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北郷 未結 MAIL RES
2年 北郷
夏休み課題

⑯「夢を叶えるゾウ 0 ガネーシャと夢を食べるバク」(小説) 水野敬也 文響社 2022年

上司のパワハラに苦悩する男の前に、象の頭を持ち、なぜか関西弁で話す神様・ガネーシャが現れる。
平凡な会社員を「宇宙一の偉人に育てる」と宣言したガネーシャ。しかし、彼には「夢」がなかった。 新キャラ・バクとガネーシャの父・シヴァ神も登場する、「夢とは何か?」「夢は本当に必要なのか?」を解き明かす、夢ゾウシリーズの原点となる作品。

本作の内容は、上司からのパワハラや“本物の夢”探しなど、自分の人生を深く考えさせられるものである。一方、関西弁を話す神様、ガネーシャや毒舌なバクによって繰り広げられる、ユーモアの溢れる会話や、非日常的な設定が明るい雰囲気を取り持っている。
作中でガネーシャは、平凡な会社員の男に“本当の夢”を見つけさせるため、課題を与えていく。
それは過去の偉人たちが実際に行っていた習慣に基づいており、1つ達成すると次の課題が与えられる、という仕組みである。
ガネーシャの男に対する働きかけは、課題を提示するだけであり、男に贔屓をしたり、特別な力を使って男を偉人にさせるというものではない。むしろ自由奔放な行動によって男を窮地に追い込んでしまう。
このことから、神は良くも悪くも平等に機会を与える存在として描かれており、“本物の夢”は神から与えられた試練を自分の力で乗り越えていかなければならないという自己啓発的な要素が含まれていると考える。
また、ガネーシャは「“本物の夢”は、自分と同じ痛みを持つ他者を救うことで、自分を救うこと(P.437)」と言及している。
本作の前半では、上司からのパワハラに苦悩する男が描かれているが、後半は、父・シヴァ神からの圧力に苦悩するガネーシャが描かれている。
神として特別な存在としてではなく、人間と対等な存在として描かれることで、自然に男と悩みの共有ができ、友人のような関係性を築いていく。
これらのことから、“本物の夢”を見つけるためには、本来の自分を受け入れてくれる他者の存在が必要不可欠であること、そして、その他者の存在としてガネーシャが描かれていると考える。

⑰「かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜」(アニメ) 監督:河合勇人 原作者;赤坂アカ 2019年
家柄も人柄も良く、将来を期待された秀才が集う周知院学園の生徒会会長・白銀御行と、副会長・四宮かぐやの頭脳戦ラブコメ。
互いに惹かれているが、プライドが高く、素直になれない2人は、面倒くさいことに“如何に相手に告白させるか”ばかりを考えるようになってしまった。

プライドが高い者同士の恋愛心理戦で、恋愛関係における駆け引きが、お互いの頭脳とプライドによって高度なものへと昇華している。またナレーションによって駆け引きの臨場感が増している。
しかしこれは2人が恋愛に対して奥手なだけであり、お互いの言動ひとつひとつに過剰な理論を唱える様子が、視聴者の共感を呼びつつ、その必死さに面白さを感じるのではないかと考える。
また本作では、心理戦の場面における背景やエフェクト、効果音が多様であり、アニメ特有の視覚・聴覚的表現を最大限に活用している。
例えば、エピソード2における四宮かぐやの心理描写では、浮かれた気分から現実に引き戻される様子を、エレベーターが急降下する描写で表現し、気持ちの上下を視覚的に描き出している。
さらに、漫画で用いられる効果線やオノマトペの描写も多く取り入れることで絵に動きが与えられている。
これらによって登場人物たちの心理描写がより効果的に表現され、説明や理論が羅列する単調な場面にユーモアを与えていると考える。

⑱『【推しの子】』 シーズン1(アニメ) 監督:平牧大輔 2023年
「この芸能界せかいにおいて嘘は武器だ」
地方都市で働く産婦人科医・ゴロー。ある日"推し"のアイドル「B小町」のアイが彼の前に現れた。しかし、彼女はある禁断の秘密を抱えており…。そんな二人の"最悪"の出会いから、運命が動き出していく。
天才アイドル・アイは死んだ。遺された双子の妹・ルビーは母に憧れ芸能界へ進み、兄・アクアはアイ殺害の協力者であろう実の父親への復讐を誓う。
『アイの隠し子であること』『前世の記憶を持つこと』という2つの大きな秘密を抱えた兄妹の物語。

芸能界の闇が描かれている作品。
キラキラとした憧れのアイドルと、その裏に隠された芸能業界特有の闇、心の葛藤が圧倒的作画によって描き出されている。
アイの子どもであるルビーとアクアは、アイが持つ二面性の分化であると考える。
アイはキラキラとした憧れのアイドル像を、「嘘」によって作り上げていた。
これに関して、ルビーの明るい性格と、アイに憧れてアイドルになる夢を必死に追いかける姿は、アイが持つ夢や光の部分を象徴していると考える。
一方、アクアはルビーとは対照的に物静かな性格をしており、アイを殺害した黒幕に復讐するため、持ち前のルックスと才能で芸能界に潜り込み、役者として活動する。
このことから、役者として何かを演じるという点と、役者活動の裏側にはアイを殺害した黒幕への復讐心を募らせている点から、アイの闇や「嘘」の部分を象徴していると考える。
この他にも、両目に星が描かれているアイに対して、アクアとルビーはそれぞれ片方の目にしか星が描かれていない点や、アイの瞳の色が紫に対して、アクアは青、ルビーは赤色の目をしていることから、この双子はアイが持つ二面性を象徴していると考えられる。
アニメや漫画で描かれる双子は、容姿は酷似しているものの、性格は正反対に描かれることが1つの典型として挙げられる。「【推しの子】」では、その典型を人間の二面性に投影していると考える。

⑲『ハイキュー!!』(漫画) 古舘春一 2012〜2020年
ふとしたきっかけでバレーボールに魅せられた少年、日向翔陽。部員がいない逆風にも負けず、やっとの思いで出場した中学最初で最後の公式戦で、日向のチームは「コート上の王様」と異名を取る天才プレイヤー、影山飛雄に惨敗してしまう。
リベンジを誓い烏野高校バレー部の門を叩いた日向だが、そこにはかつてのライバル、影山の姿があった。
ボールを落としてはいけない、持ってもいけない、3度のボレーで攻撃へと“繋ぐ”スポーツ、バレーボール。
繋いだ先に見える景色を目指して、少年たちはコートを駆ける。
本作品のコマの役割に着目して、考察する。
本作では漫画のコマの構成によって、試合の臨場感や緊張感を描いていると考える。
例えば、主人公の日向翔陽が中学の公式戦で、仲間からトスをもらい、スパイクを決める場面がある。
そこでは、最初トスをあげる仲間のアップが映り、次に主人公とボールの高さを表す引きのカットが描かれる。そして、ライバル、シューズの描写の後、次のページで主人公のスパイクのフォームが大きく描かれる。
ライバルからシューズのコマ、そしてスパイクシーンのコマが描かれることで、視点の変化による開放感を得ると共に、時間が生まれ、試合の臨場感や躍動感を生み出しているといえる。
このことから、本作品は、コマの構成と形が相互に作用することで場面に迫力をもたらし、読者の心理的効果を高める役割を果たしているといえる。

⑳『ふたりはプリキュア』(アニメ)監督:西尾大介 2004年
スポーツ万能、勉強嫌いで無鉄砲だけど人一倍正義感が強くクラスでも人気者の美墨なぎさ、成績優秀で常にトップだが、実は天然ボケの雪城ほのか、2人は同じベローネ学院女子中等部の2年生。なぎさとほのかはそれぞれ不思議な生き物メップルとミップルに出会う。彼らは邪悪なドツクゾーンがメップルたちの故郷・光の園を襲撃し、地球に逃れてきたのだった。そして、メップルとミップルによってなぎさとほのかは変身する能力を与えられ、戦うことに。
趣味も性格も違うふたりは力を合わせてドツクゾーンから送り込まれてくる邪悪な敵に立ち向かう。

女の子を主人公とする「ヒロインもの」ではなく、「ヒーローもの」として、少女たちの活躍を描いた作品。
従来の女児向けアニメと異なる点は、魔法やアイテムを使わずに拳で敵に立ち向かう点である。
それまでアクションものは「仮面ライダー」など男の子向けのコンテンツであった。そのため、女の子向けのコンテンツを打ち出し、女の子も男の子と同じように闘える姿が描かれることで、男女の平等や女性の自立が促されていると考える。
また、本作品では友情が大きなキーポイントとなっていると考える。
美墨なぎさと雪城ほのかは、正反対の性格であり、プリキュアや学校生活を送る中で何度も衝突する。
友情を美化せず、ありのままを描くことで友情の本質を考えさせられる内容になっていると考える。

㉑『ラ・ラ・ランド』監督:デイミアン・チャゼル 2016年
夢を叶えたい人々が集まる街、ロサンゼルス。映画スタジオのカフェで働くミオは女優を目指していたが、何度オーディションを受けても落ちてばかりだった。ある日、ミアは場末の店で、あるピアニストの演奏に魅せられる。彼の名はセブといい、いつか自分の店を持ち、大好きなジャズを思う存分演奏したいと願っていた。やがて2人は恋に落ち、互いの夢を応援し合う。しかし、セブが資金作りのために入ったバンドが成功したことから、2人の心はすれ違い始める。

本作で印象に残った場面は、ラストで大女優になったミアがセブの店に偶然訪れ、セブのピアノに聴き入る場面である。
セブがピアノを弾き終わると、ミアとセブはすれ違いざまに熱い抱擁を交わし、2人だけの世界へ入っていく。
そこでは、冒頭の渋滞した道路で皆が踊るシーンや、夕方のロサンゼルスで街が見渡せる丘で2人が踊るシーン、2人で映画を見るシーンなど、前半の場面を再度用いた演出が登場する。
さらにセブとミオが結婚し、子どもが生まれるまでの過程が描かれる。
このとき、背景や小道具はデフォルメ化され、舞台におけるミュージカルの要素を感じさせつつ、非現実的な世界が表現されている。
しかし、それが終わると場面はセブがピアノを演奏し終わる場面に切り替わる。
よって、2人が愛し合うこの場面は全てミオの妄想であったことが分かる。
敢えて背景や小道具をデフォルメ化しているのはミオの妄想の世界であることを表現するためであると考える。
これがミオのもうひとつの夢であったと仮定すると、本作では努力で掴み取れる夢、努力では叶えられない夢を描いていると考える。

㉒『リボンの騎士』(漫画) 手塚治虫 1963〜1966年
男の子と女の子ふたつの心を持ったサファイヤ姫が、リボンの騎士として活躍するファンタジー。
サファイヤは、天使チンクのいたずらのせいで、男の子の心と女の子の心を、両方持って生まれた。さらに彼女は、国王のあとつぎとなるために生まれたときから王子として育てられる運命をせおっていたのである。
ところが、自分の息子を王位につけたいと考えている家臣のジュラルミン大公は、サファイヤが女であることを証明しようとして、さまざまな悪だくみをくわだてるのであった。(公式HPより)

登場人物らが見せる豊かな表情や、大袈裟でコミカルな動きは、ディズニーの作風を彷彿させる。さらに、天使が登場したり、王宮の様子が描かれるなど、ファンタジーの要素が強く、作品のメルヘンチックな雰囲気もディズニーと近しいものを感じる。
男の心と女の心の両方を持って生まれたサファイアは、1日の半分を王女として、またその半分を王子として過ごさなければならない。そのためサファイアは、プライベートでは優しく気品のある“王女”として振る舞う一方で、人前では敵に対して勇敢に立ち向かう“王子”としての姿を見せる。
女の子でも男の子のように振る舞ってもよい。強さは男の子のものだけではない。
本作品が掲載されたのは戦後の女性らの社会進出や地位向上への動きが高まっていた時期であり、当時の子どもたちにとって強い影響を与えたと考える。

㉓『チャーリーとチョコレート工場』(映画) 監督:ティム・バートン 原作:ロアルド・ダール

失業中の父、母、そして2組の寝たきり祖父母に囲まれ貧しいながらも幸せに暮らしている少年チャーリー。彼の家のそばには、ここ15年間誰一人出入りしたことがないという、謎に包まれた不思議なチョコレート工場があった。ある日、工場の経営者ウィリー・ウォンカ氏は、全商品のうち5枚だけに入っているゴールデン・チケットを引き当てた者にだけ、特別に工場の見学を許可する、と驚くべき声明を発表した。そして一年に一枚しかチョコを買えないチャーリーも、奇跡的に幸運のチケットを手にし、晴れて工場へと招かれる。

本作品では個性豊かな子どもたちが登場する。
チャーリーの他にゴールデンチケットを手に入れたのは、食いしん坊の男の子・オーガスタス、わがままで欲張りな女の子・ベルーカ、野心家の女の子・バイオレット、テレビゲーム中毒の男の子・マイクの4人である。
これらの子どもたちには、それぞれ現代っ子の問題点を表現していると考える。
両親から甘やかされ自由に育てられた4人の問題児は、物や親に依存しないチャーリーと、子供時代に親から厳しく躾られていたウォンカとの対比の構図があると考える。

そしてチョコレート工場の見学では、子どもたちと付き添いの親たちが次々に脱落してしまう。
オーガスタスは食い意地をはり、チョコレートの川に溺れてしまう。
バイオレットは忠告を聞かず、野心のままに欠陥のある新作のガムを噛んでしまう。そのため、体がブルーベリーのように青くなり大きく膨らんでしまう。
ベルーカは、クルミの殻剥き担当のリスを欲しがって捕まえようとしたが、逆にリスに襲われてしまい、ダストシュートに放り込まれてしまう。
マイクは、物をテレビの中に移動できるテレポーテーション機械を前にして、「物が送れるなら人間も送れる」という自らの仮説を正しいと思い込み、自分自身をテレビにテレポーテーションしてしまう。しかしテレポーテーションは一方通行であったためマイクはテレビの中に閉じ込まれてしまう。
このようにして身勝手な行動によって子供たちが脱落する際に、チョコレート工場の唯一の従業員であるウンパ・ルンパたちがその子どもと親を皮肉る歌をうたう。
そこでは、子どもたちの行く末と問題児に育てた親の責任が問われる。
「この親にしてこの子あり」で、親子間の干渉具合が子どもの成長に大きく関わることを示唆していると考える。

㉔『オズの魔法使い』(映画) 監督:ビクター・フレミング 原作:L・フランク・ボーム 1939年

カンザスの田舎に住む少女ドロシーは竜巻に巻き込まれオズの国へ。途中で知り合ったカカシ、ブリキのロボット、ライオンとそれぞれ「知識」「心」「勇気」を探してオズの魔法使いに会いに旅をする。

カンザスの場面では画面がセピア色だが、オズの国で画面がカラーになる。これは色褪せた現実と、非現実の世界を色で表現していると考える。
また、序盤でドロシーが歌う「虹の彼方に」は曲にアレンジが加わり、映画の様々な場面でリピートされる。
これによって観客たちは曲に対する愛着を抱き、作品全体の統一感を出していると考える。
映像の中で登場人物にも聞こえる音楽は「物語世界の音楽」と呼ばれ、BGMなど視聴者側にしか聞こえない音楽は「非物語世界の音楽」と呼ばれる。(「映画・アニメ・ゲームにおけるBGMの役割と種類―劇伴・ゲーム音楽による演出効果について―」https://acua-piece.com/post/163710482885/music-for-film-anime-game/ 2023年8月23日アクセス)
ドロシーの持ち歌である「虹の彼方に」を「非物語世界の音楽」にも起用することで、二重の意味を持ち、ドロシーの心情と世界観がリンクする効果があると考える。

㉕『ハムレット』(映画) 監督:ローレンス・オリヴィエ 原作者:ウィリアム・シェイクスピア 1948年

城に現われ父王の亡霊から、その死因が叔父の計略によるものであるという事実を告げられたデンマークの王子ハムレットは、固い復讐を誓う。道徳的で内向的な彼は、日夜狂気を装い懐疑の憂悶に悩みつつ、ついに復讐を遂げるが自らも毒刃に倒れてしまう。

ハムレットの恋人、オリーフィアはハムレットの狂気に触発され、自らも気を狂わせてしまう。花飾りを木に登り、小川に落ちて溺れて亡くなる。落ちたあと歌いながら流されている。
オリーフィアの兄・レアティーズは妹の知性が欠けたのはハムレットが原因であるとして、新王と手を組み、ハムレットの殺害を企てる。
レアティーズは、決闘を開いてハムレットの喉を乾かせ、毒入りの酒を飲ませる魂胆であった。しかし、それを王妃が飲んでしまい、さらに剣の先には毒が塗られていたため、剣先に触れたレアティーズと新王も亡くなってしまう。
誰にも救いの手は現れず、狂気にまみれた悲劇である。
個々が抱える憎しみが連鎖し、悲劇が生まれる。復讐心が生むのは悲劇であることが読み取れる。
また、『ハムレット』が書かれた1601年頃は中世から近代への移り変わりの時代で、キリスト教が支配する社会から、個人の意思が重視される社会になる転換期であった。
各登場人物の思惑が複雑に絡み合う様子は、自らの意思や理性に沿って行動する近代人を表現していると考える。 しかし、それは惜しくも全員の死という結末を迎えてしまう。
このことから、本作品は個々の意思が尊重される社会の混沌を暗示していると考える。

㉖『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』(映画) 監督:河合勇人 2019年
『かぐや様は告らせたい〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』の実写版映画。
実写映画であるが、衝撃を表すときに効果線が使われていたり、閃きの電球などがエフェクトとして取り入れられているなど、漫画的表現が使われている。効果音、文字の表記も出てくる。
また、頭脳戦のパートにおける引きと寄りの細かい画面切り替えは、畳み掛けるような駆け引きを表現していると考える。
しかし、アニメ版と比較すると頭脳戦のパートは短く、駆け引きの内容も専門用語などは取り除かれ、レベルが落とされているように感じた。
アニメでは、専門用語が出たあとにナレーションの解説が入るため、そこをカットすることで映画全体のテンポを落とさないようにしていると考える。
また、原作を知らない観客にも分かりやすいよう、「プライドの高い高校生男女2人による恋愛頭脳戦」という物語の大枠を取る事に重点を置き、全体的に大衆向けに脚色されていると考える。

㉗『スキップとローファー』(アニメ) 監督:出合小都美 原作者:高松美咲 2023年

田舎から上京してきた高偏差値の女の子・岩倉美津未と、優しくてイケメンの男の子・志摩聡介。個性豊かで人間味のあるクラスメイトたち。クラスメイトとのリアルな距離感が描かれており、主人公の成長ではなく、周りの人々が主人公の影響で成長していく様子が重点的に描かれている。
起伏の少ない日常系アニメでは登場人物らの対話によって人間関係が構築されていく。そのため、日常系アニメにおいては登場人物らの人間性の差別化が重要であり、登場人物らの個性が強く描かれる傾向があるのではないかと考える。
また、作画は顔の影が少なく、色もベタ塗りのような感じである。線も薄茶色で温かみがあり、ほのぼのとした日常の雰囲気が表現されていると考える。

㉘『ホーンテッドマンション』(映画) 監督:ジャスティン・シミエン 2023年
医師でシングルマザーのギャビーは、ニューオーリンズの奥地に建つ不気味な洋館「ホーンテッドマンション」を破格の条件で手に入れ、9歳の息子のトラヴィスとともに引っ越してくる。しかし、一見すると豪華なこの新たなマイホームで、2人は想像を絶する怪奇現象に何度も遭遇する。そんな親子を救うため、超常現象専門家のベンを筆頭に、神父のケント、霊媒師のハリエット、歴史学者のブルースという個性的でクセの強いエキスパートたちが集結し、館の謎を解き明かしていく。

本作の演出と、内容についてそれぞれ考察する。
まず、映画の演出について考察する。
監督のジャスティン・シミエンはディズニーランドの元キャストであり、そのこだわりが本作に強く出ている。
例えば、幽霊たちが食堂で踊るシーンでは、幽霊たちを上から見下ろすようなカメラアングルになっている。このようにアトラクションの再現が時折挟み込まれていて、アトラクションに乗っているような躍動感を味わうことができる。
また、登場する亡霊はエジプトのミイラや中国のキョンシーをモチーフにしたものもあり、多国籍を表現している。
本作においてミュージカル要素はないが、効果音にヴァイオリン、ビオラ、ピアノなどの楽器が使われており、音楽の要素を感じ取ることができる。
次に、内容の考察をする。
ホーンテッドマンションの怪奇現象はハットボックス・ゴーストという1人の霊によるものであった。
ハットボックス・ゴーストは1000人目の死者を出して、ホーンテッドマンションにかけられた呪いを完全なものにしようとする。その標的となるのが、深い悲しみを持つ人間である。ハットボックス・ゴーストは、大切な人を亡くした悲しみにつけ込んで、人を死の世界へ誘おうとする。
そこでベンとトラヴィスが標的となったが、2人はそれを仲間の存在によって乗り越える。
死の悲しみを乗り越えた先に、その人の生があること。そのためには、寄り添ってくれる仲間が必要であること。また、自分の弱みを打ち明ける勇気と、過去と向き合う勇気を描いていると考える。


㉙『アルジャーノンに花束を』新版 (小説) ダニエル・キイス 訳:小尾美佐 2015年
32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に大学の先生が頭をよくしてくれるという、夢のような話が舞い込んできた。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく。
天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して人の心の真実について知っていく。

本作はチャーリイによる日記形式となっている。そのため、チャーリイの知能指数の状態よって文体が変化する。
例えば、冒頭部分の文字は全て平仮名で書かれており稚拙な文章であるが、知能が上がるにつれて漢字が多くなる。 また内容も、冒頭部分はチャーリイが見たものがそのまま描写された感想文のようなものに対し、知能が高まるにつれ自身や周囲の人々の行動に隠された内面の分析が描写される。
これによって、知能の差によって見える世界が異なることやチャーリイが感じる孤独感など、チャーリイ自身の心情が感覚的に読者へと共有されると考える。
また、チャーリイは知能が上がることで自身のコンプレックスを解消できると考えていたが、良いことだらけでは無かった。
知能が高いほど生きやすくなるのではなく、社会で生きていくには、協調性や他者に対する思いやりの心など、その人自身の人間性が重要であることを示唆していると考える。


㉚『The Mask』(映画)監督:チャック・ラッセル1994年

銀行員のスタンリー・イプキスは引っ込み思案な性格をしている。しかし、「マスク」を被れば陽気に動き回り、ヒーローにもなれてしまう。謎の仮面で気になる美女・ティナを口説いたり、悪者をこらしめたり、普段のスタンリーにはできないことができるようになる。
「マスク」をしなければスタンリーはステキな人になれないのか、が問われている作品である。

本作で印象に残ったのは、スタンリーがマスクを被ったあとのカートゥーンのような動きである。
例えば、驚いた時には眼球が飛び出て、長い舌を突き出す演出や、胸からハート型の心臓が飛び出してドキドキする演出など、アメリカのカートゥーンを彷彿させる。
スタンリーが家でくつろぎながらカートゥーンを観ている場面から、それがマスクを被ったあとの言動に影響していると考える。
このように、スタンリーはマスクを被るとおちゃらけた性格に変貌するが、悪事を働く者たちを懲らしめるなど、ヒーローとしての活躍も見せる。
それはこの仮面が、神話のロキを型どったものであることに由来していると考える。
ロキは、北欧神話の世界でトリックスターの役割を果たしている神であり、悪ふざけや陰謀、挑発などを好んで人を騙す性格をしているが、神や人間を助ける面も持つ。
このようなロキが持つ二面性と、人間が持つ二面性が重ねられていると考える。
仮面は自分の欲望を隠し、表ヅラを良く見せるために被るものであると考える。
しかし、本作ではマスクが本心をさらけ出すものとして機能することで、表面に出ている人間性だけでなく、心の奥にある人間性も理解し、愛し、愛されることが重要であることを物語っていると考える。
2023/09/24(日) 20:26 No.1981 EDIT DEL
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