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山中拓実 RES
3年 山中
夏休み課題 1~15
1.『沙耶の唄』(ニトロプラス)
<あらすじ>匂坂郁紀はこの3カ月、常軌を逸した空間で過ごしていた。人も物もそのすべてが全く異なるものとして認識してしまう。医者の卵である彼にはその原因がわかった。事故に遭った際に、彼を助けた最先端医療の失敗によるものであると。手術を担当した医者は失踪しているという。
 しかし不思議なことが起きた。自らをその医者の娘の「沙耶」と名乗る少女が現れる。郁紀の目に彼女だけは人間の少女として映ったのだ。彼は驚きつつも、自分にとって唯一の人間である沙耶にのめり込んでいく。彼女は何者なのか、医者はどこに消えたのか。

<考察>キャラクターデザイン・原画を後に『仮面ライダー鎧武』のクリーチャーデザインを担当する中央東口、脚本を『魔法少女まどか☆マギカ』を担当する虚淵玄のタッグによって制作された有名な作品である。
 本作のジャンルはテキストを全面に描写する「ビジュアルノベル」である。ビジュアルノベルの初出は「Leaf」の『雫』であり、私は、本作が『雫』をリスペクトしているように感じた。まず双方が、狂気をテーマにしている共通点がある。これはこのシステムの性格として通常のノベルゲームと比較して、キャラクター以上に物語に入り込みやすいことが挙げられるため本作を描くに適していたのではないかと考えた。そして背景CG。『雫』では一部が実際の写真を取り込み、それをモノクロにした物が採用されていた。本作も同様の手法を利用している。また『雫』では兄が妹に依存している関係を持っていた。本作では、まったく異種の2人ではあるものの兄な存在の郁紀が沙耶に依存しているという点では類似している。さらに双方ともプレイ時間が非常に短い。
 ただ私が調べた中では『雫』と『沙耶の唄』の類似性について述べられているものを見つけることができなかった。発売当時の雑誌などを参照していないために、いずれ精査する必要はある。ただ、両者はTYPE‐MOONの『月姫』と似ているのだという話がある。そのためその『雫』を参照した『月姫』を本作が参照したことが推測される。
 私は本作をプレイする前、選択肢の減少は頭ごなしに「良くない」と決めつけていた。予算や制作時間のためであると考えていた。しかし本作の選択肢を見て、それは間違いであることに気が付いた。本作の選択肢は2つのみであるのだが、それらは非常に洗練されている。例を挙げると沙耶が郁紀に昔の自分に戻りたいのか、それともこのままの生活を続けたいのかと問われるシーンで選択肢が登場する。戻れば、郁紀は本当に天涯孤独になるが、戻らなければいずれ全てが明るみに出るかもしれない。このように究極の質問を投げかけてくるのだ。
 美少女ゲームの絵や設定が洗練されていくように、選択肢も洗練されているのだと。この上記の2択がプレイヤーに与える心理的影響は計り知れない。本作は本当に必要なところにのみ選択肢を提示することで無駄な選択によって冗長にならないようになっている。

2.『はぴねす!』(ういんどみる)
<あらすじ>悪友・渡良瀬準に日々、振り回されている主人公・小日向雄真。この町には魔法使いを養成する学校「瑞穂坂学園」があり、彼らも通っている。この学校には魔法を教える魔法科、通常の教育を施す普通科があるのだが、魔法科の校舎が謎の爆破事件に遭う。
 それによって両者が一時的に同じ校舎で授業を受けることになり、雄真は新たな出会いを経験する。事件の真相、雄真の過去、この瑞穂坂学園に

<考察>ういんどみるには「CatSystem2」と呼ばれる、独自のゲーム制作エンジンがある。これは本作に使用されており、「ういんどみるO a s i s」、「ういんどみるCOSMOS」のういんどみるが立ち上げた別ブランド、フロントウィングやクロシェット、枕といった他社のブランドでも採用されたエンジンである。
 うぃんどみるは「萌え」に定評のあるブランドであり、それはWEBサイトでも紹介されているように、立ち絵の動きにある。立ち絵によって感情や動きを表現することができるわけであるが、当ブランドはその種類が他に比べて少ない。ただその代わりに「動き」が非常に多い。画面上の座標を移動させるのであるが、Y軸のマイナス方向へ動かすことでお辞儀や納得、プラス方向であれば飛び跳ねる姿などを表現できる。また画面外からX軸で中央迄動かせば、キャラクターの登場・逆の動きであれば退場させることができる。拡大すれば近づき、縮小すれば遠ざかる。この美少女キャラクターが細かな動きを見せるというのはそのまま「萌え」に直結する要素のため、その満足度は非常に高い。見ていて飽きないのである。
 この演出を実現したのは「CatSystem2」の助けが間違いなくあるだろう。このエンジンは個人利用につき自由に使用できる。そのため私も利用してみたのだが、立ち絵の表示やその動きのスクリプトが非常に書きやすい。平たく言うと視覚的に表示する立ち絵を設定でき、それを文字列にコピー&ペーストするだけで表示できるのだ。なので、動きの多用される本作であっても手間がかからず書くことができる。
 本作は「男の娘(おとこのこ)」を大きく広めたことに功績がある。本作には渡良瀬準(わたらせ じゅん)という男の娘が登場するが、この言葉の初出というわけではないようだ。本作の公式サイトでは「学園最強のオカマちゃん」として紹介されている。ただインターネットのあらゆる記述でこの渡良瀬準が「男の娘」の初出として紹介されている。これに関しては当時の雑誌等で確認する必要があるだろうが、本作の発売後に「男の娘」がブームになったのでその代表キャラクターとして紹介されたというのが正しいのかもしれない。準は「準にゃん」として多くのファンに親しまれ、その人気は、本作の企画・原画を担当された「こ~ちゃ」先生の生み出してきたヒロイン総勢61人から行われた人気投票である「こ~ちゃヒロイン2017総選挙」でサブヒロインの準が『祝福のカンパネラ』の「カリーナ・ベルリッティ」など、あらゆるヒロインを押しのけ堂々の1位に輝いた程である。そもそも男の娘が人気になることがわかっていれば、本作で準は当初からメインヒロイン級の待遇がとられたはずである。事実、そのようなことはなく、発売後にその人気ぶりがうかがえることも根拠の一つである。

3.『はぴねす! りらっくす』(ういんどみるOasis)
<あらすじ>式守家の騒動も終わり、また平和な日々を取り戻すことができた。登場人物たちは、またそれぞれの生活に戻っていく、と思っていた。あるところでは魔法が暴走、またあるところでは魔法使いが増えたりと大波乱に。

<考察>本作は『はぴねす!』の一年後に発売された作品でその後日談を描く、所謂「ファンディスク」である。そのため、シナリオもかなり自由になっており『はぴねす!』をプレイしたファンたちは息を抜いて楽しめる作品に仕上がっている。
 ヒロインごとに制作されたストーリーがあり、それに加えて「ぱちねす!」というシナリオがある。このシナリオは『はぴねす!』にも、本作の他のヒロインのシナリオの時間軸にも沿わないパラレルストーリーになっている。基本的にはコメディ一辺倒になっているのだが、ここで注目すべきは「渡良瀬準がヒロインとして昇格している事」である。
 大まかなストーリーとしては準が何者かから魔法のステッキをもらい、魔法を発動した。それによって主人公は不思議な世界を転々と旅することになってしまう。準は「こうあって欲しい」と望む世界を生み出した。この魔法によって準は一時的にでも女性になることができた。
「男の娘」というのは外見にその裁量が寄っている。そのために準のように精神的に女性的なキャラクターもいれば、『サクラノ詩』の夏目圭のように男性そのものなキャラクターもいる。ただ本作で準は夢の世界であっても、自らの理想であった女性となって主人公と顔を合わせることができた。そのためある種、本作は準の想いを昇華する内容になっている。

4.『9-nine- ゆきいろゆきはなゆきのあと』(ぱれっと)
<あらすじ>いくつもの並行世界を旅してきた主人公・新海翔は一連の事件を根本から解決することをソフィーティアから提案される。そのために彼は事件の直接的原因となった地震の起きる前日を訪れた。主人公はついに「ジ・オーダー」の能力を持つ少女・結城希亜に接近する。
 事件の真相・仲間の裏切り・戦いの決着。物語は急転直下、解決へと向かう。

<考察>九条都、新海天、香坂春風の3人と事件解決を行ってきた翔はついに結城希亜に接近する。彼女はもっとも謎に満ちた人物である。その素性はおろか、能力の詳細も不明。その謎が随所で明かされていくため、これまでの3作よりもプレイヤーはモチベーションが損なわれにくいように感じた。
 また本編における最終章であるため、これまでの伏線が回収される。だが最も大きな問題は取り残されたままにされるので、腑に落ちないままにシナリオは終了する。これは外伝にあたる『9-nine- 新章』で解決する。

5.『9-nine- 新章』(ぱれっと)
<あらすじ>アーティファクトによる事件はひとまず解決した。しかし翔にはやり残したことがあった。転移の能力によって途中で介入を辞めた「未解決なまま」の世界線がいくつもあったのだ。そこにいるヒロインたちは今、絶望の中にいる。彼女たちを救うまではこの冒険を終わらすことはできない。 今度こそ、平穏を。翔は最後の観測を開始する。

<考察>プレイヤーの能力である「オーバーロード」についての説明が少なく、その性質がわかりづらい。しかしこれは、プログラミング言語「Java」の関数「オーバーロード」・「継承」をベースに考えると非常にわかりやすくなる。この関数は「関数の名前は同じだが、関数内に与えた引数の値を変えるでその結果も全く異なる」というものである。
例えると、今日は誰にとっても「日付」においては同様である。しかし、起きた時間、話した相手、行動が異なれば今日はそれぞれ異なった1日となるはずだ。というものである
 また「継承」は端的に言えば「異なる関数内において、任意の関数を呼び出すことができる」関数のことである。これは本作にも色濃く現れている。主人公の翔が他の世界線においても任意の記憶や能力を有していたり、他の仲間に任意の記憶を与えることもできるようになっている。
 この説明がわかりやすいかはわからないが、このように理解すると本作の能力「オーバーロード」がわかりやすくなるだろう。また私はこのことからノベルゲームが有するITに基づいた考え方は、アニメーションやマンガとは異なる性格であると感じた。

6.『劇場版 AIR』(東映アニメーション)
<あらすじ>流浪の青年・国崎往人は偶然、この町に下車した。彼はこの地で不思議な少女・神尾美鈴と出会う。彼女は不登校の少女であり、フィールドワークを行っているのだという。往人は彼女から住まいを提供してもらう代わりに、フィールドワークを手伝うことに。
 2人は調査の中で町に伝わる翼を持った「翼人」の言い伝えを知る。描かれた書物を読み進めていくと同時に、往人と観鈴に酷似した出来事が続々と起こり始める。2人に何が起こっているのか、なぜ2人に降りかかるのか。

<考察>このフィールドワークは様々な意味合いを持っている。
調査の中で訪れるのは廃校となった観鈴の小学校や埋められている実母の写真の入ったタイムカプセル。観鈴は母の写真を燃やしてしまうことで本当の娘のように観鈴に愛情をもって接してくれている叔母・晴子を実母として迎え入れる決心をする。私はこのフィールドワークによって観鈴が今までの人生に一度区切りをつけ、新たな一歩を踏み出そうとしていると読み取ることができた。
 原作では伝承の内容も知らず、ただひたすらに受け身として流され続けていた観鈴とは異なり、観鈴が能動的な人物として描かれている。
 また物語の前半パートで、観鈴が意味深な行動をとる。彼女は神社でお母さん(この時点ではまだ母と決別していないために実母か晴子かは不明)を「よろしくお願いします」と祈る。
その後、往人が「普通さ。そういうのってさ。自分は先に逝ってしまうから、神さま、あとに残していく人をよろしくって感じだ」と指摘する。
 この後の観鈴からは返答はないが、彼女の顔面がアップで映し出され愁いを帯びている。伝承を読み進めた彼女がどこかの地点で死を知ったもしくは、日に日に隊長が悪化する彼女自身が本能的に死を悟っていたのではないだろうかと私は考えた。そうすると上記の観鈴がフィールドワークで行った行動も人生を振り返ることで自らの死の直前に備えているようにとらえることもできる。
 本作が劇場公開される5年前に発売された原作の『AIR』と比較する。晴子は最初から往人を受け入れ、観鈴に恋人ができたと喜ぶ。これは終盤まで受け入れなかった原作とは大きく異なる。原作の晴子は、勝手に預けられた観鈴にいつ実父の敬介が迎えに来るかわからない。そのため、愛情を持ってはいけないと彼女を突き放すような言動をとっていた。しかしそれも観鈴の容体が悪化することで、晴子は本家に観鈴を自分の娘として育てたいと懇願しに行く。
 本作で最も重要な要素である「ゴール」の意味が一部抜け落ちているという批評がある。ただ、実際には一見抜け落ちているように見えるだけである。この「ゴール」には「観鈴の死」と「平安時代から続く呪いからの開放」の意味合いがあり、確かに台詞においては後者は考慮されていないように思える。
 だが本作は原作に忠実な演出をしているため、挿入歌の「青空」が添えられる。実はこの楽曲自体が呪いからの解放を歌っているために、事実として欠落はないのだ。だがそれを瞬時に感じ取ることのできるのかというのは映画という性質上難しいだろう。
 そのために、レビューなどでは原作以上に悲しい物語と評されるのだろうと考えた。坂上は著書で原作を幸福の物語であるとしている。しかし結末にヒロインの観鈴は命を落とす。これは一見矛盾に見えるだろう。決して、死ぬことが幸福といった物語ではない。
坂上秋成(2019)『Keyの軌跡』、講談社

7.『劇場版 カードキャプターさくら』(制作:マッドハウス)
〈あらすじ〉木之本桜は商店街の福引で特賞:四泊五日香港旅行に当選した。一行は、観光を楽しんでいたのだが、彼女の同級生の李小狼(リー・シャオラン)の家で彼の母・夜蘭(イェラン)に会い事態は変わる。彼女は桜が香港へ来たのは偶然ではなく「呼ばれた」のだと告げた。また彼女は「水」に気をつけるよう桜に忠告を残す。
 その後、夜蘭の忠告通りに一行は何者かに襲われる。彼女は「魔導士」であり「商売敵」の「クロウ・リード」を求めていた。しかしクロウは既に過去の人。桜は魔導士にクロウは故人であると伝えるが、魔導士はその現実を受け入れることができない。彼女の想いは既に恋心に変わっていた。カードキャプターさくらはこの難事件を解決することはできるのか。

〈考察〉本作は上映25周年を記念して、夏に復活上映された。それを見に行ったために今回書くことにした。
 本作は起承転結がハッキリしており、全てが伏線になり必ず回収されるため非常に見ていてわかりやすく面白い。例えば、最序盤に桜と李が封印した「THE ARROW」のクロウカード。この場面を見ただけでは、映画の導入としてTV版恒例の山場を紹介しているように思える。
 しかしこのクロウカードは映画オリジナルのものである。すると考え方は変わってくる。このクロウカードは大量の矢を放つことができるものであり、終盤の魔導士との決戦で桜を助ける重要な役割を果たす。このように何でもないような場面であってもその後に登場する場面がある。映画のオリジナルストーリーをテレビ放送に影響を与えてはいけないためではあるが、本作の中でしっかりと完結されている。

8.『機動警察パトレイバー アーリーデイズ』(ヘッドギア)
<あらすじ>1998年の日本。3年前に発生した首都直下地震からの復興、東京湾に大堤防を建設する国家事業「バビロンプロジェクト」によってこの首都・東京では無尽蔵ともいえる大量の「レイバー」が稼働していた。
 レイバー、それは「汎用人間型作業機械」の総称であり主に土木や建築といった産業において導入されている人型ロボットである。このレイバーの生産は既に産業として発展しており、日本のみならず世界中のメーカーが競争を繰り広げていた。
 しかし同時にレイバーによる事故の発生、さらにはレイバーを利用した犯罪である「レイバー犯罪」が大きな社会問題となった。そこで警視庁は「特殊車輌二課」を創設し、警察任務用レイバーを導入することで対抗した。
 この特車二課へ配属となった泉 野明。彼女は快活な性格でレイバーへの愛も強い。彼女を指揮車から助けるは篠原遊馬。2人のバディは様々な事件に挑み、キャリアを積んでいく。

<考察>本作は全7話のOVAとして発売された作品であり、現在までアニメーション、アニメーション映画、実写映画、ノベル、ゲーム、コミックなど多数のメディアミックス展開がなされているシリーズである。
 所謂「ロボットアニメ」でありながら、本作は予算の都合上からロボットのアクションが重きに置かれることはなかった。怪談や人間ドラマなどのバラエティに富んだストーリーがほとんどを占め、終盤にテロリストのクーデターが発生したことで少々のアクションが描かれている。
 本作を皮切りに様々なシリーズが登場するわけであるが、人間関係やその性格はこの7話で既に完成されているように感じた。レイバーのメーカーである篠原重工の御曹司・篠原遊馬、レイバーへの愛やここぞの判断力に優れた泉野明、かつてはキレ者として恐れられたが現在はこの特車二課の隊長に燻っている後藤喜一などである。

9.『機動警察パトレイバー the Movie』(ヘッドギア)
<あらすじ>ある夕暮れ、1人の男が東京湾へと身を投げた。
 その男は、帆場瑛一。彼は篠原重工のトッププログラマーとして知られ、レイバーの能力を飛躍的に向上させるOSである「HOS(hyper operating system)」をほとんど単独で作り上げた。この革新的な製品は既に都内のレイバーの80%に導入されている。
 しかし時を同じくして、その都内のレイバーが突如暴走を起こす事件が頻発するようになる。これは人の操作を受け付けないどころか、自動的にレイバーが起動し暴走を起こすという全く不可解な事件であった。ただのOSの不具合やバグではないと悟った後藤喜一隊長は一計を案じる。それは不具合ではなく意図的に仕組まれたために問題なく動いた結果なのではないかというのだ。帆場暎一が「確信犯」であるというわけである。
 篠原遊馬とシバ シゲオが調査とシミュレーションを重ねるとある予測が浮上する。明後日訪れる台風が引き金となり、東京中に点在する8,000台のレイバーが暴走を起こすというのだ。特車二課はこの未曾有の大犯罪を防ぐことができるのか。

<考察>本作は犯人が自作のOSにウイルスを仕込んだことが事の要因である。私は1989年に放映された本作で「コンピュータウイルス」の要素が取り上げられたというのは非常に早い段階での出来事だったのではないか、と考えたので調査した。
 そもそもコンピュータウイルスの定義は経済産業省によると「第三者のプログラムやデータベースに対して意図的に何らかの被害を及ぼすように作られたプログラムであり、次の機能を一つ以上有するもの」というものである。この「次の機能」に自己伝染機能・潜伏機能・発病機能がある。本作では確かにレイバーのOSをHOSに書き換えた時点で、その根底にさえ潜んでしまうため「自己伝染機能」があり、風速40mという特定条件下でのみ発病するため「潜伏機能」を有しており、操縦者の意図しない暴走を引き起こすため「発病機能」があるのでその全てに合致していることがわかる。
 株式会社カスペルスキージャパンおよび株式会社セキュアイノベーションによると、世界最初のコンピュータウイルスは1971年に開発された。
 また日本の一般家庭におけるパソコンの普及率は文化庁によると1987年から1992年にかけて12%から13%の横ばいである。その後1995年ごろから増加していった。本作は産業用機械へのウイルスであったために一見、一般家庭は無関係と思えるが観客が認知しているかどうかが重要であるのでそうとも言えないだろう。
 さらに実際に企業におけるパソコンの普及について記載しておく。中央調査社の「調査結果によるOA機器普及率の変遷(5人以上事業所全国推計)」によると、10%を超えたのは1985年である。その後本作が放映された1989年に20%を超え、1992年に30%、1996年に40%を超えたというものである。
 そのため一般家庭はおろか、当時の社会人が働く場においても普及は多くなかったことが調査結果として判明した。私は結論として、1999年を舞台にして1989年に放映された本作が時代を先取りする重要な要素・見せ場としてコンピュータウイルスを取り入れたのではないかと考えた。また私は本作がコンピュータの前提知識を必要としていないと考えている。後藤喜一隊長の台詞などで、本作に必要なコンピュータへの知識はそれなりに補えるためである。
 他にも本作では随所にCG(コンピュータグラフィックス)などのシーンを挿入している。終盤の多層建造物「方舟」を解体する際にはCGで描かれた構造図を採用している。
文化庁「パソコン,携帯電話,インターネットの普及率等」
https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/kanji_kako/07/pdf/haihu_3.pdf
株式会社セキュアイノベーション「歴史から見るコンピュータウイルス」
https://www.secure-iv.co.jp/blog/4520
株式会社カスペルスキージャパン「コンピュータウイルスの歴史とサイバー犯罪が向かう先」https://www.kaspersky.co.jp/resource-center/threats/a-brief-history-of-computer-viruses-and-what-the-future-holds#
一般社団法人中央調査社「事業所におけるOA機器普及状況調査をふりかえって」https://www.crs.or.jp/backno/old/No508/5081.htm

10.『君が望む永遠 Last Edition』(âge)
<あらすじ>主人公・鳴海孝之は涼宮遥からの告白を受け、その実感を持てないまま彼女と付き合いだした。それも、共通の友人・速瀬水月の助力もあり遥に向き合うことができるようになっていった。
 しかし孝之が予定に遅刻したある日。待っていた遥が交通事故に遭ってしまった。彼女は昏睡状態に陥り、次に目を覚ますまでには実に3年を要した。
 月日が経ち、孝之の隣には水月がいた。だが、病室には「孝之の恋人」の記憶のままで止まっている遥がいる。この出来事は誰にも非はない。ただ経過した時間が長すぎたのだ。彼女の体に障らぬように、彼は「遥の恋人」を演じる必要に迫られた。演じ続ける孝之の心には次第に遥への愛情が芽生えていく。

<考察>本作には様々な特徴がある。そのために私は前々よりプレイを熱望しており、今回ようやく叶った。アニメーションや視点移動が単に多いだけでなく、非常に効果的に活用されている。美少女ゲームにおいて、アニメーションと静止画の割合というのは別に時代が進むにつれて前者が大きくなるような、そこまで単純なものでもない。
 90年代前半において、私が知る限りではélfやアリスソフトといったメーカーがドット絵の差分を描き、それをアニメーションとして動かす所謂「目パチ」・「口パク」などを導入していた。しかし90年代も半ばを過ぎるとLeafなどが台頭し、アニメーションはオープニングなどの演出に留まるようになった。これには少人数で制作されていたために、費用や手間を削減するためという単純な理由だけではないだろう。
 例えばLeafは画面を文章で覆うビジュアルノベルの形態を持っていた。またビジュアルノベル以外の作品においても、演出力以上にそのストーリー性、物語が重視された。そのためにアニメーションの重要性は低下したということが考えられる。ただオープニング映像などにはアニメーションが使われているために、本編にのみ上記は通用すると考えるべきである。
 だが本作が登場した2000年代前半にはまたアニメーションが使用されるようになる。これにはパソコンの処理能力の向上やDVD-ROMが使われるようになったことで大容量化が進んだことが挙げられるだろう。
 その中で言えば本作のメーカーであるâgeはアニメーションの使用においてはトップメーカーであった。本作には独自の演出技術である「AGES」がふんだんに使用されており、これはマブラヴシリーズに使用されていたものであったが、本作が「Last Edition」となる際に新たに適用された。
 前述の90年代のアニメーションとその後では明らかにその性格が異なる。前者はキャラクター表現の広がりであり、より魅力的に映すことができた。また新たな表現として宣伝効果としても使用されており、実際に煽り文に使われていたことも事実である。しかし後者では、本来であれば文章で説明するような動作をアニメーションで説明することでプレイヤーがより遊びやすくしている。視点移動についても同様である。本作のアニメーションはギャグと相性がよく、無駄な文章を省くことでテンポが非常に良い。結論として本作はアニメーションを物語に付加するのではなく、物語の一部をアニメーションで補っているというのが正しいと考えた。
 現在では、キャラクターの魅力を引き出すためのアニメーションと文量を削減するアニメーションの両立したものがほとんどである。そのため本作はその先駆けといえる。
 本作はシナリオにおいてもその質は高い。涼宮遥の妹である茜を例に挙げたい。彼女は途中で主人公のことを「お兄ちゃん」と呼ぶようになる。確かに、そのときには遥は主人公の恋人になっているので彼をからかうためというのもあるだろう。しかしその少し前に明確な根拠が挿入されている。主人公と茜の共通の友人である速瀬水月が大会で振るわなかった。その際に彼女が馬鹿にされていたことに憤慨した主人公を見た後に呼称が変わる。そのためある意味では、茜が主人公のことを認めたと見ることもできる。このように本作のシナリオでは他の部分でも原因と結果がわかりやすい。

11.『CLANNAD -クラナド-』(Key)
<あらすじ>一面、白い世界…。主人公は雪の中にいた。少女の手を握っていた。そう、主人公はこの少女とずっといたのだ。この、誰もいない、もの悲しい世界で。
 主人公は父にけがを負わせた日を境に2人はは他人になった。父がいない間に家に帰る。そんな生活をしていたために、学校は遅刻ばかり。
 ある昼の時間、「この学校は好きですか」と聞いてくる少女がいた。彼女の名前は古河渚。彼女は九か月もの長い間休んでいたことで友達は全員卒業し、彼女は独りぼっちになっていた。部活に入ることのできなかったこの学園にはもうない、演劇部に入ってみたいという。演劇部は欠席の間に廃部になっていた。主人公は渚の演劇部設立を手伝うことに。
 渚の学園生活は、主人公が夜に見る世界とは…。

<考察>Keyの作品で3作目であり、はじめて学園がその舞台としてピックアップされたものである。『Kanon』では川澄舞のシナリオでは学校が舞台となったが、人っ子一人いない夜の学校である。そのため、学校活動という学園の本分がその内容に挙げられた点においての意味である。

12.『ラムネ』(ねこねこソフト)
<あらすじ>電車から見た真っ青な海、どこまでも続く白い砂浜。
主人公は鈴夏と見ていた。もとは町に住んでいたが、この海の近くの一軒家に移住することになった。海で出会った七海。新しい家、彼は新しい部屋を手に入れた。しかしそのベランダの先にいたのは七海。彼女はお隣さんだったのだ。
 それからいくつものの夏が過ぎ去り、鈴夏も成長。特に変わり映えもない一日が、また始まろうとしていた。

<考察>本作には「子供時代」のパートがある。随所で回想するような地の文が挿入されるため、振り返っていることが推測できる。当ブランドにおける前作である『みずいろ』でも子供時代が描かれるが、本作は比較的長く尺をとっている。プロローグというのにふさわしい長さと感じた。

13.『春色桜瀬』(Purple software)
<あらすじ>
「一つ、予言してあげる。きっと君は、私に恋をするよ」
春休み最後の日、主人公は寝ていたが、怒った妹の綾乃に起こされた。明日からあこがれの学園生活が始まる彼女と、下見に行くことになっていたのだ。
 この学園の桜について妹に話す。「恋桜」の伝説である。「この桜の木の下で出会った男女は運命的な恋に落ちる」というもの。実は綾乃は知っていたのだが、主人公はその時幻想的な出会いを果たす。急に風が吹いた桜の木の向こう側。そこに佇む彼女は問いかける。「君って恋したことがある?」と。押し問答をしているうちに、恋をしたことがないを彼女に悟られてしまう。「私と、恋をしよう?」主人公は断った。
「一つ、予言してあげる。きっと君は、私に恋をするよ」ちぐはぐな2人の物語が始まった。

<考察>本作における私の感想は「つかみが非常に上手」というものである。桜の木の下、テキストウィンドウのキャラクター名に「?」が表示され、突如意味不明な台詞が入る。この手法はKeyなど、様々なノベルゲームが使用してきたスタンダードなものである。しかし本作はその後の台詞が光る。「一つ、予言してあげる。きっと君は、私に恋をするよ」と謎の少女が語る。これによって、「この声の持ち主は誰なのか」「予言をできるような能力を持ったキャラクターが登場するのか」「はたまた、相手を惚れさせるような能力があるのか」「実際に主人公は恋をするのか」など様々な疑問がプレイヤーに浮かぶだろう。そのために続きを知りたいと思える。

14.『抜きゲーみたいな島に住んでる貧乳はどうすりゃいいですか? Remaster』(Qruppo)
<あらすじ>身寄りのない淳之介と麻沙音の兄妹は、南の島「青藍島」へ向かう船にいた。かつて祖父が住んでいた家に移り住むのだ。しかしこの島には2人のいないうちに、新たな条例が施行されていた。
 条例により日本の一大観光地として一躍有名になった青藍島ではあるが、本島の常識は一切通じない。島民の洗脳と同調圧力は異常な光景を生み出していた。淳之介は仲間たちと島に抗う。

〈考察〉本作はQruppoブランドの初作であり、各種SNS、動画投稿サイトなどで大きな知名度を獲得した人気作品である。これらのマーケティングではシナリオや文学性を重視せず、テンポやギャグで構成された所謂「バカゲー」としてのイメージばかりが先行していたが、蓋を開けてみるとそうではなかった。
 本作は条例によって作り出されたマイノリティの立ち位置が主人公たちに与えられ、マジョリティの持つ強い圧力に抵抗する。このような構図がある。結果として確かに条例は廃止された。ただ本作はそのような単純な構造をしてはいない。
 条例は既に島の社会構造において大きな存在となっており、例を挙げると条例違反者を取り締まる組織は奨学金を受給している学生で構成されている。そのために主人公たちの反発は同世代の学生たちの人生さえも揺るがす脅威として描かれている。

15.『魔王さまといっしょ。~異世界の魔王とあまあま同棲生活~』(ボウサバG)
<あらすじ>ある夜、仕事帰りの主人公は家の近くで倒れている人を見つけた。彼女はケガをしているようだった。彼女には角がついており、言葉も全く通じない。
 救急車を呼ぼうと携帯をとりだしたところ、警戒されてしまったために仕方なく主人公は家に上げることにした。名前をジェスチャーで聞き出したところ「ヴァシュロニア」というそうだ。彼女はインターネットから恐ろしい速さで日本語を習得し、2日目には片言の日本語を話していた。
 彼女が日本語を流ちょうに話せるようになったころ、自らのことを説明しだした。彼女は魔法でこの世界に転移してきたのだという。魔界を統べていた魔王であるとも。

<考察>ヒロインとはまず言葉が通じない。これはノベルゲームにおいて、当然ながら致命的である。しかし彼女の行動が地の文や声で表現されているため、プレイヤーが読み取ろうとすればある程度は理解することができる。確かにこの通じない会話はもどかしい。それゆえに、伝わらなかった時の申し訳なさと伝わった時の楽しさがある。ただそれも、長く続きすぎて冗長にならないように彼女の学習能力が非常に高い設定になっている。
 本作は主人公が仕事から帰り、2人で夕食をとった後にプレイヤーが任意に行動できるようになる。雑談の項目ではいくつかの質問を投げかけるのだが、言葉が通じていなかった時には質問の糸が伝わらなかったり、警戒されてしまうことがあった。しかし日本語が通じるようになってから同じ質問を投げかけると、彼女は全く異なる回答をくれる。このような対照の際立つ演出はプレイヤーが彼女の成長を感じやすいだろう。
2024/11/05(火) 00:35 No.2071 EDIT DEL
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