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三年 鈴石
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夏休み課題30作品です。投稿が大幅に遅れてしまいすみません。
28番はデータが保存できていなかったため、申し訳ありませんが、夏休み外で鑑賞した作品を加えてしまっています。(鈴石)
1~10
1.『怒り』(映画)
原作:吉田修一
監督:李相日
<あらすじ>
八王子市で発生した殺人事件の犯人が捕まらないまま一年が経った。警察が情報を集めるため、犯人のイメージ画像が全国で公開される。時を同じくして千葉・東京・沖縄に身元不明の三人の男が現れるが…。
周囲の人物たちの、受け入れようとするが怪しむ感情を捨てきれず葛藤する姿が緻密に描かれていた。題名の「怒り」は千葉・東京・沖縄の場合で意味合いが異なるように感じるが、特に千葉での、信じたい人を信じ切ることができなかった自分に対する「怒り」がとても印象に残った。
また、信じ切れないことによる独特の緊張感が全体に常にあるなか、東京での優馬と直人の暮らしの描写は、それとは別の繊細さをはらんだ雰囲気だと思った。軽い口調で「信用していない」と言った優馬と、それに対して「信じてくれてありがとう」と言う直人のやり取りも、深く探ることへの恐ろしさと、それを分かっている様子という繊細な演技が必要とされるが、丁寧に表現されていたと感じる。
俳優陣も豪華な顔ぶれで、人の感情の機微を大切に拾う演技には注目である。
2.『楽園』(映画)
原作:吉田修一
監督:瀬々敬久
<あらすじ>
あるY字路で少女が行方不明となった。犯人の目星もつかないまま12年の歳月が過ぎたころ、再び同じような事件が起きた。確たる証拠もない状態で容疑者として町中から疑われた豪士は必死に逃走を図る。
またY字路を進んだ集落で養蜂家として暮らす善次郎は、あるきっかけから村八分にされてしまう。止まない非難や嫌がらせに次第に善次郎は衰弱していく。
閉そく感の恐ろしさを実感した。一度広まれば取り返しがつかず、一度思い込まれたら誤解は解けないという点はどんな環境にいようと同じかもしれないが、閉じた世界が舞台となっているため、そのことがより強調され描かれていたように感じる。また標的となった人物たちの無力さが、観ているこちらが辛くなるほど丁寧に描出されていた。豪士も善次郎も長身の俳優が演じているがとても約180㎝あるようには見えず、圧倒的弱者として両者とも映画に存在していたことが印象に残った。紡に関しては、信じていたり正の感情を向けていた人たちが消えてしまったが、逆に負の感情を向けていた人が最終的に自身の希望となったりと、救いのある最後でよかったと思う。
また「楽園」とは誰にとってのものか考えさせられた。誰かを犯人としてつるし上げ安心感を得られる環境だったことは、その集落に住む人からすれば「楽園」と感じられる場所だったのかもしれないが、必ず苦しむ役割の人が必要である。映画内で何度か出た「どこ行っても同じ」というセリフも踏まえると、本当の「楽園」というものは存在しないという気にさえなってくる。
鬱展開が続くなか、集落の田園風景がいやに美しく穏やかだった点も狂気じみていてぞっとした。
3.『天空の蜂』(映画)
原作:東野圭吾
監督:堤幸彦
<あらすじ>
自衛隊用の大型ヘリコプターが遠隔操作により何者かに奪われた。犯人は天空の蜂と名乗り、ヘリコプターを原発の上空に滞空させ、国内にある原発全てを停止しなければヘリコプターを落下させるという内容の声明文を出す。ヘリコプターの設計士である湯原は原発設計士の三島と共に事件の解決に臨むが…。
電気をとるか人命をとるかという選択がメインに据えられていた。道徳に則った常識で考えれば人命が第一優先されるべきはずが、多くの機関が電力を優先させる決断をしたことには怒りを感じた。しかし、原発の弊害の心配もせず、のうのうと日頃電気を使用している身である以上、軽々しく非難を口にできず考えさせられるものがあった。
人間関係で魅力的に感じたのは、やはり主人公一家である。湯原は典型的な仕事人間であり、家族サービスをしようとしても空回りするような家族関係がギクシャクした人物として描かれる。しかし、この描写が前半にあったからこそ、高彦とモールス信号で通じ合うシーンは、高彦の命を救った重要なものであると同時に、父と子の繋がりという意味でも非常に大切なものとなったのだと思う。
4.『影裏』(映画)
原作:沼田真佑
監督:大友啓史
<あらすじ>
埼玉の本社から盛岡に転勤となった今野は、そこで同僚である日浅と親しくなる。穏やかに過ごしてきた二人だったが、些細なことをきっかけに交流が途絶えてしまう。それからしばらく経ったころ、同僚の西山から「日浅が死んでしまったかもしれない」と告げられた今野は…。
穏やかな日々の様子を観ているはずなのに、遠くから鋭利な刃物を向けられているような妙な緊張感があった。予告から不穏な空気を知っていたからかもしれないが、表情や声音はどう見ても穏やかで明るいはずなのに、時折見せる不気味な雰囲気を日浅から感じられる。それに加え、相対する人によって接し方を微妙に変化させる点が日浅の一番恐ろしいところであると、個人的には考えた。また、こうした日浅があることで、不器用だけれどもどこまでも素直な今野との対比がしやすいと感じる。
『影裏』という題名の通り、映像も影が印象的な造りだったように思う。影により俳優の表情が見えない場面がいくつもあったが、その時の目での演技に鳥肌が立った。影により見えないものの方が多いため読み取れる画面上の情報が少ないが、そのため何を読み取るかが人や回数により分かれそうで、様々な楽しみ方ができるように思う。
5.『日本で一番悪い奴ら』(映画)
原作:稲葉圭昭
監督:白石和彌
<あらすじ>
柔道の腕を買われ道警に配属された諸星は、仕事に関してはうだつの上がらない青年だった。ある日先輩刑事から「裏社会のスパイ(通称S)をつくれ」と助言される。素朴な青年が裏社会に染まり転落していく姿を描き出した作品。
年齢制限のある作品でショッキングな場面も多くあるが、場面というよりも俳優陣の迫真の演技に恐怖感を覚えた。諸星の人物像の、犯人を追いかけるよりもシートベルトの着用を優先させ酒もたばこもたしなまない初心な青年だったのが、手柄を挙げていく一方、ヤクザから「アニキ」と呼ばれ畏怖される、悪事に染まった人物となるまでの変化が鮮明に表現されている。諸星と小坂の関係性も面白く、先輩に刑事になった理由を聞かれた際「公共の安全を守るため」と両者とも答えたが、その後悪事に染まり堕ちていった諸星と、その後も信念を忠実に守っていった小坂の対比が興味深いと感じる。
先に書いた通り衝撃的な展開もあるが、人が翻弄され狂っていく物語は圧巻の一言だった。
6.『亜人』(映画)
原作:桜井画門
監督:本広克行
<あらすじ>
研修医の青年・永井圭は交通事故をきっかけに、不死の新人類「亜人」であることが発覚した。研究施設で実験モルモット同然の扱いを受けた彼は、そこで佐藤と名乗る亜人に助けられる。しかし佐藤はテロリストであり、その思想に共感できない永井は佐藤と対立する。
二時間ほどの映画にまとめるため、原作とは異なる設定がいくつかあったが、散らかることなくまとまった内容となっていたように思う。俳優陣も言っていたように不死身の体を持つ者同士の戦いになるため、ともすれば茶番になりそうな戦闘シーンを緊張感のあるものとするには工夫や努力が必要になりそうだが、しっかりと手に汗握る展開となっていたことに制作陣の熱意が感じられた。
メインとなるのは永井と佐藤の戦闘ではあるが、彼ら以外にも亜人は登場する。その中で下村という亜人でありながら人間に付き従う異色の人物が登場するが、個人的には亜人の能力である黒い幽霊にクロちゃんという名前を付けている点が、その他の亜人と下村の差異に感じられた。人間サイドであるが人間ではなく、その他亜人と比べても異質であることが強調されていたように思う。どちらの立場にも上手く馴染まないことは永井に共通するものであり、案外似た者同士だったのではないかと感じたので、二人のシーンがなかったことは少し残念だった。
亜人と人間、永井と佐藤、下村と他の登場人物というようにこの作品は様々な対比で成り立っているように思うので、時間があれば今度は原作を読んだうえで別の視点からも見直してみたい。
7.『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(映画)
原作:帚木蓬生
監督:平山秀幸
<あらすじ>
精神病棟を舞台とした作品である。死刑囚だったが死刑執行後蘇生してしまった秀丸は、刑務所には置いておけないという理由で精神病棟に移される。そこで出会った様々な人とのあたたかな交流が始まる。
「事情のない人なんていない」というセリフが一番印象的だった。他人の事情を詮索せず、それでいて独自の距離感でコミュニケーションを取る人が集まり、病棟の空気が築かれていると感じる。外部からの面会者という形で外の世界との違いを見せつけられる場面もあるが、どんな時でもあたたかく寄り添う秀丸の姿からは安心感が感じ取ることができる。『楽園』と同様に閉じた世界であるにも関わらずそこに恐怖が漂っていないことから、人が環境をつくることもあると改めて実感した。
「実際の病棟はここまできれいではない」という批判があることも頷けるほど、美しい物語だったが、それでも人の繋がりや寄り添いを描いているという点ですばらしい作品だったように思う。
8.『64―ロクヨンー前編』(映画)
原作:横山秀夫
監督:瀬々敬久
<あらすじ>
少女誘拐殺人事件、通称64―ロクヨンーは、時効まで残すところあと一年となった。当時事件を捜査一課で担当していた三上は広報課に移動となっており、情報を開示したくない上層部と情報の開示を要求する記者クラブとの板挟みの日々を送っていた。そんなある日、64担当捜査員の士気を高める名目で警察庁長官が視察に来る話が持ち上がる。
広報官という警察を題材にした作品ではあまり登場しない役職を中心に据えた物語のため、「広報官」や「記者クラブ」の知識がないと序盤は少しおいて行かれるかもしれない。どちらも情報を扱う人たちであるにもかかわらず、情報開示における規制について対立を続けている様子が詳細に描かれていた。しかし、激しい対立があった後に記者クラブの飲み会に広報官が混ざり親しく話している様子を映すことで、毛嫌いしているばかりではなく、後に登場する「みんな普通の人です」というセリフに信憑性を持たせていた。記者クラブが三上の説得に応じる場面も含め、これらの場面では人の協力・団結を説いているように感じられる。
64の事件に関しては、やはり遺族の感情がクローズアップされていた。子供を殺され、妻に先立たれた芳男が、三上や事件を未だ解決していない警察に対して激昂するでもなく感情の抜け落ちた表情を向けている点が、逆に底知れない怒りを抱いているかのようでぞっとした。
9.『64―ロクヨンー後編』(映画)
原作:横山秀夫
監督:瀬々敬久
<あらすじ>
記者クラブとのわだかまりも消えた直後、新たに少女誘拐事件が発生する。上層部から開示された情報が少なすぎるため、三上は事件を担当する捜査一課の許可を得てともに警察車両に乗り込む。そこで事件の流れを追ううち今回の事件が64を模したものであることに気が付くのだった。
芳男と正人の同じ娘を誘拐された被害者としての姿が、重なるようでいて異なる点が印象的だった。娘が殺されて戻ってきた芳男と生きて再会できた正人とで明らかな対比がある一方で、身代金を運ぶときの様子などに共通点があることを全て観終わった後に見返すと、考えさせられるものがある。64の犯人も最終的に判明するが、「なぜしょうこちゃんを殺した」という問いに「そんなもの自分が分かるわけがないだろ」と犯人が答えたことで、意味もなく被害者が殺されたことが観客に伝わり、謎は解けているにもかかわらず後味の悪さが残るものとなっている。
ただし、最後に家にかかってきた電話の描写から、三上夫妻に希望があることも察することができる。何かを隠すことで守れるものは確かに存在するだろうが、それを隠し通せる能力もなく一方的に隠ぺいし続けることは争いしか生まないことを考えさせられる作品であるように思う。
10.『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(映画)
原作:ルイーザ・メイ・オルコット
監督:グレタ・ガーウィグ
<あらすじ>
マーチ姉妹の実家を出た後の暮らしに焦点を当てた物語。ベスの病状悪化の知らせを受けジョーとメグが実家に集うなか、ジョーが懐古する形式で過去の彼女たちの暮らしを描き出す。
ジョーは女性の幸せは結婚という形だけではなく、自立して稼ぎたいと考えている人物である。その一方で「結婚せず自由でいたいが、とても寂しい」という思いも持ち合わせており、その面からキャラクター像がよりリアルな一筋縄ではいかないものとなっていると感じた。また、過去を回想する形で時系列が入り乱れているため、過去のジョーにとっての幸せだった家族そろっての暮らしが美しいものとして強調されており、風景の色合いもそれに応じて暖色・寒色を使い分けている点が印象的だった。
四姉妹のペアについても特徴がそれぞれ異なっており、特にジョーとベスという一見正反対に見えるペアが語り合っている場面では、画面の中の静けさを実感しつつ、奥底にある怯えのようなものが一番感じられたように思う。
28番はデータが保存できていなかったため、申し訳ありませんが、夏休み外で鑑賞した作品を加えてしまっています。(鈴石)
1~10
1.『怒り』(映画)
原作:吉田修一
監督:李相日
<あらすじ>
八王子市で発生した殺人事件の犯人が捕まらないまま一年が経った。警察が情報を集めるため、犯人のイメージ画像が全国で公開される。時を同じくして千葉・東京・沖縄に身元不明の三人の男が現れるが…。
周囲の人物たちの、受け入れようとするが怪しむ感情を捨てきれず葛藤する姿が緻密に描かれていた。題名の「怒り」は千葉・東京・沖縄の場合で意味合いが異なるように感じるが、特に千葉での、信じたい人を信じ切ることができなかった自分に対する「怒り」がとても印象に残った。
また、信じ切れないことによる独特の緊張感が全体に常にあるなか、東京での優馬と直人の暮らしの描写は、それとは別の繊細さをはらんだ雰囲気だと思った。軽い口調で「信用していない」と言った優馬と、それに対して「信じてくれてありがとう」と言う直人のやり取りも、深く探ることへの恐ろしさと、それを分かっている様子という繊細な演技が必要とされるが、丁寧に表現されていたと感じる。
俳優陣も豪華な顔ぶれで、人の感情の機微を大切に拾う演技には注目である。
2.『楽園』(映画)
原作:吉田修一
監督:瀬々敬久
<あらすじ>
あるY字路で少女が行方不明となった。犯人の目星もつかないまま12年の歳月が過ぎたころ、再び同じような事件が起きた。確たる証拠もない状態で容疑者として町中から疑われた豪士は必死に逃走を図る。
またY字路を進んだ集落で養蜂家として暮らす善次郎は、あるきっかけから村八分にされてしまう。止まない非難や嫌がらせに次第に善次郎は衰弱していく。
閉そく感の恐ろしさを実感した。一度広まれば取り返しがつかず、一度思い込まれたら誤解は解けないという点はどんな環境にいようと同じかもしれないが、閉じた世界が舞台となっているため、そのことがより強調され描かれていたように感じる。また標的となった人物たちの無力さが、観ているこちらが辛くなるほど丁寧に描出されていた。豪士も善次郎も長身の俳優が演じているがとても約180㎝あるようには見えず、圧倒的弱者として両者とも映画に存在していたことが印象に残った。紡に関しては、信じていたり正の感情を向けていた人たちが消えてしまったが、逆に負の感情を向けていた人が最終的に自身の希望となったりと、救いのある最後でよかったと思う。
また「楽園」とは誰にとってのものか考えさせられた。誰かを犯人としてつるし上げ安心感を得られる環境だったことは、その集落に住む人からすれば「楽園」と感じられる場所だったのかもしれないが、必ず苦しむ役割の人が必要である。映画内で何度か出た「どこ行っても同じ」というセリフも踏まえると、本当の「楽園」というものは存在しないという気にさえなってくる。
鬱展開が続くなか、集落の田園風景がいやに美しく穏やかだった点も狂気じみていてぞっとした。
3.『天空の蜂』(映画)
原作:東野圭吾
監督:堤幸彦
<あらすじ>
自衛隊用の大型ヘリコプターが遠隔操作により何者かに奪われた。犯人は天空の蜂と名乗り、ヘリコプターを原発の上空に滞空させ、国内にある原発全てを停止しなければヘリコプターを落下させるという内容の声明文を出す。ヘリコプターの設計士である湯原は原発設計士の三島と共に事件の解決に臨むが…。
電気をとるか人命をとるかという選択がメインに据えられていた。道徳に則った常識で考えれば人命が第一優先されるべきはずが、多くの機関が電力を優先させる決断をしたことには怒りを感じた。しかし、原発の弊害の心配もせず、のうのうと日頃電気を使用している身である以上、軽々しく非難を口にできず考えさせられるものがあった。
人間関係で魅力的に感じたのは、やはり主人公一家である。湯原は典型的な仕事人間であり、家族サービスをしようとしても空回りするような家族関係がギクシャクした人物として描かれる。しかし、この描写が前半にあったからこそ、高彦とモールス信号で通じ合うシーンは、高彦の命を救った重要なものであると同時に、父と子の繋がりという意味でも非常に大切なものとなったのだと思う。
4.『影裏』(映画)
原作:沼田真佑
監督:大友啓史
<あらすじ>
埼玉の本社から盛岡に転勤となった今野は、そこで同僚である日浅と親しくなる。穏やかに過ごしてきた二人だったが、些細なことをきっかけに交流が途絶えてしまう。それからしばらく経ったころ、同僚の西山から「日浅が死んでしまったかもしれない」と告げられた今野は…。
穏やかな日々の様子を観ているはずなのに、遠くから鋭利な刃物を向けられているような妙な緊張感があった。予告から不穏な空気を知っていたからかもしれないが、表情や声音はどう見ても穏やかで明るいはずなのに、時折見せる不気味な雰囲気を日浅から感じられる。それに加え、相対する人によって接し方を微妙に変化させる点が日浅の一番恐ろしいところであると、個人的には考えた。また、こうした日浅があることで、不器用だけれどもどこまでも素直な今野との対比がしやすいと感じる。
『影裏』という題名の通り、映像も影が印象的な造りだったように思う。影により俳優の表情が見えない場面がいくつもあったが、その時の目での演技に鳥肌が立った。影により見えないものの方が多いため読み取れる画面上の情報が少ないが、そのため何を読み取るかが人や回数により分かれそうで、様々な楽しみ方ができるように思う。
5.『日本で一番悪い奴ら』(映画)
原作:稲葉圭昭
監督:白石和彌
<あらすじ>
柔道の腕を買われ道警に配属された諸星は、仕事に関してはうだつの上がらない青年だった。ある日先輩刑事から「裏社会のスパイ(通称S)をつくれ」と助言される。素朴な青年が裏社会に染まり転落していく姿を描き出した作品。
年齢制限のある作品でショッキングな場面も多くあるが、場面というよりも俳優陣の迫真の演技に恐怖感を覚えた。諸星の人物像の、犯人を追いかけるよりもシートベルトの着用を優先させ酒もたばこもたしなまない初心な青年だったのが、手柄を挙げていく一方、ヤクザから「アニキ」と呼ばれ畏怖される、悪事に染まった人物となるまでの変化が鮮明に表現されている。諸星と小坂の関係性も面白く、先輩に刑事になった理由を聞かれた際「公共の安全を守るため」と両者とも答えたが、その後悪事に染まり堕ちていった諸星と、その後も信念を忠実に守っていった小坂の対比が興味深いと感じる。
先に書いた通り衝撃的な展開もあるが、人が翻弄され狂っていく物語は圧巻の一言だった。
6.『亜人』(映画)
原作:桜井画門
監督:本広克行
<あらすじ>
研修医の青年・永井圭は交通事故をきっかけに、不死の新人類「亜人」であることが発覚した。研究施設で実験モルモット同然の扱いを受けた彼は、そこで佐藤と名乗る亜人に助けられる。しかし佐藤はテロリストであり、その思想に共感できない永井は佐藤と対立する。
二時間ほどの映画にまとめるため、原作とは異なる設定がいくつかあったが、散らかることなくまとまった内容となっていたように思う。俳優陣も言っていたように不死身の体を持つ者同士の戦いになるため、ともすれば茶番になりそうな戦闘シーンを緊張感のあるものとするには工夫や努力が必要になりそうだが、しっかりと手に汗握る展開となっていたことに制作陣の熱意が感じられた。
メインとなるのは永井と佐藤の戦闘ではあるが、彼ら以外にも亜人は登場する。その中で下村という亜人でありながら人間に付き従う異色の人物が登場するが、個人的には亜人の能力である黒い幽霊にクロちゃんという名前を付けている点が、その他の亜人と下村の差異に感じられた。人間サイドであるが人間ではなく、その他亜人と比べても異質であることが強調されていたように思う。どちらの立場にも上手く馴染まないことは永井に共通するものであり、案外似た者同士だったのではないかと感じたので、二人のシーンがなかったことは少し残念だった。
亜人と人間、永井と佐藤、下村と他の登場人物というようにこの作品は様々な対比で成り立っているように思うので、時間があれば今度は原作を読んだうえで別の視点からも見直してみたい。
7.『閉鎖病棟―それぞれの朝―』(映画)
原作:帚木蓬生
監督:平山秀幸
<あらすじ>
精神病棟を舞台とした作品である。死刑囚だったが死刑執行後蘇生してしまった秀丸は、刑務所には置いておけないという理由で精神病棟に移される。そこで出会った様々な人とのあたたかな交流が始まる。
「事情のない人なんていない」というセリフが一番印象的だった。他人の事情を詮索せず、それでいて独自の距離感でコミュニケーションを取る人が集まり、病棟の空気が築かれていると感じる。外部からの面会者という形で外の世界との違いを見せつけられる場面もあるが、どんな時でもあたたかく寄り添う秀丸の姿からは安心感が感じ取ることができる。『楽園』と同様に閉じた世界であるにも関わらずそこに恐怖が漂っていないことから、人が環境をつくることもあると改めて実感した。
「実際の病棟はここまできれいではない」という批判があることも頷けるほど、美しい物語だったが、それでも人の繋がりや寄り添いを描いているという点ですばらしい作品だったように思う。
8.『64―ロクヨンー前編』(映画)
原作:横山秀夫
監督:瀬々敬久
<あらすじ>
少女誘拐殺人事件、通称64―ロクヨンーは、時効まで残すところあと一年となった。当時事件を捜査一課で担当していた三上は広報課に移動となっており、情報を開示したくない上層部と情報の開示を要求する記者クラブとの板挟みの日々を送っていた。そんなある日、64担当捜査員の士気を高める名目で警察庁長官が視察に来る話が持ち上がる。
広報官という警察を題材にした作品ではあまり登場しない役職を中心に据えた物語のため、「広報官」や「記者クラブ」の知識がないと序盤は少しおいて行かれるかもしれない。どちらも情報を扱う人たちであるにもかかわらず、情報開示における規制について対立を続けている様子が詳細に描かれていた。しかし、激しい対立があった後に記者クラブの飲み会に広報官が混ざり親しく話している様子を映すことで、毛嫌いしているばかりではなく、後に登場する「みんな普通の人です」というセリフに信憑性を持たせていた。記者クラブが三上の説得に応じる場面も含め、これらの場面では人の協力・団結を説いているように感じられる。
64の事件に関しては、やはり遺族の感情がクローズアップされていた。子供を殺され、妻に先立たれた芳男が、三上や事件を未だ解決していない警察に対して激昂するでもなく感情の抜け落ちた表情を向けている点が、逆に底知れない怒りを抱いているかのようでぞっとした。
9.『64―ロクヨンー後編』(映画)
原作:横山秀夫
監督:瀬々敬久
<あらすじ>
記者クラブとのわだかまりも消えた直後、新たに少女誘拐事件が発生する。上層部から開示された情報が少なすぎるため、三上は事件を担当する捜査一課の許可を得てともに警察車両に乗り込む。そこで事件の流れを追ううち今回の事件が64を模したものであることに気が付くのだった。
芳男と正人の同じ娘を誘拐された被害者としての姿が、重なるようでいて異なる点が印象的だった。娘が殺されて戻ってきた芳男と生きて再会できた正人とで明らかな対比がある一方で、身代金を運ぶときの様子などに共通点があることを全て観終わった後に見返すと、考えさせられるものがある。64の犯人も最終的に判明するが、「なぜしょうこちゃんを殺した」という問いに「そんなもの自分が分かるわけがないだろ」と犯人が答えたことで、意味もなく被害者が殺されたことが観客に伝わり、謎は解けているにもかかわらず後味の悪さが残るものとなっている。
ただし、最後に家にかかってきた電話の描写から、三上夫妻に希望があることも察することができる。何かを隠すことで守れるものは確かに存在するだろうが、それを隠し通せる能力もなく一方的に隠ぺいし続けることは争いしか生まないことを考えさせられる作品であるように思う。
10.『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(映画)
原作:ルイーザ・メイ・オルコット
監督:グレタ・ガーウィグ
<あらすじ>
マーチ姉妹の実家を出た後の暮らしに焦点を当てた物語。ベスの病状悪化の知らせを受けジョーとメグが実家に集うなか、ジョーが懐古する形式で過去の彼女たちの暮らしを描き出す。
ジョーは女性の幸せは結婚という形だけではなく、自立して稼ぎたいと考えている人物である。その一方で「結婚せず自由でいたいが、とても寂しい」という思いも持ち合わせており、その面からキャラクター像がよりリアルな一筋縄ではいかないものとなっていると感じた。また、過去を回想する形で時系列が入り乱れているため、過去のジョーにとっての幸せだった家族そろっての暮らしが美しいものとして強調されており、風景の色合いもそれに応じて暖色・寒色を使い分けている点が印象的だった。
四姉妹のペアについても特徴がそれぞれ異なっており、特にジョーとベスという一見正反対に見えるペアが語り合っている場面では、画面の中の静けさを実感しつつ、奥底にある怯えのようなものが一番感じられたように思う。
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