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2年 岩下
RES
夏休み課題1~10
1.東京卍リベンジャーズ(アニメ・漫画) 原作:和久井健 制作:ライデンフィルム
【備考】実写映画も公開された。
中学時代、暴走族・東京卍會のメンバーに喧嘩を売って痛い目を見たタケミチは、中学卒業後、友人も恋人も捨てて一人暮らしを始めるもただなんとなく日々を過ごしていた。26歳の時、元恋人である橘 ヒナタが東京卍會によって殺されたというニュースを目にしたタケミチは、翌日、自身も何者かの手によって電車のホームに突き落とされ、気が付くと中学時代にタイムリープしていた。本来ヒナタと共に死ぬはずだった弟・橘 直人を助けたタケミチは「直人と握手をすることで12年前のその日にタイムリープできる能力」を手に入れ、成長した直人とともにヒナタを助けるべく奮闘する。
主人公のタケミチは喧嘩こそ強くはないが、自分より強い相手にも果敢に挑むことのできる、精神的な強さやひたむきさ、仲間を思う熱い心を持っており、これぞ近年の少年漫画の王道的主人公だと感じた。一方で、単純な構成になりがちな不良漫画にSFやミステリーの要素を加えることで、王道感は残しつつも先の展開が楽しみなストーリーに仕上がっている。
2.トモダチゲーム(漫画) 原作:山口ミコト 漫画:佐藤友生
【備考】テレビドラマ化、並びに映画化もされた
貧乏ながら金より友を大切にしている主人公・片切友一、政治家の息子・四部誠、学年トップの天才・美笠天智、真面目で正義感が強い刑事の娘・沢良宜志保、元いじめられっ子・心木ゆとりは、同じクラスの友達グループだった。ある日、クラスで修学旅行費の盗難騒動が起き、その後手紙で呼び出された5人は謎の軍団に襲われて意識を失ってしまう。目が覚めると、マナブくんと名乗る謎の案内人から「5人のうち誰かが2000万円の借金を返すため、盗んだ修学旅行費を参加料として”トモダチゲーム”に申し込んだ」と告げられる。ゲームに参加すれば借金は5等分され一人あたり400万円の借金を背負うことになるという条件をのみ、一同は誰の借金か追及しないまま友を助けるを決意する。果たして友一たちは友を信じ、運営の裏をかき、ゲームに勝利することができるのか。
この漫画は一見『バトルロワイアル』のような殺伐とした雰囲気だが、表現自体はかなり柔らかい。従来のデスゲーム系作品(何者かに誘拐され、謎のゲームに参加させられるような作品)であればクリアに失敗時に惨たらしく殺される残虐シーンが一種の見せ場となっているが、本作においてはクリアできなくても命は取られず、借金を背負わせた状態で帰宅させられる(ただし、その後一緒に参加した友人には二度と会えない)。このような表現により、本来のテーマである「友情」「金」の重要性が引き立っている。また、本作では主人公自身が謎を抱えており、仲間は大事にするがゲームに勝つためなら手段を選ばない、ダークヒーロー的な側面を持っている。そのため主人公≠読者であり、読者は主人公の言動を新鮮な気持ちで楽しむことができる。
3.出口ゼロ(漫画) 瀬田ハルヒ
女優志望の15歳・赤羽夕日は演劇部の元部長で憧れの先輩である咲夜の後を追い、全寮制の名門俳優養成所「D(ダイヤモンド)・A(アクターズ)スクール」へ入学した。
しかしながら、その実態は生徒を閉じ込めて過酷な課題を課し、達成できなかった生徒の記憶や人格を抹殺する非人道的な施設であった。「人格を消して真っさらな状態になってこそ真の俳優」という方針を持つ学園に立ち向かう物語。
この漫画は、少女漫画的なエッセンスは残しつつも、少女漫画雑誌「なかよし」に掲載されていた作品としては異例なまでに少年漫画的な要素を含んでいる。全体を通して主人公・夕日の強さが描かれており、その強さが周囲の人々を動かしていく。このようなストーリーは、少年漫画にも多く見られる。本作は、このような少年漫画的なストーリーをあえて少女漫画誌で、少女たちが憧れる女優という題材を用い少女漫画らしい絵柄で描くことによって、新たな少女漫画の可能性を提示している作品だといえる。
4. ローマの休日(吹き替え版) 1953年 アメリカ映画
監督 ウィリアム・ワイラー 主演 オードリー・ヘップバーン、ジョー・ブラドリー
オードリーヘップバーン演じる小国の王女・アン王女は王室の堅苦しい生活に嫌気がさし、こっそり王室を抜け出す。街で出会った新聞記者ジョー・ブラドリーの助けにより、お忍びで「普通の生活」を楽しむアン王女。一方新聞記者のジョーは、実は元々アン王女のスキャンダル記事を書くために手助けをしていた。最終的に二人は別れを迎え、ジョーは記事をお蔵入りにする決心をする。
実際に見る前はローマの休日=恋愛映画というイメージが強かったのだが、ジョーとの恋愛よりも自分のやるべき仕事を選び、王室に戻ったアン王女の姿からは「人生は恋愛がすべてではない」というメッセージが感じられた。それと同時に、仕事(スキャンダル記事の執筆)よりもアン王女を選び、記事をお蔵入りにしたジョーとの対比が興味深く感じた。
街中のオシャレでいきいきとした雰囲気や「記者」と「王女」が再会するどこかコミカルなラストシーンはモノクロながらも非常に鮮やかに感じられて、冒頭の堅苦しい儀式との対比が、モノクロであるがゆえにより一層引き立てられている。
リアリティの中にどこか品のある吹替えの演技も相まって、60年以上前に作られた作品であるにも関わらず非常に観やすく感じた。
5. Cube(吹き替え版) 1997年 カナダ映画
監督 ヴィンチェンゾ・ナタリ 主演 ニコール・デ・ボア、ニッキー・グァダーニ、デヴィッド・ヒューレット
死のトラップが張り巡らされた立方体に閉じ込められた見ず知らずの男女6人が、水も食料も無い迷宮の出口を探していく物語。
物語中盤、閉じ込められていた男の一人がこの迷宮・CUBEの外壁を設計した設計士だということが判明する。「最初から知っていたのか」「黒幕は誰なんだ」と詰め寄られるも「自分は外壁を設計しただけで内部も目的も知らない。誰に頼まれたのかもわからず、自分みたいに建物の一部を請け負った設計士と電話で打合せしただけだ」と設計士は言い訳をする。「これがなにかなんて”誰も”知らない」と言う設計士に対して、女医は「これが奴らのやり方なのよ。全部分業にしちゃえば本体が何かなんて嗅ぎつけられないで済む。見えない頭脳が操ってるのよ」「だって世の中全部そうじゃない」と陰謀論に結び付ける。しかしながら設計士は陰謀の存在を否定し、CUBEは金を生み出すためだけに作られた無用の長物であり、悪意も敵も黒幕もいないと論じた。
上記のやりとりに本作で一番衝撃を受けた。これだけ壮大な殺戮マシーンを作っておいて悪意も目的も無いという発想が、本作における数々の残虐シーンをも上回るほどの恐怖である。また、設計士を始めとして過度な分業化によって罪悪感も悪意もなく無自覚に悪へと加担している人々の様子は、詐欺や犯罪集団の下端の構造に似ていると感じた。本作には、分業により効率も上がり便利にはなったが、一方でそれによる危険性や弊害も潜んでいる現代社会に対する風刺が感じられた。
6. 日常(アニメ)
原作(漫画)あらゐけいいち 制作 京都アニメーション
【備考】
原作漫画は2011年にプレイステーションポータブル用としてゲーム化したほか、角川書店による小説化、iOS向け歩数計アプリやandroid向けきせかえテーマアプリの配信などがなされた。
時定高校の生徒を中心とした様々な人の不条理な日常を描く、マンガ原作のアニメーション作品。毎回9個程度の短いエピソードや小話、ミニコーナーなどの詰め合わせが1話として放送されるため複数の主人公・ストーリー軸が存在する。
中でも私は「東雲研究所」関連のエピソードが印象深かった。高校生の容姿で背中にはネジがついている女性型ロボット「東雲なの」、なのを製作した8歳の天才少女「はかせ」、はかせが発明したスカーフをつけたことにより人語を喋れるようになった黒猫「阪本」の3名の日常を描いたシリーズで、天真爛漫で破天荒なはかせを世話するロボットと、振り回される猫という構図がおもしろい。また、東雲なのが抱えるロボットであるがゆえの苦悩と人間への憧れを描いた回では、背中のネジがコンプレックスで取りたい東雲なのと、かわいいからとネジを外したがらないはかせの攻防がコミカルに描かれている。このシーンは一見単なるギャグシーンであるが、ネジがついていてもいなくても「なの」は「なの」であるとするはかせの考えからは、自分では欠点だと思っていることも前向きに捉えることもできる、というメッセージが伝わってくる。
7. 約束のネバーランド(アニメ、マンガ)
原作・原案::白井カイウ 作画::出水ぽすか アニメーション制作 CloverWorks
【備考】小説、ウェブラジオ、実写映画、リアル脱出ゲーム、内閣府とのタイアップなど、多数のメディアミックス・タイアップ等がなされている。
特殊なしきたりが存在する孤児院・グレイス=フィールドで暮らしていた主人公のエマと、同じく孤児院育ちの天才・ノーマンはある日、里親に引き取られていったはずの仲間の1人が鬼の元に食肉として出荷されていく様子を目撃する。それをきっかけに孤児院に潜む数々の違和感に気づいたエマ達は、脱獄計画を立てて他の孤児達とともに脱獄することを目指す。鬼の世界から逃げ出して人間の世界を目指す食用児を描いた作品。
この作品は少年少女の脱獄冒険譚である一方で、食に隠された残酷性やそれゆえの神聖さを描いた、食育作品としての側面も併せ持つ。作中に登場する鬼の大半は人肉を食べる際に「グプナ」と呼ばれる儀式を行う。グプナは血抜きの儀式であると同時に神への捧げ物としての意味合いがあり、糧への感謝の念が伴わなければ成立しない。この点がいわゆる食人鬼を描いた作品としては異様に感じた。一般に食人鬼は恐ろしい存在で、本能のままに人を食い荒らすというイメージが強い。本作においてもイメージ同様の知能の低い鬼は登場するが、儀式を行い感謝の念をもって肉を食す鬼や、宗教上の理由から人間は食べないという鬼の登場は鬼も人と同様に食べなければ生きていけないのだという事実を気づかせてくれる。一方、アニメ第二期のオープニング映像に含まれる「ウサギが一羽ずつ皿に載せられ、孤児達の食卓に並べられているシーン」では人間も鬼と同様に命を喰らって生きているのだという事実を視覚的に訴えかけてくる。
8. アイドルマスターシンデレラガールズ(アニメ) 制作:A-1 Pictures
原作【ソーシャルゲーム】開発元:バンダイナムコエンターテインメント、Cygames
【備考】原作ゲームとのコラボイベントの実施、アニメ内ユニットによるCDの発売、アニメ内で行われた大規模イベント『シンデレラの舞踏会』をモデルにしたコンサートの開催などが行われた。
346プロダクションに所属するアイドル達の成長を群像劇的に描いた物語。原作ゲームでは自分がプロデューサーとなり200人超のアイドルから好きな娘を選んでプロデュースしていくが、アニメではオリジナルキャラクターである大柄な男性プロデューサー(通称竹内P)が立ち上げた「シンデレラプロジェクト」に所属する計14名のアイドルが中心に据えられている。
原作では「キャラクターに付随した物語」として各キャラクターの中に物語が存在するのに対し、アニメでは登場アイドルの数を絞ることで人間関係が明確化・物語的なおもしろさが増し、物語の中にキャラクターが存在しているように感じられた。
そのため批判を浴びかねないような視野狭窄な言動をとるキャラクターが存在したり、他者との関係性の中で成長するキャラクター達の様子など、各キャラクターの魅力を最重要視する原作ではあまり見られないような展開が多くどこか斬新に感じられた。
9. アイドルマスターシンデレラガールズ劇場(アニメ)
原作 バンダイナムコエンターテインメント 制作:ギャザリング
上記のアニメの原作にもなったゲーム『アイドルマスターシンデレラガールズ』内で発表されている5コマ漫画を原作とした、ミニキャラ化したアイドル達による日常を描いた5分枠の短編アニメ作品。
前述のアニメ版アイドルマスターシンデレラガールズとは異なり、とにかくキャラクターの魅力を引き出すことに特化した作品だと感じた。基本的にボイス実装済アイドルは全員出演しているものの、1度に出演するキャラクター数を1人~数人程度に絞ることでくすっと笑えるギャグ要素と出演キャラクターの魅力とを両立している。第四期放送後もゲーム内において定期的に配信されていることからも、キャラクターの魅力を重視するソーシャルゲームのファン層との親和性が高い作風だと思った。
10. ここは今から倫理です。(ドラマ、漫画)
原作 雨瀬シオリ(漫画)
【備考】
ドラマ連動企画として視聴者投稿番組『ここはぺこぱと倫理です。』が放送された。
悩みを抱えた高校生たちが、倫理の選択授業で出会った”高柳先生”の授業を通して気づきを得たり、変化していく様子を描いた作品。
この物語の視点は話ごとに変わっていくが、大抵の場合問題を抱えた生徒が主体となって描かれる。その問題は自覚の有無も含めて多岐にわたり、「夜遊びのしすぎで学校が眠い」「いじめられっ子を助ける『いい先生』になりたいが、見本となる『いい先生』が居ない」「家庭環境で悩んでる」など身近で俗世的なテーマが多く、その話の主役となる生徒のモノローグを多用した作風のための没入しやすい。そのためどれか1つは共感できるような悩みを見つけることができる。どこか浮世離れした先生と俗っぽい悩みを持った生徒達との対比が、リアルでしっとりとした作風ながらもどこか笑える、独特な空気感を醸し出している。ドラマ版ではその空気感を維持しつつ、高柳先生が生徒との接し方に悩む姿も描かれ、高柳先生の人間味が強調されているように感じる。また、原作ではギャルや不良など個性的な容姿をした生徒が多く登場するのに対し、ドラマではより現実に即した、落ちついた容姿に変更されている。ドラマ版ではNHKで放送された特性上一部の表現がマイルドにされているものの、限られた尺の中に上手く原作の雰囲気を落とし込まれていると感じた。
1.東京卍リベンジャーズ(アニメ・漫画) 原作:和久井健 制作:ライデンフィルム
【備考】実写映画も公開された。
中学時代、暴走族・東京卍會のメンバーに喧嘩を売って痛い目を見たタケミチは、中学卒業後、友人も恋人も捨てて一人暮らしを始めるもただなんとなく日々を過ごしていた。26歳の時、元恋人である橘 ヒナタが東京卍會によって殺されたというニュースを目にしたタケミチは、翌日、自身も何者かの手によって電車のホームに突き落とされ、気が付くと中学時代にタイムリープしていた。本来ヒナタと共に死ぬはずだった弟・橘 直人を助けたタケミチは「直人と握手をすることで12年前のその日にタイムリープできる能力」を手に入れ、成長した直人とともにヒナタを助けるべく奮闘する。
主人公のタケミチは喧嘩こそ強くはないが、自分より強い相手にも果敢に挑むことのできる、精神的な強さやひたむきさ、仲間を思う熱い心を持っており、これぞ近年の少年漫画の王道的主人公だと感じた。一方で、単純な構成になりがちな不良漫画にSFやミステリーの要素を加えることで、王道感は残しつつも先の展開が楽しみなストーリーに仕上がっている。
2.トモダチゲーム(漫画) 原作:山口ミコト 漫画:佐藤友生
【備考】テレビドラマ化、並びに映画化もされた
貧乏ながら金より友を大切にしている主人公・片切友一、政治家の息子・四部誠、学年トップの天才・美笠天智、真面目で正義感が強い刑事の娘・沢良宜志保、元いじめられっ子・心木ゆとりは、同じクラスの友達グループだった。ある日、クラスで修学旅行費の盗難騒動が起き、その後手紙で呼び出された5人は謎の軍団に襲われて意識を失ってしまう。目が覚めると、マナブくんと名乗る謎の案内人から「5人のうち誰かが2000万円の借金を返すため、盗んだ修学旅行費を参加料として”トモダチゲーム”に申し込んだ」と告げられる。ゲームに参加すれば借金は5等分され一人あたり400万円の借金を背負うことになるという条件をのみ、一同は誰の借金か追及しないまま友を助けるを決意する。果たして友一たちは友を信じ、運営の裏をかき、ゲームに勝利することができるのか。
この漫画は一見『バトルロワイアル』のような殺伐とした雰囲気だが、表現自体はかなり柔らかい。従来のデスゲーム系作品(何者かに誘拐され、謎のゲームに参加させられるような作品)であればクリアに失敗時に惨たらしく殺される残虐シーンが一種の見せ場となっているが、本作においてはクリアできなくても命は取られず、借金を背負わせた状態で帰宅させられる(ただし、その後一緒に参加した友人には二度と会えない)。このような表現により、本来のテーマである「友情」「金」の重要性が引き立っている。また、本作では主人公自身が謎を抱えており、仲間は大事にするがゲームに勝つためなら手段を選ばない、ダークヒーロー的な側面を持っている。そのため主人公≠読者であり、読者は主人公の言動を新鮮な気持ちで楽しむことができる。
3.出口ゼロ(漫画) 瀬田ハルヒ
女優志望の15歳・赤羽夕日は演劇部の元部長で憧れの先輩である咲夜の後を追い、全寮制の名門俳優養成所「D(ダイヤモンド)・A(アクターズ)スクール」へ入学した。
しかしながら、その実態は生徒を閉じ込めて過酷な課題を課し、達成できなかった生徒の記憶や人格を抹殺する非人道的な施設であった。「人格を消して真っさらな状態になってこそ真の俳優」という方針を持つ学園に立ち向かう物語。
この漫画は、少女漫画的なエッセンスは残しつつも、少女漫画雑誌「なかよし」に掲載されていた作品としては異例なまでに少年漫画的な要素を含んでいる。全体を通して主人公・夕日の強さが描かれており、その強さが周囲の人々を動かしていく。このようなストーリーは、少年漫画にも多く見られる。本作は、このような少年漫画的なストーリーをあえて少女漫画誌で、少女たちが憧れる女優という題材を用い少女漫画らしい絵柄で描くことによって、新たな少女漫画の可能性を提示している作品だといえる。
4. ローマの休日(吹き替え版) 1953年 アメリカ映画
監督 ウィリアム・ワイラー 主演 オードリー・ヘップバーン、ジョー・ブラドリー
オードリーヘップバーン演じる小国の王女・アン王女は王室の堅苦しい生活に嫌気がさし、こっそり王室を抜け出す。街で出会った新聞記者ジョー・ブラドリーの助けにより、お忍びで「普通の生活」を楽しむアン王女。一方新聞記者のジョーは、実は元々アン王女のスキャンダル記事を書くために手助けをしていた。最終的に二人は別れを迎え、ジョーは記事をお蔵入りにする決心をする。
実際に見る前はローマの休日=恋愛映画というイメージが強かったのだが、ジョーとの恋愛よりも自分のやるべき仕事を選び、王室に戻ったアン王女の姿からは「人生は恋愛がすべてではない」というメッセージが感じられた。それと同時に、仕事(スキャンダル記事の執筆)よりもアン王女を選び、記事をお蔵入りにしたジョーとの対比が興味深く感じた。
街中のオシャレでいきいきとした雰囲気や「記者」と「王女」が再会するどこかコミカルなラストシーンはモノクロながらも非常に鮮やかに感じられて、冒頭の堅苦しい儀式との対比が、モノクロであるがゆえにより一層引き立てられている。
リアリティの中にどこか品のある吹替えの演技も相まって、60年以上前に作られた作品であるにも関わらず非常に観やすく感じた。
5. Cube(吹き替え版) 1997年 カナダ映画
監督 ヴィンチェンゾ・ナタリ 主演 ニコール・デ・ボア、ニッキー・グァダーニ、デヴィッド・ヒューレット
死のトラップが張り巡らされた立方体に閉じ込められた見ず知らずの男女6人が、水も食料も無い迷宮の出口を探していく物語。
物語中盤、閉じ込められていた男の一人がこの迷宮・CUBEの外壁を設計した設計士だということが判明する。「最初から知っていたのか」「黒幕は誰なんだ」と詰め寄られるも「自分は外壁を設計しただけで内部も目的も知らない。誰に頼まれたのかもわからず、自分みたいに建物の一部を請け負った設計士と電話で打合せしただけだ」と設計士は言い訳をする。「これがなにかなんて”誰も”知らない」と言う設計士に対して、女医は「これが奴らのやり方なのよ。全部分業にしちゃえば本体が何かなんて嗅ぎつけられないで済む。見えない頭脳が操ってるのよ」「だって世の中全部そうじゃない」と陰謀論に結び付ける。しかしながら設計士は陰謀の存在を否定し、CUBEは金を生み出すためだけに作られた無用の長物であり、悪意も敵も黒幕もいないと論じた。
上記のやりとりに本作で一番衝撃を受けた。これだけ壮大な殺戮マシーンを作っておいて悪意も目的も無いという発想が、本作における数々の残虐シーンをも上回るほどの恐怖である。また、設計士を始めとして過度な分業化によって罪悪感も悪意もなく無自覚に悪へと加担している人々の様子は、詐欺や犯罪集団の下端の構造に似ていると感じた。本作には、分業により効率も上がり便利にはなったが、一方でそれによる危険性や弊害も潜んでいる現代社会に対する風刺が感じられた。
6. 日常(アニメ)
原作(漫画)あらゐけいいち 制作 京都アニメーション
【備考】
原作漫画は2011年にプレイステーションポータブル用としてゲーム化したほか、角川書店による小説化、iOS向け歩数計アプリやandroid向けきせかえテーマアプリの配信などがなされた。
時定高校の生徒を中心とした様々な人の不条理な日常を描く、マンガ原作のアニメーション作品。毎回9個程度の短いエピソードや小話、ミニコーナーなどの詰め合わせが1話として放送されるため複数の主人公・ストーリー軸が存在する。
中でも私は「東雲研究所」関連のエピソードが印象深かった。高校生の容姿で背中にはネジがついている女性型ロボット「東雲なの」、なのを製作した8歳の天才少女「はかせ」、はかせが発明したスカーフをつけたことにより人語を喋れるようになった黒猫「阪本」の3名の日常を描いたシリーズで、天真爛漫で破天荒なはかせを世話するロボットと、振り回される猫という構図がおもしろい。また、東雲なのが抱えるロボットであるがゆえの苦悩と人間への憧れを描いた回では、背中のネジがコンプレックスで取りたい東雲なのと、かわいいからとネジを外したがらないはかせの攻防がコミカルに描かれている。このシーンは一見単なるギャグシーンであるが、ネジがついていてもいなくても「なの」は「なの」であるとするはかせの考えからは、自分では欠点だと思っていることも前向きに捉えることもできる、というメッセージが伝わってくる。
7. 約束のネバーランド(アニメ、マンガ)
原作・原案::白井カイウ 作画::出水ぽすか アニメーション制作 CloverWorks
【備考】小説、ウェブラジオ、実写映画、リアル脱出ゲーム、内閣府とのタイアップなど、多数のメディアミックス・タイアップ等がなされている。
特殊なしきたりが存在する孤児院・グレイス=フィールドで暮らしていた主人公のエマと、同じく孤児院育ちの天才・ノーマンはある日、里親に引き取られていったはずの仲間の1人が鬼の元に食肉として出荷されていく様子を目撃する。それをきっかけに孤児院に潜む数々の違和感に気づいたエマ達は、脱獄計画を立てて他の孤児達とともに脱獄することを目指す。鬼の世界から逃げ出して人間の世界を目指す食用児を描いた作品。
この作品は少年少女の脱獄冒険譚である一方で、食に隠された残酷性やそれゆえの神聖さを描いた、食育作品としての側面も併せ持つ。作中に登場する鬼の大半は人肉を食べる際に「グプナ」と呼ばれる儀式を行う。グプナは血抜きの儀式であると同時に神への捧げ物としての意味合いがあり、糧への感謝の念が伴わなければ成立しない。この点がいわゆる食人鬼を描いた作品としては異様に感じた。一般に食人鬼は恐ろしい存在で、本能のままに人を食い荒らすというイメージが強い。本作においてもイメージ同様の知能の低い鬼は登場するが、儀式を行い感謝の念をもって肉を食す鬼や、宗教上の理由から人間は食べないという鬼の登場は鬼も人と同様に食べなければ生きていけないのだという事実を気づかせてくれる。一方、アニメ第二期のオープニング映像に含まれる「ウサギが一羽ずつ皿に載せられ、孤児達の食卓に並べられているシーン」では人間も鬼と同様に命を喰らって生きているのだという事実を視覚的に訴えかけてくる。
8. アイドルマスターシンデレラガールズ(アニメ) 制作:A-1 Pictures
原作【ソーシャルゲーム】開発元:バンダイナムコエンターテインメント、Cygames
【備考】原作ゲームとのコラボイベントの実施、アニメ内ユニットによるCDの発売、アニメ内で行われた大規模イベント『シンデレラの舞踏会』をモデルにしたコンサートの開催などが行われた。
346プロダクションに所属するアイドル達の成長を群像劇的に描いた物語。原作ゲームでは自分がプロデューサーとなり200人超のアイドルから好きな娘を選んでプロデュースしていくが、アニメではオリジナルキャラクターである大柄な男性プロデューサー(通称竹内P)が立ち上げた「シンデレラプロジェクト」に所属する計14名のアイドルが中心に据えられている。
原作では「キャラクターに付随した物語」として各キャラクターの中に物語が存在するのに対し、アニメでは登場アイドルの数を絞ることで人間関係が明確化・物語的なおもしろさが増し、物語の中にキャラクターが存在しているように感じられた。
そのため批判を浴びかねないような視野狭窄な言動をとるキャラクターが存在したり、他者との関係性の中で成長するキャラクター達の様子など、各キャラクターの魅力を最重要視する原作ではあまり見られないような展開が多くどこか斬新に感じられた。
9. アイドルマスターシンデレラガールズ劇場(アニメ)
原作 バンダイナムコエンターテインメント 制作:ギャザリング
上記のアニメの原作にもなったゲーム『アイドルマスターシンデレラガールズ』内で発表されている5コマ漫画を原作とした、ミニキャラ化したアイドル達による日常を描いた5分枠の短編アニメ作品。
前述のアニメ版アイドルマスターシンデレラガールズとは異なり、とにかくキャラクターの魅力を引き出すことに特化した作品だと感じた。基本的にボイス実装済アイドルは全員出演しているものの、1度に出演するキャラクター数を1人~数人程度に絞ることでくすっと笑えるギャグ要素と出演キャラクターの魅力とを両立している。第四期放送後もゲーム内において定期的に配信されていることからも、キャラクターの魅力を重視するソーシャルゲームのファン層との親和性が高い作風だと思った。
10. ここは今から倫理です。(ドラマ、漫画)
原作 雨瀬シオリ(漫画)
【備考】
ドラマ連動企画として視聴者投稿番組『ここはぺこぱと倫理です。』が放送された。
悩みを抱えた高校生たちが、倫理の選択授業で出会った”高柳先生”の授業を通して気づきを得たり、変化していく様子を描いた作品。
この物語の視点は話ごとに変わっていくが、大抵の場合問題を抱えた生徒が主体となって描かれる。その問題は自覚の有無も含めて多岐にわたり、「夜遊びのしすぎで学校が眠い」「いじめられっ子を助ける『いい先生』になりたいが、見本となる『いい先生』が居ない」「家庭環境で悩んでる」など身近で俗世的なテーマが多く、その話の主役となる生徒のモノローグを多用した作風のための没入しやすい。そのためどれか1つは共感できるような悩みを見つけることができる。どこか浮世離れした先生と俗っぽい悩みを持った生徒達との対比が、リアルでしっとりとした作風ながらもどこか笑える、独特な空気感を醸し出している。ドラマ版ではその空気感を維持しつつ、高柳先生が生徒との接し方に悩む姿も描かれ、高柳先生の人間味が強調されているように感じる。また、原作ではギャルや不良など個性的な容姿をした生徒が多く登場するのに対し、ドラマではより現実に即した、落ちついた容姿に変更されている。ドラマ版ではNHKで放送された特性上一部の表現がマイルドにされているものの、限られた尺の中に上手く原作の雰囲気を落とし込まれていると感じた。
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