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3年 清水雄大
RES
1.『この素晴らしい世界に祝福を!3』(アニメ)
原作:暁なつめ 監督:安部祐二郎 制作:ドライブ
紅魔の里での魔王軍幹部との戦いを終えてアクセルに帰還したカズマ達。そんな彼らのもとに手紙が届く。その内容は王女アイリスがカズマ達の冒険譚を聞きたいというものであった。アクセルの街を訪れ、カズマ達パーティーとの対面を終えたアイリスはカズマに懐き、王都に連れて行ってしまう。カズマは王城での生活が気に入り、滞在を決めるが王都では義賊が暗躍する事件が起きていた。
7年ぶりの新作アニメということで非常に楽しみにしていた作品。作画がきれいなことが高評価につながるこの時代で作画崩壊としか表現できないほどの顔芸や、変わらないテンポのいい会話、声優さんのアドリブなども多く非常に楽しめた。
今回は貴族や王族という身分に縛られた人にフォーカスした話が多く、政略結婚や王族ならではの外の世界への憧れが描かれている。アイリスの冒険譚を聞きたいというのは外への憧れの典型的な例であり、王女という身分に囚われない年相応の好奇心でもあると考えられる。
また、カズマのキャラクター性も本作における大きなポイントである。自堕落ではあるが、仲間のためなら行動を起こすタイプであるカズマは今回も厄介ごとに首を突っ込んでいく。そんなカズマはかっこいいが、かっこ悪いというキャラクターであり、矛盾する要素を両立させるのは非常に難しいと考える。しかし、仲間を助けに行って逃げる時に窓を割れず激突する、救ったあとに仲間から折檻を受ける等、途中までかっこいいが、最後に締まらないことが多い。しかしながら、かっこ悪すぎるということもなく、この絶妙なバランスがカズマの愛されるキャラクター性に大きく貢献していると考えた。
2.『転生したらスライムだった件 第三期』(アニメ)
原作:伏瀬 監督:中山敦史 制作:エイトビット
魔王クレイマンを倒し、正式に魔王と認められたリムル。魔王たちの宴を終え、支配領域はジュラの大森林全体に広がった。その関係で各種族の代表者たちが挨拶に来ると考えたリムルは魔王としてのお披露目と新規住民獲得を兼ねた開国祭を思いつく。一方、魔物を敵視する神聖法皇国ルべリオスでは聖騎士団長のヒナタがリムルからのメッセージを受け取っていた。そのメッセージを見たヒナタはテンペスト連邦国に向かう。同じ頃、部下からテンペストにヒナタが向かっていると報告を受けたリムルはある決断を下す。
第二期と比較すると会議の場面が非常に多く戦闘描写が激減した。それゆえに動きが少なく、視聴していても面白いと感じられない部分が多かった。しかし、これはリムルが魔王になったことで連邦国を取り巻く環境が激変し、人魔共栄を目指すために各国と友好的な関係を築いていく必要性があることを考えると、6話にもわたる長い会議は前作の内容の確認も含めて避けることのできない展開であったと思われる。
魔王就任によってジュラの大森林にすむ魔物たちによる挨拶、各国代表との会談があるが、リムルの人柄や功績を知っている者が多いために魔王でありながらも敵視されている描写が非常に少ない。一方で神聖法皇国の老師や後半から登場する勇者パーティーはリムルを敵視または下に見るような描写が多い。この対照的な描写は魔王という存在が作中世界で本来であれば恐れられるということを伝え、人魔共栄の難しさも体現していると考えられる。また、ジュラテンペスト連邦国を敵視する者たちは魔物を嫌っているというよりはリムルが魔王になったことそのものが気に食わないというようにも感じられる。
3.『無職転生Ⅱ ~異世界行ったら本気出す~ 第2クール』(アニメ)
原作:理不尽な孫の手 監督:渋谷亮介 制作:スタジオバインド
シルフィと結ばれ、新たな生活のスタートを切ったルーデウス。披露宴を終え、ノルンとアイシャも合流。ノルンとはひと悶着あったものの問題を解決し順風満帆に近い生活を送っていた。しかし、ギースから一通の手紙が届く。その内容はゼニスが迷宮内で見つかったが救出が困難なため、至急救援を求めるというものであった。諸事情が重なり救出に行くかどうか迷いを見せるルーデウスであったが、ノルンのある姿を見たことで救出に向かうことを決断する。
ノルンの問題、ゼニス救出で共通して描写されていたのは前世との繋がりである。いじめを受けて不登校になった自分、引きこもり続けて親の葬式に顔を出さなかったほど向き合えなかった家族との関係性が描かれている。ノルンの一件でルーデウスが前世での後悔を含めてアドバイスをする姿は今世こそ後悔しないように本気で生き抜くというこの作品のテーマを体現していると感じた。
一方、ゼニス救出から派生する家族との向き合いにはルーデウスの出自が大きく関係しており、問題の複雑さの原因にもなっている。彼は転生者であるために肉体の年齢と精神の年齢に大きな差がある。これは大人から転生し、乳幼児から人生がスタートする異世界転生特有の状態であるが、この状態が息子という意識を希薄化させていると考えられる。これらは父が亡くなるまで息子という自覚を持てていない描写や母の救出に必死になる父とは対照的な冷静な態度や母親という存在の疑問視によって強調されている。両親に対してはどこか家族という意識が薄かった彼が、父の死を通して、今世と前世の家族関係と向き合い新たな家庭を築く姿からは精神的成長が感じられた。
4.『夜のクラゲは泳げない』(アニメ)
監督:竹下良平 脚本:屋久ユウキ 制作:動画工房
何者かになりたいという願いを持ちながらも、周囲に合わせて意見を言うことしかできない量産型女子高校生、光月まひる。ある日、ハロウィンが迫る渋谷で不思議な少女、山ノ内花音と出会う。自分にとってトラウマの象徴であるクラゲの絵を好きと言ってくれる花音に戸惑いながらもどこか惹かれるまひる。匿名シンガーとして活動している花音はこの出会いをきっかけにまひるを自身の音楽制作の仲間に誘う。悩むまひるだったが花音の傍にいれば特別な何かになれると感じ、申し出を了承する。
何者かになりたいという願いを抱えていながらも空気を読んでしまいがちな面やインスタグラムやXを活用した化粧品の情報収集を行うまひるは作中において他キャラよりも女子高生らしさが強調されている。まひるとキウイは活動に際して別名を名乗っており、花音もアイドル時代の呼称が度々出てくるが、それらは序盤において現実の自分と切り離された存在であるように描かれている。しかし、後半になると同一視するような台詞が出てきており、そこから自分に自信を持てるようになったという成長が感じられた。
本作における音楽制作は基本的に顔出しをしないということもあり、アイドルの偶像性に近いものがあると考えられる。例として挙げられるのが第8話で花音のスキャンダルが露呈したときにはライブを行うことが困難になってしまうというエピソードである。顔出しをしていなかったことと過去のアイドル活動が重なり猛批判を受ける様子には、素晴らしい人が歌っているだろうという匿名シンガーへの偶像性があると考えられる。また、ライブの際に現実の人が誰であったとしても自分たちが好きになったJELEEという歌手を信じるファンの人たちは好きという感情を現実から切り離していると思われる。
5.『陰の実力者になりたくて!』(アニメ)
原作:逢沢大介 監督:中西和也 制作:Nexus
幼いころから陰の実力者に憧れ、体現するために修練を続けてきた高校生、影野実。彼は修練の途中、トラックに轢かれてしまい命を落とす。目を開けてみればそこは病院ではなく異世界。素晴らしいことに前世にはなかった魔力まで存在していた。この世界なら前世で成し遂げられなかった陰の実力者ができると考えた彼は秘密裏に準備を進めていく。第一段階として仲間を増やし咄嗟に考えた悪の教団の存在を仄めかすが、その教団は実在していた。
主人公であるシド・カゲノ―は主人公であるにも関わらず、人格がいいとは言えない人物である。目的を達成するためなら手段を選ばない性格のためお金欲しさに盗賊を襲う、悪魔憑きと化していた少女を保護して人体実験を行うなど非人道的な行いが非常に多く、言動もかなりはじけている。しかし、これらはすべて彼が目標とする陰の実力者になるために必要なことである。そのため、行為そのものは目標に至るためのプロセスと捉えながら言動は一種のコメディとして楽しめると考えられる。
本作における魔力と魔法の考え方が他の異世界転生の作品と比較した際に特徴的だと個人的に思った。多くの作品では魔法と言われると炎や氷、風などの属性が存在し、相手に向けて放つものや日常的に使われていることが多い。しかし、本作では魔力や魔法は身体能力やその他感覚を上昇させるものであり、治癒に用いることや炎や氷を放つ場面はほとんどなかった。それゆえに近接戦闘が非常に多く、特に剣の戦闘が多い。この点は他の異世界転生とやや差別化できる部分であると考えられる。また、戦闘描写は引きのアングルを活用しながら見せることで作画の枚数を抑えつつ、迫力のあるものになっていた。
6.『陰の実力者になりたくて!2nd Season』(アニメ)
原作:逢沢大介 監督:中西和也 制作:Nexus
「血の女王」「妖狐」「暴君」の三勢力が統治する無法都市へとやってきたシド。そこはならず者がはびこる弱肉強食の世界であった。吸血鬼の支配者「血の女王」討伐に姉のクレアが奔走するなか、シドはまたとない「陰の実力者」の機会に心を躍らせる。しかし、「血の女王」をめぐる陰謀が動き出し、無法都市は勢力が入り乱れる事態に陥ってしまう。クレアも騒乱に巻き込まれ、シャドウガーデンも独自に行動を開始する。混沌を極める中、シドも人知れずシャドウとしての暗躍を開始する。
無法都市での騒乱において姉であるクレアを助けておきながら、姉に似た人を助けた程度の認識で次の行動を起こす、シャドウガーデンの活動資金として作り上げられた商会を自身の野望のために潰そうとするなど、自己満足を優先する行動が第一期よりも多くなっているように感じた。
本作の特徴の一つとしてシリアスコメディが挙げられる。シャドウ本人が七陰を友達と認識している割には話を聞かないところがあり、話の内容を明後日の方向に解釈することが多い。しかし、部下たちは助けてもらった恩義があることからシャドウを崇拝しており、シャドウの行動や言葉を好意的に解釈してしまう。解釈が異なっているにも関わらず、最後には全てが丸く収まっているという理解しがたい現象はまさにシリアスでありながらコメディだと考える。第二期では貨幣騒動の話が当てはまり、裏切っていたにも関わらず守るためと勘違いされた挙句、隠していた資金を部下に回収されたことを知らずに探すシャドウは主人公らしからぬ滑稽さがあった。
7.『転生王女と天才令嬢の魔法革命』(アニメ)
原作:鴉ぴえろ 監督:玉木慎吾 制作:ディオメディア
パレッティア王国王女、アニスフィア・ウィン・パレッティアには前世の記憶がある。魔法が当たり前に存在する世界に転生し、魔法使いにあこがれるアニスフィアが夢見たのは、魔法で空を飛ぶという、破天荒で非常識なことであった。しかし、魔法が使えないアニスフィアは日夜、キテレツ王女とあだ名されながら、怪しげな研究に明け暮れる。ある夜、お手製魔女帚で空へ飛び立ったアニスフィアが暴走し、飛び込んだのは貴族学院の夜会。そこでは魔法の天才と称される公爵令嬢ユフィリアが婚約破棄を宣言されていた。
王宮百合ファンタジーと謳っている本作だが、ベースの要素として悪役令嬢ものがあると考えられる。公爵令嬢であるユフィリアが婚約者の好きな人に嫌がらせをしたとして婚約破棄を言い渡される場面は悪役令嬢系の物語では典型的な場面であり、要素として象徴的な場面だと考える。その後アニスフィアによって救出されるが、一度悲劇に見舞われた彼女がアニスフィアと関わっていく中で変化していく様子は悪役令嬢系から離れた魅力であると考える。
また、アニスフィアとユフィリアは主人公でありながら性格も能力も対極にいる人物のように描かれている。魔法が使えないアニスに対して、ユフィは魔法に愛された少女と形容されるほど優れた魔法使いであり、常識に囚われない発想をし、破天荒なことでも実行するアニスに対して国家への影響等を考えてしまうユフィは正反対である。最初こそ衝突が多いが、話が進むにつれてお互いに持っていないものに対する羨望が強め、相手にこうあってほしいと考える姿は研究者と助手という枠を超えた関係性へと変化していることを示していると考えた。
8.『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』(アニメ)
原作:燦々SUN 監督:伊藤良太 制作:動画工房
私立征嶺学園。この学園には孤高のお姫様がいた。彼女の名はアリサ・ミハイロヴナ・九条。生徒会に所属する彼女はその美貌と近寄り難さから1年生の二大美人と称されていた。そんな彼女の隣の席に座っているのは、学園一怠惰な生徒、久世政近。彼に対していつも冷ややかな目を向けるアリサだったが、ふとした瞬間にロシア語でデレてくる。伝わっていないと思っている彼女だが、政近はネイティブレベルでそのデレを聞き取ってしまっていた。
気づいていないと思いデレるアリサと気づきながらも平静を装う政近。果たして二人の恋模様はどうなるのか。
本作を視聴していて感じたのは主人公である久世正近が主人公らしくないということである。アーリャとの恋愛関係においては確かに主人公であるのだが、生徒会関係となると途端に一歩引いたような発言が目立つ。特に次期生徒会会長に関する話ではアーリャを立てることが多く裏方に徹していることが多い。政近の立ち位置は陰の主人公といったところであり、あまり表に出ずヒロインを支える姿は珍しい主人公像であると感じた。しかしながら、出しゃばってくるときもありキャラクター像が不明瞭な部分があるとも言える。
また、本作ではキャラクターのギャップが凄まじい。アーリャがロシア語でデレるのもそうだが、異彩を放つのは政近の妹・有希である。彼女は学校では政近の幼馴染として淑女然とした振る舞いをしているが、家で二人きりになれば妹としての立場を全力でアピールし、アーリャと政近が会議をしている時には、ラスボスのような立ち振る舞いをして一人満足するなど、初登場時からは考えられない一面を見せてくる。しかし、このギャップはキャラクターを魅力的に見せるとともに物語にも緩急をつけてくれるものであり、ラブコメというジャンルにおける甘さ回避にも作用していると考えられる。
9.『声優ラジオのウラオモテ』(アニメ)
原作:二月公 監督:橘秀樹 制作:CONNECT
高校生にして新人声優の歌種やすみはオーディションに落ちて気分が落ち込んでいた。そんな彼女のもとにある日、ラジオの話が舞い込む。その内容は偶然にも同じ高校、同じクラスの声優である歌種やすみと夕暮夕陽が教室の空気を届けるというものであった。憧れの夕暮夕陽との共演にテンションが上がるやすみだったが、実際の夕陽はイメージと全く違っていた。オモテとウラで正反対の二人。互いに嫌悪し、嫌味と罵りの嵐を吹き荒らしながら、彼女たちは今日もプロ根性で世界を騙す。
声優の世界の厳しさ、難しさを描いた作品。前半では特に普段の自分と声優としての自分の乖離が多く描かれていた。主人公である二人は普段の生活の自分では売れることが難しいという考えから、違う自分を演じている。ラジオの回数を重ねるにつれて、偽りの自分を演じていていいのか、本当の自分を見せたらファンを失望させてしまうのではないかという苦悩に陥っていくがその様子からは声優という職業への誇りやプロ意識があると感じられる。夕暮夕陽が自分のことをアイドル声優と呼ばれることを嫌い悩む姿はその象徴であり、同時に多くのことを求められるようになった声優という職業の大変さも表していると考えられる。
ライバルに差をつけられたことによる焦燥感やキャスティングの都合によってのオーディションの合格、事務所間の問題など声優の世界で起きる出来事をリアルに描いているが、後半からは成長がメインテーマとなっているように感じる。その結果、自分の実力不足に悩みながらも声優界で生きていくといった感じの物語になり、世界を騙すという最初のコンセプトから逸れてしまったため、面白さが半減していると思った。
10.『負けヒロインが多すぎる!』(アニメ)
原作:雨森たきび 監督:北村翔太郎 制作:A-1pictures
ライトノベル好きの達観系ぼっち・温水和彦は、ある日偶然クラスの人気女子・八奈見杏菜が幼馴染の男子生徒に振られている現場を目撃してしまう。素知らぬふりをしようとする彼だったが、八奈見に見つかってしまい彼女の惚気と愚痴を聞かされる。ファミレス代金を立て替えたことで密かに八奈見と関わりを持つようになった彼だが、その後立て続けに、陸上部の焼塩檸檬、文芸部の小鞠知花という負け感漂う女子たちとも関わることになってしまう。
ラブコメ作品において想い人と結ばれなかった少女たちに焦点をあてた作品。振られた後も相手のことを想い、その幸せを願いながらも隙あらば奪い取ろうなどと考える姿はまさしく負けヒロインである。そしてその姿をさらに強調するのが勝ちヒロインの存在であると考える。本作では振られた女子が自分のことを振った相手と付き合っている女子と絡む描写が多い。一緒にカラオケに行き、付き合い立てカップルの親密さを見せつけられて悔しがる姿や、同窓会での阿吽の呼吸を見て怒り狂う姿、日数が経過してから振られた事実を受け入れて泣く姿などを描くことで負けヒロインであることが丁寧に表現されている。振った振られた後の関係をどうするかという点や付き合い始めた人の悩みや羨望、抱き続けていた好意をどこに向けるかも描かれており高校生らしい青春模様が非常にリアルである。
演出も凝っており、八奈見さんに呼び出された温水のはやる鼓動を路面電車のスピードで表現されている。目のハイライトの消え方やちょっとした仕草で登場人物たちの印象を操作していると感じた。
また、本作の特徴として会話が挙げられる。八奈見さんの少しずれた発言や想定外の言葉に心の中で的確に突っ込み、ある時は小鞠と学校の水道水について熱く語り合う姿が印象的だった。独自のこだわりや発言に対する返答が10年くらい前のライトノベルによくあった会話に近く、その頃の作品をよく見ていた人、読んでいた人にも刺さるようになっていると感じる。
11.『妹さえいればいい。』(アニメ)
原作:平坂読 監督:大沼心 制作:SILVER LINK.
妹という存在に異常に執着し、妹モノの作品ばかりを書き続けている妹バカの小説家・羽島伊月。彼の周囲には同業者の不破春斗と可児那由多、友人の白川京、弟の千尋、税理士にイラストレーター、編集者と様々な人物が集まっている。それぞれ悩みを抱えながらも、ある時はゲームに興じ、ある時はお酒を飲んで酔いつぶれ、またある時は確定申告でダメージを負うという賑やかな日常を送っていた。しかし、そんな彼らを温かく見守る千尋には大きな秘密があった。
作家業というクリエイティブな職種の苦しさ、大変さが描かれている。どうしてもよい描写が書けないときに動物園や水族館に足を運ぶ姿や取材と称して沖縄や北海道へ旅行する姿は自由業の良い点であると同時に、それだけのことをしなければいい作品を作ることが難しいということでもあると考えられる。
本作では作家を大別して二種類いるとしており、市場の傾向を分析して計算して売れる作品を作る凡人と己の感性を武器にして書き続ける天才に分けられている。凡人が天才に焦がれるように、天才も自分の上をいく天才に焦がれることが描かれており、どんな世界でも才能の有無の残酷さがあると感じた。
作中でアニメ化に関する話があり、その際に作画崩壊や新人声優の棒読み演技をSNSで批判されている描写はリアルだった。クリエイターの視点からあえて描くことで消費者側にはない作品への思い入れや熱量が伝わってくる。クリエイターが主人公の物語でこの切り口を用いることでコンテンツあふれるこの世の中で一つの作品に消費者たちがどう向き合うかという問題を暗示していると考えられる。
12.『ロクでなし魔術講師と禁忌経典』(アニメ)
原作:羊太郎 監督:和卜湊 制作:ライデンフィルム
一年間無職で親の脛をかじりながら生活してきた青年グレン・レーダス。堪忍袋の緒が切れた母親によって彼はかつて自分が通っていた帝国学院の非常勤講師に任ぜられてしまう。やる気のない彼は授業もせず寝ているばかりであったが、ある出来事をきっかけに真面目に行うようになる。授業遅れ解消のために学会開催の最中でも行われる授業だったがグレンが姿を現さない。心配する生徒たちだったが、やがて教室の扉が開かれる。しかし姿を現したのは学院に侵入してきたテロリストであった。
学院が主な舞台ということもあって魔法と魔術という、似ているようで異なるものが混同することなく分けられている。それに加えて魔術を世界法則や理論を交えて説明する様子から世界観が練られている作品だと感じた。しかし戦闘となると、その設定を活かしきれていないのがやや残念である。
本作では魔術を扱うことが多いにも関わらず、学生が戦闘に慣れている描写が非常に少ない。そのため、魔術の華々しい一面に憧れを持っている学生が非常に多く、魔術を扱えることの意味を考えていない様子や華々しさの裏に隠された暗黒面を知ったことで怯えを抱く様子が散見される。特に命に関わる戦闘となった瞬間に生きる世界が違うと感じ、恐れ慄き逃げ出す姿はまだ様々な世界を知らない学生という身分を強調していると考える。それと同時に学生たちの無知さは成長を感じさせてくれる要素でもあり、一歩間違えれば道を踏み外す可能性を持つ魔術にどう向き合うかや日の当たる日常と暗く非情な戦闘の世界の境界線を跨げるかという精神面に特に作用していると考えられる。
13.『ホリミヤ』(アニメ)
原作:HERO・萩原ダイスケ 監督:石浜真史 制作:CloverWorks
美人で成績も良く学校ではクラスの中心的存在である堀京子。そんな彼女は家に帰ると、家事や年の離れた弟の面倒に勤しむ毎日を送っていた。ある日、怪我をした弟の創太を見知らぬ男が家に送り届けてきた。お礼のために家に上げて話していると男の正体は同じクラスの根暗男子、宮村伊澄であることが発覚。その姿はクラスにいるときとは全くの別人であった。こうして誰にも知られていない一面の共有者となった二人は徐々に交流を深めていくようになる。
登場人物たちの感情の動きを言葉ではなく、鮮やかな色を使って演出しているのが非常に印象的だった。使用される色に一定の法則が見られず、解釈の方向性が人によって異なりやすい作品だと感じる。
誰しも他人には見せない一面を持っているというのは現実でも同じであるが、その多くは他人に失望されたくない、あるいは関わりたくないというものである。堀の場合が前者に当てはまり宮村は後者に当てはまると考えられる。特に宮村は中学生の時の出来事が尾を引いているせいかどこか近寄り難い雰囲気を纏っていた。後にこれがスクールカーストの問題につながっていくが、その際に宮村が他人と関わるリスクを犯してでも堀のために自分を変えたのは大きな変化だと感じた。
個人的な意見だが、堀さんが普段優しい宮村に罵倒されたいという欲求を抱いている点や宮村が馴染めない学校生活に反発するかのようにピアスを開け刺青を掘っているのは、嫌な自分を隠したい衝動や似合わないことをやらせたらどうなるのかという好奇心を表していると考えた。
14.『君と僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦』(アニメ)
原作:細音啓 監督:湊未來・大沼心 制作:SILVER LINK.
科学技術が高度に発達した機械仕掛けの理想郷「帝国」。超常の力を駆使し、“魔女の国”と恐れられる「ネビュリス皇庁」。百年にわたる戦争を続けてきた両国には帝国最高戦力のイスカと“氷禍の魔女”の異名を持つアリスリーゼがいた。戦場で巡り合った二人は命を賭して戦う宿敵となる。国を、家族を、仲間を守るため譲れない矜持をぶつけ合う。しかし、互いの素顔に触れた二人は、お互いの理想に惹かれてしまう。共に歩むことを許されない運命に翻弄されながら、少年と少女は想いを募らせる。
技術で発展してきた帝国と超常の力で発展してきた皇庁は真逆の存在である。帝国側からすれば、技術があれば超常の力は必要なく、皇庁側からすればその逆となる。どこまでも交わることが許されない国家間において惹かれ合う二人はロミオとジュリエットのような状態と表現できる。また、イスカとアリスリーゼは対立する立場に居るが、互いに嫌悪感を抱いてはいない。しかし、国の最高戦は力であり戦場においてはある意味国家の代表となってしまうことがお互いを苦しめていると考える。二人とも理想として戦争を終わらせることを掲げており、実現すれば両国の親交の象徴となると考えられるが、現実はその真逆であり対立の象徴として祭りあげられてしまっている。個人としては歩み寄りを図りたいが、国としては許されることではないという事実が戦争の終わりの難しさと両国における差別の根深さを窺わせる。
その一方でイスカが所属している小隊の面々は敵対しているものの関わるうちに魔女に対しての嫌悪感は薄れていく様子が描かれており、差別意識は国から植え付けられたものであり個々人における敵対の解消は可能であることが示されていると考える。
15.『ひきこまり吸血鬼の悶々』(アニメ)
原作:小林湖底 監督:南川達馬 制作:project No.9
ムルナイト帝国の名門貴族ガンデスブラッド家の令嬢、テラコマリ・ガンデスブラッドは吸血鬼であるが、血が飲めない体質であった。そのため、魔法が使えない、運動ができない、背が伸びないという三重苦に悩まされていた。そんなある日、父親がとんでもない職業を見つけてくる。それは帝国の猛者しかなれない「七紅天将軍」。コマリは断ろうとするが、皇帝直々の任命により断ることはおろか辞めることもできなくなってしまう。本当の実力が露見することも許されない状況のなかコマリはしぶしぶ任務を開始する。
吸血鬼なのに血が飲めないというのはどういうことかと疑問に思ったが、ちゃんとした設定があり納得できた。基本的にコマリが戦うことは少なく、部下が倒していくことで物語は進行していく。しかし、あらかじめ落とし穴を掘って相手をはめる等は、本来の実力がばれないようにするハッタリにしては度が過ぎているようにも感じた。
臆病かつ戦いを好まないコマリは戦闘そのものを苦手としており、戦場での爆発音や剣戟の音が聞こえるだけで委縮してしまうほどである。しかし、部下を従えることや他人を味方につける等の才には恵まれており、他の将軍が一匹狼気質ということもあって大きなアドバンテージになっていると考えられる。また、自分の戦果を挙げることに目が行きがちな将軍たちに比べて、困っている人を助けたいという想いが強いのも他キャラにはない魅力だと考える。
また、コマリは異性よりも同性から好かれている描写が非常に多い。個人的にこの点はライトノベルが原作ということに加えてその中で流行りつつあるガール・ミーツ・ガールの要素を前面に押し出したものではないかと考えた。
16.『落第騎士の英雄譚』(アニメ)
原作:海空りく 監督:大沼心 制作:SILVER LINK.、Nexus
己の魂を魔剣に変えて戦う現代の魔法使い≪魔動騎士≫。その育成を目的とする学園において黒鉄一輝は能力の低さから≪落第騎士≫と呼ばれていた。そんな彼は10年に一人の天才と呼ばれる≪A級騎士≫の異国の皇女、ステラ・ヴァーミリオンから決闘を申し込まれる。承諾した一輝は周囲の予想に反して勝利。彼は魔法ではなく、剣技を極めた異端の実力者であった。騎士の頂点を争う戦いの中で強敵を倒し、駆け上がり始めた一輝は学園の騎士たちから注目されるようになる。
剣を用いた戦いが主であるが、使用する剣には能力があるため迫力のある戦闘シーンを作り出しやすい作風だと思った。特に第12話で学園最強と戦った際の赤い燐光や迸る稲妻は緊迫感と迫力が相まって素晴らしい作画だと感じた。
能力を駆使して多くの生徒が戦う中で剣技を用いる主人公は異端であるのは確かである。しかし、主人公が勝っていく姿は剣技を究極まで突き詰めれば、魔動騎士としての能力が著しく劣っていても戦場においては問題ないということを証明していると考えられる。見方を変えればアイデンティティを奪われかねない問題であり、作品の根幹を揺るがすものであるが、能力と剣技の両方を持ち合わせていなければ本当の意味で魔動騎士ではないと考えることもできる。見下していた存在が学園の成長に大きな影響を与えるという点では実力から学内地位の成り上がり要素もあると考えられる。
設定はファンタジーであるが、実在する国名や起きた事件の名称が登場していることから、ジャンルとしてはロー・ファンタジーに近いとされる。あくまで学園ものであるため、現実世界に近い空気感を出したかったのではないかと思う。
17.『神様のメモ帳』(アニメ)
原作:杉井光 監督:桜美かつし 制作:J.C.STAFF
幼少期から転校を繰り返してきた高校生・藤島鳴海は何の期待も抱かずにこの街へ越してきた。そんな彼は入学した高校で出会った篠崎彩夏に連れてこられたラーメン屋でニートたちと知り合う。その矢先、彼は店主からビルの上の階の一室への配達を頼まれる。その部屋の扉にはNEET探偵事務所と書かれていた。出迎えたのは自らをニート探偵と名乗る少女・アリス。彼女は部屋から出ずにネットを駆使して真実を暴く探偵であった。部屋に入るとモニターにはなぜか数日前、鳴海が居合わせた事件現場が映されていた。
ネットで情報を集めるNEET探偵の元に集まっているせいかニートという職業に対する誇りが非常に強い。主人公の鳴海にまでニートにならないかと誘う、プライドもなく金を貸してほしいなどと頼む人達は筋金入りと言える。
探偵とNEET探偵にきっちりとした区分があり、アリスは探偵と括られることを嫌っている節があるように感じる。それは情報をネットで探すという部分に固執しているからであり、その背景には自分の力で救えたものが世界のどこかにいたという考え方が影響していると考えられる。また、アリスの部屋は外界との物理的接触を絶っている場所でありながら、電子の海で外界と繋がっているという矛盾を抱える場所であると考える。
NEET探偵を自称するだけあり、弁の立つアリスは迂遠な言い回しをすることが多い。個人的に小説という媒体なら素通りしかねないものであると思っているがアニメという媒体において、引っ掛かりを感じるような言い回しをあえて用いることでアリスの立ち位置を不明瞭にし、興味を持たせるようにもなっていると考えた。
18.『お隣の天使様にいつのまにか駄目人間にされていた件』(アニメ)
原作:佐伯さん 監督:王麗花 制作:project.No.9
高校進学をきっかけに一人暮らしを始めた藤宮周はある日、雨の中でずぶ濡れになっている少女を見つける。彼女の名前は椎名真昼。周と同じマンションの隣の部屋に住んでいる少女であった。心配になった周は彼女に傘を貸すが、風邪をひいてしまう。そこから二人の交流は始まった。自堕落な生活を送る周を見かねて、真昼は食事を作り、部屋を掃除し、何かと世話を焼く。隣同士で暮らす二人はゆっくり、少しずつお互いの心を通わせていく。
お互いが関係を進めていくことに慎重であるゆえに進展がスローテンポすぎると感じてしまう。しかし、そのスローテンポはある意味じれったくもあり、本作のような純愛に近い作品ではよい効果を発揮していると考える。
二人の関係性が進展していかない要因の一つとしてお互いの家庭環境と中学生の時の出来事が関係している。真昼の場合は両親が愛のない結婚をした結果、愛情を注がれておらず、自己肯定感が低くなってしまっていること、周は中学生の時に友達だと思っていた同級生によって人間不信及び自信を喪失したことが主な原因である。自分に自信を持つことができない人間同士が関わったため、一歩先に踏み込むことができない状況が出来上がってしまったと思われる。
関係性は進展していかないが、真昼が周に対して安心感を抱いている描写は非常に多い。例えば周の部屋で眠りこけてしまう、耳かきをして甘やかす、さらには周のベッドで眠ってしまうなどがある。付き合っている男女と勘違いされかねない距離感で生いていながら付き合っていないという事実は先述したじれったさにも大きな効果を発揮していると考えられる。
19.『トラぺジウム』(劇場アニメ)
原作:高山一実 監督:篠原正寛 制作:Clover Works 公開:2024年5月10日
高校一年生の東ゆうはアイドルになるために自らに4箇条を課して高校生活を送っていた。半島地域「城州」の東に位置する高校に通うゆうは、他の3つの方角の高校へと足を運び、3人の可愛い女の子と友達になる。その裏には、アイドルグループを結成する目的があった。イベントをこなしながら結束を深めていく4人。そしてついにアイドルデビュープロジェクトの話が舞い込む。順調に夢に向かって階段を登り続けていくが、ゆうはある問題に直面してしまう。
アイドルという職業に対する主人公の憧れやイメージというものが多くの場面で感じられた。彼氏がいてはならない、皆に笑顔を届けることができるという発言はその象徴であり、ハイライトの消えた瞳による演出がアイドルへの妄信を強固にしていると考えられる。
物語の序盤において仲良くなる目的がアイドルであることを明かさない点は亀裂を生む要素であり、それがいつ爆発するのかというのを楽しみにさせる効果も担っていると考えられる。また、ボランティア番組での些細なすれ違いや仕事をするなかでの意識の違いが丁寧に描かれている。これによって順調に進んでいる表に対して裏では亀裂が確実に深まっていることがよくわかり、決壊した際の不和により説得力をもたらしている。
本作では星空が多く登場していた。その理由はタイトルであるトラペジウムがオリオン星雲の中にある四つの重星のことであり、東西南北のメンバーを重ね合わせていたからだと考えられる。
鑑賞後、主人公は友人を利用してアイドルになろうとしたという印象が強く残っていたが悪印象として捉えてない自分がいた。それは、主人公が人は結局自分のために動く生き物と利己的な面の本質を突く想いや後悔して涙を流す場面があったからだと考える。
20.『夏へのトンネル、さよならの出口』(劇場アニメ)
原作:八目迷 監督:田口智久 制作:CLAP 公開:2022年9月9日
ウラシマトンネル。そのトンネルに入ったらどんなほしいものでも手に入るという。しかし、その引き換えに何かを失う。そんな噂が学校で流れていた。つかみどころがないように見えて、過去の事故で心に傷を負っている塔野カオルはその噂に触発されて、トンネルに行ってしまう。そこには偶然にも転校してきたばかりの花城あんずもいた。お互いの欲しいものを手に入れるために二人は協力関係を結ぶ。これは、とある片田舎で起こる郷愁と疾走の夏の物語。
ウラシマトンネルの不気味さが原作よりも強調されているように感じた。壊れた木の柵や、赤い紅葉の道、夕暮れによって周囲も赤くなったトンネル、入って息を吐いたら白くなっているなど、現実とは切り離された場所であることが演出されている。トンネルと表現されているが、実際は洞窟に近い入口をしていたことも不気味さを駆り立てるのに一役買っているように思えた。
終盤、塔野がトンネルに入る日時を8月2日と話し合って決めた際に、部屋のカレンダーが映しだされる。しかし、そのカレンダーは2日以降が破り捨てられている。ほんの一瞬だが、あえて映すことで失ったものを取り戻すまで絶対に帰ってこないという強い意志があるような演出になっている。
花城あんずという少女は他人との接触を嫌い、はっきりとした物言いをするため自分に自信がある人物であるような印象を持つ。しかし、漫画に関しては弱気な一面を持っており、塔野に自分が描いた漫画を読んでもらっている際の貧乏ゆすりや小さなガッツポーズは普段あまり見えない彼女の感情と、高校生らしさが描いてくれていると考えた。
21.『五等分の花嫁*』(劇場アニメ)
原作:春場ねぎ 監督:神保昌登 制作:バイブリーアニメーションスタジオ
公開:2024年9月20日
「落第寸前」「勉強嫌い」の美少女五つ子をアルバイト家庭教師として見事「卒業」まで導いた風太郎。それぞれの道へと歩みを進め、夢を叶えた彼女達だったが新たな問題にぶつかっていた。そんな中、風太郎と五つ子は新婚旅行を兼ねたハワイ旅行を計画する。順調に準備が進んでいたが、ある事件が発覚したことで大慌ての事態に。さらに旅行先のハワイでもトラブルに巻き込まれてしまう。
恋愛や人間関係で悩んでいた高校生の時に比べて、仕事に関する悩みが多くなり成長を感じた。特に旅行中でも上司から度々連絡が入り、返信していた五月は社会人という立場が強調されていると考えた。また、風太郎に関することも各々が折り合いをつけたようで、高校生の頃のように取り合いに発展することもなく、変わらない仲良しな五つ子が描かれていた。
四葉と風太郎の距離感が大きく変わっており、原作終了の時にはどこか遠慮があったのだが、風太郎のことを「面倒くさい」と言ってしまえるくらいに距離感が縮まっている。良好な夫婦関係の証であるのだが、個人的には自己犠牲の精神のもとで行動し続け本心を隠す癖があった四葉がはっきりとした想いを打ち明けたことに成長を感じた。
旅先でのトラブルは五つ子たちの得意分野に応じて解決を試みていくことになるが、それは五つ子という特徴を活かして協力すればどんなことも解決できるということである。自分たちの抱えている問題にも同じことが言えるが、旅先での言葉を胸に自分に自信を持って解決する姿は叶えた夢の先を実現する一歩を踏み出したと捉えることができる。このように家族で、姉妹で協力して乗り越える機会が減っていくのが大人への成長と考えられるが、それは離れ離れになっていくということでもあり、少し寂しく感じてしまった。
22.『義妹生活』(ライトノベル)
作者:三河ごーすと イラスト:Hiten
親の再婚によって一つ屋根の下で一緒に暮らすことになった浅村悠太と綾瀬沙季。両
親の不仲を見てきたため男女関係に慎重な価値観を持つ二人は、歩み寄りすぎず、対立もせず、適度な距離感を保とう約束を交わす。家族の愛情に飢え孤独に努力を重ねてきたために甘え方を知らない沙季と彼女の兄としてどう振る舞えばいいか戸惑う悠太。どこか似た者同士であった二人は次第に互いとの生活に居心地の良さを感じ始めてしまう。
本作は恋愛生活小説と謳われていることもあり、日常的な場面が多く書かれている。毎日の食事の風景やアルバイト先での出来事、登下校の際のモノローグなど現実の高校生も経験すると思われる描写が多く、「日常」の質が高いと感じる。その中での二人の心情の変化も丁寧に書かれており、恋愛という部分に付けて先に進ませようという感じがあまりない。これも「日常」の質の高さの一因と考えられる。
二人の関係の変化を書くため、物語は二人の視点で展開されていくが別々の出来事を書くというわけではなく同じ日の同じ出来事が書かれている。そのため浅村悠太の視点では未解消であった綾瀬沙季の心情が綾瀬沙季の視点になると詳細に語られるという構図になる。これはある意味、作中で二人が行っている価値観を共有することが読者に対しても行われていると考えることができ、読者の皆様、勘違いしないでくださいというメッセージであり、突飛な展開に至らない安心感がある。
義妹に対して、義理の兄に対して特別な感情を抱きかねないことを両者ともにインモラルなこととして捉えている節がある。親のことを思慮する面や社会的にどうなのかを考えているのはその証左であり、そんな二人の距離がどう縮まっていくのか今後も注目である。
23.『誰が勇者を殺したか』(ライトノベル)
作者:駄犬 イラスト:toi8
勇者は魔王を倒した。しかし同時に帰らぬ人となってしまった。
魔王が倒されてから四年の歳月が過ぎた。平穏を手にした王国は亡き勇者を称えるために数々の偉業を文献に編纂する事業を立ち上げる。かつて仲間であった剣聖・レオン、聖女・マリア、賢者・ソロンから勇者の過去と冒険話を聞き進めていく中で、全員が勇者の死の真相について言葉を濁す。
「何故、勇者は死んだのか?」
勇者を殺したのは魔王か、それとも仲間なのか。
勇者の生き様が非常に素晴らしい作品。かつての仲間各々の視点から語られる勇者の成長と努力が美しいと感じた。
それぞれの章にミスリード的な要素があり、そのすべては最終章に集約されている。そのため、ファンタジーでありながらミステリーとしても楽しむことができる。勇者に対する予言も特定個人を指す言葉ではなく、抽象的であるため文字通りに意味を察すれば、その先の展開をさらに楽しめると思った。
作中における断章1は勇者の視点で物語が語られており、それ以外の章は該当する人物による一人称視点で語られる。断章1では勇者の努力と覚悟が語られ、それ以外では周囲の人物による勇者への印象や評価、自分が抱える悩みが回想される。基本的に断章1と仲間の章を交互に繰り返す構成が取られており、先に勇者側を語り、その後に仲間の章にすることで勇者の生き様や周囲の人間への影響などを印象付けていると考えられる。また、断章1ではあえて詳細に語らない仲間との関わりの変化を、仲間それぞれが語る章で詳細に書いている点は読者の興味をより引くことに作用していると考えた。
24.『シャーロック・アカデミー』(ライトノベル)
作者:紙城境介 イラスト:しらび
増加する凶悪犯罪に対抗し、探偵という職業の必要性が飛躍的に高まった現代。日本で唯一「国家探偵資格」を取得できる超難関校・真理峰学園に今年、とある少年と少女が入学した。一人はかつて〈犯罪王〉と称された男の孫・不実崎未咲。もう一人は〈探偵王〉の養女・詩亜・E・ヘーゼルダイン。宿敵とも呼べる存在がまさかの邂逅を果たす。そして始まる学園生活。早速入学式から模擬事件が発生。しかも得点は一番先に正解した詩亜よりも不実崎の方が高かった。
現在、ライトノベル界隈で流行しつつあるジャンル・ミステリーを軸に置いた作品。読者を楽しませようという努力が散りばめられていた。その最たる例が太字の活用と考える。本作における太字は事件を解決するうえで手掛かりとなるものを指している。これによって読者も情報を抽出しながら事件を推理することが可能となっており、叙述トリックやどんでん返しを共に味わい、物語に没入することができる。その情報も見方を変えれば活用できるものが多く、多角的な思考・視点や物事の本質を見通す力が必要な点はまさに推理そのものであり、作者の練り込みが素晴らしいと思った。
詩亜は〈探偵王〉に育てられ、不実崎は〈犯罪王〉の孫と対極に位置する二人だが、精神的な強さや推理の方向性も真逆である。詩亜に足りない視点や知識は不実崎が補う形が取られており、宿敵でありながら協力している様子はこの先の化学反応がどうなるか楽しみにさせてくれる。不実崎が自分に対する世間の目を変えるために探偵を目指し競うのが表のテーマとするなら、犯罪者という存在を深く知り詩亜が成長していくのが裏のテーマだと考える。
25.『経学少女伝』(ライトノベル)
作者:小林湖底 イラスト:あろあ
世界最難関・男性のみ受験可能な試験、科挙。
雷雪蓮は少女でありながら男装して科挙合格を目指す受験生。自分以外にそんなことをする者はいないと思ったが、試験会場でどう見ても女の子である受験生・耿梨玉を発見してしまう。仲良くなった二人は悪徳官僚に支配された世界を正すため、手を取り合い試験地獄へ挑むことにする。性別がばれてしまえば失格、その上試験問題は難問揃い。さらには殺人事件やカンニングの横行など様々なトラブルも発生してしまう。
昔の中国が舞台ということもあり、男尊女卑の考え方が非常に根強い。科挙の試験場が女の来る場所でないという描写や女ではないかという疑惑から正体を暴こうとするなどからもよく伝わってくる。現代では認めがたい価値観であるが、それが逆に昔であることを忠実に演出してくれているとも考えられる。
科挙という試験の難しさを物語るかのように、試験中に暴れだす受験生や一週間ちかい時間をかけての試験が描かれている。なかには不正を働く受験生もおり、そこまでして合格を勝ち取ろうとする描写から当時は大変名誉なことであったことが窺え、リアリティがあると感じた。
二人の目標は悪徳官僚を一掃し、世界を変えることであるがその過程は真逆になると考えられる。雷雪蓮が邪魔な人間をどんな手を使っても蹴落とそうとするのに対して、耿梨玉は悪人すら包み込み許そうとする人間である。雷雪蓮の語りで話が進むため彼女の冷酷さが強調され男性らしい面が際立っているが、耿梨玉は慈愛に溢れた女性的な面が強調されている。この対照的な面が目指すものが同じでも決して道が交わらないと感じさせ、同時にいつかぶつかる不穏さを醸し出していると考えた。
26.『リコリス・リコイル Recovery days』(ライトノベル)
作者:アサウラ イラスト:いむぎみる
リコリス。それは花の名前にして日本の平和を守るエージェントの少女たちの名称。それに所属する井ノ上たきなと錦木千束。彼女たちの昼の顔は喫茶店の看板娘。しかし依頼が入れば、エージェントに大変身する。そんな彼女たちの非日常を綴った原案者自らの書き下ろしノベル。
TVアニメと比較すると日常的な描写が多い印象を受けた。千束がたきなを映画に連れていくために任務をこなしながら奔走する章や風邪を引いた際に看病してもらうなど、DAという部分を抜きにした年相応の少女らしい部分が強調されていると考えた。その一方で任務をこなす話もしっかり存在し、1話を丸ごと使った短編集ならではの緩急のつけ方があると感じた。キャラもそう変わっておらず、千束は常にたきなを振り回し、たきなは仕事中毒のような発言が見受けられ、ミズキは婚活に勤しみ、クルミはマイペースにネットと関わるなどアニメからの地続き感も良かった。
個人的にアニメの方であまりフォーカスされることがなかった喫茶リコリコを訪れる客たちの仕事内容や悩みは書き下ろし特有の要素だと感じた。千束とたきなが事情を聞いて解決に手を貸す姿からは物語の中心が二人であると感じられる。任務なしで話を動かすときには喫茶リコリコの客が関わっており、この点は日常を描こうとする小説ならではと考えた。
27.『私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない』(ライトノベル)
作者:伏見つかさ イラスト:かんざきひろ
容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、金持ちの家に生まれ美人な姉妹までいる、順風満帆な人生を送る八隅千秋。そんな彼にはある悩みがあった。それは生まれてから一度も恋をしたことがないというもの。高校では女子にちやほやされる日常を送ると誓った翌日、千秋は女の子になってしまっていた。自慢の外見を失って落ち込むも、可愛い容姿に喜ぶ千秋。妹にも見せびらかしに行く千秋だったが、女子にモテモテな双子の妹・楓の身にもとんでもない異変が起きていた。
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』、『エロマンガ先生』を手掛けた作者の新たな作品。三作連続で妹を軸に置いた作品を展開していることから作者のこだわりや業の深さを感じる。
千秋を語り手として話が進んでいくが、読者に語り掛けるかのような語り口や自画自賛する文から自信家である一面や切り替えの早さが窺える。性別が変わろうと自身の目標を揺るがず達成しようとするその姿勢は、性転換が物語の根幹の要素である本作においてシリアスな雰囲気になりかねないものを軽減してくれているのではないかと考える。また、女性になったことで同性と親しい距離で接することも可能になった。いわば千秋が目標にしていた女子にちやほやされる生活に近づいたことになる。しかし、あくまでも男としてちやほやされたいのであり、女性としてでは意味がないという言動を度々繰り返している。このような点からは肉体は女性でも精神的には男性のままであることがわかる。
自身と同じように性転換してしまった妹に対して恋愛感情を抱きかけることをいけないこととして考えているような描写からは、倫理観がしっかりしていることも窺えるが、自分の初恋の相手が妹になってしまう事実を認めたくない複雑な男心も絡んでいるように感じた。
28.『消せる少女』(ライトノベル)
作者:あまさきみりと イラスト:Nagu
ありふれた人生を嫌い、現実逃避のように漫画家という夢を追いかけていた中学生・塔谷北斗。そんな彼の前にユリと名乗る一人の女性が現れた。北斗の漫画のファンを名乗る彼女の感想に励まされ、取材と称して疑似恋愛をしてみる日々を送る中で北斗はいつの間にか励まされていた。同時に嫌っていたはずのありふれた幸せの尊さも知る。しかしある時、彼女の記憶も、想いも、大切なものが少しずつ消えていることを知ってしまう。ありふれた幸せ、ありふれた人生。この残酷な世界で下す決断とは。
教室で意味もなくお喋りに興じるクラスメイト達を見下しているような描写が目立つ北斗は、自分は他人と違うと言い聞かせることで小さな自己を保っていると捉えられる。そしてその一つの形が漫画だったと考えられる。漫画を褒めてくれるユリは自分が思う特別を肯定してくれる存在であり、北斗にとってその存在が大きくなるのは当然と言える。同時にありふれた幸せ、人生とは縁遠い彼女と関わったことや平穏が崩れかけたことは北斗の人生観にも影響を与えている。この点からユリとの関わりは特別に浸らせてくれるものでありながら、自身が否定したありふれた幸せを考え直す意味を持っていたと考えられる。
中盤から終盤にかけてユリとの再会を書く際に余計な描写をせず、時間を飛ばされていた。回想すら挟まないのは時が経過する中で北斗のユリに対する感情が変化していないことを表したのだと考えられる。また、ほとんど明かされることがなかったユリの感情を終盤にすべて持ってきたことで北斗との関わりでユリという存在が大きく変わったことが表現され、読者の心を揺さぶる効果も持っていたと考えられる。
ありふれた幸せや人生の尊さは失った人にしかわからないとよく言われているが、本作における北斗と姉の関係性の変化はまさにそのことを示していると感じた。
29.『ミリは猫の瞳のなかに住んでいる』(ライトノベル)
作者:四季大雅 イラスト:一色
瞳を覗き込むことで過去を読み取る能力を持つ大学生・紙透窈一。退屈な大学生活を送る彼はある日、野良猫の目を通じて未来視の能力を持つ少女・柚葉美里と出会う。猫の瞳越しに過去の世界と会話が成立することに驚くのもつかの間、美里は未来の話を告げる。それはこれから起きる事件と運命を変えるための依頼であった。調査の過程で絆を深めていく二人だったが…。
過去と未来と現在、真実と虚構が交錯する猫の瞳のなかで見えるものとは。
過去と未来と現在が交錯する中で進んでいく物語と窈一と美里の設定が複雑であり、一つ一つの出来事をかみ砕き整理しながら読み進めるのが非常に大変だった。これだけ複雑な物語を終幕に向けてまとめる技量は『私はあなたの涙になりたい』、『バスタブで暮らす』を書いたこの作者ならではのものと感じた。
作中において演劇という要素が深く関わっている。演劇は窈一と美里にとっては互いを繋ぐ欠片の一つとして機能しており、作品全体においては入り乱れる時間軸の象徴に近い感じがある。また、謎を着るという表現やエチュードの内容からは役になりきって物語を創るというよりは謎を解くための舞台装置としての側面があると捉えることもできる。
個人的にボーイ・ミーツ・ガールだけでなく、ミステリーとしての完成度も高いと思った。情報を後出しするタイミングが抜群にうまく、絶望と驚愕を少し落ち着いたところで与えてくる。比喩的かつ抽象的な言い回しはそれらを魅力的にし、読者を混乱へ導いてくれていると考えた。
30.『どうせ、この夏は終わる』(ライトノベル)
作者:野宮有 イラスト:びねつ
人類滅亡の危機が発表されてから二年が経った。人々は恐怖することに疲弊し、どうしようもない現実を忘れて怠惰な日々を送っていた。そんな人類最後の夏休み。夢を投げ出した少年は幼馴染との距離感がわからず戸惑い、スランプ中の文芸部部長は場末のゲームセンターでゾンビを蹴散らす少女に出会い、やさぐれ全開の女子高生は転校生を尾行し、重大な秘密を抱える少女は廃墟マニアの恋人と最後のデートに臨み、ひねくれ者の少年は女子高生監督に弱みを握られて人類最後の映画を撮っていた。
もう二度と訪れないかもしれない夏休み。そんな中で必死にもがき生きようとする高校生たちの物語。個人個人にスポットが当たるため内容に連続性はないが前の章に名前が出てきた人物が次の章では中心になって動くため、章ごとの繋がりを常に意識して読むことができる。その先の最終章にすべての要素が収束していく構成は読者を物語のなかにより引き込むと考えた。
人類が滅ぶということもあってか、多くの人物が精一杯生きることに対して臆病になっている。それは一種の諦観であり、賢く生きるのであれば間違いない選択と言える。しかし、何かに一生懸命になっている人を見て心を奮い立たせる場面や、絶望が希望に変わることを願う描写などからは個々人の未練や焦燥が伝わってくる。これはどの人物でも変わらず描かれているものであり、自分のやりたいこと、生きることあるいは友情を登場人物たちが問い直すのが本作のテーマであると考えられる。
作者が青春を過ごした長崎県が舞台ということもあり、土地や道に関する言及も多い。登場人物たちの青春を描く中で作者自身の青春をどこか重ね合わせているようにも感じた。
原作:暁なつめ 監督:安部祐二郎 制作:ドライブ
紅魔の里での魔王軍幹部との戦いを終えてアクセルに帰還したカズマ達。そんな彼らのもとに手紙が届く。その内容は王女アイリスがカズマ達の冒険譚を聞きたいというものであった。アクセルの街を訪れ、カズマ達パーティーとの対面を終えたアイリスはカズマに懐き、王都に連れて行ってしまう。カズマは王城での生活が気に入り、滞在を決めるが王都では義賊が暗躍する事件が起きていた。
7年ぶりの新作アニメということで非常に楽しみにしていた作品。作画がきれいなことが高評価につながるこの時代で作画崩壊としか表現できないほどの顔芸や、変わらないテンポのいい会話、声優さんのアドリブなども多く非常に楽しめた。
今回は貴族や王族という身分に縛られた人にフォーカスした話が多く、政略結婚や王族ならではの外の世界への憧れが描かれている。アイリスの冒険譚を聞きたいというのは外への憧れの典型的な例であり、王女という身分に囚われない年相応の好奇心でもあると考えられる。
また、カズマのキャラクター性も本作における大きなポイントである。自堕落ではあるが、仲間のためなら行動を起こすタイプであるカズマは今回も厄介ごとに首を突っ込んでいく。そんなカズマはかっこいいが、かっこ悪いというキャラクターであり、矛盾する要素を両立させるのは非常に難しいと考える。しかし、仲間を助けに行って逃げる時に窓を割れず激突する、救ったあとに仲間から折檻を受ける等、途中までかっこいいが、最後に締まらないことが多い。しかしながら、かっこ悪すぎるということもなく、この絶妙なバランスがカズマの愛されるキャラクター性に大きく貢献していると考えた。
2.『転生したらスライムだった件 第三期』(アニメ)
原作:伏瀬 監督:中山敦史 制作:エイトビット
魔王クレイマンを倒し、正式に魔王と認められたリムル。魔王たちの宴を終え、支配領域はジュラの大森林全体に広がった。その関係で各種族の代表者たちが挨拶に来ると考えたリムルは魔王としてのお披露目と新規住民獲得を兼ねた開国祭を思いつく。一方、魔物を敵視する神聖法皇国ルべリオスでは聖騎士団長のヒナタがリムルからのメッセージを受け取っていた。そのメッセージを見たヒナタはテンペスト連邦国に向かう。同じ頃、部下からテンペストにヒナタが向かっていると報告を受けたリムルはある決断を下す。
第二期と比較すると会議の場面が非常に多く戦闘描写が激減した。それゆえに動きが少なく、視聴していても面白いと感じられない部分が多かった。しかし、これはリムルが魔王になったことで連邦国を取り巻く環境が激変し、人魔共栄を目指すために各国と友好的な関係を築いていく必要性があることを考えると、6話にもわたる長い会議は前作の内容の確認も含めて避けることのできない展開であったと思われる。
魔王就任によってジュラの大森林にすむ魔物たちによる挨拶、各国代表との会談があるが、リムルの人柄や功績を知っている者が多いために魔王でありながらも敵視されている描写が非常に少ない。一方で神聖法皇国の老師や後半から登場する勇者パーティーはリムルを敵視または下に見るような描写が多い。この対照的な描写は魔王という存在が作中世界で本来であれば恐れられるということを伝え、人魔共栄の難しさも体現していると考えられる。また、ジュラテンペスト連邦国を敵視する者たちは魔物を嫌っているというよりはリムルが魔王になったことそのものが気に食わないというようにも感じられる。
3.『無職転生Ⅱ ~異世界行ったら本気出す~ 第2クール』(アニメ)
原作:理不尽な孫の手 監督:渋谷亮介 制作:スタジオバインド
シルフィと結ばれ、新たな生活のスタートを切ったルーデウス。披露宴を終え、ノルンとアイシャも合流。ノルンとはひと悶着あったものの問題を解決し順風満帆に近い生活を送っていた。しかし、ギースから一通の手紙が届く。その内容はゼニスが迷宮内で見つかったが救出が困難なため、至急救援を求めるというものであった。諸事情が重なり救出に行くかどうか迷いを見せるルーデウスであったが、ノルンのある姿を見たことで救出に向かうことを決断する。
ノルンの問題、ゼニス救出で共通して描写されていたのは前世との繋がりである。いじめを受けて不登校になった自分、引きこもり続けて親の葬式に顔を出さなかったほど向き合えなかった家族との関係性が描かれている。ノルンの一件でルーデウスが前世での後悔を含めてアドバイスをする姿は今世こそ後悔しないように本気で生き抜くというこの作品のテーマを体現していると感じた。
一方、ゼニス救出から派生する家族との向き合いにはルーデウスの出自が大きく関係しており、問題の複雑さの原因にもなっている。彼は転生者であるために肉体の年齢と精神の年齢に大きな差がある。これは大人から転生し、乳幼児から人生がスタートする異世界転生特有の状態であるが、この状態が息子という意識を希薄化させていると考えられる。これらは父が亡くなるまで息子という自覚を持てていない描写や母の救出に必死になる父とは対照的な冷静な態度や母親という存在の疑問視によって強調されている。両親に対してはどこか家族という意識が薄かった彼が、父の死を通して、今世と前世の家族関係と向き合い新たな家庭を築く姿からは精神的成長が感じられた。
4.『夜のクラゲは泳げない』(アニメ)
監督:竹下良平 脚本:屋久ユウキ 制作:動画工房
何者かになりたいという願いを持ちながらも、周囲に合わせて意見を言うことしかできない量産型女子高校生、光月まひる。ある日、ハロウィンが迫る渋谷で不思議な少女、山ノ内花音と出会う。自分にとってトラウマの象徴であるクラゲの絵を好きと言ってくれる花音に戸惑いながらもどこか惹かれるまひる。匿名シンガーとして活動している花音はこの出会いをきっかけにまひるを自身の音楽制作の仲間に誘う。悩むまひるだったが花音の傍にいれば特別な何かになれると感じ、申し出を了承する。
何者かになりたいという願いを抱えていながらも空気を読んでしまいがちな面やインスタグラムやXを活用した化粧品の情報収集を行うまひるは作中において他キャラよりも女子高生らしさが強調されている。まひるとキウイは活動に際して別名を名乗っており、花音もアイドル時代の呼称が度々出てくるが、それらは序盤において現実の自分と切り離された存在であるように描かれている。しかし、後半になると同一視するような台詞が出てきており、そこから自分に自信を持てるようになったという成長が感じられた。
本作における音楽制作は基本的に顔出しをしないということもあり、アイドルの偶像性に近いものがあると考えられる。例として挙げられるのが第8話で花音のスキャンダルが露呈したときにはライブを行うことが困難になってしまうというエピソードである。顔出しをしていなかったことと過去のアイドル活動が重なり猛批判を受ける様子には、素晴らしい人が歌っているだろうという匿名シンガーへの偶像性があると考えられる。また、ライブの際に現実の人が誰であったとしても自分たちが好きになったJELEEという歌手を信じるファンの人たちは好きという感情を現実から切り離していると思われる。
5.『陰の実力者になりたくて!』(アニメ)
原作:逢沢大介 監督:中西和也 制作:Nexus
幼いころから陰の実力者に憧れ、体現するために修練を続けてきた高校生、影野実。彼は修練の途中、トラックに轢かれてしまい命を落とす。目を開けてみればそこは病院ではなく異世界。素晴らしいことに前世にはなかった魔力まで存在していた。この世界なら前世で成し遂げられなかった陰の実力者ができると考えた彼は秘密裏に準備を進めていく。第一段階として仲間を増やし咄嗟に考えた悪の教団の存在を仄めかすが、その教団は実在していた。
主人公であるシド・カゲノ―は主人公であるにも関わらず、人格がいいとは言えない人物である。目的を達成するためなら手段を選ばない性格のためお金欲しさに盗賊を襲う、悪魔憑きと化していた少女を保護して人体実験を行うなど非人道的な行いが非常に多く、言動もかなりはじけている。しかし、これらはすべて彼が目標とする陰の実力者になるために必要なことである。そのため、行為そのものは目標に至るためのプロセスと捉えながら言動は一種のコメディとして楽しめると考えられる。
本作における魔力と魔法の考え方が他の異世界転生の作品と比較した際に特徴的だと個人的に思った。多くの作品では魔法と言われると炎や氷、風などの属性が存在し、相手に向けて放つものや日常的に使われていることが多い。しかし、本作では魔力や魔法は身体能力やその他感覚を上昇させるものであり、治癒に用いることや炎や氷を放つ場面はほとんどなかった。それゆえに近接戦闘が非常に多く、特に剣の戦闘が多い。この点は他の異世界転生とやや差別化できる部分であると考えられる。また、戦闘描写は引きのアングルを活用しながら見せることで作画の枚数を抑えつつ、迫力のあるものになっていた。
6.『陰の実力者になりたくて!2nd Season』(アニメ)
原作:逢沢大介 監督:中西和也 制作:Nexus
「血の女王」「妖狐」「暴君」の三勢力が統治する無法都市へとやってきたシド。そこはならず者がはびこる弱肉強食の世界であった。吸血鬼の支配者「血の女王」討伐に姉のクレアが奔走するなか、シドはまたとない「陰の実力者」の機会に心を躍らせる。しかし、「血の女王」をめぐる陰謀が動き出し、無法都市は勢力が入り乱れる事態に陥ってしまう。クレアも騒乱に巻き込まれ、シャドウガーデンも独自に行動を開始する。混沌を極める中、シドも人知れずシャドウとしての暗躍を開始する。
無法都市での騒乱において姉であるクレアを助けておきながら、姉に似た人を助けた程度の認識で次の行動を起こす、シャドウガーデンの活動資金として作り上げられた商会を自身の野望のために潰そうとするなど、自己満足を優先する行動が第一期よりも多くなっているように感じた。
本作の特徴の一つとしてシリアスコメディが挙げられる。シャドウ本人が七陰を友達と認識している割には話を聞かないところがあり、話の内容を明後日の方向に解釈することが多い。しかし、部下たちは助けてもらった恩義があることからシャドウを崇拝しており、シャドウの行動や言葉を好意的に解釈してしまう。解釈が異なっているにも関わらず、最後には全てが丸く収まっているという理解しがたい現象はまさにシリアスでありながらコメディだと考える。第二期では貨幣騒動の話が当てはまり、裏切っていたにも関わらず守るためと勘違いされた挙句、隠していた資金を部下に回収されたことを知らずに探すシャドウは主人公らしからぬ滑稽さがあった。
7.『転生王女と天才令嬢の魔法革命』(アニメ)
原作:鴉ぴえろ 監督:玉木慎吾 制作:ディオメディア
パレッティア王国王女、アニスフィア・ウィン・パレッティアには前世の記憶がある。魔法が当たり前に存在する世界に転生し、魔法使いにあこがれるアニスフィアが夢見たのは、魔法で空を飛ぶという、破天荒で非常識なことであった。しかし、魔法が使えないアニスフィアは日夜、キテレツ王女とあだ名されながら、怪しげな研究に明け暮れる。ある夜、お手製魔女帚で空へ飛び立ったアニスフィアが暴走し、飛び込んだのは貴族学院の夜会。そこでは魔法の天才と称される公爵令嬢ユフィリアが婚約破棄を宣言されていた。
王宮百合ファンタジーと謳っている本作だが、ベースの要素として悪役令嬢ものがあると考えられる。公爵令嬢であるユフィリアが婚約者の好きな人に嫌がらせをしたとして婚約破棄を言い渡される場面は悪役令嬢系の物語では典型的な場面であり、要素として象徴的な場面だと考える。その後アニスフィアによって救出されるが、一度悲劇に見舞われた彼女がアニスフィアと関わっていく中で変化していく様子は悪役令嬢系から離れた魅力であると考える。
また、アニスフィアとユフィリアは主人公でありながら性格も能力も対極にいる人物のように描かれている。魔法が使えないアニスに対して、ユフィは魔法に愛された少女と形容されるほど優れた魔法使いであり、常識に囚われない発想をし、破天荒なことでも実行するアニスに対して国家への影響等を考えてしまうユフィは正反対である。最初こそ衝突が多いが、話が進むにつれてお互いに持っていないものに対する羨望が強め、相手にこうあってほしいと考える姿は研究者と助手という枠を超えた関係性へと変化していることを示していると考えた。
8.『時々ボソッとロシア語でデレる隣のアーリャさん』(アニメ)
原作:燦々SUN 監督:伊藤良太 制作:動画工房
私立征嶺学園。この学園には孤高のお姫様がいた。彼女の名はアリサ・ミハイロヴナ・九条。生徒会に所属する彼女はその美貌と近寄り難さから1年生の二大美人と称されていた。そんな彼女の隣の席に座っているのは、学園一怠惰な生徒、久世政近。彼に対していつも冷ややかな目を向けるアリサだったが、ふとした瞬間にロシア語でデレてくる。伝わっていないと思っている彼女だが、政近はネイティブレベルでそのデレを聞き取ってしまっていた。
気づいていないと思いデレるアリサと気づきながらも平静を装う政近。果たして二人の恋模様はどうなるのか。
本作を視聴していて感じたのは主人公である久世正近が主人公らしくないということである。アーリャとの恋愛関係においては確かに主人公であるのだが、生徒会関係となると途端に一歩引いたような発言が目立つ。特に次期生徒会会長に関する話ではアーリャを立てることが多く裏方に徹していることが多い。政近の立ち位置は陰の主人公といったところであり、あまり表に出ずヒロインを支える姿は珍しい主人公像であると感じた。しかしながら、出しゃばってくるときもありキャラクター像が不明瞭な部分があるとも言える。
また、本作ではキャラクターのギャップが凄まじい。アーリャがロシア語でデレるのもそうだが、異彩を放つのは政近の妹・有希である。彼女は学校では政近の幼馴染として淑女然とした振る舞いをしているが、家で二人きりになれば妹としての立場を全力でアピールし、アーリャと政近が会議をしている時には、ラスボスのような立ち振る舞いをして一人満足するなど、初登場時からは考えられない一面を見せてくる。しかし、このギャップはキャラクターを魅力的に見せるとともに物語にも緩急をつけてくれるものであり、ラブコメというジャンルにおける甘さ回避にも作用していると考えられる。
9.『声優ラジオのウラオモテ』(アニメ)
原作:二月公 監督:橘秀樹 制作:CONNECT
高校生にして新人声優の歌種やすみはオーディションに落ちて気分が落ち込んでいた。そんな彼女のもとにある日、ラジオの話が舞い込む。その内容は偶然にも同じ高校、同じクラスの声優である歌種やすみと夕暮夕陽が教室の空気を届けるというものであった。憧れの夕暮夕陽との共演にテンションが上がるやすみだったが、実際の夕陽はイメージと全く違っていた。オモテとウラで正反対の二人。互いに嫌悪し、嫌味と罵りの嵐を吹き荒らしながら、彼女たちは今日もプロ根性で世界を騙す。
声優の世界の厳しさ、難しさを描いた作品。前半では特に普段の自分と声優としての自分の乖離が多く描かれていた。主人公である二人は普段の生活の自分では売れることが難しいという考えから、違う自分を演じている。ラジオの回数を重ねるにつれて、偽りの自分を演じていていいのか、本当の自分を見せたらファンを失望させてしまうのではないかという苦悩に陥っていくがその様子からは声優という職業への誇りやプロ意識があると感じられる。夕暮夕陽が自分のことをアイドル声優と呼ばれることを嫌い悩む姿はその象徴であり、同時に多くのことを求められるようになった声優という職業の大変さも表していると考えられる。
ライバルに差をつけられたことによる焦燥感やキャスティングの都合によってのオーディションの合格、事務所間の問題など声優の世界で起きる出来事をリアルに描いているが、後半からは成長がメインテーマとなっているように感じる。その結果、自分の実力不足に悩みながらも声優界で生きていくといった感じの物語になり、世界を騙すという最初のコンセプトから逸れてしまったため、面白さが半減していると思った。
10.『負けヒロインが多すぎる!』(アニメ)
原作:雨森たきび 監督:北村翔太郎 制作:A-1pictures
ライトノベル好きの達観系ぼっち・温水和彦は、ある日偶然クラスの人気女子・八奈見杏菜が幼馴染の男子生徒に振られている現場を目撃してしまう。素知らぬふりをしようとする彼だったが、八奈見に見つかってしまい彼女の惚気と愚痴を聞かされる。ファミレス代金を立て替えたことで密かに八奈見と関わりを持つようになった彼だが、その後立て続けに、陸上部の焼塩檸檬、文芸部の小鞠知花という負け感漂う女子たちとも関わることになってしまう。
ラブコメ作品において想い人と結ばれなかった少女たちに焦点をあてた作品。振られた後も相手のことを想い、その幸せを願いながらも隙あらば奪い取ろうなどと考える姿はまさしく負けヒロインである。そしてその姿をさらに強調するのが勝ちヒロインの存在であると考える。本作では振られた女子が自分のことを振った相手と付き合っている女子と絡む描写が多い。一緒にカラオケに行き、付き合い立てカップルの親密さを見せつけられて悔しがる姿や、同窓会での阿吽の呼吸を見て怒り狂う姿、日数が経過してから振られた事実を受け入れて泣く姿などを描くことで負けヒロインであることが丁寧に表現されている。振った振られた後の関係をどうするかという点や付き合い始めた人の悩みや羨望、抱き続けていた好意をどこに向けるかも描かれており高校生らしい青春模様が非常にリアルである。
演出も凝っており、八奈見さんに呼び出された温水のはやる鼓動を路面電車のスピードで表現されている。目のハイライトの消え方やちょっとした仕草で登場人物たちの印象を操作していると感じた。
また、本作の特徴として会話が挙げられる。八奈見さんの少しずれた発言や想定外の言葉に心の中で的確に突っ込み、ある時は小鞠と学校の水道水について熱く語り合う姿が印象的だった。独自のこだわりや発言に対する返答が10年くらい前のライトノベルによくあった会話に近く、その頃の作品をよく見ていた人、読んでいた人にも刺さるようになっていると感じる。
11.『妹さえいればいい。』(アニメ)
原作:平坂読 監督:大沼心 制作:SILVER LINK.
妹という存在に異常に執着し、妹モノの作品ばかりを書き続けている妹バカの小説家・羽島伊月。彼の周囲には同業者の不破春斗と可児那由多、友人の白川京、弟の千尋、税理士にイラストレーター、編集者と様々な人物が集まっている。それぞれ悩みを抱えながらも、ある時はゲームに興じ、ある時はお酒を飲んで酔いつぶれ、またある時は確定申告でダメージを負うという賑やかな日常を送っていた。しかし、そんな彼らを温かく見守る千尋には大きな秘密があった。
作家業というクリエイティブな職種の苦しさ、大変さが描かれている。どうしてもよい描写が書けないときに動物園や水族館に足を運ぶ姿や取材と称して沖縄や北海道へ旅行する姿は自由業の良い点であると同時に、それだけのことをしなければいい作品を作ることが難しいということでもあると考えられる。
本作では作家を大別して二種類いるとしており、市場の傾向を分析して計算して売れる作品を作る凡人と己の感性を武器にして書き続ける天才に分けられている。凡人が天才に焦がれるように、天才も自分の上をいく天才に焦がれることが描かれており、どんな世界でも才能の有無の残酷さがあると感じた。
作中でアニメ化に関する話があり、その際に作画崩壊や新人声優の棒読み演技をSNSで批判されている描写はリアルだった。クリエイターの視点からあえて描くことで消費者側にはない作品への思い入れや熱量が伝わってくる。クリエイターが主人公の物語でこの切り口を用いることでコンテンツあふれるこの世の中で一つの作品に消費者たちがどう向き合うかという問題を暗示していると考えられる。
12.『ロクでなし魔術講師と禁忌経典』(アニメ)
原作:羊太郎 監督:和卜湊 制作:ライデンフィルム
一年間無職で親の脛をかじりながら生活してきた青年グレン・レーダス。堪忍袋の緒が切れた母親によって彼はかつて自分が通っていた帝国学院の非常勤講師に任ぜられてしまう。やる気のない彼は授業もせず寝ているばかりであったが、ある出来事をきっかけに真面目に行うようになる。授業遅れ解消のために学会開催の最中でも行われる授業だったがグレンが姿を現さない。心配する生徒たちだったが、やがて教室の扉が開かれる。しかし姿を現したのは学院に侵入してきたテロリストであった。
学院が主な舞台ということもあって魔法と魔術という、似ているようで異なるものが混同することなく分けられている。それに加えて魔術を世界法則や理論を交えて説明する様子から世界観が練られている作品だと感じた。しかし戦闘となると、その設定を活かしきれていないのがやや残念である。
本作では魔術を扱うことが多いにも関わらず、学生が戦闘に慣れている描写が非常に少ない。そのため、魔術の華々しい一面に憧れを持っている学生が非常に多く、魔術を扱えることの意味を考えていない様子や華々しさの裏に隠された暗黒面を知ったことで怯えを抱く様子が散見される。特に命に関わる戦闘となった瞬間に生きる世界が違うと感じ、恐れ慄き逃げ出す姿はまだ様々な世界を知らない学生という身分を強調していると考える。それと同時に学生たちの無知さは成長を感じさせてくれる要素でもあり、一歩間違えれば道を踏み外す可能性を持つ魔術にどう向き合うかや日の当たる日常と暗く非情な戦闘の世界の境界線を跨げるかという精神面に特に作用していると考えられる。
13.『ホリミヤ』(アニメ)
原作:HERO・萩原ダイスケ 監督:石浜真史 制作:CloverWorks
美人で成績も良く学校ではクラスの中心的存在である堀京子。そんな彼女は家に帰ると、家事や年の離れた弟の面倒に勤しむ毎日を送っていた。ある日、怪我をした弟の創太を見知らぬ男が家に送り届けてきた。お礼のために家に上げて話していると男の正体は同じクラスの根暗男子、宮村伊澄であることが発覚。その姿はクラスにいるときとは全くの別人であった。こうして誰にも知られていない一面の共有者となった二人は徐々に交流を深めていくようになる。
登場人物たちの感情の動きを言葉ではなく、鮮やかな色を使って演出しているのが非常に印象的だった。使用される色に一定の法則が見られず、解釈の方向性が人によって異なりやすい作品だと感じる。
誰しも他人には見せない一面を持っているというのは現実でも同じであるが、その多くは他人に失望されたくない、あるいは関わりたくないというものである。堀の場合が前者に当てはまり宮村は後者に当てはまると考えられる。特に宮村は中学生の時の出来事が尾を引いているせいかどこか近寄り難い雰囲気を纏っていた。後にこれがスクールカーストの問題につながっていくが、その際に宮村が他人と関わるリスクを犯してでも堀のために自分を変えたのは大きな変化だと感じた。
個人的な意見だが、堀さんが普段優しい宮村に罵倒されたいという欲求を抱いている点や宮村が馴染めない学校生活に反発するかのようにピアスを開け刺青を掘っているのは、嫌な自分を隠したい衝動や似合わないことをやらせたらどうなるのかという好奇心を表していると考えた。
14.『君と僕の最後の戦場、あるいは世界が始まる聖戦』(アニメ)
原作:細音啓 監督:湊未來・大沼心 制作:SILVER LINK.
科学技術が高度に発達した機械仕掛けの理想郷「帝国」。超常の力を駆使し、“魔女の国”と恐れられる「ネビュリス皇庁」。百年にわたる戦争を続けてきた両国には帝国最高戦力のイスカと“氷禍の魔女”の異名を持つアリスリーゼがいた。戦場で巡り合った二人は命を賭して戦う宿敵となる。国を、家族を、仲間を守るため譲れない矜持をぶつけ合う。しかし、互いの素顔に触れた二人は、お互いの理想に惹かれてしまう。共に歩むことを許されない運命に翻弄されながら、少年と少女は想いを募らせる。
技術で発展してきた帝国と超常の力で発展してきた皇庁は真逆の存在である。帝国側からすれば、技術があれば超常の力は必要なく、皇庁側からすればその逆となる。どこまでも交わることが許されない国家間において惹かれ合う二人はロミオとジュリエットのような状態と表現できる。また、イスカとアリスリーゼは対立する立場に居るが、互いに嫌悪感を抱いてはいない。しかし、国の最高戦は力であり戦場においてはある意味国家の代表となってしまうことがお互いを苦しめていると考える。二人とも理想として戦争を終わらせることを掲げており、実現すれば両国の親交の象徴となると考えられるが、現実はその真逆であり対立の象徴として祭りあげられてしまっている。個人としては歩み寄りを図りたいが、国としては許されることではないという事実が戦争の終わりの難しさと両国における差別の根深さを窺わせる。
その一方でイスカが所属している小隊の面々は敵対しているものの関わるうちに魔女に対しての嫌悪感は薄れていく様子が描かれており、差別意識は国から植え付けられたものであり個々人における敵対の解消は可能であることが示されていると考える。
15.『ひきこまり吸血鬼の悶々』(アニメ)
原作:小林湖底 監督:南川達馬 制作:project No.9
ムルナイト帝国の名門貴族ガンデスブラッド家の令嬢、テラコマリ・ガンデスブラッドは吸血鬼であるが、血が飲めない体質であった。そのため、魔法が使えない、運動ができない、背が伸びないという三重苦に悩まされていた。そんなある日、父親がとんでもない職業を見つけてくる。それは帝国の猛者しかなれない「七紅天将軍」。コマリは断ろうとするが、皇帝直々の任命により断ることはおろか辞めることもできなくなってしまう。本当の実力が露見することも許されない状況のなかコマリはしぶしぶ任務を開始する。
吸血鬼なのに血が飲めないというのはどういうことかと疑問に思ったが、ちゃんとした設定があり納得できた。基本的にコマリが戦うことは少なく、部下が倒していくことで物語は進行していく。しかし、あらかじめ落とし穴を掘って相手をはめる等は、本来の実力がばれないようにするハッタリにしては度が過ぎているようにも感じた。
臆病かつ戦いを好まないコマリは戦闘そのものを苦手としており、戦場での爆発音や剣戟の音が聞こえるだけで委縮してしまうほどである。しかし、部下を従えることや他人を味方につける等の才には恵まれており、他の将軍が一匹狼気質ということもあって大きなアドバンテージになっていると考えられる。また、自分の戦果を挙げることに目が行きがちな将軍たちに比べて、困っている人を助けたいという想いが強いのも他キャラにはない魅力だと考える。
また、コマリは異性よりも同性から好かれている描写が非常に多い。個人的にこの点はライトノベルが原作ということに加えてその中で流行りつつあるガール・ミーツ・ガールの要素を前面に押し出したものではないかと考えた。
16.『落第騎士の英雄譚』(アニメ)
原作:海空りく 監督:大沼心 制作:SILVER LINK.、Nexus
己の魂を魔剣に変えて戦う現代の魔法使い≪魔動騎士≫。その育成を目的とする学園において黒鉄一輝は能力の低さから≪落第騎士≫と呼ばれていた。そんな彼は10年に一人の天才と呼ばれる≪A級騎士≫の異国の皇女、ステラ・ヴァーミリオンから決闘を申し込まれる。承諾した一輝は周囲の予想に反して勝利。彼は魔法ではなく、剣技を極めた異端の実力者であった。騎士の頂点を争う戦いの中で強敵を倒し、駆け上がり始めた一輝は学園の騎士たちから注目されるようになる。
剣を用いた戦いが主であるが、使用する剣には能力があるため迫力のある戦闘シーンを作り出しやすい作風だと思った。特に第12話で学園最強と戦った際の赤い燐光や迸る稲妻は緊迫感と迫力が相まって素晴らしい作画だと感じた。
能力を駆使して多くの生徒が戦う中で剣技を用いる主人公は異端であるのは確かである。しかし、主人公が勝っていく姿は剣技を究極まで突き詰めれば、魔動騎士としての能力が著しく劣っていても戦場においては問題ないということを証明していると考えられる。見方を変えればアイデンティティを奪われかねない問題であり、作品の根幹を揺るがすものであるが、能力と剣技の両方を持ち合わせていなければ本当の意味で魔動騎士ではないと考えることもできる。見下していた存在が学園の成長に大きな影響を与えるという点では実力から学内地位の成り上がり要素もあると考えられる。
設定はファンタジーであるが、実在する国名や起きた事件の名称が登場していることから、ジャンルとしてはロー・ファンタジーに近いとされる。あくまで学園ものであるため、現実世界に近い空気感を出したかったのではないかと思う。
17.『神様のメモ帳』(アニメ)
原作:杉井光 監督:桜美かつし 制作:J.C.STAFF
幼少期から転校を繰り返してきた高校生・藤島鳴海は何の期待も抱かずにこの街へ越してきた。そんな彼は入学した高校で出会った篠崎彩夏に連れてこられたラーメン屋でニートたちと知り合う。その矢先、彼は店主からビルの上の階の一室への配達を頼まれる。その部屋の扉にはNEET探偵事務所と書かれていた。出迎えたのは自らをニート探偵と名乗る少女・アリス。彼女は部屋から出ずにネットを駆使して真実を暴く探偵であった。部屋に入るとモニターにはなぜか数日前、鳴海が居合わせた事件現場が映されていた。
ネットで情報を集めるNEET探偵の元に集まっているせいかニートという職業に対する誇りが非常に強い。主人公の鳴海にまでニートにならないかと誘う、プライドもなく金を貸してほしいなどと頼む人達は筋金入りと言える。
探偵とNEET探偵にきっちりとした区分があり、アリスは探偵と括られることを嫌っている節があるように感じる。それは情報をネットで探すという部分に固執しているからであり、その背景には自分の力で救えたものが世界のどこかにいたという考え方が影響していると考えられる。また、アリスの部屋は外界との物理的接触を絶っている場所でありながら、電子の海で外界と繋がっているという矛盾を抱える場所であると考える。
NEET探偵を自称するだけあり、弁の立つアリスは迂遠な言い回しをすることが多い。個人的に小説という媒体なら素通りしかねないものであると思っているがアニメという媒体において、引っ掛かりを感じるような言い回しをあえて用いることでアリスの立ち位置を不明瞭にし、興味を持たせるようにもなっていると考えた。
18.『お隣の天使様にいつのまにか駄目人間にされていた件』(アニメ)
原作:佐伯さん 監督:王麗花 制作:project.No.9
高校進学をきっかけに一人暮らしを始めた藤宮周はある日、雨の中でずぶ濡れになっている少女を見つける。彼女の名前は椎名真昼。周と同じマンションの隣の部屋に住んでいる少女であった。心配になった周は彼女に傘を貸すが、風邪をひいてしまう。そこから二人の交流は始まった。自堕落な生活を送る周を見かねて、真昼は食事を作り、部屋を掃除し、何かと世話を焼く。隣同士で暮らす二人はゆっくり、少しずつお互いの心を通わせていく。
お互いが関係を進めていくことに慎重であるゆえに進展がスローテンポすぎると感じてしまう。しかし、そのスローテンポはある意味じれったくもあり、本作のような純愛に近い作品ではよい効果を発揮していると考える。
二人の関係性が進展していかない要因の一つとしてお互いの家庭環境と中学生の時の出来事が関係している。真昼の場合は両親が愛のない結婚をした結果、愛情を注がれておらず、自己肯定感が低くなってしまっていること、周は中学生の時に友達だと思っていた同級生によって人間不信及び自信を喪失したことが主な原因である。自分に自信を持つことができない人間同士が関わったため、一歩先に踏み込むことができない状況が出来上がってしまったと思われる。
関係性は進展していかないが、真昼が周に対して安心感を抱いている描写は非常に多い。例えば周の部屋で眠りこけてしまう、耳かきをして甘やかす、さらには周のベッドで眠ってしまうなどがある。付き合っている男女と勘違いされかねない距離感で生いていながら付き合っていないという事実は先述したじれったさにも大きな効果を発揮していると考えられる。
19.『トラぺジウム』(劇場アニメ)
原作:高山一実 監督:篠原正寛 制作:Clover Works 公開:2024年5月10日
高校一年生の東ゆうはアイドルになるために自らに4箇条を課して高校生活を送っていた。半島地域「城州」の東に位置する高校に通うゆうは、他の3つの方角の高校へと足を運び、3人の可愛い女の子と友達になる。その裏には、アイドルグループを結成する目的があった。イベントをこなしながら結束を深めていく4人。そしてついにアイドルデビュープロジェクトの話が舞い込む。順調に夢に向かって階段を登り続けていくが、ゆうはある問題に直面してしまう。
アイドルという職業に対する主人公の憧れやイメージというものが多くの場面で感じられた。彼氏がいてはならない、皆に笑顔を届けることができるという発言はその象徴であり、ハイライトの消えた瞳による演出がアイドルへの妄信を強固にしていると考えられる。
物語の序盤において仲良くなる目的がアイドルであることを明かさない点は亀裂を生む要素であり、それがいつ爆発するのかというのを楽しみにさせる効果も担っていると考えられる。また、ボランティア番組での些細なすれ違いや仕事をするなかでの意識の違いが丁寧に描かれている。これによって順調に進んでいる表に対して裏では亀裂が確実に深まっていることがよくわかり、決壊した際の不和により説得力をもたらしている。
本作では星空が多く登場していた。その理由はタイトルであるトラペジウムがオリオン星雲の中にある四つの重星のことであり、東西南北のメンバーを重ね合わせていたからだと考えられる。
鑑賞後、主人公は友人を利用してアイドルになろうとしたという印象が強く残っていたが悪印象として捉えてない自分がいた。それは、主人公が人は結局自分のために動く生き物と利己的な面の本質を突く想いや後悔して涙を流す場面があったからだと考える。
20.『夏へのトンネル、さよならの出口』(劇場アニメ)
原作:八目迷 監督:田口智久 制作:CLAP 公開:2022年9月9日
ウラシマトンネル。そのトンネルに入ったらどんなほしいものでも手に入るという。しかし、その引き換えに何かを失う。そんな噂が学校で流れていた。つかみどころがないように見えて、過去の事故で心に傷を負っている塔野カオルはその噂に触発されて、トンネルに行ってしまう。そこには偶然にも転校してきたばかりの花城あんずもいた。お互いの欲しいものを手に入れるために二人は協力関係を結ぶ。これは、とある片田舎で起こる郷愁と疾走の夏の物語。
ウラシマトンネルの不気味さが原作よりも強調されているように感じた。壊れた木の柵や、赤い紅葉の道、夕暮れによって周囲も赤くなったトンネル、入って息を吐いたら白くなっているなど、現実とは切り離された場所であることが演出されている。トンネルと表現されているが、実際は洞窟に近い入口をしていたことも不気味さを駆り立てるのに一役買っているように思えた。
終盤、塔野がトンネルに入る日時を8月2日と話し合って決めた際に、部屋のカレンダーが映しだされる。しかし、そのカレンダーは2日以降が破り捨てられている。ほんの一瞬だが、あえて映すことで失ったものを取り戻すまで絶対に帰ってこないという強い意志があるような演出になっている。
花城あんずという少女は他人との接触を嫌い、はっきりとした物言いをするため自分に自信がある人物であるような印象を持つ。しかし、漫画に関しては弱気な一面を持っており、塔野に自分が描いた漫画を読んでもらっている際の貧乏ゆすりや小さなガッツポーズは普段あまり見えない彼女の感情と、高校生らしさが描いてくれていると考えた。
21.『五等分の花嫁*』(劇場アニメ)
原作:春場ねぎ 監督:神保昌登 制作:バイブリーアニメーションスタジオ
公開:2024年9月20日
「落第寸前」「勉強嫌い」の美少女五つ子をアルバイト家庭教師として見事「卒業」まで導いた風太郎。それぞれの道へと歩みを進め、夢を叶えた彼女達だったが新たな問題にぶつかっていた。そんな中、風太郎と五つ子は新婚旅行を兼ねたハワイ旅行を計画する。順調に準備が進んでいたが、ある事件が発覚したことで大慌ての事態に。さらに旅行先のハワイでもトラブルに巻き込まれてしまう。
恋愛や人間関係で悩んでいた高校生の時に比べて、仕事に関する悩みが多くなり成長を感じた。特に旅行中でも上司から度々連絡が入り、返信していた五月は社会人という立場が強調されていると考えた。また、風太郎に関することも各々が折り合いをつけたようで、高校生の頃のように取り合いに発展することもなく、変わらない仲良しな五つ子が描かれていた。
四葉と風太郎の距離感が大きく変わっており、原作終了の時にはどこか遠慮があったのだが、風太郎のことを「面倒くさい」と言ってしまえるくらいに距離感が縮まっている。良好な夫婦関係の証であるのだが、個人的には自己犠牲の精神のもとで行動し続け本心を隠す癖があった四葉がはっきりとした想いを打ち明けたことに成長を感じた。
旅先でのトラブルは五つ子たちの得意分野に応じて解決を試みていくことになるが、それは五つ子という特徴を活かして協力すればどんなことも解決できるということである。自分たちの抱えている問題にも同じことが言えるが、旅先での言葉を胸に自分に自信を持って解決する姿は叶えた夢の先を実現する一歩を踏み出したと捉えることができる。このように家族で、姉妹で協力して乗り越える機会が減っていくのが大人への成長と考えられるが、それは離れ離れになっていくということでもあり、少し寂しく感じてしまった。
22.『義妹生活』(ライトノベル)
作者:三河ごーすと イラスト:Hiten
親の再婚によって一つ屋根の下で一緒に暮らすことになった浅村悠太と綾瀬沙季。両
親の不仲を見てきたため男女関係に慎重な価値観を持つ二人は、歩み寄りすぎず、対立もせず、適度な距離感を保とう約束を交わす。家族の愛情に飢え孤独に努力を重ねてきたために甘え方を知らない沙季と彼女の兄としてどう振る舞えばいいか戸惑う悠太。どこか似た者同士であった二人は次第に互いとの生活に居心地の良さを感じ始めてしまう。
本作は恋愛生活小説と謳われていることもあり、日常的な場面が多く書かれている。毎日の食事の風景やアルバイト先での出来事、登下校の際のモノローグなど現実の高校生も経験すると思われる描写が多く、「日常」の質が高いと感じる。その中での二人の心情の変化も丁寧に書かれており、恋愛という部分に付けて先に進ませようという感じがあまりない。これも「日常」の質の高さの一因と考えられる。
二人の関係の変化を書くため、物語は二人の視点で展開されていくが別々の出来事を書くというわけではなく同じ日の同じ出来事が書かれている。そのため浅村悠太の視点では未解消であった綾瀬沙季の心情が綾瀬沙季の視点になると詳細に語られるという構図になる。これはある意味、作中で二人が行っている価値観を共有することが読者に対しても行われていると考えることができ、読者の皆様、勘違いしないでくださいというメッセージであり、突飛な展開に至らない安心感がある。
義妹に対して、義理の兄に対して特別な感情を抱きかねないことを両者ともにインモラルなこととして捉えている節がある。親のことを思慮する面や社会的にどうなのかを考えているのはその証左であり、そんな二人の距離がどう縮まっていくのか今後も注目である。
23.『誰が勇者を殺したか』(ライトノベル)
作者:駄犬 イラスト:toi8
勇者は魔王を倒した。しかし同時に帰らぬ人となってしまった。
魔王が倒されてから四年の歳月が過ぎた。平穏を手にした王国は亡き勇者を称えるために数々の偉業を文献に編纂する事業を立ち上げる。かつて仲間であった剣聖・レオン、聖女・マリア、賢者・ソロンから勇者の過去と冒険話を聞き進めていく中で、全員が勇者の死の真相について言葉を濁す。
「何故、勇者は死んだのか?」
勇者を殺したのは魔王か、それとも仲間なのか。
勇者の生き様が非常に素晴らしい作品。かつての仲間各々の視点から語られる勇者の成長と努力が美しいと感じた。
それぞれの章にミスリード的な要素があり、そのすべては最終章に集約されている。そのため、ファンタジーでありながらミステリーとしても楽しむことができる。勇者に対する予言も特定個人を指す言葉ではなく、抽象的であるため文字通りに意味を察すれば、その先の展開をさらに楽しめると思った。
作中における断章1は勇者の視点で物語が語られており、それ以外の章は該当する人物による一人称視点で語られる。断章1では勇者の努力と覚悟が語られ、それ以外では周囲の人物による勇者への印象や評価、自分が抱える悩みが回想される。基本的に断章1と仲間の章を交互に繰り返す構成が取られており、先に勇者側を語り、その後に仲間の章にすることで勇者の生き様や周囲の人間への影響などを印象付けていると考えられる。また、断章1ではあえて詳細に語らない仲間との関わりの変化を、仲間それぞれが語る章で詳細に書いている点は読者の興味をより引くことに作用していると考えた。
24.『シャーロック・アカデミー』(ライトノベル)
作者:紙城境介 イラスト:しらび
増加する凶悪犯罪に対抗し、探偵という職業の必要性が飛躍的に高まった現代。日本で唯一「国家探偵資格」を取得できる超難関校・真理峰学園に今年、とある少年と少女が入学した。一人はかつて〈犯罪王〉と称された男の孫・不実崎未咲。もう一人は〈探偵王〉の養女・詩亜・E・ヘーゼルダイン。宿敵とも呼べる存在がまさかの邂逅を果たす。そして始まる学園生活。早速入学式から模擬事件が発生。しかも得点は一番先に正解した詩亜よりも不実崎の方が高かった。
現在、ライトノベル界隈で流行しつつあるジャンル・ミステリーを軸に置いた作品。読者を楽しませようという努力が散りばめられていた。その最たる例が太字の活用と考える。本作における太字は事件を解決するうえで手掛かりとなるものを指している。これによって読者も情報を抽出しながら事件を推理することが可能となっており、叙述トリックやどんでん返しを共に味わい、物語に没入することができる。その情報も見方を変えれば活用できるものが多く、多角的な思考・視点や物事の本質を見通す力が必要な点はまさに推理そのものであり、作者の練り込みが素晴らしいと思った。
詩亜は〈探偵王〉に育てられ、不実崎は〈犯罪王〉の孫と対極に位置する二人だが、精神的な強さや推理の方向性も真逆である。詩亜に足りない視点や知識は不実崎が補う形が取られており、宿敵でありながら協力している様子はこの先の化学反応がどうなるか楽しみにさせてくれる。不実崎が自分に対する世間の目を変えるために探偵を目指し競うのが表のテーマとするなら、犯罪者という存在を深く知り詩亜が成長していくのが裏のテーマだと考える。
25.『経学少女伝』(ライトノベル)
作者:小林湖底 イラスト:あろあ
世界最難関・男性のみ受験可能な試験、科挙。
雷雪蓮は少女でありながら男装して科挙合格を目指す受験生。自分以外にそんなことをする者はいないと思ったが、試験会場でどう見ても女の子である受験生・耿梨玉を発見してしまう。仲良くなった二人は悪徳官僚に支配された世界を正すため、手を取り合い試験地獄へ挑むことにする。性別がばれてしまえば失格、その上試験問題は難問揃い。さらには殺人事件やカンニングの横行など様々なトラブルも発生してしまう。
昔の中国が舞台ということもあり、男尊女卑の考え方が非常に根強い。科挙の試験場が女の来る場所でないという描写や女ではないかという疑惑から正体を暴こうとするなどからもよく伝わってくる。現代では認めがたい価値観であるが、それが逆に昔であることを忠実に演出してくれているとも考えられる。
科挙という試験の難しさを物語るかのように、試験中に暴れだす受験生や一週間ちかい時間をかけての試験が描かれている。なかには不正を働く受験生もおり、そこまでして合格を勝ち取ろうとする描写から当時は大変名誉なことであったことが窺え、リアリティがあると感じた。
二人の目標は悪徳官僚を一掃し、世界を変えることであるがその過程は真逆になると考えられる。雷雪蓮が邪魔な人間をどんな手を使っても蹴落とそうとするのに対して、耿梨玉は悪人すら包み込み許そうとする人間である。雷雪蓮の語りで話が進むため彼女の冷酷さが強調され男性らしい面が際立っているが、耿梨玉は慈愛に溢れた女性的な面が強調されている。この対照的な面が目指すものが同じでも決して道が交わらないと感じさせ、同時にいつかぶつかる不穏さを醸し出していると考えた。
26.『リコリス・リコイル Recovery days』(ライトノベル)
作者:アサウラ イラスト:いむぎみる
リコリス。それは花の名前にして日本の平和を守るエージェントの少女たちの名称。それに所属する井ノ上たきなと錦木千束。彼女たちの昼の顔は喫茶店の看板娘。しかし依頼が入れば、エージェントに大変身する。そんな彼女たちの非日常を綴った原案者自らの書き下ろしノベル。
TVアニメと比較すると日常的な描写が多い印象を受けた。千束がたきなを映画に連れていくために任務をこなしながら奔走する章や風邪を引いた際に看病してもらうなど、DAという部分を抜きにした年相応の少女らしい部分が強調されていると考えた。その一方で任務をこなす話もしっかり存在し、1話を丸ごと使った短編集ならではの緩急のつけ方があると感じた。キャラもそう変わっておらず、千束は常にたきなを振り回し、たきなは仕事中毒のような発言が見受けられ、ミズキは婚活に勤しみ、クルミはマイペースにネットと関わるなどアニメからの地続き感も良かった。
個人的にアニメの方であまりフォーカスされることがなかった喫茶リコリコを訪れる客たちの仕事内容や悩みは書き下ろし特有の要素だと感じた。千束とたきなが事情を聞いて解決に手を貸す姿からは物語の中心が二人であると感じられる。任務なしで話を動かすときには喫茶リコリコの客が関わっており、この点は日常を描こうとする小説ならではと考えた。
27.『私の初恋は恥ずかしすぎて誰にも言えない』(ライトノベル)
作者:伏見つかさ イラスト:かんざきひろ
容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能、金持ちの家に生まれ美人な姉妹までいる、順風満帆な人生を送る八隅千秋。そんな彼にはある悩みがあった。それは生まれてから一度も恋をしたことがないというもの。高校では女子にちやほやされる日常を送ると誓った翌日、千秋は女の子になってしまっていた。自慢の外見を失って落ち込むも、可愛い容姿に喜ぶ千秋。妹にも見せびらかしに行く千秋だったが、女子にモテモテな双子の妹・楓の身にもとんでもない異変が起きていた。
『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』、『エロマンガ先生』を手掛けた作者の新たな作品。三作連続で妹を軸に置いた作品を展開していることから作者のこだわりや業の深さを感じる。
千秋を語り手として話が進んでいくが、読者に語り掛けるかのような語り口や自画自賛する文から自信家である一面や切り替えの早さが窺える。性別が変わろうと自身の目標を揺るがず達成しようとするその姿勢は、性転換が物語の根幹の要素である本作においてシリアスな雰囲気になりかねないものを軽減してくれているのではないかと考える。また、女性になったことで同性と親しい距離で接することも可能になった。いわば千秋が目標にしていた女子にちやほやされる生活に近づいたことになる。しかし、あくまでも男としてちやほやされたいのであり、女性としてでは意味がないという言動を度々繰り返している。このような点からは肉体は女性でも精神的には男性のままであることがわかる。
自身と同じように性転換してしまった妹に対して恋愛感情を抱きかけることをいけないこととして考えているような描写からは、倫理観がしっかりしていることも窺えるが、自分の初恋の相手が妹になってしまう事実を認めたくない複雑な男心も絡んでいるように感じた。
28.『消せる少女』(ライトノベル)
作者:あまさきみりと イラスト:Nagu
ありふれた人生を嫌い、現実逃避のように漫画家という夢を追いかけていた中学生・塔谷北斗。そんな彼の前にユリと名乗る一人の女性が現れた。北斗の漫画のファンを名乗る彼女の感想に励まされ、取材と称して疑似恋愛をしてみる日々を送る中で北斗はいつの間にか励まされていた。同時に嫌っていたはずのありふれた幸せの尊さも知る。しかしある時、彼女の記憶も、想いも、大切なものが少しずつ消えていることを知ってしまう。ありふれた幸せ、ありふれた人生。この残酷な世界で下す決断とは。
教室で意味もなくお喋りに興じるクラスメイト達を見下しているような描写が目立つ北斗は、自分は他人と違うと言い聞かせることで小さな自己を保っていると捉えられる。そしてその一つの形が漫画だったと考えられる。漫画を褒めてくれるユリは自分が思う特別を肯定してくれる存在であり、北斗にとってその存在が大きくなるのは当然と言える。同時にありふれた幸せ、人生とは縁遠い彼女と関わったことや平穏が崩れかけたことは北斗の人生観にも影響を与えている。この点からユリとの関わりは特別に浸らせてくれるものでありながら、自身が否定したありふれた幸せを考え直す意味を持っていたと考えられる。
中盤から終盤にかけてユリとの再会を書く際に余計な描写をせず、時間を飛ばされていた。回想すら挟まないのは時が経過する中で北斗のユリに対する感情が変化していないことを表したのだと考えられる。また、ほとんど明かされることがなかったユリの感情を終盤にすべて持ってきたことで北斗との関わりでユリという存在が大きく変わったことが表現され、読者の心を揺さぶる効果も持っていたと考えられる。
ありふれた幸せや人生の尊さは失った人にしかわからないとよく言われているが、本作における北斗と姉の関係性の変化はまさにそのことを示していると感じた。
29.『ミリは猫の瞳のなかに住んでいる』(ライトノベル)
作者:四季大雅 イラスト:一色
瞳を覗き込むことで過去を読み取る能力を持つ大学生・紙透窈一。退屈な大学生活を送る彼はある日、野良猫の目を通じて未来視の能力を持つ少女・柚葉美里と出会う。猫の瞳越しに過去の世界と会話が成立することに驚くのもつかの間、美里は未来の話を告げる。それはこれから起きる事件と運命を変えるための依頼であった。調査の過程で絆を深めていく二人だったが…。
過去と未来と現在、真実と虚構が交錯する猫の瞳のなかで見えるものとは。
過去と未来と現在が交錯する中で進んでいく物語と窈一と美里の設定が複雑であり、一つ一つの出来事をかみ砕き整理しながら読み進めるのが非常に大変だった。これだけ複雑な物語を終幕に向けてまとめる技量は『私はあなたの涙になりたい』、『バスタブで暮らす』を書いたこの作者ならではのものと感じた。
作中において演劇という要素が深く関わっている。演劇は窈一と美里にとっては互いを繋ぐ欠片の一つとして機能しており、作品全体においては入り乱れる時間軸の象徴に近い感じがある。また、謎を着るという表現やエチュードの内容からは役になりきって物語を創るというよりは謎を解くための舞台装置としての側面があると捉えることもできる。
個人的にボーイ・ミーツ・ガールだけでなく、ミステリーとしての完成度も高いと思った。情報を後出しするタイミングが抜群にうまく、絶望と驚愕を少し落ち着いたところで与えてくる。比喩的かつ抽象的な言い回しはそれらを魅力的にし、読者を混乱へ導いてくれていると考えた。
30.『どうせ、この夏は終わる』(ライトノベル)
作者:野宮有 イラスト:びねつ
人類滅亡の危機が発表されてから二年が経った。人々は恐怖することに疲弊し、どうしようもない現実を忘れて怠惰な日々を送っていた。そんな人類最後の夏休み。夢を投げ出した少年は幼馴染との距離感がわからず戸惑い、スランプ中の文芸部部長は場末のゲームセンターでゾンビを蹴散らす少女に出会い、やさぐれ全開の女子高生は転校生を尾行し、重大な秘密を抱える少女は廃墟マニアの恋人と最後のデートに臨み、ひねくれ者の少年は女子高生監督に弱みを握られて人類最後の映画を撮っていた。
もう二度と訪れないかもしれない夏休み。そんな中で必死にもがき生きようとする高校生たちの物語。個人個人にスポットが当たるため内容に連続性はないが前の章に名前が出てきた人物が次の章では中心になって動くため、章ごとの繋がりを常に意識して読むことができる。その先の最終章にすべての要素が収束していく構成は読者を物語のなかにより引き込むと考えた。
人類が滅ぶということもあってか、多くの人物が精一杯生きることに対して臆病になっている。それは一種の諦観であり、賢く生きるのであれば間違いない選択と言える。しかし、何かに一生懸命になっている人を見て心を奮い立たせる場面や、絶望が希望に変わることを願う描写などからは個々人の未練や焦燥が伝わってくる。これはどの人物でも変わらず描かれているものであり、自分のやりたいこと、生きることあるいは友情を登場人物たちが問い直すのが本作のテーマであると考えられる。
作者が青春を過ごした長崎県が舞台ということもあり、土地や道に関する言及も多い。登場人物たちの青春を描く中で作者自身の青春をどこか重ね合わせているようにも感じた。
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