定すると、本作では努力で掴み取れる夢、努力では叶えられない夢を描いていると考える。
㉒『リボンの騎士』(漫画) 手塚治虫 1963〜1966年
男の子と女の子ふたつの心を持ったサファイヤ姫が、リボンの騎士として活躍するファンタジー。
サファイヤは、天使チンクのいたずらのせいで、男の子の心と女の子の心を、両方持って生まれた。さらに彼女は、国王のあとつぎとなるために生まれたときから王子として育てられる運命をせおっていたのである。
ところが、自分の息子を王位につけたいと考えている家臣のジュラルミン大公は、サファイヤが女であることを証明しようとして、さまざまな悪だくみをくわだてるのであった。(公式HPより)
登場人物らが見せる豊かな表情や、大袈裟でコミカルな動きは、ディズニーの作風を彷彿させる。さらに、天使が登場したり、王宮の様子が描かれるなど、ファンタジーの要素が強く、作品のメルヘンチックな雰囲気もディズニーと近しいものを感じる。
男の心と女の心の両方を持って生まれたサファイアは、1日の半分を王女として、またその半分を王子として過ごさなければならない。そのためサファイアは、プライベートでは優しく気品のある“王女”として振る舞う一方で、人前では敵に対して勇敢に立ち向かう“王子”としての姿を見せる。
女の子でも男の子のように振る舞ってもよい。強さは男の子のものだけではない。
本作品が掲載されたのは戦後の女性らの社会進出や地位向上への動きが高まっていた時期であり、当時の子どもたちにとって強い影響を与えたと考える。
㉓『チャーリーとチョコレート工場』(映画) 監督:ティム・バートン 原作:ロアルド・ダール
失業中の父、母、そして2組の寝たきり祖父母に囲まれ貧しいながらも幸せに暮らしている少年チャーリー。彼の家のそばには、ここ15年間誰一人出入りしたことがないという、謎に包まれた不思議なチョコレート工場があった。ある日、工場の経営者ウィリー・ウォンカ氏は、全商品のうち5枚だけに入っているゴールデン・チケットを引き当てた者にだけ、特別に工場の見学を許可する、と驚くべき声明を発表した。そして一年に一枚しかチョコを買えないチャーリーも、奇跡的に幸運のチケットを手にし、晴れて工場へと招かれる。
本作品では個性豊かな子どもたちが登場する。
チャーリーの他にゴールデンチケットを手に入れたのは、食いしん坊の男の子・オーガスタス、わがままで欲張りな女の子・ベルーカ、野心家の女の子・バイオレット、テレビゲーム中毒の男の子・マイクの4人である。
これらの子どもたちには、それぞれ現代っ子の問題点を表現していると考える。
両親から甘やかされ自由に育てられた4人の問題児は、物や親に依存しないチャーリーと、子供時代に親から厳しく躾られていたウォンカとの対比の構図があると考える。
そしてチョコレート工場の見学では、子どもたちと付き添いの親たちが次々に脱落してしまう。
オーガスタスは食い意地をはり、チョコレートの川に溺れてしまう。
バイオレットは忠告を聞かず、野心のままに欠陥のある新作のガムを噛んでしまう。そのため、体がブルーベリーのように青くなり大きく膨らんでしまう。
ベルーカは、クルミの殻剥き担当のリスを欲しがって捕まえようとしたが、逆にリスに襲われてしまい、ダストシュートに放り込まれてしまう。
マイクは、物をテレビの中に移動できるテレポーテーション機械を前にして、「物が送れるなら人間も送れる」という自らの仮説を正しいと思い込み、自分自身をテレビにテレポーテーションしてしまう。しかしテレポーテーションは一方通行であったためマイクはテレビの中に閉じ込まれてしまう。
このようにして身勝手な行動によって子供たちが脱落する際に、チョコレート工場の唯一の従業員であるウンパ・ルンパたちがその子どもと親を皮肉る歌をうたう。
そこでは、子どもたちの行く末と問題児に育てた親の責任が問われる。
「この親にしてこの子あり」で、親子間の干渉具合が子どもの成長に大きく関わることを示唆していると考える。
㉔『オズの魔法使い』(映画) 監督:ビクター・フレミング 原作:L・フランク・ボーム 1939年
カンザスの田舎に住む少女ドロシーは竜巻に巻き込まれオズの国へ。途中で知り合ったカカシ、ブリキのロボット、ライオンとそれぞれ「知識」「心」「勇気」を探してオズの魔法使いに会いに旅をする。
カンザスの場面では画面がセピア色だが、オズの国で画面がカラーになる。これは色褪せた現実と、非現実の世界を色で表現していると考える。
また、序盤でドロシーが歌う「虹の彼方に」は曲にアレンジが加わり、映画の様々な場面でリピートされる。
これによって観客たちは曲に対する愛着を抱き、作品全体の統一感を出していると考える。
映像の中で登場人物にも聞こえる音楽は「物語世界の音楽」と呼ばれ、BGMなど視聴者側にしか聞こえない音楽は「非物語世界の音楽」と呼ばれる。(「映画・アニメ・ゲームにおけるBGMの役割と種類―劇伴・ゲーム音楽による演出効果について―」https://acua-piece.com/post/163710482885/music-for-film-anime-game/ 2023年8月23日アクセス)
ドロシーの持ち歌である「虹の彼方に」を「非物語世界の音楽」にも起用することで、二重の意味を持ち、ドロシーの心情と世界観がリンクする効果があると考える。
㉕『ハムレット』(映画) 監督:ローレンス・オリヴィエ 原作者:ウィリアム・シェイクスピア 1948年
城に現われ父王の亡霊から、その死因が叔父の計略によるものであるという事実を告げられたデンマークの王子ハムレットは、固い復讐を誓う。道徳的で内向的な彼は、日夜狂気を装い懐疑の憂悶に悩みつつ、ついに復讐を遂げるが自らも毒刃に倒れてしまう。
ハムレットの恋人、オリーフィアはハムレットの狂気に触発され、自らも気を狂わせてしまう。花飾りを木に登り、小川に落ちて溺れて亡くなる。落ちたあと歌いながら流されている。
オリーフィアの兄・レアティーズは妹の知性が欠けたのはハムレットが原因であるとして、新王と手を組み、ハムレットの殺害を企てる。
レアティーズは、決闘を開いてハムレットの喉を乾かせ、毒入りの酒を飲ませる魂胆であった。しかし、それを王妃が飲んでしまい、さらに剣の先には毒が塗られていたため、剣先に触れたレアティーズと新王も亡くなってしまう。
誰にも救いの手は現れず、狂気にまみれた悲劇である。
個々が抱える憎しみが連鎖し、悲劇が生まれる。復讐心が生むのは悲劇であることが読み取れる。
また、『ハムレット』が書かれた1601年頃は中世から近代への移り変わりの時代で、キリスト教が支配する社会から、個人の意思が重視される社会になる転換期であった。
各登場人物の思惑が複雑に絡み合う様子は、自らの意思や理性に沿って行動する近代人を表現していると考える。 しかし、それは惜しくも全員の死という結末を迎えてしまう。
このことから、本作品は個々の意思が尊重される社会の混沌を暗示していると考える。
㉖『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』(映画) 監督:河合勇人 2019年
『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』の実写版映画。
実写映画であるが、衝撃を表すときに効果線が使われていたり、閃きの電球などがエフェクトとして取り入れられているなど、漫画的表現が使われている。効果音、文字の表記も出てくる。
また、頭脳戦のパートにおける引きと寄りの細かい画面切り替えは、畳み掛けるような駆け引きを表現していると考える。
しかし、アニメ版と比較すると頭脳戦のパートは短く、駆け引きの内容も専門用語などは取り除かれ、レベルが落とされているように感じた。
アニメでは、専門用語が出たあとにナレーションの解説が入るため、そこをカットすることで映画全体のテンポを落とさないようにしていると考える。
また、原作を知らない観客にも分かりやすいよう、「プライドの高い高校生男女2人による恋愛頭脳戦」という物語の大枠を取る事に重点を置き、全体的に大衆向けに脚色されていると考える。
㉗『スキップとローファー』(アニメ) 監督:出合小都美 原作者:高松美咲 2023年
田舎から上京してきた高偏差値の女の子・岩倉美津未と、優しくてイケメンの男の子・志摩聡介。個性豊かで人間味のあるクラスメイトたち。クラスメイトとのリアルな距離感が描かれており、主人公の成長ではなく、周りの人々が主人公の影響で成長していく様子が重点的に描かれている。
起伏の少ない日常系アニメでは登場人物らの対話によって人間関係が構築されていく。そのため、日常系アニメにおいては登場人物らの人間性の差別化が重要であり、登場人物らの個性が強く描かれる傾向があるのではないかと考える。
また、作画は顔の影が少なく、色もベタ塗りのような感じである。線も薄茶色で温かみがあり、ほのぼのとした日常の雰囲気が表現されていると考える。
㉘『ホーンテッドマンション』(映画) 監督:ジャスティン・シミエン 2023年
医師でシングルマザーのギャビーは、ニューオーリンズの奥地に建つ不気味な洋館「ホーンテッドマンション」を破格の条件で手に入れ、9歳の息子のトラヴィスとともに引っ越してくる。しかし、一見すると豪華なこの新たなマイホームで、2人は想像を絶する怪奇現象に何度も遭遇する。そんな親子を救うため、超常現象専門家のベンを筆頭に、神父のケント、霊媒師のハリエット、歴史学者のブルースという個性的でクセの強いエキスパートたちが集結し、館の謎を解き明かしていく。
本作の演出と、内容についてそれぞれ考察する。
まず、映画の演出について考察する。
監督のジャスティン・シミエンはディズニーランドの元キャストであり、そのこだわりが本作に強く出ている。
例えば、幽霊たちが食堂で踊るシーンでは、幽霊たちを上から見下ろすようなカメラアングルになっている。このようにアトラクションの再現が時折挟み込まれていて、アトラクションに乗っているような躍動感を味わうことができる。
また、登場する亡霊はエジプトのミイラや中国のキョンシーをモチーフにしたものもあり、多国籍を表現している。
本作においてミュージカル要素はないが、効果音にヴァイオリン、ビオラ、ピアノなどの楽器が使われており、音楽の要素を感じ取ることができる。
次に、内容の考察をする。
ホーンテッドマンションの怪奇現象はハットボックス・ゴーストという1人の霊によるものであった。
ハットボックス・ゴーストは1000人目の死者を出して、ホーンテッドマンションにかけられた呪いを完全なものにしようとする。その標的となるのが、深い悲しみを持つ人間である。ハットボックス・ゴーストは、大切な人を亡くした悲しみにつけ込んで、人を死の世界へ誘おうとする。
そこでベンとトラヴィスが標的となったが、2人はそれを仲間の存在によって乗り越える。
死の悲しみを乗り越えた先に、その人の生があること。そのためには、寄り添ってくれる仲間が必要であること。また、自分の弱みを打ち明ける勇気と、過去と向き合う勇気を描いていると考える。
㉙『アルジャーノンに花束を』新版 (小説) ダニエル・キイス 訳:小尾美佐 2015年
32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に大学の先生が頭をよくしてくれるという、夢のような話が舞い込んできた。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく。
天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して人の心の真実について知っていく。
本作はチャーリイによる日記形式となっている。そのため、チャーリイの知能指数の状態よって文体が変化する。
例えば、冒頭部分の文字は全て平仮名で書かれており稚拙な文章であるが、知能が上がるにつれて漢字が多くなる。 また内容も、冒頭部分はチャーリイが見たものがそのまま描写された感想文のようなものに対し、知能が高まるにつれ自身や周囲の人々の行動に隠された内面の分析が描写される。
これによって、知能の差によって見える世界が異なることやチャーリイが感じる孤独感など、チャーリイ自身の心情が感覚的に読者へと共有されると考える。
また、チャーリイは知能が上がることで自身のコンプレックスを解消できると考えていたが、良いことだらけでは無かった。
知能が高いほど生きやすくなるのではなく、社会で生きていくには、協調性や他者に対する思いやりの心など、その人自身の人間性が重要であることを示唆していると考える。
㉚『The Mask』(映画)監督:チャック・ラッセル1994年
銀行員のスタンリー・イプキスは引っ込み思案な性格をしている。しかし、「マスク」を被れば陽気に動き回り、ヒーローにもなれてしまう。謎の仮面で気になる美女・ティナを口説いたり、悪者をこらしめたり、普段のスタンリーにはできないことができるようになる。
「マスク」をしなければスタンリーはステキな人になれないのか、が問われている作品である。
本作で印象に残ったのは、スタンリーがマスクを被ったあとのカートゥーンのような動きである。
例えば、驚いた時には眼球が飛び出て、長い舌を突き出す演出や、胸からハート型の心臓が飛び出してドキドキする演出など、アメリカのカートゥーンを彷彿させる。
スタンリーが家でくつろぎながらカートゥーンを観ている場面から、それがマスクを被ったあとの言動に影響していると考える。
このように、スタンリーはマスクを被るとおちゃらけた性格に変貌するが、悪事を働く者たちを懲らしめるなど、ヒーローとしての活躍も見せる。
それはこの仮面が、神話のロキを型どったものであることに由来していると考える。
ロキは、北欧神話の世界でトリックスターの役割を果たしている神であり、悪ふざけや陰謀、挑発などを好んで人を騙す性格をしているが、神や人間を助ける面も持つ。
このようなロキが持つ二面性と、人間が持つ二面性が重ねられていると考える。
仮面は自分の欲望を隠し、表ヅラを良く見せるために被るものであると考える。
しかし、本作ではマスクが本心をさらけ出すものとして機能することで、表面に出ている人間性だけでなく、心の奥にある人間性も理解し、愛し、愛されることが重要であることを物語っていると考える。
2年 北郷
夏休み課題
①『ブラック・ジャック』(漫画) 作者:手塚治虫 1973〜1983年
天才外科医のブラック・ジャックが活躍する医療ドラマ。人里離れた荒野の診療所に訪れる数々の重症患者たちを、助手のピノコと共に奇跡的なオペによって救う。しかし、ブラック・ジャックは医師免許を持たない「もぐりの医者」であるため独自の治療を行ったり、法外の治療費を請求する。
『ブラック・ジャック』は1973年週刊少年チャンピオンに連載され、当時の医療漫画最大ヒット作であり、医療漫画のジャンルを確立させた作品である。
本作では「生きることの意味」が問われていると考える。患者は、傷病を負ってから治療までの過程において自分たちの生きる意味や道に葛藤する。
例えば、寿司職人である若者が交通事故によって両腕を無くしてしまう、将来有望な体操選手の学生が腕の腫瘍によって片腕を無くしてしまうなど、その人のまさに「命」である体の部分が突如奪われてしまう。
ブラック・ジャックの治療によって一命を取り留めた患者たちが、ハンデを抱えながらもどのように生きていくのか。生きる道の多様性と生死の表裏一体さが表れている作品だと考える。
また、漫符や映画的表現などが盛り込まれたことで、人物の細やかな心情の部分をクローズアップされ、より劇的な物語を描くことが可能になったと考える。
②『ひろがるスカイプリキュア』(アニメ) 監督:小川孝治 2023年
天空に浮かぶ世界「スカイランド」。その日は王国の幼いプリンセスエルの誕生日であったが、エルはアンダーグ帝国の怪物・カバトンによって隙を突かれ、連れ去られてしまう。ヒーローを志す勇敢な少女・ソラ・ハレワタールはエルを救うべくワープ空間へ入り、いつしか全く別の世界「ソラシド市」にたどり着く。
文化や風習が異なる全く別の世界に来たことに戸惑うソラだったが、この時出会ったソラシド市の少女、虹ヶ丘ましろの家にエルとともに居候しながらプリキュアとしてエルを守りスカイランドに帰すため、戦うことになる。
プリキュアシリーズの20周年を飾る本作のモチーフは「空」、テーマを「ヒーロー」、キーワードを「知ることで広がる世界」としている。
今までのピンクでドジっ子、または頭が良い、といった主人公像とは対照的な、青で礼儀正しく、勇敢な主人公像が描かれている。
その他にも男の子のプリキュアや新成人プリキュアがメインキャラクターとして登場するなど、20周年の節目に新しい試みが盛り込まれている。
女児アニメのスタンダードとして位置されているプリキュアシリーズは、子どもに対する教育的・道徳的なお手本としての側面が求められている。
しかし、その中でも毎年新たな表現を取り入れ、多様性に満ちた設定を盛り込むことで、流動的な社会を生きる子どもたちに柔軟な思考を養わせる意図があるのではないかと考える。
特にジェンダーの多様性に関する問題が取り上げられることで、性への固定観念や先入観を持たない幼少期の子どもたちに、ジェンダーに対する平等性や寛容性を養わせることができるのではないかと考える。
③『ライ麦畑でつかまえて』(小説) J・D・サリンジャー、訳:野崎孝 1984年(白水uブックス)
アメリカの作家サリンジャーの中編小説。1951年刊。
高校を放校となった17歳の少年ホールデン・コールフィールドがクリスマス前のニューヨークの街をめぐる物語。
本作品は一貫して一人称の口語体で語られており、情景の描写はなく、主人公の心の葛藤が淡々と叙述されているため追体験の感覚がもたらされる。
主人公のホールデンは高校の教師や同級生、ニューヨークの街で出会う人々に対して侮辱的で悲観的な定見を持ち、現実社会へ失望し、社会・他人と乖離していく。
純粋な子どもの心と、欺瞞に満ちた大人の世界の狭間で葛藤する様子は、まさに多感な思春期そのものである。一方で、亡くなった弟アリーを思う場面や、幼い妹のフィービーに兄としての優しさを見せるなど、兄弟愛も描かれている。
また、作品のタイトルである『ライ麦畑でつかまえて』という言葉はホールデンが「ライ麦畑で会うならば」というロバート・バーンズの詩を間違えて言ったものである。そしてホールデンは、広いライ麦畑の中で危険な行動をする子どもたちを捕まえる「ライ麦畑のつかまえ役(P.269)」になりたいと言っている。
そして以下の文はホールデンと大学の先生との対話の場面における、先生の発言を要約したものである。
道徳的、精神的な悩みを記録することで、同じような苦しみを抱える人の支えとなる。これは美しい相互援助であり、教育ではなく歴史であり、詩なのである。(P.295)
これを踏まえると、主人公の精神的な葛藤が綴られている本作は今現在悩む若者たちの支えとなり、作品自体が「ライ麦畑のつかまえ役」として機能していると考える。
また、かつて青春時代を過ごした大人たちの回顧録のようなものとして受け入れられることで、幅広い年代に共感される作品として定着したのではないかと考える。
④『ローマの休日』(映画)監督:ウィリアム・ワイラー 1953年
イタリアのローマを親善訪問した某国の「アン王女」が滞在先から飛び出し、市内で出会った新聞記者、「ジョー」との1日の恋を描いた作品。
『ローマの休日』はオードリー・ヘップバーンの代表作であり、その人気は現代にも強く根付いている。
その理由として挙げられるのは、典型的なラブロマンスであることと、作品が持つ高潔さにあると考える。
本作は、王女と新聞記者という身分違いの恋というロマンスの典型が描かれており、ラストでは階級差故に結ばれない恋が切なく描かれている。
また、本作はヘイズ・コードによる表現規制が導入されていた時期に作られた映画であり、性的描写がないことが特徴である。ベッドは登場するものの、コミカルなシーンの小道具として描かれており、身体的な愛情表現は抱擁とキスのみである。
このように直接的な描写が少ないこと、さらには宮殿の高貴さやローマの町並みの美しさなどによって、作品に高潔さが付与され、人々に愛される作品となったのではないかと考える。
⑤『人間失格』太宰治 1948年(小説)
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
青森の大金持ちの息子であり、廃人同然のモルヒネ中毒者だった大庭葉蔵の手記を借りて、自己の生涯を極限まで作品に昇華させた太宰文学の代表作品。
主人公は他人の気持ちが分からず、会話が続かないために道化を演じる。懊悩を胸に秘め、楽天性を装うことで集団の中での居場所を作る。このようにして人生を歩んできた主人公には、終始虚無感が漂っている。そして、道化を演じることで本来の自分を偽り、他者を騙しているという罪悪感に主人公は苦悩する。
そんな主人公が唯一生き生きとする場面は、モルヒネを打った後である。薬物の中に、人生を見出すところまで堕ちてしまったのである。
このことから、本作は人間の脆さ、闇の部分を煮詰めたような作品であると考える。
⑥『竜とそばかすの姫』(アニメ映画) 監督:細田守 2021年
歌が好きな女子高生・すずは、幼い頃に母親を亡くして以来、人前では歌うことができなくなっていた。ある日、彼女は全世界から人が集まる仮想世界「U」に足を踏み入れる。やがて、Uの世界で「ベル」という歌姫として人気者になるすずだったが、突然現れた謎の存在「竜」が、彼女とUを撹乱していく。
本作では、現実世界と仮想空間でアニメパートとCGパートが使い分けられている。
現実世界のアニメパートでは凹凸のない平面的な顔で描かれているが、仮想空間であるUの世界ではCGが用いられ、登場人物らの顔は目鼻立ちがくっきりと描かれておりディズニーの作風と近い。このことから、現実世界と仮想空間を異なるアニメーション技術によって描くことで区別していると考える。
また、本作はネット上の闇を描いた作品であると考える。
例えば、Uの世界の正義と秩序を守る自警集団「ジャスティス」が「竜」を悪者として執拗に追いかけ回し、それに触発された他のAs(仮想空間にいる人々の総称)らが「竜」に対する誹謗中傷を投げかける場面は、ネット上の集団極性化や没個性化などの特徴が表現されていると考える。
そして、「ジャスティス」のリーダーである「ジャスティン」が「竜」の住み着く城を燃やす場面は、ネットの炎上の比喩であると考える。
さらに、作品中ではディズニーの『美女と野獣』のオマージュが読み取れる。
主人公の鈴はUにおいて「ベル」と名乗り、「竜」は獣のような見た目をしている。
ベルが竜の城を訪れ、歌いながら踊る場面は『美女と野獣』でベルと野獣が踊る場面と酷似している。
実際、細田守監督は本作が「インターネット上の『美女と野獣』」であると発言している。
(『ネット社会の「美女と野獣」細田守監督「竜そばかすの姫」』https://www.sankei.com/article/20210716-6MAIEER4GVKBBHWJU7VNDDX7LE/2023年8月10日閲覧)
『美女と野獣』のオマージュによって、インターネットの現実的な光と闇が幻想的に表現されていると考える。
⑦『もののけ姫』(アニメ映画)監督:宮崎駿 1997年
山里に住む若者アシタカは、怒りと憎しみによりタタリ神と化した猪神から呪いをかけられてしまう。呪いを解く術を求めて旅に出るアシタカはやがて、西方の地でタタラの村にたどり着く。エボシ御前が率いるその村では、鉄を造り続けていたが、同時にそれは神々の住む森を破壊することでもあった。そして、そんなタタラ達に戦いを挑むサンの存在をアシタカは知る。人の子でありながら山犬に育てられた彼女はもののけ姫と呼ばれていた。
本作品では自然破壊をする人間と、それに抗う森の神々との抗争が描かれている。
しかし、人間の中でもタタラ場の人々、アサノ、唐笠との対立が描かれ、森では山犬、猩々、猪の対立が描かれており、対立の構造は複雑である。このことから、本作は自然的に発生する抗争を描いていると考える。
次に人間である少年アシタカと、森で山犬に育てられた少女サンについて考察する。
最初、サンは人間であるアシタカに強い敵対心と警戒心を抱いていたが、次第に心を許していき、2人が並んで眠る場面の描写からは、アシタカに対する警戒心が完全に払拭されていることが読み取れ、人間界と自然界の調和が表れているといえる。
しかし、最後アシタカはタタラ場で、サンは森で生きることを決意する。
このことから、「共に生きよう」という言葉は人と自然の共生ではなく、それぞれの場で対立や葛藤に揉まれながらも生き抜くことを表していると考える。
⑧『万引き家族』(映画) 監督:是枝裕和 2018年
高層マンションの谷間に取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である祖母の初枝の年金であり、それで足りないものは万引きでまかなっていた。社会という海の、底を這うように暮らす家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、口は悪いが仲よく暮らしていた。
そんな冬のある日、治と祥太は、近隣の団地の廊下で震えていた幼いゆりを見かねて家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。
だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく。
家族たちが過ごす家においてのカメラアングルは、敢えて家具などの物の隙間から覗くような構図が取られており、役者の顔が物と重なるカットが多い。
これは、どこにいても物があるという家の中の物の多さを表現しており、余白を無くすことで貧困を強調していると考える。
本作品では家族の在り方や人間の内面が、道徳の観点から鋭く言及されており、その人にとって本当の幸せとは何かが問われていると考える。
この家族は全員血が繋がっていない、擬似家族である。それは、祥太がスーパーでわざと店員に見つかるように万引きをし、その後の警察の事情聴取で明らかになった。それによって家族は引き離されてしまう。なぜ祥太は家族を引き離すような行動をとったのか。
この時の祥太の行動を、作中で祥太が音読していた『スイミー』を補助線にして考察する。
『スイミー』は、唯一の黒い魚であるスイミーが、大きな魚に怯えて身を隠しながら暮らす赤い魚たちを自由にさせようと、自らが目になって大きな魚を追い出す話である。
以下は祥太が音読した内容である。
「スイミーは教えた。けっして はなればなれにならないこと。みんな もちばを まもること。みんなが、一ぴきの大きな魚みたいにおよげるようになったとき、スイミーは言った。
「ぼくが、目になろう。」
あさのつめたい水の中を、ひるのかがやく光の中をみんなはおよぎ、大きな魚をおい出した。」(光村図書『小学2年国語(上)』「スイミー」)
これを家族らの状況に当てはめると、血の繋がりのない人たちがそれぞれ「家族」の一員としての役割を担うことで、1つの「家族」を形成する。しかしこの「家族」は、万引き、窃盗、未成年の風俗店の勤務など、生活の基盤となる収入源が法に触れている。
そのため、祥太は先陣を切って警察に捕まることで、「家族」が抱える闇の部分を取り払おうとしたのではないかと考える。
⑨『ヴィヨンの妻』(小説) 太宰治 1947年
大谷は男爵の次男であり、有名な詩人である。ある日、大谷が常連の小料理屋・椿屋から金を奪って逃げた。妻のさっちゃんは、金がととのうまでは店を手伝うと、椿屋で働き始める。そこへ、見知らぬ女を連れた大谷が現れる。
献身的な妻と、どうしようも無い夫の対比に着目する。
夫は1度家を出たら3日4日は帰らず、帰ってくるときはいつも泥酔しており、呻いたり、泣いたり、弱音を吐いたりする。
これは、窃盗や浮気など、後暗い罪への意識、後ろめたさが書かれていると考える。
一方、妻は椿屋で「さっちゃん」として、美しい容姿で店の人気者になる。現代家族における妻の役割の変遷が表現されていると考える。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きてさえすればいいのよ。」
これは様々な客と接していく内に人が誰しも後暗いところを持っていると悟った故の発言であると考える。
これらのことから本作品は女の人の強さが描かれていると考える。
⑩『文豪ストレイドッグス』シーズン1 (アニメ) 監督:五十嵐卓哉 原作者:朝霧カフカ 2016年
異能力者たちが揃う探偵集団武装探偵社に入社した中島敦が、犯罪組織ポートマフィアや海外の異能力者集団たちとの抗争に巻き込まれながら成長していく異能力バトルアクション漫画。
登場人物は、中島敦、太宰治、江戸川乱歩など、実在の文豪をモデルにしており、各々が持つ特殊能力も、その文豪の代表作をモチーフとしている。
例えば、太宰治は作中で何度も自殺行為を繰り返し、自殺嗜好の男としての性格がコミカルに描かれている。しかしそれらは全て未遂で終わり、死を望むが死を恐れる性格は、太宰治の弱い自我が表現されていると考える。
また、本作は異能力バトルが中心であるが、所々に関連のある文学作品の要素が組み込まれている。
例えば、シーズン1のエピソード6「蒼の使徒」は、ヨコハマを訪れた旅行客連続失踪事件を解決する話であるが、旅行客たちが監禁されている廃病院では旅行客たちが裸にされていたり、水槽の中に放り込まれた少女が描かれていた。
ここの場面は、江戸川乱歩の『黒蜥蜴』のオマージュであると考える。
『黒蜥蜴』で女賊の「黒蜥蜴」は誘拐した人々を自らのアジトに監禁する。そこで黒蜥蜴は人々を展示物のように扱い、剥製化された全裸の人々や、大水槽に放り込まれた少女が描かかれる。
このことから『文豪ストレイドッグス』では、小説の1部を話に取り込むことで、異能力者が存在する異質な世界間と、小説の架空の世界間が効果的にマッチングしていると考える。
また、実際の文豪をモデルにしているため、元となる作品を辿るという聖地巡礼ならぬ「聖本巡礼」という消費方法が可能であり、若い世代による文学作品の消費に繋がっていると考える。
⑪『この世界の片隅に』(アニメ映画) 監督:片渕須直 原作者:こうの史代 2019年
すずは、広島市江波で生まれた絵が得意な少女。昭和19年、20キロ離れた町・呉に嫁ぎ18歳で一家の主婦となったすずは、あらゆるものが欠乏していくなかで、日々の食卓を作り出すために工夫を凝らす。だが、戦争は進み、日本海軍の根拠地だった呉は、幾度もの空襲に襲われる。すずが大事に思っていた身近なものが奪われてゆく。それでもなお、毎日を築くすずの営みは終わらない。そして、昭和20年の夏がやってきた。
本作では戦争を題材としているが、絵のタッチは柔らかく、人物もデフォルメ化されており、彩色も水彩画のような淡い色を基調としているため、穏やかな雰囲気を纏っている。一方で背景の描写は写実的であり、作品に現実性をもたらしている。
物語の前半部分では、呉に嫁いだすずの充実した日常が描かれているが、後半部分ではアメリカ軍からの空襲が激化し、焼け野原となった町並みや生々しい怪我の描写が多くなる。
前半と後半で雰囲気が変わるものの、基本的な絵のタッチは変わらない点から、戦争を特別視せず、飽くまでも日常の中にある戦争という当時の人々の感覚が反映されていると考える。
また、本作では戦時中の生活の様子が丁寧に描写されていることが印象的であった。
作中で、呉に嫁いだすずが食料の配給が少なったために、限られた食材の中で工夫を凝らし、様々なかさ増し料理を家族に振る舞う場面がある。
ここでは当時の食生活を読み取ることができ、戦時中に生きた人々の視点から、日常が描かれていると考える。
⑫『鬼滅の刃』(漫画) 吾峠呼世晴 2016〜2020年
墨を売る心優しき少年・竈門炭治郎はある日鬼に家族を皆殺しにされてしまう。さらに唯一生き残った妹の禰豆子は鬼に豹変してしまった。
絶望的な現実に打ちのめされる炭治郎だったが、妹を人間に戻し、家族を殺した鬼を討つため、“鬼狩り”の道へ進む決意をする。人と鬼とが織りなす哀しき兄妹の物語。
家族を敬愛し、仲間を大切にし、得体の知れない鬼に立ち向かう、健気な主人公像が読者の共感を強く呼び込ませるのではないかと考える。
また、「鬼滅の刃」の人気に火がついた時期は新型コロナウイルスの流行と重なっていたため、得体の知れない物と闘う姿が当時の人々の状況と重なったのではないかと考える。
「鬼滅の刃」の1番の特徴は、敵である「鬼」の悲しい過去が描かれることであると考える。
例えば、病弱であり永遠の命を手に入れるために鬼になった者、作家として評価されず、渾身の原稿を踏みつけられるなどされ憎しみが募った結果鬼になった者、大切な人が殺されたとき、何もできなかった自分の無力さに打ちひしがれ、強さを手に入れるために鬼になった者など、人間の身体的、精神的弱さが描かれる。
誰もが持つ弱さが描かれることで、読者に共感を呼び、勧善懲悪でありつつも、敵が討伐される場面では哀愁が漂う、日本らしい作品であると考える。
⑬『ベイビー・ブローカー』(映画) 監督:是枝裕和 2022年
古びれたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョンと、〈赤ちゃんポスト〉がある施設で働く児童養護施設出身のドンス。ある土砂降りの雨の晩、彼らは若い女ソヨンが〈赤ちゃんポスト〉に預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。彼らの裏稼業は、ベイビー・ブローカーである。
しかし、思い直して戻ってきたソヨンが、赤ん坊がいないことに気づき警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく白状する。
「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という言い訳にあきれるソヨンだが、成り行きから彼らと共に養父母探しに出ることになる。
「ここにいる子のほとんどが捨てられたときに存在を否定されている」
望まない妊娠によって産まれた子どもたち。様々な事情によって親が養育を放棄し、捨てられ、施設で育つ。
本作は、自分は生まれるべき存在であったのか、という生への根源的な疑問を抱える子どもたちに対する、是枝監督のメッセージとなっている。
若い女・ソヨンは売春婦として働いており、その相手との間に身ごもった赤ん坊が「ウソン」であった。ソヨンはウソンが「人殺しの子」となるのを懸念し、ウソンを捨てることで親子関係を断とうとした。ウソンに対する母としての愛情の裏返しである。
捨てられた事情に焦点を置くことで、捨てられたのはあなたを想ってのことなのかもしれない、という前向きなメッセージを込めていると考える。
1度ウソンを捨てたが、養父母探しの間でウソンに対する愛情を示すソヨン、ベイビー・ブローカーであるが施設の子どもたちに対する優しさを見せるサンヒョンとドンス。
複雑な事情を抱えながらも、子どもに対する愛情や優しさを持つ彼らの人物像には、人間の多面性が強調して描かれていると考える。
さらに、「万引き家族」で犯罪に対するストッパーの役割を果たしていた警察が、本作では現行犯逮捕をするため、警察側は根を回して赤ん坊を売買させようとする。
このように、典型にはまらない人物像が描かれることで人間社会の複雑性と心の多重性が表現されていると考える。
⑭「博士の愛した数式」 (小説) 小川洋子 新潮文庫 2003年
[ぼくの記憶は80分しかもたない]博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた。記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。
本作では3人のお互いに対する思いやりや愛情が描かれている。
しかし、記憶が80分しか持たない博士は3人で過ごした温かな日々を忘れていってしまう。その度に「私」とルートが親身になって寄り添う姿勢に、心が温かくなる。
作中では、様々な数式が登場し博士の人柄を表現している。
その中で特に着目したいのが、博士の記憶できる時間が少なくなっていく場面で登場した、オイラーの等式「eiπ+1=0」である。
オイラーの等式は、別々の経緯で定義されたe、i、πの3つの数が、1と0というシンプルな数と共に1つの数式にまとめられている点で、数学史上最も美しい数式とされている。
e、i、πの3つの数をそれぞれ博士、「私」、ルートに当てはめるとすれば、3人で築いた楽しい思い出が、博士の記憶障害によって0になってしまうことを表現していると考える。
しかし、博士は「0」に関して「0が登場しても、計算規則の統一性は決して乱されない。それどころか、ますます矛盾のなさが強調され、秩序は強固になる。(P.197)」と発言している。
このことから、本作におけるオイラーの等式は、博士の中で3人の思い出が無くなってしまっても、それによって強固になるお互いへの思いやりが、関係の秩序を保つことを表現しており、3人の関係性を肯定する数式であると考察する。
⑮「罪と罰」(小説) ドストエフスキイ 著、中村白葉, 伊藤佐喜雄 訳 、金の星社 1971年
若気のいたりとはいいながら、あやまった思想的観念におどらされて殺人という大罪を犯したけれど根は誠実で、やさしい心を持っていたラスコーリニコフ。彼はなぜ人を殺し、いかに悔い、悩み、そして、心から救われるに至ったか。雪のシベリアに展開されるニヒルな少年と、可憐なソーニャとの恋が描かれる。
本作品は、人間の陥りやすい悪への誘惑、そして、その当然の報いとして、受けなければならない罪意識の苦しみ、という文学作品では普遍的なテーマで描かれている。
主人公のラスコーリニコフは、業つくばりの金貸しの老婆・アリョーナと、その妹リザベータ2人を殺害した。
ラスコーリニコフは自身の論文で、世の中には犯罪を行う権利のある人間と、そうでない人間が存在すると主張し、ソーニャに罪を告白する場面では、「ナポレオンになりたかった(P.212)」と発言している。
ラスコーリニコフは価値のある人間が正当な理由で罪を犯すことは、その人の権利であり義務であると主張し、社会に害を及ぼす、虫けらに劣るような人間、アリョーナを殺したことに正当性を見出している。
これらのことから、正義と罪が表裏一体化することで、ラスコーリニコフを通して、人間が持つ二面性、矛盾、心理的葛藤が浮き彫りになり、ラスコーリニコフの人間としての未熟さや弱さ、偏った思想を持つことの危険性を示唆していると考える。
さらに、罪の捉え方について考察する。
ラスコーリニコフがソーニャに罪を告白するシーンで、ソーニャはラスコーリニコフに向かって「いいえ、いいえ。この広い世界じゅうで、今、あなたよりも不幸な人はありませんわ!(P.203)」と、発言している。
一方で、判事のポルフィーリーは「…(中略)大体その人間が罪を犯したのなら、必ずそこになんらかの形で、具体的なものが伴わなければならぬ、と私は考えるからです…(P.222)」と発言している。
これらのことから、ラスコーリニコフの罪に対する罰の捉え方が多角的に描かれており、罪とそれに対する罰の根源的な意味が問われていると考える。
夏休み課題
①『ブラック・ジャック』(漫画) 作者:手塚治虫 1973〜1983年
天才外科医のブラック・ジャックが活躍する医療ドラマ。人里離れた荒野の診療所に訪れる数々の重症患者たちを、助手のピノコと共に奇跡的なオペによって救う。しかし、ブラック・ジャックは医師免許を持たない「もぐりの医者」であるため独自の治療を行ったり、法外の治療費を請求する。
『ブラック・ジャック』は1973年週刊少年チャンピオンに連載され、当時の医療漫画最大ヒット作であり、医療漫画のジャンルを確立させた作品である。
本作では「生きることの意味」が問われていると考える。患者は、傷病を負ってから治療までの過程において自分たちの生きる意味や道に葛藤する。
例えば、寿司職人である若者が交通事故によって両腕を無くしてしまう、将来有望な体操選手の学生が腕の腫瘍によって片腕を無くしてしまうなど、その人のまさに「命」である体の部分が突如奪われてしまう。
ブラック・ジャックの治療によって一命を取り留めた患者たちが、ハンデを抱えながらもどのように生きていくのか。生きる道の多様性と生死の表裏一体さが表れている作品だと考える。
また、漫符や映画的表現などが盛り込まれたことで、人物の細やかな心情の部分をクローズアップされ、より劇的な物語を描くことが可能になったと考える。
②『ひろがるスカイプリキュア』(アニメ) 監督:小川孝治 2023年
天空に浮かぶ世界「スカイランド」。その日は王国の幼いプリンセスエルの誕生日であったが、エルはアンダーグ帝国の怪物・カバトンによって隙を突かれ、連れ去られてしまう。ヒーローを志す勇敢な少女・ソラ・ハレワタールはエルを救うべくワープ空間へ入り、いつしか全く別の世界「ソラシド市」にたどり着く。
文化や風習が異なる全く別の世界に来たことに戸惑うソラだったが、この時出会ったソラシド市の少女、虹ヶ丘ましろの家にエルとともに居候しながらプリキュアとしてエルを守りスカイランドに帰すため、戦うことになる。
プリキュアシリーズの20周年を飾る本作のモチーフは「空」、テーマを「ヒーロー」、キーワードを「知ることで広がる世界」としている。
今までのピンクでドジっ子、または頭が良い、といった主人公像とは対照的な、青で礼儀正しく、勇敢な主人公像が描かれている。
その他にも男の子のプリキュアや新成人プリキュアがメインキャラクターとして登場するなど、20周年の節目に新しい試みが盛り込まれている。
女児アニメのスタンダードとして位置されているプリキュアシリーズは、子どもに対する教育的・道徳的なお手本としての側面が求められている。
しかし、その中でも毎年新たな表現を取り入れ、多様性に満ちた設定を盛り込むことで、流動的な社会を生きる子どもたちに柔軟な思考を養わせる意図があるのではないかと考える。
特にジェンダーの多様性に関する問題が取り上げられることで、性への固定観念や先入観を持たない幼少期の子どもたちに、ジェンダーに対する平等性や寛容性を養わせることができるのではないかと考える。
③『ライ麦畑でつかまえて』(小説) J・D・サリンジャー、訳:野崎孝 1984年(白水uブックス)
アメリカの作家サリンジャーの中編小説。1951年刊。
高校を放校となった17歳の少年ホールデン・コールフィールドがクリスマス前のニューヨークの街をめぐる物語。
本作品は一貫して一人称の口語体で語られており、情景の描写はなく、主人公の心の葛藤が淡々と叙述されているため追体験の感覚がもたらされる。
主人公のホールデンは高校の教師や同級生、ニューヨークの街で出会う人々に対して侮辱的で悲観的な定見を持ち、現実社会へ失望し、社会・他人と乖離していく。
純粋な子どもの心と、欺瞞に満ちた大人の世界の狭間で葛藤する様子は、まさに多感な思春期そのものである。一方で、亡くなった弟アリーを思う場面や、幼い妹のフィービーに兄としての優しさを見せるなど、兄弟愛も描かれている。
また、作品のタイトルである『ライ麦畑でつかまえて』という言葉はホールデンが「ライ麦畑で会うならば」というロバート・バーンズの詩を間違えて言ったものである。そしてホールデンは、広いライ麦畑の中で危険な行動をする子どもたちを捕まえる「ライ麦畑のつかまえ役(P.269)」になりたいと言っている。
そして以下の文はホールデンと大学の先生との対話の場面における、先生の発言を要約したものである。
道徳的、精神的な悩みを記録することで、同じような苦しみを抱える人の支えとなる。これは美しい相互援助であり、教育ではなく歴史であり、詩なのである。(P.295)
これを踏まえると、主人公の精神的な葛藤が綴られている本作は今現在悩む若者たちの支えとなり、作品自体が「ライ麦畑のつかまえ役」として機能していると考える。
また、かつて青春時代を過ごした大人たちの回顧録のようなものとして受け入れられることで、幅広い年代に共感される作品として定着したのではないかと考える。
④『ローマの休日』(映画)監督:ウィリアム・ワイラー 1953年
イタリアのローマを親善訪問した某国の「アン王女」が滞在先から飛び出し、市内で出会った新聞記者、「ジョー」との1日の恋を描いた作品。
『ローマの休日』はオードリー・ヘップバーンの代表作であり、その人気は現代にも強く根付いている。
その理由として挙げられるのは、典型的なラブロマンスであることと、作品が持つ高潔さにあると考える。
本作は、王女と新聞記者という身分違いの恋というロマンスの典型が描かれており、ラストでは階級差故に結ばれない恋が切なく描かれている。
また、本作はヘイズ・コードによる表現規制が導入されていた時期に作られた映画であり、性的描写がないことが特徴である。ベッドは登場するものの、コミカルなシーンの小道具として描かれており、身体的な愛情表現は抱擁とキスのみである。
このように直接的な描写が少ないこと、さらには宮殿の高貴さやローマの町並みの美しさなどによって、作品に高潔さが付与され、人々に愛される作品となったのではないかと考える。
⑤『人間失格』太宰治 1948年(小説)
「恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです」
青森の大金持ちの息子であり、廃人同然のモルヒネ中毒者だった大庭葉蔵の手記を借りて、自己の生涯を極限まで作品に昇華させた太宰文学の代表作品。
主人公は他人の気持ちが分からず、会話が続かないために道化を演じる。懊悩を胸に秘め、楽天性を装うことで集団の中での居場所を作る。このようにして人生を歩んできた主人公には、終始虚無感が漂っている。そして、道化を演じることで本来の自分を偽り、他者を騙しているという罪悪感に主人公は苦悩する。
そんな主人公が唯一生き生きとする場面は、モルヒネを打った後である。薬物の中に、人生を見出すところまで堕ちてしまったのである。
このことから、本作は人間の脆さ、闇の部分を煮詰めたような作品であると考える。
⑥『竜とそばかすの姫』(アニメ映画) 監督:細田守 2021年
歌が好きな女子高生・すずは、幼い頃に母親を亡くして以来、人前では歌うことができなくなっていた。ある日、彼女は全世界から人が集まる仮想世界「U」に足を踏み入れる。やがて、Uの世界で「ベル」という歌姫として人気者になるすずだったが、突然現れた謎の存在「竜」が、彼女とUを撹乱していく。
本作では、現実世界と仮想空間でアニメパートとCGパートが使い分けられている。
現実世界のアニメパートでは凹凸のない平面的な顔で描かれているが、仮想空間であるUの世界ではCGが用いられ、登場人物らの顔は目鼻立ちがくっきりと描かれておりディズニーの作風と近い。このことから、現実世界と仮想空間を異なるアニメーション技術によって描くことで区別していると考える。
また、本作はネット上の闇を描いた作品であると考える。
例えば、Uの世界の正義と秩序を守る自警集団「ジャスティス」が「竜」を悪者として執拗に追いかけ回し、それに触発された他のAs(仮想空間にいる人々の総称)らが「竜」に対する誹謗中傷を投げかける場面は、ネット上の集団極性化や没個性化などの特徴が表現されていると考える。
そして、「ジャスティス」のリーダーである「ジャスティン」が「竜」の住み着く城を燃やす場面は、ネットの炎上の比喩であると考える。
さらに、作品中ではディズニーの『美女と野獣』のオマージュが読み取れる。
主人公の鈴はUにおいて「ベル」と名乗り、「竜」は獣のような見た目をしている。
ベルが竜の城を訪れ、歌いながら踊る場面は『美女と野獣』でベルと野獣が踊る場面と酷似している。
実際、細田守監督は本作が「インターネット上の『美女と野獣』」であると発言している。
(『ネット社会の「美女と野獣」細田守監督「竜そばかすの姫」』https://www.sankei.com/article/20210716-6MAIEER4GVKBBHWJU7VNDDX7LE/2023年8月10日閲覧)
『美女と野獣』のオマージュによって、インターネットの現実的な光と闇が幻想的に表現されていると考える。
⑦『もののけ姫』(アニメ映画)監督:宮崎駿 1997年
山里に住む若者アシタカは、怒りと憎しみによりタタリ神と化した猪神から呪いをかけられてしまう。呪いを解く術を求めて旅に出るアシタカはやがて、西方の地でタタラの村にたどり着く。エボシ御前が率いるその村では、鉄を造り続けていたが、同時にそれは神々の住む森を破壊することでもあった。そして、そんなタタラ達に戦いを挑むサンの存在をアシタカは知る。人の子でありながら山犬に育てられた彼女はもののけ姫と呼ばれていた。
本作品では自然破壊をする人間と、それに抗う森の神々との抗争が描かれている。
しかし、人間の中でもタタラ場の人々、アサノ、唐笠との対立が描かれ、森では山犬、猩々、猪の対立が描かれており、対立の構造は複雑である。このことから、本作は自然的に発生する抗争を描いていると考える。
次に人間である少年アシタカと、森で山犬に育てられた少女サンについて考察する。
最初、サンは人間であるアシタカに強い敵対心と警戒心を抱いていたが、次第に心を許していき、2人が並んで眠る場面の描写からは、アシタカに対する警戒心が完全に払拭されていることが読み取れ、人間界と自然界の調和が表れているといえる。
しかし、最後アシタカはタタラ場で、サンは森で生きることを決意する。
このことから、「共に生きよう」という言葉は人と自然の共生ではなく、それぞれの場で対立や葛藤に揉まれながらも生き抜くことを表していると考える。
⑧『万引き家族』(映画) 監督:是枝裕和 2018年
高層マンションの谷間に取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である祖母の初枝の年金であり、それで足りないものは万引きでまかなっていた。社会という海の、底を這うように暮らす家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、口は悪いが仲よく暮らしていた。
そんな冬のある日、治と祥太は、近隣の団地の廊下で震えていた幼いゆりを見かねて家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。
だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく。
家族たちが過ごす家においてのカメラアングルは、敢えて家具などの物の隙間から覗くような構図が取られており、役者の顔が物と重なるカットが多い。
これは、どこにいても物があるという家の中の物の多さを表現しており、余白を無くすことで貧困を強調していると考える。
本作品では家族の在り方や人間の内面が、道徳の観点から鋭く言及されており、その人にとって本当の幸せとは何かが問われていると考える。
この家族は全員血が繋がっていない、擬似家族である。それは、祥太がスーパーでわざと店員に見つかるように万引きをし、その後の警察の事情聴取で明らかになった。それによって家族は引き離されてしまう。なぜ祥太は家族を引き離すような行動をとったのか。
この時の祥太の行動を、作中で祥太が音読していた『スイミー』を補助線にして考察する。
『スイミー』は、唯一の黒い魚であるスイミーが、大きな魚に怯えて身を隠しながら暮らす赤い魚たちを自由にさせようと、自らが目になって大きな魚を追い出す話である。
以下は祥太が音読した内容である。
「スイミーは教えた。けっして はなればなれにならないこと。みんな もちばを まもること。みんなが、一ぴきの大きな魚みたいにおよげるようになったとき、スイミーは言った。
「ぼくが、目になろう。」
あさのつめたい水の中を、ひるのかがやく光の中をみんなはおよぎ、大きな魚をおい出した。」(光村図書『小学2年国語(上)』「スイミー」)
これを家族らの状況に当てはめると、血の繋がりのない人たちがそれぞれ「家族」の一員としての役割を担うことで、1つの「家族」を形成する。しかしこの「家族」は、万引き、窃盗、未成年の風俗店の勤務など、生活の基盤となる収入源が法に触れている。
そのため、祥太は先陣を切って警察に捕まることで、「家族」が抱える闇の部分を取り払おうとしたのではないかと考える。
⑨『ヴィヨンの妻』(小説) 太宰治 1947年
大谷は男爵の次男であり、有名な詩人である。ある日、大谷が常連の小料理屋・椿屋から金を奪って逃げた。妻のさっちゃんは、金がととのうまでは店を手伝うと、椿屋で働き始める。そこへ、見知らぬ女を連れた大谷が現れる。
献身的な妻と、どうしようも無い夫の対比に着目する。
夫は1度家を出たら3日4日は帰らず、帰ってくるときはいつも泥酔しており、呻いたり、泣いたり、弱音を吐いたりする。
これは、窃盗や浮気など、後暗い罪への意識、後ろめたさが書かれていると考える。
一方、妻は椿屋で「さっちゃん」として、美しい容姿で店の人気者になる。現代家族における妻の役割の変遷が表現されていると考える。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きてさえすればいいのよ。」
これは様々な客と接していく内に人が誰しも後暗いところを持っていると悟った故の発言であると考える。
これらのことから本作品は女の人の強さが描かれていると考える。
⑩『文豪ストレイドッグス』シーズン1 (アニメ) 監督:五十嵐卓哉 原作者:朝霧カフカ 2016年
異能力者たちが揃う探偵集団武装探偵社に入社した中島敦が、犯罪組織ポートマフィアや海外の異能力者集団たちとの抗争に巻き込まれながら成長していく異能力バトルアクション漫画。
登場人物は、中島敦、太宰治、江戸川乱歩など、実在の文豪をモデルにしており、各々が持つ特殊能力も、その文豪の代表作をモチーフとしている。
例えば、太宰治は作中で何度も自殺行為を繰り返し、自殺嗜好の男としての性格がコミカルに描かれている。しかしそれらは全て未遂で終わり、死を望むが死を恐れる性格は、太宰治の弱い自我が表現されていると考える。
また、本作は異能力バトルが中心であるが、所々に関連のある文学作品の要素が組み込まれている。
例えば、シーズン1のエピソード6「蒼の使徒」は、ヨコハマを訪れた旅行客連続失踪事件を解決する話であるが、旅行客たちが監禁されている廃病院では旅行客たちが裸にされていたり、水槽の中に放り込まれた少女が描かれていた。
ここの場面は、江戸川乱歩の『黒蜥蜴』のオマージュであると考える。
『黒蜥蜴』で女賊の「黒蜥蜴」は誘拐した人々を自らのアジトに監禁する。そこで黒蜥蜴は人々を展示物のように扱い、剥製化された全裸の人々や、大水槽に放り込まれた少女が描かかれる。
このことから『文豪ストレイドッグス』では、小説の1部を話に取り込むことで、異能力者が存在する異質な世界間と、小説の架空の世界間が効果的にマッチングしていると考える。
また、実際の文豪をモデルにしているため、元となる作品を辿るという聖地巡礼ならぬ「聖本巡礼」という消費方法が可能であり、若い世代による文学作品の消費に繋がっていると考える。
⑪『この世界の片隅に』(アニメ映画) 監督:片渕須直 原作者:こうの史代 2019年
すずは、広島市江波で生まれた絵が得意な少女。昭和19年、20キロ離れた町・呉に嫁ぎ18歳で一家の主婦となったすずは、あらゆるものが欠乏していくなかで、日々の食卓を作り出すために工夫を凝らす。だが、戦争は進み、日本海軍の根拠地だった呉は、幾度もの空襲に襲われる。すずが大事に思っていた身近なものが奪われてゆく。それでもなお、毎日を築くすずの営みは終わらない。そして、昭和20年の夏がやってきた。
本作では戦争を題材としているが、絵のタッチは柔らかく、人物もデフォルメ化されており、彩色も水彩画のような淡い色を基調としているため、穏やかな雰囲気を纏っている。一方で背景の描写は写実的であり、作品に現実性をもたらしている。
物語の前半部分では、呉に嫁いだすずの充実した日常が描かれているが、後半部分ではアメリカ軍からの空襲が激化し、焼け野原となった町並みや生々しい怪我の描写が多くなる。
前半と後半で雰囲気が変わるものの、基本的な絵のタッチは変わらない点から、戦争を特別視せず、飽くまでも日常の中にある戦争という当時の人々の感覚が反映されていると考える。
また、本作では戦時中の生活の様子が丁寧に描写されていることが印象的であった。
作中で、呉に嫁いだすずが食料の配給が少なったために、限られた食材の中で工夫を凝らし、様々なかさ増し料理を家族に振る舞う場面がある。
ここでは当時の食生活を読み取ることができ、戦時中に生きた人々の視点から、日常が描かれていると考える。
⑫『鬼滅の刃』(漫画) 吾峠呼世晴 2016〜2020年
墨を売る心優しき少年・竈門炭治郎はある日鬼に家族を皆殺しにされてしまう。さらに唯一生き残った妹の禰豆子は鬼に豹変してしまった。
絶望的な現実に打ちのめされる炭治郎だったが、妹を人間に戻し、家族を殺した鬼を討つため、“鬼狩り”の道へ進む決意をする。人と鬼とが織りなす哀しき兄妹の物語。
家族を敬愛し、仲間を大切にし、得体の知れない鬼に立ち向かう、健気な主人公像が読者の共感を強く呼び込ませるのではないかと考える。
また、「鬼滅の刃」の人気に火がついた時期は新型コロナウイルスの流行と重なっていたため、得体の知れない物と闘う姿が当時の人々の状況と重なったのではないかと考える。
「鬼滅の刃」の1番の特徴は、敵である「鬼」の悲しい過去が描かれることであると考える。
例えば、病弱であり永遠の命を手に入れるために鬼になった者、作家として評価されず、渾身の原稿を踏みつけられるなどされ憎しみが募った結果鬼になった者、大切な人が殺されたとき、何もできなかった自分の無力さに打ちひしがれ、強さを手に入れるために鬼になった者など、人間の身体的、精神的弱さが描かれる。
誰もが持つ弱さが描かれることで、読者に共感を呼び、勧善懲悪でありつつも、敵が討伐される場面では哀愁が漂う、日本らしい作品であると考える。
⑬『ベイビー・ブローカー』(映画) 監督:是枝裕和 2022年
古びれたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョンと、〈赤ちゃんポスト〉がある施設で働く児童養護施設出身のドンス。ある土砂降りの雨の晩、彼らは若い女ソヨンが〈赤ちゃんポスト〉に預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。彼らの裏稼業は、ベイビー・ブローカーである。
しかし、思い直して戻ってきたソヨンが、赤ん坊がいないことに気づき警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく白状する。
「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という言い訳にあきれるソヨンだが、成り行きから彼らと共に養父母探しに出ることになる。
「ここにいる子のほとんどが捨てられたときに存在を否定されている」
望まない妊娠によって産まれた子どもたち。様々な事情によって親が養育を放棄し、捨てられ、施設で育つ。
本作は、自分は生まれるべき存在であったのか、という生への根源的な疑問を抱える子どもたちに対する、是枝監督のメッセージとなっている。
若い女・ソヨンは売春婦として働いており、その相手との間に身ごもった赤ん坊が「ウソン」であった。ソヨンはウソンが「人殺しの子」となるのを懸念し、ウソンを捨てることで親子関係を断とうとした。ウソンに対する母としての愛情の裏返しである。
捨てられた事情に焦点を置くことで、捨てられたのはあなたを想ってのことなのかもしれない、という前向きなメッセージを込めていると考える。
1度ウソンを捨てたが、養父母探しの間でウソンに対する愛情を示すソヨン、ベイビー・ブローカーであるが施設の子どもたちに対する優しさを見せるサンヒョンとドンス。
複雑な事情を抱えながらも、子どもに対する愛情や優しさを持つ彼らの人物像には、人間の多面性が強調して描かれていると考える。
さらに、「万引き家族」で犯罪に対するストッパーの役割を果たしていた警察が、本作では現行犯逮捕をするため、警察側は根を回して赤ん坊を売買させようとする。
このように、典型にはまらない人物像が描かれることで人間社会の複雑性と心の多重性が表現されていると考える。
⑭「博士の愛した数式」 (小説) 小川洋子 新潮文庫 2003年
[ぼくの記憶は80分しかもたない]博士の背広の袖には、そう書かれた古びたメモが留められていた。記憶力を失った博士にとって、私は常に“新しい”家政婦。博士は“初対面”の私に、靴のサイズや誕生日を尋ねた。数字が博士の言葉だった。やがて私の10歳の息子が加わり、ぎこちない日々は驚きと歓びに満ちたものに変わった。あまりに悲しく暖かい、奇跡の愛の物語。
本作では3人のお互いに対する思いやりや愛情が描かれている。
しかし、記憶が80分しか持たない博士は3人で過ごした温かな日々を忘れていってしまう。その度に「私」とルートが親身になって寄り添う姿勢に、心が温かくなる。
作中では、様々な数式が登場し博士の人柄を表現している。
その中で特に着目したいのが、博士の記憶できる時間が少なくなっていく場面で登場した、オイラーの等式「eiπ+1=0」である。
オイラーの等式は、別々の経緯で定義されたe、i、πの3つの数が、1と0というシンプルな数と共に1つの数式にまとめられている点で、数学史上最も美しい数式とされている。
e、i、πの3つの数をそれぞれ博士、「私」、ルートに当てはめるとすれば、3人で築いた楽しい思い出が、博士の記憶障害によって0になってしまうことを表現していると考える。
しかし、博士は「0」に関して「0が登場しても、計算規則の統一性は決して乱されない。それどころか、ますます矛盾のなさが強調され、秩序は強固になる。(P.197)」と発言している。
このことから、本作におけるオイラーの等式は、博士の中で3人の思い出が無くなってしまっても、それによって強固になるお互いへの思いやりが、関係の秩序を保つことを表現しており、3人の関係性を肯定する数式であると考察する。
⑮「罪と罰」(小説) ドストエフスキイ 著、中村白葉, 伊藤佐喜雄 訳 、金の星社 1971年
若気のいたりとはいいながら、あやまった思想的観念におどらされて殺人という大罪を犯したけれど根は誠実で、やさしい心を持っていたラスコーリニコフ。彼はなぜ人を殺し、いかに悔い、悩み、そして、心から救われるに至ったか。雪のシベリアに展開されるニヒルな少年と、可憐なソーニャとの恋が描かれる。
本作品は、人間の陥りやすい悪への誘惑、そして、その当然の報いとして、受けなければならない罪意識の苦しみ、という文学作品では普遍的なテーマで描かれている。
主人公のラスコーリニコフは、業つくばりの金貸しの老婆・アリョーナと、その妹リザベータ2人を殺害した。
ラスコーリニコフは自身の論文で、世の中には犯罪を行う権利のある人間と、そうでない人間が存在すると主張し、ソーニャに罪を告白する場面では、「ナポレオンになりたかった(P.212)」と発言している。
ラスコーリニコフは価値のある人間が正当な理由で罪を犯すことは、その人の権利であり義務であると主張し、社会に害を及ぼす、虫けらに劣るような人間、アリョーナを殺したことに正当性を見出している。
これらのことから、正義と罪が表裏一体化することで、ラスコーリニコフを通して、人間が持つ二面性、矛盾、心理的葛藤が浮き彫りになり、ラスコーリニコフの人間としての未熟さや弱さ、偏った思想を持つことの危険性を示唆していると考える。
さらに、罪の捉え方について考察する。
ラスコーリニコフがソーニャに罪を告白するシーンで、ソーニャはラスコーリニコフに向かって「いいえ、いいえ。この広い世界じゅうで、今、あなたよりも不幸な人はありませんわ!(P.203)」と、発言している。
一方で、判事のポルフィーリーは「…(中略)大体その人間が罪を犯したのなら、必ずそこになんらかの形で、具体的なものが伴わなければならぬ、と私は考えるからです…(P.222)」と発言している。
これらのことから、ラスコーリニコフの罪に対する罰の捉え方が多角的に描かれており、罪とそれに対する罰の根源的な意味が問われていると考える。
有田 真優美
RES
2年 有田
夏休み課題
1.『白雪姫殺人事件』 原作:湊かなえ
あらすじ:ある時、三木典子というOL女性が殺害される事件が起きる。ある女性に疑惑がかかり、テレビやネットなどで憶測が過激になっていく。真実はどこにあるのか
母性と似て別の視点によって見方が全く変わる作品だなと思った。
最初の城野さんはすごくやばい人のように語られていて、それに踊らされるネット、赤星という構図が面白いし、怖いなと思った。ネットの手のひらがえりもリアルで恐ろしいなと思った。誰が本当のことを言っているかなんて分からないし、当人は真実を言っていると思っていてもそれはその人目線でしかなく、事実とは限らないというのがこの作品を見てよくわかった。人間関係は表面的には良くても裏で様々なものが渦巻いている、人の裏が可視化されているなと思った。
2.『告白』 原作:湊かなえ
あらすじ:ある中学校の終業式。教室で担任がある告白をする。それは自分の娘が自分のクラスの生徒に殺されたという衝撃的なものだった。
歌っているシーンや劇的なBGMが前半にあり、生徒たちの何も考えていない馬鹿になっている集団心理がセリフがなくとも見えて、ストーリーの流れを無視した音楽などの演出はクラスという閉鎖された空間での違和感、気持ち悪さが際立っていた。
残酷な描写が多くあったが、子どもらしい単純さ、自己中心的な思考、詰めの甘さなどが出ていて、人の黒い部分を突き詰めたらこうなるのかなというくらい救いがないストーリーだった。何も考えていない人間、視野の狭い人間、自分のことしか考えていない人間、復讐心に燃える人間、残酷な分人間味をとても感じるストーリーだった。
3.『チェンソーマン』 第1期 監督:中山竜
あらすじ:貧しい生活をしていたデンジはある日ヤクザに殺されてしまう。しかし相棒のポチタの命と引き換えにチェンソーの悪魔として復活する。極貧生活から普通の生活を手に入れるためにデビルハンターとして悪魔討伐を目指すダークファンタジー。
まずチェンソーマンというビジュアルの強さがある。また、チェンソーマンは悪魔であり、王道のジャンプヒーローでは無い。1話から人を殺すシーンもたくさん出てくるが、目には目を歯には歯をの方式で悪魔には悪魔をというようなことかなと思う。性描写なども描かれており、ToLOVEるのようなコメディチックではなくリアリティがあるため、人間の欲望をよく描いた作品だと思う。デンジというキャラクター自身も自分の欲のためだけに動いている人間で尊敬はできないがいききった清々しさが逆に視聴者の目に留まるのではと思う。
4.『ハケンアニメ』原作:辻村深月 監督:吉野耕平
あらすじ:その時期に最も人気だった作品に与えられる称号、「覇権」。新人監督の斉藤瞳は様々な困難に振り回されながら仲間やライバルと共に切磋琢磨し作品を作っていく。
アニメ業界のリアルが細かく描かれているだけでなく、人間ドラマも描かれておりお仕事ドラマとして様々な人の視点から胸が熱くなる展開がずっと続いているという印象である。映画では、電車の窓の外にネットの書き込みが流れだすというようなファンタジックでポップな演出があり、アニメーションの華やかなイメージが感じられた。人気監督と新人監督のバトルという構図もエンタメ性があり、大変だが夢のある世界を感動的に、しかしリアルに描いているなと感じる。
5.『溺れるナイフ』原作:ジョージ朝倉 監督:山戸結希
あらすじ:海辺の町に引越した夏芽とその町で生きる自由奔放な少年航一朗。彼らは親密になっていくが、夏祭りの夜に起きたある事件がきっかけで歯車が狂っていく。
少女漫画原作ではあるが思春期のリアルな焦燥感や人間関係が描かれ、ハラハラする展開もあった。中学時代と高校生時代の重なりやキャラクターの成長や変化、逆に引きずっているものなどが分かった。また、海に飛び込むシーンなどは非現実的でありながら幻想的で、航の飄々とした感じも漫画的な魅力だと感じた。だがそれらがこの映画の全体的な幻想感に繋がっていて美しいなと思った。
6.『聲の形』原作:大今良時 監督:山田尚子
ガキ大将である石田将也は耳の不自由な転校生の西宮硝子と出会う。その後しょうやはある出来事により孤立していく。数年後2人は再会ししょうやは過去の自分と向き合うことになる。
将也の周りの人間の顔にバツ印がついているのはアニメーションらしい、でもある種リアルな表現だなと思った。誰もが頭の中で妄想したり想像することがあると思う。それを忠実に再現できるのは実写よりアニメでは無いかと思う。また、将也の心情とは反して空が快晴であったり背景の心情表現も細かくされていた。
7.『推しの子』原作:赤坂アカ・横槍メンゴ
監督:平牧大輔
医者の はある日何者かに殺害され、目覚めると推しのアイドルの子どもに転生していた。思いもしない幸せな生活に喜びを隠せないでいたが、そこにある悲劇が起きる。
芸能界を描く衝撃的なクライムサスペンス。
転生もののアニメはこれまでも多くあるが、芸能界をここまで赤裸々に描いた作品はあまりないように思う。そのファンタジーとリアルを融合させた新しさがある。
また、アニメにおけるサスペンスはファンタジー要素が含まれていることが多いように思う。「僕だけがいない街」などもあるが、そのような作品は実写が多いように思う。だがアニメでやることでサスペンスとキラキラしたアイドル、転生など現実ではありえない組み合わせで作品が成立するためアニメーションの強みだなと思う。
8.『 ばらかもん』 原作:ヨシノサツキ 監督:橘正紀
あらすじ:ある問題を起こした書道家半田清舟は頭を冷やすため五島列島に行くことに。そこで出会う小学生なるを初めとする島の人々との日々を描くハートフルコメディ。
五島列島の島暮らしという時間の流れがゆっくりな穏やかさに加えてなるを初めとする子どもたちと先生の関係性に癒される。このアニメの面白いところは子どもたちの声優が本当に子役を起用しているところである。他のアニメなら女性声優が演じるなどもあるが、この作品は皆子役のためリアリティが全く違う。ドラマを観ていても思ったが、子どもが言うから響く言葉というものがあると思う。同じ言葉でも誰が言うかによって受け取り方は大きく変わる。それがよく分かるアニメだと感じた。また、書道家というあまり知られていない職業にも視点があり、お仕事ドラマの一面もあると思う。
9.『賭ケグルイ』 原作:河本ほむら 監督:林祐一郎(アニメ) 英勉(ドラマ)
あらすじ 私立百花王学園はギャンブルで生徒の階級が決まる学校。そこに現れた蛇喰夢子。彼女はギャンブルが大好きな賭ケグルイだった。彼女はその圧倒的なギャンブルの強さで学園の均衡を揺らがしていく。
表情の作画や役者の演技が舞台かと思うくらいオーバーで実写でもそのオーバーさは健在で、そこにタイトル通りの狂気が感じられるし、他には無い面白さもあるなと感じる。
駆け引きや心理戦も考えられていて、賭ケグルイましょうという決めゼリフなどはシリーズ物の作品ならではのどんどん視聴者にハマっていくセリフだと思う。
10.『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』
監督:原恵一
あらすじ:カスカベに「20世紀博」というものが誕生。大人たちは70年代の懐かしの暮らしができるテーマパークに夢中でやがて街から大人たちが消えてしまう。
テーマがかなり深いもので20世紀を永遠に過ごしたいというを誰もが感じたことのある懐古心がテーマになっており、クレヨンしんちゃんには珍しくラスボスが最後までシリアスで、ラストに近づくほど彼らに同情できる展開である。今が苦しいほどあの時は良かったと思ってしまうものだがそれでも未来を生きたいという深いストーリーだと思う。クレヨンしんちゃんは子ども向けアニメだが、大人になって観ると見方が変わる、むしろ大人にも観て欲しい作品であると感じる。このような子ども向けアニメは親子で映画館に行くというシチュエーションが多いため、一緒に観に来た親にも楽しんで欲しいというような意図もあるだろうなと思った。
11.『夜は短し歩けよ乙女』原作:森見登美彦 監督:湯浅政明
あらすじ:「黒髪の乙女」に思いを寄せる「先輩」が彼女の姿を追い求め様々な出来事に巻き込まれるファンタジー作品。
なるべく彼女の目に留まる、ナカメ作戦を始めた先輩。普通なら喋りかけに行くところを先輩に意気地がないためそのような行動を取ってしまうところのヘンテコさやその中で巻き起こる珍事件は肩の力が抜ける気の抜けた雰囲気がある。
黒髪の乙女のお酒を飲み喉からお腹が膨れ、お酒の導線がわかりやすい作画はコメディ感を増していて、全体的にコメディチックである中で深いセリフを軽いテンションで差し込むことで逆に視聴者に深く刺さると思う。
12.『おそ松さん』原作:赤塚不二夫 監督:藤田陽一
あらすじ:赤塚不二夫生誕80周年記念として放送された作品。「おそ松くん」では子どもだった六つ子達が童帝ニートになって帰ってきた。6人とその周りの人々によって巻き起こるドタバタコメディ。
初代のおそ松くんから何年も経っているため、内容は全く違うが、六つ子が暴れイヤミなどが振り回されるという展開は変わっていない。内容がかなり過激だが、他にない目新しさはある。またキャラの個性がとても強いため、六つ子でも視聴者によってそれぞれ推しが生まれたり、アイドルアニメでは無いのに六つ子セットのためそのような推しの概念があるのかなと思った。爆発的な人気はそこにも要因があるのではと感じる。
ひとつ思いついたのはキャッツアイなども3人の中で誰が好きかと分かれたりしたようで、やはりグループものだと比較がされるものなのかと思った。
13.『スパイファミリー 』第1期 原作:遠藤達哉 監督:古橋一浩
スパイの黄昏、妻で殺し屋のヨル、超能力者の娘アーニャ、予知能力を持つ犬ボンド。それぞれが正体を隠しながら家族を演じるスパイコメディ。
それぞれが目的があり、スパイ、殺し屋など一見重いようにも見えるが、みな誠実で優しく、本当の家族のようになっていく姿には癒される。また、超能力者であるアーニャの力によって起きるドタバタは物語に盛り上がりを見せてくれ、謎も多いためキーになるキャラクターであると思う。
14.『銀魂 紅桜篇』 監督:福田雄一
あらすじ:幕末に天人と呼ばれる宇宙人が入ってきた江戸で万事屋を営む侍坂田銀時と彼の周りに集まる人々のSF時代劇コメディ。
監督がコメディの巨匠なだけあり、しっかり笑える展開になっている。その笑いへの持っていき方は福田節が出ているが、原作の気だるさや緩い雰囲気などは出ているなと思う。何よりビジュアルがコスプレにも関わらず、それでも耐えられる勢いの良さなどは福田監督だからだと感じる。
15.『かくしごと』 原作:久米田康治 監督:村野佑太
あらすじ:漫画家のかくしは下ネタ満載の漫画家のため娘に自分が漫画家であることを隠していた。それを隠し通そうとする父と、娘の日常を描くハートフルコメディ。
小ネタが多く作者の他作品絶望先生のキャラクターが出てくるのも粋で面白い。
主人公が漫画家のためリアルなあるあるネタなどもある。父と娘の日常とは別で少女がかくしたちの家に訪れるシーンが毎話最後に描かれ、彼女は誰なのか、時間軸はどうなっているのかなど考察が捗りながら毎話コメディとしても楽しむことが出来る展開の仕方をしているなと思った。
16.『四畳半神話大系』 原作:森見登美彦 監督:湯浅政明
あらすじ:大学三回生の「私」は薔薇色のキャンパスライフを送るために人生をやり直したい。4つの平行世界で繰り広げられる青春奇譚。
森見登美彦特有の森見ワールドが広がっており、ワードセンスが心地よい。
主人公「私」のひねくれた性格に共感できるところもあれば、ひねくれすぎて面白いシーンもあり、テンポが良く、は小説ではあるがスピード感が出ているのはこの作品ならではで良い。
アニメーションでは主人公の私の語りがとてつもなく早口で行われている。
小説原作だと語り手がいるのは当然だが、映像化するにあたり省略されることも多いように思う。しかしこの作品はそこをカットすることなくすべて喋っているため、主人公の人間性や内面がよく分かる。また、それによりスピード感もあり他のキャラとの掛け合いやツッコミなどのテンポ感も気持ちが良いものになっている。また、アニメーションが変容していくシーンなどがあり4つの平行世界という世界観に合う夢夢しさもある。
17.『オオカミの家』 監督:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ
あらすじ:チリの人集落に住むマリアはブタを逃がしてしまい、厳しい罰に耐えられず逃げ出してしまう。しかし森の中でオオカミの声が聞こえ、ある一軒家へ逃げ込む
ホラーと言うよりは鬱映画という感じだった。
序盤は壁に少女マリアが写し出され、一人称視点のフリーホラーゲームのような雰囲気を感じた。それは空間が変容し続けることでワンカットで最後まで物語が続いているからである。途中からマリアは姿を現すが、マリアや後に出てくる子ブタなどどれも一定の姿でいることなくストップモーションアニメとしてもとても細かく、常に変容し異形へと形を変える様が異様だった。
また、ジャンルとしてはホラーだがストーリーはオオカミへの恐怖というよりブタのペドロとアナが変容していく様やマリアが彼らに食べられそうになるという展開が不気味な世界観であると感じた。だが、童話のような世界観で恐怖よりもアニメーションの美しさにずっと魅了されていた。
18.『骨』監督:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ
あらすじ: 少女が骨を掘り返して謎の儀式を行っていく。
ストップモーションアニメで、セリフがなく、いわゆる無声映画であった。ストーリーは完全には理解出来なかったが、少女が好きな人を蘇らせたいのかと思いきや最後婚約破棄をしていたため驚いた。また、途中に人形ではなく実写の少女が差し込まれ、骨にリアリティが増した。また実写の時は毎回同じ手を広げる動きをしていたためなにか別の意味合いがあるのだろうと思う。骨が教会のような場所で人間の姿になった際蘇生したと言うよりもホムンクルスを創り出したような感じだと思った。
19.『スキップとローファー』原作:高松美咲 監督:出会子都美
あらすじ:上京してきた高校生の美津未は勉強はできるが、同世代とのコミュニケーションが乏しかった。しかし持ち前の真っ直ぐさで周りと打ち解けていく。そして美津未の健気さは周りの人々を変えていく、青春ストーリー。
OPでダンスを取り入れており、tiktokなどで踊ってみた動画などが挙げられており、少女漫画のヒロインと男の子の組合わせは視聴者もOPからワクワクするものになっているなと感じる。
主人公が平凡なだけでなく少し変というのがほかの少女漫画と違い今の若者が主人公に共感したり惹かれたりする部分であると感じる。特にカラオケで最初に恥ずかしがらず、盛り上がる曲を歌うというシーンは妙にリアルで共感しやすいシーンだなと感じる。また、主人公が「良い子」である分周りが羨望の眼差しを向けるという構図はほかのキャラにも視聴者が感情移入しやすくどのキャラも立っていて魅力的だなと感じた。
20.『護られなかった者たちへ』監督:瀬々敬久
あらすじ:仙台でとある連続殺人事件が起きる。その裏にある10年目の真実とは。
震災の中でどうしても生き残ってしまったという感覚になってしまうというのは、これまでの記事などでも知っていた。今回の映画を観て、それぞれに生活があり、生き残ったあとも続いていくという当たり前のことが描かれていて、その先のことを考えたらサイバーズ・ギルドになってしまうのも致し方ないのかと気づいた。また、作中でスティグマという言葉も知り、このようなに言葉が生まれるほど、生活保護への負のイメージが強くあるんだと感じた。この作品はタイトル通り護られなかった人たちに焦点を向けていて、多くの人が分かったつもりになっていたり目を背けていることに改めて警鐘を鳴らすような作品だなと思う。震災や生活保護という遠いようでどちらすごく身近にある題材で観客も共感や同情しやすいなと思う。
災害とは人間の手に及ばないものだからこそ生き延びた人のその後の人生にも大きな影響を与えるものであり何年経とうが当事者の中で風化するものではなく、させてはいけないものだと思った。
21.『禁じられた遊び』 監督:中田秀夫
あらすじ:事故で亡くなった母を蘇らせようと母の体の一部を庭に埋め父から教わった呪文を唱える息子。父親の冗談半分の嘘のはずが不気味な出来事が起こり始める。
ホラー映画らしく急にこちらがビクッとなるような音や視覚による演出が多くある。また、カメラワークも揺れる感じがドキュメンタリー感があり緊迫感を煽っていると感じる。また、父と子の関係性や壊れていく様子があの家の中で描かれていて、そこの心理描写や狂っていく様は役者の妙だなと感じた。あの庭は美雪の趣味のガーデニングのための庭であり、息子の春翔が美雪を育てる庭でもありあの閉鎖的な感じは美雪の独占欲のようなものも感じた。
ホラーエンタメとして成立しており、美雪のビジュアルや美雪が斧を使うという展開など、今までのジャパニーズホラーの「静」な霊的なホラーやサイコホラーとはまた違うモンスターのような感じで新しさを感じた。その新しさも恐怖とともに面白さになっていたと思う。新しいものは嫌厭されがちだが、幽霊というのはこれまで多く映像化され、有名どころだと貞子などある種キャラクター化されている部分がある。そのためホラーは真剣なように見えてファンタジー要素なども相まって、とてもエンタメ性もあるジャンルなんだなと気づいた。ホラーは苦手な人も多いジャンルだが、本気で恐怖を煽る作品も良いがこの作品は苦手な人も楽しむことのできる面白さのある作品だと感じた。
22.『パプリカ』 監督:今敏
あらすじ:パプリカとして精神患者の治療を行っていたある女性。しかしdc装置というものが盗まれ、人々の夢に侵入される事件が起きる。パプリカはこの事態を収拾するため夢の世界へ向かう。
脈絡がない、連続性がない感じがまさに夢。
マッチカットが多様されていて、次から次に脈絡なくいつの間にか別の世界に切り替わっている感じが夢をそのまま映像化したようで、一見したら意味が分からないけどその意味わからなさが夢だなと思った。だからある意味リアリティだなと思う。でもこの作品はアニメーションだからこそできる表現ばかりで、作画も綺麗である。設定も作り込まれていて難しい分ファンタジーとしての完成度は高いなと思った。ファンタジーは現実ではありえないからこそ、辻褄を合わせ、ストーリーの解像度を上げるほど現実離れしたストーリーに観客を惹き込むことが出来るのではと思う。終始独自の世界観や言葉、アニメーションばかりで理解が難しいが、世界観が完成しているため、この独特な世界観が好みという人間には深く刺さる作品だと思う。
夢とはすべてその見ている人間の中にあるものであるから、夢の中で喋っている言葉たちも意味がなさそうであるものもあるんだろうなと思う。何度も観ると理解がより深まり、不思議な世界観をより理解できるのではないかと思う。
23.『森山中教習所』 原作:真造圭伍 全1巻
あらすじ:元中学校の教習所を舞台にノーテンキな大学生と高校の同級生のヤクザのひと夏の青春を描いたコメディ。
2人にとって教習所にいる間だけは暗い現実から離れてバカやれる空間なのかなと思った。清高は何も言わないけれど家庭環境に問題があり、轟木もヤクザという逃れられない世界にいる。それぞれ自分のことを語るシーンはないけれど、少しのセリフとあとは絵で環境が表現されていた。この再会による大きな変化はないけれど、ひと夏の青春を味わえたということに意味があるのかなと思った。コメディではあるが、大きな事件がなくただ免許を取るというだけで人間模様を描いていて面白いなと思った。また日常の感じやイラストの気だるい雰囲気がリアリティがあり、ノスタルジーや温かさも感じる漫画だった。
1巻という短さもまたひと夏のあっという間に過ぎ去る青春という感じがして良かった。
24.『リバーズ・エッジ』 監督:行定勲
あらすじ:ハルナは自分の彼氏にいじめられていた一匹狼の山田を救う。そこから山田に関わるようになり、山田の秘密の宝物を教えてもらう。それは河原の遺棄死体だった。
衝撃的で残酷な青春ストーリー。
短い永遠というようなセリフがあり、青春のモラトリアムのようなものを表しているのかなと思った。若者の焦燥感や欲望が丸出しの感じが過激な描写も相まってひりひりする展開だと思った。
高校生だからこその大人とは違う、家庭環境の悩みや学校の人間関係など子どもならではの暗い部分がよく見える作品だった。この作品は親の顔がちゃんと出てこないなと思った。そこから子ども目線の、親に隠れて内緒で色んなことをしている、考えている子どもたちの苦悩や葛藤が今しかできない青春の空気を感じた。
青春だなと思った、青春の残酷な面、暗い面がすごく出ていて、リアルよりもリアル感があるなと思った。時代背景が90年代で今みたいにネットも普及していない、できることが少ない閉塞感みたいなものが感じられた。
また、途中に挟まるインタビューもリアルな空気感を出しているなと思った。
死体や同じ学校の級友の死など死が多く描かれ、性的描写も多くあり、人間の生をこれでもかと感じる描写が多くあるなと思った。
マッチカットが効果的に使われていて、嫌なシーンがスルッと別のシーンに切り替わったりすると、全く関係ないシーンなのに少し連続性も感じて、ダブルミーニングのようなものも感じて面白い技法だなと思った。
山田くんは死体が宝物という人だから、カンナが死んだ時の山田くんの表情は生前はイライラするなと思ってたけど、死んだカンナに好感を持てた表情なのかなと思った。
25.『ピンクとグレー』 原作:加藤シゲアキ
あらすじ:芸能界が舞台。それぞれの道をゆく2人の親友同士の挫折と栄光を描く。
すごく主観的な感覚や肉体的、物理的な感覚を文章にして、それで感情を表現しているところが多くあって、ただ頭が痛いとかシンプルな言葉じゃないからより細かく繊細に主人公の感情がわかり、リアリティを感じた。
幼少期から大人になるまでの彼らを描いているからこの1冊で読者が彼らをずっと見守ってきたような気分になり彼らに感情移入しやすく、その分白木が死んだ時の悲しみなども大きいからより物語に引き込まれるのかなと思った。
ファレノプシスやリバー・フェニックスなど具体的な単語が多く出てきてそこに隠された登場人物の感情や意図を考えるのが面白いなと思った。現在と過去が交差して展開も計算されていて、2人がすれ違っていく矢先の白木蓮吾の死、その後の怒涛の展開は良かった。特に最後の白木を演じている河鳥は、役者の自分を見失っていく感覚が、白木の語りと合間に挟まるスタッフの声で現実と映画の作中を行き来している様子で伝わってきた。
作者が芸能界にいるからこそ書けるリアリティと物語にするための劇的なダークさが芸能界の不条理さを演出してて面白かった。
鮮やかなピンクと暗いグレー、でもどちらも白を混ぜたもの。この2つは、作中の2人は表裏一体なのかなとあとがきを読んで思った。どちらも似ているけれど周りが選んだのは白木のみだった。それによって交錯していく2人は読んでいて寂しいなと思った。
26.『母性』原作:湊かなえ 監督:廣木隆一
あらすじ:母の愛情を一身に受けたルミ子は母のことを溺愛していた。聖佳という娘ができ、娘は母、ルミ子に愛されたいと思っていた。しかしルミ子の視線の先にいるのは清佳ではなくルミ子の母で……。
女性には2つ種類があり、母親と娘というのが印象に残った。
ただ私は母親になったことがないので、どちらかは分からないなと思った。
でも確かに私の母もおばあちゃんと話している時は雰囲気が変わるし、娘になっているんだなと思う。
母親の視点、娘の視点、また過去の回想ベースで、何が本当なのか後からどんどん分かっていくのが、人間によって見え方が全く違うというのを表していて面白いなと思った。特に首を絞めるシーンは母視点では抱きしめていてどちらが本当なのだろうと思った。恐らく個人的には本当に首を絞めていたのだろうなと思う。
考え方は人それぞれだけど人への思いやりの仕方が母親は下手だったのかなと思う。誰かの娘であり続けたいというのは、ある意味母親というものに依存しているのかなと思った。
母は誰かの娘でいたい人ではあるけれど、娘のことも自分の母親が守ろうとした子だから愛しているのだろうなとは思う。でも娘を愛しているのも本当だけれど、あくまで自分の母親の影が消えることはないだろうなと思う。何十年もそうやって生きてきたのだから、たとえ間違いに気づいたとしても、人間性が大きく変わるというのはまずないと思う。
娘も母に愛されたいと強く思っている点では母親に似たところがあるのかなと思った。
27.『トゥルーマン・ショー』監督:ピーター・ウィアー
あらすじ:小さな島で平凡な日々を過ごす男。しかし彼の人生はテレビ番組のために作られた虚構の世界だった。生涯を放映され続けるお男を描いたヒューマンドラマ。
現実世界で考えると人権も何も無くありえない設定だが、視聴者は赤ちゃんの頃から彼を見ているため、彼のことを好きであり、最後には逃げることを応援もしている。
ペットをかわいがる飼い主のようだなと思った。拘束していることを許容しているのは視聴している視聴者自身なのに、彼らは親のような気持ちで見守っている気でいる。愛されているように見えて実際は本物の家族もすべて取りあげられている男の気持ちは考えていない。番組のプロデューサーがおかしいように見えて何も違和感を抱かない世間が1番気味が悪いなと思った。
28.『暗殺教室』原作:松井優征
あらすじ:ある日進学校の落ちこぼれクラスにタコ型未確認生物が現れた。その生物は既に月を破壊しており、地球の破壊も予告していた。政府にも暗殺できない危険生物だが、それは落ちこぼれクラスの担任を来年の3月、地球の破壊の日まで行うといい、言いその生物の暗殺は落ちこぼれクラスに託されることに。
暗殺という言葉の強さとは裏腹にコメディ要素も強い。危険生物である通称殺せんせーが化け物でありながらおちゃらけておりとても人間味があり、何よりしっかりと先生をしてくれる。そのため落ちこぼれクラスと呼ばれ生気のない3年E組を立て直していくという学園ドラマの一面もある。人間の教師ではなく、タコ型の生物が言うと説得力や考えさせられるのはアニマルスタディーズ的な観点が少しはあるのかなと思った。タコ型超生物は現実には存在しないが、可愛らしい見た目で普通の人間のキャラクターよりもインパクトがありそんなキャラクターから発される言葉は他より重みがあるのではと思う。アニメーションは多々動物などを喋らせるが、それは動物にすることで柔らかさや可愛らしさなどが生まれるなどするというような動物への偏見によるキャラの印象操作かなと思う。
29.『窮鼠はチーズの夢を見る』 原作:水城せとな 監督:行定勲
あらすじ:優柔不断で流されやすい大伴は不倫を重ねていた。ある日大学の後輩の今ケ瀬と再会する。密かに思いを寄せていた今ケ瀬は不倫の証拠を種に関係を迫る。大伴はそんな今ケ瀬のペースに流され関係を持つようになる。
男性同士の恋愛ならではの葛藤や心情の揺れが繊細に描かれた作品であると思う。また、まだまだ消えないジェンダー差別のようなものも描かれている。大伴は流されやすい男だが男女とはこうという固定概念はあり、周りの目だけではなく自分の中の常識との葛藤もあるように見える。今ケ瀬は自分は自分という感じで変わらないがそんな今ケ瀬と周りの目の差に悲哀感が増すと思う。ラストはそんなふたりが噛み合わず自然消滅してしまったのかなと思う。あまり言葉で表現されていないため難しいラストだったが恋人同士というのは簡単にくっつき離れるものだと思うため
そんな中で複雑な恋愛模様が描かれているなと思う。
30.『おおかみこどもの雨と雪』細田守
あらすじ:おおかみおとこを父に持つ2人のおおかみこどもとその母の絆と成長を描くファンタジー映画。
平凡な大学生だった少女がおおかみおとこと恋をし、子どもが生まれたことで普通の生活が一変していく様が不思議だと感じた。それは子どもが産まれる前の二人の関係性や生活をとても丁寧に描いているからであり、リアルな日常が続いていく中で差し込まれるおおかみおとこというインパクトの強さだと思う。また、おおかみこどもであることで雨と雪は大人になるにつれトラブルも起きるが、それは決しておおかみこどもだから起きることではなく普通の人間でも不登校にもなるし、クラスメイト同士の喧嘩も起きる。そのような現実的な問題にも焦点を当てた作品であると思う。だからおおかみこどもなんていなくとも観客は共感できる部分が多いと思う。雪はラストでもわかる通り人間よりもおおかみの血が強かったのだろうと思う。雨と雪がバラバラになるラストはおおかみと人間の間に生まれた彼らに与えられたもうひとつの道をそれぞれ描くためであると思う。
夏休み課題
1.『白雪姫殺人事件』 原作:湊かなえ
あらすじ:ある時、三木典子というOL女性が殺害される事件が起きる。ある女性に疑惑がかかり、テレビやネットなどで憶測が過激になっていく。真実はどこにあるのか
母性と似て別の視点によって見方が全く変わる作品だなと思った。
最初の城野さんはすごくやばい人のように語られていて、それに踊らされるネット、赤星という構図が面白いし、怖いなと思った。ネットの手のひらがえりもリアルで恐ろしいなと思った。誰が本当のことを言っているかなんて分からないし、当人は真実を言っていると思っていてもそれはその人目線でしかなく、事実とは限らないというのがこの作品を見てよくわかった。人間関係は表面的には良くても裏で様々なものが渦巻いている、人の裏が可視化されているなと思った。
2.『告白』 原作:湊かなえ
あらすじ:ある中学校の終業式。教室で担任がある告白をする。それは自分の娘が自分のクラスの生徒に殺されたという衝撃的なものだった。
歌っているシーンや劇的なBGMが前半にあり、生徒たちの何も考えていない馬鹿になっている集団心理がセリフがなくとも見えて、ストーリーの流れを無視した音楽などの演出はクラスという閉鎖された空間での違和感、気持ち悪さが際立っていた。
残酷な描写が多くあったが、子どもらしい単純さ、自己中心的な思考、詰めの甘さなどが出ていて、人の黒い部分を突き詰めたらこうなるのかなというくらい救いがないストーリーだった。何も考えていない人間、視野の狭い人間、自分のことしか考えていない人間、復讐心に燃える人間、残酷な分人間味をとても感じるストーリーだった。
3.『チェンソーマン』 第1期 監督:中山竜
あらすじ:貧しい生活をしていたデンジはある日ヤクザに殺されてしまう。しかし相棒のポチタの命と引き換えにチェンソーの悪魔として復活する。極貧生活から普通の生活を手に入れるためにデビルハンターとして悪魔討伐を目指すダークファンタジー。
まずチェンソーマンというビジュアルの強さがある。また、チェンソーマンは悪魔であり、王道のジャンプヒーローでは無い。1話から人を殺すシーンもたくさん出てくるが、目には目を歯には歯をの方式で悪魔には悪魔をというようなことかなと思う。性描写なども描かれており、ToLOVEるのようなコメディチックではなくリアリティがあるため、人間の欲望をよく描いた作品だと思う。デンジというキャラクター自身も自分の欲のためだけに動いている人間で尊敬はできないがいききった清々しさが逆に視聴者の目に留まるのではと思う。
4.『ハケンアニメ』原作:辻村深月 監督:吉野耕平
あらすじ:その時期に最も人気だった作品に与えられる称号、「覇権」。新人監督の斉藤瞳は様々な困難に振り回されながら仲間やライバルと共に切磋琢磨し作品を作っていく。
アニメ業界のリアルが細かく描かれているだけでなく、人間ドラマも描かれておりお仕事ドラマとして様々な人の視点から胸が熱くなる展開がずっと続いているという印象である。映画では、電車の窓の外にネットの書き込みが流れだすというようなファンタジックでポップな演出があり、アニメーションの華やかなイメージが感じられた。人気監督と新人監督のバトルという構図もエンタメ性があり、大変だが夢のある世界を感動的に、しかしリアルに描いているなと感じる。
5.『溺れるナイフ』原作:ジョージ朝倉 監督:山戸結希
あらすじ:海辺の町に引越した夏芽とその町で生きる自由奔放な少年航一朗。彼らは親密になっていくが、夏祭りの夜に起きたある事件がきっかけで歯車が狂っていく。
少女漫画原作ではあるが思春期のリアルな焦燥感や人間関係が描かれ、ハラハラする展開もあった。中学時代と高校生時代の重なりやキャラクターの成長や変化、逆に引きずっているものなどが分かった。また、海に飛び込むシーンなどは非現実的でありながら幻想的で、航の飄々とした感じも漫画的な魅力だと感じた。だがそれらがこの映画の全体的な幻想感に繋がっていて美しいなと思った。
6.『聲の形』原作:大今良時 監督:山田尚子
ガキ大将である石田将也は耳の不自由な転校生の西宮硝子と出会う。その後しょうやはある出来事により孤立していく。数年後2人は再会ししょうやは過去の自分と向き合うことになる。
将也の周りの人間の顔にバツ印がついているのはアニメーションらしい、でもある種リアルな表現だなと思った。誰もが頭の中で妄想したり想像することがあると思う。それを忠実に再現できるのは実写よりアニメでは無いかと思う。また、将也の心情とは反して空が快晴であったり背景の心情表現も細かくされていた。
7.『推しの子』原作:赤坂アカ・横槍メンゴ
監督:平牧大輔
医者の はある日何者かに殺害され、目覚めると推しのアイドルの子どもに転生していた。思いもしない幸せな生活に喜びを隠せないでいたが、そこにある悲劇が起きる。
芸能界を描く衝撃的なクライムサスペンス。
転生もののアニメはこれまでも多くあるが、芸能界をここまで赤裸々に描いた作品はあまりないように思う。そのファンタジーとリアルを融合させた新しさがある。
また、アニメにおけるサスペンスはファンタジー要素が含まれていることが多いように思う。「僕だけがいない街」などもあるが、そのような作品は実写が多いように思う。だがアニメでやることでサスペンスとキラキラしたアイドル、転生など現実ではありえない組み合わせで作品が成立するためアニメーションの強みだなと思う。
8.『 ばらかもん』 原作:ヨシノサツキ 監督:橘正紀
あらすじ:ある問題を起こした書道家半田清舟は頭を冷やすため五島列島に行くことに。そこで出会う小学生なるを初めとする島の人々との日々を描くハートフルコメディ。
五島列島の島暮らしという時間の流れがゆっくりな穏やかさに加えてなるを初めとする子どもたちと先生の関係性に癒される。このアニメの面白いところは子どもたちの声優が本当に子役を起用しているところである。他のアニメなら女性声優が演じるなどもあるが、この作品は皆子役のためリアリティが全く違う。ドラマを観ていても思ったが、子どもが言うから響く言葉というものがあると思う。同じ言葉でも誰が言うかによって受け取り方は大きく変わる。それがよく分かるアニメだと感じた。また、書道家というあまり知られていない職業にも視点があり、お仕事ドラマの一面もあると思う。
9.『賭ケグルイ』 原作:河本ほむら 監督:林祐一郎(アニメ) 英勉(ドラマ)
あらすじ 私立百花王学園はギャンブルで生徒の階級が決まる学校。そこに現れた蛇喰夢子。彼女はギャンブルが大好きな賭ケグルイだった。彼女はその圧倒的なギャンブルの強さで学園の均衡を揺らがしていく。
表情の作画や役者の演技が舞台かと思うくらいオーバーで実写でもそのオーバーさは健在で、そこにタイトル通りの狂気が感じられるし、他には無い面白さもあるなと感じる。
駆け引きや心理戦も考えられていて、賭ケグルイましょうという決めゼリフなどはシリーズ物の作品ならではのどんどん視聴者にハマっていくセリフだと思う。
10.『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』
監督:原恵一
あらすじ:カスカベに「20世紀博」というものが誕生。大人たちは70年代の懐かしの暮らしができるテーマパークに夢中でやがて街から大人たちが消えてしまう。
テーマがかなり深いもので20世紀を永遠に過ごしたいというを誰もが感じたことのある懐古心がテーマになっており、クレヨンしんちゃんには珍しくラスボスが最後までシリアスで、ラストに近づくほど彼らに同情できる展開である。今が苦しいほどあの時は良かったと思ってしまうものだがそれでも未来を生きたいという深いストーリーだと思う。クレヨンしんちゃんは子ども向けアニメだが、大人になって観ると見方が変わる、むしろ大人にも観て欲しい作品であると感じる。このような子ども向けアニメは親子で映画館に行くというシチュエーションが多いため、一緒に観に来た親にも楽しんで欲しいというような意図もあるだろうなと思った。
11.『夜は短し歩けよ乙女』原作:森見登美彦 監督:湯浅政明
あらすじ:「黒髪の乙女」に思いを寄せる「先輩」が彼女の姿を追い求め様々な出来事に巻き込まれるファンタジー作品。
なるべく彼女の目に留まる、ナカメ作戦を始めた先輩。普通なら喋りかけに行くところを先輩に意気地がないためそのような行動を取ってしまうところのヘンテコさやその中で巻き起こる珍事件は肩の力が抜ける気の抜けた雰囲気がある。
黒髪の乙女のお酒を飲み喉からお腹が膨れ、お酒の導線がわかりやすい作画はコメディ感を増していて、全体的にコメディチックである中で深いセリフを軽いテンションで差し込むことで逆に視聴者に深く刺さると思う。
12.『おそ松さん』原作:赤塚不二夫 監督:藤田陽一
あらすじ:赤塚不二夫生誕80周年記念として放送された作品。「おそ松くん」では子どもだった六つ子達が童帝ニートになって帰ってきた。6人とその周りの人々によって巻き起こるドタバタコメディ。
初代のおそ松くんから何年も経っているため、内容は全く違うが、六つ子が暴れイヤミなどが振り回されるという展開は変わっていない。内容がかなり過激だが、他にない目新しさはある。またキャラの個性がとても強いため、六つ子でも視聴者によってそれぞれ推しが生まれたり、アイドルアニメでは無いのに六つ子セットのためそのような推しの概念があるのかなと思った。爆発的な人気はそこにも要因があるのではと感じる。
ひとつ思いついたのはキャッツアイなども3人の中で誰が好きかと分かれたりしたようで、やはりグループものだと比較がされるものなのかと思った。
13.『スパイファミリー 』第1期 原作:遠藤達哉 監督:古橋一浩
スパイの黄昏、妻で殺し屋のヨル、超能力者の娘アーニャ、予知能力を持つ犬ボンド。それぞれが正体を隠しながら家族を演じるスパイコメディ。
それぞれが目的があり、スパイ、殺し屋など一見重いようにも見えるが、みな誠実で優しく、本当の家族のようになっていく姿には癒される。また、超能力者であるアーニャの力によって起きるドタバタは物語に盛り上がりを見せてくれ、謎も多いためキーになるキャラクターであると思う。
14.『銀魂 紅桜篇』 監督:福田雄一
あらすじ:幕末に天人と呼ばれる宇宙人が入ってきた江戸で万事屋を営む侍坂田銀時と彼の周りに集まる人々のSF時代劇コメディ。
監督がコメディの巨匠なだけあり、しっかり笑える展開になっている。その笑いへの持っていき方は福田節が出ているが、原作の気だるさや緩い雰囲気などは出ているなと思う。何よりビジュアルがコスプレにも関わらず、それでも耐えられる勢いの良さなどは福田監督だからだと感じる。
15.『かくしごと』 原作:久米田康治 監督:村野佑太
あらすじ:漫画家のかくしは下ネタ満載の漫画家のため娘に自分が漫画家であることを隠していた。それを隠し通そうとする父と、娘の日常を描くハートフルコメディ。
小ネタが多く作者の他作品絶望先生のキャラクターが出てくるのも粋で面白い。
主人公が漫画家のためリアルなあるあるネタなどもある。父と娘の日常とは別で少女がかくしたちの家に訪れるシーンが毎話最後に描かれ、彼女は誰なのか、時間軸はどうなっているのかなど考察が捗りながら毎話コメディとしても楽しむことが出来る展開の仕方をしているなと思った。
16.『四畳半神話大系』 原作:森見登美彦 監督:湯浅政明
あらすじ:大学三回生の「私」は薔薇色のキャンパスライフを送るために人生をやり直したい。4つの平行世界で繰り広げられる青春奇譚。
森見登美彦特有の森見ワールドが広がっており、ワードセンスが心地よい。
主人公「私」のひねくれた性格に共感できるところもあれば、ひねくれすぎて面白いシーンもあり、テンポが良く、は小説ではあるがスピード感が出ているのはこの作品ならではで良い。
アニメーションでは主人公の私の語りがとてつもなく早口で行われている。
小説原作だと語り手がいるのは当然だが、映像化するにあたり省略されることも多いように思う。しかしこの作品はそこをカットすることなくすべて喋っているため、主人公の人間性や内面がよく分かる。また、それによりスピード感もあり他のキャラとの掛け合いやツッコミなどのテンポ感も気持ちが良いものになっている。また、アニメーションが変容していくシーンなどがあり4つの平行世界という世界観に合う夢夢しさもある。
17.『オオカミの家』 監督:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ
あらすじ:チリの人集落に住むマリアはブタを逃がしてしまい、厳しい罰に耐えられず逃げ出してしまう。しかし森の中でオオカミの声が聞こえ、ある一軒家へ逃げ込む
ホラーと言うよりは鬱映画という感じだった。
序盤は壁に少女マリアが写し出され、一人称視点のフリーホラーゲームのような雰囲気を感じた。それは空間が変容し続けることでワンカットで最後まで物語が続いているからである。途中からマリアは姿を現すが、マリアや後に出てくる子ブタなどどれも一定の姿でいることなくストップモーションアニメとしてもとても細かく、常に変容し異形へと形を変える様が異様だった。
また、ジャンルとしてはホラーだがストーリーはオオカミへの恐怖というよりブタのペドロとアナが変容していく様やマリアが彼らに食べられそうになるという展開が不気味な世界観であると感じた。だが、童話のような世界観で恐怖よりもアニメーションの美しさにずっと魅了されていた。
18.『骨』監督:クリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ
あらすじ: 少女が骨を掘り返して謎の儀式を行っていく。
ストップモーションアニメで、セリフがなく、いわゆる無声映画であった。ストーリーは完全には理解出来なかったが、少女が好きな人を蘇らせたいのかと思いきや最後婚約破棄をしていたため驚いた。また、途中に人形ではなく実写の少女が差し込まれ、骨にリアリティが増した。また実写の時は毎回同じ手を広げる動きをしていたためなにか別の意味合いがあるのだろうと思う。骨が教会のような場所で人間の姿になった際蘇生したと言うよりもホムンクルスを創り出したような感じだと思った。
19.『スキップとローファー』原作:高松美咲 監督:出会子都美
あらすじ:上京してきた高校生の美津未は勉強はできるが、同世代とのコミュニケーションが乏しかった。しかし持ち前の真っ直ぐさで周りと打ち解けていく。そして美津未の健気さは周りの人々を変えていく、青春ストーリー。
OPでダンスを取り入れており、tiktokなどで踊ってみた動画などが挙げられており、少女漫画のヒロインと男の子の組合わせは視聴者もOPからワクワクするものになっているなと感じる。
主人公が平凡なだけでなく少し変というのがほかの少女漫画と違い今の若者が主人公に共感したり惹かれたりする部分であると感じる。特にカラオケで最初に恥ずかしがらず、盛り上がる曲を歌うというシーンは妙にリアルで共感しやすいシーンだなと感じる。また、主人公が「良い子」である分周りが羨望の眼差しを向けるという構図はほかのキャラにも視聴者が感情移入しやすくどのキャラも立っていて魅力的だなと感じた。
20.『護られなかった者たちへ』監督:瀬々敬久
あらすじ:仙台でとある連続殺人事件が起きる。その裏にある10年目の真実とは。
震災の中でどうしても生き残ってしまったという感覚になってしまうというのは、これまでの記事などでも知っていた。今回の映画を観て、それぞれに生活があり、生き残ったあとも続いていくという当たり前のことが描かれていて、その先のことを考えたらサイバーズ・ギルドになってしまうのも致し方ないのかと気づいた。また、作中でスティグマという言葉も知り、このようなに言葉が生まれるほど、生活保護への負のイメージが強くあるんだと感じた。この作品はタイトル通り護られなかった人たちに焦点を向けていて、多くの人が分かったつもりになっていたり目を背けていることに改めて警鐘を鳴らすような作品だなと思う。震災や生活保護という遠いようでどちらすごく身近にある題材で観客も共感や同情しやすいなと思う。
災害とは人間の手に及ばないものだからこそ生き延びた人のその後の人生にも大きな影響を与えるものであり何年経とうが当事者の中で風化するものではなく、させてはいけないものだと思った。
21.『禁じられた遊び』 監督:中田秀夫
あらすじ:事故で亡くなった母を蘇らせようと母の体の一部を庭に埋め父から教わった呪文を唱える息子。父親の冗談半分の嘘のはずが不気味な出来事が起こり始める。
ホラー映画らしく急にこちらがビクッとなるような音や視覚による演出が多くある。また、カメラワークも揺れる感じがドキュメンタリー感があり緊迫感を煽っていると感じる。また、父と子の関係性や壊れていく様子があの家の中で描かれていて、そこの心理描写や狂っていく様は役者の妙だなと感じた。あの庭は美雪の趣味のガーデニングのための庭であり、息子の春翔が美雪を育てる庭でもありあの閉鎖的な感じは美雪の独占欲のようなものも感じた。
ホラーエンタメとして成立しており、美雪のビジュアルや美雪が斧を使うという展開など、今までのジャパニーズホラーの「静」な霊的なホラーやサイコホラーとはまた違うモンスターのような感じで新しさを感じた。その新しさも恐怖とともに面白さになっていたと思う。新しいものは嫌厭されがちだが、幽霊というのはこれまで多く映像化され、有名どころだと貞子などある種キャラクター化されている部分がある。そのためホラーは真剣なように見えてファンタジー要素なども相まって、とてもエンタメ性もあるジャンルなんだなと気づいた。ホラーは苦手な人も多いジャンルだが、本気で恐怖を煽る作品も良いがこの作品は苦手な人も楽しむことのできる面白さのある作品だと感じた。
22.『パプリカ』 監督:今敏
あらすじ:パプリカとして精神患者の治療を行っていたある女性。しかしdc装置というものが盗まれ、人々の夢に侵入される事件が起きる。パプリカはこの事態を収拾するため夢の世界へ向かう。
脈絡がない、連続性がない感じがまさに夢。
マッチカットが多様されていて、次から次に脈絡なくいつの間にか別の世界に切り替わっている感じが夢をそのまま映像化したようで、一見したら意味が分からないけどその意味わからなさが夢だなと思った。だからある意味リアリティだなと思う。でもこの作品はアニメーションだからこそできる表現ばかりで、作画も綺麗である。設定も作り込まれていて難しい分ファンタジーとしての完成度は高いなと思った。ファンタジーは現実ではありえないからこそ、辻褄を合わせ、ストーリーの解像度を上げるほど現実離れしたストーリーに観客を惹き込むことが出来るのではと思う。終始独自の世界観や言葉、アニメーションばかりで理解が難しいが、世界観が完成しているため、この独特な世界観が好みという人間には深く刺さる作品だと思う。
夢とはすべてその見ている人間の中にあるものであるから、夢の中で喋っている言葉たちも意味がなさそうであるものもあるんだろうなと思う。何度も観ると理解がより深まり、不思議な世界観をより理解できるのではないかと思う。
23.『森山中教習所』 原作:真造圭伍 全1巻
あらすじ:元中学校の教習所を舞台にノーテンキな大学生と高校の同級生のヤクザのひと夏の青春を描いたコメディ。
2人にとって教習所にいる間だけは暗い現実から離れてバカやれる空間なのかなと思った。清高は何も言わないけれど家庭環境に問題があり、轟木もヤクザという逃れられない世界にいる。それぞれ自分のことを語るシーンはないけれど、少しのセリフとあとは絵で環境が表現されていた。この再会による大きな変化はないけれど、ひと夏の青春を味わえたということに意味があるのかなと思った。コメディではあるが、大きな事件がなくただ免許を取るというだけで人間模様を描いていて面白いなと思った。また日常の感じやイラストの気だるい雰囲気がリアリティがあり、ノスタルジーや温かさも感じる漫画だった。
1巻という短さもまたひと夏のあっという間に過ぎ去る青春という感じがして良かった。
24.『リバーズ・エッジ』 監督:行定勲
あらすじ:ハルナは自分の彼氏にいじめられていた一匹狼の山田を救う。そこから山田に関わるようになり、山田の秘密の宝物を教えてもらう。それは河原の遺棄死体だった。
衝撃的で残酷な青春ストーリー。
短い永遠というようなセリフがあり、青春のモラトリアムのようなものを表しているのかなと思った。若者の焦燥感や欲望が丸出しの感じが過激な描写も相まってひりひりする展開だと思った。
高校生だからこその大人とは違う、家庭環境の悩みや学校の人間関係など子どもならではの暗い部分がよく見える作品だった。この作品は親の顔がちゃんと出てこないなと思った。そこから子ども目線の、親に隠れて内緒で色んなことをしている、考えている子どもたちの苦悩や葛藤が今しかできない青春の空気を感じた。
青春だなと思った、青春の残酷な面、暗い面がすごく出ていて、リアルよりもリアル感があるなと思った。時代背景が90年代で今みたいにネットも普及していない、できることが少ない閉塞感みたいなものが感じられた。
また、途中に挟まるインタビューもリアルな空気感を出しているなと思った。
死体や同じ学校の級友の死など死が多く描かれ、性的描写も多くあり、人間の生をこれでもかと感じる描写が多くあるなと思った。
マッチカットが効果的に使われていて、嫌なシーンがスルッと別のシーンに切り替わったりすると、全く関係ないシーンなのに少し連続性も感じて、ダブルミーニングのようなものも感じて面白い技法だなと思った。
山田くんは死体が宝物という人だから、カンナが死んだ時の山田くんの表情は生前はイライラするなと思ってたけど、死んだカンナに好感を持てた表情なのかなと思った。
25.『ピンクとグレー』 原作:加藤シゲアキ
あらすじ:芸能界が舞台。それぞれの道をゆく2人の親友同士の挫折と栄光を描く。
すごく主観的な感覚や肉体的、物理的な感覚を文章にして、それで感情を表現しているところが多くあって、ただ頭が痛いとかシンプルな言葉じゃないからより細かく繊細に主人公の感情がわかり、リアリティを感じた。
幼少期から大人になるまでの彼らを描いているからこの1冊で読者が彼らをずっと見守ってきたような気分になり彼らに感情移入しやすく、その分白木が死んだ時の悲しみなども大きいからより物語に引き込まれるのかなと思った。
ファレノプシスやリバー・フェニックスなど具体的な単語が多く出てきてそこに隠された登場人物の感情や意図を考えるのが面白いなと思った。現在と過去が交差して展開も計算されていて、2人がすれ違っていく矢先の白木蓮吾の死、その後の怒涛の展開は良かった。特に最後の白木を演じている河鳥は、役者の自分を見失っていく感覚が、白木の語りと合間に挟まるスタッフの声で現実と映画の作中を行き来している様子で伝わってきた。
作者が芸能界にいるからこそ書けるリアリティと物語にするための劇的なダークさが芸能界の不条理さを演出してて面白かった。
鮮やかなピンクと暗いグレー、でもどちらも白を混ぜたもの。この2つは、作中の2人は表裏一体なのかなとあとがきを読んで思った。どちらも似ているけれど周りが選んだのは白木のみだった。それによって交錯していく2人は読んでいて寂しいなと思った。
26.『母性』原作:湊かなえ 監督:廣木隆一
あらすじ:母の愛情を一身に受けたルミ子は母のことを溺愛していた。聖佳という娘ができ、娘は母、ルミ子に愛されたいと思っていた。しかしルミ子の視線の先にいるのは清佳ではなくルミ子の母で……。
女性には2つ種類があり、母親と娘というのが印象に残った。
ただ私は母親になったことがないので、どちらかは分からないなと思った。
でも確かに私の母もおばあちゃんと話している時は雰囲気が変わるし、娘になっているんだなと思う。
母親の視点、娘の視点、また過去の回想ベースで、何が本当なのか後からどんどん分かっていくのが、人間によって見え方が全く違うというのを表していて面白いなと思った。特に首を絞めるシーンは母視点では抱きしめていてどちらが本当なのだろうと思った。恐らく個人的には本当に首を絞めていたのだろうなと思う。
考え方は人それぞれだけど人への思いやりの仕方が母親は下手だったのかなと思う。誰かの娘であり続けたいというのは、ある意味母親というものに依存しているのかなと思った。
母は誰かの娘でいたい人ではあるけれど、娘のことも自分の母親が守ろうとした子だから愛しているのだろうなとは思う。でも娘を愛しているのも本当だけれど、あくまで自分の母親の影が消えることはないだろうなと思う。何十年もそうやって生きてきたのだから、たとえ間違いに気づいたとしても、人間性が大きく変わるというのはまずないと思う。
娘も母に愛されたいと強く思っている点では母親に似たところがあるのかなと思った。
27.『トゥルーマン・ショー』監督:ピーター・ウィアー
あらすじ:小さな島で平凡な日々を過ごす男。しかし彼の人生はテレビ番組のために作られた虚構の世界だった。生涯を放映され続けるお男を描いたヒューマンドラマ。
現実世界で考えると人権も何も無くありえない設定だが、視聴者は赤ちゃんの頃から彼を見ているため、彼のことを好きであり、最後には逃げることを応援もしている。
ペットをかわいがる飼い主のようだなと思った。拘束していることを許容しているのは視聴している視聴者自身なのに、彼らは親のような気持ちで見守っている気でいる。愛されているように見えて実際は本物の家族もすべて取りあげられている男の気持ちは考えていない。番組のプロデューサーがおかしいように見えて何も違和感を抱かない世間が1番気味が悪いなと思った。
28.『暗殺教室』原作:松井優征
あらすじ:ある日進学校の落ちこぼれクラスにタコ型未確認生物が現れた。その生物は既に月を破壊しており、地球の破壊も予告していた。政府にも暗殺できない危険生物だが、それは落ちこぼれクラスの担任を来年の3月、地球の破壊の日まで行うといい、言いその生物の暗殺は落ちこぼれクラスに託されることに。
暗殺という言葉の強さとは裏腹にコメディ要素も強い。危険生物である通称殺せんせーが化け物でありながらおちゃらけておりとても人間味があり、何よりしっかりと先生をしてくれる。そのため落ちこぼれクラスと呼ばれ生気のない3年E組を立て直していくという学園ドラマの一面もある。人間の教師ではなく、タコ型の生物が言うと説得力や考えさせられるのはアニマルスタディーズ的な観点が少しはあるのかなと思った。タコ型超生物は現実には存在しないが、可愛らしい見た目で普通の人間のキャラクターよりもインパクトがありそんなキャラクターから発される言葉は他より重みがあるのではと思う。アニメーションは多々動物などを喋らせるが、それは動物にすることで柔らかさや可愛らしさなどが生まれるなどするというような動物への偏見によるキャラの印象操作かなと思う。
29.『窮鼠はチーズの夢を見る』 原作:水城せとな 監督:行定勲
あらすじ:優柔不断で流されやすい大伴は不倫を重ねていた。ある日大学の後輩の今ケ瀬と再会する。密かに思いを寄せていた今ケ瀬は不倫の証拠を種に関係を迫る。大伴はそんな今ケ瀬のペースに流され関係を持つようになる。
男性同士の恋愛ならではの葛藤や心情の揺れが繊細に描かれた作品であると思う。また、まだまだ消えないジェンダー差別のようなものも描かれている。大伴は流されやすい男だが男女とはこうという固定概念はあり、周りの目だけではなく自分の中の常識との葛藤もあるように見える。今ケ瀬は自分は自分という感じで変わらないがそんな今ケ瀬と周りの目の差に悲哀感が増すと思う。ラストはそんなふたりが噛み合わず自然消滅してしまったのかなと思う。あまり言葉で表現されていないため難しいラストだったが恋人同士というのは簡単にくっつき離れるものだと思うため
そんな中で複雑な恋愛模様が描かれているなと思う。
30.『おおかみこどもの雨と雪』細田守
あらすじ:おおかみおとこを父に持つ2人のおおかみこどもとその母の絆と成長を描くファンタジー映画。
平凡な大学生だった少女がおおかみおとこと恋をし、子どもが生まれたことで普通の生活が一変していく様が不思議だと感じた。それは子どもが産まれる前の二人の関係性や生活をとても丁寧に描いているからであり、リアルな日常が続いていく中で差し込まれるおおかみおとこというインパクトの強さだと思う。また、おおかみこどもであることで雨と雪は大人になるにつれトラブルも起きるが、それは決しておおかみこどもだから起きることではなく普通の人間でも不登校にもなるし、クラスメイト同士の喧嘩も起きる。そのような現実的な問題にも焦点を当てた作品であると思う。だからおおかみこどもなんていなくとも観客は共感できる部分が多いと思う。雪はラストでもわかる通り人間よりもおおかみの血が強かったのだろうと思う。雨と雪がバラバラになるラストはおおかみと人間の間に生まれた彼らに与えられたもうひとつの道をそれぞれ描くためであると思う。
2年 清水
RES
21.『ゼロの使い魔 双月の騎士』(アニメ)
原作:ヤマグチノボル 監督:紅優 制作:J.C.STAFF
才人とルイズの活躍によって危機を脱したトリステイン王国だったが、アルビオンとの戦争は日々深刻さを増していた。その一方でルイズの使い魔としていることを選んだ才人には、ほんのひとときの平穏が訪れていた。しかし、戦況の悪化に伴い男子生徒は軍に入隊することに。その矢先、ルイズが実家から結婚するように言われてしまう
『ゼロの使い魔』シリーズの第2期となる作品。第1期に比べ、重い話が多くなっている。戦争に巻き込まれた者たちの憎しみや復讐心が燃え上がる戦火と重ね合わせられているように感じられた。ルイズと才人も最前線に赴くが、生きて帰ることを最優先にする才人と貴族としての責務を果たそうとするルイズは対立してしまう。この対立は第1期でも見られており、日常的な部分では近づいていても根本の考え方は遠いままであるという対比がなされているように感じた。
22.『ゼロの使い魔 三美姫の輪舞』(アニメ)
原作:ヤマグチノボル 監督:紅優 制作:J.C.STAFF
アルビオンとの戦争は才人の捨て身の攻撃により終結を迎えた。大きな功績をあげた才人は女王陛下からシュヴァリエの称号を与えられ貴族となる。その後、ルイズとサイトは女王陛下の命令によって不思議な力を持つ妖精を探す旅に行くことに。アルビオンの森で発見でき、ほっとする一行だったが今度はルイズが見えざる敵に攻撃される事態が発生してしまう。
『ゼロの使い魔』シリーズの第三期となる作品。ルイズの行動理念に大きな変化が表れ、今までは貴族としてのプライドが優先されていたが、仲間を守るためであれば貴族の地位も捨てるほど、仲間のために戦うことが優先されるようになり、精神的な成長が感じられた。一方で才人との仲にやきもきすることも多くなり、戦いにおける精神的成長と恋する少女の空回る残念な部分が対照的に描かれており、第三期のテーマの一つである「恋愛」が前面に押し出されている。
23.『ゼロの使い魔F』(アニメ)
原作:ヤマグチノボル 監督:岩崎良明 制作J.C.STAFF
ガリア王国での騒動を終えて、魔法学院に戻ってきたルイズと才人。やっと元の日常が帰ってきたと思った矢先、女王陛下からの密命によってロマリア王国に赴くことになる。ロマリア王国の依頼は教皇の就任三周年記念の式典で「巫女」としてともに祈りを捧げてもらうことであった。快諾するルイズに少し不満げな表情を浮かべる才人。一方、その裏ではルイズに魔の手が迫りつつあった。
『ゼロの使い魔』シリーズの第四期にあたる作品。前半では、敵方が使い魔をただの便利な道具として扱っているのに対し、ルイズは才人を使い魔ではなく、一人の人間として扱うという対比がされている。この才人に対する扱いはルイズだけでなく登場する人物ほとんどに共通して見受けられる。また、差別の問題も見られ、人間が蛮族と呼称されている。あえて人間扱いしないことで他種族において人がどのように認識されているのかがはっきりとわかるようになっている。この差別的な部分は一期においてルイズが「ゼロのルイズ」と笑われていたことと似ており、同じ存在以外には排他的である人々の悪癖と、それを種族間で解決することの難しさを描いている。
24.『狼と香辛料』(アニメ)
原作:支倉凍砂 監督:高橋丈夫 制作:IMAGIN
各地をめぐり、物品を取引する行商人ロレンス。彼は南にあるパスロエの村で麦の取引を行い、村から発つ道すがら馬車の荷台に奇妙なものを見つける。そこにいたのは狼の少女。彼女は賢狼ホロと名乗り、豊穣をつかさどる神であるという。半信半疑なロレンスだったが彼女の北にある故郷に帰りたいという願いを聞き入れ、旅の同行を了承する。かくして奇妙な二人旅が始まるのであった。
2024年に新作アニメの放送が決まった作品。ライトノベルが原作であるが、経済的な話がかなり多い。貨幣の水増しによる財政維持や国家情勢による商品価値の変動など、歴史上行われていたことと実際の生活でも起こっている話が多いため、商売の話にリアリティをもたらしている。また、視覚的な取引の説明がなく言葉だけでの取引の説明が多いため、話がやや硬く感じられるが、食事に執着するホロとそれをみて呆れるロレンスのやり取りがどこか普通の日常を感じさせるため、話の硬さはあまり気にならないようになっている。
25.『狼と香辛料Ⅱ』(アニメ)
原作:支倉凍砂 監督:高橋丈夫 制作:ブレインズベース、マーヴィージャック
冬の祭りでにぎわう町クルメスにやってきたロレンスとホロ。二人はそこで若い魚商人・アマーティと出会う。アマーティはホロに一目ぼれしてしまったらしく急速に近づいてくる。一方、ロレンスとホロは気持ちのすれ違いによって互いに誤解が生じてしまう。どうすればいいか悩むロレンスだったが、アマーティからホロの借金を肩代わりするから、ホロを引き渡してほしいと提案されてしまう。
『狼と香辛料』のアニメ第二期となる作品。前作に比べるとロレンスが嘘やハッタリを用いた交渉をすることが増えたように感じられた。信用買いの話が途中で登場するが、日本円での説明ではないため理解するのに時間がかかったが現在でも行われているシステムであるため勉強になった。また、ホロの心の内に触れる場面も増え、優しさにおびえる場面からは長年人と触れ合ってこなかった故に優しさに飢えているが、別れた時に孤独に戻るのが怖いため優しくされたくないという矛盾した感情を抱えているように思われる。ホロの内面に触れることで神であっても、心の内は人と変わらない普通の少女であることを印象付ける効果があると考えられる。
26.『アサシンズプライド』(アニメ)
原作:天城ケイ 監督:相浦和也 制作:EMTスクエアード
マナという能力を持つ貴族が、人類を守る責務を負う世界。能力者の養成学校に通う貴族でありながら、マナを持たない特異な少女メリダ=アンジェル。彼女の才能を見出すため、家庭教師としてクーファ=ヴァンピールが派遣される。『彼女に才なき場合、暗殺する』という任務を背負って。能力が全ての社会、報われぬ努力を続けるメリダに、クーファは残酷な決断を下す。
「俺に命を預けてみませんか」それは暗殺教師の矜持にかけて、少女の価値を世界に示すことだった。
ファンタジア文庫より刊行中の作品のアニメーション。マナという能力を持たないがゆえに迫害されるのは当たり前にできることができない人を差別することと似たようなものだと感じた。戦闘が度々あるのだが、そのシーンでは多くのマナ保有者がマナに頼った闘い方をするのに対し、メリダの闘い方は武器以外にも蹴りやフェイントが取り入れられ実践的なものに映る。これにより家庭教師が暗殺者であることが強く意識される。しかし、作画枚数が少ないせいか戦闘では映像が止まっているように見えてしまい、迫力に欠けると感じた。
27.『りゅうおうのおしごと!』(アニメ)
原作:白鳥士郎 監督:柳伸亮 制作:project No.9
史上最年少の16歳で将棋界最強のタイトル保持者「竜王」となった九頭竜八一。彼はスランプに陥っていた。連敗が続いていたある日、帰宅するとそこには見知らぬ女子小学生がいた。彼女の名は雛鶴あい。八一の弟子になりたいと押しかけてきたらしい。全く覚えのない八一だったが成り行きで同居生活を始める。そして将棋にストレートな情熱を持つあいに感化され彼は次第に熱いものを取り戻していく。
「このライトノベルがすごい!」にて殿堂入りを達成した作品のアニメーション。将棋界のタイトルの強さの説明やプロ棋士になるまでの道のり、女流棋士との違いについて詳しく描かれており、将棋を指す人達の焦りや高揚感にリアリティをもたらしている。師匠と弟子の関係性の難しさにも言及されており、あいを想ってやったことの失敗に悩む八一に師匠がアドバイスする場面からは経験者の言葉の重みを感じる。また、主要な登場人物たちのなかでも八一が精神的に弱い部分があり、指している途中で負けそうな流れを感じると悪循環に陥りやすい。その部分を丁寧に描くことで年相応の親近感や将棋の強さは及ばずとも精神的にはタフな大人との対比がなされているように感じた。
28.『のくたーんたたんたんたんたたん』(ライトノベル)
著者:ムラサキアマリ イラスト:おりょう
高校2年生の緋野ユズリハには裏の顔がある。彼は裏社会では「死神」と呼ばれている殺し屋であった。彼の目的はただ一つ、自分の父親を殺した人間への復讐。そのために依頼を受けては情報を得ようとしていた。そんなある日、彼はとある少女の殺しを依頼される。快く引き受けたものの、暗殺対象のある特性によって失敗してしまったユズリハ。その挙句、懐かれてしまい押し切られた結果、一緒に依頼を受けていくことになってしまう。
本作は第18回MF文庫J新人賞≪最優秀賞≫受賞作。復讐に囚われた少年の物語である。文体が主人公による語り部とですます調による硬い語りの二種類ある。硬い語りが使用されている部分は裏社会の都市伝説にまつわる部分のみであり、他の部分が軽い語りになっている分、都市伝説のミステリアスさや不気味さが強調されている。また、ユズリハとヒロインによるやり取りの多くがふざけている為、復讐ものであるにも関わらず、作品全体の雰囲気がどこか柔らかいと感じた。
29.『砂の上の1DK』(ライトノベル)
著者:枯野瑛 イラスト:みすみ
産業スパイの青年・江間宗史は、任務で訪れた研究施設で昔なじみの女子大生・真倉沙希未と再会する。追懐も束の間、施設への破壊工作に巻き込まれてしまう。瀕死になった沙希未を救ったのは未知の細胞であった。沙希未に宿ったそれはアルジャーノンと名付けられ、傷が癒え身体を返すまでの期限付きで宗史との同居生活を始める。これは終わりを知りながらも人らしい日常を望んだ生命の五日間。
未知の生命と青年のお話。アルジャーノンが、宿主の記憶を読み込み、模倣することで人に近づいていく様を見せられるとただの生命であったことを全く感じさせない。赤子が急速に成長していくのに近いとすら思える。しかし、宗史が沙希未という身体とアルジャーノンという精神を分けて考える点や愛という感情の理解のために突飛な行動に出る点からは人間とはどこか違うということを意識させられる。また、宗史は過去の経験から、アルジャーノンは沙希未の身体を借りている点から自分という存在を肯定することができない一面があり、他人に頼らず自分を肯定することの難しさを感じた。
30.『エロマンガ先生』(アニメ)
原作:伏見つかさ 監督:竹下良平 制作:A-1 Pictures
和泉正宗は高校生にして和泉マサムネというペンネームで活動するライトノベル作家。彼には親の再婚でできた義理の妹がいた。引きこもりである妹とはもう1年も顔を合わせていない状態であった。ある日、正宗は自分のデビュー作のイラストを担当したエロマンガ先生が生配信で絵を描いていることを知る。試しに覗いてみると、背後には妹のために作った食事が映っていた。エロマンガ先生と義理の妹が同一人物であると気付いた政宗は初めて義妹・紗霧の部屋に足を踏み入れる。
義兄と義妹によるホームラブコメディ。紗霧が行っている生配信で絵を描くというのは現実だけでないネット上のつながりの強さをよく表しており、世界が一つだけでないことを示している。正宗が度々行く書店のライトノベルコーナーには『ソードアートオンライン』や『狼と香辛料』など『エロマンガ先生』と同じレーベルの作品が多数並んでおり、アニメ制作側の電撃文庫へのリスペクトを感じた。ライトノベル作家の日常も丁寧に描かれており、締め切り間近になって徹夜しながら書いている人や、担当編集者との打ち合わせなど実際にありそうなことが盛り込まれており、感情移入しやすくなっている。また、毎日文章を書いている正宗に対して同業者が「やる気があるときに書いた文章のほうが面白いに決まってる」と言ったセリフからはライトノベルはエンターテイメントの一種であるという作者の考えが反映されていると考えられる。
原作:ヤマグチノボル 監督:紅優 制作:J.C.STAFF
才人とルイズの活躍によって危機を脱したトリステイン王国だったが、アルビオンとの戦争は日々深刻さを増していた。その一方でルイズの使い魔としていることを選んだ才人には、ほんのひとときの平穏が訪れていた。しかし、戦況の悪化に伴い男子生徒は軍に入隊することに。その矢先、ルイズが実家から結婚するように言われてしまう
『ゼロの使い魔』シリーズの第2期となる作品。第1期に比べ、重い話が多くなっている。戦争に巻き込まれた者たちの憎しみや復讐心が燃え上がる戦火と重ね合わせられているように感じられた。ルイズと才人も最前線に赴くが、生きて帰ることを最優先にする才人と貴族としての責務を果たそうとするルイズは対立してしまう。この対立は第1期でも見られており、日常的な部分では近づいていても根本の考え方は遠いままであるという対比がなされているように感じた。
22.『ゼロの使い魔 三美姫の輪舞』(アニメ)
原作:ヤマグチノボル 監督:紅優 制作:J.C.STAFF
アルビオンとの戦争は才人の捨て身の攻撃により終結を迎えた。大きな功績をあげた才人は女王陛下からシュヴァリエの称号を与えられ貴族となる。その後、ルイズとサイトは女王陛下の命令によって不思議な力を持つ妖精を探す旅に行くことに。アルビオンの森で発見でき、ほっとする一行だったが今度はルイズが見えざる敵に攻撃される事態が発生してしまう。
『ゼロの使い魔』シリーズの第三期となる作品。ルイズの行動理念に大きな変化が表れ、今までは貴族としてのプライドが優先されていたが、仲間を守るためであれば貴族の地位も捨てるほど、仲間のために戦うことが優先されるようになり、精神的な成長が感じられた。一方で才人との仲にやきもきすることも多くなり、戦いにおける精神的成長と恋する少女の空回る残念な部分が対照的に描かれており、第三期のテーマの一つである「恋愛」が前面に押し出されている。
23.『ゼロの使い魔F』(アニメ)
原作:ヤマグチノボル 監督:岩崎良明 制作J.C.STAFF
ガリア王国での騒動を終えて、魔法学院に戻ってきたルイズと才人。やっと元の日常が帰ってきたと思った矢先、女王陛下からの密命によってロマリア王国に赴くことになる。ロマリア王国の依頼は教皇の就任三周年記念の式典で「巫女」としてともに祈りを捧げてもらうことであった。快諾するルイズに少し不満げな表情を浮かべる才人。一方、その裏ではルイズに魔の手が迫りつつあった。
『ゼロの使い魔』シリーズの第四期にあたる作品。前半では、敵方が使い魔をただの便利な道具として扱っているのに対し、ルイズは才人を使い魔ではなく、一人の人間として扱うという対比がされている。この才人に対する扱いはルイズだけでなく登場する人物ほとんどに共通して見受けられる。また、差別の問題も見られ、人間が蛮族と呼称されている。あえて人間扱いしないことで他種族において人がどのように認識されているのかがはっきりとわかるようになっている。この差別的な部分は一期においてルイズが「ゼロのルイズ」と笑われていたことと似ており、同じ存在以外には排他的である人々の悪癖と、それを種族間で解決することの難しさを描いている。
24.『狼と香辛料』(アニメ)
原作:支倉凍砂 監督:高橋丈夫 制作:IMAGIN
各地をめぐり、物品を取引する行商人ロレンス。彼は南にあるパスロエの村で麦の取引を行い、村から発つ道すがら馬車の荷台に奇妙なものを見つける。そこにいたのは狼の少女。彼女は賢狼ホロと名乗り、豊穣をつかさどる神であるという。半信半疑なロレンスだったが彼女の北にある故郷に帰りたいという願いを聞き入れ、旅の同行を了承する。かくして奇妙な二人旅が始まるのであった。
2024年に新作アニメの放送が決まった作品。ライトノベルが原作であるが、経済的な話がかなり多い。貨幣の水増しによる財政維持や国家情勢による商品価値の変動など、歴史上行われていたことと実際の生活でも起こっている話が多いため、商売の話にリアリティをもたらしている。また、視覚的な取引の説明がなく言葉だけでの取引の説明が多いため、話がやや硬く感じられるが、食事に執着するホロとそれをみて呆れるロレンスのやり取りがどこか普通の日常を感じさせるため、話の硬さはあまり気にならないようになっている。
25.『狼と香辛料Ⅱ』(アニメ)
原作:支倉凍砂 監督:高橋丈夫 制作:ブレインズベース、マーヴィージャック
冬の祭りでにぎわう町クルメスにやってきたロレンスとホロ。二人はそこで若い魚商人・アマーティと出会う。アマーティはホロに一目ぼれしてしまったらしく急速に近づいてくる。一方、ロレンスとホロは気持ちのすれ違いによって互いに誤解が生じてしまう。どうすればいいか悩むロレンスだったが、アマーティからホロの借金を肩代わりするから、ホロを引き渡してほしいと提案されてしまう。
『狼と香辛料』のアニメ第二期となる作品。前作に比べるとロレンスが嘘やハッタリを用いた交渉をすることが増えたように感じられた。信用買いの話が途中で登場するが、日本円での説明ではないため理解するのに時間がかかったが現在でも行われているシステムであるため勉強になった。また、ホロの心の内に触れる場面も増え、優しさにおびえる場面からは長年人と触れ合ってこなかった故に優しさに飢えているが、別れた時に孤独に戻るのが怖いため優しくされたくないという矛盾した感情を抱えているように思われる。ホロの内面に触れることで神であっても、心の内は人と変わらない普通の少女であることを印象付ける効果があると考えられる。
26.『アサシンズプライド』(アニメ)
原作:天城ケイ 監督:相浦和也 制作:EMTスクエアード
マナという能力を持つ貴族が、人類を守る責務を負う世界。能力者の養成学校に通う貴族でありながら、マナを持たない特異な少女メリダ=アンジェル。彼女の才能を見出すため、家庭教師としてクーファ=ヴァンピールが派遣される。『彼女に才なき場合、暗殺する』という任務を背負って。能力が全ての社会、報われぬ努力を続けるメリダに、クーファは残酷な決断を下す。
「俺に命を預けてみませんか」それは暗殺教師の矜持にかけて、少女の価値を世界に示すことだった。
ファンタジア文庫より刊行中の作品のアニメーション。マナという能力を持たないがゆえに迫害されるのは当たり前にできることができない人を差別することと似たようなものだと感じた。戦闘が度々あるのだが、そのシーンでは多くのマナ保有者がマナに頼った闘い方をするのに対し、メリダの闘い方は武器以外にも蹴りやフェイントが取り入れられ実践的なものに映る。これにより家庭教師が暗殺者であることが強く意識される。しかし、作画枚数が少ないせいか戦闘では映像が止まっているように見えてしまい、迫力に欠けると感じた。
27.『りゅうおうのおしごと!』(アニメ)
原作:白鳥士郎 監督:柳伸亮 制作:project No.9
史上最年少の16歳で将棋界最強のタイトル保持者「竜王」となった九頭竜八一。彼はスランプに陥っていた。連敗が続いていたある日、帰宅するとそこには見知らぬ女子小学生がいた。彼女の名は雛鶴あい。八一の弟子になりたいと押しかけてきたらしい。全く覚えのない八一だったが成り行きで同居生活を始める。そして将棋にストレートな情熱を持つあいに感化され彼は次第に熱いものを取り戻していく。
「このライトノベルがすごい!」にて殿堂入りを達成した作品のアニメーション。将棋界のタイトルの強さの説明やプロ棋士になるまでの道のり、女流棋士との違いについて詳しく描かれており、将棋を指す人達の焦りや高揚感にリアリティをもたらしている。師匠と弟子の関係性の難しさにも言及されており、あいを想ってやったことの失敗に悩む八一に師匠がアドバイスする場面からは経験者の言葉の重みを感じる。また、主要な登場人物たちのなかでも八一が精神的に弱い部分があり、指している途中で負けそうな流れを感じると悪循環に陥りやすい。その部分を丁寧に描くことで年相応の親近感や将棋の強さは及ばずとも精神的にはタフな大人との対比がなされているように感じた。
28.『のくたーんたたんたんたんたたん』(ライトノベル)
著者:ムラサキアマリ イラスト:おりょう
高校2年生の緋野ユズリハには裏の顔がある。彼は裏社会では「死神」と呼ばれている殺し屋であった。彼の目的はただ一つ、自分の父親を殺した人間への復讐。そのために依頼を受けては情報を得ようとしていた。そんなある日、彼はとある少女の殺しを依頼される。快く引き受けたものの、暗殺対象のある特性によって失敗してしまったユズリハ。その挙句、懐かれてしまい押し切られた結果、一緒に依頼を受けていくことになってしまう。
本作は第18回MF文庫J新人賞≪最優秀賞≫受賞作。復讐に囚われた少年の物語である。文体が主人公による語り部とですます調による硬い語りの二種類ある。硬い語りが使用されている部分は裏社会の都市伝説にまつわる部分のみであり、他の部分が軽い語りになっている分、都市伝説のミステリアスさや不気味さが強調されている。また、ユズリハとヒロインによるやり取りの多くがふざけている為、復讐ものであるにも関わらず、作品全体の雰囲気がどこか柔らかいと感じた。
29.『砂の上の1DK』(ライトノベル)
著者:枯野瑛 イラスト:みすみ
産業スパイの青年・江間宗史は、任務で訪れた研究施設で昔なじみの女子大生・真倉沙希未と再会する。追懐も束の間、施設への破壊工作に巻き込まれてしまう。瀕死になった沙希未を救ったのは未知の細胞であった。沙希未に宿ったそれはアルジャーノンと名付けられ、傷が癒え身体を返すまでの期限付きで宗史との同居生活を始める。これは終わりを知りながらも人らしい日常を望んだ生命の五日間。
未知の生命と青年のお話。アルジャーノンが、宿主の記憶を読み込み、模倣することで人に近づいていく様を見せられるとただの生命であったことを全く感じさせない。赤子が急速に成長していくのに近いとすら思える。しかし、宗史が沙希未という身体とアルジャーノンという精神を分けて考える点や愛という感情の理解のために突飛な行動に出る点からは人間とはどこか違うということを意識させられる。また、宗史は過去の経験から、アルジャーノンは沙希未の身体を借りている点から自分という存在を肯定することができない一面があり、他人に頼らず自分を肯定することの難しさを感じた。
30.『エロマンガ先生』(アニメ)
原作:伏見つかさ 監督:竹下良平 制作:A-1 Pictures
和泉正宗は高校生にして和泉マサムネというペンネームで活動するライトノベル作家。彼には親の再婚でできた義理の妹がいた。引きこもりである妹とはもう1年も顔を合わせていない状態であった。ある日、正宗は自分のデビュー作のイラストを担当したエロマンガ先生が生配信で絵を描いていることを知る。試しに覗いてみると、背後には妹のために作った食事が映っていた。エロマンガ先生と義理の妹が同一人物であると気付いた政宗は初めて義妹・紗霧の部屋に足を踏み入れる。
義兄と義妹によるホームラブコメディ。紗霧が行っている生配信で絵を描くというのは現実だけでないネット上のつながりの強さをよく表しており、世界が一つだけでないことを示している。正宗が度々行く書店のライトノベルコーナーには『ソードアートオンライン』や『狼と香辛料』など『エロマンガ先生』と同じレーベルの作品が多数並んでおり、アニメ制作側の電撃文庫へのリスペクトを感じた。ライトノベル作家の日常も丁寧に描かれており、締め切り間近になって徹夜しながら書いている人や、担当編集者との打ち合わせなど実際にありそうなことが盛り込まれており、感情移入しやすくなっている。また、毎日文章を書いている正宗に対して同業者が「やる気があるときに書いた文章のほうが面白いに決まってる」と言ったセリフからはライトノベルはエンターテイメントの一種であるという作者の考えが反映されていると考えられる。
2年 清水
RES
11.『弱キャラ友崎くん』(アニメ)
原作:屋久ユウキ 監督:柳伸亮 制作:project No.9
友崎文也は日本屈指のゲーマーだが現実では友達のいない高校生。そんな彼は人生はクソゲーだと思っていた。しかし、あるゲームのオフ会で人生こそ一番よくできたゲームであると考える同級生、日南葵に出会う。納得できない文也だったが、やる前から否定するのは自身の信条に反すると考え、『人生』と向き合う覚悟を抱く。かくして弱キャラによる人生攻略が開始されるのであった。
人生が一つのテーマになっている作品。登場人物たちの多様な考え方、生き方が描かれている。主人公が人生を攻略していく中で登場する、身だしなみや姿勢、話し方による印象操作は我々の実生活にも根付いている為、共感しやすいと感じた。日南が当たり前のようにやっていることでも友崎にとっては初めてのことだらけいうのが二人のこれまでの生き方の違いをよく表している。一方で日南の過剰なまでの正攻法、感情を排除したかのような合理性はどこか歪に思えた。
12.『千歳君はラムネ瓶のなか』(ライトノベル)
著者:裕夢 イラスト:raemz
高校二年生の千歳朔は人気者というだけで根も葉もない風評被害にあっていた。進級しても相変わらずだったが、そんなことは気にせず仲の良い友人たちとチーム千歳を結成。その矢先、担任からある生徒の不登校問題を解決してほしいと頼まれる。朔は了承し友人たちと解決を試みる。
『このライトノベルがすごい!』において未アニメ化作品としては史上初の殿堂入りを達成した作品。昨今のライトノベルの主人公にはあまりいないタイプのキャラクターが特徴で、スクールカースト上位の人物たちが多いという特性を活かし、見えないところでの努力や苦労が丁寧に描かれている。ライトノベルではあるものの、地の文の割合が多く比喩表現も多用されており、これによって登場人物たちの細やかな心情が表現されている。福井県が舞台ということもあって、実際の建物も作中に登場しファンによって聖地巡礼が組まれるなど、今注目の作品の一つである。
13.『死亡遊戯で飯を食う』(ライトノベル)
著者:鵜飼有志 イラスト:ねこめたる
17歳の女子高生・幽鬼。彼女には裏の顔があった。それは殺人ゲームのプロフェッショナル。金のためでも、誰かを助けるためでもなく、記録を伸ばすためだけに幽鬼はゲームに参加し続けていた。世間には絶対に明かすことができない殺人ゲームで彼女は今日も飯を食う。
本作は第18回MF文庫Jライトノベル新人賞≪優秀賞≫受賞作。デスゲームが題材になっている作品は多いが、主人公の参加目的が金でも人助けでもなく、勝ち続けるためという点が尖っているように感じた。ゲーム内容が参加回によって異なるため、経験者でも予測しきれない点が登場人物たちの絶望感を引き立てており、主人公が必要なとなれば参加者を切り捨てる姿はどこか不気味に感じられる。デスゲームではあるが、特殊な設定によって血が出ないようになっているので、残酷な描写が苦手な人でも楽しめると感じた。
14.『アホガール』(アニメ)
原作:ヒロユキ 監督:玉木慎吾 制作:NAS
高校一年生の花畑よしこ。彼女は空前絶後のアホであった。自分の名前の漢字は忘れる、掛け算ができない、主食はバナナ。そんな彼女には成績優秀な幼馴染、阿久津君がいる。しかし、彼はよしこに振り回される毎日に心身共に限界であった。アホは直すことができるのか。アホによるアホな日常がそこにはある。
よしこに振り回される人々の日常を描いたギャグ作品。アニメになって動きがついたことにより、阿久津君による折檻の躍動感が凄まじい。特に下から見上げる形になったときのよしこの顎に拳が当たったときの皺、吹き飛ばされ方が威力を物語っている。影のある顔や感情とリンクした色合いの背景が用いられることによってキャラクターたちの抱える明暗をはっきり分けて描いていると感じた。
15.『フリーランフリークス』(読切)
作者:西井聡太郎
パルクール・アーティストとして活動するイタチと専属カメラマンのネコ。いつも通り活動していたある日、不慮の事故によりイタチはパルクールができなくなってしまう。イタチの想いを聞いたネコはイタチの代わりにパルクールの世界に身を投じる。
マガジンポケットで読切として掲載されていた作品。見ている側の解説と走る側の思考という二つの視点から競技を描くことによって、競技者の変幻自在な動きがわかりやすくなっている。斜めに割られたコマが競技中のシーンに多用されており、効果線をあまり使わずに躍動感を表現している。
16.『夏へのトンネル、さよならの出口』(ライトノベル)
著者:八目迷 イラスト:くっか
高校二年生の塔野カオルは登校中の駅のホームである噂を耳にする。内容はほしいものが手に入る代わりに年をとってしまうというもの。内容からウラシマトンネルと名付けられていた。半信半疑のカオルだったが実際に行ってみるとそこにはもうこの世にはないはずの存在があった。しかし、探索しているところを転校生の花城あんずに見つかってしまう。二人は互いのほしいもののために協力関係を結び探索していく。
第13回小学館ライトノベル大賞≪ガガガ賞≫、≪審査員特別賞≫受賞作。トンネルの探索を通しての青春が描かれる。芯を持たない主人公と芯を持ったヒロインが対照的な存在として描かれ、二人の視点から探索の進捗やほしいものが語られるため価値観や想いの違いがはっきりとわかるようになっている。また、本作のテーマである「前進」には主人公には過去の呪縛からの解放、ヒロインには夢を追いかけ続けるという二つの意味が込められていると思われる。
17.『SK∞』(アニメ)
監督:内海紘子 制作:ボンズ 脚本:大河内一楼
スケートボードが大好きな高校二年生・暦がはまっているもの、それは“S‟。「S」とは、閉鎖された鉱山をスケートボードで滑り落ちるルール無用の極秘レース。中でも、そこで行われる「ビーフ(決闘)」に多くの人が熱狂していた。暦はカナダからの帰国子女で転校生・ランガがバイト先にきたことをきっかけに「S」に誘う。スケートボードに乗ったことのないランガだったが、「S」の熱にあてられて滑り出していく。裏の顔を持つ個性豊かなスケーターたちと繰り広げられる決闘が始まる。
ボンズ制作のオリジナルアニメ。スケートボードを通して友情や成長が描かれる。レース中のシーンでは目まぐるしく視点が変わり、スケーターを後ろから追うアングルは疾走感を高め、ジャンプした際にはスケーターの視点から遠く離れた木々や地面を描くことで浮遊感を高めている。暦とランガが凡人と天才に近い対比にもなっており、暦がランガに追い越されたことに苦悩する姿も描かれる。この挫折はスポーツをやっていれば多くの人が通る道であるが、暦の挫折から立ち直りを見ると好きという気持ちが本物ならばやめる必要はないというメッセージを含んでいるように感じた。
18.『魔女の旅々』(アニメ)
原作:白石定規 監督:窪岡俊之 制作:C2C
史上最年少で魔女見習いの試験に合格した少女・イレイナ。彼女の夢は世界中を旅すること。そのために魔女になりたい彼女は、国の魔女に弟子入りしに行くが門前払いされてしまう。何とか教えてくれる人を見つけ、はれて魔女になることができたイレイナ。魔女のブローチを身に付け、箒に腰掛けながら、自由気ままに彼女は旅に出るのだった。
GAノベルから刊行中の同名ライトノベルのアニメ化作品。各話のモノローグではイレイナが自身のことを美少女と言っていることから容姿に相当な自信があることが窺える。作中に登場する「ニケの冒険譚」と話の内容が類似しているエピソードがいくつかあり、その場合は教訓的な内容も多少含んでいるように感じられる。旅をする中でドライな対応が多いイレイナが未熟さに苦しみ泣く場面や「物をもらったら恋しくなる」といった発言が情の深い人物として位置付ける効果を担っている。一つの国に執着せず、出会った人とも深く関わらないためファンタジーでありながらどこか現実的と感じる。
19.『透明な夜に駆ける君と目に見えない恋をした』(ライトノベル)
著者:志馬なにがし イラスト:raemz
空野かける、大学一年生。新入生歓迎の食事会に出席した彼は一人の女性と出会う。彼女の名は冬月小春。誰が見ても美人で。よく笑う明るい人という印象をかけるは抱く。しかし、彼女は目が見えなかった。それでも大学に通い、サークルにも興味を持ち、友達を作っている。自分とは大違いな彼女にかけるは憧れを抱く。彼女のために彼は走り出す。
本作は第15回GA文庫大賞≪大賞≫受賞作。GA文庫の大賞としては珍しい恋愛ものである。目が見えないということを作中の白杖で歩く、名前を言ってもらわないと誰かわからない、人前での食事を控えるといった部分などから強く意識して書いたと思われる。こういった描写がリアリティをもたらしているが、それに対して小春の明るさがややアンバランスに感じる。一方でこの明るさは作中に度々出てくる花火とも重ねられて、彼女の姿は花火と同じように誰かの目には明るく輝いていたという比喩として使われているようにも感じた。
20.『ゼロの使い魔』(アニメ)
原作:ヤマグチノボル 監督:岩崎良明 制作:J.C.STAFF
異世界ハルケギニアに「使い魔」として召喚されてしまった高校生・平賀才人。彼を召喚したのはトリステイン魔法学院に通う少女・ルイズ。しかし、彼女は通称「ゼロのルイズ」と呼ばれている魔法に才能を持たない少女であった。ルイズの使い魔にされてしまった才人はルイズと共に学園生活を送ることになるが、次々と起こるトラブルに巻き込まれていく。
異世界というジャンルがまだ確立されていなかった頃の作品。現在の異世界ものに見受けられるハーレム要素や主人公像本作の影響による部分があると考えられる。才人が現代日本の価値観に基づいて行動することが多いため、貴族たちから破天荒な人物と認識される一方で平民たちからは英雄に近い扱いを受けるというのは面白かった。また、ルイズが貴族であることに誇りを持っていることが才人には理解できない描写が多数あり、これが価値観の相違を強めると同時に主人と使い魔の互いを思いやりながらも分かり合えない部分に作用している。
原作:屋久ユウキ 監督:柳伸亮 制作:project No.9
友崎文也は日本屈指のゲーマーだが現実では友達のいない高校生。そんな彼は人生はクソゲーだと思っていた。しかし、あるゲームのオフ会で人生こそ一番よくできたゲームであると考える同級生、日南葵に出会う。納得できない文也だったが、やる前から否定するのは自身の信条に反すると考え、『人生』と向き合う覚悟を抱く。かくして弱キャラによる人生攻略が開始されるのであった。
人生が一つのテーマになっている作品。登場人物たちの多様な考え方、生き方が描かれている。主人公が人生を攻略していく中で登場する、身だしなみや姿勢、話し方による印象操作は我々の実生活にも根付いている為、共感しやすいと感じた。日南が当たり前のようにやっていることでも友崎にとっては初めてのことだらけいうのが二人のこれまでの生き方の違いをよく表している。一方で日南の過剰なまでの正攻法、感情を排除したかのような合理性はどこか歪に思えた。
12.『千歳君はラムネ瓶のなか』(ライトノベル)
著者:裕夢 イラスト:raemz
高校二年生の千歳朔は人気者というだけで根も葉もない風評被害にあっていた。進級しても相変わらずだったが、そんなことは気にせず仲の良い友人たちとチーム千歳を結成。その矢先、担任からある生徒の不登校問題を解決してほしいと頼まれる。朔は了承し友人たちと解決を試みる。
『このライトノベルがすごい!』において未アニメ化作品としては史上初の殿堂入りを達成した作品。昨今のライトノベルの主人公にはあまりいないタイプのキャラクターが特徴で、スクールカースト上位の人物たちが多いという特性を活かし、見えないところでの努力や苦労が丁寧に描かれている。ライトノベルではあるものの、地の文の割合が多く比喩表現も多用されており、これによって登場人物たちの細やかな心情が表現されている。福井県が舞台ということもあって、実際の建物も作中に登場しファンによって聖地巡礼が組まれるなど、今注目の作品の一つである。
13.『死亡遊戯で飯を食う』(ライトノベル)
著者:鵜飼有志 イラスト:ねこめたる
17歳の女子高生・幽鬼。彼女には裏の顔があった。それは殺人ゲームのプロフェッショナル。金のためでも、誰かを助けるためでもなく、記録を伸ばすためだけに幽鬼はゲームに参加し続けていた。世間には絶対に明かすことができない殺人ゲームで彼女は今日も飯を食う。
本作は第18回MF文庫Jライトノベル新人賞≪優秀賞≫受賞作。デスゲームが題材になっている作品は多いが、主人公の参加目的が金でも人助けでもなく、勝ち続けるためという点が尖っているように感じた。ゲーム内容が参加回によって異なるため、経験者でも予測しきれない点が登場人物たちの絶望感を引き立てており、主人公が必要なとなれば参加者を切り捨てる姿はどこか不気味に感じられる。デスゲームではあるが、特殊な設定によって血が出ないようになっているので、残酷な描写が苦手な人でも楽しめると感じた。
14.『アホガール』(アニメ)
原作:ヒロユキ 監督:玉木慎吾 制作:NAS
高校一年生の花畑よしこ。彼女は空前絶後のアホであった。自分の名前の漢字は忘れる、掛け算ができない、主食はバナナ。そんな彼女には成績優秀な幼馴染、阿久津君がいる。しかし、彼はよしこに振り回される毎日に心身共に限界であった。アホは直すことができるのか。アホによるアホな日常がそこにはある。
よしこに振り回される人々の日常を描いたギャグ作品。アニメになって動きがついたことにより、阿久津君による折檻の躍動感が凄まじい。特に下から見上げる形になったときのよしこの顎に拳が当たったときの皺、吹き飛ばされ方が威力を物語っている。影のある顔や感情とリンクした色合いの背景が用いられることによってキャラクターたちの抱える明暗をはっきり分けて描いていると感じた。
15.『フリーランフリークス』(読切)
作者:西井聡太郎
パルクール・アーティストとして活動するイタチと専属カメラマンのネコ。いつも通り活動していたある日、不慮の事故によりイタチはパルクールができなくなってしまう。イタチの想いを聞いたネコはイタチの代わりにパルクールの世界に身を投じる。
マガジンポケットで読切として掲載されていた作品。見ている側の解説と走る側の思考という二つの視点から競技を描くことによって、競技者の変幻自在な動きがわかりやすくなっている。斜めに割られたコマが競技中のシーンに多用されており、効果線をあまり使わずに躍動感を表現している。
16.『夏へのトンネル、さよならの出口』(ライトノベル)
著者:八目迷 イラスト:くっか
高校二年生の塔野カオルは登校中の駅のホームである噂を耳にする。内容はほしいものが手に入る代わりに年をとってしまうというもの。内容からウラシマトンネルと名付けられていた。半信半疑のカオルだったが実際に行ってみるとそこにはもうこの世にはないはずの存在があった。しかし、探索しているところを転校生の花城あんずに見つかってしまう。二人は互いのほしいもののために協力関係を結び探索していく。
第13回小学館ライトノベル大賞≪ガガガ賞≫、≪審査員特別賞≫受賞作。トンネルの探索を通しての青春が描かれる。芯を持たない主人公と芯を持ったヒロインが対照的な存在として描かれ、二人の視点から探索の進捗やほしいものが語られるため価値観や想いの違いがはっきりとわかるようになっている。また、本作のテーマである「前進」には主人公には過去の呪縛からの解放、ヒロインには夢を追いかけ続けるという二つの意味が込められていると思われる。
17.『SK∞』(アニメ)
監督:内海紘子 制作:ボンズ 脚本:大河内一楼
スケートボードが大好きな高校二年生・暦がはまっているもの、それは“S‟。「S」とは、閉鎖された鉱山をスケートボードで滑り落ちるルール無用の極秘レース。中でも、そこで行われる「ビーフ(決闘)」に多くの人が熱狂していた。暦はカナダからの帰国子女で転校生・ランガがバイト先にきたことをきっかけに「S」に誘う。スケートボードに乗ったことのないランガだったが、「S」の熱にあてられて滑り出していく。裏の顔を持つ個性豊かなスケーターたちと繰り広げられる決闘が始まる。
ボンズ制作のオリジナルアニメ。スケートボードを通して友情や成長が描かれる。レース中のシーンでは目まぐるしく視点が変わり、スケーターを後ろから追うアングルは疾走感を高め、ジャンプした際にはスケーターの視点から遠く離れた木々や地面を描くことで浮遊感を高めている。暦とランガが凡人と天才に近い対比にもなっており、暦がランガに追い越されたことに苦悩する姿も描かれる。この挫折はスポーツをやっていれば多くの人が通る道であるが、暦の挫折から立ち直りを見ると好きという気持ちが本物ならばやめる必要はないというメッセージを含んでいるように感じた。
18.『魔女の旅々』(アニメ)
原作:白石定規 監督:窪岡俊之 制作:C2C
史上最年少で魔女見習いの試験に合格した少女・イレイナ。彼女の夢は世界中を旅すること。そのために魔女になりたい彼女は、国の魔女に弟子入りしに行くが門前払いされてしまう。何とか教えてくれる人を見つけ、はれて魔女になることができたイレイナ。魔女のブローチを身に付け、箒に腰掛けながら、自由気ままに彼女は旅に出るのだった。
GAノベルから刊行中の同名ライトノベルのアニメ化作品。各話のモノローグではイレイナが自身のことを美少女と言っていることから容姿に相当な自信があることが窺える。作中に登場する「ニケの冒険譚」と話の内容が類似しているエピソードがいくつかあり、その場合は教訓的な内容も多少含んでいるように感じられる。旅をする中でドライな対応が多いイレイナが未熟さに苦しみ泣く場面や「物をもらったら恋しくなる」といった発言が情の深い人物として位置付ける効果を担っている。一つの国に執着せず、出会った人とも深く関わらないためファンタジーでありながらどこか現実的と感じる。
19.『透明な夜に駆ける君と目に見えない恋をした』(ライトノベル)
著者:志馬なにがし イラスト:raemz
空野かける、大学一年生。新入生歓迎の食事会に出席した彼は一人の女性と出会う。彼女の名は冬月小春。誰が見ても美人で。よく笑う明るい人という印象をかけるは抱く。しかし、彼女は目が見えなかった。それでも大学に通い、サークルにも興味を持ち、友達を作っている。自分とは大違いな彼女にかけるは憧れを抱く。彼女のために彼は走り出す。
本作は第15回GA文庫大賞≪大賞≫受賞作。GA文庫の大賞としては珍しい恋愛ものである。目が見えないということを作中の白杖で歩く、名前を言ってもらわないと誰かわからない、人前での食事を控えるといった部分などから強く意識して書いたと思われる。こういった描写がリアリティをもたらしているが、それに対して小春の明るさがややアンバランスに感じる。一方でこの明るさは作中に度々出てくる花火とも重ねられて、彼女の姿は花火と同じように誰かの目には明るく輝いていたという比喩として使われているようにも感じた。
20.『ゼロの使い魔』(アニメ)
原作:ヤマグチノボル 監督:岩崎良明 制作:J.C.STAFF
異世界ハルケギニアに「使い魔」として召喚されてしまった高校生・平賀才人。彼を召喚したのはトリステイン魔法学院に通う少女・ルイズ。しかし、彼女は通称「ゼロのルイズ」と呼ばれている魔法に才能を持たない少女であった。ルイズの使い魔にされてしまった才人はルイズと共に学園生活を送ることになるが、次々と起こるトラブルに巻き込まれていく。
異世界というジャンルがまだ確立されていなかった頃の作品。現在の異世界ものに見受けられるハーレム要素や主人公像本作の影響による部分があると考えられる。才人が現代日本の価値観に基づいて行動することが多いため、貴族たちから破天荒な人物と認識される一方で平民たちからは英雄に近い扱いを受けるというのは面白かった。また、ルイズが貴族であることに誇りを持っていることが才人には理解できない描写が多数あり、これが価値観の相違を強めると同時に主人と使い魔の互いを思いやりながらも分かり合えない部分に作用している。
2年 清水
RES
1.『ご注文はうさぎですか?』(アニメ)
原作:koi 監督:橋本裕之 制作:WHITE FOX
この春から高校に通うべく新しい街にやってきたココア。
道に迷って偶然に喫茶ラビットハウスに入るが、実はそこが彼女が住み込むことになっていた喫茶店だった。(公式サイトより引用)
本作はまんがタイムきららMAXにて連載中の作品。基本的には女の子が仲良く働いたり、学校に通ったりといった日常が描かれている。その一方で意図せず仲間外れにされたことによる寂しさや構ってもらえないことに対する嫉妬の感情が描かれるなど、何気ない表情にクローズアップすることでいつも一緒故の人間関係の難しさも描いていると考えられる。しかし、大部分は女の子のかわいいを随所に詰め込んだ作品なので気軽にみることができる。
2.『ご注文はうさぎですか??』(アニメ)
原作:koi 監督:橋本裕之 制作:KINEMA CITRUS×WHITE FOX
年が明け、ココアもチノももうすぐ進級。時とともに少しずつ成長していく彼女たちの日常はいつも騒がしいのであった。ある日、ココアは実家に写真付きの手紙を出そうとする。しかし、写真が苦手なチノは逃げてしまう。果たして写真を撮ることができるのか。
新しいキャラクターも登場し、登場キャラクターの年齢層が増した。それにより、年齢による隔てのない友情の説得力がより強くなった。また、チノの笑顔が作品内において増えたことにより、人と関わることによる変化とチノの成長物語というテーマも鮮明に浮かび上がってくるようになっている。ココアのほうも姉に対するこだわりがどのように芽生えたのか語られ、末っ子特有の兄、姉への憧れには共感できる部分が多かった。
3.『ご注文はうさぎですか? BLOOM』(アニメ)
原作:koi 監督:橋本裕之 制作:エンカレッジフィルムズ
ココアが木組みの街で過ごす二度目の夏ももうすぐ終わり、季節はイベント盛りだくさんの秋へ移り変わる。学校にもラビットハウスにも楽しいことが今日もいっぱい溢れている。ココアもチノもほかのみんなも未来へのわくわくが止まらない。(dアニメストアより)
『ご注文はうさぎですか?』の第3期となる作品。前半のチマメ隊の進路のエピソードの際にココアとリゼ、それぞれの通っている学校の説明会や文化祭を通しての進路選択を描くことによって、キャラクターの成長を身近に感じられるようになっていると感じた。ハロウィンの話ではココアとチノの親密さの進展も見られ、ココアが練習の末できるようになったマジックを通して母親を懐かしむチノが印象的であり、ココアに母親を重ねるほど心を開くようになったという解釈もできると考えた。
4.『この素晴らしい世界に爆焔を!』(アニメ)
原作:暁なつめ 監督:阿部祐二郎 制作:ドライブ
幼いころ見た爆裂魔法が忘れられない厨二病の少女めぐみん。ネタ魔法と同級生に笑われるが、彼女はある人に追いつくために習得を目指す。真の仲間と出会う以前、彼女はなぜ爆裂魔法に魅了されたのか、そしてどんな旅をしてきたのかが語られる。
『この素晴らしい世界に祝福を!』の公式スピンオフとなる作品。作画崩壊と言っても過言ではない顔芸やギャグへのツッコミなどスピンオフでありながら本編に劣らない面白さを発揮していた。主軸となる人物2人の性格や行動にフォーカスして対比的に描いていることで強さと弱さの面がはっきりしているように感じられる。『この素晴らしい世界に祝福を!』に登場する人物たちも顔は見えないが、姿は見え隠れしていたが、エンディングテロップでは名前は出さず「ジャージの男」や「青髪の作業員」と表記されており、本編との時系列をしっかり意識して制作されたように感じた。
5.『スパイ教室』(ライトノベル)
著者:竹町 イラスト:トマリ
世界最強を自負するスパイ・クラウスは不可能任務専門機関として「灯」を立ち上げる。養成学校から7人の少女が抜擢されるが、全員が落第寸前の落ちこぼれであった。スパイの技術をどうにか教えようとするもクラウスは教えるのが致命的なほど下手であった。そこで、達成のための唯一の手段としてチームのボスである自分を倒して全員が強くなることを提案する。祖国の平和のために命がけの危険な任務が始まる。
ファンタジア文庫より刊行中の作品。文字情報で物語が構成されるライトノベルの特性を活かした叙述トリックが大きな魅力。登場人物たちの会話や地の文の中にヒントが隠されていることもあり、作品の舞台こそファンタジーではあるが、ミステリー要素も含まれているため推理ものとして楽しめる側面も持ち合わせている。また、作品内においてコミカルな場面とシリアスな場面が丁寧に書き分けられており、この二つによる緩急の差が読者を強く引き込む要素であると感じた。
6.『五等分の花嫁~』(映画・テレビスペシャル) 2023年7月14日公開
原作:春場ねぎ 監督:宮本幸裕 制作:シャフト
勉強嫌いな五つ子を家庭教師として卒業まで導くことになった風太郎。修学旅行でひと悶着あったものの無事解決し、高校生活も残り半年となった。季節は夏、受験の天王山と言える夏季休暇に突入する。夏季休暇の間は受験勉強のために家庭教師を休むことを決めた風太郎だったが五つ子たちは寂しい様子。そこで風太郎はある提案をする。
本作は『五等分の花嫁∬』と『映画 五等分の花嫁』の間のエピソード。opで五つ子が風太郎に心を開いた瞬間のシーンがモノクロとカラーを合わせて描かれており、一瞬ではあるが、視聴者にこれまでの軌跡を振り替えさせる効果をもたらしていると考えられる。五つ子が引っ越した時の荷物から出てきた一枚の絵が過去を思い出すトリガーにもなっており、原作では時系列がかなり前のエピソードも違和感なく繋いでいた。昨年公開の映画で省略された話が映像化されファンが十分に楽しめる内容になっていた。今作ではブランコをこぎながら四女の胸の内が語られるシーンがあるがブランコの鎖が過去にとらわれ前に進みだすことができない四女の心を象徴しているように感じた。
7.『ノーゲーム・ノーライフ』(アニメ)
原作:榎宮祐 監督:いしづかあつこ 制作:MADHOUSE
あらゆるゲームのランキングで頂点に君臨するゲーマー兄妹・空と白。いつも通りゲームをしていたある日、二人は神からのメールをきっかけに異世界に召喚されてしまう。しかもそこはゲームであらゆることが決まる理想郷であった。人類種が暮らす都市にひとまずやってきた空と白は人類種の王が不在であり、新たな王を決めるためのゲームが行われていることを知る。もう一度神と戦いたい二人は人類種の王になるべく、国王選定戦に参戦する。
異世界転生ものでありながらゲームが物語の軸となっている少し珍しい作品。ゲームに例えられた世界の有様は生きづらい人の苦悩そのものであると思った。原作の表紙にもあった不思議な色使いはアニメの背景や人々の髪の毛の色にも共通していた。「天才」と「凡人」の対比が多く、それによって「天才とは何か」と問われているように感じた。実際のゲームで使える攻略法や思考法も取り入れられており、ゲーマー兄妹の勝ち筋にも説得力がある。基本的にはゲームによる戦いが中心だが、一部過激な描写があるため個人の好みによっては苦手と感じる人もいると思った。
8.『ノーゲームノーライフゼロ』(映画)2017年7月15日公開
原作:榎宮祐 監督:いしづかあつこ 制作:MADHOUSE
六千年以上昔、神霊種たちが世界を統べる唯一神の座を狙い、争いを繰り広げていた。争いによって存亡の危機に瀕する人間たち。彼らを率いる青年リクは、森霊種の都で機械仕掛けの少女・シュヴィに出会う。心に興味を持ったことにより仲間から排除されてしまった彼女は心を教えてほしいとリクに頼み込んでくる。これは新しい神話に至る前、記録にも記憶にも残っていない古き神話の物語。
『ノーゲーム・ノーライフ』の本編前が描かれている作品。人類存続のために「心」に鍵をかけるリクと「心」を知りたがるシュヴィが対比的に描かれ、それによりリクとシュヴィが互いに影響し合い変わっていく様が鮮明になっているように感じた。また、リクと空、シュヴィと白という似た人物が登場するがキャラ造形や得意分野が酷似している為、ほぼ同一人物として見ることができる。そのように見ていくと生き方や考え方の違いが浮き彫りになるように感じた。『ノーゲーム・ノーライフ』と色使いは同じであるが、明るく煌びやか風景と荒廃した世界の暗さが混じっている為、戦争の悲惨な光景が印象的に映った。
9.『トモダチゲーム』(漫画)
原作:山口ミコト 作画:佐藤友生
一人暮らしをしている高校生片桐友一は何よりも友達を大事にしていた。ある日、所属しているクラスの修学旅行費が盗まれる事件が発生する。その結果仲の良い友達4人と一緒にトモダチゲームに参加させられることになってしまう。友情があれば簡単にクリアできるゲームと運営から説明を受けるが友情に徐々に亀裂が入っていく。
典型的なサスペンス系統の漫画。友情があれば簡単にクリアできるというゲーム内容が、行き詰まった時の友情の崩壊具合、危険にさらされた時の人の醜さなどを際立たせる役割を果たしている。また、主人公が悪人に近い性格のため、ゲームクリアに対して手段を選ばない姿勢を貫くことや仲間に作戦をすべて知らせずに動くことが多く、こういったサスペンス系ゲームの漫画の主人公にしてはダークヒーロ―に近い面を持ち合わせているように感じた。
10.『転スラ日記』(アニメ)
原作:柴、伏瀬、みっつばー 監督:生原雄二 制作:エイトビット
この世界では貴重な紙を手に入れたため、これまでの出来事を日記に書くことにしたテンペスト国の盟主リムル。仲間との出会いはどれも新鮮で楽しいことばかり。本編シリーズでは描かれなかったリムルと仲間たちの日常がふんだんに描かれる。
『転生したらスライムだった件』の公式スピンオフ作品。夏祭りやスイカ割りなどリムルによってもたらされた日本の文化が数多く登場する。異世界特有の考え方に翻弄されて怯えるリムルや仲間に女性用の水着を着てほしいと懇願されるといった描写が戦闘が多めの本編には登場しないため何気ない日常であることをより感じさせる効果がある。また、文字を書くものが木の板である点や人力による仕事の描写がかなり多いため、機械や紙といった当たり前に使っているものが便利であることを感じた。
原作:koi 監督:橋本裕之 制作:WHITE FOX
この春から高校に通うべく新しい街にやってきたココア。
道に迷って偶然に喫茶ラビットハウスに入るが、実はそこが彼女が住み込むことになっていた喫茶店だった。(公式サイトより引用)
本作はまんがタイムきららMAXにて連載中の作品。基本的には女の子が仲良く働いたり、学校に通ったりといった日常が描かれている。その一方で意図せず仲間外れにされたことによる寂しさや構ってもらえないことに対する嫉妬の感情が描かれるなど、何気ない表情にクローズアップすることでいつも一緒故の人間関係の難しさも描いていると考えられる。しかし、大部分は女の子のかわいいを随所に詰め込んだ作品なので気軽にみることができる。
2.『ご注文はうさぎですか??』(アニメ)
原作:koi 監督:橋本裕之 制作:KINEMA CITRUS×WHITE FOX
年が明け、ココアもチノももうすぐ進級。時とともに少しずつ成長していく彼女たちの日常はいつも騒がしいのであった。ある日、ココアは実家に写真付きの手紙を出そうとする。しかし、写真が苦手なチノは逃げてしまう。果たして写真を撮ることができるのか。
新しいキャラクターも登場し、登場キャラクターの年齢層が増した。それにより、年齢による隔てのない友情の説得力がより強くなった。また、チノの笑顔が作品内において増えたことにより、人と関わることによる変化とチノの成長物語というテーマも鮮明に浮かび上がってくるようになっている。ココアのほうも姉に対するこだわりがどのように芽生えたのか語られ、末っ子特有の兄、姉への憧れには共感できる部分が多かった。
3.『ご注文はうさぎですか? BLOOM』(アニメ)
原作:koi 監督:橋本裕之 制作:エンカレッジフィルムズ
ココアが木組みの街で過ごす二度目の夏ももうすぐ終わり、季節はイベント盛りだくさんの秋へ移り変わる。学校にもラビットハウスにも楽しいことが今日もいっぱい溢れている。ココアもチノもほかのみんなも未来へのわくわくが止まらない。(dアニメストアより)
『ご注文はうさぎですか?』の第3期となる作品。前半のチマメ隊の進路のエピソードの際にココアとリゼ、それぞれの通っている学校の説明会や文化祭を通しての進路選択を描くことによって、キャラクターの成長を身近に感じられるようになっていると感じた。ハロウィンの話ではココアとチノの親密さの進展も見られ、ココアが練習の末できるようになったマジックを通して母親を懐かしむチノが印象的であり、ココアに母親を重ねるほど心を開くようになったという解釈もできると考えた。
4.『この素晴らしい世界に爆焔を!』(アニメ)
原作:暁なつめ 監督:阿部祐二郎 制作:ドライブ
幼いころ見た爆裂魔法が忘れられない厨二病の少女めぐみん。ネタ魔法と同級生に笑われるが、彼女はある人に追いつくために習得を目指す。真の仲間と出会う以前、彼女はなぜ爆裂魔法に魅了されたのか、そしてどんな旅をしてきたのかが語られる。
『この素晴らしい世界に祝福を!』の公式スピンオフとなる作品。作画崩壊と言っても過言ではない顔芸やギャグへのツッコミなどスピンオフでありながら本編に劣らない面白さを発揮していた。主軸となる人物2人の性格や行動にフォーカスして対比的に描いていることで強さと弱さの面がはっきりしているように感じられる。『この素晴らしい世界に祝福を!』に登場する人物たちも顔は見えないが、姿は見え隠れしていたが、エンディングテロップでは名前は出さず「ジャージの男」や「青髪の作業員」と表記されており、本編との時系列をしっかり意識して制作されたように感じた。
5.『スパイ教室』(ライトノベル)
著者:竹町 イラスト:トマリ
世界最強を自負するスパイ・クラウスは不可能任務専門機関として「灯」を立ち上げる。養成学校から7人の少女が抜擢されるが、全員が落第寸前の落ちこぼれであった。スパイの技術をどうにか教えようとするもクラウスは教えるのが致命的なほど下手であった。そこで、達成のための唯一の手段としてチームのボスである自分を倒して全員が強くなることを提案する。祖国の平和のために命がけの危険な任務が始まる。
ファンタジア文庫より刊行中の作品。文字情報で物語が構成されるライトノベルの特性を活かした叙述トリックが大きな魅力。登場人物たちの会話や地の文の中にヒントが隠されていることもあり、作品の舞台こそファンタジーではあるが、ミステリー要素も含まれているため推理ものとして楽しめる側面も持ち合わせている。また、作品内においてコミカルな場面とシリアスな場面が丁寧に書き分けられており、この二つによる緩急の差が読者を強く引き込む要素であると感じた。
6.『五等分の花嫁~』(映画・テレビスペシャル) 2023年7月14日公開
原作:春場ねぎ 監督:宮本幸裕 制作:シャフト
勉強嫌いな五つ子を家庭教師として卒業まで導くことになった風太郎。修学旅行でひと悶着あったものの無事解決し、高校生活も残り半年となった。季節は夏、受験の天王山と言える夏季休暇に突入する。夏季休暇の間は受験勉強のために家庭教師を休むことを決めた風太郎だったが五つ子たちは寂しい様子。そこで風太郎はある提案をする。
本作は『五等分の花嫁∬』と『映画 五等分の花嫁』の間のエピソード。opで五つ子が風太郎に心を開いた瞬間のシーンがモノクロとカラーを合わせて描かれており、一瞬ではあるが、視聴者にこれまでの軌跡を振り替えさせる効果をもたらしていると考えられる。五つ子が引っ越した時の荷物から出てきた一枚の絵が過去を思い出すトリガーにもなっており、原作では時系列がかなり前のエピソードも違和感なく繋いでいた。昨年公開の映画で省略された話が映像化されファンが十分に楽しめる内容になっていた。今作ではブランコをこぎながら四女の胸の内が語られるシーンがあるがブランコの鎖が過去にとらわれ前に進みだすことができない四女の心を象徴しているように感じた。
7.『ノーゲーム・ノーライフ』(アニメ)
原作:榎宮祐 監督:いしづかあつこ 制作:MADHOUSE
あらゆるゲームのランキングで頂点に君臨するゲーマー兄妹・空と白。いつも通りゲームをしていたある日、二人は神からのメールをきっかけに異世界に召喚されてしまう。しかもそこはゲームであらゆることが決まる理想郷であった。人類種が暮らす都市にひとまずやってきた空と白は人類種の王が不在であり、新たな王を決めるためのゲームが行われていることを知る。もう一度神と戦いたい二人は人類種の王になるべく、国王選定戦に参戦する。
異世界転生ものでありながらゲームが物語の軸となっている少し珍しい作品。ゲームに例えられた世界の有様は生きづらい人の苦悩そのものであると思った。原作の表紙にもあった不思議な色使いはアニメの背景や人々の髪の毛の色にも共通していた。「天才」と「凡人」の対比が多く、それによって「天才とは何か」と問われているように感じた。実際のゲームで使える攻略法や思考法も取り入れられており、ゲーマー兄妹の勝ち筋にも説得力がある。基本的にはゲームによる戦いが中心だが、一部過激な描写があるため個人の好みによっては苦手と感じる人もいると思った。
8.『ノーゲームノーライフゼロ』(映画)2017年7月15日公開
原作:榎宮祐 監督:いしづかあつこ 制作:MADHOUSE
六千年以上昔、神霊種たちが世界を統べる唯一神の座を狙い、争いを繰り広げていた。争いによって存亡の危機に瀕する人間たち。彼らを率いる青年リクは、森霊種の都で機械仕掛けの少女・シュヴィに出会う。心に興味を持ったことにより仲間から排除されてしまった彼女は心を教えてほしいとリクに頼み込んでくる。これは新しい神話に至る前、記録にも記憶にも残っていない古き神話の物語。
『ノーゲーム・ノーライフ』の本編前が描かれている作品。人類存続のために「心」に鍵をかけるリクと「心」を知りたがるシュヴィが対比的に描かれ、それによりリクとシュヴィが互いに影響し合い変わっていく様が鮮明になっているように感じた。また、リクと空、シュヴィと白という似た人物が登場するがキャラ造形や得意分野が酷似している為、ほぼ同一人物として見ることができる。そのように見ていくと生き方や考え方の違いが浮き彫りになるように感じた。『ノーゲーム・ノーライフ』と色使いは同じであるが、明るく煌びやか風景と荒廃した世界の暗さが混じっている為、戦争の悲惨な光景が印象的に映った。
9.『トモダチゲーム』(漫画)
原作:山口ミコト 作画:佐藤友生
一人暮らしをしている高校生片桐友一は何よりも友達を大事にしていた。ある日、所属しているクラスの修学旅行費が盗まれる事件が発生する。その結果仲の良い友達4人と一緒にトモダチゲームに参加させられることになってしまう。友情があれば簡単にクリアできるゲームと運営から説明を受けるが友情に徐々に亀裂が入っていく。
典型的なサスペンス系統の漫画。友情があれば簡単にクリアできるというゲーム内容が、行き詰まった時の友情の崩壊具合、危険にさらされた時の人の醜さなどを際立たせる役割を果たしている。また、主人公が悪人に近い性格のため、ゲームクリアに対して手段を選ばない姿勢を貫くことや仲間に作戦をすべて知らせずに動くことが多く、こういったサスペンス系ゲームの漫画の主人公にしてはダークヒーロ―に近い面を持ち合わせているように感じた。
10.『転スラ日記』(アニメ)
原作:柴、伏瀬、みっつばー 監督:生原雄二 制作:エイトビット
この世界では貴重な紙を手に入れたため、これまでの出来事を日記に書くことにしたテンペスト国の盟主リムル。仲間との出会いはどれも新鮮で楽しいことばかり。本編シリーズでは描かれなかったリムルと仲間たちの日常がふんだんに描かれる。
『転生したらスライムだった件』の公式スピンオフ作品。夏祭りやスイカ割りなどリムルによってもたらされた日本の文化が数多く登場する。異世界特有の考え方に翻弄されて怯えるリムルや仲間に女性用の水着を着てほしいと懇願されるといった描写が戦闘が多めの本編には登場しないため何気ない日常であることをより感じさせる効果がある。また、文字を書くものが木の板である点や人力による仕事の描写がかなり多いため、機械や紙といった当たり前に使っているものが便利であることを感じた。