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特別聴講生_ウ•イェリン
RES
春休み課題
ドラマ
トッケビ 1〜16話
<監督> イ・ウンボク
<スタジオ> STUDIO DRAGON CORPORATION
<あらすじ>
高麗時代の英雄だったキム・シンは、若き王の嫉妬から逆賊として命を
落とす。 その後、神の力によって"不滅の命"を生きる"トッケビ"
となってしまったシン。 彼の"不滅の命"を終わらせるができるのは
"トッケビの花嫁"と呼ばれる存在ただ一人、ヒロインのチ・ウンタクと
出会う。彼女に胸に刺さっている剣を抜いてもらい、不滅の人生を
終わらせようとする。
<感想>
最初にちょっとシンデレラ形のヒロインだと思った。でもストーリーが進むほどヒロインがもってる魅力にはまってる自分がいる。おすすめする韓国のドラマの一つだが、かなり伝統的な物語を前提にしたりして、理解ができない可能性もかなり高い。韓国語の単語や表現でする冗談も上手に使う作家で、翻訳の限界があるのは仕方ないが、韓国のドラマといったら一番おすすめしたいくらいにおもしろい。多くの人々に愛される理由がある愛しくて悲しいドラマ。
アニメ
ダンダダン 1~12話
<監督>山代風我
<あらすじ>
霊媒師の家系に生まれた女子高生。モモく綾瀬桃> と、同級生で
オカルトマニアのオカルンく高倉健>。モモがクラスのいじめっ子から
オカルンを助けたことをきっかけに話すようになった2人だったが、
「幽霊は信じているが宇宙人否定派」のモモと、「宇宙人は信じているが
幽霊否定派」のオカルンで口論に。互いに否定する宇宙人と幽霊を
信じさせるため、モモはUFOスポットの病院廃墟へ、オカルンは心霊
スポットのトンネルへ。そこで2人は、理解を超越した圧倒的怪奇に
出会う。窮地の中で秘めた力を覚醒させるモモと、呪いの力を手にした
オカルンが、迫りくる怪奇に挑む。
<感想>
ああ、大混乱、そのもの。銀魂以来、こんなアニメは初めてだ。こんなに性的(?)な要素を入れる必要があるのかとアニメを見る時、ずっと思った。
わざとテンポ(ストーリーが進めるスピードなど)を少し早くして作ったらしいが、内容や表現などが個人的な好みとは距離があったと思う。でも、ストーリーの進むスピードがかなり早かったので、アニメの説明も読んでみました。 その中で共感できた部分は一般的な生活や社会とは距離がある人々の話はよく描いたという点だ。このような部分は少年漫画らしいが、作家が描く性的な(?)演出と表現はまだ受け入れ難いが、作家なりの挑戦かもしれないという気がした。
聲の形
<監督> 山田尚子 <スタジオ> 京都アニメーション
<あらすじ>
"退屈すること"を何よりも嫌う少年、石田将也。ガキ大将だった小学生の
彼は、転校生の少女、西宮硝子に無邪気な好奇心を覚える。彼女が来た
ことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。しかし、
硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。やがて
5 年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長した将也と硝子。"ある
出来事"以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子のもとを訪れるが。
<感想>
「手話」という言語にもう一回考えるようになる作品。韓国で上映する時、「君の名は」の影響でしられなかったが、この作品を映画館で感想できてよかったと見るたび思う。自分の心を伝えるのは聲だけでない。それが字でも、手話でも聲の形でもちゃんと伝えられる。ということは考えて見たら当たり前なことだけどもう一度自覚した。そして大事な時、聲でも形だけでも、自分の心はちゃんと伝えましょう。
ルックバック <漫画、アニメ>
<作家> 藤本タツキ
<あらすじ>
小学4年生の藤野は、学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメイトたちから絶賛されていた。ある日、彼女は教師から、学生新聞に不登校の生徒・京本の漫画も載せたいと告げられる。ふたりの少女は、漫画へのひたむきな思いを注ぎながら成長していく。
<感想>
「チェンソーマン」で有名な藤本タツキの短編集。絵のスタイルから内容まで、当たり前だけと作品の全体に作家の個性が溢れてる。それでエンディングにも納得できたと思う。最初はアニメで感想したが、アニメの方より、原作の漫画の方がもっと作家の個性が感じられてよかった。
アオのハコ
<原作> 三浦糀 <制作者>トムス・エンタテインメント
<あらすじ>
中高一貫のスポーツ強豪校。 栄明高校に入学する、男子バドミントン部の一年生•猪股大喜。 大喜は毎朝、朝練で顔を合わせる一つ上の先輩、鹿野千夏に恋をする。千夏は女子バスケットボール部のエースで、校内外問わず人気の高嶺の花。部活に恋に勉強に、大喜にとって忙しい高校生活がはじまる。
<感想>
とにかくヒナが好き(?)。キャラクターもスポーツのシーンもオープニングも全部きれい。個人的に2Dのアニメに微妙な3Dが混ざってることを好きないが、これはそのバランスはよくできていると思った。しかし、スポーツするシーンの背景に3Dが入ってる部分が見えるたび少し違和感を感じた。
四月は君の嘘
<原作> 新川直司 <製作> A-1Pictures
<あらすじ>
ピアノだけがすべてだった天才ピアニスト、有馬公生。11歳の冬、母親を失ったショックで彼の日常はモノトーンのようになり、自分がひくピアノの音が聞こえなくなる。かわっぽだった彼に中学3年の春、一人の少女を出会う。自分のヴァイオリニストだと紹介する彼女の自由なコンクールを見たある日、公生の世界はカラフルに色づきはじめる。
<感想>
原作もよかったが、個人的にアニメが持ってる色と演出が原作をこえたと言いたい作品。特に背景に挿入される音楽はキャラクターの状況や感情によく合うと思う。思春期と青春の中でキャラクターたちはそれぞれの成長していく過程も一つの楽しさ。クラシックの音楽も美しく描いて、見るたびいろんな感情が生まれる。
薬屋のひとりごと シーズン 1
<アニメ監督> 長沼範裕
<あらすじ>
帝の寵妃。玉葉妃の妊娠判明により、猫猫は翡翠宮の毒見役に復帰。妃、そして帝の御子を狙った事件が再び起きないよう警戒をしながら、日々を送っていた。先帝時代からの重臣を父にもつ新たな淑妃。楼蘭妃の入内、王氏の命が狙われた、前代未聞の未解決事件、そして消えた容疑者。翠爷。不穏な空気が晴れない中、外国からの隊商、さらには無理難題な要求をする特使も来訪。宮中にはさらなる暗雲が立ち込め始めていた。猫猫と王氏を待ち受ける新たな難事件。それらは、やがて国をも巻き込む一大事件へと発展していく一
<感想>
ドクターストーン以来韓国語の字幕なしにみることができなかったアニメ
人物や身分に合った服と装飾を見る楽しさがあった。 賢い主人公が好奇心に勝てず、結局事件に巻き込まれる流れはかなり見える設定だが、すべてがまだ解決されてないという雰囲気を残る部分も良かったと思う。
桜蘭高校ホスト部
<原作> 葉鳥ビスコ <アニメ製作社・監督> BONES・ 五十嵐卓哉
<あらすじ>
超お金持ちのご令息。 ご令嬢が通う名門校 。 桜蘭学院高校に、奨学特待生として入学した庶民の藤岡ハルヒ。母を亡くし男手ひとつで育てられたハルヒはおしゃれに興味がなく、何事にも無頓着で男の子のような格好で学校に
通っていた。ある日、ハルヒは、ホスト部の部室に迷い込み、部室内の800万円の花瓶を割ってしまう。ところで、ホスト部部長の環は「100人の指名客を集められたら800万円はチャラにしてやる」と宣言。こうしてハルヒは
7人目のホスト部員として、女生徒たちを接待することになる。
<感想>
韓国の中でも人気はあるがタイトルで見なかったアニメだったが、もっと早くみる方がよかったと後悔している。最初に電球に光が入る演出は何回をみても新鮮だ。そしてアニメのキャラクターたちが制服ではない服を着るとき、想像をこえるファッションで変な服を着たりすることが多い。でもこの作品ではかなりおしゃれな感じの服がいっぱい出て服を見る楽しさもあった。タイトルに偏見を持たないようにしよう。
あそびあそばせ
<原作> 涼川りん <アニメ監督> 岸誠二
<あらすじ>
日本生まれ日本育ちでまったく英語ができない金髪の美少女。オリヴィア、真面目で知的な雰囲気を漂わせながら英語がまったくできないショートカットの眼鏡っ娘。 香純(かすみ、そして明るいけれど、リア充になれないおさげ髪の少女華子(はなこ)、3人の女子中学生が作ったのは「遊び人研究会」
<感想>
内容と合わないオープニングとエンディングから普通ではないアニメだと気づく。中学校の少女とは信じられない表情の演出もすごく印象的だ。日本の女子中学生はこんな感じなのか、日本の女の子たちに聞きたい。すくなくとも自分が通った女子中学校はアニメとちょっと似ていておどろいた。
アニメみたいに遊んだり、転んだり、怒られたりする。すこしバカみたいけど楽しければ!コメディなのに懐かしさをちょっとだけ感じる人は多分ないんだろう、、「落ち葉が転がるのを見るだけでも楽しい年」、
韓国でたまに女子中高生をこの言葉で表現する。多分この言葉に国籍は関係ないと思う。
極主夫道
<原作>おおのこうすけ <アニメ監督> 今千秋
<あらすじ>
"不死身の龍"と恐れられるも、極道の世界からこつ然と姿を消した伝説の男が家族を守り、忠誠と仁義を尽くす専業主夫の道を極めるためにカタギの世界に現れた。
<感想>
料理と家事がうまい男は魅力的だ。それがたとえ、(元)やくざといっても。完璧に見えても、サングラスかぶったままじゃ掃除がきれいにできないし、料理をする時に料理の色が見えないからタツはまだまだだ。
長くないから負担がなかった。動きがあんまりない独特な演出で、原作の漫画みたいな感じが逆に新鮮だった。それに猫はやっぱり最高だ。
スキップと ローファー
<原作> 高松美咲
<アニメ製作社・監督> P.A. WORKS・出合小都美
<あらすじ>
地方の小さな中学校から、東京の高偏差値高校に首席入学した岩倉美津未。 カンペキな生涯設計を胸に、ひとり上京してきた田舎の神童は、勉強はできるけれど距離感が独特でちょっとズレてる。 だから失敗することもあるけれど、その天然っぷりにクラスメイトたちはやわらかに感化されて、十人十色の個性はいつしか重なっていく。
<感想>
「君に届け」と似ていて韓国でかなり人気がアニメ。恋愛より友情を中心になっている感じをもらった。童話みたいな絵のスタイルと色、なによりそれぞれのキャラクターたちの個性がよかった。そんなキャラクターたちのコミュニケーションも好きだったが、それより主人公であるみつみが自分の目標に向かって新しい環境でも頑張る姿がすごく印象深かった。
葬送のフリーレン
<原作> 山田鐘人 <アニメ監督> 斎藤圭一郎
<あらすじ>
魔王を倒した勇士一行の「その後」。 魔法使いのフリーレンはエルフであり、一緒に旅行した3人とは違う部分がある。彼女が「その後」の世界で生きていくこと、感じること、人間をもっとしりたいーという心でフリーレンはまた旅に出る。残った者たちが醸し出す葬送と祈りとは-。 物語は「冒険の果て」から始まる。
<感想>
魔王を倒れた後の話という設定がすごく新鮮だった。キャラクターも性格がいろいろあってキャラクターたちの交流を見ることも楽しかった。何より印象深かったのは年取った勇者の姿だ。
疑問と(ちょっとのショックを含めた)混乱。美しい人はいつか年を取っても髪の毛がなくなることはない!という自分の偏見をなくしてくれた新しいアニメを見れて嬉しい。
これからはアニメのキャラクターたちの姿がいくら変わっても受け入れる気がする。
映画
グレイテスト・ショーマン
<監督>Michael Gracey
<スタジオ> 20th Century Fox
<あらすじ>
近代的サーカスの創始者であるバーナムの実話をもとにしたミュージカル映画。創意力と想像力にあふれるバーナムは、自分の想像を実現するために頑張る。 会社の倒産によって職を失った絶望的な状況の中でも、彼はこれまでにはなかった特別な事業を始める。
<感想>
サーカスという想像の舞台をミュージカルで描いた映画。ミュージカルというジャンルになれてない方に特におすすめしたい作品だ。「バーナム」はどんな人なのか。いい人と評価できる者か。目と耳が楽しくなる映画だが、主人公について考えてるポイントがあることも一つの魅力だ。「そのままの自分を認め、愛しよう」、「何のため自分は頑張ってるのか」など、人々にいろんなメッセージを伝えることも魅力的に感じれる。
マイ・インターン
<監督> ナンシーマイヤーズ <スタジオ> WarnerBros.
<あらすじ>
舞台はニューヨーク。華やかなファッション業界に身を置き
プライベートも充実しているジュールス。そんな彼女の部下に会社の福社
事業として、シニア、インターンのベンが雇われる。最初は40歳も年上の
ベンに何かとイラつくジュールスだが、やがて彼の心のこもった仕事ぶりと
的確な助言を頼りにするようになる。そんな時、ジュールスは仕事と
プライベートの両方で思わぬ危機を迎え、大きな選択を迫られる。
<感想>
就活に疲れてる方、以外におすすめする映画。(といったら悲しいでしょうか。)ベンが社会人として重なってきた経験と彼が持ってる大人の余裕は映画を見る人の心も気楽にする。仕事と生活の中で起きる若いCEOであるジュールスの悩みや周りとの葛藤と見ながら、自分ならどんな選択をするのか考えることになる。
エクストリーム・ジョブ
<監督>イ・ビョンホン
<あらすじ>
昼夜問わず走り回りながらも実績はどん底で、解散の危機に瀕した麻薬捜査班。そんな中、国際犯罪組織の情報を入手したコ班長は、チャン、マ、ヨンホ、ジェフンらの麻薬捜査班のメンバー4人と共に張り込み捜査を決行。2 4時間の監視を続けるため、犯罪組織のアジトの向かいにあるフライドチキン店を買い取り、偽装営業することに。ところが絶対味覚を持つマ刑事の作るチキンの味がたちまち大評判となり、店が大繁盛してしまう。
<感想>
韓国のコメディジャンルの歴史を新たに作成した映画。 ありふれたクリシェをすべて壊して、観客に新しい楽しみを与えた。 外国人には分かりにくい文化や微妙な言葉の違い、イントネーション、表現などの冗談が多くて日本語字幕では限界があった。それでも楽しいと思われる映画。ちょっとの暴力があるが負担なしに軽く見れることもこの映画の魅力。
リトル・フォレスト <韓国>
<監督>イム・スンレ
<あらすじ>
試験、恋愛、就活、何一つ思うままならない日常の繰り返し。そんな日常からへオンは故郷に戻って友達と会う。それぞれの理由を持って故郷に帰って来た友達と一緒にご飯を作りながら、いくつの季節が過ぎる。故郷で2回目の冬が来た時、へオンは自分が故郷に帰って来た本当の理由を気づいて、新しい春を迎える。
<感想>
日本のリトル・フォレストをリメイクした作品。日本の映画とはまた違う穏やかな雰囲気が魅力的。映画が上映した時、この映画で出た白菜をいれたみそ汁はあの時流行った記憶がある。映画の中で、俳優キム・テリの料理は一つ一つなんだか懐かしい感じがするのは、その料理の味を知っているからだと思う。リメイクについていい印象を持っていなかったけど、この映画をきっかけにリメイクもそれなりの魅力を持ってることわかった。
劇映画 孤独のグルメ
<監督>松重豊
<あらすじ>
千秋の祖父で、小雪の父親。 千秋と共にフランス・パリに住んでいる。 「子供の頃に飲んでいたスープをもう一度飲みたい」と五郎に食材とレシピ探しを依頼する。
<感想>
ご飯を食べる時たまに見てたドラマ、孤独なグルメ。ドラマではなく映画になった孤独のグルメは孤独でもなかったし、グルメでもなかった。無理矢理ストーリーを作ろうとする感じが強かった。 血でも遠いのに、あえて韓国まで?ドラマが持っていたその特有の雰囲気や余裕やなくなって残念だった。
腹がへったごろさんはドラマで十分!
コミック
華山帰還
<原作> ウェップ小説 비가 (ビガ) <コミック> LICO
1〜152 話
<あらすじ>
大華山派・13代門弟として天下最強と謳われた男、梅花剣尊「青明」 世を脅かした悪鬼「天魔」を討ち倒すも相打ちとなり命を落としたー ...はずがなぜか目を覚ますと乞食の姿になった。「天魔」が倒されてから百年後の世界は変わったことばかりで大混乱。転生した「青明」は 今度こそ完全無欠な勝利を目指す。スカッとする天下無双快進撃が始まる。
<感想>
武侠?のようなジャンルは普通、お父さんくらいの年齢の人々に人気があるが、このコミックは少し違う。主人公の性格(なにもかも暴力で解決してはいけないと言われるが、俺の場合ほとんど暴力で解決できた)は今の社会にはいてはいけないが、いわゆるイケメンで天才的な能力を持っている主人公は読むたび魅力的だと思う。ストーリーもかなり珍しい。過去に戻ってもう一回するというのが普通だが、戻ることではなく、100年が過ぎた時点から始まる設定もかなり興味深い。ストーリーの流れがすこし遅いという評価もかなりあるが、自分にはそこまで遅いと感じたことはあんまりない。
コミックだけどアクションもちゃんと表現できている部分も高く評価したい。
ユミの細胞たち
<作家> イ・ドンゴン
<あらすじ>
同じ会社で働く男性社員・勇気に恋する主人公・ユミは激しい感情の変化のせいで毎日大忙し。その原因はまさにユミの頭の中にいる細胞達である。勇気が違う女の人といる写真を見れば「名探偵細胞」が頭の中で状況を深読み・時々「むっつり細胞」が邪魔することも。「ネジを回せ!」という言葉を合図に、ユミの感情はいつもおかしな方向に?!ユミとユミの頭の中にいる細胞達が繰り広げるちょっぴり変わったラブコメディー。
<感想>
アニメ、働く細胞とインサイドヘッドと似ている設定のコミックだが一番現実的だ。作家が男性なのに女性の感情と生活をうまく表現して驚いた。夢をみることを細胞たちが映画をみているなど、作家が持ってる想像力から生まれた独特な設定を探す楽しさもある。ユミの恋愛の中心にストーリーが進むけど全体的にみると、ただのラブコメディだけでない感じがする。この作品の中でユミはヒロインとしてヒーローを探しているが、実はヒロインはいなくて、主人公のユミだけがいる。
私が死を決めたのは
<作家> YUZU 1~101話
あらすじ
高校3年生のジオは、将来有望なテコンドー選手だったが代表選手選抜戦を前に脚を負傷してしまう。そんなある日、バスで偶然出会ったギョル。余裕ぶったギョルの笑顔に振り回されるジオは、危険な香りがするギョルにどうしようもなく惹かれてしまう。初めての恋に浮つくジオだが、ギョルは一筋縄では行かず…。
感想
最初は普通のラブコメディのコミックだと思った。しかしストーリーが進むほど、どんどん作品の雰囲気が暗くなる。ジオ(ヒロイン)はただ助けてもらったりするキャラクターではなく、自分の体くらいは守れるスポーツ選手という設定があってすごくよかった。作品に出る人物が、とくにギョルがすこくカッコよくて、ストーリーはもちろん絵のスタイルが鋭い感じが好きな人も楽しめると思った。
ドラマ
トッケビ 1〜16話
<監督> イ・ウンボク
<スタジオ> STUDIO DRAGON CORPORATION
<あらすじ>
高麗時代の英雄だったキム・シンは、若き王の嫉妬から逆賊として命を
落とす。 その後、神の力によって"不滅の命"を生きる"トッケビ"
となってしまったシン。 彼の"不滅の命"を終わらせるができるのは
"トッケビの花嫁"と呼ばれる存在ただ一人、ヒロインのチ・ウンタクと
出会う。彼女に胸に刺さっている剣を抜いてもらい、不滅の人生を
終わらせようとする。
<感想>
最初にちょっとシンデレラ形のヒロインだと思った。でもストーリーが進むほどヒロインがもってる魅力にはまってる自分がいる。おすすめする韓国のドラマの一つだが、かなり伝統的な物語を前提にしたりして、理解ができない可能性もかなり高い。韓国語の単語や表現でする冗談も上手に使う作家で、翻訳の限界があるのは仕方ないが、韓国のドラマといったら一番おすすめしたいくらいにおもしろい。多くの人々に愛される理由がある愛しくて悲しいドラマ。
アニメ
ダンダダン 1~12話
<監督>山代風我
<あらすじ>
霊媒師の家系に生まれた女子高生。モモく綾瀬桃> と、同級生で
オカルトマニアのオカルンく高倉健>。モモがクラスのいじめっ子から
オカルンを助けたことをきっかけに話すようになった2人だったが、
「幽霊は信じているが宇宙人否定派」のモモと、「宇宙人は信じているが
幽霊否定派」のオカルンで口論に。互いに否定する宇宙人と幽霊を
信じさせるため、モモはUFOスポットの病院廃墟へ、オカルンは心霊
スポットのトンネルへ。そこで2人は、理解を超越した圧倒的怪奇に
出会う。窮地の中で秘めた力を覚醒させるモモと、呪いの力を手にした
オカルンが、迫りくる怪奇に挑む。
<感想>
ああ、大混乱、そのもの。銀魂以来、こんなアニメは初めてだ。こんなに性的(?)な要素を入れる必要があるのかとアニメを見る時、ずっと思った。
わざとテンポ(ストーリーが進めるスピードなど)を少し早くして作ったらしいが、内容や表現などが個人的な好みとは距離があったと思う。でも、ストーリーの進むスピードがかなり早かったので、アニメの説明も読んでみました。 その中で共感できた部分は一般的な生活や社会とは距離がある人々の話はよく描いたという点だ。このような部分は少年漫画らしいが、作家が描く性的な(?)演出と表現はまだ受け入れ難いが、作家なりの挑戦かもしれないという気がした。
聲の形
<監督> 山田尚子 <スタジオ> 京都アニメーション
<あらすじ>
"退屈すること"を何よりも嫌う少年、石田将也。ガキ大将だった小学生の
彼は、転校生の少女、西宮硝子に無邪気な好奇心を覚える。彼女が来た
ことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。しかし、
硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。やがて
5 年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長した将也と硝子。"ある
出来事"以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子のもとを訪れるが。
<感想>
「手話」という言語にもう一回考えるようになる作品。韓国で上映する時、「君の名は」の影響でしられなかったが、この作品を映画館で感想できてよかったと見るたび思う。自分の心を伝えるのは聲だけでない。それが字でも、手話でも聲の形でもちゃんと伝えられる。ということは考えて見たら当たり前なことだけどもう一度自覚した。そして大事な時、聲でも形だけでも、自分の心はちゃんと伝えましょう。
ルックバック <漫画、アニメ>
<作家> 藤本タツキ
<あらすじ>
小学4年生の藤野は、学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメイトたちから絶賛されていた。ある日、彼女は教師から、学生新聞に不登校の生徒・京本の漫画も載せたいと告げられる。ふたりの少女は、漫画へのひたむきな思いを注ぎながら成長していく。
<感想>
「チェンソーマン」で有名な藤本タツキの短編集。絵のスタイルから内容まで、当たり前だけと作品の全体に作家の個性が溢れてる。それでエンディングにも納得できたと思う。最初はアニメで感想したが、アニメの方より、原作の漫画の方がもっと作家の個性が感じられてよかった。
アオのハコ
<原作> 三浦糀 <制作者>トムス・エンタテインメント
<あらすじ>
中高一貫のスポーツ強豪校。 栄明高校に入学する、男子バドミントン部の一年生•猪股大喜。 大喜は毎朝、朝練で顔を合わせる一つ上の先輩、鹿野千夏に恋をする。千夏は女子バスケットボール部のエースで、校内外問わず人気の高嶺の花。部活に恋に勉強に、大喜にとって忙しい高校生活がはじまる。
<感想>
とにかくヒナが好き(?)。キャラクターもスポーツのシーンもオープニングも全部きれい。個人的に2Dのアニメに微妙な3Dが混ざってることを好きないが、これはそのバランスはよくできていると思った。しかし、スポーツするシーンの背景に3Dが入ってる部分が見えるたび少し違和感を感じた。
四月は君の嘘
<原作> 新川直司 <製作> A-1Pictures
<あらすじ>
ピアノだけがすべてだった天才ピアニスト、有馬公生。11歳の冬、母親を失ったショックで彼の日常はモノトーンのようになり、自分がひくピアノの音が聞こえなくなる。かわっぽだった彼に中学3年の春、一人の少女を出会う。自分のヴァイオリニストだと紹介する彼女の自由なコンクールを見たある日、公生の世界はカラフルに色づきはじめる。
<感想>
原作もよかったが、個人的にアニメが持ってる色と演出が原作をこえたと言いたい作品。特に背景に挿入される音楽はキャラクターの状況や感情によく合うと思う。思春期と青春の中でキャラクターたちはそれぞれの成長していく過程も一つの楽しさ。クラシックの音楽も美しく描いて、見るたびいろんな感情が生まれる。
薬屋のひとりごと シーズン 1
<アニメ監督> 長沼範裕
<あらすじ>
帝の寵妃。玉葉妃の妊娠判明により、猫猫は翡翠宮の毒見役に復帰。妃、そして帝の御子を狙った事件が再び起きないよう警戒をしながら、日々を送っていた。先帝時代からの重臣を父にもつ新たな淑妃。楼蘭妃の入内、王氏の命が狙われた、前代未聞の未解決事件、そして消えた容疑者。翠爷。不穏な空気が晴れない中、外国からの隊商、さらには無理難題な要求をする特使も来訪。宮中にはさらなる暗雲が立ち込め始めていた。猫猫と王氏を待ち受ける新たな難事件。それらは、やがて国をも巻き込む一大事件へと発展していく一
<感想>
ドクターストーン以来韓国語の字幕なしにみることができなかったアニメ
人物や身分に合った服と装飾を見る楽しさがあった。 賢い主人公が好奇心に勝てず、結局事件に巻き込まれる流れはかなり見える設定だが、すべてがまだ解決されてないという雰囲気を残る部分も良かったと思う。
桜蘭高校ホスト部
<原作> 葉鳥ビスコ <アニメ製作社・監督> BONES・ 五十嵐卓哉
<あらすじ>
超お金持ちのご令息。 ご令嬢が通う名門校 。 桜蘭学院高校に、奨学特待生として入学した庶民の藤岡ハルヒ。母を亡くし男手ひとつで育てられたハルヒはおしゃれに興味がなく、何事にも無頓着で男の子のような格好で学校に
通っていた。ある日、ハルヒは、ホスト部の部室に迷い込み、部室内の800万円の花瓶を割ってしまう。ところで、ホスト部部長の環は「100人の指名客を集められたら800万円はチャラにしてやる」と宣言。こうしてハルヒは
7人目のホスト部員として、女生徒たちを接待することになる。
<感想>
韓国の中でも人気はあるがタイトルで見なかったアニメだったが、もっと早くみる方がよかったと後悔している。最初に電球に光が入る演出は何回をみても新鮮だ。そしてアニメのキャラクターたちが制服ではない服を着るとき、想像をこえるファッションで変な服を着たりすることが多い。でもこの作品ではかなりおしゃれな感じの服がいっぱい出て服を見る楽しさもあった。タイトルに偏見を持たないようにしよう。
あそびあそばせ
<原作> 涼川りん <アニメ監督> 岸誠二
<あらすじ>
日本生まれ日本育ちでまったく英語ができない金髪の美少女。オリヴィア、真面目で知的な雰囲気を漂わせながら英語がまったくできないショートカットの眼鏡っ娘。 香純(かすみ、そして明るいけれど、リア充になれないおさげ髪の少女華子(はなこ)、3人の女子中学生が作ったのは「遊び人研究会」
<感想>
内容と合わないオープニングとエンディングから普通ではないアニメだと気づく。中学校の少女とは信じられない表情の演出もすごく印象的だ。日本の女子中学生はこんな感じなのか、日本の女の子たちに聞きたい。すくなくとも自分が通った女子中学校はアニメとちょっと似ていておどろいた。
アニメみたいに遊んだり、転んだり、怒られたりする。すこしバカみたいけど楽しければ!コメディなのに懐かしさをちょっとだけ感じる人は多分ないんだろう、、「落ち葉が転がるのを見るだけでも楽しい年」、
韓国でたまに女子中高生をこの言葉で表現する。多分この言葉に国籍は関係ないと思う。
極主夫道
<原作>おおのこうすけ <アニメ監督> 今千秋
<あらすじ>
"不死身の龍"と恐れられるも、極道の世界からこつ然と姿を消した伝説の男が家族を守り、忠誠と仁義を尽くす専業主夫の道を極めるためにカタギの世界に現れた。
<感想>
料理と家事がうまい男は魅力的だ。それがたとえ、(元)やくざといっても。完璧に見えても、サングラスかぶったままじゃ掃除がきれいにできないし、料理をする時に料理の色が見えないからタツはまだまだだ。
長くないから負担がなかった。動きがあんまりない独特な演出で、原作の漫画みたいな感じが逆に新鮮だった。それに猫はやっぱり最高だ。
スキップと ローファー
<原作> 高松美咲
<アニメ製作社・監督> P.A. WORKS・出合小都美
<あらすじ>
地方の小さな中学校から、東京の高偏差値高校に首席入学した岩倉美津未。 カンペキな生涯設計を胸に、ひとり上京してきた田舎の神童は、勉強はできるけれど距離感が独特でちょっとズレてる。 だから失敗することもあるけれど、その天然っぷりにクラスメイトたちはやわらかに感化されて、十人十色の個性はいつしか重なっていく。
<感想>
「君に届け」と似ていて韓国でかなり人気がアニメ。恋愛より友情を中心になっている感じをもらった。童話みたいな絵のスタイルと色、なによりそれぞれのキャラクターたちの個性がよかった。そんなキャラクターたちのコミュニケーションも好きだったが、それより主人公であるみつみが自分の目標に向かって新しい環境でも頑張る姿がすごく印象深かった。
葬送のフリーレン
<原作> 山田鐘人 <アニメ監督> 斎藤圭一郎
<あらすじ>
魔王を倒した勇士一行の「その後」。 魔法使いのフリーレンはエルフであり、一緒に旅行した3人とは違う部分がある。彼女が「その後」の世界で生きていくこと、感じること、人間をもっとしりたいーという心でフリーレンはまた旅に出る。残った者たちが醸し出す葬送と祈りとは-。 物語は「冒険の果て」から始まる。
<感想>
魔王を倒れた後の話という設定がすごく新鮮だった。キャラクターも性格がいろいろあってキャラクターたちの交流を見ることも楽しかった。何より印象深かったのは年取った勇者の姿だ。
疑問と(ちょっとのショックを含めた)混乱。美しい人はいつか年を取っても髪の毛がなくなることはない!という自分の偏見をなくしてくれた新しいアニメを見れて嬉しい。
これからはアニメのキャラクターたちの姿がいくら変わっても受け入れる気がする。
映画
グレイテスト・ショーマン
<監督>Michael Gracey
<スタジオ> 20th Century Fox
<あらすじ>
近代的サーカスの創始者であるバーナムの実話をもとにしたミュージカル映画。創意力と想像力にあふれるバーナムは、自分の想像を実現するために頑張る。 会社の倒産によって職を失った絶望的な状況の中でも、彼はこれまでにはなかった特別な事業を始める。
<感想>
サーカスという想像の舞台をミュージカルで描いた映画。ミュージカルというジャンルになれてない方に特におすすめしたい作品だ。「バーナム」はどんな人なのか。いい人と評価できる者か。目と耳が楽しくなる映画だが、主人公について考えてるポイントがあることも一つの魅力だ。「そのままの自分を認め、愛しよう」、「何のため自分は頑張ってるのか」など、人々にいろんなメッセージを伝えることも魅力的に感じれる。
マイ・インターン
<監督> ナンシーマイヤーズ <スタジオ> WarnerBros.
<あらすじ>
舞台はニューヨーク。華やかなファッション業界に身を置き
プライベートも充実しているジュールス。そんな彼女の部下に会社の福社
事業として、シニア、インターンのベンが雇われる。最初は40歳も年上の
ベンに何かとイラつくジュールスだが、やがて彼の心のこもった仕事ぶりと
的確な助言を頼りにするようになる。そんな時、ジュールスは仕事と
プライベートの両方で思わぬ危機を迎え、大きな選択を迫られる。
<感想>
就活に疲れてる方、以外におすすめする映画。(といったら悲しいでしょうか。)ベンが社会人として重なってきた経験と彼が持ってる大人の余裕は映画を見る人の心も気楽にする。仕事と生活の中で起きる若いCEOであるジュールスの悩みや周りとの葛藤と見ながら、自分ならどんな選択をするのか考えることになる。
エクストリーム・ジョブ
<監督>イ・ビョンホン
<あらすじ>
昼夜問わず走り回りながらも実績はどん底で、解散の危機に瀕した麻薬捜査班。そんな中、国際犯罪組織の情報を入手したコ班長は、チャン、マ、ヨンホ、ジェフンらの麻薬捜査班のメンバー4人と共に張り込み捜査を決行。2 4時間の監視を続けるため、犯罪組織のアジトの向かいにあるフライドチキン店を買い取り、偽装営業することに。ところが絶対味覚を持つマ刑事の作るチキンの味がたちまち大評判となり、店が大繁盛してしまう。
<感想>
韓国のコメディジャンルの歴史を新たに作成した映画。 ありふれたクリシェをすべて壊して、観客に新しい楽しみを与えた。 外国人には分かりにくい文化や微妙な言葉の違い、イントネーション、表現などの冗談が多くて日本語字幕では限界があった。それでも楽しいと思われる映画。ちょっとの暴力があるが負担なしに軽く見れることもこの映画の魅力。
リトル・フォレスト <韓国>
<監督>イム・スンレ
<あらすじ>
試験、恋愛、就活、何一つ思うままならない日常の繰り返し。そんな日常からへオンは故郷に戻って友達と会う。それぞれの理由を持って故郷に帰って来た友達と一緒にご飯を作りながら、いくつの季節が過ぎる。故郷で2回目の冬が来た時、へオンは自分が故郷に帰って来た本当の理由を気づいて、新しい春を迎える。
<感想>
日本のリトル・フォレストをリメイクした作品。日本の映画とはまた違う穏やかな雰囲気が魅力的。映画が上映した時、この映画で出た白菜をいれたみそ汁はあの時流行った記憶がある。映画の中で、俳優キム・テリの料理は一つ一つなんだか懐かしい感じがするのは、その料理の味を知っているからだと思う。リメイクについていい印象を持っていなかったけど、この映画をきっかけにリメイクもそれなりの魅力を持ってることわかった。
劇映画 孤独のグルメ
<監督>松重豊
<あらすじ>
千秋の祖父で、小雪の父親。 千秋と共にフランス・パリに住んでいる。 「子供の頃に飲んでいたスープをもう一度飲みたい」と五郎に食材とレシピ探しを依頼する。
<感想>
ご飯を食べる時たまに見てたドラマ、孤独なグルメ。ドラマではなく映画になった孤独のグルメは孤独でもなかったし、グルメでもなかった。無理矢理ストーリーを作ろうとする感じが強かった。 血でも遠いのに、あえて韓国まで?ドラマが持っていたその特有の雰囲気や余裕やなくなって残念だった。
腹がへったごろさんはドラマで十分!
コミック
華山帰還
<原作> ウェップ小説 비가 (ビガ) <コミック> LICO
1〜152 話
<あらすじ>
大華山派・13代門弟として天下最強と謳われた男、梅花剣尊「青明」 世を脅かした悪鬼「天魔」を討ち倒すも相打ちとなり命を落としたー ...はずがなぜか目を覚ますと乞食の姿になった。「天魔」が倒されてから百年後の世界は変わったことばかりで大混乱。転生した「青明」は 今度こそ完全無欠な勝利を目指す。スカッとする天下無双快進撃が始まる。
<感想>
武侠?のようなジャンルは普通、お父さんくらいの年齢の人々に人気があるが、このコミックは少し違う。主人公の性格(なにもかも暴力で解決してはいけないと言われるが、俺の場合ほとんど暴力で解決できた)は今の社会にはいてはいけないが、いわゆるイケメンで天才的な能力を持っている主人公は読むたび魅力的だと思う。ストーリーもかなり珍しい。過去に戻ってもう一回するというのが普通だが、戻ることではなく、100年が過ぎた時点から始まる設定もかなり興味深い。ストーリーの流れがすこし遅いという評価もかなりあるが、自分にはそこまで遅いと感じたことはあんまりない。
コミックだけどアクションもちゃんと表現できている部分も高く評価したい。
ユミの細胞たち
<作家> イ・ドンゴン
<あらすじ>
同じ会社で働く男性社員・勇気に恋する主人公・ユミは激しい感情の変化のせいで毎日大忙し。その原因はまさにユミの頭の中にいる細胞達である。勇気が違う女の人といる写真を見れば「名探偵細胞」が頭の中で状況を深読み・時々「むっつり細胞」が邪魔することも。「ネジを回せ!」という言葉を合図に、ユミの感情はいつもおかしな方向に?!ユミとユミの頭の中にいる細胞達が繰り広げるちょっぴり変わったラブコメディー。
<感想>
アニメ、働く細胞とインサイドヘッドと似ている設定のコミックだが一番現実的だ。作家が男性なのに女性の感情と生活をうまく表現して驚いた。夢をみることを細胞たちが映画をみているなど、作家が持ってる想像力から生まれた独特な設定を探す楽しさもある。ユミの恋愛の中心にストーリーが進むけど全体的にみると、ただのラブコメディだけでない感じがする。この作品の中でユミはヒロインとしてヒーローを探しているが、実はヒロインはいなくて、主人公のユミだけがいる。
私が死を決めたのは
<作家> YUZU 1~101話
あらすじ
高校3年生のジオは、将来有望なテコンドー選手だったが代表選手選抜戦を前に脚を負傷してしまう。そんなある日、バスで偶然出会ったギョル。余裕ぶったギョルの笑顔に振り回されるジオは、危険な香りがするギョルにどうしようもなく惹かれてしまう。初めての恋に浮つくジオだが、ギョルは一筋縄では行かず…。
感想
最初は普通のラブコメディのコミックだと思った。しかしストーリーが進むほど、どんどん作品の雰囲気が暗くなる。ジオ(ヒロイン)はただ助けてもらったりするキャラクターではなく、自分の体くらいは守れるスポーツ選手という設定があってすごくよかった。作品に出る人物が、とくにギョルがすこくカッコよくて、ストーリーはもちろん絵のスタイルが鋭い感じが好きな人も楽しめると思った。
加藤隆介
RES
3年加藤
春休み課題
1.Self-Reference ENGINE
小説 2010年 著者:円城塔
あらすじ
彼女のこめかみには弾丸が埋まっていて、我が家に伝わる箱は、どこかの方向に毎年一度だけ倒される。老教授の最終講義は鯰文書の謎を解き明かし、床下からは大量のフロイトが出現する。そして小さく白い可憐な靴下は異形の巨大石像へと挑みかかり、僕らは反乱を起こした時間のなか、あてのない冒険へと歩みを進める──軽々とジャンルを越境し続ける著者による脅威のデビュー作、2篇の増補を加えて待望の文庫化!
考察
小説には語られなかった無限の物語が存在する。「私は男である」という文章が存在する以上「私は女である」という文章も存在しうる。これは作中で時間の束が崩壊し無数の時空間が存在することで表現されている。しかし、小説家は無数の物語をすべて読者に提示することはできない。小説家は主人公の性別を一つに特定し、年齢を一つに特定する。そうして無数の世界の中から一つに特定されたものが、読者に提示された小説である。世界の特定は読者の見えないところで行われるため、小説家は実際に提示した一つの世界しか考えていないと誤解されがちではないだろうか。文章を書いたことがあれば分かる通り、実際は常に無数の分岐に直面していて、その都度提示する世界を選択しているし、選択されたものは何度も書き換えられている。「吾輩は猫である」という文章はもともと「吾輩は犬である」だったかもしれないし、私たちは主人公が犬であった場合の展開を想像して楽しむことができる。ifルートに代表される二次創作の隆盛はこれを体現している。重要なのは、提示された作品の展開だけが作者の思想だと決めつけないことである。
2.ユートピア
小説 1516年 著者:トマス・モア
あらすじ
表題の「ユートピア」は「どこにも無い」という意味のトマス・モア(1478-1535)の造語である。モアが描き出したこの理想国は自由と規律を兼ね備えた共和国で、国民は人間の自然な姿を愛し「戦争でえられた名誉ほど不名誉なものはない」と考えている。社会思想史上の第一級の古典であるだけでなく、読みものとしても十分に面白い。
今回取り扱うのは1957年に岩波書店から出版されたもの(訳:平井正穂)。
考察
架空の国という意味で名づけられたこの作品は、五百年もの時を経ることによってユートピアの不在性を別の面から証明してみせたのではいだろうか。
作中で理想的な社会として語られるユートピアは、二十世紀以降にディストピア小説で提起される多くの問題をすでに抱えているように見える。一つ目に奴隷の存在である。社会で一方的に定められた正しさから逸脱した人間は犯罪者として奴隷にされる。
二つ目にプライバシーの排除である。全ての物資が共有財産であるユートピアでは、家すら例外ではない。誰でも自由に入ることができるし、居住する家自体が定期的に抽選で変わってしまう。食事の時間は町の人々が一堂に会し、外の町に出向くにも複数人で記録を残した上でないといけない。
しかし、このような問題点があるからといって『ユートピア』がすでにディストピアを内包していると主張するのは一面的な見方といえる。昔の常識が今の非常識になることは普遍的な事象であり、理想的な社会は時代や地域とともに移り変わる。当時理想郷と認識されていた架空のユートピアですら、時代が変わればディストピアと呼ばれるこの状況こそがユートピアの不在性を示しているといえる。
3.ガリバー旅行記
小説 1735年 著者:ジョナサン・スウィフト
あらすじ
小人たちの国、巨人たちの国、空飛ぶ島の国、馬たちの国…イギリスに妻子を残し、懲りずに旅を続けたガリバー。彼が出会ったおとぎの国々を、誰もが一度は夢見たことがあるだろう。子供の心と想像力で、スウィフトが描いたこの奇想天外、ユーモアあふれる冒険譚は、けれどとびきり鋭く辛辣に、人間と現実社会をみつめている。読むたび発見を新たにする、冒険旅行小説の歴史的名著。抜群に読みやすい新訳版。
今回取り扱うのは角川文庫から2011年に出版されたもの(訳:山田蘭)
考察
本作は一般的に社会風刺を目的としたユートピア文学と考えられている。しかし、『ユートピア』とは違い、作品の成立時点からディストピア文学として書かれたのではないだろうか。
ガリバーは作中で四つの主要な国に訪れるわけだが、その全てを追い出されるか逃げるように出ていくことになる。とくに理想的に描かれたフウイヌム国ですら野蛮なヤフーと同族とみなされ、出ていくように「勧告」を受ける。『ユートピア』のように遥か彼方に理想の国があり、その社会制度を見習おうというものではない。実際にいくつものユートピアを訪れた上で諦観の念を募らせていくのである。これは当時の英国社会への批判どころではなく、普遍的な社会への諦めと捉えるのが自然ではないだろうか。
いくつものユートピアを訪れながらも全てに失念し、理想的なフウイヌム国を訪れた結果むしろ傲慢さが表れ滑稽に描かれるガリバーという構図。社会の改善を一切諦め、ディストピア的な環境で我慢することを余儀なくされた結末。ここに『ユートピア』に感じられるような向上心は見られない。これらの理由から、本作は作品の成立時点からディストピア小説として書かれたものだと考える。
4.1984
小説 1949年 著者:ジョージ・オーウェル
あらすじ
「ビッグ・ブラザーが見ている」党があらゆる行動を監視し、言語も思想も管理された近未来世界。過去の捏造に従事するウィンストンは記憶と真実を留めるため、密かに日記を書き始めた。若い娘ジュリアから意外な愛の告白を受け逢瀬を重ねる中、伝説の反逆組織の男に声をかけられ、禁断の本を入手する。だがそれは恐るべき未来への扉であった──圧倒的リーダビリティの新訳で堪能するディストピア小説の最高傑作。
今回取り扱うのは角川文庫から2021年に出版されたもの(訳:田内志文)
考察
私はこの作品を読んで、ユートピアとディストピアの典型的な違いとして道徳を信じる社会か信じない社会か、主人公が訪問者か居住者か、の二点を挙げられると考えた。
『ユートピア』の住人はみな敬虔で、道徳心に満ち溢れている。ゆるぎない道徳心を前提とした社会では、定める必要すらなく全体主義的でありプライバシーも必要ない。一方『1984』では個々人の道徳などは信用されない。徹底的な監視と拷問によって全体主義を作り上げる。ユートピアとディストピアという一見真逆の社会が同じような制度をしているのは、道徳の絶対性と道徳の不在という片面での極致を描いたものという共通点からではないだろうか。
また、主人公がディストピア社会の一員であり、その中で物語が展開されることも大きな違いである。理想郷を訪れるユートピア文学に対して、ディストピア文学は社会の中で生まれ育つ話が多い。ここで重要なのは、『1984』のような監視社会であれば、自身のディストピア的要素を訪問者から隠すことなど容易いということである。本作の社会も、訪問者の視点で見ればユートピアとして扱われていたかもしれず、『ユートピア』にも訪問者に隠されたディストピアがあるかもしれない。
5.第四間氷期
小説 1958年 著者:阿部公房
あらすじ
現在にとって未来とは何か? 文明の行きつく先にあらわれる未来は天国か地獄か? 万能の電子頭脳に平凡な中年男の未来を予言させようとしたことに端を発して事態は急転直下、つぎつぎと意外な方向へ展開してゆき、やがて機械は人類の苛酷な未来を語りだすのであった……。薔薇色の未来を盲信して現在に安住しているものを痛烈に告発し、衝撃へと投げやる異色のSF長編。
考察
この作品は一見ディストピア的な未来像を提示するものに見える。しかし実際のテーマは、人間の自己中心的な考え方への批判にあると考えた。
本作にはディストピア的な要素が多く見られる。そして、すべての要素に人間の身勝手さが描かれている。氷河の融解は温暖化を示唆しており、自然より産業発展を優先した人間の身勝手さが問題になる。遺伝子の改造は言うまでもなく被験者の人権を侵害する行為である。また、勝見が予言によって殺されることも、作中では因果応報として描かれる。自分が生み出したものによって被害を受けるという構図は、水棲人間を生み出した現人類が水棲人間に飼われるという予言で変奏される。
この視点から考え直すと、水棲人間に支配される未来をディストピアだと決めつけて抵抗しようとする勝見は、今の価値観に支配されず未来を受け入れる頼木たちに相対化されて、ひどく身勝手に描かれていることが分かる。
ここから本作は勝見を通して、「自己中心的な常識に依って未知の対象を非難すること」を批判していると考えられる。これはユートピア文学批評に対する鋭い批判にもなっている。
6.わたしを離さないで
小説 2005年 著者:カズオ・イシグロ
あらすじ
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。
今回取り扱うのはハヤカワepi文庫から2008年に出版されたもの。(訳:土屋政雄)
考察
本作はユートピアの犠牲者を描いていることが特徴といえるだろう。医療の発達した英国社会で臓器提供を目的に作られたクローン人間を育てる施設ヘールシャムでの思い出を、キャシーの一人称視点で振り返っている。施設を卒業してから時間が経ちながらも、まだ提供者になっていないという特殊な立場は、黄金時代と人生の終末の狭間であり、ユートピアとディストピアの中間だと考えられる。作品世界が具体的に描かれないためキャシーの語りからの推測にならざるを得ないが、『1984』の考察で示した分類に従うと「信じない・居住者」になるだろう。しかし、本作はこれまでのユートピア文学に見られるような極端な社会と比べて、私たちの社会に近しい。完全に「信じない」というよりも「見て見ぬふりをする」というのが正確だろう。ヘールシャムで行われた展示会はまさしく、「見て見ぬふり」をされて消えかけている道徳に訴えかけるための行事であった。キャシーは提供者となって死にゆく恐怖を和らげるために、ヘールシャム時代の思い出を理想化する。ヘールシャム時代と提供者の隙間に時間軸を置いたからこそ、読者の共感を誘えたのではないだろうか。
7.虐殺器官
小説 2007年 著者:伊藤計劃
あらすじ
9・11以降の“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう……彼の目的とはいったいなにか? 大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは? 現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション
考察
今作では『わたしを離さないで』と似ているユートピアの犠牲者の問題が描かれていた。『1984』の世界では行き過ぎた監視社会により反乱が生まれていないが、本作の監視社会ではテロを防げなかった。監視や罰則を与えても、自爆前提の特攻をされるので意味がなかったのである。そこでジョン・ポールはテロを起こしそうな地域で紛争を起こし、アメリカに対するテロを無くした。米国民は戦争を遠い国の話と考え、連続的な日常を生きている。『わたしを離さないで』の社会が施設を見て見ぬふりするのと、『第四間氷期』で勝見が信じるものと同じである。クラヴィスによって虐殺の舞台が反転したことは『第四間氷期』の断絶した未来の訪れに近い。
クラヴィスはこれまでアメリカ上層部の命令という言い訳で、紛争地域の用人を幾度となく暗殺してきた。一連の事件の結果、それがジョン・ポールのやり方と変わらないことに気づく。その罪を償うために自分の意志でアメリカ社会に虐殺の舞台を移し、母の死というトラウマを克服するという繋がり方が綺麗である。
8.ハーモニー
小説 2009年 著者:伊藤計劃
あらすじ
21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した――それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、ただひとり死んだはすの少女の影を見る――『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。
考察
本作は『ユートピア』社会の極致を描いたように感じる。徹底的な道徳心に加え病気も怪我もない優しい世界である。しかし『ユートピア』で危惧したように、道徳観に息苦しさを感じる子どもたちが増えて自殺者が増えていた。道徳を信じる社会の居住者であるからこそ、『ユートピア』で描かれなかったディストピア的要素が見えてくる。作中最も重要な人物である御冷ミァハは自殺を無くすために人間から意識を無くそうとするが、これはフウイヌム国をさらに進めたものに見える。絶対的な理性に従っていたフウイヌム国のように、意識のなくなった社会では戦争も議論も自殺もない。意識のない世界は我々にはディストピアに感じるかもしれないが、感情や意識が進化の過程で一時的に必要になっただけだとすれば、必要になった段階でまた生まれるだろう。意識が神秘的で必須のものであるという感覚を覆す作品だった。
9.なめらかな世界と、その敵
小説 2015年 著者:伴名練
あらすじ
いくつもの並行世界を行き来する少女たちの一度きりの青春を描いた表題作のほか、脳科学を題材として伊藤計劃『ハーモニー』にトリビュートを捧げる「美亜羽へ贈る拳󠄁銃」、ソ連とアメリカの超高度人工知能がせめぎあう改変歴史ドラマ「シンギュラリティ・ソヴィエト」、未曽有の災害に巻き込まれた新幹線の乗客たちをめぐる書き下ろし「ひかりより速く、ゆるやかに」など、卓抜した筆致と想像力で綴られる全6編。SFへの限りない憧憬が生んだ奇跡の才能、初の傑作集が満を持して登場。
1作目。今回取り扱うのは2022年にハヤカワ文庫から出版された文庫『なめらかな世界と、その敵』に収録されたもの。2019年には同書の単行本が早川書房から出版されているが、内容に一部修正が入っている。初出は2015年『稀刊奇想マガジン準備号』。
考察
この作品最大の魅力は、現実世界の読者を作品世界のユートピアの犠牲者に仕立て上げたことだと考える。
本作は「並行世界を自由に行き来できる」世界でありながら、それができない人を描いている。この作品世界の人間たちは、自分が死にそうになれば自分が死にそうになっていない世界に行く。誰かが亡くなっても、その人が亡くなっていない世界に行ける。彼らは常にいくつかの世界を歩んでいて、授業を聞きながらアルバイトをこなし、アルバイトをこなしながらゲームをする。
このいかにも魅力的な「なめらかな世界」での「なめらかな」青春を描けば、それだけで面白くなりそうである。しかし、著者はそこに「その敵」である乗覚障害を加えた。障害を負い並行世界の移動ができなくなった人間にとって、現実は今いる世界だけであり、命は一つ限りである。これは我々読者の生き方と同じであるはずなのに、「なめらかな世界」の人間に相対化されて悲惨で孤独なものに感じられる。乗覚障害を負った人間は一度きりの人生を失敗しないよう、人との関りを断ち、勉学に集中する。同じ一度きりの人生でも周囲の環境次第でここまで感じ方が変わるのかと驚いた。
10.美亜羽へ贈る拳銃
小説 2011年 著者:伴名練
あらすじ
同上。
3作目。初出は2011年『伊藤計劃トリビュート』。
考察
この作品では道徳を信じる社会から道徳を機械に任せる社会への変化と葛藤が描かれている。すでに機械に頼っていた社会は、ウェディング・ナイフの登場で決定的に道徳を信じない社会へ変化した。機械による確実な愛があるからこそ道徳的な、確証のない愛は誰にも信じられない。そんな中で機械の影響を受けない実継は自由な意思を持っていると書かれる。本作が『ハーモニー』へのトリビュートであることを考えると、実継は『ハーモニー』のような意識のない世界に抵抗しているようにも感じる。自由に感情を変えることができるユートピア社会の中で、それができない実継は犠牲者のようでありながら、だからこそ北条美亜羽に振られて神冴美亜羽を愛することができたのだろう。実継が機械によって神冴美亜羽を愛していたら、神冴美亜羽が実継に隠していたことは全て隠されたまま暮らすことになっていただろう。
11.ホーリーアイアンメイデン
小説 2017年 著者:伴名練
あらすじ
同上。
4作目。初出は『年間日本SF傑作選91~99を編む パイロット版』。
考察
本作で行き着いた社会は『ハーモニー』に似ている。鞠奈の能力を受けた人は道徳的に変化し、その影響が全世界にまで及べばユートピアが完成する。しかし鞠奈は能力による道徳心が正しいものと信じられず、全人類の心を変化させるという罪を犯さないために妹の琴枝にだけは能力を使わなかった。これは人類の意識を失くすのに抵抗のなかったミァハと対照的である。みなが道徳心を手に入れた社会で一人だけ能力の影響を受けないというのは、琴枝にとってユートピアの犠牲者になるのと同義であり、琴枝はそれを拒んで死を選んだ。これは『ハーモニー』の三人に似ている。また、ユートピアへの過渡期を描いているという点では『第四間氷期』『美亜羽へ贈る拳銃』に共通する。特に『美亜羽へ贈る拳銃』は『ハーモニー』と同じく意識を環境に託しており、鞠奈の能力に道徳心を託す本作とも近い。
12.シンギュラリティ・ソヴィエト
小説 2018年 著者:伴名練
あらすじ
同上。
5作目。初出は『改変歴史SFアンソロジー パイロット版』。
考察
本作ではシンギュラリティを超えた人工知能が人間を支配し、人間がちっぽけな存在になった世界を描いている。命を賭して敵国に復讐しにきたマイケルの人生や、それに対峙するヴィーカの運命はすべて人工知能に操られている。物語の大半をマイケルとヴィーカの個人的な存在意義を描くのに費やしたからこそ、誕生日を祝うためだけにソヴィエト全土を停電させ、七つの火を灯すために各地でテロや事故を起こさせた上で、それを一息で消してしまう人工知能の規模の大きさが強調される。全国民が同一の人工知能に脳を預けている本作の社会では、個人は人工知能を構成する細胞の一つにすぎない。そんな世界の中でも、姉の言葉に支えられ娘の誕生日に歌を歌う個人的な流れが生きていることに人間らしさを感じた。誕生日を盛大に祝おうとする気持ちに、本作の人工知能が人間の集合であることが見受けられる。
13.ひかりより速く、ゆるやかに
小説 2019年 著者:伴名練
あらすじ
同上。
6作目。初出は2019年の『なめらかな世界と、その敵』単行本。
考察
本作では速希と速希の叔父、薙原の三人が対照的に描かれている。個人的な問題のために事故を小説にした速希、個人的な興味のために事故の再現をしようとした叔父、天乃のために解決策を考え続けた薙原。最終的には叔父から事故の解決法を、薙原から意思を受け継いだ速希が天乃を助け出すことになる。事故を題材にした小説の中で、速希は電車を2700年待つ選択をしていた。それに対する薙原の激怒によって、速希は「待つ方の人間」から「止まってられない人間」になることができる。しかしそれと同時に、薙原が貶した架空の想像力によって叔父は解決法を見つける。薙原の自己を犠牲にしてまで現実に向き合う意思と叔父の想像力を統合できたからこそ、速希は天乃を救い出すことができた。「止まってられない人間」の天乃に嫉妬と恐れを抱いていた速希は、同じく「止まってられない人間」である薙原と叔父の影響を受けることで天乃に向き合うことができた。
14.冬至草
小説 2002年 著者:石黒達昌
あらすじ
1926年の北海道、ある医師の診療所に運ばれてきた女は特異な症状を示していた……圧巻の幻想SF「雪女」、人の血液を養分とする異様な植物をめぐって科学という営為の光と影を描いた「冬至草」のほか、論文捏造事件を予見した「アブサルティに関する評伝」、架空生物ハネネズミを横書き論文形式で語り大江健三郎・筒井康隆に絶賛された芥川賞候補作など、伝説的作家による全8編を集成! 伴名練渾身の解説40p超を併録。
2作目。今回取り扱うのは『日本SFの臨界点 石黒達昌』(2021,編:伴名練)に収録されたもの。初出は2002年<文學界>。
考察
タイトルにもなっている冬至草は科学技術発展のメタファーになっていると考えた。冬至草は自らの種の繁殖のために、DMEという周囲の植物の生育を妨げる毒性の物質を持っている。この物質は濃度が濃くなると自家中毒を起こすため、冬至草が一時の繁栄の後急激に個体数を減らした原因と考えられている。また、冬至草は体内に放射能物質であるウランをため込み、濃縮度の高い葉や花が青白く光るという特徴を持つ。これによって遺伝子には細かい傷が無数についていて、遺伝子の再生がほぼ不可能になっている。冬至草がこのような生態である理由は明かされないが、これらの生態には自己破滅という共通点がある。この作品では、自らの繁栄のために他者を顧みず科学を発展させる人間を冬至草に例え、そこに絶滅と再生不能という結末をつけているのではないだろうか。
15.アブサルティに関する評伝
小説 2001年 著者:石黒達昌
あらすじ
同上。
4作目。初出は2001年<すばる>。
考察
真実を絶対視しているアブサルティは、相対的に過程や個性を無駄なものと見做している。個々の事例や方法に差異があっても、真実に辿り着けば差異に意味はなく、真実を広めるためなら嘘を吐いてもいいと考えている。彼が「絶対者」と表現する純系マウスはすべてが同じ遺伝子を持っていて個性がない。主人公がしたような告発や嫉妬も起きることのない、繁殖というマウスにとっての真実を求め続ける組織である。それは「アリストテレス」という雑誌でアブサルティが提示した未来像に合致している。そこに描かれるのは、密室で必要な栄養と快楽を十分に与えられながら種のための仕事に従事し、他者と自己の区別も行われずに死に、その全てが観察され次のクローンに引き継がれる社会である。彼は一般的にディストピアと考えられる、個性も自由も否定し真実のみがある社会にユートピアを見出したのではないだろうか。
16.或る一日
小説 1999年 著者:石黒達昌
あらすじ
同上。
5作目。初出は1999年<文學界>。
考察
この作品は原子力事故のようなものが起こった場所の簡易的な診療所に、他国の医師である主人公がやってくる。診療所にいる子どもたちは治るあてもなく次々死んでいき、働いている医師でさえも主人公以外は汚染の影響を受けている。主人公は自国から汚染されていない食料が届きマスクもしていて、ディストピアに訪問している状態である。そこで生活する子どもたちは健気に遊んでいるが、それは次々死んでいく。安全な国から来た主人公の目でその死は淡白な出来事として描かれ、自らは安全な故郷への思いを募らせていく。主人公は『虐殺器官』のクラヴィスに似ていて、仕事柄犠牲の現場に出てきているものの、安全で清潔な装備に囲まれ、国に帰れば穏やかで連続的な日常が待っている。ディストピアの訪問者でありながらユートピアの居住者でもある。自らの普遍的な社会を守るという点ではウィリアムズに近いだろう。
17.雪女
小説 2000年 著者:石黒達昌
あらすじ
同上。
7作目。初出は2000年『人喰い病』。
考察
この作品では人間の長寿に対する憧憬が描かれながら、自然に手を出すことの恐れが表現されている。体質性低体温症を持つユキは代謝が低く、200年近く生きていると推定される。その生殖は解明されていないものの、症例が稀有なことから近親相姦であると推測されており、生まれてくる子供は自己の身体の複製に近い。医師である柚木はユキの特徴を人間の延命に活かせるのではと考え、精力的に生態解明にあたる。しかし調査を進めるほどに、姉弟間の近親相姦に伴う死体食という絶望的な推論に近づいていき、無為な時間を引き延ばされる長寿への恐れも抱いていく。最終的には自分が干渉したせいでユキの出産が失敗する可能性に思い当たり、未知の生命へ手を出し滅ぼしてしまうことへの後悔が残される。永遠の生への憧れと人間が手を加えることによる絶滅というテーマはハネネズミでも変奏され、雪女に手を出すことで殺害される男という伝承にも似た構図が見られる。
18.平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士,並びに,
小説 2021年 著者:石黒達昌
あらすじ
同上。
8作目。初出は1993年<海燕>。
考察
ネズミは人間と違って、個体の識別がなされていないという。他者のないネズミには自己もなく、個体が死んでも種として残っていれば死んでいない細胞と同じようなものである。反転すれば、種の最後の一匹が死んでしまえばそれまで生まれてきたすべてのネズミが一度に死ぬことになり、種の絶滅より自分の死が重いと感じる人間とは対照的である。
対称性について顕著に書かれているのが、最後までハネネズミ研究に従事した明寺と榊原である。標本がわずかしかないという状況で、生態の解明を掲げ実験を望む明寺と、安全な冷凍保存を選んで未来へ託そうとする榊原は何度も対立的に描かれる。明寺は『雪女』の柚木のように死を恐れており、自らの生のためにハネネズミを絶滅させてしまう。明寺は多産説が崩れた瞬間に、長寿への憧れによる自身の取り返しのつかない行為に気づき、絶滅の責任を物理的に背負ったのではないだろうか。
19.九月某日の誓い
小説 2020年 著者:芦沢央
あらすじ
大正時代の屋敷で少女二人の運命を怪死事件が結ぶ芦沢央「九月某日の誓い」。
今回取り扱うのは2022年「新しい世界を生きるための14のSF」に収録されたもの。初出は2020年<小説すばる>
考察
作中では操が久美子を守るために真実を隠していたのに対して、最終場面では久美子が自分と操のために真実を隠すことを決意する。能力の真相という秘密を久美子のために隠していた操と、心の中での操への恐怖を操のために隠していると思いながら実は自分のためだった久美子は対照的に、操の方が堅固に描かれる。しかし、互いに隠していたことを解放することによって二人は秘密を共有する関係になり、互いを信頼して現実に立ち向かえるようになる。無意識への恐怖は『1984』や『儚い羊たちの祝宴』でも強固に描かれるほど普遍的なもので、無意識の能力によって父を殺めたことは久美子のトラウマになるはずだった。だが久美子はその事実を知ると同時に操の思いやりに気づき、操のために能力をコントロールすることでトラウマを克服する。それは同時に、操のために操から一生離れないという誓いになっている。
20.少女禁区
小説 2010年 著者:伴名練
あらすじ
15歳の「私」の主人は、数百年に1度といわれる呪詛の才を持つ、驕慢な美少女。「お前が私の玩具になれ。死ぬまで私を楽しませろ」親殺しの噂もあるその少女は、彼のひとがたに釘を打ち、あらゆる呪詛を用いて、少年を玩具のように扱うが…!? 死をこえてなお「私」を縛りつけるものとは──。
考察
彼女がこちらの世界にいたとき「私」にとって苦痛の象徴だった呪いが、彼女があちらの世界に行ったことによって存在の証となる。しかし、その証を信じられる相手は一人だけだ。
「私」が彼女と過ごすことになったのは、自分が苦痛を受けることで家族を守るためだった。彼女の呪いによる痛みは「私」のみに向けられ、痛みによってのたうち回る「私」の姿は、事情を知らない周囲からすれば奇異に映るだろう。彼女は唯一常に隣に居てくれた「私」に自分を信じさせるために、自分の無実を打ち明けた。「わたしは、ただ一人に、わたしを信じさせられればよかったのだ」という言葉通り、無実の告白も呪いによる存在の証明も、届けたかった相手は「私」だけである。それを示す客観的視点として、死に際の「私」の話を聞く、施療所で働く「わたし」という枠物語の構造がとられている。「わたし」が「私」の話を病ゆえの妄想と考えたように、それはどこまでも孤独で高尚な、二人だけの証である。
春休み課題
1.Self-Reference ENGINE
小説 2010年 著者:円城塔
あらすじ
彼女のこめかみには弾丸が埋まっていて、我が家に伝わる箱は、どこかの方向に毎年一度だけ倒される。老教授の最終講義は鯰文書の謎を解き明かし、床下からは大量のフロイトが出現する。そして小さく白い可憐な靴下は異形の巨大石像へと挑みかかり、僕らは反乱を起こした時間のなか、あてのない冒険へと歩みを進める──軽々とジャンルを越境し続ける著者による脅威のデビュー作、2篇の増補を加えて待望の文庫化!
考察
小説には語られなかった無限の物語が存在する。「私は男である」という文章が存在する以上「私は女である」という文章も存在しうる。これは作中で時間の束が崩壊し無数の時空間が存在することで表現されている。しかし、小説家は無数の物語をすべて読者に提示することはできない。小説家は主人公の性別を一つに特定し、年齢を一つに特定する。そうして無数の世界の中から一つに特定されたものが、読者に提示された小説である。世界の特定は読者の見えないところで行われるため、小説家は実際に提示した一つの世界しか考えていないと誤解されがちではないだろうか。文章を書いたことがあれば分かる通り、実際は常に無数の分岐に直面していて、その都度提示する世界を選択しているし、選択されたものは何度も書き換えられている。「吾輩は猫である」という文章はもともと「吾輩は犬である」だったかもしれないし、私たちは主人公が犬であった場合の展開を想像して楽しむことができる。ifルートに代表される二次創作の隆盛はこれを体現している。重要なのは、提示された作品の展開だけが作者の思想だと決めつけないことである。
2.ユートピア
小説 1516年 著者:トマス・モア
あらすじ
表題の「ユートピア」は「どこにも無い」という意味のトマス・モア(1478-1535)の造語である。モアが描き出したこの理想国は自由と規律を兼ね備えた共和国で、国民は人間の自然な姿を愛し「戦争でえられた名誉ほど不名誉なものはない」と考えている。社会思想史上の第一級の古典であるだけでなく、読みものとしても十分に面白い。
今回取り扱うのは1957年に岩波書店から出版されたもの(訳:平井正穂)。
考察
架空の国という意味で名づけられたこの作品は、五百年もの時を経ることによってユートピアの不在性を別の面から証明してみせたのではいだろうか。
作中で理想的な社会として語られるユートピアは、二十世紀以降にディストピア小説で提起される多くの問題をすでに抱えているように見える。一つ目に奴隷の存在である。社会で一方的に定められた正しさから逸脱した人間は犯罪者として奴隷にされる。
二つ目にプライバシーの排除である。全ての物資が共有財産であるユートピアでは、家すら例外ではない。誰でも自由に入ることができるし、居住する家自体が定期的に抽選で変わってしまう。食事の時間は町の人々が一堂に会し、外の町に出向くにも複数人で記録を残した上でないといけない。
しかし、このような問題点があるからといって『ユートピア』がすでにディストピアを内包していると主張するのは一面的な見方といえる。昔の常識が今の非常識になることは普遍的な事象であり、理想的な社会は時代や地域とともに移り変わる。当時理想郷と認識されていた架空のユートピアですら、時代が変わればディストピアと呼ばれるこの状況こそがユートピアの不在性を示しているといえる。
3.ガリバー旅行記
小説 1735年 著者:ジョナサン・スウィフト
あらすじ
小人たちの国、巨人たちの国、空飛ぶ島の国、馬たちの国…イギリスに妻子を残し、懲りずに旅を続けたガリバー。彼が出会ったおとぎの国々を、誰もが一度は夢見たことがあるだろう。子供の心と想像力で、スウィフトが描いたこの奇想天外、ユーモアあふれる冒険譚は、けれどとびきり鋭く辛辣に、人間と現実社会をみつめている。読むたび発見を新たにする、冒険旅行小説の歴史的名著。抜群に読みやすい新訳版。
今回取り扱うのは角川文庫から2011年に出版されたもの(訳:山田蘭)
考察
本作は一般的に社会風刺を目的としたユートピア文学と考えられている。しかし、『ユートピア』とは違い、作品の成立時点からディストピア文学として書かれたのではないだろうか。
ガリバーは作中で四つの主要な国に訪れるわけだが、その全てを追い出されるか逃げるように出ていくことになる。とくに理想的に描かれたフウイヌム国ですら野蛮なヤフーと同族とみなされ、出ていくように「勧告」を受ける。『ユートピア』のように遥か彼方に理想の国があり、その社会制度を見習おうというものではない。実際にいくつものユートピアを訪れた上で諦観の念を募らせていくのである。これは当時の英国社会への批判どころではなく、普遍的な社会への諦めと捉えるのが自然ではないだろうか。
いくつものユートピアを訪れながらも全てに失念し、理想的なフウイヌム国を訪れた結果むしろ傲慢さが表れ滑稽に描かれるガリバーという構図。社会の改善を一切諦め、ディストピア的な環境で我慢することを余儀なくされた結末。ここに『ユートピア』に感じられるような向上心は見られない。これらの理由から、本作は作品の成立時点からディストピア小説として書かれたものだと考える。
4.1984
小説 1949年 著者:ジョージ・オーウェル
あらすじ
「ビッグ・ブラザーが見ている」党があらゆる行動を監視し、言語も思想も管理された近未来世界。過去の捏造に従事するウィンストンは記憶と真実を留めるため、密かに日記を書き始めた。若い娘ジュリアから意外な愛の告白を受け逢瀬を重ねる中、伝説の反逆組織の男に声をかけられ、禁断の本を入手する。だがそれは恐るべき未来への扉であった──圧倒的リーダビリティの新訳で堪能するディストピア小説の最高傑作。
今回取り扱うのは角川文庫から2021年に出版されたもの(訳:田内志文)
考察
私はこの作品を読んで、ユートピアとディストピアの典型的な違いとして道徳を信じる社会か信じない社会か、主人公が訪問者か居住者か、の二点を挙げられると考えた。
『ユートピア』の住人はみな敬虔で、道徳心に満ち溢れている。ゆるぎない道徳心を前提とした社会では、定める必要すらなく全体主義的でありプライバシーも必要ない。一方『1984』では個々人の道徳などは信用されない。徹底的な監視と拷問によって全体主義を作り上げる。ユートピアとディストピアという一見真逆の社会が同じような制度をしているのは、道徳の絶対性と道徳の不在という片面での極致を描いたものという共通点からではないだろうか。
また、主人公がディストピア社会の一員であり、その中で物語が展開されることも大きな違いである。理想郷を訪れるユートピア文学に対して、ディストピア文学は社会の中で生まれ育つ話が多い。ここで重要なのは、『1984』のような監視社会であれば、自身のディストピア的要素を訪問者から隠すことなど容易いということである。本作の社会も、訪問者の視点で見ればユートピアとして扱われていたかもしれず、『ユートピア』にも訪問者に隠されたディストピアがあるかもしれない。
5.第四間氷期
小説 1958年 著者:阿部公房
あらすじ
現在にとって未来とは何か? 文明の行きつく先にあらわれる未来は天国か地獄か? 万能の電子頭脳に平凡な中年男の未来を予言させようとしたことに端を発して事態は急転直下、つぎつぎと意外な方向へ展開してゆき、やがて機械は人類の苛酷な未来を語りだすのであった……。薔薇色の未来を盲信して現在に安住しているものを痛烈に告発し、衝撃へと投げやる異色のSF長編。
考察
この作品は一見ディストピア的な未来像を提示するものに見える。しかし実際のテーマは、人間の自己中心的な考え方への批判にあると考えた。
本作にはディストピア的な要素が多く見られる。そして、すべての要素に人間の身勝手さが描かれている。氷河の融解は温暖化を示唆しており、自然より産業発展を優先した人間の身勝手さが問題になる。遺伝子の改造は言うまでもなく被験者の人権を侵害する行為である。また、勝見が予言によって殺されることも、作中では因果応報として描かれる。自分が生み出したものによって被害を受けるという構図は、水棲人間を生み出した現人類が水棲人間に飼われるという予言で変奏される。
この視点から考え直すと、水棲人間に支配される未来をディストピアだと決めつけて抵抗しようとする勝見は、今の価値観に支配されず未来を受け入れる頼木たちに相対化されて、ひどく身勝手に描かれていることが分かる。
ここから本作は勝見を通して、「自己中心的な常識に依って未知の対象を非難すること」を批判していると考えられる。これはユートピア文学批評に対する鋭い批判にもなっている。
6.わたしを離さないで
小説 2005年 著者:カズオ・イシグロ
あらすじ
優秀な介護人キャシー・Hは「提供者」と呼ばれる人々の世話をしている。生まれ育った施設へールシャムの親友トミーやルースも「提供者」だった。キャシーは施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に力を入れた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちのぎこちない態度……。彼女の回想はヘールシャムの残酷な真実を明かしていく。
今回取り扱うのはハヤカワepi文庫から2008年に出版されたもの。(訳:土屋政雄)
考察
本作はユートピアの犠牲者を描いていることが特徴といえるだろう。医療の発達した英国社会で臓器提供を目的に作られたクローン人間を育てる施設ヘールシャムでの思い出を、キャシーの一人称視点で振り返っている。施設を卒業してから時間が経ちながらも、まだ提供者になっていないという特殊な立場は、黄金時代と人生の終末の狭間であり、ユートピアとディストピアの中間だと考えられる。作品世界が具体的に描かれないためキャシーの語りからの推測にならざるを得ないが、『1984』の考察で示した分類に従うと「信じない・居住者」になるだろう。しかし、本作はこれまでのユートピア文学に見られるような極端な社会と比べて、私たちの社会に近しい。完全に「信じない」というよりも「見て見ぬふりをする」というのが正確だろう。ヘールシャムで行われた展示会はまさしく、「見て見ぬふり」をされて消えかけている道徳に訴えかけるための行事であった。キャシーは提供者となって死にゆく恐怖を和らげるために、ヘールシャム時代の思い出を理想化する。ヘールシャム時代と提供者の隙間に時間軸を置いたからこそ、読者の共感を誘えたのではないだろうか。
7.虐殺器官
小説 2007年 著者:伊藤計劃
あらすじ
9・11以降の“テロとの戦い”は転機を迎えていた。先進諸国は徹底的な管理体制に移行してテロを一掃したが、後進諸国では内戦や大規模虐殺が急激に増加していた。米軍大尉クラヴィス・シェパードは、その混乱の陰に常に存在が囁かれる謎の男、ジョン・ポールを追ってチェコへと向かう……彼の目的とはいったいなにか? 大量殺戮を引き起こす“虐殺の器官”とは? 現代の罪と罰を描破する、ゼロ年代最高のフィクション
考察
今作では『わたしを離さないで』と似ているユートピアの犠牲者の問題が描かれていた。『1984』の世界では行き過ぎた監視社会により反乱が生まれていないが、本作の監視社会ではテロを防げなかった。監視や罰則を与えても、自爆前提の特攻をされるので意味がなかったのである。そこでジョン・ポールはテロを起こしそうな地域で紛争を起こし、アメリカに対するテロを無くした。米国民は戦争を遠い国の話と考え、連続的な日常を生きている。『わたしを離さないで』の社会が施設を見て見ぬふりするのと、『第四間氷期』で勝見が信じるものと同じである。クラヴィスによって虐殺の舞台が反転したことは『第四間氷期』の断絶した未来の訪れに近い。
クラヴィスはこれまでアメリカ上層部の命令という言い訳で、紛争地域の用人を幾度となく暗殺してきた。一連の事件の結果、それがジョン・ポールのやり方と変わらないことに気づく。その罪を償うために自分の意志でアメリカ社会に虐殺の舞台を移し、母の死というトラウマを克服するという繋がり方が綺麗である。
8.ハーモニー
小説 2009年 著者:伊藤計劃
あらすじ
21世紀後半、〈大災禍(ザ・メイルストロム)〉と呼ばれる世界的な混乱を経て、人類は大規模な福祉厚生社会を築きあげていた。医療分子の発達で病気がほぼ放逐され、見せかけの優しさや倫理が横溢する“ユートピア”。そんな社会に倦んだ3人の少女は餓死することを選択した――それから13年。死ねなかった少女・霧慧トァンは、世界を襲う大混乱の陰に、ただひとり死んだはすの少女の影を見る――『虐殺器官』の著者が描く、ユートピアの臨界点。
考察
本作は『ユートピア』社会の極致を描いたように感じる。徹底的な道徳心に加え病気も怪我もない優しい世界である。しかし『ユートピア』で危惧したように、道徳観に息苦しさを感じる子どもたちが増えて自殺者が増えていた。道徳を信じる社会の居住者であるからこそ、『ユートピア』で描かれなかったディストピア的要素が見えてくる。作中最も重要な人物である御冷ミァハは自殺を無くすために人間から意識を無くそうとするが、これはフウイヌム国をさらに進めたものに見える。絶対的な理性に従っていたフウイヌム国のように、意識のなくなった社会では戦争も議論も自殺もない。意識のない世界は我々にはディストピアに感じるかもしれないが、感情や意識が進化の過程で一時的に必要になっただけだとすれば、必要になった段階でまた生まれるだろう。意識が神秘的で必須のものであるという感覚を覆す作品だった。
9.なめらかな世界と、その敵
小説 2015年 著者:伴名練
あらすじ
いくつもの並行世界を行き来する少女たちの一度きりの青春を描いた表題作のほか、脳科学を題材として伊藤計劃『ハーモニー』にトリビュートを捧げる「美亜羽へ贈る拳󠄁銃」、ソ連とアメリカの超高度人工知能がせめぎあう改変歴史ドラマ「シンギュラリティ・ソヴィエト」、未曽有の災害に巻き込まれた新幹線の乗客たちをめぐる書き下ろし「ひかりより速く、ゆるやかに」など、卓抜した筆致と想像力で綴られる全6編。SFへの限りない憧憬が生んだ奇跡の才能、初の傑作集が満を持して登場。
1作目。今回取り扱うのは2022年にハヤカワ文庫から出版された文庫『なめらかな世界と、その敵』に収録されたもの。2019年には同書の単行本が早川書房から出版されているが、内容に一部修正が入っている。初出は2015年『稀刊奇想マガジン準備号』。
考察
この作品最大の魅力は、現実世界の読者を作品世界のユートピアの犠牲者に仕立て上げたことだと考える。
本作は「並行世界を自由に行き来できる」世界でありながら、それができない人を描いている。この作品世界の人間たちは、自分が死にそうになれば自分が死にそうになっていない世界に行く。誰かが亡くなっても、その人が亡くなっていない世界に行ける。彼らは常にいくつかの世界を歩んでいて、授業を聞きながらアルバイトをこなし、アルバイトをこなしながらゲームをする。
このいかにも魅力的な「なめらかな世界」での「なめらかな」青春を描けば、それだけで面白くなりそうである。しかし、著者はそこに「その敵」である乗覚障害を加えた。障害を負い並行世界の移動ができなくなった人間にとって、現実は今いる世界だけであり、命は一つ限りである。これは我々読者の生き方と同じであるはずなのに、「なめらかな世界」の人間に相対化されて悲惨で孤独なものに感じられる。乗覚障害を負った人間は一度きりの人生を失敗しないよう、人との関りを断ち、勉学に集中する。同じ一度きりの人生でも周囲の環境次第でここまで感じ方が変わるのかと驚いた。
10.美亜羽へ贈る拳銃
小説 2011年 著者:伴名練
あらすじ
同上。
3作目。初出は2011年『伊藤計劃トリビュート』。
考察
この作品では道徳を信じる社会から道徳を機械に任せる社会への変化と葛藤が描かれている。すでに機械に頼っていた社会は、ウェディング・ナイフの登場で決定的に道徳を信じない社会へ変化した。機械による確実な愛があるからこそ道徳的な、確証のない愛は誰にも信じられない。そんな中で機械の影響を受けない実継は自由な意思を持っていると書かれる。本作が『ハーモニー』へのトリビュートであることを考えると、実継は『ハーモニー』のような意識のない世界に抵抗しているようにも感じる。自由に感情を変えることができるユートピア社会の中で、それができない実継は犠牲者のようでありながら、だからこそ北条美亜羽に振られて神冴美亜羽を愛することができたのだろう。実継が機械によって神冴美亜羽を愛していたら、神冴美亜羽が実継に隠していたことは全て隠されたまま暮らすことになっていただろう。
11.ホーリーアイアンメイデン
小説 2017年 著者:伴名練
あらすじ
同上。
4作目。初出は『年間日本SF傑作選91~99を編む パイロット版』。
考察
本作で行き着いた社会は『ハーモニー』に似ている。鞠奈の能力を受けた人は道徳的に変化し、その影響が全世界にまで及べばユートピアが完成する。しかし鞠奈は能力による道徳心が正しいものと信じられず、全人類の心を変化させるという罪を犯さないために妹の琴枝にだけは能力を使わなかった。これは人類の意識を失くすのに抵抗のなかったミァハと対照的である。みなが道徳心を手に入れた社会で一人だけ能力の影響を受けないというのは、琴枝にとってユートピアの犠牲者になるのと同義であり、琴枝はそれを拒んで死を選んだ。これは『ハーモニー』の三人に似ている。また、ユートピアへの過渡期を描いているという点では『第四間氷期』『美亜羽へ贈る拳銃』に共通する。特に『美亜羽へ贈る拳銃』は『ハーモニー』と同じく意識を環境に託しており、鞠奈の能力に道徳心を託す本作とも近い。
12.シンギュラリティ・ソヴィエト
小説 2018年 著者:伴名練
あらすじ
同上。
5作目。初出は『改変歴史SFアンソロジー パイロット版』。
考察
本作ではシンギュラリティを超えた人工知能が人間を支配し、人間がちっぽけな存在になった世界を描いている。命を賭して敵国に復讐しにきたマイケルの人生や、それに対峙するヴィーカの運命はすべて人工知能に操られている。物語の大半をマイケルとヴィーカの個人的な存在意義を描くのに費やしたからこそ、誕生日を祝うためだけにソヴィエト全土を停電させ、七つの火を灯すために各地でテロや事故を起こさせた上で、それを一息で消してしまう人工知能の規模の大きさが強調される。全国民が同一の人工知能に脳を預けている本作の社会では、個人は人工知能を構成する細胞の一つにすぎない。そんな世界の中でも、姉の言葉に支えられ娘の誕生日に歌を歌う個人的な流れが生きていることに人間らしさを感じた。誕生日を盛大に祝おうとする気持ちに、本作の人工知能が人間の集合であることが見受けられる。
13.ひかりより速く、ゆるやかに
小説 2019年 著者:伴名練
あらすじ
同上。
6作目。初出は2019年の『なめらかな世界と、その敵』単行本。
考察
本作では速希と速希の叔父、薙原の三人が対照的に描かれている。個人的な問題のために事故を小説にした速希、個人的な興味のために事故の再現をしようとした叔父、天乃のために解決策を考え続けた薙原。最終的には叔父から事故の解決法を、薙原から意思を受け継いだ速希が天乃を助け出すことになる。事故を題材にした小説の中で、速希は電車を2700年待つ選択をしていた。それに対する薙原の激怒によって、速希は「待つ方の人間」から「止まってられない人間」になることができる。しかしそれと同時に、薙原が貶した架空の想像力によって叔父は解決法を見つける。薙原の自己を犠牲にしてまで現実に向き合う意思と叔父の想像力を統合できたからこそ、速希は天乃を救い出すことができた。「止まってられない人間」の天乃に嫉妬と恐れを抱いていた速希は、同じく「止まってられない人間」である薙原と叔父の影響を受けることで天乃に向き合うことができた。
14.冬至草
小説 2002年 著者:石黒達昌
あらすじ
1926年の北海道、ある医師の診療所に運ばれてきた女は特異な症状を示していた……圧巻の幻想SF「雪女」、人の血液を養分とする異様な植物をめぐって科学という営為の光と影を描いた「冬至草」のほか、論文捏造事件を予見した「アブサルティに関する評伝」、架空生物ハネネズミを横書き論文形式で語り大江健三郎・筒井康隆に絶賛された芥川賞候補作など、伝説的作家による全8編を集成! 伴名練渾身の解説40p超を併録。
2作目。今回取り扱うのは『日本SFの臨界点 石黒達昌』(2021,編:伴名練)に収録されたもの。初出は2002年<文學界>。
考察
タイトルにもなっている冬至草は科学技術発展のメタファーになっていると考えた。冬至草は自らの種の繁殖のために、DMEという周囲の植物の生育を妨げる毒性の物質を持っている。この物質は濃度が濃くなると自家中毒を起こすため、冬至草が一時の繁栄の後急激に個体数を減らした原因と考えられている。また、冬至草は体内に放射能物質であるウランをため込み、濃縮度の高い葉や花が青白く光るという特徴を持つ。これによって遺伝子には細かい傷が無数についていて、遺伝子の再生がほぼ不可能になっている。冬至草がこのような生態である理由は明かされないが、これらの生態には自己破滅という共通点がある。この作品では、自らの繁栄のために他者を顧みず科学を発展させる人間を冬至草に例え、そこに絶滅と再生不能という結末をつけているのではないだろうか。
15.アブサルティに関する評伝
小説 2001年 著者:石黒達昌
あらすじ
同上。
4作目。初出は2001年<すばる>。
考察
真実を絶対視しているアブサルティは、相対的に過程や個性を無駄なものと見做している。個々の事例や方法に差異があっても、真実に辿り着けば差異に意味はなく、真実を広めるためなら嘘を吐いてもいいと考えている。彼が「絶対者」と表現する純系マウスはすべてが同じ遺伝子を持っていて個性がない。主人公がしたような告発や嫉妬も起きることのない、繁殖というマウスにとっての真実を求め続ける組織である。それは「アリストテレス」という雑誌でアブサルティが提示した未来像に合致している。そこに描かれるのは、密室で必要な栄養と快楽を十分に与えられながら種のための仕事に従事し、他者と自己の区別も行われずに死に、その全てが観察され次のクローンに引き継がれる社会である。彼は一般的にディストピアと考えられる、個性も自由も否定し真実のみがある社会にユートピアを見出したのではないだろうか。
16.或る一日
小説 1999年 著者:石黒達昌
あらすじ
同上。
5作目。初出は1999年<文學界>。
考察
この作品は原子力事故のようなものが起こった場所の簡易的な診療所に、他国の医師である主人公がやってくる。診療所にいる子どもたちは治るあてもなく次々死んでいき、働いている医師でさえも主人公以外は汚染の影響を受けている。主人公は自国から汚染されていない食料が届きマスクもしていて、ディストピアに訪問している状態である。そこで生活する子どもたちは健気に遊んでいるが、それは次々死んでいく。安全な国から来た主人公の目でその死は淡白な出来事として描かれ、自らは安全な故郷への思いを募らせていく。主人公は『虐殺器官』のクラヴィスに似ていて、仕事柄犠牲の現場に出てきているものの、安全で清潔な装備に囲まれ、国に帰れば穏やかで連続的な日常が待っている。ディストピアの訪問者でありながらユートピアの居住者でもある。自らの普遍的な社会を守るという点ではウィリアムズに近いだろう。
17.雪女
小説 2000年 著者:石黒達昌
あらすじ
同上。
7作目。初出は2000年『人喰い病』。
考察
この作品では人間の長寿に対する憧憬が描かれながら、自然に手を出すことの恐れが表現されている。体質性低体温症を持つユキは代謝が低く、200年近く生きていると推定される。その生殖は解明されていないものの、症例が稀有なことから近親相姦であると推測されており、生まれてくる子供は自己の身体の複製に近い。医師である柚木はユキの特徴を人間の延命に活かせるのではと考え、精力的に生態解明にあたる。しかし調査を進めるほどに、姉弟間の近親相姦に伴う死体食という絶望的な推論に近づいていき、無為な時間を引き延ばされる長寿への恐れも抱いていく。最終的には自分が干渉したせいでユキの出産が失敗する可能性に思い当たり、未知の生命へ手を出し滅ぼしてしまうことへの後悔が残される。永遠の生への憧れと人間が手を加えることによる絶滅というテーマはハネネズミでも変奏され、雪女に手を出すことで殺害される男という伝承にも似た構図が見られる。
18.平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士,並びに,
小説 2021年 著者:石黒達昌
あらすじ
同上。
8作目。初出は1993年<海燕>。
考察
ネズミは人間と違って、個体の識別がなされていないという。他者のないネズミには自己もなく、個体が死んでも種として残っていれば死んでいない細胞と同じようなものである。反転すれば、種の最後の一匹が死んでしまえばそれまで生まれてきたすべてのネズミが一度に死ぬことになり、種の絶滅より自分の死が重いと感じる人間とは対照的である。
対称性について顕著に書かれているのが、最後までハネネズミ研究に従事した明寺と榊原である。標本がわずかしかないという状況で、生態の解明を掲げ実験を望む明寺と、安全な冷凍保存を選んで未来へ託そうとする榊原は何度も対立的に描かれる。明寺は『雪女』の柚木のように死を恐れており、自らの生のためにハネネズミを絶滅させてしまう。明寺は多産説が崩れた瞬間に、長寿への憧れによる自身の取り返しのつかない行為に気づき、絶滅の責任を物理的に背負ったのではないだろうか。
19.九月某日の誓い
小説 2020年 著者:芦沢央
あらすじ
大正時代の屋敷で少女二人の運命を怪死事件が結ぶ芦沢央「九月某日の誓い」。
今回取り扱うのは2022年「新しい世界を生きるための14のSF」に収録されたもの。初出は2020年<小説すばる>
考察
作中では操が久美子を守るために真実を隠していたのに対して、最終場面では久美子が自分と操のために真実を隠すことを決意する。能力の真相という秘密を久美子のために隠していた操と、心の中での操への恐怖を操のために隠していると思いながら実は自分のためだった久美子は対照的に、操の方が堅固に描かれる。しかし、互いに隠していたことを解放することによって二人は秘密を共有する関係になり、互いを信頼して現実に立ち向かえるようになる。無意識への恐怖は『1984』や『儚い羊たちの祝宴』でも強固に描かれるほど普遍的なもので、無意識の能力によって父を殺めたことは久美子のトラウマになるはずだった。だが久美子はその事実を知ると同時に操の思いやりに気づき、操のために能力をコントロールすることでトラウマを克服する。それは同時に、操のために操から一生離れないという誓いになっている。
20.少女禁区
小説 2010年 著者:伴名練
あらすじ
15歳の「私」の主人は、数百年に1度といわれる呪詛の才を持つ、驕慢な美少女。「お前が私の玩具になれ。死ぬまで私を楽しませろ」親殺しの噂もあるその少女は、彼のひとがたに釘を打ち、あらゆる呪詛を用いて、少年を玩具のように扱うが…!? 死をこえてなお「私」を縛りつけるものとは──。
考察
彼女がこちらの世界にいたとき「私」にとって苦痛の象徴だった呪いが、彼女があちらの世界に行ったことによって存在の証となる。しかし、その証を信じられる相手は一人だけだ。
「私」が彼女と過ごすことになったのは、自分が苦痛を受けることで家族を守るためだった。彼女の呪いによる痛みは「私」のみに向けられ、痛みによってのたうち回る「私」の姿は、事情を知らない周囲からすれば奇異に映るだろう。彼女は唯一常に隣に居てくれた「私」に自分を信じさせるために、自分の無実を打ち明けた。「わたしは、ただ一人に、わたしを信じさせられればよかったのだ」という言葉通り、無実の告白も呪いによる存在の証明も、届けたかった相手は「私」だけである。それを示す客観的視点として、死に際の「私」の話を聞く、施療所で働く「わたし」という枠物語の構造がとられている。「わたし」が「私」の話を病ゆえの妄想と考えたように、それはどこまでも孤独で高尚な、二人だけの証である。
宇都穂南
RES
3年 宇都
夏休み課題16〜22
16.あんのこと/監督:入江悠
母親に虐待され売春をさせられている21歳の杏は、覚せい剤にも手を染めていた。ある日警察に捕まった彼女は、刑事の多々羅と出会い更生への道筋を示してもらう。彼の友人で記者の桐野も杏のことを気にかけていく。
本作は実話をもとにしており、児童虐待、薬物依存、性犯罪、コロナ禍での孤立や離職などといったすぐ身近にある社会問題をいくつも取り扱っている。
主人公・杏を過酷な生育環境から救い出してくれた多々羅が性犯罪者だったことが判明した場面は、映画を観てきた視聴者にとっても衝撃的かつ絶望的なシーンだろう。この人が犯罪を犯さなければもしかしたら……と思わずにはいられない。杏は隣人に幼い子どもを預けられ一時的に親代わりとなったことで他人を守るということを知り、一瞬前向きな気持ちを持ったかもしれないが、最終的には覚せい剤にやられてしまう。ここでは杏の書いていた日記が空を舞うことでおそらく投身自殺を表現している。
17.ルックバック Original Storyboard /藤本タツキ
小学4年生の藤野は、学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメイトたちから絶賛されていた。 ある日、彼女は教師から、学生新聞に不登校の生徒・京本の漫画も載せたいと告げられる。 ふたりの少女は、漫画へのひたむきな思いを注ぎながら成長していくのだが……
この「Original Storyboard」版は、映画館で配布された入場者特典。読み切り作品『ルックバック』の原作ネームが全ページ収録されている。『ルックバック』は若干媒体によって細部が異なり、最初に世に出た読み切り版、単行本、映画、この入場者特典がある。読み切り版での京本の元に現れる男の口走る台詞が京アニ事件を想起させたからなのか、理由を断定することはできないが単行本ではその部分が差し替えられた。映画版では差し替えられた部分が読み切り版と同じ台詞に戻っており、この入場者特典もネームなので読み切りと同じ台詞である。
トップ漫画家のネーム原稿を一作分まるまる見ることができる機会は珍しいのではないだろうか。読み切りとのちょっとした差異を探すのを楽しむことができ、絵を描く人には構図の勉強にもなるだろう。
18. 赤ひげ診療譚/山本周五郎
江戸時代中期の小石川養生所を舞台に、長崎で修行した医師・保本登と、実在した江戸の町医者・小川笙船をモデルとする「赤ひげ」こと新出去定を主人公として、患者との葛藤を描いたヒューマンストーリー。
ヒューマンストーリーがメインの物語だが、江戸時代の貧しい庶民の生活が裏のテーマなのではないかと思わせられる。大抵の登場人物は、貧しく体調も悪いなか強かに生きようとしており魅力的である。そのような庶民たちと養生所の医者たちとの間には貧富の差があり、庶民からのうっすらとした敵視のようなものも描かれている。
19.レオン 完全版 /監督:リュック・ベッソン
外出中に家族を惨殺された12歳の少女・マチルダは、隣に住んでいる男・レオンに助けを求める。レオンが凄腕の殺し屋であることを知り、そして彼の言葉に共感を覚えたマチルダは、殺しの技術を教えてほしいと願い出る。そして奇妙な同居生活を始めた2人は、次第に心を通わせていく。
マチルダが年齢的に必要になってくるであろうブラジャーをずっとつけていないのが気になったが、実親からのネグレクトの描写なのではないかと考えた。
マチルダがレオンに抱いた愛情が本当に恋愛感情なのか、家族愛を初めて知ったせいで勘違いしているのか、あまり明らかにはされないが尊重はされており後味がよい映画と感じた。アメリカの街の撮り方もどの場面でも綺麗な画になっている。
マチルダ役のナタリー・ポートマンのデビュー作であり見ていてもとても素敵な役者さんだと感じたのだが、少女であるマチルダがセクシーに振る舞うシーンが問題視されたことがあったらしく、ナタリー・ポートマン本人も今見返すと不快な描写があると表明している。欧米では児童を性的に扱うことが日本よりも強くタブー視されていることもあり、その意味では問題がある映画と言うべきかもしれない。
20.パプリカ /監督:今敏
精神医療の研究所に勤める敦子。「夢探偵」パプリカとして患者の夢に侵入して治療を行っていた彼女だったが、その補助装置「DCミニ」が盗まれ、人々の夢が侵略される危機に陥る。事態の収拾のため、パプリカは夢の世界に出動する。
小説版よりも内容はかなり簡略化されている印象だった。作画が素晴らしく、2006年の作品とは思えないほど動きが滑らかかつ色彩が強い。夢の中も舞台となる作品なので、床がぐにゃりと沈んだり、身体がパックリと半分に割れたり、目まぐるしく登場人物の衣装や場面が変わったりと小説では限界がある表現も多く、アニメ化したことでより輝いた作品だと感じられた。平沢進による音楽も有名であり、作品の色と合っている。
21.パーフェクトブルー /監督:今敏
人気絶頂のさなかにアイドル・グループから脱退し、女優に転身を図った美少女・未麻。ある日、彼女のもとに熱狂的ファンらしい人物から脅迫めいたFAXが届く。やがてその行為はエスカレートし、未麻は次第に身の危険を感じ始める。
アイドルを辞めて女優に転身したものの、来る仕事がレイプシーンの撮影やヌード写真集ばかりであること、熱狂的なファンにストーキングされていること、周りの人間が殺されていくこと、この3つが主人公を徐々に病ませていく過程が描かれるホラー色の強い作品である。性的なシーンやグロシーンも多いのだが、印象に残ったのは主人公の飼っているグッピーが死んでいるシーンである。単に一人暮らしの寂しさを紛らわせてくれる存在が失われたことに悲しさとショックをおぼえるだけでなく、ストーカーが部屋に入ってきているのではないか?という不安を掻き立てている。
また、夢と現実が混ざり合い混乱に陥る表現は、本作の8年後に出る『パプリカ』にも通ずるところがある。
22.サスペリアPART2 /監督:ダリオ・アルジェント
ローマで開催された欧州超心霊学会では、超能力を持つヘルガが、突然錯乱し、かつて残虐な殺人を犯した人間が会場内にいると宣言する。その後、部屋に戻ったヘルガは、何者かに惨殺される。偶然その瞬間を目撃したイリギス人のピアニスト、マークは、コートの男が逃げてゆく姿を目撃する。
この映画を観た後、回収されていない伏線らしきもの(主人公が閉所恐怖症、父親との確執etc)が多すぎるし、論理的に不自然な場面や進行もいくつかあると感じた。私の見方が足りなかったのかと思って調べてしまったのだが、どうやら監督が論理性よりも画面の芸術性やインパクトを重視して作った映画らしい。たしかに登場人物が殺害されるシーンは凄惨を極めており、「こんな死に方は絶対に嫌だ」と観客に思わせることに成功していると思った。
日本版タイトルは『サスペリアPART2』だが原題は『Profondo Rosso』(深紅)であり、『サスペリア』という同監督の映画もあるが内容は関係しておらず、制作されたのは『PART2』の方が先である。『サスペリア』を日本で公開したところヒットしたので、それ以前に作られていた『Profondo Rosso』を『サスペリアPART2』として日本でも公開したらしい。昔の映画界ではそんな横暴が許されていたんだと驚いた。
論理性はないが、犯人を隠す映像トリックはかなり驚かされる他に見たことがないようなものだった。また、主人公と誰かしらが2人で喋りながら歩いているというシーンがいくつかあるのだが、そのようなシーンでは周りの街中に立っている人物をほとんど動かさないことで異様な雰囲気が醸し出されている。これも個人的には他の映像作品で見たことがない手法だった。
夏休み課題16〜22
16.あんのこと/監督:入江悠
母親に虐待され売春をさせられている21歳の杏は、覚せい剤にも手を染めていた。ある日警察に捕まった彼女は、刑事の多々羅と出会い更生への道筋を示してもらう。彼の友人で記者の桐野も杏のことを気にかけていく。
本作は実話をもとにしており、児童虐待、薬物依存、性犯罪、コロナ禍での孤立や離職などといったすぐ身近にある社会問題をいくつも取り扱っている。
主人公・杏を過酷な生育環境から救い出してくれた多々羅が性犯罪者だったことが判明した場面は、映画を観てきた視聴者にとっても衝撃的かつ絶望的なシーンだろう。この人が犯罪を犯さなければもしかしたら……と思わずにはいられない。杏は隣人に幼い子どもを預けられ一時的に親代わりとなったことで他人を守るということを知り、一瞬前向きな気持ちを持ったかもしれないが、最終的には覚せい剤にやられてしまう。ここでは杏の書いていた日記が空を舞うことでおそらく投身自殺を表現している。
17.ルックバック Original Storyboard /藤本タツキ
小学4年生の藤野は、学生新聞で4コマ漫画を連載し、クラスメイトたちから絶賛されていた。 ある日、彼女は教師から、学生新聞に不登校の生徒・京本の漫画も載せたいと告げられる。 ふたりの少女は、漫画へのひたむきな思いを注ぎながら成長していくのだが……
この「Original Storyboard」版は、映画館で配布された入場者特典。読み切り作品『ルックバック』の原作ネームが全ページ収録されている。『ルックバック』は若干媒体によって細部が異なり、最初に世に出た読み切り版、単行本、映画、この入場者特典がある。読み切り版での京本の元に現れる男の口走る台詞が京アニ事件を想起させたからなのか、理由を断定することはできないが単行本ではその部分が差し替えられた。映画版では差し替えられた部分が読み切り版と同じ台詞に戻っており、この入場者特典もネームなので読み切りと同じ台詞である。
トップ漫画家のネーム原稿を一作分まるまる見ることができる機会は珍しいのではないだろうか。読み切りとのちょっとした差異を探すのを楽しむことができ、絵を描く人には構図の勉強にもなるだろう。
18. 赤ひげ診療譚/山本周五郎
江戸時代中期の小石川養生所を舞台に、長崎で修行した医師・保本登と、実在した江戸の町医者・小川笙船をモデルとする「赤ひげ」こと新出去定を主人公として、患者との葛藤を描いたヒューマンストーリー。
ヒューマンストーリーがメインの物語だが、江戸時代の貧しい庶民の生活が裏のテーマなのではないかと思わせられる。大抵の登場人物は、貧しく体調も悪いなか強かに生きようとしており魅力的である。そのような庶民たちと養生所の医者たちとの間には貧富の差があり、庶民からのうっすらとした敵視のようなものも描かれている。
19.レオン 完全版 /監督:リュック・ベッソン
外出中に家族を惨殺された12歳の少女・マチルダは、隣に住んでいる男・レオンに助けを求める。レオンが凄腕の殺し屋であることを知り、そして彼の言葉に共感を覚えたマチルダは、殺しの技術を教えてほしいと願い出る。そして奇妙な同居生活を始めた2人は、次第に心を通わせていく。
マチルダが年齢的に必要になってくるであろうブラジャーをずっとつけていないのが気になったが、実親からのネグレクトの描写なのではないかと考えた。
マチルダがレオンに抱いた愛情が本当に恋愛感情なのか、家族愛を初めて知ったせいで勘違いしているのか、あまり明らかにはされないが尊重はされており後味がよい映画と感じた。アメリカの街の撮り方もどの場面でも綺麗な画になっている。
マチルダ役のナタリー・ポートマンのデビュー作であり見ていてもとても素敵な役者さんだと感じたのだが、少女であるマチルダがセクシーに振る舞うシーンが問題視されたことがあったらしく、ナタリー・ポートマン本人も今見返すと不快な描写があると表明している。欧米では児童を性的に扱うことが日本よりも強くタブー視されていることもあり、その意味では問題がある映画と言うべきかもしれない。
20.パプリカ /監督:今敏
精神医療の研究所に勤める敦子。「夢探偵」パプリカとして患者の夢に侵入して治療を行っていた彼女だったが、その補助装置「DCミニ」が盗まれ、人々の夢が侵略される危機に陥る。事態の収拾のため、パプリカは夢の世界に出動する。
小説版よりも内容はかなり簡略化されている印象だった。作画が素晴らしく、2006年の作品とは思えないほど動きが滑らかかつ色彩が強い。夢の中も舞台となる作品なので、床がぐにゃりと沈んだり、身体がパックリと半分に割れたり、目まぐるしく登場人物の衣装や場面が変わったりと小説では限界がある表現も多く、アニメ化したことでより輝いた作品だと感じられた。平沢進による音楽も有名であり、作品の色と合っている。
21.パーフェクトブルー /監督:今敏
人気絶頂のさなかにアイドル・グループから脱退し、女優に転身を図った美少女・未麻。ある日、彼女のもとに熱狂的ファンらしい人物から脅迫めいたFAXが届く。やがてその行為はエスカレートし、未麻は次第に身の危険を感じ始める。
アイドルを辞めて女優に転身したものの、来る仕事がレイプシーンの撮影やヌード写真集ばかりであること、熱狂的なファンにストーキングされていること、周りの人間が殺されていくこと、この3つが主人公を徐々に病ませていく過程が描かれるホラー色の強い作品である。性的なシーンやグロシーンも多いのだが、印象に残ったのは主人公の飼っているグッピーが死んでいるシーンである。単に一人暮らしの寂しさを紛らわせてくれる存在が失われたことに悲しさとショックをおぼえるだけでなく、ストーカーが部屋に入ってきているのではないか?という不安を掻き立てている。
また、夢と現実が混ざり合い混乱に陥る表現は、本作の8年後に出る『パプリカ』にも通ずるところがある。
22.サスペリアPART2 /監督:ダリオ・アルジェント
ローマで開催された欧州超心霊学会では、超能力を持つヘルガが、突然錯乱し、かつて残虐な殺人を犯した人間が会場内にいると宣言する。その後、部屋に戻ったヘルガは、何者かに惨殺される。偶然その瞬間を目撃したイリギス人のピアニスト、マークは、コートの男が逃げてゆく姿を目撃する。
この映画を観た後、回収されていない伏線らしきもの(主人公が閉所恐怖症、父親との確執etc)が多すぎるし、論理的に不自然な場面や進行もいくつかあると感じた。私の見方が足りなかったのかと思って調べてしまったのだが、どうやら監督が論理性よりも画面の芸術性やインパクトを重視して作った映画らしい。たしかに登場人物が殺害されるシーンは凄惨を極めており、「こんな死に方は絶対に嫌だ」と観客に思わせることに成功していると思った。
日本版タイトルは『サスペリアPART2』だが原題は『Profondo Rosso』(深紅)であり、『サスペリア』という同監督の映画もあるが内容は関係しておらず、制作されたのは『PART2』の方が先である。『サスペリア』を日本で公開したところヒットしたので、それ以前に作られていた『Profondo Rosso』を『サスペリアPART2』として日本でも公開したらしい。昔の映画界ではそんな横暴が許されていたんだと驚いた。
論理性はないが、犯人を隠す映像トリックはかなり驚かされる他に見たことがないようなものだった。また、主人公と誰かしらが2人で喋りながら歩いているというシーンがいくつかあるのだが、そのようなシーンでは周りの街中に立っている人物をほとんど動かさないことで異様な雰囲気が醸し出されている。これも個人的には他の映像作品で見たことがない手法だった。
藤田ことみ
RES
3年藤田
夏休み課題 1~30
【映画】
1.プラダを着た悪魔 監督:デヴィッド・フランケル 原作(小説):ローレン・ワイズバーガー
あらすじ:おしゃれに興味がないが、優秀な大学出身の主人公、アンディが一流ファッション誌「ランウェイ」の編集部でアシスタントとして働くことになった。悪魔のようなに厳しい女編集長ミランダに振り回されながらも奮闘し、成長していきおしゃれになっていく。仕事もファッションもミランダに認められていく一方、彼氏には昔の君が良かったと言われるようになる。ファッションや仕事のみ考えてプライベートな時間がないが収入があり華やかな人生か、最後にはプライベートが充実していてずっとやりたかったジャーナリズムが出来るが収入はあまりなく華やかではない人生の選択を迫られる。アンディはどちらを選ぶのか、自分だったらどちらを選ぶのか…。
感想・考察:アンディがダイエットを成功させ、ブランド服も着こなせるようになり、仕事も順調に成功していく様子は憧れる人が多いと思った。私生活も仕事なYouTuberやアン仕事より私生活を優先する現代の人にも当てはまる内容の映画が2008年にすでに描かれていることから、私生活と仕事、どちらを優先するかという問題は多くの人が目の当たりにしてきた問題だと思った。最後のシーンでブランド服ではない、質素な服を着て彼氏を選び、好きな仕事に転職するアンディと、ブランド服を着て私生活がないほど忙しく離婚もしたミランダが対比されていて、仕事と愛どちらかを選んだ人の人生が描かれていると考えた。また一方が幸せだと明確にしていなかったことから視聴者にもどちらを選ぶか問いかけていると考えた。
2.ホーム・アロン1 監督:クリス・コロンバス 脚本・製作:ジョン・ヒューズ
あらすじ:クリスマス前に大家族がパリ行きの飛行機へと乗った。しかし、6歳のケビンだけは、家族が慌ただしく出かけた為屋敷にひとり取り残されてしまう。初めての一人暮らしにやりたい放題をして楽しんでいた。そんな中、留守宅を狙う2人組の泥棒が彼のいる屋敷に目をつける。そしてケビンは家を守るため、男たちの撃退作戦に出る。
感想・考察:クリスマス前に家族と喧嘩をして、家族が消えますようにと祈った次の日に家族全員消えてしまったことを、取り残されてしまったからだと一瞬思うが、飛行場へ向かうはずの自家用車が家にあることから、サンタクロースに祈ったせいだと思ったことや、店でサンタクロースをしている人は偽物だと分かるが、その人に本当のサンタクロースに伝言を頼む場面が、現実をみつつおとぎ話のようなことが起こると思う様子が6歳の少年らしいと感じた。また映画のセリフや風船人形で泥棒を撃退する場面が大人では思いつかない方法でありながら、現実で再現できるためもしかしたら6歳の子供が考えつくかもしれないという点が大人の視聴者に刺さったと考えた。
3.ゴジラ-1.0 監督・脚本・VFX:山崎貴 製作:市川南 エグゼクティブ・プロデューサー:臼井央 撮影:柴崎幸三
あらすじ: 戦争後の日本を舞台にゴジラとなにもかも失った日本人たちが闘う。戦争から生還したが両親を失った主人公、敷島浩一が焼け野原の日本を一人強く生きる大石典子出会い、生き残ってしまった後悔と行きたい欲望との間で葛藤する。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、ゴジラが日本を焼け野原にしていく。そして人々は抗うすべを模索する。
感想・考察:戦わず愛する家族を守り平和に生きたい願望と戦争に負けてなお生き残ってしまった葛藤が、実際に戦後に生き残り自殺するかこのまま平和に暮らしていくか苦しむ元兵隊を表していると思った。またゴジラが原爆を表していていることから、戦争でほぼ負けていた日本が原爆によって更に追い詰められていたことが表現されていると考えた。
4.カラオケ行こ! 監督:山下敦弘 原作:和山やま 脚本:野木亜紀子
あらすじ:変声期に悩む合唱部の男子中学生の聡実は、歌がうまくなりたいヤクザの成田狂児からカラオケに誘われる。嫌々ながらも歌唱指導を引き受ける羽目になった聡実は、カラオケを通じて少しずつ狂児と親しくなっていく。
感想・考察:歌を通してヤクザと男子中学生が仲良くなっていく姿や、ヤクザが男子中学生を師匠としているギャップが魅力の一つだと思った。聡美が変声期であることを勘のいい視聴者はすぐに気が付くが、気づかない視聴者もいることが、映画内で変声期にいち早く気づいた部長といつまでも気づかない同級生の男の子で対比されていると考えた。また気づく人と気づかない人を登場させることで、視聴者が登場人物と同時に主人公に何か思い、登場人物に共感しやすい仕組みになっていると思った。
5.ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー 監督:アーロン・ホーヴァス、マイケル・ジェレニック
あらすじ:世界を支配し、ピーチ姫を嫁に貰おうとする大魔王クッパを、キノコ王国のピーチ姫はキノピオだちと迎え撃とうとしていた。そんな中、現実からキノコ王国の世界に来たマリオは双子の弟・ルイージをクッパに囚われてしまう。マリオは弟を助けるためにピーチ姫、キノピオたちと共に大魔王クッパを倒す旅に出るのだった。
感想:ミニオンを手掛けている会社がアニメーションを担当していたことや、ゲームをもとにしていることもあり、3Dアニメでも違和感がなく、また酔うこともなかった。ゲームのように視点が客観的であることが酔わない理由だと考えた。また背景もキャラクターも全て3Dで絵や実写を混合させていないことや光と影、水も全て細かくデザインされていること、現実から移動する際は人物をあまり写さないことが、3D映画でも違和感がない理由だと考えた。場面によって歴代のマリオのゲームソフトで流れた音楽を挿入していることから、ゲームをしていた人は懐かしくまた感動すると思った。
6.劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re: 監督:斎藤圭一郎
原作漫画:はまじあき
あらすじ:ギターが大好きだが孤独な少女、通称“ぼっちちゃん”こと後藤ひとりは、伊地知虹夏が率いる結束バンドに加入する。人前で演奏することに不慣れだが練習に励む後藤は、仲間にギター練習を見てもらう。文化祭ライブでの演奏に向けて、彼女たちはひたむきに練習を続ける。
感想・考察:ライブでベースとドラムがずれている場面では、アニメ内の音楽でも実際にずれて演奏されていることや、曲の長さを短くせずに現実と同じ長さにしながら、考えている時も音が流れていることで、主人公の焦りに共感する序とが出来る仕組みになっていると考えた。また主人公が混乱している際に、実写や3Dが途中で挿入されることで頭の中で乱雑な思考がぐるぐると駆け巡っていることが表現されており、視聴者が主人公に共感しやすいようになっていると考えた。
7.田園に死す 監督・脚本 寺山修司
あらすじ:恐山の近くの家に住む父に早く死なれた少年、しんちゃんは母と2人で暮らしているが、母との生活に嫌気の差していた。そんな中、隣家に住む本家の美しいお嫁さんから一緒に村を出ようと持ちかける。
感想・考察: 演出で気がついたことは、フィルムが黄色や緑や虹のようになっている場面はしょうちゃんが制作した映画の中の思い出と見世物小屋を移す時だけだった。フィルムに色をつけることで、夢の中やこの世のものではない雰囲気を作り出すことが出来ると考えた。また、物語の中で時計が家の柱や壁、腕時計等何度も目立っていたことは、時計を通して母としょうちゃんの時間を表していたからだと考えた。冒頭の場面で、家の柱にある時計が壊れてかけていたことは、しんちゃんが家を出ようとしていたことから、母親と子供のしんちゃんが共に過ごしていた関係が壊れかかっているという暗喩だと考えた。そして時計が完全に狂い始めると母親と子供の関係にヒビが入り、しんちゃんが家を出ていくことから、しんちゃんの自立を表しており、柱時計は母親と子供が共に過ごす時間を表しており、腕時計は自分だけが見られる時計ということから、精神的に母親から独立して生きることを表していると考えた。
【アニメ】
8.HUNTER×HUNTER キメラアント編(76〜136話)原作者:冨樫義博 監督:古橋一浩 キャラクターデザイン:後藤隆幸
あらすじ:キメラアントという正体不明な生き物が人間を食べる為、ゴン・キルア・カイトとその仲間たちは調査に向かう。人を食べたキメラアントの女王は、人の言葉を喋るアリを生み出していく。ハンターたちはキメラアントに勝てるのか、キメラアントは人間と異なるのか…。
感想・考察:キメラアントが捕食された人間の記憶を持っていることで人間として受け入れるか、また人間の記憶を持たない者も愛を知り、人間のようになっていく様子が描かれていることから人間と見た目が違うものでも同じではないかと作者が問いかけていると考えた。また前篇では念という武術や能力を鍛え、身体的に鍛えたが、キメラアント編では大切な人の死をテーマにすることでゴンとキルアの精神が成長していく様子を描いたと考えた。
9.AIの遺電気子 脚本:金月龍之介 / 絵コンテ:佐藤雄三 / 演出:Kang tae-sik / キャラクター総作画監督:土屋 圭 / 総作画監督:Jang kil-yong、Lee hyun-joung
あらすじ:人間の脳を模した中枢機構に搭載されたヒト指向型人工知能、ヒューマノイドは、生身の人間と同じく成長し、苦悩し、ときには間違いも犯す。外見で異なる点は、ヒューマノイドの動向が横に長いこと。人工知能が発展し、超高度AIの誕生からヒューマノイドが生まれ、同じ人間として生活し、総人口の1割に達した少し未来の世界。
感想・考察:現実ですでに導入されている自動運転が当たり前になっていることや、AIとの医療連携や教育機関への導入など近い未来に行われるであることが問題として提起されつつ、どうするかは視聴者にゆだねる姿勢が興味深いと思った。またヒューマノイドは脳のデータをバックアップして新しい体に移すことで起こる新しい体の人間は果たして前と同じ人なのか、今の自分は死んでしまうのではないかという問題も、現代の私たちの臓器移植をした結果食の好みや性格が変わってしまったことに似ていると考えた。
10.ポケットモンスター~テラパゴスのかがやき~(2023)エピソード1~65
総監督:冨安大貴 監督:でんさおり シリーズ構成:佐藤大 キャラクターデザイン:山崎玲愛
あらすじ:不思議なペンダントを持つパルデア出身の少女のリコと、謎のモンスターボールを持つカントー出身の少年のロイが、ポケモンと共に冒険する。個性的な人やテラパゴスの謎がリコとロイに待ち受けている。冒険を通じて大事な何かを「見つける」物語。
感想・考察:ポケモンの主人公がサトシではなく、女の子になりつつ、W主人公のように描くことで視点が変わり、それぞれの考えやキャラクター性を理解しやすくなったと考えた。またポケモンと一緒に歌い踊ることでポケモンと人、ポケモン同士で通じあおうとしている姿が、人種や動物との差別を乗り越えるには、言葉だけなく様々な方法があると提示していると考えた。
11.ラーメン赤猫(アニメ)1~12話 監督:清水久敏 副監督:青島昂希 シリーズ構成・脚本:久保亨 原作漫画:アンギャマン
あらすじ:猫だけで経営している不思議なラーメン屋《ラーメン赤猫》。人間である社珠子は、店舗の前店主であったおばさんの手伝いでアルバイトの面接に来ていた。店長の猫である文蔵から鋭く問われ正直に犬派と答えるも、なぜか採用されてしまう。猫のラーメン店で唯一働く人間として、珠子はやっていけるのか?
感想・考察:キャラクターは3Dアニメだが、背景が絵だった為、所々違和感があった。また原作は現実の猫に近いデザインだったが、足の形が大きくなっており、腰が人間のようになっていたことから、人間のように歩く猫を3Dモデル化することは現代の技術では難しく、人間の幼児のようなフォルムに似せることで成立されたのだと考えた。また話の構成が、マンガと異なり日常の生活や店を運勢していく中で起きるトラブルを描いてから、猫の人生を振り返る回に移行している。迷惑系YouTuberのように現代でよく起こる問題で話の興味を引いて、猫好きだけでなく多くの視聴者に共感させてから、段々と猫の人生に着目していく意図があったのではないかと考えた。
【マンガ】
12.マギ 1-37巻 作者:大高忍
あらすじ:不思議な笛を持つ少年アラジンが仲間と共に冒険しつつ、現代で起きていることに疑問を抱いていく。多くの国へ行き、様々な人と出会い、悪とは何か、世界はどのようにしてできたのか、これからどのような世界を作っていくことが“正しい“ことなのか…?
感想・考察:序盤は堕天したマギのジュダルやカシムといった黒いルフを纏う人は運命を呪い、逆らっていく人とし悪とされていた。しかし運命に逆らうことは悪なのか、正しさとは何かを、主人公のアラジンが考えている場面やまた世界が一人の意志によって作られたことを知る場面から、正しさとは時代や社会、文化が変われば変わっていくものだと思った。
13.ブルーロック1巻〜30巻 原作:金城宗幸氏 作画:ノ村優介氏
あらすじ:全国出場をかけた試合に敗れた潔にブルーロックという日本一ストライカーを決める場所へと招待される。しかし敗退した者は一生サッカー選手として舞台に出られなくなる。デスゲーム✕サッカー漫画。
感想・考察:ブルーロックは登場人物のキャラクターの表情を1ページまるまる使って表すことが多い為迫力がある。また文字数も少ない為スラスラと読めてしまう漫画だ。サッカーが知らない人にも分かりやすいように解説しつつスピード感があることがこの漫画の一番の魅力だと考えた。 『神様の言うとおり』と同じ原作者な為、デスゲーム要素もあり飽きることなく、そして予測できない展開になっていること、ゲームを通して着実に登場人物が成長していることが読者も実感できること、サッカーだけでなく、運や努力についてなど他のことにも通ずる考えを読者に分かりやすく伝えて書くのが上手だと考えた。
14.ジャンケットバンク1巻〜15巻 作者:田中一行
あらすじ:銀行を舞台にしたギャンブル漫画。銀行が観客とゲームを用意し、 挑む凄腕ギャンブラーたちが金と命を賭けて戦う。ギャンブルで対戦相手だけでなく、賭場をも崩壊させたとされるデギズマンは誰なのか...?
感想・考察:主人公が肩入れしているギャンブラー真経津晨が、圧倒的な心理戦や作戦でゲーム説明時に抜け穴を体を張って見つけて勝つことで、読者もルールをよく理解しようとさせていると考えた。また物語の中心人物が変わることで主人公だけでマンネリ化する勝利が、登場人物の成長物語を描いたうえでの勝利になるので飽きることなく見ることが出来ると考えた。
15.チェンソーマン1話〜97話 作者:藤本タツキ
あらすじ:悪魔が人間を食べる世界。主人公のデンジは明日の食べるものがないスラム街で、ポチタという謎の生物に出会った。ギャングの元で下働きしていたがある日殺されてしまう。「チェンソーの悪魔」、ポチタと契約し、力を手に入れたデンジ。幸せな生活を送ることを契約したデンジに襲いかかる悪魔とのアクション漫画。
感想・考察:服や顔のシワに濃淡をつけないため、切り絵のようなタッチになっていることや人の顔に蒙古襞を描いていること、銃や爆弾などが写実的に描いていることから、デフォルメする傾向がある日本漫画ではないと考えた。またカメラワークやセリフの文字が少ないこと、アクションで説明すること、日常をしっかりみせること、また日本だがどこか異国な雰囲気が建物から出ていることでアメリカ映画のようだと考えた。
16.チェンソーマン98話~177話(2部) 作者:藤本タツキ
あらすじ:「学園編」のあらすじ。 今作で主人公としてスポットが当てられているのは三鷹アサ。 クラスに馴染めずに鬱屈した日々を過ごす少女で、「正義の悪魔」に襲われ死亡する。 だが、「戦争の悪魔」のヨルと契約し、体を乗っ取られたことで生き返る。
感想・考察:第二部ではチェンソーマンとは一体どんな存在なのかが浮き彫りになっている。またデンジと異なりアサはいつでも悪魔と意識が交代できることから悪魔と人間の共存をテーマに描いていると考えた。また第一部よりセリフが少なく、絵で見せる方法を多いと考えた。
17.HUNTER×HUNTER38巻 原作者:冨樫義博
あらすじ:暗黒大陸を目指す船内での三つ巴のマフィア抗争は激化。 2つの組が共闘し、さらにヒソカを追う幻影旅団も抗争に加わり、エイ=イ一家を狩り始める。 その最中、ノブナガは幻影旅団結成のいきさつを追懐する。
感想・考察:幻影旅団の過去がついに明らかになり『HUNTER×HUNTER 0』で謎に包まれていたクラピカの故郷との繋がりのヒントも散らばって描かれていた。漫画で現況や仕組みを説明する場面が多いが、キーキャラクターの伏線はしっかりと絵で表していることに気が付き、文字はあくまで描きづらい状況説明を読者に分かりやすくまとめている為に使っていると考えた。
18.推しの子 1〜152話 原作:赤坂アカ 作画:横槍メンゴ
あらすじ:田舎の産婦人科医のゴローは人気アイドルグループ「B小町」のセンター・星野アイの大ファン。そんなある日ゴローが働く病院に、妊娠したアイが現れます。ゴローはショックを受けるも、絶対的な"推し"であるアイをサポートすることを決め、出産に立ち会うことに。しかしゴローは何者かに襲われ、目を覚ますとアイの子供に生まれ変わっていた。
感想・考察:漫画内の番組の恋愛リアリティショーで黒川あかねが叩かれている際に現実でも叩かれており、主人公の星野アクアマリンと結ばれるのが黒川あかねか有馬かなでサンデーうぇぶりのコメントで論争が起きていることから、漫画内のキャラクターより実在する人物かのように認識している人が多いと考えた。
19.写らナイんです 1~22話 作者:コノシマルカ
あらすじ:爽やかホラーな、オカルト青春劇。 視えてはいけないものを引き寄せてしまう、“超霊媒体質”の黒桐まことがどんな悪霊も触れるだけで無自覚に消してしまう橘みちると出会う。幽霊をキッカケに築く青春ラブコメ。
感想・考察:幽霊の話は大抵戦う話が多いが、この作品は戦わない。オカルト部として活動している中で心霊スポットに行く非日常で物語は展開しており、効果音フォントや幽霊のデザインも目が見えない、髪が長い、黒を多用して輪郭をはっきりと描かないと恐怖を感じやすいものになっている。また幽霊が見える人の視点で描かれている点も恐怖をあおる演出だと考えた。しかし常に安心して漫画を見られるのはどんな幽霊も一瞬で払ってしまうヒロインがいるからだと考えた。実際には体験できないが、限りなく恐怖を味わえる点が怪談話のようだと思った。
20.チ。―地球の運動について― 作者:魚豊
あらすじ:「15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いた」フィクション作品。
感想・考察:巻ごとに「チ。」の意味が地動説や知性、血等意味も変わり、登場人物も変わっていくことが読んでいて考えさせられる。また知性と暴力が一体となってずっと物語につきまとう姿が、正反対にみえる物事や人が実は共通点があることを示していると考えた。また天体観測に必須な視力に良い目や死ぬ間際の目がとてもアップでそしてリアルに書かれていることで、何もセリフがないのに気持ちがひしひしと伝わってくる。
21.今世は当主になります 原作(小説):Kim Roah 作者: Mon(Antstudio)
あらすじ:建国の盟約で皇室の同盟者として権勢を振るう名家の婚外子に転生した日本女性ヒロイン。 伯父二人の家族には平民故に父と結ばれなかった母の血筋を貶められ。 庇護者だった父と祖父が死んだ後放逐され事故で亡くなる。しかし7歳の頃に死に戻り父が亡くなる前に戻り父や自分の身の回りの環境を変えていく話。
感想・考察:異世界転生系や悪女転生系は昔のヨーロッパの歴史を題材にしているが、恋がメインで豪華な服や装飾、登場人物のビジュアルに力を入れることが多いが、この作品は伝染病や当時のインフラ状況、ドレスの流行や、恋愛や男女格差などの価値観を商人視点から表現していることがとても面白いと思った。また主人公が現代から転生した主人公ではないのに、現代の技術を当時の革新的なものとして取り入れているところが、当時の人目線で書いた作品というより、権力を持った現代人が過去のヨーロッパに行った際にするであろうことを描いた作品だと考えた。
22.ラーメン赤猫(マンガ)漫画:アンギャマン
あらすじ:猫だけで経営している不思議なラーメン屋、ラーメン赤猫。人間である社珠子が店舗の前店主であったおばさんに紹介してもらい、働くことになった。人間と同じく、自立して生活する猫と一人の人間が一緒にラーメン屋を営む、ハートフルライフな作品。
感想・考察:猫が自立して働きたい理由が明らかになっていく中で、猫が人間のように人権を得られるために課題をこなさないといけない姿から人種差別というテーマが見えてくると考えた。また現代でよく見かける撮影許可を取らず取れ高だけを気にする迷惑系YouTuberや動物愛護主義で周りが見えなくなる人、セクハラ、難癖をつけてくる人などを取り上げて、猫ならこう解決すると手段を示している一方で猫と現代の人間でも行える手段にしていることから、猫と人間に区別はあまりなく、見た目や習慣であると提示していると考えた。
【小説】
23.世界で一番透き通った本 作者:杉井光
あらすじ: 大御所ミステリー作家の宮内彰吾が、癌の闘病を経て61歳で死去した。女癖が悪かった宮内は、妻帯者でありながら多くの女性と交際しており、そのうちの一人とは子供までつくっていた。愛人の子供の主人公が父親の最後の遺作を探す物語。
感想・考察:小説の中で主人公が探した遺作が見つからず後に自分で書いた本が今読者が読んでいる本である設定が、メタフィクションで面白いと思った。メタフィクションは大体あらかじめ手紙や日記を読んで過去を振り返える形で書かれることが多いが、最後に種明かしとして使用している点がこの本の魅力だと考えた。また読者自身が透き通った本を実際に読むことが出来るのも興味深い点だと考えた。
24. きのうの影踏み 作者:辻村深月
あらすじ:あるホラー作家のもとに送られてきた手紙には、存在しない架空の歌手とラジオ番組のことが延々と綴られていたという。編集者たちの集まりによると、チェーンメールのように、何人かの作家にも届いているという。かくいう私にもその手紙は届いていた。その手紙のことを調べるうちに、文面の後ろのほう、文字が乱れて読み取れなくなっていた部分が、徐々に鮮明になってきている。ある日、友人作家が手紙のことで相談があると言ってきた。なんと、その手紙、サイン会で手渡しされたという。誰がその人物だったかはわからない。けれど、確実に近づいてきている。ホラー短編集の小説。
感想・考察:いつもの日常に潜む恐怖が何倍にも膨れ上がって描かれていた。しかし話を持っているのではなく、私たちが一歩動けばありえたかもしれない恐怖をリアルに描いている為一気にくる恐怖ではなく、ゆっくりと近づいてくるので読後も怖さが継続された。またファンタジーのような神隠しの話では、何かわからないものの仕業という恐怖だけでなく人間の怖さも描かれたが、交通事故の話では意外にも心温まる部分と身近な恐怖、そしてこの世のものではない体験の恐怖と怖く感じるポイントが盛りだくさんだった。この小説は怪談話を聞いているような臨場感があるところが魅力だ。
25.月曜日の抹茶カフェ 作者:青山美智子
あらすじ:川沿いの桜並木のそばに佇む喫茶店「マーブル・カフェが定休日の月曜日に、1度だけ「抹茶カフェ」を開く。カフェと関わる人が紡ぐ話。「この縁は、きっと宝物になる――」、「人は知らず知らずのうちに、誰かの背中を押していることに気づく」がキーワードの心温ま癒やされるストーリー。
感想・考察:短編小説だが話や人がリンクしていることで、誰かと繋がっていることを表現していると考えた。また悩んでいることを人と話しているうちに解決する場面が毎話登場するので読者が漠然と悩んでいることもこの小説を通して解決されると考えた。そして下着のオートクチュールを作る個人経営者が、過去にお客さんに否定された下着をずっと買いたいと思っていた別のお客さんに会う話が、個人経営者の物やお客さんに対する真摯で優しい考え方がとても素敵だと思った。
【ドラマ】
27.地面師たち 原作(小説):新庄耕、監督:大根仁
あらすじ:2017年、再び土地価格が高騰し始めた東京。伝説の大物地面師・ハリソン山中に誘われ地面師詐欺の道に踏み込んだ辻本拓海。それぞれにプロフェッショナルな犯罪者数名で構成された地面師グループの彼らは、緻密かつ周到な計画で大手デベロッパーに詐欺を仕掛け、巨額を巻き上げていた。そんな彼らが次なるターゲットに選んだのは、時価100億円とも言われる土地。前代未聞の詐欺に挑む一方で、かつてハリソンを逮捕寸前まで追い込みながら、結局逮捕することができなかった定年間近の刑事・辰は、新人刑事と共に独自の捜査を開始していた。騙す側と騙される側、そして刑事の三つ巴の争いは、次第に拓海の「過去」とハリソンの「因縁」を浮き彫りにしていく
感想・考察:BGMがあまりなく、画面も常に暗いため重厚な雰囲気がある。また外で人を騙す際は画面が明るくなり青空も多く映るため、地下で悪巧みをしていたとは思えない爽やかな表情が目立つと考えた。しかし画面が明るくなってもBGMはあまりないため地面師側の緊張感が伝わってくる。同じワードやセリフを何度も言うことで、ドラマの前半と後半では意図が異なり、視聴者にセリフの解像度を上げさせる効果があると考えた。
28.変な家 作者:雨穴
あらすじ:謎の空間、二重扉、窓のない子供部屋——間取りの謎をたどった先に見た、「事実」とは!?知人が購入を検討している都内の中古一軒家。開放的で明るい内装の、ごくありふれた物件に思えたが、間取り図に「謎の空間」が存在していた。
知り合いの設計士にその間取り図を見せると、この家は、そこかしこに「奇妙な違和感」が
存在すると言う。間取りの謎をたどった先に見たものとは……。不可解な間取りの真相は!?
突如消えた「元住人」は一体何者!?本書で全ての謎が解き明かされる!
感想・考察:栗原さんに相談することで所々読者にヒントを与えていることや、雨穴さんと共に読者が考えることで、読者が謎や正解に気づけなかったとしても、雨穴さんが代わりに考えて答えてくれることで、テンポよく話が展開していくと考えた。また部屋の中に入らずに間取りと電話、助言のみで解決している点が新しい視点でミステリーを書いていると思った。
【ゲーム】
29.ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム
プロデューサー:青沼英二、ディレクター:藤林秀麿、プログラマー:堂田卓宏、美術:滝澤智
あらすじ:天空、大地、地底、3つの広大なフィールドを冒険する 本作の物語はゼルダとリンクが魔獣ガノンを倒した数年後から始まる。 ふたりは松明を持ってハイラル城の地下に広がる岩だらけの洞窟を探索しているうちにとある壁画を発見し、その昔ハイラル族とゾナウ族が古代文明(前作でも言及されていた)を築いていたことを知る。
感想・考察:ゼルダが消えた謎やハイラル王国建国から魔王出現までの過去を追っており、プレイヤーが忘れた頃にタイトルにある「王国の涙」が何かを示した瞬間に全ての謎が解ける点が、とても感動し鳥肌が立った。また龍の涙を探すことでプレイヤーに涙の意味を分かった気分にさせている点も感動が増す要因だと思った。
前作では魔王がなぜ登場したのか何も語られていなかったが今作で全ての謎が明らかになった点がとても良かった。また前作をプレイした人が同じ場所をプレイするため、飽きないように一部建物が破壊されていたり新しいボスの魔物を各地に配置したり、地下や空島を配置したと考えた。なぜ地下と空に行けるようになり、それぞれの島が持つ過去との繋がりもしっかりと描かれており、前作より大幅にパワーアップしたと思った。
30.TWISTED-WONDERLAND(ステージ・イン・プレイフルランド)
原案・メインシナリオ・キャラクターデザイン:枢やな
あらすじ:謎の男・フェローと弟分のギデルの誘いで、幻の遊園地『プレイフルランド』を訪れたナイトイレブンカレッジの生徒たち。一日遊びたい放題。学校なんて行かないで、ステージで一躍スターになろう。でもひとつだけご注意を。“良心”は決して忘れないように…。
感想・考察: ディズニー映画『ピノキオ』を元にした作品であり、日本の絵本ではあまり登場しないJ・ワシントン・ファウルフェローとギデルが主人公であるため、どんな人物かを彼ら自身が「正直者」や「無口」だと口で説明していることで、どのような性格をもつ人物なのかを見ている人に伝えていると考えた。また『キノピオ』を知らない人の為にこんなシーンが、あったと話が進むことに説明しながら遊園地を遊んでいたことが、誰でも話が楽しめるようになっていると思った。
貧しい為学校へ行けずに高学歴である登場人物たちを陥れることで自分たちが秀でているフェローを描くことで、貧困問題や勉強する意味を考えさせられた。
夏休み課題 1~30
【映画】
1.プラダを着た悪魔 監督:デヴィッド・フランケル 原作(小説):ローレン・ワイズバーガー
あらすじ:おしゃれに興味がないが、優秀な大学出身の主人公、アンディが一流ファッション誌「ランウェイ」の編集部でアシスタントとして働くことになった。悪魔のようなに厳しい女編集長ミランダに振り回されながらも奮闘し、成長していきおしゃれになっていく。仕事もファッションもミランダに認められていく一方、彼氏には昔の君が良かったと言われるようになる。ファッションや仕事のみ考えてプライベートな時間がないが収入があり華やかな人生か、最後にはプライベートが充実していてずっとやりたかったジャーナリズムが出来るが収入はあまりなく華やかではない人生の選択を迫られる。アンディはどちらを選ぶのか、自分だったらどちらを選ぶのか…。
感想・考察:アンディがダイエットを成功させ、ブランド服も着こなせるようになり、仕事も順調に成功していく様子は憧れる人が多いと思った。私生活も仕事なYouTuberやアン仕事より私生活を優先する現代の人にも当てはまる内容の映画が2008年にすでに描かれていることから、私生活と仕事、どちらを優先するかという問題は多くの人が目の当たりにしてきた問題だと思った。最後のシーンでブランド服ではない、質素な服を着て彼氏を選び、好きな仕事に転職するアンディと、ブランド服を着て私生活がないほど忙しく離婚もしたミランダが対比されていて、仕事と愛どちらかを選んだ人の人生が描かれていると考えた。また一方が幸せだと明確にしていなかったことから視聴者にもどちらを選ぶか問いかけていると考えた。
2.ホーム・アロン1 監督:クリス・コロンバス 脚本・製作:ジョン・ヒューズ
あらすじ:クリスマス前に大家族がパリ行きの飛行機へと乗った。しかし、6歳のケビンだけは、家族が慌ただしく出かけた為屋敷にひとり取り残されてしまう。初めての一人暮らしにやりたい放題をして楽しんでいた。そんな中、留守宅を狙う2人組の泥棒が彼のいる屋敷に目をつける。そしてケビンは家を守るため、男たちの撃退作戦に出る。
感想・考察:クリスマス前に家族と喧嘩をして、家族が消えますようにと祈った次の日に家族全員消えてしまったことを、取り残されてしまったからだと一瞬思うが、飛行場へ向かうはずの自家用車が家にあることから、サンタクロースに祈ったせいだと思ったことや、店でサンタクロースをしている人は偽物だと分かるが、その人に本当のサンタクロースに伝言を頼む場面が、現実をみつつおとぎ話のようなことが起こると思う様子が6歳の少年らしいと感じた。また映画のセリフや風船人形で泥棒を撃退する場面が大人では思いつかない方法でありながら、現実で再現できるためもしかしたら6歳の子供が考えつくかもしれないという点が大人の視聴者に刺さったと考えた。
3.ゴジラ-1.0 監督・脚本・VFX:山崎貴 製作:市川南 エグゼクティブ・プロデューサー:臼井央 撮影:柴崎幸三
あらすじ: 戦争後の日本を舞台にゴジラとなにもかも失った日本人たちが闘う。戦争から生還したが両親を失った主人公、敷島浩一が焼け野原の日本を一人強く生きる大石典子出会い、生き残ってしまった後悔と行きたい欲望との間で葛藤する。戦争を生き延びた人々が日本復興を目指すなか、追い打ちをかけるかのように、ゴジラが日本を焼け野原にしていく。そして人々は抗うすべを模索する。
感想・考察:戦わず愛する家族を守り平和に生きたい願望と戦争に負けてなお生き残ってしまった葛藤が、実際に戦後に生き残り自殺するかこのまま平和に暮らしていくか苦しむ元兵隊を表していると思った。またゴジラが原爆を表していていることから、戦争でほぼ負けていた日本が原爆によって更に追い詰められていたことが表現されていると考えた。
4.カラオケ行こ! 監督:山下敦弘 原作:和山やま 脚本:野木亜紀子
あらすじ:変声期に悩む合唱部の男子中学生の聡実は、歌がうまくなりたいヤクザの成田狂児からカラオケに誘われる。嫌々ながらも歌唱指導を引き受ける羽目になった聡実は、カラオケを通じて少しずつ狂児と親しくなっていく。
感想・考察:歌を通してヤクザと男子中学生が仲良くなっていく姿や、ヤクザが男子中学生を師匠としているギャップが魅力の一つだと思った。聡美が変声期であることを勘のいい視聴者はすぐに気が付くが、気づかない視聴者もいることが、映画内で変声期にいち早く気づいた部長といつまでも気づかない同級生の男の子で対比されていると考えた。また気づく人と気づかない人を登場させることで、視聴者が登場人物と同時に主人公に何か思い、登場人物に共感しやすい仕組みになっていると思った。
5.ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー 監督:アーロン・ホーヴァス、マイケル・ジェレニック
あらすじ:世界を支配し、ピーチ姫を嫁に貰おうとする大魔王クッパを、キノコ王国のピーチ姫はキノピオだちと迎え撃とうとしていた。そんな中、現実からキノコ王国の世界に来たマリオは双子の弟・ルイージをクッパに囚われてしまう。マリオは弟を助けるためにピーチ姫、キノピオたちと共に大魔王クッパを倒す旅に出るのだった。
感想:ミニオンを手掛けている会社がアニメーションを担当していたことや、ゲームをもとにしていることもあり、3Dアニメでも違和感がなく、また酔うこともなかった。ゲームのように視点が客観的であることが酔わない理由だと考えた。また背景もキャラクターも全て3Dで絵や実写を混合させていないことや光と影、水も全て細かくデザインされていること、現実から移動する際は人物をあまり写さないことが、3D映画でも違和感がない理由だと考えた。場面によって歴代のマリオのゲームソフトで流れた音楽を挿入していることから、ゲームをしていた人は懐かしくまた感動すると思った。
6.劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく! Re:Re: 監督:斎藤圭一郎
原作漫画:はまじあき
あらすじ:ギターが大好きだが孤独な少女、通称“ぼっちちゃん”こと後藤ひとりは、伊地知虹夏が率いる結束バンドに加入する。人前で演奏することに不慣れだが練習に励む後藤は、仲間にギター練習を見てもらう。文化祭ライブでの演奏に向けて、彼女たちはひたむきに練習を続ける。
感想・考察:ライブでベースとドラムがずれている場面では、アニメ内の音楽でも実際にずれて演奏されていることや、曲の長さを短くせずに現実と同じ長さにしながら、考えている時も音が流れていることで、主人公の焦りに共感する序とが出来る仕組みになっていると考えた。また主人公が混乱している際に、実写や3Dが途中で挿入されることで頭の中で乱雑な思考がぐるぐると駆け巡っていることが表現されており、視聴者が主人公に共感しやすいようになっていると考えた。
7.田園に死す 監督・脚本 寺山修司
あらすじ:恐山の近くの家に住む父に早く死なれた少年、しんちゃんは母と2人で暮らしているが、母との生活に嫌気の差していた。そんな中、隣家に住む本家の美しいお嫁さんから一緒に村を出ようと持ちかける。
感想・考察: 演出で気がついたことは、フィルムが黄色や緑や虹のようになっている場面はしょうちゃんが制作した映画の中の思い出と見世物小屋を移す時だけだった。フィルムに色をつけることで、夢の中やこの世のものではない雰囲気を作り出すことが出来ると考えた。また、物語の中で時計が家の柱や壁、腕時計等何度も目立っていたことは、時計を通して母としょうちゃんの時間を表していたからだと考えた。冒頭の場面で、家の柱にある時計が壊れてかけていたことは、しんちゃんが家を出ようとしていたことから、母親と子供のしんちゃんが共に過ごしていた関係が壊れかかっているという暗喩だと考えた。そして時計が完全に狂い始めると母親と子供の関係にヒビが入り、しんちゃんが家を出ていくことから、しんちゃんの自立を表しており、柱時計は母親と子供が共に過ごす時間を表しており、腕時計は自分だけが見られる時計ということから、精神的に母親から独立して生きることを表していると考えた。
【アニメ】
8.HUNTER×HUNTER キメラアント編(76〜136話)原作者:冨樫義博 監督:古橋一浩 キャラクターデザイン:後藤隆幸
あらすじ:キメラアントという正体不明な生き物が人間を食べる為、ゴン・キルア・カイトとその仲間たちは調査に向かう。人を食べたキメラアントの女王は、人の言葉を喋るアリを生み出していく。ハンターたちはキメラアントに勝てるのか、キメラアントは人間と異なるのか…。
感想・考察:キメラアントが捕食された人間の記憶を持っていることで人間として受け入れるか、また人間の記憶を持たない者も愛を知り、人間のようになっていく様子が描かれていることから人間と見た目が違うものでも同じではないかと作者が問いかけていると考えた。また前篇では念という武術や能力を鍛え、身体的に鍛えたが、キメラアント編では大切な人の死をテーマにすることでゴンとキルアの精神が成長していく様子を描いたと考えた。
9.AIの遺電気子 脚本:金月龍之介 / 絵コンテ:佐藤雄三 / 演出:Kang tae-sik / キャラクター総作画監督:土屋 圭 / 総作画監督:Jang kil-yong、Lee hyun-joung
あらすじ:人間の脳を模した中枢機構に搭載されたヒト指向型人工知能、ヒューマノイドは、生身の人間と同じく成長し、苦悩し、ときには間違いも犯す。外見で異なる点は、ヒューマノイドの動向が横に長いこと。人工知能が発展し、超高度AIの誕生からヒューマノイドが生まれ、同じ人間として生活し、総人口の1割に達した少し未来の世界。
感想・考察:現実ですでに導入されている自動運転が当たり前になっていることや、AIとの医療連携や教育機関への導入など近い未来に行われるであることが問題として提起されつつ、どうするかは視聴者にゆだねる姿勢が興味深いと思った。またヒューマノイドは脳のデータをバックアップして新しい体に移すことで起こる新しい体の人間は果たして前と同じ人なのか、今の自分は死んでしまうのではないかという問題も、現代の私たちの臓器移植をした結果食の好みや性格が変わってしまったことに似ていると考えた。
10.ポケットモンスター~テラパゴスのかがやき~(2023)エピソード1~65
総監督:冨安大貴 監督:でんさおり シリーズ構成:佐藤大 キャラクターデザイン:山崎玲愛
あらすじ:不思議なペンダントを持つパルデア出身の少女のリコと、謎のモンスターボールを持つカントー出身の少年のロイが、ポケモンと共に冒険する。個性的な人やテラパゴスの謎がリコとロイに待ち受けている。冒険を通じて大事な何かを「見つける」物語。
感想・考察:ポケモンの主人公がサトシではなく、女の子になりつつ、W主人公のように描くことで視点が変わり、それぞれの考えやキャラクター性を理解しやすくなったと考えた。またポケモンと一緒に歌い踊ることでポケモンと人、ポケモン同士で通じあおうとしている姿が、人種や動物との差別を乗り越えるには、言葉だけなく様々な方法があると提示していると考えた。
11.ラーメン赤猫(アニメ)1~12話 監督:清水久敏 副監督:青島昂希 シリーズ構成・脚本:久保亨 原作漫画:アンギャマン
あらすじ:猫だけで経営している不思議なラーメン屋《ラーメン赤猫》。人間である社珠子は、店舗の前店主であったおばさんの手伝いでアルバイトの面接に来ていた。店長の猫である文蔵から鋭く問われ正直に犬派と答えるも、なぜか採用されてしまう。猫のラーメン店で唯一働く人間として、珠子はやっていけるのか?
感想・考察:キャラクターは3Dアニメだが、背景が絵だった為、所々違和感があった。また原作は現実の猫に近いデザインだったが、足の形が大きくなっており、腰が人間のようになっていたことから、人間のように歩く猫を3Dモデル化することは現代の技術では難しく、人間の幼児のようなフォルムに似せることで成立されたのだと考えた。また話の構成が、マンガと異なり日常の生活や店を運勢していく中で起きるトラブルを描いてから、猫の人生を振り返る回に移行している。迷惑系YouTuberのように現代でよく起こる問題で話の興味を引いて、猫好きだけでなく多くの視聴者に共感させてから、段々と猫の人生に着目していく意図があったのではないかと考えた。
【マンガ】
12.マギ 1-37巻 作者:大高忍
あらすじ:不思議な笛を持つ少年アラジンが仲間と共に冒険しつつ、現代で起きていることに疑問を抱いていく。多くの国へ行き、様々な人と出会い、悪とは何か、世界はどのようにしてできたのか、これからどのような世界を作っていくことが“正しい“ことなのか…?
感想・考察:序盤は堕天したマギのジュダルやカシムといった黒いルフを纏う人は運命を呪い、逆らっていく人とし悪とされていた。しかし運命に逆らうことは悪なのか、正しさとは何かを、主人公のアラジンが考えている場面やまた世界が一人の意志によって作られたことを知る場面から、正しさとは時代や社会、文化が変われば変わっていくものだと思った。
13.ブルーロック1巻〜30巻 原作:金城宗幸氏 作画:ノ村優介氏
あらすじ:全国出場をかけた試合に敗れた潔にブルーロックという日本一ストライカーを決める場所へと招待される。しかし敗退した者は一生サッカー選手として舞台に出られなくなる。デスゲーム✕サッカー漫画。
感想・考察:ブルーロックは登場人物のキャラクターの表情を1ページまるまる使って表すことが多い為迫力がある。また文字数も少ない為スラスラと読めてしまう漫画だ。サッカーが知らない人にも分かりやすいように解説しつつスピード感があることがこの漫画の一番の魅力だと考えた。 『神様の言うとおり』と同じ原作者な為、デスゲーム要素もあり飽きることなく、そして予測できない展開になっていること、ゲームを通して着実に登場人物が成長していることが読者も実感できること、サッカーだけでなく、運や努力についてなど他のことにも通ずる考えを読者に分かりやすく伝えて書くのが上手だと考えた。
14.ジャンケットバンク1巻〜15巻 作者:田中一行
あらすじ:銀行を舞台にしたギャンブル漫画。銀行が観客とゲームを用意し、 挑む凄腕ギャンブラーたちが金と命を賭けて戦う。ギャンブルで対戦相手だけでなく、賭場をも崩壊させたとされるデギズマンは誰なのか...?
感想・考察:主人公が肩入れしているギャンブラー真経津晨が、圧倒的な心理戦や作戦でゲーム説明時に抜け穴を体を張って見つけて勝つことで、読者もルールをよく理解しようとさせていると考えた。また物語の中心人物が変わることで主人公だけでマンネリ化する勝利が、登場人物の成長物語を描いたうえでの勝利になるので飽きることなく見ることが出来ると考えた。
15.チェンソーマン1話〜97話 作者:藤本タツキ
あらすじ:悪魔が人間を食べる世界。主人公のデンジは明日の食べるものがないスラム街で、ポチタという謎の生物に出会った。ギャングの元で下働きしていたがある日殺されてしまう。「チェンソーの悪魔」、ポチタと契約し、力を手に入れたデンジ。幸せな生活を送ることを契約したデンジに襲いかかる悪魔とのアクション漫画。
感想・考察:服や顔のシワに濃淡をつけないため、切り絵のようなタッチになっていることや人の顔に蒙古襞を描いていること、銃や爆弾などが写実的に描いていることから、デフォルメする傾向がある日本漫画ではないと考えた。またカメラワークやセリフの文字が少ないこと、アクションで説明すること、日常をしっかりみせること、また日本だがどこか異国な雰囲気が建物から出ていることでアメリカ映画のようだと考えた。
16.チェンソーマン98話~177話(2部) 作者:藤本タツキ
あらすじ:「学園編」のあらすじ。 今作で主人公としてスポットが当てられているのは三鷹アサ。 クラスに馴染めずに鬱屈した日々を過ごす少女で、「正義の悪魔」に襲われ死亡する。 だが、「戦争の悪魔」のヨルと契約し、体を乗っ取られたことで生き返る。
感想・考察:第二部ではチェンソーマンとは一体どんな存在なのかが浮き彫りになっている。またデンジと異なりアサはいつでも悪魔と意識が交代できることから悪魔と人間の共存をテーマに描いていると考えた。また第一部よりセリフが少なく、絵で見せる方法を多いと考えた。
17.HUNTER×HUNTER38巻 原作者:冨樫義博
あらすじ:暗黒大陸を目指す船内での三つ巴のマフィア抗争は激化。 2つの組が共闘し、さらにヒソカを追う幻影旅団も抗争に加わり、エイ=イ一家を狩り始める。 その最中、ノブナガは幻影旅団結成のいきさつを追懐する。
感想・考察:幻影旅団の過去がついに明らかになり『HUNTER×HUNTER 0』で謎に包まれていたクラピカの故郷との繋がりのヒントも散らばって描かれていた。漫画で現況や仕組みを説明する場面が多いが、キーキャラクターの伏線はしっかりと絵で表していることに気が付き、文字はあくまで描きづらい状況説明を読者に分かりやすくまとめている為に使っていると考えた。
18.推しの子 1〜152話 原作:赤坂アカ 作画:横槍メンゴ
あらすじ:田舎の産婦人科医のゴローは人気アイドルグループ「B小町」のセンター・星野アイの大ファン。そんなある日ゴローが働く病院に、妊娠したアイが現れます。ゴローはショックを受けるも、絶対的な"推し"であるアイをサポートすることを決め、出産に立ち会うことに。しかしゴローは何者かに襲われ、目を覚ますとアイの子供に生まれ変わっていた。
感想・考察:漫画内の番組の恋愛リアリティショーで黒川あかねが叩かれている際に現実でも叩かれており、主人公の星野アクアマリンと結ばれるのが黒川あかねか有馬かなでサンデーうぇぶりのコメントで論争が起きていることから、漫画内のキャラクターより実在する人物かのように認識している人が多いと考えた。
19.写らナイんです 1~22話 作者:コノシマルカ
あらすじ:爽やかホラーな、オカルト青春劇。 視えてはいけないものを引き寄せてしまう、“超霊媒体質”の黒桐まことがどんな悪霊も触れるだけで無自覚に消してしまう橘みちると出会う。幽霊をキッカケに築く青春ラブコメ。
感想・考察:幽霊の話は大抵戦う話が多いが、この作品は戦わない。オカルト部として活動している中で心霊スポットに行く非日常で物語は展開しており、効果音フォントや幽霊のデザインも目が見えない、髪が長い、黒を多用して輪郭をはっきりと描かないと恐怖を感じやすいものになっている。また幽霊が見える人の視点で描かれている点も恐怖をあおる演出だと考えた。しかし常に安心して漫画を見られるのはどんな幽霊も一瞬で払ってしまうヒロインがいるからだと考えた。実際には体験できないが、限りなく恐怖を味わえる点が怪談話のようだと思った。
20.チ。―地球の運動について― 作者:魚豊
あらすじ:「15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いた」フィクション作品。
感想・考察:巻ごとに「チ。」の意味が地動説や知性、血等意味も変わり、登場人物も変わっていくことが読んでいて考えさせられる。また知性と暴力が一体となってずっと物語につきまとう姿が、正反対にみえる物事や人が実は共通点があることを示していると考えた。また天体観測に必須な視力に良い目や死ぬ間際の目がとてもアップでそしてリアルに書かれていることで、何もセリフがないのに気持ちがひしひしと伝わってくる。
21.今世は当主になります 原作(小説):Kim Roah 作者: Mon(Antstudio)
あらすじ:建国の盟約で皇室の同盟者として権勢を振るう名家の婚外子に転生した日本女性ヒロイン。 伯父二人の家族には平民故に父と結ばれなかった母の血筋を貶められ。 庇護者だった父と祖父が死んだ後放逐され事故で亡くなる。しかし7歳の頃に死に戻り父が亡くなる前に戻り父や自分の身の回りの環境を変えていく話。
感想・考察:異世界転生系や悪女転生系は昔のヨーロッパの歴史を題材にしているが、恋がメインで豪華な服や装飾、登場人物のビジュアルに力を入れることが多いが、この作品は伝染病や当時のインフラ状況、ドレスの流行や、恋愛や男女格差などの価値観を商人視点から表現していることがとても面白いと思った。また主人公が現代から転生した主人公ではないのに、現代の技術を当時の革新的なものとして取り入れているところが、当時の人目線で書いた作品というより、権力を持った現代人が過去のヨーロッパに行った際にするであろうことを描いた作品だと考えた。
22.ラーメン赤猫(マンガ)漫画:アンギャマン
あらすじ:猫だけで経営している不思議なラーメン屋、ラーメン赤猫。人間である社珠子が店舗の前店主であったおばさんに紹介してもらい、働くことになった。人間と同じく、自立して生活する猫と一人の人間が一緒にラーメン屋を営む、ハートフルライフな作品。
感想・考察:猫が自立して働きたい理由が明らかになっていく中で、猫が人間のように人権を得られるために課題をこなさないといけない姿から人種差別というテーマが見えてくると考えた。また現代でよく見かける撮影許可を取らず取れ高だけを気にする迷惑系YouTuberや動物愛護主義で周りが見えなくなる人、セクハラ、難癖をつけてくる人などを取り上げて、猫ならこう解決すると手段を示している一方で猫と現代の人間でも行える手段にしていることから、猫と人間に区別はあまりなく、見た目や習慣であると提示していると考えた。
【小説】
23.世界で一番透き通った本 作者:杉井光
あらすじ: 大御所ミステリー作家の宮内彰吾が、癌の闘病を経て61歳で死去した。女癖が悪かった宮内は、妻帯者でありながら多くの女性と交際しており、そのうちの一人とは子供までつくっていた。愛人の子供の主人公が父親の最後の遺作を探す物語。
感想・考察:小説の中で主人公が探した遺作が見つからず後に自分で書いた本が今読者が読んでいる本である設定が、メタフィクションで面白いと思った。メタフィクションは大体あらかじめ手紙や日記を読んで過去を振り返える形で書かれることが多いが、最後に種明かしとして使用している点がこの本の魅力だと考えた。また読者自身が透き通った本を実際に読むことが出来るのも興味深い点だと考えた。
24. きのうの影踏み 作者:辻村深月
あらすじ:あるホラー作家のもとに送られてきた手紙には、存在しない架空の歌手とラジオ番組のことが延々と綴られていたという。編集者たちの集まりによると、チェーンメールのように、何人かの作家にも届いているという。かくいう私にもその手紙は届いていた。その手紙のことを調べるうちに、文面の後ろのほう、文字が乱れて読み取れなくなっていた部分が、徐々に鮮明になってきている。ある日、友人作家が手紙のことで相談があると言ってきた。なんと、その手紙、サイン会で手渡しされたという。誰がその人物だったかはわからない。けれど、確実に近づいてきている。ホラー短編集の小説。
感想・考察:いつもの日常に潜む恐怖が何倍にも膨れ上がって描かれていた。しかし話を持っているのではなく、私たちが一歩動けばありえたかもしれない恐怖をリアルに描いている為一気にくる恐怖ではなく、ゆっくりと近づいてくるので読後も怖さが継続された。またファンタジーのような神隠しの話では、何かわからないものの仕業という恐怖だけでなく人間の怖さも描かれたが、交通事故の話では意外にも心温まる部分と身近な恐怖、そしてこの世のものではない体験の恐怖と怖く感じるポイントが盛りだくさんだった。この小説は怪談話を聞いているような臨場感があるところが魅力だ。
25.月曜日の抹茶カフェ 作者:青山美智子
あらすじ:川沿いの桜並木のそばに佇む喫茶店「マーブル・カフェが定休日の月曜日に、1度だけ「抹茶カフェ」を開く。カフェと関わる人が紡ぐ話。「この縁は、きっと宝物になる――」、「人は知らず知らずのうちに、誰かの背中を押していることに気づく」がキーワードの心温ま癒やされるストーリー。
感想・考察:短編小説だが話や人がリンクしていることで、誰かと繋がっていることを表現していると考えた。また悩んでいることを人と話しているうちに解決する場面が毎話登場するので読者が漠然と悩んでいることもこの小説を通して解決されると考えた。そして下着のオートクチュールを作る個人経営者が、過去にお客さんに否定された下着をずっと買いたいと思っていた別のお客さんに会う話が、個人経営者の物やお客さんに対する真摯で優しい考え方がとても素敵だと思った。
【ドラマ】
27.地面師たち 原作(小説):新庄耕、監督:大根仁
あらすじ:2017年、再び土地価格が高騰し始めた東京。伝説の大物地面師・ハリソン山中に誘われ地面師詐欺の道に踏み込んだ辻本拓海。それぞれにプロフェッショナルな犯罪者数名で構成された地面師グループの彼らは、緻密かつ周到な計画で大手デベロッパーに詐欺を仕掛け、巨額を巻き上げていた。そんな彼らが次なるターゲットに選んだのは、時価100億円とも言われる土地。前代未聞の詐欺に挑む一方で、かつてハリソンを逮捕寸前まで追い込みながら、結局逮捕することができなかった定年間近の刑事・辰は、新人刑事と共に独自の捜査を開始していた。騙す側と騙される側、そして刑事の三つ巴の争いは、次第に拓海の「過去」とハリソンの「因縁」を浮き彫りにしていく
感想・考察:BGMがあまりなく、画面も常に暗いため重厚な雰囲気がある。また外で人を騙す際は画面が明るくなり青空も多く映るため、地下で悪巧みをしていたとは思えない爽やかな表情が目立つと考えた。しかし画面が明るくなってもBGMはあまりないため地面師側の緊張感が伝わってくる。同じワードやセリフを何度も言うことで、ドラマの前半と後半では意図が異なり、視聴者にセリフの解像度を上げさせる効果があると考えた。
28.変な家 作者:雨穴
あらすじ:謎の空間、二重扉、窓のない子供部屋——間取りの謎をたどった先に見た、「事実」とは!?知人が購入を検討している都内の中古一軒家。開放的で明るい内装の、ごくありふれた物件に思えたが、間取り図に「謎の空間」が存在していた。
知り合いの設計士にその間取り図を見せると、この家は、そこかしこに「奇妙な違和感」が
存在すると言う。間取りの謎をたどった先に見たものとは……。不可解な間取りの真相は!?
突如消えた「元住人」は一体何者!?本書で全ての謎が解き明かされる!
感想・考察:栗原さんに相談することで所々読者にヒントを与えていることや、雨穴さんと共に読者が考えることで、読者が謎や正解に気づけなかったとしても、雨穴さんが代わりに考えて答えてくれることで、テンポよく話が展開していくと考えた。また部屋の中に入らずに間取りと電話、助言のみで解決している点が新しい視点でミステリーを書いていると思った。
【ゲーム】
29.ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム
プロデューサー:青沼英二、ディレクター:藤林秀麿、プログラマー:堂田卓宏、美術:滝澤智
あらすじ:天空、大地、地底、3つの広大なフィールドを冒険する 本作の物語はゼルダとリンクが魔獣ガノンを倒した数年後から始まる。 ふたりは松明を持ってハイラル城の地下に広がる岩だらけの洞窟を探索しているうちにとある壁画を発見し、その昔ハイラル族とゾナウ族が古代文明(前作でも言及されていた)を築いていたことを知る。
感想・考察:ゼルダが消えた謎やハイラル王国建国から魔王出現までの過去を追っており、プレイヤーが忘れた頃にタイトルにある「王国の涙」が何かを示した瞬間に全ての謎が解ける点が、とても感動し鳥肌が立った。また龍の涙を探すことでプレイヤーに涙の意味を分かった気分にさせている点も感動が増す要因だと思った。
前作では魔王がなぜ登場したのか何も語られていなかったが今作で全ての謎が明らかになった点がとても良かった。また前作をプレイした人が同じ場所をプレイするため、飽きないように一部建物が破壊されていたり新しいボスの魔物を各地に配置したり、地下や空島を配置したと考えた。なぜ地下と空に行けるようになり、それぞれの島が持つ過去との繋がりもしっかりと描かれており、前作より大幅にパワーアップしたと思った。
30.TWISTED-WONDERLAND(ステージ・イン・プレイフルランド)
原案・メインシナリオ・キャラクターデザイン:枢やな
あらすじ:謎の男・フェローと弟分のギデルの誘いで、幻の遊園地『プレイフルランド』を訪れたナイトイレブンカレッジの生徒たち。一日遊びたい放題。学校なんて行かないで、ステージで一躍スターになろう。でもひとつだけご注意を。“良心”は決して忘れないように…。
感想・考察: ディズニー映画『ピノキオ』を元にした作品であり、日本の絵本ではあまり登場しないJ・ワシントン・ファウルフェローとギデルが主人公であるため、どんな人物かを彼ら自身が「正直者」や「無口」だと口で説明していることで、どのような性格をもつ人物なのかを見ている人に伝えていると考えた。また『キノピオ』を知らない人の為にこんなシーンが、あったと話が進むことに説明しながら遊園地を遊んでいたことが、誰でも話が楽しめるようになっていると思った。
貧しい為学校へ行けずに高学歴である登場人物たちを陥れることで自分たちが秀でているフェローを描くことで、貧困問題や勉強する意味を考えさせられた。
山中 拓実
RES
3年 山中
夏休み課題 22~30
22.『月姫(再販版)』(TYPE-MOON)
<あらすじ>夏も終わりの日、志貴は病院で目を覚ました。事故に遭い、奇跡的に助かったのだという。しかし志貴は腑に落ちない。彼の視界にはラクガキのような線が幾つも入っていた。その線は、どんな物でも切れてしまうガイドラインであることを志貴は直に自覚することになる。病室を飛び出した志貴は「先生」に会い、彼女から線が見えなくなるメガネをもらう。先生は「君の目は、『モノ』の命を軽くしすぎてしまう、そのために線をいたずらに切ってはいけない。」と忠告した。
高校生になった志貴は、8年ぶりに実家の屋敷に帰ることに。数日後志貴は金の髪と赤い瞳、白い服装の美しい彼女を見たときに衝動にかられ、手にかけてしまう。自分の意志によって行ったものではなく、自分が恐ろしくなった志貴だった。しかし翌朝、葬ったはずの彼女がガードレールに座っていた。彼女は何者なのか、志貴の衝動の原因は。
<考察>本作は2000年に開催されたコミックマーケット59にて頒布された(手に入れられたのは再販版)。後にFateシリーズを手がけるTYPE-MOONが同人サークル時代に制作したものである。
本作は『雫』や『痕』といったLeafのビジュアルノベルに影響を受けているという。比較したい。まず背景CG。志貴が8年間暮らしていた有間の屋敷。これには実写の写真が青みがかったものが表示されている。また学校の校舎などのCGも同様である。主人公の心理描写について。本作は『痕』よりも、変貌と罪を犯すまでが非常に早くなっている。『痕』では日常シーンや物語に間接的に関係してくる長女と警察の掛け合いなどがそれまでに盛り込まれていた。比較すると本作は、比較的心理描写が長く詳細に描かれている。このことから私は、より物語に引き込まれやすいと感じた。
本作では「1/反転衝動Ⅰ」のように、サブタイトルがつけられている。これによって、物語に区切りがつけられていると感じた。通常の作品では日付を更新することで、区切りをつける。本作も日付が変わる際に、サブタイトルも変更される。この形式は後に制作されるKeyの『CLANNAD』にも採用されているが、こちらは日付には関係なくサブタイトルがつけられる。これらのことから本作の形式はその過渡期のものであると感じた。
アルクェイドとのディスコミュニケーション。彼女は人間と同じ見た目をしており、笑顔や怒った顔など表情がコロコロ変わるため非常に人間味があり、魅力的なキャラクターである。しかし彼女も吸血鬼であるため、人間の志貴とはその価値観や感覚が大きく異なっている。それが見た目と中身の二面性を生んでおり、彼女が確かに「人外」であることを度々認識させる。それは志貴もとい、プレイヤーの持つアルクェイドへの恐怖であり、また魅力にもなっている。
2.5次元世界。実写背景にキャラクターのレイヤーが重ねられる。これはイラストの背景にキャラクターの配置される完全なる2次元世界とは異なるのではないか。と考えた。
アルクェイドとシエルへの志貴が示した反応の違い。アルクェイドが吸血種だということには受け入れることができたが、シエルを受け入れることはできなかった。これには、重ねてきた時間の違いがあると感じた。2人と出会ってからの日数は変わらないが、アルクェイドは当初から蘇ることで人を超えた力を志貴に見せていた。しかしシエルは人間と同じように振る舞い、どこか変わっていながらも人として、それ以上の行いは見せなかった。つまり志貴が人として認識していた時間が圧倒的にシエルのほうが長いのだ。そのためにこれまで人間として見ていた彼女が突然に人を外れた瞬間に志貴はそれを現実のものとして受け入れることができなかったのだろう。
表記ゆれ。「おまえ」「お前」「オマエ」と本作で主人公の志貴が誰かを呼ぶとき、ひらがな・漢字・片仮名と表記ゆれがある。これはミスによるものではなかった。前者の二つはおそらくニュアンスによる違いであろう。しかし「オマエ」は蛇が使用するものであり、徐々に志貴の中の蛇が実体化をはじめ、志貴を蝕んでいたことがわかる。
23.『遥かなるニライカナイ』(Navel)
<あらすじ>ここは沖縄。海釣りをしていた月代一渡(イチト)はこの早朝には珍しく人影を見た。一渡は彼女の何気なく横顔を何気なく見たとき、息を飲んだ。「……なんて、綺麗な子だ」
そして不思議なことに、彼女の周りには青い蝶が舞っていた。
彼女は神や精霊、そして死後の人間が居るとされるニライカナイの伝説がある「綿津見島(ワタツミジマ)」を見ていた。その後、キッチンカーでばったり会うと、彼女は本土から来ており「会いたい人」がいるからニライカナイに行きたいのだという。
伝説は本当なのか、彼女は行くことができるのか。
<考察>現実の県を舞台にした作品。ポッテカスー(沖縄語でバカ)、マーサン(おいしい)など、舞台を活かしたシナリオが組まれている。アンダンスー、豚肉の油と味噌を合わせた沖縄のなめ味噌のこと。
冒頭、海咲が登場する場面で青い蝶が舞っている意味について。青い蝶は幸運を運ぶとされていたり、神の使いであるとされている。そのため、2人の出会いとニライカナイとの邂逅を暗示していると考えた。
24.『天使☆騒々 Re:BOOT!』(ゆずソフト)
<あらすじ>李空は夢の中で焼き尽くされた。4月からひと月以上続くので、気にはしていたが放置していた。しかしある日、李空の体に異常が起きた。
ゲーマー、自尊心高めの妹・天音に相談するも心配してくれるが対処法は見つからない。そのうち、天音も体調を崩してしまう。2人で学園から帰ると、天音がこちらにふらりと来たと思ったその時、激痛が走った。彼女は李空の首に噛き、血を飲んでいる。気がつくと、李空も天音も様子がおかしい。禍々しい恰好だけではない、種族ごと違う。
困惑する2人のもとに、白い羽根を持った天使が舞い降りた。世界の安寧を守ることが使命と話す彼女は2人に「前世返り」が起きたのだと説明する。これ以上暴走してしまうと世界が危険だとも。李空たちは魔力を抑えることができるのか、ぐーたら天使の行く末は。
<考察>本作のテキスト、画面の使い方が非常に上手。急にチャットを模したレイヤーが背景前に表示されれば、そこにテキストやCGが流れていく。これは通常の操作であるクリックやスクロールで下へとページがおりていく。トークアプリ「LINE」を模したような画面であり、演出が細かく光る作品である。これはアスペクト比の変化に適応した稀有な例と言えるだろう。
かつてはスクエアと言われた4:3のサイズで制作していたが、2000年代後半には16:9で制作されるようになっていった。前者は図らずともヒロインの立ち絵を中心に大きく映し、その他の背景はあまり見せないスタイルが得意であり、没入感を向上させていたように思える。後者は画面が広くなったことで、ノベルゲーム以外では様々なボタンや要素を置くことができるようになった。しかしそもそも置くべきものの少ないゲームジャンルであるADVでは、もっぱらヒロインの占める割合が小さくなり、背景が増えるのみであった。それを枕やNavelといったブランドがハイクオリティのCGを画面いっぱいに映す程度。しかし本作では先述の演出によって新たな画面の使い方を生み出していると感じた。
25.『Keyの軌跡』(坂上秋成・監修:Key)
<あらすじ>「泣き」を創り上げたビジュアルアーツの美少女ゲームブランド・Key。
その功績を当初の構成員であるシナリオライター・音楽家の麻枝准、原画家の樋上いたる、シナリオライターの久弥直樹、音楽担当の折戸伸治、グラフィッカーのしのり~、みらくる☆みきぽんが実質的な前進であるTactics時代に在籍していた時代から京都アニメーションによるアニメ化やオリジナルアニメまで取り上げた意欲作。
<考察>本作はこれまでのKeyの功績や作品、メディアミックス展開を列挙し、考察を加えた書籍である。著者の坂上は本作のほかにも月姫やFateシリーズを取り上げた『TYPE-MOONの軌跡』を書いている。本作の考察は、ゲーム作品においては非常にわかりやすく的を射ているように感じる。『AIR』のエンディングについてや、『Kanon』の奇跡についてなど実際にプレイしても気がつかなかったような考察が記載されている。
しかしアニメ化の部分においてはそのほとんどすべてが京都アニメーションによるもののみを取り上げており、東映アニメーションの制作した『Kanon』、『劇場版AIR』、『CLANNAD』への言及はないに等しい。特に『Kanon』のアニメ化においてはストーリ構成において東映アニメーションが優れていると言われているが、京都アニメーション版についての困難を述べるのみであり足りないと感じた。
26.『マリア様がみてる』(今野緒雪)
<あらすじ>私立リリアン女学園、ここは乙女たちが清く正しい学園生活の継続を目指す。そのためには「姉妹(スール)」と呼ばれる一定の契約を結んだ上級生と下級生において生活指導が行われる制度がある。未だ姉がいなかった一年生・福沢祐巳はある日、あこがれの「紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アンブゥトン)」の地位につく小笠原祥子様から姉妹宣言をされる。
妹のいないことを指摘された祥子は売り言葉に買い言葉でたまたま出会った祐巳を選んだのだった。祐巳は祥子のいい加減な申し出を受け入れるのか、2人の関係は。
<考察>アニメ化や漫画化、映画化など幅広い展開がなされたライトノベル作品。身分違いの恋愛という部分では多くあるような気はするが、生徒会のような3つの組織が学園には存在しており彼女らとの付かず離れずの関係が本作に作用している。祐巳・祥子の在籍する「紅薔薇」、敬虔なクリスチャンの藤堂志摩子の「白薔薇(ロサ・ギガンティア)」、幼馴染の島津由乃と支倉令の「黄薔薇(ロサ・フェティダ)」である。
この3組織は由緒あるものだが、それぞれ前代未聞といえる問題を引き起こしてしまう。その最悪の結果として「姉妹」の解消が見え隠れするため、想像以上にシリアスな仕上がりになっている。
27.『Kanon~雪の少女~』(清水マリコ)
<あらすじ>雪の降る駅前、祐一は2時間待っていた。すでに待ちくたびれていたところに、少女が自分の顔を覗いていた。彼女は「……あれ? いま、何時?」と。能天気にしているが、祐一に聞く。
「わたしの名前、まだ覚えてる?」祐一は仕返しとばかりにはぐらかす。「わたしの名前……」彼女は聞き直す。7年ぶりの街。7年ぶりの雪。7年ぶりに出会った少女。
「行くぞ、名雪」2人の奇跡の物語が始まった。
<考察>Keyによる美少女ゲーム作品『Kanon』の水瀬名雪ルートをライトノベル化した作品。ライトノベルには往々にして挿絵があるが、本作の挿絵は基本的にイベントCGが印刷されている。それに付加して立ち絵を利用した独自のCGがある。これには「あゆ」との再会場面や、名雪の少女時代など本作において重要で印象付けられるものが採用されている。
また原作には1日の始まりに主人公が夢として思い出すシナリオがあり、それは画面の切り替えによって分けられている。しかし小説作品においてそれは不可能である。そのため本作では、大胆にページを変えてしまうことで実現している。このように、選択肢のある美少女ゲームにおいてそれぞれのエンディングに合わせた書籍が分けて出版されることはまれであるが、最も理想的だろう。
28.『Kanon~日溜まりの街~』(清水マリコ)
<あらすじ>夢。夢を見ている。毎日見る夢。終わりのない夢。祐一は浮かんではすぐ消えて行ってしまうような、とりとめのない夢を見ていた。転がり込んでいる水瀬家の娘・名雪に商店街を案内してもらっている途中、手に紙袋を持ち羽根を背中に持った少女に追突されてしまう。羽根の存在を自覚していなかった彼女は月宮あゆ。「祐一」の名前を聞いた彼女は一瞬、不思議な顔をしていた。それから度々商店街で会う2人。
ある日、あゆは探し物をしていると話した。どこにあるのかも、なんであったのかもわからないという。見つかるはずのない探し物。祐一は呆れながらも一緒に探す。祐一はあゆを追いかけ、森へ。彼女の正体が、祐一の過去が明らかになる。
<考察>本シリーズの形式として、最初の挿絵には必ずピックアップするヒロインの初登場シーンが描かれている。名雪P.11、あゆP.23、栞P.13、真琴P.13、舞P.7と序盤に載せられている。そして最終ページはP.220、P.238、P.223、P.221、P.237となっている。原作ではまず名雪に出会い、真琴や舞は中盤で出会い、そこから名雪や栞との会話は少なくなる。文量が全く違うため、本作ではオリジナルの要素で補完されている。
本作においては心情描写が増やされている。まず原作であゆが祐一の名前を聞くと
あゆ「…祐一…君?」祐一「どうした?」あゆ「…ううん、何でもないよっ」
泣き笑いのような複雑な表情。それでもすぐにもとの元気な笑顔に戻る。
確かにこの間にあゆの表情は2度変わるが、彼女の真意がわかるとは言い難い。
次に本作では
「……祐一……君?」
名前を聞いて、あゆは大きな目をさらに大きく見開いた。
「どうした?」
心なしか、あゆの目が潤んでいるように見える。まっすぐな視線が、祐一に何かを期待しているようにも感じられる。
「もしかして、前にこの街で会ってるのかな……」(ここで記憶喪失について話す)
「そっか」
あゆは泣き笑いのような表情を浮かべたが、それ以上、何も言わなかった。祐一はあゆを横目で見た。このように本作では、あゆが祐一に気がついて欲しいことを記述している。そして原作よりもがっかりしていることも読み取れるだろう。
29.『Kanon~少女の檻~』(清水マリコ)
<あらすじ>生徒たちは仲間を作り出したころ、川澄舞はひとりぼっちだった。しかし寂しい少女なのではない。彼女には「魔物を討つ」という使命があったからだ。常に緊張感を持っている彼女に、毎日あいさつをしてくれ、話しかけてくれる人がいた。彼女は倉田佐祐理。
毎夜学校で戦う彼女だったが、それをノートを取りに忍び込んだ祐一に見つかってしまう。その日から2人で魔物と対峙する日々が始まり、徐々に舞は真実に気付き始める。
<考察>本シリーズのサブタイトルにはそれぞれ原作でヒロインのテーマソングにつけられたタイトルがあてられている。本作の「日溜まりの街」は月宮あゆと出会った場所であり、別れる場所でもある。また「雪の少女」は水瀬名雪と出会う場所であり、ともに学園へ通う通学路を表しているだろう。さらに「少女の檻」はそれまでとは変わり、川澄舞が見えない敵と戦うようになってしまった理由が表されている。それぞれのヒロインを説明するもっとも簡潔な文章だろう。
川澄舞のような後半から祐一と出会うヒロインになるとまず、ヒロインの視点で描かれる場面から始まる。これによって文章量を確保し、祐一の見えていなかった部分が彼女から語られるようになっている。
30.『Kanon~the fox and the grapes~』(清水マリコ)
<あらすじ>彼女はおなかが空いていた。それに心が痛い。その痛みを感じたのは7年前に一人の人間から心、人と人の恋を、ぬくもりを知った後だった。彼はその両方を植え付けた。
ある日、祐一は水瀬家と買い物に商店街へ行くと、誰かにつけられていた。「やっと見つけた」と声を出した少女は敵意むき出しに襲ってきた。途中、空腹により少女は崩れ落ちた。彼女の身元がわからないので、水瀬家は一旦家で保護することに。少女は自分を「沢渡真琴」と言った。
彼女の正体は、襲われた祐一との関係は。
<考察>「the fox and the grapes」はイソップ寓話『すっぱい葡萄』の日本語訳である。この童話は心理学において「認知的不協和」で説明される。玉川大学によると「心理学において、このような現象は「認知的不協和」という概念で説明されてきました。自分の過去の行動と自分の好みが一貫していない場合に、「認知的不協和」という不快な感情状態が引き起こされ、それを低減するために自分の好みを変化させると考えられています(図1)。」と説明されている。
本作の真琴において認知的不協和は適応されているのか、について考えたい。まず「過去の行動」について。これは祐一がかつて怪我をしていた狐(後の真琴)を介抱し、治るまで面倒を見ていた。しかし人間の優しさに触れてしまった狐はその後、野生の生活に戻ることができなかった。これについては明記されていないが、天野美汐の発言から推測される。そのために祐一に恨みを持っているため、彼に攻撃的な態度を示した。
「自分の好み」については、記憶喪失の少女として彼女は人間である水瀬家に受け入れられた。そのやさしさと、徐々に衰弱していく自分を介抱し続ける祐一の優しさによって人間を受け入れ、祐一に恋をした。
「自分の好みを変化させることによる認知的不協和の低減」について。結果的に彼女は祐一と結婚したいとねだり、自分が消えてなくなってしまう前に2人きりの結婚式を挙げる。このように祐一を愛することによって認知的不協和を低減したと考えられるのではないか。
玉川大学「すっぱいブドウ」は本当か?認知的不協和の脳活動を記録 -米国科学雑誌に論文を発表-https://www.tamagawa.jp/research/brain/news/detail_4906.html
夏休み課題 22~30
22.『月姫(再販版)』(TYPE-MOON)
<あらすじ>夏も終わりの日、志貴は病院で目を覚ました。事故に遭い、奇跡的に助かったのだという。しかし志貴は腑に落ちない。彼の視界にはラクガキのような線が幾つも入っていた。その線は、どんな物でも切れてしまうガイドラインであることを志貴は直に自覚することになる。病室を飛び出した志貴は「先生」に会い、彼女から線が見えなくなるメガネをもらう。先生は「君の目は、『モノ』の命を軽くしすぎてしまう、そのために線をいたずらに切ってはいけない。」と忠告した。
高校生になった志貴は、8年ぶりに実家の屋敷に帰ることに。数日後志貴は金の髪と赤い瞳、白い服装の美しい彼女を見たときに衝動にかられ、手にかけてしまう。自分の意志によって行ったものではなく、自分が恐ろしくなった志貴だった。しかし翌朝、葬ったはずの彼女がガードレールに座っていた。彼女は何者なのか、志貴の衝動の原因は。
<考察>本作は2000年に開催されたコミックマーケット59にて頒布された(手に入れられたのは再販版)。後にFateシリーズを手がけるTYPE-MOONが同人サークル時代に制作したものである。
本作は『雫』や『痕』といったLeafのビジュアルノベルに影響を受けているという。比較したい。まず背景CG。志貴が8年間暮らしていた有間の屋敷。これには実写の写真が青みがかったものが表示されている。また学校の校舎などのCGも同様である。主人公の心理描写について。本作は『痕』よりも、変貌と罪を犯すまでが非常に早くなっている。『痕』では日常シーンや物語に間接的に関係してくる長女と警察の掛け合いなどがそれまでに盛り込まれていた。比較すると本作は、比較的心理描写が長く詳細に描かれている。このことから私は、より物語に引き込まれやすいと感じた。
本作では「1/反転衝動Ⅰ」のように、サブタイトルがつけられている。これによって、物語に区切りがつけられていると感じた。通常の作品では日付を更新することで、区切りをつける。本作も日付が変わる際に、サブタイトルも変更される。この形式は後に制作されるKeyの『CLANNAD』にも採用されているが、こちらは日付には関係なくサブタイトルがつけられる。これらのことから本作の形式はその過渡期のものであると感じた。
アルクェイドとのディスコミュニケーション。彼女は人間と同じ見た目をしており、笑顔や怒った顔など表情がコロコロ変わるため非常に人間味があり、魅力的なキャラクターである。しかし彼女も吸血鬼であるため、人間の志貴とはその価値観や感覚が大きく異なっている。それが見た目と中身の二面性を生んでおり、彼女が確かに「人外」であることを度々認識させる。それは志貴もとい、プレイヤーの持つアルクェイドへの恐怖であり、また魅力にもなっている。
2.5次元世界。実写背景にキャラクターのレイヤーが重ねられる。これはイラストの背景にキャラクターの配置される完全なる2次元世界とは異なるのではないか。と考えた。
アルクェイドとシエルへの志貴が示した反応の違い。アルクェイドが吸血種だということには受け入れることができたが、シエルを受け入れることはできなかった。これには、重ねてきた時間の違いがあると感じた。2人と出会ってからの日数は変わらないが、アルクェイドは当初から蘇ることで人を超えた力を志貴に見せていた。しかしシエルは人間と同じように振る舞い、どこか変わっていながらも人として、それ以上の行いは見せなかった。つまり志貴が人として認識していた時間が圧倒的にシエルのほうが長いのだ。そのためにこれまで人間として見ていた彼女が突然に人を外れた瞬間に志貴はそれを現実のものとして受け入れることができなかったのだろう。
表記ゆれ。「おまえ」「お前」「オマエ」と本作で主人公の志貴が誰かを呼ぶとき、ひらがな・漢字・片仮名と表記ゆれがある。これはミスによるものではなかった。前者の二つはおそらくニュアンスによる違いであろう。しかし「オマエ」は蛇が使用するものであり、徐々に志貴の中の蛇が実体化をはじめ、志貴を蝕んでいたことがわかる。
23.『遥かなるニライカナイ』(Navel)
<あらすじ>ここは沖縄。海釣りをしていた月代一渡(イチト)はこの早朝には珍しく人影を見た。一渡は彼女の何気なく横顔を何気なく見たとき、息を飲んだ。「……なんて、綺麗な子だ」
そして不思議なことに、彼女の周りには青い蝶が舞っていた。
彼女は神や精霊、そして死後の人間が居るとされるニライカナイの伝説がある「綿津見島(ワタツミジマ)」を見ていた。その後、キッチンカーでばったり会うと、彼女は本土から来ており「会いたい人」がいるからニライカナイに行きたいのだという。
伝説は本当なのか、彼女は行くことができるのか。
<考察>現実の県を舞台にした作品。ポッテカスー(沖縄語でバカ)、マーサン(おいしい)など、舞台を活かしたシナリオが組まれている。アンダンスー、豚肉の油と味噌を合わせた沖縄のなめ味噌のこと。
冒頭、海咲が登場する場面で青い蝶が舞っている意味について。青い蝶は幸運を運ぶとされていたり、神の使いであるとされている。そのため、2人の出会いとニライカナイとの邂逅を暗示していると考えた。
24.『天使☆騒々 Re:BOOT!』(ゆずソフト)
<あらすじ>李空は夢の中で焼き尽くされた。4月からひと月以上続くので、気にはしていたが放置していた。しかしある日、李空の体に異常が起きた。
ゲーマー、自尊心高めの妹・天音に相談するも心配してくれるが対処法は見つからない。そのうち、天音も体調を崩してしまう。2人で学園から帰ると、天音がこちらにふらりと来たと思ったその時、激痛が走った。彼女は李空の首に噛き、血を飲んでいる。気がつくと、李空も天音も様子がおかしい。禍々しい恰好だけではない、種族ごと違う。
困惑する2人のもとに、白い羽根を持った天使が舞い降りた。世界の安寧を守ることが使命と話す彼女は2人に「前世返り」が起きたのだと説明する。これ以上暴走してしまうと世界が危険だとも。李空たちは魔力を抑えることができるのか、ぐーたら天使の行く末は。
<考察>本作のテキスト、画面の使い方が非常に上手。急にチャットを模したレイヤーが背景前に表示されれば、そこにテキストやCGが流れていく。これは通常の操作であるクリックやスクロールで下へとページがおりていく。トークアプリ「LINE」を模したような画面であり、演出が細かく光る作品である。これはアスペクト比の変化に適応した稀有な例と言えるだろう。
かつてはスクエアと言われた4:3のサイズで制作していたが、2000年代後半には16:9で制作されるようになっていった。前者は図らずともヒロインの立ち絵を中心に大きく映し、その他の背景はあまり見せないスタイルが得意であり、没入感を向上させていたように思える。後者は画面が広くなったことで、ノベルゲーム以外では様々なボタンや要素を置くことができるようになった。しかしそもそも置くべきものの少ないゲームジャンルであるADVでは、もっぱらヒロインの占める割合が小さくなり、背景が増えるのみであった。それを枕やNavelといったブランドがハイクオリティのCGを画面いっぱいに映す程度。しかし本作では先述の演出によって新たな画面の使い方を生み出していると感じた。
25.『Keyの軌跡』(坂上秋成・監修:Key)
<あらすじ>「泣き」を創り上げたビジュアルアーツの美少女ゲームブランド・Key。
その功績を当初の構成員であるシナリオライター・音楽家の麻枝准、原画家の樋上いたる、シナリオライターの久弥直樹、音楽担当の折戸伸治、グラフィッカーのしのり~、みらくる☆みきぽんが実質的な前進であるTactics時代に在籍していた時代から京都アニメーションによるアニメ化やオリジナルアニメまで取り上げた意欲作。
<考察>本作はこれまでのKeyの功績や作品、メディアミックス展開を列挙し、考察を加えた書籍である。著者の坂上は本作のほかにも月姫やFateシリーズを取り上げた『TYPE-MOONの軌跡』を書いている。本作の考察は、ゲーム作品においては非常にわかりやすく的を射ているように感じる。『AIR』のエンディングについてや、『Kanon』の奇跡についてなど実際にプレイしても気がつかなかったような考察が記載されている。
しかしアニメ化の部分においてはそのほとんどすべてが京都アニメーションによるもののみを取り上げており、東映アニメーションの制作した『Kanon』、『劇場版AIR』、『CLANNAD』への言及はないに等しい。特に『Kanon』のアニメ化においてはストーリ構成において東映アニメーションが優れていると言われているが、京都アニメーション版についての困難を述べるのみであり足りないと感じた。
26.『マリア様がみてる』(今野緒雪)
<あらすじ>私立リリアン女学園、ここは乙女たちが清く正しい学園生活の継続を目指す。そのためには「姉妹(スール)」と呼ばれる一定の契約を結んだ上級生と下級生において生活指導が行われる制度がある。未だ姉がいなかった一年生・福沢祐巳はある日、あこがれの「紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アンブゥトン)」の地位につく小笠原祥子様から姉妹宣言をされる。
妹のいないことを指摘された祥子は売り言葉に買い言葉でたまたま出会った祐巳を選んだのだった。祐巳は祥子のいい加減な申し出を受け入れるのか、2人の関係は。
<考察>アニメ化や漫画化、映画化など幅広い展開がなされたライトノベル作品。身分違いの恋愛という部分では多くあるような気はするが、生徒会のような3つの組織が学園には存在しており彼女らとの付かず離れずの関係が本作に作用している。祐巳・祥子の在籍する「紅薔薇」、敬虔なクリスチャンの藤堂志摩子の「白薔薇(ロサ・ギガンティア)」、幼馴染の島津由乃と支倉令の「黄薔薇(ロサ・フェティダ)」である。
この3組織は由緒あるものだが、それぞれ前代未聞といえる問題を引き起こしてしまう。その最悪の結果として「姉妹」の解消が見え隠れするため、想像以上にシリアスな仕上がりになっている。
27.『Kanon~雪の少女~』(清水マリコ)
<あらすじ>雪の降る駅前、祐一は2時間待っていた。すでに待ちくたびれていたところに、少女が自分の顔を覗いていた。彼女は「……あれ? いま、何時?」と。能天気にしているが、祐一に聞く。
「わたしの名前、まだ覚えてる?」祐一は仕返しとばかりにはぐらかす。「わたしの名前……」彼女は聞き直す。7年ぶりの街。7年ぶりの雪。7年ぶりに出会った少女。
「行くぞ、名雪」2人の奇跡の物語が始まった。
<考察>Keyによる美少女ゲーム作品『Kanon』の水瀬名雪ルートをライトノベル化した作品。ライトノベルには往々にして挿絵があるが、本作の挿絵は基本的にイベントCGが印刷されている。それに付加して立ち絵を利用した独自のCGがある。これには「あゆ」との再会場面や、名雪の少女時代など本作において重要で印象付けられるものが採用されている。
また原作には1日の始まりに主人公が夢として思い出すシナリオがあり、それは画面の切り替えによって分けられている。しかし小説作品においてそれは不可能である。そのため本作では、大胆にページを変えてしまうことで実現している。このように、選択肢のある美少女ゲームにおいてそれぞれのエンディングに合わせた書籍が分けて出版されることはまれであるが、最も理想的だろう。
28.『Kanon~日溜まりの街~』(清水マリコ)
<あらすじ>夢。夢を見ている。毎日見る夢。終わりのない夢。祐一は浮かんではすぐ消えて行ってしまうような、とりとめのない夢を見ていた。転がり込んでいる水瀬家の娘・名雪に商店街を案内してもらっている途中、手に紙袋を持ち羽根を背中に持った少女に追突されてしまう。羽根の存在を自覚していなかった彼女は月宮あゆ。「祐一」の名前を聞いた彼女は一瞬、不思議な顔をしていた。それから度々商店街で会う2人。
ある日、あゆは探し物をしていると話した。どこにあるのかも、なんであったのかもわからないという。見つかるはずのない探し物。祐一は呆れながらも一緒に探す。祐一はあゆを追いかけ、森へ。彼女の正体が、祐一の過去が明らかになる。
<考察>本シリーズの形式として、最初の挿絵には必ずピックアップするヒロインの初登場シーンが描かれている。名雪P.11、あゆP.23、栞P.13、真琴P.13、舞P.7と序盤に載せられている。そして最終ページはP.220、P.238、P.223、P.221、P.237となっている。原作ではまず名雪に出会い、真琴や舞は中盤で出会い、そこから名雪や栞との会話は少なくなる。文量が全く違うため、本作ではオリジナルの要素で補完されている。
本作においては心情描写が増やされている。まず原作であゆが祐一の名前を聞くと
あゆ「…祐一…君?」祐一「どうした?」あゆ「…ううん、何でもないよっ」
泣き笑いのような複雑な表情。それでもすぐにもとの元気な笑顔に戻る。
確かにこの間にあゆの表情は2度変わるが、彼女の真意がわかるとは言い難い。
次に本作では
「……祐一……君?」
名前を聞いて、あゆは大きな目をさらに大きく見開いた。
「どうした?」
心なしか、あゆの目が潤んでいるように見える。まっすぐな視線が、祐一に何かを期待しているようにも感じられる。
「もしかして、前にこの街で会ってるのかな……」(ここで記憶喪失について話す)
「そっか」
あゆは泣き笑いのような表情を浮かべたが、それ以上、何も言わなかった。祐一はあゆを横目で見た。このように本作では、あゆが祐一に気がついて欲しいことを記述している。そして原作よりもがっかりしていることも読み取れるだろう。
29.『Kanon~少女の檻~』(清水マリコ)
<あらすじ>生徒たちは仲間を作り出したころ、川澄舞はひとりぼっちだった。しかし寂しい少女なのではない。彼女には「魔物を討つ」という使命があったからだ。常に緊張感を持っている彼女に、毎日あいさつをしてくれ、話しかけてくれる人がいた。彼女は倉田佐祐理。
毎夜学校で戦う彼女だったが、それをノートを取りに忍び込んだ祐一に見つかってしまう。その日から2人で魔物と対峙する日々が始まり、徐々に舞は真実に気付き始める。
<考察>本シリーズのサブタイトルにはそれぞれ原作でヒロインのテーマソングにつけられたタイトルがあてられている。本作の「日溜まりの街」は月宮あゆと出会った場所であり、別れる場所でもある。また「雪の少女」は水瀬名雪と出会う場所であり、ともに学園へ通う通学路を表しているだろう。さらに「少女の檻」はそれまでとは変わり、川澄舞が見えない敵と戦うようになってしまった理由が表されている。それぞれのヒロインを説明するもっとも簡潔な文章だろう。
川澄舞のような後半から祐一と出会うヒロインになるとまず、ヒロインの視点で描かれる場面から始まる。これによって文章量を確保し、祐一の見えていなかった部分が彼女から語られるようになっている。
30.『Kanon~the fox and the grapes~』(清水マリコ)
<あらすじ>彼女はおなかが空いていた。それに心が痛い。その痛みを感じたのは7年前に一人の人間から心、人と人の恋を、ぬくもりを知った後だった。彼はその両方を植え付けた。
ある日、祐一は水瀬家と買い物に商店街へ行くと、誰かにつけられていた。「やっと見つけた」と声を出した少女は敵意むき出しに襲ってきた。途中、空腹により少女は崩れ落ちた。彼女の身元がわからないので、水瀬家は一旦家で保護することに。少女は自分を「沢渡真琴」と言った。
彼女の正体は、襲われた祐一との関係は。
<考察>「the fox and the grapes」はイソップ寓話『すっぱい葡萄』の日本語訳である。この童話は心理学において「認知的不協和」で説明される。玉川大学によると「心理学において、このような現象は「認知的不協和」という概念で説明されてきました。自分の過去の行動と自分の好みが一貫していない場合に、「認知的不協和」という不快な感情状態が引き起こされ、それを低減するために自分の好みを変化させると考えられています(図1)。」と説明されている。
本作の真琴において認知的不協和は適応されているのか、について考えたい。まず「過去の行動」について。これは祐一がかつて怪我をしていた狐(後の真琴)を介抱し、治るまで面倒を見ていた。しかし人間の優しさに触れてしまった狐はその後、野生の生活に戻ることができなかった。これについては明記されていないが、天野美汐の発言から推測される。そのために祐一に恨みを持っているため、彼に攻撃的な態度を示した。
「自分の好み」については、記憶喪失の少女として彼女は人間である水瀬家に受け入れられた。そのやさしさと、徐々に衰弱していく自分を介抱し続ける祐一の優しさによって人間を受け入れ、祐一に恋をした。
「自分の好みを変化させることによる認知的不協和の低減」について。結果的に彼女は祐一と結婚したいとねだり、自分が消えてなくなってしまう前に2人きりの結婚式を挙げる。このように祐一を愛することによって認知的不協和を低減したと考えられるのではないか。
玉川大学「すっぱいブドウ」は本当か?認知的不協和の脳活動を記録 -米国科学雑誌に論文を発表-https://www.tamagawa.jp/research/brain/news/detail_4906.html
山中 拓実
RES
3年 山中
夏休み課題 16~20
16.『SMガールズ セイバーマリオネットR』(アニメーション制作:アニメイトフィルム、ゼロ・ジー・ルーム)
〈あらすじ〉「乙女回路」とは、この国の人工物・マリオネットたちに心をもたらす特別なパーツ。この国のマリオネットは人間を超越した戦闘力を持ち回路を持たない者たちは人間の従者として暮らしている。
そんなロマーナでクーデターが起きた。回路を開発したスターフェイスが自らのマリオネットたちを操り、ヴァレイへ攻撃を仕掛けたのだ。その危機に立ち向かったのが、ヴァレイの息子であるジュニアと、生まれたばかりで優秀なものの感情の制御ができないマリオネット・ライム。一行の旅が始まる。
〈考察〉本作はセイバーマリオネットシリーズの原点となるOVAである。物語世界では感情の源である乙女回路を制御することによって他のマリオネットを超越した圧倒的な力を持つことができる。しかし、その乙女回路を敵役であるフェイスが開発したことで物語は複雑に絡み合っていく。
フェイスが悪人に見えるかもしれないが、本作は単純な善悪二元論では語ることができない。ヴァレイはロマーナ王のクローンであり、またフェイスも同じくクローンである。ジュニアだけはヴァレイの息子である。そのためにフェイスにはクローンではないジュニアに対する劣等感がある。そしてラストにはフェイスは自ら奈落へと身を投げてしまう。
マリオネットたちのキャラクターデザインは非常に愛嬌があるものになっているのだが、そのストーリーはシリアスで残酷、少女たちは過酷な戦闘を繰り広げる。そのギャップが魅力となっているだろう。
17.『セイバーマリオネットJ』(アニメーション制作:JUNIO)
<あらすじ>フェイスとの戦いから時がたち、ジュニアの搭乗したメソポタミア号の不時着からさらに300年が経った。男性のみが住むこの世界はその出生率の低下と、力による支配のために衰退の一途をたどっていてた。その一国、ジャポネスに暮らす間宮小樽は偶然に国の歴史資料館にたどり着く。その奥で彼はマリオネット・ライムを起動させてしまう。
ライムは超人的な力を有しているが人に従順な他のマリオネットとは異なり、彼女自身が心を持っている。
時を同じくして軍事国家であるガルトラント軍の進撃が疑われた。近づく国家間戦争、ライムたちの運命は。
<考察>本シリーズを一躍有名にした代表作。キャラクターデザインはことぶきつかさ氏に変更されており、本作に合わせてアレンジされたライム、チェリー、ブラッドベリーを観ることができる。またあかほりさとる、ねぎしひろしの両者が制作に関わっておらず本作は前作を「原作」として捉え制作されたものである。
物語もギャグ調に変更されており、舞台はジャポネスという日本の江戸時代をモチーフにしたものであり、そこに西洋建築とマリオネットの要素が追加されている。ライムの服装も着物、下駄、鈴をつけたかんざしなどを現代風にアレンジしたものとなっている。またエンディングの「I’ll be there」映像においても切り絵が使用されている。
前作『SMガールズ セイバーマリオネットR』と本作におけるマリオネットの扱われ方の違いについて。前作では、戦えるマリオネットは英雄視されていた。だが戦えないマリオネットは召し使い。しかし今作では戦闘用かは関係なくマリオネット自体がジャポネスにおいて格下の身分であり、蔑視の対象であったことがうかがえる。ただライムの性格、人助けなどの善行、小樽との深い信頼関係などがそれをひっくり返してしまう。
18.『サメと生きる七日間』(CUBE)
<あらすじ>主人公・深海恭平は海に溺れ、サメに喰われた。はずだった。浅瀬で目を覚ますと、名前とサメ映画の記憶しか残っていない。それに頭に何かがかぶりついている。それを引き離すと、びしょ濡れの女の子が。どことなくサメな雰囲気の彼女は「くう」としか発さない。
警官、通称・船堀お姉さんの尋問の後、幼馴染の麗水が迎えに来るとなぜか、サメの少女と一緒に家に帰ることに。彼女の保護を頼まれる2人。
ここは「鮫島」という。島では蛸が神として祀られており「野蛸」と呼ばれるタコが道を闊歩している。記憶喪失の恭平が島に慣れつつあったある日、サメに島民が喰われた。動揺を隠せない恭平だが、周りは誰も気に留めはしない。麗水も、クラスメイトの眠深(ねむりぶか)真瑠璃、吉切遠花(よしきりとおか)も。主人公は明らかにこの島の異常性を感じた。その時偶然に観光客である天竺天音と出会い、意気投合。2人は常軌を逸した島の「蛸神信仰」を探ることに。
<考察>鮫島の価値観は現実とはかけ離れている。サメに食べられても平然と過ごす島民たち。しかしそこに真瑠璃が「悲しむことはできない」と自らの意見を吐露することでこれはリアルに近づいてくる。この島のキャラクターはサメの捕食について、真瑠璃以外は誰も自分なりの考えを意見として発言することはない。人間らしさがその部分においては欠如している。
本作は所謂「伝奇」ジャンルに分類されるようだ。サブカルチャーにおいて人気のサメ映画の追随者でありながら、本土から隔絶された島を舞台に土着信仰をテーマにした作品である。「伝奇」は、ノベル形式が主流になったあとの美少女ゲームにおいて非常に人気のジャンルとして長年制作され続けている。
19.『COBRA』(寺沢武一)
<あらすじ>ここは文明の発達した未来。平凡な太陽系人のジョンソンは壊れかけのロボットと暮らしている一介のサラリーマン。彼はようやく支給されたボーナスを握りしめ、見たい夢を観させてくれる娯楽であるトリップ・ムービーを見に行くことに。そこで彼が見たものは男前が相棒と宇宙を駆け巡りる波乱万丈の、海賊・コブラの夢だった。しかしそんな夢はインプットされていない。今の自分とは全く違うハードボイルドを楽しんだジョンソンには、そんな不具合は関係なかった。
しかしその帰り、ムービーで登場した敵とそっくりの悪人が。撃たれそうになったその時、自然と左手を外し、そこからは巨大な銃が。そう、彼こそが3年前に姿をくらました海賊・コブラだったのだ。コブラはアーマロイド・レディと再び旅に出発する。
<考察>本作は故・寺沢武一先生が連載していた未完の作品。本作には作者の興味関心が色濃く表れており、アメコミから影響を受けたテイストが散見される。その例として、国内のSF主人公としては珍しく軽口が多いことが挙げられるだろう。日曜だというのにロボットに会社に行けと起こされた際には「今日は日曜だぜ 神さまだってまだ ねてるさ」と反論している。またジョンソンとして姿を消す前に整形しており、もともとの二枚目の顔とは似ても似つかない三枚目になってしまっている。それでもその能力は衰えを知らず、性格や顔とハードボイルドなシーンのミスマッチさが面白い作品である。
20.『スペースコブラ』(トムスエンタテインメント)
<あらすじ>ジョンソンはコブラの記憶を取り戻し、鋼鉄の体を持った相棒のアーマロイド・レディと再び冒険に出る。惑星ダグザードの酒場で出会った「早打ち」として知られる賞金稼ぎのジェーンと出会う。彼女は自分よりも銃弾を打ち込んだ男のことが気になり追跡した結果、顔を変えてわからなくなっていたコブラ本人であると知る。
その時、海賊ギルドに襲われてしまう。彼女の背中が露になると、そこには財宝の在り処を示した刺青が入れてあった。コブラはジェーンを間一髪で助け、彼女とほかに刺青の入った2人の姉妹についての秘密に巻き込まれていく。
<考察>トムスエンタテインメントが制作した『COBRA』のテレビアニメ。放送期間の都合上、最後の敵が変更されていたり、その結果途中で現れる強敵「クリスタル・ボーイ」が死んだことになっているなどはあるが、基本的には原作に沿っている。しかし、コブラの声優である野沢那智は原作とは異なっている大きな部分と言っていいだろう。彼はブルース・ウィリスやアラン・ドロンといった洋画の俳優の吹き替えを務めていた。高く評価されているが、それには多くのアドリブがあったことが知られている。
本作においてアドリブがあったかどうかについては定かではないが、原作のコブラよりも圧倒的に台詞の数が多い。ただコブラは上記の俳優たちとは異なり、三枚目であるためそのしゃべりがマッチしているように感じる。本作のコブラは原作よりもハードボイルドさは薄れてはいるが、軽口やギャグに強い。
20.『ToHeart マルチ、がんばりますっ!』(伊達将範)
<あらすじ>藤田浩之は今日も、あかりに起こされて登校。いつもと変わらない毎日が待っていると思っていた。だが今日そこには段ボールを危なっかしく運ぶ転校生の姿が。彼女はHMX-12マルチ。大企業来栖川重工の製作したロボットであり、試験的に本校に導入されたのだという。最初は気にも留めなかった浩之だったが、マルチが何でも人のために頑張ってしまうロボットであることを良いことにクラスメイト達は自分の仕事を押しつけるようになったことに憤りを感じる。
マルチを見守りながら過ごす、浩之とそのマルチは学校の授業の一環としてボランティアへ行くことになる。
<考察> 『To Heart(空白の有無についてはバージョン違い)』のヒロインの一人であるHMX-12マルチに焦点を当てて書かれたノベライズ作品。本作以外に原作を題材にしたノベライズはなく、一ヒロインに過ぎないマルチの人気がうかがえる。ストーリーは、奉仕精神の高い彼女に合わせてボランティアへ行くことになる。自己学習型の彼女がミスを重ねながらも健気に活動しているため舞台設定としてもマルチの魅力を引き出すことに成功していると感じた。
夏休み課題 16~20
16.『SMガールズ セイバーマリオネットR』(アニメーション制作:アニメイトフィルム、ゼロ・ジー・ルーム)
〈あらすじ〉「乙女回路」とは、この国の人工物・マリオネットたちに心をもたらす特別なパーツ。この国のマリオネットは人間を超越した戦闘力を持ち回路を持たない者たちは人間の従者として暮らしている。
そんなロマーナでクーデターが起きた。回路を開発したスターフェイスが自らのマリオネットたちを操り、ヴァレイへ攻撃を仕掛けたのだ。その危機に立ち向かったのが、ヴァレイの息子であるジュニアと、生まれたばかりで優秀なものの感情の制御ができないマリオネット・ライム。一行の旅が始まる。
〈考察〉本作はセイバーマリオネットシリーズの原点となるOVAである。物語世界では感情の源である乙女回路を制御することによって他のマリオネットを超越した圧倒的な力を持つことができる。しかし、その乙女回路を敵役であるフェイスが開発したことで物語は複雑に絡み合っていく。
フェイスが悪人に見えるかもしれないが、本作は単純な善悪二元論では語ることができない。ヴァレイはロマーナ王のクローンであり、またフェイスも同じくクローンである。ジュニアだけはヴァレイの息子である。そのためにフェイスにはクローンではないジュニアに対する劣等感がある。そしてラストにはフェイスは自ら奈落へと身を投げてしまう。
マリオネットたちのキャラクターデザインは非常に愛嬌があるものになっているのだが、そのストーリーはシリアスで残酷、少女たちは過酷な戦闘を繰り広げる。そのギャップが魅力となっているだろう。
17.『セイバーマリオネットJ』(アニメーション制作:JUNIO)
<あらすじ>フェイスとの戦いから時がたち、ジュニアの搭乗したメソポタミア号の不時着からさらに300年が経った。男性のみが住むこの世界はその出生率の低下と、力による支配のために衰退の一途をたどっていてた。その一国、ジャポネスに暮らす間宮小樽は偶然に国の歴史資料館にたどり着く。その奥で彼はマリオネット・ライムを起動させてしまう。
ライムは超人的な力を有しているが人に従順な他のマリオネットとは異なり、彼女自身が心を持っている。
時を同じくして軍事国家であるガルトラント軍の進撃が疑われた。近づく国家間戦争、ライムたちの運命は。
<考察>本シリーズを一躍有名にした代表作。キャラクターデザインはことぶきつかさ氏に変更されており、本作に合わせてアレンジされたライム、チェリー、ブラッドベリーを観ることができる。またあかほりさとる、ねぎしひろしの両者が制作に関わっておらず本作は前作を「原作」として捉え制作されたものである。
物語もギャグ調に変更されており、舞台はジャポネスという日本の江戸時代をモチーフにしたものであり、そこに西洋建築とマリオネットの要素が追加されている。ライムの服装も着物、下駄、鈴をつけたかんざしなどを現代風にアレンジしたものとなっている。またエンディングの「I’ll be there」映像においても切り絵が使用されている。
前作『SMガールズ セイバーマリオネットR』と本作におけるマリオネットの扱われ方の違いについて。前作では、戦えるマリオネットは英雄視されていた。だが戦えないマリオネットは召し使い。しかし今作では戦闘用かは関係なくマリオネット自体がジャポネスにおいて格下の身分であり、蔑視の対象であったことがうかがえる。ただライムの性格、人助けなどの善行、小樽との深い信頼関係などがそれをひっくり返してしまう。
18.『サメと生きる七日間』(CUBE)
<あらすじ>主人公・深海恭平は海に溺れ、サメに喰われた。はずだった。浅瀬で目を覚ますと、名前とサメ映画の記憶しか残っていない。それに頭に何かがかぶりついている。それを引き離すと、びしょ濡れの女の子が。どことなくサメな雰囲気の彼女は「くう」としか発さない。
警官、通称・船堀お姉さんの尋問の後、幼馴染の麗水が迎えに来るとなぜか、サメの少女と一緒に家に帰ることに。彼女の保護を頼まれる2人。
ここは「鮫島」という。島では蛸が神として祀られており「野蛸」と呼ばれるタコが道を闊歩している。記憶喪失の恭平が島に慣れつつあったある日、サメに島民が喰われた。動揺を隠せない恭平だが、周りは誰も気に留めはしない。麗水も、クラスメイトの眠深(ねむりぶか)真瑠璃、吉切遠花(よしきりとおか)も。主人公は明らかにこの島の異常性を感じた。その時偶然に観光客である天竺天音と出会い、意気投合。2人は常軌を逸した島の「蛸神信仰」を探ることに。
<考察>鮫島の価値観は現実とはかけ離れている。サメに食べられても平然と過ごす島民たち。しかしそこに真瑠璃が「悲しむことはできない」と自らの意見を吐露することでこれはリアルに近づいてくる。この島のキャラクターはサメの捕食について、真瑠璃以外は誰も自分なりの考えを意見として発言することはない。人間らしさがその部分においては欠如している。
本作は所謂「伝奇」ジャンルに分類されるようだ。サブカルチャーにおいて人気のサメ映画の追随者でありながら、本土から隔絶された島を舞台に土着信仰をテーマにした作品である。「伝奇」は、ノベル形式が主流になったあとの美少女ゲームにおいて非常に人気のジャンルとして長年制作され続けている。
19.『COBRA』(寺沢武一)
<あらすじ>ここは文明の発達した未来。平凡な太陽系人のジョンソンは壊れかけのロボットと暮らしている一介のサラリーマン。彼はようやく支給されたボーナスを握りしめ、見たい夢を観させてくれる娯楽であるトリップ・ムービーを見に行くことに。そこで彼が見たものは男前が相棒と宇宙を駆け巡りる波乱万丈の、海賊・コブラの夢だった。しかしそんな夢はインプットされていない。今の自分とは全く違うハードボイルドを楽しんだジョンソンには、そんな不具合は関係なかった。
しかしその帰り、ムービーで登場した敵とそっくりの悪人が。撃たれそうになったその時、自然と左手を外し、そこからは巨大な銃が。そう、彼こそが3年前に姿をくらました海賊・コブラだったのだ。コブラはアーマロイド・レディと再び旅に出発する。
<考察>本作は故・寺沢武一先生が連載していた未完の作品。本作には作者の興味関心が色濃く表れており、アメコミから影響を受けたテイストが散見される。その例として、国内のSF主人公としては珍しく軽口が多いことが挙げられるだろう。日曜だというのにロボットに会社に行けと起こされた際には「今日は日曜だぜ 神さまだってまだ ねてるさ」と反論している。またジョンソンとして姿を消す前に整形しており、もともとの二枚目の顔とは似ても似つかない三枚目になってしまっている。それでもその能力は衰えを知らず、性格や顔とハードボイルドなシーンのミスマッチさが面白い作品である。
20.『スペースコブラ』(トムスエンタテインメント)
<あらすじ>ジョンソンはコブラの記憶を取り戻し、鋼鉄の体を持った相棒のアーマロイド・レディと再び冒険に出る。惑星ダグザードの酒場で出会った「早打ち」として知られる賞金稼ぎのジェーンと出会う。彼女は自分よりも銃弾を打ち込んだ男のことが気になり追跡した結果、顔を変えてわからなくなっていたコブラ本人であると知る。
その時、海賊ギルドに襲われてしまう。彼女の背中が露になると、そこには財宝の在り処を示した刺青が入れてあった。コブラはジェーンを間一髪で助け、彼女とほかに刺青の入った2人の姉妹についての秘密に巻き込まれていく。
<考察>トムスエンタテインメントが制作した『COBRA』のテレビアニメ。放送期間の都合上、最後の敵が変更されていたり、その結果途中で現れる強敵「クリスタル・ボーイ」が死んだことになっているなどはあるが、基本的には原作に沿っている。しかし、コブラの声優である野沢那智は原作とは異なっている大きな部分と言っていいだろう。彼はブルース・ウィリスやアラン・ドロンといった洋画の俳優の吹き替えを務めていた。高く評価されているが、それには多くのアドリブがあったことが知られている。
本作においてアドリブがあったかどうかについては定かではないが、原作のコブラよりも圧倒的に台詞の数が多い。ただコブラは上記の俳優たちとは異なり、三枚目であるためそのしゃべりがマッチしているように感じる。本作のコブラは原作よりもハードボイルドさは薄れてはいるが、軽口やギャグに強い。
20.『ToHeart マルチ、がんばりますっ!』(伊達将範)
<あらすじ>藤田浩之は今日も、あかりに起こされて登校。いつもと変わらない毎日が待っていると思っていた。だが今日そこには段ボールを危なっかしく運ぶ転校生の姿が。彼女はHMX-12マルチ。大企業来栖川重工の製作したロボットであり、試験的に本校に導入されたのだという。最初は気にも留めなかった浩之だったが、マルチが何でも人のために頑張ってしまうロボットであることを良いことにクラスメイト達は自分の仕事を押しつけるようになったことに憤りを感じる。
マルチを見守りながら過ごす、浩之とそのマルチは学校の授業の一環としてボランティアへ行くことになる。
<考察> 『To Heart(空白の有無についてはバージョン違い)』のヒロインの一人であるHMX-12マルチに焦点を当てて書かれたノベライズ作品。本作以外に原作を題材にしたノベライズはなく、一ヒロインに過ぎないマルチの人気がうかがえる。ストーリーは、奉仕精神の高い彼女に合わせてボランティアへ行くことになる。自己学習型の彼女がミスを重ねながらも健気に活動しているため舞台設定としてもマルチの魅力を引き出すことに成功していると感じた。