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4年 中島
RES
(仮)
●タイトル
「アニメーションで用いられるケモノ表現〜動物的表現からみる未熟な登場人物たち〜」
●概要
人の言葉を話し、人のように振る舞うケモノ。ケモノの姿に変えられた/模した人間。そんな存在が出てくる日本アニメーション作品は、細田守作品を筆頭に多く思い浮かぶだろう。しかし、なぜ彼・彼女らは人ではなく”ケモノ”の姿でなくてはいけなかったのか。異種間という側面だけではない、未熟な登場人物にケモノとしてのガワを被せることでその言動の生々しさ・グロさを軽減させているアニメーションに着目し本質を考える。本論では未熟な彼らを非人間化させるケモノ表現と、その表現が包み込む登場人物の”未熟さ”について論じていく。
2000年代以降の日本でヒットした、登場人物に動物的表現が用いられるアニメーション作品に注目し、その動物的表現がどのように用いられているのか。特にその中で未熟さを持つ登場人物に獣のガワを被せるかのごとく動物的表現を用いる作品に着目していく。(細田守監督作品を中心に、)『竜とそばかすの姫』と『美女と野獣』など、他作品との比較を行いながら最終的にそこから浮かび上がる親子の問題や女性に求められる役割などのジェンダー問題等について問い直すことを目的とする。
(『美女と野獣』と『竜とそばかすの姫』を比較しながら、動物的表現の役割とそこから分かるヒーローの未熟さとジェンダー問題について触れたい。ただ、この二作以外にもう一作程度比較対象を持ってくるか、それともケモノが描かれる細田守作品を主にして前文の内容をその一部として論じるか不確定。)
●タイトル
「アニメーションで用いられるケモノ表現〜動物的表現からみる未熟な登場人物たち〜」
●概要
人の言葉を話し、人のように振る舞うケモノ。ケモノの姿に変えられた/模した人間。そんな存在が出てくる日本アニメーション作品は、細田守作品を筆頭に多く思い浮かぶだろう。しかし、なぜ彼・彼女らは人ではなく”ケモノ”の姿でなくてはいけなかったのか。異種間という側面だけではない、未熟な登場人物にケモノとしてのガワを被せることでその言動の生々しさ・グロさを軽減させているアニメーションに着目し本質を考える。本論では未熟な彼らを非人間化させるケモノ表現と、その表現が包み込む登場人物の”未熟さ”について論じていく。
2000年代以降の日本でヒットした、登場人物に動物的表現が用いられるアニメーション作品に注目し、その動物的表現がどのように用いられているのか。特にその中で未熟さを持つ登場人物に獣のガワを被せるかのごとく動物的表現を用いる作品に着目していく。(細田守監督作品を中心に、)『竜とそばかすの姫』と『美女と野獣』など、他作品との比較を行いながら最終的にそこから浮かび上がる親子の問題や女性に求められる役割などのジェンダー問題等について問い直すことを目的とする。
(『美女と野獣』と『竜とそばかすの姫』を比較しながら、動物的表現の役割とそこから分かるヒーローの未熟さとジェンダー問題について触れたい。ただ、この二作以外にもう一作程度比較対象を持ってくるか、それともケモノが描かれる細田守作品を主にして前文の内容をその一部として論じるか不確定。)
中島
改訂版
●タイトル
「『竜とそばかすの姫』と『美女と野獣』のケモノ表現からみる未熟な登場人物〜母親的役割の所在〜」
●概要
ケモノの姿に変えられた/ガワを被った人間。2021年に公開された『竜とそばかすの姫』は『美女と野獣』(ディズニー版アニメーションは1991年公開、ヴィルヌーヴ夫人のは1740年)をインターネットの世界で表現した作品である。
”ケモノ”の姿は作品内での異種間交流という側面だけではない、未熟な内面を持つ登場人物にケモノとしてのガワを被せることでその言動の生々しさ・グロさを軽減させる。本論では未熟な彼らを非人間化させるケモノ表現と、その表現が包み込む登場人物の”未熟さ”の内容について論じる。『竜とそばかすの姫』と『美女と野獣』の動物的表現に注目し、その動物的表現がどのように用いられているのか。比較を行いながら『美女と野獣』を現代の作品で表現したときに浮かび上がる親子の問題や女性に求められる役割などのジェンダー問題等(母親的役割の所在)についても比較して問い直すことを目的とする。
●タイトル
「『竜とそばかすの姫』と『美女と野獣』のケモノ表現からみる未熟な登場人物〜母親的役割の所在〜」
●概要
ケモノの姿に変えられた/ガワを被った人間。2021年に公開された『竜とそばかすの姫』は『美女と野獣』(ディズニー版アニメーションは1991年公開、ヴィルヌーヴ夫人のは1740年)をインターネットの世界で表現した作品である。
”ケモノ”の姿は作品内での異種間交流という側面だけではない、未熟な内面を持つ登場人物にケモノとしてのガワを被せることでその言動の生々しさ・グロさを軽減させる。本論では未熟な彼らを非人間化させるケモノ表現と、その表現が包み込む登場人物の”未熟さ”の内容について論じる。『竜とそばかすの姫』と『美女と野獣』の動物的表現に注目し、その動物的表現がどのように用いられているのか。比較を行いながら『美女と野獣』を現代の作品で表現したときに浮かび上がる親子の問題や女性に求められる役割などのジェンダー問題等(母親的役割の所在)についても比較して問い直すことを目的とする。
山田
『竜とそばかすの姫』は視聴したことがないので、ディズニー版の『美女と野獣』の感想のみを書きます。老女に扮した魔女に冷たい態度をとったことによって王子が野獣にされていましたが、それだけではなく、加えて城の者が食器や時計などになっていたのが面白いなと思っています。そして、薔薇の花びらが散るまでに王子が人を愛し、愛されなくてはならないという魔法の解除方法はなかなかにロマンチックな設定だと感じました。また、野獣がベルを愛し、ベルが彼に愛を伝えたことによって(王子の人間性の回復が証明されたのかなと思っています)王子が人間の姿を取り戻すラストが印象に残っています。
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