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山中 拓実
RES
3年 山中 拓実
春休み課題 10~20
11.『ef - the first tale』(minori)
<あらすじ>クリスマスの夜、雨宮優子は教会にいた。火村夕が在りし日の約束を果たすべく教会に訪れたことで、2人は再会を果たす。彼を懐かしむ優子。それから彼女は今からちょうど1年前に教会を訪れた「広野紘」について語り始める。
<考察>新海誠がオープニングアニメーションの監督を担当したことで知られる作品。本作ではムービーが多用され、事実そのクオリティは高い。背景描写なども同時代の作品とは比較にならないほどの出来栄えである。ただ、プレイヤーの任意で進めることのできるテキスト部分とは異なり一切スキップできないため、恐ろしくテンポが悪い。本作の説明には「斬新かつ映画的手法を取り入れた演出」とある。実際、場面転換にマッチカットなどの手法が再現されており非常に自然である。例えば、宮村が進路希望調査票を丸めて投げ捨てたときに切り替わり、広野が原稿を丸め捨てたところに代わる。
本作のジャンルは「インタラクティブ・ノベル」である。それは何か。その答えはminoriの初作にあたる『BITTERSWEET FOOLS』の説明文にある。ここに引用する。
「“インタラクティブ・ノベル”である本作では、プレイヤーは従来のゲームに多くあった「主人公=プレイヤー」というスタイルではなく、言わば映画の観客のようなポジションで、幾つもの物語を紐解いて行く事になります。」
この「主人公=プレイヤー」では主人公は簡素に描かれるもしくは、そもそも絵が存在しないこともある。これらでは主人公ではなくヒロインに常にスポットが充てられるため、本作では主人公もストーリーに登場人物として参加するというのが正しいだろう。広野自身にもしっかりと立ち絵が用意され、イベントCGでのアニメーション、背景への映り込みなどヒロインとほとんど変わらないような待遇を受けている。
本作の主軸には宮村 みやこ・新藤 景・広野 紘の三角関係が置かれる。景は広野と幼馴染で、漫画家を目指し一生懸命な広野を見て景もバスケットボールにさらに精を出すようになった。そして2人は進学し、広野は同級生の宮村に出会った。宮村が広野と親密になったころ、景は宮村と屋上で話す。景は「やっぱり、努力してる人はなにもしてない人を認めませんよ。少なくとも、好きになるとは思えない」と突き放す。宣戦布告ととれるだろう。三角関係が終わると、雨宮の回想は終わりを告げる。そして2章に入り主人公は広野の悪友、京介に変更される。ここには本作がインタラクティブ・ノベルであることの特徴が非常に出ている。
12.『SNOW P・E』(StudioMebius)
<あらすじ>一年中雪の降り続ける龍神村。なぜ降り続けるのか。それは昔、とても悲しいことがあったから。閉ざされた、白の世界。遥か昔、空を司る龍の姫は地上の男に恋をした。しかし、それは叶わぬ恋であった。それから、龍は雪を降らせ続けた。それを村人たちは「悲恋の伝説」と呼び、降り止まぬ雪の冬の季節は今も続く。
従姉の経営する旅館の手伝いに来た主人公は、途中で事故に巻き込まれてしまう。しかし奇跡的に生きていた。事故の直後、ある少女は神社にお百度参りをしていたという。彼女こそ、彼方の帰りを10年もの間待ち続けていた雪月澄乃。彼女との悲恋の物語が始まる。
<考察>本作の舞台設定について。舞台である龍神村は若者が少なく、過疎化の進む村であるとの説明がある。また、本作は京都府美山町が制作においてその資料となったとされている。この町は2005年の合併により現在は「南丹市」の一部となっている。長光太志によれば美山町は2001年には65歳以上の人口が32.6%を記録した。これは超高齢社会の定義である21%を優に超える数値であり、本作の架空の村である龍神村も過疎化の進む設定はそれが反映されたものと考えられる。その原因を高度経済成長に伴う若者の都市部への流入と言ってしまうことなく、土着信仰と絡めた点について幻想的で素晴らしいと感じる。
長光太志.「世代別人口の増減から見る美山町の特徴」.佛大社会学.2016-03-20.40.P.63-73.
本作を制作した「Studio Mebius」自体には現在、実質的な動きはない。しかし、本作のプロジェクトに参加したメンバーが独立し「ゆずソフト(実際には法人化以前に「TEAM-EXODUS」として活動)」として活躍している。ゆずソフトは現在業界で抜群の知名度を誇り、若年層のユーザーからの支持の高いブランドである。また発売延期を行わないなど信頼も高く、シナリオよりもキャラクター萌えに特化した作品を作ることに定評がある。
13.『コイバナ恋愛』(ASa Project)
<あらすじ>主人公の通う男子校が廃校となり、生徒たちは女子校への編入となった。登校日、ドキドキしながらドアを開ける男子生徒たち、しかし「思ってたんとなんか違う!!!」な共学学園生活が待っていた。
だがそれは共学化デビューをしようとイメチェンした少女・乙女こころも同じだったようで。恋愛弱者たちが繰り広げる学園コメディのはじまり。
<考察>
本作における生徒会や部活の活用。
学園を舞台にした美少女ゲームのヒロインに最も多いのはおそらく同級生、次に後輩、先輩と続く。同級生は教室が一緒もしくは隣り、移動教室の席が近いなど自然にヒロインとの接点を作ることができる。また体育祭や文化祭でも学年ごとに行われるためにイベントを利用することもできる。
しかし、他学年であるとどうだろうか。『それは舞い散る桜のように』の森青葉のように近所に住まわせることで遭遇を自然にする方法もある。ただ通常行われるのは部活や生徒会、委員会といった他学年も所属する団体だろう。本作もその例にもれず、一学年下の夕暮常夜は生徒会に、先輩の春風めぐりはバスケ部に所属し、さらにはクラス委員なので生徒会に出入りしている。またこれによって主人公は授業を受けるだけで下校する日々を続ける旧来のゲームシステムからの脱却を果たしている。団体は曜日や出来事によっては放課後に主人公が半ば強制的に居残らなければならない状況を自然と作り出すことができる。
14.『夜が来る! -Square of the MOON- Remastered』(アリスソフト)
<あらすじ>3年前、突如として現れた2つ目の月、通称「真月」。しかし日が経つにつれて人はその存在を気にしなくなっていた。
最近件数を増やす異常犯罪。ある時、異形の化け物に襲われた主人公・羽村は赤い目をした少女・いずみに助けられた。彼女から誘われる。「一緒に戦ってほしいの」
いずみと羽村、そして蒼き夜を開く仲間たちとの戦いが始まる。
<考察>2001年に発売された作品のリマスター版。本作は現代伝記RPGと謳うだけあって、ソーラーパネルを全面に張り付けた高層ビルを物語の重要なオブジェクトとしている。この発想はどこから来たものなのかを考察する。
現代におけるソーラーパネルはその廃棄、気象災害による故障、施工にかかる費用などの問題が山積している。さらに水素エネルギーの登場もあり、その注目は凋落の一途をたどっている。しかし、本作の発売された2001年での扱いを見てみたい。90年代後半から00年代前半は日本企業がソーラーパネルを独占していた時代であった。2006年までシャープは太陽電池のシェア1位を獲得していた。
また住宅用太陽光発電の販売は93年から開始され、翌年からは国からの補助金が出るようになった。これにより、徐々に導入数は増加。さらに、岐阜県羽島市にはノアの箱舟をアイデアとした巨大太陽光発電施設「ソーラーアーク」が三洋電機によって98年に設計、2001年に竣工した。これは発電量の低いパネルが使用されている点、南からは西へ20度ズレていることからモニュメントを意図した部分が強いだろう。
これらのことから、本作が制作された当時ではソーラーパネルが次世代発電の期待の星であったことは想像に難くない。実際に壁面にソーラーパネルを貼り付けた巨大ビルは日本において2012年に東京工業大学が建設するまで待つことにはなる。
本作では非常に深い問いかけがさりげなく挿入される。終盤、町を包み込んだ永遠の夜が人々に永遠の夢を見させているとき、鏡花がマコトに語りかける。「もしこの夜が明けて、朝が訪れても、それでも・・・」「夢の中に留まりたいと願う人は、たくさんいるんでしょうね」「私たちのしている事って、どれほどの人を救えるのかしら・・・」と。これには現代社会から逃げたいと願う人々が反映されているのだろう。また、この話が鏡花とマコトの2人で交わされることが重要である。鏡花には失踪したままの姉・ミサトがおり、マコトは火者ではない妹分のキララを光狩の被害に遭わせてしまった。そう、彼女らは現実から目を背けたいのだ。
「赤色」について。日本において赤は古代より神聖視された色である。それは太陽や血の色であり、魔除け・厄除けの効果があるとされる。実際に神社の鳥居、着物の配色にも使用される。しかし赤は同時に妖怪などの人外を表現するためにも使用される。例えば、ヤマタノオロチがその代表だろう。小川宏和によれば、日本語額における赤は光を表す「明」が語源であり、意味を共有し、また『万葉集』からは赤色には清浄性の意味がつけられているという。さらに天皇の行幸の際には赤幡が掲げられていた。
これらのことから、赤色には吉凶にかかわらず人知を超える力があると認識されていたと考えれられる。本作で人を超えた力を有する「火者」は火倉いずみのように赤い目を持っている。また、古代より夜や闇を払うものとして活動しているため、日本における赤色への認識と一致しているだろう。
小川宏和.「[論文] 赤幡考 : 日本古代における赤色の機能について」.国立歴史民俗博物館研究報告.国立歴史民俗博物館.第218集.2019-12-27.P.167-182
15.『弟切草』(チュンソフト)
〈あらすじ〉山道を車で走る二人の男女。奈美は、ある植物の群生を見つける。それは凄惨な事件の伝説で知られる「弟切草」であった。そのとき、車が故障。
車から降りた2人は近くに灯りを見つけ、近づく。そこはあたりを弟切草に覆われ、古びた洋館がそびえたっていた。迷い込んだ2人は運命やいかに。
〈考察〉本作はノベルゲームの始祖とされる「サウンドノベル」をたった一作で築き上げた知る人ぞ知る名作。30年以上前の古い作品だが、前述の評価から一度は触れておきたいと思いプレイした。
私は本作から多くのことを考察することができた。シナリオを担当した長坂秀佳は江戸川乱歩賞を受賞したことで知られる人物であり、多くのテレビ番組の脚本を担当している。本作はホラーであり、この後の多くの美少女ゲームがホラーテイストであったことには本作の影響があるだろう。
BGMは要所要所で使用されるのみで、その他ではSEのみが鳴るようになっている。当然、技術的な制約による仕様ではないだろう。考察としてホラー作品として電話のベルが鳴ること、シャワーから水が流れる音などが強調されることで緊張感を演出しているのだろう。またBGMが流れるシーンでは焦燥感や重要なシーンが非常にわかりやすく全体に緩急をつけることにも成功している。
特筆すべき点として、本作の機能には現在では普通だが当時としては珍しいものが多い。オートセーブ、制約は多いがバックログも搭載している。
本作は何度も繰り返しクリアーすることで選択肢が追加され、他のエンディングを見ることができるようになっている。そのため最初のプレイは1時間ほどであり、ボリューム自体は短編小説並みである。プレイ自体は容易と見ることもできなくはないが、さすがに短すぎるというのが本音である。ただ、長坂は説明書で「ゲームソフトでドラマが語れたら!」と記述している。そのため1時間というのはある意味では狙ったものではないだろうか。
16.『ヨスガノソラ』(Sphere)
<あらすじ>双子の兄妹・春日野 悠と穹はある日、かつて祖父母の住んでいた街に逃げるように移住した。そこには一つ上の依媛奈緒、叉依姫(さよりひめ)神社の氏子の家系である天女目 瑛といった2人にとって幼少期の仲間が変わらず住んでいた。
彼女たちとの再会と、成長した登場人物たちの抱える問題にぶつかっていく。
<考察>瑛の祖父が氏子であることについて。私は氏子をよく知らなかったのでここに記述する。氏子とは神社を支える場に立つものである。また、山田らは「氏子は崇敬対象である神社を維持・運営してきた存在」としている。さらに氏子は複数おり、経常費や維持費を捻出する立場でもある。しかし現代は祭礼の形骸化が進んでいるとしており、それらの継続が難しくなっていることを指摘している。
私はまた「氏子」が祖父であるというのに瑛は神社の家系であり、彼女自身は巫女であることに疑問に感じた。これは調べた結果判明したのだが、小規模の神社では氏子の少女が巫女の担当をすることはありふれたことであるそうなのだ。そのために瑛がこの状況であるのはそこまでおかしくないのだろう。このことから本作は神社、さらには神道への理解が他よりも優れていると感じた。また、キャラクターごとに知識に差があると人柄にしっかりと違いが出る。
山田 歩美, 加藤 雅大, 有賀 隆.「社会的紐帯としての神社祭礼の形式と運営の変容に関する研究」.都市計画論文集.55巻3号.2020-10-25.P.1159-1164
瑛は巫女として神楽舞の役目がある。題目は「開闢新地」。これは神社を舞台として彼女が「叉依姫」に扮し、民を悪の手から救う勧善懲悪な物語形式の舞となっている。
これ自体はフィクションであろうが、本作の舞台となっている栃木県の樺崎八幡宮には「太々神楽」と呼ばれる神楽舞がある。実際に氏子が奉納や模擬店を運営する。ただ題目は完全に変更されている。この太々神楽は伊勢から伝わったとされているので伊勢流神楽の発展形だと考えるのが妥当であるが、本作では瑛が巫女の格好で登場するので「巫女神楽」の一つだろう。
17.『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』(エルフ)
<あらすじ>日本史研究者の父が落石事故で亡くなった。時を同じくして、家に小包が届く。中には見たこともない鏡とガラス玉のはまった物体が入っていた。それとともに手紙が入っており、それは父が自分にあてたものであった。「過去から現代へと至る道が、唯一無二の、一つの道ではないとしたら、どうか。」
歴史は繰り返さないが、時の流れは可逆であるという。父は死んでおらず、時をさかのぼったというのだ。
そして物体は時間を、可逆可能とする装置であった。これはタイムマシンではない。時間を移動したとして、その先は唯一無二の場所ではないからだ。主人公は父を探す旅を始める。
<考察>『動物化するポストモダン』でも紹介されている作品。分岐を可視化し、特性を利用したストーリーとしたことが重要である。分岐を意図的に遡ることができるようになっているなど、世界観にしっかりと労力を割いている。実際に遡って別の行動をとると、登場人物たちの反応や主人公への態度が大きく変わるようになっている。プレイヤーとしても疑似体験しているような感覚になるので満足感の高い作品である。しかしほとんどノーヒントであるので難しい。
18.『ATRI -My Dear Moments-』(ANIPLEX.EXE)
<あらすじ>「この星は沈みゆこうとしている」原因不明の海面上昇で、地球沿岸部の大半は海に呑まれた。さらに人口減少が加速度的に進むこの世界で生きる主人公・夏生。
彼は海洋地質学者であった亡き祖母が遺した遺産を見つけるべく、今日もかつての都市に潜っていた。そこで見つけたのは棺のようなものであった。やっとのことで掬い上げると中からは少女の姿をしたヒューマノイドが現れた。彼女こそが祖母の遺した宝であった。
「私は見守る、沈みゆく地球を。滅びの運命に抗おうと、あがくヒトたちを。」
〈考察〉本作は発売がアニプレックスの新ブランド・ANIPLEX.EXEであり、制作はFrontwingと枕が行っている。双方、「グリザイアシリーズ」や「素晴らしき日々~不連続存在~」・「サクラノ詩」などの大作で知られる名高いメーカーのタッグによって生まれた作品。
主人公の設定は近年になってようやく現実の世代に沿ってきたという印象。本作の夏生は人口減少の最中に生まれ、大人たちの話す豊かな時代を知らない。それどころかそのまま海面上昇が起きてしまった。これは高度経済成長期やバブル期を知らない世代、すでに人口減少が始まっていたという記述から氷河期世代よりも後の世代と重ねることができるのではないか。現代の20代に向けた作品になっていると考えられる。
ただ、ロボット少女との邂逅譚というのは美少女ゲームでは25年以上前からある。はっきり言ってありきたり、ポピュラーな題材である。その最初の出世作は『To Heart』の「HMX-12マルチ」だろうが、彼女とアトリの比較をしてみたい。まず演出上において双方がロボットらしく見せる場面について。マルチはノートパソコンを使用した充電機能や耳にハリボテのアンテナ、ついでにその姉妹機に当たる「HMX-13セリオ」と製作者である「長瀬主任」がいた。このように容姿や環境によって人間ではないことを見せている。
しかし、アトリは打って変わる。彼女自身は見た目は人間そのものである。しかし彼女の行動や発言からそのロボットらしい部分が見えるようになっている。記憶を辿る時には「私のメモリーには…」と発言したり、「高性能ですから」と自慢げに話したりする。またそのボディ、運動能力は人間を遥かに凌駕しており、主人公を抱えて橋から飛び移ろうとしたり、痛覚こそあるようだがダメージはほとんどない。また彼女は呼吸を必要としないため、海に落ちても多少驚くだけである。このように、人間とはかけ離れた姿を見せている。
これらのことから私は表現力の向上によってヒロインの外側からではなく、内面からの演出によって形作ることに成功していると感じた。
またアトリは義足の主人公を介抱するヒューマノイドである。彼は幻肢痛に悩まされているし、ある意味ではケアの物語として受容できる。主人公がうなされた夜、アトリは彼を介抱する。そのために幻肢痛が和らぎ、彼自身も安らぎを感じている。さらに結果として彼が一念発起し、再スタートをきることにもつながった。
これは、実際に足の代わりになるのではなく彼が必要している安心を満たすことで心のケアを行っていると考えることはできないだろうか。
設定上、主人公専用に作られていない義肢のために幻肢痛は起きていた。だが、住谷は患者の心理的要因は幻肢痛の発生頻度に影響するとし、さらに「日常生活で心理的ストレスを多く感じる患者ほど幻肢痛の発症頻度が高いことなどが報告されている。」としている。明言されることはないが、制作陣もこれを認識していたのではないだろうか。
住谷昌彦 幻肢痛 脳科学辞典 DOI:10.14931/bsd.2324 (2014)
19.『ときめきメモリアル Girl's Side 4th Heart』(コナミ)
〈あらすじ〉この春、「はばたき学園」に入学した主人公。時を同じく、主人公には小学校以来にイギリスから帰ってきた幼馴染・風真玲太と再会した。彼とは幼少期に願い事をのせて願いが叶うといわれている風車を回していた。彼との再会。
同級生、幼馴染、はたまた教師と主人公のハチャメチャな恋愛譚が幕を開ける。
〈考察〉美少女ゲーム、所謂アドベンチャーやノベルタイプの作品は男性向けのみならず女性向け作品も根強い人気がある。現在では男性向け作品が家庭用ゲーム機に移植されることは減少し、ゲーム業界の重鎮である「コナミデジタルエンタテインメント」が『ときめきメモリアル Girl's Side』シリーズを手かげているためその知名度は逆転していると言って差し支えないだろう。
本作を開始してまず驚いたのはその演出力。基本的なシステムはオーソドックスであるのだが、立ち絵を動かすLive 2Dの質が高い。また、ときめきメモリアルシリーズといえば主人公の能力をコマンド選択によって上昇させていくシミュレーションの要素が大部分を占める。そのUIのピクトグラムも洗練されていて一目で内容がわかる。
しかし、ADVとしては「足りない」と感じるシステムもある。例えば、バックログ。これはすでに読んでしまったテキストをその場で読み直すことができる機能であるが、本作には搭載されていない。だが、これについては本シリーズがコマンド選択とノベル部分を交互に行き来するシステムをとっているためさほど問題にはならないだろう。
次に既読スキップ機能。これはすでに読んでしまったテキストのみをスキップできるものである。未読と既読の違いが明確になり、既読の文章をまた読むことなく周回できるため美少女ゲームでは重宝される。特定のボタンを押すことでスキップ自体は可能だがこちらも搭載されていないようだ。
20.『AIR』(KEy)
<あらすじ>ある、暑い暑い夏の日。身寄りのない主人公は、旅を続けていた。彼は法術、簡単な魔法で人形劇を見せ、日銭を稼いでいた。だが、ついにこの田舎町で金が底をついた。旅の目的は亡き母から聞かされた「空の夢」を見ること。そこには翼を生やした少女がいるという。
主人公を拾った神尾観鈴とその母、橋で出会った霧島佳乃とその姉。配線になった駅で出会った遠野美凪。心に穴が開いたままの登場人物たちの運命は。夢の真相は。
<考察>本作のテーマは「親子愛」だろう。様々な親子関係が登場する。本作では観鈴のような母子家庭、主人公のような天涯孤独、佳乃のように両親とは死別した姉との二人暮らしなどがある。そのため、主人公の情報の割合が非常に少ない。各ヒロインの家庭環境についての内容が大半を占めている。またそれ以外にも、ヒロインの語りや日常生活を見ることが多い。そのためにプレイヤーは主人公に感情移入することが難しく、ヒロインに同調してしまう部分が大きいだろう。
主人公はぶっきらぼうで、プライドが高く、少なくとも善良ではない。それに素直に謝ることができない。そのため、本作の選択肢では、彼の性格とは正反対の「正直に話す」や理不尽ともいえる提案に「素直にうなずく」などを選ぶことが攻略の鍵になってくる。
春休み課題 10~20
11.『ef - the first tale』(minori)
<あらすじ>クリスマスの夜、雨宮優子は教会にいた。火村夕が在りし日の約束を果たすべく教会に訪れたことで、2人は再会を果たす。彼を懐かしむ優子。それから彼女は今からちょうど1年前に教会を訪れた「広野紘」について語り始める。
<考察>新海誠がオープニングアニメーションの監督を担当したことで知られる作品。本作ではムービーが多用され、事実そのクオリティは高い。背景描写なども同時代の作品とは比較にならないほどの出来栄えである。ただ、プレイヤーの任意で進めることのできるテキスト部分とは異なり一切スキップできないため、恐ろしくテンポが悪い。本作の説明には「斬新かつ映画的手法を取り入れた演出」とある。実際、場面転換にマッチカットなどの手法が再現されており非常に自然である。例えば、宮村が進路希望調査票を丸めて投げ捨てたときに切り替わり、広野が原稿を丸め捨てたところに代わる。
本作のジャンルは「インタラクティブ・ノベル」である。それは何か。その答えはminoriの初作にあたる『BITTERSWEET FOOLS』の説明文にある。ここに引用する。
「“インタラクティブ・ノベル”である本作では、プレイヤーは従来のゲームに多くあった「主人公=プレイヤー」というスタイルではなく、言わば映画の観客のようなポジションで、幾つもの物語を紐解いて行く事になります。」
この「主人公=プレイヤー」では主人公は簡素に描かれるもしくは、そもそも絵が存在しないこともある。これらでは主人公ではなくヒロインに常にスポットが充てられるため、本作では主人公もストーリーに登場人物として参加するというのが正しいだろう。広野自身にもしっかりと立ち絵が用意され、イベントCGでのアニメーション、背景への映り込みなどヒロインとほとんど変わらないような待遇を受けている。
本作の主軸には宮村 みやこ・新藤 景・広野 紘の三角関係が置かれる。景は広野と幼馴染で、漫画家を目指し一生懸命な広野を見て景もバスケットボールにさらに精を出すようになった。そして2人は進学し、広野は同級生の宮村に出会った。宮村が広野と親密になったころ、景は宮村と屋上で話す。景は「やっぱり、努力してる人はなにもしてない人を認めませんよ。少なくとも、好きになるとは思えない」と突き放す。宣戦布告ととれるだろう。三角関係が終わると、雨宮の回想は終わりを告げる。そして2章に入り主人公は広野の悪友、京介に変更される。ここには本作がインタラクティブ・ノベルであることの特徴が非常に出ている。
12.『SNOW P・E』(StudioMebius)
<あらすじ>一年中雪の降り続ける龍神村。なぜ降り続けるのか。それは昔、とても悲しいことがあったから。閉ざされた、白の世界。遥か昔、空を司る龍の姫は地上の男に恋をした。しかし、それは叶わぬ恋であった。それから、龍は雪を降らせ続けた。それを村人たちは「悲恋の伝説」と呼び、降り止まぬ雪の冬の季節は今も続く。
従姉の経営する旅館の手伝いに来た主人公は、途中で事故に巻き込まれてしまう。しかし奇跡的に生きていた。事故の直後、ある少女は神社にお百度参りをしていたという。彼女こそ、彼方の帰りを10年もの間待ち続けていた雪月澄乃。彼女との悲恋の物語が始まる。
<考察>本作の舞台設定について。舞台である龍神村は若者が少なく、過疎化の進む村であるとの説明がある。また、本作は京都府美山町が制作においてその資料となったとされている。この町は2005年の合併により現在は「南丹市」の一部となっている。長光太志によれば美山町は2001年には65歳以上の人口が32.6%を記録した。これは超高齢社会の定義である21%を優に超える数値であり、本作の架空の村である龍神村も過疎化の進む設定はそれが反映されたものと考えられる。その原因を高度経済成長に伴う若者の都市部への流入と言ってしまうことなく、土着信仰と絡めた点について幻想的で素晴らしいと感じる。
長光太志.「世代別人口の増減から見る美山町の特徴」.佛大社会学.2016-03-20.40.P.63-73.
本作を制作した「Studio Mebius」自体には現在、実質的な動きはない。しかし、本作のプロジェクトに参加したメンバーが独立し「ゆずソフト(実際には法人化以前に「TEAM-EXODUS」として活動)」として活躍している。ゆずソフトは現在業界で抜群の知名度を誇り、若年層のユーザーからの支持の高いブランドである。また発売延期を行わないなど信頼も高く、シナリオよりもキャラクター萌えに特化した作品を作ることに定評がある。
13.『コイバナ恋愛』(ASa Project)
<あらすじ>主人公の通う男子校が廃校となり、生徒たちは女子校への編入となった。登校日、ドキドキしながらドアを開ける男子生徒たち、しかし「思ってたんとなんか違う!!!」な共学学園生活が待っていた。
だがそれは共学化デビューをしようとイメチェンした少女・乙女こころも同じだったようで。恋愛弱者たちが繰り広げる学園コメディのはじまり。
<考察>
本作における生徒会や部活の活用。
学園を舞台にした美少女ゲームのヒロインに最も多いのはおそらく同級生、次に後輩、先輩と続く。同級生は教室が一緒もしくは隣り、移動教室の席が近いなど自然にヒロインとの接点を作ることができる。また体育祭や文化祭でも学年ごとに行われるためにイベントを利用することもできる。
しかし、他学年であるとどうだろうか。『それは舞い散る桜のように』の森青葉のように近所に住まわせることで遭遇を自然にする方法もある。ただ通常行われるのは部活や生徒会、委員会といった他学年も所属する団体だろう。本作もその例にもれず、一学年下の夕暮常夜は生徒会に、先輩の春風めぐりはバスケ部に所属し、さらにはクラス委員なので生徒会に出入りしている。またこれによって主人公は授業を受けるだけで下校する日々を続ける旧来のゲームシステムからの脱却を果たしている。団体は曜日や出来事によっては放課後に主人公が半ば強制的に居残らなければならない状況を自然と作り出すことができる。
14.『夜が来る! -Square of the MOON- Remastered』(アリスソフト)
<あらすじ>3年前、突如として現れた2つ目の月、通称「真月」。しかし日が経つにつれて人はその存在を気にしなくなっていた。
最近件数を増やす異常犯罪。ある時、異形の化け物に襲われた主人公・羽村は赤い目をした少女・いずみに助けられた。彼女から誘われる。「一緒に戦ってほしいの」
いずみと羽村、そして蒼き夜を開く仲間たちとの戦いが始まる。
<考察>2001年に発売された作品のリマスター版。本作は現代伝記RPGと謳うだけあって、ソーラーパネルを全面に張り付けた高層ビルを物語の重要なオブジェクトとしている。この発想はどこから来たものなのかを考察する。
現代におけるソーラーパネルはその廃棄、気象災害による故障、施工にかかる費用などの問題が山積している。さらに水素エネルギーの登場もあり、その注目は凋落の一途をたどっている。しかし、本作の発売された2001年での扱いを見てみたい。90年代後半から00年代前半は日本企業がソーラーパネルを独占していた時代であった。2006年までシャープは太陽電池のシェア1位を獲得していた。
また住宅用太陽光発電の販売は93年から開始され、翌年からは国からの補助金が出るようになった。これにより、徐々に導入数は増加。さらに、岐阜県羽島市にはノアの箱舟をアイデアとした巨大太陽光発電施設「ソーラーアーク」が三洋電機によって98年に設計、2001年に竣工した。これは発電量の低いパネルが使用されている点、南からは西へ20度ズレていることからモニュメントを意図した部分が強いだろう。
これらのことから、本作が制作された当時ではソーラーパネルが次世代発電の期待の星であったことは想像に難くない。実際に壁面にソーラーパネルを貼り付けた巨大ビルは日本において2012年に東京工業大学が建設するまで待つことにはなる。
本作では非常に深い問いかけがさりげなく挿入される。終盤、町を包み込んだ永遠の夜が人々に永遠の夢を見させているとき、鏡花がマコトに語りかける。「もしこの夜が明けて、朝が訪れても、それでも・・・」「夢の中に留まりたいと願う人は、たくさんいるんでしょうね」「私たちのしている事って、どれほどの人を救えるのかしら・・・」と。これには現代社会から逃げたいと願う人々が反映されているのだろう。また、この話が鏡花とマコトの2人で交わされることが重要である。鏡花には失踪したままの姉・ミサトがおり、マコトは火者ではない妹分のキララを光狩の被害に遭わせてしまった。そう、彼女らは現実から目を背けたいのだ。
「赤色」について。日本において赤は古代より神聖視された色である。それは太陽や血の色であり、魔除け・厄除けの効果があるとされる。実際に神社の鳥居、着物の配色にも使用される。しかし赤は同時に妖怪などの人外を表現するためにも使用される。例えば、ヤマタノオロチがその代表だろう。小川宏和によれば、日本語額における赤は光を表す「明」が語源であり、意味を共有し、また『万葉集』からは赤色には清浄性の意味がつけられているという。さらに天皇の行幸の際には赤幡が掲げられていた。
これらのことから、赤色には吉凶にかかわらず人知を超える力があると認識されていたと考えれられる。本作で人を超えた力を有する「火者」は火倉いずみのように赤い目を持っている。また、古代より夜や闇を払うものとして活動しているため、日本における赤色への認識と一致しているだろう。
小川宏和.「[論文] 赤幡考 : 日本古代における赤色の機能について」.国立歴史民俗博物館研究報告.国立歴史民俗博物館.第218集.2019-12-27.P.167-182
15.『弟切草』(チュンソフト)
〈あらすじ〉山道を車で走る二人の男女。奈美は、ある植物の群生を見つける。それは凄惨な事件の伝説で知られる「弟切草」であった。そのとき、車が故障。
車から降りた2人は近くに灯りを見つけ、近づく。そこはあたりを弟切草に覆われ、古びた洋館がそびえたっていた。迷い込んだ2人は運命やいかに。
〈考察〉本作はノベルゲームの始祖とされる「サウンドノベル」をたった一作で築き上げた知る人ぞ知る名作。30年以上前の古い作品だが、前述の評価から一度は触れておきたいと思いプレイした。
私は本作から多くのことを考察することができた。シナリオを担当した長坂秀佳は江戸川乱歩賞を受賞したことで知られる人物であり、多くのテレビ番組の脚本を担当している。本作はホラーであり、この後の多くの美少女ゲームがホラーテイストであったことには本作の影響があるだろう。
BGMは要所要所で使用されるのみで、その他ではSEのみが鳴るようになっている。当然、技術的な制約による仕様ではないだろう。考察としてホラー作品として電話のベルが鳴ること、シャワーから水が流れる音などが強調されることで緊張感を演出しているのだろう。またBGMが流れるシーンでは焦燥感や重要なシーンが非常にわかりやすく全体に緩急をつけることにも成功している。
特筆すべき点として、本作の機能には現在では普通だが当時としては珍しいものが多い。オートセーブ、制約は多いがバックログも搭載している。
本作は何度も繰り返しクリアーすることで選択肢が追加され、他のエンディングを見ることができるようになっている。そのため最初のプレイは1時間ほどであり、ボリューム自体は短編小説並みである。プレイ自体は容易と見ることもできなくはないが、さすがに短すぎるというのが本音である。ただ、長坂は説明書で「ゲームソフトでドラマが語れたら!」と記述している。そのため1時間というのはある意味では狙ったものではないだろうか。
16.『ヨスガノソラ』(Sphere)
<あらすじ>双子の兄妹・春日野 悠と穹はある日、かつて祖父母の住んでいた街に逃げるように移住した。そこには一つ上の依媛奈緒、叉依姫(さよりひめ)神社の氏子の家系である天女目 瑛といった2人にとって幼少期の仲間が変わらず住んでいた。
彼女たちとの再会と、成長した登場人物たちの抱える問題にぶつかっていく。
<考察>瑛の祖父が氏子であることについて。私は氏子をよく知らなかったのでここに記述する。氏子とは神社を支える場に立つものである。また、山田らは「氏子は崇敬対象である神社を維持・運営してきた存在」としている。さらに氏子は複数おり、経常費や維持費を捻出する立場でもある。しかし現代は祭礼の形骸化が進んでいるとしており、それらの継続が難しくなっていることを指摘している。
私はまた「氏子」が祖父であるというのに瑛は神社の家系であり、彼女自身は巫女であることに疑問に感じた。これは調べた結果判明したのだが、小規模の神社では氏子の少女が巫女の担当をすることはありふれたことであるそうなのだ。そのために瑛がこの状況であるのはそこまでおかしくないのだろう。このことから本作は神社、さらには神道への理解が他よりも優れていると感じた。また、キャラクターごとに知識に差があると人柄にしっかりと違いが出る。
山田 歩美, 加藤 雅大, 有賀 隆.「社会的紐帯としての神社祭礼の形式と運営の変容に関する研究」.都市計画論文集.55巻3号.2020-10-25.P.1159-1164
瑛は巫女として神楽舞の役目がある。題目は「開闢新地」。これは神社を舞台として彼女が「叉依姫」に扮し、民を悪の手から救う勧善懲悪な物語形式の舞となっている。
これ自体はフィクションであろうが、本作の舞台となっている栃木県の樺崎八幡宮には「太々神楽」と呼ばれる神楽舞がある。実際に氏子が奉納や模擬店を運営する。ただ題目は完全に変更されている。この太々神楽は伊勢から伝わったとされているので伊勢流神楽の発展形だと考えるのが妥当であるが、本作では瑛が巫女の格好で登場するので「巫女神楽」の一つだろう。
17.『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』(エルフ)
<あらすじ>日本史研究者の父が落石事故で亡くなった。時を同じくして、家に小包が届く。中には見たこともない鏡とガラス玉のはまった物体が入っていた。それとともに手紙が入っており、それは父が自分にあてたものであった。「過去から現代へと至る道が、唯一無二の、一つの道ではないとしたら、どうか。」
歴史は繰り返さないが、時の流れは可逆であるという。父は死んでおらず、時をさかのぼったというのだ。
そして物体は時間を、可逆可能とする装置であった。これはタイムマシンではない。時間を移動したとして、その先は唯一無二の場所ではないからだ。主人公は父を探す旅を始める。
<考察>『動物化するポストモダン』でも紹介されている作品。分岐を可視化し、特性を利用したストーリーとしたことが重要である。分岐を意図的に遡ることができるようになっているなど、世界観にしっかりと労力を割いている。実際に遡って別の行動をとると、登場人物たちの反応や主人公への態度が大きく変わるようになっている。プレイヤーとしても疑似体験しているような感覚になるので満足感の高い作品である。しかしほとんどノーヒントであるので難しい。
18.『ATRI -My Dear Moments-』(ANIPLEX.EXE)
<あらすじ>「この星は沈みゆこうとしている」原因不明の海面上昇で、地球沿岸部の大半は海に呑まれた。さらに人口減少が加速度的に進むこの世界で生きる主人公・夏生。
彼は海洋地質学者であった亡き祖母が遺した遺産を見つけるべく、今日もかつての都市に潜っていた。そこで見つけたのは棺のようなものであった。やっとのことで掬い上げると中からは少女の姿をしたヒューマノイドが現れた。彼女こそが祖母の遺した宝であった。
「私は見守る、沈みゆく地球を。滅びの運命に抗おうと、あがくヒトたちを。」
〈考察〉本作は発売がアニプレックスの新ブランド・ANIPLEX.EXEであり、制作はFrontwingと枕が行っている。双方、「グリザイアシリーズ」や「素晴らしき日々~不連続存在~」・「サクラノ詩」などの大作で知られる名高いメーカーのタッグによって生まれた作品。
主人公の設定は近年になってようやく現実の世代に沿ってきたという印象。本作の夏生は人口減少の最中に生まれ、大人たちの話す豊かな時代を知らない。それどころかそのまま海面上昇が起きてしまった。これは高度経済成長期やバブル期を知らない世代、すでに人口減少が始まっていたという記述から氷河期世代よりも後の世代と重ねることができるのではないか。現代の20代に向けた作品になっていると考えられる。
ただ、ロボット少女との邂逅譚というのは美少女ゲームでは25年以上前からある。はっきり言ってありきたり、ポピュラーな題材である。その最初の出世作は『To Heart』の「HMX-12マルチ」だろうが、彼女とアトリの比較をしてみたい。まず演出上において双方がロボットらしく見せる場面について。マルチはノートパソコンを使用した充電機能や耳にハリボテのアンテナ、ついでにその姉妹機に当たる「HMX-13セリオ」と製作者である「長瀬主任」がいた。このように容姿や環境によって人間ではないことを見せている。
しかし、アトリは打って変わる。彼女自身は見た目は人間そのものである。しかし彼女の行動や発言からそのロボットらしい部分が見えるようになっている。記憶を辿る時には「私のメモリーには…」と発言したり、「高性能ですから」と自慢げに話したりする。またそのボディ、運動能力は人間を遥かに凌駕しており、主人公を抱えて橋から飛び移ろうとしたり、痛覚こそあるようだがダメージはほとんどない。また彼女は呼吸を必要としないため、海に落ちても多少驚くだけである。このように、人間とはかけ離れた姿を見せている。
これらのことから私は表現力の向上によってヒロインの外側からではなく、内面からの演出によって形作ることに成功していると感じた。
またアトリは義足の主人公を介抱するヒューマノイドである。彼は幻肢痛に悩まされているし、ある意味ではケアの物語として受容できる。主人公がうなされた夜、アトリは彼を介抱する。そのために幻肢痛が和らぎ、彼自身も安らぎを感じている。さらに結果として彼が一念発起し、再スタートをきることにもつながった。
これは、実際に足の代わりになるのではなく彼が必要している安心を満たすことで心のケアを行っていると考えることはできないだろうか。
設定上、主人公専用に作られていない義肢のために幻肢痛は起きていた。だが、住谷は患者の心理的要因は幻肢痛の発生頻度に影響するとし、さらに「日常生活で心理的ストレスを多く感じる患者ほど幻肢痛の発症頻度が高いことなどが報告されている。」としている。明言されることはないが、制作陣もこれを認識していたのではないだろうか。
住谷昌彦 幻肢痛 脳科学辞典 DOI:10.14931/bsd.2324 (2014)
19.『ときめきメモリアル Girl's Side 4th Heart』(コナミ)
〈あらすじ〉この春、「はばたき学園」に入学した主人公。時を同じく、主人公には小学校以来にイギリスから帰ってきた幼馴染・風真玲太と再会した。彼とは幼少期に願い事をのせて願いが叶うといわれている風車を回していた。彼との再会。
同級生、幼馴染、はたまた教師と主人公のハチャメチャな恋愛譚が幕を開ける。
〈考察〉美少女ゲーム、所謂アドベンチャーやノベルタイプの作品は男性向けのみならず女性向け作品も根強い人気がある。現在では男性向け作品が家庭用ゲーム機に移植されることは減少し、ゲーム業界の重鎮である「コナミデジタルエンタテインメント」が『ときめきメモリアル Girl's Side』シリーズを手かげているためその知名度は逆転していると言って差し支えないだろう。
本作を開始してまず驚いたのはその演出力。基本的なシステムはオーソドックスであるのだが、立ち絵を動かすLive 2Dの質が高い。また、ときめきメモリアルシリーズといえば主人公の能力をコマンド選択によって上昇させていくシミュレーションの要素が大部分を占める。そのUIのピクトグラムも洗練されていて一目で内容がわかる。
しかし、ADVとしては「足りない」と感じるシステムもある。例えば、バックログ。これはすでに読んでしまったテキストをその場で読み直すことができる機能であるが、本作には搭載されていない。だが、これについては本シリーズがコマンド選択とノベル部分を交互に行き来するシステムをとっているためさほど問題にはならないだろう。
次に既読スキップ機能。これはすでに読んでしまったテキストのみをスキップできるものである。未読と既読の違いが明確になり、既読の文章をまた読むことなく周回できるため美少女ゲームでは重宝される。特定のボタンを押すことでスキップ自体は可能だがこちらも搭載されていないようだ。
20.『AIR』(KEy)
<あらすじ>ある、暑い暑い夏の日。身寄りのない主人公は、旅を続けていた。彼は法術、簡単な魔法で人形劇を見せ、日銭を稼いでいた。だが、ついにこの田舎町で金が底をついた。旅の目的は亡き母から聞かされた「空の夢」を見ること。そこには翼を生やした少女がいるという。
主人公を拾った神尾観鈴とその母、橋で出会った霧島佳乃とその姉。配線になった駅で出会った遠野美凪。心に穴が開いたままの登場人物たちの運命は。夢の真相は。
<考察>本作のテーマは「親子愛」だろう。様々な親子関係が登場する。本作では観鈴のような母子家庭、主人公のような天涯孤独、佳乃のように両親とは死別した姉との二人暮らしなどがある。そのため、主人公の情報の割合が非常に少ない。各ヒロインの家庭環境についての内容が大半を占めている。またそれ以外にも、ヒロインの語りや日常生活を見ることが多い。そのためにプレイヤーは主人公に感情移入することが難しく、ヒロインに同調してしまう部分が大きいだろう。
主人公はぶっきらぼうで、プライドが高く、少なくとも善良ではない。それに素直に謝ることができない。そのため、本作の選択肢では、彼の性格とは正反対の「正直に話す」や理不尽ともいえる提案に「素直にうなずく」などを選ぶことが攻略の鍵になってくる。
山中 拓実
RES
3年 山中 拓実
春休み課題 1~10
1.『姫様、”拷問”の時間です』原作:春原ロビンソン 漫画:ひらけい
<あらすじ>王国の王女でありながら、第三騎士団の長を務める才色兼備の「姫」
しかし彼女は運悪く魔王軍の囚われの身となってしまう。最高拷問官のトーチャー・トルチュールは情報を聞き出すべく、彼女を拷問にかけていくのであった。
<考察>グルメや温泉などで姫を篭絡し、役に立たない情報を吐かせていくギャグマンガ。考察として拷問の内容に着目した。「公園で遊ぶ」や「一緒にゲームをする」など一見、ただふざけたものに思えるが、その多くが姫が囚われる前に禁止されていたものである。そのため、実際に彼女の興味を引くには有効なものである。ある意味では、姫が周りの人間が普通に行ってきたことを遅れながらも獲得していく話と捉えることもできると感じた。
2.『江口さんはゲーム脳』作者:となりの岸田
<あらすじ>美少女ゲームを愛する高校生・江口真子。今日も今日とてオタク仲間と他愛のない話をしていた。しかし今日は違った。学年一のイケメンで文武両道。さらには「幼馴染」の王子 翔が真子を訪ねて現れた。まるでゲームのような急展開に驚きを隠せない彼女は共に屋上へ。
真子はそこでデッサンモデルを頼まれる。期待は大外れ。読者困惑のフラグ乱立系ラブコメ、今始まる。
<考察>本作は多くのパロディや共通認識がちりばめられている。それらから私は『動物化するポストモダン』で東浩紀が語っていた「萌え要素」を強く認識することができた。先述のパロディは名前やキャラクターの表情や台詞から推測することができるためわかりやすい。
しかし、共通認識は美少女ゲームをプレイしたことのある者しかわからないようなものばかりである。人物のポーズ、髪型、アクセサリー、台詞を読み上げる際のニュアンスなど。これらはある特定の出典があるというよりも「美少女ゲームらしい要素」であり、明文化されているわけではない。これらは「萌え要素」といって差支えないだろう。
3.『映画大好きポンポさん』(映画)配給:角川ANIMATION
<あらすじ>映画の都「ニャリウッド」で活躍する天才映画プロデューサー・ポンポさんのもとで働く青年・ジーン。屈指の映画通である彼は、同時に確固たる自分だけの映画の世界を持っていた。
彼を見込んだポンポさんは映画『MEISTER』の脚本を渡し、制作を任せることに。またその主演女優には、田舎から出てきた役者志望のナタリー・ウッドワードを指名。2人の過酷な映画製作が始まった。
<考察>本作の面白さとしてジーンが動画編集をするシーンがある。多く挿入されるのだが、そこでは彼自身がフィルムを斧のような武器で切り裂く演出がなされている。また、様々な映画のオマージュが見受けられ見ていて満足感も非常に高い。しかし全体の視点は制作者や映画オタクではなく、一般の観客に向けられている。
4.『WHITE ALBUM2 -introductory chapter-』(Leaf)
<あらすじ>軽音楽同好会に所属する北原春希。彼は学園祭でのコンサートに向け、準備を進めていたが、直前にしてメンバーの起こした痴情のもつれにより同好会は崩壊。そこで持ち前の生真面目さが働き、足りない担当のスカウトを始める。学園のアイドル・小木曽雪菜、天才ピアニストを母に持つ素行の悪い冬馬かずさをそれぞれボーカル、ピアノに加入させた。そして無事、コンサートは大成功に終わった。
学園祭が終わり、雪菜は春希に告白した。3人の関係は変化していく。
<考察>本作は『冴えない彼女の育てかた』や『パルフェ 〜ショコラ second brew〜』で知られる丸戸史明が脚本を担当した作品である。また本作は導入であり、後述の『WHITE ALBUM2 -closing chapter-』と合わせて作品は完成する。さらに、本シリーズは美少女ゲームにおける最高傑作と言われている。
特に目新しい点はないものの、とても丁寧に作られていると感じた。シナリオは痴情のもつれを収拾した主人公が痴情のもつれによって関係を崩壊させるいわば「ミイラ取りがミイラになる」ようなものであり、簡潔でわかりやすい。導入の作品としてとても良いと感じる。
雪菜がコンサートのラストナンバーとして作詞してきた「届かない恋」が本作の主題歌となっている。この詞には雪菜の春希との馴れ初めから恋心を抱いた後までの彼女の心が詳細に記されている。本作からは夏目漱石の長編小説『こゝろ』が連想されるとの指摘がある。先生は雪菜、親友のKをかずさ、お嬢さんを春希に重ねることができ、雪菜はかずさの想いを知っていながら出し抜くように春希に告白した。そしてそれぞれの心情の描写が非常に丁寧であるのも共通点だと思う。
5.『WHITE ALBUM2 -closing chapter-』(Leaf)
<あらすじ>峰城大学へ進学した春希は雪菜から逃げるような生活を送っていた。そこではマイペースな親友・和泉千晶とともに大学生活を送っていた。
しかし、ひょんなことから雪菜と再会。さらにバイト先である出版社の記事に「冬馬かずさ」の名前を発見。ピアニストになるべく、ウィーンに飛び立った彼女は、当初の期待を超える活躍を見せていた。さあ、WHITE ALBUMの季節を終わらせよう。
<考察>本シリーズは「精神的に参る作品である」や「プレイすることで体調不良に見舞われる」と言われる。私としても息が詰まるような非常に辛い内容で、幾度もプレイの続行ができなくなった。その理由について考察する。
前半は春希と千晶のかけ合いやアルバイトがコメディとして成り立っており、春希もいたって平穏な大学生活を送る。しかし、雪菜との再会を機に大きく変容する。彼女は少しでも春希と素直な関係を持ちたいがために、半ば自暴自棄になる。だが、そんな時でも春希は怒ることができず、なだめるばかり。そのため、本作でピックアップされるのは「怒ってくれる」ことである。相手のことが嫌いな場合を除いて、怒ることは相手を心配して、また素直に行われるものではないだろうか。そのため、雪菜は「自分をどの程度想っているか」の尺度として利用している。
後半になると、雪菜との関係修復に春希とともにプレイヤーも頭を抱えることに。その時に魅力的なサブヒロインに逃げ込むと当然、修復には失敗し八方塞がりになってしまう。この救いのない展開が待ち受けているため、プレイヤーが進むべき道は実質的に雪菜に縛られている。
6.『WHITE ALBUM2 -coda-』(Leaf)
<あらすじ>雪菜とよりを戻してから3年後の冬。それぞれ就職した2人は、多忙ながらも順風満帆といえる生活を送っていた。そんな中、春希がフランスに出張することに。雪菜も行きたいと出張の最終日、2人はストラスブールで落ち合う約束をしていた。また春希は、この地でプロポーズしようと意気込んでいた。
そんな彼のもとに、ある女性が現れる。それは、彼が5年もの間一瞬たりとも忘れることのできなかった想い人。WHITE ALBUMの季節がまた始まり、俺はまた嘘を重ね始める。
<考察>本シナリオは『WHITE ALBUM2 -closing chapter-』に収録されている本当の最終章である。私はプレイしている間の大半は頭痛がしていた。予測しうる最悪の展開が頭をもたげ、この先を知りたくないと感じていた。本作こそがシリーズの集大成であり、最も辛いものであった。しかし、かずさとのシナリオを読まずにはいられないのがここまでプレイしてきた者の性であろう。
舞台に海外であるフランスを盛り込み、主人公たちが成長したことを感じさせる。ただピアニストとして母とともに過ごしていたかずさは2人と比較して幼く見える。取り残されてしまっているような彼女ではあるのだが、本作ではそのかずさに焦点が当てられる。彼女自身も置き去りにされていることは感じており、その感情を露わにする。それがひどく切なく、また魅力的に映る。
7.『9-nine-ここのつここのかここのいろ』(ぱれっと)
<あらすじ>ある日、地元の神社に安置されていた神器の破損を皮切りにその都市に暮らす生徒たちが続々と特殊能力に目覚めた。主人公・新海翔のクラスメイトで優等生で御令嬢の九条 都も目覚める。
そこに能力を悪用したとみられる怪事件が続けざまに発生。彼女たちは命を賭けた事件解決に取り組む。
<考察>9-nine-シリーズの1作目。本作は全体において起承転結の起から承ととれる内容となっている。ナンバリングごとに焦点に当てるヒロインが定められており、本作では主人公のクラスメイトである九条都がピックアップされている。
本作は怪事件への導入を果たしつつも、九条の「人となり」を魅力的に見せている。彼女は「他人の所有物と所有権を奪うことができる」能力に目覚める。
なぜこの能力を得たのかを見ていくことで、その描き方を理解することができる。この能力の悪用がたやすいことは想像に難くないだろう。さらに本作の設定として、思い入れのある所有物が「アーティファクト」として所有者に能力を持たせる。このアーティファクトを盗むことができれば相手を無力化させることさえできてしまう。
このような能力を持っていながらも彼女は平和利用を志しており、仲間を助けるためや事件を解決するために使用する。そのため、能力は彼女の存在意義を底上げしているが、彼女自身が善人であることを強調している。そのためにヒロインを魅力的に見せることに成功していると感じる。
8.『9-nine-そらいろそらうたそらのおと』(ぱれっと)
<あらすじ>ある日、主人公の妹・天が「他人から存在を気づかれないようになる」能力に目覚めた。彼女は表面上では能力のない兄をからかいながらも、怪事件を追い続ける彼を助けられると喜んでおり、兄もその能力に頼りきりになっていた。しかしその矢先、兄の危機を救おうとした天の能力が暴走し巨大な厄災が訪れる。
<考察>本シリーズは4作が同じ世界を起点として各ヒロインをピックアップし、オリジナルの脚本が描かれる。そのため、本作は天が能力に目覚める地点から開始されている。主題に置かれたヒロインは物語だけでなく、新たな表情差分が7つ追加されているなどの優遇措置が設けられている。
今回は主人公の妹である「天(そら)」が選ばれた。それはなぜなのか。彼女の能力は対象の存在感を操るものだが、後半では彼女自身の存在が薄れるという悲劇に転じる。そこで兄は天のことを絶対に忘れないと約束する。
本シリーズの一本はあまり長くない。価格としてもロープライスなので当然ではあるのだが、この存在が薄れてしまうのが赤の他人から親交を深めたヒロインであったならどうだろうか。プレイヤーは短時間で急に構築された強いきずなについていけるだろうか。そのために生まれた時から常に共に過ごしてきた兄妹という関係性を利用することで、それらを払拭することを目指したのではないだろうかと考えた。
ノベルゲームにおいてある村や町の土着信仰をもとにした和製ファンタジーというストーリーは非常にオーソドックスなものであり、既に30年ほど利用されている。本作も例にもれず、白蛇を信仰対象としているのだが、その伝承をぬいぐるみ型のキャラクター・ソフィーティアを介して異世界とつなげてしまうとは斬新で面白いと感じた。
本作の評価点は天の軽口や主人公との掛け合いなどのシーンと能力者同士による生死の懸かったシリアスなシーンとのメリハリが非常に上手につけられていることであろう。それゆえにエンディングの感動も高まる。
9.『9-nine-はるいろはるこいこいのかぜ』(ぱれっと)
<あらすじ>香坂春風、主人公の先輩の3年生。普段の彼女はおとなしく、人見知りが激しいが能力を使うと一変。堂々とした大胆不敵なお嬢様に。彼女は能力を得た際に春風を助けるための二重人格として誕生した姿であった。
時を同じくして、九十九神社の巫女・成瀬沙月が神・イーリスを降ろすことができるようになる。彼女はソフィーティアと同じ容姿・声色をしていた。2人の関係は。事件の真相が明らかになる第3章、はじまる。
<考察>パラレルワールドの疑似体験について。
本シリーズは同じ舞台で別のヒロインを主体としたオリジナルの物語が描かれる。しかし巧妙なのは主人公が前作とは異なった行動を起こすことで作品世界内に別の世界線、所謂「パラレルワールド」を発現させていることだ。また、それを異世界の住人・ソフィーティアは「あなたの小さな選択が大勢に影響を与え、枝分かれを発生させている」と発言しているため、感知している。つまりプレイヤーは主人公の視点を持ちながら、キャラクターであるソフィーティアがメタ的視点を持っているということだ。
そのため本作は、プレイヤーが順当にシリーズを進めていくことでゲーム媒体を利用して疑似的にパラレルワールドを体験できるようになっているのである。
主観を利用した構成。
本作では氏神「イーリス」が登場し、これまで主人公たちを手助けしてきたソフィーティアが危険であると忠告してくる。ソフィーティアは能力者の所持する力の源・アーティファクトの回収が目的であるとして主人公に近づいたのだが、イーリスは本当に主人公たちだけを手助けしているのかと疑問を投げかけたのだ。ノベルゲームというゲームジャンルはその性質上、プレイヤーが主人公と同化し主観としてストーリーを進めていく物が多い。そのため、主人公が知り得た情報のみがそのままプレイヤーの考えに直結する。
そのため、ソフィーティアの視点に立つことは非常に困難であり気づきにくい。つまり、本作は媒体の特性を逆手に取っている。しかしこの問いかけはミスリードであり、プレイヤーはこのイーリスにまんまと騙されることになる。
実は本作、3作目にして初めて主人公のいない視点での会話が詳細に演出されている。それはソフィーティアに扮した敵と主人公の親友であり、一連の事件の首謀者・深沢与一の会話である。このことからもこれまで主観を重要視してきたというのは読み取れるだろう。
10.『彼方の人魚姫』(Wonder Fool)
<あらすじ>海に面した村に1人で暮らす波島伊月はある日、溺れた子供を助けようと入り江に飛び込んだ。しかし、彼自身も溺れてしまう。その時、海中から「人魚」が現れ、2人は助けられることとなる。人魚、それはこの村で古くから人を助ける神として信仰されてきた。また人魚には人の姿になってしまう奇怪な病があることも知られていた。
そして今年は、夏休みの直前に1人の人魚が陸に上がる。
<考察>葵は藍魚が綾音に似ていると感じ始める。考察として、既に亡くなっている綾音がどのような人物であったかを回想シーンなどでプレイヤーに説明するのではなく、人魚という話の本質をブレさせないためにも、あえて簡単に説明を施すのみにしているのではないか。
舞台が田舎であり、転校生が登場するのは美少女ゲームの定番のシチュエーションであるといってもよいだろう。しかし、そこにオリジナルの要素として「人魚」がある。他の作品でも村の風習として、ある特定の伝説や偶像をかつてより信仰してきたことはそれもまた定番であった。そのため、オリジナルにはなり切っていない部分もあると思った。
本作では語り手の交代が度々行われる。通常は暗転と話者の名前が表示されることでそれを知らせるが、本作ではそれに加えてアイキャッチを利用することでよりわかりやすくなっている。また語り手の交代は雰囲気を変える役目も、話者の気持ちを描くことができるという特徴があるためにより会話をしているかのような疑似的な双方向性を感じることができるのではないか。
本作は正直に言ってあまり評判は良くない。その最たるものには「なんでもないことを大事として扱っていて冗長」というものがある。私としてもこれは共感できないわけではない。藍魚が綾音との過去の秘密を打ち明けるときが顕著である。彼女は人魚の王族に伝わる超能力を使い、綾音を生き返らせることに失敗したことを懺悔する。このシーンが本作において最も盛り上がるシーンなのだが、はっきり言って許されることは見え見えで端的に言えば「予定調和」だ。冗長である。
春休み課題 1~10
1.『姫様、”拷問”の時間です』原作:春原ロビンソン 漫画:ひらけい
<あらすじ>王国の王女でありながら、第三騎士団の長を務める才色兼備の「姫」
しかし彼女は運悪く魔王軍の囚われの身となってしまう。最高拷問官のトーチャー・トルチュールは情報を聞き出すべく、彼女を拷問にかけていくのであった。
<考察>グルメや温泉などで姫を篭絡し、役に立たない情報を吐かせていくギャグマンガ。考察として拷問の内容に着目した。「公園で遊ぶ」や「一緒にゲームをする」など一見、ただふざけたものに思えるが、その多くが姫が囚われる前に禁止されていたものである。そのため、実際に彼女の興味を引くには有効なものである。ある意味では、姫が周りの人間が普通に行ってきたことを遅れながらも獲得していく話と捉えることもできると感じた。
2.『江口さんはゲーム脳』作者:となりの岸田
<あらすじ>美少女ゲームを愛する高校生・江口真子。今日も今日とてオタク仲間と他愛のない話をしていた。しかし今日は違った。学年一のイケメンで文武両道。さらには「幼馴染」の王子 翔が真子を訪ねて現れた。まるでゲームのような急展開に驚きを隠せない彼女は共に屋上へ。
真子はそこでデッサンモデルを頼まれる。期待は大外れ。読者困惑のフラグ乱立系ラブコメ、今始まる。
<考察>本作は多くのパロディや共通認識がちりばめられている。それらから私は『動物化するポストモダン』で東浩紀が語っていた「萌え要素」を強く認識することができた。先述のパロディは名前やキャラクターの表情や台詞から推測することができるためわかりやすい。
しかし、共通認識は美少女ゲームをプレイしたことのある者しかわからないようなものばかりである。人物のポーズ、髪型、アクセサリー、台詞を読み上げる際のニュアンスなど。これらはある特定の出典があるというよりも「美少女ゲームらしい要素」であり、明文化されているわけではない。これらは「萌え要素」といって差支えないだろう。
3.『映画大好きポンポさん』(映画)配給:角川ANIMATION
<あらすじ>映画の都「ニャリウッド」で活躍する天才映画プロデューサー・ポンポさんのもとで働く青年・ジーン。屈指の映画通である彼は、同時に確固たる自分だけの映画の世界を持っていた。
彼を見込んだポンポさんは映画『MEISTER』の脚本を渡し、制作を任せることに。またその主演女優には、田舎から出てきた役者志望のナタリー・ウッドワードを指名。2人の過酷な映画製作が始まった。
<考察>本作の面白さとしてジーンが動画編集をするシーンがある。多く挿入されるのだが、そこでは彼自身がフィルムを斧のような武器で切り裂く演出がなされている。また、様々な映画のオマージュが見受けられ見ていて満足感も非常に高い。しかし全体の視点は制作者や映画オタクではなく、一般の観客に向けられている。
4.『WHITE ALBUM2 -introductory chapter-』(Leaf)
<あらすじ>軽音楽同好会に所属する北原春希。彼は学園祭でのコンサートに向け、準備を進めていたが、直前にしてメンバーの起こした痴情のもつれにより同好会は崩壊。そこで持ち前の生真面目さが働き、足りない担当のスカウトを始める。学園のアイドル・小木曽雪菜、天才ピアニストを母に持つ素行の悪い冬馬かずさをそれぞれボーカル、ピアノに加入させた。そして無事、コンサートは大成功に終わった。
学園祭が終わり、雪菜は春希に告白した。3人の関係は変化していく。
<考察>本作は『冴えない彼女の育てかた』や『パルフェ 〜ショコラ second brew〜』で知られる丸戸史明が脚本を担当した作品である。また本作は導入であり、後述の『WHITE ALBUM2 -closing chapter-』と合わせて作品は完成する。さらに、本シリーズは美少女ゲームにおける最高傑作と言われている。
特に目新しい点はないものの、とても丁寧に作られていると感じた。シナリオは痴情のもつれを収拾した主人公が痴情のもつれによって関係を崩壊させるいわば「ミイラ取りがミイラになる」ようなものであり、簡潔でわかりやすい。導入の作品としてとても良いと感じる。
雪菜がコンサートのラストナンバーとして作詞してきた「届かない恋」が本作の主題歌となっている。この詞には雪菜の春希との馴れ初めから恋心を抱いた後までの彼女の心が詳細に記されている。本作からは夏目漱石の長編小説『こゝろ』が連想されるとの指摘がある。先生は雪菜、親友のKをかずさ、お嬢さんを春希に重ねることができ、雪菜はかずさの想いを知っていながら出し抜くように春希に告白した。そしてそれぞれの心情の描写が非常に丁寧であるのも共通点だと思う。
5.『WHITE ALBUM2 -closing chapter-』(Leaf)
<あらすじ>峰城大学へ進学した春希は雪菜から逃げるような生活を送っていた。そこではマイペースな親友・和泉千晶とともに大学生活を送っていた。
しかし、ひょんなことから雪菜と再会。さらにバイト先である出版社の記事に「冬馬かずさ」の名前を発見。ピアニストになるべく、ウィーンに飛び立った彼女は、当初の期待を超える活躍を見せていた。さあ、WHITE ALBUMの季節を終わらせよう。
<考察>本シリーズは「精神的に参る作品である」や「プレイすることで体調不良に見舞われる」と言われる。私としても息が詰まるような非常に辛い内容で、幾度もプレイの続行ができなくなった。その理由について考察する。
前半は春希と千晶のかけ合いやアルバイトがコメディとして成り立っており、春希もいたって平穏な大学生活を送る。しかし、雪菜との再会を機に大きく変容する。彼女は少しでも春希と素直な関係を持ちたいがために、半ば自暴自棄になる。だが、そんな時でも春希は怒ることができず、なだめるばかり。そのため、本作でピックアップされるのは「怒ってくれる」ことである。相手のことが嫌いな場合を除いて、怒ることは相手を心配して、また素直に行われるものではないだろうか。そのため、雪菜は「自分をどの程度想っているか」の尺度として利用している。
後半になると、雪菜との関係修復に春希とともにプレイヤーも頭を抱えることに。その時に魅力的なサブヒロインに逃げ込むと当然、修復には失敗し八方塞がりになってしまう。この救いのない展開が待ち受けているため、プレイヤーが進むべき道は実質的に雪菜に縛られている。
6.『WHITE ALBUM2 -coda-』(Leaf)
<あらすじ>雪菜とよりを戻してから3年後の冬。それぞれ就職した2人は、多忙ながらも順風満帆といえる生活を送っていた。そんな中、春希がフランスに出張することに。雪菜も行きたいと出張の最終日、2人はストラスブールで落ち合う約束をしていた。また春希は、この地でプロポーズしようと意気込んでいた。
そんな彼のもとに、ある女性が現れる。それは、彼が5年もの間一瞬たりとも忘れることのできなかった想い人。WHITE ALBUMの季節がまた始まり、俺はまた嘘を重ね始める。
<考察>本シナリオは『WHITE ALBUM2 -closing chapter-』に収録されている本当の最終章である。私はプレイしている間の大半は頭痛がしていた。予測しうる最悪の展開が頭をもたげ、この先を知りたくないと感じていた。本作こそがシリーズの集大成であり、最も辛いものであった。しかし、かずさとのシナリオを読まずにはいられないのがここまでプレイしてきた者の性であろう。
舞台に海外であるフランスを盛り込み、主人公たちが成長したことを感じさせる。ただピアニストとして母とともに過ごしていたかずさは2人と比較して幼く見える。取り残されてしまっているような彼女ではあるのだが、本作ではそのかずさに焦点が当てられる。彼女自身も置き去りにされていることは感じており、その感情を露わにする。それがひどく切なく、また魅力的に映る。
7.『9-nine-ここのつここのかここのいろ』(ぱれっと)
<あらすじ>ある日、地元の神社に安置されていた神器の破損を皮切りにその都市に暮らす生徒たちが続々と特殊能力に目覚めた。主人公・新海翔のクラスメイトで優等生で御令嬢の九条 都も目覚める。
そこに能力を悪用したとみられる怪事件が続けざまに発生。彼女たちは命を賭けた事件解決に取り組む。
<考察>9-nine-シリーズの1作目。本作は全体において起承転結の起から承ととれる内容となっている。ナンバリングごとに焦点に当てるヒロインが定められており、本作では主人公のクラスメイトである九条都がピックアップされている。
本作は怪事件への導入を果たしつつも、九条の「人となり」を魅力的に見せている。彼女は「他人の所有物と所有権を奪うことができる」能力に目覚める。
なぜこの能力を得たのかを見ていくことで、その描き方を理解することができる。この能力の悪用がたやすいことは想像に難くないだろう。さらに本作の設定として、思い入れのある所有物が「アーティファクト」として所有者に能力を持たせる。このアーティファクトを盗むことができれば相手を無力化させることさえできてしまう。
このような能力を持っていながらも彼女は平和利用を志しており、仲間を助けるためや事件を解決するために使用する。そのため、能力は彼女の存在意義を底上げしているが、彼女自身が善人であることを強調している。そのためにヒロインを魅力的に見せることに成功していると感じる。
8.『9-nine-そらいろそらうたそらのおと』(ぱれっと)
<あらすじ>ある日、主人公の妹・天が「他人から存在を気づかれないようになる」能力に目覚めた。彼女は表面上では能力のない兄をからかいながらも、怪事件を追い続ける彼を助けられると喜んでおり、兄もその能力に頼りきりになっていた。しかしその矢先、兄の危機を救おうとした天の能力が暴走し巨大な厄災が訪れる。
<考察>本シリーズは4作が同じ世界を起点として各ヒロインをピックアップし、オリジナルの脚本が描かれる。そのため、本作は天が能力に目覚める地点から開始されている。主題に置かれたヒロインは物語だけでなく、新たな表情差分が7つ追加されているなどの優遇措置が設けられている。
今回は主人公の妹である「天(そら)」が選ばれた。それはなぜなのか。彼女の能力は対象の存在感を操るものだが、後半では彼女自身の存在が薄れるという悲劇に転じる。そこで兄は天のことを絶対に忘れないと約束する。
本シリーズの一本はあまり長くない。価格としてもロープライスなので当然ではあるのだが、この存在が薄れてしまうのが赤の他人から親交を深めたヒロインであったならどうだろうか。プレイヤーは短時間で急に構築された強いきずなについていけるだろうか。そのために生まれた時から常に共に過ごしてきた兄妹という関係性を利用することで、それらを払拭することを目指したのではないだろうかと考えた。
ノベルゲームにおいてある村や町の土着信仰をもとにした和製ファンタジーというストーリーは非常にオーソドックスなものであり、既に30年ほど利用されている。本作も例にもれず、白蛇を信仰対象としているのだが、その伝承をぬいぐるみ型のキャラクター・ソフィーティアを介して異世界とつなげてしまうとは斬新で面白いと感じた。
本作の評価点は天の軽口や主人公との掛け合いなどのシーンと能力者同士による生死の懸かったシリアスなシーンとのメリハリが非常に上手につけられていることであろう。それゆえにエンディングの感動も高まる。
9.『9-nine-はるいろはるこいこいのかぜ』(ぱれっと)
<あらすじ>香坂春風、主人公の先輩の3年生。普段の彼女はおとなしく、人見知りが激しいが能力を使うと一変。堂々とした大胆不敵なお嬢様に。彼女は能力を得た際に春風を助けるための二重人格として誕生した姿であった。
時を同じくして、九十九神社の巫女・成瀬沙月が神・イーリスを降ろすことができるようになる。彼女はソフィーティアと同じ容姿・声色をしていた。2人の関係は。事件の真相が明らかになる第3章、はじまる。
<考察>パラレルワールドの疑似体験について。
本シリーズは同じ舞台で別のヒロインを主体としたオリジナルの物語が描かれる。しかし巧妙なのは主人公が前作とは異なった行動を起こすことで作品世界内に別の世界線、所謂「パラレルワールド」を発現させていることだ。また、それを異世界の住人・ソフィーティアは「あなたの小さな選択が大勢に影響を与え、枝分かれを発生させている」と発言しているため、感知している。つまりプレイヤーは主人公の視点を持ちながら、キャラクターであるソフィーティアがメタ的視点を持っているということだ。
そのため本作は、プレイヤーが順当にシリーズを進めていくことでゲーム媒体を利用して疑似的にパラレルワールドを体験できるようになっているのである。
主観を利用した構成。
本作では氏神「イーリス」が登場し、これまで主人公たちを手助けしてきたソフィーティアが危険であると忠告してくる。ソフィーティアは能力者の所持する力の源・アーティファクトの回収が目的であるとして主人公に近づいたのだが、イーリスは本当に主人公たちだけを手助けしているのかと疑問を投げかけたのだ。ノベルゲームというゲームジャンルはその性質上、プレイヤーが主人公と同化し主観としてストーリーを進めていく物が多い。そのため、主人公が知り得た情報のみがそのままプレイヤーの考えに直結する。
そのため、ソフィーティアの視点に立つことは非常に困難であり気づきにくい。つまり、本作は媒体の特性を逆手に取っている。しかしこの問いかけはミスリードであり、プレイヤーはこのイーリスにまんまと騙されることになる。
実は本作、3作目にして初めて主人公のいない視点での会話が詳細に演出されている。それはソフィーティアに扮した敵と主人公の親友であり、一連の事件の首謀者・深沢与一の会話である。このことからもこれまで主観を重要視してきたというのは読み取れるだろう。
10.『彼方の人魚姫』(Wonder Fool)
<あらすじ>海に面した村に1人で暮らす波島伊月はある日、溺れた子供を助けようと入り江に飛び込んだ。しかし、彼自身も溺れてしまう。その時、海中から「人魚」が現れ、2人は助けられることとなる。人魚、それはこの村で古くから人を助ける神として信仰されてきた。また人魚には人の姿になってしまう奇怪な病があることも知られていた。
そして今年は、夏休みの直前に1人の人魚が陸に上がる。
<考察>葵は藍魚が綾音に似ていると感じ始める。考察として、既に亡くなっている綾音がどのような人物であったかを回想シーンなどでプレイヤーに説明するのではなく、人魚という話の本質をブレさせないためにも、あえて簡単に説明を施すのみにしているのではないか。
舞台が田舎であり、転校生が登場するのは美少女ゲームの定番のシチュエーションであるといってもよいだろう。しかし、そこにオリジナルの要素として「人魚」がある。他の作品でも村の風習として、ある特定の伝説や偶像をかつてより信仰してきたことはそれもまた定番であった。そのため、オリジナルにはなり切っていない部分もあると思った。
本作では語り手の交代が度々行われる。通常は暗転と話者の名前が表示されることでそれを知らせるが、本作ではそれに加えてアイキャッチを利用することでよりわかりやすくなっている。また語り手の交代は雰囲気を変える役目も、話者の気持ちを描くことができるという特徴があるためにより会話をしているかのような疑似的な双方向性を感じることができるのではないか。
本作は正直に言ってあまり評判は良くない。その最たるものには「なんでもないことを大事として扱っていて冗長」というものがある。私としてもこれは共感できないわけではない。藍魚が綾音との過去の秘密を打ち明けるときが顕著である。彼女は人魚の王族に伝わる超能力を使い、綾音を生き返らせることに失敗したことを懺悔する。このシーンが本作において最も盛り上がるシーンなのだが、はっきり言って許されることは見え見えで端的に言えば「予定調和」だ。冗長である。
キム ヒョンス
RES
4年 キム ヒョンス
春休み課題 1~20
1. 進撃の巨人 The Final Season 完結編 前編 (アニメ)
あらすじ : 世界を滅ぼそうと「地鳴らし」を発動させたエレン。無数の巨人たちが進撃を開始し、あらゆるものを踏み潰していく。
ミカサ、アルミン、ジャン、コニー、ハンジ、ライナー、アニ、ピーク、そして瀕死の重傷を負ったリヴァイ……。残されたものたちがエレンを止めるため最後の戦いに挑む。
感想 : 進撃の巨人の完結編の前編。漫画では結末まで読んだが、完結からかなり時間が経ったため、記憶を思い出しながら観ることができた。また、60分という構成になっているため、アニメの1話というより映画に近い感覚で、より没入感があったと思う。
2. 進撃の巨人 The Final Season 完結編 後編 (アニメ)
あらすじ : 終尾の巨人となり、無数の巨人たちとスラトア要塞に進撃するエレン。絶望の淵に立たされた避難民の前に現れたのは、地鳴らしから間一髪で逃れられたミカサ、アルミン、ジャン、コニー、ライナー、ピーク、リヴァイ。かつての仲間たち、そして幼馴染とエレンの戦いがここに終結する。
感想 : 進撃の巨人の最終章ということもあり、全力を込めて作ったことが感じられた。結末の部分で原作の台詞などが変更されたところがあるが、個人的には適切な選択だったと思う。総合的に完結編に相応しいクオリティで進撃の巨人シリーズの最後を飾った。
3. ゴブリンスレイヤー(マンガ)
あらすじ : 辺境のギルドには、ゴブリン討伐だけで
銀等級(序列三位)にまで
上り詰めた稀有な存在がいるという……。
冒険者になって、はじめて組んだ
パーティがピンチとなった女神官。
それを助けた者こそ、
ゴブリンスレイヤーと呼ばれる男だった。
彼は手段を選ばず、手間を惜しまず
ゴブリンだけを退治していく。
そんな彼に振り回される女神官、
感謝する受付嬢、彼を待つ幼馴染の牛飼娘。
そんな、彼の噂を聞き、
森人(エルフ)の少女が依頼に現れた――。
感想 : ゴブリンと言えば殆どのゲームでは一番弱いモンスターに過ぎない扱いだが、逆にそのような先入観の透きを狙う設定の斬新さが印象的だった。ダークファンタジーであるということもあって、グロテスクな場面や、暴力的な描写も多数登場し、ゴブリンの危険性が強調されている。
4. 葬送のフリーレン(マンガ)
あらすじ : 魔王を倒し王都へ凱旋した勇者ヒンメル一行。各々が冒険した10年を振り返りながらこれからの人生に想いを馳せる中、エルフのフリーレンは感慨にふけることもなく、また魔法探求へと旅立っていく。50年後、皆との約束のためフリーレンは再び王都へ。その再会をきっかけに、彼女は新たな旅へと向かうことに―。
感想 : 魔王を倒すための勇者一行の旅ではなく、魔王を倒した後の後日談という設定が斬新だった。また、主な敵である「魔族」を徹底的に理解不可能な、人類にとっての「敵」として描いていることも面白かった。個性がはっきりしているキャラクターたちと穏やかな雰囲気が魅力の作品。
5. ヒトラー~最期の12日間~ (映画)
あらすじ : 1945年4月20日、ベルリン。ヒトラーは56歳の誕生日を総統地下壕で迎えた。ソ連軍の猛攻により包囲網が狭まる中、ヒトラーはもはや実行不可能な攻撃命令を叫び続け、側近たちを追いつめていく。極限状態に陥った地下要塞の人々が酒盛りやパーティーに興じる一方で、地上のベルリン市街では兵士や市民が苛酷な戦闘に身を捧げ、命を落としていった。
戦況は刻一刻と悪化、いよいよ敗戦を確信したヒトラーはある重大な決意のもと、長年の愛人エヴァとささやかな結婚式を挙げる。それは"第三帝国"の遅すぎた終焉の合図だった…。
感想 : 第二次世界大戦の核心的な人物、ヒトラーの最期を描いた作品。ヒトラー本人の視点ではなく、彼の側近の視点からヒトラーの没落を赤裸々に描写している。淡白でドライな雰囲気の中、ヒトラーとナチス主要人物の最期を描いているドキュメンタリーに近い作品。
6. 劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリア(アニメーション映画)
あらすじ : これは、《閃光》と《黒の剣士》が、その名で呼ばれる前の物語――
あの日、《ナーヴギア》を偶然被ってしまった《結城明日奈》は、
本来ネットゲームとは無縁に生きる中学三年生の少女だった。
ゲームマスターは告げた。
《これはゲームであっても遊びではない。》
ゲームの中での死は、そのまま現実の死につながっている。
それを聞いた全プレイヤーが混乱し、ゲーム内は阿鼻叫喚が渦巻いた。
そのうちの一人であったアスナだが、
彼女は世界のルールも分からないまま頂の見えない鋼鉄の浮遊城《アインクラッド》の攻略へと踏み出す。
死と隣り合わせの世界を生き抜く中で、アスナに訪れる運命的な《出会い》。そして、《別れ》――。
《目の前の現実》に翻弄されるが、懸命に戦う彼女の前に現れたのは、孤高の剣士・キリトだった――。
感想 : ソードアート・オンラインアニメ版 第1期、原作では第1巻の内容をリブートしたプログレッシブの劇場版。オリジナルでは全く登場しなかったキャラクターが新しく追加されたりして、大きな物語の展開は同じでも様々なところに差別点がある。原作小説やアニメ第1期とは違ってヒロインの視点で物語が進行されるため、別の視点でソードアート・オンラインの物語を楽しむことができるのは魅力だと思う。
7. ブラックパンサー (映画)
あらすじ : 若き国王ティ・チャラ、またの名を漆黒のヒーロー<ブラックパンサー>。2つの顔を持つ彼の使命は、祖国である超文明国家ワカンダの“秘密” ──“ヴィブラニウム”を守ること。それは、世界を破壊するパワーを秘めた鉱石だった。突然の父の死によって王位を継いだティ・チャラは、人類の未来をも脅かすこの国の“秘密”を守る使命を負う事に。だが――「私に、使命が果たせるのか…?」
感想 : マーベル • シネマティック • ユニバースの18作品目の作品。ヒーロー映画でありながら、アメリカの人種差別による貧富の格差などの問題を素材にしているということが特徴である。映画にちらっと韓国と韓国語が登場するが、韓国人のおばさんに出演した人の韓国語が不自然すぎて何を言っているのかよく分からなかった。
8. ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー(映画)
あらすじ : 偉大な王であり、守護者であるティ・チャラを失ったワカンダ王国。悲しみに打ちひしがれる中、謎の海底王国タロカンからの脅威が迫る…。ワカンダと世界を揺るがす危機に、残された者たちはどう立ち向かうのか。そして、新たな希望となるブラックパンサーを受け継ぐ者は誰なのか…。絶対的な存在を失いながらも、未来を切りひらく者たちの熱き戦いを描いたドラマチック・アクション超大作が始まる!
感想 : 主役俳優の死亡という重大な事態の後に作られた『ブラックパンサー』の続編。前作主人公の空席を完全に埋めることはできなかったが、悪条件の中、最善の作品だと思う。死亡した俳優への哀悼とを軸にしながらも、物語的な蓋然性の確保にも最善を尽くした結果として評価したい。
9. スカーフェイス(映画)
あらすじ : 1980年、キューバからアメリカ・マイアミへ渡ったトニーはコカインの取り引きに携わる。その働きが認められたトニーはマフィア組織の配下に収まった後、ボスを殺害。無一文の身からマイアミ暗黒街の頂点へと上りつめ、さらにはボスの愛人エルビラも手に入れることに。しかしその栄光は長く続かなかった……。ハワード・ホークス監督作品「暗黒街の顔役」の現代版リメイク。主演アル・パチーノの鬼気迫る演技、そしてバイオレンス描写も凄まじいアクション・ドラマ。
感想 : 主人公が完全な悪人であり、他の登場人物も殆どがマフィアなどの組織犯罪に関わっている人物であるため、ピカレスク作品が好きな人にはお勧めできると思う。主人公のトニーを演じるアル・パチーノこの映画の一番の魅力ポイントである。
10. 劇場版 SPY×FAMILY CODE: White(アニメーション映画)
あらすじ : 世界各国が水面下で熾烈な情報戦を繰り広げていた時代。
西国の情報局対東課〈WISE〉の敏腕諜報員の〈黄昏〉ことロイド・フォージャーがいつものように任務に当たっていたところ、進行中のオペレーション〈梟〉の担当を変更する、という指令が。
しかし新たな担当に選ばれたのは、無能な男だった――。
その頃イーデン校では、優勝者に〈星〉が授与されると噂の調理実習が実施されることに。少しでもオペレーション〈梟〉の進展を示し〈WISEワイズ〉へ任務継続を交渉する為、ひいては世界平和を守る為、ロイドは審査員長を務める校長の好物である“フリジス地方”の伝統菓子≪メレメレ≫を作ることをアーニャに提案。本場の味を確かめるため、フォージャー家は家族旅行でフリジスへ向かうことに。その一方でヨルは、出発前にロイドと謎の女のやりとりの一部始終を目撃してしまい、仮初めの関係に一抹の不安を覚えながらの家族旅行となってしまう……。
そんな家族旅行の途中、列車内でアーニャは怪しげなトランクケースを発見。その中にはなぜかチョコレートが……。不思議に思っていると、トランクケースの持ち主が戻って来てしまい、驚いた拍子にアーニャは誤ってそのチョコレートを飲み込んでしまう……。ところが、そのチョコレートには世界平和を揺るがす重大な秘密が隠されていた――!?
そしてたたみかけるように、旅先で起こるハプニングの連続!!
世界の命運は、またしてもこの仮初めの家族に託されてしまった――。
感想 : SPY×FAMILYの劇場版。ストーリー自体は今までのパータンとそれほど変わりはなく、作品の魅力もそのまま持っている。劇場版ということもあり、戦闘シーンにもかなり力を入れているため、作品のファンなら一回は観てみることも良いと思う。
11. NOPE(映画)
あらすじ : 亡き父から、牧場を受け継いだOJは、父の事故死をいまだに信じられずにいた。飛行機部品落下による衝突死と されているのだが、そんな“最悪の奇跡”が起こり得るのだろうか?何より、OJはこの事故の際に一瞬目にした飛行物体を忘れられずにいた。妹のエメラルドはこの飛行物体を撮影して、“バズり動画”を世に放つことを思いつく。やがて起こる怪奇現象の連続。それらは真の“最悪の奇跡”の到来の序章に過ぎなかった…。
感想 : ミステリーやスリラー映画が好きな人にはお勧めできる作品である。映画の中に多様なオマージュやメタファー、風刺などが盛り込まれているため、それを探してみることも面白いかも知れない。ただグロテスクな場面もあるため、苦手な人は注意する必要はある。
12. スター • ウォーズ エピソード4/新たなる希望(映画)
あらすじ : ルーク・スカイウォーカーの銀河を巡る冒険がはじまるサーガの第4章。銀河帝国樹立から19年。砂漠の惑星タトゥイーンで、ルークは長年隠れ住んでいたオビ=ワン・ケノービと出会い、反乱軍の戦いに加わることを決意する。ダース・ベイダー率いる邪悪な帝国軍に捕らわれたレイア姫を救出するため、オビ=ワンは若きルークをジェダイへ導いていく。
感想 : スター • ウォーズシリーズの最初の作品。かなり昔の作品ではあるが、その分古典的な魅力があり、十分に面白かった。最近の映画に比べればライトセーバーの戦闘シーンがシンプルだが、むしろ現実的に感じられて良かったと思う。
13. スター • ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲(映画)
あらすじ : 正義と悪の凄まじい戦いを繰り広げる、サーガの第5章。デス・スターを破壊された帝国軍は反乱軍を容赦なく追い続けていた。反乱軍が氷の惑星ホスから撤退すると、ルーク・スカイウォーカーは惑星ダゴバに行く。そこには隠れ暮らしていた伝説のジェダイ・マスターのヨーダがいたのだ。一方、ダース・ベイダーはベスピンのクラウド・シティで若きスカイウォーカーをダークサイドへ引き込もうと目論む。
感想 : 古典名作と言われるスター • ウォーズシリーズのエピソード5。最初から主人公側が徹底的に敗れるなど、観客の予想を超える展開が繰り広げられる。背景美術も前作より発展し、宇宙空間や戦艦などがより雄大に表現されている。名実相伴うシリーズの代表作。
14. 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM(アニメーション映画)
あらすじ : C.E.75、戦いはまだ続いていた。
独立運動、ブルーコスモスによる侵攻……
事態を沈静化するべく、ラクスを初代総裁とする
世界平和監視機構・コンパスが創設され、
キラたちはその一員として各地の戦闘に介入する。
そんな折、新興国・ファウンデーション王国から、
ブルーコスモス本拠地への合同作戦を提案される。
感想 : SEEDシリーズの本編を全部見たわけではないので、キャラクター間の関係や設定など、分からないところもあった。しかし、スピード感のある戦闘シーンや中盤までの雰囲気はかなり良かったと思う。しかし、後半には好き嫌いがはっきり分かれる意味不明な演出も多数あるため、趣味に合う人には最後まで楽しめると思う。
15. スター • ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還(映画)
あらすじ : 壮大なるサーガのクライマックス、フォースの勝利を描く第6章。帝国軍がより強力な第2デス・スターの建造を進めている中、反乱軍は総力を結集しデス・スターへ攻撃の準備を計画していた。一方、ルーク・スカイウォーカーは、邪悪な皇帝の前でダース・ベイダーとの最後の戦いに挑む。
感想 : スターワーズ三部作の完結編。前の二作品に比べて軽い雰囲気であり、熊の縫いぐるみを被ったかのような種族が登場するなど、前作の暗い雰囲気からかなり明るい雰囲気になった作品である。ストーリーもシンプルだが、シリーズの完結編としては充分に機能していると思う。
16. チ。ー地球の運動についてー(マンガ)
あらすじ : 動かせ 歴史を 心を 運命を ――星を。
舞台は15世紀のヨーロッパ。異端思想がガンガン火あぶりに処せられていた時代。主人公の神童・ラファウは飛び級で入学する予定の大学において、当時一番重要とされていた神学の専攻を皆に期待されていた。合理性を最も重んじるラファウにとってもそれは当然の選択であり、合理性に従っている限り世界は“チョロい”はずだった。しかし、ある日ラファウの元に現れた謎の男が研究していたのは、異端思想ド真ン中の「ある真理」だった――
命を捨てても曲げられない信念があるか? 世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか? アツい人間を描かせたら敵ナシの『ひゃくえむ。』魚豊が描く、歴史上最もアツい人々の物語!! ページを捲るたび血が沸き立つのを感じるはず。面白い漫画を読む喜びに打ち震えろ!!
感想 : 15世紀から時代を超えて地動説を証明しようとした人々の努力を描いた作品。エピソード別に主人公が変わるのが特徴である。ただ「地動説」という一つの「説」に拘るのではなく、「真理」を追い求める人々の奮闘を劇的に表現したことも印象的だった。また、この作品に描かれる時代を超えて受け継がれる真理への渇望が、人類発展の支えになったのだろうと思う。拷問の描写やグロテスクな場面があるため、苦手な人は注意が必要かも知れない。
17. デューン 砂の惑星 PART2(映画)
あらすじ : 「DUNE デューン 砂の惑星」の続編。
その惑星を制する者が全宇宙を制すると言われる砂の惑星デューンで繰り広げられたアトレイデス家とハルコンネン家の戦い。ハルコンネン家の陰謀により一族を滅ぼされたアトレイデス家の後継者ポールは、ついに反撃の狼煙を上げる。砂漠の民フレメンのチャニと心を通わせながら、救世主として民を率いていくポールだったが、宿敵ハルコンネン家の次期男爵フェイド=ラウサがデューンの新たな支配者として送り込まれてくる。
感想 : 前編で「これは始まりに過ぎない」という台詞があったと思うが、その台詞通り、PART2ではよりスケールの大きい物語が展開される。前編からの長所である音楽はより深みを持っており、多少静的な感じがあった前編とは対照的に、スピード感のあるストーリー展開や、大規模な戦闘シーンなど、観客を惹き付ける要素がたっぷり盛り込められている。どの映画もだが、映画館で観ることがお勧めの作品である。
18. オッペンハイマー(映画)
あらすじ : 「ダークナイト」「TENET テネット」などの大作を送り出してきたクリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。
第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。
感想 : オッペンハイマーという複雑な人物がキリアンマーフィーの完璧な演技を通じて説得力をもって描かれている。カラーと白黒を行き来する映像表現
も印象的だった。原爆は敏感な素材だが、それを作った人々の状況と、彼らに原爆を作らせた時代の雰囲気が充分に描写されるため、没入しやすくなっている。上映時間が長いが、緊張感を適切に維持しているため、退屈には感じなかった。
19. ノーカントリー(映画)
あらすじ : 荒野で狩をしていたベトナム帰還兵のモスは、偶然ギャングたちの死体と麻薬絡みの大金200万ドルを発見。 その金を奪ったモスは逃走するが、ギャングに雇われた殺し屋シガーは、邪魔者を次々と殺しながら執拗に彼の行方を追う。事件の発覚後、保安官のベルは二人の行方を探るが、彼らの運命は予測もしない衝撃の結末を迎え・・・。
感想 : 約20年前の作品であるが、現代社会にも通じるところが多い作品。数十年を生きてきた賢い老人でも、ものすごいスピードで変化していく現代社会の混沌と無秩序の前では手の施しようがない。混沌の化身的な存在であるシガーは、世の中の不条理を体現したキャラクターである。音楽が殆どが使われていないことも特徴的である。音楽を最小限にしたことが、作品の無機質的な雰囲気を際立たせている。分析や解釈が好きな人は見てみることもお勧めする。
20. パッション(映画)
あらすじ : イエス・キリストがその癒しと愛の思想により、周囲から尊敬されながら生活していた状況から一転、処刑されるまでの12時間に何が起きたのかが描かれている。弟子のユダに裏切られ、対立するユダヤ教団に捕まったイエス・キリスト。教団はエルサレムを統治するローマ総督のピラトに対して、キリストの死刑を要求。キリストに罪はないと信じるピラトだが、民衆の暴動を恐れて要求を呑む。
感想 : イエス • キリストの死と復活を描いた作品。聖書に基づいた描写や演出が印象的であり、ストーリー展開もほぼ聖書の内容に則している。ムチ打ちの刑や十字架にかけられるなど、イエスの肉体的苦痛を赤裸々に描いているため、残酷なシーンが多い。宗教映画ではあるが、宗教を信じない人も、1回は見てみても良いと思う。
春休み課題 1~20
1. 進撃の巨人 The Final Season 完結編 前編 (アニメ)
あらすじ : 世界を滅ぼそうと「地鳴らし」を発動させたエレン。無数の巨人たちが進撃を開始し、あらゆるものを踏み潰していく。
ミカサ、アルミン、ジャン、コニー、ハンジ、ライナー、アニ、ピーク、そして瀕死の重傷を負ったリヴァイ……。残されたものたちがエレンを止めるため最後の戦いに挑む。
感想 : 進撃の巨人の完結編の前編。漫画では結末まで読んだが、完結からかなり時間が経ったため、記憶を思い出しながら観ることができた。また、60分という構成になっているため、アニメの1話というより映画に近い感覚で、より没入感があったと思う。
2. 進撃の巨人 The Final Season 完結編 後編 (アニメ)
あらすじ : 終尾の巨人となり、無数の巨人たちとスラトア要塞に進撃するエレン。絶望の淵に立たされた避難民の前に現れたのは、地鳴らしから間一髪で逃れられたミカサ、アルミン、ジャン、コニー、ライナー、ピーク、リヴァイ。かつての仲間たち、そして幼馴染とエレンの戦いがここに終結する。
感想 : 進撃の巨人の最終章ということもあり、全力を込めて作ったことが感じられた。結末の部分で原作の台詞などが変更されたところがあるが、個人的には適切な選択だったと思う。総合的に完結編に相応しいクオリティで進撃の巨人シリーズの最後を飾った。
3. ゴブリンスレイヤー(マンガ)
あらすじ : 辺境のギルドには、ゴブリン討伐だけで
銀等級(序列三位)にまで
上り詰めた稀有な存在がいるという……。
冒険者になって、はじめて組んだ
パーティがピンチとなった女神官。
それを助けた者こそ、
ゴブリンスレイヤーと呼ばれる男だった。
彼は手段を選ばず、手間を惜しまず
ゴブリンだけを退治していく。
そんな彼に振り回される女神官、
感謝する受付嬢、彼を待つ幼馴染の牛飼娘。
そんな、彼の噂を聞き、
森人(エルフ)の少女が依頼に現れた――。
感想 : ゴブリンと言えば殆どのゲームでは一番弱いモンスターに過ぎない扱いだが、逆にそのような先入観の透きを狙う設定の斬新さが印象的だった。ダークファンタジーであるということもあって、グロテスクな場面や、暴力的な描写も多数登場し、ゴブリンの危険性が強調されている。
4. 葬送のフリーレン(マンガ)
あらすじ : 魔王を倒し王都へ凱旋した勇者ヒンメル一行。各々が冒険した10年を振り返りながらこれからの人生に想いを馳せる中、エルフのフリーレンは感慨にふけることもなく、また魔法探求へと旅立っていく。50年後、皆との約束のためフリーレンは再び王都へ。その再会をきっかけに、彼女は新たな旅へと向かうことに―。
感想 : 魔王を倒すための勇者一行の旅ではなく、魔王を倒した後の後日談という設定が斬新だった。また、主な敵である「魔族」を徹底的に理解不可能な、人類にとっての「敵」として描いていることも面白かった。個性がはっきりしているキャラクターたちと穏やかな雰囲気が魅力の作品。
5. ヒトラー~最期の12日間~ (映画)
あらすじ : 1945年4月20日、ベルリン。ヒトラーは56歳の誕生日を総統地下壕で迎えた。ソ連軍の猛攻により包囲網が狭まる中、ヒトラーはもはや実行不可能な攻撃命令を叫び続け、側近たちを追いつめていく。極限状態に陥った地下要塞の人々が酒盛りやパーティーに興じる一方で、地上のベルリン市街では兵士や市民が苛酷な戦闘に身を捧げ、命を落としていった。
戦況は刻一刻と悪化、いよいよ敗戦を確信したヒトラーはある重大な決意のもと、長年の愛人エヴァとささやかな結婚式を挙げる。それは"第三帝国"の遅すぎた終焉の合図だった…。
感想 : 第二次世界大戦の核心的な人物、ヒトラーの最期を描いた作品。ヒトラー本人の視点ではなく、彼の側近の視点からヒトラーの没落を赤裸々に描写している。淡白でドライな雰囲気の中、ヒトラーとナチス主要人物の最期を描いているドキュメンタリーに近い作品。
6. 劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 星なき夜のアリア(アニメーション映画)
あらすじ : これは、《閃光》と《黒の剣士》が、その名で呼ばれる前の物語――
あの日、《ナーヴギア》を偶然被ってしまった《結城明日奈》は、
本来ネットゲームとは無縁に生きる中学三年生の少女だった。
ゲームマスターは告げた。
《これはゲームであっても遊びではない。》
ゲームの中での死は、そのまま現実の死につながっている。
それを聞いた全プレイヤーが混乱し、ゲーム内は阿鼻叫喚が渦巻いた。
そのうちの一人であったアスナだが、
彼女は世界のルールも分からないまま頂の見えない鋼鉄の浮遊城《アインクラッド》の攻略へと踏み出す。
死と隣り合わせの世界を生き抜く中で、アスナに訪れる運命的な《出会い》。そして、《別れ》――。
《目の前の現実》に翻弄されるが、懸命に戦う彼女の前に現れたのは、孤高の剣士・キリトだった――。
感想 : ソードアート・オンラインアニメ版 第1期、原作では第1巻の内容をリブートしたプログレッシブの劇場版。オリジナルでは全く登場しなかったキャラクターが新しく追加されたりして、大きな物語の展開は同じでも様々なところに差別点がある。原作小説やアニメ第1期とは違ってヒロインの視点で物語が進行されるため、別の視点でソードアート・オンラインの物語を楽しむことができるのは魅力だと思う。
7. ブラックパンサー (映画)
あらすじ : 若き国王ティ・チャラ、またの名を漆黒のヒーロー<ブラックパンサー>。2つの顔を持つ彼の使命は、祖国である超文明国家ワカンダの“秘密” ──“ヴィブラニウム”を守ること。それは、世界を破壊するパワーを秘めた鉱石だった。突然の父の死によって王位を継いだティ・チャラは、人類の未来をも脅かすこの国の“秘密”を守る使命を負う事に。だが――「私に、使命が果たせるのか…?」
感想 : マーベル • シネマティック • ユニバースの18作品目の作品。ヒーロー映画でありながら、アメリカの人種差別による貧富の格差などの問題を素材にしているということが特徴である。映画にちらっと韓国と韓国語が登場するが、韓国人のおばさんに出演した人の韓国語が不自然すぎて何を言っているのかよく分からなかった。
8. ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー(映画)
あらすじ : 偉大な王であり、守護者であるティ・チャラを失ったワカンダ王国。悲しみに打ちひしがれる中、謎の海底王国タロカンからの脅威が迫る…。ワカンダと世界を揺るがす危機に、残された者たちはどう立ち向かうのか。そして、新たな希望となるブラックパンサーを受け継ぐ者は誰なのか…。絶対的な存在を失いながらも、未来を切りひらく者たちの熱き戦いを描いたドラマチック・アクション超大作が始まる!
感想 : 主役俳優の死亡という重大な事態の後に作られた『ブラックパンサー』の続編。前作主人公の空席を完全に埋めることはできなかったが、悪条件の中、最善の作品だと思う。死亡した俳優への哀悼とを軸にしながらも、物語的な蓋然性の確保にも最善を尽くした結果として評価したい。
9. スカーフェイス(映画)
あらすじ : 1980年、キューバからアメリカ・マイアミへ渡ったトニーはコカインの取り引きに携わる。その働きが認められたトニーはマフィア組織の配下に収まった後、ボスを殺害。無一文の身からマイアミ暗黒街の頂点へと上りつめ、さらにはボスの愛人エルビラも手に入れることに。しかしその栄光は長く続かなかった……。ハワード・ホークス監督作品「暗黒街の顔役」の現代版リメイク。主演アル・パチーノの鬼気迫る演技、そしてバイオレンス描写も凄まじいアクション・ドラマ。
感想 : 主人公が完全な悪人であり、他の登場人物も殆どがマフィアなどの組織犯罪に関わっている人物であるため、ピカレスク作品が好きな人にはお勧めできると思う。主人公のトニーを演じるアル・パチーノこの映画の一番の魅力ポイントである。
10. 劇場版 SPY×FAMILY CODE: White(アニメーション映画)
あらすじ : 世界各国が水面下で熾烈な情報戦を繰り広げていた時代。
西国の情報局対東課〈WISE〉の敏腕諜報員の〈黄昏〉ことロイド・フォージャーがいつものように任務に当たっていたところ、進行中のオペレーション〈梟〉の担当を変更する、という指令が。
しかし新たな担当に選ばれたのは、無能な男だった――。
その頃イーデン校では、優勝者に〈星〉が授与されると噂の調理実習が実施されることに。少しでもオペレーション〈梟〉の進展を示し〈WISEワイズ〉へ任務継続を交渉する為、ひいては世界平和を守る為、ロイドは審査員長を務める校長の好物である“フリジス地方”の伝統菓子≪メレメレ≫を作ることをアーニャに提案。本場の味を確かめるため、フォージャー家は家族旅行でフリジスへ向かうことに。その一方でヨルは、出発前にロイドと謎の女のやりとりの一部始終を目撃してしまい、仮初めの関係に一抹の不安を覚えながらの家族旅行となってしまう……。
そんな家族旅行の途中、列車内でアーニャは怪しげなトランクケースを発見。その中にはなぜかチョコレートが……。不思議に思っていると、トランクケースの持ち主が戻って来てしまい、驚いた拍子にアーニャは誤ってそのチョコレートを飲み込んでしまう……。ところが、そのチョコレートには世界平和を揺るがす重大な秘密が隠されていた――!?
そしてたたみかけるように、旅先で起こるハプニングの連続!!
世界の命運は、またしてもこの仮初めの家族に託されてしまった――。
感想 : SPY×FAMILYの劇場版。ストーリー自体は今までのパータンとそれほど変わりはなく、作品の魅力もそのまま持っている。劇場版ということもあり、戦闘シーンにもかなり力を入れているため、作品のファンなら一回は観てみることも良いと思う。
11. NOPE(映画)
あらすじ : 亡き父から、牧場を受け継いだOJは、父の事故死をいまだに信じられずにいた。飛行機部品落下による衝突死と されているのだが、そんな“最悪の奇跡”が起こり得るのだろうか?何より、OJはこの事故の際に一瞬目にした飛行物体を忘れられずにいた。妹のエメラルドはこの飛行物体を撮影して、“バズり動画”を世に放つことを思いつく。やがて起こる怪奇現象の連続。それらは真の“最悪の奇跡”の到来の序章に過ぎなかった…。
感想 : ミステリーやスリラー映画が好きな人にはお勧めできる作品である。映画の中に多様なオマージュやメタファー、風刺などが盛り込まれているため、それを探してみることも面白いかも知れない。ただグロテスクな場面もあるため、苦手な人は注意する必要はある。
12. スター • ウォーズ エピソード4/新たなる希望(映画)
あらすじ : ルーク・スカイウォーカーの銀河を巡る冒険がはじまるサーガの第4章。銀河帝国樹立から19年。砂漠の惑星タトゥイーンで、ルークは長年隠れ住んでいたオビ=ワン・ケノービと出会い、反乱軍の戦いに加わることを決意する。ダース・ベイダー率いる邪悪な帝国軍に捕らわれたレイア姫を救出するため、オビ=ワンは若きルークをジェダイへ導いていく。
感想 : スター • ウォーズシリーズの最初の作品。かなり昔の作品ではあるが、その分古典的な魅力があり、十分に面白かった。最近の映画に比べればライトセーバーの戦闘シーンがシンプルだが、むしろ現実的に感じられて良かったと思う。
13. スター • ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲(映画)
あらすじ : 正義と悪の凄まじい戦いを繰り広げる、サーガの第5章。デス・スターを破壊された帝国軍は反乱軍を容赦なく追い続けていた。反乱軍が氷の惑星ホスから撤退すると、ルーク・スカイウォーカーは惑星ダゴバに行く。そこには隠れ暮らしていた伝説のジェダイ・マスターのヨーダがいたのだ。一方、ダース・ベイダーはベスピンのクラウド・シティで若きスカイウォーカーをダークサイドへ引き込もうと目論む。
感想 : 古典名作と言われるスター • ウォーズシリーズのエピソード5。最初から主人公側が徹底的に敗れるなど、観客の予想を超える展開が繰り広げられる。背景美術も前作より発展し、宇宙空間や戦艦などがより雄大に表現されている。名実相伴うシリーズの代表作。
14. 機動戦士ガンダムSEED FREEDOM(アニメーション映画)
あらすじ : C.E.75、戦いはまだ続いていた。
独立運動、ブルーコスモスによる侵攻……
事態を沈静化するべく、ラクスを初代総裁とする
世界平和監視機構・コンパスが創設され、
キラたちはその一員として各地の戦闘に介入する。
そんな折、新興国・ファウンデーション王国から、
ブルーコスモス本拠地への合同作戦を提案される。
感想 : SEEDシリーズの本編を全部見たわけではないので、キャラクター間の関係や設定など、分からないところもあった。しかし、スピード感のある戦闘シーンや中盤までの雰囲気はかなり良かったと思う。しかし、後半には好き嫌いがはっきり分かれる意味不明な演出も多数あるため、趣味に合う人には最後まで楽しめると思う。
15. スター • ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還(映画)
あらすじ : 壮大なるサーガのクライマックス、フォースの勝利を描く第6章。帝国軍がより強力な第2デス・スターの建造を進めている中、反乱軍は総力を結集しデス・スターへ攻撃の準備を計画していた。一方、ルーク・スカイウォーカーは、邪悪な皇帝の前でダース・ベイダーとの最後の戦いに挑む。
感想 : スターワーズ三部作の完結編。前の二作品に比べて軽い雰囲気であり、熊の縫いぐるみを被ったかのような種族が登場するなど、前作の暗い雰囲気からかなり明るい雰囲気になった作品である。ストーリーもシンプルだが、シリーズの完結編としては充分に機能していると思う。
16. チ。ー地球の運動についてー(マンガ)
あらすじ : 動かせ 歴史を 心を 運命を ――星を。
舞台は15世紀のヨーロッパ。異端思想がガンガン火あぶりに処せられていた時代。主人公の神童・ラファウは飛び級で入学する予定の大学において、当時一番重要とされていた神学の専攻を皆に期待されていた。合理性を最も重んじるラファウにとってもそれは当然の選択であり、合理性に従っている限り世界は“チョロい”はずだった。しかし、ある日ラファウの元に現れた謎の男が研究していたのは、異端思想ド真ン中の「ある真理」だった――
命を捨てても曲げられない信念があるか? 世界を敵に回しても貫きたい美学はあるか? アツい人間を描かせたら敵ナシの『ひゃくえむ。』魚豊が描く、歴史上最もアツい人々の物語!! ページを捲るたび血が沸き立つのを感じるはず。面白い漫画を読む喜びに打ち震えろ!!
感想 : 15世紀から時代を超えて地動説を証明しようとした人々の努力を描いた作品。エピソード別に主人公が変わるのが特徴である。ただ「地動説」という一つの「説」に拘るのではなく、「真理」を追い求める人々の奮闘を劇的に表現したことも印象的だった。また、この作品に描かれる時代を超えて受け継がれる真理への渇望が、人類発展の支えになったのだろうと思う。拷問の描写やグロテスクな場面があるため、苦手な人は注意が必要かも知れない。
17. デューン 砂の惑星 PART2(映画)
あらすじ : 「DUNE デューン 砂の惑星」の続編。
その惑星を制する者が全宇宙を制すると言われる砂の惑星デューンで繰り広げられたアトレイデス家とハルコンネン家の戦い。ハルコンネン家の陰謀により一族を滅ぼされたアトレイデス家の後継者ポールは、ついに反撃の狼煙を上げる。砂漠の民フレメンのチャニと心を通わせながら、救世主として民を率いていくポールだったが、宿敵ハルコンネン家の次期男爵フェイド=ラウサがデューンの新たな支配者として送り込まれてくる。
感想 : 前編で「これは始まりに過ぎない」という台詞があったと思うが、その台詞通り、PART2ではよりスケールの大きい物語が展開される。前編からの長所である音楽はより深みを持っており、多少静的な感じがあった前編とは対照的に、スピード感のあるストーリー展開や、大規模な戦闘シーンなど、観客を惹き付ける要素がたっぷり盛り込められている。どの映画もだが、映画館で観ることがお勧めの作品である。
18. オッペンハイマー(映画)
あらすじ : 「ダークナイト」「TENET テネット」などの大作を送り出してきたクリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。
第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。
感想 : オッペンハイマーという複雑な人物がキリアンマーフィーの完璧な演技を通じて説得力をもって描かれている。カラーと白黒を行き来する映像表現
も印象的だった。原爆は敏感な素材だが、それを作った人々の状況と、彼らに原爆を作らせた時代の雰囲気が充分に描写されるため、没入しやすくなっている。上映時間が長いが、緊張感を適切に維持しているため、退屈には感じなかった。
19. ノーカントリー(映画)
あらすじ : 荒野で狩をしていたベトナム帰還兵のモスは、偶然ギャングたちの死体と麻薬絡みの大金200万ドルを発見。 その金を奪ったモスは逃走するが、ギャングに雇われた殺し屋シガーは、邪魔者を次々と殺しながら執拗に彼の行方を追う。事件の発覚後、保安官のベルは二人の行方を探るが、彼らの運命は予測もしない衝撃の結末を迎え・・・。
感想 : 約20年前の作品であるが、現代社会にも通じるところが多い作品。数十年を生きてきた賢い老人でも、ものすごいスピードで変化していく現代社会の混沌と無秩序の前では手の施しようがない。混沌の化身的な存在であるシガーは、世の中の不条理を体現したキャラクターである。音楽が殆どが使われていないことも特徴的である。音楽を最小限にしたことが、作品の無機質的な雰囲気を際立たせている。分析や解釈が好きな人は見てみることもお勧めする。
20. パッション(映画)
あらすじ : イエス・キリストがその癒しと愛の思想により、周囲から尊敬されながら生活していた状況から一転、処刑されるまでの12時間に何が起きたのかが描かれている。弟子のユダに裏切られ、対立するユダヤ教団に捕まったイエス・キリスト。教団はエルサレムを統治するローマ総督のピラトに対して、キリストの死刑を要求。キリストに罪はないと信じるピラトだが、民衆の暴動を恐れて要求を呑む。
感想 : イエス • キリストの死と復活を描いた作品。聖書に基づいた描写や演出が印象的であり、ストーリー展開もほぼ聖書の内容に則している。ムチ打ちの刑や十字架にかけられるなど、イエスの肉体的苦痛を赤裸々に描いているため、残酷なシーンが多い。宗教映画ではあるが、宗教を信じない人も、1回は見てみても良いと思う。
有田真優美
RES
3年 有田真優美
春休み課題11-20
11『イエスマン YESは人生のパスワード』
2008年 監督:ペイトン・リード
あらすじ:後ろ向きな思考で何事にも「ノー」と答え、銀行の貸し付け業務の仕事も私生活もうまくいかない男。先行きに不安を感じて参加した自己啓発セミナーで、成り行きから「イエス」しか言わないと誓いを立てさせられる。そんな彼の身の回りに変化が起こり始める。
なんでもイエスと答えることで、自分でも知らなかった世界が開けることを教えてくれる。主人公はやりすぎだが、振り切った人間を見ると自分の決断は自分が思っているほど重いものでは無いのかもしれないとフラットに考え、フットワークの軽くなれる物語だと思う。
また、ジム・キャリーの顔芸の面白さ、コメディの笑いの力も人々の心に残る魅力のひとつ。
今まで否定したものに挑戦してみて視界が開けた経験は誰しも少なからずあるはずで、それを思い出させてくれたり、YESというたった一言で開けるかもしれないという勇気を貰える作品。
無理になんでもする必要は無いが、変わり映えのしない生活もつまらない。刺激的な人生も素敵だなと思える、元気になれると思う。様々な不幸も起きるが、洋画特有のアメリカンジョークとジム・キャリーの個性的な笑いに変える存在感、不幸からの幸運など展開のテンポの良さなど見ていて元気になる上に、そこから素敵な心に響くメッセージも貰える。
12『ウエディング・ハイ』2022年 監督:大九明子
あらすじ:新郎新婦の要望に沿った結婚式を作り上げる、優秀な女性ウェディングプランナー。ところが、あるカップルの結婚式にて、一癖も二癖もある参列者たちが暴走し始めたことで、彼女は次々と予測不能のトラブルに見舞われていく。
様々なトラブルと隣り合わせな結婚式の裏側を赤裸々に描きつつ、同時進行で起きていく事柄を追っていくテンポの良さや伏線回収、どんでん返しなどが妙だと思う。
結婚式に関わる様々な人々の思惑が交錯し、それに振り回されながらどうにかまとめあげるプランナーという図が笑いを誘い、こちらまでハラハラドキドキする騒がしさがあった。様々なキャラクターの視点でストーリーが語られるため全員が主人公のような雰囲気があった。スピーチなど結婚式のあるあるネタも散りばめられており共感できる場面も多く仕事の大変さも感じられるお仕事ヒューマンドラマの面も多分にあると思う。
13『殺意の道程』2020年 監督:住田崇
あらすじ:息子の一馬と従弟の吾妻満は、彼を自死へと追いやる原因となった取引先の社長・室岡義之への復讐を誓い、室岡殺害の完全犯罪を企てる。 しかし、これまで犯罪とは無縁に生きてきた二人にとって殺人は未知の領域。
バズリズムならではの会話のラリーで、会話をメインにあそこまで視聴者を引きつけるものができるのは脚本の妙だと感じる。
殺人計画と普段のくだらない日常が同居している感じが不思議で、そのギャップも良い。オープニングもシリアスな雰囲気を漂わせ殺人という非現実と、どんなに美味しいものも食べすぎると飽きるなど驚くほど現実的で身近な出来事を掛け合わせたくだらなさやギャップからくる脱力感が面白い。
わかるわかると思わせるセリフが多く、主人公のモノローグによる本音の語りで共感を誘う演出がコメディらしく面白い。
14『ある閉ざされた雪の山荘で』2024年 監督:飯塚健
あらすじ:劇団に所属する7人の役者たちに、最終オーディションの招待状が届く。 4日間の合宿で、彼らは雪に閉ざされた山荘で殺人事件が起こるという架空のシナリオを使って役を演じていく。 しかし、出口のない密室からメンバーがひとりずつ消え始め、事態は急変する。
雪の山荘という設定で繰り広げられるオーディションの中で、この特殊な環境をどう表現するんだろうと思っていたが、それぞれの部屋を間取り図のようにして全員の動きがわかるようにしたカットは素晴らしいなと思った。それによって観客側も全員の動きを見て誰が怪しいかなど推理することができ、複雑な状況の整理もしやすいと思う。また、半分の人がずっと真相を知った上で演技をしていたという役者ならではのどんでん返しがあり、ラストシーンや事故の原因も含め役者というものにフィーチャーしたミステリーだった。探偵のような存在はいないが、久我が最後に脚本家になることで辻褄も取れる上に観客が久我と同じ視点に立って謎解きをしやすくなっていったと思う。
15『世界から猫が消えたなら』2016年 監督:永井聡
あらすじ:飼い猫と暮らす30歳の男性。医者から余命宣告をされた彼はある日、自分と同じ姿をした悪魔と出会い、大切なものと引き換えに1日の命をもらう契約をする。時計、映画など次々と大切なものが失われていく中、彼は初恋の女性と再会する。
ファンタジックな設定とは裏腹にとても重たいテーマで自分ならどうするだろうととても考えさせられる作品であると思う。
しかし、なんだかんだで生き続ける主人公は平凡で現実的な主人公だと思う。何かが消えても命よりは大切で、何か大事だと思っていたものが消えても不思議と世界は回っていく。命とはなにか、生きるとはなにかを深く考える作品であると思う。
考えることはあってもここまでストレートに投げかけれられることもないと思う。
私は原作も読んだが、1日ごとに何かを消し、寿命を伸ばす。その度に何かを失っていき、自分の命について考える主人公は、突然突飛な設定と余命わずかというタイムリミットを告げられた視聴者側の心情とも重なる。いつ死ぬか分からないという恐怖は誰もがあり、見ていても苦しくなっていく共感性の高い作品であると思う。
世界からものが消えるシーンはどのように描写するんだと思っていたら、CGの技術がすごくて、このような深いテーマとファンタジーの要素がここまで違和感なく親和しているのは良いなと思った。
海外旅行に行くシーンは、普段触れない文化を通して今までの常識が覆る感覚があり、生死をテーマにした作品としてとても重要な場面であったと思う。また、実際に海外に行っているため現地の空気感などが画面を通して伝わってきて、小説では味わえない感覚だと感じた。
16『ゴジラ-1.0』2023年 監督:山崎貴
あらすじ:戦争により、先進国から「無」の状況に陥ってしまった日本。だがそこへゴジラが現れ、日本を「無」から「マイナス」の状況へとさらに落とし込んでいく。
戦争から生きて帰ったにもかかわらず、恥知らずと言われ、親も死にトラウマを抱え絶望の中に現れるゴジラの圧倒的な絶望感、最凶最悪さが前面に出ていた。そういった敵キャラは今までも沢山いたが、戦後間もない日本という舞台におけるゴジラの絶望感は圧倒的であった。ラストの沈んだあとの復活を匂わせる描写や
クレジットのゴジラの足音及び鳴き声はギリギリまでゴジラへの恐怖を煽る演出であると思う。様々なゴジラ作品がある中でここまで無慈悲で残酷な描写はないだろうと思うし、戦後を舞台にすることでかっこいいキャラクターのようなものになっていたゴジラがもとは核実験で生まれた化け物だということを思い出させてくれる作品であると思う。
ゴジラというキャラクター自体戦後すぐの第五福竜丸事件がきっかけで生まれ、ある意味ゴジラの原点回帰のような側面もあると感じた。
また、残酷な描写も多いが、VFX技術が素晴らしく、ゴジラの熱線や海から立ち上がった瞬間の立ち姿など絶望感もありつつも、子供の頃から見ていた巨大怪獣だという感動も大きく、終盤の定番のBGMの盛り上がりも良い。残酷な面はありつつも怪獣としてのゴジラのかっこよさも感じ、70年も愛されてきた理由が少しわかった気がする。
17『 ペンギン・ハイウェイ』2018年 監督:石川祐康
あらすじ:気になったことはとことん研究する真面目で小生意気な小学4年生・アオヤマ君は、謎めいた雰囲気の歯科医院のお姉さんを研究していた。そんな中、街に突如ペンギンが現われる不思議な現象が発生。アオヤマ君は、さっそく研究に取り掛かる。
真実が分かりきらないところや、お父さんの仕事がはっきりしないところなどが主人公であるアオヤマくん目線らしく、子ども目線ならではの懐かしい感覚がした。分からないことだらけだからこそ好奇心旺盛で勉強熱心なところや、大人には頼るまいとする姿が子どもらしかった。大人になることへの待ち遠しさや大人になって忘れかけていた子ども視点の感覚を多く受けとり、子どもも大人も楽しめる作品であると思った。
海とペンギンの謎など分からないことも多かったが、夏休みの壮大な自由研究と考えるとその過程の大冒険を覗けるワクワクや懐かしさが大人も楽しめると思った。
なによりペンギンが可愛らしく、彼ら自身はただのペンギンでしかないのがより可愛らしさと不思議さを持っていて良かった。
ペンギンの大群は圧巻でペンギン自体がポケモンなどのような愛らしさを持っており、そのキャラクターがリアルな世界観と共存しているギャップも面白い。
18『DESTINY鎌倉ものがたり』2017年 監督:山崎貴
あらすじ:年の離れたミステリー作家と結婚した女性。彼女は鎌倉での新しい生活に驚く。その街には、魔物や幽霊、妖怪や仏など、人間以外のものが一緒に暮らしていた。戸惑いながらもその生活に慣れ始めたある日、夫婦を悲劇が襲う。
鎌倉という舞台がどこか懐かしさもあり、妖怪といった類を当然のように受け入れている世界観が新鮮で面白い。その中でもあきこの純粋さや大きなリアクションのおかげで観客が置いていかれることも無く楽しめる。
天燈鬼や貧乏神といった日本の伝承、文化も多く取り入れられており、黄泉の世界のVFXなどもクオリティが高く、ファンタジー映画としてもとてもクオリティが高い。
日本は技術の問題もあり実写のファンタジー映画の印象は海外ほどはないが、日本の伝統文化を取り入れることによってオリジナリティを出している。情緒や懐かしさ、怪しさを感じられ、下手に現代でVFXを使い、海外と比較されるよりも日本のVFXの美しさをより感じられると思った。
また、ゴジラの後に観たため、現在のVFXの進化を感じるクオリティでもあった。だが、当時で言えばかなりファンタジーとしてクオリティが高かったことは確かだと思う。
19『パレード』2024年 監督:藤井道人
あらすじ:瓦礫が打ち上げられた海辺で目を覚ました美奈子。 離ればなれになった一人息子を捜す彼女は、道中でアキラとその仲間たちと出会い、自分が死んだことを知る。 ただ、未練を残して世を去ったため、まだ“その先”に行くことができない。
死んだ先の世界は様々な想像が膨らまされるが、タイトルにもあるパレードのような会いたい人を探す夜行は視覚的にもとても美しくて、感動した。会いたい人を探すということは人と人の繋がりを感じる設定で人と人との繋がりが昔よりも希薄になりがちな現代人に刺さる設定だと思った。
一人一人会いたい人との物語があり、誰しもが共感できるキャラがいるのではないかと思う。ラストの映画の世界だったというオチはアキラの小説が原作になっているだろうし、伏線回収もされて綺麗に纏まっていて良かった。7人の空気感やメンバーが入れ替わっていく中での空気感の変化、多くの彷徨う死者の人々など特殊な環境下での人々の期限付きの繋がりが面白く、死んでもなお誰かを思いやり行動するという人の温かさのようなものを感じた。
20『ジュラシックワールド』2015年 監督:コレン・トレヴォロウ
あらすじ:恐竜と触れ合うことができるテーマパーク「ジュラシック・ワールド」がオープンし、連日多くの観光客で賑わっていた。施設の監督官の女性は、自身の甥2人が来園するも、新種の恐竜の準備のために多忙で相手ができない。そんな中、遺伝子組み換え操作によって創り出された巨大で凶暴な恐竜インドミナス・レックスが逃げ出し、未曾有の緊急事態となる。
正義感があり、判断力に優れた主人公、融通の聞かない強気のヒロイン、生意気な口をききながら最後には呆気なくやられる悪役などどのキャラもとても立っていて分かりやすい。恐竜というとんでもないインパクトのある敵がいる分キャラクターはシンプルで人間同士のストーリーも王道で、応援する対象が分かりやすいため観客も一緒に熱く盛り上がりやすいと思う。また、中盤過ぎまで恐竜はとても凶暴で恐ろしい圧倒的な悪であったが、ラプトルや、レックス同士の戦いなどただの悪ではなく現実世界で言うライオンの百獣の王のようなかっこよさを感じるキャラクターとして恐竜が描かれている。ラストの咆哮などを見てもあくまでこの作品の主役は恐竜であるということを感じるラストであった。
恐竜の圧倒的な強さやそれと戦うオーウェンや兄弟、クレアなどのファインプレーの数々など観客を熱狂させるシーンの連続で、ラストの畳み掛けのような恐竜同士の戦いの頂上決戦感やラプトル、モササウルスのファインプレーなどもエンタメとしてとても観客を意識した作りだと思う。
春休み課題11-20
11『イエスマン YESは人生のパスワード』
2008年 監督:ペイトン・リード
あらすじ:後ろ向きな思考で何事にも「ノー」と答え、銀行の貸し付け業務の仕事も私生活もうまくいかない男。先行きに不安を感じて参加した自己啓発セミナーで、成り行きから「イエス」しか言わないと誓いを立てさせられる。そんな彼の身の回りに変化が起こり始める。
なんでもイエスと答えることで、自分でも知らなかった世界が開けることを教えてくれる。主人公はやりすぎだが、振り切った人間を見ると自分の決断は自分が思っているほど重いものでは無いのかもしれないとフラットに考え、フットワークの軽くなれる物語だと思う。
また、ジム・キャリーの顔芸の面白さ、コメディの笑いの力も人々の心に残る魅力のひとつ。
今まで否定したものに挑戦してみて視界が開けた経験は誰しも少なからずあるはずで、それを思い出させてくれたり、YESというたった一言で開けるかもしれないという勇気を貰える作品。
無理になんでもする必要は無いが、変わり映えのしない生活もつまらない。刺激的な人生も素敵だなと思える、元気になれると思う。様々な不幸も起きるが、洋画特有のアメリカンジョークとジム・キャリーの個性的な笑いに変える存在感、不幸からの幸運など展開のテンポの良さなど見ていて元気になる上に、そこから素敵な心に響くメッセージも貰える。
12『ウエディング・ハイ』2022年 監督:大九明子
あらすじ:新郎新婦の要望に沿った結婚式を作り上げる、優秀な女性ウェディングプランナー。ところが、あるカップルの結婚式にて、一癖も二癖もある参列者たちが暴走し始めたことで、彼女は次々と予測不能のトラブルに見舞われていく。
様々なトラブルと隣り合わせな結婚式の裏側を赤裸々に描きつつ、同時進行で起きていく事柄を追っていくテンポの良さや伏線回収、どんでん返しなどが妙だと思う。
結婚式に関わる様々な人々の思惑が交錯し、それに振り回されながらどうにかまとめあげるプランナーという図が笑いを誘い、こちらまでハラハラドキドキする騒がしさがあった。様々なキャラクターの視点でストーリーが語られるため全員が主人公のような雰囲気があった。スピーチなど結婚式のあるあるネタも散りばめられており共感できる場面も多く仕事の大変さも感じられるお仕事ヒューマンドラマの面も多分にあると思う。
13『殺意の道程』2020年 監督:住田崇
あらすじ:息子の一馬と従弟の吾妻満は、彼を自死へと追いやる原因となった取引先の社長・室岡義之への復讐を誓い、室岡殺害の完全犯罪を企てる。 しかし、これまで犯罪とは無縁に生きてきた二人にとって殺人は未知の領域。
バズリズムならではの会話のラリーで、会話をメインにあそこまで視聴者を引きつけるものができるのは脚本の妙だと感じる。
殺人計画と普段のくだらない日常が同居している感じが不思議で、そのギャップも良い。オープニングもシリアスな雰囲気を漂わせ殺人という非現実と、どんなに美味しいものも食べすぎると飽きるなど驚くほど現実的で身近な出来事を掛け合わせたくだらなさやギャップからくる脱力感が面白い。
わかるわかると思わせるセリフが多く、主人公のモノローグによる本音の語りで共感を誘う演出がコメディらしく面白い。
14『ある閉ざされた雪の山荘で』2024年 監督:飯塚健
あらすじ:劇団に所属する7人の役者たちに、最終オーディションの招待状が届く。 4日間の合宿で、彼らは雪に閉ざされた山荘で殺人事件が起こるという架空のシナリオを使って役を演じていく。 しかし、出口のない密室からメンバーがひとりずつ消え始め、事態は急変する。
雪の山荘という設定で繰り広げられるオーディションの中で、この特殊な環境をどう表現するんだろうと思っていたが、それぞれの部屋を間取り図のようにして全員の動きがわかるようにしたカットは素晴らしいなと思った。それによって観客側も全員の動きを見て誰が怪しいかなど推理することができ、複雑な状況の整理もしやすいと思う。また、半分の人がずっと真相を知った上で演技をしていたという役者ならではのどんでん返しがあり、ラストシーンや事故の原因も含め役者というものにフィーチャーしたミステリーだった。探偵のような存在はいないが、久我が最後に脚本家になることで辻褄も取れる上に観客が久我と同じ視点に立って謎解きをしやすくなっていったと思う。
15『世界から猫が消えたなら』2016年 監督:永井聡
あらすじ:飼い猫と暮らす30歳の男性。医者から余命宣告をされた彼はある日、自分と同じ姿をした悪魔と出会い、大切なものと引き換えに1日の命をもらう契約をする。時計、映画など次々と大切なものが失われていく中、彼は初恋の女性と再会する。
ファンタジックな設定とは裏腹にとても重たいテーマで自分ならどうするだろうととても考えさせられる作品であると思う。
しかし、なんだかんだで生き続ける主人公は平凡で現実的な主人公だと思う。何かが消えても命よりは大切で、何か大事だと思っていたものが消えても不思議と世界は回っていく。命とはなにか、生きるとはなにかを深く考える作品であると思う。
考えることはあってもここまでストレートに投げかけれられることもないと思う。
私は原作も読んだが、1日ごとに何かを消し、寿命を伸ばす。その度に何かを失っていき、自分の命について考える主人公は、突然突飛な設定と余命わずかというタイムリミットを告げられた視聴者側の心情とも重なる。いつ死ぬか分からないという恐怖は誰もがあり、見ていても苦しくなっていく共感性の高い作品であると思う。
世界からものが消えるシーンはどのように描写するんだと思っていたら、CGの技術がすごくて、このような深いテーマとファンタジーの要素がここまで違和感なく親和しているのは良いなと思った。
海外旅行に行くシーンは、普段触れない文化を通して今までの常識が覆る感覚があり、生死をテーマにした作品としてとても重要な場面であったと思う。また、実際に海外に行っているため現地の空気感などが画面を通して伝わってきて、小説では味わえない感覚だと感じた。
16『ゴジラ-1.0』2023年 監督:山崎貴
あらすじ:戦争により、先進国から「無」の状況に陥ってしまった日本。だがそこへゴジラが現れ、日本を「無」から「マイナス」の状況へとさらに落とし込んでいく。
戦争から生きて帰ったにもかかわらず、恥知らずと言われ、親も死にトラウマを抱え絶望の中に現れるゴジラの圧倒的な絶望感、最凶最悪さが前面に出ていた。そういった敵キャラは今までも沢山いたが、戦後間もない日本という舞台におけるゴジラの絶望感は圧倒的であった。ラストの沈んだあとの復活を匂わせる描写や
クレジットのゴジラの足音及び鳴き声はギリギリまでゴジラへの恐怖を煽る演出であると思う。様々なゴジラ作品がある中でここまで無慈悲で残酷な描写はないだろうと思うし、戦後を舞台にすることでかっこいいキャラクターのようなものになっていたゴジラがもとは核実験で生まれた化け物だということを思い出させてくれる作品であると思う。
ゴジラというキャラクター自体戦後すぐの第五福竜丸事件がきっかけで生まれ、ある意味ゴジラの原点回帰のような側面もあると感じた。
また、残酷な描写も多いが、VFX技術が素晴らしく、ゴジラの熱線や海から立ち上がった瞬間の立ち姿など絶望感もありつつも、子供の頃から見ていた巨大怪獣だという感動も大きく、終盤の定番のBGMの盛り上がりも良い。残酷な面はありつつも怪獣としてのゴジラのかっこよさも感じ、70年も愛されてきた理由が少しわかった気がする。
17『 ペンギン・ハイウェイ』2018年 監督:石川祐康
あらすじ:気になったことはとことん研究する真面目で小生意気な小学4年生・アオヤマ君は、謎めいた雰囲気の歯科医院のお姉さんを研究していた。そんな中、街に突如ペンギンが現われる不思議な現象が発生。アオヤマ君は、さっそく研究に取り掛かる。
真実が分かりきらないところや、お父さんの仕事がはっきりしないところなどが主人公であるアオヤマくん目線らしく、子ども目線ならではの懐かしい感覚がした。分からないことだらけだからこそ好奇心旺盛で勉強熱心なところや、大人には頼るまいとする姿が子どもらしかった。大人になることへの待ち遠しさや大人になって忘れかけていた子ども視点の感覚を多く受けとり、子どもも大人も楽しめる作品であると思った。
海とペンギンの謎など分からないことも多かったが、夏休みの壮大な自由研究と考えるとその過程の大冒険を覗けるワクワクや懐かしさが大人も楽しめると思った。
なによりペンギンが可愛らしく、彼ら自身はただのペンギンでしかないのがより可愛らしさと不思議さを持っていて良かった。
ペンギンの大群は圧巻でペンギン自体がポケモンなどのような愛らしさを持っており、そのキャラクターがリアルな世界観と共存しているギャップも面白い。
18『DESTINY鎌倉ものがたり』2017年 監督:山崎貴
あらすじ:年の離れたミステリー作家と結婚した女性。彼女は鎌倉での新しい生活に驚く。その街には、魔物や幽霊、妖怪や仏など、人間以外のものが一緒に暮らしていた。戸惑いながらもその生活に慣れ始めたある日、夫婦を悲劇が襲う。
鎌倉という舞台がどこか懐かしさもあり、妖怪といった類を当然のように受け入れている世界観が新鮮で面白い。その中でもあきこの純粋さや大きなリアクションのおかげで観客が置いていかれることも無く楽しめる。
天燈鬼や貧乏神といった日本の伝承、文化も多く取り入れられており、黄泉の世界のVFXなどもクオリティが高く、ファンタジー映画としてもとてもクオリティが高い。
日本は技術の問題もあり実写のファンタジー映画の印象は海外ほどはないが、日本の伝統文化を取り入れることによってオリジナリティを出している。情緒や懐かしさ、怪しさを感じられ、下手に現代でVFXを使い、海外と比較されるよりも日本のVFXの美しさをより感じられると思った。
また、ゴジラの後に観たため、現在のVFXの進化を感じるクオリティでもあった。だが、当時で言えばかなりファンタジーとしてクオリティが高かったことは確かだと思う。
19『パレード』2024年 監督:藤井道人
あらすじ:瓦礫が打ち上げられた海辺で目を覚ました美奈子。 離ればなれになった一人息子を捜す彼女は、道中でアキラとその仲間たちと出会い、自分が死んだことを知る。 ただ、未練を残して世を去ったため、まだ“その先”に行くことができない。
死んだ先の世界は様々な想像が膨らまされるが、タイトルにもあるパレードのような会いたい人を探す夜行は視覚的にもとても美しくて、感動した。会いたい人を探すということは人と人の繋がりを感じる設定で人と人との繋がりが昔よりも希薄になりがちな現代人に刺さる設定だと思った。
一人一人会いたい人との物語があり、誰しもが共感できるキャラがいるのではないかと思う。ラストの映画の世界だったというオチはアキラの小説が原作になっているだろうし、伏線回収もされて綺麗に纏まっていて良かった。7人の空気感やメンバーが入れ替わっていく中での空気感の変化、多くの彷徨う死者の人々など特殊な環境下での人々の期限付きの繋がりが面白く、死んでもなお誰かを思いやり行動するという人の温かさのようなものを感じた。
20『ジュラシックワールド』2015年 監督:コレン・トレヴォロウ
あらすじ:恐竜と触れ合うことができるテーマパーク「ジュラシック・ワールド」がオープンし、連日多くの観光客で賑わっていた。施設の監督官の女性は、自身の甥2人が来園するも、新種の恐竜の準備のために多忙で相手ができない。そんな中、遺伝子組み換え操作によって創り出された巨大で凶暴な恐竜インドミナス・レックスが逃げ出し、未曾有の緊急事態となる。
正義感があり、判断力に優れた主人公、融通の聞かない強気のヒロイン、生意気な口をききながら最後には呆気なくやられる悪役などどのキャラもとても立っていて分かりやすい。恐竜というとんでもないインパクトのある敵がいる分キャラクターはシンプルで人間同士のストーリーも王道で、応援する対象が分かりやすいため観客も一緒に熱く盛り上がりやすいと思う。また、中盤過ぎまで恐竜はとても凶暴で恐ろしい圧倒的な悪であったが、ラプトルや、レックス同士の戦いなどただの悪ではなく現実世界で言うライオンの百獣の王のようなかっこよさを感じるキャラクターとして恐竜が描かれている。ラストの咆哮などを見てもあくまでこの作品の主役は恐竜であるということを感じるラストであった。
恐竜の圧倒的な強さやそれと戦うオーウェンや兄弟、クレアなどのファインプレーの数々など観客を熱狂させるシーンの連続で、ラストの畳み掛けのような恐竜同士の戦いの頂上決戦感やラプトル、モササウルスのファインプレーなどもエンタメとしてとても観客を意識した作りだと思う。
有田真優美
RES
3年 有田真優美
春休み課題1-10
1『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』2022年
監督:竹林亮
あらすじ:同じ1週間を繰り返していることに気づいた小さな広告代理店の社員たち。その原因である上司にどうにかタイムリープに気づいてもらおうと奮闘するが...。
お仕事×ファンタジーコメディ。
上司に気づかせないと終わらないという設定の面白さやその上司がマキタスポーツさんだというコメディに強い役者の面白さもあり、
テーマや設定がとても良いなと思う。また、上申制度で徐々に仲間を増やしていく展開はループを知っている視聴者側も一緒に気づいてくれという気持ちになり、社員たちの行動をよく見るなど視聴者を物語に引き込む展開だなと思う。
それに加え、お仕事ドラマの要素もあり学生の私から見ても会社ってこんな感じなんだろうなぁと思わせるような細かいリアルな描写が、視聴者の共感を高めているように思う。
誰もが後悔をしながら生きていて、時を戻せたらと考える瞬間もある。夢や仕事の悩みなど、普遍的でかつ今を生きる社会人の人々に深く刺さるストーリーだと思った。
曲の選曲もポップで若者にハマりそうな曲調でハトのインパクトやカメラワークなどの妙、タイムリープに慣れていく社員など全体的にテンポがよく楽しく見られる作品だと思う。楽しく、あっという間で、でも観終わった時に観る前とは違う心持ち、確かな感激に浸ることのできる作品だと思う。
2『華麗なるギャツビー』1974年 監督:ジャック・クレイトン
あらすじ:「或る男の一生」「暗黒街の巨頭」に続くF・スコット・フィッツジェラルドの小説3度目の映画化。1920年代のアメリカ上流階級を舞台に、ひとりの富豪ジェイ・ギャツビーの知られざる過去を通して、非情な社会の現実を描くが、華やかな雰囲気がそのまま作品の色となり、メロドラマ的な印象が残る。脚本はF・F・コッポラ。
序盤から、北欧人種がどうのと人種差別的な発言をしていて、使われている電話の形など様々なところから1970年代、さらに舞台となる1920年代を感じるテイストで普段古い映画を見ない私自身としてはそれだけで新鮮さを感じた。
カメラワークも見せたいところを急な顔のアップなどで表現しており、それは1900年代の邦画でも見たことのあるものだったため、カメラの技術としての流行りのようなものはあるのかなと感じた。
タイトルにもある割にはギャツビーは序盤は全く出てこない。だがそれがより登場シーンの華麗さやかっこよさを感じた。
しかしその登場シーンとは対照的に身分違いの恋などでうまくいかず、最後は寂しいものだったと思う。
逆に彼が人生をかけたデイジーは彼が死んだにもかかわらずあまりにも冷たく、葬式にも来ず次の地へと引越してしまうあたりは彼女の身勝手さをとても感じるシーンであった。
お金持ちの娘は貧しい人とは結婚しないのというような台詞から当時の女性の地位のようなものや貧富の差なども感じ、デイジーはそのような社会の中で求められる女性像を演じ、金持ちでいるために上手く立ち回っているようにも感じた。そのためにもギャツビーのことはすぐに忘れトムに戻るあたりは冷酷だが自分と娘が幸せになるために全てなかったことにしたのかなとも感じた。
メガネの広告がカメラのカットの時の車のライトとの重ねなど幾度となく大事な場面で出ており、全て見透かしているような神の視点のような目だった。この物語自体もニックがナレーションで語りをしており、オープニングの映像もギャツビーが死んだ後の廃れた家が映し出されており、全てが回想のような世界観がある。
父の持ってきたノートからも分かるように希望への飽くなき執念とたぐいまれなロマンチックな心情をギャツビーは持っていたが、それは普通の人が滅多に持ち得るものではない。その特別な親友との出会いを、ニックが友情は生きているあいだだけ、死ねば終わりとひと夏の物語に閉じ込めた美しいラスト、世界観の映画だった。
3『グレイテスト・ショーマン』2017年 監督:マイケル・グレイシー
あらすじ:19世紀半ばの米国で、失敗を繰り返しながらも家族のために奮闘し続ける興行師の男性。やがて、唯一無二の個性を持つ演者を集めたかつてないサーカスを始める。彼らのショーは成功を収めたが、同時に批判家たちは酷評。なおも彼は、次なる挑戦を続けていく。
ミュージカル映画として名曲ばかりで高揚するような曲が多くあった。それはバーナムが上昇志向な人間で自信家だからこそどんどん目標を達成していくテンポの良さもあると思う。序盤の驚くほどのテンポの良さは歌に乗せてストーリーを進めているからできることだなと思った。
見世物小屋をこのような角度で表現したのはすごいなと思う。また実在した彼の人生を感動のミュージカルという形にまとめあげたのはすごいと思う。センシティブな題材ではあるが、マイノリティに億さずオンリーワンでいようとする姿や夢へのあくなき情熱などミュージカルらしく伝えたいことを全面に押し出している。多様性を叫ばれる今の時代だからこそ個性を尊重する、堂々とした登場人物たちに感動する人も多いのだろうと思う。
何より作品のキラキラとした明るい世界観、バーナムの見習いたくなるような自信家ぶり、サーカスのキャストたちの自信をつけていく様のかっこよさ、芸術とはなにか、夢を追いかける楽しさなどとても前向きになるメッセージが多く込められた作品であると思う。
4『夜明けのすべて』2024年 監督:三宅唱
あらすじ: 月経前症候群でイライラが抑えられなくなってしまう藤沢さんと、パニック障害を抱える山添くん。2人は、理解のある職場の人たちにも支えられながら、次第に同志のような気持ちで互いを思い合うようになっていく。
どちらもまだあまり知られたものではなく、pmsに関しては私もこの作品で初めてちゃんと認識した。
私はあまり重い方では無く、むしろ少し調子が悪い時に重なっていると、ああ、自分のせいではなく生理的なものなんだと少し安心材料になるものであった。ただそれは軽いからであって、ひどくなると本当にきついだろうし、それをちゃんと映画で言葉にして、映像にするということはとても大事なことだと思う。理解されづらいものだからこそこうやって作品にすることで普段表立って言えないものを表現することが出来るのは、映画や小説など創作の強みであると思う。
また、登場人物みんながとても優しい世界だなと思った。現実的な問題を提起しているからこそ、周りの人々の温かさに感動したし、理想の世界ではあるが人に恵まれるということのありがたさを感じた作品であった。
二人の関係性も現代的だなと思う。必ずしも男女が恋愛関係になる訳ではなく、2人独自の関係性があり、そこも今らしく新しい価値観を提示した作品であると思う。
5『すずめの戸締り』2022年 監督:新海誠
あらすじ:1人の少女が、ある時山の中で不思議な扉に遭遇する。その矢先、日本中で扉が出現し始め、その扉が開くことでさまざまな災いが次々と起こっていく。そこで、少女は各地の扉を閉める旅へ出発する。
地震を巨大なミミズと捉えているのは、古来の人々が地震をナマズに捉えているのと似たものを感じた。
そういった古来の伝承や倫理観を元にした設定が新海誠作品は細かく描かれている。
その中でもラブストーリーという軸はぶれず、世界が大きく変わってしまうような大災害との戦いで生まれる絆や思い出される過去の記憶など壮大であった。でも壮大でありながら地震というとても身近なものであるからこそ日本人にはより深く刺さるものがあると思う。また、ダイジンが途中で喋らなくなるシーンなどはジジを想起させ面白い。
また、これまでの新海誠作品と違い、猫が喋るという設定も面白かった。可愛らしい猫が顔を歪ませ、幼い子どもが声を当てるからこその不気味さや、怖さがある。
6『天気の子』2019年 監督:新海誠
あらすじ:離島の実家から家出して東京にやって来た高校生・森嶋帆高。職探しに苦労するも、オカルト雑誌のライターという仕事にありつく。何日も雨が降り続く中、帆高は弟と2人で暮らす明るい少女・天野陽菜と出会う。そして彼は、彼女が不思議な能力を持っていることに気づく。
この作品は陽菜の能力や沈没するという世界の形を変えるできごとなど壮大で、神話的、民族的なモチーフが多く使われている。だが、根本は純愛ストーリーだなと感じ、「君の名は。」「すずめの戸締り」と通じている部分だなと感じる。
「君の名は。」の三葉らが登場する場面は「君の名は。」がヒットしているからこそできる演出でありそうでない演出のため、新海誠という監督だからできることだなと感じた。
7『PERFECT DAYS』2023年 監督:ヴィム・ヴェンダース
あらすじ:トイレ清掃員として働く男性は、音楽や読書、写真を楽しみながら平穏な毎日を過ごしていた。そんな彼に、ある時思いもよらぬ再会が訪れる。
主人公がほぼ喋らず、日常の営みが丁寧に繊細に描かれている作品。だからこそ音楽や、息遣い、言葉一つ一つ、行動一つ一つに注目でき、それが心にすっと入ってくる物語。
その中でもカセットなど普段触れることの無い生活に触れ、貧しくともどこか羨ましく感じる穏やかさや優しさがあった。
また、様々なトイレの形を見ることが出来て、そんなトイレもあるのかと普段気にしない部分に目を向けることが出来る。
個人的には上野のトイレミュージアムに入った時のことを思い出す。
トイレにも人の細やかな工夫があるということに気づかせてくれる作品でもあると思う。
生活的には落ちぶれた側に見えるかもしれないが、誰よりも綺麗な心を持った人で、丁寧な仕事ぶりに自分も頑張ろうと思わせてもらえる作品。
人の些細だけど、丁寧な生活の一部を覗かせてもらっている感じで美しい自然やほっこりする人との関わりも描かれ、観たあととても穏やかな気持ちになれる作品。
8『ドラえもん カチコチ南極冒険』2017年 監督:高橋敦史
あらすじ:真夏の暑さを避けて、のび太たちは南太平洋に浮かぶ氷山に出かける。そこで彼らは氷の中に不思議なリングを発見。調べてみると、そのリングが埋まっていた氷は人が住んでいないはずの10万年前の南極のものだった。のび太たちは謎を解くため、南極へと向かう。
映像がとても綺麗で、氷の描写などは劇場で見たらさらに綺麗だろうなと感じた。
どちらも本物じゃだめ?と言うのび太が優しいだけでなく、のび太が1番ドラえもんのことをわかっているだろうとのび太に信頼を寄せているスネ夫、ジャイアン、しずかちゃん達4人の友情にも感動した。
パオパオの設定やラストの展開はまさにドラえもんという展開で久々に見てもドラえもんの世界のタイムマシンなどひみつ道具に対するエモーショナルな気持ちを感じることが出来るラストだった。
9『空白』2021年 監督:吉田恵輔
あらすじ:スーパーの店長に万引きを見咎められた女子中学生は、逃げて車道に飛び出したところ、凄惨な事故に巻き込まれて命を落としてしまう。彼女の父親である添田は、事故の原因となったスーパーの店長を追い詰めようと、マスコミを巻き込みながら激しい憎悪をエスカレートさせていく。ヒューマンサスペンス。
万引きが悪いことであることは言うまでもないが、それすら揺らぐ人の死というものの残酷さを感じた。父親の死んでまで娘を悪く思われたくないという気持ちや、追いかけただけなのに世間からまでも批判されなければならなくなった男の苦しみなど、彼ら全員のどこにも行き場のない怒りや苦しみ、悲しみが混ざりあった作品であった。死んだ人間には何も聞くことが出来ないからこそぽっかり空いた空白にもがく人々、そして容赦のない世間が垣間見えた。
また、切り取られてしまう恐ろしさや、言葉足らずであったり、喋りすぎてしまったりという言葉の難しさや現代のSNSの見えない恐怖を感じた。
10『ふわふわ』1998年刊行
著者:村上春樹 絵:安西水丸
あらすじ:「ぼくは世界じゅうのたいていの猫が好きだけれど、この地上に生きているあらゆる種類の猫たちのなかで、年老いたおおきな雌猫がいちばん好きだ。」ふわふわとした、みごとに美しい毛をもつ猫が教えてくれる、いのちあるものにとってひとしく大事なこととはなにか。すべての人のなつかしく温かい記憶がよみがえるお話。
「長いあいだ使われていなかった広い風呂場を思わせるような広がりのある午後」
など比喩が多く使われており、想像力が掻き立てられるだけでなく、そんな表現をするのかという発見があり、面白い。村上春樹を感じる文章。でも子供向けの児童書なだけあり、その比喩が分かりやすく、絵の可愛さもある。
ぼくとねこだけの時間で、猫の毛を吸い込み猫の時間というものを感じている描写は、比喩なども含め私も犬を飼っていたので何となく言っていることがわかった。
猫は猫でも年老いた猫というのは落ち着いた、暖かい世界観、いのちのことを教えてくれるなどの点で年老いた子なのかなと思った。また、描写の細さから実際に飼っていた子なのかなとも思った。
全体を通して、最初は比喩の連発に面白くなるが、動物を飼っている人間ならではの感性に共感もでき、どこか懐かしい気持ちになれる作品であると思う。
春休み課題1-10
1『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』2022年
監督:竹林亮
あらすじ:同じ1週間を繰り返していることに気づいた小さな広告代理店の社員たち。その原因である上司にどうにかタイムリープに気づいてもらおうと奮闘するが...。
お仕事×ファンタジーコメディ。
上司に気づかせないと終わらないという設定の面白さやその上司がマキタスポーツさんだというコメディに強い役者の面白さもあり、
テーマや設定がとても良いなと思う。また、上申制度で徐々に仲間を増やしていく展開はループを知っている視聴者側も一緒に気づいてくれという気持ちになり、社員たちの行動をよく見るなど視聴者を物語に引き込む展開だなと思う。
それに加え、お仕事ドラマの要素もあり学生の私から見ても会社ってこんな感じなんだろうなぁと思わせるような細かいリアルな描写が、視聴者の共感を高めているように思う。
誰もが後悔をしながら生きていて、時を戻せたらと考える瞬間もある。夢や仕事の悩みなど、普遍的でかつ今を生きる社会人の人々に深く刺さるストーリーだと思った。
曲の選曲もポップで若者にハマりそうな曲調でハトのインパクトやカメラワークなどの妙、タイムリープに慣れていく社員など全体的にテンポがよく楽しく見られる作品だと思う。楽しく、あっという間で、でも観終わった時に観る前とは違う心持ち、確かな感激に浸ることのできる作品だと思う。
2『華麗なるギャツビー』1974年 監督:ジャック・クレイトン
あらすじ:「或る男の一生」「暗黒街の巨頭」に続くF・スコット・フィッツジェラルドの小説3度目の映画化。1920年代のアメリカ上流階級を舞台に、ひとりの富豪ジェイ・ギャツビーの知られざる過去を通して、非情な社会の現実を描くが、華やかな雰囲気がそのまま作品の色となり、メロドラマ的な印象が残る。脚本はF・F・コッポラ。
序盤から、北欧人種がどうのと人種差別的な発言をしていて、使われている電話の形など様々なところから1970年代、さらに舞台となる1920年代を感じるテイストで普段古い映画を見ない私自身としてはそれだけで新鮮さを感じた。
カメラワークも見せたいところを急な顔のアップなどで表現しており、それは1900年代の邦画でも見たことのあるものだったため、カメラの技術としての流行りのようなものはあるのかなと感じた。
タイトルにもある割にはギャツビーは序盤は全く出てこない。だがそれがより登場シーンの華麗さやかっこよさを感じた。
しかしその登場シーンとは対照的に身分違いの恋などでうまくいかず、最後は寂しいものだったと思う。
逆に彼が人生をかけたデイジーは彼が死んだにもかかわらずあまりにも冷たく、葬式にも来ず次の地へと引越してしまうあたりは彼女の身勝手さをとても感じるシーンであった。
お金持ちの娘は貧しい人とは結婚しないのというような台詞から当時の女性の地位のようなものや貧富の差なども感じ、デイジーはそのような社会の中で求められる女性像を演じ、金持ちでいるために上手く立ち回っているようにも感じた。そのためにもギャツビーのことはすぐに忘れトムに戻るあたりは冷酷だが自分と娘が幸せになるために全てなかったことにしたのかなとも感じた。
メガネの広告がカメラのカットの時の車のライトとの重ねなど幾度となく大事な場面で出ており、全て見透かしているような神の視点のような目だった。この物語自体もニックがナレーションで語りをしており、オープニングの映像もギャツビーが死んだ後の廃れた家が映し出されており、全てが回想のような世界観がある。
父の持ってきたノートからも分かるように希望への飽くなき執念とたぐいまれなロマンチックな心情をギャツビーは持っていたが、それは普通の人が滅多に持ち得るものではない。その特別な親友との出会いを、ニックが友情は生きているあいだだけ、死ねば終わりとひと夏の物語に閉じ込めた美しいラスト、世界観の映画だった。
3『グレイテスト・ショーマン』2017年 監督:マイケル・グレイシー
あらすじ:19世紀半ばの米国で、失敗を繰り返しながらも家族のために奮闘し続ける興行師の男性。やがて、唯一無二の個性を持つ演者を集めたかつてないサーカスを始める。彼らのショーは成功を収めたが、同時に批判家たちは酷評。なおも彼は、次なる挑戦を続けていく。
ミュージカル映画として名曲ばかりで高揚するような曲が多くあった。それはバーナムが上昇志向な人間で自信家だからこそどんどん目標を達成していくテンポの良さもあると思う。序盤の驚くほどのテンポの良さは歌に乗せてストーリーを進めているからできることだなと思った。
見世物小屋をこのような角度で表現したのはすごいなと思う。また実在した彼の人生を感動のミュージカルという形にまとめあげたのはすごいと思う。センシティブな題材ではあるが、マイノリティに億さずオンリーワンでいようとする姿や夢へのあくなき情熱などミュージカルらしく伝えたいことを全面に押し出している。多様性を叫ばれる今の時代だからこそ個性を尊重する、堂々とした登場人物たちに感動する人も多いのだろうと思う。
何より作品のキラキラとした明るい世界観、バーナムの見習いたくなるような自信家ぶり、サーカスのキャストたちの自信をつけていく様のかっこよさ、芸術とはなにか、夢を追いかける楽しさなどとても前向きになるメッセージが多く込められた作品であると思う。
4『夜明けのすべて』2024年 監督:三宅唱
あらすじ: 月経前症候群でイライラが抑えられなくなってしまう藤沢さんと、パニック障害を抱える山添くん。2人は、理解のある職場の人たちにも支えられながら、次第に同志のような気持ちで互いを思い合うようになっていく。
どちらもまだあまり知られたものではなく、pmsに関しては私もこの作品で初めてちゃんと認識した。
私はあまり重い方では無く、むしろ少し調子が悪い時に重なっていると、ああ、自分のせいではなく生理的なものなんだと少し安心材料になるものであった。ただそれは軽いからであって、ひどくなると本当にきついだろうし、それをちゃんと映画で言葉にして、映像にするということはとても大事なことだと思う。理解されづらいものだからこそこうやって作品にすることで普段表立って言えないものを表現することが出来るのは、映画や小説など創作の強みであると思う。
また、登場人物みんながとても優しい世界だなと思った。現実的な問題を提起しているからこそ、周りの人々の温かさに感動したし、理想の世界ではあるが人に恵まれるということのありがたさを感じた作品であった。
二人の関係性も現代的だなと思う。必ずしも男女が恋愛関係になる訳ではなく、2人独自の関係性があり、そこも今らしく新しい価値観を提示した作品であると思う。
5『すずめの戸締り』2022年 監督:新海誠
あらすじ:1人の少女が、ある時山の中で不思議な扉に遭遇する。その矢先、日本中で扉が出現し始め、その扉が開くことでさまざまな災いが次々と起こっていく。そこで、少女は各地の扉を閉める旅へ出発する。
地震を巨大なミミズと捉えているのは、古来の人々が地震をナマズに捉えているのと似たものを感じた。
そういった古来の伝承や倫理観を元にした設定が新海誠作品は細かく描かれている。
その中でもラブストーリーという軸はぶれず、世界が大きく変わってしまうような大災害との戦いで生まれる絆や思い出される過去の記憶など壮大であった。でも壮大でありながら地震というとても身近なものであるからこそ日本人にはより深く刺さるものがあると思う。また、ダイジンが途中で喋らなくなるシーンなどはジジを想起させ面白い。
また、これまでの新海誠作品と違い、猫が喋るという設定も面白かった。可愛らしい猫が顔を歪ませ、幼い子どもが声を当てるからこその不気味さや、怖さがある。
6『天気の子』2019年 監督:新海誠
あらすじ:離島の実家から家出して東京にやって来た高校生・森嶋帆高。職探しに苦労するも、オカルト雑誌のライターという仕事にありつく。何日も雨が降り続く中、帆高は弟と2人で暮らす明るい少女・天野陽菜と出会う。そして彼は、彼女が不思議な能力を持っていることに気づく。
この作品は陽菜の能力や沈没するという世界の形を変えるできごとなど壮大で、神話的、民族的なモチーフが多く使われている。だが、根本は純愛ストーリーだなと感じ、「君の名は。」「すずめの戸締り」と通じている部分だなと感じる。
「君の名は。」の三葉らが登場する場面は「君の名は。」がヒットしているからこそできる演出でありそうでない演出のため、新海誠という監督だからできることだなと感じた。
7『PERFECT DAYS』2023年 監督:ヴィム・ヴェンダース
あらすじ:トイレ清掃員として働く男性は、音楽や読書、写真を楽しみながら平穏な毎日を過ごしていた。そんな彼に、ある時思いもよらぬ再会が訪れる。
主人公がほぼ喋らず、日常の営みが丁寧に繊細に描かれている作品。だからこそ音楽や、息遣い、言葉一つ一つ、行動一つ一つに注目でき、それが心にすっと入ってくる物語。
その中でもカセットなど普段触れることの無い生活に触れ、貧しくともどこか羨ましく感じる穏やかさや優しさがあった。
また、様々なトイレの形を見ることが出来て、そんなトイレもあるのかと普段気にしない部分に目を向けることが出来る。
個人的には上野のトイレミュージアムに入った時のことを思い出す。
トイレにも人の細やかな工夫があるということに気づかせてくれる作品でもあると思う。
生活的には落ちぶれた側に見えるかもしれないが、誰よりも綺麗な心を持った人で、丁寧な仕事ぶりに自分も頑張ろうと思わせてもらえる作品。
人の些細だけど、丁寧な生活の一部を覗かせてもらっている感じで美しい自然やほっこりする人との関わりも描かれ、観たあととても穏やかな気持ちになれる作品。
8『ドラえもん カチコチ南極冒険』2017年 監督:高橋敦史
あらすじ:真夏の暑さを避けて、のび太たちは南太平洋に浮かぶ氷山に出かける。そこで彼らは氷の中に不思議なリングを発見。調べてみると、そのリングが埋まっていた氷は人が住んでいないはずの10万年前の南極のものだった。のび太たちは謎を解くため、南極へと向かう。
映像がとても綺麗で、氷の描写などは劇場で見たらさらに綺麗だろうなと感じた。
どちらも本物じゃだめ?と言うのび太が優しいだけでなく、のび太が1番ドラえもんのことをわかっているだろうとのび太に信頼を寄せているスネ夫、ジャイアン、しずかちゃん達4人の友情にも感動した。
パオパオの設定やラストの展開はまさにドラえもんという展開で久々に見てもドラえもんの世界のタイムマシンなどひみつ道具に対するエモーショナルな気持ちを感じることが出来るラストだった。
9『空白』2021年 監督:吉田恵輔
あらすじ:スーパーの店長に万引きを見咎められた女子中学生は、逃げて車道に飛び出したところ、凄惨な事故に巻き込まれて命を落としてしまう。彼女の父親である添田は、事故の原因となったスーパーの店長を追い詰めようと、マスコミを巻き込みながら激しい憎悪をエスカレートさせていく。ヒューマンサスペンス。
万引きが悪いことであることは言うまでもないが、それすら揺らぐ人の死というものの残酷さを感じた。父親の死んでまで娘を悪く思われたくないという気持ちや、追いかけただけなのに世間からまでも批判されなければならなくなった男の苦しみなど、彼ら全員のどこにも行き場のない怒りや苦しみ、悲しみが混ざりあった作品であった。死んだ人間には何も聞くことが出来ないからこそぽっかり空いた空白にもがく人々、そして容赦のない世間が垣間見えた。
また、切り取られてしまう恐ろしさや、言葉足らずであったり、喋りすぎてしまったりという言葉の難しさや現代のSNSの見えない恐怖を感じた。
10『ふわふわ』1998年刊行
著者:村上春樹 絵:安西水丸
あらすじ:「ぼくは世界じゅうのたいていの猫が好きだけれど、この地上に生きているあらゆる種類の猫たちのなかで、年老いたおおきな雌猫がいちばん好きだ。」ふわふわとした、みごとに美しい毛をもつ猫が教えてくれる、いのちあるものにとってひとしく大事なこととはなにか。すべての人のなつかしく温かい記憶がよみがえるお話。
「長いあいだ使われていなかった広い風呂場を思わせるような広がりのある午後」
など比喩が多く使われており、想像力が掻き立てられるだけでなく、そんな表現をするのかという発見があり、面白い。村上春樹を感じる文章。でも子供向けの児童書なだけあり、その比喩が分かりやすく、絵の可愛さもある。
ぼくとねこだけの時間で、猫の毛を吸い込み猫の時間というものを感じている描写は、比喩なども含め私も犬を飼っていたので何となく言っていることがわかった。
猫は猫でも年老いた猫というのは落ち着いた、暖かい世界観、いのちのことを教えてくれるなどの点で年老いた子なのかなと思った。また、描写の細さから実際に飼っていた子なのかなとも思った。
全体を通して、最初は比喩の連発に面白くなるが、動物を飼っている人間ならではの感性に共感もでき、どこか懐かしい気持ちになれる作品であると思う。
3年 北郷
RES
3年 北郷
春休み課題 11~20
⑪キラキラ☆プリキュアアラモード(アニメ)2017年 制作会社:東映アニメーション シリーズディレクター:暮田公平、貝澤幸男
お菓子作りが大好きな中学2年生の宇佐美いちか。ある日、空から降ってきた不思議な妖精「ペコリン」と出会う。いちかの住む街ではケーキ泥棒など不思議な事件が相次いでいた。その犯人は、スイーツに宿るエネルギー「キラキラル」を奪い取る怪物。いちかは「キラキラル」を守るため、伝説のパティシエ・プリキュアに変身し、キュアホイップとして戦うことになる。
プリキュアシリーズ第14作品目の作品。コンセプトは「つくって!たべて!たたかって!元気と笑顔をレッツ・ラ・まぜまぜ!」で、スイーツとアニマルを掛け合わせた「アニマルスイーツ」を作品のモチーフとしている。
本作品で着目したのが、プリキュアたちの個性化と、肉弾戦の封印である。
まず、プリキュアたちの個性化について、本作品は追加戦士も含めて6人体制のチームものである。しかし、それぞれ衣装のデザインや変身BGMに個性を出すなど、個々の能力や個性を差別化している。
これまで、プリキュア5やスマイルプリキュアなど、チームで戦うプリキュアの衣装や変身BGMは統一されていた。
しかし、本作品ではあえて統一しないことで個々が持つ個性や能力を表現し、皆が足りない部分を助け合うことを強調していると考える。
そして肉弾戦の封印については、本作品ではパンチやキックは描かれず、プリキュアたちはスティックから出る光のクリームによって敵を攻撃する。
これに関して、神木優プロデューサーはお菓子作りが持つ要素と肉弾戦が合わないことを指摘した。
「女の子だって暴れたい」という初期のコンセプトと正反対のものであるが、ここに女児たちの需要の変化や、男女の差よりもさらに大きな多様性を尊重する、という意識が読み取れる。
また、視聴者層の低年齢化によって肉弾戦の需要が低くなったとも考えられる。
プリキュアシリーズのコンセプトやモチーフを辿って、その時代の価値観を見直すことができると考えた。
⑫海街diary(映画) 2015年 監督:是枝裕和
まぶしい光に包まれた夏の朝、鎌倉に住む三姉妹の元に届いた父の訃報。十五年前、父は家族を捨て、その後、母も再婚して家を去った。父の葬儀で、3人は腹違いの妹すずと出会う。三姉妹の父を奪ったすずの母はすでに他界し、頼りない義母を支え気丈に振る舞う中学生のすずに、長女の幸は思わず声をかける。「鎌倉で一緒に暮らさない?」しっかり者の幸と自由奔放な次女の佳乃は何かとぶつかり合い、三女の千佳はマイペース、そんな姉妹の生活にすずが加わった。季節の食卓を囲み、それぞれの悩みや喜びを分かちあっていく。しかし、祖母の七回忌に音信不通だった母が現れたことで、一見穏やかだった四姉妹の日常に、秘められた心のトゲが見え始める。
本作は、鎌倉の美しい街並みと相まって和やかなホームドラマとなっている。また、作中では生しらす丼、しらすトースト、ちくわカレーなど、鎌倉の名産を使った食べ物が多く出ており、食卓を囲む暖かな姉妹が描かれていた。
三姉妹の優しさによって、すずが姉妹の中に溶け込んでいく。
終盤で、幸とすずの2人が海に向かって叫ぶ場面がある。そこで幸は「お父さんのバーカ」と叫び、すずは「お母さんのバーカ」と叫ぶ。しかし、その後すずは「お母さんともっと一緒にいたかった」と幸に打ち明け、幸は泣いているすずを優しく抱きしめる。ここの場面では姉妹の絆を全面に出していると考えるが、私はこの2人の姿が母と娘の関係と重なった。2人は年が離れており、面倒見のよい幸と中学生のすずの関わりは母と娘の関係を彷彿させる。
したがって、この作品では姉妹の絆を描くだけでなく、擬似的な母子関係を描いているのではないかと考えた。
⑬七人の侍(映画) 1954年 監督::黒澤明
麦の刈入れが終わる頃。とある農村では、野武士たちの襲来を前に恐怖におののいていた。百姓だけで闘っても勝ち目はないが、麦を盗られれば飢え死にしてしまう。そして、百姓たちは野盗から村を守るため侍を雇うことを決断する。やがて、百姓たちは食べるのもままならない浪人たち7人を見つけ出し、彼らと共に野武士に対抗すべく立ち上がる。
本作では、多角的なカメラワークによって撮影されることで、合戦の臨場感が表現されていた。白黒であるが、カメラの切り替わりによって動きに緩急がつき、合戦の迫力が生み出されたと考える。
また、登場人物らにもそれぞれ個性があり、侍たちの人情深さが視聴者の共感を呼んでいると考える。カメラワークを楽しむ作品だと考えた。
⑭山椒魚(小説) 1929年 井伏鱒二
岩屋の中に棲んでいるうちに体が大きくなり、外へ出られなくなった山椒魚の狼狽、かなしみのさまをユーモラスに描く井伏鱒二の処女作。
不幸にその心をかきむしられた山椒魚は、自身を「ブリキの切屑(P14)」と表現する。存在する価値のないものとして表現されている。
身動きがとれない山椒魚に対して、他の生き物たちの生態や川の流れの様子が細かく描かれることで、山椒魚が俗世間から弾かれてしまった哀しさ、虚しさが表現されていると考える。
山椒魚は蛙を道づれにする。口論する2匹であったが、最後は和解する。このことから、孤独から解放されるには、強引にでも他者との関わりを築くことが重要であると考えた。
⑮金の国 水の国(アニメ映画) 2023年 制作会社:マッドハウス 監督:渡邊こと乃
100年もの間国交を断絶してきた戦争寸前の2つの国。商業国家で水以外何でも手に入る裕福な〈金の国・アルハミト〉と、貧しいが豊かな自然と水に恵まれた〈水の国・バイカリ〉。国の思惑に巻き込まれ、突如、“偽りの夫婦”を演じることになった敵国同士の“金の国”の王女サーラと“水の国”建築士ナランバヤル。2人は自分でも気付かぬうちに、恋に落ちてしまう。“金の国”の深刻な水不足によるサーラの未来を案じたナランバヤルは、戦争寸前の2つの国に国交を開かせようと決意する。そして2人がついた“小さな嘘”が、国を揺るがす大事件を巻き起こし、やがて国の未来を変えていくことに。国をも動かす2人の恋、その先にある、誰も見た事のない奇跡とは。
この作品では、対立する2つの国の和解、サーラとナランバヤルの愛の成就が関連して描かれていると考える。
まず、対立する2つの国はそれぞれ持っているものが異なり、お互いの資源を巡った戦争が絶えなかった。そこで、ナランバヤルは、国交を開き、インフラを整備して水資源を分かち合うことで両国が栄える道を主張していた。戦争して両国が傷つくのではなく、国力が低下しているときこそ協力し合うことの大切さを説いている。
これはサーラとナランバヤルの出会いにも共通している。物語の序盤で、サーラの飼い犬が穴に落ちてしまい困っていたところを、通りかかったナランバヤルが手助けをする。
このことから、友好的な関係を築くには、困っているときに手を差し伸べることが大切であるということが共通していると考えた。また、戦争と愛を結びつけることで、物語全体が美しいものとなっていた。
そして、この作品では空の描写が多い点が特徴である。2人が結ばれるときは夕焼けが、それぞれの国の国王らが国交を結ぶときは青空が大きく映し出される。国力に違いはあれども、空の美しさはどこにいても共通である。よって、この作品において、空は平等や友好の象徴であり、空の美しさと平和の美しさをリンクさせて描いていると考える。
⑯映画ドラえもん のび太と鉄人兵団(1986年) 監督:芝山努 制作会社:シンエイ動画
映画ドラえもん 新のび太と鉄人兵団〜はばたけ天使たち〜(2011年) 監督:寺本幸代 制作会社:シンエイ動画
ある日偶然、ロボットの部品を見つけたのび太たち。あまりにも大きい部品だったため、ひみつ道具「入りこみミラー」を使って鏡の中の世界に入り、そこで組み立てることにする。鏡の世界は現実世界とそっくりだけれど左右が逆で、人間もまったく存在しない世界。のび太たちは完成させたロボットをサンダクロスと名付け、鏡の世界で遊んでいたが、ロボットの持ち主だという少女リルルと出会い、彼女にサンダクロスを返すことにする。(1986年版)
北極で、巨大なロボットの足と謎の青い球体を拾ってきたのび太。その青い球体に導かれるように、なんと次々とロボットの部品が家の庭に降ってきた!ドラえもんとのび太は「鏡面世界」で部品を組み立て、巨大ロボット「ザンダクロス」を完成させる。ところが、のび太の街にロボットの持ち主だと名乗る「リルル」という不思議な女の子が現れる。実は「ザンダクロス」と「リルル」はロボットの星「メカトピア」から地球人を奴隷にするために送り込まれたのだった…。果たして、ドラえもん、のび太たちは、地球を救えるのかー。(2011年版)
藤子・F・不二雄作の漫画、『大長編 ドラえもん のび太と鉄人兵団』の映画版であり、1986年に第1作目が公開され、2011年にそのリメイク版が公開された。1986年版は原作の漫画に沿ったものとなっており、2011年版は内容等に大きな改変が加えられている。
この2作品を比較した際に着目したのは、情報量の差である。
情報量の差を感じた点は2つある。
1つ目は、画面上の情報量の差である。
1986年版では、光と影の描写がなく、平面的な画面となっており、キャラクターの動きも小さく、同じ動きを繰り返し使っている場面もあった。一方2011年版では、キャラクターの表情が豊かになり、全体的にアクションが大きめに描かれている。また、ラストシーンでは、鉄人兵団との最終決戦の場面が追加され、飛び交う光線や建物が崩れる場面など、臨場感が溢れる画面となっている。
2つ目は、内容の情報量の差である。
1986年では、しずかとリルルの友情が中心に描かれていた。一方、2011年版では、新キャラクターのピッポが追加され、ピッポとリルルの友情、ピッポとのび太たちの友情が描かれる。友情が多方面から描かれることにより、キャラクターたちの心情に焦点が置かれ、物語がより複雑になっている。
これらの変化は、社会の変化と関係していると考える。
インターネットの普及による情報化、デジタル化によって、人々が外部から受け取る情報や刺激は格段に多くなった。
その影響は子ども向け映画にも表れ、多くの刺激を受け取ることに慣れた子どもたちが飽きないように、画面や内容の情報量を多くしているのではないかと考えた。
⑰アーヤと魔女(映画) 2020年 監督:宮崎吾朗 制作会社:スタジオジブリ
1990年代のイギリスを舞台に、自分が魔女の娘とは知らずに育った少女アーヤが、奇妙な家に引き取られ、意地悪な魔女と暮らすことになる姿を描く。孤児として育った10歳のアーヤは、なんでも思い通りになる子どもの家で何不自由なく暮らしていたが、ベラ・ヤーガと名乗るド派手な女とマンドレークという長身男の怪しげな2人組に引き取られることに。魔女だというベラ・ヤーガは手伝いがほしかったからアーヤを引き取ったと言い、魔法を教えてもらうことを条件にアーヤはベラ・ヤーガの助手として働きだすのだが……。
アーヤは、夫婦を思い通りに操ろうとし、友達のカスタードも操ろうとする。
おばさんの過去を知った上で、おだててご機嫌をとる、おじさんの小説を褒めご機嫌をとる。良く言えば世渡り上手で、悪く言えばずる賢い女の子。子どもが主人公の場合、概ね性格が良く、世の中の不条理にも真っ直ぐぶつかっていき、成長していく主人公像が多いが、アーヤはこのような従来の主人公像を覆すようなキャラクターであった。
個人的な意見にはなるが、私はアーヤのキャラクターに感情移入ができなかった。おばさんへの復讐を企むときの表情や、人を操ろうとする考え、裏表のある言動に違和感を持ったからである。
主人公像の多様性という点では、アーヤは新しい領域を拓いたと考えられるが、子どもが主人公の場合、純粋さや健気さなど、子どもが本来持つ良さも出していくことが作品の魅力にも繋がるのではないかと考えた。
⑱東京物語(映画)1953年 監督:小津安次郎
東京で暮らす子どもたちを訪ねた老夫婦の姿を通し、戦後日本における家族関係の変化を描いた不朽の名作。ローポジションやカメラの固定といった“小津調”と形容される独自の技法で、親子の関係を丁寧に描き出す。尾道で暮らす老夫婦・周吉ととみは、東京で暮らす子どもたちを訪ねるため久々に上京する。しかし医者の長男・幸一も美容院を営む長女・志げもそれぞれの生活に忙しく、両親を構ってばかりいられない。唯一、戦死した次男の妻・紀子だけが彼らに優しい心遣いを見せるのだった。
この作品では、3つの特徴があると考えた。
1つ目は、独特なカメラワークである。
対話の時、人物の正面でカメラが切り替わる。1対1の対話の場面でよく用いられている。小津の独特なカメラ回しが、物語に作家性を与えていると考える。
2つ目は、当時の生活様式である。
原節子が演じる戦死した次男の妻・平山紀子は、老夫婦に温かな心遣いを見せ、謙虚さや、忠誠心が強く描かれている。
この設定は、当時の理想の女性像が反映していると考えた。
そして3つ目は、物語性の希薄である。
物語は常に会話が中心で、起承転結はない。事実が淡々と述べられていて、人物の心理描写は描かれず、日記を読んでいるかのような感覚を抱いた。これによって、視聴者にクオリアが共有されず、物語性が希薄化しているのではないかと考えた。
⑲何者(小説) 朝井リョウ 新潮社 2012年
「あんた、本当は私のこと笑ってるんでしょ」就活の情報交換をきっかけに集まった、拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良。学生団体のリーダー、海外ボランティア、手作りの名刺……自分を生き抜くために必要なことは、何なのか。この世界を組み変える力は、どこから生まれ来るのか。影を宿しながら光に向いて進む、就活大学生の自意識をリアルにあぶりだす、書下ろし長編小説。
第148回直木賞受賞作。
この作品では、就活大学生らが発信するTwitterの書き込みとともに、物語が進んでいく。
SNS上では皆、自分の意見や状況を意気揚々と語っているが、その裏では自分自身の人生について頭を抱え、自分の価値を模索している。
就活大学生は、他の学生たちとの差別化のために、企業から内定を貰うために、皆から認めてもらうために、「何者」かになろうとする。
例えば、拓人はSNSで「誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになっ(P.263)」ている。
理香は、学生団体のリーダーや海外ボランティアの経験を並べ全面にアピールし、他の学生とは違う、格別な何者かになろうとしている。
しかし、この2人は内定を貰うことが出来ない。結局、自分は自分にしかなれないのである。自分のカッコ悪い部分を隠して「何者」かになるのではなく、全て受け入れて自分になることしかできないのである。
SNSの普及により、他者の存在が見えやすくなった現代では、他者との比較が自分の評価軸にしている人も多いのではないか。この作品では、誰かに認めてもらう人になるには、まず自分が自分自身を認めなければならないことを訴えていると考えた。
⑳薬屋のひとりごと(アニメ)2023年 制作会社:TOHO animation STUDIO. 監督:長沼範裕
とある大国の帝の妃たちが住む後宮に一人の娘がいた。名前は、猫猫(マオマオ)。花街で薬師をやっていたが、現在は後宮で下働き中である。美形の宦官・壬氏(ジンシ)は、猫猫を帝の寵妃の毒見役にする。人間には興味がないが、毒と薬の執着は異常、そんな花街育ちの薬師が巻き込まれる噂や事件。壬氏からどんどん面倒事を押し付けられながらも、仕事をこなしていく猫猫。稀代の毒好き娘が今日も後宮内を駆け回る。
後期のゼミで、ケアについてのグループディスカッションをした際に、ケアには自己犠牲が伴うのではないか、という意見があった。本作も具体例として挙がった作品である。主人公は薬学に精通しており、それによって人々を救うが、その知識は自分自身に薬を投与し、人体実験を繰り返し行った結果、会得したものである。
物語のジャンルにもよるが、大体の主人公は強い信念を持っていたり、カリスマ性やリーダーシップを発揮したり、仲間想いでお人好しな一面があると考える。このような主人公たちの性格が自己犠牲という展開を招いているのではないかと考えた。
本作では、主人公の薬への強い知的好奇心と、困っている人がいたら助けてしまう優しい性格が、自己犠牲を招いているのではないかと考えた。
春休み課題 11~20
⑪キラキラ☆プリキュアアラモード(アニメ)2017年 制作会社:東映アニメーション シリーズディレクター:暮田公平、貝澤幸男
お菓子作りが大好きな中学2年生の宇佐美いちか。ある日、空から降ってきた不思議な妖精「ペコリン」と出会う。いちかの住む街ではケーキ泥棒など不思議な事件が相次いでいた。その犯人は、スイーツに宿るエネルギー「キラキラル」を奪い取る怪物。いちかは「キラキラル」を守るため、伝説のパティシエ・プリキュアに変身し、キュアホイップとして戦うことになる。
プリキュアシリーズ第14作品目の作品。コンセプトは「つくって!たべて!たたかって!元気と笑顔をレッツ・ラ・まぜまぜ!」で、スイーツとアニマルを掛け合わせた「アニマルスイーツ」を作品のモチーフとしている。
本作品で着目したのが、プリキュアたちの個性化と、肉弾戦の封印である。
まず、プリキュアたちの個性化について、本作品は追加戦士も含めて6人体制のチームものである。しかし、それぞれ衣装のデザインや変身BGMに個性を出すなど、個々の能力や個性を差別化している。
これまで、プリキュア5やスマイルプリキュアなど、チームで戦うプリキュアの衣装や変身BGMは統一されていた。
しかし、本作品ではあえて統一しないことで個々が持つ個性や能力を表現し、皆が足りない部分を助け合うことを強調していると考える。
そして肉弾戦の封印については、本作品ではパンチやキックは描かれず、プリキュアたちはスティックから出る光のクリームによって敵を攻撃する。
これに関して、神木優プロデューサーはお菓子作りが持つ要素と肉弾戦が合わないことを指摘した。
「女の子だって暴れたい」という初期のコンセプトと正反対のものであるが、ここに女児たちの需要の変化や、男女の差よりもさらに大きな多様性を尊重する、という意識が読み取れる。
また、視聴者層の低年齢化によって肉弾戦の需要が低くなったとも考えられる。
プリキュアシリーズのコンセプトやモチーフを辿って、その時代の価値観を見直すことができると考えた。
⑫海街diary(映画) 2015年 監督:是枝裕和
まぶしい光に包まれた夏の朝、鎌倉に住む三姉妹の元に届いた父の訃報。十五年前、父は家族を捨て、その後、母も再婚して家を去った。父の葬儀で、3人は腹違いの妹すずと出会う。三姉妹の父を奪ったすずの母はすでに他界し、頼りない義母を支え気丈に振る舞う中学生のすずに、長女の幸は思わず声をかける。「鎌倉で一緒に暮らさない?」しっかり者の幸と自由奔放な次女の佳乃は何かとぶつかり合い、三女の千佳はマイペース、そんな姉妹の生活にすずが加わった。季節の食卓を囲み、それぞれの悩みや喜びを分かちあっていく。しかし、祖母の七回忌に音信不通だった母が現れたことで、一見穏やかだった四姉妹の日常に、秘められた心のトゲが見え始める。
本作は、鎌倉の美しい街並みと相まって和やかなホームドラマとなっている。また、作中では生しらす丼、しらすトースト、ちくわカレーなど、鎌倉の名産を使った食べ物が多く出ており、食卓を囲む暖かな姉妹が描かれていた。
三姉妹の優しさによって、すずが姉妹の中に溶け込んでいく。
終盤で、幸とすずの2人が海に向かって叫ぶ場面がある。そこで幸は「お父さんのバーカ」と叫び、すずは「お母さんのバーカ」と叫ぶ。しかし、その後すずは「お母さんともっと一緒にいたかった」と幸に打ち明け、幸は泣いているすずを優しく抱きしめる。ここの場面では姉妹の絆を全面に出していると考えるが、私はこの2人の姿が母と娘の関係と重なった。2人は年が離れており、面倒見のよい幸と中学生のすずの関わりは母と娘の関係を彷彿させる。
したがって、この作品では姉妹の絆を描くだけでなく、擬似的な母子関係を描いているのではないかと考えた。
⑬七人の侍(映画) 1954年 監督::黒澤明
麦の刈入れが終わる頃。とある農村では、野武士たちの襲来を前に恐怖におののいていた。百姓だけで闘っても勝ち目はないが、麦を盗られれば飢え死にしてしまう。そして、百姓たちは野盗から村を守るため侍を雇うことを決断する。やがて、百姓たちは食べるのもままならない浪人たち7人を見つけ出し、彼らと共に野武士に対抗すべく立ち上がる。
本作では、多角的なカメラワークによって撮影されることで、合戦の臨場感が表現されていた。白黒であるが、カメラの切り替わりによって動きに緩急がつき、合戦の迫力が生み出されたと考える。
また、登場人物らにもそれぞれ個性があり、侍たちの人情深さが視聴者の共感を呼んでいると考える。カメラワークを楽しむ作品だと考えた。
⑭山椒魚(小説) 1929年 井伏鱒二
岩屋の中に棲んでいるうちに体が大きくなり、外へ出られなくなった山椒魚の狼狽、かなしみのさまをユーモラスに描く井伏鱒二の処女作。
不幸にその心をかきむしられた山椒魚は、自身を「ブリキの切屑(P14)」と表現する。存在する価値のないものとして表現されている。
身動きがとれない山椒魚に対して、他の生き物たちの生態や川の流れの様子が細かく描かれることで、山椒魚が俗世間から弾かれてしまった哀しさ、虚しさが表現されていると考える。
山椒魚は蛙を道づれにする。口論する2匹であったが、最後は和解する。このことから、孤独から解放されるには、強引にでも他者との関わりを築くことが重要であると考えた。
⑮金の国 水の国(アニメ映画) 2023年 制作会社:マッドハウス 監督:渡邊こと乃
100年もの間国交を断絶してきた戦争寸前の2つの国。商業国家で水以外何でも手に入る裕福な〈金の国・アルハミト〉と、貧しいが豊かな自然と水に恵まれた〈水の国・バイカリ〉。国の思惑に巻き込まれ、突如、“偽りの夫婦”を演じることになった敵国同士の“金の国”の王女サーラと“水の国”建築士ナランバヤル。2人は自分でも気付かぬうちに、恋に落ちてしまう。“金の国”の深刻な水不足によるサーラの未来を案じたナランバヤルは、戦争寸前の2つの国に国交を開かせようと決意する。そして2人がついた“小さな嘘”が、国を揺るがす大事件を巻き起こし、やがて国の未来を変えていくことに。国をも動かす2人の恋、その先にある、誰も見た事のない奇跡とは。
この作品では、対立する2つの国の和解、サーラとナランバヤルの愛の成就が関連して描かれていると考える。
まず、対立する2つの国はそれぞれ持っているものが異なり、お互いの資源を巡った戦争が絶えなかった。そこで、ナランバヤルは、国交を開き、インフラを整備して水資源を分かち合うことで両国が栄える道を主張していた。戦争して両国が傷つくのではなく、国力が低下しているときこそ協力し合うことの大切さを説いている。
これはサーラとナランバヤルの出会いにも共通している。物語の序盤で、サーラの飼い犬が穴に落ちてしまい困っていたところを、通りかかったナランバヤルが手助けをする。
このことから、友好的な関係を築くには、困っているときに手を差し伸べることが大切であるということが共通していると考えた。また、戦争と愛を結びつけることで、物語全体が美しいものとなっていた。
そして、この作品では空の描写が多い点が特徴である。2人が結ばれるときは夕焼けが、それぞれの国の国王らが国交を結ぶときは青空が大きく映し出される。国力に違いはあれども、空の美しさはどこにいても共通である。よって、この作品において、空は平等や友好の象徴であり、空の美しさと平和の美しさをリンクさせて描いていると考える。
⑯映画ドラえもん のび太と鉄人兵団(1986年) 監督:芝山努 制作会社:シンエイ動画
映画ドラえもん 新のび太と鉄人兵団〜はばたけ天使たち〜(2011年) 監督:寺本幸代 制作会社:シンエイ動画
ある日偶然、ロボットの部品を見つけたのび太たち。あまりにも大きい部品だったため、ひみつ道具「入りこみミラー」を使って鏡の中の世界に入り、そこで組み立てることにする。鏡の世界は現実世界とそっくりだけれど左右が逆で、人間もまったく存在しない世界。のび太たちは完成させたロボットをサンダクロスと名付け、鏡の世界で遊んでいたが、ロボットの持ち主だという少女リルルと出会い、彼女にサンダクロスを返すことにする。(1986年版)
北極で、巨大なロボットの足と謎の青い球体を拾ってきたのび太。その青い球体に導かれるように、なんと次々とロボットの部品が家の庭に降ってきた!ドラえもんとのび太は「鏡面世界」で部品を組み立て、巨大ロボット「ザンダクロス」を完成させる。ところが、のび太の街にロボットの持ち主だと名乗る「リルル」という不思議な女の子が現れる。実は「ザンダクロス」と「リルル」はロボットの星「メカトピア」から地球人を奴隷にするために送り込まれたのだった…。果たして、ドラえもん、のび太たちは、地球を救えるのかー。(2011年版)
藤子・F・不二雄作の漫画、『大長編 ドラえもん のび太と鉄人兵団』の映画版であり、1986年に第1作目が公開され、2011年にそのリメイク版が公開された。1986年版は原作の漫画に沿ったものとなっており、2011年版は内容等に大きな改変が加えられている。
この2作品を比較した際に着目したのは、情報量の差である。
情報量の差を感じた点は2つある。
1つ目は、画面上の情報量の差である。
1986年版では、光と影の描写がなく、平面的な画面となっており、キャラクターの動きも小さく、同じ動きを繰り返し使っている場面もあった。一方2011年版では、キャラクターの表情が豊かになり、全体的にアクションが大きめに描かれている。また、ラストシーンでは、鉄人兵団との最終決戦の場面が追加され、飛び交う光線や建物が崩れる場面など、臨場感が溢れる画面となっている。
2つ目は、内容の情報量の差である。
1986年では、しずかとリルルの友情が中心に描かれていた。一方、2011年版では、新キャラクターのピッポが追加され、ピッポとリルルの友情、ピッポとのび太たちの友情が描かれる。友情が多方面から描かれることにより、キャラクターたちの心情に焦点が置かれ、物語がより複雑になっている。
これらの変化は、社会の変化と関係していると考える。
インターネットの普及による情報化、デジタル化によって、人々が外部から受け取る情報や刺激は格段に多くなった。
その影響は子ども向け映画にも表れ、多くの刺激を受け取ることに慣れた子どもたちが飽きないように、画面や内容の情報量を多くしているのではないかと考えた。
⑰アーヤと魔女(映画) 2020年 監督:宮崎吾朗 制作会社:スタジオジブリ
1990年代のイギリスを舞台に、自分が魔女の娘とは知らずに育った少女アーヤが、奇妙な家に引き取られ、意地悪な魔女と暮らすことになる姿を描く。孤児として育った10歳のアーヤは、なんでも思い通りになる子どもの家で何不自由なく暮らしていたが、ベラ・ヤーガと名乗るド派手な女とマンドレークという長身男の怪しげな2人組に引き取られることに。魔女だというベラ・ヤーガは手伝いがほしかったからアーヤを引き取ったと言い、魔法を教えてもらうことを条件にアーヤはベラ・ヤーガの助手として働きだすのだが……。
アーヤは、夫婦を思い通りに操ろうとし、友達のカスタードも操ろうとする。
おばさんの過去を知った上で、おだててご機嫌をとる、おじさんの小説を褒めご機嫌をとる。良く言えば世渡り上手で、悪く言えばずる賢い女の子。子どもが主人公の場合、概ね性格が良く、世の中の不条理にも真っ直ぐぶつかっていき、成長していく主人公像が多いが、アーヤはこのような従来の主人公像を覆すようなキャラクターであった。
個人的な意見にはなるが、私はアーヤのキャラクターに感情移入ができなかった。おばさんへの復讐を企むときの表情や、人を操ろうとする考え、裏表のある言動に違和感を持ったからである。
主人公像の多様性という点では、アーヤは新しい領域を拓いたと考えられるが、子どもが主人公の場合、純粋さや健気さなど、子どもが本来持つ良さも出していくことが作品の魅力にも繋がるのではないかと考えた。
⑱東京物語(映画)1953年 監督:小津安次郎
東京で暮らす子どもたちを訪ねた老夫婦の姿を通し、戦後日本における家族関係の変化を描いた不朽の名作。ローポジションやカメラの固定といった“小津調”と形容される独自の技法で、親子の関係を丁寧に描き出す。尾道で暮らす老夫婦・周吉ととみは、東京で暮らす子どもたちを訪ねるため久々に上京する。しかし医者の長男・幸一も美容院を営む長女・志げもそれぞれの生活に忙しく、両親を構ってばかりいられない。唯一、戦死した次男の妻・紀子だけが彼らに優しい心遣いを見せるのだった。
この作品では、3つの特徴があると考えた。
1つ目は、独特なカメラワークである。
対話の時、人物の正面でカメラが切り替わる。1対1の対話の場面でよく用いられている。小津の独特なカメラ回しが、物語に作家性を与えていると考える。
2つ目は、当時の生活様式である。
原節子が演じる戦死した次男の妻・平山紀子は、老夫婦に温かな心遣いを見せ、謙虚さや、忠誠心が強く描かれている。
この設定は、当時の理想の女性像が反映していると考えた。
そして3つ目は、物語性の希薄である。
物語は常に会話が中心で、起承転結はない。事実が淡々と述べられていて、人物の心理描写は描かれず、日記を読んでいるかのような感覚を抱いた。これによって、視聴者にクオリアが共有されず、物語性が希薄化しているのではないかと考えた。
⑲何者(小説) 朝井リョウ 新潮社 2012年
「あんた、本当は私のこと笑ってるんでしょ」就活の情報交換をきっかけに集まった、拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良。学生団体のリーダー、海外ボランティア、手作りの名刺……自分を生き抜くために必要なことは、何なのか。この世界を組み変える力は、どこから生まれ来るのか。影を宿しながら光に向いて進む、就活大学生の自意識をリアルにあぶりだす、書下ろし長編小説。
第148回直木賞受賞作。
この作品では、就活大学生らが発信するTwitterの書き込みとともに、物語が進んでいく。
SNS上では皆、自分の意見や状況を意気揚々と語っているが、その裏では自分自身の人生について頭を抱え、自分の価値を模索している。
就活大学生は、他の学生たちとの差別化のために、企業から内定を貰うために、皆から認めてもらうために、「何者」かになろうとする。
例えば、拓人はSNSで「誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになっ(P.263)」ている。
理香は、学生団体のリーダーや海外ボランティアの経験を並べ全面にアピールし、他の学生とは違う、格別な何者かになろうとしている。
しかし、この2人は内定を貰うことが出来ない。結局、自分は自分にしかなれないのである。自分のカッコ悪い部分を隠して「何者」かになるのではなく、全て受け入れて自分になることしかできないのである。
SNSの普及により、他者の存在が見えやすくなった現代では、他者との比較が自分の評価軸にしている人も多いのではないか。この作品では、誰かに認めてもらう人になるには、まず自分が自分自身を認めなければならないことを訴えていると考えた。
⑳薬屋のひとりごと(アニメ)2023年 制作会社:TOHO animation STUDIO. 監督:長沼範裕
とある大国の帝の妃たちが住む後宮に一人の娘がいた。名前は、猫猫(マオマオ)。花街で薬師をやっていたが、現在は後宮で下働き中である。美形の宦官・壬氏(ジンシ)は、猫猫を帝の寵妃の毒見役にする。人間には興味がないが、毒と薬の執着は異常、そんな花街育ちの薬師が巻き込まれる噂や事件。壬氏からどんどん面倒事を押し付けられながらも、仕事をこなしていく猫猫。稀代の毒好き娘が今日も後宮内を駆け回る。
後期のゼミで、ケアについてのグループディスカッションをした際に、ケアには自己犠牲が伴うのではないか、という意見があった。本作も具体例として挙がった作品である。主人公は薬学に精通しており、それによって人々を救うが、その知識は自分自身に薬を投与し、人体実験を繰り返し行った結果、会得したものである。
物語のジャンルにもよるが、大体の主人公は強い信念を持っていたり、カリスマ性やリーダーシップを発揮したり、仲間想いでお人好しな一面があると考える。このような主人公たちの性格が自己犠牲という展開を招いているのではないかと考えた。
本作では、主人公の薬への強い知的好奇心と、困っている人がいたら助けてしまう優しい性格が、自己犠牲を招いているのではないかと考えた。
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