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4年 佐藤希実
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1、『ウィキッド ふたりの魔女』(映画)(2025年)監督:ジョン・M・チュウ
【あらすじ】
誰よりも優しく聡明でありながら家族や周囲から疎まれ孤独なエルファバと、誰よりも愛され特別であることを望むみんなの人気者グリンダは、シズ大学で出会う。見た目も性格も、そして魔法の才能もまるで異なるふたりは反発し合うが、互いの本当の姿を知っていくにつれかけがえのない友情を築いていく。
ある日、誰もが憧れる偉大なオズの魔法使いに特別な力を見出されたエルファバは、オズに隠され続けていた“ある秘密”を知る。
【考察】
まず、視覚からシズ大学に通う生徒たちの衣装が特徴的だと感じた。生物学的な性別にとらわれず、男性であろうが女性であろうがスカートやズボンを自由に着用し、また、スカートとズボンが合体したようなデザインの制服もあった。本作では現代社会のジェンダーレスの価値観を反映させた衣装作りがされていた。
本作は女性同士の絆を描いたシスターフッド作品の一つだと考えられるが、終盤で、ふたりは別々の道を選択する点はとても意外に感じた。グリンダはやはり自分のポピュラーな部分を捨てきれないため、エルファバとともに逃げるという選択はしない。エルファバはグリンダについてきてほしいけれど強要はしないし、グリンダの気持ちもわかっているという感じがする。この困難を一緒に乗り越えようではなく、あなたの幸せを願っているという形にすることはシスターフッド作品であまり類を見ないのではないかと感じた。その点も踏まえ、本作では何よりも個を大切にする姿勢が一貫して描かれていると考えられる。
2、『ロミオとジュリエット』(映画)(1968年)監督:フランコ・ゼフィレッリ
【あらすじ】
シェイクスピアの傑作戯曲。15世紀中頃、イタリア北部の町ベローナ。2大名門として知られるモンタギュー家とキャピュレット家が血で血を洗う抗争をする最中、モンタギュー家の子息ロミオとキャピュレット家の息女ジュリエットは舞踏会で出会い、恋に落ちる。2人はお互いの素性を知り落胆しつつも、燃え上がった心を抑えきれず結婚式を挙げようとする。
【考察】
ロミオが最初ジュリエットではないロザラインという女性に想いを寄せていたというところに驚いた。ロザラインからジュリエットへと想いが移り変わる瞬間を舞踏会の場面のカメラワークで巧みに表現していた。
ロミオとジュリエットの恋は、お互いに愛が深まり、結婚を切望するまでがあまりにも性急な様子で描かれる。彼らの若さは愛の純粋さを表すとともに軽薄さすら表しており、彼らの後の運命の伏線になっていると考えられる。
3、『プライドと偏見』(映画)(2006年)監督:ジョー・ライト
【あらすじ】
18世紀、女性に相続権がない時代のイギリス。貧しくはないけれど、大金持ちでもないベネット家では、隣に越してきた金持ち・ビングリーの噂でもちきりだった。読書好きの次女エリザベスは、ダンスパーティーでビングリーの親友・ダーシーの高慢な態度に腹をたてる。またダーシーも彼女の聡明さと金持ちへの偏見に苛立ちを覚えるが、少しずつお互いへの偏見はなくなり距離は縮まっていく。
【考察】
本作の中にはあらゆる偏見が散りばめられている。ダーシーは社交場での振る舞いが上品さに欠けるベネット家全体に偏見を持っているため、ビングリーとジェインの婚約を阻止した。エリザベスはウィッカムの言葉を信じ、ダーシーが悪者だという偏見の目で見続ける。
貴族の家柄で大金持ちの男性が、人に対して鋭い観察眼を持ち、時にシニカルで堂々とした振る舞いをするヒロインを一目置き、ヒロイン一家の一大事には、悟られないように助けに入り、解決に導き、後にすべての事実に気づいたヒロインと婚約するという展開はまさに少女漫画に見られるシンデレラ・ストーリーの代表のような物語であると感じた。また、家柄が良い男性も高慢さはもっているが、愛する女性の前ではその高慢さも消え失せるという特徴すら付随する。
エリザベスの女性像は18世紀の女性としては先進的であり、嫌な男性とは結婚しない、立場が上の人間に対しても堂々と意見を言うなど強い女性として描かれている。
4、『パラサイト半地下の家族』(映画)(2019年)監督:ポン・ジュノ
【あらすじ】
全員失業中で、その日暮らしの生活を送る貧しいキム一家。長男ギウは、ひょんなことからIT企業のCEOである超裕福なパク氏の家へ、家庭教師の面接を受けに行くことになる。そして、兄に続き、家族全員がこの豪邸に足を踏み入れる。この相反する2つの家族の出会いは、悲喜劇へとつながっていく。
【考察】
半地下で暮らしている貧困層のキム一家が、富裕層のパク一家で家庭教師や、家政婦、ドライバーなどの職を得て、パク一家に違和感を持たせずに働く様子からキム一家の持つ高いスキルがうかがえる。富裕層の中で通用する高いスキルを持っていても貧困から中々抜け出すことができない韓国の格差社会がよく分かる。パク一家の地下室でひっそりと暮らすグンセのように何もスキルを持たない貧困層の人は地下の奥深くに住み、スキルを持った貧困層のキム一家は半地下に、富裕層のパク一家は二階建ての大豪邸に住んでいるという明確に構図で階層が描かれている作品であると考えられる。
5、『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来(映画)(2025年)原作:吾峠呼世晴 監督:外崎春雄
【あらすじ】
鬼となった妹・禰󠄀豆子を人間に戻すため鬼狩りの組織鬼殺隊に入った竈門炭治郎。その後、来たる鬼との決戦に備えて、挑んだ柱稽古の最中、鬼殺隊の本部である産屋敷邸に現れた鬼舞辻󠄀無惨。お館様の危機に駆けつけた《柱》たちと炭治郎であったが、無惨の策略によって謎の空間へと落とされてしまう。
【考察】
本作で焦点が当てられた鬼である猗窩座の描き方と人気について。
猗窩座は劇場版前作の無限列車編で物語終盤において突如現れ、煉獄杏寿郎を死に追いやった圧倒的な敵、炭治郎が憎むべき相手として描かれていたのにも関わらず、猗窩座というキャラクターは視聴者から大きな人気を獲得している。猗窩座は他の鬼とは異なり、女を喰わない、炭治郎、義勇との戦いにおいて自害を選ぶといった特徴があり、また人間時代においても父親想いでどれだけ罰を与えられても薬を買うため、盗みを繰り返すという少年期を過ごし、父と同じく体が弱かった恋雪にも献身的に看病していた。そして彼が暴力を振るうときは誰のためが理由であるなど心根が優しい人物として描かれていた。また鬼になった理由も自ら望んだのではなく、鬼舞辻無惨にいきなり鬼にされた。術式も婚約者であった恋雪の髪飾りがモチーフになっているなど様々な場面で彼がどれほど恋雪を大切に思っていたかが伝わる描かれ方をしている。また、人を殺す場面は多々あれど、同じく上弦の鬼の童磨などとは異なり、絶対にしているであろう人を喰う場面は描かれない。
これらの描かれ方から、猗窩座は他の鬼とは異なり、視聴者の都合の良い場面のみが抜粋されて描かれていると考えられる。加えて、煉獄杏寿郎の死を作った猗窩座に対し、主人公である竈門炭治郎は一切哀れみの気持ちなどは抱かない。鬼の過去は視聴者にのみ語られるため、当然のことではあるが、竈門炭治郎は視聴者から感情移入されるタイプの主人公としては描かれていないことがよく分かる。
6、『西の魔女が死んだ』(映画)(2008年)監督:長崎俊一
【あらすじ】
学校へ行くことが苦痛になってしまった中学生のマイは、母に勧められて祖母の家に身を寄せることに。母とマイが"西の魔女"と呼ぶイギリス人の祖母は、大自然に囲まれた一軒家で穏やかな生活を送っている。祖母との田舎暮らしは閉ざされたマイの心を少しずつ解きほぐしていく。
【考察】
人が自然とともに暮らす様子がとても美しく描かれている。特にジャム作りの場面は我々視聴者にノスタルジックな気持ちを想起させる。
学校に馴染めず、不登校になってしまったマイが祖母の家で過ごしているときには近所に住むゲンジさんを目の敵にする。また、ゲンジさんに対するマイの言動に対し、祖母もマイの頬を叩くという激しい対応をしてしまう。どれほど優しさや落ち着きを持ち、人の痛みがわかる経験をしてきた人であっても心の隅には激しく暗い感情、衝動を抱えているという点が描かれており、ファンタジックでノスタルジックな本作の中にも現実感があった。
7、『FALL/フォール』(映画)(2022年)監督:スコット・マン
【あらすじ】
山でのフリークライミング中に夫を落下事故で亡くしたベッキーは、1年が経った現在も悲しみから立ち直れずにいた。親友ハンターはそんな彼女を元気づけようと新たなクライミング計画を立て、現在は使用されていない超高層テレビ塔に登ることに。2人は老朽化して不安定になった梯子を登り、地上600メートルの頂上へ到達することに成功。しかし梯子が突然崩れ落ち、2人は鉄塔の先端に取り残されてしまう。
【考察】
映画の半分以上を鉄塔の小さな足場の上で過ごすため、画面上の要素が大きく変化することはないのにもかかわらず、見ていて飽きなかったのが驚きだった。終盤には、死を生へと変える象徴とされるハゲワシを主人公が喰らうことで周囲の人々の死からの脱却が行われたと考えられる。
8、『ウォーリー』(映画)(2008年)監督:アンドリュー・スタントン
【あらすじ】
人間が見捨てた29世紀の地球。そこに、700年間、たったひとりでゴミ処理をするロボットのウォーリーがいた。夢は、いつか誰かと手をつなぐこと。ある日、ウォーリーの前に、真っ白に輝くロボットイヴが現れる。ウォーリーは、彼女の気を引くため、次々と自分の宝物を見せる。しかし、長靴に入った植物を見せた瞬間、イヴは体内にそれを取り込み、宇宙船に回収されてしまう。イヴを救うため、ウォーリーは未知なる宇宙へ旅立つ。
【考察】
荒廃した世界の中で無機質なはずのロボットたちが生命をつなごうとするという物語構造が面白いと感じた。作品内で最も人間らしく描かれたのはウォーリーであったと感じる。顔という顔がなく、口も鼻もない、目はレンズで表現しているのにもかかわらず、ここまで表情が読み取れることに驚いた。
また、人間の描写が最初は実写であるのに、終盤の船に乗る人々はアニメーションで描かれている点に疑問を持った。本作で描かれている荒廃した世界を自分たちの現実とリンクさせることが狙いなのかなと予想ができつつも、統一されていないことには違和感がある。
9、『私ときどきレッサーパンダ』(映画)(2022年)監督:ドミー・シー
【あらすじ】
いつもマジメで頑張り屋のメイは、ある出来事をきっかけに本当の自分を見失い、感情がコントロールできなくなってしまう。悩み込んだまま眠りについたメイが翌朝に目を覚ますとなんと、レッサーパンダになってしまった!一体どうすれば、メイは元の人間の姿に戻ることができるのか?この突然の変身にはメイも知らない驚きの秘密が隠されていた。そして、様々な人との関係を通してメイが見つけた、本当の自分とは?
【考察】
本作は制作チームの主要なリーダーが女性のみで構成されているという特徴を持つ。
母娘関係を綿密に描いており、物語の中でも重要な要素を占めている。中国の親を敬うという孝の価値観と個としての自分の両立が最大のテーマである。
メイの描き方に関しては、勉強している最中に気がそれて全く意識してないはずの男の子のイラストを夢中になって描いてしまったり、母親が暴走するのを黙って肯定するだけになってしまったり、鏡の自分と喋ったり、不安定な少女がとてもリアルに表現されていた。
親の理想とは異なる自分をさらけ出し、認めさせるということはとても困難なことだが、娘は母も子ども時代を経て大人になっていること、母は娘を自分とは異なる一人の人間であることを意識しなければならないのだということを丁寧に描いている。母娘問題に1つの答えを出した作品だと考えられる。
10、『ドクタードリトル』(映画)(1998年)監督:ベティ・トーマス
【あらすじ】
子供時代のドリトル先生は動物と話ができるフシギな能力を持っていたが、結局誰にも信じてもらえず、いつしか動物に対して心を閉ざしてしまっていた。ところが30年後のある日、ひょんなことからその能力が復活し、噂を聞きつけた悩める動物たちがどんどん押し寄せてきて大パニックになる。
【考察】
動物の口がパクパク動いて喋る不自然さと動物本来の動きのつなぎ方が自然で驚いた。動物たちの細かな表情はCGなのかわからないが、90年代の映画でここまでの動物たちを登場させたことは先進的な取り組みであったと感じる。
11、『アリス・イン・ワンダーランド ~時間の旅~』(映画)(2016年)監督:ジェームズ・ボビン
【あらすじ】
ワンダーランドで、救世主として戦ったあの冒険から3年。 アリスは、亡き父の後を継ぎ船長として活躍していた。だが、航海から戻った彼女に船長解任の現実が差し迫る。アリスは自分の元から愛する父や仕事を奪う時間の流れに敵意を抱く。そんな時、目の前に青い蝶が現れ、鏡の中へと彼女を導く。鏡を通りぬけるとそこは、あのワンダーランドだった。
【考察】
前作ではティム・バートンが監督をし、彩度が低い色で統一された画面や特徴的な音楽で構成されていたが、本作ではジェームズ・ボビンがメガホンを取り、全体的に前作のダークな感じは消え、彩度が高く、きらびやかな印象をもたせる画面構成となった。
前作で完全なる悪役として描かれた赤の女王の過去が明かされ、彼女への見方が変化する作品である。本作に明確な悪役は登場せず、アリスが一方的に時間(タイム)を忌み嫌うのだが、時間との和解というのは若者にとっての壮大なテーマだと感じた。時間を遡る際に小さな船に乗って大海原を渡っていくという表現はアリス自身のアイデンティティを表すようでもあるし、人間にとって最も身近で未知である海を時間の広がりと表現するのは秀逸であると感じる。
12、『bao』(短編アニメーション)(2018年)監督:ドミー・シー
【あらすじ】
カナダ、トロントの中国人コミュニティで暮らす一家は、ひとり息子が成長して家を離れ、母親はどこか寂しい思いを抱えながら過ごしていた。そんなある日、彼女が作った中華まんに命が宿る。母親は、中華まんを息子のように愛情を込めて育てるのだが母の想いとは裏腹に中華まんは変化していく。
【考察】
家で1人過ごす日々を送っていた主人公の前に命の宿った中華まんが現れるという斬新なストーリーであるが、中華まんの第一声が産声であることや主人公が中華まんを子どものように大切に育てていく様子から、中華まんが彼女の息子を表しているのだとわかる。見た目が中華まんであるため、中華まんが少しずつグレていく様子はコミカルに捉えることもできる。親子関係の重さを中華まんというコメディ要素が軽くしてくれると感じる。
『私ときどきレッサーパンダ』とは異なり、母視点で親子関係を描写した本作はこの問題を考えるための新たな視点を与える作品だと考えられる。
13、『Action Stage「エリオスライジングヒーローズ」―THE NORTH―』(舞台)(2025年)演出:吉谷晃太朗 脚本:米山和仁
【あらすじ】
HELIOS第13期研修チームが始動してからしばらく。セクターランキングで不動の1位を誇っていたノースセクターだったが、思いもよらない苦境に陥ってしまう。バラバラなチームの状況を反映するかのように、街が治安悪化を引き起こし、トラブルが続発してしまう。
【考察】
アクションステージという名の通り、戦隊ヒーローショーのようなアクションメインの舞台でとても見応えがある。原作のゲームではキャラクターたちか固有の技のようなものを持っている。舞台ではその固有の技を舞台装置にエフェクト映像を投影し、音とともに演者の動きと合わせることで、技を発動させており、舞台を2.5次元化させることに成功していたと感じた。ゲームではキャラクターたちの戦闘シーンはあまり見ることができないため、実際に動き、戦うキャラクターたちがそこにいることや原作をなぞるだけでない物語のオリジナリティなどが観客の心をつかむのだと考えられる。
14、『リロ&スティッチ』(映画)(2025年)監督:ディーン・フライシャー・キャンプ
【あらすじ】
両親を亡くした少女リロと姉のナニ。ひとりでリロを育てようと奮闘するナニだったが、若すぎる彼女は失敗ばかり。離れ離れになってしまいそうな姉妹の前に現れたのは、家族の愛を知らない、暴れん坊のエイリアン、スティッチ。予測不可能な彼の行動は、平和な島に大混乱を巻き起こすが、その奇跡の出会いはやがて、希望を失いかけた姉妹を変えていく。
【考察】
スティッチのCGはあまり違和感なく、アニメーション版よりも犬っぽさが増したように感じた。だからこそ、スティッチを犬とするリロに対しても「まあそう思えなくもないかも?」となぜか絆されそうになる。
アニメ版との大きな変化として、終盤、スティッチが生死をさまよう展開やナニがリロとは離れ、大学に行く選択をするという展開がある。リロはスティッチが溺れているのを助けようとするが、スティッチは自らリロの手を離し、1人で沈んでいく。そのため生死をさまようことになるのだが、アニメ版の似た場面では、スティッチがリロの足を掴んで何が何でも息をしようともがいていた。この変化はコンプラ的な影響もあると考えられるが、スティッチの心の成長が何よりわかるシーンになっている。ナニの大学へ行くという選択はリロが後押しするという形をとっている展開であることからも、何があっても一緒なのがオハナという言葉に新たな解釈が生まれ、どこにいても何をしていてもオハナだという家族の多様な形が提示されていると捉えることができる。
15、『テルマ&ルイーズ』(映画)(1991年)監督:リドリー・スコット
【あらすじ】
平凡な主婦のテルマとウェイトレスのルイーズは週末のドライブ旅行に出発。その途中、立ち寄った店の駐車場でテルマが男に襲われそうになり、助けに入ったルイーズが護身用の拳銃で男を射殺。さらに次から次へとトラブルが重なり、警察に指名手配された2人は、車でメキシコを目指し逃避行を続けるうちに、自分らしい生き方に目覚めていく。
【考察】
本作はシスターフッド作品として名高い評価を得ている。性的被害に対する正当防衛も信じてもらえないと逃げる2人の女性だが、物語の中でルイーズも性的被害にあったことがわかる場面がある。ルイーズを襲った相手はなんの罪にも問われなかったからこそ、ルイーズはテルマを襲った男を撃ち殺したのではないかと予想ができる。そんな女性の正義を信じようとする男性の刑事が描かれている点が本作の驚くべき点である。寄り添おうとするも彼は2人にとって見知らぬ男性であるため、信頼には値しない。
ラストの彼女たちが2人きりで他の誰にも言えない秘密を抱え、車で飛ぶ場面はそうする他ない彼女たちのプライドや正義が詰まっていたと感じる。
16、『ワンパンマン』第1期(漫画/アニメ)原作:ONE 漫画:村田雄介/監督:夏目真悟
【あらすじ】
趣味でヒーローを始めた男、サイタマ。
彼は3年間の特訓により無敵のパワーを手に入れた。だが、あまりに強くなりすぎてしまったゆえに、どんな強敵が相手でもワンパンチで決着がついてしまう。
「圧倒的な力ってのは、つまらないもんだ」
そんな平熱系最強ヒーローの前に、今日も新たな敵が現れる。今日こそ本気が出せるのか!?
【考察】
作品内の世界で主人公のサイタマは、本物の強者以外には全く注目されていないどころか嫌われてすらいるという点が新しく斬新である。特にアニメ「第7話 至高の弟子」ではいくつかの都市が全壊するほどの大きさの隕石を粉々に砕き、死者ゼロという結果を出した。しかし、人々の反応は生き残った喜びではなく、今までの生活が壊れたことに対する鬱憤のみであった。市民は命を救ってくれたサイタマへ「ヒーローをやめろ」と冷淡な言葉を吐き、ネットの掲示板にもサイタマへの誹謗中傷の言葉が溢れていた。
最近の「なろう系」とジャンル分けされる作品群では圧倒的強者であるだけで周りからチヤホヤされるという構図が溢れているが、本作では強者であり、多くの人を救っている誰よりもヒーローであるサイタマは、救っているはずの相手からは正当な評価を得られない。「第8話 深海の王」では、市民がサイタマの圧倒的な強さを目撃し、他のヒーローの実力を疑い始めた際、サイタマは自ら悪役になるような言葉を放ち、他のヒーローのメンツを保とうとする。市民からのサイタマの評価は落ちるばかりで悪口が書かれた手紙まで届く始末だった。また、力を持たないが市民から応援され好かれる無免ライダーとサイタマの対比構造はよくできている。
以上のことから本作では多くの聴衆は真実を知らず、受け止めないということがよく表現される。
17、『モロッコ、彼女たちの朝』(映画)
【あらすじ】
カサブランカのメディナ(旧市街)で、女手ひとつでパン屋を営むアブラと、その扉をノックした未婚の妊婦サミア。孤独を抱えていたふたりだったが、丁寧に捏ね紡ぐパン作りが心を繋ぎ、やがて互いの人生に光をもたらしてゆく。
【考察】
終始画面がとても美しく、サミアがパン生地をこねるシーンはまるで絵画であった。
未婚の女性が妊娠することはタブーとされるイスラーム社会で、妊婦に優しくしてくれる人々もいれば、冷たい人もいる。あまりに現実を切り取ったような物語で、自分もそんな様々な人々とともにカサブランカの街を過ごす一員になったようであった。
ラスト赤ん坊を抱え、出ていくサミアの場面は赤ん坊のアダムを女手一つで育てる決心をしたのだろうと考える。
妊娠、出産という女性のライフイベントを通してサミアとアブラの絆が深まる様子はまさにシスターフッドである。
18、『クルエラ』(映画)(2021年)監督:クレイグ・ギレスピー
【あらすじ】
パンクムーブメントが吹き荒れる70年代のロンドン。親を亡くした少女エステラは、反骨精神と独創的な才能を活かし、ファッション・デザイナーになることを決意。ロンドンで最も有名な百貨店に潜り込む。そんなある日、エステラは伝説的なカリスマ・デザイナーのバロネスと出会い、ファッショナブルで破壊的かつ復讐心に満ちた“クルエラ”の姿へ染まっていく。なぜ少女は悪名高きヴィランに変貌したのか。
【考察】
本作はファッション映画でもあり、『プラダを着た悪魔』に似た作品だと感じた。大きく異なるのはエステラとバロネスが実は親子で似たヴィランの性質を抱えているという点である。生まれたときから産みの母に捨てられ、育ての母も産みの母に殺された、ただの可哀想な少女にはせず、もともとヴィランの素質は持っていたという設定にすることで、彼女がクルエラになった理由や破壊的な言動に納得感が出ると感じる。
19、『アーネスト式プロポーズ』(映画)(2002年)監督:オリヴァー・パーカー
【あらすじ】
19世紀イギリス。田舎町で真面目な紳士として暮らすジャックは退屈な日々を紛らわすため、架空の弟アーネストを名乗ってロンドンの社交界で遊んでいた。そんな時、彼は大貴族の令嬢グウェンドレンと恋に落ち、結婚を決める。しかしグウェンドレンが彼のプロポーズを受け入れたのはアーネストという名前の男性と結婚する運命を信じているからだった。それを知ったジャックは、彼女に本名を明かすことができなくなってしまう。
【考察】
セシリーとグウェンドレンが初めて会い、仲良くなれそうと握手を交わして同じテーブルに座った後に、同じアーネストと婚約をしているかもしれないと勘違いし手のひらを返したようにグウェンドレンは「最初からあなたは信用ならないと思ってた」と言うなど2人の争いはまさに喜劇の中の女性たちとして描かれている。その後にふたりの男性がアーネストという偽名を使っていたことがバレてしまい、女性たちは騙された仲間同士で徒党を組むという流れはとても自然で面白い。
20、『勝手にふるえてろ』(映画)(2017年)監督:大九明子 原作:綿矢りさ
【あらすじ】
OLのヨシカは同期の「ニ」からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがるが、「ニ」との関係にいまいち乗り切れず、中学時代から同級生の「イチ」への思いもいまだに引きずり続けていた。一方的な脳内の片思いとリアルな恋愛の同時進行に、恋愛ド素人のヨシカは「私には彼氏が2人いる」と彼女なりに頭を悩ませていた。そんな中で「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」という奇妙な動機から、ありえない嘘をついて同窓会を計画。やがてヨシカとイチの再会の日が訪れる。
【考察】
街の人々にここぞとばかりに話しかけるヨシカを見て、どう見たってこれはヨシカの脳内でだけの出来事だと思っていたため、本当はくるみ以外とは喋ったこともないという真実が明かされてもあまり驚かなかったが、中学生のイチとの思い出すらヨシカとイチとでは大きく異なっていて、しまいにはイチはヨシカの名前すら覚えていなかったという真実には思わず心が苦しくなった。人によって出来事に対する認識の違いがあることに気づいたヨシカだからこそ、共通の趣味があり、気が合いそうで何しろ10年も想い続けたイチではなく、ナルシスト気味だが、飾らない自分を好きだというニを選んだのだと考えられる。
【あらすじ】
誰よりも優しく聡明でありながら家族や周囲から疎まれ孤独なエルファバと、誰よりも愛され特別であることを望むみんなの人気者グリンダは、シズ大学で出会う。見た目も性格も、そして魔法の才能もまるで異なるふたりは反発し合うが、互いの本当の姿を知っていくにつれかけがえのない友情を築いていく。
ある日、誰もが憧れる偉大なオズの魔法使いに特別な力を見出されたエルファバは、オズに隠され続けていた“ある秘密”を知る。
【考察】
まず、視覚からシズ大学に通う生徒たちの衣装が特徴的だと感じた。生物学的な性別にとらわれず、男性であろうが女性であろうがスカートやズボンを自由に着用し、また、スカートとズボンが合体したようなデザインの制服もあった。本作では現代社会のジェンダーレスの価値観を反映させた衣装作りがされていた。
本作は女性同士の絆を描いたシスターフッド作品の一つだと考えられるが、終盤で、ふたりは別々の道を選択する点はとても意外に感じた。グリンダはやはり自分のポピュラーな部分を捨てきれないため、エルファバとともに逃げるという選択はしない。エルファバはグリンダについてきてほしいけれど強要はしないし、グリンダの気持ちもわかっているという感じがする。この困難を一緒に乗り越えようではなく、あなたの幸せを願っているという形にすることはシスターフッド作品であまり類を見ないのではないかと感じた。その点も踏まえ、本作では何よりも個を大切にする姿勢が一貫して描かれていると考えられる。
2、『ロミオとジュリエット』(映画)(1968年)監督:フランコ・ゼフィレッリ
【あらすじ】
シェイクスピアの傑作戯曲。15世紀中頃、イタリア北部の町ベローナ。2大名門として知られるモンタギュー家とキャピュレット家が血で血を洗う抗争をする最中、モンタギュー家の子息ロミオとキャピュレット家の息女ジュリエットは舞踏会で出会い、恋に落ちる。2人はお互いの素性を知り落胆しつつも、燃え上がった心を抑えきれず結婚式を挙げようとする。
【考察】
ロミオが最初ジュリエットではないロザラインという女性に想いを寄せていたというところに驚いた。ロザラインからジュリエットへと想いが移り変わる瞬間を舞踏会の場面のカメラワークで巧みに表現していた。
ロミオとジュリエットの恋は、お互いに愛が深まり、結婚を切望するまでがあまりにも性急な様子で描かれる。彼らの若さは愛の純粋さを表すとともに軽薄さすら表しており、彼らの後の運命の伏線になっていると考えられる。
3、『プライドと偏見』(映画)(2006年)監督:ジョー・ライト
【あらすじ】
18世紀、女性に相続権がない時代のイギリス。貧しくはないけれど、大金持ちでもないベネット家では、隣に越してきた金持ち・ビングリーの噂でもちきりだった。読書好きの次女エリザベスは、ダンスパーティーでビングリーの親友・ダーシーの高慢な態度に腹をたてる。またダーシーも彼女の聡明さと金持ちへの偏見に苛立ちを覚えるが、少しずつお互いへの偏見はなくなり距離は縮まっていく。
【考察】
本作の中にはあらゆる偏見が散りばめられている。ダーシーは社交場での振る舞いが上品さに欠けるベネット家全体に偏見を持っているため、ビングリーとジェインの婚約を阻止した。エリザベスはウィッカムの言葉を信じ、ダーシーが悪者だという偏見の目で見続ける。
貴族の家柄で大金持ちの男性が、人に対して鋭い観察眼を持ち、時にシニカルで堂々とした振る舞いをするヒロインを一目置き、ヒロイン一家の一大事には、悟られないように助けに入り、解決に導き、後にすべての事実に気づいたヒロインと婚約するという展開はまさに少女漫画に見られるシンデレラ・ストーリーの代表のような物語であると感じた。また、家柄が良い男性も高慢さはもっているが、愛する女性の前ではその高慢さも消え失せるという特徴すら付随する。
エリザベスの女性像は18世紀の女性としては先進的であり、嫌な男性とは結婚しない、立場が上の人間に対しても堂々と意見を言うなど強い女性として描かれている。
4、『パラサイト半地下の家族』(映画)(2019年)監督:ポン・ジュノ
【あらすじ】
全員失業中で、その日暮らしの生活を送る貧しいキム一家。長男ギウは、ひょんなことからIT企業のCEOである超裕福なパク氏の家へ、家庭教師の面接を受けに行くことになる。そして、兄に続き、家族全員がこの豪邸に足を踏み入れる。この相反する2つの家族の出会いは、悲喜劇へとつながっていく。
【考察】
半地下で暮らしている貧困層のキム一家が、富裕層のパク一家で家庭教師や、家政婦、ドライバーなどの職を得て、パク一家に違和感を持たせずに働く様子からキム一家の持つ高いスキルがうかがえる。富裕層の中で通用する高いスキルを持っていても貧困から中々抜け出すことができない韓国の格差社会がよく分かる。パク一家の地下室でひっそりと暮らすグンセのように何もスキルを持たない貧困層の人は地下の奥深くに住み、スキルを持った貧困層のキム一家は半地下に、富裕層のパク一家は二階建ての大豪邸に住んでいるという明確に構図で階層が描かれている作品であると考えられる。
5、『劇場版「鬼滅の刃」無限城編』第一章 猗窩座再来(映画)(2025年)原作:吾峠呼世晴 監督:外崎春雄
【あらすじ】
鬼となった妹・禰󠄀豆子を人間に戻すため鬼狩りの組織鬼殺隊に入った竈門炭治郎。その後、来たる鬼との決戦に備えて、挑んだ柱稽古の最中、鬼殺隊の本部である産屋敷邸に現れた鬼舞辻󠄀無惨。お館様の危機に駆けつけた《柱》たちと炭治郎であったが、無惨の策略によって謎の空間へと落とされてしまう。
【考察】
本作で焦点が当てられた鬼である猗窩座の描き方と人気について。
猗窩座は劇場版前作の無限列車編で物語終盤において突如現れ、煉獄杏寿郎を死に追いやった圧倒的な敵、炭治郎が憎むべき相手として描かれていたのにも関わらず、猗窩座というキャラクターは視聴者から大きな人気を獲得している。猗窩座は他の鬼とは異なり、女を喰わない、炭治郎、義勇との戦いにおいて自害を選ぶといった特徴があり、また人間時代においても父親想いでどれだけ罰を与えられても薬を買うため、盗みを繰り返すという少年期を過ごし、父と同じく体が弱かった恋雪にも献身的に看病していた。そして彼が暴力を振るうときは誰のためが理由であるなど心根が優しい人物として描かれていた。また鬼になった理由も自ら望んだのではなく、鬼舞辻無惨にいきなり鬼にされた。術式も婚約者であった恋雪の髪飾りがモチーフになっているなど様々な場面で彼がどれほど恋雪を大切に思っていたかが伝わる描かれ方をしている。また、人を殺す場面は多々あれど、同じく上弦の鬼の童磨などとは異なり、絶対にしているであろう人を喰う場面は描かれない。
これらの描かれ方から、猗窩座は他の鬼とは異なり、視聴者の都合の良い場面のみが抜粋されて描かれていると考えられる。加えて、煉獄杏寿郎の死を作った猗窩座に対し、主人公である竈門炭治郎は一切哀れみの気持ちなどは抱かない。鬼の過去は視聴者にのみ語られるため、当然のことではあるが、竈門炭治郎は視聴者から感情移入されるタイプの主人公としては描かれていないことがよく分かる。
6、『西の魔女が死んだ』(映画)(2008年)監督:長崎俊一
【あらすじ】
学校へ行くことが苦痛になってしまった中学生のマイは、母に勧められて祖母の家に身を寄せることに。母とマイが"西の魔女"と呼ぶイギリス人の祖母は、大自然に囲まれた一軒家で穏やかな生活を送っている。祖母との田舎暮らしは閉ざされたマイの心を少しずつ解きほぐしていく。
【考察】
人が自然とともに暮らす様子がとても美しく描かれている。特にジャム作りの場面は我々視聴者にノスタルジックな気持ちを想起させる。
学校に馴染めず、不登校になってしまったマイが祖母の家で過ごしているときには近所に住むゲンジさんを目の敵にする。また、ゲンジさんに対するマイの言動に対し、祖母もマイの頬を叩くという激しい対応をしてしまう。どれほど優しさや落ち着きを持ち、人の痛みがわかる経験をしてきた人であっても心の隅には激しく暗い感情、衝動を抱えているという点が描かれており、ファンタジックでノスタルジックな本作の中にも現実感があった。
7、『FALL/フォール』(映画)(2022年)監督:スコット・マン
【あらすじ】
山でのフリークライミング中に夫を落下事故で亡くしたベッキーは、1年が経った現在も悲しみから立ち直れずにいた。親友ハンターはそんな彼女を元気づけようと新たなクライミング計画を立て、現在は使用されていない超高層テレビ塔に登ることに。2人は老朽化して不安定になった梯子を登り、地上600メートルの頂上へ到達することに成功。しかし梯子が突然崩れ落ち、2人は鉄塔の先端に取り残されてしまう。
【考察】
映画の半分以上を鉄塔の小さな足場の上で過ごすため、画面上の要素が大きく変化することはないのにもかかわらず、見ていて飽きなかったのが驚きだった。終盤には、死を生へと変える象徴とされるハゲワシを主人公が喰らうことで周囲の人々の死からの脱却が行われたと考えられる。
8、『ウォーリー』(映画)(2008年)監督:アンドリュー・スタントン
【あらすじ】
人間が見捨てた29世紀の地球。そこに、700年間、たったひとりでゴミ処理をするロボットのウォーリーがいた。夢は、いつか誰かと手をつなぐこと。ある日、ウォーリーの前に、真っ白に輝くロボットイヴが現れる。ウォーリーは、彼女の気を引くため、次々と自分の宝物を見せる。しかし、長靴に入った植物を見せた瞬間、イヴは体内にそれを取り込み、宇宙船に回収されてしまう。イヴを救うため、ウォーリーは未知なる宇宙へ旅立つ。
【考察】
荒廃した世界の中で無機質なはずのロボットたちが生命をつなごうとするという物語構造が面白いと感じた。作品内で最も人間らしく描かれたのはウォーリーであったと感じる。顔という顔がなく、口も鼻もない、目はレンズで表現しているのにもかかわらず、ここまで表情が読み取れることに驚いた。
また、人間の描写が最初は実写であるのに、終盤の船に乗る人々はアニメーションで描かれている点に疑問を持った。本作で描かれている荒廃した世界を自分たちの現実とリンクさせることが狙いなのかなと予想ができつつも、統一されていないことには違和感がある。
9、『私ときどきレッサーパンダ』(映画)(2022年)監督:ドミー・シー
【あらすじ】
いつもマジメで頑張り屋のメイは、ある出来事をきっかけに本当の自分を見失い、感情がコントロールできなくなってしまう。悩み込んだまま眠りについたメイが翌朝に目を覚ますとなんと、レッサーパンダになってしまった!一体どうすれば、メイは元の人間の姿に戻ることができるのか?この突然の変身にはメイも知らない驚きの秘密が隠されていた。そして、様々な人との関係を通してメイが見つけた、本当の自分とは?
【考察】
本作は制作チームの主要なリーダーが女性のみで構成されているという特徴を持つ。
母娘関係を綿密に描いており、物語の中でも重要な要素を占めている。中国の親を敬うという孝の価値観と個としての自分の両立が最大のテーマである。
メイの描き方に関しては、勉強している最中に気がそれて全く意識してないはずの男の子のイラストを夢中になって描いてしまったり、母親が暴走するのを黙って肯定するだけになってしまったり、鏡の自分と喋ったり、不安定な少女がとてもリアルに表現されていた。
親の理想とは異なる自分をさらけ出し、認めさせるということはとても困難なことだが、娘は母も子ども時代を経て大人になっていること、母は娘を自分とは異なる一人の人間であることを意識しなければならないのだということを丁寧に描いている。母娘問題に1つの答えを出した作品だと考えられる。
10、『ドクタードリトル』(映画)(1998年)監督:ベティ・トーマス
【あらすじ】
子供時代のドリトル先生は動物と話ができるフシギな能力を持っていたが、結局誰にも信じてもらえず、いつしか動物に対して心を閉ざしてしまっていた。ところが30年後のある日、ひょんなことからその能力が復活し、噂を聞きつけた悩める動物たちがどんどん押し寄せてきて大パニックになる。
【考察】
動物の口がパクパク動いて喋る不自然さと動物本来の動きのつなぎ方が自然で驚いた。動物たちの細かな表情はCGなのかわからないが、90年代の映画でここまでの動物たちを登場させたことは先進的な取り組みであったと感じる。
11、『アリス・イン・ワンダーランド ~時間の旅~』(映画)(2016年)監督:ジェームズ・ボビン
【あらすじ】
ワンダーランドで、救世主として戦ったあの冒険から3年。 アリスは、亡き父の後を継ぎ船長として活躍していた。だが、航海から戻った彼女に船長解任の現実が差し迫る。アリスは自分の元から愛する父や仕事を奪う時間の流れに敵意を抱く。そんな時、目の前に青い蝶が現れ、鏡の中へと彼女を導く。鏡を通りぬけるとそこは、あのワンダーランドだった。
【考察】
前作ではティム・バートンが監督をし、彩度が低い色で統一された画面や特徴的な音楽で構成されていたが、本作ではジェームズ・ボビンがメガホンを取り、全体的に前作のダークな感じは消え、彩度が高く、きらびやかな印象をもたせる画面構成となった。
前作で完全なる悪役として描かれた赤の女王の過去が明かされ、彼女への見方が変化する作品である。本作に明確な悪役は登場せず、アリスが一方的に時間(タイム)を忌み嫌うのだが、時間との和解というのは若者にとっての壮大なテーマだと感じた。時間を遡る際に小さな船に乗って大海原を渡っていくという表現はアリス自身のアイデンティティを表すようでもあるし、人間にとって最も身近で未知である海を時間の広がりと表現するのは秀逸であると感じる。
12、『bao』(短編アニメーション)(2018年)監督:ドミー・シー
【あらすじ】
カナダ、トロントの中国人コミュニティで暮らす一家は、ひとり息子が成長して家を離れ、母親はどこか寂しい思いを抱えながら過ごしていた。そんなある日、彼女が作った中華まんに命が宿る。母親は、中華まんを息子のように愛情を込めて育てるのだが母の想いとは裏腹に中華まんは変化していく。
【考察】
家で1人過ごす日々を送っていた主人公の前に命の宿った中華まんが現れるという斬新なストーリーであるが、中華まんの第一声が産声であることや主人公が中華まんを子どものように大切に育てていく様子から、中華まんが彼女の息子を表しているのだとわかる。見た目が中華まんであるため、中華まんが少しずつグレていく様子はコミカルに捉えることもできる。親子関係の重さを中華まんというコメディ要素が軽くしてくれると感じる。
『私ときどきレッサーパンダ』とは異なり、母視点で親子関係を描写した本作はこの問題を考えるための新たな視点を与える作品だと考えられる。
13、『Action Stage「エリオスライジングヒーローズ」―THE NORTH―』(舞台)(2025年)演出:吉谷晃太朗 脚本:米山和仁
【あらすじ】
HELIOS第13期研修チームが始動してからしばらく。セクターランキングで不動の1位を誇っていたノースセクターだったが、思いもよらない苦境に陥ってしまう。バラバラなチームの状況を反映するかのように、街が治安悪化を引き起こし、トラブルが続発してしまう。
【考察】
アクションステージという名の通り、戦隊ヒーローショーのようなアクションメインの舞台でとても見応えがある。原作のゲームではキャラクターたちか固有の技のようなものを持っている。舞台ではその固有の技を舞台装置にエフェクト映像を投影し、音とともに演者の動きと合わせることで、技を発動させており、舞台を2.5次元化させることに成功していたと感じた。ゲームではキャラクターたちの戦闘シーンはあまり見ることができないため、実際に動き、戦うキャラクターたちがそこにいることや原作をなぞるだけでない物語のオリジナリティなどが観客の心をつかむのだと考えられる。
14、『リロ&スティッチ』(映画)(2025年)監督:ディーン・フライシャー・キャンプ
【あらすじ】
両親を亡くした少女リロと姉のナニ。ひとりでリロを育てようと奮闘するナニだったが、若すぎる彼女は失敗ばかり。離れ離れになってしまいそうな姉妹の前に現れたのは、家族の愛を知らない、暴れん坊のエイリアン、スティッチ。予測不可能な彼の行動は、平和な島に大混乱を巻き起こすが、その奇跡の出会いはやがて、希望を失いかけた姉妹を変えていく。
【考察】
スティッチのCGはあまり違和感なく、アニメーション版よりも犬っぽさが増したように感じた。だからこそ、スティッチを犬とするリロに対しても「まあそう思えなくもないかも?」となぜか絆されそうになる。
アニメ版との大きな変化として、終盤、スティッチが生死をさまよう展開やナニがリロとは離れ、大学に行く選択をするという展開がある。リロはスティッチが溺れているのを助けようとするが、スティッチは自らリロの手を離し、1人で沈んでいく。そのため生死をさまようことになるのだが、アニメ版の似た場面では、スティッチがリロの足を掴んで何が何でも息をしようともがいていた。この変化はコンプラ的な影響もあると考えられるが、スティッチの心の成長が何よりわかるシーンになっている。ナニの大学へ行くという選択はリロが後押しするという形をとっている展開であることからも、何があっても一緒なのがオハナという言葉に新たな解釈が生まれ、どこにいても何をしていてもオハナだという家族の多様な形が提示されていると捉えることができる。
15、『テルマ&ルイーズ』(映画)(1991年)監督:リドリー・スコット
【あらすじ】
平凡な主婦のテルマとウェイトレスのルイーズは週末のドライブ旅行に出発。その途中、立ち寄った店の駐車場でテルマが男に襲われそうになり、助けに入ったルイーズが護身用の拳銃で男を射殺。さらに次から次へとトラブルが重なり、警察に指名手配された2人は、車でメキシコを目指し逃避行を続けるうちに、自分らしい生き方に目覚めていく。
【考察】
本作はシスターフッド作品として名高い評価を得ている。性的被害に対する正当防衛も信じてもらえないと逃げる2人の女性だが、物語の中でルイーズも性的被害にあったことがわかる場面がある。ルイーズを襲った相手はなんの罪にも問われなかったからこそ、ルイーズはテルマを襲った男を撃ち殺したのではないかと予想ができる。そんな女性の正義を信じようとする男性の刑事が描かれている点が本作の驚くべき点である。寄り添おうとするも彼は2人にとって見知らぬ男性であるため、信頼には値しない。
ラストの彼女たちが2人きりで他の誰にも言えない秘密を抱え、車で飛ぶ場面はそうする他ない彼女たちのプライドや正義が詰まっていたと感じる。
16、『ワンパンマン』第1期(漫画/アニメ)原作:ONE 漫画:村田雄介/監督:夏目真悟
【あらすじ】
趣味でヒーローを始めた男、サイタマ。
彼は3年間の特訓により無敵のパワーを手に入れた。だが、あまりに強くなりすぎてしまったゆえに、どんな強敵が相手でもワンパンチで決着がついてしまう。
「圧倒的な力ってのは、つまらないもんだ」
そんな平熱系最強ヒーローの前に、今日も新たな敵が現れる。今日こそ本気が出せるのか!?
【考察】
作品内の世界で主人公のサイタマは、本物の強者以外には全く注目されていないどころか嫌われてすらいるという点が新しく斬新である。特にアニメ「第7話 至高の弟子」ではいくつかの都市が全壊するほどの大きさの隕石を粉々に砕き、死者ゼロという結果を出した。しかし、人々の反応は生き残った喜びではなく、今までの生活が壊れたことに対する鬱憤のみであった。市民は命を救ってくれたサイタマへ「ヒーローをやめろ」と冷淡な言葉を吐き、ネットの掲示板にもサイタマへの誹謗中傷の言葉が溢れていた。
最近の「なろう系」とジャンル分けされる作品群では圧倒的強者であるだけで周りからチヤホヤされるという構図が溢れているが、本作では強者であり、多くの人を救っている誰よりもヒーローであるサイタマは、救っているはずの相手からは正当な評価を得られない。「第8話 深海の王」では、市民がサイタマの圧倒的な強さを目撃し、他のヒーローの実力を疑い始めた際、サイタマは自ら悪役になるような言葉を放ち、他のヒーローのメンツを保とうとする。市民からのサイタマの評価は落ちるばかりで悪口が書かれた手紙まで届く始末だった。また、力を持たないが市民から応援され好かれる無免ライダーとサイタマの対比構造はよくできている。
以上のことから本作では多くの聴衆は真実を知らず、受け止めないということがよく表現される。
17、『モロッコ、彼女たちの朝』(映画)
【あらすじ】
カサブランカのメディナ(旧市街)で、女手ひとつでパン屋を営むアブラと、その扉をノックした未婚の妊婦サミア。孤独を抱えていたふたりだったが、丁寧に捏ね紡ぐパン作りが心を繋ぎ、やがて互いの人生に光をもたらしてゆく。
【考察】
終始画面がとても美しく、サミアがパン生地をこねるシーンはまるで絵画であった。
未婚の女性が妊娠することはタブーとされるイスラーム社会で、妊婦に優しくしてくれる人々もいれば、冷たい人もいる。あまりに現実を切り取ったような物語で、自分もそんな様々な人々とともにカサブランカの街を過ごす一員になったようであった。
ラスト赤ん坊を抱え、出ていくサミアの場面は赤ん坊のアダムを女手一つで育てる決心をしたのだろうと考える。
妊娠、出産という女性のライフイベントを通してサミアとアブラの絆が深まる様子はまさにシスターフッドである。
18、『クルエラ』(映画)(2021年)監督:クレイグ・ギレスピー
【あらすじ】
パンクムーブメントが吹き荒れる70年代のロンドン。親を亡くした少女エステラは、反骨精神と独創的な才能を活かし、ファッション・デザイナーになることを決意。ロンドンで最も有名な百貨店に潜り込む。そんなある日、エステラは伝説的なカリスマ・デザイナーのバロネスと出会い、ファッショナブルで破壊的かつ復讐心に満ちた“クルエラ”の姿へ染まっていく。なぜ少女は悪名高きヴィランに変貌したのか。
【考察】
本作はファッション映画でもあり、『プラダを着た悪魔』に似た作品だと感じた。大きく異なるのはエステラとバロネスが実は親子で似たヴィランの性質を抱えているという点である。生まれたときから産みの母に捨てられ、育ての母も産みの母に殺された、ただの可哀想な少女にはせず、もともとヴィランの素質は持っていたという設定にすることで、彼女がクルエラになった理由や破壊的な言動に納得感が出ると感じる。
19、『アーネスト式プロポーズ』(映画)(2002年)監督:オリヴァー・パーカー
【あらすじ】
19世紀イギリス。田舎町で真面目な紳士として暮らすジャックは退屈な日々を紛らわすため、架空の弟アーネストを名乗ってロンドンの社交界で遊んでいた。そんな時、彼は大貴族の令嬢グウェンドレンと恋に落ち、結婚を決める。しかしグウェンドレンが彼のプロポーズを受け入れたのはアーネストという名前の男性と結婚する運命を信じているからだった。それを知ったジャックは、彼女に本名を明かすことができなくなってしまう。
【考察】
セシリーとグウェンドレンが初めて会い、仲良くなれそうと握手を交わして同じテーブルに座った後に、同じアーネストと婚約をしているかもしれないと勘違いし手のひらを返したようにグウェンドレンは「最初からあなたは信用ならないと思ってた」と言うなど2人の争いはまさに喜劇の中の女性たちとして描かれている。その後にふたりの男性がアーネストという偽名を使っていたことがバレてしまい、女性たちは騙された仲間同士で徒党を組むという流れはとても自然で面白い。
20、『勝手にふるえてろ』(映画)(2017年)監督:大九明子 原作:綿矢りさ
【あらすじ】
OLのヨシカは同期の「ニ」からの突然の告白に「人生で初めて告られた!」とテンションがあがるが、「ニ」との関係にいまいち乗り切れず、中学時代から同級生の「イチ」への思いもいまだに引きずり続けていた。一方的な脳内の片思いとリアルな恋愛の同時進行に、恋愛ド素人のヨシカは「私には彼氏が2人いる」と彼女なりに頭を悩ませていた。そんな中で「一目でいいから、今のイチに会って前のめりに死んでいこう」という奇妙な動機から、ありえない嘘をついて同窓会を計画。やがてヨシカとイチの再会の日が訪れる。
【考察】
街の人々にここぞとばかりに話しかけるヨシカを見て、どう見たってこれはヨシカの脳内でだけの出来事だと思っていたため、本当はくるみ以外とは喋ったこともないという真実が明かされてもあまり驚かなかったが、中学生のイチとの思い出すらヨシカとイチとでは大きく異なっていて、しまいにはイチはヨシカの名前すら覚えていなかったという真実には思わず心が苦しくなった。人によって出来事に対する認識の違いがあることに気づいたヨシカだからこそ、共通の趣味があり、気が合いそうで何しろ10年も想い続けたイチではなく、ナルシスト気味だが、飾らない自分を好きだというニを選んだのだと考えられる。
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