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3年 有田真優美 RES
16〜30
16.ウォンカとチョコレート工場の始まり(2023)
監督:ポール・キング

あらすじ
美味しいチョコレートの店を作ろうと夢見るウィリー・ウォンカ。邪魔をされながらも母からの言葉を胸に、夢を叶えようと奮闘する。

「チャーリーとチョコレート工場」のウォンカのひねくれ方が尋常じゃないと思うくらいキャラが違うなと思った。チャーリーとチョコレート工場では父が出てきたが、今作では母の存在が描かれている。どちらも片方しか出ておらず、夫婦の関係には言及されていない。だが、父に強く当たられていた可哀想なウィリーではなく、優しい母との約束を守るために夢を追いかける若いまだキラキラしたウィリーが今作では見ることができる。
また今作では毒と言っていたものが、チャーリーとチョコレート工場では普通使用されている辺りがウィリーの中でどんな心境があったのかが気になる。
また、ラストシーンのチョコを分かち合う仲間といって分け合うシーンが、チャーリーがプレゼントのチョコを家族に割って分け与えるシーンと重なったり、前作を感じる部分が多々ある。連続で見たからこそすぐに気づける部分があり、シリーズものならではの楽しさを感じることができた。
宿の下の生活は本来なら苦しいものだが、ミュージカルになることで辛い中にもユーモアがあり、短い中で距離が縮まっていくミュージカルのテンポ感の良さもあった。
他にもチャーリーとチョコレート工場と同じ、クリスマスプレゼントを開けた時のような夢の世界が出てきていて、ワクワクした。
お店のシーンやカバンを初めて開けた時など
チョコを食べた瞬間誰もが虜になるウォンカのチョコレートはこちら側も食べたくなるような魔力がある。
そこを強調しているのも、魔法の正体を詳しく明かさないのも、子どもたちの夢や魔法を守って、完全に誰もが子どもになれる世界だと思う。「ハリー・ポッター」などとはまた違った、非現実の世界。だけど何よりも憧れる世界。お菓子という身近なものだからこそ、具体的な仕掛けを明かさないからこそ、大人も子どもも夢を見ることができるのだと思う。

17.バサラオ(2024) 演出:いのうえひでのり

あらすじ
幕府と帝が相争う、混乱そして裏切りの時代。
島国「ヒノモト」に生きる男が二人。
幕府の密偵を足抜けし、逃亡していたカイリは、狂い桜の下、麗しき顔で女たちを従えたヒュウガが催すバサラの宴に出くわす。
そこにやってくる幕府の役人たち。ヒュウガに惹かれ家を出た女たちを連れ戻そうとするが、女たちは嬉々として役人に斬りかかり、散っていく。それを平然と眺めるヒュウガ。
「俺のために死ぬのは最高の至福。それを邪魔する幕府はつぶせばいい」。
その言葉に驚き、惹きつけられたカイリはヒュウガの軍師になることを決意。二人は咲き乱れる狂い桜の下で手を結ぶ。
「バサラの宴は続く。この俺の光がある限り」眩しい光に飲み込まれ、美の輪廻に堕ちた者の群れ。たどり着くのは地獄か、それとも極楽か?バサラの宴が今、幕を開ける。

新感線特有のパンクロックな音楽に豪華絢爛な衣装に舞台装飾、それに負けない演者の存在感、ツケ打ちや見得など歌舞伎の要素はふんだんに入れつつも、これぞ劇団新感線といった作品だった。客席も乗らせるライブのような空気感も新感線ならではだた思う。
一転二転する物語のスピード感もさることながら、歌や踊り、キレのある殺陣、コントのような笑いなど含めて、至極のエンターテインメントという感じだった。
ストーリーとしてはヒュウガの美しさやそれに隠れた賢く 強さで国を牛耳ろうと
自分自身も惚れるほどのヒュウガという存在、カイリの執拗なまでのヒュウガへの怨みが迫力のある演技とマッチして圧倒された。
また、カイリ自身もヒュウガに狂わされた一人でもあり、一目見たものの心を惑わすヒュウガの美貌に観客側も惹かれた。そしてその役に説得力を持たせる役者の演技も見事だった。
誰が敵か味方か分からない、戦乱の世で信じられるのは己だけという言葉通りのどんでん返しの連続だった。
だがヒュウガのバサラを語れるのは自分だけという自分の美貌への圧倒的な自信やカイリの執念、散っていった者たちの最期も皆一本芯が通っていてこの人のためなら死ねるという考えは戦の世の中ならではの考え方だなと思う。
自分の邪魔をする者は皆排除するというヒュウガの手段を選ばない姿は、いやらしくも、美しく、ダークファンタジーとしても煌びやかな作品だった。

18.スオミの話をしよう(2024) 監督:三谷幸喜

あらすじ
ある日、大富豪の妻・スオミが突然姿を消す。彼女の失踪を知り、スオミを愛した年齢も職業も異なる個性的な5人の男性たちが、夫の住む大豪邸に集まる。彼らはそれぞれスオミについて語っていくが、浮かび上がる彼女のイメージは見た目も性格も異なっていた。

三谷幸喜らしい不思議な設定と、癖のある登場人物たちの掛け合いや、今の時代には珍しいアイリスアウトの暗転方法などどこか安心する定番の笑いが面白い。定番の中にも意味のわからない設定や笑いを入れてくる独特さは現代でも癖になるものがある。
また、スオミという人間の特殊性、環境によりそうならざるを得なかった哀愁も感じた。様々な姿を演じているがそれは彼女なりの処世術であり彼女の本当の姿は、どこにでもいる女性だと思う。ただ少し人を誑かす才能があっただけだと思う。
魚山を使ってつまんねぇこと聞いてんじゃねぇよと本心を叫ぶシーンは、最後まで演じているようで、彼女らしさが見えるシーンだなと思った。
ラストのミュージカルシーンはあまりに突然で、度肝を抜かれるがひたすらにヘルシンキのことを歌ったそれは耳にも残る上に、ずっと素顔が見えなかった彼女にとって本当にしたかったことはこれなんだとこれでもかと見せつけられている感じがした。

19.記憶にございません!(2019)監督:三谷幸喜

あらすじ
史上最悪のダメ総理と国民から嫌われる内閣総理大臣の男は、演説中に石を投げられて病院に運ばれる。やがて目を覚ました彼は、一切の記憶を失っていた。国政の混乱を懸念した3人の秘書官は、その事実を伏せて世間や身内からも隠し通そうとする。一方、何も思い出せない総理は次々とトラブルに見舞われるうちに、なんとか現状を変えようと奮起する。

急に人が変わってはみんながびっくりしてしまうだろうという言葉は誰もが感じたことがあるのでは無いかと思う。人は皆どこか演じていて、環境によっても態度は変わる。そして一度それで定着してしまうとたとえそれが本当の自分でなくても貫かなくては演技だとバレてしまう。共感できる悩みで、実は変わりたいと思っている人は沢山いて、そういう人たちの頭に石が当たって記憶喪失になればいいのにという現実ではありえない淡い希望を物語に起こした作品だなと思う。
そうそうこんなにうまくは行かないけれど、少し踏み出してみたらもしかしたらこの物語みたいな未来が待っているかもしれないと期待させてくれる、勇気をくれる作品。
この作品の登場人物は前のめりで、止まることがない。みんながトラブルを乗り越えようと必死になる。このようながむしゃらな大人もかっこいいと思わせてくれる。

20.赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。(2023)
監督:福田雄一

あらすじ
シンデレラと共に出席したお城の舞踏会で、思わぬ事件に巻き込まれた赤ずきん。彼女は12時の鐘が鳴る前に、謎を解き明かすべく奮闘する。

人を殺しているから、仕方ないけどシンデレラが少し可哀想だった。
美しさが全てというルッキズムの国で、迫害されていたシンデレラが自分の身を守るために取った行動だと考えると悲しいなと思う。
また、赤ずきんという外部の人間によって、この国の異様さが明らかになり、少しずつ変わっていく様子も面白い。
何より、福田監督ならではのコメディシーンがキャッチーで、童話というファンタジーな世界でもそれが成立していたのがすごい。だが、現実世界で使えるメタ的な発言や、現代的なユーモアが使えない分、完璧なファンタジー世界では少しそのユーモアが浮きそうな場面もあった。「勇者ヨシヒコ」ではそんなことは無かったが、「シンデレラ」や「赤ずきん」の原作が日本では無いことも違和感の要因としてあるのかなと思った。有名な作品を使うということは難しいことなんだなと思った。

21.西園寺さんは家事をしない(2024) 演出:竹村謙太郎、井村太一、山本剛義、渡部篤史

あらすじ
仕事はバリバリやるが家事は一切しない、そんな38歳独身女性の主人公・西園寺さんはマイホームと念願の“家事ゼロ生活”を手に入れたばかりそんな中、どういうわけか年下の訳ありシングルファーザーと「偽家族」として暮らすことになる。風変わりな同居生活を通して「幸せって何? 家族って何?」を考えるハートフルラブコメディ。

多様な現代の家族ノカタチを表しているなと思った。
最後に海外に行くのも、型にハマらない、とらわれないという意味では正解だなと思った。楠見くんの経験値も伏線となり自然だった。
ラストのルカちゃんのカメラに向けた言葉も、いないけどいると言っていたり、霊感があったりするるかちゃんが最後の最後に視聴者も見えていた感じもして、ドキッとしたし、seeyou Soon I hopeも粋なラストだなと思った。霊感という設定があることで最後にルカちゃんがルイさんの笑顔を見ることができて良かった。原作とは違うけど、新たに笑いや感動が生まれて、良い改変だったと思う。
ルカちゃん目線の回もあり、ルカちゃんのむわぁという気持ちも大事にしていて、ただのラブコメディではなく三人がみんな幸せになる家族とは違う新しい形の答えを偽家族という生活を通して見つけたのかなと思った。
様々な形の人間関係が増えて答えがないからこそ、それでも幸せになれるかたちをひとつ提示した作品だなと思う。
はっきりと明言しないのもまた今らしいなと思う。それでもみんなが心から笑顔になる、愛があることが大事というのは今も昔も変わらないことだとは思う。
偽家族という内容は人によってはどうだろうと思うような新しい形だけど、それが気にならないくらいルカちゃんのかわいさが伝わってきて、二人の一生懸命理想を実現させようとする様が応援したくなる。

22.ONEPIECE FILM RED(2022) 監督:谷口悟朗

あらすじ
世界中の人々を歌声で魅了する人気歌手・ウタ。素性を隠してきた彼女が、初めて世間に姿を見せるライブが開かれることになる。そして、迎えたライブ当日、ルフィたちを含めた海賊や海軍たちが集結。しかしそこで、ウタに関する衝撃な事実が発覚する。

ワンピースという海賊世界であまり描かれない芸術の部分を知ることができた
海賊時代でも音楽はあり、世界中の人々がそれによって幸せになっている。
現実と変わらない海賊時代の人々の日常の側面が見れた。エンディングのこれまで登場したキャラクターの音楽を楽しむ姿を見ることでより、この世界を多面的に知ることになり、よりワンピースという作品の解像度や理解が深いものとなった。長年やっている作品だからこそできる挑戦的な作品でもあったと思う。
バトル漫画だが、そこに生きる人々は現実世界と変わらず毎日を生きているということを実感した。複雑で多面的でどんなに知っている気がしても、まだ成長して新しい面が見れるのは人のようだなと思った。
ワンピースは悪魔の実など現実にはありえない設定や体の動きをする非現実的なデフォルメされた世界だが、その中にも心理描写の繊細さがあり、その繊細な心理描写と漫画やアニメーションでしか描けない熱いバトルが組み合わさり大人も子どもも楽しめるコンテンツになっているのだと思う。
シャンクスという重要キャラクターの娘ということもあり、父と娘の物語も濃密なもので、観客をたかぶらせるものだと思う。
この作品が世界的にも大ヒットしたことで、ウタの歌声で世界中の人々を幸せにする、多くの人に聞いてもらうということができているということが現実と作品がリンクしている感じもあり、今見ることで別の感動もあった。挿入歌がどれも再生回数が爆発的な勢いであるというのもウタの存在感が現実でも強くあることが、よりウタというキャラクターの深みを増していると思う。
また、ウタが感情を乗せて歌うという音楽劇のようなアニメーションは日本のアニメでは少ないと思うため、アニメーションの歴史自体にも残る作品であると思う。
また、前半のウタの歌唱シーンは実際にミュージカルを見ているような高揚感と同じで、言葉だけでは無い、メロディを伴った音楽の人の心を動かす力を改めて体感した。
Adoもそうだが、ワンピースという世界中で愛される作品を通して、様々なアーティストが楽曲定価した日本の音楽も世界に届けることができたという意味では世界規模で強い影響力のある作品であったのだなと思う。
挿入歌の歌詞もウタの心情に沿ったもので、最近減ってきているキャラソン文化がまた開いた感じがする。
少し前までキャラソンは作品の世界観関係なく作られていたイメージだが、やはり音楽を題材にした作品であれば現代でも強い文化だと思う。

23.侵入者たちの晩餐(2023) 演出:水野格

あらすじ
ある年の瀬の夜、豪邸に亜希子、恵、香奈恵という3人の女性が侵入する。
時はさかのぼり1か月前、家事代行サービス会社で働く亜希子は、同僚の恵から社長の奈津美が脱税した金を自宅に溜め込んでいるという噂を聞く。
亜希子はそのタンス預金を盗む計画を立てる。

テンポが良く、展開が読めない目新しさのある作品だった。まったく犯罪からは程遠そうな三人が身近にある不満から犯罪に手を染める。そこからのテンポのいい侵入劇や、予想だにできない綺麗な伏線回収が気持ち良い。
重松の最後まで意地悪く金銭を手に入れようとする人間らしさも面白かった。
バカリズム独特の子気味良い会話劇も光っていて飽きずに見ることができる。
普段犯罪なんてしなさそうな大人しい人でも、不満やストレスは隠し持っていて、何がスイッチとなり行動に移されるかは分からないなと思う。また、誰かの何気ない行動一つ一つがバタフライエフェクトとなっている。また、毛利の登場によって、すべて見えている気になっている視聴者の度肝を抜き、一気に伏線回収される気持ちの良い構造になっていると思う。

24.ミッシング(2024) 監督:吉田恵輔

あらすじ
失踪した娘を必死に捜し続ける母親。情報提供を求めてメディアに登場する彼女だったが、マスコミ報道やSNSの好奇の対象として消費されていく。

飽きる瞬間は少しもなかったが、息付く暇もなく、一旦見るのを休みたくなるくらい誹謗中傷や何気ない軽い言葉一つ一つの棘や偏見がすごく粒だって見えて、親の気持ちになるとより苦しい気持ちになる作品だった。
また、弟などを見ているとその人の表面的な部分がどれだけその人の一部分でしかないか、そこだけでその人の人格を決めつけることの恐ろしさを感じた。
人は嘘をつくし、勘違いもするし、分かっていても言えない、間違えてしまう瞬間は多くある。これが正しいとわかっていても勇気が出ないこともある。誰も悪気は無いが、悪気がないからこそ何気ない一言の攻撃性がより高いなと思う。この作品ではSNSの誹謗中傷やマスコミの報道について、訴えかけているがこうした今もSNSを開けば誰かが誰かを批判していて、訴えかけても変わらないんだろうなという無常さも少し感じてしまった。
SNSという世界を取り巻く大きな渦を動かすことは容易ではない。それでも取り上げておかしいと叫ぶことができるのもまた、映画の力かなと思った。何かを変えることはできなくても、おかしな世の中を可視化して問題提起することができるのはエンタメの力で、それと同時にそれを広く広めるためにはSNSが必要でジレンマだなと思った。
全体を通して、苦しいことばかりで美羽ちゃんが見つかることも無くエンディングを迎えたため、すごく締め付けられる最後だった。この締め付けられる程の感情移入はSNSという現実に存在する最も身近にある残酷な世界を描くことで、観客がリアルなえぐみや気持ち悪さをフィクションではなく体感できる、もしくはしているからだと思う。
姉弟の関係が少し変わったことはほっとしたが、本当に些細なでも大切な変化でそこに安堵する気持ちと大きくは変わらない現状を俯瞰してハッピーエンドとは言えない複雑なラストだった。
グラグラなメンタルの妻と冷静にあまり気持ちを表に出さない夫の対比やすれ違いがあり、夫のあまり表に出さない感情を考えると表情にもより目がいく。
「事実が面白いんだよ」というマスコミに対する批判や、「追い詰められると自分がついた嘘にも縋りたくなるのかもしれない」といった人間の本質に触れる台詞など、印象的な台詞も多くあった。

25.新宿野戦病院(2024) 監督:宮藤官九郎

あらすじ
新宿歌舞伎町の片隅に建つ「聖まごころ病院」は、かつてホームレスや犯罪者などワケありな背景を持つ患者も分け隔て無く治療する「新宿の赤ひげ先生」高峰啓介院長の下で人々の尊敬を集めていたが、時代と共に施設の老朽化やドクターの質の低下が顕在化し、現在はワケあり患者からも忌み嫌われるその荒廃ぶりから「新宿野戦病院」と揶揄されていた。そんな中、岡山弁混じりの英語を喋る謎の女ヨウコ・ニシ・フリーマンが、軍医として本物の野戦病院を経験した凄腕の外科医であることが判明し、平等に雑に目の前の命を救っていく。

ヨウコ先生の最初のインパクトがかなり強いが、それに負けない社会的なメッセージやコメディ要素の面白さがある。新宿というひとつの場所を舞台にここまで話を広げることができるのもすごいし、それだけ様々な思いが犇めく場所なのだと思った。
医療ドラマとしても、野戦病院にフォーカスを当てた作品は少なく、新しい視点だなと思う。差別や身寄りのない若者など、綺麗事だけではなく、リアルを描いているなと思う。

26.月まで三キロ(2018) 著者:伊予原新

あらすじ
死に場所を探して彷徨う男がタクシーで山奥まで誘われるという物語。

著者が地球惑星科学を専攻していたことから、宇宙や月の知識が詳細で、男の人生と運転手の息子の話に月が光を当てている感じがする。日常の悩みや辛いこともどれもこれも宇宙規模で考えると些細なことで、遠い存在になってしまったと思っていた父も物理的に考えれば会うことは叶う。人間関係のいざこざで会いづらくなっている相手でも、生きている限りは会ってやり直すこともできる。月という壮大ではるか彼方の存在を引き合いに出すことで、重く考えすぎていた心を少し軽くしてくれる作品だと思った。
また、月の裏側という見ることのできない部分への探求と、息子の見えない一面を重ね合わせており、見えないけれどいつかは見てみたい、見なければならないという気持ちの表現が良いなと思った。

27.トイ・ストーリー3(2010) 監督:リー・アンクリッチ

あらすじ
持ち主の男の子が成長して大学の寮に引っ越す際に、手違いから捨てられそうになったお気に入りのおもちゃたち。逃げ出した彼らは保育園への寄付品に混ざりこみ、また小さい子どもに遊んでもらえると張り切る。一方、カウボーイ人形だけは男の子のもとに帰ろうと脱出するが、仲間に危険が迫っていることを知って引き返す。

トイ・ストーリーの中でも今作は特に人気の強い作品だが、それは子どもだけでなく大人にも刺さる内容だからだと思う。むしろアンディとの別れは大人になってしまった人たちにこそ分かる感情でもあり、子どもも楽しめるロッツォという悪役との戦いに加えておもちゃの存在意義や子どもの時間の短さを痛感する作品だなと思う。
アンディがボニーにおもちゃを渡すシーンでは、ウッディに手を伸ばしたアンディに気づき、アンディが一瞬手を引っこめる。体が勝手に動くくらいいくつになっても大切な宝物であることがそのシーンですぐに分かる。おもちゃが主人公で人間たちの内面の感情がはっきりと描写されることはほとんどないが、だからこそそういった些細な動きにも視聴者は意識を向ける。そして制作側もアンディのおもちゃたちへの愛を丁寧に描写している。
本来意志を持たないおもちゃだが、おもちゃにも心があるかもしれないとこういった作品を生み出すのは、日本で言うところの付喪神を思い出した。人形に関わらずチャターフォンなど、ものにも愛情を向けるのは本当に素敵なことだなと思う。

28.ボッコちゃん(1971) 著者:星新一

あらすじ
近未来を舞台に、バーで働く女性型アンドロイド"ボッコちゃん"に対する男性客の絶望的な恋を描いた作品。

自分が言ったこととまったく同じレスポンスをするアンドロイドという発想は現代のAIなどが発達した今日では逆に思いつくのが難しいような、当時のまだ、夢見ていた頃の突飛な発想という感じがして面白い。また、自分が言ったことがオウム返しで返ってくるだけで実際は会話もできていないにも関わらず、彼女にのめり込んで行く男は自分が欲しい言葉をそのままくれるアンドロイドを前に気が大きくなり絶望的な結果を生み出してしまったように思う。人間の業のような、誰もが持ち合わせている人間味のある思考や感情、苦悩などを描くのが上手いなと思う。

29.最後の地球人(「ボッコちゃん」(1971)) 著者:星新一

あらすじ
限りなく人口が増加し続けた地球はある瞬間から減少の一途を辿る。

この作品は旧約聖書の創世記の逆回しになっている。私はそれを知らなかったため、調べるまでこの作品の真意が分からなかったが、分かってみると星新一らしいというか、少し不思議で面白い作品だなと思う。
人類の終わりというこの文庫の最後にふさわしい内容で、ただ短編を楽しむだけでなくこの本をすべて読み切ったからこその良い読後感を味わえた。
人類の終わりという壮大なテーマを短編に落とし込むのは難しいと思うがそれを見事に形にしており、滅亡直前の静かで物寂しい雰囲気が文章だけでも伝わってきた。
最後の地球人である人間が何かをしなくてはいけないのだなという何もかも分かっているような姿は神なのだなと思う。

30.処刑 星新一の不思議な短編ドラマ(2022) 演出:柿本ケンサク

あらすじ
主人公の男性は殺人罪で有罪判決を受け、処刑のために遠い惑星へと送られる。
主人公は、喉の渇きと死の恐怖の間で苦悩することになる。何故ならば彼は水を得るために必要な球のボタンを押すたびに、爆発の可能性と向き合わなければならないからだ。この極限状態の中で、主人公は重要な気づきを得る。

何かに男が気づいてから、男はお風呂に入り、球を愛でながら叫ぶ。それを私は何かを諦観したような状態なのかと思ったがそれでは何かに気づいたとは言えない。
男は極限下で選択をしていくうちにこれが日常生活と何ら変わりないことに気づく。私たちは日常生活において様々な選択を常にしている。その選択の自由は自己や他者の生死にも関わる可能性がある。
球がいつ爆発するか分からない状態というのも、日常生活において事故や病気で予期せず死ぬということと何ら変わりない。死は常に普遍的で、生は不確実なものである。
それを普段の私たちはあまり意識できていないだけで、男はそれに気づき、目の前の死の可能性に対して極度に恐れる必要はないと悟ったのだと思う。それを噴火などの日常生活における死の可能性を映し出し、極限状態でのお風呂という一見イカれた行動をすることで視聴者に伝えている。
男が最後によっしゃあと叫んでいる場面は、気づきを得たことでこれはもはや処刑では無いという勝ち誇った叫びなのかなと感じた。
あえて多くは語らず、映像だけでこの新たな視点を伝えているのはすごいなと思うし、言葉のある原作ではまた違った描かれ方をしているだろうと思う。
2024/09/23(月) 20:33 No.2052 EDIT DEL
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