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2年 野中涼風
RES
11.『7番房の奇跡』(映画)(2013)監督:イ・ファンギョン
【あらすじ】
知的年齢が6歳の父親ヨング(リュ・スンリョン)と、しっかりものの6歳の娘イェスン(カル・ソウォン)は二人仲良く幸せな暮らしを送っていた。ところがある日、ヨングは殺人の容疑で逮捕されてしまう。刑務所に送られたヨングは、娘のイェスンに会えなくなりつらい毎日を送っていた。そんなある日、ヨングに命を助けられた7番房の房長と仲間たちはヨングとイェスンを会わせるためにある計画を思いつく…。
【考察】
ヨングが障がいを持っていることを利用して冤罪が作り出されていた。作中でセーラームーンが憧憬の対象になっており、セーラームーンが世界的に人気であることがわかった。囚人たちがイェスンによって明るくなっていくのがわかった。火事や争いから助けるなど、ヨングの行いによって囚人や警察が変わった。冒頭で風船が有刺鉄線に引っかかっていたが、ヨングの無実が証明された後、風船が風に乗って飛んでいくシーンがあり、わだかまりの解消を連想することができた。ヨングを死刑にしたところで娘は帰ってこないのに、どうしてそこまでヨングを死刑にすることに拘るのか気になった。
12.『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(映画)(2016)監督:三木孝浩
【あらすじ】
京都の美大生の20歳の高寿は電車の中で出会った女性・愛美に一目ぼれする。勇気を振り絞って“また会える?”と約束をとりつけようとするが、それを聞いた愛美は突然涙してしまう。交際をスタートし、初めてのデートなど、初めての事があるたびに愛美は涙し、高寿は不思議に思うが、彼女には高寿に隠している事があった。
【考察】
高寿の居場所がわかる、高寿の描いた絵が教室に貼り出されるということを予言する、「私ずっとあなたのこと見てたんだよ」と高寿に言う、高寿の友人に「これからも南山くんと仲良くしてあげてくださいね」と言う、「高俊くんはずっとそうなんだね」と言う、高寿の実家のビーフシチューの隠し味を当てるなど、愛美が未来のことを知っている伏線がたくさんされていた。愛美が未来のことを知っていることで起きたすれ違いもあったが、高寿が愛美の視点に立つことで共に最後までの日々を歩んでいた。高寿にとって最初のが愛美にとっては最後の日で、その日に何も知らない高寿に「また会えるかな」と言われる愛美の視点の描写があり、涙無しでは見ることができなかった。
13.『街の上で』(映画)(2021)監督:今泉力哉
【あらすじ】
下北沢の古着屋で働いている荒川青(若葉竜也)は、ライブを見たり、行きつけの古本屋や飲み屋に行ったり、基本的にひとりで行動している。口数は多くもなく、少なくもないが、生活圏は異常に狭く、行動範囲も下北沢を出ない。恋人・雪(穂志もえか)に浮気された上にフラれたが、いまだに彼女のことが忘れられない。そんな青に、美大に通う女性監督・町子(萩原みのり)から、自主映画への出演依頼が舞い込む。いざ出演することにするまでと、出てみたものの、それで何か変わったのかわからない数日間、その過程で女性たちとの出会いもあり……。
【考察】
この映画は下北沢が舞台になっており、見たことのある場所が出てきて親近感が湧いた。劇中で漫画の聖地巡りを下北沢でするシーンがあり、この映画の聖地巡りをしたくなるような効果があると考える。それぞれにストーリーがある登場人物が下北沢という街で偶然交わる場面があり、世間の狭さを感じた。荒川青が映画に出る練習をするシーンでは携帯電話のビデオで撮影するという工夫がなされていた。
14.『百円の恋』(映画)(2014)監督:武正晴
【あらすじ】
32歳の一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていたが、ある日、離婚した妹の二三子が子連れで戻ってくる。しかたなく同居をする一子だったが折り合いが悪くなり、家を出て一人暮らしを始めることに。夜な夜な買い食いしていた百円ショップで深夜労働にありついた一子の唯一の楽しみは、帰り道にあるボクシングジムで一人ストイックに練習するボクサー・狩野(新井浩文)を覗き見することであった。百円ショップの店員たちは皆心に問題を抱え、そこは底辺の人間たちの巣窟のような場所だった。そんなある夜、狩野が百円ショップに客としてやってくる。狩野がバナナを忘れていったことをきっかけに二人はお互いの距離を縮めていき、なんとなく一緒に住み始め、体を重ねる一子と狩野。だが、そんなささやかな幸せの日々は長くは続かなかった。どうしてもうまくいかない日々の中、一子は衝動的にボクシングを始める。やがて、一子の中で何かが変わりだし、人生のリターンマッチのゴングが鳴り響こうとしていた……。
【考察】
一子の家庭環境の悪さが強調されていた。一子が働き始めた店も客層や、店員の素行が悪く、同じ空気を纏った人が集まっていると感じた。しかし、ボクシングと出会ったことによって本気で打ち込めるものができ、一子の性格も変わっていった。この映画からは、夢中になれるものの大切さを学んだ。
15.『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(映画)(2023)監督:ポール・キング
【あらすじ】
母と共に美味しいチョコレート店を作ろうと夢見るウォンカは、一流の職人が集まるチョコレートの町へ向かう。しかし、魔法のチョコレートを生みだすウォンカの才能は、カルテルの妬みを買う。ウォンカは邪魔をされながらも仲間とチョコレート工場作りを進める。
【考察】
この映画は、ミュージカルと言えるくらい劇中でたくさん歌われている。「お金が無くても帽子いっぱいの夢があれば笑顔でいられる」というセリフがあり、お金よりも大切なことがあることを再認識することができた。ウォンカの母が作ってくれた板チョコに金色の紙が入っており、ウォンカのチョコレートの始まりを知ることができた。
16.『キングダム』(映画)(2019)監督:佐藤信介
【あらすじ】
戦災孤児の信と漂は天下の大将軍になることを夢見て剣術の鍛錬を積んでいた。しかし、漂は王都の大臣に召し上げられて、別々の道を歩むことに。そんなある日、王宮でクーデターが勃発。傷を負った漂はなんとか信のいる納屋へ辿り着くが、地図と剣を信に託し、命を落とす。地図に記されていた小屋へ向かった信は、そこで漂そっくりの男と出会う。
【考察】
共に天下の大将軍になることを約束した信と漂だったが、漂だけが王宮で働くように言われたとき、漂は自分だけが選ばれても行く選択を取り、並み大抵ならぬ信頼関係があることを感じた。この映画では、ワイヤーアクションが多く使われており、ダイナミックなアクションシーンが見所である。
17.『ティアメイカー』(映画)(2024)監督:アレッサンドロ・ジェノヴェージ
【あらすじ】
ニカの育った児童養護施設グレイヴでは、ある伝説が語り継がれてきました。それは、人間の心に巣食うあらゆる恐怖や不安を作り出す罪を背負った謎多き涙の職人、"ティアスミス"に関する伝説です。しかし、17歳を迎えたニカに、おとぎ話の世界に別れを告げる時が訪れます。なぜなら、彼女の最大の夢が叶おうとしているから。養子縁組の手続きを進めていたミリガン夫妻の準備が整い、ニカにずっと憧れてきた家族ができることになったのです。しかし、ニカの新しい家に引き取られるのは彼女だけではありません。落ち着きがなくどことなく怪しげで、ニカが世界で一番兄弟にしたくないリジェルも、ニカと一緒にグレイヴからこの家に引き取られることになったのです。リジェルは知的で頭の回転が早く、悪魔のようにピアノを奏でて人を魅了する、うっとりするほど美しい青年ですが、その天使のような見た目の裏には、暗い本性が潜んでいます。ニカとリジェルは、同じ痛みと苦しみを過去に抱えているものの、一緒に暮らしても分かち合えそうにはありません。でも、彼らはそれぞれ優しさと怒りを持って苦しみと戦い、生き抜こうとしています。それは心を引き裂く感情を覆い隠す術でもあり、互いにとって伝説のティアスミスになることを可能にします。心の奥底を見通すティアスミスの前では、2人は強烈な力を受け入れる勇気を持たなければなりません。互いを引き寄せる、"愛"と呼ばれる力を。
【考察】
児童養護施設グレイヴでは雷が鳴っていたり、不穏なピアノの音が奏でられているなど、暗い印象がつけられていた。ニカは交通事故で家族を亡くし、いつ大切な人がいなくなるかわからないという生命の儚さを感じた。ニカの友人であるミキは同性愛者であり、親友のビリーを好きになってしまうという葛藤が描かれていた。裁判で証言した後、ニカが指の絆創膏をとる描写には、解放の意味があると考える。
18.『20世紀のキミ』(映画)(2022)監督:パン・ウリ
【あらすじ】
1999年、初恋も未経験の活発な女子高生のボラ(キム・ユジョン)は、心臓手術のため渡米する親友のヨンドゥ(ノ・ユンソ)からある頼み事をされる。それはヨンドゥが一目惚れした男子高校生「パク・ヒョンジン」の情報を集めることだった。ボラが懸命にヒョンジン(パク・ジョンウ)の情報を集めるうちに、ボラはヒョンジンの親友であるウノ(ピョン・ウソク)のことが気になり始めるが…。20世紀の終わりに17歳の少年少女が経験した、甘く切ない初恋の記憶をめぐるラブストーリー。
【考察】
ボラは親友であるヨンドゥのためにストーカーまがいのことを行ったり、同じ人を好きになってしまったらヨンドゥのことを優先したりするなど、2人の厚い友情を感じた。劇中では、ウノの視点も描かれており、ボラの視点も見ているからこそ辛かった。個展に行ったらウノに会えるハッピーエンドだと思っていたが、予想を裏切られた。ここで個展の招待状の送り主がウノの弟であることに納得させられた。
19.『パープル・ハート』(映画)(2022)監督:エリザベス・アレン・ローゼンバウム
【あらすじ】
苦境の中でシンガーソングライターを夢見るキャシー (ソフィア・カーソン) と、悩みを抱えた海兵隊員のルーク (ニコラス・ガリツィン) は、何もかもが正反対。でも軍からの給付金のためだけに、2人は結婚することに合意します。ところが、ある悲劇をきっかけに、2人の真意と作り事の境目はあいまいになり始めます。
【考察】
ルークは更生して海兵隊になるが、更生しても尚、悪人が付きまとってくることにやるせなさを感じた。劇中歌に力が入れられており、キャシーが歌うシーンがたびたび登場する。この映画からは、音楽には力があるということを考える。
20.『最強のふたり』(映画)(2012)監督:エリック・トレダノ
【あらすじ】
事故で全身麻痺となり、車いす生活を送る富豪フィリップ。スラム出身の黒人青年ドリスがそんな彼の介護役となる。だが、その生活パターンも音楽や服装の好みなど、2人の間に共通点はまったくなく、衝突してしまう。だが、2人は次第にお互いを受け入れるようになり、深い絆で結ばれていくようになる。
【考察】
フィリップとドリスは何もかも異なるが、ブラックジョークを言えるような信頼関係を築いていた。フィリップはドリスに出会った当初は型にはまっていたが、ドリスの影響により、明るく開放的に変化していった。フィリップの下で働いている女性がドリスに口説かれても動じなかったのは、同性愛者であることが理由であることが明かされていた。映画の最後にこの話のモデルとなったフィリップとアブデルの映像があり、実話であることに驚いた。
【あらすじ】
知的年齢が6歳の父親ヨング(リュ・スンリョン)と、しっかりものの6歳の娘イェスン(カル・ソウォン)は二人仲良く幸せな暮らしを送っていた。ところがある日、ヨングは殺人の容疑で逮捕されてしまう。刑務所に送られたヨングは、娘のイェスンに会えなくなりつらい毎日を送っていた。そんなある日、ヨングに命を助けられた7番房の房長と仲間たちはヨングとイェスンを会わせるためにある計画を思いつく…。
【考察】
ヨングが障がいを持っていることを利用して冤罪が作り出されていた。作中でセーラームーンが憧憬の対象になっており、セーラームーンが世界的に人気であることがわかった。囚人たちがイェスンによって明るくなっていくのがわかった。火事や争いから助けるなど、ヨングの行いによって囚人や警察が変わった。冒頭で風船が有刺鉄線に引っかかっていたが、ヨングの無実が証明された後、風船が風に乗って飛んでいくシーンがあり、わだかまりの解消を連想することができた。ヨングを死刑にしたところで娘は帰ってこないのに、どうしてそこまでヨングを死刑にすることに拘るのか気になった。
12.『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(映画)(2016)監督:三木孝浩
【あらすじ】
京都の美大生の20歳の高寿は電車の中で出会った女性・愛美に一目ぼれする。勇気を振り絞って“また会える?”と約束をとりつけようとするが、それを聞いた愛美は突然涙してしまう。交際をスタートし、初めてのデートなど、初めての事があるたびに愛美は涙し、高寿は不思議に思うが、彼女には高寿に隠している事があった。
【考察】
高寿の居場所がわかる、高寿の描いた絵が教室に貼り出されるということを予言する、「私ずっとあなたのこと見てたんだよ」と高寿に言う、高寿の友人に「これからも南山くんと仲良くしてあげてくださいね」と言う、「高俊くんはずっとそうなんだね」と言う、高寿の実家のビーフシチューの隠し味を当てるなど、愛美が未来のことを知っている伏線がたくさんされていた。愛美が未来のことを知っていることで起きたすれ違いもあったが、高寿が愛美の視点に立つことで共に最後までの日々を歩んでいた。高寿にとって最初のが愛美にとっては最後の日で、その日に何も知らない高寿に「また会えるかな」と言われる愛美の視点の描写があり、涙無しでは見ることができなかった。
13.『街の上で』(映画)(2021)監督:今泉力哉
【あらすじ】
下北沢の古着屋で働いている荒川青(若葉竜也)は、ライブを見たり、行きつけの古本屋や飲み屋に行ったり、基本的にひとりで行動している。口数は多くもなく、少なくもないが、生活圏は異常に狭く、行動範囲も下北沢を出ない。恋人・雪(穂志もえか)に浮気された上にフラれたが、いまだに彼女のことが忘れられない。そんな青に、美大に通う女性監督・町子(萩原みのり)から、自主映画への出演依頼が舞い込む。いざ出演することにするまでと、出てみたものの、それで何か変わったのかわからない数日間、その過程で女性たちとの出会いもあり……。
【考察】
この映画は下北沢が舞台になっており、見たことのある場所が出てきて親近感が湧いた。劇中で漫画の聖地巡りを下北沢でするシーンがあり、この映画の聖地巡りをしたくなるような効果があると考える。それぞれにストーリーがある登場人物が下北沢という街で偶然交わる場面があり、世間の狭さを感じた。荒川青が映画に出る練習をするシーンでは携帯電話のビデオで撮影するという工夫がなされていた。
14.『百円の恋』(映画)(2014)監督:武正晴
【あらすじ】
32歳の一子(安藤サクラ)は実家にひきこもり、自堕落な日々を送っていたが、ある日、離婚した妹の二三子が子連れで戻ってくる。しかたなく同居をする一子だったが折り合いが悪くなり、家を出て一人暮らしを始めることに。夜な夜な買い食いしていた百円ショップで深夜労働にありついた一子の唯一の楽しみは、帰り道にあるボクシングジムで一人ストイックに練習するボクサー・狩野(新井浩文)を覗き見することであった。百円ショップの店員たちは皆心に問題を抱え、そこは底辺の人間たちの巣窟のような場所だった。そんなある夜、狩野が百円ショップに客としてやってくる。狩野がバナナを忘れていったことをきっかけに二人はお互いの距離を縮めていき、なんとなく一緒に住み始め、体を重ねる一子と狩野。だが、そんなささやかな幸せの日々は長くは続かなかった。どうしてもうまくいかない日々の中、一子は衝動的にボクシングを始める。やがて、一子の中で何かが変わりだし、人生のリターンマッチのゴングが鳴り響こうとしていた……。
【考察】
一子の家庭環境の悪さが強調されていた。一子が働き始めた店も客層や、店員の素行が悪く、同じ空気を纏った人が集まっていると感じた。しかし、ボクシングと出会ったことによって本気で打ち込めるものができ、一子の性格も変わっていった。この映画からは、夢中になれるものの大切さを学んだ。
15.『ウォンカとチョコレート工場のはじまり』(映画)(2023)監督:ポール・キング
【あらすじ】
母と共に美味しいチョコレート店を作ろうと夢見るウォンカは、一流の職人が集まるチョコレートの町へ向かう。しかし、魔法のチョコレートを生みだすウォンカの才能は、カルテルの妬みを買う。ウォンカは邪魔をされながらも仲間とチョコレート工場作りを進める。
【考察】
この映画は、ミュージカルと言えるくらい劇中でたくさん歌われている。「お金が無くても帽子いっぱいの夢があれば笑顔でいられる」というセリフがあり、お金よりも大切なことがあることを再認識することができた。ウォンカの母が作ってくれた板チョコに金色の紙が入っており、ウォンカのチョコレートの始まりを知ることができた。
16.『キングダム』(映画)(2019)監督:佐藤信介
【あらすじ】
戦災孤児の信と漂は天下の大将軍になることを夢見て剣術の鍛錬を積んでいた。しかし、漂は王都の大臣に召し上げられて、別々の道を歩むことに。そんなある日、王宮でクーデターが勃発。傷を負った漂はなんとか信のいる納屋へ辿り着くが、地図と剣を信に託し、命を落とす。地図に記されていた小屋へ向かった信は、そこで漂そっくりの男と出会う。
【考察】
共に天下の大将軍になることを約束した信と漂だったが、漂だけが王宮で働くように言われたとき、漂は自分だけが選ばれても行く選択を取り、並み大抵ならぬ信頼関係があることを感じた。この映画では、ワイヤーアクションが多く使われており、ダイナミックなアクションシーンが見所である。
17.『ティアメイカー』(映画)(2024)監督:アレッサンドロ・ジェノヴェージ
【あらすじ】
ニカの育った児童養護施設グレイヴでは、ある伝説が語り継がれてきました。それは、人間の心に巣食うあらゆる恐怖や不安を作り出す罪を背負った謎多き涙の職人、"ティアスミス"に関する伝説です。しかし、17歳を迎えたニカに、おとぎ話の世界に別れを告げる時が訪れます。なぜなら、彼女の最大の夢が叶おうとしているから。養子縁組の手続きを進めていたミリガン夫妻の準備が整い、ニカにずっと憧れてきた家族ができることになったのです。しかし、ニカの新しい家に引き取られるのは彼女だけではありません。落ち着きがなくどことなく怪しげで、ニカが世界で一番兄弟にしたくないリジェルも、ニカと一緒にグレイヴからこの家に引き取られることになったのです。リジェルは知的で頭の回転が早く、悪魔のようにピアノを奏でて人を魅了する、うっとりするほど美しい青年ですが、その天使のような見た目の裏には、暗い本性が潜んでいます。ニカとリジェルは、同じ痛みと苦しみを過去に抱えているものの、一緒に暮らしても分かち合えそうにはありません。でも、彼らはそれぞれ優しさと怒りを持って苦しみと戦い、生き抜こうとしています。それは心を引き裂く感情を覆い隠す術でもあり、互いにとって伝説のティアスミスになることを可能にします。心の奥底を見通すティアスミスの前では、2人は強烈な力を受け入れる勇気を持たなければなりません。互いを引き寄せる、"愛"と呼ばれる力を。
【考察】
児童養護施設グレイヴでは雷が鳴っていたり、不穏なピアノの音が奏でられているなど、暗い印象がつけられていた。ニカは交通事故で家族を亡くし、いつ大切な人がいなくなるかわからないという生命の儚さを感じた。ニカの友人であるミキは同性愛者であり、親友のビリーを好きになってしまうという葛藤が描かれていた。裁判で証言した後、ニカが指の絆創膏をとる描写には、解放の意味があると考える。
18.『20世紀のキミ』(映画)(2022)監督:パン・ウリ
【あらすじ】
1999年、初恋も未経験の活発な女子高生のボラ(キム・ユジョン)は、心臓手術のため渡米する親友のヨンドゥ(ノ・ユンソ)からある頼み事をされる。それはヨンドゥが一目惚れした男子高校生「パク・ヒョンジン」の情報を集めることだった。ボラが懸命にヒョンジン(パク・ジョンウ)の情報を集めるうちに、ボラはヒョンジンの親友であるウノ(ピョン・ウソク)のことが気になり始めるが…。20世紀の終わりに17歳の少年少女が経験した、甘く切ない初恋の記憶をめぐるラブストーリー。
【考察】
ボラは親友であるヨンドゥのためにストーカーまがいのことを行ったり、同じ人を好きになってしまったらヨンドゥのことを優先したりするなど、2人の厚い友情を感じた。劇中では、ウノの視点も描かれており、ボラの視点も見ているからこそ辛かった。個展に行ったらウノに会えるハッピーエンドだと思っていたが、予想を裏切られた。ここで個展の招待状の送り主がウノの弟であることに納得させられた。
19.『パープル・ハート』(映画)(2022)監督:エリザベス・アレン・ローゼンバウム
【あらすじ】
苦境の中でシンガーソングライターを夢見るキャシー (ソフィア・カーソン) と、悩みを抱えた海兵隊員のルーク (ニコラス・ガリツィン) は、何もかもが正反対。でも軍からの給付金のためだけに、2人は結婚することに合意します。ところが、ある悲劇をきっかけに、2人の真意と作り事の境目はあいまいになり始めます。
【考察】
ルークは更生して海兵隊になるが、更生しても尚、悪人が付きまとってくることにやるせなさを感じた。劇中歌に力が入れられており、キャシーが歌うシーンがたびたび登場する。この映画からは、音楽には力があるということを考える。
20.『最強のふたり』(映画)(2012)監督:エリック・トレダノ
【あらすじ】
事故で全身麻痺となり、車いす生活を送る富豪フィリップ。スラム出身の黒人青年ドリスがそんな彼の介護役となる。だが、その生活パターンも音楽や服装の好みなど、2人の間に共通点はまったくなく、衝突してしまう。だが、2人は次第にお互いを受け入れるようになり、深い絆で結ばれていくようになる。
【考察】
フィリップとドリスは何もかも異なるが、ブラックジョークを言えるような信頼関係を築いていた。フィリップはドリスに出会った当初は型にはまっていたが、ドリスの影響により、明るく開放的に変化していった。フィリップの下で働いている女性がドリスに口説かれても動じなかったのは、同性愛者であることが理由であることが明かされていた。映画の最後にこの話のモデルとなったフィリップとアブデルの映像があり、実話であることに驚いた。
2年 野中涼風
RES
1.『ウェンズデー』(ドラマ)(2022年)監督:ティム・バートン
【あらすじ】
アダムス・ファミリーの長女・ウェンズデーは、弟・パグズリーをいじめていた生徒に過度な報復をしたことで学校を退学処分に。将来を心配した母・モーティシアは、自身の母校ネヴァーモア学園にウェンズデーを編入させる。学園には人狼族や吸血鬼など人間社会でのけ者とされた種族が集い、学びの日々を送っていた。学園のある町・ジェリコではウェンズデーの編入以前から不審な殺人事件が連続発生しており、その疑いはウェンズデーたちにも向けられていた。ある日、森で同級生がモンスターに惨殺される様子を目撃したウェンズデーは、事件の真相究明に動き出し、自身のルーツや学園に隠された秘密と対峙することになる。
【考察】
ウェンズデーは良好な人間関係を築くのが苦手だが、学校の先生に「私は嫌われても平気なフリをする」と話しており、本当は友だちを作りたいけれど接し方がわからないという葛藤が見られた。5話で、狼に変身できずに悩んでいたイーニッドが母親からプレッシャーをかけられる場面があるが、イーニッドは「ありのままの私を受け入れて」と母親に言っており、母親は受け入れてくれなかったが、父親が「誇りに思うよ。自由に生きろ」と言っていて、いい親子関係だと思った。転校した初日は頑なにハグを拒んでいたウェンズデーが8話で事件が解決した後にイーニッドとハグをしていて心情に変化がみられた。タイトルについて、第3章は「Friend or Woe 友情の苦悩」第4章は「Woe What a Night すばらしき夜の憂鬱」というタイトルになっており、全てのタイトルに「Woe」という英単語が入っている。「Woe」について調べたところ、深い悲しみという意味があり、ウェンズデーにちなんでタイトルがつけられていることがわかった。
2.『わかっていても』(ドラマ)(2021年)監督:キム・ガラム
【あらすじ】
美術大学に通うユ・ナビは、過去の恋愛で受けた傷が大きく、愛を信じることはないけれど、恋愛は楽しみたいと感じていた。ある日、ナビはパク・ジェオンと出会い、意気投合したものの、彼に女性の影を感じ、そっとその場から離れる。しかし、偶然2人は大学で再会し、ナビは次第に彼に惹かれていく。ナビは親友からの忠告を受けながらもジェオンへの想いを抑えられず、彼との関係を続けていく。一方、ジェオンは過去のトラウマからナビを心から愛せない。ジェオンの本音を知ったナビは失望し、2人は何度もぶつかり合い、関係は揺れ動く。
【考察】
1話でナビが美術館に行き、注目を集めてしまう場面で、他の人は黒色の服を着用していたのに、ナビだけが白い服を着用しており、疎外感が表現されていた。韓国語でナビとは蝶の意味であるが、2話でナビの親友であるオ・ビンナが花をジェオンに例えた後に蝶がその花に止まっていたことから、ナビがジェオンに惹かれていることが表現されていた。前半はナビの心情がよく現れているが、後半からはあまり自分のことを話さないジェオンの視点が増え、心情を吐露するようになっている。10話でナビが作っていた作品が壊れてしまい、作品を作り直すことになるが、新しく作った作品は前の作品とは違い、彫刻に2つの羽が生えており、不安から解放されたことが表現されていたと考える。
3.『スタンド・バイ・ミー』(映画)(1986年)監督:ロブ・ライナー
【あらすじ】
1959年オレゴンの小さな町。文学少年ゴーディをはじめとする12才の仲良し4人組は、行方不明になった少年が列車に轢かれて野ざらしになっているという情報を手にする。死体を発見すれば一躍ヒーローになれる!4人は不安と興奮を胸に未知への旅に出る。たった2日間のこの冒険が、少年たちの心に忘れえぬ思い出を残した。
【考察】
最初の「人口たった1281人だが私には全世界だった」というセリフが、冒険の後は「たった2日の旅だったが町が小さく違って見えた」に変化しており、冒険によって少年たちに大きな変化があったことがわかった。ゴーディがブラワーの死体を見て「なぜ死んだんだ」と言うシーンは、ブラワーの死と兄の死を重ね合わせ、お葬式では泣けなかったゴーディが、兄の死を実感しているシーンだと考える。少年たちのその後が語られるシーンでクリスの後ろ姿だけ消えてしまうが、それはクリスの死を暗示していると考える。クリスがナイフで喉を刺されて死んだのは、ブラワーの死体をほぼ同時に発見した不良グループにナイフで脅され、「ただじゃ済まさねえ」と言われていたことから、復讐されたのではないかと考える。
4.『サウンド・オブ・メタル〜聞こえるということ〜』(映画)(2020年)監督:ダリウス・マーダー
【あらすじ】
メタルドラマーのルーベンは、聴力を失い始める。医師に今後も悪化すると言われ、ミュージシャンとしての自分も人生も終わりだと考える。恋人のルーは元ドラッグ依存性のルーベンをろう者のコミュニティーに参加させ、再びドラッグに走ることを防ぎ、新しい人生に適応できることを願う。ルーベンはろう者のコミュニティーで歓迎され、ありのままの自分を受け入れるが、新しい自分とこれまで歩んできた人生とのどちらを選ぶのか葛藤する。
【考察】
音が聞こえている世界と聞こえなくなった世界が日常のシーンにより表現されている。病院で受けた聴覚検査の問題に答えることができず、だんだん顔が暗くなっていくのを感じた。ろう者のコミュニティーに入った当初のルーベンが手話がわからなかったのを視聴者に対しても字幕をつけなかったことで、ルーベンと同じように孤独感を味わうことができた。コミュニティーにも慣れ、ルーベンが手話を理解できるようになってから字幕がつくようになり、ルーベンと同じ気持ちになることができる工夫がされている。ルーベンがコミュニティーのあまどいを直してジョーに怒られたのは、耳が聞こえないのは治すものじゃないからここでは何も治さなくていいという考え方に基づいていたことがわかった。
最後に音が聞こえるようになる機械を取って無音になった世界でルーベンは何を考えていたのか気になった。
5.『天使にラブソングを、、、』『天使にラブ・ソングを2』(映画)(1992)(1993)監督:エミール・アルドリーノ
【あらすじ】
「ゴースト ニューヨークの幻」のオスカー女優ウーピー・ゴールドバーグが主演を務め、殺人事件を目撃し修道院に匿われたクラブ歌手が巻き起こす騒動を描いた名作コメディ。ネバダ州リノで働くクラブ歌手デロリスは、自身の愛人であるギャングのヴィンスが裏切り者を殺害する場面を目撃し、命を狙われる身となってしまう。警察に保護され、新米尼僧として修道院に身を隠すことになった彼女は、高圧的な態度の修道院長のもと、規律に縛られた生活に耐える日々を送る。そんなある日、聖歌隊のリーダーに任命されたデロリスは、歌手としての本領を発揮して冴えない聖歌隊を鍛え上げ、ロックやソウルを取り入れたパフォーマンスで街中の注目を集めるようになるが……。
【考察】
幼少期のデロリスが先生に言われた「このままでは将来堕落の道を歩む」という言葉が現実になっていた。デロリスが指揮を執るまえは不協和音で観客もまばらだったが、デロリスが指揮を執ることで聖歌隊が1つになり、観客の心を動かした。2作目でデロリスは歌手として成功しており、ステージで尼僧の服装で歌うなど、1作目がオマージュされている。初めは協力的ではなかった校長も生徒たちの為に力を貸してくれていたことから、1作目、2作目を通して歌には人の心を動かす力があるということを感じた。
6.『オーシャンズ11』(映画)(2001)監督:スティーブン・ソダーバーグ
【あらすじ】
「トラフィック」のスティーブン・ソダーバーグ監督が、ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツら豪華キャストを迎えて描いたクライムエンタテインメント。フランク・シナトラが主演した1960年の映画「オーシャンと十一人の仲間」をリメイクし、11人の犯罪プロ集団による史上最大の現金強奪計画の行方を描く。4年間の服役を終えて仮出所した凄腕の詐欺師ダニー・オーシャンは、前代未聞の犯罪計画を企てる。それは、ラスベガスの3大カジノの現金が集まる巨大地下金庫から1億6000万ドルを盗み出すというものだった。まずは旧友ラスティを仲間に引き入れ、スリの天才や爆発物の専門家、曲芸師など各分野のプロフェッショナルたちをスカウトしていく。
【考察】
高い身体能力や電子機器に強いなど、メンバーそれぞれの特技を生かして犯行が行われていた。視聴者も1回見ただけではトリックがわからないが、種明かしのシーンがあり、爽快感を感じることができた。オーシャンは捕まってしまったが、刑も軽くテスと復縁することができ、みんな満足そうだった。
7.『きみに読む物語』(映画)(2004)監督:ニック・カサヴェテス
【あらすじ】
療養生活を送る老婦人(ジーナ・ローランズ)の元に、足繁く通う老人(ジェームズ・ガーナー)が、物語を読み聞かせる。 それは、1940年の夏、南部の小さな町で始まる物語。休暇を過ごしに都会からやって来た17歳の令嬢・アリー(レイチェル・マクアダムス)は、地元の製材所で働く青年ノア(ライアン・ゴズリング)と出逢い、恋に落ちる。 けれど、娘の将来を案じる両親に交際を阻まれ、都会へ連れ戻されてしまう。 ノアは365日毎日手紙を書くが、一通の返信もないまま、やがて、第2次世界大戦が始まる…。
【考察】
アリーとノアは住む世界が違っており、けんかばかりしていたが、愛し合っていたという事実が2人を繋いでいた。2人で見た渡り鳥が元にいた所へ帰るアリーと重なっている。映画の構成が自分たちの話を語るという構図になっているということが次第にわかるようになっている。ノアは相手のために努力を惜しまないのが愛だと考えている。
8.『ワンダー 君は太陽』(映画)(2017)監督:スティーヴン・チョボスキー
【あらすじ】
オーガストこと”オギー”はふつうの10歳の男の子。ただし、“顔”以外は…。生まれつき人と違う顔をもつ少年・オギ―(ジェイコブ・トレンブレイ)は、幼い頃からずっと母イザベル(ジュリア・ロバーツ)と自宅学習をしてきたが、小学校5年生になるときに初めて学校へ通うことになる。クラスメイトと仲良くなりたいというオギーの思いとは裏腹に、その外見からじろじろ見られたり避けられたりするが、彼の行動によって同級生たちが徐々に変わっていく…。
【考察】
映画の構成として、様々な登場人物の視点から描かれており、心情がよくわかるようになっている。オギーの姉であるオリヴィアはきょうだい児として描かれており、「一度でいいから私を見てほしい」というセリフからも苦悩がわかる。この映画からは、人は見た目ではなく、心によって動かされるということがわかった。
9.『余命10年』(映画)(2022)監督:藤井道人
【あらすじ】
20歳の若さで数万人に一人という不治の病を患い、恋だけはしないと決心した茉莉と、生きることに迷い、居場所を見失った和人のふたりが、同窓会で再会。これまで別々の人生を歩んでいたふたりは惹かれ合い、ありふれた日々は嘘のように輝いていく。残された時間が短くなっていくことを自覚しながらも、自らの病を隠して楽しい時を重ねる茉莉。徐々に死への恐怖を意識し始めるふたりは最後にある道を選択する。
【考察】
この映画は最初、茉莉が撮影しているビデオカメラの映像が流れる。和人が茉莉と手を繋ごうとするシーンで茉莉が和人の手を振り払うのは茉莉は自分の命に終わりがあることがわかっているからだと考える。茉莉が和人に不治の病であることを告げるシーンではすべてを悟って落ち着きを払っている茉莉と、初めて治らない病気であることを知り、泣き崩れる和人の対比が描かれている。
10.『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey』(映画)(2020)監督:キャシー・ヤン
【あらすじ】
ジョーカーと別れ、すべての束縛から放たれたハーレイ・クイン。モラルのない暴れぶりが街中の悪党たちの恨みを買うなか、謎のダイヤを盗んだ少女をめぐり、裏世界を牛耳る残酷なサイコ“ブラックマスク” との全面対決へ! 悪 VS 悪のカオスな戦いでテンションMAXの ハーレイは、切り札としてクセ者だらけの最凶チームを新結成。世界のすべてをぶち壊しに行く、前代未聞のクレイジーバトルが始まる!
【考察】
ハーレイ・クインの歴代の恋人が紹介されるシーンで女性とも付き合っていることがわかり、多様性についても考えられている映画だと感じた。少女を守るために、敵対していた者たちが協力して戦うシーンは爽快感があった。遊園地のアトラクション内で戦闘を行っていたのがハーレイ・クインの世界観に合っていた。
【あらすじ】
アダムス・ファミリーの長女・ウェンズデーは、弟・パグズリーをいじめていた生徒に過度な報復をしたことで学校を退学処分に。将来を心配した母・モーティシアは、自身の母校ネヴァーモア学園にウェンズデーを編入させる。学園には人狼族や吸血鬼など人間社会でのけ者とされた種族が集い、学びの日々を送っていた。学園のある町・ジェリコではウェンズデーの編入以前から不審な殺人事件が連続発生しており、その疑いはウェンズデーたちにも向けられていた。ある日、森で同級生がモンスターに惨殺される様子を目撃したウェンズデーは、事件の真相究明に動き出し、自身のルーツや学園に隠された秘密と対峙することになる。
【考察】
ウェンズデーは良好な人間関係を築くのが苦手だが、学校の先生に「私は嫌われても平気なフリをする」と話しており、本当は友だちを作りたいけれど接し方がわからないという葛藤が見られた。5話で、狼に変身できずに悩んでいたイーニッドが母親からプレッシャーをかけられる場面があるが、イーニッドは「ありのままの私を受け入れて」と母親に言っており、母親は受け入れてくれなかったが、父親が「誇りに思うよ。自由に生きろ」と言っていて、いい親子関係だと思った。転校した初日は頑なにハグを拒んでいたウェンズデーが8話で事件が解決した後にイーニッドとハグをしていて心情に変化がみられた。タイトルについて、第3章は「Friend or Woe 友情の苦悩」第4章は「Woe What a Night すばらしき夜の憂鬱」というタイトルになっており、全てのタイトルに「Woe」という英単語が入っている。「Woe」について調べたところ、深い悲しみという意味があり、ウェンズデーにちなんでタイトルがつけられていることがわかった。
2.『わかっていても』(ドラマ)(2021年)監督:キム・ガラム
【あらすじ】
美術大学に通うユ・ナビは、過去の恋愛で受けた傷が大きく、愛を信じることはないけれど、恋愛は楽しみたいと感じていた。ある日、ナビはパク・ジェオンと出会い、意気投合したものの、彼に女性の影を感じ、そっとその場から離れる。しかし、偶然2人は大学で再会し、ナビは次第に彼に惹かれていく。ナビは親友からの忠告を受けながらもジェオンへの想いを抑えられず、彼との関係を続けていく。一方、ジェオンは過去のトラウマからナビを心から愛せない。ジェオンの本音を知ったナビは失望し、2人は何度もぶつかり合い、関係は揺れ動く。
【考察】
1話でナビが美術館に行き、注目を集めてしまう場面で、他の人は黒色の服を着用していたのに、ナビだけが白い服を着用しており、疎外感が表現されていた。韓国語でナビとは蝶の意味であるが、2話でナビの親友であるオ・ビンナが花をジェオンに例えた後に蝶がその花に止まっていたことから、ナビがジェオンに惹かれていることが表現されていた。前半はナビの心情がよく現れているが、後半からはあまり自分のことを話さないジェオンの視点が増え、心情を吐露するようになっている。10話でナビが作っていた作品が壊れてしまい、作品を作り直すことになるが、新しく作った作品は前の作品とは違い、彫刻に2つの羽が生えており、不安から解放されたことが表現されていたと考える。
3.『スタンド・バイ・ミー』(映画)(1986年)監督:ロブ・ライナー
【あらすじ】
1959年オレゴンの小さな町。文学少年ゴーディをはじめとする12才の仲良し4人組は、行方不明になった少年が列車に轢かれて野ざらしになっているという情報を手にする。死体を発見すれば一躍ヒーローになれる!4人は不安と興奮を胸に未知への旅に出る。たった2日間のこの冒険が、少年たちの心に忘れえぬ思い出を残した。
【考察】
最初の「人口たった1281人だが私には全世界だった」というセリフが、冒険の後は「たった2日の旅だったが町が小さく違って見えた」に変化しており、冒険によって少年たちに大きな変化があったことがわかった。ゴーディがブラワーの死体を見て「なぜ死んだんだ」と言うシーンは、ブラワーの死と兄の死を重ね合わせ、お葬式では泣けなかったゴーディが、兄の死を実感しているシーンだと考える。少年たちのその後が語られるシーンでクリスの後ろ姿だけ消えてしまうが、それはクリスの死を暗示していると考える。クリスがナイフで喉を刺されて死んだのは、ブラワーの死体をほぼ同時に発見した不良グループにナイフで脅され、「ただじゃ済まさねえ」と言われていたことから、復讐されたのではないかと考える。
4.『サウンド・オブ・メタル〜聞こえるということ〜』(映画)(2020年)監督:ダリウス・マーダー
【あらすじ】
メタルドラマーのルーベンは、聴力を失い始める。医師に今後も悪化すると言われ、ミュージシャンとしての自分も人生も終わりだと考える。恋人のルーは元ドラッグ依存性のルーベンをろう者のコミュニティーに参加させ、再びドラッグに走ることを防ぎ、新しい人生に適応できることを願う。ルーベンはろう者のコミュニティーで歓迎され、ありのままの自分を受け入れるが、新しい自分とこれまで歩んできた人生とのどちらを選ぶのか葛藤する。
【考察】
音が聞こえている世界と聞こえなくなった世界が日常のシーンにより表現されている。病院で受けた聴覚検査の問題に答えることができず、だんだん顔が暗くなっていくのを感じた。ろう者のコミュニティーに入った当初のルーベンが手話がわからなかったのを視聴者に対しても字幕をつけなかったことで、ルーベンと同じように孤独感を味わうことができた。コミュニティーにも慣れ、ルーベンが手話を理解できるようになってから字幕がつくようになり、ルーベンと同じ気持ちになることができる工夫がされている。ルーベンがコミュニティーのあまどいを直してジョーに怒られたのは、耳が聞こえないのは治すものじゃないからここでは何も治さなくていいという考え方に基づいていたことがわかった。
最後に音が聞こえるようになる機械を取って無音になった世界でルーベンは何を考えていたのか気になった。
5.『天使にラブソングを、、、』『天使にラブ・ソングを2』(映画)(1992)(1993)監督:エミール・アルドリーノ
【あらすじ】
「ゴースト ニューヨークの幻」のオスカー女優ウーピー・ゴールドバーグが主演を務め、殺人事件を目撃し修道院に匿われたクラブ歌手が巻き起こす騒動を描いた名作コメディ。ネバダ州リノで働くクラブ歌手デロリスは、自身の愛人であるギャングのヴィンスが裏切り者を殺害する場面を目撃し、命を狙われる身となってしまう。警察に保護され、新米尼僧として修道院に身を隠すことになった彼女は、高圧的な態度の修道院長のもと、規律に縛られた生活に耐える日々を送る。そんなある日、聖歌隊のリーダーに任命されたデロリスは、歌手としての本領を発揮して冴えない聖歌隊を鍛え上げ、ロックやソウルを取り入れたパフォーマンスで街中の注目を集めるようになるが……。
【考察】
幼少期のデロリスが先生に言われた「このままでは将来堕落の道を歩む」という言葉が現実になっていた。デロリスが指揮を執るまえは不協和音で観客もまばらだったが、デロリスが指揮を執ることで聖歌隊が1つになり、観客の心を動かした。2作目でデロリスは歌手として成功しており、ステージで尼僧の服装で歌うなど、1作目がオマージュされている。初めは協力的ではなかった校長も生徒たちの為に力を貸してくれていたことから、1作目、2作目を通して歌には人の心を動かす力があるということを感じた。
6.『オーシャンズ11』(映画)(2001)監督:スティーブン・ソダーバーグ
【あらすじ】
「トラフィック」のスティーブン・ソダーバーグ監督が、ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、ジュリア・ロバーツら豪華キャストを迎えて描いたクライムエンタテインメント。フランク・シナトラが主演した1960年の映画「オーシャンと十一人の仲間」をリメイクし、11人の犯罪プロ集団による史上最大の現金強奪計画の行方を描く。4年間の服役を終えて仮出所した凄腕の詐欺師ダニー・オーシャンは、前代未聞の犯罪計画を企てる。それは、ラスベガスの3大カジノの現金が集まる巨大地下金庫から1億6000万ドルを盗み出すというものだった。まずは旧友ラスティを仲間に引き入れ、スリの天才や爆発物の専門家、曲芸師など各分野のプロフェッショナルたちをスカウトしていく。
【考察】
高い身体能力や電子機器に強いなど、メンバーそれぞれの特技を生かして犯行が行われていた。視聴者も1回見ただけではトリックがわからないが、種明かしのシーンがあり、爽快感を感じることができた。オーシャンは捕まってしまったが、刑も軽くテスと復縁することができ、みんな満足そうだった。
7.『きみに読む物語』(映画)(2004)監督:ニック・カサヴェテス
【あらすじ】
療養生活を送る老婦人(ジーナ・ローランズ)の元に、足繁く通う老人(ジェームズ・ガーナー)が、物語を読み聞かせる。 それは、1940年の夏、南部の小さな町で始まる物語。休暇を過ごしに都会からやって来た17歳の令嬢・アリー(レイチェル・マクアダムス)は、地元の製材所で働く青年ノア(ライアン・ゴズリング)と出逢い、恋に落ちる。 けれど、娘の将来を案じる両親に交際を阻まれ、都会へ連れ戻されてしまう。 ノアは365日毎日手紙を書くが、一通の返信もないまま、やがて、第2次世界大戦が始まる…。
【考察】
アリーとノアは住む世界が違っており、けんかばかりしていたが、愛し合っていたという事実が2人を繋いでいた。2人で見た渡り鳥が元にいた所へ帰るアリーと重なっている。映画の構成が自分たちの話を語るという構図になっているということが次第にわかるようになっている。ノアは相手のために努力を惜しまないのが愛だと考えている。
8.『ワンダー 君は太陽』(映画)(2017)監督:スティーヴン・チョボスキー
【あらすじ】
オーガストこと”オギー”はふつうの10歳の男の子。ただし、“顔”以外は…。生まれつき人と違う顔をもつ少年・オギ―(ジェイコブ・トレンブレイ)は、幼い頃からずっと母イザベル(ジュリア・ロバーツ)と自宅学習をしてきたが、小学校5年生になるときに初めて学校へ通うことになる。クラスメイトと仲良くなりたいというオギーの思いとは裏腹に、その外見からじろじろ見られたり避けられたりするが、彼の行動によって同級生たちが徐々に変わっていく…。
【考察】
映画の構成として、様々な登場人物の視点から描かれており、心情がよくわかるようになっている。オギーの姉であるオリヴィアはきょうだい児として描かれており、「一度でいいから私を見てほしい」というセリフからも苦悩がわかる。この映画からは、人は見た目ではなく、心によって動かされるということがわかった。
9.『余命10年』(映画)(2022)監督:藤井道人
【あらすじ】
20歳の若さで数万人に一人という不治の病を患い、恋だけはしないと決心した茉莉と、生きることに迷い、居場所を見失った和人のふたりが、同窓会で再会。これまで別々の人生を歩んでいたふたりは惹かれ合い、ありふれた日々は嘘のように輝いていく。残された時間が短くなっていくことを自覚しながらも、自らの病を隠して楽しい時を重ねる茉莉。徐々に死への恐怖を意識し始めるふたりは最後にある道を選択する。
【考察】
この映画は最初、茉莉が撮影しているビデオカメラの映像が流れる。和人が茉莉と手を繋ごうとするシーンで茉莉が和人の手を振り払うのは茉莉は自分の命に終わりがあることがわかっているからだと考える。茉莉が和人に不治の病であることを告げるシーンではすべてを悟って落ち着きを払っている茉莉と、初めて治らない病気であることを知り、泣き崩れる和人の対比が描かれている。
10.『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 Birds of Prey』(映画)(2020)監督:キャシー・ヤン
【あらすじ】
ジョーカーと別れ、すべての束縛から放たれたハーレイ・クイン。モラルのない暴れぶりが街中の悪党たちの恨みを買うなか、謎のダイヤを盗んだ少女をめぐり、裏世界を牛耳る残酷なサイコ“ブラックマスク” との全面対決へ! 悪 VS 悪のカオスな戦いでテンションMAXの ハーレイは、切り札としてクセ者だらけの最凶チームを新結成。世界のすべてをぶち壊しに行く、前代未聞のクレイジーバトルが始まる!
【考察】
ハーレイ・クインの歴代の恋人が紹介されるシーンで女性とも付き合っていることがわかり、多様性についても考えられている映画だと感じた。少女を守るために、敵対していた者たちが協力して戦うシーンは爽快感があった。遊園地のアトラクション内で戦闘を行っていたのがハーレイ・クインの世界観に合っていた。
中村昂太郎
RES
二年 中村昂太郎
1 ブレイブリーデフォルト フライングフェアリー(ゲーム) 製作:スクウェア・エニックス
[概要]
スクウェア・エニックスより2012年10月11日に発売されたニンテンドー3DS用に作られたロールプレイングゲーム。
本作の舞台となる「ルクセンダルク」には様々な世界が拡がっている。
砂漠の中の国、終わらない内戦の続く国、女性だけが暮らす国…
そこになにが待ち受けているのか?
光の戦士となって、遥かなる「ルクセンダルク」の地へ
世界に突如、大穴が空いた。カルディスラ大陸を抉るように空いた大穴は、近くの小さな集落ノルエンデを丸ごと飲み込んだ。
大穴からあふれ出した闇は、人々に輝きをもたらしてきたクリスタルをも飲み込む。
風は止まり、海は濁り、山は火を噴いた。
世界はゆっくりと、確実に闇につつまれようとしていた。
ブレイブリーデフォルトのバトルシステムは、ターン制のスタンダードスタイル。馴染みやすく、スピーディな操作感を重視しながら、さらなる進化を遂げる。FFシリーズでおなじみのジョブチェンジシステムを搭載。ジョブとアビリティの組み合わせで戦略性が大きく拡がっていきます。
[考察]
このゲームが発売された際のキャッチコピーは、「これはFFではない」というものだった。 FFとはファイナルファンタジー(以下FFと表記)シリーズのことで、この作品の戦闘システムや世界観はFFを踏襲したものとなっている。
ストーリー展開は王道ファンタジー。故郷を失った少年が、旅の途中で出会った仲間たちと一緒に世界を救う物語。しかし、その道中に遭遇する多くの事件が、国中にばら撒かれた依存性のあるアクセサリーや、政治的方針の違いから激化した内戦、技術発展のため他国へ侵略を行う国など、とてもハードなものとなっている。さらに、物語の終盤には主人公たちが世界を救うと信じて行っていた行為が、全て世界を終わらせるためのものだったことが明らかになる。
このようにストーリーがハードな内容となっていることの理由として、私は概要にもあった「光の戦士」というキーワードに注目して考察したい。光の戦士とは、スクウェア・エニックス制作のFF14に登場する単語で、主人公のことを指す、異能の力を持ち光の加護を受けた者の名である。FFシリーズの要素を多く踏襲しているブレイブリーデフォルト(以下BDFEと表記)において、この光の戦士という単語は当然重要な意味を持つものだろう。しかし、作中でこの単語が登場するのは物語の最終盤、主人公たちが黒幕、いわゆるラスボスへと挑む直前に、主人公たちに向けて放たれたものだ。さらに、BDFEの主人公たちは異能など持っておらず、光の加護も無い。ではなぜそんな主人公たちを指して、「光の戦士」という言葉が使われたのか。それは彼らの精神性が大きく関係していると考える。
先述したように、BDFEのストーリーは非常にハードだ。ただ敵を倒すだけで解決する事件は、物語が進むにつれてどんどん少なくなっていく。何が正しいのかも分からなくなっていく中、主人公たちは自分たちの行為が世界を救うのだと信じて、己を鼓舞し進んでいく。だがその希望すら欺瞞であったとわかり、彼らは絶望の淵に立たされる。しかし、それでも彼らは諦めなかった。世界を救うために、また立ち上がったのだ。BDFEにおける光の戦士とは、この「どれだけ絶望しても諦めない心」を持つ者であると私は考える。
子ども向けと言うには少々ハードなストーリーであるからこそ、決して諦めない主人公たちの強さにプレイヤーは心を打たれる。彼らと共に世界を救いたいと思えるだろう。その時、プレイヤーもまた、「光の戦士」となる得るのだ。BDFEは、重く苦しい現実を乗り越えて前に進む人間の強さを描いた作品だった。
2 僕らはみんな河合荘(漫画) 作者:宮原るり
[概要]
親の転勤で念願の一人暮らしをすることになった高一男子、宇佐は今どき珍しいまかない付き下宿「河合荘」に住むことになった。
河合荘には憧れの先輩、律も住んでいて、楽しい高校生活を夢見るが…?
行列な個性を持った残念な住人たちに囲まれ、宇佐は彼らに振り回される毎日で…果たして理想の高校生活が送れるのか…?
[考察]
メインストーリーである宇佐と律の恋愛模様はとてもゆっくり丁寧に描かれており、無愛想で他者と壁を作っていた律が宇佐に対して徐々に心を開いていく過程が読者にも非常にわかりやすくなっている。また、その二人だけでなく、河合荘に住む住人たちとの友達以上家族未満とも言うべき関係も、読んでいて心温まるものとなっている。
この作品のテーマは、作中で言及されている通り、「人と人が関わることによって生じる変化」だと考える。それが特に表れているのはヒロインの律だ。最序盤の彼女は「一人でいるのが好きだけど、ずっと一人でいたいわけじゃない」という、作中で宇佐からも「めんどくさい人」と言われる難がある性格だった。しかし主人公の宇佐の猛烈なアプローチをきっかけに、河合荘の住人や同級生、後輩など様々な人と関わっていくことによって、彼女は自分と向き合い、人と関わることの楽しさを知った。そしてそんな彼女を見た周りの人間たちもまた、子供、大人問わず、目を背けていたことに向き合い、前へと進んでいく。これこそが「人と人が関わることによって生じる変化」なのだ。
そして、この変化の中心にあるのが、河合荘という下宿だ。一つ屋根の下では、男も女も子供も大人も関係なく、全員が対等である。だからこそ、そこに住む人間たちはどこか残念な自分をさらけ出して、時にぶつかり合い、時に助け合いながら生活できているのだろう。だからこそ、そうした中で変化が起こるのだと、私は考える。
長い人生の中で、河合荘は仮宿でしかないが、そこで生じた変化は、そこを巣立ってからもずっと自分の中に残り続ける。それはこの作品を読んだ読者も同じだ。この作品は他者と関わることの素晴らしさを説き、そうして生じた変化を肯定する、前へと進む活力を与えてくれる物語なのだ。
3 NieR Automata(ゲーム) 製作:スクウェア・エニックス
[概要]
2017年に発売されたスクウェア・エニックス製作のゲーム。
西暦5012年。
突如地球へと飛来してきた<エイリアン>と、
彼らが生み出した<機械生命体>により、
人類は絶滅の危機に陥った。
月へと逃げのびた僅かな人類は、地球奪還のため、
<アンドロイド>の兵士を用いた反攻作戦を開始。
しかし無限に増殖し続ける
<機械生命体>を前に、戦いは膠着状態に陥る。
人類は最終兵器として、
新型のアンドロイド<ヨルハ>部隊を地球へ派遣。
新たに地球へと派遣された<2B>は
先行調査員の<9S>と合流し、
任務にあたるが、その最中で、
数々の不可解な現象に遭遇し……。
これは人類のために戦い続ける、
命なき<アンドロイド>の物語――。
[考察]
戦う意味を無くしたことにも気づかず殺し合う被造物たちの物語。被造物であるが故に、創造主の命令に逆らうという選択肢すら思い浮かばず、創造主の自作自演に巻き込まれたり、相手に心は無く、意思も無いと互いが自分自身に言い聞かせる構図は、現実の戦場で戦う兵士たちに関する問題にも通ずるものだと感じた。
殺し合う相手にも心があり、意思がある。家族があり、友がいる。これは考えればすぐにわかることからも、自分の心を守るために目を逸らしながら戦っている兵士たちが、敵と関わっていくことで徐々に向き合っていき、様々な事件に遭遇しながらやがてどのように生きるべきか苦悩する様を描いた作品だった。このように表すと、この作品の根幹を成すテーマの一つにありふれた反戦的要素があるということが分かる。飛び道具的な斬新で目を惹きやすい設定の中に、こういった馴染みのあるテーマがあることで、作品そのものに入り込みやすくなっている。
また、プレイヤーが兵士たちを動かし、感情移入することで、戦うことがアイデンティティである兵士たちでも、戦いをやめて新たなアイデンティティを確立することができると身をもって体験するということから、アイデンティティは周囲の環境ではなく、自分の意思によって決められるべきだというメッセージも込められていることが分かる。
4 アンナチュラル(ドラマ) 監督:塚原あゆ子
[概要]
主人公・ミコトの職業は、死因究明のスペシャリストである解剖医。
彼女が許せないことは、「不自然な死(アンナチュラル・デス)」を放置すること。不自然な死の裏側には、必ず突き止めるべき真実がある。偽装殺人・医療ミス・未知の症例…。しかし日本においては、不自然死のほとんどは解剖されることなく荼毘に付されている。その現実に、彼女は個性豊かなメンバーと共に立ち向かうことになる。
[考察]
不自然死を究明する物語という構成上、残された遺族、恋人、友人に焦点が当たることが多く、「近しい人の死にどう向き合っていくか」もテーマの一つになっている。終盤に向かうにつれて、事件の犯人を追うサスペンス要素が大きくなっても、そのテーマが揺らぐことはなかった。生きている人がどう向き合うかの手助けをするのが、主人公たちが所属するUDIの存在理由だった。世間的に注目度が薄い法医学を扱った作品として、法医学そのものの知名度の上昇や日本が抱える解剖に関する問題を示すものだった。
作中の残された遺族、恋人、友人たちは、皆自分が死なずに生きていることを罪だと認識していた。作中では「自分が生きてもいいのか」という問いに、「許されるように生きろ」と答えた登場人物がいた。私はこの言葉が作品が出した答えの一つだと考える。罪だと思っていることを否定せず肯定した上で、それが許されるように生きろと言うのは、この作品ならではの答えだと感じる。
この作品には、多くの残された人々が登場したが、死への向き合い方はそれぞれ違っていた。しかし、その本質は、「許されるように生きる」ことに共通している。例えば恋人が殺され、復讐に走った人物は、自分が泊まり込みで仕事をしている最中に恋人が殺されたことに対して、犯人を憎むと同時に、何もできなかった自分自身も憎んでいた。彼の復讐は、どうすれば自分が許されるか彼なりに考えたが故のものであった。
死というデリケートな問題を扱うこの作品は、残された人がどのようにそれを受け入れ、この先生きていくかを描き、それらに対し一つの答えを示していた。
5 MIU404(ドラマ)監督:塚原あゆ子
[概要]
2019年4月、警視庁における働き方改革の一環として刑事部・機動捜査隊(通称:機捜)の第4機動捜査隊(通称・4機捜)が増設される。同隊長の桔梗ゆづるに招集された志麻一未は、旧知のベテラン刑事・陣馬耕平とバディを組むはずが、上層部の意向でキャリア組の新人・九重世人が急遽4機捜の隊員となったため、候補段階で一旦落とされていた伊吹藍と組むことになる。破天荒で警察官としての常識に欠けるが、機捜の任務を「誰かが最悪の事態になる前に止められる良い仕事」だと話す伊吹に心を動かされた志摩は、彼と共に任務を続ける。
[考察]
全体的なストーリーラインは、自分を含め誰も信じられなくなった志麻と、その性格ゆえ誤解されてばかりの人生だった伊吹の二人がバディとして成長していく物語だった。そして概要にもある「誰かが最悪の事態になる前に止められる良い仕事」という言葉は、まさにこの作品を表す言葉だ。警察という組織があくまで法の番人であることを前提とした上で、この作品は、市民に寄り添い、最悪の事態を防ぐために奔走する人間たちを描いた作品だ。
いわゆる時事ネタが多く組み込まれており、インターネットの誤った情報に踊らされる人々や、若者の違法薬物売買問題など、我々にとっても無関係ではない問題が多く取り上げられていた。特に若者に関する問題は、作中でも警察組織内で意見が割れる描写があり、慎重に扱おうという制作の感じられた。その上で、最終的に出された結論は上記したように、最悪の事態になる前に止めるべきだというものだった。
この作品はこれまでドラマの題材としてあまり話題にされてこなかった機動捜査隊を、単なる要素の一つとして片づけずに、何故その仕事が存在するのか、そこで働く人々は何を思って働いているのかという問題に正面から向き合い、真摯に描いた作品である。
6 ラストマイル(映画)監督:塚原あゆ子
[概要]
11 月、流通業界最大のイベントのひとつ“ブラックフライデー”の前夜、世界規模のショッピングサイトから配送された段ボール箱が爆発する事件が発生。
やがてそれは日本中を恐怖に陥れる謎の連続爆破事件へと発展していく――。
巨大物流倉庫のセンター長に着任したばかりの舟渡エレナ(満島ひかり)は、チームマネージャーの梨本孔(岡田将生)と共に、未曾有の事態の収拾にあたる。
[考察]
物流業界の抱える問題を小売会社から運送会社まで、様々な視点で描いた映画である。運送ドライバーの給料問題や、残業代未払い問題など、おそらく私のような大学生ではなく、日々社会で揉まれながら働いている人に馴染みのあるだろう単語や状況が多くあった。事件の真相は明らかになり、一件落着かのように思えたが、真の意味での発端は改善の余地が見えず、社会は変わらず消費を続けるという終わり方から、現代社会で物流に頼り切った生活を送っている我々に対する問題提起の役割を持った映画でもあると考える。
事件を起こしたのはその企業の社員ではなく、末端の派遣社員であった。そして、その事件に終止符を打ったのも、末端のドライバーだった。これは、「実際に現場にいて対処するのは彼らである」と、効率ばかりを重視して末端の職員を軽視している企業たちに対するメッセージだと捉えられる。
大衆に向けたエンターテインメント映画というより、日々心身を削りながら働いている人々に向けた映画であると感じた。エンドロール後に流れた言葉の通り、心や身体の問題は一人で抱えこまずに周りや然るべき機関に相談するべきだいうのも、この作品のテーマの一つ出会った。
7 ハズビンホテルへようこそ(アニメ)監督:ヴィヴィアン・メドラーノ
[概要]
地獄の過剰人工を平和的に減らすべく、悪魔を更生させるという一件不可能な目標に向かって奮闘する地獄の王女チャーリーの姿を描いた大人向けアニメーション・ミュージカル・シリーズ。
天国による年に一度の駆除の後、彼女はハズビン・ホテルをオープンする。救済可能であると証明された常連客が“チェックアウト”してくれることを期待して…。
[考察]
地獄という舞台の設定上、かなり下品で見る人間によっては不快感を覚える作品である。しかし、そんな正しく地獄のような環境だからこそ、人は死んだ後でも変わることができると信じて奮闘する主人公の真っ直ぐさがより一層輝いて見えるようになっている。周囲もそんな彼女に影響され、自らを見つめなおして変わろうとし始める、死後の世界を描いた作品でありながら、人の素晴らしさを説いた作品でもあると考える。
また、同性愛や人種などマイノリティに関する問題も内包しており、それらの問題に社会がどう向き合うべきかという問題提起も兼ねた作品である。そして、この作品の最大の特徴はそうした政治的思想がふんだんに盛り込まれているにも関わらず、ある種のいやらしさや、制作側の自惚れのようなものがほぼ感じられないことである。たまたまそこにいるキャラクターが同性愛者であっただけのような描写の自然さがその理由だと私は考える。
また、アニメーションならではの違和感の無い派手な見た目のキャラクターも、作中の多様性の表現に役立っている。一つ目や四つ腕など、多種多様な見た目のキャラクターが闊歩する地獄という舞台は、それぞれが自由に生きているという点で、多様性のある社会だと言える。
8 SSSS.GRIDMAN(アニメ)監督:雨宮哲
[概要]
ツツジ台に住む高校1年生の響裕太は、ある日目覚めると記憶喪失になっていた。 そして裕太は古いパソコンに映る『ハイパーエージェント・グリッドマン』と出会う。 グリッドマンは使命を果たせと語りかけ、裕太はその言葉の意味と記憶を探し始める。 突然の事に戸惑いつつも、クラスメイトの内海将や宝多六花、新条アカネたちに助けられながら毎日を送る裕太だった。が、
その平穏な日々は、突然現れた怪獣によって容易く踏みつぶされた――。
[考察]
タイトルのSSSSは、Special Signature to Save a Soul (魂を救うための特別な名前)という意味であり、これはグリッドマンこそが人々の心を救う存在であるということを意味している。このような1993年に放送された特撮版「電光超人グリッドマン」の要素を多く受け継いだ、ファン向けの演出やストーリー展開も多くありながら、一人の人間が前を向いて自分の世界へ帰る過程を描いた作品でもある。BGMを使用する場面が少なく、自然音や会話音声だけの場面で構成されている話が多かった。そのような自然な演出とバトルシーンでの特撮風のダイナミックなカメラワークが日常と非日常のメリハリを生み、視聴者を飽きさせない仕組みとなっている。
自分たちが作られた存在であることを知った主人公たちが、そのことに対して作中で「あまりピンと来ていない」と、ただ受け入れる構図にしなかったのは、彼らがまだ高校生で未熟であるが故の選択である。しかし、若いからこそ、そのような小難しい問題よりも、目の前の自分たちを作った張本人である一人の人間を救うために戦うことを選ぶことができたのだと考える。友達になるために作られたのならそれでも良いと、友達を救う一心で手を伸ばせる向こう見ずさはその若さが為せるものだと言える。
この作品はそういった若さ故の行動や、未熟であるが故の尊さを実写映像を思わせる演出で描き、そそれが導く結末を尊重する作品である。
9 SSSS.DYNAZENON(アニメ)監督:雨宮哲
[概要]
フジヨキ台高校一年生の麻中蓬はある日の帰り道、『怪獣使い』を名乗る謎の男ガウマと出会う。
突如現れる怪獣と巨大ロボット ダイナゼノン。
その場に居合わせた南夢芽・山中暦・飛鳥川ちせと共に怪獣との戦いに巻き込まれていく。
[考察]
タイトルにあるSSSSは、Scarred Souls Shine like Stars(傷ついた魂は星のように輝く)を意味する。これにある通り、この作品に登場する人物は皆心に傷を抱えている。例えばヒロインである南夢芽は姉を事故で亡くしており、生前姉と交わした約束が果たされなかったこともあり、姉を亡くしたショックから立ち直れずにいた。他にも過去の経験から何にも情熱を見出せない無職や、クラスに馴染めないことによる不登校児など、彼らは非常に現実的な傷を抱えていた。そのような現実的な傷に怪獣と巨大ロボット・ダイナゼノンという非日常の中で向き合っていき、問題の解決はしなくとも、最終的に前を向いて生きていく物語である。
作中の敵役であるシズムのセリフで、「君たちは怪獣と戦う日々を楽しんでいる」というものがあり、それに対する南夢芽のセリフで、「怪獣とダイナゼノンのおかげで過去と向き合うことができた」というものがある。怪獣のおかげで出会い、傷と向き合って前を向けた主人公たちであったが、最終的に彼らは怪獣とダイナゼノンに別れを告げ、日常に戻ることを選ぶ。この選択肢をした理由として、主人公の麻中蓬の「かけがえのない不自由」という言葉がある。
作中の怪獣は何にも縛られない、どこまでも自由な存在であるとされていた。そんな怪獣に立ち向かい、打ち倒した彼らは、「自由に抗う者」だと言える。自分たちを取り囲む家族や友人、社会などのしがらみを全て「不自由」だとした上で、それらの繋がりをかけがえのないものとして彼らは守ることを選んだ。
この作品は人との関わりで心に傷を負った人々が、怪獣とダイナゼノンという非日常を過ごすことで、その傷と向き合い、また日常に戻っていく過程を描いた作品だ。怪獣と巨大ロボットのバトルという非日常の象徴とも言える日々の中で、あえて人と人の繋がりという日常の象徴を描くことで、より一層それの尊さ、かけがえのなさが際立っていた。
10 グリッドマン ユニバース(アニメーション映画)監督:雨宮哲
[概要]
都立ツツジ台高校。 放課後の教室で、響裕太は記憶の中にあるはずのグリッドマンをノートに何度も描いては消していた。 かつてこの世界はひとりの少女によって作られ、壊された。 その少女の心を救ったのは、異次元からやってきたハイパーエージェント・グリッドマンと、彼女が作った心を持った怪獣、そして裕太たちであった。
2年生に進級し、六花と別のクラスになった裕太は告白を決意する。 そんな平和になった世界で過ごす彼らの日常は、轟音と共に崩れ始めた。
裕太に訪れる危機の最中、突如現れるグリッドマンは語りかける。 「この世界のバランスが崩れようとしている」
やがて真紅の強竜ダイナレックスや、グリッドマンの協力者である新世紀中学生、そして別世界の住人、麻中蓬たちも裕太の前に次々と現れる。
六花への想いを秘めたまま、裕太の非日常が始まった。
[考察]
二つの作品が交差し、ファンが見たい展開や演出をこれでもかと詰め込んだファンサービス映画である。また、前作では描かれなかった主人公、響裕太の本当の人格や、グリッドマン自身の内面に関する描写がメインとなってストーリーが展開されていった。
超然的であり、人とかけ離れた精神性を持っているように見えたグリッドマンの、奥底に隠されていた身体を乗っ取ってしまった裕太への罪悪感が事件の発端となった。テレビアニメでは人々を救う希望の象徴のようだったヒーローの罪悪感という弱味が描かれ、視聴者がグリッドマンに対して親近感を覚えるようなつくりとなっていた。
また、特撮版から直接言及はされずとも、ずっと描かれ続けてきた、グリッドマンの一人では満足に戦うこともできない弱さにグリッドマン自身が「だからこそ私のそばにはみんながいてくれる」「私は弱い。それが私だ」と、グリッドマン自身が自分の弱さにしっかりと向き合う様を描いていた。そして、グリッドマン、ダイナゼノンと続く二作で描かれてきた「人との繋がり」を、ヒーローであるグリッドマンも例外とせずに、主人公たちと友達になるというラストは、とてもこの作品らしい最後だっただろう。
この作品のもう一つのテーマとして、「虚構を信じることの素晴らしさ」というものがある。作中の「人間は虚構を信じることができる唯一の生命体」というセリフからも、主人公たちが作りものであったとしても、それでも良い。虚構を信じることができるからこそ、人間は人間たり得るのだという、作中だけでなく、現実の創作活動に勤しむ人々へのエールともとれるメッセージが込められている。
この作品は、二つの世界が交差するお祭り映画であると同時に、かつてヒーローを愛した人、今も愛している人問わず、その過去、現在を肯定する、虚構を信じる人間に寄り添った作品である。
11 境界の彼方(アニメ)監督:石立太一
[概要]
半妖の少年、神原秋人は
ある日の放課後、屋上から今にも飛び降りそうな少女と出会う。
彼女の名前は栗山未来。
異界士の中でも特異な呪われた血を持つ一族の最後の生き残りだった。
変わらない部室。変わらない自常。変わらない世界。
そんな毎日を過ごすはずだった。
だが、一人生き残った少女と半妖の少年が出会ったとき、世界が一変する
[考察]
世界観の謎や主人公の秋人の出生についてなど、明かされなかった謎やうやむやのまま終わってしまったことは多かったが、秋人と未来の物語に関しては京都アニメーションの圧倒的美麗作画で丁寧に描かれていた。
人でも妖でもない少年と呪われた一族の少女という、どちらも自らの生まれにコンプレックスを持っている人物という点で共通している。そして、両者とも実際に生まれのことで幼少期に差別を受けており、コンプレックスは一層根深いものとなっている。しかし、この二人は差別を受けてきた傷をお互いに舐め合うような関係ではなく、自身の生まれをありのままの単なる事実として受け入れた上で、ただの男女として最終的に関係を構築した。
これは彼らが生まれに由来するコンプレックスを克服したことの証左であり、人は自身の所属する・していたコミュニティに縛られることなく生き方を決めて良いのだということを表している。その上でこの作品は子を想う親や姉を想う弟妹などを描写して、自身のコミュニティを拠り所として生きることも肯定している。
12 ヴァイオレット・エヴァーガーデン(アニメ)原作:暁佳奈 監督:石立太一
[概要]
とある大陸の、とある時代。
大陸を南北に分断した大戦は終結し、世の中は平和へ向かう気運に満ちていた。
戦時中、軍人として戦ったヴァイオレット・エヴァーガーデンは、軍を離れ大きな港町へ来ていた。 戦場で大切な人から別れ際に告げられた「ある言葉」を胸に抱えたまま――。
街は人々の活気にあふれ、ガス灯が並ぶ街路にはトラムが行き交っている。 ヴァイオレットは、この街で「手紙を代筆する仕事」に出会う。 それは、依頼人の想いを汲み取って言葉にする仕事。
彼女は依頼人とまっすぐに向き合い、相手の心の奥底にある素直な気持ちにふれる。 そして、ヴァイオレットは手紙を書くたびに、あの日告げられた言葉の意味に近づいていく。
[考察]
感情を知らない少女が人の心を知り、育んでいく物語であると同時に、退役軍人の社会復帰の物語でもある。原作小説では物語は依頼人の視点から始まり、代筆人としてのヴァイオレットを描き、その後彼女の持つ過去について掘り下げていたが、アニメ版では物語の始まりの視点をヴァイオレット自身に固定し、彼女がどのような思いで代筆を始めたのか、どのような過去を持っているのかが初めに大まかに開示されることで、視聴者がヴァイオレットに感情移入しやすいつくりになっている。
原作との最も大きな違いは「ギルベルト少佐」の扱い方である。原作では少佐は終戦した後も軍に在籍し続け、新たな戦争の火種を事前に除くために日々戦っていた。しかし、アニメ版では少佐は軍では死亡したとされ、かつての敵国の島で教師として生きていた。これはアニメにする上で「戦争」をどのように扱うか考えたが故の改変だと私は考える。原作・アニメ両方とも、少佐は片腕を失っている。原作では義手をつけているが、アニメ版では何もつけていない。これはアニメ版の少佐はもう戦う意思を持っていないということだ。作中でも彼は軍人としての自分は死んだという旨の発言をしている。殺し合っていた敵国の人間に治療され、敵国の子どもたちとふれ合った少佐は、代筆を通して誰にでも大切な人がいると知ったヴァイオレットと同じように、敵国の人間にも帰りを待っている家族がいたことを知った。だから彼は国に戻ることも、ヴァイオレットに会おうとすることもせず、せめてもの罪滅ぼしとして敵国の島で生きることを選んだ。このことから、アニメ版が戦争を物語の一要素としてではなく、作品の根幹を成す重要なテーマとして扱っていることご分かる。
アニメ版、特に劇場版では、時代が進み技術が進歩していく中、未だ戦争の影響で苦しむ地域や人々が描かれている。自分が戦争にヴァイオレットを利用したと、かつての行いを後悔する少佐や、戦争によって夫たちが戦死してしまい、女性と老人で子どもたちを育てている集落はその代表例と言える。アニメ版はヴァイオレットと少佐の物語の顛末を最後まで描ききったと同時に、終始戦争を悲惨なものとして描き、反戦の意も込められていると考えられる。
13 獣の奏者 1~2巻 (小説)作者:上橋菜穂子
[概要]
闘蛇、それは戦闘用の偉大なる獣。王獣それは王の威光を示す神聖な獣。エリンの母は、戦闘用の獣である「闘蛇」の世話をする有能な医術師。だが、ある日その闘蛇が全て死んでしまった。母はその責任を問われ、裁きにかけられることになるが…。人を恐怖させ、また、魅了する、神秘的で獰猛な「獣」。その存在に魅せられた少女・エリンの運命がここに廻り出す!
[考察]
少数民族の末裔であるエリンが王獣を巡る政争に巻き込まれながらも、人と獣が共存できる道を模索する。最終的な結論は明らかになっていないものの、きっとこれからの未来は大丈夫だろうと思える希望を残した終わり方となっている。幼少期から育ててきた王獣のリランと、エリンは琴を使って意思疎通ができるようになったが、そうしてエリンとリランの絆を描いたからこそ、リランが獣の本能をあらわにした際のどうしようもなさが際立ち、人と獣は別の生き物であり、完全に分かりあうことはできないという認識を読者に植え付けるつくりになっている。その上で、リランがエリンのことを自分の意思で助けたという終わり方は、これからのエリンの安否や国際情勢の不安と、それらを上回る希望を読者に与える。
獣の奏者の1・2巻は、古い慣習から脱却し、新たな時代を始める物語でもある。エリンの一族がずっと守ってきた禁忌や、王獣を育てる上で絶対に守らなければならない、王家が作った王獣規範、さらに王家とその臣下の関係など、作中では長い歴史の中でずっと守られてきた規則、慣習が多くあり、そのほとんどがエリンたち若い世代の手によって破られ、新しいものへと作り替えられている。古い慣習に縛られてきた国家が若い世代によって、その慣習から脱却する様がこの作品では描かれている。
14 天気の子(アニメ映画)監督:新海誠
[概要]
「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。
彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。
ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。
[考察]
前半部分で晴れを願う人々を登場させ、その人々のためにはたらき、そのことに対してやりがいを感じ満たされている帆高たちを描写することで、後半で東京と陽菜を天秤にかけた帆高の葛藤や、最終的に陽菜を選んだ選択の重さが際立っている。
終盤までは孤独な子どもたちとそれに無関心な大人たちという構図で、東京という街の悪い側面が描かれていたが、帆高の選択によって東京が沈んでしまった後は、変わってしまった東京の中でも適応してたくましく生きる人々や、須賀の「世界なんて元々狂ってる」というセリフからも分かる通り、それまでの描写とは一転して子どものしたことに大人が「気負いすぎるな」と励ますような構図になっている。だからこそ、帆高がその大人たちの言葉を否定し、自分たちが世界の形を変えてしまったのだと受け入れる場面は、彼が子どもから自分のしたことに自分で責任を持つ大人へと成長した証でもあると言える。
沈んだ東京の中でたくましく生きる人々は、帆高への励ましの役割と同時に、どんなに社会が形を変えてもその中で必死に生きていく人間の強さを表している。ここまで適応して生きられるのならば、きっとこれからも大丈夫だろうと見ている者に思わせられる描写となっている。
15 すずめの戸締り(アニメ映画)監督:新海誠
[概要]
九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。
彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。
何かに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…
[考察]
東日本大震災で親を失った子どもが、前を向いて生きられるようになるまでの物語だった。扉を閉める際の、そこに住んでいた人達の記憶をすずめが垣間見るシーンがとても印象的で、当時のことを知る人は嫌でも思い出してしまうものだった。伏線の回収がとても丁寧。誰が見ても分かりやすく、くどくなりすぎないとても絶妙なバランスの構成だと感じた。
世界観の設定は非現実的ならものだったが、すずめをはじめとした登場人物たちの価値観や心情はとてもリアルで、だからこそ東日本大震災を経験した人の中で不快な思いをする人がいることも、また、心を打たれ背中を押されたような気分になる人がいることも納得できた。自分は当時五歳で、比較的被害が小さい地域に住んでいたこともあり、かなりフラットな気持ちで楽しむことができました。
16 キャラクター(映画)監督:永井聡
[概要]
漫画家のアシスタントを務める山城は、高い画力を持ちながら、純粋な性格上悪役を描くことに苦戦していた。そんなある日、彼は偶然殺人事件現場に遭遇し、そこで犯人の顔を目撃する。やがて、犯人の姿をもとに新たなサスペンス漫画を生み出した山城は、人気漫画家となる。だがそれを機に、彼は危険な事態に巻き込まれていく。
[考察]
アイデンティティを持たない青年に、山城が役割を与えてしまったことで物語が始まり、最後は山城の手で漫画と共に青年を終わらせた。これは私個人の考えであり、作中では青年の明確な動機などは仄めかす程度で名言はされない。見る者に答えを委ねる映画だった。犯人を演じるFukaseの演技が非常にリアルで、四人家族の車に乗り込んで犯行に及ぶシーンは、犯人が初めて話すシーンということもあり、車内の緊張感が見ている者にも伝わってくる程だった。
犯人の人物造形自体はいわゆる「サイコパス系」で、そうなってしまった背景も特に斬新さがあるという訳でもなかったが、そんなキャラクターをFukaseの演技力で現実に存在しているような猟奇殺人者にまで昇華させていた。
17 僕は君を殺せない(小説)作者:長谷川夕
[概要]
ミステリーツアーに参加し、連続猟奇殺人を目の当たりにした『おれ』。周囲で葬式が相次いでいる『僕』。――一見接点のないように見える二人の少年の独白は、ある時思いがけない点で結びつく……!
[考察]
交互に描かれる『おれ』と『僕』の物語に共通点を見つけてから、その二人がどういう関係なのか読者に気付かせるまでの段階がとてもスムーズで、大変読みやすい小説だった。
『おれ』と『僕』とその恋人が中心に描かれており、三人とも家庭環境に問題があった。特に『僕』の過去は凄まじいもので、分かりやすく言い表すなら「悲しき過去全部乗せ」だった。そのような凄惨な過去を持つ人物にした理由は、作中で『僕』が行うある行為に説得力を持たせ、読者が『僕』に対してなるべく嫌悪感を持たないよう配慮したからだと私は考える。
作品全体で罪を犯した者は罰を受けるという構図が徹底されており、どのような人物でも罪を犯して罰を受けなかった者は作中にはいなかった。これはデリケートな題材を選んだ作者なりのけじめだと私はこの作品を読んで感じた。
18 いたいのいたいの、とんでゆけ(小説)作者:三秋縋
[概要]
自分で殺した女の子に恋をするなんて、どうかしている。
「私、死んじゃいました。どうしてくれるんですか?」
何もかもに見捨てられて一人きりになった二十二歳の秋、僕は殺人犯になってしまった――はずだった。
僕に殺された少女は、死の瞬間を“先送り”することによって十日間の猶予を得た。彼女はその貴重な十日間を、自分の人生を台無しにした連中への復讐に捧げる決意をする。
「当然あなたにも手伝ってもらいますよ、人殺しさん」
復讐を重ねていく中で、僕たちは知らず知らずのうちに、二人の出会いの裏に隠された真実に近付いていく。それは哀しくも温かい日々の記憶。そしてあの日の「さよなら」。
[考察]
作者のあとがきにあった通り、「穴に落ちてしまった人たち」の物語だった。穴に落ちてしまった人はもう二度と戻ることはできないと作者は語っていた。
すでに人生を諦めてしまった二人の男女のラブストーリーだが、殺人と復讐から始まるということや、二人が最後まで「今」ではなく「過去」を大切に思っていたことから、全体の雰囲気は暗く、後ろ向きである。しかし、だからこそ二人の光となった過去の思い出の暖かさが際立ち、その日々が続かなかったことへの深い悲しみを読者に植え付ける。
全体的に暗い雰囲気の作品ではあるが、登場人物の言葉遣いは軽快で、悲壮感を感じさせないものとなっている。個人的には村上春樹の作品の登場人物に似た言葉遣いだと感じた。
19 GODZILLA(映画)監督:マイケル・ドハティ
[概要]
世界が終わる、ゴジラが目覚める。1954年の誕生から60年。日本が世界に誇るゴジラがハリウッドの超一流スタッフ・キャストによって現代によみがえる。1999年、芹沢博士は、フィリピンで巨大生物の化石と、繭のような物体を発見する。だが、物体の一つは既に抜け出し、海へ向かった痕跡が残っていた。同年、日本の発電所に勤めるジョーは、謎の地震による事故で妻を失ってしまう。そして現在、未だ事故の真相を追う父のために来日した息子・フォードは、怪獣に遭遇する。
[考察]
二体の怪獣による大迫力のバトルも魅力の一つだが、最大の魅力は怪獣の描かれ方である。この作品では二種の怪獣が登場するが、その全体像は中盤まで明らかにならず、脚や背中などが映るだけに留まらせることで、怪獣たちの得体の知れなさや超然的な様が描かれている。怪獣たちの争いに振り回される人間たちのドラマも、怪獣たちの圧倒的な存在感を際立たせている。
結果としてゴジラは人類を救ったが、ゴジラは人間たちの都合に関係なく敵を殺しただけなのだ、この作品の主役はゴジラなのだと感じられるほど、制作側の愛が伝わる映画でもあった。
20 GODZILLA キング・オブ・モンスターズ(映画)監督:マイケル・ドハティ
[概要]
神話の時代に生きていた怪獣モスラ、ラドン、キングギドラが休眠状態から復活する。これらの怪獣とゴジラとの覇権争いを食い止め、世界の破滅を防ぐべく、生物学者や考古人類学者らが所属する未確認生物特務機関「モナーク」が始動。しかし彼らと環境テロリストたちの思惑が交錯し、怪獣たちと人類による凄まじい規模の混戦が巻き起こる。
[考察]
一作目よりも遥かに怪獣たちが主役の映画だと感じた。とくにギドラの描写がそれまでの人類の歴史を冒涜しているとすら思えるほどで、正しく怪獣が神と同列に扱われている映画だった。
キングギドラ、ラドン、モスラ、オキシジェン・デストロイヤー、バーニングゴジラなど、日本のゴジラシリーズでお馴染みのものが多く登場し、前作よりも怪獣たちに割かれるパートも圧倒的に増え、怪獣プロレスを楽しむファンサービスに富んだエンタメ映画という印象を受けた。
21 忍者と極道(漫画)作者:近藤信輔
[概要]
トラウマから笑えない少年・忍者<しのは>、表向きはエリート会社員ながら裏では組を牛耳る極道<きわみ>。そんな2人が出会った時、300年にわたる忍者<ニンジャ>と極道<ゴクドウ>の殺し合いの炎が熱く燃え盛る!孤独を抱えた漢達による、情熱と哀切に彩られた命のやり取り。決めようか…忍者と極道、どちらが生きるかくたばるか!
[考察]
物語の構成自体はシンプルな勧善懲悪だが、裏世界に生きる者同士の戦いなので、麻薬や臓器売買、大規模テロが当然のように登場する。勢いとスケールが凄まじく、清々しさを感じるほど。
登場する極道たちが生粋の極道からどうしようもない事情から極道になってしまった者まで幅広く登場し、特に作中で割れた子供たちと呼ばれる子供たちは自分ではなく周囲の環境によって壊れてしまった者が多く、第二幕からはさらにそれまでのフィクションとして分かりすい描写から一変し、現実の問題を想起させるリアリティを持つ過去が描かれることが多くなった。
そんな極道たちと戦う忍者もそれに負けないほど凄惨な過去を持っているのだが、彼らは同情はしても情けをかけることは絶対に無く、最終的に極道は必ず罰を受けることが分かっているが故に読み進められる絶妙なバランスの構成となっている。
22 機動戦士ガンダム 水星の魔女(アニメ)監督:小林寛
[概要]
数多の企業が宇宙へ進出し、
巨大な経済圏を構築する時代。
モビルスーツ産業最大手「ベネリットグループ」が
運営する「アスティカシア高等専門学園」に、
辺境の地・水星から一人の少女が編入してきた。
名は、スレッタ・マーキュリー。
無垢なる胸に鮮紅の光を灯し、少女は新たな世界を一歩ずつ進んでゆく。
[考察]
親がどれだけ人間として最悪でも、親を愛し続ける子どもを肯定している作品。しかしそれはそれとしてきっぱり別れている子どもも作中にはいる。SFという非現実的な世界観でありながら、親の描写は非常に生々しく、子どもの苦悩が視聴者にも伝わりやすくなっている。
作中でガンダムと呼ばれる機体は他とは一線を画す性能を持っており、実際に作中でガンダムと正面から戦って勝利した者はおらず、ガンダムという機体の圧倒的強さが一貫して描かれていた。これはSF設定に忠実な姿勢と同時に、戦争において兵器の性能差がどれだけ残酷であるかをガンダムという兵器を通して表していると考える。
各話にインパクトのあるフックが存在し、原作が無いオリジナルアニメ故に、その後の展開が分からず続きが気になるような作りとなっていた。これはコンテンツの消費スピードが早い現代において、視聴者を飽きさせない工夫であると考える。
23 どうか天国に届きませんように(小説)作者:長谷川夕
[概要]
オカルトに憧れる「僕」は、ある日の下校中、自分の指へ絡む黒い糸に導かれ、死体を見つける。特別な力を得た優越感に溺れた「僕」は死体を見つける行為にのめりこんでいくが…? 偶然が偶然を呼び、不幸に魅入られた者たちは巡り合う。そして、彼らが抱く行き場のない孤独は哀しく連鎖していき――。「僕は君を殺せない」の著者が贈る、サスペンス連作短編集。
[考察]
短編集でありながら、全ての物語は繋がっており、ある物語で明らかにならなかったことが別の物語で明らかになったり、ある登場人物の過去が別の物語で明かされたりなど、短編を全て読まないと全容は分からないようになっている。
オカルトが実際に存在している世界観であるため、次に何が起こるか分からない恐怖があり、自然と読者が引き込まれる。また、短編全てがバッドエンド、もしくはスッキリしないものとなっており、全体的に暗い。しかし前述したような読者が引き込まれるつくりに加え、地の文が話し言葉なので非常に読みやすく、さらに文章量も多くないので、完読までのハードルは低い。
24 怪盗探偵山猫(小説)作者:神永学
[概要]
巷をにぎわせている謎の窃盗犯「山猫」。彼はターゲットから速やかかつ鮮やかに金を盗み取り、さらにはターゲットが隠していた表沙汰になっていない悪事の数々を暴いて颯爽と姿を消す様から『現代の鼠小僧』、『義賊』と呼ばれ賛否両論が上がっていた。そんな時ある強盗殺人事件に容疑者の一人として「山猫」の名が上がった。「殺人はしない」がモットーの山猫にいったい何があったのか?ライターの勝村英男は単身山猫を追いかけていた矢先、本人に見つかって『仕事』に協力させられてしまう。
[考察]
タイトルにある通り、依頼者を巡る事件を解決するまでを描く探偵もののフォーマットに怪盗という要素を組み込んだつくりとなっている。構成だけなら『ルパン3世』が近いが、この作品はもっとスケールが小さく、主に大企業の汚職や裏社会が中心に描かれている。
山猫本人の過去は匂わせ程度で、常に勝村か各章の主要人物の視点で描かれている。山猫自身の本音等がほぼ語られないが、正規の手段では明らかにならないような悪事を明らかにする姿はとても爽快で読んでいて気持ちのいい作品である。そして、全ての章の山猫で共通している点は、弱者の味方という点である。いじめられっ子や社会的弱者など、各章では様々な弱者が登場するが、山猫は常に彼らの味方をしている。これが怪盗という犯罪行為をしている山猫に読者が嫌悪感を抱かないための工夫であると考える。
25 性別モナリザの君へ(漫画)作者:吉村旋
[概要]
この世界で人間は12歳を迎える頃、自分がなりたい性へと次第に身体が変化していき、14歳になる頃には男性か女性へと姿を変えてゆく。でも自分だけは性別がないまま、18度目の春を迎えた…。
[考察]
性別を自分で選べる世界観であるので、現実にも存在するジェンダー問題がより分かりやすく読者に伝わる仕組みとなっていた。幼馴染二人との恋愛模様も主題の一つになっていたが、終わり方を複数用意することで、どんな性別で誰を選ぶことになってもその結末を肯定できるようになっていた。個人的には終わり方を複数用意する展開はあまり好ましく思わないが、性別というデリケートな問題を扱ったこの作品に限っては、このような終わり方で正解だったと考える。
性別の無い主人公が性別を選ぶまでを描く作品であり、同時に性別に関して様々な悩みを抱える人物たちを描く群像劇の側面も持っている。そして、全員その悩みを解決出来るわけでもなく、悩みを抱えたままでも自分なりに答えを出して前を向いて生きていく者もおり、終始正しさを押しつけることなく、その人のあり方を肯定する姿勢があった。特に、男を選んだ幼馴染とずっと一緒にいたいから男になったキャラクターの苦悩は、現実と重なる描写が多く、性別というものについて考えさせられるエピソードだった。
この作品を読んで不快な思いをする人がいないようにとても慎重に作られた作品だった。
26 幸色のワンルーム(漫画)作者:はくり
[概要]
その日、少女は誘拐された。
しかし、それは少女にとって一縷の希望にかけた生活の始まりだった。
少女は誘拐犯に結婚を誓い、誘拐犯は少女にたくさんの“幸せ”を捧ぐ。
誘拐犯と被害者の関係なのに―――どうしてこんなに温かいの?
[考察]
学校にも家にも居場所が無く、一度は自殺しようとした少女が誘拐犯と出会ったことをきっかけに、“普通”に戻っていくまでを描く作品。
少女も誘拐犯も悲惨な過去から生きることに無気力な人間で、互いに影響を与え合いながら変わっていく過程が丁寧に描かれており、序盤と終盤で少女のキャラが別人レベルで違うにも関わらず、読者がそれを違和感なく受け入れられるようになっている。
中盤から登場する探偵も二人と同じような過去を持っていることから、彼らを助けようと尽力するが、彼の姿勢は常に二人の選択を尊重しており、似た過去を持っているからこそ、無遠慮に寄り添おうとせずに距離を置いて二人を見守る姿勢だった。彼というキャラクターがいることで、二人の未来がどんなことになっても最悪になることは無いだろうという安心感を読者が持てるようになっていた。
27 PLUTO (アニメ)監督:河口俊夫
[概要]
人間とロボットが<共生>する時代。 強大なロボットが次々に破壊される事件が起きる。調査を担当したユーロポールの刑事ロボット・ゲジヒトは犯人の標的が大量破壊兵器となりうる、自分を含めた<7人の世界最高水準のロボット>だと確信する。
時を同じくしてロボット法に関わる要人が次々と犠牲となる殺人事件が発生。<ロボットは人間を傷つけることはできない>にも関わらず、殺人現場には人間の痕跡が全く残っていなかった。
2つの事件の謎を追うゲジヒトは、標的の1人であり、世界最高の人工知能を持つロボット・アトムのもとを訪れる。
「君を見ていると、人間かロボットか識別システムが誤作動を起こしそうになる。」 まるで本物の人間のように感情を表現するアトムと出会い、ゲジヒトにも変化が起きていく。
そして事件を追う2人は世界を破滅へと導く史上最悪の<憎しみの存在>にたどり着くのだった―――。
[考察]
戦争に参加したロボットたちを通して戦争の悲惨さを描くと同時に、憎しみを抱いて復讐することの虚しさが描かれている。終盤まで明らかにならないプルートウのビジュアルや、ゲジヒトの過去など、視聴者が続きを見たくなる要素が多くあった。
ブラウ1589が作中で言った「完璧な人工知能は嘘を吐く」とあうセリフが物語のキーワードとなっており、これは地球上の動物で嘘を吐くのは人間だけだとした上で、嘘を吐くことで人工知能は完璧となるという論理であると考える。
序盤は戦争に参加させられたロボットたちがメインに描かれており、同族を大量に殺してしまったトラウマに苛まれるロボットも登場し、反戦的要素が見られる。物語が進むにつれてこの要素は段々と薄くなっていくが、これは最終的にこの作品が出した結論である「復讐は何も生まない」というものにも共通していると考える。
28 いじめるヤバイ奴(漫画)作者:中村なん
[概要]
ただの「いじめ」ではありません。仲島は、クラスに君臨する「いじめっ子」。いじめの対象は儚げな女の子・白咲さん。暴虐の限りを尽くし、彼女は毎日いたぶられた。憑りつかれた様にいじめる仲島は、どこか狂っていた。──そう、狂っていたのだ。この「いじめ」の真相。仲島は、「いじめ」を強要されていた。いじめられっ子の白咲さんによって。加害者になるという未知の恐怖。悲劇とは、彼のことを言うのだろう。
[考察]
序盤はいじめさせられている仲島が様々な苦難を乗り越えて何とか白咲をいじめる漫画、中盤からは何故か白咲を最強とした王道少年バトル漫画が繰り広げられ、終盤になるとまたいじめという問題に真剣に向き合う漫画になる。特にバトル漫画に変化する過程がとてもスムーズで、一気読みすると特に気づきにくく、読者はいつの間にか読んでいる漫画のジャンルが変わってしまっていることに気付くのが遅れてしまう。
ジャンルがバトル漫画に変わってしまった後は、スケールが大きく半ばギャグになっており笑える展開が多くなっていたので、終盤にまたいじめというテーマに向き合いだした際、どれだけ作者が真剣にこの問題に向き合っているかが伝わってくる。
いじめを無くすことはできないかもしれないが、それでも無くすための努力を辞めてはならない。無くすために行動することが大事という、最終的にこの作品が出した結論自体は特別斬新というわけでもない普遍的なものだったが、長い間様々な形で、時にはギャグと言えるほど突拍子も無い描写でいじめという問題を描いてきたこの作品が出すありふれた結論は、とても重く説得力のあるものとなっていた。
29 ゴールデンカムイ(漫画)作者:野田サトル
[概要]
『不死身の杉元』日露戦争での鬼神の如き武功から、そう謳われた兵士は、ある目的の為に大金を欲し、かつてゴールドラッシュに沸いた北海道へ足を踏み入れる。そこにはアイヌが隠した莫大な埋蔵金への手掛かりが!? 立ち塞がる圧倒的な大自然と凶悪な死刑囚。そして、アイヌの少女、エゾ狼との出逢い。『黄金を巡る生存競争』開幕ッ!!!!
[考察]
濃いキャラクターが多く登場し、読者にとんでもないインパクトを与える作品。同時に緻密な取材のもとアイヌ文化がわかりやすく描かれており、文化保存の側面も持っている。登場人物全員がとても賢く、物語がスムーズに進められている。それでいてギャグをする時は全力でふざけており、読んでいてとても気持ちのいい作品となっている。
作中で描かれる北海道の自然のなかで、特にヒグマは圧倒的恐怖の象徴として序盤から終盤まで描かれていた。成長することはあっても登場人物の強さはほぼ変わることなく物語が進むことから、ヒグマの恐ろしさもずっと変わらないままだった。これは人間はあくまでも自然と共生することはできても、完全に支配することはあってはならないということを表していると考える。
登場人物に軍人や死刑囚が多いことから、人の命を奪うことに躊躇がない。そのため和気あいあいとした雰囲気から殺し合いに発展するまでの流れがスムーズなので、読者はいつ殺し合いが始まってしまうのかと緊張感を持ちながら読めるようになっている。同時に、作中でも何度も言及されているように、杉本は不死身であるので、絶対に死ぬことは無いだろうという安心感もある。この作品はいつでも殺し合いが始められる緊張感と、何があっても主人公は死なないだろうという安心感を同時に与える不思議な作品である。
30 テラフォーマーズ(漫画)原作:貴家悠 作画:橘賢一
[概要]
火星の地表をある「コケ」と「ゴキブリ」を撒くことで暖め、人が住めるようにするという「テラフォーミング計画」。
西暦2599年、その計画の総仕上げとして、地表に残っていると思われるゴキブリの駆除をするために、15人の若者が火星へ旅立った。
小町小吉、秋田奈々緒をはじめとした貧しき若者たちは、この計画の参加報酬に、未来への希望をたくす。
だが、その希望は、火星到着後、すぐに断ち切られる。
彼らが駆除しようとしたゴキブリは、想定外の進化を遂げた「テラフォーマー」となり、人間たちを逆に駆除し始めたのだ…! こうして、宇宙船バグズ2号と、その20年後の宇宙艦アネックス1号の、二世代にわたるゴキブリとの大戦争が始まった!!
[考察]
人類と進化したゴキブリとの戦いを通して、人、ゴキブリ問わず必死に生きる者たちを尊重している作品である。特に第二部の主人公である燈は普通ではない生まれだが、それでも生まれたことは素晴らしく、生きる資格を持っていると肯定されている。敵味方関係なく命が軽く、簡単に死ぬ作品ではあるが、だからこそそれぞれの信念を持って必死に戦うキャラクターたちの姿が際立つようになっている。火星から地球へと舞台が移り、敵がゴキブリだけでは無くなってからもその根幹は変わらないままである。
未来の地球の話だが、その中で描写される問題の中には中国の貧困層やアメリカの不法移民など、現代にも存在するものが多くある。これは時代が進んでも問題が全て解決するわけではなく、現代と大して変わらないことの方が多くなると思ったからだと作者が直々に語っている。そんな現代でも耳にするような問題から読者にとっても身近な問題まで、様々な事情を抱えた人物たちが生き残るために国籍も人種も関係なく協力して戦う光景は、社会のあるべき形の一つだと言える。
1 ブレイブリーデフォルト フライングフェアリー(ゲーム) 製作:スクウェア・エニックス
[概要]
スクウェア・エニックスより2012年10月11日に発売されたニンテンドー3DS用に作られたロールプレイングゲーム。
本作の舞台となる「ルクセンダルク」には様々な世界が拡がっている。
砂漠の中の国、終わらない内戦の続く国、女性だけが暮らす国…
そこになにが待ち受けているのか?
光の戦士となって、遥かなる「ルクセンダルク」の地へ
世界に突如、大穴が空いた。カルディスラ大陸を抉るように空いた大穴は、近くの小さな集落ノルエンデを丸ごと飲み込んだ。
大穴からあふれ出した闇は、人々に輝きをもたらしてきたクリスタルをも飲み込む。
風は止まり、海は濁り、山は火を噴いた。
世界はゆっくりと、確実に闇につつまれようとしていた。
ブレイブリーデフォルトのバトルシステムは、ターン制のスタンダードスタイル。馴染みやすく、スピーディな操作感を重視しながら、さらなる進化を遂げる。FFシリーズでおなじみのジョブチェンジシステムを搭載。ジョブとアビリティの組み合わせで戦略性が大きく拡がっていきます。
[考察]
このゲームが発売された際のキャッチコピーは、「これはFFではない」というものだった。 FFとはファイナルファンタジー(以下FFと表記)シリーズのことで、この作品の戦闘システムや世界観はFFを踏襲したものとなっている。
ストーリー展開は王道ファンタジー。故郷を失った少年が、旅の途中で出会った仲間たちと一緒に世界を救う物語。しかし、その道中に遭遇する多くの事件が、国中にばら撒かれた依存性のあるアクセサリーや、政治的方針の違いから激化した内戦、技術発展のため他国へ侵略を行う国など、とてもハードなものとなっている。さらに、物語の終盤には主人公たちが世界を救うと信じて行っていた行為が、全て世界を終わらせるためのものだったことが明らかになる。
このようにストーリーがハードな内容となっていることの理由として、私は概要にもあった「光の戦士」というキーワードに注目して考察したい。光の戦士とは、スクウェア・エニックス制作のFF14に登場する単語で、主人公のことを指す、異能の力を持ち光の加護を受けた者の名である。FFシリーズの要素を多く踏襲しているブレイブリーデフォルト(以下BDFEと表記)において、この光の戦士という単語は当然重要な意味を持つものだろう。しかし、作中でこの単語が登場するのは物語の最終盤、主人公たちが黒幕、いわゆるラスボスへと挑む直前に、主人公たちに向けて放たれたものだ。さらに、BDFEの主人公たちは異能など持っておらず、光の加護も無い。ではなぜそんな主人公たちを指して、「光の戦士」という言葉が使われたのか。それは彼らの精神性が大きく関係していると考える。
先述したように、BDFEのストーリーは非常にハードだ。ただ敵を倒すだけで解決する事件は、物語が進むにつれてどんどん少なくなっていく。何が正しいのかも分からなくなっていく中、主人公たちは自分たちの行為が世界を救うのだと信じて、己を鼓舞し進んでいく。だがその希望すら欺瞞であったとわかり、彼らは絶望の淵に立たされる。しかし、それでも彼らは諦めなかった。世界を救うために、また立ち上がったのだ。BDFEにおける光の戦士とは、この「どれだけ絶望しても諦めない心」を持つ者であると私は考える。
子ども向けと言うには少々ハードなストーリーであるからこそ、決して諦めない主人公たちの強さにプレイヤーは心を打たれる。彼らと共に世界を救いたいと思えるだろう。その時、プレイヤーもまた、「光の戦士」となる得るのだ。BDFEは、重く苦しい現実を乗り越えて前に進む人間の強さを描いた作品だった。
2 僕らはみんな河合荘(漫画) 作者:宮原るり
[概要]
親の転勤で念願の一人暮らしをすることになった高一男子、宇佐は今どき珍しいまかない付き下宿「河合荘」に住むことになった。
河合荘には憧れの先輩、律も住んでいて、楽しい高校生活を夢見るが…?
行列な個性を持った残念な住人たちに囲まれ、宇佐は彼らに振り回される毎日で…果たして理想の高校生活が送れるのか…?
[考察]
メインストーリーである宇佐と律の恋愛模様はとてもゆっくり丁寧に描かれており、無愛想で他者と壁を作っていた律が宇佐に対して徐々に心を開いていく過程が読者にも非常にわかりやすくなっている。また、その二人だけでなく、河合荘に住む住人たちとの友達以上家族未満とも言うべき関係も、読んでいて心温まるものとなっている。
この作品のテーマは、作中で言及されている通り、「人と人が関わることによって生じる変化」だと考える。それが特に表れているのはヒロインの律だ。最序盤の彼女は「一人でいるのが好きだけど、ずっと一人でいたいわけじゃない」という、作中で宇佐からも「めんどくさい人」と言われる難がある性格だった。しかし主人公の宇佐の猛烈なアプローチをきっかけに、河合荘の住人や同級生、後輩など様々な人と関わっていくことによって、彼女は自分と向き合い、人と関わることの楽しさを知った。そしてそんな彼女を見た周りの人間たちもまた、子供、大人問わず、目を背けていたことに向き合い、前へと進んでいく。これこそが「人と人が関わることによって生じる変化」なのだ。
そして、この変化の中心にあるのが、河合荘という下宿だ。一つ屋根の下では、男も女も子供も大人も関係なく、全員が対等である。だからこそ、そこに住む人間たちはどこか残念な自分をさらけ出して、時にぶつかり合い、時に助け合いながら生活できているのだろう。だからこそ、そうした中で変化が起こるのだと、私は考える。
長い人生の中で、河合荘は仮宿でしかないが、そこで生じた変化は、そこを巣立ってからもずっと自分の中に残り続ける。それはこの作品を読んだ読者も同じだ。この作品は他者と関わることの素晴らしさを説き、そうして生じた変化を肯定する、前へと進む活力を与えてくれる物語なのだ。
3 NieR Automata(ゲーム) 製作:スクウェア・エニックス
[概要]
2017年に発売されたスクウェア・エニックス製作のゲーム。
西暦5012年。
突如地球へと飛来してきた<エイリアン>と、
彼らが生み出した<機械生命体>により、
人類は絶滅の危機に陥った。
月へと逃げのびた僅かな人類は、地球奪還のため、
<アンドロイド>の兵士を用いた反攻作戦を開始。
しかし無限に増殖し続ける
<機械生命体>を前に、戦いは膠着状態に陥る。
人類は最終兵器として、
新型のアンドロイド<ヨルハ>部隊を地球へ派遣。
新たに地球へと派遣された<2B>は
先行調査員の<9S>と合流し、
任務にあたるが、その最中で、
数々の不可解な現象に遭遇し……。
これは人類のために戦い続ける、
命なき<アンドロイド>の物語――。
[考察]
戦う意味を無くしたことにも気づかず殺し合う被造物たちの物語。被造物であるが故に、創造主の命令に逆らうという選択肢すら思い浮かばず、創造主の自作自演に巻き込まれたり、相手に心は無く、意思も無いと互いが自分自身に言い聞かせる構図は、現実の戦場で戦う兵士たちに関する問題にも通ずるものだと感じた。
殺し合う相手にも心があり、意思がある。家族があり、友がいる。これは考えればすぐにわかることからも、自分の心を守るために目を逸らしながら戦っている兵士たちが、敵と関わっていくことで徐々に向き合っていき、様々な事件に遭遇しながらやがてどのように生きるべきか苦悩する様を描いた作品だった。このように表すと、この作品の根幹を成すテーマの一つにありふれた反戦的要素があるということが分かる。飛び道具的な斬新で目を惹きやすい設定の中に、こういった馴染みのあるテーマがあることで、作品そのものに入り込みやすくなっている。
また、プレイヤーが兵士たちを動かし、感情移入することで、戦うことがアイデンティティである兵士たちでも、戦いをやめて新たなアイデンティティを確立することができると身をもって体験するということから、アイデンティティは周囲の環境ではなく、自分の意思によって決められるべきだというメッセージも込められていることが分かる。
4 アンナチュラル(ドラマ) 監督:塚原あゆ子
[概要]
主人公・ミコトの職業は、死因究明のスペシャリストである解剖医。
彼女が許せないことは、「不自然な死(アンナチュラル・デス)」を放置すること。不自然な死の裏側には、必ず突き止めるべき真実がある。偽装殺人・医療ミス・未知の症例…。しかし日本においては、不自然死のほとんどは解剖されることなく荼毘に付されている。その現実に、彼女は個性豊かなメンバーと共に立ち向かうことになる。
[考察]
不自然死を究明する物語という構成上、残された遺族、恋人、友人に焦点が当たることが多く、「近しい人の死にどう向き合っていくか」もテーマの一つになっている。終盤に向かうにつれて、事件の犯人を追うサスペンス要素が大きくなっても、そのテーマが揺らぐことはなかった。生きている人がどう向き合うかの手助けをするのが、主人公たちが所属するUDIの存在理由だった。世間的に注目度が薄い法医学を扱った作品として、法医学そのものの知名度の上昇や日本が抱える解剖に関する問題を示すものだった。
作中の残された遺族、恋人、友人たちは、皆自分が死なずに生きていることを罪だと認識していた。作中では「自分が生きてもいいのか」という問いに、「許されるように生きろ」と答えた登場人物がいた。私はこの言葉が作品が出した答えの一つだと考える。罪だと思っていることを否定せず肯定した上で、それが許されるように生きろと言うのは、この作品ならではの答えだと感じる。
この作品には、多くの残された人々が登場したが、死への向き合い方はそれぞれ違っていた。しかし、その本質は、「許されるように生きる」ことに共通している。例えば恋人が殺され、復讐に走った人物は、自分が泊まり込みで仕事をしている最中に恋人が殺されたことに対して、犯人を憎むと同時に、何もできなかった自分自身も憎んでいた。彼の復讐は、どうすれば自分が許されるか彼なりに考えたが故のものであった。
死というデリケートな問題を扱うこの作品は、残された人がどのようにそれを受け入れ、この先生きていくかを描き、それらに対し一つの答えを示していた。
5 MIU404(ドラマ)監督:塚原あゆ子
[概要]
2019年4月、警視庁における働き方改革の一環として刑事部・機動捜査隊(通称:機捜)の第4機動捜査隊(通称・4機捜)が増設される。同隊長の桔梗ゆづるに招集された志麻一未は、旧知のベテラン刑事・陣馬耕平とバディを組むはずが、上層部の意向でキャリア組の新人・九重世人が急遽4機捜の隊員となったため、候補段階で一旦落とされていた伊吹藍と組むことになる。破天荒で警察官としての常識に欠けるが、機捜の任務を「誰かが最悪の事態になる前に止められる良い仕事」だと話す伊吹に心を動かされた志摩は、彼と共に任務を続ける。
[考察]
全体的なストーリーラインは、自分を含め誰も信じられなくなった志麻と、その性格ゆえ誤解されてばかりの人生だった伊吹の二人がバディとして成長していく物語だった。そして概要にもある「誰かが最悪の事態になる前に止められる良い仕事」という言葉は、まさにこの作品を表す言葉だ。警察という組織があくまで法の番人であることを前提とした上で、この作品は、市民に寄り添い、最悪の事態を防ぐために奔走する人間たちを描いた作品だ。
いわゆる時事ネタが多く組み込まれており、インターネットの誤った情報に踊らされる人々や、若者の違法薬物売買問題など、我々にとっても無関係ではない問題が多く取り上げられていた。特に若者に関する問題は、作中でも警察組織内で意見が割れる描写があり、慎重に扱おうという制作の感じられた。その上で、最終的に出された結論は上記したように、最悪の事態になる前に止めるべきだというものだった。
この作品はこれまでドラマの題材としてあまり話題にされてこなかった機動捜査隊を、単なる要素の一つとして片づけずに、何故その仕事が存在するのか、そこで働く人々は何を思って働いているのかという問題に正面から向き合い、真摯に描いた作品である。
6 ラストマイル(映画)監督:塚原あゆ子
[概要]
11 月、流通業界最大のイベントのひとつ“ブラックフライデー”の前夜、世界規模のショッピングサイトから配送された段ボール箱が爆発する事件が発生。
やがてそれは日本中を恐怖に陥れる謎の連続爆破事件へと発展していく――。
巨大物流倉庫のセンター長に着任したばかりの舟渡エレナ(満島ひかり)は、チームマネージャーの梨本孔(岡田将生)と共に、未曾有の事態の収拾にあたる。
[考察]
物流業界の抱える問題を小売会社から運送会社まで、様々な視点で描いた映画である。運送ドライバーの給料問題や、残業代未払い問題など、おそらく私のような大学生ではなく、日々社会で揉まれながら働いている人に馴染みのあるだろう単語や状況が多くあった。事件の真相は明らかになり、一件落着かのように思えたが、真の意味での発端は改善の余地が見えず、社会は変わらず消費を続けるという終わり方から、現代社会で物流に頼り切った生活を送っている我々に対する問題提起の役割を持った映画でもあると考える。
事件を起こしたのはその企業の社員ではなく、末端の派遣社員であった。そして、その事件に終止符を打ったのも、末端のドライバーだった。これは、「実際に現場にいて対処するのは彼らである」と、効率ばかりを重視して末端の職員を軽視している企業たちに対するメッセージだと捉えられる。
大衆に向けたエンターテインメント映画というより、日々心身を削りながら働いている人々に向けた映画であると感じた。エンドロール後に流れた言葉の通り、心や身体の問題は一人で抱えこまずに周りや然るべき機関に相談するべきだいうのも、この作品のテーマの一つ出会った。
7 ハズビンホテルへようこそ(アニメ)監督:ヴィヴィアン・メドラーノ
[概要]
地獄の過剰人工を平和的に減らすべく、悪魔を更生させるという一件不可能な目標に向かって奮闘する地獄の王女チャーリーの姿を描いた大人向けアニメーション・ミュージカル・シリーズ。
天国による年に一度の駆除の後、彼女はハズビン・ホテルをオープンする。救済可能であると証明された常連客が“チェックアウト”してくれることを期待して…。
[考察]
地獄という舞台の設定上、かなり下品で見る人間によっては不快感を覚える作品である。しかし、そんな正しく地獄のような環境だからこそ、人は死んだ後でも変わることができると信じて奮闘する主人公の真っ直ぐさがより一層輝いて見えるようになっている。周囲もそんな彼女に影響され、自らを見つめなおして変わろうとし始める、死後の世界を描いた作品でありながら、人の素晴らしさを説いた作品でもあると考える。
また、同性愛や人種などマイノリティに関する問題も内包しており、それらの問題に社会がどう向き合うべきかという問題提起も兼ねた作品である。そして、この作品の最大の特徴はそうした政治的思想がふんだんに盛り込まれているにも関わらず、ある種のいやらしさや、制作側の自惚れのようなものがほぼ感じられないことである。たまたまそこにいるキャラクターが同性愛者であっただけのような描写の自然さがその理由だと私は考える。
また、アニメーションならではの違和感の無い派手な見た目のキャラクターも、作中の多様性の表現に役立っている。一つ目や四つ腕など、多種多様な見た目のキャラクターが闊歩する地獄という舞台は、それぞれが自由に生きているという点で、多様性のある社会だと言える。
8 SSSS.GRIDMAN(アニメ)監督:雨宮哲
[概要]
ツツジ台に住む高校1年生の響裕太は、ある日目覚めると記憶喪失になっていた。 そして裕太は古いパソコンに映る『ハイパーエージェント・グリッドマン』と出会う。 グリッドマンは使命を果たせと語りかけ、裕太はその言葉の意味と記憶を探し始める。 突然の事に戸惑いつつも、クラスメイトの内海将や宝多六花、新条アカネたちに助けられながら毎日を送る裕太だった。が、
その平穏な日々は、突然現れた怪獣によって容易く踏みつぶされた――。
[考察]
タイトルのSSSSは、Special Signature to Save a Soul (魂を救うための特別な名前)という意味であり、これはグリッドマンこそが人々の心を救う存在であるということを意味している。このような1993年に放送された特撮版「電光超人グリッドマン」の要素を多く受け継いだ、ファン向けの演出やストーリー展開も多くありながら、一人の人間が前を向いて自分の世界へ帰る過程を描いた作品でもある。BGMを使用する場面が少なく、自然音や会話音声だけの場面で構成されている話が多かった。そのような自然な演出とバトルシーンでの特撮風のダイナミックなカメラワークが日常と非日常のメリハリを生み、視聴者を飽きさせない仕組みとなっている。
自分たちが作られた存在であることを知った主人公たちが、そのことに対して作中で「あまりピンと来ていない」と、ただ受け入れる構図にしなかったのは、彼らがまだ高校生で未熟であるが故の選択である。しかし、若いからこそ、そのような小難しい問題よりも、目の前の自分たちを作った張本人である一人の人間を救うために戦うことを選ぶことができたのだと考える。友達になるために作られたのならそれでも良いと、友達を救う一心で手を伸ばせる向こう見ずさはその若さが為せるものだと言える。
この作品はそういった若さ故の行動や、未熟であるが故の尊さを実写映像を思わせる演出で描き、そそれが導く結末を尊重する作品である。
9 SSSS.DYNAZENON(アニメ)監督:雨宮哲
[概要]
フジヨキ台高校一年生の麻中蓬はある日の帰り道、『怪獣使い』を名乗る謎の男ガウマと出会う。
突如現れる怪獣と巨大ロボット ダイナゼノン。
その場に居合わせた南夢芽・山中暦・飛鳥川ちせと共に怪獣との戦いに巻き込まれていく。
[考察]
タイトルにあるSSSSは、Scarred Souls Shine like Stars(傷ついた魂は星のように輝く)を意味する。これにある通り、この作品に登場する人物は皆心に傷を抱えている。例えばヒロインである南夢芽は姉を事故で亡くしており、生前姉と交わした約束が果たされなかったこともあり、姉を亡くしたショックから立ち直れずにいた。他にも過去の経験から何にも情熱を見出せない無職や、クラスに馴染めないことによる不登校児など、彼らは非常に現実的な傷を抱えていた。そのような現実的な傷に怪獣と巨大ロボット・ダイナゼノンという非日常の中で向き合っていき、問題の解決はしなくとも、最終的に前を向いて生きていく物語である。
作中の敵役であるシズムのセリフで、「君たちは怪獣と戦う日々を楽しんでいる」というものがあり、それに対する南夢芽のセリフで、「怪獣とダイナゼノンのおかげで過去と向き合うことができた」というものがある。怪獣のおかげで出会い、傷と向き合って前を向けた主人公たちであったが、最終的に彼らは怪獣とダイナゼノンに別れを告げ、日常に戻ることを選ぶ。この選択肢をした理由として、主人公の麻中蓬の「かけがえのない不自由」という言葉がある。
作中の怪獣は何にも縛られない、どこまでも自由な存在であるとされていた。そんな怪獣に立ち向かい、打ち倒した彼らは、「自由に抗う者」だと言える。自分たちを取り囲む家族や友人、社会などのしがらみを全て「不自由」だとした上で、それらの繋がりをかけがえのないものとして彼らは守ることを選んだ。
この作品は人との関わりで心に傷を負った人々が、怪獣とダイナゼノンという非日常を過ごすことで、その傷と向き合い、また日常に戻っていく過程を描いた作品だ。怪獣と巨大ロボットのバトルという非日常の象徴とも言える日々の中で、あえて人と人の繋がりという日常の象徴を描くことで、より一層それの尊さ、かけがえのなさが際立っていた。
10 グリッドマン ユニバース(アニメーション映画)監督:雨宮哲
[概要]
都立ツツジ台高校。 放課後の教室で、響裕太は記憶の中にあるはずのグリッドマンをノートに何度も描いては消していた。 かつてこの世界はひとりの少女によって作られ、壊された。 その少女の心を救ったのは、異次元からやってきたハイパーエージェント・グリッドマンと、彼女が作った心を持った怪獣、そして裕太たちであった。
2年生に進級し、六花と別のクラスになった裕太は告白を決意する。 そんな平和になった世界で過ごす彼らの日常は、轟音と共に崩れ始めた。
裕太に訪れる危機の最中、突如現れるグリッドマンは語りかける。 「この世界のバランスが崩れようとしている」
やがて真紅の強竜ダイナレックスや、グリッドマンの協力者である新世紀中学生、そして別世界の住人、麻中蓬たちも裕太の前に次々と現れる。
六花への想いを秘めたまま、裕太の非日常が始まった。
[考察]
二つの作品が交差し、ファンが見たい展開や演出をこれでもかと詰め込んだファンサービス映画である。また、前作では描かれなかった主人公、響裕太の本当の人格や、グリッドマン自身の内面に関する描写がメインとなってストーリーが展開されていった。
超然的であり、人とかけ離れた精神性を持っているように見えたグリッドマンの、奥底に隠されていた身体を乗っ取ってしまった裕太への罪悪感が事件の発端となった。テレビアニメでは人々を救う希望の象徴のようだったヒーローの罪悪感という弱味が描かれ、視聴者がグリッドマンに対して親近感を覚えるようなつくりとなっていた。
また、特撮版から直接言及はされずとも、ずっと描かれ続けてきた、グリッドマンの一人では満足に戦うこともできない弱さにグリッドマン自身が「だからこそ私のそばにはみんながいてくれる」「私は弱い。それが私だ」と、グリッドマン自身が自分の弱さにしっかりと向き合う様を描いていた。そして、グリッドマン、ダイナゼノンと続く二作で描かれてきた「人との繋がり」を、ヒーローであるグリッドマンも例外とせずに、主人公たちと友達になるというラストは、とてもこの作品らしい最後だっただろう。
この作品のもう一つのテーマとして、「虚構を信じることの素晴らしさ」というものがある。作中の「人間は虚構を信じることができる唯一の生命体」というセリフからも、主人公たちが作りものであったとしても、それでも良い。虚構を信じることができるからこそ、人間は人間たり得るのだという、作中だけでなく、現実の創作活動に勤しむ人々へのエールともとれるメッセージが込められている。
この作品は、二つの世界が交差するお祭り映画であると同時に、かつてヒーローを愛した人、今も愛している人問わず、その過去、現在を肯定する、虚構を信じる人間に寄り添った作品である。
11 境界の彼方(アニメ)監督:石立太一
[概要]
半妖の少年、神原秋人は
ある日の放課後、屋上から今にも飛び降りそうな少女と出会う。
彼女の名前は栗山未来。
異界士の中でも特異な呪われた血を持つ一族の最後の生き残りだった。
変わらない部室。変わらない自常。変わらない世界。
そんな毎日を過ごすはずだった。
だが、一人生き残った少女と半妖の少年が出会ったとき、世界が一変する
[考察]
世界観の謎や主人公の秋人の出生についてなど、明かされなかった謎やうやむやのまま終わってしまったことは多かったが、秋人と未来の物語に関しては京都アニメーションの圧倒的美麗作画で丁寧に描かれていた。
人でも妖でもない少年と呪われた一族の少女という、どちらも自らの生まれにコンプレックスを持っている人物という点で共通している。そして、両者とも実際に生まれのことで幼少期に差別を受けており、コンプレックスは一層根深いものとなっている。しかし、この二人は差別を受けてきた傷をお互いに舐め合うような関係ではなく、自身の生まれをありのままの単なる事実として受け入れた上で、ただの男女として最終的に関係を構築した。
これは彼らが生まれに由来するコンプレックスを克服したことの証左であり、人は自身の所属する・していたコミュニティに縛られることなく生き方を決めて良いのだということを表している。その上でこの作品は子を想う親や姉を想う弟妹などを描写して、自身のコミュニティを拠り所として生きることも肯定している。
12 ヴァイオレット・エヴァーガーデン(アニメ)原作:暁佳奈 監督:石立太一
[概要]
とある大陸の、とある時代。
大陸を南北に分断した大戦は終結し、世の中は平和へ向かう気運に満ちていた。
戦時中、軍人として戦ったヴァイオレット・エヴァーガーデンは、軍を離れ大きな港町へ来ていた。 戦場で大切な人から別れ際に告げられた「ある言葉」を胸に抱えたまま――。
街は人々の活気にあふれ、ガス灯が並ぶ街路にはトラムが行き交っている。 ヴァイオレットは、この街で「手紙を代筆する仕事」に出会う。 それは、依頼人の想いを汲み取って言葉にする仕事。
彼女は依頼人とまっすぐに向き合い、相手の心の奥底にある素直な気持ちにふれる。 そして、ヴァイオレットは手紙を書くたびに、あの日告げられた言葉の意味に近づいていく。
[考察]
感情を知らない少女が人の心を知り、育んでいく物語であると同時に、退役軍人の社会復帰の物語でもある。原作小説では物語は依頼人の視点から始まり、代筆人としてのヴァイオレットを描き、その後彼女の持つ過去について掘り下げていたが、アニメ版では物語の始まりの視点をヴァイオレット自身に固定し、彼女がどのような思いで代筆を始めたのか、どのような過去を持っているのかが初めに大まかに開示されることで、視聴者がヴァイオレットに感情移入しやすいつくりになっている。
原作との最も大きな違いは「ギルベルト少佐」の扱い方である。原作では少佐は終戦した後も軍に在籍し続け、新たな戦争の火種を事前に除くために日々戦っていた。しかし、アニメ版では少佐は軍では死亡したとされ、かつての敵国の島で教師として生きていた。これはアニメにする上で「戦争」をどのように扱うか考えたが故の改変だと私は考える。原作・アニメ両方とも、少佐は片腕を失っている。原作では義手をつけているが、アニメ版では何もつけていない。これはアニメ版の少佐はもう戦う意思を持っていないということだ。作中でも彼は軍人としての自分は死んだという旨の発言をしている。殺し合っていた敵国の人間に治療され、敵国の子どもたちとふれ合った少佐は、代筆を通して誰にでも大切な人がいると知ったヴァイオレットと同じように、敵国の人間にも帰りを待っている家族がいたことを知った。だから彼は国に戻ることも、ヴァイオレットに会おうとすることもせず、せめてもの罪滅ぼしとして敵国の島で生きることを選んだ。このことから、アニメ版が戦争を物語の一要素としてではなく、作品の根幹を成す重要なテーマとして扱っていることご分かる。
アニメ版、特に劇場版では、時代が進み技術が進歩していく中、未だ戦争の影響で苦しむ地域や人々が描かれている。自分が戦争にヴァイオレットを利用したと、かつての行いを後悔する少佐や、戦争によって夫たちが戦死してしまい、女性と老人で子どもたちを育てている集落はその代表例と言える。アニメ版はヴァイオレットと少佐の物語の顛末を最後まで描ききったと同時に、終始戦争を悲惨なものとして描き、反戦の意も込められていると考えられる。
13 獣の奏者 1~2巻 (小説)作者:上橋菜穂子
[概要]
闘蛇、それは戦闘用の偉大なる獣。王獣それは王の威光を示す神聖な獣。エリンの母は、戦闘用の獣である「闘蛇」の世話をする有能な医術師。だが、ある日その闘蛇が全て死んでしまった。母はその責任を問われ、裁きにかけられることになるが…。人を恐怖させ、また、魅了する、神秘的で獰猛な「獣」。その存在に魅せられた少女・エリンの運命がここに廻り出す!
[考察]
少数民族の末裔であるエリンが王獣を巡る政争に巻き込まれながらも、人と獣が共存できる道を模索する。最終的な結論は明らかになっていないものの、きっとこれからの未来は大丈夫だろうと思える希望を残した終わり方となっている。幼少期から育ててきた王獣のリランと、エリンは琴を使って意思疎通ができるようになったが、そうしてエリンとリランの絆を描いたからこそ、リランが獣の本能をあらわにした際のどうしようもなさが際立ち、人と獣は別の生き物であり、完全に分かりあうことはできないという認識を読者に植え付けるつくりになっている。その上で、リランがエリンのことを自分の意思で助けたという終わり方は、これからのエリンの安否や国際情勢の不安と、それらを上回る希望を読者に与える。
獣の奏者の1・2巻は、古い慣習から脱却し、新たな時代を始める物語でもある。エリンの一族がずっと守ってきた禁忌や、王獣を育てる上で絶対に守らなければならない、王家が作った王獣規範、さらに王家とその臣下の関係など、作中では長い歴史の中でずっと守られてきた規則、慣習が多くあり、そのほとんどがエリンたち若い世代の手によって破られ、新しいものへと作り替えられている。古い慣習に縛られてきた国家が若い世代によって、その慣習から脱却する様がこの作品では描かれている。
14 天気の子(アニメ映画)監督:新海誠
[概要]
「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。
彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。
ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。
[考察]
前半部分で晴れを願う人々を登場させ、その人々のためにはたらき、そのことに対してやりがいを感じ満たされている帆高たちを描写することで、後半で東京と陽菜を天秤にかけた帆高の葛藤や、最終的に陽菜を選んだ選択の重さが際立っている。
終盤までは孤独な子どもたちとそれに無関心な大人たちという構図で、東京という街の悪い側面が描かれていたが、帆高の選択によって東京が沈んでしまった後は、変わってしまった東京の中でも適応してたくましく生きる人々や、須賀の「世界なんて元々狂ってる」というセリフからも分かる通り、それまでの描写とは一転して子どものしたことに大人が「気負いすぎるな」と励ますような構図になっている。だからこそ、帆高がその大人たちの言葉を否定し、自分たちが世界の形を変えてしまったのだと受け入れる場面は、彼が子どもから自分のしたことに自分で責任を持つ大人へと成長した証でもあると言える。
沈んだ東京の中でたくましく生きる人々は、帆高への励ましの役割と同時に、どんなに社会が形を変えてもその中で必死に生きていく人間の強さを表している。ここまで適応して生きられるのならば、きっとこれからも大丈夫だろうと見ている者に思わせられる描写となっている。
15 すずめの戸締り(アニメ映画)監督:新海誠
[概要]
九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。
彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。
何かに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…
[考察]
東日本大震災で親を失った子どもが、前を向いて生きられるようになるまでの物語だった。扉を閉める際の、そこに住んでいた人達の記憶をすずめが垣間見るシーンがとても印象的で、当時のことを知る人は嫌でも思い出してしまうものだった。伏線の回収がとても丁寧。誰が見ても分かりやすく、くどくなりすぎないとても絶妙なバランスの構成だと感じた。
世界観の設定は非現実的ならものだったが、すずめをはじめとした登場人物たちの価値観や心情はとてもリアルで、だからこそ東日本大震災を経験した人の中で不快な思いをする人がいることも、また、心を打たれ背中を押されたような気分になる人がいることも納得できた。自分は当時五歳で、比較的被害が小さい地域に住んでいたこともあり、かなりフラットな気持ちで楽しむことができました。
16 キャラクター(映画)監督:永井聡
[概要]
漫画家のアシスタントを務める山城は、高い画力を持ちながら、純粋な性格上悪役を描くことに苦戦していた。そんなある日、彼は偶然殺人事件現場に遭遇し、そこで犯人の顔を目撃する。やがて、犯人の姿をもとに新たなサスペンス漫画を生み出した山城は、人気漫画家となる。だがそれを機に、彼は危険な事態に巻き込まれていく。
[考察]
アイデンティティを持たない青年に、山城が役割を与えてしまったことで物語が始まり、最後は山城の手で漫画と共に青年を終わらせた。これは私個人の考えであり、作中では青年の明確な動機などは仄めかす程度で名言はされない。見る者に答えを委ねる映画だった。犯人を演じるFukaseの演技が非常にリアルで、四人家族の車に乗り込んで犯行に及ぶシーンは、犯人が初めて話すシーンということもあり、車内の緊張感が見ている者にも伝わってくる程だった。
犯人の人物造形自体はいわゆる「サイコパス系」で、そうなってしまった背景も特に斬新さがあるという訳でもなかったが、そんなキャラクターをFukaseの演技力で現実に存在しているような猟奇殺人者にまで昇華させていた。
17 僕は君を殺せない(小説)作者:長谷川夕
[概要]
ミステリーツアーに参加し、連続猟奇殺人を目の当たりにした『おれ』。周囲で葬式が相次いでいる『僕』。――一見接点のないように見える二人の少年の独白は、ある時思いがけない点で結びつく……!
[考察]
交互に描かれる『おれ』と『僕』の物語に共通点を見つけてから、その二人がどういう関係なのか読者に気付かせるまでの段階がとてもスムーズで、大変読みやすい小説だった。
『おれ』と『僕』とその恋人が中心に描かれており、三人とも家庭環境に問題があった。特に『僕』の過去は凄まじいもので、分かりやすく言い表すなら「悲しき過去全部乗せ」だった。そのような凄惨な過去を持つ人物にした理由は、作中で『僕』が行うある行為に説得力を持たせ、読者が『僕』に対してなるべく嫌悪感を持たないよう配慮したからだと私は考える。
作品全体で罪を犯した者は罰を受けるという構図が徹底されており、どのような人物でも罪を犯して罰を受けなかった者は作中にはいなかった。これはデリケートな題材を選んだ作者なりのけじめだと私はこの作品を読んで感じた。
18 いたいのいたいの、とんでゆけ(小説)作者:三秋縋
[概要]
自分で殺した女の子に恋をするなんて、どうかしている。
「私、死んじゃいました。どうしてくれるんですか?」
何もかもに見捨てられて一人きりになった二十二歳の秋、僕は殺人犯になってしまった――はずだった。
僕に殺された少女は、死の瞬間を“先送り”することによって十日間の猶予を得た。彼女はその貴重な十日間を、自分の人生を台無しにした連中への復讐に捧げる決意をする。
「当然あなたにも手伝ってもらいますよ、人殺しさん」
復讐を重ねていく中で、僕たちは知らず知らずのうちに、二人の出会いの裏に隠された真実に近付いていく。それは哀しくも温かい日々の記憶。そしてあの日の「さよなら」。
[考察]
作者のあとがきにあった通り、「穴に落ちてしまった人たち」の物語だった。穴に落ちてしまった人はもう二度と戻ることはできないと作者は語っていた。
すでに人生を諦めてしまった二人の男女のラブストーリーだが、殺人と復讐から始まるということや、二人が最後まで「今」ではなく「過去」を大切に思っていたことから、全体の雰囲気は暗く、後ろ向きである。しかし、だからこそ二人の光となった過去の思い出の暖かさが際立ち、その日々が続かなかったことへの深い悲しみを読者に植え付ける。
全体的に暗い雰囲気の作品ではあるが、登場人物の言葉遣いは軽快で、悲壮感を感じさせないものとなっている。個人的には村上春樹の作品の登場人物に似た言葉遣いだと感じた。
19 GODZILLA(映画)監督:マイケル・ドハティ
[概要]
世界が終わる、ゴジラが目覚める。1954年の誕生から60年。日本が世界に誇るゴジラがハリウッドの超一流スタッフ・キャストによって現代によみがえる。1999年、芹沢博士は、フィリピンで巨大生物の化石と、繭のような物体を発見する。だが、物体の一つは既に抜け出し、海へ向かった痕跡が残っていた。同年、日本の発電所に勤めるジョーは、謎の地震による事故で妻を失ってしまう。そして現在、未だ事故の真相を追う父のために来日した息子・フォードは、怪獣に遭遇する。
[考察]
二体の怪獣による大迫力のバトルも魅力の一つだが、最大の魅力は怪獣の描かれ方である。この作品では二種の怪獣が登場するが、その全体像は中盤まで明らかにならず、脚や背中などが映るだけに留まらせることで、怪獣たちの得体の知れなさや超然的な様が描かれている。怪獣たちの争いに振り回される人間たちのドラマも、怪獣たちの圧倒的な存在感を際立たせている。
結果としてゴジラは人類を救ったが、ゴジラは人間たちの都合に関係なく敵を殺しただけなのだ、この作品の主役はゴジラなのだと感じられるほど、制作側の愛が伝わる映画でもあった。
20 GODZILLA キング・オブ・モンスターズ(映画)監督:マイケル・ドハティ
[概要]
神話の時代に生きていた怪獣モスラ、ラドン、キングギドラが休眠状態から復活する。これらの怪獣とゴジラとの覇権争いを食い止め、世界の破滅を防ぐべく、生物学者や考古人類学者らが所属する未確認生物特務機関「モナーク」が始動。しかし彼らと環境テロリストたちの思惑が交錯し、怪獣たちと人類による凄まじい規模の混戦が巻き起こる。
[考察]
一作目よりも遥かに怪獣たちが主役の映画だと感じた。とくにギドラの描写がそれまでの人類の歴史を冒涜しているとすら思えるほどで、正しく怪獣が神と同列に扱われている映画だった。
キングギドラ、ラドン、モスラ、オキシジェン・デストロイヤー、バーニングゴジラなど、日本のゴジラシリーズでお馴染みのものが多く登場し、前作よりも怪獣たちに割かれるパートも圧倒的に増え、怪獣プロレスを楽しむファンサービスに富んだエンタメ映画という印象を受けた。
21 忍者と極道(漫画)作者:近藤信輔
[概要]
トラウマから笑えない少年・忍者<しのは>、表向きはエリート会社員ながら裏では組を牛耳る極道<きわみ>。そんな2人が出会った時、300年にわたる忍者<ニンジャ>と極道<ゴクドウ>の殺し合いの炎が熱く燃え盛る!孤独を抱えた漢達による、情熱と哀切に彩られた命のやり取り。決めようか…忍者と極道、どちらが生きるかくたばるか!
[考察]
物語の構成自体はシンプルな勧善懲悪だが、裏世界に生きる者同士の戦いなので、麻薬や臓器売買、大規模テロが当然のように登場する。勢いとスケールが凄まじく、清々しさを感じるほど。
登場する極道たちが生粋の極道からどうしようもない事情から極道になってしまった者まで幅広く登場し、特に作中で割れた子供たちと呼ばれる子供たちは自分ではなく周囲の環境によって壊れてしまった者が多く、第二幕からはさらにそれまでのフィクションとして分かりすい描写から一変し、現実の問題を想起させるリアリティを持つ過去が描かれることが多くなった。
そんな極道たちと戦う忍者もそれに負けないほど凄惨な過去を持っているのだが、彼らは同情はしても情けをかけることは絶対に無く、最終的に極道は必ず罰を受けることが分かっているが故に読み進められる絶妙なバランスの構成となっている。
22 機動戦士ガンダム 水星の魔女(アニメ)監督:小林寛
[概要]
数多の企業が宇宙へ進出し、
巨大な経済圏を構築する時代。
モビルスーツ産業最大手「ベネリットグループ」が
運営する「アスティカシア高等専門学園」に、
辺境の地・水星から一人の少女が編入してきた。
名は、スレッタ・マーキュリー。
無垢なる胸に鮮紅の光を灯し、少女は新たな世界を一歩ずつ進んでゆく。
[考察]
親がどれだけ人間として最悪でも、親を愛し続ける子どもを肯定している作品。しかしそれはそれとしてきっぱり別れている子どもも作中にはいる。SFという非現実的な世界観でありながら、親の描写は非常に生々しく、子どもの苦悩が視聴者にも伝わりやすくなっている。
作中でガンダムと呼ばれる機体は他とは一線を画す性能を持っており、実際に作中でガンダムと正面から戦って勝利した者はおらず、ガンダムという機体の圧倒的強さが一貫して描かれていた。これはSF設定に忠実な姿勢と同時に、戦争において兵器の性能差がどれだけ残酷であるかをガンダムという兵器を通して表していると考える。
各話にインパクトのあるフックが存在し、原作が無いオリジナルアニメ故に、その後の展開が分からず続きが気になるような作りとなっていた。これはコンテンツの消費スピードが早い現代において、視聴者を飽きさせない工夫であると考える。
23 どうか天国に届きませんように(小説)作者:長谷川夕
[概要]
オカルトに憧れる「僕」は、ある日の下校中、自分の指へ絡む黒い糸に導かれ、死体を見つける。特別な力を得た優越感に溺れた「僕」は死体を見つける行為にのめりこんでいくが…? 偶然が偶然を呼び、不幸に魅入られた者たちは巡り合う。そして、彼らが抱く行き場のない孤独は哀しく連鎖していき――。「僕は君を殺せない」の著者が贈る、サスペンス連作短編集。
[考察]
短編集でありながら、全ての物語は繋がっており、ある物語で明らかにならなかったことが別の物語で明らかになったり、ある登場人物の過去が別の物語で明かされたりなど、短編を全て読まないと全容は分からないようになっている。
オカルトが実際に存在している世界観であるため、次に何が起こるか分からない恐怖があり、自然と読者が引き込まれる。また、短編全てがバッドエンド、もしくはスッキリしないものとなっており、全体的に暗い。しかし前述したような読者が引き込まれるつくりに加え、地の文が話し言葉なので非常に読みやすく、さらに文章量も多くないので、完読までのハードルは低い。
24 怪盗探偵山猫(小説)作者:神永学
[概要]
巷をにぎわせている謎の窃盗犯「山猫」。彼はターゲットから速やかかつ鮮やかに金を盗み取り、さらにはターゲットが隠していた表沙汰になっていない悪事の数々を暴いて颯爽と姿を消す様から『現代の鼠小僧』、『義賊』と呼ばれ賛否両論が上がっていた。そんな時ある強盗殺人事件に容疑者の一人として「山猫」の名が上がった。「殺人はしない」がモットーの山猫にいったい何があったのか?ライターの勝村英男は単身山猫を追いかけていた矢先、本人に見つかって『仕事』に協力させられてしまう。
[考察]
タイトルにある通り、依頼者を巡る事件を解決するまでを描く探偵もののフォーマットに怪盗という要素を組み込んだつくりとなっている。構成だけなら『ルパン3世』が近いが、この作品はもっとスケールが小さく、主に大企業の汚職や裏社会が中心に描かれている。
山猫本人の過去は匂わせ程度で、常に勝村か各章の主要人物の視点で描かれている。山猫自身の本音等がほぼ語られないが、正規の手段では明らかにならないような悪事を明らかにする姿はとても爽快で読んでいて気持ちのいい作品である。そして、全ての章の山猫で共通している点は、弱者の味方という点である。いじめられっ子や社会的弱者など、各章では様々な弱者が登場するが、山猫は常に彼らの味方をしている。これが怪盗という犯罪行為をしている山猫に読者が嫌悪感を抱かないための工夫であると考える。
25 性別モナリザの君へ(漫画)作者:吉村旋
[概要]
この世界で人間は12歳を迎える頃、自分がなりたい性へと次第に身体が変化していき、14歳になる頃には男性か女性へと姿を変えてゆく。でも自分だけは性別がないまま、18度目の春を迎えた…。
[考察]
性別を自分で選べる世界観であるので、現実にも存在するジェンダー問題がより分かりやすく読者に伝わる仕組みとなっていた。幼馴染二人との恋愛模様も主題の一つになっていたが、終わり方を複数用意することで、どんな性別で誰を選ぶことになってもその結末を肯定できるようになっていた。個人的には終わり方を複数用意する展開はあまり好ましく思わないが、性別というデリケートな問題を扱ったこの作品に限っては、このような終わり方で正解だったと考える。
性別の無い主人公が性別を選ぶまでを描く作品であり、同時に性別に関して様々な悩みを抱える人物たちを描く群像劇の側面も持っている。そして、全員その悩みを解決出来るわけでもなく、悩みを抱えたままでも自分なりに答えを出して前を向いて生きていく者もおり、終始正しさを押しつけることなく、その人のあり方を肯定する姿勢があった。特に、男を選んだ幼馴染とずっと一緒にいたいから男になったキャラクターの苦悩は、現実と重なる描写が多く、性別というものについて考えさせられるエピソードだった。
この作品を読んで不快な思いをする人がいないようにとても慎重に作られた作品だった。
26 幸色のワンルーム(漫画)作者:はくり
[概要]
その日、少女は誘拐された。
しかし、それは少女にとって一縷の希望にかけた生活の始まりだった。
少女は誘拐犯に結婚を誓い、誘拐犯は少女にたくさんの“幸せ”を捧ぐ。
誘拐犯と被害者の関係なのに―――どうしてこんなに温かいの?
[考察]
学校にも家にも居場所が無く、一度は自殺しようとした少女が誘拐犯と出会ったことをきっかけに、“普通”に戻っていくまでを描く作品。
少女も誘拐犯も悲惨な過去から生きることに無気力な人間で、互いに影響を与え合いながら変わっていく過程が丁寧に描かれており、序盤と終盤で少女のキャラが別人レベルで違うにも関わらず、読者がそれを違和感なく受け入れられるようになっている。
中盤から登場する探偵も二人と同じような過去を持っていることから、彼らを助けようと尽力するが、彼の姿勢は常に二人の選択を尊重しており、似た過去を持っているからこそ、無遠慮に寄り添おうとせずに距離を置いて二人を見守る姿勢だった。彼というキャラクターがいることで、二人の未来がどんなことになっても最悪になることは無いだろうという安心感を読者が持てるようになっていた。
27 PLUTO (アニメ)監督:河口俊夫
[概要]
人間とロボットが<共生>する時代。 強大なロボットが次々に破壊される事件が起きる。調査を担当したユーロポールの刑事ロボット・ゲジヒトは犯人の標的が大量破壊兵器となりうる、自分を含めた<7人の世界最高水準のロボット>だと確信する。
時を同じくしてロボット法に関わる要人が次々と犠牲となる殺人事件が発生。<ロボットは人間を傷つけることはできない>にも関わらず、殺人現場には人間の痕跡が全く残っていなかった。
2つの事件の謎を追うゲジヒトは、標的の1人であり、世界最高の人工知能を持つロボット・アトムのもとを訪れる。
「君を見ていると、人間かロボットか識別システムが誤作動を起こしそうになる。」 まるで本物の人間のように感情を表現するアトムと出会い、ゲジヒトにも変化が起きていく。
そして事件を追う2人は世界を破滅へと導く史上最悪の<憎しみの存在>にたどり着くのだった―――。
[考察]
戦争に参加したロボットたちを通して戦争の悲惨さを描くと同時に、憎しみを抱いて復讐することの虚しさが描かれている。終盤まで明らかにならないプルートウのビジュアルや、ゲジヒトの過去など、視聴者が続きを見たくなる要素が多くあった。
ブラウ1589が作中で言った「完璧な人工知能は嘘を吐く」とあうセリフが物語のキーワードとなっており、これは地球上の動物で嘘を吐くのは人間だけだとした上で、嘘を吐くことで人工知能は完璧となるという論理であると考える。
序盤は戦争に参加させられたロボットたちがメインに描かれており、同族を大量に殺してしまったトラウマに苛まれるロボットも登場し、反戦的要素が見られる。物語が進むにつれてこの要素は段々と薄くなっていくが、これは最終的にこの作品が出した結論である「復讐は何も生まない」というものにも共通していると考える。
28 いじめるヤバイ奴(漫画)作者:中村なん
[概要]
ただの「いじめ」ではありません。仲島は、クラスに君臨する「いじめっ子」。いじめの対象は儚げな女の子・白咲さん。暴虐の限りを尽くし、彼女は毎日いたぶられた。憑りつかれた様にいじめる仲島は、どこか狂っていた。──そう、狂っていたのだ。この「いじめ」の真相。仲島は、「いじめ」を強要されていた。いじめられっ子の白咲さんによって。加害者になるという未知の恐怖。悲劇とは、彼のことを言うのだろう。
[考察]
序盤はいじめさせられている仲島が様々な苦難を乗り越えて何とか白咲をいじめる漫画、中盤からは何故か白咲を最強とした王道少年バトル漫画が繰り広げられ、終盤になるとまたいじめという問題に真剣に向き合う漫画になる。特にバトル漫画に変化する過程がとてもスムーズで、一気読みすると特に気づきにくく、読者はいつの間にか読んでいる漫画のジャンルが変わってしまっていることに気付くのが遅れてしまう。
ジャンルがバトル漫画に変わってしまった後は、スケールが大きく半ばギャグになっており笑える展開が多くなっていたので、終盤にまたいじめというテーマに向き合いだした際、どれだけ作者が真剣にこの問題に向き合っているかが伝わってくる。
いじめを無くすことはできないかもしれないが、それでも無くすための努力を辞めてはならない。無くすために行動することが大事という、最終的にこの作品が出した結論自体は特別斬新というわけでもない普遍的なものだったが、長い間様々な形で、時にはギャグと言えるほど突拍子も無い描写でいじめという問題を描いてきたこの作品が出すありふれた結論は、とても重く説得力のあるものとなっていた。
29 ゴールデンカムイ(漫画)作者:野田サトル
[概要]
『不死身の杉元』日露戦争での鬼神の如き武功から、そう謳われた兵士は、ある目的の為に大金を欲し、かつてゴールドラッシュに沸いた北海道へ足を踏み入れる。そこにはアイヌが隠した莫大な埋蔵金への手掛かりが!? 立ち塞がる圧倒的な大自然と凶悪な死刑囚。そして、アイヌの少女、エゾ狼との出逢い。『黄金を巡る生存競争』開幕ッ!!!!
[考察]
濃いキャラクターが多く登場し、読者にとんでもないインパクトを与える作品。同時に緻密な取材のもとアイヌ文化がわかりやすく描かれており、文化保存の側面も持っている。登場人物全員がとても賢く、物語がスムーズに進められている。それでいてギャグをする時は全力でふざけており、読んでいてとても気持ちのいい作品となっている。
作中で描かれる北海道の自然のなかで、特にヒグマは圧倒的恐怖の象徴として序盤から終盤まで描かれていた。成長することはあっても登場人物の強さはほぼ変わることなく物語が進むことから、ヒグマの恐ろしさもずっと変わらないままだった。これは人間はあくまでも自然と共生することはできても、完全に支配することはあってはならないということを表していると考える。
登場人物に軍人や死刑囚が多いことから、人の命を奪うことに躊躇がない。そのため和気あいあいとした雰囲気から殺し合いに発展するまでの流れがスムーズなので、読者はいつ殺し合いが始まってしまうのかと緊張感を持ちながら読めるようになっている。同時に、作中でも何度も言及されているように、杉本は不死身であるので、絶対に死ぬことは無いだろうという安心感もある。この作品はいつでも殺し合いが始められる緊張感と、何があっても主人公は死なないだろうという安心感を同時に与える不思議な作品である。
30 テラフォーマーズ(漫画)原作:貴家悠 作画:橘賢一
[概要]
火星の地表をある「コケ」と「ゴキブリ」を撒くことで暖め、人が住めるようにするという「テラフォーミング計画」。
西暦2599年、その計画の総仕上げとして、地表に残っていると思われるゴキブリの駆除をするために、15人の若者が火星へ旅立った。
小町小吉、秋田奈々緒をはじめとした貧しき若者たちは、この計画の参加報酬に、未来への希望をたくす。
だが、その希望は、火星到着後、すぐに断ち切られる。
彼らが駆除しようとしたゴキブリは、想定外の進化を遂げた「テラフォーマー」となり、人間たちを逆に駆除し始めたのだ…! こうして、宇宙船バグズ2号と、その20年後の宇宙艦アネックス1号の、二世代にわたるゴキブリとの大戦争が始まった!!
[考察]
人類と進化したゴキブリとの戦いを通して、人、ゴキブリ問わず必死に生きる者たちを尊重している作品である。特に第二部の主人公である燈は普通ではない生まれだが、それでも生まれたことは素晴らしく、生きる資格を持っていると肯定されている。敵味方関係なく命が軽く、簡単に死ぬ作品ではあるが、だからこそそれぞれの信念を持って必死に戦うキャラクターたちの姿が際立つようになっている。火星から地球へと舞台が移り、敵がゴキブリだけでは無くなってからもその根幹は変わらないままである。
未来の地球の話だが、その中で描写される問題の中には中国の貧困層やアメリカの不法移民など、現代にも存在するものが多くある。これは時代が進んでも問題が全て解決するわけではなく、現代と大して変わらないことの方が多くなると思ったからだと作者が直々に語っている。そんな現代でも耳にするような問題から読者にとっても身近な問題まで、様々な事情を抱えた人物たちが生き残るために国籍も人種も関係なく協力して戦う光景は、社会のあるべき形の一つだと言える。
3年 佐藤希実
RES
1、『ときめきメモリアル Girl's Side 1st Love for Nintendo Switch』(ゲーム)制作:コナミデジタルエンターテインメント
【概要】
はばたき市という架空の街にあるはばたき学園を舞台に主人公の女の子が高校3年間を過ごしながら、男の子たちを攻略していく恋愛シュミレーションゲーム。Girl’s Sideシリーズ(以下GSシリーズとする)の初代にあたる2002年発売の『ときめきメモリアル Girl's Side』(PS2版)を移植した2007年発売の『ときめきメモリアル Girl's Side 1st Love』(ニンテンドーDS版)、フルボイス化版で2009年発売の『ときめきメモリアル Girl's Side 1st Love Plus』(ニンテンドーDS版)を更に高音質化などをして移植したものが本作である。(以下本作品名はGS1とする)ときめきメモリアルシリーズに共通する伝説の場所には学園の敷地内にある教会が設定されていて、伝説の物語も、教会に関連する話になっている。
ニンテンドーDS版とPS2版で物語の本筋は同じであるが、システムに関しては異なる部分がいくつか挙げられる。
まず、EVSである。EVSとはプレイヤーが入力した主人公の名前をコンピューターが作成した合成音声でキャラクターが呼んでくれるというもので、ニンテンドーDS版ではおそらく容量の問題で実装されなかったと思われる。そして、ニンテンドーDS版では男の子からの名前の呼ばれ方が1つしかなく、PS2版にあった男の子の好感度による主人公の名前の呼び方の変化は無くなっている。
次に、ニンテンドーDS版で搭載されたタッチイベントと親友モードである。タッチイベントは、スチルイベントやデートの際に男の子にタッチすると、反応が見られるというもの。このイベントが親友モード時に重要になったり、キャラクターのEnd回収に必要なポイントを左右したりする仕様になっている。また、親友イベントは、主人公に本命の相手がいることを知った男の子が、主人公のことを好き、または気になっている状態にも関わらず、身を引き、親友の立ち位置になって主人公を応援してくれるというもの。タッチイベントで得られる愛情ポイントが増えると、親友モードでの男の子との会話が変化するなど、細かく設定されている。これらの他にも主人公の服やBGM、キャラクターの表情差分など細かなところが少しずつ異なる。
本作の攻略対象である男の子は10人で、GSシリーズの中では唯一、学園の理事長が攻略対象に入っていることが特徴としてある。そして、主人公の友達という設定の女性キャラクターも存在し、VSモードという女友達から恋の宣戦布告をされ、敗れると特定の攻略対象が攻略できなくなる要素がある。
【考察】
GSシリーズは男主人公で女の子を攻略していく『ときめきメモリアル』のゲームシステムを引き継いでいて、勉強、芸術、おしゃれ、流行、運動、魅力、女友達と遊ぶ、休養、部活や文化祭などによって変化する専用コマンドなど、これらのコマンドを選択肢し、主人公のパラメータを上げていく。パラメータによって男の子との会話に変化が起こるのは面白いと感じる。そして、狙いの男の子とどんなにたくさんデートして、告白未遂のような会話をしたとしても、男の子が主人公に求めるパラメータ値に届かなかった場合は、男の子と過ごした日々は最初から無かったことかのようなエンディングを迎える。そのゲームシステムの残酷さが本作のフィクション性を高めているようにも感じた。
そして、36歳の学園の理事長、天之橋一鶴というキャラクターが攻略対象に入っていることは、制作当時の時代性を感じさせる。天之橋一鶴は主人公に気配りと魅力のパラメータを求めるのだが、プレイヤーのほとんどは気配りを上げやすくするためにアルバイトをするか、部活に入る選択をする。このどちらかに入れば、気配りは自然と上がっていくため、プレイヤーは魅力のパラメータ値を上げることに集中する。ここで問題なのが、主人公の魅力(この魅力は、コマンド実行時に表示される主人公の行動から外見的な魅力であると捉える)のパラメータ値が上がることで、高校生の主人公をデートに誘ってくるなどのアプローチをしてくる36歳の男性という構図が完成してしまうことだ。この図は既存のプレイヤー内でも嫌悪感を示す声が上げられる。現代でこのような成人男性が女子高生と恋愛をするという設定を、高校を舞台にした恋愛シュミレーションゲームに入れたのであれば、間違いなく、多くの批判を受けるだろう。しかし、2002年頃にはそこまで大きな問題ではなく、あくまでゲーム、キャラクターというフィクションであるという認識の下、このキャラクターを作成したのかもしれない。この点に関しては詳しくはわからないが、現代の価値観と大きく異なる当時の様相がうかがえる。
2、『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Season for Nintendo Switch』(ゲーム)制作:コナミデジタルエンターテインメント
【概要】
ゲームシステムや移植までの流れは、前作の『ときめきメモリアル Girl's Side 1st Love for Nintendo Switch』とほとんどが同じであり、2006年にPS2版『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Kiss』が発売され、その後PS2版を移植した2008年にニンテンドーDS版『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Season』が発売された。本作のSwitch版はニンテンドーDS版を基盤にしている。スピンオフ作品として、2007年にはPC用タイピングソフト『ときめきメモリアルGirl's Side 2nd Kissタイピング』が発売された。(以下本作品名はGS2とする)
本作は、はばたき市の羽ヶ崎学園が舞台であり、前作のはばたき学園よりも庶民的な学校と言う設定である。伝説の場所は海辺の灯台になっていて、伝説の物語の内容も海や人魚に関する話になっている。攻略対象のキャラクターは11人である。
前作に追加された要素として、PS2版ではアプローチシステム、ニンテンドーDS版では大接近モードが挙げられる。
【考察】
本作では、前作よりもキャラクターの心情がよく描かれ、ストーリーも主人公が攻略対象の理解者になるというドラマ性があった。特に、本作には自分の本性を隠して、他社の理想を演じるキャラクターが3人もいる。この自分を隠し、演じるというキャラクター設定は今や、乙女ゲームなどでは鉄板化した設定のようにも思われるが、同じ作品にその設定のキャラクターが複数人いるというのは珍しいと感じる。前作よりもキャラクターに現実味をもたせたことは、プレイヤーの没頭感を増させるという狙いがあったのではないかと感じる。
3、『ときめきメモリアル Girl's Side 3rd Story for Nintendo Switch』(ゲーム)制作:コナミデジタルエンターテインメント
【概要】
本作は、2010年に発売されたニンテンドーDS版である『ときめきメモリアル Girl's Side 3rd Story』を基盤とし、2012年に新しい攻略対象やLive2Dなどが加えられたPSP版の『ときめきメモリアル Girl's Side Premium 3rd Story』の1部がNintendo Switchにも移植され、制作された。(以下、本作品名はGS3とする。)本作の舞台はGS1と同じく、はばたき学園となっているが、伝説の内容は異なる。攻略対象は追加キャラも含めると11人である。主人公の幼馴染で1番最初に強制イベントで出会う王子キャラが2人いることが特徴。
本作では、新しいシステムとして三角関係モードがある。主人公が2人の男子と仲良くなると、3人で休日に出かけたり、3人で下校したり、などのイベントが起きるようになる。しかし、主人公が1人とだけ偏って仲良くしてしまうと、3人の関係性も変化し、しまいには主人公を取り合って仲違いをするというイベントもある。
【考察】
本作のみ、三角関係モードがゲームシステムに導入されたことに関しては、2006年から2017年まで連載された『君に届け』など、2010年代に人気を博した作品に見られる、主人公が2人の男子に好意を寄せられる少女漫画の構図を取り入れたものだと考察する。
それは後作の『ときめきメモリアル Girl's Side 4th Heart』(以降GS4とする)でも続いた流れであり、DS版GS3の発売後、現在でも人気である、男性キャラクターたちの中にプレイヤーが混ざってストーリーが進んでいくような、女性向けアプリゲームが多くリリースされ始めた。GS4では、仲良しグループという、男の子3人、主人公(女の子)1人で仲良くなることで、4人でのイベントが見られるようになるというシステムが新たに導入された。この仲良しグループではGS3での三角関係モードとは違い、結成すると、全員が主人公を好きになったとしても解散することはなく、1番好感度が高い男の子と関係を進めていくことができる。エンディングでは恋に敗れた男の子2人が主人公ともう1人の恋路を応援したということがわかるセリフも書かれる。この仲良しグループでは、主人公と男の子の関係性の悪化が描かれない。それは女性向けアプリゲームの主人公の、男性キャラクターたちに必要とされるという特性が、GS4の主人公にも引き継がれているのだと考えられる。私は、GS3、4はその年代の流行りを巧みに取り入れた作品だと考察する。
4、『マダム・ウェブ』(映画)(2024年)監督:S・J・クラークソン
【あらすじ】
ニューヨークで救急救命士として働くキャシー・ウェブ(後のマダム・ウェブ)は、ある時、救命活動中に生死を彷徨う大事故に巻き込まれてしまう。それをきっかけに、キャシーは予知能力、未来視の能力を得る。そして、キャシーは偶然にも出会った3人の少女たちが、黒いマスクの男に殺される未来を見たことで、少女たちを助けることを決意する。予知能力という特殊能力を使い、何度も危機を回避していく。謎の男の目的や正体を暴くことで、少女たちの使命やキャシーの出生の秘密も明らかになっていく。
【考察】
本作は他のスパイダーマン作品とは異なり、目立つ戦闘シーンは少なく、映画の見栄え的な問題から、ホラーの要素が加わったのだろうと思った。そして、キャシーが3人の少女の死を予知して助けることに関して、きちんと能力を獲得した初期段階で救えなかった命があることでキャシーの行動に納得がいく作りになっていた。
また、新しい命を生む存在である女性が主人公の作品であるため、キャシーが救命士であることやキャシーの母が自分の命を犠牲にしてキャシーを産んだこと、予知能力によって3人の少女の死を何度も見せる死の近さの演出など、命の重みを感じさせる描写が多くあったと思った。
5、『落下の解剖学』(映画)(2023年)監督:ジュスティーヌ・トリエ
【あらすじ】
人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳のダニエルが血を流して倒れていた父親を発見する。息子の悲鳴を聞いた母親サンドラが救助を要請するも、父親はすでに息絶えていた。事故死や自殺と思われたが、不審な点も多くあったため、サンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、裁判で仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が明らかになっていく法廷劇。
【考察】
物語が始まって、すぐに夫の転落死という事件が起こり、盲目の息子が第1発見者となる。誰も事件を見ていないことから、観客は真相解明や犯人探しに夢中になって、話の展開を追うが、本作のラストはサンドラが無罪判決を受けて物語が終わる。なぜ、夫は転落死したのか、詳しく明かされることは無かった。物語の中盤から、サンドラの犯人疑惑が濃くなり、夫婦仲が冷めきっていたことやサンドラの不倫などが明かされ、話の軸が夫の死の真相からサンドラの罪に移っていくさまがあまりに自然で、観客はこの映画が真相を明かさないラストへ進んでいることには全く気づかない。
ラストについては、真実というものへの問題提起がなされているように感じた。事件に関わる人物ごとに真実があり、ときには検察官の提示する事実とは異なる場合もある。この作品を見る観客もラストを見てもなお、サンドラが犯人だと思う人もいれば、事故や自殺の可能性を見出す人もいるかも知れない。私は、本作は、前述したことのように人によって異なる真実があるということを丁寧に描いた作品だと考えた。また、サンドラは作家であるため、目撃者が誰もいないこの事件はいとも簡単に、彼女の作り上げられた真相へと導かれてしまった可能性がある点も興味深いと感じた。
6、『劇場版SPY×FAMILY CODE:White』(映画)(2023年)監督:片桐崇
【あらすじ】
イーデン校では、優勝者にステラが授与されると噂の調理実習が実施されることになった。アーニャはステラを獲得するべく、審査員長である校長の好物、フリジス地方の伝統菓子メレメレを作ることを決める。本場の味を再現するために、フォージャー家はフリジスへ向かうことになるが、旅行の途中、列車内でアーニャが怪しげなトランクケースに入ったチョコレートを食べてしまう。そのチョコレートには世界平和を揺るがす重大な秘密が隠されていて、フォージャー家は国家レベルの争いに巻き込まれてしまう。
【考察】
見たときに、『クレヨンしんちゃん』の少し下品な描写と劇場版の『名探偵コナン』に見られる爆発シーンのような派手さが合わさった作品だと思った。原作よりも大幅に低年齢向けに作品づくりがされていた印象だった。特に、アーニャが便意を我慢するという場面ではアーニャの我慢する表情や愚鈍な様子が原作よりも誇張されて描かれていた。また、キャラクターの心理描写が少なく、なぜその行動をするに至ったのか、不明なまま物語が進んでしまい、原作でキャラクターが持っていた設定などからキャラクター本体が切り離されてしまっていた。本作は原作やアニメを見ていない、新たなファンの獲得を目的として制作されたのだろうと思う。
7、『屋根裏のラジャー』(映画)(2023年)制作:スタジオポノック 監督:百瀬義行
原作『The Imaginary』(訳題:『僕が消えないうちに』)著:A.F.ハロルド
【あらすじ】
少年ラジャーは、愛をなくした少女アマンダによって生み出された想像の友達(イマジナリ)だ。ラジャーは屋根裏部屋でアマンダと一緒に想像の世界に飛び込み、遊ぶ毎日を送っていた。しかし、イマジナリには人間に忘れられると消えていくという、避けられない運命があった。ある時、アマンダが交通事故に遭ったことで、ラジャーは自分が消えてしまう危機に直面する。ラジャーは人間に忘れられ、居場所がなくなったイマジナリが集まるイマジナリの町にたどり着き、仲間に出会ったことで、イマジナリの運命に立ち向かう決意をする。
【考察】
それぞれの子どもが、抱える不安や孤独、恐怖という現実から目を背け、安らぎを得るための存在としてイマジナリが描かれているのだと感じた。ラジャーを想像したアマンダは、父親を亡くしていて、ラジャーが生まれたのは3ヶ月と3週間と3日前とあるが、この日はアマンダの父親の命日だということが終盤に明かされる。そして、イマジナリのジンザンは眠らないキャラクターとして設定されているが、それは子供が夜、寝るときに見守る存在として想像されたとある。
そんなイマジナリを食べる存在のミスター・バンティングは現実を強制的に直視させる大人の表象であると感じた。本作では子どもから大人になるにつれ、イマジナリをだんだんと忘れてしまうことが描かれる。アマンダの母親リジーはアマンダの話すイマジナリの存在を信じずに、軽くあしらう様子が見られる。アマンダに対して、決して「現実を見なさい」などと口にすることはないが、どこかに、夫を喪ったことから完全に立ち直れていない自分と空想に耽る娘とに心の距離を感じているような気持ちがあることが予想される。大人が子どもに感じる不安や心配の気持ちがイマジナリを食べるミスター・バンティングによって表象され、子どもを現実へと引き戻していくのだと考えた。
イマジナリが抱える、忘れられると消えてしまうという問題についてはラストに、アマンダの母親リジーが自分の幼少期のイマジナリであるレイゾウコを思い出したことで、イマジナリの未来に新たな可能性が提示されたのだと考える。また、アマンダが交通事故に遭い、意識を失ってしまったことで、ラジャーが消えそうになる場面があったが、このことは創造主のアマンダが生死の境を彷徨っていたからだとも捉えることができるが、イマジナリ自身の子どもに忘れられてしまったという感覚も消える要因の1つではないかとも考えられる。イマジナリ自身が孤独や不安感を抱えることは子どもを見守り、楽しい想像の世界に導くというイマジナリの特質からは大きく外れてしまう。イマジナリとしての存在意義の喪失や役割を果たせなくなった際に、イマジナリは消えてしまうのではないかと思った。
スタジオポノックの作品であるため、人物の目や輪郭、鼻の位置や描き方はやはりジブリに似たものだが、色彩に関しては、ジブリと異なり少し影色にぼかしが入っていたり、少し淡いような配色であったりするため、絵本にあうような絵のタッチに思えた。それはイマジナリの存在や思ったことがそのまま現れる想像の世界が描かれる原作の世界観にとても合っているように思った。
8、『ウィッシュ』(映画)(2023年)監督:クリス・バック、ファウ・ヴィーラスンソーン
【あらすじ】
18歳を迎えたときに王に自分の願いを授け、時が来たときに願いを叶えてもらえるという魔法の王国ロサスに暮らす少女アーシャの願いは、100才になる祖父のサビーノの願いが叶うことだった。しかし預けられた願いはすべて魔法を操るマグニフィコ王に支配されており、国のためにならない願いは叶えられることはないという衝撃の真実をアーシャは知る。魔法に頼らなくても叶うはずのみんなの願いを取り戻したいというアーシャの願いに応え、空から舞い降りてきたのは“願い星”のスターだった。アーシャはスターや仲間とともに立ち上がり、マグニフィコ王から願いを取り戻そうと動き出す。
【考察】
この映画の評価として度々耳にするのは、「マグニフィコ王は国に良い事をもたらす願いのみを叶えるという実に理に適った良い国王ではないか、それに歯向かうアーシャこそヴィランではないのか」ということだ。しかし、ディズニー作品は「星に願いを」の曲で始まり、様々な作品のディズニーキャラクターたちは空を見上げ、星に願いをかけてきた。それがディズニーのテーマである。そう捉えるとマグニフィコ王に願いを託し、自身の願いを忘れ、喪失感を抱えるロサス王国の人々は救われなくてはならないキャラクターと言えると感じた。アーシャが星に強く願うシーンやスターというキャラクターが設定されたことなどからディズニーは100周年を迎えた記念的な作品で、空を見上げて星に願いをかけることこそがディズニーの普遍的なテーマであると改めて強調したのだと感じた。
また、本作の特典映像では、制作陣によってマグニフィコ王の設定が語られ、従来のディズニーのヴィランとは違った形で設定されたことがわかった。制作当初、マグニフィコ王は登場した瞬間からヴィランであることが観客に明かされ、町の人々を恐怖に陥れる強大な敵としてアーシャの前に立ちふさがる敵として描かれていた。しかし、制作のある段階で、マグニフィコ王が闇に落ちていく様子が描かれるように設定が変更されたのだ。新たなヴィラン像を提示されたことで、観客にはヴィランが悪に染まった背景を理解することが求められることになった。これは世界の多様性への動きに伴う他者理解の重要性への喚起であると考えられる。
9、『君と宇宙を歩くために』(漫画/第1巻)著:泥ノ田犬彦
【あらすじ】
勉強もバイトも続かず、不安や焦りを抱えるヤンキーの小林。ある日、彼のクラスに変わり者の宇野くんが転校してくる。宇野くんのことを知れば知るほど彼の生き方の真っ直ぐさに惹かれ、小林は宇野くんから自分を変えるための勇気をもらう。〝普通〟ができない正反対の2人がそれぞれ壁にぶつかりながらも楽しく生きるために奮闘する友情物語。
【考察】
「わからないことがある時は一人で宇宙に浮いているみたい」という宇野くんのセリフがあるが、日常を宇宙に例えることは非常に上手い表現だと感じた。
本作では、不測の事態に極端に弱かったり、大きな音や怒鳴り声が苦手だったり、手帳に毎日する行動手順や決め事を書き留めていたりする宇野くんを特別な存在、異質な存在として描いていない。また、彼のそんな特性を明確な症状名を明記せずに描いている。加えて、バイトの業務をなかなか覚えられずにバイトを何度も変えてきたという生きづらさを抱える主人公の小林を通して宇野くんを描くことによって、少し変わった宇野くんというキャラクターをバイアスがかからずに知ることができると感じた。
10、『アイ・フィール・プリティ!人生最高のハプニング』(映画)(2018年)監督:マーク・シルヴァースタイン、アビー・コーン
【あらすじ】
冴えない容姿を気にして消極的だった女性レネーが、痩せるためにジム通いを決意。しかし、トレーニング中の事故で頭を強打してしまったことで、自分自身が絶世の美女に変身したと思い込み、その後の生活はたちまち自信に溢れるものとなり、着たかった服、やりたかった仕事に次々挑戦していく。実際には何ひとつ変わってないにもかかわらず、自信を持ったことにより、たちまち仕事も恋も絶好調となっていく。
【考察】
本作では、容姿に悩み、自信が持てずに卑屈気味になっている主人公レネーがスポーツジムで転倒したことで絶世の美女になったと思い込むが、そのレネーの視点は観客には共有されない。しかし、レネーの視点が共有されないことによって、そのままの彼女に自信が加わっただけで、魅力が増し、生命力に満ち溢れる変貌ぶりに驚く。そして、普段使っている言葉には外見至上主義の精神性が潜んでいることにも気づかせてくれる作品だと思った。
11、『華麗なるギャツビー』(映画)(1974年)監督:ジャック・クレイトン
【あらすじ】
「或る男の一生」「暗黒街の巨頭」に続くF・スコット・フィッツジェラルドの小説3度目の映画化。脚本は映画『ゴッドファーザー』(1972年)の監督F・F・コッポラ。
主人公ニックは、ニューヨークの郊外の大豪邸に住むギャツビーに出会い、ギャツビーがニックのいとこであるデイジーとかつて恋人関係だったことを知る。デイジーはすでに大金持ちのトムと結婚していたが、関係はあまりいいものとは言えなかった。ニックはデイジーとギャツビーの中を取り持つことになり二人の再会の手助けを行う。一方で、デイジーの夫トムは自動車修理工場の婦人と不倫の真っ最中であった。デイジーとギャツビーの仲が急速に深まり、ついにギャツビーは、トムにデイジーとの結婚を切り出そうとするが、はっきりしない。そして、登場人物たちの関係性はどんどん歪んでいく。
【考察】
デイジーは物語の中で感情的な一面を多く見せ、他の人物たちと比べると、幼稚な人物に描かれていると思った。それに関して、デイジーがニックに「娘を馬鹿に育てている」と漏らすシーンがある。この場面でデイジーは一気に大人びた表情を見せ、世の中を俯瞰したような目をする。そうして涙を流すわけだが、この場面にはデイジーの本来の姿が描かれているのではないかと思った。本作が描いた1920年代のアメリカは、合衆国憲法で女性参政権が認められ、女性の社会参加や自立が推進されていた。しかし、そんな社会の流れとは対立したキャラクターとして、デイジーという女性が描かれている。女性参政権が認められたといえども、すぐに人々の間で浸透することはなく、アメリカの上流階級の女性たちは、お金持ちの男性に嫁ぎ、夫の機嫌を損ねないように社会に関する意見を持たないという従来の生き方しか選ぶことができなかったのではと考えられる。デイジーは、女性が社会で認められていく中で、自分は自由な生き方を選ぶことができないために、自分の娘にそんな社会への復讐をぶつけていると思われる。デイジーは、愛するギャツビーが夫の策略により、死しても、それを悲しむ様子は見せず、最初から出会っていなかったかのような淡白さを見せることも、定められた生き方から逃れられずに諦めた末のふるまいであったのではないかと考察することができる。その点をニックが物語の最初に独白する「批判したい相手は同じ恵まれた育ちとは限らない」という言葉が確固たるものにする。デイジーの人生やその辛さのすべてを第三者は知るすべを持たない。デイジーは度々、ニックに本音のようなものを吐露するが、ニックは心から理解しているような素振りは見せない。また、ニックが物語を回想する形式で進んでいく本作は、男性に生まれることほうが生きやすい世の中であったことが暗に示唆されているようにも捉えられる。
12、『ミーン・ガールズ』(映画)(2004年)監督:マーク・ウォーターズ
【あらすじ】
アフリカに住み、学校に通わず、自宅学習のみで育った少女ケイディが、母国アメリカに戻り、初めて高校に通うことになる。学校について何も知らないため、最初は戸惑うものの、ジャニスとダミアンに声をかけられたことで、だんだんと高校に馴染んでいく。そして、ケイディはそこそこ可愛かったために学校の牛耳る女子グループ“プラスティックス”に半ば強制的に加わることになる。そして、プラスティックスの女王バチであるレジーナの元恋人、アーロンに好意を寄せていることを漏らされ、レジーナにバレてしまう。レジーナは二人の仲を取り持つと言っていたにも関わらず、アーロンとよりを戻してしまう。そのことに傷ついたケイディは、ジャニスとダミアンとともにレジーナへの復讐を始める。
【考察】
ケイディがプラスティックスに加入した後の女王バチのレジーナと情報通のグレチェンの関係性がだんだんと壊れていく様子があまりにリアルで驚いた。権力を持っているレジーナが新入りのケイディを気に入っていることを知った途端、レジーナの良くない情報を漏らし始めたり、愚痴をこぼし始めたりする様子やグレチェンの焦りや不安の表情はまさに学校社会で付き合っているだけの友達関係でよくあることで、この作品を見た女性はもれなくノスタルジックな気持ちになることが容易にわかる。
また、ケイディがレジーナを蹴落とすことに成功し、プラスティックスの女王バチに君臨し、どんどんと約束を破ったり、気取るようになったりしたことで、ジャニスとダミアンとの友情も壊れてしまう。どの友達にも良い顔をしようとして、大事なことをすべて後回しにした結果、誰からも相手にされなくなるという構図は高校生がする失敗にしてはいささか幼稚だと思ってしまうが、そんな学校の友達関係初心者のケイディがいることで、この作品のコメディの面が際立つのだと思った。
13、『最強のふたり』(映画)(2011年)監督:オリヴィエ・ナカシュ、エリック・トレダノ
【あらすじ】
事故で全身麻痺となり、車椅子生活をする大富豪のフィリップは、住み込みの介護人の募集をする。そこにやってきたのは、スラム街暮らしで、働く気も、フィリップに気を遣う様子も全くみせない黒人青年ドリスだった。フィリップを特別扱いすることなく、他の人々と同じように接するドリスはフィリップの心をだんだんと解きほぐしていく。実話を基にしたヒューマン・コメディ。
【考察】
序盤の面接のシーンで
フィリップ「見送るよ」
ドリス「立たないで座ったままで構わない」
という会話があった。最初の出会いから、ドリスは全くフィリップの身体障害に対して偏見や気遣いなどを持つことなく、接している。また、ドリスがフィリップに紅茶を飲ませようとカップに紅茶を注いでいるとき、フィリップの足に熱いお茶をこぼしてしまうが、熱さを感じないフィリップの足に興味を示して、面白そうに何度も熱いカップを足に押し当てるという行動を取る。また別のシーンではフィリップが「チョコをくれ」と言ったときドリスは「このチョコは健常者用だ」とブラックジョークを言う。このドリスの容赦のなさがフィリップは気に入ったと言って、ドリスは介護士として本採用される。ドリスのこれらの行動は、人種も関係していることだと考えられる。フィリップは豪華で華やかな世界に生きるが、そこには黒人は一人もいない。この作品では人種による格差が描かれている。黒人であるというだけで貧困層のなかで生き、生活苦に陥り、法を犯すこともある。常に偏見の目にさらされ、バカにされ、そんな状況に生きていても偏見に対して抗議するドリスの力強さにフィリップだけでなく、観客も勇気を与えられると感じた。また、ドリスを通して黒人と白人の教育水準が全く異なることや至高と称される著名な芸術家たちは白人が多く、公教育は白人のものだということも同時に感じさせる。
誰かと信頼関係を築いていく社会の中で、1番が無くしていかなければいけないことが差別や偏見だと訴えかける作品だった。本作では、障害者への気遣いの気持ちは差別のように描かれている。
14、『学園アイドルマスター』(ゲーム)(2024年)
【概要】
QualiArts・バンダイナムコエンターテインメントの共同開発・運営によるスマートフォン用ゲームアプリ。「アイドルマスターシリーズ」6ブランド目となる育成シュミレーションゲーム。
【考察】
2021年にリリースが開始された育成シュミレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』と類似するゲームシステムを引き継いでいる印象だった。
プレイヤーはプロデューサーとして、特定のアイドルをトップアイドルにするため、奮闘するという流れでアイドルごとに物語は進んでいく(メインストーリーは全く流れが異なるため、ここでは触れない)がその物語中で全く影響がないと思われる、プロデューサーの性別が男性のみに絞られてしまっていた。他にもキャラクターのほとんどがトップアイドルを目指すにも関わらず、プロデューサーと2人きりでお出かけをして、しまいには「デートだね」などの恋愛を匂わすセリフをプロデューサーに向かって言う。完全にアイドルとスキャンダルが切り離されたフィクションが強い作品だと感じた。他にも何故かアイドルに膝枕をしてもらったり、アイドルにお弁当を作ってもらったり、などの描写があり、アイドルと友達以上恋人未満のような関係性を楽しむという完全に男性向けに顧客を絞った作品づくりをしているのだと思った。しかし、成績の振るわなかったアイドルたちがプロデューサーに出会ったことで成長し、大きなステージに立てるようになるという構図は感動や達成感があり、とても面白いと感じた。プロデューサーの性別をどちらともとれるようにする、もしくは、性別を選択式にすれば、より楽しみ方の幅が広がるように思った。
15、『バグズ・ライフ』(映画)(1998年)ディズニー・ピクサー制作 監督:ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン
【あらすじ】
アリ王国に住むアリたちは、ホッパー率いるバッタ軍団に恐怖により支配され、虐げられ、毎年、冬の間の食べ物を集めさせられていた。その収穫期の最中、主人公の発明家の働きアリ、フリックの発明がバッタ用の食料をのせていた石にあたってしまい、食べ物がすべて、水の中に落ちてしまう。他のアリたちから厄介者だと思われていたフリックは裁判にかけられ、国を追放される。しかし、責任を感じたフリックは、故郷を救うため、バッタに対抗する助っ人を探しに、ひとり都会へと旅立った。
【考察】
アニマルスタディーズが用いられている作品だと思った。アリやバッタ、クモ、イモ虫が人間の言葉を話し、更にその虫たちが暮らす自然界には、都会という概念が存在する。そこでは他の虫たちを乗せて別の場所まで運ぶ、人間界でのバスや鉄道のような役割をする虫が居たり、信号のように青と赤の色を切り替えて虫たちの動きを統制する虫が居たり、そこには人間界での都会と同じように規律を正された交通ルールが敷かれている。また、その都会には居酒屋もあり、客である虫と店員である虫が描かれ、客の虫たちがお酒を楽しむ様子があった。そんな虫たちからはそれぞれの虫が持つ特徴や生態などはほとんど排除され、人間のように振る舞う様子のみがあった。
そして、虫たちにも体格差などから強さが存在し、主人公のフリックたち、アリは敵役のホッパー率いるバッタたちから虐げられ、エサの穀物を搾取される労働者として位置し、ホッパーたちバッタは他の虫や鳥から守る(建前)代わりに穀物を搾取する支配者として位置する。そしてアリの国の中でも、他のアリは、発明で穀物集めに革新をもたらそうとするフリック(物語中に他のアリたちを扇動するリーダーになる)を「歩く災難」と呼び、疎ましく思っている。バッタたちのリーダーであるホッパーはバッタの中で絶大な権力を持つリーダーで、アリたちが反逆しないように努める。このキャラクターたちの構図はまさに現実の労働社会を表していると思った。ジョン・ハラスとジョイ・バチュラーが監督の『動物農場』(1945年)が思い起こされる作品だった。
16、『シンデレラII』(映画)(2002年)監督:ジョン・カフカ
【あらすじ】
ジャックとガスは、仲間やフェアリーゴッドマザーとともにシンデレラの物語を作ってシンデレラにその物語を本にしてプレゼントしようと思いつく。1つ目の物語は、シンデレラが王子の妃になってから初めてのパーティーを開くことになった。シンデレラはパーティーを開くために、お城の規則やしきたりを侍女から教え込まれる。しかし、その規則やしきたりはなんのために決められているのかわからないものばかり。シンデレラはより楽しく生活するために、どんどん規則やしきたりを変えていくという話。2つ目の物語は、シンデレラの役に立つためにフェアリーゴッドマザーの魔法で人間になったジャックの話。3つ目の物語はシンデレラの義理の姉、アナスタシアが町でパン屋を営む男性に出会い、恋に落ちる話である。
【考察】
宮廷の規則が次々に紹介されていくシーンでは、シンデレラの表情が頻繁に映され、顔には目の下のシワや眉毛の間のシワなど、顔にほんの一瞬、線が入ることでシンデレラの表情を現実の人間に近づけ、視聴者がシンデレラの心情を共有しやすいように、理解できるように、描かれていたと感じた。
アナスタシアがシンデレラと話すシーンでは、アナスタシアは「美人は恋愛で苦労しない、私がもっと美人だったら」と、前作で見せていた意地悪でわがままな態度とはうってかわって自信のなさ、彼女の弱さをシンデレラに明かしている。そしてお城でシンデレラとおめかしをするシーンでは、アナスタシアは自然に笑うことを忘れてしまっていた。彼女が笑うのは誰かを馬鹿にするときなどで、誰かと笑い合ったり、誰かに笑いかけたりすることは無かったのだろうと推測ができる。前作では悪役に位置していた彼女が幸せを掴む様子は、この作品の登場人物の中では1番現実味を帯びている。誰かを傷つけたことがない純粋で善良なシンデレラを身近な存在に感じることは難しいが、アナスタシアは悪い面も良い面も描かれたことによって多くの観客の共感を得られるキャラクターになったのではないかと思った。
17、『シンデレラIII』(映画)(2007年)監督:フランク・ニッセン
【あらすじ】
愛する王子と結ばれて幸せに暮らし始めたシンデレラ。そんなある日、ひょんなことから妖精のおばあさんの魔法の杖を手に入れた継母は、シンデレラが屋根裏部屋から脱出し、ガラスの靴を足に合わせたあの運命の日まで時間を戻す。そして、継母は戻った時の中で魔法を使い、アナスタシアの足をガラスの靴が入るサイズに変えて、運命を変えてしまう。お城に招かれるアナスタシアたちであったが、王子はあの夜にダンスを踊った女性がアナスタシアではないことに気づく。しかし、継母は魔法で王子の記憶を書き換え、アナスタシアと結婚するように操ってしまう。
【考察】
様々な愛の在り方があることを示した作品のように思った。目立つのは、継母と国王の愛である。この2人の持つ愛は大きく異なる。継母は前前作である『シンデレラ』(1950年)から一貫して自分と自分の娘の保身をはかるためにシンデレラをいじめるというキャラクターであるが、3作品を通してみると、継母はアナスタシアとドリゼラを自分のように苦労させないために、貴族や王子と結婚させようとする親心という愛を持ったキャラクターだと読み取ることもできる。しかし、その愛はシンデレラや他のキャラクターに比べるとあまりにも一方通行で歪んだものである。一方で、国王は王子の結婚に対してあまり口出しをせず、シンデレラを選んだ王子の気持ちや幸せを優先する愛を持っている。その愛は国王というだけあって、息子である王子のみに向けられるものではない。本作ではダンスが下手なアナスタシアを責めることはせずに、自分と亡き妻との思い出の貝がらをアナスタシアに渡すシーンがある。ラストシーンでは自分の行動を悔やみ、この貝がらを持つ資格はないと返そうとするアナスタシアに対し、「愛される資格は誰にでもある」と声をかける。
現代風に言うならば、継母は毒親であり、アナスタシアとドリゼラは被害者であるともいえる。
18、『アリスインワンダーランド』(映画)(2010年)監督:ティム・バートン
【あらすじ】
6歳のアリスは、暗い穴に落ちていって、服を着たウサギや笑う猫、青いイモ虫などの不思議な生き物に会う夢を頻繁に見ていた。そして、13年後、変わらず同じ夢を見ているという19歳に成長したアリス。ある日、アリスはパーティー中に、貴族のヘイミッシュにプロポーズされ、返事をせずにを逃げ出してしまう。そんな中、見かけた白うさぎを追いかけて大きな穴に落ちてしまう。穴を落ちた先はワンダーランドの世界だった。そこでアリスは、マッドハッター、白の女王、赤の女王など、摩訶不思議な住人たちと出会う。 マッドハッターは、アリスこそがワンダーランドの独裁者である赤の女王が従えるジャバウォッキーを倒すことで支配を終わらせることのできる救世主だと信じていた。 いつの間にかワンダーランドの運命を背負ってしまったアリスは、自分がジャバウォッキーを倒すことができるアリスなのか自問自答しながら、赤の女王との戦いに巻き込まれていく。
ルイス・キャロルの児童文学『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』を原作にして、その後日談のストーリーとして再構成が行われた。
【考察】
ストーリーの序盤でアリスは貴族のヘイミッシュから大勢の人々の前で求愛されるが、選択を迫られた末に、返事をせず、その場から逃けだしてしまうという場面がある。その後、ワンダーランドでジャバウォッキーとの戦いを目前にした場面では自分は本物のアリスではないという思い込みからか、白の女王に仕える人々の前でジャバウォッキーと戦う選択を迫られた際に、またもその場から逃げ出してしまう。ここでは、アリスが自分の将来を左右する重要な選択を迫られ、逃げ出すという構図の反復が狙われて行われていると考えられる。アリスが、大衆の生き方から大きく外れた価値観を持ち、重要な役割を与えられるという自分が大衆から逸脱する主人公だという事実から目を背けざるを得ない背景を持つキャラクターであることが表れている。
そして、本作は監督ティム・バートン、脚本リンダ・ウールヴァートンの脚色が大きく感じられる。同じディズニー作品の『ふしぎの国のアリス』と比べてみても、全体的に暗い画面構成で、その中に彩度の高い派手な小物や装飾を配置されることで実写でありながら現実離れした世界を演出している。色鮮やかな不気味さという画面構成でティム・バートンの色が全面に表現されている。そして、私たちの知っているアリスの不思議の国での冒険から13年後という設定もアリスの新しい解釈への手がかりになり、面白いと思った。脚本のリンダ・ウールヴァートンは『美女と野獣』や『マレフィセント』など多くのディズニー作品を手掛ける脚本家である。王子に依存しない強い主人公(女性)を描くことに長けているように思う。本作はアリスが周囲の人々と自分とのギャップに悩み、それを解決し、自立していくという場面構成である。いわば、19歳のアリスのワンダーランドでの冒険は、自分探しの旅なのである。ワンダーランドの支配者を倒すことによって、現実世界に戻った後、抑圧された自分の考えや願望を解放させることができたのだと考えられる。
19、『魔法にかけられて』(映画)(2007年)監督:ケヴィン・リマ
【あらすじ】
アニメーションの中の美しい王国アンダレーシアで暮らす、真実の愛を夢見るジゼル。ある日、トロールに襲われているところをエドワード王子に助けられ、結婚を決める。結婚式当日、ジゼルは女王が変身した魔女のおばあさんに騙され、現実世界のニューヨークへと移動してしまう。大都会の冷たい人たちに戸惑うジゼルを助けたのは、現実主義の弁護士ロバートと娘のモーガンだった。動物を歌で呼び寄せ、意思疎通をしたり、ところ構わず歌いだしたりするジゼルに驚き、最初は、ジゼルをうとましく思っていたロバートだったが、彼女と過ごすうちにその素直で心優しい姿に惹かれていく。
【考察】
あらゆるディズニー作品の要素が凝縮した作品であった。真実の愛を夢見る美しいプリンセスが森の動物たちと共に歌を歌い、その歌を聞いた王子に助けられ、恋に落ちる。意地悪な女王がおばあさんに化けて、毒リンゴをプリンセスに食べさせる。女王の座に執着する意地悪な女王がドラゴンになる。などディズニー作品の定番ともいえる展開や場面で構成されていた。しかし、ニューヨークの現実世界とアンデレーシアというアニメーションの世界という2つを描くことによってこの作品の独自の面白さが作り上げられている。
多くの物語の世界ではプリンセスが森の動物達を歌で呼び寄せるなどの描写が見られるが、現実のニューヨークという都会ではネズミ、ハト、ハエ、ゴキブリがその呼びかけに応えるのである。このことは、暗に都会の自然環境に対してのアンチテーゼが込められているように感じた。
そして、弁護士として離婚相談を何件もこなし、娘のためにナンシーと結婚をしようとしている現実世界で生きるロバート(おそらく1度、離婚を経験している)と、出会って1日で王子との結婚を決めた物語の中の人物のジゼルが惹かれ合うのは意外な展開である。
ロバートは「偉大なる女性たち」という本を娘のモーガンにプレゼントする。そして、モーガンは登場時に柔道着を着ている。これらのことから、ロバートは自分の経験や仕事柄、愛に冷めているために、モーガンが将来、自立した強い女性になれるように教育をしているとわかる。ロバートの恋人のナンシーは、女性ばかりのファッション業界で仕事をする自立した女性で、物わかりが良い人物である。
作品内では、自立した女性やそれに類似するような女性像が頻繁に描かれるのとともに結婚や愛について描かれる。この両方を最初から持つのがジゼルであるように思う。アンデレーシアとは全く異なるニューヨークで、生き方や信念を変えることは一切なく、自分を信じている。そして、彼女の信じる愛に対して冷たいことを言うロバートに対しても反論する。自分の信じることを曲げないことは、彼女の自立性を担保し、自分自身を深く愛していることも表す。
女王の従者のナサニエルが現実世界のレストランのキッチンでスープの中に映った女王と話すシーンではアニメーションと現実の境界をうまく交錯させていた。
(女王が魔法で現実世界のナサニエルに毒リンゴを送り、ジゼルに食べさせるように言う場面。リンゴはスープの中に浮いている状態。)
女王が現実世界のリンゴを掴んだ瞬間にそのリンゴはスープの中に沈み込み、アニメーションに一瞬で変わる。そして、リンゴを離し、スープにリンゴが浮かび上がった部分から徐々にアニメーションのリンゴから現実世界のリンゴへと変化する。このような一瞬でアニメーションと現実が入れ替わる様子は、ジゼルのアイデンティティの曖昧さの表現のようにも捉えられる。ジゼルが現実世界で王子の助けを待ち、故郷のアンデレーシアに帰る意思を持っていると考えられる物語の中盤までは、アニメーションで描かれた女王が現実に干渉するような場面が描かれるが、それ以降は女王が実際に女王も現実世界のニューヨークへとやって来て、完全に現実のものとなる。女王が現実世界にやって来た場面の時点では、すでにジゼルはロバートに惹かれ、故郷に帰らずにロバートと結ばれることを夢見ている。最後にはドラゴンへと変身した女王が現実世界で高い塔から落ち、女王はアンデレーシアに帰ることはないまま、死を迎えた。つまり、女王はジゼルのアイデンティティが現実世界に移転していく様を体現する役割を持っているのだと言える。
20、『魔法にかけられて2』(映画)(2022年)監督:アダム・シャンクマン
【あらすじ】
ジゼルはロバートと結婚してから、ソフィアという女の子を授かり、ニューヨーク郊外の家は新しい家族が増えたことで、窮屈に感じ始めた。更に、モーガンはティーンエイジャーになり、家族と距離を取るようになってしまった。そんな生活を変えるために、モンロービルという土地に引っ越しを決める。しかし、新生活は思うようにいかず、モーガンとの関係も悪くなるばかりであった。そんなジゼルは、アンダレーシアから新居祝いにやってきたエドワードとナンシーから、魔法の杖と巻物をもらう。永遠の幸せを願い、魔法をかけたが、思いがけず、街全体をおとぎの世界にしてしまった。その魔法によって意地悪な継母へと変わり始めたジゼル。ジゼルは、深夜12時の鐘が鳴り止めば、魔法は現実になってしまうため、モーガンに元の世界に戻す望みを託す。
【考察】
本作は前作の『魔法にかけられて』と同様にディズニー作品をオマージュしたような展開で構成されているが、現実の世界が物語の世界になることを望んだことで、ジゼルが『シンデレラ』の意地悪な継母のように義理の娘を邪険に扱うようになってしまうという展開が面白いと感じた。
ジゼルとモーガンの複雑な親子関係が取り上げられていて、ジゼルとロバートの間に子供ソフィアが生まれたことで、思春期のモーガンは昔のように家族に接することができず、ジゼルのことも「ママ」と呼んでいたのが「継母」と呼ぶように変わり、距離が離れてしまっている。日本では義理の母親を「お母さん」や「ママ」以外で呼ぶとなると名前にさんをつけて呼ぶくらいしかないように思うが、英語圏では義理の母親をそのまま「継母」と呼んで不自然でないことがわかった。名前で呼ぶこともできるはずなのにわざわざ「継母」と呼ぶことで相手に対する拒絶感や不信感を表しているのだと思った。
【概要】
はばたき市という架空の街にあるはばたき学園を舞台に主人公の女の子が高校3年間を過ごしながら、男の子たちを攻略していく恋愛シュミレーションゲーム。Girl’s Sideシリーズ(以下GSシリーズとする)の初代にあたる2002年発売の『ときめきメモリアル Girl's Side』(PS2版)を移植した2007年発売の『ときめきメモリアル Girl's Side 1st Love』(ニンテンドーDS版)、フルボイス化版で2009年発売の『ときめきメモリアル Girl's Side 1st Love Plus』(ニンテンドーDS版)を更に高音質化などをして移植したものが本作である。(以下本作品名はGS1とする)ときめきメモリアルシリーズに共通する伝説の場所には学園の敷地内にある教会が設定されていて、伝説の物語も、教会に関連する話になっている。
ニンテンドーDS版とPS2版で物語の本筋は同じであるが、システムに関しては異なる部分がいくつか挙げられる。
まず、EVSである。EVSとはプレイヤーが入力した主人公の名前をコンピューターが作成した合成音声でキャラクターが呼んでくれるというもので、ニンテンドーDS版ではおそらく容量の問題で実装されなかったと思われる。そして、ニンテンドーDS版では男の子からの名前の呼ばれ方が1つしかなく、PS2版にあった男の子の好感度による主人公の名前の呼び方の変化は無くなっている。
次に、ニンテンドーDS版で搭載されたタッチイベントと親友モードである。タッチイベントは、スチルイベントやデートの際に男の子にタッチすると、反応が見られるというもの。このイベントが親友モード時に重要になったり、キャラクターのEnd回収に必要なポイントを左右したりする仕様になっている。また、親友イベントは、主人公に本命の相手がいることを知った男の子が、主人公のことを好き、または気になっている状態にも関わらず、身を引き、親友の立ち位置になって主人公を応援してくれるというもの。タッチイベントで得られる愛情ポイントが増えると、親友モードでの男の子との会話が変化するなど、細かく設定されている。これらの他にも主人公の服やBGM、キャラクターの表情差分など細かなところが少しずつ異なる。
本作の攻略対象である男の子は10人で、GSシリーズの中では唯一、学園の理事長が攻略対象に入っていることが特徴としてある。そして、主人公の友達という設定の女性キャラクターも存在し、VSモードという女友達から恋の宣戦布告をされ、敗れると特定の攻略対象が攻略できなくなる要素がある。
【考察】
GSシリーズは男主人公で女の子を攻略していく『ときめきメモリアル』のゲームシステムを引き継いでいて、勉強、芸術、おしゃれ、流行、運動、魅力、女友達と遊ぶ、休養、部活や文化祭などによって変化する専用コマンドなど、これらのコマンドを選択肢し、主人公のパラメータを上げていく。パラメータによって男の子との会話に変化が起こるのは面白いと感じる。そして、狙いの男の子とどんなにたくさんデートして、告白未遂のような会話をしたとしても、男の子が主人公に求めるパラメータ値に届かなかった場合は、男の子と過ごした日々は最初から無かったことかのようなエンディングを迎える。そのゲームシステムの残酷さが本作のフィクション性を高めているようにも感じた。
そして、36歳の学園の理事長、天之橋一鶴というキャラクターが攻略対象に入っていることは、制作当時の時代性を感じさせる。天之橋一鶴は主人公に気配りと魅力のパラメータを求めるのだが、プレイヤーのほとんどは気配りを上げやすくするためにアルバイトをするか、部活に入る選択をする。このどちらかに入れば、気配りは自然と上がっていくため、プレイヤーは魅力のパラメータ値を上げることに集中する。ここで問題なのが、主人公の魅力(この魅力は、コマンド実行時に表示される主人公の行動から外見的な魅力であると捉える)のパラメータ値が上がることで、高校生の主人公をデートに誘ってくるなどのアプローチをしてくる36歳の男性という構図が完成してしまうことだ。この図は既存のプレイヤー内でも嫌悪感を示す声が上げられる。現代でこのような成人男性が女子高生と恋愛をするという設定を、高校を舞台にした恋愛シュミレーションゲームに入れたのであれば、間違いなく、多くの批判を受けるだろう。しかし、2002年頃にはそこまで大きな問題ではなく、あくまでゲーム、キャラクターというフィクションであるという認識の下、このキャラクターを作成したのかもしれない。この点に関しては詳しくはわからないが、現代の価値観と大きく異なる当時の様相がうかがえる。
2、『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Season for Nintendo Switch』(ゲーム)制作:コナミデジタルエンターテインメント
【概要】
ゲームシステムや移植までの流れは、前作の『ときめきメモリアル Girl's Side 1st Love for Nintendo Switch』とほとんどが同じであり、2006年にPS2版『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Kiss』が発売され、その後PS2版を移植した2008年にニンテンドーDS版『ときめきメモリアル Girl's Side 2nd Season』が発売された。本作のSwitch版はニンテンドーDS版を基盤にしている。スピンオフ作品として、2007年にはPC用タイピングソフト『ときめきメモリアルGirl's Side 2nd Kissタイピング』が発売された。(以下本作品名はGS2とする)
本作は、はばたき市の羽ヶ崎学園が舞台であり、前作のはばたき学園よりも庶民的な学校と言う設定である。伝説の場所は海辺の灯台になっていて、伝説の物語の内容も海や人魚に関する話になっている。攻略対象のキャラクターは11人である。
前作に追加された要素として、PS2版ではアプローチシステム、ニンテンドーDS版では大接近モードが挙げられる。
【考察】
本作では、前作よりもキャラクターの心情がよく描かれ、ストーリーも主人公が攻略対象の理解者になるというドラマ性があった。特に、本作には自分の本性を隠して、他社の理想を演じるキャラクターが3人もいる。この自分を隠し、演じるというキャラクター設定は今や、乙女ゲームなどでは鉄板化した設定のようにも思われるが、同じ作品にその設定のキャラクターが複数人いるというのは珍しいと感じる。前作よりもキャラクターに現実味をもたせたことは、プレイヤーの没頭感を増させるという狙いがあったのではないかと感じる。
3、『ときめきメモリアル Girl's Side 3rd Story for Nintendo Switch』(ゲーム)制作:コナミデジタルエンターテインメント
【概要】
本作は、2010年に発売されたニンテンドーDS版である『ときめきメモリアル Girl's Side 3rd Story』を基盤とし、2012年に新しい攻略対象やLive2Dなどが加えられたPSP版の『ときめきメモリアル Girl's Side Premium 3rd Story』の1部がNintendo Switchにも移植され、制作された。(以下、本作品名はGS3とする。)本作の舞台はGS1と同じく、はばたき学園となっているが、伝説の内容は異なる。攻略対象は追加キャラも含めると11人である。主人公の幼馴染で1番最初に強制イベントで出会う王子キャラが2人いることが特徴。
本作では、新しいシステムとして三角関係モードがある。主人公が2人の男子と仲良くなると、3人で休日に出かけたり、3人で下校したり、などのイベントが起きるようになる。しかし、主人公が1人とだけ偏って仲良くしてしまうと、3人の関係性も変化し、しまいには主人公を取り合って仲違いをするというイベントもある。
【考察】
本作のみ、三角関係モードがゲームシステムに導入されたことに関しては、2006年から2017年まで連載された『君に届け』など、2010年代に人気を博した作品に見られる、主人公が2人の男子に好意を寄せられる少女漫画の構図を取り入れたものだと考察する。
それは後作の『ときめきメモリアル Girl's Side 4th Heart』(以降GS4とする)でも続いた流れであり、DS版GS3の発売後、現在でも人気である、男性キャラクターたちの中にプレイヤーが混ざってストーリーが進んでいくような、女性向けアプリゲームが多くリリースされ始めた。GS4では、仲良しグループという、男の子3人、主人公(女の子)1人で仲良くなることで、4人でのイベントが見られるようになるというシステムが新たに導入された。この仲良しグループではGS3での三角関係モードとは違い、結成すると、全員が主人公を好きになったとしても解散することはなく、1番好感度が高い男の子と関係を進めていくことができる。エンディングでは恋に敗れた男の子2人が主人公ともう1人の恋路を応援したということがわかるセリフも書かれる。この仲良しグループでは、主人公と男の子の関係性の悪化が描かれない。それは女性向けアプリゲームの主人公の、男性キャラクターたちに必要とされるという特性が、GS4の主人公にも引き継がれているのだと考えられる。私は、GS3、4はその年代の流行りを巧みに取り入れた作品だと考察する。
4、『マダム・ウェブ』(映画)(2024年)監督:S・J・クラークソン
【あらすじ】
ニューヨークで救急救命士として働くキャシー・ウェブ(後のマダム・ウェブ)は、ある時、救命活動中に生死を彷徨う大事故に巻き込まれてしまう。それをきっかけに、キャシーは予知能力、未来視の能力を得る。そして、キャシーは偶然にも出会った3人の少女たちが、黒いマスクの男に殺される未来を見たことで、少女たちを助けることを決意する。予知能力という特殊能力を使い、何度も危機を回避していく。謎の男の目的や正体を暴くことで、少女たちの使命やキャシーの出生の秘密も明らかになっていく。
【考察】
本作は他のスパイダーマン作品とは異なり、目立つ戦闘シーンは少なく、映画の見栄え的な問題から、ホラーの要素が加わったのだろうと思った。そして、キャシーが3人の少女の死を予知して助けることに関して、きちんと能力を獲得した初期段階で救えなかった命があることでキャシーの行動に納得がいく作りになっていた。
また、新しい命を生む存在である女性が主人公の作品であるため、キャシーが救命士であることやキャシーの母が自分の命を犠牲にしてキャシーを産んだこと、予知能力によって3人の少女の死を何度も見せる死の近さの演出など、命の重みを感じさせる描写が多くあったと思った。
5、『落下の解剖学』(映画)(2023年)監督:ジュスティーヌ・トリエ
【あらすじ】
人里離れた雪山の山荘で、視覚障がいをもつ11歳のダニエルが血を流して倒れていた父親を発見する。息子の悲鳴を聞いた母親サンドラが救助を要請するも、父親はすでに息絶えていた。事故死や自殺と思われたが、不審な点も多くあったため、サンドラに夫殺しの疑いがかけられていく。必死に自らの無罪を主張するサンドラだったが、裁判で仲むつまじいと思われていた家族像とは裏腹の、夫婦のあいだに隠された秘密や嘘が明らかになっていく法廷劇。
【考察】
物語が始まって、すぐに夫の転落死という事件が起こり、盲目の息子が第1発見者となる。誰も事件を見ていないことから、観客は真相解明や犯人探しに夢中になって、話の展開を追うが、本作のラストはサンドラが無罪判決を受けて物語が終わる。なぜ、夫は転落死したのか、詳しく明かされることは無かった。物語の中盤から、サンドラの犯人疑惑が濃くなり、夫婦仲が冷めきっていたことやサンドラの不倫などが明かされ、話の軸が夫の死の真相からサンドラの罪に移っていくさまがあまりに自然で、観客はこの映画が真相を明かさないラストへ進んでいることには全く気づかない。
ラストについては、真実というものへの問題提起がなされているように感じた。事件に関わる人物ごとに真実があり、ときには検察官の提示する事実とは異なる場合もある。この作品を見る観客もラストを見てもなお、サンドラが犯人だと思う人もいれば、事故や自殺の可能性を見出す人もいるかも知れない。私は、本作は、前述したことのように人によって異なる真実があるということを丁寧に描いた作品だと考えた。また、サンドラは作家であるため、目撃者が誰もいないこの事件はいとも簡単に、彼女の作り上げられた真相へと導かれてしまった可能性がある点も興味深いと感じた。
6、『劇場版SPY×FAMILY CODE:White』(映画)(2023年)監督:片桐崇
【あらすじ】
イーデン校では、優勝者にステラが授与されると噂の調理実習が実施されることになった。アーニャはステラを獲得するべく、審査員長である校長の好物、フリジス地方の伝統菓子メレメレを作ることを決める。本場の味を再現するために、フォージャー家はフリジスへ向かうことになるが、旅行の途中、列車内でアーニャが怪しげなトランクケースに入ったチョコレートを食べてしまう。そのチョコレートには世界平和を揺るがす重大な秘密が隠されていて、フォージャー家は国家レベルの争いに巻き込まれてしまう。
【考察】
見たときに、『クレヨンしんちゃん』の少し下品な描写と劇場版の『名探偵コナン』に見られる爆発シーンのような派手さが合わさった作品だと思った。原作よりも大幅に低年齢向けに作品づくりがされていた印象だった。特に、アーニャが便意を我慢するという場面ではアーニャの我慢する表情や愚鈍な様子が原作よりも誇張されて描かれていた。また、キャラクターの心理描写が少なく、なぜその行動をするに至ったのか、不明なまま物語が進んでしまい、原作でキャラクターが持っていた設定などからキャラクター本体が切り離されてしまっていた。本作は原作やアニメを見ていない、新たなファンの獲得を目的として制作されたのだろうと思う。
7、『屋根裏のラジャー』(映画)(2023年)制作:スタジオポノック 監督:百瀬義行
原作『The Imaginary』(訳題:『僕が消えないうちに』)著:A.F.ハロルド
【あらすじ】
少年ラジャーは、愛をなくした少女アマンダによって生み出された想像の友達(イマジナリ)だ。ラジャーは屋根裏部屋でアマンダと一緒に想像の世界に飛び込み、遊ぶ毎日を送っていた。しかし、イマジナリには人間に忘れられると消えていくという、避けられない運命があった。ある時、アマンダが交通事故に遭ったことで、ラジャーは自分が消えてしまう危機に直面する。ラジャーは人間に忘れられ、居場所がなくなったイマジナリが集まるイマジナリの町にたどり着き、仲間に出会ったことで、イマジナリの運命に立ち向かう決意をする。
【考察】
それぞれの子どもが、抱える不安や孤独、恐怖という現実から目を背け、安らぎを得るための存在としてイマジナリが描かれているのだと感じた。ラジャーを想像したアマンダは、父親を亡くしていて、ラジャーが生まれたのは3ヶ月と3週間と3日前とあるが、この日はアマンダの父親の命日だということが終盤に明かされる。そして、イマジナリのジンザンは眠らないキャラクターとして設定されているが、それは子供が夜、寝るときに見守る存在として想像されたとある。
そんなイマジナリを食べる存在のミスター・バンティングは現実を強制的に直視させる大人の表象であると感じた。本作では子どもから大人になるにつれ、イマジナリをだんだんと忘れてしまうことが描かれる。アマンダの母親リジーはアマンダの話すイマジナリの存在を信じずに、軽くあしらう様子が見られる。アマンダに対して、決して「現実を見なさい」などと口にすることはないが、どこかに、夫を喪ったことから完全に立ち直れていない自分と空想に耽る娘とに心の距離を感じているような気持ちがあることが予想される。大人が子どもに感じる不安や心配の気持ちがイマジナリを食べるミスター・バンティングによって表象され、子どもを現実へと引き戻していくのだと考えた。
イマジナリが抱える、忘れられると消えてしまうという問題についてはラストに、アマンダの母親リジーが自分の幼少期のイマジナリであるレイゾウコを思い出したことで、イマジナリの未来に新たな可能性が提示されたのだと考える。また、アマンダが交通事故に遭い、意識を失ってしまったことで、ラジャーが消えそうになる場面があったが、このことは創造主のアマンダが生死の境を彷徨っていたからだとも捉えることができるが、イマジナリ自身の子どもに忘れられてしまったという感覚も消える要因の1つではないかとも考えられる。イマジナリ自身が孤独や不安感を抱えることは子どもを見守り、楽しい想像の世界に導くというイマジナリの特質からは大きく外れてしまう。イマジナリとしての存在意義の喪失や役割を果たせなくなった際に、イマジナリは消えてしまうのではないかと思った。
スタジオポノックの作品であるため、人物の目や輪郭、鼻の位置や描き方はやはりジブリに似たものだが、色彩に関しては、ジブリと異なり少し影色にぼかしが入っていたり、少し淡いような配色であったりするため、絵本にあうような絵のタッチに思えた。それはイマジナリの存在や思ったことがそのまま現れる想像の世界が描かれる原作の世界観にとても合っているように思った。
8、『ウィッシュ』(映画)(2023年)監督:クリス・バック、ファウ・ヴィーラスンソーン
【あらすじ】
18歳を迎えたときに王に自分の願いを授け、時が来たときに願いを叶えてもらえるという魔法の王国ロサスに暮らす少女アーシャの願いは、100才になる祖父のサビーノの願いが叶うことだった。しかし預けられた願いはすべて魔法を操るマグニフィコ王に支配されており、国のためにならない願いは叶えられることはないという衝撃の真実をアーシャは知る。魔法に頼らなくても叶うはずのみんなの願いを取り戻したいというアーシャの願いに応え、空から舞い降りてきたのは“願い星”のスターだった。アーシャはスターや仲間とともに立ち上がり、マグニフィコ王から願いを取り戻そうと動き出す。
【考察】
この映画の評価として度々耳にするのは、「マグニフィコ王は国に良い事をもたらす願いのみを叶えるという実に理に適った良い国王ではないか、それに歯向かうアーシャこそヴィランではないのか」ということだ。しかし、ディズニー作品は「星に願いを」の曲で始まり、様々な作品のディズニーキャラクターたちは空を見上げ、星に願いをかけてきた。それがディズニーのテーマである。そう捉えるとマグニフィコ王に願いを託し、自身の願いを忘れ、喪失感を抱えるロサス王国の人々は救われなくてはならないキャラクターと言えると感じた。アーシャが星に強く願うシーンやスターというキャラクターが設定されたことなどからディズニーは100周年を迎えた記念的な作品で、空を見上げて星に願いをかけることこそがディズニーの普遍的なテーマであると改めて強調したのだと感じた。
また、本作の特典映像では、制作陣によってマグニフィコ王の設定が語られ、従来のディズニーのヴィランとは違った形で設定されたことがわかった。制作当初、マグニフィコ王は登場した瞬間からヴィランであることが観客に明かされ、町の人々を恐怖に陥れる強大な敵としてアーシャの前に立ちふさがる敵として描かれていた。しかし、制作のある段階で、マグニフィコ王が闇に落ちていく様子が描かれるように設定が変更されたのだ。新たなヴィラン像を提示されたことで、観客にはヴィランが悪に染まった背景を理解することが求められることになった。これは世界の多様性への動きに伴う他者理解の重要性への喚起であると考えられる。
9、『君と宇宙を歩くために』(漫画/第1巻)著:泥ノ田犬彦
【あらすじ】
勉強もバイトも続かず、不安や焦りを抱えるヤンキーの小林。ある日、彼のクラスに変わり者の宇野くんが転校してくる。宇野くんのことを知れば知るほど彼の生き方の真っ直ぐさに惹かれ、小林は宇野くんから自分を変えるための勇気をもらう。〝普通〟ができない正反対の2人がそれぞれ壁にぶつかりながらも楽しく生きるために奮闘する友情物語。
【考察】
「わからないことがある時は一人で宇宙に浮いているみたい」という宇野くんのセリフがあるが、日常を宇宙に例えることは非常に上手い表現だと感じた。
本作では、不測の事態に極端に弱かったり、大きな音や怒鳴り声が苦手だったり、手帳に毎日する行動手順や決め事を書き留めていたりする宇野くんを特別な存在、異質な存在として描いていない。また、彼のそんな特性を明確な症状名を明記せずに描いている。加えて、バイトの業務をなかなか覚えられずにバイトを何度も変えてきたという生きづらさを抱える主人公の小林を通して宇野くんを描くことによって、少し変わった宇野くんというキャラクターをバイアスがかからずに知ることができると感じた。
10、『アイ・フィール・プリティ!人生最高のハプニング』(映画)(2018年)監督:マーク・シルヴァースタイン、アビー・コーン
【あらすじ】
冴えない容姿を気にして消極的だった女性レネーが、痩せるためにジム通いを決意。しかし、トレーニング中の事故で頭を強打してしまったことで、自分自身が絶世の美女に変身したと思い込み、その後の生活はたちまち自信に溢れるものとなり、着たかった服、やりたかった仕事に次々挑戦していく。実際には何ひとつ変わってないにもかかわらず、自信を持ったことにより、たちまち仕事も恋も絶好調となっていく。
【考察】
本作では、容姿に悩み、自信が持てずに卑屈気味になっている主人公レネーがスポーツジムで転倒したことで絶世の美女になったと思い込むが、そのレネーの視点は観客には共有されない。しかし、レネーの視点が共有されないことによって、そのままの彼女に自信が加わっただけで、魅力が増し、生命力に満ち溢れる変貌ぶりに驚く。そして、普段使っている言葉には外見至上主義の精神性が潜んでいることにも気づかせてくれる作品だと思った。
11、『華麗なるギャツビー』(映画)(1974年)監督:ジャック・クレイトン
【あらすじ】
「或る男の一生」「暗黒街の巨頭」に続くF・スコット・フィッツジェラルドの小説3度目の映画化。脚本は映画『ゴッドファーザー』(1972年)の監督F・F・コッポラ。
主人公ニックは、ニューヨークの郊外の大豪邸に住むギャツビーに出会い、ギャツビーがニックのいとこであるデイジーとかつて恋人関係だったことを知る。デイジーはすでに大金持ちのトムと結婚していたが、関係はあまりいいものとは言えなかった。ニックはデイジーとギャツビーの中を取り持つことになり二人の再会の手助けを行う。一方で、デイジーの夫トムは自動車修理工場の婦人と不倫の真っ最中であった。デイジーとギャツビーの仲が急速に深まり、ついにギャツビーは、トムにデイジーとの結婚を切り出そうとするが、はっきりしない。そして、登場人物たちの関係性はどんどん歪んでいく。
【考察】
デイジーは物語の中で感情的な一面を多く見せ、他の人物たちと比べると、幼稚な人物に描かれていると思った。それに関して、デイジーがニックに「娘を馬鹿に育てている」と漏らすシーンがある。この場面でデイジーは一気に大人びた表情を見せ、世の中を俯瞰したような目をする。そうして涙を流すわけだが、この場面にはデイジーの本来の姿が描かれているのではないかと思った。本作が描いた1920年代のアメリカは、合衆国憲法で女性参政権が認められ、女性の社会参加や自立が推進されていた。しかし、そんな社会の流れとは対立したキャラクターとして、デイジーという女性が描かれている。女性参政権が認められたといえども、すぐに人々の間で浸透することはなく、アメリカの上流階級の女性たちは、お金持ちの男性に嫁ぎ、夫の機嫌を損ねないように社会に関する意見を持たないという従来の生き方しか選ぶことができなかったのではと考えられる。デイジーは、女性が社会で認められていく中で、自分は自由な生き方を選ぶことができないために、自分の娘にそんな社会への復讐をぶつけていると思われる。デイジーは、愛するギャツビーが夫の策略により、死しても、それを悲しむ様子は見せず、最初から出会っていなかったかのような淡白さを見せることも、定められた生き方から逃れられずに諦めた末のふるまいであったのではないかと考察することができる。その点をニックが物語の最初に独白する「批判したい相手は同じ恵まれた育ちとは限らない」という言葉が確固たるものにする。デイジーの人生やその辛さのすべてを第三者は知るすべを持たない。デイジーは度々、ニックに本音のようなものを吐露するが、ニックは心から理解しているような素振りは見せない。また、ニックが物語を回想する形式で進んでいく本作は、男性に生まれることほうが生きやすい世の中であったことが暗に示唆されているようにも捉えられる。
12、『ミーン・ガールズ』(映画)(2004年)監督:マーク・ウォーターズ
【あらすじ】
アフリカに住み、学校に通わず、自宅学習のみで育った少女ケイディが、母国アメリカに戻り、初めて高校に通うことになる。学校について何も知らないため、最初は戸惑うものの、ジャニスとダミアンに声をかけられたことで、だんだんと高校に馴染んでいく。そして、ケイディはそこそこ可愛かったために学校の牛耳る女子グループ“プラスティックス”に半ば強制的に加わることになる。そして、プラスティックスの女王バチであるレジーナの元恋人、アーロンに好意を寄せていることを漏らされ、レジーナにバレてしまう。レジーナは二人の仲を取り持つと言っていたにも関わらず、アーロンとよりを戻してしまう。そのことに傷ついたケイディは、ジャニスとダミアンとともにレジーナへの復讐を始める。
【考察】
ケイディがプラスティックスに加入した後の女王バチのレジーナと情報通のグレチェンの関係性がだんだんと壊れていく様子があまりにリアルで驚いた。権力を持っているレジーナが新入りのケイディを気に入っていることを知った途端、レジーナの良くない情報を漏らし始めたり、愚痴をこぼし始めたりする様子やグレチェンの焦りや不安の表情はまさに学校社会で付き合っているだけの友達関係でよくあることで、この作品を見た女性はもれなくノスタルジックな気持ちになることが容易にわかる。
また、ケイディがレジーナを蹴落とすことに成功し、プラスティックスの女王バチに君臨し、どんどんと約束を破ったり、気取るようになったりしたことで、ジャニスとダミアンとの友情も壊れてしまう。どの友達にも良い顔をしようとして、大事なことをすべて後回しにした結果、誰からも相手にされなくなるという構図は高校生がする失敗にしてはいささか幼稚だと思ってしまうが、そんな学校の友達関係初心者のケイディがいることで、この作品のコメディの面が際立つのだと思った。
13、『最強のふたり』(映画)(2011年)監督:オリヴィエ・ナカシュ、エリック・トレダノ
【あらすじ】
事故で全身麻痺となり、車椅子生活をする大富豪のフィリップは、住み込みの介護人の募集をする。そこにやってきたのは、スラム街暮らしで、働く気も、フィリップに気を遣う様子も全くみせない黒人青年ドリスだった。フィリップを特別扱いすることなく、他の人々と同じように接するドリスはフィリップの心をだんだんと解きほぐしていく。実話を基にしたヒューマン・コメディ。
【考察】
序盤の面接のシーンで
フィリップ「見送るよ」
ドリス「立たないで座ったままで構わない」
という会話があった。最初の出会いから、ドリスは全くフィリップの身体障害に対して偏見や気遣いなどを持つことなく、接している。また、ドリスがフィリップに紅茶を飲ませようとカップに紅茶を注いでいるとき、フィリップの足に熱いお茶をこぼしてしまうが、熱さを感じないフィリップの足に興味を示して、面白そうに何度も熱いカップを足に押し当てるという行動を取る。また別のシーンではフィリップが「チョコをくれ」と言ったときドリスは「このチョコは健常者用だ」とブラックジョークを言う。このドリスの容赦のなさがフィリップは気に入ったと言って、ドリスは介護士として本採用される。ドリスのこれらの行動は、人種も関係していることだと考えられる。フィリップは豪華で華やかな世界に生きるが、そこには黒人は一人もいない。この作品では人種による格差が描かれている。黒人であるというだけで貧困層のなかで生き、生活苦に陥り、法を犯すこともある。常に偏見の目にさらされ、バカにされ、そんな状況に生きていても偏見に対して抗議するドリスの力強さにフィリップだけでなく、観客も勇気を与えられると感じた。また、ドリスを通して黒人と白人の教育水準が全く異なることや至高と称される著名な芸術家たちは白人が多く、公教育は白人のものだということも同時に感じさせる。
誰かと信頼関係を築いていく社会の中で、1番が無くしていかなければいけないことが差別や偏見だと訴えかける作品だった。本作では、障害者への気遣いの気持ちは差別のように描かれている。
14、『学園アイドルマスター』(ゲーム)(2024年)
【概要】
QualiArts・バンダイナムコエンターテインメントの共同開発・運営によるスマートフォン用ゲームアプリ。「アイドルマスターシリーズ」6ブランド目となる育成シュミレーションゲーム。
【考察】
2021年にリリースが開始された育成シュミレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』と類似するゲームシステムを引き継いでいる印象だった。
プレイヤーはプロデューサーとして、特定のアイドルをトップアイドルにするため、奮闘するという流れでアイドルごとに物語は進んでいく(メインストーリーは全く流れが異なるため、ここでは触れない)がその物語中で全く影響がないと思われる、プロデューサーの性別が男性のみに絞られてしまっていた。他にもキャラクターのほとんどがトップアイドルを目指すにも関わらず、プロデューサーと2人きりでお出かけをして、しまいには「デートだね」などの恋愛を匂わすセリフをプロデューサーに向かって言う。完全にアイドルとスキャンダルが切り離されたフィクションが強い作品だと感じた。他にも何故かアイドルに膝枕をしてもらったり、アイドルにお弁当を作ってもらったり、などの描写があり、アイドルと友達以上恋人未満のような関係性を楽しむという完全に男性向けに顧客を絞った作品づくりをしているのだと思った。しかし、成績の振るわなかったアイドルたちがプロデューサーに出会ったことで成長し、大きなステージに立てるようになるという構図は感動や達成感があり、とても面白いと感じた。プロデューサーの性別をどちらともとれるようにする、もしくは、性別を選択式にすれば、より楽しみ方の幅が広がるように思った。
15、『バグズ・ライフ』(映画)(1998年)ディズニー・ピクサー制作 監督:ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン
【あらすじ】
アリ王国に住むアリたちは、ホッパー率いるバッタ軍団に恐怖により支配され、虐げられ、毎年、冬の間の食べ物を集めさせられていた。その収穫期の最中、主人公の発明家の働きアリ、フリックの発明がバッタ用の食料をのせていた石にあたってしまい、食べ物がすべて、水の中に落ちてしまう。他のアリたちから厄介者だと思われていたフリックは裁判にかけられ、国を追放される。しかし、責任を感じたフリックは、故郷を救うため、バッタに対抗する助っ人を探しに、ひとり都会へと旅立った。
【考察】
アニマルスタディーズが用いられている作品だと思った。アリやバッタ、クモ、イモ虫が人間の言葉を話し、更にその虫たちが暮らす自然界には、都会という概念が存在する。そこでは他の虫たちを乗せて別の場所まで運ぶ、人間界でのバスや鉄道のような役割をする虫が居たり、信号のように青と赤の色を切り替えて虫たちの動きを統制する虫が居たり、そこには人間界での都会と同じように規律を正された交通ルールが敷かれている。また、その都会には居酒屋もあり、客である虫と店員である虫が描かれ、客の虫たちがお酒を楽しむ様子があった。そんな虫たちからはそれぞれの虫が持つ特徴や生態などはほとんど排除され、人間のように振る舞う様子のみがあった。
そして、虫たちにも体格差などから強さが存在し、主人公のフリックたち、アリは敵役のホッパー率いるバッタたちから虐げられ、エサの穀物を搾取される労働者として位置し、ホッパーたちバッタは他の虫や鳥から守る(建前)代わりに穀物を搾取する支配者として位置する。そしてアリの国の中でも、他のアリは、発明で穀物集めに革新をもたらそうとするフリック(物語中に他のアリたちを扇動するリーダーになる)を「歩く災難」と呼び、疎ましく思っている。バッタたちのリーダーであるホッパーはバッタの中で絶大な権力を持つリーダーで、アリたちが反逆しないように努める。このキャラクターたちの構図はまさに現実の労働社会を表していると思った。ジョン・ハラスとジョイ・バチュラーが監督の『動物農場』(1945年)が思い起こされる作品だった。
16、『シンデレラII』(映画)(2002年)監督:ジョン・カフカ
【あらすじ】
ジャックとガスは、仲間やフェアリーゴッドマザーとともにシンデレラの物語を作ってシンデレラにその物語を本にしてプレゼントしようと思いつく。1つ目の物語は、シンデレラが王子の妃になってから初めてのパーティーを開くことになった。シンデレラはパーティーを開くために、お城の規則やしきたりを侍女から教え込まれる。しかし、その規則やしきたりはなんのために決められているのかわからないものばかり。シンデレラはより楽しく生活するために、どんどん規則やしきたりを変えていくという話。2つ目の物語は、シンデレラの役に立つためにフェアリーゴッドマザーの魔法で人間になったジャックの話。3つ目の物語はシンデレラの義理の姉、アナスタシアが町でパン屋を営む男性に出会い、恋に落ちる話である。
【考察】
宮廷の規則が次々に紹介されていくシーンでは、シンデレラの表情が頻繁に映され、顔には目の下のシワや眉毛の間のシワなど、顔にほんの一瞬、線が入ることでシンデレラの表情を現実の人間に近づけ、視聴者がシンデレラの心情を共有しやすいように、理解できるように、描かれていたと感じた。
アナスタシアがシンデレラと話すシーンでは、アナスタシアは「美人は恋愛で苦労しない、私がもっと美人だったら」と、前作で見せていた意地悪でわがままな態度とはうってかわって自信のなさ、彼女の弱さをシンデレラに明かしている。そしてお城でシンデレラとおめかしをするシーンでは、アナスタシアは自然に笑うことを忘れてしまっていた。彼女が笑うのは誰かを馬鹿にするときなどで、誰かと笑い合ったり、誰かに笑いかけたりすることは無かったのだろうと推測ができる。前作では悪役に位置していた彼女が幸せを掴む様子は、この作品の登場人物の中では1番現実味を帯びている。誰かを傷つけたことがない純粋で善良なシンデレラを身近な存在に感じることは難しいが、アナスタシアは悪い面も良い面も描かれたことによって多くの観客の共感を得られるキャラクターになったのではないかと思った。
17、『シンデレラIII』(映画)(2007年)監督:フランク・ニッセン
【あらすじ】
愛する王子と結ばれて幸せに暮らし始めたシンデレラ。そんなある日、ひょんなことから妖精のおばあさんの魔法の杖を手に入れた継母は、シンデレラが屋根裏部屋から脱出し、ガラスの靴を足に合わせたあの運命の日まで時間を戻す。そして、継母は戻った時の中で魔法を使い、アナスタシアの足をガラスの靴が入るサイズに変えて、運命を変えてしまう。お城に招かれるアナスタシアたちであったが、王子はあの夜にダンスを踊った女性がアナスタシアではないことに気づく。しかし、継母は魔法で王子の記憶を書き換え、アナスタシアと結婚するように操ってしまう。
【考察】
様々な愛の在り方があることを示した作品のように思った。目立つのは、継母と国王の愛である。この2人の持つ愛は大きく異なる。継母は前前作である『シンデレラ』(1950年)から一貫して自分と自分の娘の保身をはかるためにシンデレラをいじめるというキャラクターであるが、3作品を通してみると、継母はアナスタシアとドリゼラを自分のように苦労させないために、貴族や王子と結婚させようとする親心という愛を持ったキャラクターだと読み取ることもできる。しかし、その愛はシンデレラや他のキャラクターに比べるとあまりにも一方通行で歪んだものである。一方で、国王は王子の結婚に対してあまり口出しをせず、シンデレラを選んだ王子の気持ちや幸せを優先する愛を持っている。その愛は国王というだけあって、息子である王子のみに向けられるものではない。本作ではダンスが下手なアナスタシアを責めることはせずに、自分と亡き妻との思い出の貝がらをアナスタシアに渡すシーンがある。ラストシーンでは自分の行動を悔やみ、この貝がらを持つ資格はないと返そうとするアナスタシアに対し、「愛される資格は誰にでもある」と声をかける。
現代風に言うならば、継母は毒親であり、アナスタシアとドリゼラは被害者であるともいえる。
18、『アリスインワンダーランド』(映画)(2010年)監督:ティム・バートン
【あらすじ】
6歳のアリスは、暗い穴に落ちていって、服を着たウサギや笑う猫、青いイモ虫などの不思議な生き物に会う夢を頻繁に見ていた。そして、13年後、変わらず同じ夢を見ているという19歳に成長したアリス。ある日、アリスはパーティー中に、貴族のヘイミッシュにプロポーズされ、返事をせずにを逃げ出してしまう。そんな中、見かけた白うさぎを追いかけて大きな穴に落ちてしまう。穴を落ちた先はワンダーランドの世界だった。そこでアリスは、マッドハッター、白の女王、赤の女王など、摩訶不思議な住人たちと出会う。 マッドハッターは、アリスこそがワンダーランドの独裁者である赤の女王が従えるジャバウォッキーを倒すことで支配を終わらせることのできる救世主だと信じていた。 いつの間にかワンダーランドの運命を背負ってしまったアリスは、自分がジャバウォッキーを倒すことができるアリスなのか自問自答しながら、赤の女王との戦いに巻き込まれていく。
ルイス・キャロルの児童文学『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』を原作にして、その後日談のストーリーとして再構成が行われた。
【考察】
ストーリーの序盤でアリスは貴族のヘイミッシュから大勢の人々の前で求愛されるが、選択を迫られた末に、返事をせず、その場から逃けだしてしまうという場面がある。その後、ワンダーランドでジャバウォッキーとの戦いを目前にした場面では自分は本物のアリスではないという思い込みからか、白の女王に仕える人々の前でジャバウォッキーと戦う選択を迫られた際に、またもその場から逃げ出してしまう。ここでは、アリスが自分の将来を左右する重要な選択を迫られ、逃げ出すという構図の反復が狙われて行われていると考えられる。アリスが、大衆の生き方から大きく外れた価値観を持ち、重要な役割を与えられるという自分が大衆から逸脱する主人公だという事実から目を背けざるを得ない背景を持つキャラクターであることが表れている。
そして、本作は監督ティム・バートン、脚本リンダ・ウールヴァートンの脚色が大きく感じられる。同じディズニー作品の『ふしぎの国のアリス』と比べてみても、全体的に暗い画面構成で、その中に彩度の高い派手な小物や装飾を配置されることで実写でありながら現実離れした世界を演出している。色鮮やかな不気味さという画面構成でティム・バートンの色が全面に表現されている。そして、私たちの知っているアリスの不思議の国での冒険から13年後という設定もアリスの新しい解釈への手がかりになり、面白いと思った。脚本のリンダ・ウールヴァートンは『美女と野獣』や『マレフィセント』など多くのディズニー作品を手掛ける脚本家である。王子に依存しない強い主人公(女性)を描くことに長けているように思う。本作はアリスが周囲の人々と自分とのギャップに悩み、それを解決し、自立していくという場面構成である。いわば、19歳のアリスのワンダーランドでの冒険は、自分探しの旅なのである。ワンダーランドの支配者を倒すことによって、現実世界に戻った後、抑圧された自分の考えや願望を解放させることができたのだと考えられる。
19、『魔法にかけられて』(映画)(2007年)監督:ケヴィン・リマ
【あらすじ】
アニメーションの中の美しい王国アンダレーシアで暮らす、真実の愛を夢見るジゼル。ある日、トロールに襲われているところをエドワード王子に助けられ、結婚を決める。結婚式当日、ジゼルは女王が変身した魔女のおばあさんに騙され、現実世界のニューヨークへと移動してしまう。大都会の冷たい人たちに戸惑うジゼルを助けたのは、現実主義の弁護士ロバートと娘のモーガンだった。動物を歌で呼び寄せ、意思疎通をしたり、ところ構わず歌いだしたりするジゼルに驚き、最初は、ジゼルをうとましく思っていたロバートだったが、彼女と過ごすうちにその素直で心優しい姿に惹かれていく。
【考察】
あらゆるディズニー作品の要素が凝縮した作品であった。真実の愛を夢見る美しいプリンセスが森の動物たちと共に歌を歌い、その歌を聞いた王子に助けられ、恋に落ちる。意地悪な女王がおばあさんに化けて、毒リンゴをプリンセスに食べさせる。女王の座に執着する意地悪な女王がドラゴンになる。などディズニー作品の定番ともいえる展開や場面で構成されていた。しかし、ニューヨークの現実世界とアンデレーシアというアニメーションの世界という2つを描くことによってこの作品の独自の面白さが作り上げられている。
多くの物語の世界ではプリンセスが森の動物達を歌で呼び寄せるなどの描写が見られるが、現実のニューヨークという都会ではネズミ、ハト、ハエ、ゴキブリがその呼びかけに応えるのである。このことは、暗に都会の自然環境に対してのアンチテーゼが込められているように感じた。
そして、弁護士として離婚相談を何件もこなし、娘のためにナンシーと結婚をしようとしている現実世界で生きるロバート(おそらく1度、離婚を経験している)と、出会って1日で王子との結婚を決めた物語の中の人物のジゼルが惹かれ合うのは意外な展開である。
ロバートは「偉大なる女性たち」という本を娘のモーガンにプレゼントする。そして、モーガンは登場時に柔道着を着ている。これらのことから、ロバートは自分の経験や仕事柄、愛に冷めているために、モーガンが将来、自立した強い女性になれるように教育をしているとわかる。ロバートの恋人のナンシーは、女性ばかりのファッション業界で仕事をする自立した女性で、物わかりが良い人物である。
作品内では、自立した女性やそれに類似するような女性像が頻繁に描かれるのとともに結婚や愛について描かれる。この両方を最初から持つのがジゼルであるように思う。アンデレーシアとは全く異なるニューヨークで、生き方や信念を変えることは一切なく、自分を信じている。そして、彼女の信じる愛に対して冷たいことを言うロバートに対しても反論する。自分の信じることを曲げないことは、彼女の自立性を担保し、自分自身を深く愛していることも表す。
女王の従者のナサニエルが現実世界のレストランのキッチンでスープの中に映った女王と話すシーンではアニメーションと現実の境界をうまく交錯させていた。
(女王が魔法で現実世界のナサニエルに毒リンゴを送り、ジゼルに食べさせるように言う場面。リンゴはスープの中に浮いている状態。)
女王が現実世界のリンゴを掴んだ瞬間にそのリンゴはスープの中に沈み込み、アニメーションに一瞬で変わる。そして、リンゴを離し、スープにリンゴが浮かび上がった部分から徐々にアニメーションのリンゴから現実世界のリンゴへと変化する。このような一瞬でアニメーションと現実が入れ替わる様子は、ジゼルのアイデンティティの曖昧さの表現のようにも捉えられる。ジゼルが現実世界で王子の助けを待ち、故郷のアンデレーシアに帰る意思を持っていると考えられる物語の中盤までは、アニメーションで描かれた女王が現実に干渉するような場面が描かれるが、それ以降は女王が実際に女王も現実世界のニューヨークへとやって来て、完全に現実のものとなる。女王が現実世界にやって来た場面の時点では、すでにジゼルはロバートに惹かれ、故郷に帰らずにロバートと結ばれることを夢見ている。最後にはドラゴンへと変身した女王が現実世界で高い塔から落ち、女王はアンデレーシアに帰ることはないまま、死を迎えた。つまり、女王はジゼルのアイデンティティが現実世界に移転していく様を体現する役割を持っているのだと言える。
20、『魔法にかけられて2』(映画)(2022年)監督:アダム・シャンクマン
【あらすじ】
ジゼルはロバートと結婚してから、ソフィアという女の子を授かり、ニューヨーク郊外の家は新しい家族が増えたことで、窮屈に感じ始めた。更に、モーガンはティーンエイジャーになり、家族と距離を取るようになってしまった。そんな生活を変えるために、モンロービルという土地に引っ越しを決める。しかし、新生活は思うようにいかず、モーガンとの関係も悪くなるばかりであった。そんなジゼルは、アンダレーシアから新居祝いにやってきたエドワードとナンシーから、魔法の杖と巻物をもらう。永遠の幸せを願い、魔法をかけたが、思いがけず、街全体をおとぎの世界にしてしまった。その魔法によって意地悪な継母へと変わり始めたジゼル。ジゼルは、深夜12時の鐘が鳴り止めば、魔法は現実になってしまうため、モーガンに元の世界に戻す望みを託す。
【考察】
本作は前作の『魔法にかけられて』と同様にディズニー作品をオマージュしたような展開で構成されているが、現実の世界が物語の世界になることを望んだことで、ジゼルが『シンデレラ』の意地悪な継母のように義理の娘を邪険に扱うようになってしまうという展開が面白いと感じた。
ジゼルとモーガンの複雑な親子関係が取り上げられていて、ジゼルとロバートの間に子供ソフィアが生まれたことで、思春期のモーガンは昔のように家族に接することができず、ジゼルのことも「ママ」と呼んでいたのが「継母」と呼ぶように変わり、距離が離れてしまっている。日本では義理の母親を「お母さん」や「ママ」以外で呼ぶとなると名前にさんをつけて呼ぶくらいしかないように思うが、英語圏では義理の母親をそのまま「継母」と呼んで不自然でないことがわかった。名前で呼ぶこともできるはずなのにわざわざ「継母」と呼ぶことで相手に対する拒絶感や不信感を表しているのだと思った。
2年 谷澤佳歩
1.『海獣の子供』(アニメ映画)(2019年)監督:佐藤歩
【概要・あらすじ】
五十嵐大介氏作の同名の漫画が原作で、それをアニメ映画化した作品。
自分の気持ちを伝えることが苦手な中学生の安海琉花は、夏休み初日に自身の所属するハンドボール部で問題を起こし、学校で居場所が無くなってしまう。家でも居場所のない孤独な彼女は父が働く水族館を訪れるが、そこでジュゴンに育てられた2人の少年に出会う。海の中で暮らしてきた彼らは長時間陸で活動出来ない特異体質を持っており、水族館で保護されていた。彼らと過ごすうちに、琉花は世界中で起こる不思議な出来事に巻き込まれていく。
【考察】
まず映像がとにかく美麗な印象を受けた。水中や魚のリアルさや、原作の絵柄特有の人物の瞳や、海辺の風景の色彩など、最初に印象に残るとすれば映像表現の美しさが挙げられると思う。
言葉でコミュニケーションを取ることの難しさが主題になっていて「一番大切な約束は、言葉では交わさない」というテーマがあり、特に後半の祭りの儀式の場面は言語化が難しい程の圧倒的な情報量で溢れかえっている。観客には世界観の言語での説明はかなり少なく、最後まで観ても考察をしても答えがはっきりと分かるものは多くない。
事象は海、それを捉えて表現する言葉が船に例えられ、奔流を全て捉えきることは到底不可能だが、それでも言葉を尽くすことも重要であることが表現されている。世界観の規模感がかなり大きめなのも特徴で、自然現象や宇宙の事象が描写されており、現状の人間の知識では答えが出ないこと、そこに無理に答えを見出そうとすることがナンセンスであることを表現しているようにも感じられた。監督の「答えは出ないことが答え」という言葉にもあるように、この作品は意味を見出して答えをあれこれ考えるよりも、映像や音楽で表現された世界をそのまま感じ取る観賞の方が合っているように考えられる。
2.『PERSONA3 THE MOVIE #1 Spring of Birth』(アニメ映画)(2013年)監督:秋田谷典昭
【概要・あらすじ】
ATLUS社から2006年に発売されたゲーム『ペルソナ3』を四部作で映画化した作品の第1部。
ゲームのスタートである4月から6月辺りまでのメインイベントを、映画内容に組み込んで構成されている。
主人公である高校2年生の結城理は、家庭の事情で小中高一貫校である月光館学園の高等部に編入することになる。学生寮に入寮して間もなく結城は異形の怪物・シャドウに襲われ、秘められていた「ワイルド」のペルソナ能力を覚醒させる。それがきっかけで、結城はこの世界には1日と1日の挟間にある隠された時間、影時間があり、街は動きを止めて人々はオブジェへと姿を変えることを知らされる。そこにはびこる異形の怪物、シャドウに対抗できるのはペルソナという特殊な力を持つ者だけだった。潜在能力を認められた結城は勧誘を受け、同じペルソナ使いたちで構成された特別課外活動部へと引き入れられる。彼らはそれぞれの目的のため、影時間を消滅させるべく影時間にのみ出現するダンジョン、タルタロスへと潜って影時間の真相を追っていく。
【考察】
主人公の名前はゲームではプレイヤーが自由に決められるが、映画版では「結城理」という名前が使われている。同作ゲームのポータブル版では女性主人公版も存在するが、映画では女性主人公は登場しない。ゲームではプレイヤー=主人公という構図になっているが、映画では一人のキャラクターとして、観客は結城を客観的で俯瞰的な視点で捉えられるようになっている。ある程度はゲームとも一致するが、序盤の結城は人間的な感情や人間味がかなり希薄なキャラクターとして描写されており、口癖が「どうでもいい」で、「死ぬってそんなに怖いこと?」という発言など、生きることや人間関係への意欲や活力が欠落している。しかし、特別課外活動部で仲間と協力してシャドウを倒すことの経験を経て、徐々に仲間や友達、協力することの重要性を知り、人間的に少しずつ成長していく過程が描かれる。仲間と共に戦うことで生まれる連帯感や、死んだらどうでもよくないという理由が受動的とはいえ生まれたことで、人間として最低ラインである生きる理由が保証され、今作の結城は人間らしく生きることのスタートラインに立ったと言える状態になったと考えられる。
結城の人間性が欠落している理由についてはゲーム同様この段階では明らかにならず、初見ではなぜ結城がこんなに無気力なのか、推測は可能なもののはっきりとは分からないようになっている。幼少期に両親を事故で亡くしていることは分かるので、これ以上大切な誰かを作ることで、無意識にその後の喪失を恐れているのではないかということは推測出来る。映画版は結城というキャラクターの人物像が明示され、仲間の大事さや結城の成長を描写して観客に客観的に理解させることに重きを置いている作品であることが考察される。
3.『PERSONA3 THE MOVIE #2 Midsummer Knight's Dream』(アニメ映画)(2014年)監督:田口智久
【概要・あらすじ】
ATLUS社から2006年に発売されたゲーム『ペルソナ3』を四部作で映画化した作品の第2部。
前作の続きである6月から10月初め辺りまでのメインイベントを、映画内容に組み込んで構成されている。
ペルソナ使い数名が新たに覚醒し、特別課外活動部(通称S.E.E.S.)に徐々に加入し始め、活動が活発になっていく中で、結城たちは毎月の満月の夜に顕現する、強力な敵である大型シャドウを12体撃破すれば影時間が消滅することを知る。影時間の消滅を悲願とする仲間は大型シャドウ撃破に邁進するが、結城は影時間が消滅すれば特別課外活動部としての活動もなくなってしまい、自分は加入前の無気力な人間に戻ってしまうのではないかと恐れ、影時間を消滅させたくないという仲間たちとは相反する願いを抱えたまま戦いに臨むことになる。
【考察】
前作『#1 Spring of Birth』の続編として作られた作品であり、引き続きゲーム本編の流れを追う形で話が進んでいく。今作は前作の4月から6月に比べて進みが6月から10月とかなり速い上、新規メンバーの加入イベントや影時間についての新たな情報、敵対するペルソナ使いの存在など、物語としても外せない重要な場面が非常に多いため、やや急ぎ足な印象を受ける。今作では結城は前作と比べてかなり人間らしくなっており、仲間に対しても積極的に歩み寄ろうとする姿勢を見せる。しかし、今作の後半では特別課外活動部が終了するかもしれないことを受け、影時間消滅と特別課外活動部存続というジレンマの中で戦いに挑むことになる。
特別課外活動部を存続させたい結城の判断の迷いによって大型シャドウの撃破が遅れた結果、今作の終盤で加入メンバーの1人である荒垣真次郎が影時間に命を落とすという展開になる。この事件が、後の映画版での結城の成長に大きく影響する出来事となるが、ゲームではこの荒垣の死亡イベントは避けられるものではなく、またプレイヤーが原因で起こる・阻止できるイベントでもないため、ゲームでプレイヤーが自責の念に駆られることはあまりない。しかし、メンバーの死にショックを受けるプレイヤーも決して少なくないイベントでもある。オーディオコメンタリーにて、監督は結城に罪悪感を抱かせるために結城の迷いの描写を入れたと語っている。
特別課外活動部で充実した生活を送っていた結城だが、その活動の正当性やエゴ、そして命について考えさせられる展開になっていると考えられる。
影時間を消滅させようとすることは本当に良いことなのか、特別課外活動部の活動は生活の充実の一部として捉えて良いほど生ぬるいものなのかなどを結城に問いかける構図で、知らず知らずの内に特別課外活動部という居場所に抱いていた甘さを、メンバーと共に痛感させられる展開になっている。
仲間や友人を持ち、共に過ごすことの楽しさや喜びと、それらはあくまで永遠に続くものではなく、いつか、あるいはある日突然失われてもおかしくないという、儚く尊いものでもあるというメッセージがあるのではないかと考えられる。
4.『ルパン三世 ルパン暗殺指令』(単発テレビアニメ)(1993年)監督:おおすみ正秋
【概要・あらすじ】
アニメ『ルパン三世』のTVスペシャルシリーズ第5作。
ルパンと次元はとある仕事でミスを犯し、アジトを警官隊に包囲されてしまう。しかしそこに現れた銭形は警官隊を解散させると単身で乗り込んでくる。訝しがるルパンを後目に、銭形は自身がルパンの専従捜査官を解任されたことを明かす。銭形に替わってルパン捜査に就いたのは、傭兵あがりで捜査対象を殺すことも厭わないことで知られるキース・ヘイドン捜査官であり、銭形は謎多き武器密売組織「ショットシェル」の壊滅捜査を命じられたとのことであった。銭形を哀れに思ったルパンは「ショットシェル」から大金を盗み、ついでに壊滅させる計画を立てる。銭形はルパンの大金強奪計画を知らず、純粋に自分のためにショットシェルを壊滅させようとしていると感謝してルパンに協力する。
【考察】
前作の『ルパン三世 ロシアより愛をこめて』も冷戦を中心にした内容だったが、ロシアや原子力潜水艦、核関連兵器の技術者や各国の軍事力競争など、冷戦を思わせる要素が多く散りばめられており、冷戦の終結は1989年で作品放送が1993年なので、社会情勢を意識したタイムリーな内容であったと思われる。構図としてはルパン一味+銭形、ルパンの暗殺を請け負うキース、次元の殺害を目的とするカレンの三つ巴になっているが、核関連兵器の技術者でもあるカレンは原子力潜水艦を悪用されないようにするため、概ねルパン側に協力的である。今作のゲストヒロイン的存在でもある彼女だが、最終的にはキースの銃の乱射によって命を落とすことになる。ゲストヒロインが死ぬのはTVスペシャルシリーズの中で第一作の『ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!』でもあった展開である。カレンが死ぬ展開になったのは、勘違いとはいえ自分とは復讐する理由のない次元に復讐しようとしたためとも考えられるが、次元の過去に因縁があるゲストヒロインは死ぬ確率が高く、今後のテレビシリーズに因縁を引きずらないためとも考えられる。
5.『船を編む』(実写映画)(2013年)監督:石井裕也
【概要・あらすじ】
原作は三浦しをん氏による同名の小説。
1995年、玄武書房で38年辞書一筋の編集者・荒木公平が定年を迎えようとしていた。荒木の仕事ぶりに惚れ込む辞書監修者の松本朋佑教授は引き留めようとするが、「病気の妻を介護するため」という荒木の意志は堅い。急遽、社内で荒木の後任探しが始まる。なかなかめぼしい人材が見当たらない中、荒木の部下・西岡正志が密かに社内恋愛で同棲中の三好麗美から言語学部の院卒で変人と噂される馬締光也の情報を仕入れる。名字の通り性格は生真面目だがコミュニケーション能力に著しく欠ける馬締は社内でも浮いていた。一方で言葉に対する卓越したセンスを持ち合わせ、「右」を定義せよという荒木の質問に合格。松本が熱意を燃やす新しい辞書『大渡海』の編纂を進める辞書編集部に異動となる。
【考察】
辞書編纂そのものだけではなく、編纂に関わる人々やその想いに焦点を当てて描写された作品であると考えられる。1995年という時代設定がされている理由としては、ネット関連の語彙が大量に増え始める時期であるためだとされる。一冊の辞書を出版するに当たっての一連の流れを追って話が展開されていくが、編纂の初期と終盤で関わってくる人々が移ろい、言葉もどんどん増え、編集者たちの生活も大きく変化していく。作中でかなり長い時間が経過した作品だ思われる。初期の編纂に関わった人が出版される頃にはこの世にいないことも不思議ではなく、辞書編纂に人生の長い時間をかける想いとその過酷さ、静かな覚悟を感じられる作品である。
作中では馬締が何度も海中に溺れるようなシーンがイメージ映像的に流れるが、これは言葉は海の水のように無数に存在し、その言葉の意味を出来る限り捉えて、表現したいことや伝えたいことを支える、言葉の海を渡る舟を辞書に準えていると推測する。『海獣の子供』と共通する世界観やイメージを持っているように考えられた。
6.『モノノ怪 鵺』(テレビアニメ)(2007年)
【あらすじ】
京の街にある屋敷では、香道・笛小路流の家元・瑠璃姫の婿を選定するために、聞香が行われていた。聞香には4人の婿候補が招待されていたが、参加者の一人である実尊寺が現れない。そのため、3人の参加者と、モノノ怪を探しに来た薬売りが飛び入りで参加し、その4人で聞香が行われることとなる。
【考察】
独特の世界観、絵柄や映像表現がかなり強烈に印象に残る作風のアニメである。特に今回の話では、聞香をした際、香りを絵で表現するに当たって、もともと寒い冬の雪景色で全体的に彩度の低かったが、香りを聞いた瞬間背景が一瞬で明るい色に変化することで表現しているのが印象に残った。人の情念とあやかしの両者が組み合わさることでモノノ怪となるとあるため、物語としては怪異譚の中でもいわゆるヒトコワのものと、本当の怪異としてのホラーが組み合わさったようなジャンルであると考えられる。欄奈待、通称東大寺と呼ばれる香木を欲しがっていた婿候補たちだが、その香木に狂わされ、自分たちが死んだことに気づかないまま聞香を行い、手に入りもしない香木を求め、評判を呼んで次々と犠牲者を出していたことが分かるようになっている。人の情念がベースとなって顕現するモノノ怪が多いが、今回はあやかしが主体となっていたケースであると考えられる。悪さをするモノノ怪を薬売りが退治したという、シンプルかつ構図的にはかなり王道な物語展開になっている。
薬売りと犬だけは彩度が通常と同じく設定されており、これは屋敷の中でこの二人だけが生者であることも示していると考えられる。
7.『モノノ怪 のっぺらぼう』(テレビアニメ)(2007年)
【あらすじ】
佐々木家に嫁いだ娘であるお蝶は、一家を惨殺した下手人として死罪になり、牢屋に閉じ込められていた。薬売りは事件の原因がモノノ怪によるものだと考え、お蝶のいる牢屋の中に出向く。淡々と自分の罪を受け入れるお蝶に対し、薬売りはその詳細について、のらりくらりとした調子で繰り返し問うたあと、「私はね、あなた一人で殺ったんじゃないと思ってるんですよ」と切り出すのだった。
【考察】
話の規模感がかなり小さめで登場人物も少なく、舞台もほとんど動かないため、会話劇で徐々に謎が解き明かされていくような話の構成となっている。実際にお蝶が一家を惨殺したのかと考えるとその可能性は低く、実際は妄想の中でお蝶が一家惨殺を想像しているだけであり、それこそがお蝶自信を押し殺している状態なのだと考えられる。牢屋の中にいる状態のお蝶は、一家惨殺なんて妄想をしてはいけないという心理状態、狐面の男に牢屋から連れ出されて求婚される場面のお蝶は、自己を抑圧し妄想に留めた自分を正当化している状態だと考察する。母から名家の嫁に行くことを切望されてきたお蝶の行き場のない気持ちがのっぺらぼうを生み出していたが、薬売りがのっぺらぼうを退治したことによって、お蝶が佐々木家を出るという新たな選択肢を取るためのはじめの一歩へ背中を押す結果になったのではないかと思われる。
8.『モノノ怪 座敷童子』(テレビアニメ)(2007年)
【あらすじ】
ある雨の日、万屋という宿屋に志乃という身籠った女性が訪れた。万屋の女将は、面倒なことに巻き込まれたくないという思いで、志乃に部屋がない旨を話して彼女の宿泊を断るが、志乃はこのままでは腹の中の赤子もろとも殺されてしまうと必死に女将に頼み続ける。女将は根負けして、客室ではない部屋に志乃を泊めることにした。しかし、志乃が泊まった部屋では、何やら奇妙なことが起こり始める。
【考察】
後味の悪さはそこまでなく、比較的穏やかな結末を迎えたエピソードだと思われる。黄色のだるまや座敷童子は志乃のお腹の中にいる子供を表現している。内容が内容であるためやや比喩的な表現が多く使用されていると思われるが、それでも背景は壮絶で中和されているようには感じられない。赤い布がへその緒、座敷童子が赤子たちの魂、だるまは恐らく赤子の骨を入れた入れ物なのだろうと推測される。志乃の外見が金髪碧眼と明らかに白人風の見た目をしているところから、だるまが何となくマトリョーシカのようにも見えた。
元がテレビアニメなので前編と後編に分かれているのだが、怪異の背景になにがあったのかは、こういったものを見慣れている人なら前編だけでも何となく察せてしまうのではないかと考えられる。
志乃が赤子たちの「ただ生まれたかっただけ」という願いに共鳴し、彼らの願いを叶えようとしたことで、比較的穏やかに退治されたのだと考察される。
9.『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(アニメ映画)(2023年)監督:古賀豪
【あらすじ】
廃刊間近となっている雑誌の記者・山田は、廃村となった哭倉村に取材にやってきた。山田は同じく村へやってきた鬼太郎、ねこ娘、目玉おやじと遭遇するが、鬼太郎たちに引き返すようにと言われた警告を無視して、鬼太郎たちに村について取材しようとつきまとう。
時を遡って昭和31年、当時の日本で政財界を牛耳っていた龍賀一族の当主、龍賀時貞が死去する。東京で帝国血液銀行に勤める水木は、龍賀一族の経営する製薬会社、龍賀製薬の担当者であり、時貞の娘婿である龍賀製薬社長の龍賀克典とは懇意にしていた。水木は次期当主と目される克典にアピールして出世の足掛かりとすべく、一族が暮らす哭倉村へと向かうのだった。
【考察】
序盤は横溝正史チックな世界観で、いかにもミステリーが始まりそうな雰囲気があるが、中盤から登場する狂骨の存在があくまでもこれはゲゲゲの鬼太郎の世界であることを感じさせる。昭和である時代背景を随所に反映させており、水木の着ているスーツの型や煙草の扱い、血液銀行など、細部の小物や背景にこだわりがあり、当時の世界観を醸し出すことに成功していると考えられる。龍賀一族とそこが行ってきたMの製造背景は、国民の血液を吸って戦争に突き進んだかつての日本の縮図として描かれているのではないかと考察した。水木の戦場での回想シーンが龍賀一族から命に関わる理不尽を強いられる際に何度か描かれるため、戦争への批判的なメッセージも含まれているのではないかと考察した。水木の左瞼の傷跡と左耳が欠けているのは、恐らく原作者の水木しげる氏が戦争で左腕を失っていることからだと考えられる。物語の終盤で狂骨となった時弥が鬼太郎たちに何を望むかを訊かれた際、「忘れないで…」という言葉が、人間の過ちによる悲劇を忘れないことが重要であるというメッセージで、それが戦争にも重ねられると考えられた。
ゲゲ郎たち幽霊族は一丸となって水木達や鬼太郎を救おうと献身的になり、逆に近親相姦など血縁を利用して私欲を満たしてきた龍賀一族は対比的に描かれている。
左目は未来を象徴するという話を耳にするが、この物語で龍賀一族の時麿、乙米、丙江、庚子は、殺される際に左目が抉られるように傷つけられている。反対に、人間が嫌いで普段左目を髪で隠しているゲゲ郎は、自らを犠牲に狂骨を止める中、体は腐ってしまうが「友よ、おぬしが生きる未来をこの目で見てみとうなった」と言ったあと、彼は目玉おやじの姿になって息子の鬼太郎と共に未来の世界を見て生きている。鬼太郎は左目が生まれつき無いが、目玉おやじが眼窩にはまることが出来るようになっていると思われる。龍賀一族に未来はないが、幽霊族には未来があることを示していると考察する。
人間が繰り返してきた愚かな歴史は、決して単なる過去のものにするのではなく、そこから学んで忘れないようにすること、そして絶望せずに未来を見据えることが必要だというメッセージがあるのではないかと考えた。
10.『ルックバック』(アニメ映画)(2024年)監督:押山清高
【概要・あらすじ】
原作は藤本タツキ氏による同名の漫画作品。
小学4年生の藤野は学年新聞で4コマ漫画を毎週連載し、同級生や家族から絶賛されていた。ある日、教師から不登校児である京本の漫画を掲載したいため、藤野の連載している内の1枠を譲って欲しいと告げられる。
藤野は京本を見下していたが、京本の画力は高く、掲載された京本の漫画は周囲の児童からも称賛され、比べて藤野の絵は普通だと掌を返すような反応をされる。
藤野は屈辱を覚えながら絵の本格的な練習を開始し、友人・家族関係にも軋轢を生みながらも努力を重ねていく。だが、そうした研鑽の果てにも京本の画力には届かず、3年生の時から続けた連載を6年生の途中で辞めて、とうとうペンを折ることになる。
小学校の卒業式の日になり、教師から卒業証書を届けるよう頼まれた藤野は、この日初めて対面し、京本に藤野のファンだと告げられる。京本にサインをねだられた藤野はどてらにサインをし、再び漫画を描くことを決意するのだった。
【考察】
「じゃあ、藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という京本の台詞が、そのまま創作者に向けたテーマになっていると思われる。創作物というものは、よほど上手いものでなければ見向きもされず、ほとんどが具体的に何かのためになることはそうそうない。藤野が同級生や家族から「いつまで漫画描いてるの?」という質問をされるが、小学生の藤野がその質問に答えることはない。京本と一緒に漫画を描いた過去と、もし京本と漫画を描いていなかったらというifルートが描かれると、京本は死ななかったかもしれないが、一緒に京本と漫画を描いて恐る恐る雑誌のページを確認したり、賞金で遠出して買い食いしたりなどの楽しかった思い出も作れなかったことが分かる。京本の「なんで描いてるの?」という台詞の後に、藤野の漫画に目を輝かせる京本の笑顔が浮かび上がることから、藤野にとって漫画を描く理由は、京本が面白いと言って自分の漫画を読んでくれるからなのだろうかと考えた。
映画の中では特別激しい動きのシーンはそう多くないが、京本に卒業証書を届けた帰り道の藤野のスキップシーンや、京本の手を引いて街を歩く藤野の二人のシーンなど、リアルなアニメーションの動きがまるで本当に生きている人間の物語や、追体験のような作風になっているのではないかと考察した。
11.『モブサイコ100 REIGEN ~知られざる奇跡の霊能力者~』(OVA)(2018年)監督:立川譲
【概要・あらすじ】
アニメ第1期の『モブサイコ100』の総集編のような形を取っているOVA作品。
とある占い師が本を執筆したことで成功を収めたニュースを聞いた霊幻新隆が、自分も自伝を書いて出版すれば儲けられるという思惑で、弟子である影山茂夫(モブ)にアニメ第1期で描かれてきた数々の事件を、いかにも霊幻本人が全て解決してきたかのように書くよう指示し、その流れでアニメ第1期の内容が大まかに振り返れるように構成されたものとなっている。
【考察】
霊幻が捏造しているシーンは、例えこの作品がモブサイコ100のアニメが初見だとしても、ある程度どこが捏造しているのかが何となく分かるようになっている。キャラクターの顔に雑に霊幻の顔が貼り付けるように描かれていたり、本来のキャラクターがいる所に、キャラクターの一部がはみ出すように霊幻が描かれていたり、実際に霊幻がいなかった場所ではわざと霊幻が見切れるように配置したりしているなどの工夫が見られる。エピソードの区切り区切りでモブが霊幻の自伝を書き進めるオリジナルストーリーが挿入されている。結果的に霊幻の目論見はモブの周囲にいた当事者たちによって失敗し、いつもの日常に戻っていくものとなっている。
12.『ルパン三世 ワルサーP38』(単発テレビアニメ)(1997年)監督:矢野博之
【あらすじ】
アニメ『ルパン三世』のTVスペシャルシリーズ第9作。ルパン三世生誕30周年記念作品でもある。
自分の名を騙った偽の予告状の真相を確かめるべく、ルパンは某国副大統領の誕生パーティーに潜入するが、謎の武装集団が現れ、副大統領を暗殺してしまう。ルパンを逮捕するため会場にいた銭形警部もまた、彼の目の前で何者かが撃った凶弾に倒れる。ルパンが狙撃者を確認しようとすると、窓から突き出たシルバーメタリックのワルサーP38を握った右手のみが見え、その手の甲にはタランチュラの刺青が入っていた。シルバーメタリックのワルサーP38は駆け出し時代のルパンの得物であったが、当時の相棒に裏切られて奪われたものであった。
ルパンは武装集団の正体が、密かに各国から支援を受ける「タランチュラ」と呼ばれる謎多き暗殺組織だと刺青から推測する。報復とワルサーP38の謎を追うため、ルパンは次元と共に彼らの本拠地の島があるバミューダトライアングルへと向かうのだった。
【考察】
全体的にシビアで、ルパンファミリーでも大きな負傷をしたり流血を含む戦闘シーンが非常に多かったり、ルパンファミリー以外のほぼ全てのゲストキャラクターが因果応報的に死亡するなどという暗めな作品となっている。
テーマとして出て来るキーワードは「自由」である。組織タランチュラに属する者は、皆特殊な毒の刺青を入れられ、組織の本部がある島から発生するガスを定期的に吸い続けないと死んでしまう。エレンを中心としてタランチュラからの脱却を図る穏健派と、所属し続けることを望む組織の人間とで対立の構図になっている。次元が組織の人間に対して本当は自由が怖いのではないかと見透かすも、組織の人間は不機嫌そうな顔をして答えなかった。
ルパンと不二子は作戦の一環でわざとタランチュラの刺青を入れられるのだが、エンディングまでこの刺青は消されず、完全に解決せずに終了する。後のシリーズで回復しているため、恐らく盗んだ大量の毒を分析することで、ドクター同様自力で薬を調合して解毒に成功したのだろうと推測される。
13.『かがみの孤城』(アニメ映画)(2022年)監督:原恵一
【概要・あらすじ】
原作は辻村美月氏による同名の小説。
2005年、中学1年生の女の子・安西こころは、同級生から受けたいじめが原因で不登校が続き、フリースクールにも通えずに家に引き籠もる生活を続けていた。5月のある日、自室の鏡が光り、中に吸い込まれたこころは、その向こうのオオカミさまという狼面をつけた謎の少女が仕切る絶海の孤城で、自分と似た問題を抱える中学生のリオン、フウカ、スバル、マサムネ、ウレシノ、アキと出会うことになる。
【考察】
元が優れた小説作品であることが分かる映画になっている。この作品の重要な要素として、孤城に訪れる中学生たちは、本当は生まれた年が大きく異なるところである。小説ならば叙述トリックで描写しなくても良い部分はあえて描写をしない部分があるが、アニメは絵で描写せざるを得ないところがある。例を挙げると、アキのルーズソックスや、アキと喜多嶋先生の顔の共通点、喜多嶋先生が結婚しているかなどの視覚的情報から、話の早い段階から少年少女たちの生きている年代にズレがあるのではないかということが推測出来てしまうのではないかと思う(『君の名は。』の影響もあるかもしれない)。アニメ化はしたものの、そこまで画的に大きく動くような場面も多くはなく、アニメである必要性が感じづらい作品ではないかと考えられる。
14.『君の膵臓をたべたい』(アニメ映画)(2018年)監督:牛嶋新一郎
【概要・あらすじ】
原作は住野よる氏による同名の小説で、住野氏のデビュー作品でもある。
主人公である「僕」は、病院で偶然「共病文庫」というタイトルの本を拾う。その本は「僕」のクラスメイトである山内桜良が綴っていた秘密の日記帳で、彼女の余命が膵臓の病気によってもう長くはないことが書かれていた。「僕」はその本の中身を興味本位で覗いたことにより、家族以外で唯一桜良の病気を知る人物となった。桜良の死ぬ前にやりたいことに付き合っていくうちに、「僕」と桜良という正反対の性格の2人が、お互いに自分には欠けている部分にそれぞれ憧れを持つようになり、次第に心を通わせて成長していく。
【考察】
「僕」と桜良は、性格の面では正反対のデザインをされているとは思われるが、それが互いに影響を及ぼし合っていることが顕著に分かるようになっている。特に「僕」は元々他者に対して懐疑的で、他人の中の自分の存在を低く見積もりがちな性格だったが、彼女と出会って他者にもっと興味を持ち、例え相手が自分を許容出来なかったとしても自分から許容し愛せる人間になることを決意したのが一番の大きな変化として描かれていると考えられる。正反対の二人のように思われつつ、名前は二人とも春を連想させるものだったのが、通ずる部分も少なからずあった二人なのではないかと考えた。
映像としては全体的に背景の輝度や彩度が高く、新海監督作品の影響が大きいように感じられた。
15.『すずめの戸締まり』(アニメ映画)(2022年)監督:新海誠
【あらすじ】
宮崎県の静かな町で叔母の岩戸環と暮らす17歳の女子高校生の岩戸鈴芽は、ある日夢を見る。一人の幼い少女が廃墟も立ち並ぶ草原の中をひたすら歩き、母を探すも見つからず疲れ果て蹲る。そこに一人の女性が歩いてくる。その女性を少女は見つめるが、その瞬間鈴芽は夢から目覚めてしまう。
鈴芽は登校中に、宗像草太という青年とすれ違う。近くの廃墟を探しているという彼に場所を教えた鈴芽は、彼が気になって通学路を引き返して後を追い、山中の今は廃れたリゾート地にある廃屋で水溜りの中に佇んでいた一つの古い扉を見つける。鈴芽は何かに引っ張られるように扉に手を伸ばし、引き込まれる。その扉の向こうには、広い草原と全ての時間が混ざりあった空があった。
【考察】
観た印象としては、よりオタク層より一般層向けの作風になったように感じられた。
九州から東日本大震災のあった東北まで、日本を縦断する形で旅をしていく展開は、終着点が震災に直面した場所として設定され、非常に分かりやすくするためなのではないかと考えられる。ダイジンが行く先をSNSで確認してから追うという順にすることで、これから向かう目的と目的地がその都度示され、観客が置いてきぼりになる瞬間が非常に少なくなるよう描写しているのではないかと考察した。今作はとにかく走るシーンが多く、走るという行為は肉体的にも精神的にも追い込まれる行為であるため、観客も見ていて緊張感を覚える場面が長かったのではないかとも考えた。
主人公の鈴芽は震災の経験から死ぬことは怖くないという感覚を持っていたが、草太を失うかもしれないことへの恐怖から死への恐怖が芽生えたことは、後ろ戸を閉じて回ることで失われた人々の想いに触れ、死ぬとは、生きていくこととはどういうことなのか鈴芽が今一度捉え直した結果として、鈴芽の人間的な成長を意味するのではないかと考察する。
16.『同級生』(アニメ映画)(2016年)監督:中村章子
【概要・あらすじ】
原作は中村明日美子氏による同名の漫画作品。
高校二年生の夏、草壁光は合唱祭前の練習中に、同級生の佐条利人が歌わずに口パクしていることに気づく。二人は同じ男子校の同じクラスだが、制服を着崩しバンド活動に勤しむ草壁と眼鏡の優等生の佐条は、性質が違いろくに話をしたこともなかった。佐条は歌なんかくだらないと思って練習で手を抜いているのか、と草壁は不快になったが、その日の放課後に教室に残って一人で歌の練習をしている佐条を見つける。佐条は音痴を気にして邪魔にならないようにと皆と一緒の時は歌うことを控え、克服しようと人知れず努力していたのだった。そんな彼のひたむきさに感心して草壁は練習に付き合うようになった。二人きりで歌う時間を過ごすうちに草壁と佐条は互いに惹かれあっていき、やがてひっそりと交際を始めるようになる。
【考察】
画面の分割が多めで、原作が漫画ゆえの独特な演出のように思われた。擬音語が文字でそのまま書かれていたり、たまに吹き出しも出て来たりするのがいかにも漫画的。漫画がそのまま動くようになったものと思われる。作画が柔らかく細い線で全体的に流線的、軽やかな印象を受けるキャラクターデザインであり、色は水彩画っぽいタッチの画になっている。ギャグとロマンスのバランスが丁度良く、テンポも良く進むので見ていて退屈しないと考えられる。
セクシャルマイノリティーとして周囲から受け入れられ難いというような描写は特になく、概ね受け入れられている印象だが、高校の教師が職場で堂々と喫煙している様子などから、現代よりも若干時代が昔のようでもある。
周囲の受け入れ度合いは時代設定的に珍しいように思われるが、作品の大半が二人のコミュニケーションがメインで、セクシャルマイノリティーとしてのテーマ性はそこまで比重を占めていない作品だと考察する。それよりかは、純粋に二人の男子高校生同士が恋愛している様を楽しむ作品となっている。
17.『PERSONA3 THE MOVIE #3 Falling Down』(アニメ映画)(2015年)監督:元永慶太郎
【概要・あらすじ】
ATLUS社から2006年に発売されたゲーム『ペルソナ3』を四部作で映画化した作品の第三部。
前作の続きである10月から12月の頭までのゲーム本編のメインイベントを時系列順に並べて構成されている。
前作の終わりに荒垣を喪った結城は、親しい人が出来るほど、いつか訪れる別れに傷つくことを恐れ、再び人と距離を置くようになってしまう。そんな中、結城の通う学校に新たな転校生である望月綾時が転入、結城と仲良くなりたいと積極的に接触してくる。結城は望月と親密になることを拒むが、望月に喪失への恐怖を見抜かれる。
望月と関わる内に結城の内面にも変化が及ぼされ、もう一度周囲の人々との距離や人間関係について見直すことになる。
【考察】
前作の荒垣死亡事件を受けて罪悪感と喪失への恐怖が芽生え、結城は再び人と関わることに消極的になる。望月は結城よりも人間関係の感覚について疎く、結城に質問を投げかけることで結城自身の内面に向き合うきっかけとなり、結城の本心を浮き彫りにしていく立ち位置の存在だと考えられる。この辺りは原作のゲームの内容とあまり大きな差異はない。映画の終盤では、特別課外活動部メンバーの一人である伊織順平と、敵対勢力でありながら親密になっていたチドリと言う少女が命を落とす。彼女は身体的な問題で元々長生きの出来ない命であり、彼女自身は死ぬことへの恐怖を持っていなかった。しかし順平と出会い、また会う時が楽しみになっていくうちに、死ぬことが恐ろしくなっていったという。「死ぬって…、『もう会えない』ってことなのね…」というチドリの台詞は、ゲームにもあるが、シンプルながら真理を突いた言葉でもある。自分一人では生きることに希望や願いを見出せなかった彼女は、大切な人の存在で生きることを願い、死や喪失の恐怖に怯えるようになる。これは結城にとても似た立ち位置の話でもある。
チドリは致命傷を負った順平を助けるため、自身の能力を使って順平を蘇生し、代わりに命を落とすこととなるが、この展開も、後の結城の行動と酷似しているように考えられる。
喪失はいつか誰にでも訪れ、相手に執着すればするほど別れは恐ろしいものとなる。しかし、喪失を恐れて一人になろうとしても、人は一人では生きてはいけないし、心の奥底では誰かを求めるものでもある。今作のテーマは、映画版四部作全ての根底にあるものだと考えられるが、「いつか必ず訪れる喪失への恐怖に立ち向かうこと」が特に強調されたのが今作だと思われる。
18.『PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』(アニメ映画)(2016年)監督:田口智久
【概要・あらすじ】
ATLUS社から2006年に発売されたゲーム『ペルソナ3』を四部作で映画化した作品の第四部。
前作の12月の頭のイベントからゲーム終了までのメインイベントを中心に構成されている。
結城達は影時間の謎を追う内に、1月の終わりに世界の生命が息絶える運命であることを知る。突然の宣告に戸惑い、生きる希望や戦う理由を見失いかける特別課外活動部の面々だが、各々の持つ絆への想いから、滅びをもたらす存在・デスへと立ち向かう決意を固め、一致団結して決戦へと臨む。
【考察】
逃れられない滅びの運命に、活動部の皆は精神が折れかけ絶望しかけるが、それぞれが持つ大切な絆と、それを抵抗なしに失わせたくないという強い想いに動かされ、恐怖を超えてデスと対峙することを選ぶ。
望月も結城の前から姿を消してしまう大切な友人だが、結城はその喪失に対する恐れはなく、一人の友人として、デスになる最後の日まで彼と向き合うことを選ぶ。
ゲーム原作では特別課外活動部のメンバーに加え、様々な人々と結ばれた絆の力の強さを感じられる展開がある。ゲームではプレイヤーが主人公と一体となってその力を感じられるが、映画では結城という一人の人間として、この一年間で築いてきた絆を振り返る。今作は仲間それぞれが持つ絆にも焦点が当てられ、結城に呼応するように仲間たちが覚悟を決めるシーンは印象的である。
ゲームとの大きな差異である戦闘シーンがかなり大きな動きで描かれており、原作よりも視覚的に戦いの苛烈さを理解することが出来る。
今作で強く示されるのは、やはり絆の持つ強力で不思議な力だと思われる。人と人の間の関係の持つ力は第一部から描かれ続けてきたが、今作はその集大成である。最終的に結城は絆の力でとてつもない奇跡を起こす。
エンディングの場面は、原作だと仲間たちが駆けつける直前に主人公は瞼を閉じてしまうが、映画版では仲間たちが集結した直後に変更されている。こちらの方が物語としての収まりが良いため、この演出は好評である模様。
冬であることと、ゲーム本編でもこの時期は画面の彩度が下がることもあってか、夏の第二部などに比べて彩度が低めなのも特徴。
19.『LUPIN THE ⅢRD 次元大介の墓標 前編』(劇場用スピンオフ作品)(2014年)監督:小池健
【概要・あらすじ】
『ルパン三世』のスピンオフ劇場用作品『LUPIN THE IIIRD』シリーズ第1作。
ルパン三世の劇場用アニメでは初めてPG12のレイティングが適用された。
東西に分断されている西ドロアと東ドロアは、西ドロアで発生した東ドロアの歌姫暗殺事件の影響で一触即発の状態になっていた。そんな中ルパンと次元は、秘宝・リトルコメットを盗むため、東ドロアのマランダ共和国大使館に潜入。無事リトルコメットを盗んだルパンだったが、直後に東ドロア警察が大使館に到着、ルパンと次元は街中に逃げ込むも、次元とルパンは何者かに狙撃されてしまう。アジトに逃げ込んだルパンと次元は、摘出した弾丸が歌姫暗殺に使用された弾丸と同じものだと気付き、郊外の墓地に向かう。そこには次元の墓が用意されており、次元は狙撃手の正体が、ターゲットの墓を事前に用意するヤエル奥崎という殺し屋だと知る。
次元は、自身がボディーガードをしていた歌姫の復讐を決意し、ヤエル奥崎のアジトに向かう。しかし、アジトで次元はヤエル奥崎に早撃ちの勝負を挑むも敗れてしまい、ルパンは次元を連れて埠頭に逃げ込むが、次元はヤエル奥崎に狙撃されてしまう。
【考察】
近年のコミカルなルパン三世とは一線を画す作風で、非常にハードボイルドな作品としてまとまっている。キャラ絵も普段のアニメシリーズとは大きく異なり、また必要以上にルパンや次元が焦るような、キャラクターの「隙」に思われる描写が少なめで、同じような内容の脚本で実写も出来るのではないかと感じた。しかしながらヤエル奥崎と次元の早撃ちやカーチェイスのシーンなど、アニメでしか出来ない動きの表現も多く、観客が観ていて飽きないアニメのアクションの動きの見せ場もあり、更に上映時間が短い作品でもあるため、終始ハードボイルドで大人びた『ルパン』の作品として仕上がっている。ルパンらしいコミカル要素やお色気要素もそちらはそちらで確保してあるため、ルパンらしさが決してない訳ではない。
舞台設定としては、シリーズを通して第二次世界大戦~冷戦に似た舞台が描かれることが多いことが分かってきた。
20.『LUPIN THE ⅢRD 次元大介の墓標 後編』(劇場用スピンオフ作品)(2014年)監督:小池健
【概要・あらすじ】
本編は1本で1時間の上映作品だが、レンタルDVDでは前編と後編に分けられている。
クラブ・ロンドのオーナーに捕まっていた不二子はその場で見世物にされるが、そこに現れたルパンに助け出され脱出する。ルパンは不二子が盗み出したカラミティファイルを見ると、そこには歌姫や次元など、東ドロア政府がヤエル奥崎に命令した暗殺対象者のリストが書かれていた。東ドロア政府はヤエル奥崎を雇って、自国に不利益となる他国のスパイや政財界の要人を秘密裏に暗殺しており、カラミティファイルはその暗殺指令書であった。ルパンが不二子を連れて墓地に向かうと、そこには新たにルパンと不二子の墓が用意されていた。
翌朝、海沿いのカフェに姿を現したルパンを遠方の塔から狙撃するヤエル奥崎だったが、銃弾は外れ、彼は背後から何者かに狙撃される。
【考察】
ヤエル奥崎の射撃のトリックに関しては、初見で見破るのは少し厳しいと思われるが、前編の早い段階で伏線のカットが何度か登場する。しかし流れとしてはシンプルで、ヤエル奥崎の射撃のトリックをルパンたちが逆手に取り、出し抜いたことをネタバラシした時点で騙し合いは終了、次元がスピーディーにヤエル奥崎とのリベンジマッチに持っていくのも、観客を待たせずに楽しませる点だと考えられる。早撃ちの条件は相変わらず次元の方が不利だが、そのハンデを次元の驚異的なスキルを駆使した意外な方法で乗り越え、決め台詞にもカタルシスを感じる、男たちのロマンの塊のような、王道の一騎打ちを描いた物語だと考える。
全体的にルパンのジャケットや空などの青の彩度が高く、印象的に描かれている。ヤエル奥崎の白いスーツとの対比か。
21.『LUPIN THE ⅢRD 血煙の石川五ェ門 前編』(劇場用スピンオフ作品)(2017年)監督:小池健
【概要・あらすじ】
『ルパン三世』のスピンオフ劇場用作品『LUPIN THE IIIRD』シリーズ第2作。こちらも前作と同じくPG12指定のレイティングがされている。
剣術の腕を買われた五ェ門は、ヤクザ・鉄竜会の組長の用心棒として雇われていた。不遜な五ェ門に幹部たちは不満を抱くが、五ェ門は鉄竜会の運営する賭博船で他の組の襲撃から組長を守った。同じ頃、ルパンと次元は賭博船の金庫に侵入、先回りしていた不二子と出会い、ルパンと不二子は金を山分けすることにする。直後に船が爆発し、機関部に向かった五ェ門は斧で機関部を破壊する大男に遭遇。大男を追い詰めて目的を尋ねると、ルパン・次元・不二子を殺すことだという。隙を突かれて五ェ門は大男を逃がし、更に組長が爆発に巻き込まれて死んでしまう。
翌日、爆発現場に銭形が現れ、大男の行方を尋ねる。大男について訊かれた銭形は、「バミューダの亡霊だ」と答える。同じ頃、組長の葬儀に現れた五ェ門は、彼の息子に用心棒の務めを果たせなかったことを詰められ、仇を討つと誓う。一方、ルパンたちはアジトで祝杯を挙げていたが、バミューダの亡霊・ホークに襲撃されてしまう。そこに五ェ門が現れ、ホークに戦いを挑む。しかしホークは五ェ門の太刀を見切って受け止め、いとも容易く彼を弾き飛ばす。ホークは五ェ門を無視してルパンたちを殺そうとするが、そこに銭形が駆け付けてルパンたちは逃走。ホークは「眠気には勝てない」と呟いて無抵抗のまま銭形に逮捕される。
【考察】
前作の『次元大介の墓標』と同じくハードボイルド調で、因縁の強敵にリベンジを誓うという構図も似ており、次元にとってのヤエル奥崎と同じく、あの五ェ門が敵わないというシリーズでもトップクラスの強さを誇る敵のホークが登場する。ただ構図は似ているものの雰囲気はやや異なっており、五エ門の人間離れした動きを主体にするとなると、かなりアニメ的、言うなればファンタジー的な空気が入らざるを得ない。前作の「実写も向いてそう」という意見は今作には出ないだろうと考えられる。
また、舞台がそもそも日本であるなど、全体的に彩度が低く和の雰囲気が散りばめられている。それが却ってアメリカ人風の容姿であるホークの異質さを際立たせていると考えられる。
展開も次元と同様、五エ門が得意であるはずの居合いが通用しない相手にどう勝つのかに観客の注目が集まるようになっている。
22.『LUPIN THE ⅢRD 血煙の石川五ェ門 後編』(劇場用スピンオフ作品)(2017年)監督:小池健
【概要・あらすじ】
本編は1本で1時間の上映作品だが、こちらも『次元大介の墓標』と同じくレンタルDVDでは前編と後編に分けられている。
ホークに敗れて誇りを失った五ェ門は、腕を磨くために修行を始めるが、彼に敗れたことがトラウマとなり刀を抜けなくなってしまう。一方、銭形はホークを釈放するよう圧力をかけられる。そのまま局長室を出た銭形の元にホークが脱獄したという報告が入り、追跡を開始する。ホークは追手のを振り切って逃走するが、出くわした銭形にバイクを撃たれ、崖下に転落。しかし、無傷で立ち上がり、ルパンたちを殺しに向かう。ルパンと次元は五ェ門の修行を途中まで見守っていたが、ルパンは彼の修行が完遂間近なことを悟り、五ェ門の前から姿を消してホークの情報を集めるため銭形に自首する。
五ェ門は修行を終えて満身創痍の状態で鉄竜会の組員たちと出くわし、組長の息子から用済みと判断され、幹部からリンチを受ける。その中で第六感が開眼した五ェ門は、鉄竜会の組員50人を次々と斬り捨て、ホークから手を引くことを認めさせる。一方、ホークの襲撃を受けたルパンと次元は銭形の元から逃げ出し、山奥の古寺に逃げ込む。ホークはルパンと次元を追い詰め止めを刺そうとするが、そこに五ェ門が到着。五ェ門はホークに一騎打ちを挑む。
【考察】
後編序盤の五エ門修行シーンは前作の『次元大介の墓標』と比べると、ハードボイルドで纏めるには難しい程のファンタジーであり、五エ門が苦悶の表情で大真面目に修行しているため笑いこそ起きないものの、作品全体の雰囲気を統一させるのは難しかったのではないかと推測される。銭形とルパンのやり取りや会話劇はシリーズの中でもかなりシリアスな部類になるが、端々にある『ルパン三世』シリーズらしいコミカルさも決して失われてない。
ホークと五エ門の一騎打ちの構図は『墓標』とかなり似ているが、ホークが山寺を斧で倒壊させるなど、戦いの規模感が非常に大きく豪快である。
前作の『墓標』では空などの青が印象的に描かれていたが、今作では全体的に空は曇り、もしくは雨が降っていることが多い。キャラクターの色合いとして五エ門は無彩色中心、ホークは赤いシャツに青いジーンズ、金髪と色が鮮やかであることからか、あるいは五エ門が返り血を浴びることから、無彩色の世界にタイトルにもある血の赤を映えさせるためかと考えられる。
23.『この世界の片隅に』(アニメ映画)(2016年)監督:片淵須直
【概要・あらすじ】
こうの史代氏の同名の漫画を原作とするアニメーション映画。本作品は第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞、第41回アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門審査員賞、第21回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞など、数多くの賞を受賞している。
昭和19(1944)年2月、18歳のすずは広島から軍港のある呉の北條家に嫁ぐ。戦時下、物資が徐々に不足する不自由さの中、すずは持ち前の性格で明るく日常を乗り切っていたが、翌年の空襲によって大切なものを失う。広島への原子爆弾投下、終戦。それでもすずは自分の居場所を呉と決め、生きていく。
【考察】
描く世界観の規模は家庭の域を出ることはほとんどないものの、その背景に戦争が影響していることをひしひしと感じられる作品となっている。時代が違えば単なるほのぼのとした日常系の作品になるであろう。当時の生活に非常に丁寧に肉薄した描写力が圧巻である。すずは18歳で呉に嫁いだ身であるため、食事を始めとした家庭を守ることを念頭に置いているためか、原作の一部の台詞が食事関係に変更されていたりする。
代表的なのが玉音放送を聞いた後のすずの台詞は、原作では日本は暴力で従えてきたから自分たちも暴力に屈しなければならないのかという内容だが、映画版では海の向こうの国で得た食料で体が作られているから暴力にも屈しなければならないのかという内容に変わっている。
すずは戦争という厳しい状況でも、めげずに明日も明後日もその次も、家庭を守って生きていかねばならないという、柔らかい強さを感じられる作品となっている。
24.『空の青さを知る人よ』(アニメ映画)(2019年)監督:長井龍雪
【概要・あらすじ】
本作はアニメ監督の長井龍雪、脚本家の岡田麿里、キャラクターデザイナーの田中将賀で結成されたアニメ制作チーム「超平和バスターズ」によるオリジナル作品を原作とした『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』、『心が叫びたがってるんだ。』とともに三部作として位置付けられており、前2作同様に埼玉県秩父市周辺が舞台として設定されている。
高校2年生の相生あおいは、秩父市の山あいに31歳の姉のあかねと二人で暮らしている。二人の両親は13年前に他界。当時高校3年生だったあかねは同じ高校でバンドのギター担当だった金室慎之介(しんの)と交際していたが、一緒に東京に出るという約束を断念して地元の市役所に就職、あおいを育てる傍ら独身を貫いていた。あおいは高校を卒業したら東京に出て働きながらバンドをすると決めており、放課後は一人でベースの練習に明け暮れる日常だった。そんな姉妹の住む地区で、大物演歌歌手である新渡戸団吉を呼んで音楽祭を開く話が持ち上がる。仕掛け人は、あかねと幼馴染で同じ市役所に務める中村正道。正道は慎之介のバンド仲間でドラム担当でもあった。離婚歴のある正道はあかねに気があり、あおいにもそれをほのめかしていた。
ある日、あおいが近所のお堂でベースの練習をしていると、13年前のしんののような高校生が突然現れる。
【考察】
お堂に表れる過去の姿をしたキャラクターであるしんのは、あだ名があることも相まって『あの花』のめんまの要素を感じられる。その願いを叶えようと主人公が奮闘するという流れも、類似点と言って良いかもしれない。
画的な動きはそこまで大きくはないが、終盤までの動きの少なさを埋めるためか、終盤でしんのとあおいが共にダイナミックに空を飛んでいくシーンがある。
内容としては一定の年齢以上の人に特に刺さりそうな内容だと思われる。
将来に夢を見てキラキラ輝き、不安にも揺れる思春期のあおいやしんのの世代と、現実を知ってやさぐれ、夢半ばで諦めてしまった慎之介の世代の両方の背中を押すような作品だと考えられる。お堂から出られないしんのは、井の外に出ようとするも外の世界を恐れている蛙のようだと考える。
25.『きみと、波にのれたら』(アニメ映画)(2019年)監督:湯浅政明
【概要・あらすじ】
本作は、2019年度アヌシー国際アニメーション映画祭長編コンペティション部門正式出品作品、第22回上海国際映画祭 金爵賞アニメーション最優秀作品賞、第52回シッチェス・カタロニア国際映画祭長編アニメーション部門最優秀賞を受賞している。
向水ひな子は、幼少期を過ごした海辺の町にある大学に進学し、一人暮らしを始める。サーフィン好きな彼女は、自宅近くの海岸で連日波に乗る生活を送っていた。そんなある日、近くの廃ビルで上げられていた無許可花火の火の粉が原因で、ひな子の住むマンションで火災が発生、逃げ遅れたひな子は屋上からはしご車によって救出された。その消防隊員である雛罌粟港とひな子は後日サーフィンのデートを楽しみ、親密な関係になる。だが、雪の朝、一人でサーフィンに行った港は、水難者を助けようとして命を落としてしまう。港の死を受けて海から離れた場所に転居したひな子の元に、港の妹の洋子と後輩消防士の川村山葵が訪れ、職場にあった港の遺品を渡した。その中に港のスマートフォンがあったもののひな子はパスワードを知らず、画面は開けなかった。そんな矢先、ひな子が以前港と口ずさんだ歌を歌ったところ、近くの水の中に港が幻のような姿で現れる。
【考察】
画面の動きとしては湯浅監督特有の自由な動きはあるものの、内容が王道のラブコメディの部分が強いため、その動きが活かせる場面は少ないのではないかと思われる。港とひな子が交際を始めてから共に過ごす恋愛のシーンがかなり長めに設定されており、二人がいかに親密だったかを観客に伝えるためだと思われる。水の中に表れる港の動きは湯浅監督の動きを感じられるが、そこまで大きく水が動く場面は少ない。
内容としては、死別した港にいつまでも囚われることなくひな子が自分の力で前に進むための物語であり、港とひな子の生前のデートパート、幻と共に過ごすパート、ひな子が前に進むために動き出すパートと大まかに3つに分かれている。
港の幻が水中に表れる条件は、ひな子が港と生前よく共に歌っていた曲を口ずさむことなのだが、この歌はGENERATIONS from EXILE TRIBEが歌う『Brand New Story』という曲である。そして、港役を務めた声優がGENERATIONS from EXILE TRIBEに属する片寄涼太氏である。恐らくタイアップであることが推測される。
港の幻の姿はひな子にしか見えないため、ひな子が港の死のショックのあまり見ている幻覚の可能性もあったが、港の幻が操る水は現実世界にしっかりと干渉しているため、確かに存在はしているようである。
全体的な色使いの彩度は明るく、はっきりとした色使いが印象的な作品である。
26.『つみきのいえ』(アニメ映画)(2008年)監督:加藤久仁生
【概要・あらすじ】
2008年に発表された加藤久仁生監督による日本の短編アニメーション映画で、仏題は『La maison en petits cubes』。
アカデミー短編アニメ賞を受賞した初の日本映画でもある。
海面が上昇したことで水没しつつある街に一人残り、まるで積み木を積んだかのような家に暮らしている老人がいた。彼は海面が上昇するたびに、上へ上へと家を建て増しすることで難を逃れつつ、穏やかに暮らしていた。ある日、彼はお気に入りのパイプを海中へと落としてしまう。パイプを拾うために彼はダイビングスーツを着込んで海の中へと潜っていくが、その内に彼はかつて共に暮らしていた家族との思い出を回想していく。
【考察】
家の床の中央に四角い穴が開いており、そこから釣りが出来るようになっているのだが、老人はここにパイプを落としてしまう。これによって、彼はかつての家の内装を見ながら水底へと潜っていけるという構図になっている。水面が上昇するにつれて、生活に必要な家具は上の階層に運び込まれるが、必要のなくなった家具はそのまま部屋の中に置かれた状態になっており、その時から時が止まったままのようになっている。現在から逆回しに徐々に思い起こされていく過去の流れが非常に自然で、穏やかな過去の遺物が海面の上昇に追われて海の底に沈んでいるという現在に寂寥感を覚える作品である。
27.『紅の豚』(アニメ映画)(1992年)監督:宮崎駿
【概要・あらすじ】
宮崎駿監督の長編アニメーション映画第6作。
ファシスト政権が統治する戦間期のイタリア。かつて人間だった頃にはイタリア空軍のエースだった、深紅の飛行艇を操る豚のポルコ・ロッソは、アドリア海の小島に隠棲し、空賊退治を請け負う賞金稼ぎとして暮らしていた。ある晩昔馴染みのジーナが営むホテルを訪れたポルコは、米国製の飛行機を操るアメリカ人カーチスに出会う。カーチスは空賊連合が雇った用心棒だった。彼はポルコを撃墜して名を挙げたいと考える。
しばらく後、ポルコはカーチスと遭遇し撃墜されてしまう。ポルコは大破した艇をミラノの工房ピッコロ社に持ち込むが、おやじの孫でまだ17歳の少女フィオが共同で修理に当たるという。ポルコは不安に思うが、フィオの熱意にほだされて愛機を任せる。
政府に非協力的なポルコはミラノでも秘密警察や空軍に追われる。警告に来たかつての戦友から空軍への復帰を薦められるもポルコは首を縦に振らない。やがてフィオの献身によって飛空艇は復活し、人質の建前でフィオを乗せた飛空艇は秘密警察を振り切って離陸。
ポルコがアドリア海の隠れ家に帰還すると、空賊連合とマンマユート団が待ち受けており飛空艇を叩き壊そうとするが、フィオは毅然とした態度で空賊達を一喝。その場に居合わせ彼女の様子を見て一目惚れしたカーチスは、ポルコとの勝負でカーチスが勝利を収めた暁にはフィオを嫁にもらうという条件で結婚を申し入れ、フィオはポルコが勝利した場合は飛空艇の修理代全額をカーチスが負担するという条件で承諾。困惑するポルコをよそに、フィオの運命をかけた決闘が取り決められる事態となった。
【考察】
男同士の決闘や空賊などが出現するが、ポルコが豚になって以降の現在軸では非常に戦いは、誰かが死傷するような事件や事故もなく、とても平和的なのが特徴的である。人死にが出るのはポルコが空軍に所属して戦争に出ていた頃の話のみである。戦争による被害は嫌いだが、使われる兵器はかっこいいし扱いたいという監督のジレンマが感じられる。実際に武器を使うも死傷者が出ない作風になっているのは、監督なりにひたすら男のロマンのみを追求した形なのだろうと推測する。
ポルコが何故豚になってしまったのかははっきりと明かされないが、空軍時代は人間だったこと、フィオと過ごしたり、頬にキスをされたりした後に人に戻ったような描写を見ると、空軍時代に仲間を喪い一人だけ生き残ってしまった罪悪感と、それを誰にも共有できない孤独感が原因ではないだろうかと考察する。
28.『君たちはどう生きるか』(アニメ映画)(2023年)監督:宮崎駿
【概要・あらすじ】
タイトルは吉野源三郎氏の同名小説に由来しているが、原作ではない。
太平洋戦争中、眞人は実母のヒサコを火災で失う。父親の勝一は妻の妹である夏子と再婚し、眞人は母方の実家へ疎開する。屋敷の近くには青サギが住む塔が建っていた。眞人は夏子から、塔は大伯父によって建てられ、その後大伯父は塔の中で忽然と姿を消したこと、大水が出たときに塔と母屋をつなぐ通路が落ちて迷路のようなトンネルが見つかり、危なかったので入り口が埋め立てられたことを告げられる。
転校初日、眞人は帰り道で地元の少年らから暴行を受け、その後眞人は道端の石で自分の頭を殴って出血を伴う大ケガをし、屋敷で手当を受ける。翌朝、つきまとう青サギを退治しに木刀を持って庭の池の淵に出た眞人は、人の言葉をしゃべる青サギから母親は生きていると告げられ、操られた魚やカエルたちに全身を包み込まれかけたが、眞人を探しに来た夏子とばあやたちに助けられる。
眞人は母親に似た夏子を受け入れられず、見舞いに訪ねるもそっけない態度をとってしまう。ある日眞人は、砕けた木刀の代わりに弓矢を自作していると、ふと屋敷の窓から夏子が森の中へと消えていく姿を見かける。自室に戻るとヒサコが眞人のために残した吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』を見つけ、それを読み進めるうちに涙を流す。その日の夕暮れ、夏子の失踪に屋敷中が大騒ぎになる中、眞人は使用人のばあやキリコとともに、夏子を探しに森へ入ると塔の裏口に辿り着き、青サギの声に促されるまま足を踏み入れることとなる。
【考察】
キーワードは「悪意」ではないかと思われる。
人間と言う生き物は意識的にしろ無意識にしろ悪意を持っており、そんな悪意に満ちる世界で君はどのように生きるかを、作品を通して監督が観客に問いかけて来る作品だと考えた。眞人は自身が父や夏子たちに心配されることを見越して、自身で自分の頭を石で傷つけてしまう。夏子のことを新たな母として認めることが出来ず、どうにもそっけない態度をとってしまうのも眞人の悪意を示している。大叔父が石を積んでおり、その石を積む任を眞人に託そうとする。しかし、眞人は自分自身の悪意を自覚したことでその任を辞退した場面から、上記のように考察した。
眞人は異世界で手に入れた石の1つをポケットに入れて持ち帰ってきてしまう。青サギは眞人が石を持っていることを知ると、本当は異世界での不思議な経験なんてすぐに忘れてしまうこと、石を持っていれば忘れる速度が緩やかになることを告げる。何となく、宮崎監督が自身の作品を石、観客のことを眞人にも比喩しているのだろうかと考えた。
29.『千年女優』(アニメ映画)(2002年)監督:今敏
【あらすじ】
芸能界を引退して久しい伝説の大女優・藤原千代子は、自分の所属していた映画会社「銀映」の古い撮影所が老朽化によって取り壊されることについてのインタビューの依頼を承諾し、それまで一切受けなかった取材に30年ぶりに応じた。千代子のファンだった立花源也は、カメラマンの井田恭二と共にインタビュアーとして千代子の家を訪れた際、インタビューの前に千代子に小さな箱を渡す。その中に入っていたのは、古めかしい鍵だった。そして鍵を手に取った千代子は、井田に何の鍵なのかを尋ねられると、鍵を見つめながら「一番大切なものを開ける鍵…」と小声で呟いた。
【考察】
今監督特有の、現在の現実と回想の虚構が融合した世界観は同監督作品の『パプリカ』を思わせる。『パプリカ』よりもある程度現実と虚構の区別がつきやすくなっている。
物語の終盤で、千代子が発した台詞「だって私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」というのが印象に残っている。ある種予想通り且つどんでん返しのような台詞である。千代子の恋は、鍵の君に鍵を返そうとするところから始まったが、いつしかその相手が生きていようが死んでいようが、実在するかしないかももはや問題ではなく、追い続けているという今の状況そのものに恋をしているのだろうと考察した。初恋の記憶が美化され、千代子は追う恋に恋をし続け、カメラには追い続ける千代子だけが残され、それが永遠に残ることから千年女優というのではないかと考えた。
30.『リズと青い鳥』(アニメ映画)(2018年)監督:山田尚子
【概要・あらすじ】
武田綾乃氏による小説シリーズ『響け!ユーフォニアム』の中の一編の『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章』が原作となっている。
高校3年生のフルート奏者・傘木希美と、同じく高校3年生のオーボエ奏者・鎧塚みぞれにとって最後のコンクールの自由曲は『リズと青い鳥』である。この曲は同名の童話を題材にした作品であり、第3楽章にはオーボエとフルートの掛け合いがある。ある日の朝練にて、二人はそのパートを試しに吹いてみることになる。早く本番を迎えたいと希美が顔を輝かせる一方で、ずっと希美と一緒にいたいと考えているみぞれは「本番なんて、一生来なくていい」と呟く。
みぞれは卒業後の進路に特に何も考えられずにいたが、トレーナーの新山聡美に音楽大学のパンフレットを渡され、音大への進学を勧められる。そのことを知った希美は、自分もその大学を受けたいとみぞれに告げる。
オーディションを終え、正式に二人がソロを担当することとなるが、なかなか演奏が噛み合わず、顧問であり指揮者の滝昇から注意されてしまう。練習後、みぞれはトランペットパートの後輩・高坂麗奈から、希美のことが信用できていないのではないかと問いかけられ、動揺する。ソロのある第3楽章は、リズと青い鳥の別れが描かれるパートである。みぞれは青い鳥を希美に重ねており、リズがなぜ青い鳥を逃がしたのかを理解できずにいた。
【考察】
山田監督らしい足での心情描写が非常に多い。足のみでも微かな動作だけで、日常系作品の情報量の薄さを感じさせないほどの見どころが生まれている。
中盤から終盤に至るまで、希美とみぞれの2人がそれぞれリズと青い鳥、どっちがどっちの担当なのかが隠されており、誘導として希美が青い鳥、みぞれがリズであるかのように思い込まされるようになっている。実際はオーボエのみぞれが青い鳥、フルートの希美がリズの立ち位置になっている。リズが青い鳥を手放したのは、本来空を飛べるはずの青い鳥を自分の元で飼い殺しにするよりも、空で同じ鳥の仲間と過ごすべきなのではないかという、真に青い鳥の幸せを願ったゆえの行為だと分かる。2人はリズと青い鳥と同じようにそれぞれ別の進路を歩むことになったが、互いへの親愛の気持ちは変わらないことを確かめ合い、卒業までの期間を共に過ごすこととなる。
親愛のある相手と共に過ごすのは、例え双方が望んでいたとしても、それが双方にとっても最良の選択なのか? ということを考えさせられる作品だと考えた。
31.『雨を告げる漂流団地』(アニメ映画)(2022年)監督:石田祐康
【概要・あらすじ】
本作は、『ペンギン・ハイウェイ』『泣きたい私は猫をかぶる』に続くスタジオコロリドの長編劇場アニメ第3作目に当たる。
小学6年生の航祐と夏芽は、まるで姉弟のように団地で育った幼馴染。小学6年生になった二人の関係性は、航祐の祖父の安次の他界をきっかけにギクシャクし始めた。夏休みのある日、航祐はクラスメイトとともに取り壊しの決まった「おばけ団地」に忍び込む。その団地は、航祐と夏芽が育った思い出の詰まった家でもあった。航祐はそこで思いがけず夏芽と遭遇し、謎の少年・のっぽの存在について聞かされる。すると彼らは突然、不思議な現象に巻き込まれる。気づくと団地は大海原を漂流していた。過酷なサバイバル生活の中で子どもたちは力を合わせ、元の世界に戻るための旅に出る。
【考察】
のっぽ君はいわゆる取り壊された団地の付喪神のような存在で、団地が失われて悲しむ夏芽を笑顔にしようと、いつか流れ着く建物の付喪神たちの冥府に着くまで共に過ごそうとしていたのだろうかと推測する。
夏芽は団地を失うことをやや過剰に恐れており、漂流する団地が嵐で沈みかけている時にも、夏芽だけはのっぽ君を見捨てられず、一緒に沈んでも構わないというような言動まで行う。生まれ育って親しんだ場所を失うことは夏芽にとってそれだけ耐え難いことなのかと考えた。自ら滅びに向かう者を引き留めることは難しいことであるとも考えられた。別れというものはいつか必ず訪れる。手放すべき時がきたら、手放すべき時のタイミングで手放せないと危険なのがあぶない
32.『サイダーのように言葉が湧きあがる』(
アニメ画)(2021年)監督:イシグロキョウヘイ
【概要・あらすじ】
アニメ音楽レーベル「フライングドッグ」の設立10周年記念作品。監督は本作がアニメ映画初監督となるイシグロキョウヘイ氏が務めている。
地方都市、小田市に暮らしている少年と少女の物語。人との会話が苦手で、他人から話しかけられないようにとヘッドフォンをいつも身に付けている男子高校生のチェリー。彼は言葉に表わせない感情や想いを、趣味で親しんでいる俳句にしてSNSに投稿していた。一方で、歯科矯正中の大きな前歯を隠すため、いつもマスクをしている女子高校生のスマイル。彼女はライブ配信を手がける人気動画配信者で、日頃から目に留まった「カワイイ」を見つけて配信しながら過ごしていた。
夏休みに、趣味の俳句以外では思い浮かんだ心情を表現できないチェリーと、見た目の劣等感を受け入れられないスマイルは、地元の大型ショッピングモールで偶然出会う。互いに劣等感を抱えたふたりは、スマイルの配信を通じて少しずつお互いを知るようになり、距離を縮めていく。
夏休み中、チェリーはショッピングモールにある福祉施設のデイサービス陽だまりで腰を痛めた母親に代わってパートに出ていた。やがてスマイルも一緒にアルバイトをするようになり、施設の利用者のフジヤマが昔失くしてしまったという想い出のピクチャーレコード『YAMAZAKURA』を探すのを手伝うことになる。
【考察】
彩度が高くはっきりとした線で描かれた、CDジャケットのイラストのような独特な背景が特徴的。背景だけでなくキャラクターを含めて画面全体の彩度が高く、現代的な作品であることを感じさせる。話の展開としては非常に王道な恋愛もので、一般人にもウケが良さそうな作品である。
出合いの場はショッピングモール、離れた場所でのやり取りはSNSを使うなど、現代社会の地方都市のリアルなあるあるを恋愛模様に取り入れて描写している。
2人の仲に物語中に大きな動きがあるかと言われると終盤以外はそこまででもなく、緩やかに仲が進展していっているような感覚がある。
33.『言の葉の庭』(アニメ映画)(2013年)監督:新海誠
【概要・あらすじ】
新海誠氏の第5作目の劇場用アニメーション映画。
靴職人を目指す高校生の秋月孝雄(タカオ)は、雨の日の午前には決まって授業をサボり、庭園のベンチで靴のデザインを考えていた。梅雨入り前のある雨の日、タカオはいつものベンチへ向かうと、チョコレートをつまみにビールを飲む女性、雪野百香里(ユキノ)に出会う。タカオはユキノにどこかで会ったことはないかと尋ねるも彼女は否定し、『万葉集』の短歌 「雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか きみを留めむ」を言い残して去っていった。
その後、2人の住む関東は本格的に梅雨入りし、雨の日の午前だけのささやかな交流がはじまる。
【考察】
画として特徴的なのは、周囲の環境の色を反射光に入れて照り返しに色を付けている箇所である。新海監督作品は、背景を写真で撮ったもののように見せかけて、全て写真よりきれいな背景画像に仕上げている、映像表現にカメラのレンズの反射光のような光や、新宿御苑の周囲の緑を照り返してキャラクターに反映させる技法を使用した技法は新海監督特有の光の使い方である。
話の流れとしては前の『サイダーのように言葉が湧きあがる』よりも更に関係値の起伏は緩やかで、教師と生徒という関係なのもあり、この二人の間で劇的な何かはほとんど起こらない。穏やかで落ち着いた空気がしっとりとした空気が流れる。物語的な起伏はあまりなく、終盤にユキノがタカオの通う高校の先生だったことを知ってから、タカオがユキノのためにやや大きく動き出すが、それでもユキノいじめが何か解決するわけでもないのが実にリアルだと感じた。
ラストのシーンでは手ブレカメラと定点カメラの使い分けと、カメラレンズによって反射したような光を入れて実写化のようなリアルな表現を追求しているように見えた。
【概要・あらすじ】
五十嵐大介氏作の同名の漫画が原作で、それをアニメ映画化した作品。
自分の気持ちを伝えることが苦手な中学生の安海琉花は、夏休み初日に自身の所属するハンドボール部で問題を起こし、学校で居場所が無くなってしまう。家でも居場所のない孤独な彼女は父が働く水族館を訪れるが、そこでジュゴンに育てられた2人の少年に出会う。海の中で暮らしてきた彼らは長時間陸で活動出来ない特異体質を持っており、水族館で保護されていた。彼らと過ごすうちに、琉花は世界中で起こる不思議な出来事に巻き込まれていく。
【考察】
まず映像がとにかく美麗な印象を受けた。水中や魚のリアルさや、原作の絵柄特有の人物の瞳や、海辺の風景の色彩など、最初に印象に残るとすれば映像表現の美しさが挙げられると思う。
言葉でコミュニケーションを取ることの難しさが主題になっていて「一番大切な約束は、言葉では交わさない」というテーマがあり、特に後半の祭りの儀式の場面は言語化が難しい程の圧倒的な情報量で溢れかえっている。観客には世界観の言語での説明はかなり少なく、最後まで観ても考察をしても答えがはっきりと分かるものは多くない。
事象は海、それを捉えて表現する言葉が船に例えられ、奔流を全て捉えきることは到底不可能だが、それでも言葉を尽くすことも重要であることが表現されている。世界観の規模感がかなり大きめなのも特徴で、自然現象や宇宙の事象が描写されており、現状の人間の知識では答えが出ないこと、そこに無理に答えを見出そうとすることがナンセンスであることを表現しているようにも感じられた。監督の「答えは出ないことが答え」という言葉にもあるように、この作品は意味を見出して答えをあれこれ考えるよりも、映像や音楽で表現された世界をそのまま感じ取る観賞の方が合っているように考えられる。
2.『PERSONA3 THE MOVIE #1 Spring of Birth』(アニメ映画)(2013年)監督:秋田谷典昭
【概要・あらすじ】
ATLUS社から2006年に発売されたゲーム『ペルソナ3』を四部作で映画化した作品の第1部。
ゲームのスタートである4月から6月辺りまでのメインイベントを、映画内容に組み込んで構成されている。
主人公である高校2年生の結城理は、家庭の事情で小中高一貫校である月光館学園の高等部に編入することになる。学生寮に入寮して間もなく結城は異形の怪物・シャドウに襲われ、秘められていた「ワイルド」のペルソナ能力を覚醒させる。それがきっかけで、結城はこの世界には1日と1日の挟間にある隠された時間、影時間があり、街は動きを止めて人々はオブジェへと姿を変えることを知らされる。そこにはびこる異形の怪物、シャドウに対抗できるのはペルソナという特殊な力を持つ者だけだった。潜在能力を認められた結城は勧誘を受け、同じペルソナ使いたちで構成された特別課外活動部へと引き入れられる。彼らはそれぞれの目的のため、影時間を消滅させるべく影時間にのみ出現するダンジョン、タルタロスへと潜って影時間の真相を追っていく。
【考察】
主人公の名前はゲームではプレイヤーが自由に決められるが、映画版では「結城理」という名前が使われている。同作ゲームのポータブル版では女性主人公版も存在するが、映画では女性主人公は登場しない。ゲームではプレイヤー=主人公という構図になっているが、映画では一人のキャラクターとして、観客は結城を客観的で俯瞰的な視点で捉えられるようになっている。ある程度はゲームとも一致するが、序盤の結城は人間的な感情や人間味がかなり希薄なキャラクターとして描写されており、口癖が「どうでもいい」で、「死ぬってそんなに怖いこと?」という発言など、生きることや人間関係への意欲や活力が欠落している。しかし、特別課外活動部で仲間と協力してシャドウを倒すことの経験を経て、徐々に仲間や友達、協力することの重要性を知り、人間的に少しずつ成長していく過程が描かれる。仲間と共に戦うことで生まれる連帯感や、死んだらどうでもよくないという理由が受動的とはいえ生まれたことで、人間として最低ラインである生きる理由が保証され、今作の結城は人間らしく生きることのスタートラインに立ったと言える状態になったと考えられる。
結城の人間性が欠落している理由についてはゲーム同様この段階では明らかにならず、初見ではなぜ結城がこんなに無気力なのか、推測は可能なもののはっきりとは分からないようになっている。幼少期に両親を事故で亡くしていることは分かるので、これ以上大切な誰かを作ることで、無意識にその後の喪失を恐れているのではないかということは推測出来る。映画版は結城というキャラクターの人物像が明示され、仲間の大事さや結城の成長を描写して観客に客観的に理解させることに重きを置いている作品であることが考察される。
3.『PERSONA3 THE MOVIE #2 Midsummer Knight's Dream』(アニメ映画)(2014年)監督:田口智久
【概要・あらすじ】
ATLUS社から2006年に発売されたゲーム『ペルソナ3』を四部作で映画化した作品の第2部。
前作の続きである6月から10月初め辺りまでのメインイベントを、映画内容に組み込んで構成されている。
ペルソナ使い数名が新たに覚醒し、特別課外活動部(通称S.E.E.S.)に徐々に加入し始め、活動が活発になっていく中で、結城たちは毎月の満月の夜に顕現する、強力な敵である大型シャドウを12体撃破すれば影時間が消滅することを知る。影時間の消滅を悲願とする仲間は大型シャドウ撃破に邁進するが、結城は影時間が消滅すれば特別課外活動部としての活動もなくなってしまい、自分は加入前の無気力な人間に戻ってしまうのではないかと恐れ、影時間を消滅させたくないという仲間たちとは相反する願いを抱えたまま戦いに臨むことになる。
【考察】
前作『#1 Spring of Birth』の続編として作られた作品であり、引き続きゲーム本編の流れを追う形で話が進んでいく。今作は前作の4月から6月に比べて進みが6月から10月とかなり速い上、新規メンバーの加入イベントや影時間についての新たな情報、敵対するペルソナ使いの存在など、物語としても外せない重要な場面が非常に多いため、やや急ぎ足な印象を受ける。今作では結城は前作と比べてかなり人間らしくなっており、仲間に対しても積極的に歩み寄ろうとする姿勢を見せる。しかし、今作の後半では特別課外活動部が終了するかもしれないことを受け、影時間消滅と特別課外活動部存続というジレンマの中で戦いに挑むことになる。
特別課外活動部を存続させたい結城の判断の迷いによって大型シャドウの撃破が遅れた結果、今作の終盤で加入メンバーの1人である荒垣真次郎が影時間に命を落とすという展開になる。この事件が、後の映画版での結城の成長に大きく影響する出来事となるが、ゲームではこの荒垣の死亡イベントは避けられるものではなく、またプレイヤーが原因で起こる・阻止できるイベントでもないため、ゲームでプレイヤーが自責の念に駆られることはあまりない。しかし、メンバーの死にショックを受けるプレイヤーも決して少なくないイベントでもある。オーディオコメンタリーにて、監督は結城に罪悪感を抱かせるために結城の迷いの描写を入れたと語っている。
特別課外活動部で充実した生活を送っていた結城だが、その活動の正当性やエゴ、そして命について考えさせられる展開になっていると考えられる。
影時間を消滅させようとすることは本当に良いことなのか、特別課外活動部の活動は生活の充実の一部として捉えて良いほど生ぬるいものなのかなどを結城に問いかける構図で、知らず知らずの内に特別課外活動部という居場所に抱いていた甘さを、メンバーと共に痛感させられる展開になっている。
仲間や友人を持ち、共に過ごすことの楽しさや喜びと、それらはあくまで永遠に続くものではなく、いつか、あるいはある日突然失われてもおかしくないという、儚く尊いものでもあるというメッセージがあるのではないかと考えられる。
4.『ルパン三世 ルパン暗殺指令』(単発テレビアニメ)(1993年)監督:おおすみ正秋
【概要・あらすじ】
アニメ『ルパン三世』のTVスペシャルシリーズ第5作。
ルパンと次元はとある仕事でミスを犯し、アジトを警官隊に包囲されてしまう。しかしそこに現れた銭形は警官隊を解散させると単身で乗り込んでくる。訝しがるルパンを後目に、銭形は自身がルパンの専従捜査官を解任されたことを明かす。銭形に替わってルパン捜査に就いたのは、傭兵あがりで捜査対象を殺すことも厭わないことで知られるキース・ヘイドン捜査官であり、銭形は謎多き武器密売組織「ショットシェル」の壊滅捜査を命じられたとのことであった。銭形を哀れに思ったルパンは「ショットシェル」から大金を盗み、ついでに壊滅させる計画を立てる。銭形はルパンの大金強奪計画を知らず、純粋に自分のためにショットシェルを壊滅させようとしていると感謝してルパンに協力する。
【考察】
前作の『ルパン三世 ロシアより愛をこめて』も冷戦を中心にした内容だったが、ロシアや原子力潜水艦、核関連兵器の技術者や各国の軍事力競争など、冷戦を思わせる要素が多く散りばめられており、冷戦の終結は1989年で作品放送が1993年なので、社会情勢を意識したタイムリーな内容であったと思われる。構図としてはルパン一味+銭形、ルパンの暗殺を請け負うキース、次元の殺害を目的とするカレンの三つ巴になっているが、核関連兵器の技術者でもあるカレンは原子力潜水艦を悪用されないようにするため、概ねルパン側に協力的である。今作のゲストヒロイン的存在でもある彼女だが、最終的にはキースの銃の乱射によって命を落とすことになる。ゲストヒロインが死ぬのはTVスペシャルシリーズの中で第一作の『ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発!』でもあった展開である。カレンが死ぬ展開になったのは、勘違いとはいえ自分とは復讐する理由のない次元に復讐しようとしたためとも考えられるが、次元の過去に因縁があるゲストヒロインは死ぬ確率が高く、今後のテレビシリーズに因縁を引きずらないためとも考えられる。
5.『船を編む』(実写映画)(2013年)監督:石井裕也
【概要・あらすじ】
原作は三浦しをん氏による同名の小説。
1995年、玄武書房で38年辞書一筋の編集者・荒木公平が定年を迎えようとしていた。荒木の仕事ぶりに惚れ込む辞書監修者の松本朋佑教授は引き留めようとするが、「病気の妻を介護するため」という荒木の意志は堅い。急遽、社内で荒木の後任探しが始まる。なかなかめぼしい人材が見当たらない中、荒木の部下・西岡正志が密かに社内恋愛で同棲中の三好麗美から言語学部の院卒で変人と噂される馬締光也の情報を仕入れる。名字の通り性格は生真面目だがコミュニケーション能力に著しく欠ける馬締は社内でも浮いていた。一方で言葉に対する卓越したセンスを持ち合わせ、「右」を定義せよという荒木の質問に合格。松本が熱意を燃やす新しい辞書『大渡海』の編纂を進める辞書編集部に異動となる。
【考察】
辞書編纂そのものだけではなく、編纂に関わる人々やその想いに焦点を当てて描写された作品であると考えられる。1995年という時代設定がされている理由としては、ネット関連の語彙が大量に増え始める時期であるためだとされる。一冊の辞書を出版するに当たっての一連の流れを追って話が展開されていくが、編纂の初期と終盤で関わってくる人々が移ろい、言葉もどんどん増え、編集者たちの生活も大きく変化していく。作中でかなり長い時間が経過した作品だ思われる。初期の編纂に関わった人が出版される頃にはこの世にいないことも不思議ではなく、辞書編纂に人生の長い時間をかける想いとその過酷さ、静かな覚悟を感じられる作品である。
作中では馬締が何度も海中に溺れるようなシーンがイメージ映像的に流れるが、これは言葉は海の水のように無数に存在し、その言葉の意味を出来る限り捉えて、表現したいことや伝えたいことを支える、言葉の海を渡る舟を辞書に準えていると推測する。『海獣の子供』と共通する世界観やイメージを持っているように考えられた。
6.『モノノ怪 鵺』(テレビアニメ)(2007年)
【あらすじ】
京の街にある屋敷では、香道・笛小路流の家元・瑠璃姫の婿を選定するために、聞香が行われていた。聞香には4人の婿候補が招待されていたが、参加者の一人である実尊寺が現れない。そのため、3人の参加者と、モノノ怪を探しに来た薬売りが飛び入りで参加し、その4人で聞香が行われることとなる。
【考察】
独特の世界観、絵柄や映像表現がかなり強烈に印象に残る作風のアニメである。特に今回の話では、聞香をした際、香りを絵で表現するに当たって、もともと寒い冬の雪景色で全体的に彩度の低かったが、香りを聞いた瞬間背景が一瞬で明るい色に変化することで表現しているのが印象に残った。人の情念とあやかしの両者が組み合わさることでモノノ怪となるとあるため、物語としては怪異譚の中でもいわゆるヒトコワのものと、本当の怪異としてのホラーが組み合わさったようなジャンルであると考えられる。欄奈待、通称東大寺と呼ばれる香木を欲しがっていた婿候補たちだが、その香木に狂わされ、自分たちが死んだことに気づかないまま聞香を行い、手に入りもしない香木を求め、評判を呼んで次々と犠牲者を出していたことが分かるようになっている。人の情念がベースとなって顕現するモノノ怪が多いが、今回はあやかしが主体となっていたケースであると考えられる。悪さをするモノノ怪を薬売りが退治したという、シンプルかつ構図的にはかなり王道な物語展開になっている。
薬売りと犬だけは彩度が通常と同じく設定されており、これは屋敷の中でこの二人だけが生者であることも示していると考えられる。
7.『モノノ怪 のっぺらぼう』(テレビアニメ)(2007年)
【あらすじ】
佐々木家に嫁いだ娘であるお蝶は、一家を惨殺した下手人として死罪になり、牢屋に閉じ込められていた。薬売りは事件の原因がモノノ怪によるものだと考え、お蝶のいる牢屋の中に出向く。淡々と自分の罪を受け入れるお蝶に対し、薬売りはその詳細について、のらりくらりとした調子で繰り返し問うたあと、「私はね、あなた一人で殺ったんじゃないと思ってるんですよ」と切り出すのだった。
【考察】
話の規模感がかなり小さめで登場人物も少なく、舞台もほとんど動かないため、会話劇で徐々に謎が解き明かされていくような話の構成となっている。実際にお蝶が一家を惨殺したのかと考えるとその可能性は低く、実際は妄想の中でお蝶が一家惨殺を想像しているだけであり、それこそがお蝶自信を押し殺している状態なのだと考えられる。牢屋の中にいる状態のお蝶は、一家惨殺なんて妄想をしてはいけないという心理状態、狐面の男に牢屋から連れ出されて求婚される場面のお蝶は、自己を抑圧し妄想に留めた自分を正当化している状態だと考察する。母から名家の嫁に行くことを切望されてきたお蝶の行き場のない気持ちがのっぺらぼうを生み出していたが、薬売りがのっぺらぼうを退治したことによって、お蝶が佐々木家を出るという新たな選択肢を取るためのはじめの一歩へ背中を押す結果になったのではないかと思われる。
8.『モノノ怪 座敷童子』(テレビアニメ)(2007年)
【あらすじ】
ある雨の日、万屋という宿屋に志乃という身籠った女性が訪れた。万屋の女将は、面倒なことに巻き込まれたくないという思いで、志乃に部屋がない旨を話して彼女の宿泊を断るが、志乃はこのままでは腹の中の赤子もろとも殺されてしまうと必死に女将に頼み続ける。女将は根負けして、客室ではない部屋に志乃を泊めることにした。しかし、志乃が泊まった部屋では、何やら奇妙なことが起こり始める。
【考察】
後味の悪さはそこまでなく、比較的穏やかな結末を迎えたエピソードだと思われる。黄色のだるまや座敷童子は志乃のお腹の中にいる子供を表現している。内容が内容であるためやや比喩的な表現が多く使用されていると思われるが、それでも背景は壮絶で中和されているようには感じられない。赤い布がへその緒、座敷童子が赤子たちの魂、だるまは恐らく赤子の骨を入れた入れ物なのだろうと推測される。志乃の外見が金髪碧眼と明らかに白人風の見た目をしているところから、だるまが何となくマトリョーシカのようにも見えた。
元がテレビアニメなので前編と後編に分かれているのだが、怪異の背景になにがあったのかは、こういったものを見慣れている人なら前編だけでも何となく察せてしまうのではないかと考えられる。
志乃が赤子たちの「ただ生まれたかっただけ」という願いに共鳴し、彼らの願いを叶えようとしたことで、比較的穏やかに退治されたのだと考察される。
9.『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(アニメ映画)(2023年)監督:古賀豪
【あらすじ】
廃刊間近となっている雑誌の記者・山田は、廃村となった哭倉村に取材にやってきた。山田は同じく村へやってきた鬼太郎、ねこ娘、目玉おやじと遭遇するが、鬼太郎たちに引き返すようにと言われた警告を無視して、鬼太郎たちに村について取材しようとつきまとう。
時を遡って昭和31年、当時の日本で政財界を牛耳っていた龍賀一族の当主、龍賀時貞が死去する。東京で帝国血液銀行に勤める水木は、龍賀一族の経営する製薬会社、龍賀製薬の担当者であり、時貞の娘婿である龍賀製薬社長の龍賀克典とは懇意にしていた。水木は次期当主と目される克典にアピールして出世の足掛かりとすべく、一族が暮らす哭倉村へと向かうのだった。
【考察】
序盤は横溝正史チックな世界観で、いかにもミステリーが始まりそうな雰囲気があるが、中盤から登場する狂骨の存在があくまでもこれはゲゲゲの鬼太郎の世界であることを感じさせる。昭和である時代背景を随所に反映させており、水木の着ているスーツの型や煙草の扱い、血液銀行など、細部の小物や背景にこだわりがあり、当時の世界観を醸し出すことに成功していると考えられる。龍賀一族とそこが行ってきたMの製造背景は、国民の血液を吸って戦争に突き進んだかつての日本の縮図として描かれているのではないかと考察した。水木の戦場での回想シーンが龍賀一族から命に関わる理不尽を強いられる際に何度か描かれるため、戦争への批判的なメッセージも含まれているのではないかと考察した。水木の左瞼の傷跡と左耳が欠けているのは、恐らく原作者の水木しげる氏が戦争で左腕を失っていることからだと考えられる。物語の終盤で狂骨となった時弥が鬼太郎たちに何を望むかを訊かれた際、「忘れないで…」という言葉が、人間の過ちによる悲劇を忘れないことが重要であるというメッセージで、それが戦争にも重ねられると考えられた。
ゲゲ郎たち幽霊族は一丸となって水木達や鬼太郎を救おうと献身的になり、逆に近親相姦など血縁を利用して私欲を満たしてきた龍賀一族は対比的に描かれている。
左目は未来を象徴するという話を耳にするが、この物語で龍賀一族の時麿、乙米、丙江、庚子は、殺される際に左目が抉られるように傷つけられている。反対に、人間が嫌いで普段左目を髪で隠しているゲゲ郎は、自らを犠牲に狂骨を止める中、体は腐ってしまうが「友よ、おぬしが生きる未来をこの目で見てみとうなった」と言ったあと、彼は目玉おやじの姿になって息子の鬼太郎と共に未来の世界を見て生きている。鬼太郎は左目が生まれつき無いが、目玉おやじが眼窩にはまることが出来るようになっていると思われる。龍賀一族に未来はないが、幽霊族には未来があることを示していると考察する。
人間が繰り返してきた愚かな歴史は、決して単なる過去のものにするのではなく、そこから学んで忘れないようにすること、そして絶望せずに未来を見据えることが必要だというメッセージがあるのではないかと考えた。
10.『ルックバック』(アニメ映画)(2024年)監督:押山清高
【概要・あらすじ】
原作は藤本タツキ氏による同名の漫画作品。
小学4年生の藤野は学年新聞で4コマ漫画を毎週連載し、同級生や家族から絶賛されていた。ある日、教師から不登校児である京本の漫画を掲載したいため、藤野の連載している内の1枠を譲って欲しいと告げられる。
藤野は京本を見下していたが、京本の画力は高く、掲載された京本の漫画は周囲の児童からも称賛され、比べて藤野の絵は普通だと掌を返すような反応をされる。
藤野は屈辱を覚えながら絵の本格的な練習を開始し、友人・家族関係にも軋轢を生みながらも努力を重ねていく。だが、そうした研鑽の果てにも京本の画力には届かず、3年生の時から続けた連載を6年生の途中で辞めて、とうとうペンを折ることになる。
小学校の卒業式の日になり、教師から卒業証書を届けるよう頼まれた藤野は、この日初めて対面し、京本に藤野のファンだと告げられる。京本にサインをねだられた藤野はどてらにサインをし、再び漫画を描くことを決意するのだった。
【考察】
「じゃあ、藤野ちゃんはなんで描いてるの?」という京本の台詞が、そのまま創作者に向けたテーマになっていると思われる。創作物というものは、よほど上手いものでなければ見向きもされず、ほとんどが具体的に何かのためになることはそうそうない。藤野が同級生や家族から「いつまで漫画描いてるの?」という質問をされるが、小学生の藤野がその質問に答えることはない。京本と一緒に漫画を描いた過去と、もし京本と漫画を描いていなかったらというifルートが描かれると、京本は死ななかったかもしれないが、一緒に京本と漫画を描いて恐る恐る雑誌のページを確認したり、賞金で遠出して買い食いしたりなどの楽しかった思い出も作れなかったことが分かる。京本の「なんで描いてるの?」という台詞の後に、藤野の漫画に目を輝かせる京本の笑顔が浮かび上がることから、藤野にとって漫画を描く理由は、京本が面白いと言って自分の漫画を読んでくれるからなのだろうかと考えた。
映画の中では特別激しい動きのシーンはそう多くないが、京本に卒業証書を届けた帰り道の藤野のスキップシーンや、京本の手を引いて街を歩く藤野の二人のシーンなど、リアルなアニメーションの動きがまるで本当に生きている人間の物語や、追体験のような作風になっているのではないかと考察した。
11.『モブサイコ100 REIGEN ~知られざる奇跡の霊能力者~』(OVA)(2018年)監督:立川譲
【概要・あらすじ】
アニメ第1期の『モブサイコ100』の総集編のような形を取っているOVA作品。
とある占い師が本を執筆したことで成功を収めたニュースを聞いた霊幻新隆が、自分も自伝を書いて出版すれば儲けられるという思惑で、弟子である影山茂夫(モブ)にアニメ第1期で描かれてきた数々の事件を、いかにも霊幻本人が全て解決してきたかのように書くよう指示し、その流れでアニメ第1期の内容が大まかに振り返れるように構成されたものとなっている。
【考察】
霊幻が捏造しているシーンは、例えこの作品がモブサイコ100のアニメが初見だとしても、ある程度どこが捏造しているのかが何となく分かるようになっている。キャラクターの顔に雑に霊幻の顔が貼り付けるように描かれていたり、本来のキャラクターがいる所に、キャラクターの一部がはみ出すように霊幻が描かれていたり、実際に霊幻がいなかった場所ではわざと霊幻が見切れるように配置したりしているなどの工夫が見られる。エピソードの区切り区切りでモブが霊幻の自伝を書き進めるオリジナルストーリーが挿入されている。結果的に霊幻の目論見はモブの周囲にいた当事者たちによって失敗し、いつもの日常に戻っていくものとなっている。
12.『ルパン三世 ワルサーP38』(単発テレビアニメ)(1997年)監督:矢野博之
【あらすじ】
アニメ『ルパン三世』のTVスペシャルシリーズ第9作。ルパン三世生誕30周年記念作品でもある。
自分の名を騙った偽の予告状の真相を確かめるべく、ルパンは某国副大統領の誕生パーティーに潜入するが、謎の武装集団が現れ、副大統領を暗殺してしまう。ルパンを逮捕するため会場にいた銭形警部もまた、彼の目の前で何者かが撃った凶弾に倒れる。ルパンが狙撃者を確認しようとすると、窓から突き出たシルバーメタリックのワルサーP38を握った右手のみが見え、その手の甲にはタランチュラの刺青が入っていた。シルバーメタリックのワルサーP38は駆け出し時代のルパンの得物であったが、当時の相棒に裏切られて奪われたものであった。
ルパンは武装集団の正体が、密かに各国から支援を受ける「タランチュラ」と呼ばれる謎多き暗殺組織だと刺青から推測する。報復とワルサーP38の謎を追うため、ルパンは次元と共に彼らの本拠地の島があるバミューダトライアングルへと向かうのだった。
【考察】
全体的にシビアで、ルパンファミリーでも大きな負傷をしたり流血を含む戦闘シーンが非常に多かったり、ルパンファミリー以外のほぼ全てのゲストキャラクターが因果応報的に死亡するなどという暗めな作品となっている。
テーマとして出て来るキーワードは「自由」である。組織タランチュラに属する者は、皆特殊な毒の刺青を入れられ、組織の本部がある島から発生するガスを定期的に吸い続けないと死んでしまう。エレンを中心としてタランチュラからの脱却を図る穏健派と、所属し続けることを望む組織の人間とで対立の構図になっている。次元が組織の人間に対して本当は自由が怖いのではないかと見透かすも、組織の人間は不機嫌そうな顔をして答えなかった。
ルパンと不二子は作戦の一環でわざとタランチュラの刺青を入れられるのだが、エンディングまでこの刺青は消されず、完全に解決せずに終了する。後のシリーズで回復しているため、恐らく盗んだ大量の毒を分析することで、ドクター同様自力で薬を調合して解毒に成功したのだろうと推測される。
13.『かがみの孤城』(アニメ映画)(2022年)監督:原恵一
【概要・あらすじ】
原作は辻村美月氏による同名の小説。
2005年、中学1年生の女の子・安西こころは、同級生から受けたいじめが原因で不登校が続き、フリースクールにも通えずに家に引き籠もる生活を続けていた。5月のある日、自室の鏡が光り、中に吸い込まれたこころは、その向こうのオオカミさまという狼面をつけた謎の少女が仕切る絶海の孤城で、自分と似た問題を抱える中学生のリオン、フウカ、スバル、マサムネ、ウレシノ、アキと出会うことになる。
【考察】
元が優れた小説作品であることが分かる映画になっている。この作品の重要な要素として、孤城に訪れる中学生たちは、本当は生まれた年が大きく異なるところである。小説ならば叙述トリックで描写しなくても良い部分はあえて描写をしない部分があるが、アニメは絵で描写せざるを得ないところがある。例を挙げると、アキのルーズソックスや、アキと喜多嶋先生の顔の共通点、喜多嶋先生が結婚しているかなどの視覚的情報から、話の早い段階から少年少女たちの生きている年代にズレがあるのではないかということが推測出来てしまうのではないかと思う(『君の名は。』の影響もあるかもしれない)。アニメ化はしたものの、そこまで画的に大きく動くような場面も多くはなく、アニメである必要性が感じづらい作品ではないかと考えられる。
14.『君の膵臓をたべたい』(アニメ映画)(2018年)監督:牛嶋新一郎
【概要・あらすじ】
原作は住野よる氏による同名の小説で、住野氏のデビュー作品でもある。
主人公である「僕」は、病院で偶然「共病文庫」というタイトルの本を拾う。その本は「僕」のクラスメイトである山内桜良が綴っていた秘密の日記帳で、彼女の余命が膵臓の病気によってもう長くはないことが書かれていた。「僕」はその本の中身を興味本位で覗いたことにより、家族以外で唯一桜良の病気を知る人物となった。桜良の死ぬ前にやりたいことに付き合っていくうちに、「僕」と桜良という正反対の性格の2人が、お互いに自分には欠けている部分にそれぞれ憧れを持つようになり、次第に心を通わせて成長していく。
【考察】
「僕」と桜良は、性格の面では正反対のデザインをされているとは思われるが、それが互いに影響を及ぼし合っていることが顕著に分かるようになっている。特に「僕」は元々他者に対して懐疑的で、他人の中の自分の存在を低く見積もりがちな性格だったが、彼女と出会って他者にもっと興味を持ち、例え相手が自分を許容出来なかったとしても自分から許容し愛せる人間になることを決意したのが一番の大きな変化として描かれていると考えられる。正反対の二人のように思われつつ、名前は二人とも春を連想させるものだったのが、通ずる部分も少なからずあった二人なのではないかと考えた。
映像としては全体的に背景の輝度や彩度が高く、新海監督作品の影響が大きいように感じられた。
15.『すずめの戸締まり』(アニメ映画)(2022年)監督:新海誠
【あらすじ】
宮崎県の静かな町で叔母の岩戸環と暮らす17歳の女子高校生の岩戸鈴芽は、ある日夢を見る。一人の幼い少女が廃墟も立ち並ぶ草原の中をひたすら歩き、母を探すも見つからず疲れ果て蹲る。そこに一人の女性が歩いてくる。その女性を少女は見つめるが、その瞬間鈴芽は夢から目覚めてしまう。
鈴芽は登校中に、宗像草太という青年とすれ違う。近くの廃墟を探しているという彼に場所を教えた鈴芽は、彼が気になって通学路を引き返して後を追い、山中の今は廃れたリゾート地にある廃屋で水溜りの中に佇んでいた一つの古い扉を見つける。鈴芽は何かに引っ張られるように扉に手を伸ばし、引き込まれる。その扉の向こうには、広い草原と全ての時間が混ざりあった空があった。
【考察】
観た印象としては、よりオタク層より一般層向けの作風になったように感じられた。
九州から東日本大震災のあった東北まで、日本を縦断する形で旅をしていく展開は、終着点が震災に直面した場所として設定され、非常に分かりやすくするためなのではないかと考えられる。ダイジンが行く先をSNSで確認してから追うという順にすることで、これから向かう目的と目的地がその都度示され、観客が置いてきぼりになる瞬間が非常に少なくなるよう描写しているのではないかと考察した。今作はとにかく走るシーンが多く、走るという行為は肉体的にも精神的にも追い込まれる行為であるため、観客も見ていて緊張感を覚える場面が長かったのではないかとも考えた。
主人公の鈴芽は震災の経験から死ぬことは怖くないという感覚を持っていたが、草太を失うかもしれないことへの恐怖から死への恐怖が芽生えたことは、後ろ戸を閉じて回ることで失われた人々の想いに触れ、死ぬとは、生きていくこととはどういうことなのか鈴芽が今一度捉え直した結果として、鈴芽の人間的な成長を意味するのではないかと考察する。
16.『同級生』(アニメ映画)(2016年)監督:中村章子
【概要・あらすじ】
原作は中村明日美子氏による同名の漫画作品。
高校二年生の夏、草壁光は合唱祭前の練習中に、同級生の佐条利人が歌わずに口パクしていることに気づく。二人は同じ男子校の同じクラスだが、制服を着崩しバンド活動に勤しむ草壁と眼鏡の優等生の佐条は、性質が違いろくに話をしたこともなかった。佐条は歌なんかくだらないと思って練習で手を抜いているのか、と草壁は不快になったが、その日の放課後に教室に残って一人で歌の練習をしている佐条を見つける。佐条は音痴を気にして邪魔にならないようにと皆と一緒の時は歌うことを控え、克服しようと人知れず努力していたのだった。そんな彼のひたむきさに感心して草壁は練習に付き合うようになった。二人きりで歌う時間を過ごすうちに草壁と佐条は互いに惹かれあっていき、やがてひっそりと交際を始めるようになる。
【考察】
画面の分割が多めで、原作が漫画ゆえの独特な演出のように思われた。擬音語が文字でそのまま書かれていたり、たまに吹き出しも出て来たりするのがいかにも漫画的。漫画がそのまま動くようになったものと思われる。作画が柔らかく細い線で全体的に流線的、軽やかな印象を受けるキャラクターデザインであり、色は水彩画っぽいタッチの画になっている。ギャグとロマンスのバランスが丁度良く、テンポも良く進むので見ていて退屈しないと考えられる。
セクシャルマイノリティーとして周囲から受け入れられ難いというような描写は特になく、概ね受け入れられている印象だが、高校の教師が職場で堂々と喫煙している様子などから、現代よりも若干時代が昔のようでもある。
周囲の受け入れ度合いは時代設定的に珍しいように思われるが、作品の大半が二人のコミュニケーションがメインで、セクシャルマイノリティーとしてのテーマ性はそこまで比重を占めていない作品だと考察する。それよりかは、純粋に二人の男子高校生同士が恋愛している様を楽しむ作品となっている。
17.『PERSONA3 THE MOVIE #3 Falling Down』(アニメ映画)(2015年)監督:元永慶太郎
【概要・あらすじ】
ATLUS社から2006年に発売されたゲーム『ペルソナ3』を四部作で映画化した作品の第三部。
前作の続きである10月から12月の頭までのゲーム本編のメインイベントを時系列順に並べて構成されている。
前作の終わりに荒垣を喪った結城は、親しい人が出来るほど、いつか訪れる別れに傷つくことを恐れ、再び人と距離を置くようになってしまう。そんな中、結城の通う学校に新たな転校生である望月綾時が転入、結城と仲良くなりたいと積極的に接触してくる。結城は望月と親密になることを拒むが、望月に喪失への恐怖を見抜かれる。
望月と関わる内に結城の内面にも変化が及ぼされ、もう一度周囲の人々との距離や人間関係について見直すことになる。
【考察】
前作の荒垣死亡事件を受けて罪悪感と喪失への恐怖が芽生え、結城は再び人と関わることに消極的になる。望月は結城よりも人間関係の感覚について疎く、結城に質問を投げかけることで結城自身の内面に向き合うきっかけとなり、結城の本心を浮き彫りにしていく立ち位置の存在だと考えられる。この辺りは原作のゲームの内容とあまり大きな差異はない。映画の終盤では、特別課外活動部メンバーの一人である伊織順平と、敵対勢力でありながら親密になっていたチドリと言う少女が命を落とす。彼女は身体的な問題で元々長生きの出来ない命であり、彼女自身は死ぬことへの恐怖を持っていなかった。しかし順平と出会い、また会う時が楽しみになっていくうちに、死ぬことが恐ろしくなっていったという。「死ぬって…、『もう会えない』ってことなのね…」というチドリの台詞は、ゲームにもあるが、シンプルながら真理を突いた言葉でもある。自分一人では生きることに希望や願いを見出せなかった彼女は、大切な人の存在で生きることを願い、死や喪失の恐怖に怯えるようになる。これは結城にとても似た立ち位置の話でもある。
チドリは致命傷を負った順平を助けるため、自身の能力を使って順平を蘇生し、代わりに命を落とすこととなるが、この展開も、後の結城の行動と酷似しているように考えられる。
喪失はいつか誰にでも訪れ、相手に執着すればするほど別れは恐ろしいものとなる。しかし、喪失を恐れて一人になろうとしても、人は一人では生きてはいけないし、心の奥底では誰かを求めるものでもある。今作のテーマは、映画版四部作全ての根底にあるものだと考えられるが、「いつか必ず訪れる喪失への恐怖に立ち向かうこと」が特に強調されたのが今作だと思われる。
18.『PERSONA3 THE MOVIE #4 Winter of Rebirth』(アニメ映画)(2016年)監督:田口智久
【概要・あらすじ】
ATLUS社から2006年に発売されたゲーム『ペルソナ3』を四部作で映画化した作品の第四部。
前作の12月の頭のイベントからゲーム終了までのメインイベントを中心に構成されている。
結城達は影時間の謎を追う内に、1月の終わりに世界の生命が息絶える運命であることを知る。突然の宣告に戸惑い、生きる希望や戦う理由を見失いかける特別課外活動部の面々だが、各々の持つ絆への想いから、滅びをもたらす存在・デスへと立ち向かう決意を固め、一致団結して決戦へと臨む。
【考察】
逃れられない滅びの運命に、活動部の皆は精神が折れかけ絶望しかけるが、それぞれが持つ大切な絆と、それを抵抗なしに失わせたくないという強い想いに動かされ、恐怖を超えてデスと対峙することを選ぶ。
望月も結城の前から姿を消してしまう大切な友人だが、結城はその喪失に対する恐れはなく、一人の友人として、デスになる最後の日まで彼と向き合うことを選ぶ。
ゲーム原作では特別課外活動部のメンバーに加え、様々な人々と結ばれた絆の力の強さを感じられる展開がある。ゲームではプレイヤーが主人公と一体となってその力を感じられるが、映画では結城という一人の人間として、この一年間で築いてきた絆を振り返る。今作は仲間それぞれが持つ絆にも焦点が当てられ、結城に呼応するように仲間たちが覚悟を決めるシーンは印象的である。
ゲームとの大きな差異である戦闘シーンがかなり大きな動きで描かれており、原作よりも視覚的に戦いの苛烈さを理解することが出来る。
今作で強く示されるのは、やはり絆の持つ強力で不思議な力だと思われる。人と人の間の関係の持つ力は第一部から描かれ続けてきたが、今作はその集大成である。最終的に結城は絆の力でとてつもない奇跡を起こす。
エンディングの場面は、原作だと仲間たちが駆けつける直前に主人公は瞼を閉じてしまうが、映画版では仲間たちが集結した直後に変更されている。こちらの方が物語としての収まりが良いため、この演出は好評である模様。
冬であることと、ゲーム本編でもこの時期は画面の彩度が下がることもあってか、夏の第二部などに比べて彩度が低めなのも特徴。
19.『LUPIN THE ⅢRD 次元大介の墓標 前編』(劇場用スピンオフ作品)(2014年)監督:小池健
【概要・あらすじ】
『ルパン三世』のスピンオフ劇場用作品『LUPIN THE IIIRD』シリーズ第1作。
ルパン三世の劇場用アニメでは初めてPG12のレイティングが適用された。
東西に分断されている西ドロアと東ドロアは、西ドロアで発生した東ドロアの歌姫暗殺事件の影響で一触即発の状態になっていた。そんな中ルパンと次元は、秘宝・リトルコメットを盗むため、東ドロアのマランダ共和国大使館に潜入。無事リトルコメットを盗んだルパンだったが、直後に東ドロア警察が大使館に到着、ルパンと次元は街中に逃げ込むも、次元とルパンは何者かに狙撃されてしまう。アジトに逃げ込んだルパンと次元は、摘出した弾丸が歌姫暗殺に使用された弾丸と同じものだと気付き、郊外の墓地に向かう。そこには次元の墓が用意されており、次元は狙撃手の正体が、ターゲットの墓を事前に用意するヤエル奥崎という殺し屋だと知る。
次元は、自身がボディーガードをしていた歌姫の復讐を決意し、ヤエル奥崎のアジトに向かう。しかし、アジトで次元はヤエル奥崎に早撃ちの勝負を挑むも敗れてしまい、ルパンは次元を連れて埠頭に逃げ込むが、次元はヤエル奥崎に狙撃されてしまう。
【考察】
近年のコミカルなルパン三世とは一線を画す作風で、非常にハードボイルドな作品としてまとまっている。キャラ絵も普段のアニメシリーズとは大きく異なり、また必要以上にルパンや次元が焦るような、キャラクターの「隙」に思われる描写が少なめで、同じような内容の脚本で実写も出来るのではないかと感じた。しかしながらヤエル奥崎と次元の早撃ちやカーチェイスのシーンなど、アニメでしか出来ない動きの表現も多く、観客が観ていて飽きないアニメのアクションの動きの見せ場もあり、更に上映時間が短い作品でもあるため、終始ハードボイルドで大人びた『ルパン』の作品として仕上がっている。ルパンらしいコミカル要素やお色気要素もそちらはそちらで確保してあるため、ルパンらしさが決してない訳ではない。
舞台設定としては、シリーズを通して第二次世界大戦~冷戦に似た舞台が描かれることが多いことが分かってきた。
20.『LUPIN THE ⅢRD 次元大介の墓標 後編』(劇場用スピンオフ作品)(2014年)監督:小池健
【概要・あらすじ】
本編は1本で1時間の上映作品だが、レンタルDVDでは前編と後編に分けられている。
クラブ・ロンドのオーナーに捕まっていた不二子はその場で見世物にされるが、そこに現れたルパンに助け出され脱出する。ルパンは不二子が盗み出したカラミティファイルを見ると、そこには歌姫や次元など、東ドロア政府がヤエル奥崎に命令した暗殺対象者のリストが書かれていた。東ドロア政府はヤエル奥崎を雇って、自国に不利益となる他国のスパイや政財界の要人を秘密裏に暗殺しており、カラミティファイルはその暗殺指令書であった。ルパンが不二子を連れて墓地に向かうと、そこには新たにルパンと不二子の墓が用意されていた。
翌朝、海沿いのカフェに姿を現したルパンを遠方の塔から狙撃するヤエル奥崎だったが、銃弾は外れ、彼は背後から何者かに狙撃される。
【考察】
ヤエル奥崎の射撃のトリックに関しては、初見で見破るのは少し厳しいと思われるが、前編の早い段階で伏線のカットが何度か登場する。しかし流れとしてはシンプルで、ヤエル奥崎の射撃のトリックをルパンたちが逆手に取り、出し抜いたことをネタバラシした時点で騙し合いは終了、次元がスピーディーにヤエル奥崎とのリベンジマッチに持っていくのも、観客を待たせずに楽しませる点だと考えられる。早撃ちの条件は相変わらず次元の方が不利だが、そのハンデを次元の驚異的なスキルを駆使した意外な方法で乗り越え、決め台詞にもカタルシスを感じる、男たちのロマンの塊のような、王道の一騎打ちを描いた物語だと考える。
全体的にルパンのジャケットや空などの青の彩度が高く、印象的に描かれている。ヤエル奥崎の白いスーツとの対比か。
21.『LUPIN THE ⅢRD 血煙の石川五ェ門 前編』(劇場用スピンオフ作品)(2017年)監督:小池健
【概要・あらすじ】
『ルパン三世』のスピンオフ劇場用作品『LUPIN THE IIIRD』シリーズ第2作。こちらも前作と同じくPG12指定のレイティングがされている。
剣術の腕を買われた五ェ門は、ヤクザ・鉄竜会の組長の用心棒として雇われていた。不遜な五ェ門に幹部たちは不満を抱くが、五ェ門は鉄竜会の運営する賭博船で他の組の襲撃から組長を守った。同じ頃、ルパンと次元は賭博船の金庫に侵入、先回りしていた不二子と出会い、ルパンと不二子は金を山分けすることにする。直後に船が爆発し、機関部に向かった五ェ門は斧で機関部を破壊する大男に遭遇。大男を追い詰めて目的を尋ねると、ルパン・次元・不二子を殺すことだという。隙を突かれて五ェ門は大男を逃がし、更に組長が爆発に巻き込まれて死んでしまう。
翌日、爆発現場に銭形が現れ、大男の行方を尋ねる。大男について訊かれた銭形は、「バミューダの亡霊だ」と答える。同じ頃、組長の葬儀に現れた五ェ門は、彼の息子に用心棒の務めを果たせなかったことを詰められ、仇を討つと誓う。一方、ルパンたちはアジトで祝杯を挙げていたが、バミューダの亡霊・ホークに襲撃されてしまう。そこに五ェ門が現れ、ホークに戦いを挑む。しかしホークは五ェ門の太刀を見切って受け止め、いとも容易く彼を弾き飛ばす。ホークは五ェ門を無視してルパンたちを殺そうとするが、そこに銭形が駆け付けてルパンたちは逃走。ホークは「眠気には勝てない」と呟いて無抵抗のまま銭形に逮捕される。
【考察】
前作の『次元大介の墓標』と同じくハードボイルド調で、因縁の強敵にリベンジを誓うという構図も似ており、次元にとってのヤエル奥崎と同じく、あの五ェ門が敵わないというシリーズでもトップクラスの強さを誇る敵のホークが登場する。ただ構図は似ているものの雰囲気はやや異なっており、五エ門の人間離れした動きを主体にするとなると、かなりアニメ的、言うなればファンタジー的な空気が入らざるを得ない。前作の「実写も向いてそう」という意見は今作には出ないだろうと考えられる。
また、舞台がそもそも日本であるなど、全体的に彩度が低く和の雰囲気が散りばめられている。それが却ってアメリカ人風の容姿であるホークの異質さを際立たせていると考えられる。
展開も次元と同様、五エ門が得意であるはずの居合いが通用しない相手にどう勝つのかに観客の注目が集まるようになっている。
22.『LUPIN THE ⅢRD 血煙の石川五ェ門 後編』(劇場用スピンオフ作品)(2017年)監督:小池健
【概要・あらすじ】
本編は1本で1時間の上映作品だが、こちらも『次元大介の墓標』と同じくレンタルDVDでは前編と後編に分けられている。
ホークに敗れて誇りを失った五ェ門は、腕を磨くために修行を始めるが、彼に敗れたことがトラウマとなり刀を抜けなくなってしまう。一方、銭形はホークを釈放するよう圧力をかけられる。そのまま局長室を出た銭形の元にホークが脱獄したという報告が入り、追跡を開始する。ホークは追手のを振り切って逃走するが、出くわした銭形にバイクを撃たれ、崖下に転落。しかし、無傷で立ち上がり、ルパンたちを殺しに向かう。ルパンと次元は五ェ門の修行を途中まで見守っていたが、ルパンは彼の修行が完遂間近なことを悟り、五ェ門の前から姿を消してホークの情報を集めるため銭形に自首する。
五ェ門は修行を終えて満身創痍の状態で鉄竜会の組員たちと出くわし、組長の息子から用済みと判断され、幹部からリンチを受ける。その中で第六感が開眼した五ェ門は、鉄竜会の組員50人を次々と斬り捨て、ホークから手を引くことを認めさせる。一方、ホークの襲撃を受けたルパンと次元は銭形の元から逃げ出し、山奥の古寺に逃げ込む。ホークはルパンと次元を追い詰め止めを刺そうとするが、そこに五ェ門が到着。五ェ門はホークに一騎打ちを挑む。
【考察】
後編序盤の五エ門修行シーンは前作の『次元大介の墓標』と比べると、ハードボイルドで纏めるには難しい程のファンタジーであり、五エ門が苦悶の表情で大真面目に修行しているため笑いこそ起きないものの、作品全体の雰囲気を統一させるのは難しかったのではないかと推測される。銭形とルパンのやり取りや会話劇はシリーズの中でもかなりシリアスな部類になるが、端々にある『ルパン三世』シリーズらしいコミカルさも決して失われてない。
ホークと五エ門の一騎打ちの構図は『墓標』とかなり似ているが、ホークが山寺を斧で倒壊させるなど、戦いの規模感が非常に大きく豪快である。
前作の『墓標』では空などの青が印象的に描かれていたが、今作では全体的に空は曇り、もしくは雨が降っていることが多い。キャラクターの色合いとして五エ門は無彩色中心、ホークは赤いシャツに青いジーンズ、金髪と色が鮮やかであることからか、あるいは五エ門が返り血を浴びることから、無彩色の世界にタイトルにもある血の赤を映えさせるためかと考えられる。
23.『この世界の片隅に』(アニメ映画)(2016年)監督:片淵須直
【概要・あらすじ】
こうの史代氏の同名の漫画を原作とするアニメーション映画。本作品は第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位、第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞、第41回アヌシー国際アニメーション映画祭長編部門審査員賞、第21回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門大賞など、数多くの賞を受賞している。
昭和19(1944)年2月、18歳のすずは広島から軍港のある呉の北條家に嫁ぐ。戦時下、物資が徐々に不足する不自由さの中、すずは持ち前の性格で明るく日常を乗り切っていたが、翌年の空襲によって大切なものを失う。広島への原子爆弾投下、終戦。それでもすずは自分の居場所を呉と決め、生きていく。
【考察】
描く世界観の規模は家庭の域を出ることはほとんどないものの、その背景に戦争が影響していることをひしひしと感じられる作品となっている。時代が違えば単なるほのぼのとした日常系の作品になるであろう。当時の生活に非常に丁寧に肉薄した描写力が圧巻である。すずは18歳で呉に嫁いだ身であるため、食事を始めとした家庭を守ることを念頭に置いているためか、原作の一部の台詞が食事関係に変更されていたりする。
代表的なのが玉音放送を聞いた後のすずの台詞は、原作では日本は暴力で従えてきたから自分たちも暴力に屈しなければならないのかという内容だが、映画版では海の向こうの国で得た食料で体が作られているから暴力にも屈しなければならないのかという内容に変わっている。
すずは戦争という厳しい状況でも、めげずに明日も明後日もその次も、家庭を守って生きていかねばならないという、柔らかい強さを感じられる作品となっている。
24.『空の青さを知る人よ』(アニメ映画)(2019年)監督:長井龍雪
【概要・あらすじ】
本作はアニメ監督の長井龍雪、脚本家の岡田麿里、キャラクターデザイナーの田中将賀で結成されたアニメ制作チーム「超平和バスターズ」によるオリジナル作品を原作とした『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』、『心が叫びたがってるんだ。』とともに三部作として位置付けられており、前2作同様に埼玉県秩父市周辺が舞台として設定されている。
高校2年生の相生あおいは、秩父市の山あいに31歳の姉のあかねと二人で暮らしている。二人の両親は13年前に他界。当時高校3年生だったあかねは同じ高校でバンドのギター担当だった金室慎之介(しんの)と交際していたが、一緒に東京に出るという約束を断念して地元の市役所に就職、あおいを育てる傍ら独身を貫いていた。あおいは高校を卒業したら東京に出て働きながらバンドをすると決めており、放課後は一人でベースの練習に明け暮れる日常だった。そんな姉妹の住む地区で、大物演歌歌手である新渡戸団吉を呼んで音楽祭を開く話が持ち上がる。仕掛け人は、あかねと幼馴染で同じ市役所に務める中村正道。正道は慎之介のバンド仲間でドラム担当でもあった。離婚歴のある正道はあかねに気があり、あおいにもそれをほのめかしていた。
ある日、あおいが近所のお堂でベースの練習をしていると、13年前のしんののような高校生が突然現れる。
【考察】
お堂に表れる過去の姿をしたキャラクターであるしんのは、あだ名があることも相まって『あの花』のめんまの要素を感じられる。その願いを叶えようと主人公が奮闘するという流れも、類似点と言って良いかもしれない。
画的な動きはそこまで大きくはないが、終盤までの動きの少なさを埋めるためか、終盤でしんのとあおいが共にダイナミックに空を飛んでいくシーンがある。
内容としては一定の年齢以上の人に特に刺さりそうな内容だと思われる。
将来に夢を見てキラキラ輝き、不安にも揺れる思春期のあおいやしんのの世代と、現実を知ってやさぐれ、夢半ばで諦めてしまった慎之介の世代の両方の背中を押すような作品だと考えられる。お堂から出られないしんのは、井の外に出ようとするも外の世界を恐れている蛙のようだと考える。
25.『きみと、波にのれたら』(アニメ映画)(2019年)監督:湯浅政明
【概要・あらすじ】
本作は、2019年度アヌシー国際アニメーション映画祭長編コンペティション部門正式出品作品、第22回上海国際映画祭 金爵賞アニメーション最優秀作品賞、第52回シッチェス・カタロニア国際映画祭長編アニメーション部門最優秀賞を受賞している。
向水ひな子は、幼少期を過ごした海辺の町にある大学に進学し、一人暮らしを始める。サーフィン好きな彼女は、自宅近くの海岸で連日波に乗る生活を送っていた。そんなある日、近くの廃ビルで上げられていた無許可花火の火の粉が原因で、ひな子の住むマンションで火災が発生、逃げ遅れたひな子は屋上からはしご車によって救出された。その消防隊員である雛罌粟港とひな子は後日サーフィンのデートを楽しみ、親密な関係になる。だが、雪の朝、一人でサーフィンに行った港は、水難者を助けようとして命を落としてしまう。港の死を受けて海から離れた場所に転居したひな子の元に、港の妹の洋子と後輩消防士の川村山葵が訪れ、職場にあった港の遺品を渡した。その中に港のスマートフォンがあったもののひな子はパスワードを知らず、画面は開けなかった。そんな矢先、ひな子が以前港と口ずさんだ歌を歌ったところ、近くの水の中に港が幻のような姿で現れる。
【考察】
画面の動きとしては湯浅監督特有の自由な動きはあるものの、内容が王道のラブコメディの部分が強いため、その動きが活かせる場面は少ないのではないかと思われる。港とひな子が交際を始めてから共に過ごす恋愛のシーンがかなり長めに設定されており、二人がいかに親密だったかを観客に伝えるためだと思われる。水の中に表れる港の動きは湯浅監督の動きを感じられるが、そこまで大きく水が動く場面は少ない。
内容としては、死別した港にいつまでも囚われることなくひな子が自分の力で前に進むための物語であり、港とひな子の生前のデートパート、幻と共に過ごすパート、ひな子が前に進むために動き出すパートと大まかに3つに分かれている。
港の幻が水中に表れる条件は、ひな子が港と生前よく共に歌っていた曲を口ずさむことなのだが、この歌はGENERATIONS from EXILE TRIBEが歌う『Brand New Story』という曲である。そして、港役を務めた声優がGENERATIONS from EXILE TRIBEに属する片寄涼太氏である。恐らくタイアップであることが推測される。
港の幻の姿はひな子にしか見えないため、ひな子が港の死のショックのあまり見ている幻覚の可能性もあったが、港の幻が操る水は現実世界にしっかりと干渉しているため、確かに存在はしているようである。
全体的な色使いの彩度は明るく、はっきりとした色使いが印象的な作品である。
26.『つみきのいえ』(アニメ映画)(2008年)監督:加藤久仁生
【概要・あらすじ】
2008年に発表された加藤久仁生監督による日本の短編アニメーション映画で、仏題は『La maison en petits cubes』。
アカデミー短編アニメ賞を受賞した初の日本映画でもある。
海面が上昇したことで水没しつつある街に一人残り、まるで積み木を積んだかのような家に暮らしている老人がいた。彼は海面が上昇するたびに、上へ上へと家を建て増しすることで難を逃れつつ、穏やかに暮らしていた。ある日、彼はお気に入りのパイプを海中へと落としてしまう。パイプを拾うために彼はダイビングスーツを着込んで海の中へと潜っていくが、その内に彼はかつて共に暮らしていた家族との思い出を回想していく。
【考察】
家の床の中央に四角い穴が開いており、そこから釣りが出来るようになっているのだが、老人はここにパイプを落としてしまう。これによって、彼はかつての家の内装を見ながら水底へと潜っていけるという構図になっている。水面が上昇するにつれて、生活に必要な家具は上の階層に運び込まれるが、必要のなくなった家具はそのまま部屋の中に置かれた状態になっており、その時から時が止まったままのようになっている。現在から逆回しに徐々に思い起こされていく過去の流れが非常に自然で、穏やかな過去の遺物が海面の上昇に追われて海の底に沈んでいるという現在に寂寥感を覚える作品である。
27.『紅の豚』(アニメ映画)(1992年)監督:宮崎駿
【概要・あらすじ】
宮崎駿監督の長編アニメーション映画第6作。
ファシスト政権が統治する戦間期のイタリア。かつて人間だった頃にはイタリア空軍のエースだった、深紅の飛行艇を操る豚のポルコ・ロッソは、アドリア海の小島に隠棲し、空賊退治を請け負う賞金稼ぎとして暮らしていた。ある晩昔馴染みのジーナが営むホテルを訪れたポルコは、米国製の飛行機を操るアメリカ人カーチスに出会う。カーチスは空賊連合が雇った用心棒だった。彼はポルコを撃墜して名を挙げたいと考える。
しばらく後、ポルコはカーチスと遭遇し撃墜されてしまう。ポルコは大破した艇をミラノの工房ピッコロ社に持ち込むが、おやじの孫でまだ17歳の少女フィオが共同で修理に当たるという。ポルコは不安に思うが、フィオの熱意にほだされて愛機を任せる。
政府に非協力的なポルコはミラノでも秘密警察や空軍に追われる。警告に来たかつての戦友から空軍への復帰を薦められるもポルコは首を縦に振らない。やがてフィオの献身によって飛空艇は復活し、人質の建前でフィオを乗せた飛空艇は秘密警察を振り切って離陸。
ポルコがアドリア海の隠れ家に帰還すると、空賊連合とマンマユート団が待ち受けており飛空艇を叩き壊そうとするが、フィオは毅然とした態度で空賊達を一喝。その場に居合わせ彼女の様子を見て一目惚れしたカーチスは、ポルコとの勝負でカーチスが勝利を収めた暁にはフィオを嫁にもらうという条件で結婚を申し入れ、フィオはポルコが勝利した場合は飛空艇の修理代全額をカーチスが負担するという条件で承諾。困惑するポルコをよそに、フィオの運命をかけた決闘が取り決められる事態となった。
【考察】
男同士の決闘や空賊などが出現するが、ポルコが豚になって以降の現在軸では非常に戦いは、誰かが死傷するような事件や事故もなく、とても平和的なのが特徴的である。人死にが出るのはポルコが空軍に所属して戦争に出ていた頃の話のみである。戦争による被害は嫌いだが、使われる兵器はかっこいいし扱いたいという監督のジレンマが感じられる。実際に武器を使うも死傷者が出ない作風になっているのは、監督なりにひたすら男のロマンのみを追求した形なのだろうと推測する。
ポルコが何故豚になってしまったのかははっきりと明かされないが、空軍時代は人間だったこと、フィオと過ごしたり、頬にキスをされたりした後に人に戻ったような描写を見ると、空軍時代に仲間を喪い一人だけ生き残ってしまった罪悪感と、それを誰にも共有できない孤独感が原因ではないだろうかと考察する。
28.『君たちはどう生きるか』(アニメ映画)(2023年)監督:宮崎駿
【概要・あらすじ】
タイトルは吉野源三郎氏の同名小説に由来しているが、原作ではない。
太平洋戦争中、眞人は実母のヒサコを火災で失う。父親の勝一は妻の妹である夏子と再婚し、眞人は母方の実家へ疎開する。屋敷の近くには青サギが住む塔が建っていた。眞人は夏子から、塔は大伯父によって建てられ、その後大伯父は塔の中で忽然と姿を消したこと、大水が出たときに塔と母屋をつなぐ通路が落ちて迷路のようなトンネルが見つかり、危なかったので入り口が埋め立てられたことを告げられる。
転校初日、眞人は帰り道で地元の少年らから暴行を受け、その後眞人は道端の石で自分の頭を殴って出血を伴う大ケガをし、屋敷で手当を受ける。翌朝、つきまとう青サギを退治しに木刀を持って庭の池の淵に出た眞人は、人の言葉をしゃべる青サギから母親は生きていると告げられ、操られた魚やカエルたちに全身を包み込まれかけたが、眞人を探しに来た夏子とばあやたちに助けられる。
眞人は母親に似た夏子を受け入れられず、見舞いに訪ねるもそっけない態度をとってしまう。ある日眞人は、砕けた木刀の代わりに弓矢を自作していると、ふと屋敷の窓から夏子が森の中へと消えていく姿を見かける。自室に戻るとヒサコが眞人のために残した吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』を見つけ、それを読み進めるうちに涙を流す。その日の夕暮れ、夏子の失踪に屋敷中が大騒ぎになる中、眞人は使用人のばあやキリコとともに、夏子を探しに森へ入ると塔の裏口に辿り着き、青サギの声に促されるまま足を踏み入れることとなる。
【考察】
キーワードは「悪意」ではないかと思われる。
人間と言う生き物は意識的にしろ無意識にしろ悪意を持っており、そんな悪意に満ちる世界で君はどのように生きるかを、作品を通して監督が観客に問いかけて来る作品だと考えた。眞人は自身が父や夏子たちに心配されることを見越して、自身で自分の頭を石で傷つけてしまう。夏子のことを新たな母として認めることが出来ず、どうにもそっけない態度をとってしまうのも眞人の悪意を示している。大叔父が石を積んでおり、その石を積む任を眞人に託そうとする。しかし、眞人は自分自身の悪意を自覚したことでその任を辞退した場面から、上記のように考察した。
眞人は異世界で手に入れた石の1つをポケットに入れて持ち帰ってきてしまう。青サギは眞人が石を持っていることを知ると、本当は異世界での不思議な経験なんてすぐに忘れてしまうこと、石を持っていれば忘れる速度が緩やかになることを告げる。何となく、宮崎監督が自身の作品を石、観客のことを眞人にも比喩しているのだろうかと考えた。
29.『千年女優』(アニメ映画)(2002年)監督:今敏
【あらすじ】
芸能界を引退して久しい伝説の大女優・藤原千代子は、自分の所属していた映画会社「銀映」の古い撮影所が老朽化によって取り壊されることについてのインタビューの依頼を承諾し、それまで一切受けなかった取材に30年ぶりに応じた。千代子のファンだった立花源也は、カメラマンの井田恭二と共にインタビュアーとして千代子の家を訪れた際、インタビューの前に千代子に小さな箱を渡す。その中に入っていたのは、古めかしい鍵だった。そして鍵を手に取った千代子は、井田に何の鍵なのかを尋ねられると、鍵を見つめながら「一番大切なものを開ける鍵…」と小声で呟いた。
【考察】
今監督特有の、現在の現実と回想の虚構が融合した世界観は同監督作品の『パプリカ』を思わせる。『パプリカ』よりもある程度現実と虚構の区別がつきやすくなっている。
物語の終盤で、千代子が発した台詞「だって私、あの人を追いかけてる私が好きなんだもの」というのが印象に残っている。ある種予想通り且つどんでん返しのような台詞である。千代子の恋は、鍵の君に鍵を返そうとするところから始まったが、いつしかその相手が生きていようが死んでいようが、実在するかしないかももはや問題ではなく、追い続けているという今の状況そのものに恋をしているのだろうと考察した。初恋の記憶が美化され、千代子は追う恋に恋をし続け、カメラには追い続ける千代子だけが残され、それが永遠に残ることから千年女優というのではないかと考えた。
30.『リズと青い鳥』(アニメ映画)(2018年)監督:山田尚子
【概要・あらすじ】
武田綾乃氏による小説シリーズ『響け!ユーフォニアム』の中の一編の『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章』が原作となっている。
高校3年生のフルート奏者・傘木希美と、同じく高校3年生のオーボエ奏者・鎧塚みぞれにとって最後のコンクールの自由曲は『リズと青い鳥』である。この曲は同名の童話を題材にした作品であり、第3楽章にはオーボエとフルートの掛け合いがある。ある日の朝練にて、二人はそのパートを試しに吹いてみることになる。早く本番を迎えたいと希美が顔を輝かせる一方で、ずっと希美と一緒にいたいと考えているみぞれは「本番なんて、一生来なくていい」と呟く。
みぞれは卒業後の進路に特に何も考えられずにいたが、トレーナーの新山聡美に音楽大学のパンフレットを渡され、音大への進学を勧められる。そのことを知った希美は、自分もその大学を受けたいとみぞれに告げる。
オーディションを終え、正式に二人がソロを担当することとなるが、なかなか演奏が噛み合わず、顧問であり指揮者の滝昇から注意されてしまう。練習後、みぞれはトランペットパートの後輩・高坂麗奈から、希美のことが信用できていないのではないかと問いかけられ、動揺する。ソロのある第3楽章は、リズと青い鳥の別れが描かれるパートである。みぞれは青い鳥を希美に重ねており、リズがなぜ青い鳥を逃がしたのかを理解できずにいた。
【考察】
山田監督らしい足での心情描写が非常に多い。足のみでも微かな動作だけで、日常系作品の情報量の薄さを感じさせないほどの見どころが生まれている。
中盤から終盤に至るまで、希美とみぞれの2人がそれぞれリズと青い鳥、どっちがどっちの担当なのかが隠されており、誘導として希美が青い鳥、みぞれがリズであるかのように思い込まされるようになっている。実際はオーボエのみぞれが青い鳥、フルートの希美がリズの立ち位置になっている。リズが青い鳥を手放したのは、本来空を飛べるはずの青い鳥を自分の元で飼い殺しにするよりも、空で同じ鳥の仲間と過ごすべきなのではないかという、真に青い鳥の幸せを願ったゆえの行為だと分かる。2人はリズと青い鳥と同じようにそれぞれ別の進路を歩むことになったが、互いへの親愛の気持ちは変わらないことを確かめ合い、卒業までの期間を共に過ごすこととなる。
親愛のある相手と共に過ごすのは、例え双方が望んでいたとしても、それが双方にとっても最良の選択なのか? ということを考えさせられる作品だと考えた。
31.『雨を告げる漂流団地』(アニメ映画)(2022年)監督:石田祐康
【概要・あらすじ】
本作は、『ペンギン・ハイウェイ』『泣きたい私は猫をかぶる』に続くスタジオコロリドの長編劇場アニメ第3作目に当たる。
小学6年生の航祐と夏芽は、まるで姉弟のように団地で育った幼馴染。小学6年生になった二人の関係性は、航祐の祖父の安次の他界をきっかけにギクシャクし始めた。夏休みのある日、航祐はクラスメイトとともに取り壊しの決まった「おばけ団地」に忍び込む。その団地は、航祐と夏芽が育った思い出の詰まった家でもあった。航祐はそこで思いがけず夏芽と遭遇し、謎の少年・のっぽの存在について聞かされる。すると彼らは突然、不思議な現象に巻き込まれる。気づくと団地は大海原を漂流していた。過酷なサバイバル生活の中で子どもたちは力を合わせ、元の世界に戻るための旅に出る。
【考察】
のっぽ君はいわゆる取り壊された団地の付喪神のような存在で、団地が失われて悲しむ夏芽を笑顔にしようと、いつか流れ着く建物の付喪神たちの冥府に着くまで共に過ごそうとしていたのだろうかと推測する。
夏芽は団地を失うことをやや過剰に恐れており、漂流する団地が嵐で沈みかけている時にも、夏芽だけはのっぽ君を見捨てられず、一緒に沈んでも構わないというような言動まで行う。生まれ育って親しんだ場所を失うことは夏芽にとってそれだけ耐え難いことなのかと考えた。自ら滅びに向かう者を引き留めることは難しいことであるとも考えられた。別れというものはいつか必ず訪れる。手放すべき時がきたら、手放すべき時のタイミングで手放せないと危険なのがあぶない
32.『サイダーのように言葉が湧きあがる』(
アニメ画)(2021年)監督:イシグロキョウヘイ
【概要・あらすじ】
アニメ音楽レーベル「フライングドッグ」の設立10周年記念作品。監督は本作がアニメ映画初監督となるイシグロキョウヘイ氏が務めている。
地方都市、小田市に暮らしている少年と少女の物語。人との会話が苦手で、他人から話しかけられないようにとヘッドフォンをいつも身に付けている男子高校生のチェリー。彼は言葉に表わせない感情や想いを、趣味で親しんでいる俳句にしてSNSに投稿していた。一方で、歯科矯正中の大きな前歯を隠すため、いつもマスクをしている女子高校生のスマイル。彼女はライブ配信を手がける人気動画配信者で、日頃から目に留まった「カワイイ」を見つけて配信しながら過ごしていた。
夏休みに、趣味の俳句以外では思い浮かんだ心情を表現できないチェリーと、見た目の劣等感を受け入れられないスマイルは、地元の大型ショッピングモールで偶然出会う。互いに劣等感を抱えたふたりは、スマイルの配信を通じて少しずつお互いを知るようになり、距離を縮めていく。
夏休み中、チェリーはショッピングモールにある福祉施設のデイサービス陽だまりで腰を痛めた母親に代わってパートに出ていた。やがてスマイルも一緒にアルバイトをするようになり、施設の利用者のフジヤマが昔失くしてしまったという想い出のピクチャーレコード『YAMAZAKURA』を探すのを手伝うことになる。
【考察】
彩度が高くはっきりとした線で描かれた、CDジャケットのイラストのような独特な背景が特徴的。背景だけでなくキャラクターを含めて画面全体の彩度が高く、現代的な作品であることを感じさせる。話の展開としては非常に王道な恋愛もので、一般人にもウケが良さそうな作品である。
出合いの場はショッピングモール、離れた場所でのやり取りはSNSを使うなど、現代社会の地方都市のリアルなあるあるを恋愛模様に取り入れて描写している。
2人の仲に物語中に大きな動きがあるかと言われると終盤以外はそこまででもなく、緩やかに仲が進展していっているような感覚がある。
33.『言の葉の庭』(アニメ映画)(2013年)監督:新海誠
【概要・あらすじ】
新海誠氏の第5作目の劇場用アニメーション映画。
靴職人を目指す高校生の秋月孝雄(タカオ)は、雨の日の午前には決まって授業をサボり、庭園のベンチで靴のデザインを考えていた。梅雨入り前のある雨の日、タカオはいつものベンチへ向かうと、チョコレートをつまみにビールを飲む女性、雪野百香里(ユキノ)に出会う。タカオはユキノにどこかで会ったことはないかと尋ねるも彼女は否定し、『万葉集』の短歌 「雷神の 少し響みて さし曇り 雨も降らぬか きみを留めむ」を言い残して去っていった。
その後、2人の住む関東は本格的に梅雨入りし、雨の日の午前だけのささやかな交流がはじまる。
【考察】
画として特徴的なのは、周囲の環境の色を反射光に入れて照り返しに色を付けている箇所である。新海監督作品は、背景を写真で撮ったもののように見せかけて、全て写真よりきれいな背景画像に仕上げている、映像表現にカメラのレンズの反射光のような光や、新宿御苑の周囲の緑を照り返してキャラクターに反映させる技法を使用した技法は新海監督特有の光の使い方である。
話の流れとしては前の『サイダーのように言葉が湧きあがる』よりも更に関係値の起伏は緩やかで、教師と生徒という関係なのもあり、この二人の間で劇的な何かはほとんど起こらない。穏やかで落ち着いた空気がしっとりとした空気が流れる。物語的な起伏はあまりなく、終盤にユキノがタカオの通う高校の先生だったことを知ってから、タカオがユキノのためにやや大きく動き出すが、それでもユキノいじめが何か解決するわけでもないのが実にリアルだと感じた。
ラストのシーンでは手ブレカメラと定点カメラの使い分けと、カメラレンズによって反射したような光を入れて実写化のようなリアルな表現を追求しているように見えた。
4年 住田
RES
11、プリンセスと魔法のキス(映画)
あらすじ
いつか自分のレストランを持ちたいと夢見ながら懸命に働く、貧しい家の少女ティアナ。仮装舞踏会の夜、彼女は1匹のカエルと出会う。カエルは自らをとある王国の王子だと名乗り、呪いを解くためにキスをしてほしいと懇願。嫌がっていた彼女も、根負けしてキスを受け入れる。しかしその瞬間、ティアナもカエルに変身してしまう。
面白いがあと一歩何か足りない感じだったが、ミュージカル調のため所々に挟まる楽曲は素晴らしかった。主人公のあこがれのレストランがもやっとした雰囲気で描かれててつかみきれてない夢の感じがあってよかった。ヴィランの登場場面どれも良い、唆すところから死ぬところまで全部不気味でかっこいいここは映画館で見たい場面。ディズニーっぽいかと言われると違う、ギャグや動物の描写といった部分が今までのディズニーとは違っている感覚があった。ファンタジアに近い雰囲気を感じた。
12、 キッチン/吉本ばなな(小説)
あらすじ
唯一の肉親であった祖母を亡くし、祖母と仲の良かった雄一とその母(実は父親)の家に同居することになったみかげ。日々の暮らしの中、何気ない二人の優しさに彼女は孤独な心を和ませていく。
題名は知っていたが実際に読んだのは初めてで、短編であることに驚いた。題名からは予想できない内容で、全編通して暗い気配を感じたものの、その中で生きるキャラクター達は明るく不思議なギャップのある物語だと感じた。
13、ズートピア(映画)
あらすじ
どんな動物も快適に暮らせる世界。ウサギの女の子ジュディは、大きく強健な動物だけがなれる警察官になりたかった。そして、史上初のウサギの警察官を夢見て大都会ズートピアにやってくるジュディ。周囲に認められようと奮闘する中、彼女はキツネの詐欺師ニックと出会い、行方不明になったカワウソを追うことになる。
各動物の特徴を捉えた上でストーリーが作られていたので違和感なく見ることが出来た。テンポがよく、ハラハラする場面も考えさせられる場面もあり世界観から感じる可愛い雰囲気には収まりきらない深みがあると思った。
14、 ウィッシュ(映画)
あらすじ
17歳の少女アーシャが暮らす王国は、どんな願いでも叶うといわれる魔法の国。国民は、魔法を操る国王に願いを託すだけでよかった。しかし国王の本当の目的は、国民の願いを独占することで魔力を得ることにあった。それを知ったアーシャは自分の祖父の願い、そしてみんなの為に立ち上がる。
個人的にはとても面白かったと思ったのだがあまり世間の評価は高くないようで残念。"願い"を主軸に進んでいく物語であるが、その願いに関する深掘りが少なく、物語の基盤になる世界観が曖昧だったような気がした。しかし過去の作品のオマージュや簡潔で王道なストーリー展開は、ディズニーらしさのように感じたため私はとても好きな作品だ。
15、 ワンス・アポン・ア・スタジオ(映画)
あらすじ
ディズニーの作品が生まれるピクサーアニメーションスタジオ。そこで命を吹き込まれたキャラクターたちが集まる。
9分ほどの短編映画だが、感動した。全然作画が異なっている作品も同じ画面にいてあまりにも夢がありすぎた。ミッキーがウォルトに脱帽する場面で号泣、知らないキャラクターもいたけれどこの作品はディズニーだからこそ作れるもので、重みが違うと思った。
16、 傷物語-こよみヴァンプ-(映画)
あらすじ
春休みの3月25日。阿良々木暦は、学校一の優等生・羽川翼と知り合い、彼女から金髪の吸血鬼の噂を聞く。その夜、暦は噂の吸血鬼と遭遇してしまう。だが暦が目にしたのは、そんな彼女が四肢を切断され、血だらけで無惨に横たわっている姿だった。驚愕する暦に向かって彼女は儂を助けさせてやる。だから、血を寄こせと語る。
過去に三部作で放映されたものを一本にまとめた作品で、相変わらず素晴らしいクオリティだった。シリーズを見すぎて感覚が麻痺していたが、やはり独特な表現が多く小説で感じる独自の言い回しなどを映像から感じるように作っているところはリスペクトと愛を感じた。
17、 ハリーポッターと賢者の石(映画)
あらすじ
孤児の少年ハリー・ポッターのもとに、ホグワーツ魔法魔術学校への入学を許可する手紙が舞い込む。彼の両親は有名な魔法使いで、彼もその血を受け継いでいたことが判明。ハリーは無事入学し友達もできるが、やがて学校に隠された驚くべき秘密に気づく。
全シリーズ好きで、久しぶりに1作目を見るとキャラクターみんなが幼く可愛い!という気持ちになってしまう。1作目なのでまだ設定が決まりきってない部分などがあるのか多少粗が目立つが、王道という感じで面白かった。
18、ハズビン・ホテルへようこそ(アニメ)
あらすじ
地獄の惨状を憂うプリンセス・チャーリーが悪魔たちの更生を願って立ち上げたホテルを舞台に、ポップで悪辣な地獄の住人たちが繰り広げる、鮮血と罵詈雑言にまみれたヒューマンドラマ。
ずっと大好きで正式な日本語版がでると知った時にとても嬉しかった作品。血も出るし下品なネタばかりだが、物語の軸ははっきりしていて見やすかった。各キャラクターが異常なまでにたっていて近年の推しの文化とマッチしてるように感じた。Amazonプライムにあるので是非見てください。
19、カミエラビ(アニメ)
あらすじ
都内私立高校に通う高校一年生のゴローには、「望み」や「夢」もなければ「野望」もない。 世界は彼にとって「無関心」なものである。退屈な日常を過ごしていた彼に突然の変化が訪れる。
ボカロPのじんさんが関わっているということで視聴した作品。ザCGアニメといった感じで最初のうちは動きが固く見え、違和感があった。ストーリー自体は面白く、2期に全ての伏線回収を任せている感じがあったので細かいところについては何とも言えない。
20、ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密(映画)
あらすじ
闇の魔法使い・グリンデルバルドが魔法界を支配しようと動きだす。迫りくる驚異にダンブルドアは魔法動物学者ニュートを初めとした魔法使い、魔女、そしてマグルのパン屋からなるチームを結成。一行はさまざまな魔法動物と出会いながら、グリンデルバルドの信奉者たちと戦いを繰り広げる。
ファンタスティックビーストシリーズの3作目で、ハリーポッターシリーズでも活躍するダンブルドアの過去がメインで描かれる。このダンブルドアが性格が良くない。どちらのシリーズでも見られる特徴だが、周りが彼を完全無欠人間に仕立て上げている反面本質的に弱い人間であるところがよく見えた。それにずっと振り回される話のように感じたが、最終的には収まるところに収まっているので面白さと言う点ではかなりポイントが高い。続編の予定がないと言われているが、いつか続きが来ることを気長に待とうと思う。
あらすじ
いつか自分のレストランを持ちたいと夢見ながら懸命に働く、貧しい家の少女ティアナ。仮装舞踏会の夜、彼女は1匹のカエルと出会う。カエルは自らをとある王国の王子だと名乗り、呪いを解くためにキスをしてほしいと懇願。嫌がっていた彼女も、根負けしてキスを受け入れる。しかしその瞬間、ティアナもカエルに変身してしまう。
面白いがあと一歩何か足りない感じだったが、ミュージカル調のため所々に挟まる楽曲は素晴らしかった。主人公のあこがれのレストランがもやっとした雰囲気で描かれててつかみきれてない夢の感じがあってよかった。ヴィランの登場場面どれも良い、唆すところから死ぬところまで全部不気味でかっこいいここは映画館で見たい場面。ディズニーっぽいかと言われると違う、ギャグや動物の描写といった部分が今までのディズニーとは違っている感覚があった。ファンタジアに近い雰囲気を感じた。
12、 キッチン/吉本ばなな(小説)
あらすじ
唯一の肉親であった祖母を亡くし、祖母と仲の良かった雄一とその母(実は父親)の家に同居することになったみかげ。日々の暮らしの中、何気ない二人の優しさに彼女は孤独な心を和ませていく。
題名は知っていたが実際に読んだのは初めてで、短編であることに驚いた。題名からは予想できない内容で、全編通して暗い気配を感じたものの、その中で生きるキャラクター達は明るく不思議なギャップのある物語だと感じた。
13、ズートピア(映画)
あらすじ
どんな動物も快適に暮らせる世界。ウサギの女の子ジュディは、大きく強健な動物だけがなれる警察官になりたかった。そして、史上初のウサギの警察官を夢見て大都会ズートピアにやってくるジュディ。周囲に認められようと奮闘する中、彼女はキツネの詐欺師ニックと出会い、行方不明になったカワウソを追うことになる。
各動物の特徴を捉えた上でストーリーが作られていたので違和感なく見ることが出来た。テンポがよく、ハラハラする場面も考えさせられる場面もあり世界観から感じる可愛い雰囲気には収まりきらない深みがあると思った。
14、 ウィッシュ(映画)
あらすじ
17歳の少女アーシャが暮らす王国は、どんな願いでも叶うといわれる魔法の国。国民は、魔法を操る国王に願いを託すだけでよかった。しかし国王の本当の目的は、国民の願いを独占することで魔力を得ることにあった。それを知ったアーシャは自分の祖父の願い、そしてみんなの為に立ち上がる。
個人的にはとても面白かったと思ったのだがあまり世間の評価は高くないようで残念。"願い"を主軸に進んでいく物語であるが、その願いに関する深掘りが少なく、物語の基盤になる世界観が曖昧だったような気がした。しかし過去の作品のオマージュや簡潔で王道なストーリー展開は、ディズニーらしさのように感じたため私はとても好きな作品だ。
15、 ワンス・アポン・ア・スタジオ(映画)
あらすじ
ディズニーの作品が生まれるピクサーアニメーションスタジオ。そこで命を吹き込まれたキャラクターたちが集まる。
9分ほどの短編映画だが、感動した。全然作画が異なっている作品も同じ画面にいてあまりにも夢がありすぎた。ミッキーがウォルトに脱帽する場面で号泣、知らないキャラクターもいたけれどこの作品はディズニーだからこそ作れるもので、重みが違うと思った。
16、 傷物語-こよみヴァンプ-(映画)
あらすじ
春休みの3月25日。阿良々木暦は、学校一の優等生・羽川翼と知り合い、彼女から金髪の吸血鬼の噂を聞く。その夜、暦は噂の吸血鬼と遭遇してしまう。だが暦が目にしたのは、そんな彼女が四肢を切断され、血だらけで無惨に横たわっている姿だった。驚愕する暦に向かって彼女は儂を助けさせてやる。だから、血を寄こせと語る。
過去に三部作で放映されたものを一本にまとめた作品で、相変わらず素晴らしいクオリティだった。シリーズを見すぎて感覚が麻痺していたが、やはり独特な表現が多く小説で感じる独自の言い回しなどを映像から感じるように作っているところはリスペクトと愛を感じた。
17、 ハリーポッターと賢者の石(映画)
あらすじ
孤児の少年ハリー・ポッターのもとに、ホグワーツ魔法魔術学校への入学を許可する手紙が舞い込む。彼の両親は有名な魔法使いで、彼もその血を受け継いでいたことが判明。ハリーは無事入学し友達もできるが、やがて学校に隠された驚くべき秘密に気づく。
全シリーズ好きで、久しぶりに1作目を見るとキャラクターみんなが幼く可愛い!という気持ちになってしまう。1作目なのでまだ設定が決まりきってない部分などがあるのか多少粗が目立つが、王道という感じで面白かった。
18、ハズビン・ホテルへようこそ(アニメ)
あらすじ
地獄の惨状を憂うプリンセス・チャーリーが悪魔たちの更生を願って立ち上げたホテルを舞台に、ポップで悪辣な地獄の住人たちが繰り広げる、鮮血と罵詈雑言にまみれたヒューマンドラマ。
ずっと大好きで正式な日本語版がでると知った時にとても嬉しかった作品。血も出るし下品なネタばかりだが、物語の軸ははっきりしていて見やすかった。各キャラクターが異常なまでにたっていて近年の推しの文化とマッチしてるように感じた。Amazonプライムにあるので是非見てください。
19、カミエラビ(アニメ)
あらすじ
都内私立高校に通う高校一年生のゴローには、「望み」や「夢」もなければ「野望」もない。 世界は彼にとって「無関心」なものである。退屈な日常を過ごしていた彼に突然の変化が訪れる。
ボカロPのじんさんが関わっているということで視聴した作品。ザCGアニメといった感じで最初のうちは動きが固く見え、違和感があった。ストーリー自体は面白く、2期に全ての伏線回収を任せている感じがあったので細かいところについては何とも言えない。
20、ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密(映画)
あらすじ
闇の魔法使い・グリンデルバルドが魔法界を支配しようと動きだす。迫りくる驚異にダンブルドアは魔法動物学者ニュートを初めとした魔法使い、魔女、そしてマグルのパン屋からなるチームを結成。一行はさまざまな魔法動物と出会いながら、グリンデルバルドの信奉者たちと戦いを繰り広げる。
ファンタスティックビーストシリーズの3作目で、ハリーポッターシリーズでも活躍するダンブルドアの過去がメインで描かれる。このダンブルドアが性格が良くない。どちらのシリーズでも見られる特徴だが、周りが彼を完全無欠人間に仕立て上げている反面本質的に弱い人間であるところがよく見えた。それにずっと振り回される話のように感じたが、最終的には収まるところに収まっているので面白さと言う点ではかなりポイントが高い。続編の予定がないと言われているが、いつか続きが来ることを気長に待とうと思う。
4年 住田
RES
1, ラストマン-全盲の捜査官-(ドラマ)
あらすじ
福山雅治演じる皆実広見という全盲のFBI捜査官が日本の警視庁と共に事件に挑んでいく物語。
1話完結で途中から見ても置いていかれることは少ない、見やすいドラマだった。癖の強いキャストで繰り広げられていながら、ストーリーは堅実で大泉洋の泣きの演技など個人の技術が光る内容だった。最後は感動させるように仕向けておきながら、その通りには行かない脚本にまんまと嵌められた感じがあって爽快だった。
2, VIVANT(ドラマ)
あらすじ
日本と中央アジアを駆け巡る、限界突破、予測不能なアドベンチャードラマ。国際テロ組織テントを追う公安と別班を主に描く。
毎週毎週新たな謎が増えていき、最後まで飽きることなく駆け抜けてしまったこと作品。登場キャラクター全てが魅力的で、その中で紡がれる人間関係に救われたり苦しく思ったりと感情が揺さぶられる場面が多かった。しかし頭脳戦のような場面もあり、毎回異なる楽しみ方が出来る作品だと感じた。
3, 人魚の眠る家/東野圭吾(小説)
あらすじ
「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に当然の悲報が届く。娘がプールで溺れた。病院で彼等を待っていたのは"おそらく脳死"という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。
脳死は人の死か、理系でない私でもそれが定期的に問題に上がることは知っている。ただニュースで見かけても遠い世界のことのように感じていた。しかしこの作品に触れて、もし自分の命に替えても守りたい人が脳死状態に陥ったら自分がどうするのか考える機会になった。薫子の気持ちは痛いほど分かるが、彼女の判断に対する世間の反応も当然で守りたいものがあるのは皆同じで分かり合えるなのにどうして上手くいかないのか虚しく思った。
4, 葬送のフリーレン(アニメ)
物語の舞台は、千年以上生きるエルフの魔法使いフリーレンが勇者ヒンメルたちと共に魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらした「その後」の世界。ヒンメルたちと再会の約束をして旅に出たフリーレンは50年後にヒンメルのもとを訪れるが、変わらぬ姿のフリーレンに対しヒンメルは老い、人生は残りわずかだった。その後、ヒンメルの死を目の当たりにして「人を知る」ことをしてこなかった自分を悔いたフリーレンは「人を知るため」の旅に出る。
ゆったりとした時間が流れ、エルフと人間の間の物理的な繋がりではなく心を通わせる様子が丁寧に描かれていた。主人公の過去だけでなく、道中で出会うどのキャラクターにも過去があり今まで生きてきた歴史があることを印象づけるような演出が多くフリーレンの掲げた「人を知る」ということが間接的に私たちにも関わっているように感じた。新しい視点で面白い話だったが、普通の30分のアニメーションくらいの長さでちょうどいいかもしれない、2時間でスローテンポだと少し間延びしたように感じてしまった。
5, 水を縫う/寺地はるな(小説)
あらすじ
松岡清澄、高校一年生。 一歳の頃に父と母が離婚し、祖母と、市役所勤めの母と、結婚を控えた姉の水青との四人暮らし。それぞれが抱える葛藤を描いた短編集。世の中の〈普通〉を踏み越えていく、清々しい家族小説。
清澄が姉のためにウエディングドレスを作るという決意から始まる物語。日頃日常を描いた小説を読まない私としては果たして面白いのだろうかと思っていたが、みな何かしら事情や情熱を胸に抱えていてそれが良い方に進んでいく様はまさに流れる水のようで読み手にとっては些細な日常でもきっと彼らにとってはキラキラ輝く新しい日々なんだなと思い、読んでよかったと思った。
6、 ミステリと言う勿れ(映画)
あらすじ
大学生の久能整は、独自の価値観と持論で淡々と会話で謎を解き明かしていた。美術展を見に広島を訪れた整は、ある事件で知り合った青年・犬堂を通して、高校生の狩集汐路に出会う。整は代々死者まで出る狩集家の遺産問題をめぐるアルバイトをもちかけられ…
TVドラマを視聴していたため、その流れで観た映画。約2時間と長編の作品だったが、物語内での起伏が大きく、あっという間に感じた。しかし推理自体は難解なものではなく、周囲の人の心を解きほぐす久能整のセリフの巧みさが際立っていた。
7, 狐笛のかなた/上橋菜穂子(小説)
あらすじ
一族の領地争いに巻き込まれた少女と少年と狐。 守るために隠された少年小春丸は、境遇は違えど同じように隠され守られているような少女小夜と出会い、幼少期の淡い思い出を作る。 一方術で縛られ自由を奪われた霊狐の野火は、助けてくれた小夜への淡い恋心を抱き続ける。
小学生の頃に読んだ作品を今になって改めて読み直してみた。よくあるファンタジーの物語でありながら、作中で大切に描かれる幼いふたりの純愛、それに相反するような呪いの世界、全ての要素が美しく絡み合っていて清らかな気持ちになった。結局、新しい世の中を作っていくのは純粋な思いを持つ子どたちであるという部分も美しく思えた。
8,スパイダーマン:ファー・フロム・ホー厶(映画)
あらすじ
スパイダーマンとして活躍を続けてきたピーターは、夏休みに学校の仲間たちとヨーロッパ旅行に出かける。そんな中、水の都ベネチアでモンスターが出現し、異次元から来た謎のヒーロー・ミステリオが人々の危機を救う。一方、ピーターは元S.H.I.E.L.D.長官のニック・フューリーと再会。エレメンタルズと呼ばれる自然の力を操る存在が、ヨーロッパ各地に脅威をもたらしていることを知る。
はじめてMARVEL作品を見たが、思っていたよりコミカルでアメリカンな感じがあってよかった。CGによる映像技術が凄まじく、突飛な内容なのに説得力があった。
9,スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム
(映画)
あらすじ
前作で倒した敵の暴露により、世間から悪評を受けるスパイダーマン。自分の正体が知られていない世界に戻りたいと思うようになった彼は、友人のドクター・ストレンジに助けを求める。やがて魔法の力で、彼は違う世界線で2つの人生を同時に歩み始める。
主人公が好き勝手しすぎて、周囲の人々もそれに対して怒ったりせずに大人が迷惑被るという個人的に苦手なタイプの話だったため前作の方が面白かった。映像は変わらず凄まじく、映画館で見たら圧倒されそうだと思った。マルチバースなどの時空が歪む系の物語だが難解さはなく、見やすいと思う。
10、ミラベルと魔法だらけの家(映画)
あらすじ
魔法の力に包まれた家に暮らすマドリガル家では、5歳の誕生日を迎えると、家族の誰もが魔法の才能を家から与えられていた。そんなある日、家に大きな亀裂が発生。世界から魔法の力が失われようとしていた。マドリガル家に最大の危機が訪れる中、家族を救うための唯一の希望が、魔法の才能を持たない普通の少女・ミラベルに託される。
よくあるファミリーものの物語だけど、極端に性格の悪いキャラや見るからに悪者のようなキャラがいなくてよかった。映像が綺麗だしなにより頻繁に挟まる曲が耳に残りやすく楽しい気持ちになった。ブルーノの話からプロポーズパーティーに繋がる楽曲、それぞれのメンバーでガラッと違う曲になっているのに親和性が高く良かった。
あらすじ
福山雅治演じる皆実広見という全盲のFBI捜査官が日本の警視庁と共に事件に挑んでいく物語。
1話完結で途中から見ても置いていかれることは少ない、見やすいドラマだった。癖の強いキャストで繰り広げられていながら、ストーリーは堅実で大泉洋の泣きの演技など個人の技術が光る内容だった。最後は感動させるように仕向けておきながら、その通りには行かない脚本にまんまと嵌められた感じがあって爽快だった。
2, VIVANT(ドラマ)
あらすじ
日本と中央アジアを駆け巡る、限界突破、予測不能なアドベンチャードラマ。国際テロ組織テントを追う公安と別班を主に描く。
毎週毎週新たな謎が増えていき、最後まで飽きることなく駆け抜けてしまったこと作品。登場キャラクター全てが魅力的で、その中で紡がれる人間関係に救われたり苦しく思ったりと感情が揺さぶられる場面が多かった。しかし頭脳戦のような場面もあり、毎回異なる楽しみ方が出来る作品だと感じた。
3, 人魚の眠る家/東野圭吾(小説)
あらすじ
「娘の小学校受験が終わったら離婚する」。そう約束していた播磨和昌と薫子に当然の悲報が届く。娘がプールで溺れた。病院で彼等を待っていたのは"おそらく脳死"という残酷な現実。一旦は受け入れた二人だったが、娘との別れの直前に翻意。医師も驚く方法で娘との生活を続けることを決意する。狂気とも言える薫子の愛に周囲は翻弄されていく。
脳死は人の死か、理系でない私でもそれが定期的に問題に上がることは知っている。ただニュースで見かけても遠い世界のことのように感じていた。しかしこの作品に触れて、もし自分の命に替えても守りたい人が脳死状態に陥ったら自分がどうするのか考える機会になった。薫子の気持ちは痛いほど分かるが、彼女の判断に対する世間の反応も当然で守りたいものがあるのは皆同じで分かり合えるなのにどうして上手くいかないのか虚しく思った。
4, 葬送のフリーレン(アニメ)
物語の舞台は、千年以上生きるエルフの魔法使いフリーレンが勇者ヒンメルたちと共に魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらした「その後」の世界。ヒンメルたちと再会の約束をして旅に出たフリーレンは50年後にヒンメルのもとを訪れるが、変わらぬ姿のフリーレンに対しヒンメルは老い、人生は残りわずかだった。その後、ヒンメルの死を目の当たりにして「人を知る」ことをしてこなかった自分を悔いたフリーレンは「人を知るため」の旅に出る。
ゆったりとした時間が流れ、エルフと人間の間の物理的な繋がりではなく心を通わせる様子が丁寧に描かれていた。主人公の過去だけでなく、道中で出会うどのキャラクターにも過去があり今まで生きてきた歴史があることを印象づけるような演出が多くフリーレンの掲げた「人を知る」ということが間接的に私たちにも関わっているように感じた。新しい視点で面白い話だったが、普通の30分のアニメーションくらいの長さでちょうどいいかもしれない、2時間でスローテンポだと少し間延びしたように感じてしまった。
5, 水を縫う/寺地はるな(小説)
あらすじ
松岡清澄、高校一年生。 一歳の頃に父と母が離婚し、祖母と、市役所勤めの母と、結婚を控えた姉の水青との四人暮らし。それぞれが抱える葛藤を描いた短編集。世の中の〈普通〉を踏み越えていく、清々しい家族小説。
清澄が姉のためにウエディングドレスを作るという決意から始まる物語。日頃日常を描いた小説を読まない私としては果たして面白いのだろうかと思っていたが、みな何かしら事情や情熱を胸に抱えていてそれが良い方に進んでいく様はまさに流れる水のようで読み手にとっては些細な日常でもきっと彼らにとってはキラキラ輝く新しい日々なんだなと思い、読んでよかったと思った。
6、 ミステリと言う勿れ(映画)
あらすじ
大学生の久能整は、独自の価値観と持論で淡々と会話で謎を解き明かしていた。美術展を見に広島を訪れた整は、ある事件で知り合った青年・犬堂を通して、高校生の狩集汐路に出会う。整は代々死者まで出る狩集家の遺産問題をめぐるアルバイトをもちかけられ…
TVドラマを視聴していたため、その流れで観た映画。約2時間と長編の作品だったが、物語内での起伏が大きく、あっという間に感じた。しかし推理自体は難解なものではなく、周囲の人の心を解きほぐす久能整のセリフの巧みさが際立っていた。
7, 狐笛のかなた/上橋菜穂子(小説)
あらすじ
一族の領地争いに巻き込まれた少女と少年と狐。 守るために隠された少年小春丸は、境遇は違えど同じように隠され守られているような少女小夜と出会い、幼少期の淡い思い出を作る。 一方術で縛られ自由を奪われた霊狐の野火は、助けてくれた小夜への淡い恋心を抱き続ける。
小学生の頃に読んだ作品を今になって改めて読み直してみた。よくあるファンタジーの物語でありながら、作中で大切に描かれる幼いふたりの純愛、それに相反するような呪いの世界、全ての要素が美しく絡み合っていて清らかな気持ちになった。結局、新しい世の中を作っていくのは純粋な思いを持つ子どたちであるという部分も美しく思えた。
8,スパイダーマン:ファー・フロム・ホー厶(映画)
あらすじ
スパイダーマンとして活躍を続けてきたピーターは、夏休みに学校の仲間たちとヨーロッパ旅行に出かける。そんな中、水の都ベネチアでモンスターが出現し、異次元から来た謎のヒーロー・ミステリオが人々の危機を救う。一方、ピーターは元S.H.I.E.L.D.長官のニック・フューリーと再会。エレメンタルズと呼ばれる自然の力を操る存在が、ヨーロッパ各地に脅威をもたらしていることを知る。
はじめてMARVEL作品を見たが、思っていたよりコミカルでアメリカンな感じがあってよかった。CGによる映像技術が凄まじく、突飛な内容なのに説得力があった。
9,スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム
(映画)
あらすじ
前作で倒した敵の暴露により、世間から悪評を受けるスパイダーマン。自分の正体が知られていない世界に戻りたいと思うようになった彼は、友人のドクター・ストレンジに助けを求める。やがて魔法の力で、彼は違う世界線で2つの人生を同時に歩み始める。
主人公が好き勝手しすぎて、周囲の人々もそれに対して怒ったりせずに大人が迷惑被るという個人的に苦手なタイプの話だったため前作の方が面白かった。映像は変わらず凄まじく、映画館で見たら圧倒されそうだと思った。マルチバースなどの時空が歪む系の物語だが難解さはなく、見やすいと思う。
10、ミラベルと魔法だらけの家(映画)
あらすじ
魔法の力に包まれた家に暮らすマドリガル家では、5歳の誕生日を迎えると、家族の誰もが魔法の才能を家から与えられていた。そんなある日、家に大きな亀裂が発生。世界から魔法の力が失われようとしていた。マドリガル家に最大の危機が訪れる中、家族を救うための唯一の希望が、魔法の才能を持たない普通の少女・ミラベルに託される。
よくあるファミリーものの物語だけど、極端に性格の悪いキャラや見るからに悪者のようなキャラがいなくてよかった。映像が綺麗だしなにより頻繁に挟まる曲が耳に残りやすく楽しい気持ちになった。ブルーノの話からプロポーズパーティーに繋がる楽曲、それぞれのメンバーでガラッと違う曲になっているのに親和性が高く良かった。