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中村昂太郎 RES
二年 中村昂太郎

1 ブレイブリーデフォルト フライングフェアリー(ゲーム) 製作:スクウェア・エニックス
[概要]
スクウェア・エニックスより2012年10月11日に発売されたニンテンドー3DS用に作られたロールプレイングゲーム。

本作の舞台となる「ルクセンダルク」には様々な世界が拡がっている。
砂漠の中の国、終わらない内戦の続く国、女性だけが暮らす国…
そこになにが待ち受けているのか?

光の戦士となって、遥かなる「ルクセンダルク」の地へ
世界に突如、大穴が空いた。カルディスラ大陸を抉るように空いた大穴は、近くの小さな集落ノルエンデを丸ごと飲み込んだ。
大穴からあふれ出した闇は、人々に輝きをもたらしてきたクリスタルをも飲み込む。
風は止まり、海は濁り、山は火を噴いた。
世界はゆっくりと、確実に闇につつまれようとしていた。

ブレイブリーデフォルトのバトルシステムは、ターン制のスタンダードスタイル。馴染みやすく、スピーディな操作感を重視しながら、さらなる進化を遂げる。FFシリーズでおなじみのジョブチェンジシステムを搭載。ジョブとアビリティの組み合わせで戦略性が大きく拡がっていきます。

[考察]
 このゲームが発売された際のキャッチコピーは、「これはFFではない」というものだった。 FFとはファイナルファンタジー(以下FFと表記)シリーズのことで、この作品の戦闘システムや世界観はFFを踏襲したものとなっている。
 ストーリー展開は王道ファンタジー。故郷を失った少年が、旅の途中で出会った仲間たちと一緒に世界を救う物語。しかし、その道中に遭遇する多くの事件が、国中にばら撒かれた依存性のあるアクセサリーや、政治的方針の違いから激化した内戦、技術発展のため他国へ侵略を行う国など、とてもハードなものとなっている。さらに、物語の終盤には主人公たちが世界を救うと信じて行っていた行為が、全て世界を終わらせるためのものだったことが明らかになる。
 このようにストーリーがハードな内容となっていることの理由として、私は概要にもあった「光の戦士」というキーワードに注目して考察したい。光の戦士とは、スクウェア・エニックス制作のFF14に登場する単語で、主人公のことを指す、異能の力を持ち光の加護を受けた者の名である。FFシリーズの要素を多く踏襲しているブレイブリーデフォルト(以下BDFEと表記)において、この光の戦士という単語は当然重要な意味を持つものだろう。しかし、作中でこの単語が登場するのは物語の最終盤、主人公たちが黒幕、いわゆるラスボスへと挑む直前に、主人公たちに向けて放たれたものだ。さらに、BDFEの主人公たちは異能など持っておらず、光の加護も無い。ではなぜそんな主人公たちを指して、「光の戦士」という言葉が使われたのか。それは彼らの精神性が大きく関係していると考える。
 先述したように、BDFEのストーリーは非常にハードだ。ただ敵を倒すだけで解決する事件は、物語が進むにつれてどんどん少なくなっていく。何が正しいのかも分からなくなっていく中、主人公たちは自分たちの行為が世界を救うのだと信じて、己を鼓舞し進んでいく。だがその希望すら欺瞞であったとわかり、彼らは絶望の淵に立たされる。しかし、それでも彼らは諦めなかった。世界を救うために、また立ち上がったのだ。BDFEにおける光の戦士とは、この「どれだけ絶望しても諦めない心」を持つ者であると私は考える。
 子ども向けと言うには少々ハードなストーリーであるからこそ、決して諦めない主人公たちの強さにプレイヤーは心を打たれる。彼らと共に世界を救いたいと思えるだろう。その時、プレイヤーもまた、「光の戦士」となる得るのだ。BDFEは、重く苦しい現実を乗り越えて前に進む人間の強さを描いた作品だった。


2 僕らはみんな河合荘(漫画) 作者:宮原るり
[概要]
親の転勤で念願の一人暮らしをすることになった高一男子、宇佐は今どき珍しいまかない付き下宿「河合荘」に住むことになった。
河合荘には憧れの先輩、律も住んでいて、楽しい高校生活を夢見るが…?
行列な個性を持った残念な住人たちに囲まれ、宇佐は彼らに振り回される毎日で…果たして理想の高校生活が送れるのか…?

[考察]
 メインストーリーである宇佐と律の恋愛模様はとてもゆっくり丁寧に描かれており、無愛想で他者と壁を作っていた律が宇佐に対して徐々に心を開いていく過程が読者にも非常にわかりやすくなっている。また、その二人だけでなく、河合荘に住む住人たちとの友達以上家族未満とも言うべき関係も、読んでいて心温まるものとなっている。
 この作品のテーマは、作中で言及されている通り、「人と人が関わることによって生じる変化」だと考える。それが特に表れているのはヒロインの律だ。最序盤の彼女は「一人でいるのが好きだけど、ずっと一人でいたいわけじゃない」という、作中で宇佐からも「めんどくさい人」と言われる難がある性格だった。しかし主人公の宇佐の猛烈なアプローチをきっかけに、河合荘の住人や同級生、後輩など様々な人と関わっていくことによって、彼女は自分と向き合い、人と関わることの楽しさを知った。そしてそんな彼女を見た周りの人間たちもまた、子供、大人問わず、目を背けていたことに向き合い、前へと進んでいく。これこそが「人と人が関わることによって生じる変化」なのだ。
 そして、この変化の中心にあるのが、河合荘という下宿だ。一つ屋根の下では、男も女も子供も大人も関係なく、全員が対等である。だからこそ、そこに住む人間たちはどこか残念な自分をさらけ出して、時にぶつかり合い、時に助け合いながら生活できているのだろう。だからこそ、そうした中で変化が起こるのだと、私は考える。
 長い人生の中で、河合荘は仮宿でしかないが、そこで生じた変化は、そこを巣立ってからもずっと自分の中に残り続ける。それはこの作品を読んだ読者も同じだ。この作品は他者と関わることの素晴らしさを説き、そうして生じた変化を肯定する、前へと進む活力を与えてくれる物語なのだ。
 

3 NieR Automata(ゲーム) 製作:スクウェア・エニックス
[概要]
2017年に発売されたスクウェア・エニックス製作のゲーム。

西暦5012年。
突如地球へと飛来してきた<エイリアン>と、
彼らが生み出した<機械生命体>により、
人類は絶滅の危機に陥った。
月へと逃げのびた僅かな人類は、地球奪還のため、
<アンドロイド>の兵士を用いた反攻作戦を開始。
しかし無限に増殖し続ける
<機械生命体>を前に、戦いは膠着状態に陥る。
人類は最終兵器として、
新型のアンドロイド<ヨルハ>部隊を地球へ派遣。
新たに地球へと派遣された<2B>は
先行調査員の<9S>と合流し、
任務にあたるが、その最中で、
数々の不可解な現象に遭遇し……。

これは人類のために戦い続ける、
命なき<アンドロイド>の物語――。

[考察]
 戦う意味を無くしたことにも気づかず殺し合う被造物たちの物語。被造物であるが故に、創造主の命令に逆らうという選択肢すら思い浮かばず、創造主の自作自演に巻き込まれたり、相手に心は無く、意思も無いと互いが自分自身に言い聞かせる構図は、現実の戦場で戦う兵士たちに関する問題にも通ずるものだと感じた。
 殺し合う相手にも心があり、意思がある。家族があり、友がいる。これは考えればすぐにわかることからも、自分の心を守るために目を逸らしながら戦っている兵士たちが、敵と関わっていくことで徐々に向き合っていき、様々な事件に遭遇しながらやがてどのように生きるべきか苦悩する様を描いた作品だった。このように表すと、この作品の根幹を成すテーマの一つにありふれた反戦的要素があるということが分かる。飛び道具的な斬新で目を惹きやすい設定の中に、こういった馴染みのあるテーマがあることで、作品そのものに入り込みやすくなっている。
 また、プレイヤーが兵士たちを動かし、感情移入することで、戦うことがアイデンティティである兵士たちでも、戦いをやめて新たなアイデンティティを確立することができると身をもって体験するということから、アイデンティティは周囲の環境ではなく、自分の意思によって決められるべきだというメッセージも込められていることが分かる。


4 アンナチュラル(ドラマ) 監督:塚原あゆ子
[概要]
主人公・ミコトの職業は、死因究明のスペシャリストである解剖医。
彼女が許せないことは、「不自然な死(アンナチュラル・デス)」を放置すること。不自然な死の裏側には、必ず突き止めるべき真実がある。偽装殺人・医療ミス・未知の症例…。しかし日本においては、不自然死のほとんどは解剖されることなく荼毘に付されている。その現実に、彼女は個性豊かなメンバーと共に立ち向かうことになる。

[考察]
 不自然死を究明する物語という構成上、残された遺族、恋人、友人に焦点が当たることが多く、「近しい人の死にどう向き合っていくか」もテーマの一つになっている。終盤に向かうにつれて、事件の犯人を追うサスペンス要素が大きくなっても、そのテーマが揺らぐことはなかった。生きている人がどう向き合うかの手助けをするのが、主人公たちが所属するUDIの存在理由だった。世間的に注目度が薄い法医学を扱った作品として、法医学そのものの知名度の上昇や日本が抱える解剖に関する問題を示すものだった。
 作中の残された遺族、恋人、友人たちは、皆自分が死なずに生きていることを罪だと認識していた。作中では「自分が生きてもいいのか」という問いに、「許されるように生きろ」と答えた登場人物がいた。私はこの言葉が作品が出した答えの一つだと考える。罪だと思っていることを否定せず肯定した上で、それが許されるように生きろと言うのは、この作品ならではの答えだと感じる。
 この作品には、多くの残された人々が登場したが、死への向き合い方はそれぞれ違っていた。しかし、その本質は、「許されるように生きる」ことに共通している。例えば恋人が殺され、復讐に走った人物は、自分が泊まり込みで仕事をしている最中に恋人が殺されたことに対して、犯人を憎むと同時に、何もできなかった自分自身も憎んでいた。彼の復讐は、どうすれば自分が許されるか彼なりに考えたが故のものであった。
 死というデリケートな問題を扱うこの作品は、残された人がどのようにそれを受け入れ、この先生きていくかを描き、それらに対し一つの答えを示していた。


5 MIU404(ドラマ)監督:塚原あゆ子
[概要]
2019年4月、警視庁における働き方改革の一環として刑事部・機動捜査隊(通称:機捜)の第4機動捜査隊(通称・4機捜)が増設される。同隊長の桔梗ゆづるに招集された志麻一未は、旧知のベテラン刑事・陣馬耕平とバディを組むはずが、上層部の意向でキャリア組の新人・九重世人が急遽4機捜の隊員となったため、候補段階で一旦落とされていた伊吹藍と組むことになる。破天荒で警察官としての常識に欠けるが、機捜の任務を「誰かが最悪の事態になる前に止められる良い仕事」だと話す伊吹に心を動かされた志摩は、彼と共に任務を続ける。

[考察]
 全体的なストーリーラインは、自分を含め誰も信じられなくなった志麻と、その性格ゆえ誤解されてばかりの人生だった伊吹の二人がバディとして成長していく物語だった。そして概要にもある「誰かが最悪の事態になる前に止められる良い仕事」という言葉は、まさにこの作品を表す言葉だ。警察という組織があくまで法の番人であることを前提とした上で、この作品は、市民に寄り添い、最悪の事態を防ぐために奔走する人間たちを描いた作品だ。
 いわゆる時事ネタが多く組み込まれており、インターネットの誤った情報に踊らされる人々や、若者の違法薬物売買問題など、我々にとっても無関係ではない問題が多く取り上げられていた。特に若者に関する問題は、作中でも警察組織内で意見が割れる描写があり、慎重に扱おうという制作の感じられた。その上で、最終的に出された結論は上記したように、最悪の事態になる前に止めるべきだというものだった。
 この作品はこれまでドラマの題材としてあまり話題にされてこなかった機動捜査隊を、単なる要素の一つとして片づけずに、何故その仕事が存在するのか、そこで働く人々は何を思って働いているのかという問題に正面から向き合い、真摯に描いた作品である。

6 ラストマイル(映画)監督:塚原あゆ子
[概要]
11 月、流通業界最大のイベントのひとつ“ブラックフライデー”の前夜、世界規模のショッピングサイトから配送された段ボール箱が爆発する事件が発生。
やがてそれは日本中を恐怖に陥れる謎の連続爆破事件へと発展していく――。
巨大物流倉庫のセンター長に着任したばかりの舟渡エレナ(満島ひかり)は、チームマネージャーの梨本孔(岡田将生)と共に、未曾有の事態の収拾にあたる。

[考察]
 物流業界の抱える問題を小売会社から運送会社まで、様々な視点で描いた映画である。運送ドライバーの給料問題や、残業代未払い問題など、おそらく私のような大学生ではなく、日々社会で揉まれながら働いている人に馴染みのあるだろう単語や状況が多くあった。事件の真相は明らかになり、一件落着かのように思えたが、真の意味での発端は改善の余地が見えず、社会は変わらず消費を続けるという終わり方から、現代社会で物流に頼り切った生活を送っている我々に対する問題提起の役割を持った映画でもあると考える。
 事件を起こしたのはその企業の社員ではなく、末端の派遣社員であった。そして、その事件に終止符を打ったのも、末端のドライバーだった。これは、「実際に現場にいて対処するのは彼らである」と、効率ばかりを重視して末端の職員を軽視している企業たちに対するメッセージだと捉えられる。
 大衆に向けたエンターテインメント映画というより、日々心身を削りながら働いている人々に向けた映画であると感じた。エンドロール後に流れた言葉の通り、心や身体の問題は一人で抱えこまずに周りや然るべき機関に相談するべきだいうのも、この作品のテーマの一つ出会った。


7 ハズビンホテルへようこそ(アニメ)監督:ヴィヴィアン・メドラーノ
[概要]
地獄の過剰人工を平和的に減らすべく、悪魔を更生させるという一件不可能な目標に向かって奮闘する地獄の王女チャーリーの姿を描いた大人向けアニメーション・ミュージカル・シリーズ。
天国による年に一度の駆除の後、彼女はハズビン・ホテルをオープンする。救済可能であると証明された常連客が“チェックアウト”してくれることを期待して…。

[考察]
 地獄という舞台の設定上、かなり下品で見る人間によっては不快感を覚える作品である。しかし、そんな正しく地獄のような環境だからこそ、人は死んだ後でも変わることができると信じて奮闘する主人公の真っ直ぐさがより一層輝いて見えるようになっている。周囲もそんな彼女に影響され、自らを見つめなおして変わろうとし始める、死後の世界を描いた作品でありながら、人の素晴らしさを説いた作品でもあると考える。
 また、同性愛や人種などマイノリティに関する問題も内包しており、それらの問題に社会がどう向き合うべきかという問題提起も兼ねた作品である。そして、この作品の最大の特徴はそうした政治的思想がふんだんに盛り込まれているにも関わらず、ある種のいやらしさや、制作側の自惚れのようなものがほぼ感じられないことである。たまたまそこにいるキャラクターが同性愛者であっただけのような描写の自然さがその理由だと私は考える。
 また、アニメーションならではの違和感の無い派手な見た目のキャラクターも、作中の多様性の表現に役立っている。一つ目や四つ腕など、多種多様な見た目のキャラクターが闊歩する地獄という舞台は、それぞれが自由に生きているという点で、多様性のある社会だと言える。

8 SSSS.GRIDMAN(アニメ)監督:雨宮哲
[概要]
ツツジ台に住む高校1年生の響裕太は、ある日目覚めると記憶喪失になっていた。
そして裕太は古いパソコンに映る『ハイパーエージェント・グリッドマン』と出会う。
グリッドマンは使命を果たせと語りかけ、裕太はその言葉の意味と記憶を探し始める。
突然の事に戸惑いつつも、クラスメイトの内海将や宝多六花、新条アカネたちに助けられながら毎日を送る裕太だった。が、
その平穏な日々は、突然現れた怪獣によって容易く踏みつぶされた――。

[考察]
 タイトルのSSSSは、Special Signature to Save a Soul (魂を救うための特別な名前)という意味であり、これはグリッドマンこそが人々の心を救う存在であるということを意味している。このような1993年に放送された特撮版「電光超人グリッドマン」の要素を多く受け継いだ、ファン向けの演出やストーリー展開も多くありながら、一人の人間が前を向いて自分の世界へ帰る過程を描いた作品でもある。BGMを使用する場面が少なく、自然音や会話音声だけの場面で構成されている話が多かった。そのような自然な演出とバトルシーンでの特撮風のダイナミックなカメラワークが日常と非日常のメリハリを生み、視聴者を飽きさせない仕組みとなっている。
 自分たちが作られた存在であることを知った主人公たちが、そのことに対して作中で「あまりピンと来ていない」と、ただ受け入れる構図にしなかったのは、彼らがまだ高校生で未熟であるが故の選択である。しかし、若いからこそ、そのような小難しい問題よりも、目の前の自分たちを作った張本人である一人の人間を救うために戦うことを選ぶことができたのだと考える。友達になるために作られたのならそれでも良いと、友達を救う一心で手を伸ばせる向こう見ずさはその若さが為せるものだと言える。
 この作品はそういった若さ故の行動や、未熟であるが故の尊さを実写映像を思わせる演出で描き、そそれが導く結末を尊重する作品である。


9 SSSS.DYNAZENON(アニメ)監督:雨宮哲
[概要]
フジヨキ台高校一年生の麻中蓬はある日の帰り道、『怪獣使い』を名乗る謎の男ガウマと出会う。
突如現れる怪獣と巨大ロボット ダイナゼノン。
その場に居合わせた南夢芽・山中暦・飛鳥川ちせと共に怪獣との戦いに巻き込まれていく。

[考察]
 タイトルにあるSSSSは、Scarred Souls Shine like Stars(傷ついた魂は星のように輝く)を意味する。これにある通り、この作品に登場する人物は皆心に傷を抱えている。例えばヒロインである南夢芽は姉を事故で亡くしており、生前姉と交わした約束が果たされなかったこともあり、姉を亡くしたショックから立ち直れずにいた。他にも過去の経験から何にも情熱を見出せない無職や、クラスに馴染めないことによる不登校児など、彼らは非常に現実的な傷を抱えていた。そのような現実的な傷に怪獣と巨大ロボット・ダイナゼノンという非日常の中で向き合っていき、問題の解決はしなくとも、最終的に前を向いて生きていく物語である。
 作中の敵役であるシズムのセリフで、「君たちは怪獣と戦う日々を楽しんでいる」というものがあり、それに対する南夢芽のセリフで、「怪獣とダイナゼノンのおかげで過去と向き合うことができた」というものがある。怪獣のおかげで出会い、傷と向き合って前を向けた主人公たちであったが、最終的に彼らは怪獣とダイナゼノンに別れを告げ、日常に戻ることを選ぶ。この選択肢をした理由として、主人公の麻中蓬の「かけがえのない不自由」という言葉がある。
 作中の怪獣は何にも縛られない、どこまでも自由な存在であるとされていた。そんな怪獣に立ち向かい、打ち倒した彼らは、「自由に抗う者」だと言える。自分たちを取り囲む家族や友人、社会などのしがらみを全て「不自由」だとした上で、それらの繋がりをかけがえのないものとして彼らは守ることを選んだ。
 この作品は人との関わりで心に傷を負った人々が、怪獣とダイナゼノンという非日常を過ごすことで、その傷と向き合い、また日常に戻っていく過程を描いた作品だ。怪獣と巨大ロボットのバトルという非日常の象徴とも言える日々の中で、あえて人と人の繋がりという日常の象徴を描くことで、より一層それの尊さ、かけがえのなさが際立っていた。

10 グリッドマン ユニバース(アニメーション映画)監督:雨宮哲
[概要]
都立ツツジ台高校。
放課後の教室で、響裕太は記憶の中にあるはずのグリッドマンをノートに何度も描いては消していた。 かつてこの世界はひとりの少女によって作られ、壊された。 その少女の心を救ったのは、異次元からやってきたハイパーエージェント・グリッドマンと、彼女が作った心を持った怪獣、そして裕太たちであった。
2年生に進級し、六花と別のクラスになった裕太は告白を決意する。 そんな平和になった世界で過ごす彼らの日常は、轟音と共に崩れ始めた。
裕太に訪れる危機の最中、突如現れるグリッドマンは語りかける。
「この世界のバランスが崩れようとしている」
やがて真紅の強竜ダイナレックスや、グリッドマンの協力者である新世紀中学生、そして別世界の住人、麻中蓬たちも裕太の前に次々と現れる。
六花への想いを秘めたまま、裕太の非日常が始まった。

[考察]
 二つの作品が交差し、ファンが見たい展開や演出をこれでもかと詰め込んだファンサービス映画である。また、前作では描かれなかった主人公、響裕太の本当の人格や、グリッドマン自身の内面に関する描写がメインとなってストーリーが展開されていった。
 超然的であり、人とかけ離れた精神性を持っているように見えたグリッドマンの、奥底に隠されていた身体を乗っ取ってしまった裕太への罪悪感が事件の発端となった。テレビアニメでは人々を救う希望の象徴のようだったヒーローの罪悪感という弱味が描かれ、視聴者がグリッドマンに対して親近感を覚えるようなつくりとなっていた。
 また、特撮版から直接言及はされずとも、ずっと描かれ続けてきた、グリッドマンの一人では満足に戦うこともできない弱さにグリッドマン自身が「だからこそ私のそばにはみんながいてくれる」「私は弱い。それが私だ」と、グリッドマン自身が自分の弱さにしっかりと向き合う様を描いていた。そして、グリッドマン、ダイナゼノンと続く二作で描かれてきた「人との繋がり」を、ヒーローであるグリッドマンも例外とせずに、主人公たちと友達になるというラストは、とてもこの作品らしい最後だっただろう。
 この作品のもう一つのテーマとして、「虚構を信じることの素晴らしさ」というものがある。作中の「人間は虚構を信じることができる唯一の生命体」というセリフからも、主人公たちが作りものであったとしても、それでも良い。虚構を信じることができるからこそ、人間は人間たり得るのだという、作中だけでなく、現実の創作活動に勤しむ人々へのエールともとれるメッセージが込められている。
 この作品は、二つの世界が交差するお祭り映画であると同時に、かつてヒーローを愛した人、今も愛している人問わず、その過去、現在を肯定する、虚構を信じる人間に寄り添った作品である。


11 境界の彼方(アニメ)監督:石立太一
[概要]
半妖の少年、神原秋人は
ある日の放課後、屋上から今にも飛び降りそうな少女と出会う。
彼女の名前は栗山未来。
異界士の中でも特異な呪われた血を持つ一族の最後の生き残りだった。
変わらない部室。変わらない自常。変わらない世界。
そんな毎日を過ごすはずだった。
だが、一人生き残った少女と半妖の少年が出会ったとき、世界が一変する

[考察]
 世界観の謎や主人公の秋人の出生についてなど、明かされなかった謎やうやむやのまま終わってしまったことは多かったが、秋人と未来の物語に関しては京都アニメーションの圧倒的美麗作画で丁寧に描かれていた。
 人でも妖でもない少年と呪われた一族の少女という、どちらも自らの生まれにコンプレックスを持っている人物という点で共通している。そして、両者とも実際に生まれのことで幼少期に差別を受けており、コンプレックスは一層根深いものとなっている。しかし、この二人は差別を受けてきた傷をお互いに舐め合うような関係ではなく、自身の生まれをありのままの単なる事実として受け入れた上で、ただの男女として最終的に関係を構築した。
 これは彼らが生まれに由来するコンプレックスを克服したことの証左であり、人は自身の所属する・していたコミュニティに縛られることなく生き方を決めて良いのだということを表している。その上でこの作品は子を想う親や姉を想う弟妹などを描写して、自身のコミュニティを拠り所として生きることも肯定している。

12 ヴァイオレット・エヴァーガーデン(アニメ)原作:暁佳奈 監督:石立太一
[概要]
とある大陸の、とある時代。
大陸を南北に分断した大戦は終結し、世の中は平和へ向かう気運に満ちていた。
戦時中、軍人として戦ったヴァイオレット・エヴァーガーデンは、軍を離れ大きな港町へ来ていた。
戦場で大切な人から別れ際に告げられた「ある言葉」を胸に抱えたまま――。
街は人々の活気にあふれ、ガス灯が並ぶ街路にはトラムが行き交っている。
ヴァイオレットは、この街で「手紙を代筆する仕事」に出会う。
それは、依頼人の想いを汲み取って言葉にする仕事。
彼女は依頼人とまっすぐに向き合い、相手の心の奥底にある素直な気持ちにふれる。
そして、ヴァイオレットは手紙を書くたびに、あの日告げられた言葉の意味に近づいていく。

[考察]
 感情を知らない少女が人の心を知り、育んでいく物語であると同時に、退役軍人の社会復帰の物語でもある。原作小説では物語は依頼人の視点から始まり、代筆人としてのヴァイオレットを描き、その後彼女の持つ過去について掘り下げていたが、アニメ版では物語の始まりの視点をヴァイオレット自身に固定し、彼女がどのような思いで代筆を始めたのか、どのような過去を持っているのかが初めに大まかに開示されることで、視聴者がヴァイオレットに感情移入しやすいつくりになっている。
 原作との最も大きな違いは「ギルベルト少佐」の扱い方である。原作では少佐は終戦した後も軍に在籍し続け、新たな戦争の火種を事前に除くために日々戦っていた。しかし、アニメ版では少佐は軍では死亡したとされ、かつての敵国の島で教師として生きていた。これはアニメにする上で「戦争」をどのように扱うか考えたが故の改変だと私は考える。原作・アニメ両方とも、少佐は片腕を失っている。原作では義手をつけているが、アニメ版では何もつけていない。これはアニメ版の少佐はもう戦う意思を持っていないということだ。作中でも彼は軍人としての自分は死んだという旨の発言をしている。殺し合っていた敵国の人間に治療され、敵国の子どもたちとふれ合った少佐は、代筆を通して誰にでも大切な人がいると知ったヴァイオレットと同じように、敵国の人間にも帰りを待っている家族がいたことを知った。だから彼は国に戻ることも、ヴァイオレットに会おうとすることもせず、せめてもの罪滅ぼしとして敵国の島で生きることを選んだ。このことから、アニメ版が戦争を物語の一要素としてではなく、作品の根幹を成す重要なテーマとして扱っていることご分かる。
 アニメ版、特に劇場版では、時代が進み技術が進歩していく中、未だ戦争の影響で苦しむ地域や人々が描かれている。自分が戦争にヴァイオレットを利用したと、かつての行いを後悔する少佐や、戦争によって夫たちが戦死してしまい、女性と老人で子どもたちを育てている集落はその代表例と言える。アニメ版はヴァイオレットと少佐の物語の顛末を最後まで描ききったと同時に、終始戦争を悲惨なものとして描き、反戦の意も込められていると考えられる。

13 獣の奏者 1~2巻 (小説)作者:上橋菜穂子
[概要]
闘蛇、それは戦闘用の偉大なる獣。王獣それは王の威光を示す神聖な獣。エリンの母は、戦闘用の獣である「闘蛇」の世話をする有能な医術師。だが、ある日その闘蛇が全て死んでしまった。母はその責任を問われ、裁きにかけられることになるが…。人を恐怖させ、また、魅了する、神秘的で獰猛な「獣」。その存在に魅せられた少女・エリンの運命がここに廻り出す!

[考察]
 少数民族の末裔であるエリンが王獣を巡る政争に巻き込まれながらも、人と獣が共存できる道を模索する。最終的な結論は明らかになっていないものの、きっとこれからの未来は大丈夫だろうと思える希望を残した終わり方となっている。幼少期から育ててきた王獣のリランと、エリンは琴を使って意思疎通ができるようになったが、そうしてエリンとリランの絆を描いたからこそ、リランが獣の本能をあらわにした際のどうしようもなさが際立ち、人と獣は別の生き物であり、完全に分かりあうことはできないという認識を読者に植え付けるつくりになっている。その上で、リランがエリンのことを自分の意思で助けたという終わり方は、これからのエリンの安否や国際情勢の不安と、それらを上回る希望を読者に与える。
 獣の奏者の1・2巻は、古い慣習から脱却し、新たな時代を始める物語でもある。エリンの一族がずっと守ってきた禁忌や、王獣を育てる上で絶対に守らなければならない、王家が作った王獣規範、さらに王家とその臣下の関係など、作中では長い歴史の中でずっと守られてきた規則、慣習が多くあり、そのほとんどがエリンたち若い世代の手によって破られ、新しいものへと作り替えられている。古い慣習に縛られてきた国家が若い世代によって、その慣習から脱却する様がこの作品では描かれている。

14 天気の子(アニメ映画)監督:新海誠
[概要]
「あの光の中に、行ってみたかった」
高1の夏。離島から家出し、東京にやってきた帆高。
しかし生活はすぐに困窮し、孤独な日々の果てにようやく見つけた仕事は、怪しげなオカルト雑誌のライター業だった。
彼のこれからを示唆するかのように、連日降り続ける雨。
そんな中、雑踏ひしめく都会の片隅で、帆高は一人の少女に出会う。
ある事情を抱え、弟とふたりで明るくたくましく暮らすその少女・陽菜。
彼女には、不思議な能力があった。

[考察]
 前半部分で晴れを願う人々を登場させ、その人々のためにはたらき、そのことに対してやりがいを感じ満たされている帆高たちを描写することで、後半で東京と陽菜を天秤にかけた帆高の葛藤や、最終的に陽菜を選んだ選択の重さが際立っている。
 終盤までは孤独な子どもたちとそれに無関心な大人たちという構図で、東京という街の悪い側面が描かれていたが、帆高の選択によって東京が沈んでしまった後は、変わってしまった東京の中でも適応してたくましく生きる人々や、須賀の「世界なんて元々狂ってる」というセリフからも分かる通り、それまでの描写とは一転して子どものしたことに大人が「気負いすぎるな」と励ますような構図になっている。だからこそ、帆高がその大人たちの言葉を否定し、自分たちが世界の形を変えてしまったのだと受け入れる場面は、彼が子どもから自分のしたことに自分で責任を持つ大人へと成長した証でもあると言える。
 沈んだ東京の中でたくましく生きる人々は、帆高への励ましの役割と同時に、どんなに社会が形を変えてもその中で必死に生きていく人間の強さを表している。ここまで適応して生きられるのならば、きっとこれからも大丈夫だろうと見ている者に思わせられる描写となっている。


15 すずめの戸締り(アニメ映画)監督:新海誠
[概要]
九州の静かな町で暮らす17歳の少女・鈴芽は、「扉を探してるんだ」という旅の青年・草太に出会う。
彼の後を追って迷い込んだ山中の廃墟で見つけたのは、ぽつんとたたずむ古ぼけた扉。
何かに引き寄せられるように、すずめは扉に手を伸ばすが…

[考察]
 東日本大震災で親を失った子どもが、前を向いて生きられるようになるまでの物語だった。扉を閉める際の、そこに住んでいた人達の記憶をすずめが垣間見るシーンがとても印象的で、当時のことを知る人は嫌でも思い出してしまうものだった。伏線の回収がとても丁寧。誰が見ても分かりやすく、くどくなりすぎないとても絶妙なバランスの構成だと感じた。
 世界観の設定は非現実的ならものだったが、すずめをはじめとした登場人物たちの価値観や心情はとてもリアルで、だからこそ東日本大震災を経験した人の中で不快な思いをする人がいることも、また、心を打たれ背中を押されたような気分になる人がいることも納得できた。自分は当時五歳で、比較的被害が小さい地域に住んでいたこともあり、かなりフラットな気持ちで楽しむことができました。


16 キャラクター(映画)監督:永井聡
[概要]
漫画家のアシスタントを務める山城は、高い画力を持ちながら、純粋な性格上悪役を描くことに苦戦していた。そんなある日、彼は偶然殺人事件現場に遭遇し、そこで犯人の顔を目撃する。やがて、犯人の姿をもとに新たなサスペンス漫画を生み出した山城は、人気漫画家となる。だがそれを機に、彼は危険な事態に巻き込まれていく。

[考察]
 アイデンティティを持たない青年に、山城が役割を与えてしまったことで物語が始まり、最後は山城の手で漫画と共に青年を終わらせた。これは私個人の考えであり、作中では青年の明確な動機などは仄めかす程度で名言はされない。見る者に答えを委ねる映画だった。犯人を演じるFukaseの演技が非常にリアルで、四人家族の車に乗り込んで犯行に及ぶシーンは、犯人が初めて話すシーンということもあり、車内の緊張感が見ている者にも伝わってくる程だった。
 犯人の人物造形自体はいわゆる「サイコパス系」で、そうなってしまった背景も特に斬新さがあるという訳でもなかったが、そんなキャラクターをFukaseの演技力で現実に存在しているような猟奇殺人者にまで昇華させていた。


17 僕は君を殺せない(小説)作者:長谷川夕
[概要]
ミステリーツアーに参加し、連続猟奇殺人を目の当たりにした『おれ』。周囲で葬式が相次いでいる『僕』。――一見接点のないように見える二人の少年の独白は、ある時思いがけない点で結びつく……!

[考察]
 交互に描かれる『おれ』と『僕』の物語に共通点を見つけてから、その二人がどういう関係なのか読者に気付かせるまでの段階がとてもスムーズで、大変読みやすい小説だった。
 『おれ』と『僕』とその恋人が中心に描かれており、三人とも家庭環境に問題があった。特に『僕』の過去は凄まじいもので、分かりやすく言い表すなら「悲しき過去全部乗せ」だった。そのような凄惨な過去を持つ人物にした理由は、作中で『僕』が行うある行為に説得力を持たせ、読者が『僕』に対してなるべく嫌悪感を持たないよう配慮したからだと私は考える。
 作品全体で罪を犯した者は罰を受けるという構図が徹底されており、どのような人物でも罪を犯して罰を受けなかった者は作中にはいなかった。これはデリケートな題材を選んだ作者なりのけじめだと私はこの作品を読んで感じた。


18 いたいのいたいの、とんでゆけ(小説)作者:三秋縋
[概要]
自分で殺した女の子に恋をするなんて、どうかしている。
「私、死んじゃいました。どうしてくれるんですか?」
何もかもに見捨てられて一人きりになった二十二歳の秋、僕は殺人犯になってしまった――はずだった。
僕に殺された少女は、死の瞬間を“先送り”することによって十日間の猶予を得た。彼女はその貴重な十日間を、自分の人生を台無しにした連中への復讐に捧げる決意をする。
「当然あなたにも手伝ってもらいますよ、人殺しさん」
復讐を重ねていく中で、僕たちは知らず知らずのうちに、二人の出会いの裏に隠された真実に近付いていく。それは哀しくも温かい日々の記憶。そしてあの日の「さよなら」。

[考察]
 作者のあとがきにあった通り、「穴に落ちてしまった人たち」の物語だった。穴に落ちてしまった人はもう二度と戻ることはできないと作者は語っていた。
 すでに人生を諦めてしまった二人の男女のラブストーリーだが、殺人と復讐から始まるということや、二人が最後まで「今」ではなく「過去」を大切に思っていたことから、全体の雰囲気は暗く、後ろ向きである。しかし、だからこそ二人の光となった過去の思い出の暖かさが際立ち、その日々が続かなかったことへの深い悲しみを読者に植え付ける。
 全体的に暗い雰囲気の作品ではあるが、登場人物の言葉遣いは軽快で、悲壮感を感じさせないものとなっている。個人的には村上春樹の作品の登場人物に似た言葉遣いだと感じた。


19 GODZILLA(映画)監督:マイケル・ドハティ
[概要]
世界が終わる、ゴジラが目覚める。1954年の誕生から60年。日本が世界に誇るゴジラがハリウッドの超一流スタッフ・キャストによって現代によみがえる。1999年、芹沢博士は、フィリピンで巨大生物の化石と、繭のような物体を発見する。だが、物体の一つは既に抜け出し、海へ向かった痕跡が残っていた。同年、日本の発電所に勤めるジョーは、謎の地震による事故で妻を失ってしまう。そして現在、未だ事故の真相を追う父のために来日した息子・フォードは、怪獣に遭遇する。

[考察]
 二体の怪獣による大迫力のバトルも魅力の一つだが、最大の魅力は怪獣の描かれ方である。この作品では二種の怪獣が登場するが、その全体像は中盤まで明らかにならず、脚や背中などが映るだけに留まらせることで、怪獣たちの得体の知れなさや超然的な様が描かれている。怪獣たちの争いに振り回される人間たちのドラマも、怪獣たちの圧倒的な存在感を際立たせている。
 結果としてゴジラは人類を救ったが、ゴジラは人間たちの都合に関係なく敵を殺しただけなのだ、この作品の主役はゴジラなのだと感じられるほど、制作側の愛が伝わる映画でもあった。


20 GODZILLA キング・オブ・モンスターズ(映画)監督:マイケル・ドハティ

[概要]
神話の時代に生きていた怪獣モスラ、ラドン、キングギドラが休眠状態から復活する。これらの怪獣とゴジラとの覇権争いを食い止め、世界の破滅を防ぐべく、生物学者や考古人類学者らが所属する未確認生物特務機関「モナーク」が始動。しかし彼らと環境テロリストたちの思惑が交錯し、怪獣たちと人類による凄まじい規模の混戦が巻き起こる。

[考察]
 一作目よりも遥かに怪獣たちが主役の映画だと感じた。とくにギドラの描写がそれまでの人類の歴史を冒涜しているとすら思えるほどで、正しく怪獣が神と同列に扱われている映画だった。
 キングギドラ、ラドン、モスラ、オキシジェン・デストロイヤー、バーニングゴジラなど、日本のゴジラシリーズでお馴染みのものが多く登場し、前作よりも怪獣たちに割かれるパートも圧倒的に増え、怪獣プロレスを楽しむファンサービスに富んだエンタメ映画という印象を受けた。
 
 

21 忍者と極道(漫画)作者:近藤信輔
[概要]
トラウマから笑えない少年・忍者<しのは>、表向きはエリート会社員ながら裏では組を牛耳る極道<きわみ>。そんな2人が出会った時、300年にわたる忍者<ニンジャ>と極道<ゴクドウ>の殺し合いの炎が熱く燃え盛る!孤独を抱えた漢達による、情熱と哀切に彩られた命のやり取り。決めようか…忍者と極道、どちらが生きるかくたばるか!

[考察]
 物語の構成自体はシンプルな勧善懲悪だが、裏世界に生きる者同士の戦いなので、麻薬や臓器売買、大規模テロが当然のように登場する。勢いとスケールが凄まじく、清々しさを感じるほど。
 登場する極道たちが生粋の極道からどうしようもない事情から極道になってしまった者まで幅広く登場し、特に作中で割れた子供たちと呼ばれる子供たちは自分ではなく周囲の環境によって壊れてしまった者が多く、第二幕からはさらにそれまでのフィクションとして分かりすい描写から一変し、現実の問題を想起させるリアリティを持つ過去が描かれることが多くなった。
 そんな極道たちと戦う忍者もそれに負けないほど凄惨な過去を持っているのだが、彼らは同情はしても情けをかけることは絶対に無く、最終的に極道は必ず罰を受けることが分かっているが故に読み進められる絶妙なバランスの構成となっている。


22 機動戦士ガンダム 水星の魔女(アニメ)監督:小林寛
[概要]
数多の企業が宇宙へ進出し、
巨大な経済圏を構築する時代。
モビルスーツ産業最大手「ベネリットグループ」が
運営する「アスティカシア高等専門学園」に、
辺境の地・水星から一人の少女が編入してきた。
名は、スレッタ・マーキュリー。
無垢なる胸に鮮紅の光を灯し、少女は新たな世界を一歩ずつ進んでゆく。

[考察]
 親がどれだけ人間として最悪でも、親を愛し続ける子どもを肯定している作品。しかしそれはそれとしてきっぱり別れている子どもも作中にはいる。SFという非現実的な世界観でありながら、親の描写は非常に生々しく、子どもの苦悩が視聴者にも伝わりやすくなっている。
 作中でガンダムと呼ばれる機体は他とは一線を画す性能を持っており、実際に作中でガンダムと正面から戦って勝利した者はおらず、ガンダムという機体の圧倒的強さが一貫して描かれていた。これはSF設定に忠実な姿勢と同時に、戦争において兵器の性能差がどれだけ残酷であるかをガンダムという兵器を通して表していると考える。
 各話にインパクトのあるフックが存在し、原作が無いオリジナルアニメ故に、その後の展開が分からず続きが気になるような作りとなっていた。これはコンテンツの消費スピードが早い現代において、視聴者を飽きさせない工夫であると考える。


23 どうか天国に届きませんように(小説)作者:長谷川夕
[概要]
オカルトに憧れる「僕」は、ある日の下校中、自分の指へ絡む黒い糸に導かれ、死体を見つける。特別な力を得た優越感に溺れた「僕」は死体を見つける行為にのめりこんでいくが…? 偶然が偶然を呼び、不幸に魅入られた者たちは巡り合う。そして、彼らが抱く行き場のない孤独は哀しく連鎖していき――。「僕は君を殺せない」の著者が贈る、サスペンス連作短編集。

[考察]
 短編集でありながら、全ての物語は繋がっており、ある物語で明らかにならなかったことが別の物語で明らかになったり、ある登場人物の過去が別の物語で明かされたりなど、短編を全て読まないと全容は分からないようになっている。
 オカルトが実際に存在している世界観であるため、次に何が起こるか分からない恐怖があり、自然と読者が引き込まれる。また、短編全てがバッドエンド、もしくはスッキリしないものとなっており、全体的に暗い。しかし前述したような読者が引き込まれるつくりに加え、地の文が話し言葉なので非常に読みやすく、さらに文章量も多くないので、完読までのハードルは低い。

24 怪盗探偵山猫(小説)作者:神永学
[概要]
 巷をにぎわせている謎の窃盗犯「山猫」。彼はターゲットから速やかかつ鮮やかに金を盗み取り、さらにはターゲットが隠していた表沙汰になっていない悪事の数々を暴いて颯爽と姿を消す様から『現代の鼠小僧』、『義賊』と呼ばれ賛否両論が上がっていた。そんな時ある強盗殺人事件に容疑者の一人として「山猫」の名が上がった。「殺人はしない」がモットーの山猫にいったい何があったのか?ライターの勝村英男は単身山猫を追いかけていた矢先、本人に見つかって『仕事』に協力させられてしまう。

[考察]
 タイトルにある通り、依頼者を巡る事件を解決するまでを描く探偵もののフォーマットに怪盗という要素を組み込んだつくりとなっている。構成だけなら『ルパン3世』が近いが、この作品はもっとスケールが小さく、主に大企業の汚職や裏社会が中心に描かれている。
 山猫本人の過去は匂わせ程度で、常に勝村か各章の主要人物の視点で描かれている。山猫自身の本音等がほぼ語られないが、正規の手段では明らかにならないような悪事を明らかにする姿はとても爽快で読んでいて気持ちのいい作品である。そして、全ての章の山猫で共通している点は、弱者の味方という点である。いじめられっ子や社会的弱者など、各章では様々な弱者が登場するが、山猫は常に彼らの味方をしている。これが怪盗という犯罪行為をしている山猫に読者が嫌悪感を抱かないための工夫であると考える。
 

25 性別モナリザの君へ(漫画)作者:吉村旋
[概要]
この世界で人間は12歳を迎える頃、自分がなりたい性へと次第に身体が変化していき、14歳になる頃には男性か女性へと姿を変えてゆく。でも自分だけは性別がないまま、18度目の春を迎えた…。

[考察]
 性別を自分で選べる世界観であるので、現実にも存在するジェンダー問題がより分かりやすく読者に伝わる仕組みとなっていた。幼馴染二人との恋愛模様も主題の一つになっていたが、終わり方を複数用意することで、どんな性別で誰を選ぶことになってもその結末を肯定できるようになっていた。個人的には終わり方を複数用意する展開はあまり好ましく思わないが、性別というデリケートな問題を扱ったこの作品に限っては、このような終わり方で正解だったと考える。
 性別の無い主人公が性別を選ぶまでを描く作品であり、同時に性別に関して様々な悩みを抱える人物たちを描く群像劇の側面も持っている。そして、全員その悩みを解決出来るわけでもなく、悩みを抱えたままでも自分なりに答えを出して前を向いて生きていく者もおり、終始正しさを押しつけることなく、その人のあり方を肯定する姿勢があった。特に、男を選んだ幼馴染とずっと一緒にいたいから男になったキャラクターの苦悩は、現実と重なる描写が多く、性別というものについて考えさせられるエピソードだった。
 この作品を読んで不快な思いをする人がいないようにとても慎重に作られた作品だった。


26 幸色のワンルーム(漫画)作者:はくり
[概要]
その日、少女は誘拐された。
しかし、それは少女にとって一縷の希望にかけた生活の始まりだった。
少女は誘拐犯に結婚を誓い、誘拐犯は少女にたくさんの“幸せ”を捧ぐ。
誘拐犯と被害者の関係なのに―――どうしてこんなに温かいの?


[考察]
 学校にも家にも居場所が無く、一度は自殺しようとした少女が誘拐犯と出会ったことをきっかけに、“普通”に戻っていくまでを描く作品。
 少女も誘拐犯も悲惨な過去から生きることに無気力な人間で、互いに影響を与え合いながら変わっていく過程が丁寧に描かれており、序盤と終盤で少女のキャラが別人レベルで違うにも関わらず、読者がそれを違和感なく受け入れられるようになっている。
 中盤から登場する探偵も二人と同じような過去を持っていることから、彼らを助けようと尽力するが、彼の姿勢は常に二人の選択を尊重しており、似た過去を持っているからこそ、無遠慮に寄り添おうとせずに距離を置いて二人を見守る姿勢だった。彼というキャラクターがいることで、二人の未来がどんなことになっても最悪になることは無いだろうという安心感を読者が持てるようになっていた。


27 PLUTO (アニメ)監督:河口俊夫
[概要]
人間とロボットが<共生>する時代。
強大なロボットが次々に破壊される事件が起きる。調査を担当したユーロポールの刑事ロボット・ゲジヒトは犯人の標的が大量破壊兵器となりうる、自分を含めた<7人の世界最高水準のロボット>だと確信する。
時を同じくしてロボット法に関わる要人が次々と犠牲となる殺人事件が発生。<ロボットは人間を傷つけることはできない>にも関わらず、殺人現場には人間の痕跡が全く残っていなかった。
2つの事件の謎を追うゲジヒトは、標的の1人であり、世界最高の人工知能を持つロボット・アトムのもとを訪れる。
「君を見ていると、人間かロボットか識別システムが誤作動を起こしそうになる。」
まるで本物の人間のように感情を表現するアトムと出会い、ゲジヒトにも変化が起きていく。
そして事件を追う2人は世界を破滅へと導く史上最悪の<憎しみの存在>にたどり着くのだった―――。

[考察]
 戦争に参加したロボットたちを通して戦争の悲惨さを描くと同時に、憎しみを抱いて復讐することの虚しさが描かれている。終盤まで明らかにならないプルートウのビジュアルや、ゲジヒトの過去など、視聴者が続きを見たくなる要素が多くあった。
 ブラウ1589が作中で言った「完璧な人工知能は嘘を吐く」とあうセリフが物語のキーワードとなっており、これは地球上の動物で嘘を吐くのは人間だけだとした上で、嘘を吐くことで人工知能は完璧となるという論理であると考える。
 序盤は戦争に参加させられたロボットたちがメインに描かれており、同族を大量に殺してしまったトラウマに苛まれるロボットも登場し、反戦的要素が見られる。物語が進むにつれてこの要素は段々と薄くなっていくが、これは最終的にこの作品が出した結論である「復讐は何も生まない」というものにも共通していると考える。
 


28 いじめるヤバイ奴(漫画)作者:中村なん
[概要]
ただの「いじめ」ではありません。仲島は、クラスに君臨する「いじめっ子」。いじめの対象は儚げな女の子・白咲さん。暴虐の限りを尽くし、彼女は毎日いたぶられた。憑りつかれた様にいじめる仲島は、どこか狂っていた。──そう、狂っていたのだ。この「いじめ」の真相。仲島は、「いじめ」を強要されていた。いじめられっ子の白咲さんによって。加害者になるという未知の恐怖。悲劇とは、彼のことを言うのだろう。

[考察]
 序盤はいじめさせられている仲島が様々な苦難を乗り越えて何とか白咲をいじめる漫画、中盤からは何故か白咲を最強とした王道少年バトル漫画が繰り広げられ、終盤になるとまたいじめという問題に真剣に向き合う漫画になる。特にバトル漫画に変化する過程がとてもスムーズで、一気読みすると特に気づきにくく、読者はいつの間にか読んでいる漫画のジャンルが変わってしまっていることに気付くのが遅れてしまう。
 ジャンルがバトル漫画に変わってしまった後は、スケールが大きく半ばギャグになっており笑える展開が多くなっていたので、終盤にまたいじめというテーマに向き合いだした際、どれだけ作者が真剣にこの問題に向き合っているかが伝わってくる。
 いじめを無くすことはできないかもしれないが、それでも無くすための努力を辞めてはならない。無くすために行動することが大事という、最終的にこの作品が出した結論自体は特別斬新というわけでもない普遍的なものだったが、長い間様々な形で、時にはギャグと言えるほど突拍子も無い描写でいじめという問題を描いてきたこの作品が出すありふれた結論は、とても重く説得力のあるものとなっていた。

29 ゴールデンカムイ(漫画)作者:野田サトル
[概要]
『不死身の杉元』日露戦争での鬼神の如き武功から、そう謳われた兵士は、ある目的の為に大金を欲し、かつてゴールドラッシュに沸いた北海道へ足を踏み入れる。そこにはアイヌが隠した莫大な埋蔵金への手掛かりが!? 立ち塞がる圧倒的な大自然と凶悪な死刑囚。そして、アイヌの少女、エゾ狼との出逢い。『黄金を巡る生存競争』開幕ッ!!!!

[考察]
 濃いキャラクターが多く登場し、読者にとんでもないインパクトを与える作品。同時に緻密な取材のもとアイヌ文化がわかりやすく描かれており、文化保存の側面も持っている。登場人物全員がとても賢く、物語がスムーズに進められている。それでいてギャグをする時は全力でふざけており、読んでいてとても気持ちのいい作品となっている。
 作中で描かれる北海道の自然のなかで、特にヒグマは圧倒的恐怖の象徴として序盤から終盤まで描かれていた。成長することはあっても登場人物の強さはほぼ変わることなく物語が進むことから、ヒグマの恐ろしさもずっと変わらないままだった。これは人間はあくまでも自然と共生することはできても、完全に支配することはあってはならないということを表していると考える。
 登場人物に軍人や死刑囚が多いことから、人の命を奪うことに躊躇がない。そのため和気あいあいとした雰囲気から殺し合いに発展するまでの流れがスムーズなので、読者はいつ殺し合いが始まってしまうのかと緊張感を持ちながら読めるようになっている。同時に、作中でも何度も言及されているように、杉本は不死身であるので、絶対に死ぬことは無いだろうという安心感もある。この作品はいつでも殺し合いが始められる緊張感と、何があっても主人公は死なないだろうという安心感を同時に与える不思議な作品である。
 

30 テラフォーマーズ(漫画)原作:貴家悠 作画:橘賢一
[概要]
火星の地表をある「コケ」と「ゴキブリ」を撒くことで暖め、人が住めるようにするという「テラフォーミング計画」。
西暦2599年、その計画の総仕上げとして、地表に残っていると思われるゴキブリの駆除をするために、15人の若者が火星へ旅立った。
小町小吉、秋田奈々緒をはじめとした貧しき若者たちは、この計画の参加報酬に、未来への希望をたくす。
だが、その希望は、火星到着後、すぐに断ち切られる。
彼らが駆除しようとしたゴキブリは、想定外の進化を遂げた「テラフォーマー」となり、人間たちを逆に駆除し始めたのだ…! こうして、宇宙船バグズ2号と、その20年後の宇宙艦アネックス1号の、二世代にわたるゴキブリとの大戦争が始まった!!

[考察]
 人類と進化したゴキブリとの戦いを通して、人、ゴキブリ問わず必死に生きる者たちを尊重している作品である。特に第二部の主人公である燈は普通ではない生まれだが、それでも生まれたことは素晴らしく、生きる資格を持っていると肯定されている。敵味方関係なく命が軽く、簡単に死ぬ作品ではあるが、だからこそそれぞれの信念を持って必死に戦うキャラクターたちの姿が際立つようになっている。火星から地球へと舞台が移り、敵がゴキブリだけでは無くなってからもその根幹は変わらないままである。
 未来の地球の話だが、その中で描写される問題の中には中国の貧困層やアメリカの不法移民など、現代にも存在するものが多くある。これは時代が進んでも問題が全て解決するわけではなく、現代と大して変わらないことの方が多くなると思ったからだと作者が直々に語っている。そんな現代でも耳にするような問題から読者にとっても身近な問題まで、様々な事情を抱えた人物たちが生き残るために国籍も人種も関係なく協力して戦う光景は、社会のあるべき形の一つだと言える。
2024/09/22(日) 13:36 No.2045 EDIT DEL
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