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山中 拓実
RES
3年 山中
夏休み課題 22~30
22.『月姫(再販版)』(TYPE-MOON)
<あらすじ>夏も終わりの日、志貴は病院で目を覚ました。事故に遭い、奇跡的に助かったのだという。しかし志貴は腑に落ちない。彼の視界にはラクガキのような線が幾つも入っていた。その線は、どんな物でも切れてしまうガイドラインであることを志貴は直に自覚することになる。病室を飛び出した志貴は「先生」に会い、彼女から線が見えなくなるメガネをもらう。先生は「君の目は、『モノ』の命を軽くしすぎてしまう、そのために線をいたずらに切ってはいけない。」と忠告した。
高校生になった志貴は、8年ぶりに実家の屋敷に帰ることに。数日後志貴は金の髪と赤い瞳、白い服装の美しい彼女を見たときに衝動にかられ、手にかけてしまう。自分の意志によって行ったものではなく、自分が恐ろしくなった志貴だった。しかし翌朝、葬ったはずの彼女がガードレールに座っていた。彼女は何者なのか、志貴の衝動の原因は。
<考察>本作は2000年に開催されたコミックマーケット59にて頒布された(手に入れられたのは再販版)。後にFateシリーズを手がけるTYPE-MOONが同人サークル時代に制作したものである。
本作は『雫』や『痕』といったLeafのビジュアルノベルに影響を受けているという。比較したい。まず背景CG。志貴が8年間暮らしていた有間の屋敷。これには実写の写真が青みがかったものが表示されている。また学校の校舎などのCGも同様である。主人公の心理描写について。本作は『痕』よりも、変貌と罪を犯すまでが非常に早くなっている。『痕』では日常シーンや物語に間接的に関係してくる長女と警察の掛け合いなどがそれまでに盛り込まれていた。比較すると本作は、比較的心理描写が長く詳細に描かれている。このことから私は、より物語に引き込まれやすいと感じた。
本作では「1/反転衝動Ⅰ」のように、サブタイトルがつけられている。これによって、物語に区切りがつけられていると感じた。通常の作品では日付を更新することで、区切りをつける。本作も日付が変わる際に、サブタイトルも変更される。この形式は後に制作されるKeyの『CLANNAD』にも採用されているが、こちらは日付には関係なくサブタイトルがつけられる。これらのことから本作の形式はその過渡期のものであると感じた。
アルクェイドとのディスコミュニケーション。彼女は人間と同じ見た目をしており、笑顔や怒った顔など表情がコロコロ変わるため非常に人間味があり、魅力的なキャラクターである。しかし彼女も吸血鬼であるため、人間の志貴とはその価値観や感覚が大きく異なっている。それが見た目と中身の二面性を生んでおり、彼女が確かに「人外」であることを度々認識させる。それは志貴もとい、プレイヤーの持つアルクェイドへの恐怖であり、また魅力にもなっている。
2.5次元世界。実写背景にキャラクターのレイヤーが重ねられる。これはイラストの背景にキャラクターの配置される完全なる2次元世界とは異なるのではないか。と考えた。
アルクェイドとシエルへの志貴が示した反応の違い。アルクェイドが吸血種だということには受け入れることができたが、シエルを受け入れることはできなかった。これには、重ねてきた時間の違いがあると感じた。2人と出会ってからの日数は変わらないが、アルクェイドは当初から蘇ることで人を超えた力を志貴に見せていた。しかしシエルは人間と同じように振る舞い、どこか変わっていながらも人として、それ以上の行いは見せなかった。つまり志貴が人として認識していた時間が圧倒的にシエルのほうが長いのだ。そのためにこれまで人間として見ていた彼女が突然に人を外れた瞬間に志貴はそれを現実のものとして受け入れることができなかったのだろう。
表記ゆれ。「おまえ」「お前」「オマエ」と本作で主人公の志貴が誰かを呼ぶとき、ひらがな・漢字・片仮名と表記ゆれがある。これはミスによるものではなかった。前者の二つはおそらくニュアンスによる違いであろう。しかし「オマエ」は蛇が使用するものであり、徐々に志貴の中の蛇が実体化をはじめ、志貴を蝕んでいたことがわかる。
23.『遥かなるニライカナイ』(Navel)
<あらすじ>ここは沖縄。海釣りをしていた月代一渡(イチト)はこの早朝には珍しく人影を見た。一渡は彼女の何気なく横顔を何気なく見たとき、息を飲んだ。「……なんて、綺麗な子だ」
そして不思議なことに、彼女の周りには青い蝶が舞っていた。
彼女は神や精霊、そして死後の人間が居るとされるニライカナイの伝説がある「綿津見島(ワタツミジマ)」を見ていた。その後、キッチンカーでばったり会うと、彼女は本土から来ており「会いたい人」がいるからニライカナイに行きたいのだという。
伝説は本当なのか、彼女は行くことができるのか。
<考察>現実の県を舞台にした作品。ポッテカスー(沖縄語でバカ)、マーサン(おいしい)など、舞台を活かしたシナリオが組まれている。アンダンスー、豚肉の油と味噌を合わせた沖縄のなめ味噌のこと。
冒頭、海咲が登場する場面で青い蝶が舞っている意味について。青い蝶は幸運を運ぶとされていたり、神の使いであるとされている。そのため、2人の出会いとニライカナイとの邂逅を暗示していると考えた。
24.『天使☆騒々 Re:BOOT!』(ゆずソフト)
<あらすじ>李空は夢の中で焼き尽くされた。4月からひと月以上続くので、気にはしていたが放置していた。しかしある日、李空の体に異常が起きた。
ゲーマー、自尊心高めの妹・天音に相談するも心配してくれるが対処法は見つからない。そのうち、天音も体調を崩してしまう。2人で学園から帰ると、天音がこちらにふらりと来たと思ったその時、激痛が走った。彼女は李空の首に噛き、血を飲んでいる。気がつくと、李空も天音も様子がおかしい。禍々しい恰好だけではない、種族ごと違う。
困惑する2人のもとに、白い羽根を持った天使が舞い降りた。世界の安寧を守ることが使命と話す彼女は2人に「前世返り」が起きたのだと説明する。これ以上暴走してしまうと世界が危険だとも。李空たちは魔力を抑えることができるのか、ぐーたら天使の行く末は。
<考察>本作のテキスト、画面の使い方が非常に上手。急にチャットを模したレイヤーが背景前に表示されれば、そこにテキストやCGが流れていく。これは通常の操作であるクリックやスクロールで下へとページがおりていく。トークアプリ「LINE」を模したような画面であり、演出が細かく光る作品である。これはアスペクト比の変化に適応した稀有な例と言えるだろう。
かつてはスクエアと言われた4:3のサイズで制作していたが、2000年代後半には16:9で制作されるようになっていった。前者は図らずともヒロインの立ち絵を中心に大きく映し、その他の背景はあまり見せないスタイルが得意であり、没入感を向上させていたように思える。後者は画面が広くなったことで、ノベルゲーム以外では様々なボタンや要素を置くことができるようになった。しかしそもそも置くべきものの少ないゲームジャンルであるADVでは、もっぱらヒロインの占める割合が小さくなり、背景が増えるのみであった。それを枕やNavelといったブランドがハイクオリティのCGを画面いっぱいに映す程度。しかし本作では先述の演出によって新たな画面の使い方を生み出していると感じた。
25.『Keyの軌跡』(坂上秋成・監修:Key)
<あらすじ>「泣き」を創り上げたビジュアルアーツの美少女ゲームブランド・Key。
その功績を当初の構成員であるシナリオライター・音楽家の麻枝准、原画家の樋上いたる、シナリオライターの久弥直樹、音楽担当の折戸伸治、グラフィッカーのしのり~、みらくる☆みきぽんが実質的な前進であるTactics時代に在籍していた時代から京都アニメーションによるアニメ化やオリジナルアニメまで取り上げた意欲作。
<考察>本作はこれまでのKeyの功績や作品、メディアミックス展開を列挙し、考察を加えた書籍である。著者の坂上は本作のほかにも月姫やFateシリーズを取り上げた『TYPE-MOONの軌跡』を書いている。本作の考察は、ゲーム作品においては非常にわかりやすく的を射ているように感じる。『AIR』のエンディングについてや、『Kanon』の奇跡についてなど実際にプレイしても気がつかなかったような考察が記載されている。
しかしアニメ化の部分においてはそのほとんどすべてが京都アニメーションによるもののみを取り上げており、東映アニメーションの制作した『Kanon』、『劇場版AIR』、『CLANNAD』への言及はないに等しい。特に『Kanon』のアニメ化においてはストーリ構成において東映アニメーションが優れていると言われているが、京都アニメーション版についての困難を述べるのみであり足りないと感じた。
26.『マリア様がみてる』(今野緒雪)
<あらすじ>私立リリアン女学園、ここは乙女たちが清く正しい学園生活の継続を目指す。そのためには「姉妹(スール)」と呼ばれる一定の契約を結んだ上級生と下級生において生活指導が行われる制度がある。未だ姉がいなかった一年生・福沢祐巳はある日、あこがれの「紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アンブゥトン)」の地位につく小笠原祥子様から姉妹宣言をされる。
妹のいないことを指摘された祥子は売り言葉に買い言葉でたまたま出会った祐巳を選んだのだった。祐巳は祥子のいい加減な申し出を受け入れるのか、2人の関係は。
<考察>アニメ化や漫画化、映画化など幅広い展開がなされたライトノベル作品。身分違いの恋愛という部分では多くあるような気はするが、生徒会のような3つの組織が学園には存在しており彼女らとの付かず離れずの関係が本作に作用している。祐巳・祥子の在籍する「紅薔薇」、敬虔なクリスチャンの藤堂志摩子の「白薔薇(ロサ・ギガンティア)」、幼馴染の島津由乃と支倉令の「黄薔薇(ロサ・フェティダ)」である。
この3組織は由緒あるものだが、それぞれ前代未聞といえる問題を引き起こしてしまう。その最悪の結果として「姉妹」の解消が見え隠れするため、想像以上にシリアスな仕上がりになっている。
27.『Kanon~雪の少女~』(清水マリコ)
<あらすじ>雪の降る駅前、祐一は2時間待っていた。すでに待ちくたびれていたところに、少女が自分の顔を覗いていた。彼女は「……あれ? いま、何時?」と。能天気にしているが、祐一に聞く。
「わたしの名前、まだ覚えてる?」祐一は仕返しとばかりにはぐらかす。「わたしの名前……」彼女は聞き直す。7年ぶりの街。7年ぶりの雪。7年ぶりに出会った少女。
「行くぞ、名雪」2人の奇跡の物語が始まった。
<考察>Keyによる美少女ゲーム作品『Kanon』の水瀬名雪ルートをライトノベル化した作品。ライトノベルには往々にして挿絵があるが、本作の挿絵は基本的にイベントCGが印刷されている。それに付加して立ち絵を利用した独自のCGがある。これには「あゆ」との再会場面や、名雪の少女時代など本作において重要で印象付けられるものが採用されている。
また原作には1日の始まりに主人公が夢として思い出すシナリオがあり、それは画面の切り替えによって分けられている。しかし小説作品においてそれは不可能である。そのため本作では、大胆にページを変えてしまうことで実現している。このように、選択肢のある美少女ゲームにおいてそれぞれのエンディングに合わせた書籍が分けて出版されることはまれであるが、最も理想的だろう。
28.『Kanon~日溜まりの街~』(清水マリコ)
<あらすじ>夢。夢を見ている。毎日見る夢。終わりのない夢。祐一は浮かんではすぐ消えて行ってしまうような、とりとめのない夢を見ていた。転がり込んでいる水瀬家の娘・名雪に商店街を案内してもらっている途中、手に紙袋を持ち羽根を背中に持った少女に追突されてしまう。羽根の存在を自覚していなかった彼女は月宮あゆ。「祐一」の名前を聞いた彼女は一瞬、不思議な顔をしていた。それから度々商店街で会う2人。
ある日、あゆは探し物をしていると話した。どこにあるのかも、なんであったのかもわからないという。見つかるはずのない探し物。祐一は呆れながらも一緒に探す。祐一はあゆを追いかけ、森へ。彼女の正体が、祐一の過去が明らかになる。
<考察>本シリーズの形式として、最初の挿絵には必ずピックアップするヒロインの初登場シーンが描かれている。名雪P.11、あゆP.23、栞P.13、真琴P.13、舞P.7と序盤に載せられている。そして最終ページはP.220、P.238、P.223、P.221、P.237となっている。原作ではまず名雪に出会い、真琴や舞は中盤で出会い、そこから名雪や栞との会話は少なくなる。文量が全く違うため、本作ではオリジナルの要素で補完されている。
本作においては心情描写が増やされている。まず原作であゆが祐一の名前を聞くと
あゆ「…祐一…君?」祐一「どうした?」あゆ「…ううん、何でもないよっ」
泣き笑いのような複雑な表情。それでもすぐにもとの元気な笑顔に戻る。
確かにこの間にあゆの表情は2度変わるが、彼女の真意がわかるとは言い難い。
次に本作では
「……祐一……君?」
名前を聞いて、あゆは大きな目をさらに大きく見開いた。
「どうした?」
心なしか、あゆの目が潤んでいるように見える。まっすぐな視線が、祐一に何かを期待しているようにも感じられる。
「もしかして、前にこの街で会ってるのかな……」(ここで記憶喪失について話す)
「そっか」
あゆは泣き笑いのような表情を浮かべたが、それ以上、何も言わなかった。祐一はあゆを横目で見た。このように本作では、あゆが祐一に気がついて欲しいことを記述している。そして原作よりもがっかりしていることも読み取れるだろう。
29.『Kanon~少女の檻~』(清水マリコ)
<あらすじ>生徒たちは仲間を作り出したころ、川澄舞はひとりぼっちだった。しかし寂しい少女なのではない。彼女には「魔物を討つ」という使命があったからだ。常に緊張感を持っている彼女に、毎日あいさつをしてくれ、話しかけてくれる人がいた。彼女は倉田佐祐理。
毎夜学校で戦う彼女だったが、それをノートを取りに忍び込んだ祐一に見つかってしまう。その日から2人で魔物と対峙する日々が始まり、徐々に舞は真実に気付き始める。
<考察>本シリーズのサブタイトルにはそれぞれ原作でヒロインのテーマソングにつけられたタイトルがあてられている。本作の「日溜まりの街」は月宮あゆと出会った場所であり、別れる場所でもある。また「雪の少女」は水瀬名雪と出会う場所であり、ともに学園へ通う通学路を表しているだろう。さらに「少女の檻」はそれまでとは変わり、川澄舞が見えない敵と戦うようになってしまった理由が表されている。それぞれのヒロインを説明するもっとも簡潔な文章だろう。
川澄舞のような後半から祐一と出会うヒロインになるとまず、ヒロインの視点で描かれる場面から始まる。これによって文章量を確保し、祐一の見えていなかった部分が彼女から語られるようになっている。
30.『Kanon~the fox and the grapes~』(清水マリコ)
<あらすじ>彼女はおなかが空いていた。それに心が痛い。その痛みを感じたのは7年前に一人の人間から心、人と人の恋を、ぬくもりを知った後だった。彼はその両方を植え付けた。
ある日、祐一は水瀬家と買い物に商店街へ行くと、誰かにつけられていた。「やっと見つけた」と声を出した少女は敵意むき出しに襲ってきた。途中、空腹により少女は崩れ落ちた。彼女の身元がわからないので、水瀬家は一旦家で保護することに。少女は自分を「沢渡真琴」と言った。
彼女の正体は、襲われた祐一との関係は。
<考察>「the fox and the grapes」はイソップ寓話『すっぱい葡萄』の日本語訳である。この童話は心理学において「認知的不協和」で説明される。玉川大学によると「心理学において、このような現象は「認知的不協和」という概念で説明されてきました。自分の過去の行動と自分の好みが一貫していない場合に、「認知的不協和」という不快な感情状態が引き起こされ、それを低減するために自分の好みを変化させると考えられています(図1)。」と説明されている。
本作の真琴において認知的不協和は適応されているのか、について考えたい。まず「過去の行動」について。これは祐一がかつて怪我をしていた狐(後の真琴)を介抱し、治るまで面倒を見ていた。しかし人間の優しさに触れてしまった狐はその後、野生の生活に戻ることができなかった。これについては明記されていないが、天野美汐の発言から推測される。そのために祐一に恨みを持っているため、彼に攻撃的な態度を示した。
「自分の好み」については、記憶喪失の少女として彼女は人間である水瀬家に受け入れられた。そのやさしさと、徐々に衰弱していく自分を介抱し続ける祐一の優しさによって人間を受け入れ、祐一に恋をした。
「自分の好みを変化させることによる認知的不協和の低減」について。結果的に彼女は祐一と結婚したいとねだり、自分が消えてなくなってしまう前に2人きりの結婚式を挙げる。このように祐一を愛することによって認知的不協和を低減したと考えられるのではないか。
玉川大学「すっぱいブドウ」は本当か?認知的不協和の脳活動を記録 -米国科学雑誌に論文を発表-https://www.tamagawa.jp/research/brain/news/detail_4906.html
夏休み課題 22~30
22.『月姫(再販版)』(TYPE-MOON)
<あらすじ>夏も終わりの日、志貴は病院で目を覚ました。事故に遭い、奇跡的に助かったのだという。しかし志貴は腑に落ちない。彼の視界にはラクガキのような線が幾つも入っていた。その線は、どんな物でも切れてしまうガイドラインであることを志貴は直に自覚することになる。病室を飛び出した志貴は「先生」に会い、彼女から線が見えなくなるメガネをもらう。先生は「君の目は、『モノ』の命を軽くしすぎてしまう、そのために線をいたずらに切ってはいけない。」と忠告した。
高校生になった志貴は、8年ぶりに実家の屋敷に帰ることに。数日後志貴は金の髪と赤い瞳、白い服装の美しい彼女を見たときに衝動にかられ、手にかけてしまう。自分の意志によって行ったものではなく、自分が恐ろしくなった志貴だった。しかし翌朝、葬ったはずの彼女がガードレールに座っていた。彼女は何者なのか、志貴の衝動の原因は。
<考察>本作は2000年に開催されたコミックマーケット59にて頒布された(手に入れられたのは再販版)。後にFateシリーズを手がけるTYPE-MOONが同人サークル時代に制作したものである。
本作は『雫』や『痕』といったLeafのビジュアルノベルに影響を受けているという。比較したい。まず背景CG。志貴が8年間暮らしていた有間の屋敷。これには実写の写真が青みがかったものが表示されている。また学校の校舎などのCGも同様である。主人公の心理描写について。本作は『痕』よりも、変貌と罪を犯すまでが非常に早くなっている。『痕』では日常シーンや物語に間接的に関係してくる長女と警察の掛け合いなどがそれまでに盛り込まれていた。比較すると本作は、比較的心理描写が長く詳細に描かれている。このことから私は、より物語に引き込まれやすいと感じた。
本作では「1/反転衝動Ⅰ」のように、サブタイトルがつけられている。これによって、物語に区切りがつけられていると感じた。通常の作品では日付を更新することで、区切りをつける。本作も日付が変わる際に、サブタイトルも変更される。この形式は後に制作されるKeyの『CLANNAD』にも採用されているが、こちらは日付には関係なくサブタイトルがつけられる。これらのことから本作の形式はその過渡期のものであると感じた。
アルクェイドとのディスコミュニケーション。彼女は人間と同じ見た目をしており、笑顔や怒った顔など表情がコロコロ変わるため非常に人間味があり、魅力的なキャラクターである。しかし彼女も吸血鬼であるため、人間の志貴とはその価値観や感覚が大きく異なっている。それが見た目と中身の二面性を生んでおり、彼女が確かに「人外」であることを度々認識させる。それは志貴もとい、プレイヤーの持つアルクェイドへの恐怖であり、また魅力にもなっている。
2.5次元世界。実写背景にキャラクターのレイヤーが重ねられる。これはイラストの背景にキャラクターの配置される完全なる2次元世界とは異なるのではないか。と考えた。
アルクェイドとシエルへの志貴が示した反応の違い。アルクェイドが吸血種だということには受け入れることができたが、シエルを受け入れることはできなかった。これには、重ねてきた時間の違いがあると感じた。2人と出会ってからの日数は変わらないが、アルクェイドは当初から蘇ることで人を超えた力を志貴に見せていた。しかしシエルは人間と同じように振る舞い、どこか変わっていながらも人として、それ以上の行いは見せなかった。つまり志貴が人として認識していた時間が圧倒的にシエルのほうが長いのだ。そのためにこれまで人間として見ていた彼女が突然に人を外れた瞬間に志貴はそれを現実のものとして受け入れることができなかったのだろう。
表記ゆれ。「おまえ」「お前」「オマエ」と本作で主人公の志貴が誰かを呼ぶとき、ひらがな・漢字・片仮名と表記ゆれがある。これはミスによるものではなかった。前者の二つはおそらくニュアンスによる違いであろう。しかし「オマエ」は蛇が使用するものであり、徐々に志貴の中の蛇が実体化をはじめ、志貴を蝕んでいたことがわかる。
23.『遥かなるニライカナイ』(Navel)
<あらすじ>ここは沖縄。海釣りをしていた月代一渡(イチト)はこの早朝には珍しく人影を見た。一渡は彼女の何気なく横顔を何気なく見たとき、息を飲んだ。「……なんて、綺麗な子だ」
そして不思議なことに、彼女の周りには青い蝶が舞っていた。
彼女は神や精霊、そして死後の人間が居るとされるニライカナイの伝説がある「綿津見島(ワタツミジマ)」を見ていた。その後、キッチンカーでばったり会うと、彼女は本土から来ており「会いたい人」がいるからニライカナイに行きたいのだという。
伝説は本当なのか、彼女は行くことができるのか。
<考察>現実の県を舞台にした作品。ポッテカスー(沖縄語でバカ)、マーサン(おいしい)など、舞台を活かしたシナリオが組まれている。アンダンスー、豚肉の油と味噌を合わせた沖縄のなめ味噌のこと。
冒頭、海咲が登場する場面で青い蝶が舞っている意味について。青い蝶は幸運を運ぶとされていたり、神の使いであるとされている。そのため、2人の出会いとニライカナイとの邂逅を暗示していると考えた。
24.『天使☆騒々 Re:BOOT!』(ゆずソフト)
<あらすじ>李空は夢の中で焼き尽くされた。4月からひと月以上続くので、気にはしていたが放置していた。しかしある日、李空の体に異常が起きた。
ゲーマー、自尊心高めの妹・天音に相談するも心配してくれるが対処法は見つからない。そのうち、天音も体調を崩してしまう。2人で学園から帰ると、天音がこちらにふらりと来たと思ったその時、激痛が走った。彼女は李空の首に噛き、血を飲んでいる。気がつくと、李空も天音も様子がおかしい。禍々しい恰好だけではない、種族ごと違う。
困惑する2人のもとに、白い羽根を持った天使が舞い降りた。世界の安寧を守ることが使命と話す彼女は2人に「前世返り」が起きたのだと説明する。これ以上暴走してしまうと世界が危険だとも。李空たちは魔力を抑えることができるのか、ぐーたら天使の行く末は。
<考察>本作のテキスト、画面の使い方が非常に上手。急にチャットを模したレイヤーが背景前に表示されれば、そこにテキストやCGが流れていく。これは通常の操作であるクリックやスクロールで下へとページがおりていく。トークアプリ「LINE」を模したような画面であり、演出が細かく光る作品である。これはアスペクト比の変化に適応した稀有な例と言えるだろう。
かつてはスクエアと言われた4:3のサイズで制作していたが、2000年代後半には16:9で制作されるようになっていった。前者は図らずともヒロインの立ち絵を中心に大きく映し、その他の背景はあまり見せないスタイルが得意であり、没入感を向上させていたように思える。後者は画面が広くなったことで、ノベルゲーム以外では様々なボタンや要素を置くことができるようになった。しかしそもそも置くべきものの少ないゲームジャンルであるADVでは、もっぱらヒロインの占める割合が小さくなり、背景が増えるのみであった。それを枕やNavelといったブランドがハイクオリティのCGを画面いっぱいに映す程度。しかし本作では先述の演出によって新たな画面の使い方を生み出していると感じた。
25.『Keyの軌跡』(坂上秋成・監修:Key)
<あらすじ>「泣き」を創り上げたビジュアルアーツの美少女ゲームブランド・Key。
その功績を当初の構成員であるシナリオライター・音楽家の麻枝准、原画家の樋上いたる、シナリオライターの久弥直樹、音楽担当の折戸伸治、グラフィッカーのしのり~、みらくる☆みきぽんが実質的な前進であるTactics時代に在籍していた時代から京都アニメーションによるアニメ化やオリジナルアニメまで取り上げた意欲作。
<考察>本作はこれまでのKeyの功績や作品、メディアミックス展開を列挙し、考察を加えた書籍である。著者の坂上は本作のほかにも月姫やFateシリーズを取り上げた『TYPE-MOONの軌跡』を書いている。本作の考察は、ゲーム作品においては非常にわかりやすく的を射ているように感じる。『AIR』のエンディングについてや、『Kanon』の奇跡についてなど実際にプレイしても気がつかなかったような考察が記載されている。
しかしアニメ化の部分においてはそのほとんどすべてが京都アニメーションによるもののみを取り上げており、東映アニメーションの制作した『Kanon』、『劇場版AIR』、『CLANNAD』への言及はないに等しい。特に『Kanon』のアニメ化においてはストーリ構成において東映アニメーションが優れていると言われているが、京都アニメーション版についての困難を述べるのみであり足りないと感じた。
26.『マリア様がみてる』(今野緒雪)
<あらすじ>私立リリアン女学園、ここは乙女たちが清く正しい学園生活の継続を目指す。そのためには「姉妹(スール)」と呼ばれる一定の契約を結んだ上級生と下級生において生活指導が行われる制度がある。未だ姉がいなかった一年生・福沢祐巳はある日、あこがれの「紅薔薇のつぼみ(ロサ・キネンシス・アンブゥトン)」の地位につく小笠原祥子様から姉妹宣言をされる。
妹のいないことを指摘された祥子は売り言葉に買い言葉でたまたま出会った祐巳を選んだのだった。祐巳は祥子のいい加減な申し出を受け入れるのか、2人の関係は。
<考察>アニメ化や漫画化、映画化など幅広い展開がなされたライトノベル作品。身分違いの恋愛という部分では多くあるような気はするが、生徒会のような3つの組織が学園には存在しており彼女らとの付かず離れずの関係が本作に作用している。祐巳・祥子の在籍する「紅薔薇」、敬虔なクリスチャンの藤堂志摩子の「白薔薇(ロサ・ギガンティア)」、幼馴染の島津由乃と支倉令の「黄薔薇(ロサ・フェティダ)」である。
この3組織は由緒あるものだが、それぞれ前代未聞といえる問題を引き起こしてしまう。その最悪の結果として「姉妹」の解消が見え隠れするため、想像以上にシリアスな仕上がりになっている。
27.『Kanon~雪の少女~』(清水マリコ)
<あらすじ>雪の降る駅前、祐一は2時間待っていた。すでに待ちくたびれていたところに、少女が自分の顔を覗いていた。彼女は「……あれ? いま、何時?」と。能天気にしているが、祐一に聞く。
「わたしの名前、まだ覚えてる?」祐一は仕返しとばかりにはぐらかす。「わたしの名前……」彼女は聞き直す。7年ぶりの街。7年ぶりの雪。7年ぶりに出会った少女。
「行くぞ、名雪」2人の奇跡の物語が始まった。
<考察>Keyによる美少女ゲーム作品『Kanon』の水瀬名雪ルートをライトノベル化した作品。ライトノベルには往々にして挿絵があるが、本作の挿絵は基本的にイベントCGが印刷されている。それに付加して立ち絵を利用した独自のCGがある。これには「あゆ」との再会場面や、名雪の少女時代など本作において重要で印象付けられるものが採用されている。
また原作には1日の始まりに主人公が夢として思い出すシナリオがあり、それは画面の切り替えによって分けられている。しかし小説作品においてそれは不可能である。そのため本作では、大胆にページを変えてしまうことで実現している。このように、選択肢のある美少女ゲームにおいてそれぞれのエンディングに合わせた書籍が分けて出版されることはまれであるが、最も理想的だろう。
28.『Kanon~日溜まりの街~』(清水マリコ)
<あらすじ>夢。夢を見ている。毎日見る夢。終わりのない夢。祐一は浮かんではすぐ消えて行ってしまうような、とりとめのない夢を見ていた。転がり込んでいる水瀬家の娘・名雪に商店街を案内してもらっている途中、手に紙袋を持ち羽根を背中に持った少女に追突されてしまう。羽根の存在を自覚していなかった彼女は月宮あゆ。「祐一」の名前を聞いた彼女は一瞬、不思議な顔をしていた。それから度々商店街で会う2人。
ある日、あゆは探し物をしていると話した。どこにあるのかも、なんであったのかもわからないという。見つかるはずのない探し物。祐一は呆れながらも一緒に探す。祐一はあゆを追いかけ、森へ。彼女の正体が、祐一の過去が明らかになる。
<考察>本シリーズの形式として、最初の挿絵には必ずピックアップするヒロインの初登場シーンが描かれている。名雪P.11、あゆP.23、栞P.13、真琴P.13、舞P.7と序盤に載せられている。そして最終ページはP.220、P.238、P.223、P.221、P.237となっている。原作ではまず名雪に出会い、真琴や舞は中盤で出会い、そこから名雪や栞との会話は少なくなる。文量が全く違うため、本作ではオリジナルの要素で補完されている。
本作においては心情描写が増やされている。まず原作であゆが祐一の名前を聞くと
あゆ「…祐一…君?」祐一「どうした?」あゆ「…ううん、何でもないよっ」
泣き笑いのような複雑な表情。それでもすぐにもとの元気な笑顔に戻る。
確かにこの間にあゆの表情は2度変わるが、彼女の真意がわかるとは言い難い。
次に本作では
「……祐一……君?」
名前を聞いて、あゆは大きな目をさらに大きく見開いた。
「どうした?」
心なしか、あゆの目が潤んでいるように見える。まっすぐな視線が、祐一に何かを期待しているようにも感じられる。
「もしかして、前にこの街で会ってるのかな……」(ここで記憶喪失について話す)
「そっか」
あゆは泣き笑いのような表情を浮かべたが、それ以上、何も言わなかった。祐一はあゆを横目で見た。このように本作では、あゆが祐一に気がついて欲しいことを記述している。そして原作よりもがっかりしていることも読み取れるだろう。
29.『Kanon~少女の檻~』(清水マリコ)
<あらすじ>生徒たちは仲間を作り出したころ、川澄舞はひとりぼっちだった。しかし寂しい少女なのではない。彼女には「魔物を討つ」という使命があったからだ。常に緊張感を持っている彼女に、毎日あいさつをしてくれ、話しかけてくれる人がいた。彼女は倉田佐祐理。
毎夜学校で戦う彼女だったが、それをノートを取りに忍び込んだ祐一に見つかってしまう。その日から2人で魔物と対峙する日々が始まり、徐々に舞は真実に気付き始める。
<考察>本シリーズのサブタイトルにはそれぞれ原作でヒロインのテーマソングにつけられたタイトルがあてられている。本作の「日溜まりの街」は月宮あゆと出会った場所であり、別れる場所でもある。また「雪の少女」は水瀬名雪と出会う場所であり、ともに学園へ通う通学路を表しているだろう。さらに「少女の檻」はそれまでとは変わり、川澄舞が見えない敵と戦うようになってしまった理由が表されている。それぞれのヒロインを説明するもっとも簡潔な文章だろう。
川澄舞のような後半から祐一と出会うヒロインになるとまず、ヒロインの視点で描かれる場面から始まる。これによって文章量を確保し、祐一の見えていなかった部分が彼女から語られるようになっている。
30.『Kanon~the fox and the grapes~』(清水マリコ)
<あらすじ>彼女はおなかが空いていた。それに心が痛い。その痛みを感じたのは7年前に一人の人間から心、人と人の恋を、ぬくもりを知った後だった。彼はその両方を植え付けた。
ある日、祐一は水瀬家と買い物に商店街へ行くと、誰かにつけられていた。「やっと見つけた」と声を出した少女は敵意むき出しに襲ってきた。途中、空腹により少女は崩れ落ちた。彼女の身元がわからないので、水瀬家は一旦家で保護することに。少女は自分を「沢渡真琴」と言った。
彼女の正体は、襲われた祐一との関係は。
<考察>「the fox and the grapes」はイソップ寓話『すっぱい葡萄』の日本語訳である。この童話は心理学において「認知的不協和」で説明される。玉川大学によると「心理学において、このような現象は「認知的不協和」という概念で説明されてきました。自分の過去の行動と自分の好みが一貫していない場合に、「認知的不協和」という不快な感情状態が引き起こされ、それを低減するために自分の好みを変化させると考えられています(図1)。」と説明されている。
本作の真琴において認知的不協和は適応されているのか、について考えたい。まず「過去の行動」について。これは祐一がかつて怪我をしていた狐(後の真琴)を介抱し、治るまで面倒を見ていた。しかし人間の優しさに触れてしまった狐はその後、野生の生活に戻ることができなかった。これについては明記されていないが、天野美汐の発言から推測される。そのために祐一に恨みを持っているため、彼に攻撃的な態度を示した。
「自分の好み」については、記憶喪失の少女として彼女は人間である水瀬家に受け入れられた。そのやさしさと、徐々に衰弱していく自分を介抱し続ける祐一の優しさによって人間を受け入れ、祐一に恋をした。
「自分の好みを変化させることによる認知的不協和の低減」について。結果的に彼女は祐一と結婚したいとねだり、自分が消えてなくなってしまう前に2人きりの結婚式を挙げる。このように祐一を愛することによって認知的不協和を低減したと考えられるのではないか。
玉川大学「すっぱいブドウ」は本当か?認知的不協和の脳活動を記録 -米国科学雑誌に論文を発表-https://www.tamagawa.jp/research/brain/news/detail_4906.html
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