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3年 北郷 RES
3年 北郷
春休み課題 11~20

⑪キラキラ☆プリキュアアラモード(アニメ)2017年 制作会社:東映アニメーション シリーズディレクター:暮田公平、貝澤幸男
お菓子作りが大好きな中学2年生の宇佐美いちか。ある日、空から降ってきた不思議な妖精「ペコリン」と出会う。いちかの住む街ではケーキ泥棒など不思議な事件が相次いでいた。その犯人は、スイーツに宿るエネルギー「キラキラル」を奪い取る怪物。いちかは「キラキラル」を守るため、伝説のパティシエ・プリキュアに変身し、キュアホイップとして戦うことになる。
プリキュアシリーズ第14作品目の作品。コンセプトは「つくって!たべて!たたかって!元気と笑顔をレッツ・ラ・まぜまぜ!」で、スイーツとアニマルを掛け合わせた「アニマルスイーツ」を作品のモチーフとしている。
本作品で着目したのが、プリキュアたちの個性化と、肉弾戦の封印である。
まず、プリキュアたちの個性化について、本作品は追加戦士も含めて6人体制のチームものである。しかし、それぞれ衣装のデザインや変身BGMに個性を出すなど、個々の能力や個性を差別化している。
これまで、プリキュア5やスマイルプリキュアなど、チームで戦うプリキュアの衣装や変身BGMは統一されていた。
しかし、本作品ではあえて統一しないことで個々が持つ個性や能力を表現し、皆が足りない部分を助け合うことを強調していると考える。
そして肉弾戦の封印については、本作品ではパンチやキックは描かれず、プリキュアたちはスティックから出る光のクリームによって敵を攻撃する。
これに関して、神木優プロデューサーはお菓子作りが持つ要素と肉弾戦が合わないことを指摘した。
「女の子だって暴れたい」という初期のコンセプトと正反対のものであるが、ここに女児たちの需要の変化や、男女の差よりもさらに大きな多様性を尊重する、という意識が読み取れる。
また、視聴者層の低年齢化によって肉弾戦の需要が低くなったとも考えられる。
プリキュアシリーズのコンセプトやモチーフを辿って、その時代の価値観を見直すことができると考えた。

⑫海街diary(映画) 2015年 監督:是枝裕和
まぶしい光に包まれた夏の朝、鎌倉に住む三姉妹の元に届いた父の訃報。十五年前、父は家族を捨て、その後、母も再婚して家を去った。父の葬儀で、3人は腹違いの妹すずと出会う。三姉妹の父を奪ったすずの母はすでに他界し、頼りない義母を支え気丈に振る舞う中学生のすずに、長女の幸は思わず声をかける。「鎌倉で一緒に暮らさない?」しっかり者の幸と自由奔放な次女の佳乃は何かとぶつかり合い、三女の千佳はマイペース、そんな姉妹の生活にすずが加わった。季節の食卓を囲み、それぞれの悩みや喜びを分かちあっていく。しかし、祖母の七回忌に音信不通だった母が現れたことで、一見穏やかだった四姉妹の日常に、秘められた心のトゲが見え始める。
本作は、鎌倉の美しい街並みと相まって和やかなホームドラマとなっている。また、作中では生しらす丼、しらすトースト、ちくわカレーなど、鎌倉の名産を使った食べ物が多く出ており、食卓を囲む暖かな姉妹が描かれていた。
三姉妹の優しさによって、すずが姉妹の中に溶け込んでいく。
終盤で、幸とすずの2人が海に向かって叫ぶ場面がある。そこで幸は「お父さんのバーカ」と叫び、すずは「お母さんのバーカ」と叫ぶ。しかし、その後すずは「お母さんともっと一緒にいたかった」と幸に打ち明け、幸は泣いているすずを優しく抱きしめる。ここの場面では姉妹の絆を全面に出していると考えるが、私はこの2人の姿が母と娘の関係と重なった。2人は年が離れており、面倒見のよい幸と中学生のすずの関わりは母と娘の関係を彷彿させる。
したがって、この作品では姉妹の絆を描くだけでなく、擬似的な母子関係を描いているのではないかと考えた。

⑬七人の侍(映画) 1954年 監督::黒澤明
麦の刈入れが終わる頃。とある農村では、野武士たちの襲来を前に恐怖におののいていた。百姓だけで闘っても勝ち目はないが、麦を盗られれば飢え死にしてしまう。そして、百姓たちは野盗から村を守るため侍を雇うことを決断する。やがて、百姓たちは食べるのもままならない浪人たち7人を見つけ出し、彼らと共に野武士に対抗すべく立ち上がる。
本作では、多角的なカメラワークによって撮影されることで、合戦の臨場感が表現されていた。白黒であるが、カメラの切り替わりによって動きに緩急がつき、合戦の迫力が生み出されたと考える。
また、登場人物らにもそれぞれ個性があり、侍たちの人情深さが視聴者の共感を呼んでいると考える。カメラワークを楽しむ作品だと考えた。

⑭山椒魚(小説) 1929年 井伏鱒二
岩屋の中に棲んでいるうちに体が大きくなり、外へ出られなくなった山椒魚の狼狽、かなしみのさまをユーモラスに描く井伏鱒二の処女作。
不幸にその心をかきむしられた山椒魚は、自身を「ブリキの切屑(P14)」と表現する。存在する価値のないものとして表現されている。
身動きがとれない山椒魚に対して、他の生き物たちの生態や川の流れの様子が細かく描かれることで、山椒魚が俗世間から弾かれてしまった哀しさ、虚しさが表現されていると考える。
山椒魚は蛙を道づれにする。口論する2匹であったが、最後は和解する。このことから、孤独から解放されるには、強引にでも他者との関わりを築くことが重要であると考えた。


⑮金の国 水の国(アニメ映画) 2023年 制作会社:マッドハウス 監督:渡邊こと乃
100年もの間国交を断絶してきた戦争寸前の2つの国。商業国家で水以外何でも手に入る裕福な〈金の国・アルハミト〉と、貧しいが豊かな自然と水に恵まれた〈水の国・バイカリ〉。国の思惑に巻き込まれ、突如、“偽りの夫婦”を演じることになった敵国同士の“金の国”の王女サーラと“水の国”建築士ナランバヤル。2人は自分でも気付かぬうちに、恋に落ちてしまう。“金の国”の深刻な水不足によるサーラの未来を案じたナランバヤルは、戦争寸前の2つの国に国交を開かせようと決意する。そして2人がついた“小さな嘘”が、国を揺るがす大事件を巻き起こし、やがて国の未来を変えていくことに。国をも動かす2人の恋、その先にある、誰も見た事のない奇跡とは。
この作品では、対立する2つの国の和解、サーラとナランバヤルの愛の成就が関連して描かれていると考える。
まず、対立する2つの国はそれぞれ持っているものが異なり、お互いの資源を巡った戦争が絶えなかった。そこで、ナランバヤルは、国交を開き、インフラを整備して水資源を分かち合うことで両国が栄える道を主張していた。戦争して両国が傷つくのではなく、国力が低下しているときこそ協力し合うことの大切さを説いている。
これはサーラとナランバヤルの出会いにも共通している。物語の序盤で、サーラの飼い犬が穴に落ちてしまい困っていたところを、通りかかったナランバヤルが手助けをする。
このことから、友好的な関係を築くには、困っているときに手を差し伸べることが大切であるということが共通していると考えた。また、戦争と愛を結びつけることで、物語全体が美しいものとなっていた。
そして、この作品では空の描写が多い点が特徴である。2人が結ばれるときは夕焼けが、それぞれの国の国王らが国交を結ぶときは青空が大きく映し出される。国力に違いはあれども、空の美しさはどこにいても共通である。よって、この作品において、空は平等や友好の象徴であり、空の美しさと平和の美しさをリンクさせて描いていると考える。

⑯映画ドラえもん のび太と鉄人兵団(1986年) 監督:芝山努 制作会社:シンエイ動画
映画ドラえもん 新のび太と鉄人兵団〜はばたけ天使たち〜(2011年) 監督:寺本幸代 制作会社:シンエイ動画

ある日偶然、ロボットの部品を見つけたのび太たち。あまりにも大きい部品だったため、ひみつ道具「入りこみミラー」を使って鏡の中の世界に入り、そこで組み立てることにする。鏡の世界は現実世界とそっくりだけれど左右が逆で、人間もまったく存在しない世界。のび太たちは完成させたロボットをサンダクロスと名付け、鏡の世界で遊んでいたが、ロボットの持ち主だという少女リルルと出会い、彼女にサンダクロスを返すことにする。(1986年版)

北極で、巨大なロボットの足と謎の青い球体を拾ってきたのび太。その青い球体に導かれるように、なんと次々とロボットの部品が家の庭に降ってきた!ドラえもんとのび太は「鏡面世界」で部品を組み立て、巨大ロボット「ザンダクロス」を完成させる。ところが、のび太の街にロボットの持ち主だと名乗る「リルル」という不思議な女の子が現れる。実は「ザンダクロス」と「リルル」はロボットの星「メカトピア」から地球人を奴隷にするために送り込まれたのだった…。果たして、ドラえもん、のび太たちは、地球を救えるのかー。(2011年版)

藤子・F・不二雄作の漫画、『大長編 ドラえもん のび太と鉄人兵団』の映画版であり、1986年に第1作目が公開され、2011年にそのリメイク版が公開された。1986年版は原作の漫画に沿ったものとなっており、2011年版は内容等に大きな改変が加えられている。
この2作品を比較した際に着目したのは、情報量の差である。
情報量の差を感じた点は2つある。
1つ目は、画面上の情報量の差である。
1986年版では、光と影の描写がなく、平面的な画面となっており、キャラクターの動きも小さく、同じ動きを繰り返し使っている場面もあった。一方2011年版では、キャラクターの表情が豊かになり、全体的にアクションが大きめに描かれている。また、ラストシーンでは、鉄人兵団との最終決戦の場面が追加され、飛び交う光線や建物が崩れる場面など、臨場感が溢れる画面となっている。
2つ目は、内容の情報量の差である。
1986年では、しずかとリルルの友情が中心に描かれていた。一方、2011年版では、新キャラクターのピッポが追加され、ピッポとリルルの友情、ピッポとのび太たちの友情が描かれる。友情が多方面から描かれることにより、キャラクターたちの心情に焦点が置かれ、物語がより複雑になっている。
これらの変化は、社会の変化と関係していると考える。
インターネットの普及による情報化、デジタル化によって、人々が外部から受け取る情報や刺激は格段に多くなった。
その影響は子ども向け映画にも表れ、多くの刺激を受け取ることに慣れた子どもたちが飽きないように、画面や内容の情報量を多くしているのではないかと考えた。

⑰アーヤと魔女(映画) 2020年 監督:宮崎吾朗 制作会社:スタジオジブリ
1990年代のイギリスを舞台に、自分が魔女の娘とは知らずに育った少女アーヤが、奇妙な家に引き取られ、意地悪な魔女と暮らすことになる姿を描く。孤児として育った10歳のアーヤは、なんでも思い通りになる子どもの家で何不自由なく暮らしていたが、ベラ・ヤーガと名乗るド派手な女とマンドレークという長身男の怪しげな2人組に引き取られることに。魔女だというベラ・ヤーガは手伝いがほしかったからアーヤを引き取ったと言い、魔法を教えてもらうことを条件にアーヤはベラ・ヤーガの助手として働きだすのだが……。
アーヤは、夫婦を思い通りに操ろうとし、友達のカスタードも操ろうとする。
おばさんの過去を知った上で、おだててご機嫌をとる、おじさんの小説を褒めご機嫌をとる。良く言えば世渡り上手で、悪く言えばずる賢い女の子。子どもが主人公の場合、概ね性格が良く、世の中の不条理にも真っ直ぐぶつかっていき、成長していく主人公像が多いが、アーヤはこのような従来の主人公像を覆すようなキャラクターであった。
個人的な意見にはなるが、私はアーヤのキャラクターに感情移入ができなかった。おばさんへの復讐を企むときの表情や、人を操ろうとする考え、裏表のある言動に違和感を持ったからである。
主人公像の多様性という点では、アーヤは新しい領域を拓いたと考えられるが、子どもが主人公の場合、純粋さや健気さなど、子どもが本来持つ良さも出していくことが作品の魅力にも繋がるのではないかと考えた。

⑱東京物語(映画)1953年 監督:小津安次郎
東京で暮らす子どもたちを訪ねた老夫婦の姿を通し、戦後日本における家族関係の変化を描いた不朽の名作。ローポジションやカメラの固定といった“小津調”と形容される独自の技法で、親子の関係を丁寧に描き出す。尾道で暮らす老夫婦・周吉ととみは、東京で暮らす子どもたちを訪ねるため久々に上京する。しかし医者の長男・幸一も美容院を営む長女・志げもそれぞれの生活に忙しく、両親を構ってばかりいられない。唯一、戦死した次男の妻・紀子だけが彼らに優しい心遣いを見せるのだった。
この作品では、3つの特徴があると考えた。
1つ目は、独特なカメラワークである。
対話の時、人物の正面でカメラが切り替わる。1対1の対話の場面でよく用いられている。小津の独特なカメラ回しが、物語に作家性を与えていると考える。
2つ目は、当時の生活様式である。
原節子が演じる戦死した次男の妻・平山紀子は、老夫婦に温かな心遣いを見せ、謙虚さや、忠誠心が強く描かれている。
この設定は、当時の理想の女性像が反映していると考えた。
そして3つ目は、物語性の希薄である。
物語は常に会話が中心で、起承転結はない。事実が淡々と述べられていて、人物の心理描写は描かれず、日記を読んでいるかのような感覚を抱いた。これによって、視聴者にクオリアが共有されず、物語性が希薄化しているのではないかと考えた。


⑲何者(小説) 朝井リョウ 新潮社 2012年
「あんた、本当は私のこと笑ってるんでしょ」就活の情報交換をきっかけに集まった、拓人、光太郎、瑞月、理香、隆良。学生団体のリーダー、海外ボランティア、手作りの名刺……自分を生き抜くために必要なことは、何なのか。この世界を組み変える力は、どこから生まれ来るのか。影を宿しながら光に向いて進む、就活大学生の自意識をリアルにあぶりだす、書下ろし長編小説。
第148回直木賞受賞作。
この作品では、就活大学生らが発信するTwitterの書き込みとともに、物語が進んでいく。
SNS上では皆、自分の意見や状況を意気揚々と語っているが、その裏では自分自身の人生について頭を抱え、自分の価値を模索している。
就活大学生は、他の学生たちとの差別化のために、企業から内定を貰うために、皆から認めてもらうために、「何者」かになろうとする。
例えば、拓人はSNSで「誰かを観察して分析することで、自分じゃない何者かになっ(P.263)」ている。
理香は、学生団体のリーダーや海外ボランティアの経験を並べ全面にアピールし、他の学生とは違う、格別な何者かになろうとしている。
しかし、この2人は内定を貰うことが出来ない。結局、自分は自分にしかなれないのである。自分のカッコ悪い部分を隠して「何者」かになるのではなく、全て受け入れて自分になることしかできないのである。
SNSの普及により、他者の存在が見えやすくなった現代では、他者との比較が自分の評価軸にしている人も多いのではないか。この作品では、誰かに認めてもらう人になるには、まず自分が自分自身を認めなければならないことを訴えていると考えた。

⑳薬屋のひとりごと(アニメ)2023年 制作会社:TOHO animation STUDIO. 監督:長沼範裕
とある大国の帝の妃たちが住む後宮に一人の娘がいた。名前は、猫猫(マオマオ)。花街で薬師をやっていたが、現在は後宮で下働き中である。美形の宦官・壬氏(ジンシ)は、猫猫を帝の寵妃の毒見役にする。人間には興味がないが、毒と薬の執着は異常、そんな花街育ちの薬師が巻き込まれる噂や事件。壬氏からどんどん面倒事を押し付けられながらも、仕事をこなしていく猫猫。稀代の毒好き娘が今日も後宮内を駆け回る。
後期のゼミで、ケアについてのグループディスカッションをした際に、ケアには自己犠牲が伴うのではないか、という意見があった。本作も具体例として挙がった作品である。主人公は薬学に精通しており、それによって人々を救うが、その知識は自分自身に薬を投与し、人体実験を繰り返し行った結果、会得したものである。
物語のジャンルにもよるが、大体の主人公は強い信念を持っていたり、カリスマ性やリーダーシップを発揮したり、仲間想いでお人好しな一面があると考える。このような主人公たちの性格が自己犠牲という展開を招いているのではないかと考えた。
本作では、主人公の薬への強い知的好奇心と、困っている人がいたら助けてしまう優しい性格が、自己犠牲を招いているのではないかと考えた。
2024/05/08(水) 23:12 No.2024 EDIT DEL
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